2021年12月

2021年12月31日

大晦日にスーパーに出かけてコロナを振り返る

夕方に近くのスーパーに出かけたら、大晦日なのでとても混雑していた。それでコロナが流行りだした頃に、スーパーでも入場制限が掛かってお店に入るのに並んだことを思い出す。あれは2020年3月25日に小池都知事が不要不急の外出自粛を求めたときか、あるいはその後の4月7日に政府が緊急事態宣言を出したときかどちらだったかな。


振り返ってみれば中国の武漢で、コロナウイルスなるものが流行っているというニュースがあったのが2019年の終わりだったと思う。でもその頃はまだまったく対岸の火事。これは2020年の初詣風景。ほとんどの人はまだマスクをせずにのんびりと正月気分。
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緊張が高まったのはそれから約1ヶ月後の2020年2月3日に、コロナ患者が乗船していたダイヤモンドプリンセス号が横浜港にやって来たあたりからだと思う。それと前後して店頭からマスクが消えた。下の写真は2月3日の撮影。
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しばらくしたらこんな掲示までが出るようにもなった。
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先ほど書いたように外出自粛要請があったのが3月25日。そして3月29日に志村けんがコロナで亡くなって日本中に衝撃が走る。そういえば外出自粛要請の翌日にスーパーに行ってみると棚が空っぽだった。ティッシュやトイレットペーパーもしばらく買えなかった。
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当時は「インフルエンザだって寒いときに流行るし、これから暖かくなってくれば収まるだろう。マスクをするのも夏までの辛抱のはず」と何となく考えていた。しかしあれから2回の夏が過ぎ、もうすぐマスク生活も丸2年になる。

  ♪もうひとつ寝るとお正月〜 さて来年はどうなる?

何となくこのままフェードアウトしそうな気もするし、オミクロンというニューフェースも気がかりだし。もっともコロナの見通しなんて専門家でも誰も正確に立てられない。だから「習うより慣れろ」じゃないけれど「考えるより対応しろ」かな。悲観も楽観もせず。ある意味、流れに身を任せてフレキシブルに生きることが大切だと思っている。

  では健康でよいお年を!


wassho at 19:32|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2021年12月29日

篁牛人展 〜昭和水墨画壇の鬼才〜 その2

さて篁牛人(たかむら ぎゅうじん)。

日曜美術館という番組で知るまでは聞いたこともない名前だった。それもそのはず美術界でも知名度は低くほとんど忘れられた存在らしい。もっとも美術の世界でそんな画家はゴマンといる。それでも伊藤若冲のように、その中からスーパースターが誕生したりもするからおもしろい。あのカラヴァッジョですら350年間ほど歴史に埋もれていたというのだからビックリである。

篁牛人も日曜美術館で紹介されたし、この展覧会を機に再評価が進むんじゃないかな。ジャンルでいえば水墨画。その方面はまったく詳しくないが、篁牛人のような水墨画を描いた画家は他にいない気がする。つまり画家で最も大切な(と私が思っている)オリジナリティを確立している。ただしアバンギャルドな作風だから、彼が生きていた時代ではあまり受け入れられなかったのかも知れない。


篁牛人の略歴。
明治生まれで主には戦後、昭和の中頃に活躍した画家である。

ポートレイト

  1901年(明治34年)富山市のお寺の次男として生まれる。
  1924年(大正13年)23歳頃から図案の制作を始める。
            今でいうならグラフィックデザイナー。
  1940年(昭和15年)39歳頃から図案制作をやめ絵画に専念する。

  1944年(昭和19年)戦争に応召〜1946年(昭和21年)に復員。

  1947年(昭和22年)46歳頃から画業復帰。
  1955年(昭和30年)54歳頃から約10年間の放浪生活
  1975年(昭和50年)脳梗塞で倒れ以後は画業が困難になる。
  1984年(昭和59年)82歳で没


展覧会の構成がちょっと変わっている。基本的には3つの年代に分けた回顧展スタイルなのであるが、それとは別に最初のコーナーは「これが牛人だ!!」とタイトルにビックリマークを2つも並べて、制作時期に関係なく彼の代表作を集めた内容になっている。まずは牛人のすごさを一発ぶちかましておきたいという美術館の心意気の表れか。


そしてこれがトップバッターの「天台山豊干禅師」。
制作は1948年頃。

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豊干禅師の名前は「ぶかん」または「ほうかん」と読む。中国は唐時代の禅僧。寺の中でトラにまたがっていたという伝説がある人物。それにしてもいきなり牛人ワールド全開でノックアウトされそうになる。まんまと美術館の術中にはまった(^^ゞ

極端にデフォルメされたトラ。デフォルメを通り越してモーソー領域に入っている木の幹、しかも横向き。それに対して豊干禅師は線が細くまるで漫画のような描き方。またトラに対して不自然に小さい。このアンバランスさが不思議な世界観を醸し出している。別に何かメッセージが込められている絵じゃないだろう。これが楽しいと思えるかどうか。

実際の絵は横幅が6メートル近くもある大作。これが目に飛び込んで来るとウォーとか小さく叫びたくなるが、ブログの小さな画像でそれは無理だろう。下の2つは部分的にトリミングしたもの。こちらはパソコンで見ているならクリックすればブラウザーの横幅までは大きくなる。
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「雪山淫婆 」 1948年

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先ほどの豊干禅師は例外で、牛人の描く人物は基本的に巨体である。まるで風船を膨らましたかのよう。頭を小さく描くからより大きさが強調されている。それでいて輪郭線がとても細いのも特徴。

ちなみに雪山淫婆とは山姥(やまんば)の雪女版らしい。


「訶梨諦母 」(かりていも) 1969年

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日本では鬼子母神(きしもじん)とも呼ばれる訶梨諦母。幼児を捕らえて食べる鬼が、釈迦の教えによって改心し子供を庇護する女神になったという設定。仏教で女神はしっくりこないが、古代インドで別の宗教要素が仏教に取り入れられたのだろう。

この絵は頭に角が生えているから、改心する前の鬼の姿を描いたものだと思う。まわりに黒く描かれているものも何となく不気味な印象。画像検索してみたが、鬼子母神あるいは訶梨諦母の絵や像は女神になったものばかりだった。牛人は作品のテーマ設定も洒落ている。


「西王母と小鳥 」 1969年

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西王母(さいおうぼ)は中国で古くから信仰された女性の仙人。3000年に1度だけ実る桃の木を持っており不老不死の象徴。ただし牛人の描く西王母はちょっと怖そうで、下にいる小鳥を睨みつけている。参考までに典型的な西王母の絵はここをクリック

それにしてもこのドチっとした巨体とパンパンに膨らんだふくらはぎは凄いね。牛人の再評価が進むとしたら、まずは「デブ専」の趣向を持つ人からだったりして(^^ゞ


「蛟龍 」(こうりゅう) 1967年

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蛟龍とは龍の一種。水の中に潜んでいて雷雨に乗じて天に昇って龍になる事から、龍の幼生ともされる。トンボのヤゴみたいなものか。この絵は展覧会に出品された牛人の作品の中では異色。ほとんどデフォルメせずに描いている。

