2022年06月

2022年06月30日

まだ6月だけれど暑中お見舞い申し上げます

本日は6月30日。

しかし関東甲信越の梅雨は6月27日にとっとと明けちゃったし、東京は既に6日連続の猛暑日を記録し、全国では40度を超えた地域もいくつかある。だから今、暑中をお見舞い申し上げずにいつ申し上げるのだという気分。

もともと日本とは気候風土が異なり、しかも紀元前という今とは地球環境もまったく違う中国で考案された二十四節気の考え方に基づいて、暑中見舞い・残暑見舞いの時期を定めることの馬鹿らしさを何度か書いてきた。(詳しくはこちらから

しかし暑さが9月になっても長く続くことは実感していても、6月にここまでの暑さは想定外だったかな。これから10年20年先にはどうなっているのだろうと心配ではあるが、まあ逆に氷河期に向かうよりはいいかもと、心配してもとりあえず仕方ないので楽観的に考えている。数日前に書いたように世界には50度の国だってあるのだから。


それはともかく、
もうしばらくすれば身体も慣れてくるだろうし、
今年も暑い夏を乗り切りましょう。

私の夏の楽しみは、
ベランダに出て暑い暑いといいながらスイカを食べ、
その後はすぐに冷房の効いた部屋に戻ること(^^ゞ
スイカって涼しい部屋で食べるとおいしくないよね?

暑中見舞い投稿では恒例のUnsplashで拾ってきた夏らしい写真を。

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wassho at 21:09|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2022年06月29日

2022年チューリップ総集編その1 キレイドコロ

今シーズンはめでたく開花率90%を記録したチューリップ。朽ち枯れていく姿も愛でながら5月19日にプランターを片付けた。開花中はもちろん毎朝ベランダに出てチューリップを眺め写真もたくさん撮る。ただそれが日常のこととなるので意外とブログには書かないもの。読み返してみると4月7日にほぼ満開になった時点が最後だった。


せっかくキレイに咲いたのだから見て見て見てと、総集編の第1回はキレイドコロの写真を中心に。まあ親バカ写真みたいなもので、単にカラフルなショットを集めただけであるが。

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狭いベランダにたくさんの株を植えているので、チューリプを一輪だけ他の花と被らないように撮るのはなかなか難しい。次はそんな中でそれなりに撮れているものを11枚。21品種を植えたからアップは半分ほどの計算。

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賑やかなのをもう少し。

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wassho at 22:13|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2022年06月25日

気温40度越えは何センチの積雪?

本日は群馬県伊勢崎市で40.2度を記録して、6月に40度以上になるのは観測史上初めてとのこと。東京も最高気温は35.4度で今年最初の猛暑日。というわけでテレビでもネットでも熱中症に気をつけましょうとか、まあその類いの話題で持ちきりである。

気温

             ※図はNHKのニュースサイトから引用

ところで東京に雪が数センチ積もるとニュースになる。それを雪国の人はアホかと思っているらしい。本当にそう思っているかどうかは別として、たくさんの雪が積もる地域とそうでない地域では積雪量の感覚が違うのは当然。

それと同じことは暑さにもいえるはず。実は2005年6月にパキスタンに行った。そこは気温45度が当たり前の世界。天気予報にはいわゆる気温だけじゃなく体感気温というのも載っていて、それによると50度を超えた日も多かった。そして湿度の数字は覚えていないが、屋外に出ればまるで風呂場にいるかのような湿気につつまれる。

35度を超えた!猛暑日だ!と大騒ぎしている日本を、パキスタンの人が見たらどう感じるのかとふと思ったり。パキスタンでも熱中症とかあるのかな。

もちろんパキスタンに較べたら日本の夏なんてどうってことないというつもりはない。人間には順応性があるとしても、それには時間が掛かるもの。熱中症を含め体調には注意しましょう。とはいえ45度や50度になったとしても、いきなり死が目前に迫るようなことにはならないから心配しすぎもよくないかと。近頃の世の中は何かと煽りすぎ。


それにしてもパキスタンに行ったのはもう17年も前か。
歳を取るわけだ(^^ゞ

当時の写真を何枚か。
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wassho at 22:47|PermalinkComments(0) 生活、日常 |   *パキスタン

2022年06月18日

多摩川台公園のアジサイ

アジサイとツツジはどちらも私の好きな花である。また道路脇や小さな公園などに多く植えられているのも共通点。だから身近なところで眺められてうれしい反面、それゆえに名所とされるところへ出かけるのは腰が重くなってしまう。それでもツツジはそこそこ訪れたものの、アジサイが咲くのは雨の季節なこともあって数えるほどしかない。

昨日は自宅にいてどんよりとした天気。それが午後になってしばらくすると急に晴れ上がってきた。天気予報を見ると週末そして来週はすべて雨か曇りマーク。ひょっとして青空の下で満開のアジサイを見られる残り数少ないチャンスかも知れないーーーと思ったらウズウズしてきて(^^ゞ それで出かけてきたのが大田区にある多摩川台公園。


場所は文字通り多摩川のほとりにある。東急東横線でいうと自由が丘→田園調布→多摩川の順番。3月に河津桜を眺めてきたところの近くである。
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多摩川駅を降り公園の入口までは1分ほど。
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多摩川台公園は多摩川沿いの台地に750メートルに渡って伸びた細長い公園。その東の端、最も駅に近い位置ににアジサイ園がある。看板にピンクで囲みを描いた当たり。
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園内の風景。
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どこかで見たものに似ている気もするが、これは大田区の「はねぴょん」というゆるキャラ。頭は飛行機の形になっていて羽田空港がモチーフ。誰でも知っている羽田空港だけれど、大田区のイメージとは結びついていないからPRしているのか。もっとも羽田空港が多摩川の河口にあると位置を把握している人自体が少ないが。
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雨の日に眺めるアジサイも素敵であるが、
やはり花にはたっぷり日差しが当たっているほうが写真はキレイ。
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当然、青空とも一緒に撮りましょう。
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明るいだけじゃなく、
こういう明暗のある姿がアジサイには似合う。
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アジサイがだんだんと色づいていく様子。
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まだベイビーなアジサイも可愛い。
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こちらはガクアジサイ。
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アジサイは言葉がややこしい。
ガクアジサイは額縁のように縁取りがあるからガクアジサイ。一方で普通の丸い形のアジサイはホンアジサイ。その咲き方をてまり咲きという。手鞠・手毬(てまり)とは日本の伝統的なボールのことね。

