2022年01月

2022年01月30日

ミケル・バルセロ展 その2

「海のスープ」 1984年

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赤い棒はスーパーリアリズムで描かれているのではなく、実際に画面に突き刺さっている。前回に載せた展示風景の写真なら、横から撮っているのでわかりやすいと思う。この絵は幅が3.2メートルあるので、この赤い棒もかなりの大きさ。棒というより細めの丸太といったところ。

サイズが大きいこともあって、ものすごくインパクトはあるけれど「こういうことやりがちよね」とモダンアート・アンチの私は思ってしまう(^^ゞ


「ファラニチのジョルジョーネ」 1984年

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ファラニチはマヨルカ島にある地名でミケル・バルセロはそこで生まれた。ジョルジョーネさんが誰だか分からないが、なぜか下半身はギリシャ神話のケンタウロスのように馬になっている。絵を描いている姿だから、ひょっとしたら自画像的な作品かも知れない。

キャンバスの上にはなぜかメロン。
それはいいとしてどうして伊勢エビが跳ねている?しかもこれだけ線画で。

もちろん画家が思いつきで描いていることだから、読みときは不可能だし理解する必要もない。そういうところがモダンアート嫌いの一因でもある。しかしそういうことを超えてミケル・バルセロの絵にはどこか惹かれるものがある。上手く表現できないが、私の中の何かと波長が合うというか、得(え)も言われぬ趣きというか。


「細長い図書室」 1984年

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「ルーヴル」 1985年

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ルーヴルとはもちろんルーヴル美術館のこと。ご存じクラシック絵画の殿堂である。その展示室とそこにある作品を黒く塗りつぶしたように描くのは挑戦?それとも皮肉? 正解はミケル・バルセロに尋ねないと分からないが、どこかユーモアが溢れているようにも思える。

ついでに書くと、この作品が発表された1985年はミケル・バルセロがまだ駆け出しの頃。そして名声を得た後の2004年には、彼はちゃっかりルーヴルで展覧会を開いている。


「亜鉛の白、弾丸の白」 1992年

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キリストの磔(はりつけ)をミケル・バルセロが描くとこうなるみたい。でも磔ではなく逆さ吊りだし、ぶら下がっているのは動物だし(ヤギかな?かなり細いけど)。股間に白く描かれているのはタコらしい。タイトルも意味不明。深く考えちゃいけない作品。



ところでモダンアートの中でも、キャンパス全体を同じように塗ったものは私がもっとも苦手にするというか、この程度のものなら高校の美術部の連中でも描いていたわと思ってしまう作品。ミケル・バルセロの絵がそういうジャンルのものばかりじゃなくてよかった。


「小波のうねり」 2002年

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彼の作品は厚塗りのものが多い。厚塗りというより、それを通り越して3次元的に絵の具を盛り付けているという表現のほうが正しい。
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今までそのような手法のものを見ても「それがどうした?何がしたい?」的にしか思わなかったが、彼の作品には少し違った雰囲気がある。以前にウィレム・デ・クーニングについて書いたとき「芸術とは悟性によって秩序づけられた感性の戯れ」というカントの言葉を引用した。その類いの秩序のようなものがこの抽象表現からは感じられるのだ。


ブログを書いていて自分でもミケル・バルセロにかなり引き込まれているのを自覚する。
でも次の2つはありきたりだった。


「マンダラ」 2008年

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「緑の地の老人のための風景 II」 1989年

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「雉(きじ)のいるテーブル」 1991年

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この絵は展覧会のポスターやチケットにも採用されているから、ミケル・バルセロの代表作なのだと思う。しかしどこがそんなに評価されているのか分からないというのが正直なところ。

テーブルの上には動物や魚など食材が載っている。頭蓋骨の右側と、その斜め右下にあるのが鳥っぽいからおそらく雉なんだろう。タイトルは「雉のいる」じゃなくて「雉もいる」にして欲しかったかな。

またここでも伊勢エビ登場! 日本じゃないからロブスターと呼ぶべきか。他の食材がほとんど黒く死骸のように描かれているのに対して、伊勢エビだけは鮮やかな赤。ということはもう茹でてある? きっとミケル・バルセロの好物なのに違いない(^^ゞ



つぎの3つは闘牛をモチーフにしたもの。
スペイン人だから馴染みがあるのだろうと考えるのは短絡的であるが。


「とどめの一突き」 1990年

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最初は何が描かれているのか分からなかった。タイトルを読んで板をヤリで突き刺したのかなと考えたり。実は丸く描かれているのは上から俯瞰した闘牛場で、地面に闘牛士と牛がいる。それが分かるとタイトルにも納得がいくのだが、描き進めるにつれて闘牛場をどんどん抽象化していったような気がする。

まあこのデコボコ盛りに気を取られて、闘牛士と牛にすぐ気づかなかったせいもある。
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「イン・メディア・レス」 2019年

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この作品なら闘牛であることを見間違えることはない。イン・メディア・レス(In media res)とはラテン語で、物語を最初から語るのではなく途中から語りだす文学・芸術技法のことらしい。つまり「これは闘牛の途中の様子を描いています」ということなのだろうか?

ミケル・バルセロの作品は「亜鉛の白、弾丸の白」「マンダラ」「緑の地の老人のための風景 II」そして「イン・メディア・レス」のようにタイトルにちょっと無理がある作品はデキもいまいちなような気がする。

円形の闘牛場に合わせて、絵の具の表面をグルグルと削り取ったような手法。
それもちょっと当たり前すぎる
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「銛(モリ)の刺さった雄牛」 2016年

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そしてこちらはイン・メディア・レスではなく、闘牛の最後の場面が描かれている。この作品は強烈な存在感を放っており、ガツンと迫ってくるものがあった。もちろん、どこに?という説明は不可能。また乱雑なタッチで描かれているのに、なぜか美しさも感じたのが不思議。もしパソコンで見ているなら、是非クリックで拡大して見て欲しい。

ただタイトルを読むまでは、
牛の胴体から草がボーボーと生えていると勘違いしていたのは内緒(^^ゞ



ーーー続く

wassho at 22:39|PermalinkComments(0) 美術展 

2022年01月28日

ミケル・バルセロ展

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昨年末に篁牛人(たかむら ぎゅうじん)の展覧会を見て「あまり有名じゃないけれど凄い画家がいるものだなあ〜これからもそういう人の作品をたくさん観られますように」と思っていたら、年明け早々にSNSで気になる展覧会情報が流れてきた。

   ミケル・バルセロ Miquel Barcelo

これまた牛人同様に今まで一度も耳にしたことのない名前。


展覧会公式ページの文章を一部引用すると

  1957年、スペイン・マジョルカ島生まれ。
  1976年、前衛芸術家のグループに参加。
  1982年の「ドクメンタ7」(ドイツ・カッセル)で国際的にデビュー。
  以降はマジョルカ島、パリ、アフリカなど各地にアトリエを構えて精力的に制作。

  その制作は絵画を中心に、彫刻、陶芸、パフォーマンスなど領域を越えて広がり、
  近年ではマジョルカ島のパルマ大聖堂の内部装飾、スイス・ジュネーブの国連欧州
  本部・人権理事会大会議場の天井画など、壮大な建築的プロジェクトにも
  結実しています。

などと紹介されている。また「長らく日本でほとんど未紹介であった」「本展は日本国内で初めて彼の仕事の全貌を紹介するものである」とも書かれていた。ヨーロッパじゃよく知られていても、なぜか日本では紹介もされず注目を得なかったということか。どうして?