龍の頭の部分を中心にトリミングしたものも載せておく。
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「訶梨帝母 」 1970年

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訶梨帝母(かりていも)の別バージョン。こちらも角があるから鬼時代のもの。角に気がつかなくても表情を見ればそうだとわかるはず。そして巨体の身体に合わせたのか耳はブタの形に。例によって輪郭線は極細だが、この作品は迷いなく一気に線を引いた印象がある。



ところで牛人の作品で黒々と墨が塗られている部分には「渇筆」(かっぴつ)という技法が使われている。渇筆は一般的には書道の技法で、筆に墨をあまり含ませずに文字をかすれさせること。しかし牛人の渇筆は逆に紙(和紙)の表面がささくれ立つくらいに何度も筆を押しつけながら描いていく。もちろんブログに貼り付けた画像ではそこまでを確認できない。

ただ展覧会でもかぶりつきでなければ、その表面効果は見えない。絵はそうやって見るものではないし、牛人の作品は大型のものが多いからなおさら。だから彼の渇筆はささくれだった筆跡を見るものでなく、それによって得られた微妙なトーン変化を楽しむものだと思う。でもゴッホなんかだと油絵の具の盛り上がりを、のぞき込むように確認しないと気が済まない人が多い。だから渇筆のことが広まれば、おそらくそうはならないだろうが。


次のコーナーは先ほど書いたように、ここからが第1章で「工芸図案家から渇筆画の創出へ 」へとなっている。時期的には1946年(45歳)から1949年(48歳)と短い。前期渇筆画の時代とも呼ばれている。「これが牛人だ!!」で紹介した「天台山豊干禅師」と「雪山淫婆 」も本来ならこのコーナーに入る作品。


「山姥と金時 」 1947年

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♪まさかり担いで金太郎〜の坂田金時は山姥(やまんば)の子供だという伝説もある。牛人がこれを題材にしたのは、他の作品を見て何となく分かる気がする。


「寒山拾得 」(かんざんじっとく) 1947年

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寒山拾得とワンフレーズになっているが、寒山と拾得という2人の少年のそれぞれの名前である。僧であり詩人で、最初に紹介した天台山豊干禅師の弟子。3人を合わせて三聖と呼ぶこともある。

ちょっと気になったのは寒山拾得の2人そして金時の顔が似ていること。ブログで展覧会のすべてを紹介できないが、他でも似た顔が多い。漫画では作品が違っても敵や脇役の顔が同じことがある。いわば漫画家の「持ち顔」。そのバリエーションが少ないとつまらないが、牛人もそうなところは残念。



ーーー続く

wassho at 23:16|PermalinkComments(0) 美術展 

2021年12月28日

生誕120年記念 篁牛人展 〜昭和水墨画壇の鬼才〜

見慣れない漢字の篁牛人は「たかむら ぎゅうじん」と読む画家。今月初めに日曜美術館という番組で紹介されていて、どこかピンとくるものがあったので、大倉集古館で開かれている展覧会を見てきた。

ポスター

大倉集古館も変わった名前であるが、これはホテルオークラの敷地内にある美術館。1917年(大正6年)に大倉財閥の創始者が、収集した骨董品を収蔵・展示するために自宅の一角に開設したのが始まり。日本で最初の私立美術館とされている。大倉財閥の2代目によって、同じく自宅敷地に建設されたホテルオークラが開業したのは1962年(昭和37年)だから、実はホテルより50年ほど歴史が古い。


地下鉄日比谷線の虎ノ門ヒルズ駅。
2020年6月に開業したこの駅を利用したのは初めて。
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目の前にそびえ立っているのが2014年にできた虎ノ門ヒルズ森タワー。左側が2020年竣工のビジネスタワーで、右上にチラッと写っているのが来年1月に開業予定のレジデンシャルタワー(住居用つまりタワーマンション)。そして駅の上にもステーションタワーを現在建設中。
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タワー以外の名前も考えろよといいたくなるね(^^ゞ とりあえず2023年にステーションタワーができれば虎ノ門ヒルズは完成となる。敷地面積は7.5ヘクタール。2003年開業の六本木ヒルズが8.4ヘクタールだから意外と広い。しかし六本木ヒルズのような「特別なエリア感」はなくビジネス街に高層ビルがまとめて建ったという印象。


駅からしばらく歩くと表れるのがアメリカ大使館。
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アメリカ大使館の塀はなぜか瓦葺き。相手国の文化を尊重ということなのかな。しかし背後の建物とマッチしておらず超中途半端なデザインである。
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アメリカ大使館とホテルオークラを隔てている道路には霊南坂という名前がついている。大使館があるのは赤坂で、写真を撮っている場所は虎ノ門の地名になる。
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それを少し上ってホテルオークラ到着。
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ずっとホテルオークラと書いてきたが、1962年に開業したホテルは取り壊されて2019年に新しい建物となり、それを機に名称が「The Okura Tokyo ジ・オークラ・トーキョー」に変更された。もっともこの正式名でこのホテルを呼んでいる人は滅多にいないと思う。


正面がホテルとオフィスフロアが併設された41階建てのプレステージタワー。左側の少し低い建物がホテルとレストランが入る17階建てのヘリテージウィング。
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ちなみにこちらが以前の建物。
オークラ旧本館

古い建築物をナニがナンでも保存すべしとはまったく思っていない。それでも、もう少し味のあるビルがデザインできないものかね。


せっかくなので新しくなったThe Okura Tokyoに入ってみる。

昔のホテルオークラ時代にそんなに数多く訪れていた訳じゃないけれど、全体的な雰囲気はとても似通っていた。特にホテルの象徴だったこのロビーなんて、ほとんどレプリカ並の再現。いい雰囲気なことは認めるとしても、まったく進化しないのもどうかと思う。
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この日は12月25日。
クリスマスツリーはシックに控えめだった。
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プレステージタワーを出て大倉集古館へ。
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なぜか中国風の建築。1917年に建てられた集古館は1923年(大正12年)の関東大震災で焼失し、現在の建物は1927年(昭和2年)に再建されたもの。


ーーー続く

wassho at 18:33|PermalinkComments(0) 美術展 

2021年12月27日

あれから11年経ってまだフロッピー!

