2022年07月
2022年07月29日
木村伊兵衛と画家たちの見たパリ 色とりどり その4
最後のコーナーは「華やぐパリ」。
女優やモデルの写真が多くわかりやすいタイトル。
「夕暮れのコンコルド広場、パリ、1954年」
この夕暮れが華やいでいるのかと?が浮かぶが、これは当時の感度の低い(暗いところでは写らない)カラーフィルムの限界を探った写真らしい。これを見て写真に詳しい人はスゲー!とか思うのだろうか。それはともかく都心で夕焼けが眺められていいね。今でもパリは高い建物が少ないから、こんな景色が見られるのかな。
ところでこの写真展ではカメラを縦に構えて撮った写真が多い。それは人物写真が中心だからだろう。それで縦長と横長の写真では縦横比率が違うものがあるのに気がついた。この写真はかなり横長。その2で紹介した「ミラボー橋、パリ、1955年」という写真もそう。
おそらく横長にトリミングして広々感を出しているのだと思う。トリミングもレタッチの一種だけれど、そういうことにも気を配って作品を仕上げるものなんだ。
「ジョアンビル撮影所のミシェル・モルガン、パリ郊外、1955年」
さてここからが華やいでいる写真。
ミシェル・モルガンはフランスを代表する女優の1人らしい。ただし活躍したのが1930年代から60年代なので名前を聞いたことがあるような・ないようなくらいしか知らない。ジャン・ギャバンやイヴ・モンタンとかが活躍していた頃の人。
撮影所に潜り込めたのはフランスの大御所カメラマンであるアンリ・カルティエ=ブレッソンの手配があったから。そして彼が木村伊兵衛のパリでの撮影をコーディネートするために同行させたのがロベール・ドアノー。こちらも超有名カメラマン。ドアノーの名前は知らなくても、彼が撮ったこの「パリ市庁舎前のキス」を見たことがある人は意外といるかも知れない。20歳代の頃、これを自宅に飾っていたら「ウチにもある」といった人が2名いたから。
木村伊兵衛がパリでいい写真を撮れたのは、ブレッソンとドアノーという当時のドリームチームのアシストも大きかったと思う。それを言い出すと写真は「カメラマンの才能や能力」か「被写体自体の魅力なのか」にまた話が戻ってしまうが。
「パリ、手鏡、1955年」
「ファッションショー、パリ、1954年」
「ジバンシーのコレクション会場、パリ、1955年
これらはファッションショーの楽屋などを撮影した写真。2枚目のは屋外パーティーみたいだが、ヘアスタイルコンテストのモデルが出番待ちをしているところ。
「マヌカン、パリ、1955年」
フランス語でマヌカンはファッションモデルのことを指す。しかし日本ではかつて1980年代のDCブランドブームの頃に、その販売員をハウスマヌカンと呼び、短縮してマヌカンともいった。当時を知っている人なら、そのブームをおちょくった「夜霧のハウスマヌカン」という歌を覚えているだろう。
YouTubeの動画はこちら
なんとテレサ・テンもカバーしていた!