そしてホンアジサイもガクアジサイもは花のように見えているのは、本来は花びらを下から支える萼(がく)が変化したもの。額と萼で発音が同じ。

アジサイの本当の花は萼のセンターにあって、そこに極小の花を咲かす。
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だからガクアジサイは、開花していないときは粒のように見える花が中央にあり、ガク(萼)でできた花モドキがガク(額)のようにそれを取り囲んでいるガクガクな構造。



木が多くて公園から多摩川はあまり見えない。それと東横線がすぐ近くを走っているので、電車の音がうるさいのがこのアジサイ園の泣き所。
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アジサイ園の上はこんな造りになっていた。
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上の写真中央の花壇はデイジーが密集して咲いていて、
キレイだと思い近づいて写真を撮ったのだが−−−
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写真では意外にも枯れて茶色くなっている花が多くてビックリ。
目というか脳には、見たいものしか見えていないのだと再認識。


バラも少しだけ。
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これはチェリーセージの1種であるホットリップス。直訳すれば熱い唇。そんな情熱的には見えなくて可憐な感じである。
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ラベンダーもあった。ただしまだ成長途中のようで、鼻を近づけても花のところを握っても香りはほとんどしなかったのが残念。
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もう一段上にあったのが水生植物のエリア。
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ここは元浄水場で、当時の姿を残しながら転用しているとのこと。
それにしてもどうして「調布」? 調布市とはちょっと離れているのに。
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花が少し水面から離れているが、葉の形からしてこれはハスではなくスイレン。
白以外はなかった。
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久しぶりにたくさんのアジサイを眺められて満足。ただよく見る普通のアジサイばかりだったのが残念。もっと鮮やかなブルーや赤それに真っ白いアジサイも見たかった。大田区のホームページによると7品種3000株とある。もっと増やしましょう。ついでにスイレンの色数も。

多摩川台公園には古墳などの遺跡もあるらしいのだが、この後に人と会う約束があったので探検できず。ラベンダーやスイレンが成長した頃にまた訪れましょう。

wassho at 22:55|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年06月15日

プリンス芝公園で残りバラ

6月2日に芝公園の近くに出かけたので、
ついでにプリンス芝公園で春シーズン終了間際のバラを見てきた。


首都圏ではかなり知名度のある芝公園と較べて、プリンス芝公園はマイナーな存在かと思う。実は芝公園とは

   東京都立の芝公園
   港区立の芝公園
   プリンス芝公園

の3つを併せた総称。ただし一般的には都立の公園部分を指すことが多い。それでプリンス芝公園はその名が示すようにプリンスホテルが所有・管理する公園。とはいえ誰でも自由に出入りできる。都市計画法に基づく特許事業という位置づけらしいが、詳しいことやどうしてプリンスホテルがそんなことをやっているかは知らない。

また一般に公開されているのに、プリンス芝公園はザ・プリンス パークタワー東京(ホテルの名前)の敷地内にあるせいか、ほとんどの公園案内図に載っていない。これは都立芝公園が発行している案内図。区立の芝公園がグレーの塗り潰しながら記されているのに対して、プリンス芝公園は完全スルー。どうしてなんだろう。
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まあ
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ザ・プリンス パークタワー東京の南玄関。写真中央やや右の脇道を上ってプリンス芝公園に向かう。ここ以外に(都立の)芝公園から直接通じている出入り口もある。
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そびえ立っているのが33階建てのザ・プリンス パークタワー東京。2月に西武がこのホテルや苗場のスキー場などを売却するとのニュースがあった。落ち目なニッポン(/o\)
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微妙に色の変化を見せているアジサイがキレイ。
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気持ちのいい小径を抜けると、
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開放的な空間が待っている。
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位置的にはホテルの北側で裏庭的なロケーション。
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中央部分は芝生で東京タワーや増上寺も一部が見える。
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芝生の周囲に植えられているバラ。
たくさん咲いているところを撮った。
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芝生の隣にあるバラの花壇。
もうシーズン終わりなので、この程度の花数なのは織り込み済み。
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いずれバラに埋もれた東京タワーを見に来ましょう。
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ちょっと無理してバラと東京タワーのツーショット。
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かなり無理してバラと増上寺のーーー(^^ゞ
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とりあえず1枚くらいはアップで。
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ここは周りより少し小高い場所にあって、空中庭園的な感覚が味わえるのが魅力。
ホテルが管理しているので手入れも行き届いて美しい。
バラがあまり咲いていなくても満足度の高い公園だった。

wassho at 22:50|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年06月14日

キリンビールの「当社の姿勢」

春頃にオンエアされていたキリンビールのCM。ご覧になった方も多いかと思う。そうでなければなぜ吉永小百合の頭の右下に「当社の姿勢です」と注釈が書かれているのか不思議に思うかも知れない。
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それは映像と共に、彼女のこんなナレーションが流れているから。

    何でビールはどれも同じなんだろう
    何でそれでいいと思ってたんだろう

ホームページにはもう少し長いメッセージが載っている。
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そしてCMでは吉永小百合が優しくビールを見つめ、ビールがもう一度始まるとのブランドメッセージが映し出される。さすがに吉永小百合がプハーッとビールを飲み干す場面はなかった(^^ゞ
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このCMは