その昔、11年前の2010年に大阪地検特捜部・主任検事・証拠改ざん事件というものがあった。厚労省を舞台にした障害者に対する郵便割引制度を悪用した事件の捜査で、大阪地検特捜部の主任検事が証拠となるデータを改ざんしていたことが発覚。実行犯である主任判事には実刑判決、彼をかばった上司である特捜部長と副部長には、証拠隠滅と犯人隠避の罪で執行猶予のついた有罪判決が下された。

検察特捜部が証拠を改ざんし犯人をでっち上げたことで歴史に残る大事件であるが、それよりも衝撃的だったのは、そのデータがフロッピーディスクに収められていたこと。

そんな古くさいものが未だに使われていたのかとビックリして、主任検事が逮捕された翌日にブログにも書いた。それを読み返すと

    フロッピーディスクはパソコンの記憶媒体として主流だった時期もあったが、
    15年ほど前にその座を去った。昔はフロッピーを読み込む装置がパソコンには
    内蔵されていたが(今のCDやDVDドライブみたいな位置づけ)、今じゃオプション
    のリストにもない。20代の人とか、この10年くらいにパソコンを始めた人なら
    フロッピーを見たこともないんじゃないか? 

と書いている。

あれから11年経ったから、現在ではフロッピーディスクは25年ほど前に廃れたテクノロジーである。今でもアナログのよさを求めてレコードやフィルムカメラを使う人はいる。けれどもフロッピーディスクはもちろんデジタルだし、パソコンマニアのコレクション以外では、記憶容量的にも信頼性の上でも、さすがに実務で使うことはあの事件の頃を最後にもうないだろうと思っていたらーーー


2021年も終わろうとしている本日に出ました!
今度は警視庁が個人情報が入ったフロッピーディスクを紛失するという不祥事で。

共同通信のニュースを引用すると

   警視庁組織犯罪対策3課は27日、東京都目黒区から預かっていた区営住宅の
   申込者38人分の個人情報が記録されたフロッピーディスク(FD)2枚を紛失したと
   明らかにした。暴力団関係者がいないかどうかを照会するためのもので、
   情報流出は確認されていない。

   同課によると、FDには申込者の名前や生年月日、性別が記録されていた。
   2019年12月と21年2月に目黒区から1枚ずつ預かった。12月7日、区職員から
   「預けていた分を返してほしい」と依頼があり、保管庫を確認したところ紛失が
   発覚した。

記事を読む限り目黒区役所と警視庁では未だにフロッピーディスクが現役らしい。大阪地検特捜部の事件の時もデータをフロッピーディスクで保存していたのは厚労省。役所ではまだ使っているのか? 当然、今のパソコンにフロッピーディスクのドライブ装置はないから、わざわざそれを外付けしてということになる。そこまでして使う理由を是非知りたいところ。だいたいもうメーカーはフロッピーディスクを生産していないはず。


誰もがスマホを利用する時代になったのに、コロナによって「連絡がファックスでしかできない」「給付金の事務手続きが手作業なので時間が掛かる」など日本社会のIT化が行政の根本のところでダメダメなことが露わになった。2021年にフロッピーを使っているんだから、それも推して知るべしなのかも。


記念として、
見出しにフロッピーディスクと文字が書かれた記事を(^^ゞ

警視庁、フロッピーディスク2枚紛失 38人の個人情報入り | 毎日新聞


wassho at 21:26|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2021年12月25日

クリスマス・カクタスで Merry Christmas

クリスマス・カクタスはクリスマスの頃に花が咲くので、そのようにネーミングされたサボテンの一種。ただしシャコバ・サボテンあるいはデンマーク・カクタスの名前のほうが一般的。それでも母親がクリスマス・カクタスと呼んでいたし、季節感も感じられるから私はクリスマス・カクタス派。

この植物は葉(正確には茎にあたる)をちぎって土に挿しておけば簡単に増やすことができる。2008年に買ってきて2〜4代目と増やしてきたものを、今年の5月に選別して植え替えた

植え替えた年は花を付けないことが多い。
でも現時点で、まだ開ききってはいないものの2つ咲きかけている。

植栽の緑を背景にクリスマスぽく撮ってやろうかと。しかし緑色が薄いし、だいたい花の色が赤じゃないから見事に企画倒れ。ちょっと夏みたいなイメージになってしまった(^^ゞ
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他にもツボミはいくつかあるが、
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全体として今年は1回休みの模様。
来年に期待したいところ。
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なぜか今年はこのように葉に水滴のような汚れが広範囲につく。最初はベランダに降り込んだ雨で汚れたのかと思ったが、これを洗い流しても(雨が降っていないのに)しばらくするとまたこうなっている。今のところ原因不明。
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昨年のクリスマスはまさにサンタも“CLOSE”で、寂しい意味でのサイレントナイトだった。今年はオミクロンという新型が騒がれだしたが、感染者数が小康状態を保っているせいか街はそこそこの賑わい。来年こそはマスクなしでMerry Christmas の挨拶をしたいもの。もちろんベランダのクリスマス・カクタスも満開で。


さてクリスマスから7日後は元旦。
あと少しの年の瀬を楽しみましょう。

wassho at 18:01|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2021年12月21日

万年筆のインクは変質する

タイトルを微妙に変更して話の続き。
これではネタバレになってしまうが。


前回に書いたようにインクの色が薄いのは、万年筆に水分が残っているのではなく、ペン先とそれを支えている台座の間に、水では洗い流せないくらいに固まってこびりついたインクがあり、それがインクの供給を阻害しているからだと考えた。しかしペン先は強く固定されており、押しても引いても捻ってもまったく動かず分解できなかった。

素人には万年筆のペン先分解は無理とされる。それを無視して壊してしまっても仕方がないという前提での作業だから、ペンチで挟んで力任せにとも思った。しかしどの方向に力を入れるのかも分かっていないから、それだと「壊してしまっても仕方がない」ではなく確実に壊す可能性が高い。いろいろなものを壊してきた私の本能がそう警告した(^^ゞ


それで次の作戦は「溶けぬなら溶かしてみせようホトトギス」。今度は水ではなく、通常は40倍に薄めて使用する強力な洗剤の原液に浸してみる。

1日が経過。
透明な洗剤の色にほとんど変化なしーーー。

念入りにすすいで、ペン先を振って水を切り、さらにペン先にキッチンペーパーを押し当てて毛細管現象で水を吸い出す。カートリッジを装着して書き始めると、最初は水混じりのインクであるが徐々に色が濃くなってくる。

しかしそれでもインク本来の色にはほど遠い。
やはり喪中はがきのようなグレーの文字色にしかならない。
(そういえば近頃は喪中はがきに薄墨色を使わなくなったな)


一縷の望みをかけて文字を書いたりグルグルとマルを描いたりを続ける。実に退屈な作業。やがてそれに飽きてカートリッジのインク残量を確認すると半分くらいを使っていた。これだけやってもダメだということは、やはりこびりついた汚れは溶かせなかったということか。それではいよいよ最終手段のペンチでーーーと考えた時にふと気づく。

   “差し込んであるカートリッジはブルーブラックのインク”

ブルーブラックはつまり紺色である。インクが水で薄まっているにせよペン先へのインクの供給が不十分にせよ、薄いブルーならともかくグレーになるのはおかしいではないか。

この時点までに使った2本のカートリッジは3〜4年前に買ったものだった。ひょっとしてと思い、先日に買い足した新しいカートリッジに交換してみると、目にも鮮やかなブルーブラックの文字が!