改めて歌詞を読むとクスッと笑える
ところでマヌカンを販売員あるいはモデルを指す言葉だと知っていても、
それが mannequin を
フランス語読みしたらマヌカン
英語読みしたらマネキン
であることはあまり知られていないかも。マネキンと聞けば服を着せる人形をまず思い浮かべるが、ファッション業界だけではなく臨時の派遣店員をマネキンと呼ぶこともある。なぜか「マネキンさん」と、さん付けすることが多いかな。
例によって前書きが長かったが、
これが木村伊兵衛の撮ったマヌカン。
扇子と組み合わせた帽子?を被ったファッションモデル。かなりアバンギャルドな華やかさである。この表情と手の位置なら携帯電話で話しているようにしか見えないが、もちろんこの時代にそんなものはない。ポーズの解釈も時代によって変わるね。
ところでこれは屋上で撮影したのだろうが、背景の屋根に写っている無数のレンガ色をしたものは何なんだろう。焼く前の陶器を乾かしているようにも思えるが、屋根の上でそんなことはしないだろうし。超ナゾ
そして大先生である木村伊兵衛に何度もダメだしするのは気が引けるが、この写真も傾きが気になる。メインの被写体に合わせて撮るとこうなりがち。モデルの姿勢からカメラが傾いているとは感じなかったのだろう。
さて1950年代半ばのパリを色々と見られて楽しい写真展だった。よくいわれる「空気感も一緒に写し込む」の意味が分かったような気もする。それと教科書でしか知らないような大昔でもないから、現在との連続感があるというか、肌感覚で「こうだったんだろうなあ」とわかる親しみやすさもある。また街角写真なので、どれも気取りのない写真だったのもよかった。言い換えれば「どうだ、スゴイ写真だろ」との押しつけがましさがない。そういうテンションの高い写真はどうも苦手で。でも撮れるものなら撮ってみたい(^^ゞ
写真展は今まで数えるほどしか訪れたことはないが、
もうちょっとマメに足を運ぶか。
おしまい
女優やモデルの写真が多くわかりやすいタイトル。
「夕暮れのコンコルド広場、パリ、1954年」
この夕暮れが華やいでいるのかと?が浮かぶが、これは当時の感度の低い(暗いところでは写らない)カラーフィルムの限界を探った写真らしい。これを見て写真に詳しい人はスゲー!とか思うのだろうか。それはともかく都心で夕焼けが眺められていいね。今でもパリは高い建物が少ないから、こんな景色が見られるのかな。
ところでこの写真展ではカメラを縦に構えて撮った写真が多い。それは人物写真が中心だからだろう。それで縦長と横長の写真では縦横比率が違うものがあるのに気がついた。この写真はかなり横長。その2で紹介した「ミラボー橋、パリ、1955年」という写真もそう。
おそらく横長にトリミングして広々感を出しているのだと思う。トリミングもレタッチの一種だけれど、そういうことにも気を配って作品を仕上げるものなんだ。
「ジョアンビル撮影所のミシェル・モルガン、パリ郊外、1955年」
さてここからが華やいでいる写真。
ミシェル・モルガンはフランスを代表する女優の1人らしい。ただし活躍したのが1930年代から60年代なので名前を聞いたことがあるような・ないようなくらいしか知らない。ジャン・ギャバンやイヴ・モンタンとかが活躍していた頃の人。
撮影所に潜り込めたのはフランスの大御所カメラマンであるアンリ・カルティエ=ブレッソンの手配があったから。そして彼が木村伊兵衛のパリでの撮影をコーディネートするために同行させたのがロベール・ドアノー。こちらも超有名カメラマン。ドアノーの名前は知らなくても、彼が撮ったこの「パリ市庁舎前のキス」を見たことがある人は意外といるかも知れない。20歳代の頃、これを自宅に飾っていたら「ウチにもある」といった人が2名いたから。
木村伊兵衛がパリでいい写真を撮れたのは、ブレッソンとドアノーという当時のドリームチームのアシストも大きかったと思う。それを言い出すと写真は「カメラマンの才能や能力」か「被写体自体の魅力なのか」にまた話が戻ってしまうが。
「パリ、手鏡、1955年」
「ファッションショー、パリ、1954年」
「ジバンシーのコレクション会場、パリ、1955年
これらはファッションショーの楽屋などを撮影した写真。2枚目のは屋外パーティーみたいだが、ヘアスタイルコンテストのモデルが出番待ちをしているところ。
「マヌカン、パリ、1955年」
フランス語でマヌカンはファッションモデルのことを指す。しかし日本ではかつて1980年代のDCブランドブームの頃に、その販売員をハウスマヌカンと呼び、短縮してマヌカンともいった。当時を知っている人なら、そのブームをおちょくった「夜霧のハウスマヌカン」という歌を覚えているだろう。
YouTubeの動画はこちら
なんとテレサ・テンもカバーしていた!
