2022年02月
2022年02月27日
駒沢公園のウメは5分咲き
1月16日から始めた週に3回、合計3万歩以上の散歩は、今のところクジけることなく続いている。ただし体調・体型に特に効果は認められず(^^ゞ
本日は駒沢公園を含むコースで散歩してきた。東京は最高気温18.5度。また昨日も14.7度あった。この2日間のポカポカ陽気で、例年より開花が遅れているウメがどの程度まで咲いたかを確かめるのも目的のひとつ。
西口から入る。
駒沢公園は大小合わせてたくさんの出入り口があるが、ここが正門ぽい雰囲気。
入ってすぐのところ。
左側に白く見えているのは建物は駒澤大学の校舎。
進んでいくとジョギングとサイクリングのための周回路に当たる。
写真左に白やピンクが見えているのがウメの植えられている場所。
公園案内図。
駒沢公園は多くの樹木に覆われていて、その中にはウメやサクラもある。しかし植物や花を楽しむための公園ではないので、どちらもけっこうショボイ。だから本日は観梅ではなく、あくまで散歩の一環。
これがウメゾーンのほぼ全景。
レジャーシートを広げてお花見をしている人もチラホラいた。
ピンクの垂れ(しだれ)。
白梅。
淡いピンク。
これはキレイだった。
濃いピンクは高い位置で咲いていたので、
iPhoneのカメラでは花の姿を捉えられず。
公園の中に鉄塔があって、その高圧電線がちょうどウメゾーンを横切っている。
それで電線が写りがちなのだが、
電線が写らないように木の周りを回っていたら、意外と面白い構図で撮れた。いつも適当に撮っているけれど、これからは被写体を360度から観察することを心掛けよう。
ウメゾーンの中の様子。
ウメは上品な姿の花であるが、
垂直にグングン伸びていく力強さもいいんだよなあ。
ウメゾーンの外側から。
植えられているのは20本ほど。まだほとんど咲いていないものもあって、この日トータルの開花率は50%ほど。もう少し咲いているかと思っていたが、たった2日間暖かくなっただけでは、この冬の冷えから抜け出せていないみたいだ。
いつも使っているデジカメと違ってiPhoneだとマクロ(接写)機能が使える。
ただし高い位置で咲くウメに腕を伸ばしてスマホを近づけるので、身体がプルプルするし、風で花も揺れるのでピントがあるのは10枚に1枚あればいいほう。本当はもっと接写したかった。これじゃトリミングと大差ない(/o\)
ウメゾーンから少し奥に進むと両サイドにサクラが植えられた場所がある。
でもたったこれだけ。先に書いたようにやっぱりショボイでしょ。それでもお花見シーズンはここに人が溢れかえる。とても広い公園で場所はいくらでもあるのだから、もうちょっと増やして欲しいもの。
明日、明後日も15度以上の気温になりそうだから、
いよいよ次の週末はウメや河津桜が満開になるかな。
本日は駒沢公園を含むコースで散歩してきた。東京は最高気温18.5度。また昨日も14.7度あった。この2日間のポカポカ陽気で、例年より開花が遅れているウメがどの程度まで咲いたかを確かめるのも目的のひとつ。
西口から入る。
駒沢公園は大小合わせてたくさんの出入り口があるが、ここが正門ぽい雰囲気。
入ってすぐのところ。
左側に白く見えているのは建物は駒澤大学の校舎。
進んでいくとジョギングとサイクリングのための周回路に当たる。
写真左に白やピンクが見えているのがウメの植えられている場所。
公園案内図。
駒沢公園は多くの樹木に覆われていて、その中にはウメやサクラもある。しかし植物や花を楽しむための公園ではないので、どちらもけっこうショボイ。だから本日は観梅ではなく、あくまで散歩の一環。
これがウメゾーンのほぼ全景。
レジャーシートを広げてお花見をしている人もチラホラいた。
ピンクの垂れ(しだれ)。
白梅。
淡いピンク。
これはキレイだった。
濃いピンクは高い位置で咲いていたので、
iPhoneのカメラでは花の姿を捉えられず。
公園の中に鉄塔があって、その高圧電線がちょうどウメゾーンを横切っている。
それで電線が写りがちなのだが、
電線が写らないように木の周りを回っていたら、意外と面白い構図で撮れた。いつも適当に撮っているけれど、これからは被写体を360度から観察することを心掛けよう。
ウメゾーンの中の様子。
ウメは上品な姿の花であるが、
垂直にグングン伸びていく力強さもいいんだよなあ。
ウメゾーンの外側から。
植えられているのは20本ほど。まだほとんど咲いていないものもあって、この日トータルの開花率は50%ほど。もう少し咲いているかと思っていたが、たった2日間暖かくなっただけでは、この冬の冷えから抜け出せていないみたいだ。
いつも使っているデジカメと違ってiPhoneだとマクロ(接写)機能が使える。
ただし高い位置で咲くウメに腕を伸ばしてスマホを近づけるので、身体がプルプルするし、風で花も揺れるのでピントがあるのは10枚に1枚あればいいほう。本当はもっと接写したかった。これじゃトリミングと大差ない(/o\)
ウメゾーンから少し奥に進むと両サイドにサクラが植えられた場所がある。
でもたったこれだけ。先に書いたようにやっぱりショボイでしょ。それでもお花見シーズンはここに人が溢れかえる。とても広い公園で場所はいくらでもあるのだから、もうちょっと増やして欲しいもの。
明日、明後日も15度以上の気温になりそうだから、
いよいよ次の週末はウメや河津桜が満開になるかな。
2022年02月26日
目黒区美術館のおかしな対応
先日、目黒区立の美術館で写真展を見てきた。
その写真展についてはまた改めて書くとしてーーー
どんな展覧会でも最初の展示室の入口で出品リストが配られる。目黒区美術館では片隅にあるテーブルの上に、展覧会のパンフレットやその他諸々が一緒に置かれていた。それらを手に取って作品に向かう。
出品リストには作家名、作品タイトル、制作年、サイズ、技法・材質(油絵とか、キャンバスに描かれているとか)、所蔵者などの基本情報が記載されている。私の場合は鑑賞中に出品リストを見ることはほとんどないものの、後で展覧会を振り返るときに役立っている。
さて入口でパンフレットなどは手にしたけれど、しばらくして出品リストが含まれていないことに気がついた。取り忘れたかとテーブルのところに戻ると、やはり出品リストはない。一般的に出品リストはパンフレットなどと一緒ではなく、単独で置かれていることが多い。そこで別のところに置いてあるのかと思い、辺りを見回したがそれらしきものは見当たらなかった。
入口に会場監視の係員が座ってたので、出品リストどこにあるのかと尋ねてみた。すると彼は「あのう、QRコードからーーー」というようなことを口ごもった。
確かにパンフレットなどと一緒にQRコードのカードが配られていた。そのQRコードを使ってネットにアクセスすれば、出品リストが表示されるのかなと思っていると、その係員は意外なことを言った。
「どうしても出品リストが欲しいですか?」
はあ? 別にどうしても欲しいとは答えなかったが、彼は座っている椅子の下からカゴを引き出した。そこには出品リストが分厚い束になって入れられていた。
あるんかい!
係員は「できるだけ紙のリストは渡さないように〜」というようなことを、また口ごもりながら言っていた。かなり年配の男性。どうぞとも言われずに差し出された出品リストを受け取り作品のほうに戻った。
その時は、そのやりとりをあまり気に掛けていなかった。
でも帰りに彼が言っていたQRコードのカードを持ち帰った。
それがこのカード。
これって単に目黒区が提供しているフリーWi-Fiに接続するためのQRコードじゃないか。
つまり、これを使って出品リストを見るには、
フリーWi-Fiに接続して、
目黒区美術館を検索して、
そのホームページにアクセスし、
さらにトップページから開催中の展覧会ページに移り、
そのページから出品リストのPDFを読み込む
と5段階もの手順を踏まなければならない。
またフリーWi-Fi接続にメアド記入などの手続きも必要。
しかも、出品リストのPDFはパソコン閲覧用サイズで制作されており、スマホで読むにはまったく不向きである。もしスマホでこのブログを読んでいるなら、下記のリンクから確認してみて欲しい。
https://mmat.jp/static/file/exhibition/2021/List%20of%20Exhibited%20Works_20210218.pdf
これだけでも来館者の利便性をまったく考慮していない、無能な職員が作り上げたシステムだと分かる。しかし、さらに大事なのはこういう仕組みで出品リストを提供していることを館内で告知していないこと(少なくともわかりやすい場所にわかりやすい掲示はなかった)。これは美術館の運営として重大なミスである。
ついでに書けば、紙の出品リストを減らして経費削減や環境保護とは聞こえがいいが、館内には誰も手に取っていない様々な(そこそこ高級紙を使った)パンフレットがそこらかしこに置かれている。さらにペラペラの紙2枚の出品リストが占める経費なんて、観覧料比率でたかが知れている。まったくもって「SDGsを心掛けて仕事をやっている感」を出しているに過ぎない。それよりも展示会場面積と較べて、よその美術館より多い係員を減らしたほうが、費用対効果は圧倒的に高いはず。
もしまた目黒区美術館を訪れることがあって、
紙の出品リストが配布されておらず、
スマホでアクセスすることへの告知もなく、
さらにスマホに最適化されていないページで、
また「どうしても出品リストが欲しいですか?」などと抜かしやがったら、
次回は目黒区民として、きっちり詰めてやる(怒)
その写真展についてはまた改めて書くとしてーーー
どんな展覧会でも最初の展示室の入口で出品リストが配られる。目黒区美術館では片隅にあるテーブルの上に、展覧会のパンフレットやその他諸々が一緒に置かれていた。それらを手に取って作品に向かう。
出品リストには作家名、作品タイトル、制作年、サイズ、技法・材質(油絵とか、キャンバスに描かれているとか)、所蔵者などの基本情報が記載されている。私の場合は鑑賞中に出品リストを見ることはほとんどないものの、後で展覧会を振り返るときに役立っている。
さて入口でパンフレットなどは手にしたけれど、しばらくして出品リストが含まれていないことに気がついた。取り忘れたかとテーブルのところに戻ると、やはり出品リストはない。一般的に出品リストはパンフレットなどと一緒ではなく、単独で置かれていることが多い。そこで別のところに置いてあるのかと思い、辺りを見回したがそれらしきものは見当たらなかった。
入口に会場監視の係員が座ってたので、出品リストどこにあるのかと尋ねてみた。すると彼は「あのう、QRコードからーーー」というようなことを口ごもった。
確かにパンフレットなどと一緒にQRコードのカードが配られていた。そのQRコードを使ってネットにアクセスすれば、出品リストが表示されるのかなと思っていると、その係員は意外なことを言った。
「どうしても出品リストが欲しいですか?」
はあ? 別にどうしても欲しいとは答えなかったが、彼は座っている椅子の下からカゴを引き出した。そこには出品リストが分厚い束になって入れられていた。
あるんかい!