   キリンビールの
   スプリングバレーというブランドの
   商品名が豊潤<496>

のCM。キリンには496というビールがあり、その名も借りたダブルブランドのようなポジショニングらしい。
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さてこのCMで「当社の姿勢です」とクドいぐらいに繰り返されるのは

    ビールは昔から同じでいいじゃないか
    進化する必要などない

との考えを想定して配慮が働いたものと思われる。深夜の通販番組で出演者が「わあスゴイ!」なんて発言すると、すかさず「個人の感想です」とテロップが流れる。それの企業版みたいなものか。配慮したというよりはクレーマー対策といった方が正確だろう。


やれやれメンドクサイ世の中である。
そして社会にマイナスの活力が生じているのを感じる。

クレーマーがはびこるのも問題だが、それに毅然と対処する意思もなく免罪符を貼りまくる企業も似たようなもの。最近の若者は争いやリスクを極端に避けるーーーなんて話をしばらく前に読んだ。しかしそれは若者だけではなく多かれ少なかれ日本社会全体の風潮になっている。安倍首相の頃に話題となった「忖度」も根は同じような気もする。かなり昔に日本社会の悪習のひとつと批判された「事なかれ主義」が形を変えて復活してきたかのよう。

以上、これもあくまで「個人の感想です」と、
必要もない当たり前のことを但し書きしておこう。


ところでキリンは巨額の広告費を使っているから、この話題がマスメディアで取り上げられることはないとして、先ほどネットで検索してもほとんどヒットしなかったのには少し驚いた。どうやら世間は当たり前の表現として受け止めて、アホちゃうかとブログで取り上げている私がズレているようだ。

元気が湧いてきたゾ(^^ゞ


いつまで見られるかわからないが、YouTubeにアップされているCMを紹介しておく。
ビールよりも御年77歳とは思えない吉永小百合の美しさに目がいってしまうね。


wassho at 21:30|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2022年06月11日

代々木公園で春バラ その3

噴水の横を代々木公園の中央に進んでいく。
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残念ながら噴水は稼働していなかった。
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中央広場の手前に大きな池がある。
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ここが噴水池と呼ばれる。先ほどの噴水装置があったところは噴水ベンチ通りという名前。噴水池の噴水も出ていなかったので、どこに噴水があるか分からなかったが、ネットで写真を探すとかなりの高さの噴水のようだ。

噴水池を回り込んで広場の真ん中へ。
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けっこうな面積が芝生の養生のために囲われていた。
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広場を突っ切って公園を周回している道路に出る。
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そこをブラブラ歩いているとバラが咲いているエリアがあるじゃないか!?
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近づいてみたら、
少し規模は小さいとはいえ、そこそこ飾り付けも施された立派なバラ園。
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公園案内図の2ヶ所に赤線を引いた。ここは上のフラワーランドと名付けられたエリア。下に位置するのが前回まで紹介してきたバラの園。
園内マップ

バラはもちろん「フラワー」に違いはないとしても、公式ホームページにフラワーランドでもバラが咲いているとの案内はなし。かなり不親切。だから訪れている人もまばらでごく僅か。公園側に見に来て欲しいという気持ちはないのか。バラの園に「向こうでも咲いています」と看板でも立てとけばいいのに。

もちろん私もフラワーランドのバラのことは知らなかったが、
偶然に見つけたのはやはり日頃の行いがいいからだろうな(^^ゞ


バラの種類はバラの園より少なかったものの、
こちらのほうが状態のいい花が多かった。
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ツボミと青空も見逃さず。
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バラの周りに咲いていた花々。
これはスイートピー。
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ヒナゲシ。
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名前は分からないが彩りのきれいなお花たち。
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フラワーランドを離れて再び周回道路。
木漏れ日、立派な松の木、新緑などを眺めながら散歩を楽しむ。
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第2のバラ園も見られて得した気分の一日。代々木公園はあまり馴染みがなかったけれど、ちょくちょく来てみようか。明治神宮とセットで散歩するのもいいかもしれない。


おしまい

wassho at 22:47|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年06月10日

代々木公園で春バラ その2

日差しが強い日に、赤いバラを撮ると色が飽和している感じになる。同じようなことはツツジでも起こるが、ツツジの場合は赤に限らず濃いめの色すべてで飽和する。ただしツツジは肉眼でも見ても飽和している感じがあるのに対して、バラは肉眼で普通に見えるのがナゾ。
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これくらい濃い赤だと飽和せずにきれいに写る。
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バラという単語と最も多く一緒に使われる色を示す単語は、日本語だと「赤いバラ」だろう。しかし英語だと「ローズピンク」。それがどうしたとか言わないでね(^^ゞ
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様々な色のバラを楽しむ。
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お気に入りのツボミ姿も忘れずに。
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密集感があるのは前回に紹介した、傷んだ花も混じった花壇以外はあまりなかった。それでもなんとか狭い範囲を狙って。少しバラの花が小さいのには目をつむろう。
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ところでバラの花に青はない。バラは青い色素自体を持たないため品種改良しても青いバラは生まれず、英語でBlue Roseは不可能という意味を持つくらいである。15年ほど前にサントリーが遺伝子組み換えで青いバラを開発して話題になったが、どう見ても薄紫で青と呼ぶには無理がある。よって未だ不可能は継続中。
サントリー


それなのにこんな鮮やかな青いバラや、
なんならド派手なレインボーカラーのバラを買うことができる。
ブルー

レインボー

これらは白いバラに染料を吸わせて着色したもの。青いのはともかく、レインボーカラーに花びらを染め分けるのはどうするのだろう。

園芸的には邪道な気もしなくないが、キレイだし楽しそうだから一度見てみたい。染料は切り花にして吸わせるらしいが、花瓶の置き方を工夫してこれらを一部に並べるバラ園があってもいいのにと思う。絶対に集客力は上がるし、またこれらのバラの宣伝にもなるから染料バラを作っているメーカーとタイアップして是非に。