改めて歌詞を読むとクスッと笑える
ところでマヌカンを販売員あるいはモデルを指す言葉だと知っていても、
それが mannequin を
フランス語読みしたらマヌカン
英語読みしたらマネキン
であることはあまり知られていないかも。マネキンと聞けば服を着せる人形をまず思い浮かべるが、ファッション業界だけではなく臨時の派遣店員をマネキンと呼ぶこともある。なぜか「マネキンさん」と、さん付けすることが多いかな。
例によって前書きが長かったが、
これが木村伊兵衛の撮ったマヌカン。
扇子と組み合わせた帽子?を被ったファッションモデル。かなりアバンギャルドな華やかさである。この表情と手の位置なら携帯電話で話しているようにしか見えないが、もちろんこの時代にそんなものはない。ポーズの解釈も時代によって変わるね。
ところでこれは屋上で撮影したのだろうが、背景の屋根に写っている無数のレンガ色をしたものは何なんだろう。焼く前の陶器を乾かしているようにも思えるが、屋根の上でそんなことはしないだろうし。超ナゾ
そして大先生である木村伊兵衛に何度もダメだしするのは気が引けるが、この写真も傾きが気になる。メインの被写体に合わせて撮るとこうなりがち。モデルの姿勢からカメラが傾いているとは感じなかったのだろう。
さて1950年代半ばのパリを色々と見られて楽しい写真展だった。よくいわれる「空気感も一緒に写し込む」の意味が分かったような気もする。それと教科書でしか知らないような大昔でもないから、現在との連続感があるというか、肌感覚で「こうだったんだろうなあ」とわかる親しみやすさもある。また街角写真なので、どれも気取りのない写真だったのもよかった。言い換えれば「どうだ、スゴイ写真だろ」との押しつけがましさがない。そういうテンションの高い写真はどうも苦手で。でも撮れるものなら撮ってみたい(^^ゞ
写真展は今まで数えるほどしか訪れたことはないが、
もうちょっとマメに足を運ぶか。
おしまい
2022年07月27日
木村伊兵衛と画家たちの見たパリ 色とりどり その3
前回までに紹介したのはストリートの風景を切り取った「パリの街角」、そこにいる人たちを主役にした「素顔のパリっ子」。そしてその次のコーナーは「安らぐパリ」というタイトルだった。「素顔のパリっ子」の括りに入れてもよかったんじゃない?と思える写真も混ざっているが、くつろいだり楽しんだりしているパリの人々が撮られている。
「パリ、1954-1955年」
この時代(1954年は昭和29年)の日本でクルマに乗ってお出かけしている
イヌはいなかっただろうなあ。
「ロンシャン競馬場、パリ、1954年」
男性のセータが、前から見てどんな模様になっているか知りたい。
「カフェにて、パリ、1955年」
前回に書き忘れたが、この当時のパリの男性は女性と較べて垢抜けない感じ。
「パリの女、シャンゼリゼ通り、パリ、1955年」
背景にいるのはストリート・ミュージシャン?