ヤッターという喜びはなくヘナヘナと肩から力が抜けたね。 要するに色が薄い原因は水分でもペン先の詰まりでもなく、インクが変質してブルーブラックからグレーに変わっていたということ。今までの苦労は何だったのだ(/o\)

インクはペリカン社製。これを3〜4年前に買ったのは銀座の伊東屋(明治創業の老舗文具店)だからパチモノだった可能性はまずない。そしてこの現象は昨年から起きているので2〜3年で変質したことになる。ただしこの万年筆を使って10年間でそんなことは過去になかったから、製造不良の商品だったと推測するのが妥当だろう。それにしても万年筆はもちろんボールペンでもサインペンでもインクの色が変化した経験なんて生まれて始めて。

カートリッジ

どうしてブルーブラックがグレーになっている時点で変質に気づかなかったのか。それは以前にブラックのインクを使っており、それが水で薄まったときの色と同じだったから。つい過去の経験や記憶に引っ張られてしまったということ。

そしてインクの供給が不十分などと見当違いの推測をしたのは、困っているときにネットで見つけた新知識に深く考えもせずに飛びついてしまったからだろう。よく考えたらインク供給に問題があるなら色が薄くなるのではなく文字がかすれるはず。冷静に判断できずワラをつかんでしまったアホさ加減が情けない。

まだまだ修行が足りないね。
それでもペンチを使うのを思い留まった自分の成長は褒めてあげたい(^^ゞ


おしまい

wassho at 23:00|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2021年12月20日

万年筆のインクが薄い

けっこう長く生きているけれど、たぶん万年筆は生涯で3本しか使ったことがない。今はどうか知らないが、昔は中学生になったら万年筆を持つという風習みたいなものがあり、それでお祝いにもらったのが1本。これまた現在の状況は知らないものの、当時は学年誌というものがあって、旺文社だったか学研だったか忘れたが、それの中学1年の4月号(たぶん)の付録についていたものが1本。

それらで何を書いていたのかは思い出せない。英語の筆記体の練習でもしていたのかな。思い出は染み出したインクで指がよく汚れたことくらい。それもうっとうしかったし、別に万年筆で書く必然性もなかったので、万年筆という「物珍しさ」が薄れた頃に使わなくなったと思う。付録のはともかく、お祝いでもらったものもいつの間にかなくしてしまったのは残念。

それからウン十年と年月が流れて、3本目を買ったのは2010年の年末。そんなに購入時期を正確に特定できるのはブログに書いたから。新幹線に乗る前に駅ナカのお店をブラブラしていて衝動買い。

万年筆

とはいっても万年筆を使って書いていたのは、実質的に年賀状の添え書きくらい。だいたい万年筆はしばらく使っていないとインクが固まって出てこないし、さらにそのうちキャップをしているのにインクが乾燥してカートリッジが空になるという理不尽な筆記具(^^ゞ


そろそろ年賀状を書かなくてはいけないので先日に万年筆のチェックをした。カートリッジを新品に換えペン先を下に強く振る。これでOKなこともあれば、固まりがひどくて水洗いする必要がある場合もある。今回は後者。しばらく水につけて洗って乾かす。すると最初は内部に残った水のせいでインクの色が薄くなる。でもしばらく落書きしていると溜まっていた水分が排出されて元の色に戻る。

しかし書いても書いても色が薄い。 カートリッジ1本を使い切っても色が薄いまま(>_<) 実は昨年もそうだった。だから昨年の私の年賀状は薄いグレーの「喪中はがき」に使うような色で添え書きが書いてある。受け取った皆様、新年早々失礼しましたm(_ _)m


そういうわけで今年は早めに万年筆を試してみたのだ。再度の水洗い。今度は24時間ほど浸しておいた。結果は同じ。ネットで色々調べ、色が薄いのは内部に水が残っているのではなく、ペン先へのインクの供給が不十分なのではと考える。

まずはペン先が台座の上に正しく載っているかをチェック。
写真の左が正しい状態で、私の万年筆は異常なかった。
(画像はすべてhttps://fountain-pen.net/guide-to-fountainpen-inkflowから引用)
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次にペン先の開き具合。
写真は左が先端に向かって狭まるベストな状態。真ん中は閉じすぎで右は開きすぎ。
確認するとあまりにラインが細すぎてよく分からなかったが、インクの出が悪いのは閉じ気味なのだろうからと考え、ペン先をデスクに押しつけて少し開くように力を加えてみる。
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ただし開いたかどうかも分からなかったし、結果的にインクの色は薄いまま。


それでペン先と台座の間に固まったインクがこびりついて、水につけたくらいでは落ちていないのだと結論づける。だからペン先をここからはがしてゴシゴシしてやろうとーーー
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ネットのどの情報もペン先は分解してはいけないと書いてある。素人がやると元の状態に戻せない可能性が高いらしい。でも素人がやれる範囲はすべて試したし、どうせこのままじゃこの万年筆は使えないのだ。だったらリスクを冒してもいいじゃないかと。

やってみた。
押しても引いても捻ってもペン先は動かない。
専用の道具が必要なのかも知れない。


というわけで万策がつきた(/o\)


ーーー続く
(実はペン先がインクが薄い原因じゃなかった)

wassho at 22:10|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2021年12月14日

料理人はどうして人なの?

たまたまテレビで土鍋料理の番組をやっていた。いわゆる鍋料理だけでなく土鍋は和洋中の様々な用途にも使えますよというような趣旨の企画。へぇと思ってつい見てしまう。土鍋なんて持っていないのに(^^ゞ

土鍋

番組で料理を教えていた先生は陶芸もやっているらしい。土鍋を作っているわけではなさそうだったが。彼女のプロフィールを紹介する短い映像が流れる。料理をしているシーンとろくろを回しているところ。そこに添えられた文字が「料理人」と「陶芸家」。

そこでふと思ったのが、どうして料理人は「人」で陶芸家は「家」なのかということ。


そもそも料理人なんて言葉は昔はなかった。よく耳にするようになったのは30年くらい前かな。もっとも一説によれば室町時代には既に料理人という単語が登場するという。でも江戸時代なら料理番といったほうがしっくりくる。

コックがいつのまにかシェフになり、それでステイタスが上がったようなイメージに引きずられて、板前が料理人になったのかも知れない。今と違って当初は和食分野で使われていたような気がする。でもどうして料理「人」なのか。


最初は「料理人:職人」「陶芸家:芸術家」の連想から、何となく「人」がつく呼び方は低く見られているように感じた。しかし茶人、俳人などを考えるとそうとも言い切れない。

一方で料理家という言葉もある。
あまり聞かないように思うがGoogleで検索するとヒット数は

  料理人 29億9000万件
  料理家 27億6000万件 

と大差なかった。
ただし料理家は料理研究家が略された言葉だと思う。どちらが美味しい料理を作るかは別として、先生と呼ばれるのは料理研究家。だから言葉として較べるなら、やはり料理人にはそれほど尊敬の念は込められていないのかも知れない。


なんてことを考えていると、今度は研究する人にも研究家と研究者の違いがあるなと気づいたり。漢字だけで見較べれば研究家 > 研究者のようにも思える。しかしiPS細胞でノーベル賞をもらった山中教授は研究者と呼ばる。それに対してUFO研究家なんて人もいる(^^ゞ そして職業には「家」「人」「者」以外にも「師」「士」「手」「員」「官」など様々な言葉が結びついている。

というわけで、どうして料理「人」という疑問に対する仮説は、ブログをチャチャッと書くレベルの考察では追いつかないので、今回は書きっぱなしで終了。誠に面目ない。土鍋があったら入りたいくらい(^^ゞ

wassho at 22:51|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2021年12月13日

ベランダに妖怪が棲んでいる?