ウィキペディアでミケル・バルセロを調べてビックリ。
本日現在、情報はたったこれだけしか記載されてない。
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名前、生年月日、出身地、画家であることくらいしかわからない。
最後に「現代のピカソと呼ばれている」と補足されているが、この情報量でそんなことを言われてもウソくさいゾ(^^ゞ

日本ではまだ知られていないのだから仕方ないかと思い、英語版のウィキペディアを見ても、経歴が多少は文章で説明されている程度だった。A4サイズでプリント設定するとわずかに3ページしかない。ならばとスペイン語版のウィキペディアまで調べたが、こちらも4ページでほとんど変わらず。ちなみに日本語版のウィキペディアでルノワールだと34ページ、ゴッホに至っては65ページもの解説が載っている。

というわけでミケル・バルセロの海外での評価もよくわからず。でも心配はご無用、この展覧会は文句なく素晴らしかった。モダンアートは嫌いで、どちらかというと馬鹿にしている私が言うのだから間違いなし! 単によかったというのではなく、ちょっと魂を揺さぶられるような快感を味わえた。そんな展覧会は久しぶりかな。


この写真は2年ほど前に撮られたもの。
ミケル・バルセロは歌手のスティングを丸くしたような顔をしている。
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ついでにマジョルカ島はここね。面積は沖縄本島の約3倍とのこと。
なお最近はマヨルカ島と呼ぶことのほうが多い。
3マジョルカ





展覧会が開催されているのは東京オペラシティのアートギャラリー。オペラシティとは新宿から京王線で1駅目の初台という場所にあり、大きくは超高層のビジネスビルと新国立劇場から成り立っている複合施設。
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その新国立劇場にオペラ&バレエ専用のホールがあるので全体の名称がオペラシティ。アートギャラリーはビジネスビル低層の張り出した部分にある。


東京オペラシティは初台の駅と直結している。
地下から上がってきて最初に目にする光景。
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巨人の彫刻は空を見上げてるのかと思ったら、
タイトルはSinging manで唄う男だった。
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でも見上げているマンにしか見えない(^^ゞ
この写真の3層目にアートギャラリーが入っている。
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上からの眺め。
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この広場はサンクンガーデン(Sunken Garden)と呼ばれている。Sunkenは沈むという動詞sinkの形容詞形。だから地下に掘り下げた庭園というような意味の建築用語。このサンクンガーデンの床面は地下1階に当たる。


3階にあるアートギャラリへ。
ここへ来るのは始めてで、オペラシティにこんな施設があるのも実は知らなかった。
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この展覧会には他と違う点がいくつかあって、

1)
写真撮影可。
いくつか展示風景を撮ってきた。おそらくはSNSでの拡散&集客を狙ってのものだろうが、他の展覧会でも見習ってほしいもの。ただし3〜4点ほど撮影が不可の作品があり、その区別がナゾ

2)
鑑賞順路が定められていない。
どこが最初の展示室か分からず係員に尋ねたら、出品リストの番号に沿って展示しているわけでもないので、お好きな場所からどうぞと言われた。企画展で(常設展でないという意味)そんな経験は初めてかも。

3)
順路がないことは徹底していて、今回は水戸部七絵という画家の展覧会も同時開催なのだが、ミケル・バルセロ展との区別はなく、通路を曲がったらいきなり水戸部七絵展のコーナーになっていてビックリした。


ミケル・バルセロの作品は大きなものが多い。
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この左側の絵は縦3メートル、幅2メートル。
一般家屋じゃ吹き抜けの部屋がないと飾れないね。
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ーーー続く

wassho at 23:44|PermalinkComments(0) 美術展 

2022年01月27日

2022シーズンのチューリップが初発芽

もうそろそろかなと思いベランダに出てみたら、
めでたく初発芽していた。
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この大きさだと芽が出たのは2日ほど前だろう。
でも発見した日を初発芽日としているから、今シーズンは1月27日に認定。


こちらは、この写真だと分からないが、
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近寄ってみるとこの通り。
こちらは間違いなく今朝の発芽。
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今年は少し寒い気もするが、初発芽はだいたい例年通りのペース。
ということは最初のツボミができるのが3月15日前後で、初開花は3月20日頃と予想。

wassho at 20:15|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2022年01月23日

週に3万歩のノルマ設定

身体はどんどんとナマるばかりで、体型はますます膨らむ一方である。それは別に今に始まったわけじゃないが、ちょっとプライドの限界を超えてきたので、今年はフィットネスに励むことにした。

2006年頃までは毎週末に10km程度のジョギングをしていた。だからその再開というのが最初に思い浮かぶところであるが、

  いきなりはちょっとキツい
  でも無理して、それなりの距離を走ってしまう
  それが辛くて続かない

なんてことになるのは確実。
もう長い付き合いなので自分のことはよく分かっているのである。

というわけで、とりあえずは散歩から始めることにした。ノルマは週に3回で、その合計で3万歩に設定。もちろんこの3万歩に日常生活で歩いた分は含まない。目標値に運動面から導いた根拠は特にない。ただ1万歩を歩くのに必要なのは2時間ほどなので、それくらいなら続けられるかなと。なお1万歩を午前と午後に二分するのはありとしている。

それを思いついたのが1月15日で翌日から早速開始。
先週の結果は

  16日(日) 1万1704歩
  18日(火) 1万4630歩
  20日(木) 1万214歩

と目標をクリア。
そして第2週目に入る本日も出足順調。
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なお計測に使っているのはiPhoneに入っていたヘルスケアというアプリ。


雨が降って散歩できなければ別の日の歩数を増やすつもりだけれど、時間的な都合がつかなければノルマを減らしたって構わない。無理をせず継続第一の方針でいくつもり。

歩き方はウォーキングのようなハイペースではなく、ごく普通に歩く散歩そのもの。今のところの予定としては6月まで散歩を続けて、脚力の回復を考慮してジョギングに切り替えるかどうかを判断するつもり。年末には「普通に太っている」程度にまで体型を回復したいもの。標準体型に戻るのは3年後くらいかな。あくまで長期的に考えている。趣味はダイエット、特技はリバウンド(^^ゞ にはならないつもり。



本日の散歩目的地は洗足池公園。ここは前回に訪れたときブログに書いている。往きは少し遠回りなルートを選んだので自宅から1時間かかった。
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デジカメは重いので持参せず。iPhoneのズームは光学的なズームレンズじゃなくて、単なる画像の拡大だから、かなりぼやけてしまうのは仕方ないところ。
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これはオナガガモ(尾長鴨)のオスで、
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こっちがメス(だと思う)。
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このちょっと目つきの悪い奴はキンクロハジロ。
漢字だと金黒羽白で、どこに金?と思うが目玉が黄色いかららしい。
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洗足池に注いでいる水路には、黒い鯉に混じってきれいな錦鯉がたくさんいた。
ところで漫才コンビの錦鯉ってどこが面白いの?
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正体は分からないもののシュールな姿の植物。
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洗足池は桜の名所でもある。1月5日に林試の森公園ではもう河津桜が数輪だけ咲いていたが、さすがにソメイヨシノではまだツボミも小さい。
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ソメイヨシノのつぼみには毛のようなものが生えていることを発見した。知らなかったというか、ツボミをまじまじと見たのは初めてかも知れない。
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洗足池公園は敷地が道路で分断されていて、池がないエリアは少し小高くなっている。
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だからといって特に見晴らしがいいわけじゃなかった(^^ゞ
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さて次回はどこに散歩しようか。
歩いて回れる行動半径なんてごく限られているので、それが悩みの種。
だから電車に乗って散歩に行くというのもありだと思っている。

wassho at 23:27|PermalinkComments(0) 生活、日常 | イベント、旅行

2022年01月18日

目黒不動尊で七福神のラストピースを その3

いよいよ本堂のある上のエリアへ。
それほど長くはないがけっこうな急階段。
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ついでに上から。
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なぜか神社のシンボルである鳥居が。
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江戸時代までの神仏習合の名残で寺に鳥居があることも多い。でもここは何度か散歩に来ているけれど、以前はこんな場所に鳥居はなかったんだよなあ。ということは、割と最近に建てた? 何のために?