「テュイルリー公園にて、パリ、1955年」
国産初のカラーフィルムを使用したのが、この撮影旅行の売りなのに、
ところどころセピアに近い色調になっている写真も混ざっているのが不思議。
次のリュクサンブール公園の写真も同じく。
「リュクサンブール公園にて、パリ、1954年」
このジイさん達はコートを着ている。他には半袖姿の写真もあるから、
木村伊兵衛はかなり長くパリに滞在していたようだ。
「サン・マルタン運河、パリ、1955年」
ところで私は写真を撮るとき、カメラを水平に保つように気をつけている。
しかし中心となる被写体が手前にあると、それに気を取られて
おろそかになることが多い。
でも木村伊兵衛もけっこうアバウトなので安心した(^^ゞ
この写真も少女の部分だけでは気づかないが、
橋のところの水面を見れば、かなり画面が傾いているのがわかる。
参考までに傾きを修正したものを。
「パリからブロワへむかう途上で、1954年」
風景が広いと水平を意識させるものが多くなるので、
傾きが目立ちやすい。
木村伊兵衛の写真には、戦前のものも含めて当時に走っていたクルマが
たくさん写っていて面白いのだが、バイクの姿をキチンと分かるように撮られた
ものはほとんどない。彼はバイクには興味がなかったみたいだ。
「職人町のパリ祭、メニルモンタン、パリ、1955年」
「職人町のパリ祭、メニルモンタン、パリ、1955年」
パリ祭とはフランスの革命記念日のこと。
フランス革命はルイ16世やマリー・アントワネットがギロチンされたあれね。この革命の戦いは約10年に渡って続いたが、1789年7月14日にパリ市民が政治犯の投獄されていたバスチーユ牢獄を襲撃したのが始まり。ということでこの日が革命記念日とされた。また王制を倒して現在まで続く共和制が成立したので建国記念日でもある。もちろん祝日。ちなみに明治維新が1868年だからフランス革命はその80年ほど前の出来事。江戸時代の2/3が過ぎた当たり。
ところでこの革命記念日、フランス語では Fete nationale francaise (直訳すればフランス国民祭典)となる。それを「パリ祭」と呼ぶのは日本独特の訳語。盛大な軍事パレードもおこなわれる日なのに随分と軽いニュアンスになっている。
一説によると、フランスではこの日を単に Quatorze Juillet(7月14日の意味)と呼ぶこともあり、昭和の初めにその Quatorze Juillet というタイトルのフランス映画が入ってきて、その邦題を「7月14日」に訳しても日本人には意味がわからないからパリ祭(映画では漢字で巴里祭)に意訳?したのがきっかけらしい。
Fete と Festival は同じような意味だけれど、なぜフランスじゃなくてパリ限定に? 以前フランス人に日本では Paris Festival と呼ぶと教えたらけっこうビックリされた。
なお日本では初代天皇である神武天皇の即位日を建国記念日に当てている。とはいっても彼は神話上の人物であり、即位日とされる2月11日も半分はこじつけみたいなもの。その他いろいろあって戦後に建国記念日を再制定するとき、反対意見を押さえるため「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と名称に「の」をいれて、「この日に建国された」という意味ではなく「建国を祝う日」の趣旨に置き換えられた。すごい政治テクニック! まあほとんどの人は「建国記念の日」と「の」が挟まっていることに気がついていないが。
話がそれた(^^ゞ
ーーー続く
「パリ、1954-1955年」
この時代(1954年は昭和29年)の日本でクルマに乗ってお出かけしている
イヌはいなかっただろうなあ。
「ロンシャン競馬場、パリ、1954年」
男性のセータが、前から見てどんな模様になっているか知りたい。
「カフェにて、パリ、1955年」
前回に書き忘れたが、この当時のパリの男性は女性と較べて垢抜けない感じ。
「パリの女、シャンゼリゼ通り、パリ、1955年」
背景にいるのはストリート・ミュージシャン?