係員は「できるだけ紙のリストは渡さないように〜」というようなことを、また口ごもりながら言っていた。かなり年配の男性。どうぞとも言われずに差し出された出品リストを受け取り作品のほうに戻った。
その時は、そのやりとりをあまり気に掛けていなかった。
でも帰りに彼が言っていたQRコードのカードを持ち帰った。
それがこのカード。
これって単に目黒区が提供しているフリーWi-Fiに接続するためのQRコードじゃないか。
つまり、これを使って出品リストを見るには、
フリーWi-Fiに接続して、
目黒区美術館を検索して、
そのホームページにアクセスし、
さらにトップページから開催中の展覧会ページに移り、
そのページから出品リストのPDFを読み込む
と5段階もの手順を踏まなければならない。
またフリーWi-Fi接続にメアド記入などの手続きも必要。
しかも、出品リストのPDFはパソコン閲覧用サイズで制作されており、スマホで読むにはまったく不向きである。もしスマホでこのブログを読んでいるなら、下記のリンクから確認してみて欲しい。
https://mmat.jp/static/file/exhibition/2021/List%20of%20Exhibited%20Works_20210218.pdf
これだけでも来館者の利便性をまったく考慮していない、無能な職員が作り上げたシステムだと分かる。しかし、さらに大事なのはこういう仕組みで出品リストを提供していることを館内で告知していないこと(少なくともわかりやすい場所にわかりやすい掲示はなかった)。これは美術館の運営として重大なミスである。
ついでに書けば、紙の出品リストを減らして経費削減や環境保護とは聞こえがいいが、館内には誰も手に取っていない様々な(そこそこ高級紙を使った)パンフレットがそこらかしこに置かれている。さらにペラペラの紙2枚の出品リストが占める経費なんて、観覧料比率でたかが知れている。まったくもって「SDGsを心掛けて仕事をやっている感」を出しているに過ぎない。それよりも展示会場面積と較べて、よその美術館より多い係員を減らしたほうが、費用対効果は圧倒的に高いはず。
もしまた目黒区美術館を訪れることがあって、
紙の出品リストが配布されておらず、
スマホでアクセスすることへの告知もなく、
さらにスマホに最適化されていないページで、
また「どうしても出品リストが欲しいですか?」などと抜かしやがったら、
次回は目黒区民として、きっちり詰めてやる(怒)
2022年02月24日
林試の森へ河津桜の偵察
ウメと河津桜はだいたい同じ時期に咲く。昨年、最初の観梅に出かけたのは羽根木公園で2月20日。早咲きのウメが満開あるいは散り始め、中咲きはほぼ満開という状況だった。林試の森公園の河津桜は2月14日に偵察したときは3分咲き、そして22日に満開を楽しんだ。
しかし今年の冬は寒いので、10日から半月ほど開花の進行が遅れている模様。ちなみに東京の本日2月24日の最高気温は10.1度。一方で昨年の2月14日は18.2度、20日も18.1度のポカポカ陽気だったと当時のブログに記録している。
ただし週間予報によれば、この週末からは少し気温が上がってきそうだ。
というわけで本日は自宅近所の林試の森公園で、
河津桜のツボミがどの程度膨らんでいるかを偵察してきた。
白樺を思い出しながら、冬の白いプラタナスを見上げ、
いつもの橋を渡り、
このブログで毎度お馴染みの池を横目で眺めて、
河津桜の植えられている広場へ。
1月15日に見たときと較べて、ツボミはずいぶんと大きく色も濃くなってきているが、開花状況としてはまだ1/50咲きといったところ。
もう少し気温が上がれば、いつでも咲いてやるゼと気合い充分なツボミ。
全体的にはそういう状況なんだけれど、
何と1本だけ、いくつかの枝が満開に近い状態になっているものがあった。
このレベルの河津桜を見られるとは偵察に来た甲斐があったというもの\(^o^)/
河津桜の隣で、
きれいに咲いていたのはツバキ or サザンカ?
両者はよく似ている。しかし花が散るときツバキは花ごとポトンと落下して、逆にサザンカは花びらがバラバラになるから、落ちている花を見れば判別できる。でも今回は見るのを忘れた(>_<) 花の形が少し平べったいから、これはサザンカのような気もするが。
この変わった姿の竹はタイミンチクという名前。
河津桜の広場のそばに生えていた。ここには何度も来ているのに、なぜか今までに見た記憶がない。ボーッと生きているなあと反省(^^ゞ タイミンチクは沖縄などの南西諸島が原産で、花が咲くのは100年に1度らしい。
さて来週になったら観梅シーズン到来かな。
しかし天気予報では雲が多そうなのが気がかり。
しかし今年の冬は寒いので、10日から半月ほど開花の進行が遅れている模様。ちなみに東京の本日2月24日の最高気温は10.1度。一方で昨年の2月14日は18.2度、20日も18.1度のポカポカ陽気だったと当時のブログに記録している。
ただし週間予報によれば、この週末からは少し気温が上がってきそうだ。
というわけで本日は自宅近所の林試の森公園で、
河津桜のツボミがどの程度膨らんでいるかを偵察してきた。
白樺を思い出しながら、冬の白いプラタナスを見上げ、
いつもの橋を渡り、
このブログで毎度お馴染みの池を横目で眺めて、
河津桜の植えられている広場へ。
1月15日に見たときと較べて、ツボミはずいぶんと大きく色も濃くなってきているが、開花状況としてはまだ1/50咲きといったところ。
もう少し気温が上がれば、いつでも咲いてやるゼと気合い充分なツボミ。
全体的にはそういう状況なんだけれど、
何と1本だけ、いくつかの枝が満開に近い状態になっているものがあった。
このレベルの河津桜を見られるとは偵察に来た甲斐があったというもの\(^o^)/
河津桜の隣で、
きれいに咲いていたのはツバキ or サザンカ?
両者はよく似ている。しかし花が散るときツバキは花ごとポトンと落下して、逆にサザンカは花びらがバラバラになるから、落ちている花を見れば判別できる。でも今回は見るのを忘れた(>_<) 花の形が少し平べったいから、これはサザンカのような気もするが。
この変わった姿の竹はタイミンチクという名前。
河津桜の広場のそばに生えていた。ここには何度も来ているのに、なぜか今までに見た記憶がない。ボーッと生きているなあと反省(^^ゞ タイミンチクは沖縄などの南西諸島が原産で、花が咲くのは100年に1度らしい。
さて来週になったら観梅シーズン到来かな。
しかし天気予報では雲が多そうなのが気がかり。
2022年02月23日
フレンチプレスならティーポットカバーを使おう
先日、ちょっと小洒落たカフェに入った。私はコーヒー党であるが、お店はどうも紅茶の品揃えが自慢のようだったので、そちらを頼んだ。紅茶はティーポットで運ばれてきて、そのティーポットにはティーポットカバーが被せられていた。それで閃いたのがーーー
自宅で淹れるコーヒーはフレンチプレスと、マキネッタで作ったエスプレッソをお湯で割るカフェアメリカーノであることは以前にも書いた。フレンチプレスは専用の器具を使っていたが、ある時、フレンチプレスの「プレス」は味には関係ないから、別に急須でも同じだということに気づき、その専用器具のパッキンがヘタってからは、こんなティーポットを使っている。
「熱いコーヒー」という表現がよく使われるせいか勘違いしている人も多いが、コーヒーを淹れるには沸き立ての100度ではなく、少しお湯の温度が下がってから入れたほうがおいしい。もっとも温度はどんな味で淹れたいかという好みとも関わり、また器具によっても変わってくる。温度の話は長くなるので割愛。
さて、
フレンチプレス(私はティーポットだけれど)はお湯を注いでから抽出に3分半から4分ほど掛かる。その間にちょっと冷めてしまうのが難点。かなり低めの温度のお湯にしたときはなおさら。
もうおわかりのように、
ティーポットカバーを使えば、それが改善されるのではというのがカフェでの閃き。
次の日、コーヒーが抽出されるまでティーポットをタオルでグルグル巻きにしてみる。いつもと較べて明確にコーヒーの温度が高い。その効果を確認して、ネットでティーポットカバーを調べてみた。ティーコージーともいうみたい。cozy とは「居心地がよい」で「保温カバー」という意味もある。どうやらティーポットカバーは和製英語のようだ。
基本はティーポットにすっぽりと被せる形。
カバーをつけたまま注げるようになっているものもある。
編み物でできたものも多い。
この編み物タイプを見たときに2度目の閃きが。
別にティーポットカバーを買わなくても、ニット帽でいいんじゃない?
もう使っていないニット帽もあるし。
それでとりあえず被せてみようと思ったものの、人間の頭とティーポットじゃずいぶんと大きさが違う。つまりニット帽じゃ大きすぎる。
そこで3度目の閃き。
100円ショップで子供用のニット帽を買ってきた!
ただし100円ではなく200円したけど。
大きさはジャストフィット。Amazonや楽天で見たティーポットカバーは3000〜4000円くらいだったから、ずいぶん得をした気分。それにコーヒーをこぼしたりして汚れても200円なら気にせず買い換えられる。もちろん保温効果には満足している。
というわけでフレンチプレスでコーヒーを淹れているなら、ティーポットカバーは絶対のお勧め。多くのフレンチプレスの器具はガラス製で、陶器でできたティーポットより冷めやすいからさらに効果的なはず。
ついでに4度目の閃き。
コーヒーが抽出されるまでの間、ティーポットは台所の流し台に置いている。ウチの台所はステンレス製。ステンレスは鉄などと較べて熱伝導率は低いが、それでも金属だから熱を奪いやすい。そこで台所にあったコルク製の「鍋敷き」の上に載せるようにした。ニット帽ほど劇的ではないにしても、多少はさらなる保温力向上に貢献してくれている。
自宅で淹れるコーヒーはフレンチプレスと、マキネッタで作ったエスプレッソをお湯で割るカフェアメリカーノであることは以前にも書いた。フレンチプレスは専用の器具を使っていたが、ある時、フレンチプレスの「プレス」は味には関係ないから、別に急須でも同じだということに気づき、その専用器具のパッキンがヘタってからは、こんなティーポットを使っている。
「熱いコーヒー」という表現がよく使われるせいか勘違いしている人も多いが、コーヒーを淹れるには沸き立ての100度ではなく、少しお湯の温度が下がってから入れたほうがおいしい。もっとも温度はどんな味で淹れたいかという好みとも関わり、また器具によっても変わってくる。温度の話は長くなるので割愛。
さて、
フレンチプレス(私はティーポットだけれど)はお湯を注いでから抽出に3分半から4分ほど掛かる。その間にちょっと冷めてしまうのが難点。かなり低めの温度のお湯にしたときはなおさら。
もうおわかりのように、
ティーポットカバーを使えば、それが改善されるのではというのがカフェでの閃き。
次の日、コーヒーが抽出されるまでティーポットをタオルでグルグル巻きにしてみる。いつもと較べて明確にコーヒーの温度が高い。その効果を確認して、ネットでティーポットカバーを調べてみた。ティーコージーともいうみたい。cozy とは「居心地がよい」で「保温カバー」という意味もある。どうやらティーポットカバーは和製英語のようだ。
基本はティーポットにすっぽりと被せる形。
カバーをつけたまま注げるようになっているものもある。
編み物でできたものも多い。
この編み物タイプを見たときに2度目の閃きが。
別にティーポットカバーを買わなくても、ニット帽でいいんじゃない?