階段の途中にある、赤くて船の舳先のような形をしたものは、
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お線香を焚くところ。
これを見ると、つい頭や身体にに煙を掛けたくなる。
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本堂にお参り。
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しかしここは期間限定公開で仏像の価値を高めようとする、秘仏なるマーケティング戦略を取っている。これについては、仏は人々に姿を現して安らぎを与える存在なのにと常々反感を覚える。寺によっては一切公開されない秘仏という信じられないものも存在する。秘仏は日本の仏教特有の風習で、これには希少性を高める目的以外に「シモジモには知らしむべからず」という上から目線な匂いも。仏教界が宗教改革をして、こんな馬鹿げた制度がすみやかに廃止されますように。

この目黒不動尊でのご開帳は12年に1度。
それで次回は2029年ということで本尊は見ることができなかった。
でも不動明王は顔が怖いからいいか(^^ゞ

ちなみに江戸の頃に「目白・目黒・目赤・目青・目黄」の五色不動という、不動明王を分類する思想ができた。そして目黒区の目黒と、豊島区目白の地名はそれぞれの色の不動明王が由来とされている。だから言ってみればここが目黒発祥の地。

もっとも五色とは色ではなく方角のことらしく目玉の色とも無関係。でも身体に色が塗られている不動明王像は珍しくない。ただ黒、赤、青は見たことがあっても、白や黄色に塗られているのはないかな。


本堂の上から眺めたところ。
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訪れたのは1月5日で、
まだ正月の飾りが残っていて華やかな雰囲気。
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先ほど上がってきたのは男坂と呼ばれる階段。
正月などの混雑時にはこちらの勾配が緩やかな女坂で降りるようになっている。
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たいして違いはなかったけど。
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女坂の途中に祠(ほこら)があって、
そこに祀られていたのは役行者(えんの・ぎょうじゃ)。
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役行者は空海ほどではないにしろ日本各地に言い伝えがあるので、寺巡りなどではよく耳にする人物。修験道という日本古来の山岳信仰(その修行者が山伏)の開祖。修験道では滝行もするから、この寺とは親和性が高いのだろう。彼は飛鳥時代の634〜701年に実在した人物ではあるが、2匹の鬼を子分にしていたとか、天皇によって伊豆大島に島流しにされたときは、毎晩歩いて海を渡り富士山頂まで登っていたとか、そのスーパーパワーが語り継がれている。

修験道では山を1000日間歩く千日回峰行や、9日間も飲まず・食わず・眠らず・横にもならずにお経を唱える四無行とか無茶なことをする。それは役行者の伝説にあやかってのことなのかな。彼は面白そうな人物なので、そのうち調べましょう。

話はそれるが、検索すればほぼすべての資料に「修験道とは日本古来の山岳信仰」と書いてある。だからはるか「いにしえ」の時代から信仰されているように錯覚するが、仏教伝来は538年である。つまり役行者が開いた修験道は仏教の後に成立したもの。言葉の持つイメージについ左右されてしまうね。当時の修験道は過激な新興宗教みたいな感じだったのかもしれない。



ここは他にも色々と仏像や見所があるけれど、
寒かったし時間もなかったので、それはまたの機会に。

目黒不動尊を後にして、昨年は桜の通り抜けを楽しんだかむろ坂を渡り、
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東急目黒線の不動前駅からこの日はお出かけ。
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おしまい

wassho at 22:14|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2022年01月17日

目黒不動尊で七福神のラストピースを その2

目黒不動尊の象徴的存在が、
この独鈷の滝(とっこのたき)と呼ばれる湧水池。
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歌川広重の浮世絵にも描かれていて、江戸時代には名所だったことが伺える。
歌川広重


独鈷とは密教系の仏教で用いられるもの。色々な形があるようだが手に持てるサイズ。別名は金剛杵(こんごうしょ)だから道具の分類としては杵(きね)になる。
独鈷

寺の縁起としては、ここを創建した高僧がお堂を建てる場所を決めるために独鈷を投げたら、そこから泉が吹き出したーーーというもの。だから独鈷の滝。またこの寺の正式名の瀧泉寺もこの湧水から取られている。まさにこの寺のアイデンティティーである。

ところで独鈷を投げて、それが落ちたり突き刺さった場所に奇跡のようなことが起きるのは仏教のお約束ストーリー。唐で修行していた空海が「私が開く寺の場所を示し給え」と投げた独鈷は、東シナ海を越えて高野山にある松の枝に引っ掛かっていたらしい(^^ゞ

前回にも書いたが目黒不動尊の敷地は崖地を利用している。地質学的にはそれがここに湧水が出ている理由。横に流れていた地下水が崖のところで露出するメカニズム。寺が創建された平安初期の808年以来この水は涸れていないという。ただし飲料には適さないと注意書きがあった。
湧水


さて広重の浮世絵ではフンドシ一丁の男がうろついているように見えるが、実は滝行をしている場面が描かれている。今の感覚だと白い衣を着けていないと滝行の雰囲気がでないね。それと、なぜか滝に打たれている男にだけ色がつけられていないのがナゾ。水しぶきで人も真っ白に見えるという表現なのかな?

浮世絵と同じものかは分からないが、現在も龍の口から水が出ている。ただし滝行をするにはちょっと水量不足。それでも10数年前までは滝行をする人がいたそうだ。
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とはいえ滝行なんて誰もが気楽にできるものではない。
それでその代わりをしてくれるのが、この水かけ不動。
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こちらに独鈷の滝の水をひしゃくで掛けると、滝行をしたことになるというありがたいもの。私も身代わりになってもらった。この寒空に申し訳ない気分。しかし銭洗いの水のところで書いたように、この時は気温が8度で水温は16〜18度。だからきっと暖かかったよね、お不動様(^^ゞ


水くみ場の写真は撮り忘れたが、そこに置かれていたのが消毒用のアルコール。おそらくひしゃくを手で触るから用意されているのだろう。
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それはいいとしてーーーコロナ除け、つまり魔除けなのに、おめでたい紅白の水引で飾られているのに強烈な違和感がある。でも寺がそういう作法を間違えるとも思えないし。とりあえずの結論は、これは正月飾りなのだろうと(訪れたのは1月5日)。