さてバラ園のそばに歩道橋のようなものがあったので上がってみる。
もちろん上からバラ園の全景を写真に収めようとの魂胆である。
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階段の上に新緑と青空。
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新緑のアーチがいい雰囲気。
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新緑はよかったのだが、
歩道橋とバラ園の位置関係が悪く、全景は撮れずに企画倒れに終わってしまった(/o\)
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バラ園の隣から噴水池が延び、その奥に大きな芝生広場がある。
バラ園の後はそちらを散策してきた。
そうしたら思いがけない発見が。
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ーーー続く

wassho at 23:28|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年06月09日

代々木公園で春バラ

5月19日に練馬区にある四季の香ローズガーデンを訪れて、天気がイマイチだったのが少し残念だった。それで2日後の19日は朝から晴れていたので、リベンジとばかりに代々木公園の「バラの園」へ出かけてきた。


2020年に建て替えられた原宿の新駅舎。
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それなりにデザインされているが、どこにでもあるような現代建築。1924年(大正13年)に建てられて原宿のアイコンとなっていた旧駅舎はこの奥にあった。解体してレプリカをまた建てるらしい。そのまま保存しておけばいいのに。

駅舎が少し南に移動したので表参道も近くなった。
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表参道から続く神宮橋を渡る。
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こちらは明治神宮方向から歩いてくる人。
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この付近に馴染みのない人のために記しておくと、
明治神宮と代々木公園は隣接していて敷地を分け合っているような位置関係。
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元々は大名屋敷があった場所で、明治以降に
  
   皇室御料地である代々木御苑→明治神宮
   陸軍の代々木練兵場→駐留米軍の宿舎敷地→代々木公園

になったというのがだいたいのヒストリー。

面積は明治神宮が約70ヘクタール(境内のみで外苑含まず)、代々木公園は約54ヘクタールで23区内では5番目に広い公園。日本で最初の飛行機が1910年(明治43年)にここから飛び立ったのはあまり知られていない話。ライト兄弟の初飛行が1903年だから意外と日本が飛んだのも早かった。もっとも国産機じゃないけど。

ちなみに明治神宮は明治天皇を祀るために建てられたから、当然ながら神社の中では歴史が浅い。代々木公園も米軍から返還されたのが1964年(昭和39年)で、同年の東京オリンピックで選手村として使用され公園の開園は1967年(昭和42年)。だから明治時代からある上野公園や日比谷公園と較べれば割りと新しい公園といえる。


ヒョンデ(韓国のクルマメーカー)の看板。
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2010年に日本から撤退した後、ヒュンダイ改めヒョンデとして今年から再参入したが、英語のスペルはHyundaiと以前と同じ。韓国語ではこれでヒョンデと読むんだ。


代々木公園の向かいにある国立代々木競技場。地名のつかない「国立競技場」とは別の施設ね。この日はアイドルのコンサートがあるみたいで混雑していた。
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駅から数分で代々木公園の原宿門に到着。
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ゲートインして現在地。
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バラ園に向かう。
青空を背景に新緑が美しい。
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しかし写真なら微妙だが肉眼では、ゴールデンウィークの頃と較べると鮮やかさがわずかに失われているように感じる。新緑愛好家なので何かとウルサイ。


通路を進むとバラ園が見えてきた。
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正式名称は「バラの園」だから「バラのソノ」と読むのだろう。でも「バラのソノ」だと古い歌謡曲のような響きに感じる。


バラのアーチがお出迎え。
天気よし!
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アーチの大きさの割りにバラが育っていないけれど、
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まあ写真は撮りようで。
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それほど広くはないが、この芝生の周りにバラが植えられている。
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バラを縦に巻き付けたものをオベリスク仕立てという。しかしオベリスクは方尖塔(ほうせんとう)で先端が尖っているものだから、これは素直にタワーと呼べばいいかな。
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天気がいいと無駄に空に向けて撮りがち(^^ゞ
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見事な密集感にヤッターと言いたくなる一画であるが、
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よく見ると傷んだものも多い。
しかし日差しがたっぷりだと意外と気にならない。やはり太陽は偉大!
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ーーー続く

wassho at 21:41|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年06月06日

没後50年 鏑木清方展 その4

前回までは出展された作品を展覧会の構成によらず

 「庶民の生活をわりとリアルなタッチで描いた風俗画」
 「同じく風俗画だが、もっと日本画的というか、
  リアルさよりも絵としての完成度や美しさに重きを置いた作品」

 「何気ない仕草や動作が描かれている美人画」
 「小道具と一緒に描かれた美人画」
 「美人画代表三部作」

と美人画代表三部作を除けば、何がどう描かれているかの区分で展覧会を振り返ってきた。ここからはいい絵だと思ったり、特に関心を引いたものを分類なしのノンジャンルで。



「若き人々」 明治45年(1912年)
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屏風絵で上が右隻、下が左隻。
わかりやすいように左右を合体させると
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船に乗ってどこかへ向かう姉を、妹が岸で追いかけようとしているのだろうか。姉は別れが辛いのか扇で顔を隠そうとしているように見える。船に乗っている少年(チョンマゲの前髪があるのは元服前。彼も兄弟だろうか?)が刀を差しているから、これは多くの鏑木清方の作品と違って舞台は明治時代じゃない。しかし姉も岸にいる母親らしき女性も日本髪を結っていないから江戸時代以前なのか。残念ながら服装で推測する知識はなし。展覧会で解説はついていなかったし、ネットでもこの作品の情報は見当たらなかった。

細かな内容は分からなくても、別れの情景が伝わって見入ってしまう作品である。

  が、しか〜し

ナンジャこのタイトルの「若き人々」って?「初冬の花」や「墨田川両岸 梅若塚 今戸」でもタイトルについて書いたが、この作品ではタイトルがその役目を放棄しているぞ。

また岸にいる母親らしき女性の着物が変わっている。最初はつぎはぎを当てているのかと思ったものの、ところどこと複雑な曲線があるからつぎはぎではなさよう。まさかアバンギャルドなファッション?