先日に書いた2022シーズンのチューリップの植え付けの件。

今年は日本で一番配送の遅い国華園が、催促をしていないのに球根を送ってくるという前代未聞の出来事と、もうひとつ摩訶不思議な現象が発生したということを書いた。今回は後者のお話。
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それはなぜか土が減っていたということ。
昨年に使っていた土をプランターから取り出し、新しい土を加えてプランターに戻したら、すべての土が入ってしまったのだ w(゜o゜)w


順に説明すると

使っているプランターは幅60センチの60型と言われるタイプが8個。これは1つにつき14リッターの容量がある。だから合計112リッターの土が入る。

ただし植え付けるときはすり切り1杯まで土を入れるが、水やりでこぼれたり球根を抜くときに土も一緒に出てしまう。だから今年の作業をする前に、土はプランターの上から2センチほど下がったところまでしか入っていなかった。それを考慮に入れて計算すると100リッターの土が残っていたことになる。

植え付けの準備として、まずその昨シーズンの土をフルイにかけて5ミリ程度の小石と、それ以外の半分砂のような状態の土とに分けた。

その5ミリ程度の小石と、フレッシュな培養土と腐葉土を1:1:1の割合で混ぜた。これが球根の下側に敷く土。球根の上側には半分砂のような状態の土をそのまま使い回す。

1:1:1の割合で混ぜた土を22リッター入りバケツに満杯で2杯作った。だから新たに投入した土は44リッター×2/3=30リッターである。


  100リッターの古い土と、新しい土30リッターの合計は130リッター。
  プランターの容量は112リッター。

だから18リッターが余るはずなのに、すべてがプランターに入ってしまった。どちらかといえば微妙に足らなかったくらいである。18リッターといえば大きなペットボトル9本分。かなりの量なのに。


補足すると

60型プランターに植えられなかった余った球根を丸形プランターに植えたが、昨年も同じことをしているので計算式からは外した。

実際は鉢底石を敷くから60型プランターに14リッターの土は入らない。しかし鉢底石もネット入りの同じものを使い回しているので、計算から除外してもリッター数値はともかく、土が余るという結論は同じになる。

それに球根の体積を計算に入れていないから、上記の計算よりさらに土は余るはずである。


まあとにかく絶対に余るはずの土が、きれいさっぱりと全部プランターに入ってしまってビックリである。いったい18リッターもの土はどこに消えてしまったのだろう。

実は古い土をプランターから取り出してフルイにかける作業は、暇を見つけながら何日かに分けて行った。したがって植え付け作業の最終日まではゴミ袋に取り分けた土をベランダに放置の状態。

その間に妖怪「土食い」に食べられたとしか説明が付かないのだけれどーーー

妖怪


wassho at 20:27|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2021年12月11日

九品仏の紅葉 2021 その2

こちらは九品仏の本堂。
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幅広いニーズにお応えいたします(^^ゞ
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本堂の前には白鷺(さぎ)の置物がある。
これは世田谷に伝わる鷺草物語にちなんでのもの。
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鷺草物語とは

  時は16世紀前半の戦国時代。
  奥沢城主には常磐姫という美しい娘がいた。
  近くの世田谷城主の元へ側室として入った。
  世田谷城主の寵愛を一身に受ける。
  他の側室に妬まれ、不倫していると告げ口される。
  世田谷城主、それを信じて常磐姫につらくあたる。

  常磐姫は身の潔白を記した遺書を、
  白鷺の足に結びつけ両親のいる奥沢城に向けて放つ。
  しかし、なんと偶然にも狩りをしていた世田谷城主に射落とされてしまう。
  遺書を読んで事実を知り、慌てて世田谷城に戻るも常磐姫は既にーーー

というような内容。
九品仏は奥沢城の跡地に17世紀後半に建てられたお寺。ちなみに世田谷城の跡地には、昨年に紅葉を見に出かけた豪徳寺が建っている。もっとも当時のお城は現代の我々がイメージする天守閣のあるものではなく、掘りや柵はあったにしても館(やかた)に近いもの。

関係ないが、だから戦国時代の武将はお舘様。やがて城はどんどん大きくなり、大きな建物は殿と呼ばれるからお殿様と名称が変化したという説がある。

ところでおみくじを白鷺にくくりつけるのはいいとしても、
くちばしに結ぶと動物虐待みたいだゾ(^^ゞ



さて九品仏はこれで4回目だし、
もう紹介するところもあまりないので紅葉の写真をベタベタと。

前回に書いたように、
ここは鮮やかな赤のカエデが素晴らしいのだけれど、
色数が多くてそのメランジ(混ざり合い)も見応えがある。
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こちらはよく撮っている逆光のメランジ。
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なんか不思議な色合いの写真が撮れた。
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てるてる坊主みたいにぶら下がっているのはカエデの種。
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赤に染まろうとしている紅葉の赤ちゃん。
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天然記念物のイチョウはもう葉を落としていたが、境内にはあと何本か大きなイチョウがある。赤い紅葉に対して、黄色くなるのは黄葉(発音は同じくコウヨウ)。
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黄葉の赤ちゃんは可愛くない(^^ゞ
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いつも逆光の写真が多いので順光も。
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カエデの黄葉。
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九品仏の紅葉はよくできましたとマルを描いているような姿。
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前回に紹介した極楽浄土ゾーンを逆方向に通り抜けて退出。
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毎年、代わり映えのしない写真ばかりだけれど、
来年もまた似たような写真を載せるからヨロシク(^^ゞ


おしまい

wassho at 18:34|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2021年12月10日

九品仏の紅葉 2021

私が好きな紅葉は茶色や朱色の混じっていないピュアな赤。折り紙の赤色のような紅葉。バイクに乗っている頃は、それを探し求めてあちこち紅葉ツーリングに出かけた。紅葉の名所と言われているところでも、そんな鮮やかなカエデがあるところは少ない。

ところが2年前に自宅から近いし「ついでに」行ってみるかと訪れたお寺に、それに近い赤があってビックリ。灯台もと暗し、チルチル・ミチルの青い鳥とはこのこと。お寺の名前は九品仏(くほんぶつ)。正式には九品仏浄真寺という。