なかなかブログが本堂までたどり着けない(^^ゞ
ーーー続く

wassho at 22:12|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2022年01月15日

目黒不動尊で七福神のラストピースを

昨年の元旦に七福神のうち2つにお参りし、だから今年は残りの5つでめでたくコンプリートのつもりで出かけた初詣。しかし道順的に距離が変わらなかったので、昨年に訪れた大円寺にも立ち寄って六福神めぐりになってしまった。2つなら気にならなかったのに、なぜか1つだけ残すのは落ち着かない気分になり1月5日に七福神めぐり第2弾を。向かったのは恵比寿が祀られている目黒不動尊。


このブログでは毎度お馴染みの林試の森公園を抜けていく。
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西門から入ったところの広場にはたくさんのプラタナスがある。街路樹のプラタナスは枝が短く剪定されることが多いが、ここのは自然のままの姿。
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プラタナスは夏頃から樹皮がはげ落ちる。そのせいで秋には迷彩模様のようになり、冬になると白い姿に。白い樹木といえば私が好きな白樺。でも東京では見られないので冬のプラタナスはその代わりみたいなもの。
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そういえば栃木県のハンマーリゾートや長野県の富士見高原リゾートに、白樺の林で咲くユリを見るためにバイクで出かけた。そのメルヘンチックな光景はまだ目に焼き付いている。やむを得ずバイクを降りてそろそろ4年。またブラブラとツーリングしたいなあ。


いつもの池で鴨を眺めて、
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この先の右側の広場には河津桜がある。
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すでにしっかりとツボミをつけていて、
まさに「冬来たりなば春遠からじ」だなあと思っていたら、
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何を勘違いしたか、もう咲いている奴がいた。
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昨年、ここで満開の河津桜を楽しんだのは2月22日。
ということは本日からあと1ヶ月と1週間。季節が巡るのは早いね。


東門を抜けて、
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左に曲がるとすぐに目黒不動尊の参道案内が現れる。
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商店街の外れのようなところを歩き、
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次の角をまた左に曲がると、もう山門が見える。
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山門到着。
公園の東門からここまでは5分くらい。
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山門の裏側に真っ白な狛犬。
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ところで狛犬は想像上の動物でイヌじゃないからね。麒麟とキリンがたまたま同じ名前なのと一緒。また仁王像と同じように片方が口を開き、もう一方は閉じているのも意外と知られていない。


目黒不動尊は崖の斜面を利用して建てられており、上と下に敷地が分かれている。
まずは下のエリアから。

元旦に何度も見た看板。
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実は目黒不動尊には恵比寿、大黒天、弁財天の3つが祀られている。なのに山手七福神に加盟しているのは恵比寿のみ。そのあたりは色々と他の寺も絡んで大人の事情だろうか。

お堂の前には恵比寿像。
彼は鯛を持っているので見分けやすい。
普通は釣り竿もセットなんだけれど、石像では作りにくかったのかな。
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扉の枠で字が見えづらいが、お堂の中は左から大黒天、弁財天、恵比寿の順番でセンターは弁財天だった。山手七福神めぐり的には恵比寿をメインにして欲しいが、大黒天と恵比寿が七福神のツートップだから、それを左右に配してバランスを取ったのだろう。
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それはともかく、これで七福神をコンプリート。
また大黒天と弁財天は、山手七福神の他のお寺とダブルでお参りしたことになる。
どちらもお金にまつわるご利益がある神様だから、今年はウハウハになるぜ(^^ゞ


お堂のそばに銭洗いの水。
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銭洗い弁天という言葉をよく聞くから、これは弁財天関連かと思いきや「福銭洗い」となっていて弁財天の名前はなし。弁財天だけが目立たないように「忖度」したのかも。

流れてる水を見るとシャッタースピードを上げて、
水滴を止めないと気が済まない性分(^^ゞ
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お金は洗わなかったが、指で水に触れるととても温かく感じた。関東平野の井戸水の温度は年間を通して16〜18度といわれる。湧水も同じだろう。ちなみにこの時の気温は8度くらい。後で紹介するが、このお寺は湧水でも有名。


お堂から少し離れたところに大黒天の石像もあった。
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馬頭観音の石碑。
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紅葉を見に行った殿ヶ谷戸庭園でも、馬頭観音と書かれていた場所に仏像はなかった。
馬頭観音ってそういうものなの?


これは北向き六地蔵と呼ばれるもの。
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地蔵が北を向いていれば、お参りする人は南を向くことになる。浄土は南にあって、その正しい方向にお祈りできるよう地蔵が北向きに建っているらしい。また六地蔵とは人が死後に行く世界は6つあるので、各地蔵がそれぞれの世界を担当して人々を救っているということのようだ。


ーーー続く

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2022年01月13日

篁牛人展 〜昭和水墨画壇の鬼才〜 その4

第3期は1965年(64歳)から1974年(73歳)まで。だから“その2”で紹介した「訶梨諦母 」「西王母と小鳥 」「蛟龍 」などの作品も時期的にはこちらに含まれる。また前回に書いた「不動明王」「観世音」などの例外を除くとすべて水墨画である。

タイトルは「パトロンの出現から旺盛な制作へ」となっている。あまり絵が売れず、自らつてを頼って売り歩いていた牛人。しかし1965年「昭和40年)にその訪問販売先のひとつであった、開業医の森田和夫なる人物から絵画制作の援助を受けることになる。それによってようやく水墨画を再開することができた。彼の水墨画は、独特の渇筆(かっぴつ)画法で紙の表面がささくれ立つまで何度も筆を押しつけるから、丈夫=高価な和紙が必要なのだ。


「竹林虎 」 1967年頃

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前期渇筆画の時代に描かれた「天台山豊干禅師」に登場するトラよりさらにデフォルメが進んでいる。縞模様をなくして尻尾を消したらほとんどクマかな(^^ゞ 第2期は少し物足りなかったけれど、第3期になって「あの牛人」が帰ってきたという印象。


「老子出関の図」 1969年

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圧倒されたのがこの作品。牛はともかく鯉になぜかコブラまでいて牛人ワールド炸裂。そのユーモラスに描かれた姿とともに、彼の特徴である渇筆画法による濃い墨の世界を満喫できた。ちなみに横幅約3.8メートルの大作である。

ところで老子出関とは老師が関所を出た(通り抜けた)というような意味。でも老師はどこにも描かれていない。実はこれ四曲一双の屏風絵。つまり4つ折りの屏風が2つで1セット。この牛が描かれているのは左隻(させき:左側部分)。それで右隻はというと長らく行方不明だったが、昨年にこの展覧会がきっかけで所在が判明したとのこと。

その経緯は

  1969年に制作される。
  1976年に富山県が左隻だけを購入。(どうして左隻だけ?)