もう使っていないニット帽もあるし。
それでとりあえず被せてみようと思ったものの、人間の頭とティーポットじゃずいぶんと大きさが違う。つまりニット帽じゃ大きすぎる。
そこで3度目の閃き。
100円ショップで子供用のニット帽を買ってきた!
ただし100円ではなく200円したけど。
大きさはジャストフィット。Amazonや楽天で見たティーポットカバーは3000〜4000円くらいだったから、ずいぶん得をした気分。それにコーヒーをこぼしたりして汚れても200円なら気にせず買い換えられる。もちろん保温効果には満足している。
というわけでフレンチプレスでコーヒーを淹れているなら、ティーポットカバーは絶対のお勧め。多くのフレンチプレスの器具はガラス製で、陶器でできたティーポットより冷めやすいからさらに効果的なはず。
ついでに4度目の閃き。
コーヒーが抽出されるまでの間、ティーポットは台所の流し台に置いている。ウチの台所はステンレス製。ステンレスは鉄などと較べて熱伝導率は低いが、それでも金属だから熱を奪いやすい。そこで台所にあったコルク製の「鍋敷き」の上に載せるようにした。ニット帽ほど劇的ではないにしても、多少はさらなる保温力向上に貢献してくれている。
2022年02月20日
平安美人と西洋絵画を見較べて
たまに美術館に行くのが趣味のひとつである。
できるだけいろいろなジャンルや年代のものを見るようにしている。
それでふと気づいたことが。
この絵は平安時代の女性を描いたもの。上が源氏物語絵巻で平安時代の末期に制作されたとされる。下は紫式部がモデル。江戸時代初期の作品だけれど平安時代風に描かれている。
(今回は顔がテーマだから、顔中心にトリミングしてある)
どちらも目が細くて下ぶくれのいわゆる平安美人。子供の頃に教科書で始めて源氏物語絵巻を見たとき「ワッ! どうしてこんなブスをモデルにした?」と思った。もちろん当時はこれが美人の条件だったからである。(写実的に描いたわけではない)
次は江戸時代の浮世絵で美人画といわれるもの。上が喜多川歌麿で下が葛飾北斎。浮世絵で描かれる女性はほぼ例外なくこのパターンの顔をしている。
顔はすっきりしたものの、目はあり得ないくらいに細くて吊り目になり、口はうどんが1本しか通りそうにない。それでもこういうのが江戸時代の美人だったらしい。
もっとも平安美人も江戸美人も、絵の中では美人と感じても、現実にこんな顔の人と遭遇したら叫びながら全力で逃げるはず。あるいは気絶するかも(^^ゞ
ずっと時代は下って、戦後に始まった少女漫画では平安や江戸の美人と正反対に、お目々パッチリが主流となる。誰が最初にこういう顔を描いたのかは調べられなかった。しかし手塚治虫のリボンの騎士は1953年から始まっているから、戦後の早い時期にはこうなっていたと思われる。
そしてこれは現在のアニメである鬼滅の刃の禰豆子(ねずこ)。
戦後から始まった目が大きいトレンドは継続中。
これだって平安美人も江戸美人と同じように、この目の大きさが実際の顔としてあり得ないのは、プリクラやインスタで目の拡大加工をした写真の不自然さを見ればよく分かる。これでも禰豆子の目と較べれば半分以下しかない。
なお女性の顔の例ばかりを挙げてきたが、平安時代も江戸時代も現在も、それぞれの時代の美意識に沿って、男性の顔も女性と同じ文法で描かれている。
ここまで見てきたように日本では、時代ごとにかなり顔をデフォルメして描いてきた歴史がある。ところが西洋美術に目を向けるとーーー
紀元前ギリシャ時代のミロのビーナス。
極めて写実的。
ルネサンスは15〜16世紀。
ボッティチェリやラファエロだって顔はデフォルメしていない。
フェルメールはバロック期だから江戸時代前半の画家。
これはマネ。印象派が活躍したのは明治維新前後。
ピカソは思いっきりデフォルメしているけれど、
これは今回と趣旨が違う。
つまり西洋絵画では、いつの時代でも顔がデフォルメして描かれたことはない。
だから
どうして日本は顔を絵の中で、現実離れしたデフォルメをしたのか
その美人の基準が時代によって、なぜ、どのように変化したのか
というのが近頃ぼんやりと考えているテーマ。
もちろん西洋絵画全般に精通しているわけでもなく、また版画や漫画と較べて論じるのに無理があるのは承知の上。なお海外アニメも目が大きいものの、これは日本アニメの影響のような気がする。ポパイやオリーブの時代に目は大きくなかったから。
こういうどうでもいいことを考えるのが大好き(^^ゞ
できるだけいろいろなジャンルや年代のものを見るようにしている。
それでふと気づいたことが。
この絵は平安時代の女性を描いたもの。上が源氏物語絵巻で平安時代の末期に制作されたとされる。下は紫式部がモデル。江戸時代初期の作品だけれど平安時代風に描かれている。
(今回は顔がテーマだから、顔中心にトリミングしてある)
どちらも目が細くて下ぶくれのいわゆる平安美人。子供の頃に教科書で始めて源氏物語絵巻を見たとき「ワッ! どうしてこんなブスをモデルにした?」と思った。もちろん当時はこれが美人の条件だったからである。(写実的に描いたわけではない)
次は江戸時代の浮世絵で美人画といわれるもの。上が喜多川歌麿で下が葛飾北斎。浮世絵で描かれる女性はほぼ例外なくこのパターンの顔をしている。
顔はすっきりしたものの、目はあり得ないくらいに細くて吊り目になり、口はうどんが1本しか通りそうにない。それでもこういうのが江戸時代の美人だったらしい。
もっとも平安美人も江戸美人も、絵の中では美人と感じても、現実にこんな顔の人と遭遇したら叫びながら全力で逃げるはず。あるいは気絶するかも(^^ゞ
ずっと時代は下って、戦後に始まった少女漫画では平安や江戸の美人と正反対に、お目々パッチリが主流となる。誰が最初にこういう顔を描いたのかは調べられなかった。しかし手塚治虫のリボンの騎士は1953年から始まっているから、戦後の早い時期にはこうなっていたと思われる。
そしてこれは現在のアニメである鬼滅の刃の禰豆子(ねずこ)。
戦後から始まった目が大きいトレンドは継続中。
これだって平安美人も江戸美人と同じように、この目の大きさが実際の顔としてあり得ないのは、プリクラやインスタで目の拡大加工をした写真の不自然さを見ればよく分かる。これでも禰豆子の目と較べれば半分以下しかない。
なお女性の顔の例ばかりを挙げてきたが、平安時代も江戸時代も現在も、それぞれの時代の美意識に沿って、男性の顔も女性と同じ文法で描かれている。
ここまで見てきたように日本では、時代ごとにかなり顔をデフォルメして描いてきた歴史がある。ところが西洋美術に目を向けるとーーー
紀元前ギリシャ時代のミロのビーナス。
極めて写実的。
ルネサンスは15〜16世紀。
ボッティチェリやラファエロだって顔はデフォルメしていない。
フェルメールはバロック期だから江戸時代前半の画家。
これはマネ。印象派が活躍したのは明治維新前後。
ピカソは思いっきりデフォルメしているけれど、
これは今回と趣旨が違う。
つまり西洋絵画では、いつの時代でも顔がデフォルメして描かれたことはない。
だから
どうして日本は顔を絵の中で、現実離れしたデフォルメをしたのか
その美人の基準が時代によって、なぜ、どのように変化したのか
というのが近頃ぼんやりと考えているテーマ。
もちろん西洋絵画全般に精通しているわけでもなく、また版画や漫画と較べて論じるのに無理があるのは承知の上。なお海外アニメも目が大きいものの、これは日本アニメの影響のような気がする。ポパイやオリーブの時代に目は大きくなかったから。
こういうどうでもいいことを考えるのが大好き(^^ゞ
2022年02月16日
駅のエスカレーターにお願い
エスカレーターに止まって乗るときは左側に立ち、エスカレーターを歩く人は右側を通るのが東京ではマナーというか暗黙の了解となっている。反対に大阪では右側に立つ。それは何となく経験的に知っていて、その左右の違いは東日本と西日本で分かれているものだと思っていた。
しかし下記に図を引用した記事によると、同じ関西でも京都や滋賀は左側に立つようで、47ある都道府県で右側に立つのは9つと少数派なのは意外。ちなみに海外では右側に立つところが多いようである。どうして地域によって右と左に分かれているかについては、諸説があるもののはっきりしたことは分かっていない。
図は https://youpouch.com/2016/09/30/386851/から引用
さて東京での話なので、
エスカレータでは左側に立ち、歩くなら右側を通るという前提で話を進めるが、
駅でたまに経験するのはこういう状況。
電車を降りてエスカレーターの方向に進む。
立ったまま乗れる左側はエスカレーターの手前から混雑して長い行列になっており、
逆に歩ける・歩かなければいけない右側は空いている。
それで時間を掛けて左側を進み、ようやくエスカレーターの下に来てみると
メッチャ短いエスカレーター
これくらいだったら、右側を歩いて上がってもよかった
左側に並んで損した!
そういう経験ないかな?
これを解決するのは簡単なはず。
エスカレーターの手前に「このエスカレーターは階段〇〇段分です」と表示しておけばよい。それを見て、そのくらいなら空いている右側を歩こうと思う人はいるだろうから混雑の緩和にも貢献するはず。
東京の駅はどんどん地下に深くなって長いエスカレーターも多いから、
どうしても安全策を取って左側を選んでしまう。
鉄道会社の皆さん、ご検討を。
なお転倒の危険性を考え、エスカレーター設置者としては「歩いて欲しくない」という立場なのは知っているけれど、そこは現実に即した対応を期待したい。
しかし下記に図を引用した記事によると、同じ関西でも京都や滋賀は左側に立つようで、47ある都道府県で右側に立つのは9つと少数派なのは意外。ちなみに海外では右側に立つところが多いようである。どうして地域によって右と左に分かれているかについては、諸説があるもののはっきりしたことは分かっていない。
図は https://youpouch.com/2016/09/30/386851/から引用
さて東京での話なので、
エスカレータでは左側に立ち、歩くなら右側を通るという前提で話を進めるが、
駅でたまに経験するのはこういう状況。
電車を降りてエスカレーターの方向に進む。
立ったまま乗れる左側はエスカレーターの手前から混雑して長い行列になっており、
逆に歩ける・歩かなければいけない右側は空いている。
それで時間を掛けて左側を進み、ようやくエスカレーターの下に来てみると
メッチャ短いエスカレーター
これくらいだったら、右側を歩いて上がってもよかった
左側に並んで損した!
そういう経験ないかな?