とりあえず私がこのエリアに住んでいる限りは毎年来ることにしている。もし引っ越しても都内だったらやはり毎年来るように思う。それくらい気に入っている。


自由が丘駅から歩いても10数分程度だが、大井町線に乗り換えて九品仏駅で降りると参道まで50メートルもない。今回は初めて九品仏駅を利用。訪れたのは12月5日の日曜日。

駅を出てカバンからカメラを出し、電源を入れたりレンズキャップをはずしたりしながら歩いているうちに参道到着。自由が丘駅からだとこの参道は通らない。
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挨拶代わりの紅葉からしてレベルが高い。
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松もダイナミックでイイ感じ。
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総門と呼ばれる正門が見えてきた。
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門の向こうに紅葉が広がっているのが分かるかな。九品仏駅から来たのは、門をくぐってすぐに広がる、この九品仏でもっとも華やかなエリアを最初に味わうため。


一歩足を踏み入れるとーーー極楽浄土じゃあ(^^ゞ
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お地蔵さんも紅葉狩り。
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お地蔵さんって道ばたにもあったり、サイズも小さいことが多いから何となく庶民的なイメージをもたれている。しかし仏には如来→菩薩→明王→天部というヒエラルキーがあり、お地蔵さんは地蔵菩薩だから実は位が高い。



極楽浄土エリアを抜けて左に曲がると、山門を背景に実に絵になる風景。左側のベンチに白いコートを着た女性が座っているが、そこにあるのが九品仏で一番赤が鮮やかなカエデ。
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ドウヨ!
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タマリマセン!
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逆光で鮮やかさが増してはいるのだが地の色も相当に赤い。


山門を抜け、その先は両側からカエデがせり出している。
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本堂の横にある、東京都の天然記念物に指定されている大きなイチョウはもう葉を落としていた。幹周り4.4メートル、高さ17.9メートルとのこと。
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イチョウの下にはイエローオータムのカーペットがぎっしりと。
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隣にあるモミジとコラボ。
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ーーー続く

wassho at 23:11|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2021年12月08日

最大限の言葉って?

中国の新疆ウイグル自治区に対する人権問題などを理由に、アメリカは来年2月の冬季北京オリンピックへの「外交的ボイコット」を発表し、現時点ではオーストラリアがそれに続いている。
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外交的ボイコットとは大会そのもののボイコットではなくて、選手はオリンピックに参加するが外交使節団は送らないということらしい。もちろん使節団が入場行進や競技をするわけじゃない。だからそれに何の意味があるのかと思ってしまうが、大会そのもののボイコットが実力行使だとすれば、外交的ボイコットは意思表明といったところだろうか。極めて高度な政治的駆け引きのようにも思えるし、アメリカ国内の様々な意見や事情に配慮した妥協の産物のようにも感じる。

さて日本政府はどうするつもり?


それはさておき、
東京オリンピックが閉会したのは8月8日。つまり本日の4ヶ月前。たった4ヶ月前と表現していいと思うけれど、もうほとんど話題にする人もいないし、既に記憶の彼方のような気がするのは私だけかな。色んな意味で大変な思いをして開催した割りには、けっこう印象薄かったような。実はこのボイコットのニュースで「そういえば夏にオリンピックあったな」と思いだしたくらい。

ところで
招致段階や開催前は「オリンピックによる経済効果はウン十兆円」なんて「試算」をよく目にした。閉会して4ヶ月も過ぎたのだから、そろそろ「精算」の数字も聞きたいものであるが、そういうことをするシンクタンクはいないみたい。コロナでの経済損失をどれだけチャラにできるかは今後の財政議論でも重要だと思うのだが。

とりあえず単純な収支計算の結果は今月22日に発表されるとのこと。しかし、どうしてその程度に4ヶ月以上かかる? 出張精算がそんなに遅れたら経理のお局様にシバかれるぞ(^^ゞ



それもさておき、
冬季北京オリンピックへの外交的ボイコットに対して、当然ながら中国は反発している。ニュースを読むと「強烈な不満と反対を表明する」とあった。外交声明でこういう言い回しが増えているように感じる。いつだったか「最大限の強い言葉で非難する」というのもあった。最大限の強い言葉って具体的にどんな単語よ?どうしてその単語そのものを使わない?

子供のケンカだって「アホ、バカ、マヌケ、オマエの母ちゃんデベソ、やーい!」というから怒ったり泣いたりするわけで「最大限の強い言葉でなじってやる、やーい!」じゃ???である。外交の世界では適切かつ効果的な単語を見つけ出すという作文能力が落ちているのか?


もっとも外交には外交プロトコルと呼ばれる様々なルールがある。プロトコルとはマナーやエチケットを格式張って表現したもので直訳すれば儀礼。例えば会議や晩餐会の席順の決め方などが狭義の外交プロトコルだが、非難声明の表現なども定められている。

日本の場合は4つの単語に4つの修飾表現を加えた8段階。

   断固として非難する
   非難する
   極めて遺憾
   遺憾
   深く憂慮する
   憂慮する
   強く懸念する
   懸念する

アメリカでは5段階らしい。

   condemn:非難する
   disappoint:失望した
   deplore:憂慮する
   concern:懸念する
   regret:遺憾である

表はそれぞれの出来事にどの表現が使われているかを示したもの。
(https://special.sankei.com/a/politics/article/20210316/0001.htmlから引用)
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こういうプロトコルを利用して日本の関心あるいは腹立ちレベルを国際社会に伝えている。同じく各国の外交声明も、それぞれの国のプロトコルに照らし合わせば読み違えることがないという仕組み。話はそれるがアメリカはウイグル問題でオリンピックの外交的ボイコットにまで出ているのに、日本は下から2番目レベルの批判なんだね。


こんな作法は昔からあるので「強烈な不満と反対を表明する」というような言い回しが増えているように感じるのは私の勘違いかも知れない。でも目に付くようになったのはこの10年くらいだと思うのだけれど。

いずれにせよ、
「最大限の強い言葉で非難する」というプロトコルに沿った表現「だけ」では外交のプロ以外には伝わらないので、プロトコルは守るにせよ、それに付随するもっと表現力豊かで多彩な文章術を外務官僚諸君には磨いて欲しい。

wassho at 20:47|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2021年12月06日

大田黒公園の紅葉 その2

公園の一番奥は池になって、そこに東屋(あずまや)が突き出している。
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数字が潰れていて読めないが、左上の入口から入ってイチョウ並木を抜け、「流れ」と呼ばれる水路沿いを歩いて、右下が現在地。
案内図


池の向かい側にある芝生広場。
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この木は既に痛んでいる葉も多いのに、なぜかとてもきれいに見えた。
巨木だと細かなところに目がいかないせいかも。
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芝生広場の片隅にあるピンクの建物は記念館と呼ばれている。色形的に洋館風だが屋根には日本瓦が貼られているから和洋折衷。1933年(昭和8年)に建てられた。
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それで何を記念しているかというと、この太田黒公園は音楽評論家の大田黒元雄の屋敷跡地を公園にしたもの。この記念館は母屋に対する「離れ」で彼の仕事場だった。