「道成寺(山づくし)鷺娘」 大正9年(1920年)
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道成寺(どうじょうじ)の名前と豪華な衣装が一緒にあれば、それはストーカー殺人事件の古典ともいえる、あの有名な安珍・清姫伝説を題材にした歌舞伎だと考えて間違いない。その代表作が「京鹿子娘道成寺(きょうがのこ・むすめ・どうじょうじ)という演目で、「山づくし」は全15段(段は章みたいなもの)のうち9段目のタイトル。上に配置した右隻の屏風がそれ。

タイトル話のついでに、歌舞伎では文字にしたときに目立つように、本来のタイトルに言葉を加えて文字数を長くするしきたりがある。合計で5文字や7文字が縁起がいいとされそうなっているものが多い。京鹿子娘道成寺は娘道成寺に京鹿子を付け足したもの。よく名前が知られているタイトルでは仮名手本忠臣蔵や義経千本桜も忠臣蔵や義経だけで内容的には事足りる。

京鹿子は花の名前であり布の染め方の一種である。娘道成寺に付け足されたものがどちらなのかザッと調べた程度では分からなかった。また京鹿子や仮名手本が本来のタイトルに対して何か意味を持っているのかも同様。


下に配置した左隻の屏風「鷺娘(さぎむすめ)」も、文字数は長くされていないがも歌舞伎の演目。白鷺の妖精が人間の姿になって恋をするものの、白鷺に戻ってしまって恋が遂げられなくなり、もがき苦しみ息絶えるようなストーリー。

逃げる相手を焼き殺してしまう娘道成寺とは内容は異なるとはいえ、どちらも恋に対する女性の執念を感じさせる点では共通している。それで鏑木清方はこの2つをセットで描こうと思ったのだろう。

文章が長くなったので上へスクロールして絵をもう一度眺めて欲しい。豪華なのにピュアで美しい作品である。娘道成寺のほうは目の周りの赤みに狂気のようなものが現れている。どちらもゾクッとするような色気。ところで2つの絵の顔が似ているが同じ歌舞伎役者をモデルにして描いたのだろうか。だとしたらチンチンぶら下げているんだゼ(^^ゞ



「春の夜のうらみ」 大正11年(1922年)
047

これも安珍・清姫伝説の清姫を描いた作品。顔は先ほどと同じに見える。「うらみ」は「恨み・怨み」だろうが憎しみのたぎる強い感情ではなく、心残りや悲しみといった意味で使っているように思う。だから平仮名にして漢字が持つイメージを和らげたのかも知れない。

この絵は清姫が安珍を焼き殺した後に、再び吊された道成寺の鐘を見上げている姿とされる。オマエが殺しておいてナニを物憂げにたたずんでいるネンと思わなくもないが、それが女性の本当の怖さですぞ男性諸君!

ところでこの作品は(画像ではよく分からないが)薄いベールが掛かっているというか、写真でならソフトフォーカスのような描き方で、ほのかに幻想的な仕上がりになっているのがとても素晴らしかった。そういう日本画(の人物画)はあまり見たことがない。もちろん鏑木清方らしく細部まで緻密に描かれており、近づいて眺めてヨシ離れてもヨシの名画である。美人度合いでなら「築地明石町」が上だけれども、もし貰えるのならこちらが欲しいな。まあ美人は三日で見飽きるみたいだし(^^ゞ



「滝野川観楓」 昭和5年(1930年) ※観楓=かんぷう=紅葉狩り
062

東京都北区にある滝野川はかつて渓谷が深く紅葉の名所だった。徳川吉宗が滝野川にカエデを、隣接する飛鳥山にはサクラを植えて江戸庶民の憩いの地を造ったとされる。飲めや歌えの花見はこの頃から始まったらしい。現在の滝野川は学校や寺の名前に紅葉の文字が残っている程度。

この絵はそこで紅葉を見ている母娘を描いている。しかし実におかしな絵なのである。行楽地を訪れている楽しさはみじんも感じられない。母娘は目を合わさない位置に座っていて顔もうつむき加減。まるでこんな会話が聞こえてきそうである。

  母「あのね、お母さん、お父さんと離婚しようと思うの」
  娘「うん、知ってた」

展覧会でこんな遊びをするのも楽しいよ。



「讃春」 昭和8年(1933年) ※讃春=さんしゅん
068-1

068-2

讃春という言葉は辞書にはない。おそらく春を褒めたたえる、春の喜びを表現した言葉だろう。それはともかく、これは「滝野川観楓」以上にに???と思った絵である。

まずは右隻(画像上)のセーラー服姿の女学生が目に飛び込んできた。それはセーラー服を絵で目にするのはあまりなく単に珍しかったから。そして場所は皇居外苑だと思った。実際そうなのだが、それがすぐに分かったのはここ東京国立博物館が皇居のそばにあって連想が働いたから。

そしてスカート長いなあとかストッキングは黒だなあとか、どうでもいいことを思い浮かべながら、それでも春らしい光景をけっこう気に入って眺めていた(実際の絵は画像よりも松の緑がもっと明るくてきれい)。

話は変わるが昔は女学生・女学校だったのに、いつから女子学生・女子校に変わったのだろう。終戦後しばらくしてからかな。そういえば昭和1桁生まれの母親は「私が女学生だった頃」なんて言い方をしていた。


さて???なのは左隻(画像下)である。川岸にボロそうな船が浮かんでいて、花が咲いたサクラの枝が描かれているから季節は春だと分かるものの讃春のイメージはしない。というか右隻とのつながりがまったく感じられない。