これを解決するのは簡単なはず。
エスカレーターの手前に「このエスカレーターは階段〇〇段分です」と表示しておけばよい。それを見て、そのくらいなら空いている右側を歩こうと思う人はいるだろうから混雑の緩和にも貢献するはず。
東京の駅はどんどん地下に深くなって長いエスカレーターも多いから、
どうしても安全策を取って左側を選んでしまう。
鉄道会社の皆さん、ご検討を。
なお転倒の危険性を考え、エスカレーター設置者としては「歩いて欲しくない」という立場なのは知っているけれど、そこは現実に即した対応を期待したい。
2022年02月13日
水戸部七絵展 I am not an object project N 85
先月にミケル・バルセロ展を見に行った東京オペラシティのアートギャラリーで、同時開催されていたのが水戸部七絵(みとべ ななえ)の展覧会。「project N」とは公式ページから引用すると、
同館コレクションの中心作家である難波田龍起(1905〜97)の遺志を受け継ぎ、
若手作家の育成・支援を目的として、4階コリドールで開催している展覧会シリーズ
とのこと。Nはnewで85は第85回という意味だろう。年に4回ほど開催しているらしい。ちなみにコリドールとは廊下や通路を指す英語で建築業界用語でもある。
ミケル・バルセロ展について書いた際、この展覧会の特徴として
鑑賞順路が定められていない〜出品リストの番号に沿って展示しているわけでも
ないので、お好きな場所からどうぞと言われた〜順路がないことは徹底していて〜
ミケル・バルセロ展との区別はなく、通路を曲がったらいきなり水戸部七絵展の
コーナーになっていてビックリした
と書いた。なぜビックリまでしたのかは彼女の作品を見ればわかる。
通路を曲がったところにあった表示は小さなパネルだけ。
どうやらこの I am not an object というのが展覧会のタイトルのようだ。
直訳すれば「私はモノではない」になる。他に慣用表現的な意味があるのかな。
作品の下の壁にもあれこれと文章が手書きで書いてある。ここだけじゃなくて会場のそこらかしこに。作品そのものが文章込みで制作されたとは思えないから、会場に備え付けるときに即興で書いたのだろうか。
そしてこの I am not an object を通り過ぎた後に展開するのは、
水戸部七絵のワンダーランド!
(パソコンで読んでいるのなら、是非クリックして画像の拡大を)
ミケル・バルセロの展示が続くと思っていて、いきなり他の画家の作品が表れただけでも意表を突かれるが、それがこんな世界だったのだから、そりゃ驚くでしょ。口には出さなかったが、心の中で「ナンジャこれは〜!」と叫んだ。もちろん好意的な意味で。
彼女が水戸部七絵。
ごく普通の女性に見えて、このパワフルすぎる画風とどうにもイメージが結びつかない。
配布されていたリーフレットを読むと、1988年生まれだから今年34歳。2011年に名古屋造形大学を卒業し、2016年から始めた美術専門学の講師を続けながら、2021年に東京芸大大学院に入り現在も在籍中とのこと。また彼女は小学生の頃にゴッホの「ひまわり」を見て画家になる決意をしたそうだ。そんなふうに思った子供はたくさんいるだろうが、実現できるのは、その中の1%の1%の1%以下かな。
さらにリーフレットには
ゴミ屋敷のようなアトリエの様子が川本史織の写真集『堕落部屋』(2012)や
テレビのバラエティ番組で紹介されるという“黒歴史”が彼女にはある。
などとも書いてあった。
どうもこんなアトリエだった模様。
ちょっとゲンメツ(^^ゞ
もっとも現在は広いアトリエを確保して、それなりに整頓されているみたい。
また同じくリーフレットには、
つい最近はG-SHOCKのプロモーションビデオに出演したり、
菅田将暉のCDのジャケットに作品を提供している。
ともある。
これが菅田将暉のCDジャケット。
CDジャケットなのに、タイトルもアーティスト名も何も書かれていないのは珍しい。水戸部七絵の作品をまるごと起用。ただし彼女はミケル・バルセロよりはるかに厚塗り盛り盛りなので、平面写真じゃ作品のイメージをつかみにくい。
G-SHOCKのプロモーションビデオはこちら。
とても楽しそうに制作しているのが印象的。
さて作品が、
厚塗り盛り盛りなことが分かるように撮った展示風景。
あまりに厚塗りしているからなのか、あるいはまだ乾ききっていない新作があるのか、コロナ対策でマスクをしているのに、この会場では油絵の具というか絵の具を溶く油の匂いが充満しているのが感じられた。マスクなしだったらちょっとキツかったかも。
ところで、この厚塗りは単に絵の具を塗り重ねているだけなのだろうか。それとも型となるなる立体を貼り付けて、その上から絵の具を塗っているのか。そういう疑問を持つくらいキャンバスから飛び出ているものもあった。また輸送のときの振動でポロッと落ちたりすることはないのかと要らぬ心配も。
こちらは制作風景。彼女が手にしているのは筆ではなく刷毛。
それって看板作るときに使うヤツやん(^^ゞ
他にも糸を貼り付けたり、
ギターやギターケースがあったり、
石膏のオブジェと一体化していたりーーーと、やりたい放題。
いや、自由自在な感性の発露といっておこう。
水戸部七絵の絵には文章や単語が描かれているものが多い。
それについての評価はビミョウである。否定的に捉えれば、絵では表現しきれずに文字に頼っているともいえるし、肯定するなら、これは絵画とは違うジャンルなのだと考えることもできる。
またその文章や単語はすべて英語。それはさらにビミョウな問題。ただし、その件を論じ始めると超絶に長くなるので割愛する。1つだけいうなら平易な英語で書かれているし、世間の平均より多少は英語ができる私だけれど、すべての文字をいちいち読む気にはならないのが正直なところ。
ついでに絵のタイトルもすべて英語である。それはそれとして、会場では作品名が表示されていなかった。それも変わっているなあと思っていたのだが、会場で撮った写真を整理していると、作品の上に手書きで落書きのように書かれているのが作品名だと発見!まさか展覧会でそんな演出方法があるとは思っても見なかった。固定観念が崩されて愉快。
(鉛筆を使ったのか色が薄くてわかりにくいが、
上の写真を拡大すればタイトルが書かれているのが分かる)
これはキーボードが貼り付けてあるからミュージシャン。そして雑誌TIMEの表紙を模しているから超有名どころのはず。それなのに誰かサッパリわからずにずっとナゾな作品。タイトルも写真に写っていないし。
さて、
おそらく美術館で彼女の絵をひとつだけ見たなら、私のモダンアート・アンチの魂が爆発していたと思う。しかしこれだけの点数が揃っていて水戸部七絵ワールド全開になると、そのファンタジーに取り囲まれどっぷりと浸ってしまう。そういえば同じようなことを草間彌生の展覧会でも感じたのを思い出す。
なお解説によるとLGBTQ(性的マイノリティ)への偏見に抗議する作品なども含まれていたらしいのだが、前述の英語のこともあって、ひたすらパワフルで楽しいといった印象。いってみれば幼稚で雑だけれど、ある意味、突き抜けているからそんなことすら気にならない。
ところで前述の通り、また写真でも分かるように会場はコリドーと呼ばれる細長い形。その両側に約60点が並ぶ。この場所で作品を眺めながらずっと私の頭から離れなかったのは、
この絵に囲まれてケンケンパとか、グリコ・チョコレート・パイナップルなどの
ジャンケン遊びをしたら最高に楽しいだろうなあ
というモーソー。
なぜだろう。よく絵から力をもらうとかいう。水戸部七絵には人を無邪気にさせるほどのパワーがあるのかも。ミケル・バルセロ展を「たとえ日本のどこに住んでいてもこの展覧会を見に来る価値はある」と書いたが、それにはこの水戸部七絵展も含まれるよ。普段は使っていない感性のツボをグリグリされてイタ気持ちいい体験だった。
同館コレクションの中心作家である難波田龍起(1905〜97)の遺志を受け継ぎ、
若手作家の育成・支援を目的として、4階コリドールで開催している展覧会シリーズ
とのこと。Nはnewで85は第85回という意味だろう。年に4回ほど開催しているらしい。ちなみにコリドールとは廊下や通路を指す英語で建築業界用語でもある。
ミケル・バルセロ展について書いた際、この展覧会の特徴として
鑑賞順路が定められていない〜出品リストの番号に沿って展示しているわけでも
ないので、お好きな場所からどうぞと言われた〜順路がないことは徹底していて〜
ミケル・バルセロ展との区別はなく、通路を曲がったらいきなり水戸部七絵展の
コーナーになっていてビックリした
と書いた。なぜビックリまでしたのかは彼女の作品を見ればわかる。
通路を曲がったところにあった表示は小さなパネルだけ。
どうやらこの I am not an object というのが展覧会のタイトルのようだ。
直訳すれば「私はモノではない」になる。他に慣用表現的な意味があるのかな。
作品の下の壁にもあれこれと文章が手書きで書いてある。ここだけじゃなくて会場のそこらかしこに。作品そのものが文章込みで制作されたとは思えないから、会場に備え付けるときに即興で書いたのだろうか。
そしてこの I am not an object を通り過ぎた後に展開するのは、
水戸部七絵のワンダーランド!