音楽評論家の大田黒?誰それ?
聞いたこともない名前だったので調べてみると、

  大田黒元雄
大田黒元雄

    1893年(明治26年)生まれで1979年(昭和54年)に86歳で没。
    1912年(明治45年)から2年間ロンドンに留学。
    1915年(大正4年)頃から音楽評論家となる。計算すると22歳から。
    音楽ジャンルはクラシックで「ドビュッシーを日本に初めて紹介した」と
    いわれている。さらに音楽評論を日本で最初に確立したと人物との評もある。
    またピアニストでもあった。
    1946年(昭和21年)から1964年(昭和39年)までNHKのラジオ番組に出演。
    生涯の著書数は76冊、訳書は32冊。

ーーーらしい。

ドビュッシーは1918年没だから、大田黒は当時の最先端なクラシック音楽に触れていたことになる(表現が矛盾するが)。またプロコフィエフ(大田黒より2歳年上)が1918年(大正7年)に来日したときは彼の自宅に立ち寄ったりもしている。プロコフィエフなんてその頃は超前衛的だったと思う。

けっこうスゴいじゃない。ドビュッシーは好きとしてはお礼を言わねば。それにしても太田黒公園は面積約0.9ヘクタール、坪に直せば2700坪もの広さがある。加えて大田区山王(高級住宅地)にも邸宅があり、沼津や小田原には別荘を持っていた。当時の音楽評論家はそんなに儲かったのか?

実は大田黒重五郎という日本の水力発電の先駆者で、東芝を築いた1人でもある彼の父親が大富豪。大田黒元雄はその財力の恩恵を十二分に受けて、趣味を仕事にするような人生を送れたようである。イイナア〜イイナア(^^ゞ


記念館の中に入れるようになっていたが靴を脱ぐ必要があったのでパス。彼が愛用し、またプロコフィエフも弾いたスタインウェイのグランドピアノが展示されているとのこと。それを1917年(大正6年)に購入したなんて、さすがは大田黒のお坊ちゃま。
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こちらの建物は茶室で休憩所も設けられている。
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また紅葉を眺めながらブラブラ。
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鮮やかな緑と紅葉。
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竹と紅葉。
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モフモフしている紅葉。
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ちょっと紅葉に飽きてきた(^^ゞ
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最後はイエローオータムで。
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滞在は45分ほど。
圧倒されるような紅葉ではないものの、コンパクトによくまとまっていて、ちょっとした別世界気分を味わえる。1つ前の投稿に荻窪駅や駅前商店街の写真を載せたが、そこから徒歩7〜8分しか離れていないとは思えないほど。住宅地にあるから高い建物が見下ろしてもいないのもいい。公園と名前は付いているが庭園のカテゴリーに入る場所。

自宅から1時間ほどだから、気が向いたら違う季節にも来てみようと思う。


おしまい

wassho at 20:40|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2021年12月05日

大田黒公園の紅葉

先週に引き続いて今週末も紅葉狩り。
そして今回は土日の二連チャン。

12月4日の土曜日は荻窪(おぎくぼ)にある杉並区立の太田黒公園へ出かけてきた。先週に訪れた国分寺の殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園と同じくJR中央線沿線。
地図


荻窪駅。
地下鉄丸ノ内線の始発・終着駅でもある。
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ホームページにあった道案内を頼りに大田黒公園へ向かう。
道順


23区内のそこそこの駅の典型的な商店街風景。
お出かけ気分は味わえない。
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上の道案内にあるマイバスケットを境に風景が商店街から住宅地に変わる。
そして駅前から7〜8分で大田黒公園に到着。
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看板にあるように、ここはライトアップが有名。
夜に紅葉を見た経験はまだない。
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上の写真の門の瓦にはあまり落ち葉がないが、
門をくぐった側には多数の落ち葉。
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それは敷地に足を踏み入れると、イエローオータムの並木がドーンと続いているから!
けっこうドラマチック。
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ご親切にどうも。
でも知ってた(^^ゞ
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イチョウの外側にカエデも少し植えられていてミックスな色彩を楽しめる。
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イチョウ並木が終わったところに中門。
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これはライトアップの照明かな?
観察好きなのになぜか真上から覗くのを忘れる(>_<)
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中門の先はこんな通路が続いている。
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その横を流れる水路。
大田黒公園ではこのエリアに「流れ」という芸のない名前を付けている。
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先週も紅葉狩りしたばかりなのに、飽きもせずまた眺めて写真を撮る。
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すると前方に今まで見たことのない赤の色があることを発見。
この写真中央の所々で赤が濃くなっている部分。
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興奮しながら近づいてみると、私が好きな河口湖のカエデの赤に近いイメージ。
画像でどれだけ伝わるかは分からないけれどーーー
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実はこの赤、割りとよくある濃いめのくすんだ赤に日光が透過して鮮やかになったもの。
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そういえば殿ヶ谷戸庭園でも逆光ではキレイな色だと思った葉が、順光だと冴えない茶色で驚いた。というわけで紅葉狩りは晴れの日に行くべし。


この鮮やかな赤と、他の赤との濃淡は超絶に美しい。これが見られただけでここに来た甲斐があった。(パソコンで見ているなら是非クリックで拡大を)
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ーーー続く

wassho at 19:47|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2021年12月03日

2022シーズン チューリップの植え付け

前代未聞の出来事が起きた。

いつも球根を購入している国華園は日本一配送が遅い会社〜9月に発注しても11月半ばを過ぎても商品は届かず〜でも問い合わせのメールを入れると3日ほどで送られてくる〜だからその特性を理解していれば球根を自宅で長く保管せずに済んで便利ーーー

ということを毎年のように書いてきた。
しかし今年は何と!催促もしていないのに11月中旬に球根が届いた!!!
どうしたのだ国華園、何があった? 心を入れ替えたのか?

あまりの驚きに、いつもは行わない検品をしたくらいである(^^ゞ



さてチューリップの植え付け作業は、時間を見つけて少しずつ進め本日に完了した。
手順はだいたいいつも通り。

1)
球根を掘り起こしたまま放置してあったプランターの土をフルイにかけて、5ミリ程度の小さな石や粒と、それ以外に分ける。

2)
新しい培養土、新しい腐葉土、そしてフルイにかけたというかフルイに残った5ミリ程度の小さな石や粒を1:1:1の割合で混ぜる。昨シーズンは5:4:3だった。少し水はけを悪く感じたのが培養土の割合を少なくした理由。

いつも書いているが、なぜかこのマゼマゼが大好き(^^ゞ

3)
プランターに敷いた鉢底石が隠れる程度まで上記の土を薄く入れる。そして緩効性の化成肥料を撒く。昨年に初めて使った緩効性肥料は球根の下に入れるのか上なのかで迷ったが、今年は上下のダブルで入れることにした。特に理由はなく単なる思いつき。ただし使っている分量はごく僅かである。