  牛人の甥に当たる民谷静(たみや・やすし)氏が1978〜79年頃に、
  牛人宅を訪れ右隻を購入。左隻の存在は知らなかったという。
  牛人は入院中で夫人が対応したせいか、民谷氏に売却した記録は失われれ、
  右隻はこの約40年間行方不明扱いに。

  2021年9月に民谷氏が富山県立水墨美術館で開かれた牛人の展覧会を訪れる。
  ※大倉集古館より先に水墨美術館で開催された、まさに今このブログで
   書いているのと同じ展覧会である。

  そこで左隻だけの「老子出関の図」を鑑賞。
  作品の説明文で「右隻は行方不明」とされていることを知る。
  自分が右隻を所有していることを申し出る。

というウソのような本当の話。
そしてこれが民谷夫妻のご自宅にある右隻の老子出関の図。

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ご夫妻で隠れている部分に何が描かれているか気になるが、右隻も素晴らしい出来映えなことは間違いない。老師は期待を裏切らない巨体ぶりである。その迫力はご夫妻の身体の大きさと比較すれば分かるだろう。右隻と左隻が絵の表現としてつながっていないようにも思えるが、この2つが並んでいるところを実際に見ればまた印象が変わるかも知れない。ちなみに牛が登場するのは、老師が牛に乗って移動していたとされるから。もちろん鯉やコブラは牛人の創作である。

   写真は https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?
   id=NEWS0000028788 から引用



大倉集古館は地上2階、地下1階の構成。
2階の展示室からこんな中国風テラスに出ることができる。
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テラスから眺めたホテルのプレステージタワー。
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館内の階段にあった狛犬の彫刻。
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なおこの美術館のコレクションにも期待していたのだが、大倉集古館は企画展や特別展の開催だけで常設展は運営されていなかった。



篁牛人展に話を戻してあと3作品を紹介。


「ゴータマ出家逾城の図」 1969年頃

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ゴータマとは釈迦のこと。逾城は「ゆじょう」と読み、出家逾城とは中国語というか漢文で、出家して街を出るという意味だと思う。釈迦の身体は大きく描かれていないが相変わらずふくらはぎはパンパンに膨らんでいる。左下側にある黒い円は何だろう?


「風神雷神」 1969年頃

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俵屋宗達など琳派でお馴染みの風神雷神図。上が右隻で下が左隻。ということは一般的な風神雷神図とは左右が逆。このあたりは人と同じことはしないという牛人のこだわりか。ただし屏風絵は右隻から左隻つまり右から左へ進むものだから(縦書きの文章と同じ)、それに従えばタイトルは「雷神風神」でもおかしくない。

腕も足も極限まで太く描かれているが、女性の訶梨諦母や西王母と違って意外と違和感はなかった。あるいは私の目が牛人を見慣れてきたか。


「ダモ 」 1970年頃

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ダモとは禅宗の開祖である達磨(だるま)大師である。彼は9年間も壁の前で座禅を組んで修行をしたので、手足が腐ってなくなったともいわれる。だから人形のダルマは丸い形をしている。一方で手足は失っておらず法衣の下に隠れているだけだという説もある。牛人は後者の考えだったのかな。まあ腕も脚もないと得意の極太デフォルメに困るものね(^^ゞ

老子の絵では脇役に鯉や蝶にコブラなどだったが、こちらでは蝶の他にテントウムシやカタツムリが登場。牛人は大酒飲みで自由奔放な性格だったとされるが、お茶目で少女的な感性もあったようにも思える。彼の描いたものはどことなくカワイイものも多い。



こんなアバンギャルドな水墨画があったとは驚きで、またそれを描いた篁牛人が、今日まで歴史に埋もれていたなんて(もともと評価が低く有名とはいえなかったが、それも含めて)二重にビックリである。テレビの日曜美術館で紹介されたし、この展覧会を機に再評価が進んでほしいもの。「老子出関の図」の右隻も含めてもっといろいろな作品を見てみたい。次の展覧会に期待する。



おしまい

wassho at 23:23|PermalinkComments(0) 美術展 

2022年01月12日

篁牛人展 〜昭和水墨画壇の鬼才〜 その3

大晦日から正月そして成人の日にかけては季節ネタを書いたので、篁牛人展の話が中断してしまった。篁(たかむら)牛人と、改めて振り仮名を書いておかなければ読めないのが情けないところ。


この展覧会は最初に彼の作品を総合的に紹介するコーナーがあり、その後は3つの年代に分けた回顧展スタイルのコーナーが続く。今回は第2期に当たる1949年(48歳)から1965年(64歳)に当たる作品から。

第2期のタイトルは「放浪時代の試行錯誤」。牛人は54歳からの約10年間、日本各地を放浪していたとされる。ただこの放浪というのが、まったく自宅に戻らない(または自宅がない)ことを意味しているのか、あるいは自宅から頻繁に長期の旅行に出ていたのかは、資料が少ないこともあってよく分からなかった。おそらく後者だと思うが、10年間の放浪というと前者的なニュアンスに響いてしまう。まあ画家のイメージ戦略としては、そのほうがおいしい気もするが。


一目瞭然だが水墨画だった第1期と違って第2期は色つきである。これはどうも金に困ってのことのようである。水墨画のほうが何色も絵の具を買い揃えなくていいから安上がりのように思えるが、実は牛人の水墨画技法にその理由がある。

前回に書いたように、彼は紙の表面がささくれ立つくらいに何度も筆を押しつけながら描いていく。その技法に耐える和紙はかなりの高級品じゃないとダメらしい。というわけでたいして絵も売れず、高級和紙を買うお金もなくなってという事情(/o\)


「抽象画」 1955年頃

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何とも不思議な絵。第1期の水墨画でも強烈なデフォルメが特徴だったが、それにシュルレアリスムの要素も加わったのかな。制作途中で壊してしまった縄文土偶のようにも見える。このタイプの作品はこれだけだった。他にもあるならぜひ見てみたい。


それ以外の作品はそれぞれ味わいはあるにしても、割りと他でもありがちなものに感じた。やはり牛人は水墨画(といっても一般的なそれとはずいぶん違うが)を描いてこその画家だと思う。


「烏とみみずく」 1959年

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「虎渓三笑」 1960年頃

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「乾坤の歌」 1962年

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「虎渓三笑」 1964年

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1960年と64年に描いている虎渓三笑(こけいさんしょう)とは中国の故事で「修行のため山を降りなかった僧が、友人2人を送っていくときに話に夢中になり、境界線と定めていた虎渓という川を渡ってしまったので3人で笑った」というもの。中国画や日本画でよく題材として取り上げられる。

だいたいこんな感じの絵が多い(これは展覧会とは無関係)
虎渓三笑

それが牛人の筆に掛かると、まったくユニークな作品になるのはさすが。もっとも1960年のは何が描かれているのかわからないが。


次の2点は第3期のコーナーにあったものだが、
色つきの作品なので一緒に紹介しておく。


「不動明王」 1967年

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いつも怖い顔をしている不動明王。これは何となく漫画チックにも感じるが、牛人にしては珍しく割とオーソドックスに描いている。


「観世音」 1966年

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これは抜群に素晴らしかった。よく見れば牛人らしく、観音様にしてはあり得ない腕の太さである。しかしそんなことは気にならないくらいの神々しさに満ちあふれている。周りに人がいなかったら手を合わせて拝みたかったくらい(^^ゞ

以前に運慶展を見たとき、その四天王像の素晴らしさに感激したが、如来像や菩薩像といったいわゆる寺の本尊として祀られている仏像がどうも苦手。どれも同じに見える〜有り難みも感じない〜仏像マニアがどこに惹かれているのか理解できない。私がまったく信心深くないのはそのせいだろうか。でも寺にこんな絵があったならお経のひとつくらいは覚えたかも知れない。



ーーー続く

wassho at 20:34|PermalinkComments(0) 美術展 

2022年01月10日

成人式より老人式を

以前は1月15日が成人の日だったが、1998年の祝日法改正によるハッピーマンデー制度によって、2000年から1月第2月曜日へ移動となった。つまり本日である。

成人式

豪雪地帯などではゴールデンウィークやお盆にというところもあるが、だいたいは本日に日本各地で成人式が開催される。昨年はコロナで中止や分散開催になったところも多かったようだが、今年はどうなんだろう。そういえばヤンキーが暴れる荒れる成人式の話題はあまり聞かなくなったような。