(パソコンで読んでいるのなら、是非クリックして画像の拡大を)
ミケル・バルセロの展示が続くと思っていて、いきなり他の画家の作品が表れただけでも意表を突かれるが、それがこんな世界だったのだから、そりゃ驚くでしょ。口には出さなかったが、心の中で「ナンジャこれは〜!」と叫んだ。もちろん好意的な意味で。
彼女が水戸部七絵。
ごく普通の女性に見えて、このパワフルすぎる画風とどうにもイメージが結びつかない。
配布されていたリーフレットを読むと、1988年生まれだから今年34歳。2011年に名古屋造形大学を卒業し、2016年から始めた美術専門学の講師を続けながら、2021年に東京芸大大学院に入り現在も在籍中とのこと。また彼女は小学生の頃にゴッホの「ひまわり」を見て画家になる決意をしたそうだ。そんなふうに思った子供はたくさんいるだろうが、実現できるのは、その中の1%の1%の1%以下かな。
さらにリーフレットには
ゴミ屋敷のようなアトリエの様子が川本史織の写真集『堕落部屋』(2012)や
テレビのバラエティ番組で紹介されるという“黒歴史”が彼女にはある。
などとも書いてあった。
どうもこんなアトリエだった模様。
ちょっとゲンメツ(^^ゞ
もっとも現在は広いアトリエを確保して、それなりに整頓されているみたい。
また同じくリーフレットには、
つい最近はG-SHOCKのプロモーションビデオに出演したり、
菅田将暉のCDのジャケットに作品を提供している。
ともある。
これが菅田将暉のCDジャケット。
CDジャケットなのに、タイトルもアーティスト名も何も書かれていないのは珍しい。水戸部七絵の作品をまるごと起用。ただし彼女はミケル・バルセロよりはるかに厚塗り盛り盛りなので、平面写真じゃ作品のイメージをつかみにくい。
G-SHOCKのプロモーションビデオはこちら。
とても楽しそうに制作しているのが印象的。
さて作品が、
厚塗り盛り盛りなことが分かるように撮った展示風景。
あまりに厚塗りしているからなのか、あるいはまだ乾ききっていない新作があるのか、コロナ対策でマスクをしているのに、この会場では油絵の具というか絵の具を溶く油の匂いが充満しているのが感じられた。マスクなしだったらちょっとキツかったかも。
ところで、この厚塗りは単に絵の具を塗り重ねているだけなのだろうか。それとも型となるなる立体を貼り付けて、その上から絵の具を塗っているのか。そういう疑問を持つくらいキャンバスから飛び出ているものもあった。また輸送のときの振動でポロッと落ちたりすることはないのかと要らぬ心配も。
こちらは制作風景。彼女が手にしているのは筆ではなく刷毛。
それって看板作るときに使うヤツやん(^^ゞ
他にも糸を貼り付けたり、
ギターやギターケースがあったり、
石膏のオブジェと一体化していたりーーーと、やりたい放題。
いや、自由自在な感性の発露といっておこう。
水戸部七絵の絵には文章や単語が描かれているものが多い。
それについての評価はビミョウである。否定的に捉えれば、絵では表現しきれずに文字に頼っているともいえるし、肯定するなら、これは絵画とは違うジャンルなのだと考えることもできる。
またその文章や単語はすべて英語。それはさらにビミョウな問題。ただし、その件を論じ始めると超絶に長くなるので割愛する。1つだけいうなら平易な英語で書かれているし、世間の平均より多少は英語ができる私だけれど、すべての文字をいちいち読む気にはならないのが正直なところ。
ついでに絵のタイトルもすべて英語である。それはそれとして、会場では作品名が表示されていなかった。それも変わっているなあと思っていたのだが、会場で撮った写真を整理していると、作品の上に手書きで落書きのように書かれているのが作品名だと発見!まさか展覧会でそんな演出方法があるとは思っても見なかった。固定観念が崩されて愉快。
(鉛筆を使ったのか色が薄くてわかりにくいが、
上の写真を拡大すればタイトルが書かれているのが分かる)
これはキーボードが貼り付けてあるからミュージシャン。そして雑誌TIMEの表紙を模しているから超有名どころのはず。それなのに誰かサッパリわからずにずっとナゾな作品。タイトルも写真に写っていないし。
さて、
おそらく美術館で彼女の絵をひとつだけ見たなら、私のモダンアート・アンチの魂が爆発していたと思う。しかしこれだけの点数が揃っていて水戸部七絵ワールド全開になると、そのファンタジーに取り囲まれどっぷりと浸ってしまう。そういえば同じようなことを草間彌生の展覧会でも感じたのを思い出す。
なお解説によるとLGBTQ(性的マイノリティ)への偏見に抗議する作品なども含まれていたらしいのだが、前述の英語のこともあって、ひたすらパワフルで楽しいといった印象。いってみれば幼稚で雑だけれど、ある意味、突き抜けているからそんなことすら気にならない。
ところで前述の通り、また写真でも分かるように会場はコリドーと呼ばれる細長い形。その両側に約60点が並ぶ。この場所で作品を眺めながらずっと私の頭から離れなかったのは、
この絵に囲まれてケンケンパとか、グリコ・チョコレート・パイナップルなどの
ジャンケン遊びをしたら最高に楽しいだろうなあ
というモーソー。
なぜだろう。よく絵から力をもらうとかいう。水戸部七絵には人を無邪気にさせるほどのパワーがあるのかも。ミケル・バルセロ展を「たとえ日本のどこに住んでいてもこの展覧会を見に来る価値はある」と書いたが、それにはこの水戸部七絵展も含まれるよ。普段は使っていない感性のツボをグリグリされてイタ気持ちいい体験だった。
2022年02月10日
菅刈公園&西郷山公園
本日の東京は前日に警報級の大雪といわれていたものの、都心部では時間帯によってうっすらと地面が白くなった程度。天気予報的に表現するなら「雨ときどき湿った雨に近い雪」といったところ。いろいろと混乱が起きなかったのは幸いだが、ちょっと期待外れ(^^ゞ
さて
1月16日から始めた「週に3万歩の散歩ノルマ」はくじけることなく継続中である。昨日は某所へ出かけた後に自宅まで歩いて帰った。渋谷から代官山方面へ抜けるときに、そういえば途中に西郷山公園と菅刈(すげかり)公園があったことを思いだし立ち寄ってみた。西郷山公園はかなり以前に何度か花見をしたことがあるが、その隣にある菅刈公園は初めて訪れる。
まずは菅刈公園に到着。
明治天皇がこの公園にやって来たのではなく、彼が立ち寄ったのはここに西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち)の屋敷があったから。弟は兄が起こした西南戦争には参加せず、明治政府中枢にとどまった。
公園に入ってすぐのところにあった白梅。
この青空が2月6日に行った池上梅園でも欲しかったぜ。
黄緑色の葉をした松も青空に映える。
公園の中に門があったので入ってみると、
日本庭園になっていた。
これはまったくの想定外で超ラッキー!
西郷従道の屋敷になる前にここは大名屋敷で、その当時の庭園の遺構が残っていたので公園に整備する際に復元したとのこと。公園になる以前は国鉄の宿舎が建っていたらしい。
庭園の右側。
一番左側からの光景。
池の畔まで降りて、
カモやコイを眺める。
まったく広くはないけれど、なかなか見事な庭園だった。
今後の散歩の定番コースに加えよう。
芝生のところは閉鎖中。
その周りの通路を進んでいくと、
上り坂が現れた。
登ってみると2分咲きほどの寒桜。
よく見ると枝に緑色の小鳥がいる。
サクラの写真でメジロが写っているのをよく見るが、
どうもこれは野生化した緑色のインコのようだ。
iPhoneのカメラでズームにするとボケるので、
標準レンズで撮ったものをトリミングで拡大。
関東地方ではペットから野生化したインコが増えているとのことだが、この目で見たのは初めて。生態系には色々問題があるらしいが、ちょっとうれしい。これも散歩のおかげかな。
坂を登ったら日本庭園を上から眺められるかと期待していたのに、
途中に畑があっただけで出入り口に向かっただけだった。
菅刈公園を出て隣の西郷山公園に向かう。
このあたりは高級住宅街。
この道路部分も含めて西郷邸だったはずなのに、
どうして分断して、また一部を細分化して売却したのだろう。
西郷山公園に到着。
ここは高台の傾斜地なので、地名の通称として西郷山と昔から呼ばれていたようだ。
この公園は広場があるだけで、そこに向かうにはこの急な階段を上らなければならない。
途中で緩やかなコースに分岐しているが、
見栄を張って左側の急階段で上がる(^^ゞ
山頂に到着。まあ山じゃないけど。
つぼみが大きく膨らみ、
ちょっとだけ咲いているのは河津桜。
昨年、自宅近くの林試の森公園で満開の河津桜を見たのは2月22日。
今年は寒いから、満開は3月近くになってからかな。
こちらのまだツボミも小さなサクラは、
てっきりソメイヨシノと思いきや普賢象という品種だった。
調べてみると、やや小ぶりの八重桜。かなり古くから観賞用に栽培されていた品種で、室町時代にはとても人気があったとのこと。
広場を別方向から。
ビルが入らないように撮ってはいるが、渋谷駅から少ししか離れていないのに、それが可能な立地というか地形が貴重。
富士山が見えるようだが、この日はもやに隠れていた。
まさか渋谷の雑踏から離れてすぐに、美しい日本庭園に出会えるとは思っても見なかった。今回はたまたまだけれど、これからは小さな名所探しを散歩の励みにしよう。
さて
1月16日から始めた「週に3万歩の散歩ノルマ」はくじけることなく継続中である。昨日は某所へ出かけた後に自宅まで歩いて帰った。渋谷から代官山方面へ抜けるときに、そういえば途中に西郷山公園と菅刈(すげかり)公園があったことを思いだし立ち寄ってみた。西郷山公園はかなり以前に何度か花見をしたことがあるが、その隣にある菅刈公園は初めて訪れる。
まずは菅刈公園に到着。
明治天皇がこの公園にやって来たのではなく、彼が立ち寄ったのはここに西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち)の屋敷があったから。弟は兄が起こした西南戦争には参加せず、明治政府中枢にとどまった。
公園に入ってすぐのところにあった白梅。
この青空が2月6日に行った池上梅園でも欲しかったぜ。
黄緑色の葉をした松も青空に映える。
公園の中に門があったので入ってみると、
日本庭園になっていた。
これはまったくの想定外で超ラッキー!
西郷従道の屋敷になる前にここは大名屋敷で、その当時の庭園の遺構が残っていたので公園に整備する際に復元したとのこと。公園になる以前は国鉄の宿舎が建っていたらしい。
庭園の右側。
一番左側からの光景。
池の畔まで降りて、
カモやコイを眺める。
まったく広くはないけれど、なかなか見事な庭園だった。
今後の散歩の定番コースに加えよう。
芝生のところは閉鎖中。
その周りの通路を進んでいくと、
上り坂が現れた。
登ってみると2分咲きほどの寒桜。
よく見ると枝に緑色の小鳥がいる。
サクラの写真でメジロが写っているのをよく見るが、
どうもこれは野生化した緑色のインコのようだ。
iPhoneのカメラでズームにするとボケるので、
標準レンズで撮ったものをトリミングで拡大。
関東地方ではペットから野生化したインコが増えているとのことだが、この目で見たのは初めて。生態系には色々問題があるらしいが、ちょっとうれしい。これも散歩のおかげかな。
坂を登ったら日本庭園を上から眺められるかと期待していたのに、
途中に畑があっただけで出入り口に向かっただけだった。
菅刈公園を出て隣の西郷山公園に向かう。
このあたりは高級住宅街。
この道路部分も含めて西郷邸だったはずなのに、
どうして分断して、また一部を細分化して売却したのだろう。
西郷山公園に到着。
ここは高台の傾斜地なので、地名の通称として西郷山と昔から呼ばれていたようだ。
この公園は広場があるだけで、そこに向かうにはこの急な階段を上らなければならない。
途中で緩やかなコースに分岐しているが、
見栄を張って左側の急階段で上がる(^^ゞ
山頂に到着。まあ山じゃないけど。
つぼみが大きく膨らみ、
ちょっとだけ咲いているのは河津桜。
昨年、自宅近くの林試の森公園で満開の河津桜を見たのは2月22日。
今年は寒いから、満開は3月近くになってからかな。
こちらのまだツボミも小さなサクラは、
てっきりソメイヨシノと思いきや普賢象という品種だった。
調べてみると、やや小ぶりの八重桜。かなり古くから観賞用に栽培されていた品種で、室町時代にはとても人気があったとのこと。
広場を別方向から。
ビルが入らないように撮ってはいるが、渋谷駅から少ししか離れていないのに、それが可能な立地というか地形が貴重。
富士山が見えるようだが、この日はもやに隠れていた。
まさか渋谷の雑踏から離れてすぐに、美しい日本庭園に出会えるとは思っても見なかった。今回はたまたまだけれど、これからは小さな名所探しを散歩の励みにしよう。
2022年02月06日
ロウバイは見頃過ぎで、ウメは見頃かなり前の池上梅園
もうすぐ「気象庁がサクラの開花を宣言!」というニュースをイヤというほど耳にすることになるが、同庁がウメの開花も観測していることはあまり知られていない。これは生物季節観測と呼ばれ、かつては植物34種目、動物23種目が観測されていた。しかし2020年に
アジサイ(開花)
イチョウ(黄葉・落葉)
ウメ(開花)
カエデ(紅葉・落葉)
サクラ(開花・満開)
ススキ(開花)
の6種目9現象だけの観測へと大幅に縮小することを発表。ただし様々な学会や団体からの反対を受けて、現在調整中らしい。
気象庁の 生物季節観測のページはこちらから
それで2月1日に、たまたま「気象庁が東京でウメ開花を発表」というニュースを知った。サクラ以外で開花発表のニュースに接したのは初めてのような気がする。いつも報道されているのかな?