4)
先ほどの土をプランターの半分くらいまで入れる。

5)
そして球根の配置。
長方形のプランターに8球・7球・8球の3列で23球。8プランターで184球になる。購入したのは188球だから、余った4球は別の丸形プランターに。

ところが今年は20球入りで買った3種類の球根に予備球が1つずつ入っていた。予備球なんてサービスは今までなかった。やはり国華園では何かが起こっている?
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ただし3つの予備球のうち1つは傷んでいて使えず。そのための予備球ではあるけれど、何となく損した気分。
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ということで188+3-1-184=6球を丸形プランターに植えることになった。つまり2022年シーズンの総植え付け数は190球。


6)
並べた球根の上に、フルイにかけた小さな石や粒じゃないほうの土を入れていく。石や粒を取り除いているから砂に近いような状態である。この土は100%昨年からの使い回しでフレッシュな土は入っていない。でも根は球根の下に伸びるのだから、球根の上はどうでもいいんじゃないかという判断(正しいかどうかは知らない)。

ただ土というのはだんだんと酸性になっていくらしい。そしてチューリップが好むのはアルカリ性の土壌。それはマズいわけである。しかし私は水やりに風呂の残り湯(もちろん冷めた状態で)をよく利用している。そしてセスキを入浴剤として使っている。セスキはアルカリ性だから、それでバランスが取れるのではと勝手な理屈。

7)
上記の土をプランターの上から1センチほどまで入れ、そこに少量の緩効性肥料をまた薄く撒く。先ほどの「根は球根の下に伸びる」と矛盾するが、これは肥料の成分がゆっくりと下に染み出ていくのを期待してのこと。

8)
通常は1〜2センチほどのウォータースペースを設けるのがセオリーだが(水やりで水が溢れないため)、少しでも土の深さを稼ぐためプランターの高さギリギリまで土を入れるのが私の流儀。だから水やりは時間が掛かる(^^ゞ


土を被せた写真じゃつまらないので、プランターに球根を並べたところを。
たくさん咲いてくれますように。
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ところで国華園が催促もしていないのに商品を送ってくるという前代未聞の出来事については冒頭で書いた。実はもうひとつ、理屈では説明できない摩訶不思議な現象が発生した。今シーズンは何かとハプニングが起きるのかも。

摩訶不思議な件については、いずれまた。

wassho at 21:37|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2021年12月02日

殿ヶ谷戸庭園の紅葉 その3

次郎弁天池を離れて庭園内を散策。
竹林と呼ぶにはやや細長いエリアに植えられた竹の生け垣のようなものがあった。
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竹の中から伸びているカエデの木。種が飛んできて生えたのだろうか。
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ちなみにカエデの種は、リンクした写真のようにプロペラに似た風に乗りやすい形をしている。(ここをクリック


この周辺の紅葉も色数が多くて美しい。
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今年もこういうところを歩けてシアワセである。
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ススキが少しだけ残っている。
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藤棚のあるところにやって来た。
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ここは崖が多く湧き水の出る地形とのこと。
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藤棚の前にある芝生広場。
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殿ヶ谷戸庭園では紅葉亭や弁天池のあるエリアは和風庭園で、こちらは洋風庭園とゾーン区別がされている。でもこれで西洋を感じられる? 芝生があれば洋風という解釈なのだろうか。でも芝生は日本でも古くから使われているけれど(万葉集でも歌われているらしい)。


それはともかく、この付近は日当たりがいいので、紅葉も池の周りとは違った表情になる。
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馬頭観音(ばとう・かんのん)コッチの案内を見つけてやって来たが、仏像らしきものはなくベンチが置かれていただけ。
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しかも行き止まりで出入り口へ進めない。それでまた池まで戻る羽目に。
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この庭園は面積が2.1ヘクタールとそれほど広くはないが(小石川後楽園が7ヘクタール、六義園は8.8ヘクタール)、崖のある地形を活かしたした造りになっている。だからアップダウンはけっこうある。


ちょっと遠回りになってしまったが、
太陽光と紅葉が織りなす色彩を楽しみながらのんびりと歩く。
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カエデの向こうのイエローオータムはケヤキかな(あまり自信がない)。
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最後にもっとも色鮮やかだったレッドオータムを。
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現地滞在は1時間半くらい。訪れるまで知らなかったが、茶室に紅葉亭と名前を付けるくらいだから紅葉をメインにした造園なわけで、カエデの本数も多く期待以上の満足度を得られた。逆に紅葉シーズン以外はどうなっているんだろうと余計な心配をしたくらい(^^ゞ

とにかく紅葉狩りにはお勧めの庭園である。


おしまい

wassho at 20:50|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2021年12月01日

殿ヶ谷戸庭園の紅葉 その2

案内図を見ると前回の最後に書いた展示室は、最初に通ったチケット売り場(売札所)と同じ建物の別向きの一画だったことが分かった。チケット売り場を過ぎると、いったん建物から離れるので、次に展示室が目に入ったときに別の建物だと思ってしまったようだ。それ自体は別にどうでもいいことだけれど、空間把握能力が衰えたのかな。ヤダヤダ(/o\)
案内図


展示室の前から、案内図では下向きに延びているコースを進む。
この先には次郎弁天池という池がある。
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池はかなり低い位置にあり、
写真では分かりにくいが右下に少しだけ写っている。
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斜面を少し降りたところ。
この水路が池に注いでいる。
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背後でコンという音が何度もするので行ってみると「鹿おどし」が設けられていた。
でも音の響きはあまりよくなかったかな。
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東屋(あずまや)のように見えるが、これは紅葉亭という建物(茶室)の一部。
住宅用語で表現するならインナーバルコニー。
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その紅葉亭から次郎弁天池を見下ろす。
高低差は7〜8メートルくらいある。
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たくさんの木が密集していてかなりうっそうとしている。そこに差し込む光に紅葉が照らし出されて美しい。南向きの斜面だからカメラ的には逆光になりがちだが、かえってそれが幸いすることもある。
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レッド&オレンジ。
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緑や黄色も交えて。色数が多いということはまだ紅葉が充分に進んでいないわけだが、こういうミックスの状態が幻想的。
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毎度お馴染みの光が葉を透過したり反射したりを楽しむ逆光写真。
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実は上の逆光写真のモミジを順光で撮影したのがこれ。まったく鮮やかじゃなくて私の嫌いな茶色が混じるモミジ。先ほど逆光が幸いすることもあると書いたのはこういう意味。
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池の畔(ほとり)まで降りる。
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池のヌシ発見!
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鹿おどしからの水が滝仕立てになって落ちている。
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紅葉邸を下から眺める。
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池を回り込む通路。
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写真を撮っている人はたくさんいたが、
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逆さ富士ならぬ逆さモミジが、池に映り込んでいるのを気づいている人はほとんどいなかった。下を向いて歩くとたまにはいいことあるよ(^^ゞ
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ーーー続く

wassho at 21:46|PermalinkComments(0) お花畑探訪