私は成人式に行かなかった。その理由は特にないけれど、逆に成人式に出席すべき理由も特に見いだせなかったというところかな。同級生の誰かと成人式の話をしたこともないから実際のところは知らないが、見ず知らずのお偉いさんの退屈な挨拶に付き合ってられるかという気持ちだったのだろう。


国民の祝日に関する法律によれば成人の日は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ために設けられている。法律ではなぜか「おとな」と平仮名で書かれているが、それはさておき大人になった自覚を持つというのは難しいものである。

その理由のひとつは「大人の自覚」という、何にでも当てはまる普遍的な自覚というものは存在しないからだ。でも心配は無用。そのうち生きていく様々な場面で、否応なく大人としての対応を求められるから自然と養われていく。やがて「大人の事情」っていう処世術も身につく(^^ゞ


ピカピカの若者だった新成人も、やがて全員が中年になり老人になる。大人の自覚を持つより難しいのはそちらの自覚の方だ。それは社会的あるいは法律的な区切りはないからあまり意識しないし、未成年から成年への変化と較べれば極めて緩慢だからだろう。それに昔と較べれば身体も元気だ。

しかし悲しいかな人間は歳を取ると、

      いわゆる頭が固くなる
      新しいことにチャレンジしなくなる
      自分の知らないことを否定する
      世の中の動きに疎くなる、ついていけない
      好奇心、向上心がなくなる
      行動力が落ちる
      自分の価値観に凝り固まる、自分が正しいと思い込む
      変化を嫌うようになる
      自分を守りたがる
      ーーーなどなど

の現象が起きる。
つまり脳力や精神的に衰えるということである。もちろん例外はあるし、一概にそう言い切ることへのためらいもある。それでもクリエイティブなことを創造できるのは30歳代、クリエイティブに生きられるのは40歳代あたりまでだと思っている。

人間50年、下天の内をくらぶれば〜の時代はそれでもよかったが、今やそのうち平均寿命が100歳に届こうかという長寿社会、そして少子化による高齢化社会。それで上に書いたような中高年が、ドンと乗っかって影響力を発揮し続ける社会はどうなるか。間違いなく衰退する(/o\) 多くの日本企業がかつての輝きを失ったのもそのせいである。

別に中高年に引っ込めといいたい訳ではない。しかし、そういった衰えを認識して、社会での自分の在り方を再考する機会を設けるのは意味があると思う。だから成人式のような祝典ではなくセミナーかな。その上でどう対応するかはもちろん自由。衰えを乗り越えてよりがんばろう、そろそろわきまえよう、知らなかったことにしよう、好きなように生きて足を引っ張ってやる(^^ゞまあいろいろあるかも。それでも前者の人が増えるだけ世の中はよくなるはず。


えっ、頭が固くなるとかについてお前はどうなんだって? 私は例外だから大丈夫、若い頃と変わっていないよーーーと皆が思っているから中年式や老人式が必要なのだ(^^ゞ

中高年


wassho at 19:06|PermalinkComments(3) 社会、政治、経済 

2022年01月07日

元旦は6/7福神めぐり その4

大円寺を出て行人坂を下りきったところにあるのが雅叙園。
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ずっと目黒雅叙園だと思っていたのに、看板を見るとホテル雅叙園東京になっていた。
2017年に変更されたらしい。


入口のロータリーのようなところにある一角で、季節外れの紅葉を楽しむ。
なぜか雅叙園のカエデは他所より遅くに色づく。
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目黒通りまで戻り、春にはサクラ名所となる目黒川を渡る。川に張り出しているのが桜の木。写真中央で、川の上に写っているタワーマンションが建っているあたりが中目黒。
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目黒通りと山手通りの交差点にある大鳥神社は相変わらずの大混雑。ここから見えている行列は全体の半分くらい。拝殿にたどり着くまで1時間ほど掛かるんじゃないかな。
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交差点から大鳥神社沿いに山手通りを2〜300メートルほど進むと、
蟠竜寺(ばんりゅうじ)の寺評がある。
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参道の途中にはコーヒーのキッチンカー。
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このキッチンカーが駐まっているあたりまでは、家と家との間の空き地を舗装しただけの味気ない参道なのだが、この先からは雰囲気がガラッと変わる。

この写真を見ても「狭そうなお寺」くらいにしか思えないかも知れない。しかしこれが何ともいえずいい雰囲気なのである。お寺特有の「細部まで手入れが行き届いた感」があるし、アットホームな人柄ならぬ寺柄がにじみ出ているというか。写真を撮り忘れたが小さな池もあった。
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本堂にあるのは阿弥陀如来。
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その隣に弁財天。
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そして本堂と弁天堂の間を入っていくともうひとつの弁財天がある。こちらは岩で作られた洞窟のような造り。先ほどの木造のお堂の中には木像の、こちらには石像の弁財天が安置されている。
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それにしても格子戸の中央は開いているものの、
何となく弁財天が牢屋に閉じ込められているような気が(^^ゞ



この蟠竜寺(ばんりゅうじ)で元旦の6/7福神めぐりは終了。

何度か書いたが七福神のうち2つは昨年の元旦にお参りした。だから今年は5つの神様を回って合計で7つをコンプリートするつもりだった。しかし昨年に訪れた大円寺が、妙円寺から蟠竜寺へのルート上にあったので、それじゃと大円寺にも立ち寄った。

その結果、今年にお参りしたのは6つの神様になる。不思議なもので2つなら気にならなかったのに、1つだけ行っていないのは妙に落ち着かない。というわけで、その残り1つである目黒不動尊には日を改めて出かけることにした。ブログを書くのが追いついていないが、実は一昨日の1月5日にもう行ってきた。

あ〜あ、まんまとお寺さんマーケティングの術中にはまった気分(^^ゞ
元旦から七草がゆの期間に7つ訪れろなんてお寺の勝手な都合なのに。


実はこの蟠竜寺から目黒不動尊までは歩いて10分ほどの距離。時間的な余裕はあったのに足を伸ばさなかったのは、元旦の目黒不動尊がとても混雑していることもあるけれど、ここまでで5つのお寺を訪ねて、もう飽きちゃったのが正直なところ。

各地の七福神は、だいたい歩いて数時間で回れるように寺や神社が選ばれている。でも途中に七福神以外に訪れる場所も考えておいたほうがいいというのが、今回の教訓から得たアドバイス。


蟠竜寺で2つの弁財天を拝んだ後は大鳥神社のところまで戻って、そこからバスで帰ってきた。12時30分出発、3時30分帰宅の元旦初詣。

目黒不動尊の話はいずれ書くとして、
とりあえず今回はこれでおしまい。
このブログを読んでくれた人にも七福神のご利益がありますように!

wassho at 20:56|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2022年01月06日

元旦は6/7福神めぐり その3

妙円寺で3つ目と4つ目の七福神をゲットして、
また目黒通りに戻る。


国立科学博物館附属の自然教育園前を通過。ここは約20ヘクタールほどの森林公園で、ずっと訪れたいと思っているのだがなかなか機会がない。
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目黒駅の東口までやってきた。
清正公前のバス停を降りてから、ここまでに歩いた距離は2.5キロくらい。
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初回に書いたように山手七福神は、妙円寺が福禄寿と寿老人の2つを祀っているのでお寺の数は6つ。そのうちの目黒不動尊と大円寺は昨年の正月にお参りしているので、今年は残りの4つを巡るつもりだった。七福神めぐりとは元旦から七草がゆを食べる1月7日あたりまでにすべてを回るものらしいが、それはお寺のマーケティングみたいなものだから別にこだわることはないかと。