ちなみに東京での過去3年のウメの開花は
2020年 1月27日
2021年 1月18日
2022年 2月1日
だから、今年の冬はやはり寒い。
さて、そのニュースを見て思ったのは、もちろんウメはもう少し咲き揃ったらどこかに見に行くとして
今年はロウバイを見に行きそびれたなあ。
ロウバイは例年なら1月中旬で終わりだけれど、
今年は寒いから、ひょっとしたらまだ残っているかも?
ということ。
ロウバイを植えているところは少ない。ネットで調べて2020年にウメを見に行った大田区の池上梅園に少しあることを知る。ただ現在も咲いているかどうかの確実な情報は得られず。でもまあ近くだからいいかと。
2月4日(金)、朝一で行くつもりだったが、天候が曇りでくじける(/o\) どんな花でも青空の下で見たほうが美しいが、特にロウバイは小さな黄色の花なので青空必須なのである。
5日の土曜日は所用があって向かえず。それで本日は金曜日よりは多少はマシという程度の曇り空だったが、これ以上引き延ばすのもと思い出かけてきた。まあ結果はタイトル通りなのであるが。
昼過ぎに池上梅園に到着。
前回に来たとき、手持ち無沙汰にしていた警備員は体温測定を担当していた。
ハイ、承知の上です。
ウメの一分咲きより、この曇天に心が折れる。
まずは前庭部分でウメの樹皮を眺めながら、
少しだけ咲いているウメを探す。
前庭を抜けたところにロウバイ発見。
花が小さくてピントが合っていないのはご愛敬。
ロウバイの咲きかけから散りかけまでの3態。
コロナ対策のマスクを外して、ロウバイの甘い香りを吸い込む。見頃過ぎだし、青空背景じゃないから写真も地味である。それでも今年もロウバイをクンクンできたことを喜ぼう。
園内の案内図。
ロウバイがあったところに星印を着けた。最初の木は中央の星印。
所々に少しだけ咲いているウメを見ながら奥に進む。
案内図なら右方向。
雪吊り。
都内にある雪吊りは豪雪対策ではなく冬景色の演出。
あまり撮るものがないので下から煽ってみる(^^ゞ
2本目は「もう見ないで!」というロウバイの声が聞こえてきたので、
あまり近づかず(^^ゞ
みかんがおいしそうに実っていた。
この程度の大きさの枝を地面に挿しただけでもウメは咲くことを知る。
3本目のロウバイ。
案内図で一番右の星印。
ロウバイは5種類ほどあるらしいが、一般に見られるのは満月ロウバイと素心(そしん)ロウバイの2種類。満月ロウバイは花の中心部が赤紫色で、素心ロウバイはすべて黄色。赤紫色が混じらないから「素」。
池上梅園にあるのはすべて素心ロウバイのようだ。
園内ブラブラ。
「和室」という芸のない名前をつけられた建物前の池とコイを眺める。
座論梅という池上梅園名物のウメはまだ咲いていなかった。
2020年に来たときはもう散っていたから、未だ座論梅を拝めず。
かなり濃い紅梅のようだ。
庭園エリアを抜けて傾斜地の下に戻ってくる。
上にあがってもたくさんウメが咲いているわけじゃないが、
とりあえず登ることに。
それでも途中で咲いていたこれが本日一番の美人だった。
これは冬至という名前だからかなり早咲きの品種なんだろう。
参考までに今シーズンの冬至は昨年の12月22日。
見晴台という名前がついている展望台。
下を覗くと寒々とした光景が広がっていた(^^ゞ
斜面上部を進み、
下っていく。
ここがウメ満開になっている光景を想像しましょう。
階段の下のほうにロウバイ発見!
でもこの写真じゃ分からないでしょう。
ズームアップして。
ロウバイはあんなにいい香りがするのに、花が小さいから地面と同化してしまう地味な花なのである。(それがよく分かる過去のブログはここから)
案内図で一番左に星印をつけた、このロウバイが一番元気よく咲いていた。
しかし柵があって近づけず、よってクンクンもかなわず。残念。
最後に、この日一番賑やかに咲いていたウメの姿を。
そろそろ今年の観梅プランを立てなくちゃ。
アジサイ(開花)
イチョウ(黄葉・落葉)
ウメ(開花)
カエデ(紅葉・落葉)
サクラ(開花・満開)
ススキ(開花)
の6種目9現象だけの観測へと大幅に縮小することを発表。ただし様々な学会や団体からの反対を受けて、現在調整中らしい。
気象庁の 生物季節観測のページはこちらから
それで2月1日に、たまたま「気象庁が東京でウメ開花を発表」というニュースを知った。サクラ以外で開花発表のニュースに接したのは初めてのような気がする。いつも報道されているのかな?
ちなみに東京での過去3年のウメの開花は
2020年 1月27日
2021年 1月18日
2022年 2月1日
だから、今年の冬はやはり寒い。
さて、そのニュースを見て思ったのは、もちろんウメはもう少し咲き揃ったらどこかに見に行くとして
今年はロウバイを見に行きそびれたなあ。
ロウバイは例年なら1月中旬で終わりだけれど、
今年は寒いから、ひょっとしたらまだ残っているかも?
ということ。
ロウバイを植えているところは少ない。ネットで調べて2020年にウメを見に行った大田区の池上梅園に少しあることを知る。ただ現在も咲いているかどうかの確実な情報は得られず。でもまあ近くだからいいかと。
2月4日(金)、朝一で行くつもりだったが、天候が曇りでくじける(/o\) どんな花でも青空の下で見たほうが美しいが、特にロウバイは小さな黄色の花なので青空必須なのである。
5日の土曜日は所用があって向かえず。それで本日は金曜日よりは多少はマシという程度の曇り空だったが、これ以上引き延ばすのもと思い出かけてきた。まあ結果はタイトル通りなのであるが。
昼過ぎに池上梅園に到着。
前回に来たとき、手持ち無沙汰にしていた警備員は体温測定を担当していた。
ハイ、承知の上です。
ウメの一分咲きより、この曇天に心が折れる。
まずは前庭部分でウメの樹皮を眺めながら、
少しだけ咲いているウメを探す。
前庭を抜けたところにロウバイ発見。
花が小さくてピントが合っていないのはご愛敬。
ロウバイの咲きかけから散りかけまでの3態。
コロナ対策のマスクを外して、ロウバイの甘い香りを吸い込む。見頃過ぎだし、青空背景じゃないから写真も地味である。それでも今年もロウバイをクンクンできたことを喜ぼう。
園内の案内図。
ロウバイがあったところに星印を着けた。最初の木は中央の星印。
所々に少しだけ咲いているウメを見ながら奥に進む。
案内図なら右方向。
雪吊り。
都内にある雪吊りは豪雪対策ではなく冬景色の演出。
あまり撮るものがないので下から煽ってみる(^^ゞ
2本目は「もう見ないで!」というロウバイの声が聞こえてきたので、
あまり近づかず(^^ゞ
みかんがおいしそうに実っていた。
この程度の大きさの枝を地面に挿しただけでもウメは咲くことを知る。
3本目のロウバイ。
案内図で一番右の星印。
ロウバイは5種類ほどあるらしいが、一般に見られるのは満月ロウバイと素心(そしん)ロウバイの2種類。満月ロウバイは花の中心部が赤紫色で、素心ロウバイはすべて黄色。赤紫色が混じらないから「素」。
池上梅園にあるのはすべて素心ロウバイのようだ。
園内ブラブラ。
「和室」という芸のない名前をつけられた建物前の池とコイを眺める。
座論梅という池上梅園名物のウメはまだ咲いていなかった。
2020年に来たときはもう散っていたから、未だ座論梅を拝めず。
かなり濃い紅梅のようだ。
庭園エリアを抜けて傾斜地の下に戻ってくる。
上にあがってもたくさんウメが咲いているわけじゃないが、
とりあえず登ることに。
それでも途中で咲いていたこれが本日一番の美人だった。
これは冬至という名前だからかなり早咲きの品種なんだろう。
参考までに今シーズンの冬至は昨年の12月22日。
見晴台という名前がついている展望台。
下を覗くと寒々とした光景が広がっていた(^^ゞ
斜面上部を進み、
下っていく。
ここがウメ満開になっている光景を想像しましょう。
階段の下のほうにロウバイ発見!