ナンジャコレ?が展覧会での感想。後で調べてみるとこの絵は、

  昭和の大礼を記念して
  三井財閥が発注して皇室に献上した屏風絵
  左隻に描かれているのは船上生活を送る貧しい母子

だと分かった。

昭和の大礼とは昭和3年(1928年)に執り行われた昭和天皇の即位の礼や関連儀式を合わせた呼び方。三井財閥が発注したのは昭和3年で完成が昭和8年だから、描くのに相当な時間が掛かっている。5年も経ってからおめでとうと言われている感じだが、献上品とはそういうものなのだろうか。

左隻に描かれている橋は隅田川に架かる清州橋で、これは関東大震災(1923年)からの復興の象徴。そして貧しい船上生活者は復興から取り残された人々を表しているらしい。つまり対比。そして右隻は復興しつつある昭和の時代で青春を謳歌している女学生だから左右も対比になっている。

最初の回で紹介した「雛市」もそうだったように、鏑木清方は社会格差テーマにするのが好きなのだろうか。即位献上品のおめでたい作品でそれを描かなくてもいいとにも思うが。

ただ「雛市」は1枚の絵の中に豊かな母娘と貧しい女の子が描かれていて、まだわかりやすかったのに対して、「讃春」は対になった屏風絵とはいえ別々の絵なのでメッセージが伝わりにくい。最初は別個の絵が2点展示されているのかと思ったほど。

そして最大の問題は「雛市」もそうであったように、鏑木清方の絵がきれいすぎて、貧困のイメージが伝わってこないところ。美人画がメインの画家だからそういうのは苦手なのか、あるいは顧客ニーズを考えて淡く仕上げているのか。できたら彼に尋ねてみたい。



「菖蒲打」 昭和20年(1945年)
097

子供達が菖蒲(しょうぶ)を長く編んだものを地面に打ち付けている。その音の大きさなどを競うのが菖蒲打ちという端午の節句の遊び。他に女性の腰を打ってじゃれるなどのバージョンもあるようだ。初めて知った。今でもそんな風習が残っている地域があるのかな。

今年は菖蒲湯初体験をしたので、つい菖蒲に反応してしまう。



生き生きとした明治の風俗を目にできたし美人画はきれいだったし、期待していた以上に楽しめた展覧会だった。鏑木清方の作品をこれだけまとまってみたのは初めて。それなりに彼を理解できたと思う。初回に書いたようにここを訪れたのは

    この展覧会を見たら、
    もう、上村松園と区別がつかないなんて言わせません

と公式ホームページにあった殺し文句?に釣られたからである。

さて困った。
実は上村松園もいくつかの代表作を知っている程度。だから彼女のこともよく理解しないと両者の区別がつくかどうかが分からないのだ。美術は奥が深いわ(^^ゞ

最後に美人画3部作をもう一度。


おしまい
三部作


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2022年06月03日

没後50年 鏑木清方展 その3

前回の後半は美人画の中でも「何気ない仕草や動作」が描かれているものを取り上げた。続いてはポーズをとっているだけではなく「小道具と一緒」に描かれた作品。


「墨田川両岸 梅若塚 今戸」 大正5年(1916年)
019

平安中期に若梅丸という子供がさらわれて、母親が探しに来たときには既に隅田川のほとりで病死していた。それを伝承したのが若梅伝説で、彼を弔っているのが若梅塚。左側の絵はそれをテーマにしているらしいのだが、悲劇性はまったく感じられない。雨で濡れた着物の裾を気にしてるシーンのように思える。

背景で煙が上がっているのは今戸焼き(陶磁器)の釜とされる。それが始まったのは江戸時代の少し前からだから、描かれている女性は若梅丸の母親でもない。だいたい平安時代の衣装を着ていない。

もうひとつの今戸は若梅塚の対岸にある地名(500mほど下流)。こちらは若い女性が丸いカゴに花びらのようなものをを運んでいる。何をしてるの?

なんとなく悲しみと喜びの対比に墨田川両岸を掛けているような気もするものの、よく分からない内容。違うタイプの絵をセットで描こうと思って、両岸というキーワードを思いつき、隅田川で当てはまる言葉を適当に使っただけかも知れない。


「微酔」 大正8年(1919年)
035

左側に朱塗りの杯が描かれているのに、タイトルを読むまでは、美人な女性に気を取られて目に入っていなかった(^^ゞ 寒いので布団を掛けているのだろうか。そうすると女性が重ね着している一番上はドテラ? ちょっと美人のイメージが狂うなあ。


「明治時世粧」 昭和15年(1940年)
088

時世粧(じせいそう)とは流行の装い、トレンディーなスタイルの意味。初回の投稿で鏑木清方は着物にも凝っているので、彼の美人画をより楽しむには着物の知識も必要と書いた。そんな知識はほとんどないとしても、ここに描かれている着物からはファッショナブル感が伝わってくる。ついでに書けば紹介したこれら5点の作品は、顔だけじゃなく衣装もよく見るべき作品のように思う。




さて鏑木清方の美人画代表3部作。
まずは「築地明石町」 昭和2年(1927年)
057

美人画なんて女性はこうあって欲しいと願う、あるいは勘違いしている男性の妄想の産物と思っているけれど、それでも見とれてしまうね。作品サイズは縦約175センチで人物はほぼ等身大の迫力もある。美術的な話とは関係ないだろうが、何より素晴らしいのは日本髪姿じゃないこと。これでグッと近代的な印象になっているし、浮世絵などの美人画とは違う現実感が生まれている。

鏑木清方の作品のほとんどは舞台が明治30年代前半とされ、(今回の展覧会では)女性の多くはいわゆる日本髪を結っている。明治時代の中頃に日本髪女性の割合がどれくらいだったかよく分からないものの、どうしても日本髪を見ると江戸時代をまず連想してしまう。