目黒駅から西へは権之助坂と名前がつけられた目黒通りを下っていく。しかし駅の西口を越えたところで権之助坂と行人坂が分かれており、行人坂をそのまま下れば大円寺があるのを思い出した。つまり大円寺に立ち寄っても距離的にはほとんど変わらない。

それではと予定を変更して大円寺に向かう。初回に今年は5つの七福神を巡ると書いたのに、タイトルが6/7福神めぐりとなっているのはそのため(神様とお寺の数が一致していないので話がややこしいが、元旦に巡ったのは5寺6神様)。


東京は坂の多い街で、名前のついている坂道だけで800近くもあるという。行人坂はその中でも激坂として有名な場所。最大斜度は20度。でも今回は下りだから楽チン。
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ホリプロが行人坂沿いのこんなところにあるとは知らなかった。
坂道アイドルグループはホリプロ所属じゃないから苦々しく思っていたりして(^^ゞ
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きっかり1年ぶりの大円寺。
このお寺についてはその時にいろいろと書いたので、よかったらこちらから
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提灯に大黒天の文字。大円寺の大黒天は本堂に祀られている。
本尊は別のお堂に安置されており、年に10回程度開帳されるいわゆる秘仏。
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正月早々こんなことをいうのも気が引けるが、私はこの秘仏なるものが気に入らない。仏は姿を現して人々に安らぎを与えてなんぼやろと、いつもフンガイしている。


境内にいると本堂から普通の読経とは違う激しいビートのお経が漏れ響いてくる。これが「真言を唱える」というものなのかな。中では護摩を焚いているのが見える。
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ここは五百羅漢像でも有名。その表情がすべて違うと感心して書いてあるものが多い。しかしヒネクレ者の私は、全部を同じ表情にするほうが難しいなあなどと思ってしまう(^^ゞ
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七福神の石像もあった。
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これは薬師如来像で、自分の身体の悪い部分に金箔を貼ると治るとされる。
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ところで昨年の同じ日と較べて、腕の部分がずいぶんと黒ずんでいるのが気になった。金はそんな簡単に変色しないからどうしてなんだろう。

こちらが昨年に撮った写真。
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ーーー続く

wassho at 19:37|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2022年01月05日

元旦は6/7福神めぐり その2

覚林寺を出て桜田通りから目黒通りに戻る。

昨年に引き続いて、東京の元旦は雲ひとつない快晴。ただし昨年の最高気温が10.5度あったのに対して今年は7.8度とちょっと寒い。
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シェラトン都ホテル東京の前を通る。
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都ホテルからラディソン都ホテルになり、またいつのまにかシェラトン都ホテルに名前が変わった。本店である京都はウェスティン都ホテル京都だからややこしい。


白金に向かう目黒通りには日吉坂の名前がついている。
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ネットで調べると能役者の日吉喜兵衛が近くに住んでいたからとの情報が多数ヒットする。しかしその日吉喜兵衛を調べてもまったく何も出てこない。いつの時代の人かも不明。その程度の存在なのにどうして名前が坂に付けられたのだろう。


坂を登り切ったあたりに瑞聖寺(ずいしょうじ)の石柱が表れる。
この石柱は正式には寺評というらしい。神社なら社標。
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これで寺に行く道で合ってるの?
と思ってしまうコンクリート打ちっぱなしの建物が表れる。
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でもその建物のところまで来ると右手側にある本堂が目に飛び込んで来た。
けっこうな大きさで、参道が殺風景なだけにちょっと意表を突かれる。
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上の写真にある正面の階段はなぜか通行止めで、
左側に回って本堂に上がる。
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瑞聖寺では本尊の釈迦如来の隣に布袋さんが安置されていた。
お賽銭が1回で済んで助かる(^^ゞ
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本堂の隣には和風モダンな感じの建物が。何となくテイストが隈研吾ぽい。参道にあったコンクリート打ちっぱなしといい、この寺のお坊さんはデザインにこだわりのある人なのかも知れない。
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写真中央にあるのはしだれの梅だと思う。
咲いているところも見てみたいような。
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水盤には薄く氷が残っていた。
元旦の東京は最低気温がマイナス1.3度。
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水盤越しに本堂。
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鐘もあったがつけるようにはなっていなかった。
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瑞聖寺(ずいしょうじ)で本日2つめの七福神をゲットして再び目黒通りに。

このレトロな建物は港区立郷土歴史館。竣工は1938年(昭和13年)。
ここに写っているより奥まで建物は広がっている。
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元は国立公衆衛生院で、この建物は何とロックフェラー財団から日本政府への寄贈されたもの。戦前のその頃はアメリカと仲が良かったのね(^^ゞ 2002年に国立公衆衛生院が他の組織と統合されて国立保健医療科学院となり埼玉県和光市に移転した。港区の博物館としてオープンしたのは2018年。

それにしても国立公衆衛生院や国立保健医療科学院なんて、このコロナ禍のご時世なのに名前すら聞いたことがない。役に立つこと何かしているのかな?



郷土歴史館のすぐ隣が白金台の駅。
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ところで25年ほど前に、このエリアに住むセレブなマダム(本当にいたかは別として)を「シロガネーゼ」とマスコミが呼んだせいで、東京の人でも白金をシロガネと思っている人が多い。地名としての白金はシロカネである。

シロガネーゼは明らかにイタリアのミラノに住んでいるミラネーゼをもじっているが、なぜシロガネになったのかは不明。別にシロカネーゼでも特に語呂が悪くはないのに。


白金の高級イメージに合わせたのか、ドンキの看板もケバケバしさなし。
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これがプラチナ通り。この季節はイチョウが寒々しいが。
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さて目黒通りをさらに進むと本日3つ目の目的地である妙円寺のゲートが表れる。
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変わった坂道を降りると、
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いきなり境内に入る。
かなりこぢんまりとしている。
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七福神は右側。
本堂のほうは扉がわずかに開いているだけで、お参りする雰囲気じゃなかった。
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こちらに福禄寿(ふくろくじゅ)と寿老人(じゅろうじん)が祀られているのだけれど、
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なんとお賽銭を上げるだけでも靴を脱がなければならない。
なんでこんな面倒なことをするかな。
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お堂の内部は写真撮影禁止で、中にお寺の人もいたので外側上部だけを。
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ーーー続く

wassho at 23:01|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2022年01月04日

元旦は6/7福神めぐり

昨年は大円寺と目黒不動尊に初詣をした。Googleマップで自宅から徒歩圏に行ったことがなくて良さそうなお寺はないかと大円寺を見つけ、帰り道なので散歩でたまに行く目黒不動尊にも立ち寄ったというコース設定。

その時に目黒不動尊には恵比寿、大円寺には大黒天が祀られており、目黒駅周辺に七福神めぐりの寺が点在していると知る。本来はいつお参りしてもいいはずの七福神であるのに、現在は年の初めにしか対応していないお寺(お堂を開いていないとの意味か?)のほうが多いようである。その期間は元旦から1月7日あるいは10日くらいまでが一般的。