でもこの写真じゃ分からないでしょう。
ズームアップして。
ロウバイはあんなにいい香りがするのに、花が小さいから地面と同化してしまう地味な花なのである。(それがよく分かる過去のブログはここから)
案内図で一番左に星印をつけた、このロウバイが一番元気よく咲いていた。
しかし柵があって近づけず、よってクンクンもかなわず。残念。
最後に、この日一番賑やかに咲いていたウメの姿を。
そろそろ今年の観梅プランを立てなくちゃ。
2022年02月05日
ミケル・バルセロ展 その4
一番最初の投稿でミケル・バルセロの略歴を公式ページから引用したとき、アフリカにもアトリエを構えていると書いた。それはマリ共和国のこと。
参考までに、
マリの場所は西アフリカ北側のここね。
関係ないけれど、マリから視線を左に動かすとダカールの文字が見える。1980年代にパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)というモータースポーツが話題を集めた。パリからアフリカのダカールまで走るラリーとは知っていたが、ダカールの場所がここだとは、あれから40年経った今になって初めて知った(^^ゞ
当時は三菱のパジェロがときどき優勝してコマーシャルなどにも使われていた。しかし最近はサッパリ聞かなくなったなと思って調べてみると、
第1回大会は1978年。
2007年の第29回大会まではヨーロッパとアフリカを舞台としたラリーだった。
そのうちパリ〜ダカール間がコースだったのは16回で、実は半分程度に過ぎない。
2008年の第30回大会は中止。
2009年の第31回大会から2019年の第41回大会までは
南米のアルゼンチン、チリ、ペルーなどに舞台を移して開催。
そして2020年からはサウジアラビアで開催されている。
もうとっくの昔にパリもダカールも関係ないが、今でもラリーの名称はダカールラリーのまま。パリダカ時代もアフリカのダカールまで行く=メッチャ遠いという冒険要素が重要なコンセプトだったから、これはもうブランドイメージとして外せないということだろう。ちなみに29回あったヨーロッパとアフリカが舞台だった大会で、ダカールがゴールだったのは22回を数える。
それにしてもパリダカが南米を走っていたなんて、
そして今はサウジアラビアだなんて、
まったく浦島太郎になった気分。
話が大幅に脱線してしまったm(_ _)m
それで次に紹介するのはアフリカっぽい作品。
ただし、
最初のこれだけはアフリカがテーマかどうかはよく分からない。
「私のために」 1994年
なんとなく教科書で見たクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画を思い出した。なぜかすごくプリミティブ(原始的)な印象を受けるし、不思議とそれが懐かしい感じなのは原始人のDNAが私に引き継がれているから? 絵の具を盛り盛りにするモダンアートのミケル・バルセロが、こんな絵を描いたというのも面白い。
アフリカっぽいのは3パターンほどある。
まずは色彩が抑えめで色のにじみも多いもの。
「歩くフラニ族」 2000年
「マリの湖畔」 20006年
そして色鮮やかなもの。
「サンガの市場ー2人のフラニ族」
「自転車のタイヤチューブを担ぐフラニ族」 2000年
日本人はこんな派手な色の服はあまり着ない。以前に海外で黒人ばかりが集まる教会に日曜日に通りかかったことがあって、人々の服装がビックリするほどカラフルだったことを覚えている(民族衣装じゃなくて普通の洋服)。彼らのルーツはアフリカだから、アフリカの人も鮮やかな色が好きなんだろう。
でも同じフラニ族なのに最初の2枚と後の2枚では色彩が違いすぎる。最初のは普段の光景、後のは休日にオシャレをしたところなのだろうか? しかしブルーの服を着た人はタイヤチューブを担いでいるしなあ。ひょっとしたら男女の違いかな。微妙にナゾ
これらは今までに紹介した作品と違って、極めてシンプルな画風でサラサラッと描いた印象。でも逆に、そこにミケル・バルセロの絵心のようなものを強く感じる。
次の2つはテーマに植物が関わっているようだ。何を表現したかったのかは不明だが、いい味は出していた。クロマニヨン人がモダンアートに目覚めたらこうなったりして。
「開花」 2019年
「種子の目覚め」 2019年
展示室風景。
アフリカ関連の作品は普通サイズ。
この展覧会では、絵の他にも彫刻や陶器の作品も展示されていた。
でも絵のインパクトと較べると、それほど揺さぶられず。
まあこういうものを見慣れていないせいもある。
廊下に置かれていた恐竜?のオブジェ。
これはブサかわいかった。
上の階から。
その作品に酔えるかどうかが、私の美術品に対する一番の評価基準だというのは、今までにも書いてきた。いわゆるモダンアートはその意味や意図は理解できても、頭でっかちで自己満足的なものが多い。だから酔えなくて好きじゃない。でもミケル・バルセロの作品には、すべてとはいわないが、抽象的なものも含めて充分に酔えた。
その理由はミケル・バルセロの才能・力量もさることながら、作品があまり難解ではなく適度なアバンギャルド度合いだからだろう。平たくいえばわかりやすいし、そこそこポップな一面もある。アーティストというのは未知のことに挑戦したがるもの。でも先に進みすぎると大衆はついていけない。彼はそのあたりの折り合いの付け方が絶妙。それも大切な才能のひとつである。考え方は様々あるだろうが、芸術はある程度以上のボリュームの人々に訴えてナンボだと思う。だから逆にコテコテの前衛好きなら、ミケル・バルセロは物足りないかも知れない。
また作品のサイズが大きいのも素晴らしい。絵は大きければ大きいほどよしとする考えを持っている。同じ映画でもスマホで見るのと大画面テレビで見るのとでは迫力が違うし、映画館サイズなら感動まで変わってくる。そして作品がバラエティに富んでいるのも重要なポイント。やはり同じような作品ばかりが並んでいてはつまらないし飽きてしまう。
まとめるなら、月並みな表現ながら大変満足した展覧会だった。どれくらい満足だったかというと、訪れたのは1月25日だったが、今年はこれ以上の展覧会がまだあるだろうかと心配になっているくらい。
それなのに絶対的な知名度のなさ(今までほとんど日本で紹介されてこなかったのだから仕方ないが)に加えて、展覧会のプロモーションにも力というか予算が掛けられておらず、会場がガラガラだったのは残念な限り。私がよく使う表現を用いればポーラ美術館なみに空いていた。箱根の中でも不便な場所にあるポーラ美術館と違って、こちらは新宿からひと駅の初台で開催されているにもかかわらずである。
ミケル・バルセロの作品はサイズが大きいし、また絵画でも半立体的に仕上げられているものが多い。だから画像ではなく生で実物を見ないと、その魅力あるいは内容の1/10も伝わってこない。この展覧会の会期は3月25日まで。まだ見ていない人は、たとえ全国のどこに住んでいてもこの展覧会を見に行きましょう。それだけの価値は絶対にあるよ。
おしまい
参考までに、
マリの場所は西アフリカ北側のここね。
関係ないけれど、マリから視線を左に動かすとダカールの文字が見える。1980年代にパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)というモータースポーツが話題を集めた。パリからアフリカのダカールまで走るラリーとは知っていたが、ダカールの場所がここだとは、あれから40年経った今になって初めて知った(^^ゞ
当時は三菱のパジェロがときどき優勝してコマーシャルなどにも使われていた。しかし最近はサッパリ聞かなくなったなと思って調べてみると、
第1回大会は1978年。
2007年の第29回大会まではヨーロッパとアフリカを舞台としたラリーだった。
そのうちパリ〜ダカール間がコースだったのは16回で、実は半分程度に過ぎない。
2008年の第30回大会は中止。
2009年の第31回大会から2019年の第41回大会までは
南米のアルゼンチン、チリ、ペルーなどに舞台を移して開催。
そして2020年からはサウジアラビアで開催されている。
もうとっくの昔にパリもダカールも関係ないが、今でもラリーの名称はダカールラリーのまま。パリダカ時代もアフリカのダカールまで行く=メッチャ遠いという冒険要素が重要なコンセプトだったから、これはもうブランドイメージとして外せないということだろう。ちなみに29回あったヨーロッパとアフリカが舞台だった大会で、ダカールがゴールだったのは22回を数える。
それにしてもパリダカが南米を走っていたなんて、
そして今はサウジアラビアだなんて、
まったく浦島太郎になった気分。
話が大幅に脱線してしまったm(_ _)m
それで次に紹介するのはアフリカっぽい作品。
ただし、
最初のこれだけはアフリカがテーマかどうかはよく分からない。
「私のために」 1994年
なんとなく教科書で見たクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画を思い出した。なぜかすごくプリミティブ(原始的)な印象を受けるし、不思議とそれが懐かしい感じなのは原始人のDNAが私に引き継がれているから? 絵の具を盛り盛りにするモダンアートのミケル・バルセロが、こんな絵を描いたというのも面白い。
アフリカっぽいのは3パターンほどある。
まずは色彩が抑えめで色のにじみも多いもの。
「歩くフラニ族」 2000年
「マリの湖畔」 20006年
そして色鮮やかなもの。
「サンガの市場ー2人のフラニ族」
「自転車のタイヤチューブを担ぐフラニ族」 2000年
日本人はこんな派手な色の服はあまり着ない。以前に海外で黒人ばかりが集まる教会に日曜日に通りかかったことがあって、人々の服装がビックリするほどカラフルだったことを覚えている(民族衣装じゃなくて普通の洋服)。彼らのルーツはアフリカだから、アフリカの人も鮮やかな色が好きなんだろう。
でも同じフラニ族なのに最初の2枚と後の2枚では色彩が違いすぎる。最初のは普段の光景、後のは休日にオシャレをしたところなのだろうか? しかしブルーの服を着た人はタイヤチューブを担いでいるしなあ。ひょっとしたら男女の違いかな。微妙にナゾ
これらは今までに紹介した作品と違って、極めてシンプルな画風でサラサラッと描いた印象。でも逆に、そこにミケル・バルセロの絵心のようなものを強く感じる。
次の2つはテーマに植物が関わっているようだ。何を表現したかったのかは不明だが、いい味は出していた。クロマニヨン人がモダンアートに目覚めたらこうなったりして。
「開花」 2019年
「種子の目覚め」 2019年
展示室風景。
アフリカ関連の作品は普通サイズ。
この展覧会では、絵の他にも彫刻や陶器の作品も展示されていた。
でも絵のインパクトと較べると、それほど揺さぶられず。
まあこういうものを見慣れていないせいもある。
廊下に置かれていた恐竜?のオブジェ。
これはブサかわいかった。
上の階から。
その作品に酔えるかどうかが、私の美術品に対する一番の評価基準だというのは、今までにも書いてきた。いわゆるモダンアートはその意味や意図は理解できても、頭でっかちで自己満足的なものが多い。だから酔えなくて好きじゃない。でもミケル・バルセロの作品には、すべてとはいわないが、抽象的なものも含めて充分に酔えた。
その理由はミケル・バルセロの才能・力量もさることながら、作品があまり難解ではなく適度なアバンギャルド度合いだからだろう。平たくいえばわかりやすいし、そこそこポップな一面もある。アーティストというのは未知のことに挑戦したがるもの。でも先に進みすぎると大衆はついていけない。彼はそのあたりの折り合いの付け方が絶妙。それも大切な才能のひとつである。考え方は様々あるだろうが、芸術はある程度以上のボリュームの人々に訴えてナンボだと思う。だから逆にコテコテの前衛好きなら、ミケル・バルセロは物足りないかも知れない。
また作品のサイズが大きいのも素晴らしい。絵は大きければ大きいほどよしとする考えを持っている。同じ映画でもスマホで見るのと大画面テレビで見るのとでは迫力が違うし、映画館サイズなら感動まで変わってくる。そして作品がバラエティに富んでいるのも重要なポイント。やはり同じような作品ばかりが並んでいてはつまらないし飽きてしまう。
まとめるなら、月並みな表現ながら大変満足した展覧会だった。どれくらい満足だったかというと、訪れたのは1月25日だったが、今年はこれ以上の展覧会がまだあるだろうかと心配になっているくらい。
それなのに絶対的な知名度のなさ(今までほとんど日本で紹介されてこなかったのだから仕方ないが)に加えて、展覧会のプロモーションにも力というか予算が掛けられておらず、会場がガラガラだったのは残念な限り。私がよく使う表現を用いればポーラ美術館なみに空いていた。箱根の中でも不便な場所にあるポーラ美術館と違って、こちらは新宿からひと駅の初台で開催されているにもかかわらずである。
ミケル・バルセロの作品はサイズが大きいし、また絵画でも半立体的に仕上げられているものが多い。だから画像ではなく生で実物を見ないと、その魅力あるいは内容の1/10も伝わってこない。この展覧会の会期は3月25日まで。まだ見ていない人は、たとえ全国のどこに住んでいてもこの展覧会を見に行きましょう。それだけの価値は絶対にあるよ。
おしまい
2022年02月01日
ミケル・バルセロ展 その3
次に紹介するのは海関連の作品。ーーーのつもりだったが、
改めてタイトルを確認するとそうじゃないものが混ざっていた(^^ゞ
それがこの
「午後の最初の一頭」 2016年
あまり興味を引かなかったのでサラッと見ただけで、会場ではタイトルも読まなかった。青いし、水しぶきのようなものが表現されているからてっきり海がテーマかと。しかし前回で紹介した「とどめの一突き」と同じく小さく闘牛士と牛が描かれている。
「とどめの一突き」もかなり抽象的だったが、さらに色彩まで超越して紺色と白のモノトーンで仕上げた作品ともいえる。改めて眺めれば宇宙空間のようでもある。まあ闘牛士と牛がいなくても、そんなに変わりがないと思うがねーーーと負け惜しみ。
「サドルド・シーブリーム」 2015年
この聞き慣れないサドルド・シーブリーム saddled seabream という魚は、シーブリームが鯛(たい)だから、その一種みたい。日本の海では獲れず、よって日本名もないようだ。
サドルは馬に乗るときの鞍(くら)で saddled は鞍がついたというような意味かな。尾びれの手前にある黒い丸模様のことを指していると思われるが、ミケル・バルセロはどうして一番の特徴部分を描かなかったのだろう。
「漂流物」 2020年
最初はクジラの大群と思ったが、よく見るとそれぞれに何か文字が書いてある。浮かんでいるのは転覆したボートなんだろう。
「飽くなき厳格」 2018年
これはかなり深みを感じさせる絵。砕ける大波のようにも、あるいは氷山のようにも見える。しかしタイトルに海関連の文字がないからあまり自信なし(トラウマ)。
「下は熱い」 2019年
これが展覧会で一番印象に残った作品。
おそらくブログに載せた画像を見て「適当に水色に塗ってサカナを描いているだけじゃないか」「前回に紹介した“銛の刺さった雄牛”の迫力較べたら、まったく物足りない」と思われるかも知れない。私も最初はそんな印象だった。
展示会場はところどころに間仕切り壁があって、私はこの写真の奥の方から、係員が座っているところの隙間を通ってこちら側の展示スペースに入った。つまり「下は熱い」に最初は至近距離で遭遇したことになる。
この写真では分かりにくいが、間近で見ると、サカナは絵の具を厚塗りして5センチくらいの半立体的に描かれている。当然ながらモダンアート嫌いとしては「また小賢しいことを」という反応になるわけで。
それでほとんどチラ見をしただけで、隣にあるタコの絵を見に行った。その後にもう一度この「下は熱い」を眺めると、その時は絵から少し距離が取れていたのだが、まるでサカナが水面で跳ね回っているように見えたのである。ピチャピチャという音まで聞こえた。本当だってば!