ちなみにこの絵の女性はイギリス巻き(あるいはイギリス結び)と呼ばれた髪型。いわば和洋折衷的なヘアスタイル。他にもいくつかのバリエーションがあり、それらを日本髪に対して束髪(そくはつ)と総称していたみたい。


タイトルは築地明石町である。しかしそんな町名はなく築地と明石町は隣接した別の町。それはともかく、おそらくこのタイトルはイギリス巻きとも関係している。

明治2年に政府は築地に外国人居留地を設ける。開国をしても外国人は一定のエリアに閉じ込めておきたいと考えた政策。他には横浜、神戸、大阪の川口、長崎などにもあった。築地居留地は現在の明石町に当たるので話がややこしいが、とにかくこの築地・明石町界隈は西洋文化の影響が強いエリアだったのだろう。いわゆる異国情緒が漂う“ハイカラ”な町柄。だから女性の髪型を日本髪じゃなくてイギリス巻きにする必然性があったような気もする。

なお居留地政策は明治32年(1899年)に廃止される。その後も築地居留地跡には洋館が建ち並んでいた。しかし関東大震災(1923年)ですべて失われたのが残念。立教や青山などの大学、現在も明石町にある聖路加国際病院などは築地居留地に建てられた教会の付属施設を起源に持つ。


さてこの絵にはモデルがいて、その写真が残っている。
江木ませ子

彼女の名前は江木ませ子。鏑木清方の奥さんの友人で、清方に絵も習っていたとのこと。まるで絵から抜け出してきたような美人。彼女をモデルに絵を描いたから当たり前か(^^ゞ それもそのはず彼女は大正三美人と称された江木欣々(きんきん)の腹違いの妹。大正三美人なんて初めて知ったが、残念ながら江木欣々は顔のはっきり分からない写真しか見つからなかった。


話を絵に戻すと女性は黒い羽織を着ていて、2ヶ所にチラッと裏地の赤い色が見える。そこに着物好きは粋を感じるらしい。注目は右下の朝顔。下のほうが黄色く枯れている。だから季節は夏の終わり。花が咲いているから時間帯は朝。だから少し寒そうなポーズをしているのだろうか。深読みしすぎかな。

左上には船とそのマストが描かれている。築地・明石町は海沿いなのでその情景を入れたのだろう。しかしデッサンのようで雑だし絵の他の要素とマッチしていない印象。そこが少し気に入らない。前回に書いたように鏑木清方の風景描写はーーー。



「新富町」 昭和5年(1930年)
064


「浜町河岸」 昭和5年(1930年)
066

「新富町」に描かれているのは40代の芸者、「浜町河岸」は日本舞踊の稽古帰りの10代の町娘。新富町には花街があり浜町には有名な踊りの家元がいたので、分かる人にはタイトルを見ただけで彼女たちのプロフィールが推察できただろう。それは「築地明石町」にも当てはまる。「墨田川両岸 梅若塚 今戸」と違ってこの3つはタイトルがわかりやすい。ついでに「築地明石町」は30代で年齢に幅を持たせたのが面白い。

「築地明石町」が振り返った後の静止ポーズなのに対して、こちらはどちらも動きを感じさせる作品になっている。特に「浜町河岸」はお稽古のおさらいをしながら歩いているようにも見えて可愛い。また「新富町」の背景に描かれているのは新富座という劇場。劇場の周りには芝居茶屋と呼ばれる料亭があってそこが新富芸者のお座敷。「浜町河岸」の背景が何なのかよく分からないが絵とは上手く溶け合っている。「築地明石町」から進歩したじゃないか鏑木清方(^^ゞ



さてネットで「築地明石町」を調べると

   1975年から行方不明
   2019年に44ぶりに発見

と書いてあるものが多い。ネットの情報なんてコピペのループだから、たいていは同じ内容が載っている。しかし行方不明ってナンジャ? 鏑木清方は巨匠中の巨匠だし「築地明石町」は権威ある帝国美術院賞を取った代表作。切手にもなったほどの有名な作品。それが行方不明とは?
切手

もう少し調べると

   最後に展示されたのは1975年のサントリー美術館
   その直後から行方不明の状態に
   
   長きにわたり行方不明が続いたので、幻の名画扱いされる

   2016年頃、所有者が手放す意向との情報が画商を通じて
   東京国立近代美術館にもたらされる

   その所有者は「新富町」「浜町河岸」も持っていた
   2019年に東京国立近代美術館が購入
   価格は3点合計で5億4000万円

などが分かった。

つまりサントリー美術館に出品されたときの所有者は分かっていたはずで、その所有者が売却を公表しなかった。その後に手元にないと知られても売却先について口をつぐみ、購入者も同様に公表しなかったということ。だから行方不明といっても紛失状態にあったわけではない。美術界で幻の名画扱いされて、売買の事情を把握しているはずの国税庁は苦笑いしていたりして(^^ゞ

ところで幻の名画扱いされてしまって手放した所有者はどう思っていたのか、なぜ事情を明らかにしなかったのか、その後に何度も転売されたのか、最終所有者は「新富町」と「浜町河岸」をどう手に入れた等々、興味本位で知りたい話はたくさんあるけれど、まあ明らかにされることはないだろうな。

それにしても5億4000万円とは安っ!と思った。ZOZOの前澤友作が購入したバスキアが123億円だったとかの話に慣れてしまってそう感じるのかも知れない。「築地明石町」が4億円で、他の2点が7000万円ずつあたりか。国立近代美術館は内訳くらい発表してくれてもいいのに。


ーーー続く

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2022年06月02日

没後50年 鏑木清方展 その2

前回に紹介した「庶民の生活をわりとリアルなタッチで描いた風俗画」に対して、次は同じ風俗画であっても、もっと日本画的というか、リアルさよりも絵としての完成度や美しさに重きを置いた作品。