でも私の場合は初詣くらいは行かないと、お正月であるのを忘れそうになるから程度のモチベーションなので、昨年に訪れなかった5つを回って2年かけて七福神をコンプリートしようかと。

七福神

ところで七福神という言葉はよく知っていても、誰がいるのかよく知らなかったので調べてみた。実は国籍?や宗教もバラバラな神様のグループである。平安時代に恵比寿・大黒天・毘沙門天の三神信仰が始まり、室町末期に七神になったらしい。広く信仰されるようになったのは江戸時代中頃のようだ。

なおどうしてこのメンバーなのか、なぜ七福と呼ばれるようになったのかはざっと調べただけでは分からなかった。

それぞれの簡単なルーツやプロフィールとご利益を以下に。
福禄寿と寿老人は今まで絵では見ていても名前は知らなかったな。


   恵比寿:日本の神話由来。漁業の神から拡大して
       商売繁盛や五穀豊穣をもたらす神になった。

   大黒天:オリジナルはヒンドゥー教由来で、日本では因幡の白ウサギの
       大国主命と結びついた。だからインドと日本のハイブリッド。
       ご利益は五穀豊穣。

   毘沙門天(びしゃもんてん):ヒンドゥー教由来。仏教の四天王のメンバーとしては
       多聞天であり、ソロ活動の時に毘沙門天と呼ばれる。厄除けと福徳の神。

   福禄寿(ふくろくじゅ):中国の道教由来。
       福(幸福)、禄(身分)、寿(寿命)の3つを兼ね備えた仙人。
       そこから子孫繁栄、財運招福、健康長寿などのご利益に。

   布袋(ほてい):仏教由来。実存の禅僧とも弥勒菩薩の化身ともいわれる。
       ご利益は笑門来福・夫婦円満。ちなみに布袋が持っているのが人々の
       辛いことや我慢を詰めた「堪忍袋」。

   寿老人(じゅろうじん):中国の道教由来で福禄寿の別バーションみたいな存在。
       ご利益は長寿延命、諸病平癒とされる。

   弁才天・弁財天:七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神が仏教に習合して誕生。
       最初は水を司る女神だったが芸術や学問の才能にご利益のある弁才天に。
       やがて金運・財運もカバーして弁財天とも表されるようになった。



目黒駅周辺の地図。
七福神ではあるが、2つの神様を祀っているところがあるのでお寺は6つ。
地図

この七福神は「元祖山手七福神」と呼ばれている。なぜ元祖の名前がついているかというと「新宿山ノ手七福神」と同じ山手がつく七福神があるから。ちなみに東京都内には約35箇所もの七福神がある。元祖山手七福神はたまたまお寺ばかり集まっているものの、神社に祀られている七福神も多い。

また山手七福神では、このお寺を東から巡ると無病息災・長寿祈願、西からだと商売繁盛祈願のご利益になるのが他の七福神めぐりと違うところ。でもそれでは各神様固有のご利益と矛盾するし、これは2回来させようと狙っているマーケティング戦略かな(^^ゞ



全部を徒歩で行って帰ってこられない距離じゃないけれど時間が掛かりすぎるので、今回は一番東の覚林寺までバスを利用して、そこから西に向かって歩くことにした。

清正公前のバス停で降りる。
後ろは今はシェラトンの名前がつく都ホテル東京。
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清正公(せいしょうこう)とは覚林寺の通称。そして清正公とは戦国武将の加藤清正を意味する。覚林寺に彼の位牌や像があるからその名前で呼ばれているので、お寺であっても神社みたいな存在。


この道路は目黒通り。
前方に三叉路で接続しているのが、このあたりでは桜田通りと呼ばれる国道1号線。
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覚林寺は三叉路を右に曲がってすぐの桜田通り沿いにある。
のぼりが立っているので見つけやすい。
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日蓮宗のお寺であるのに、提灯を見ても加藤清正を猛烈アピールしているのがわかる。
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江戸最初〜と書かれている看板。
しかし上野・田端周辺の谷中七福神は「江戸最古」を謳って対抗している(^^ゞ
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これがメインの清正公堂で、そこそこの大きさ。
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本堂はこれとは別にある。しかし境内の片隅だし小さいし誰もお参りしていない。
写真を撮るもの忘れた(/o\) やはりここは加藤清正あってのお寺。


こちらは浄行菩薩とあまり馴染みのない仏様。
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毘沙門天のお堂は清正公堂と向かい合う位置にあった。
右隣は稲荷堂。
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七福神はたいてい本堂とは違う場所に祀られているので、うっかり本堂だけにお参りして帰ってしまうと七福神めぐりにならなくなってしまう。



ーーー続く

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2022年01月01日

初詣は外国人の目に?

昨年は用意してあった年越しそばを食べ忘れ、元旦におせち料理と一緒に餅代わりに年越しそばを食べるという失態をヤラかしてしまったが、今年は無事に?大晦日に年越しそばを食べる。ところで年越しそばを食べるのは

  年末頃だったらいつでもいい
  大晦日の12月31日に食べる
  大晦日でも新年を迎える=日付が変わる少し前に食べる(食べ終える)
  除夜の鐘を聞きながら食べる=1月1日にまたいで食べてもいい

とか、いろいろあるみたいだが地域差とかあるのかな。

昨日は夕食として年越しそばを食べた。その後は紅白その他の年末番組は見ないで、録り溜めてあったテレビ版の「鬼滅の刃」を延々と。

そして無限列車編全7話を見たおかげで元旦早々から煉獄さんロスに(^^ゞ
どうも昨年に続いて幸先のよい新年のスタートが切れない。
鬼滅を知らない人にはナンノコッチャな話でゴメンねm(_ _)m


さてお正月といえばつきものなのが初詣。
今年も散歩がてらに行ってきた。その話はまた後日。
その初詣に関して興味深い話を聞いた。


ところ変わってイスラム教では1日に5回お祈りをすることになっている。
それはサジダと呼ばれる地面や床に付ける平伏姿勢でおこなう。
サジダ

毎日5回もビックリするが、その形が日本人的には「土下座」に見えるからかイスラム教って大変だなあ、イスラム教徒って熱心だなあというという印象を持ってしまう。特に大勢の人が一斉にサジダをしている光景を見ると「ちょっと引くーーー」のが正直なところ。またそれが転じて、あんなことしているから狂信的な連中も生まれてテロを起こすんじゃないかと考える人も。

後者についてはサリンを撒いたオウムも仏教で、仏教徒=テロリストではないから、それは偏見でしかない。でもイスラム式のお祈りスタイルに「彼らと我々は違う」という感覚が生じてしまうのはたしかなところ。そして

  外国人はそれと同じような印象を「初詣する日本人」から受けるらしい

ほとんどの人にとって初詣は、お参りはしても単なるイベント的なもの。別に信心深いから神社や寺に行くわけじゃない。しかしおそらく海外では「頭を下げ目を閉じ手を合わせているところ」「超混雑している境内」「着物姿での初詣」などのビジュアルと一緒に伝えられるだろうから「日本人って宗教的にちょっと変わっている民族なのかも?」と思われている可能性はある。

色々な視点から物事を観察することが習い性になっている私だけれど、そんなことは考えても見なかった。さて今年はどんな気づきがあるかな。皆様にもよい1年でありますように。

門松


wassho at 22:55|PermalinkComments(0) 生活、日常