その後はもうこの絵に釘付けである。接近するとそんなに面白くないが、少し離れて眺めると凄く動的に見える。絵に近づいたり離れたりを繰り返していたから、係員におかしな奴と思われていたかも知れない(^^ゞ
少し離れて撮影した写真を。
まあこれを見ても私が受けた印象は伝わらないな。
是非、展覧会に出かけてピチャピチャを体験してちょうだい。
「恐れと震え」 2018年
これは厚塗りではなくキャンバスを波打たせて半立体にしてあった作品。けっこう面白かった。しかしそのウネウネしたところの写真を撮り忘れるという失態を犯す(/o\)
次のレントゲン写真のようなものはブリーチ・ペインティングという手法で描かれたもの。全部で10作品ほどあり、モデルはミケル・バルセロの知り合いみたい。小林康夫という名前もあって、調べてみると彼に関する本を書いたり対談もしている大学教授だった。
「J.L.ナンシー」 2012年
「ドリー」 2013年
ブリーチ・ペインティングとは絵の具を塗ったキャンバスに、漂白剤液で絵を描く手法とのこと。すぐには下地が脱色しないから、描いているときはもちろん、しばらく経ってからでないとどんな作品が出来上がるか分からないらしい。
そうやって描くことは楽しそうに思えるが、出来上がった作品を見ても「だから何?」という感想しか出てこないのが正直なところ。「下は熱い」でノックアウトされそうになったが、まだまだモダンアート・アンチの精神は健在(^^ゞ
なおブリーチ・ペインティング作品は、
これまでに紹介したものと違って普通サイズだった。
集められた画像から何となく似たようなものをグルーピングしてきたが、次の3つはどこにも入らなかったいわば「その他」のグループ。
「開いたメロン」 2019年
たぶんスペインでもメロンはこんな姿をしていないと思う。もちろんそこは重要じゃなくて、この絵を見てどう思う、何を感じるかなのだけれどーーーウ〜ン。それなのにどこか引っ掛かるものがあって、かなり長く眺めていた作品。
「曇った太陽ー海」 2019年
これはタイトルに海の文字があるし、サカナも描かれているから(立って歩いているけど)海がテーマなのは確実。しかし黄色がメインだから前半に紹介したグループとは一緒にしなかった
それはともかく、
サカナを縦に描くだけで、何となく楽しい絵になるというのが小さな発見。
「良き知らせ」 1982年
これは紙をコラージュのように重ね合わせてある作品。無意識にバスキアを連想してしまうのは顔の描き方のせいだろうか。ちなみにバスキアは27歳で夭折したけれど、彼は1960年生まれで、ミケル・バルセロが1957年生まれだから同世代の画家である。
この作品は、最初の回で紹介した1982年の「ドクメンタ7」という展覧会に出品が決まったことの喜びを描いているとのこと。だからそれを知らせる手紙を持っている。今ならスマホを握っている姿になるのかな。それにしてもそんな背景を知らなかったら、イヤ知った上でも、怒っているようにしか見えないが。
それではこのシチュエーションを想像してみましょう。
浮気をして、赤ん坊を残して逃げたヨメから手紙が来た。
そこにはこう書かれていた。
ごめんなさい、その子の父親はあなたではありません。
最悪の知らせにタイトルを変更しなくちゃ(^^ゞ
ーーー続く
改めてタイトルを確認するとそうじゃないものが混ざっていた(^^ゞ
それがこの
「午後の最初の一頭」 2016年
あまり興味を引かなかったのでサラッと見ただけで、会場ではタイトルも読まなかった。青いし、水しぶきのようなものが表現されているからてっきり海がテーマかと。しかし前回で紹介した「とどめの一突き」と同じく小さく闘牛士と牛が描かれている。
「とどめの一突き」もかなり抽象的だったが、さらに色彩まで超越して紺色と白のモノトーンで仕上げた作品ともいえる。改めて眺めれば宇宙空間のようでもある。まあ闘牛士と牛がいなくても、そんなに変わりがないと思うがねーーーと負け惜しみ。
「サドルド・シーブリーム」 2015年
この聞き慣れないサドルド・シーブリーム saddled seabream という魚は、シーブリームが鯛(たい)だから、その一種みたい。日本の海では獲れず、よって日本名もないようだ。
サドルは馬に乗るときの鞍(くら)で saddled は鞍がついたというような意味かな。尾びれの手前にある黒い丸模様のことを指していると思われるが、ミケル・バルセロはどうして一番の特徴部分を描かなかったのだろう。
「漂流物」 2020年
最初はクジラの大群と思ったが、よく見るとそれぞれに何か文字が書いてある。浮かんでいるのは転覆したボートなんだろう。
「飽くなき厳格」 2018年
これはかなり深みを感じさせる絵。砕ける大波のようにも、あるいは氷山のようにも見える。しかしタイトルに海関連の文字がないからあまり自信なし(トラウマ)。
「下は熱い」 2019年
これが展覧会で一番印象に残った作品。
おそらくブログに載せた画像を見て「適当に水色に塗ってサカナを描いているだけじゃないか」「前回に紹介した“銛の刺さった雄牛”の迫力較べたら、まったく物足りない」と思われるかも知れない。私も最初はそんな印象だった。
展示会場はところどころに間仕切り壁があって、私はこの写真の奥の方から、係員が座っているところの隙間を通ってこちら側の展示スペースに入った。つまり「下は熱い」に最初は至近距離で遭遇したことになる。
この写真では分かりにくいが、間近で見ると、サカナは絵の具を厚塗りして5センチくらいの半立体的に描かれている。当然ながらモダンアート嫌いとしては「また小賢しいことを」という反応になるわけで。
それでほとんどチラ見をしただけで、隣にあるタコの絵を見に行った。その後にもう一度この「下は熱い」を眺めると、その時は絵から少し距離が取れていたのだが、まるでサカナが水面で跳ね回っているように見えたのである。ピチャピチャという音まで聞こえた。本当だってば!
その後はもうこの絵に釘付けである。接近するとそんなに面白くないが、少し離れて眺めると凄く動的に見える。絵に近づいたり離れたりを繰り返していたから、係員におかしな奴と思われていたかも知れない(^^ゞ
少し離れて撮影した写真を。
まあこれを見ても私が受けた印象は伝わらないな。
是非、展覧会に出かけてピチャピチャを体験してちょうだい。
「恐れと震え」 2018年
これは厚塗りではなくキャンバスを波打たせて半立体にしてあった作品。けっこう面白かった。しかしそのウネウネしたところの写真を撮り忘れるという失態を犯す(/o\)
次のレントゲン写真のようなものはブリーチ・ペインティングという手法で描かれたもの。全部で10作品ほどあり、モデルはミケル・バルセロの知り合いみたい。小林康夫という名前もあって、調べてみると彼に関する本を書いたり対談もしている大学教授だった。
「J.L.ナンシー」 2012年
「ドリー」 2013年
ブリーチ・ペインティングとは絵の具を塗ったキャンバスに、漂白剤液で絵を描く手法とのこと。すぐには下地が脱色しないから、描いているときはもちろん、しばらく経ってからでないとどんな作品が出来上がるか分からないらしい。
そうやって描くことは楽しそうに思えるが、出来上がった作品を見ても「だから何?」という感想しか出てこないのが正直なところ。「下は熱い」でノックアウトされそうになったが、まだまだモダンアート・アンチの精神は健在(^^ゞ
なおブリーチ・ペインティング作品は、
これまでに紹介したものと違って普通サイズだった。
集められた画像から何となく似たようなものをグルーピングしてきたが、次の3つはどこにも入らなかったいわば「その他」のグループ。
「開いたメロン」 2019年
たぶんスペインでもメロンはこんな姿をしていないと思う。もちろんそこは重要じゃなくて、この絵を見てどう思う、何を感じるかなのだけれどーーーウ〜ン。それなのにどこか引っ掛かるものがあって、かなり長く眺めていた作品。
「曇った太陽ー海」 2019年
これはタイトルに海の文字があるし、サカナも描かれているから(立って歩いているけど)海がテーマなのは確実。しかし黄色がメインだから前半に紹介したグループとは一緒にしなかった
それはともかく、
サカナを縦に描くだけで、何となく楽しい絵になるというのが小さな発見。
「良き知らせ」 1982年
これは紙をコラージュのように重ね合わせてある作品。無意識にバスキアを連想してしまうのは顔の描き方のせいだろうか。ちなみにバスキアは27歳で夭折したけれど、彼は1960年生まれで、ミケル・バルセロが1957年生まれだから同世代の画家である。
この作品は、最初の回で紹介した1982年の「ドクメンタ7」という展覧会に出品が決まったことの喜びを描いているとのこと。だからそれを知らせる手紙を持っている。今ならスマホを握っている姿になるのかな。それにしてもそんな背景を知らなかったら、イヤ知った上でも、怒っているようにしか見えないが。
それではこのシチュエーションを想像してみましょう。
浮気をして、赤ん坊を残して逃げたヨメから手紙が来た。
そこにはこう書かれていた。
ごめんなさい、その子の父親はあなたではありません。
最悪の知らせにタイトルを変更しなくちゃ(^^ゞ
ーーー続く