「露の干ぬ間」 大正5年(1916年)  ※干ぬ=ひぬ=乾かぬ
020-1

020-2


「晩涼」 大正9年(1920年)
038


「泉」 大正11年(1922年)
044


「鎧河岸」 大正12年(1923年)  ※鎧=よろい 関東大震災まで日本橋にあった河岸
051


「木場の春雨」 大正15年(1926年)
053


「木母寺夜雨」 昭和11年(1936年) ※木母寺=もくぼじ 墨田区にある寺の名前
080

前回のリアル版風俗画が、まるで明治時代にタイムスリップしたような感覚を味わえたのと較べると、こちらはやや「古典的」なものを鑑賞した気分かな。場面が町中でもないから明治時代を感じることもできない。リアル版風俗画のほうが断然おもしろかったのだが、それは絵としてというより、今まであまり目にする機会のなかった明治庶民の生活風景に興味をかきたてられたからだと思う。

ところで「晩涼」や「泉」では背景に山や木々が描かれている。しかしどうも鏑木清方はそれらを描くのがあまり得意でないように感じる。

こちらはあまり多くない彼の風景画。
「金沢三題・大磯の風景 大磯千畳敷」 大正8年(1919年)
033

もちろん絵としてのジャンルが異なれば描き方も異なるのだしても、リアル版風俗画で見せたあの描写力はどこにいったと思ってしまう。私に上手・下手は分からないが実に平凡。まあすべてにおいてパーフェクトな画家なんて存在しないもの。


さてもっと明治時代の風俗画を見たいとの気持ちが時空を遡って届いていたのか、鏑木清方はタイトルもそのものズバリの「明治風俗十二ヶ月」で1ヶ月ごと12連作の作品を残している。制作は昭和10年(1935年)。

それぞれのタイトルは

   かるた  (一月)          
   梅やしき (二月)          
   稽古   (三月)          
   花見   (四月)
         
   菖蒲湯  (五月)          
   金魚屋  (六月)          
   盆燈籠  (七月)          
   氷店   (八月) ※読みは「こおりや」または「こおりだな」だと思う
         
   二百十日 (九月) ※立春から210日目の9月1日頃で台風の多い日とされた  
   長夜   (十月)          
   平土間  (十一月)          
   夜の雪  (十二月)

 1月〜4月  ※1月が一番左、以下同様
074-1


 5月〜8月
074-2


 9月〜12月
074-3


ブログの画像だと小さいが、目の前に12ヶ月分の絵が並んでいた様子はなかなかの迫力。この写真はhttps://bunshun.jp/articles/-/15178?page=2から引用。
展示風景

時代設定は明治30年から33年あたりで、そこそこ裕福な商家の生活がモデルとのこと。縦長サイズだからかリアル版風俗画のように細かく描き込まれてはいないものの、季節を感じながら明治の生活を眺められたのは楽しかった。

2つだけコメントしておくと、まず5月の菖蒲湯。描かれている女性は菖蒲湯から出てきたところだろうか。しかし銭湯の脱衣場にしてはやたら広いし豪華でナゾ。菖蒲は風呂桶のようなものの横に小さく3片ほど描かれているのがそれらしく、ほとんど目に入らない。だったらタイトルは「風呂上がり」でもいいんじゃない(^^ゞ

ところで現在の菖蒲湯には菖蒲を丸ごと使うが、この時代は小さく刻んでいたのだろうか?

そして8月の氷店。この時代の夏に氷があるとは思っていなかった。もちろん平安時代から氷室(ひむろ)に貯蔵した氷を食べたりする習慣はあったとしても、それが可能だったのはごく一部の特権階級だけ。調べてみると明治20年頃から製氷機で作った氷が一般にも出回り始めたらしい。アンモニアの気化熱を利用して製氷していたようで、詳しい仕組みまでは調べていない。

描かれているのは夏になると墨田川沿いに出る屋台で、女性はかき氷を作っている店員。この絵の舞台となった頃には、まだ夏の新しい風物詩だったのかも知れない。



次に紹介するのはもう美人画と呼んでもいいのだろうが、
何気ない仕草や動作が描かれている作品。


「西鶴 五人女のおまん」 明治44年(1911年)
013

これを仕草や動作といえるかは微妙だがーーー

井原西鶴の好色五人女をテーマにしているから描かれているのは江戸時代。女性なのに刀を差しているのが奇妙。これはゲイの男性に恋をしたおまんという娘が、男装してその男性のもとを訪ねるシーンを描いている。よく見れば帯は男性用を締めているものの、髪の毛は女性のままなので中途半端な印象はぬぐえない。しかし他の画家もこの題材では同じような姿で描いているので、これが日本画としてのお約束スタイルなのだろう。


「秋の夜」 大正4年頃(1915年)
018


「雪つむ宵」 大正9年(1920年)
040

どちらの女性も窓に顔を向けていて「秋の夜」は手紙を読んでいるようだし、「雪つむ宵」も冊子のようなものが手元に置かれている。なんとなくフェルメールを思い出す構図。日本画は陰影をつけないものだが、もし光りを描いていたら鏑木清方は日本のフェルメールと呼ばれていたりして。


「初冬の花」 昭和10年(1935年)
076

着物は少し暖かそうな生地のようにも思える。しかし背景に何も描かれていないから「初冬」かどうかわからないし、だいいち「花」はどこに? よく見れば帯は花柄だけれども、まさかそれ? 落ち着いたいい雰囲気を醸し出しているのに、タイトルに釈然としないものを感じてしまった作品。


「口紅」 昭和14年(1939年)
086

当時の口紅は器に入れたものを手ぬぐいのようなもので塗っていたのか。あるいはこれは塗りすぎたものを拭き取っているのか。どうにも知識がないのでよく分からない。それはともかく美しい絵であるのは確か。ただし女性が化粧をしているときに、こんなしおらしい表情をしている思うのはオッサンの妄想(^^ゞ もっとも美人画というもの自体が妄想の産物の最たるもの。



ーーー続く

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