「テュイルリー公園にて、パリ、1955年」
国産初のカラーフィルムを使用したのが、この撮影旅行の売りなのに、
ところどころセピアに近い色調になっている写真も混ざっているのが不思議。
次のリュクサンブール公園の写真も同じく。
「リュクサンブール公園にて、パリ、1954年」
このジイさん達はコートを着ている。他には半袖姿の写真もあるから、
木村伊兵衛はかなり長くパリに滞在していたようだ。
「サン・マルタン運河、パリ、1955年」
ところで私は写真を撮るとき、カメラを水平に保つように気をつけている。
しかし中心となる被写体が手前にあると、それに気を取られて
おろそかになることが多い。
でも木村伊兵衛もけっこうアバウトなので安心した(^^ゞ
この写真も少女の部分だけでは気づかないが、
橋のところの水面を見れば、かなり画面が傾いているのがわかる。
参考までに傾きを修正したものを。
「パリからブロワへむかう途上で、1954年」
風景が広いと水平を意識させるものが多くなるので、
傾きが目立ちやすい。
木村伊兵衛の写真には、戦前のものも含めて当時に走っていたクルマが
たくさん写っていて面白いのだが、バイクの姿をキチンと分かるように撮られた
ものはほとんどない。彼はバイクには興味がなかったみたいだ。
「職人町のパリ祭、メニルモンタン、パリ、1955年」
「職人町のパリ祭、メニルモンタン、パリ、1955年」
パリ祭とはフランスの革命記念日のこと。
フランス革命はルイ16世やマリー・アントワネットがギロチンされたあれね。この革命の戦いは約10年に渡って続いたが、1789年7月14日にパリ市民が政治犯の投獄されていたバスチーユ牢獄を襲撃したのが始まり。ということでこの日が革命記念日とされた。また王制を倒して現在まで続く共和制が成立したので建国記念日でもある。もちろん祝日。ちなみに明治維新が1868年だからフランス革命はその80年ほど前の出来事。江戸時代の2/3が過ぎた当たり。
ところでこの革命記念日、フランス語では Fete nationale francaise (直訳すればフランス国民祭典)となる。それを「パリ祭」と呼ぶのは日本独特の訳語。盛大な軍事パレードもおこなわれる日なのに随分と軽いニュアンスになっている。
一説によると、フランスではこの日を単に Quatorze Juillet(7月14日の意味)と呼ぶこともあり、昭和の初めにその Quatorze Juillet というタイトルのフランス映画が入ってきて、その邦題を「7月14日」に訳しても日本人には意味がわからないからパリ祭(映画では漢字で巴里祭)に意訳?したのがきっかけらしい。
Fete と Festival は同じような意味だけれど、なぜフランスじゃなくてパリ限定に? 以前フランス人に日本では Paris Festival と呼ぶと教えたらけっこうビックリされた。
なお日本では初代天皇である神武天皇の即位日を建国記念日に当てている。とはいっても彼は神話上の人物であり、即位日とされる2月11日も半分はこじつけみたいなもの。その他いろいろあって戦後に建国記念日を再制定するとき、反対意見を押さえるため「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と名称に「の」をいれて、「この日に建国された」という意味ではなく「建国を祝う日」の趣旨に置き換えられた。すごい政治テクニック! まあほとんどの人は「建国記念の日」と「の」が挟まっていることに気がついていないが。
話がそれた(^^ゞ
ーーー続く
2022年07月25日
桃が発芽、桃だけが発芽
2年前から始めた、食べ終わった果物の種を使った安上がりガーデニング。
4月11日に柿、みかん、せとか、りんご、桃の5品種を植えた。
そのことを紹介した5月15日のブログに
そして種まきから34日が経過した現在、ひとつだけ発芽している
その話はまた後日に
と、もったいぶって書いたのは、まだひとつしか発芽していないから、もう少したくさん発芽してからブログしようと思っていたから。発芽していたのは桃である
しかし4月11日から3ヶ月と14日が経過した現在、
5品種21粒を蒔いた種で発芽しているのは、その時の桃がひとつだけ(/o\)
もういくら何でも残り20粒は発芽できなかったと考えるべきだろう。みかんとせとかは今回が初めてだが、以前に柿とりんごは発芽したの何がいけなかったのだろう。
これは5月19日に撮った写真。
昨日に撮影したもの。
ずいぶんと大きくなったが、まだ「木」という感じはまったくしない。
そろそろひとまわり大きな鉢に植え替える時期かな。
桃以外の皆さんも御一緒に記念撮影(^^ゞ
過去の経験からあまり期待してはいないが、
さてどこまで育ちますか。
4月11日に柿、みかん、せとか、りんご、桃の5品種を植えた。
そのことを紹介した5月15日のブログに
そして種まきから34日が経過した現在、ひとつだけ発芽している
その話はまた後日に
と、もったいぶって書いたのは、まだひとつしか発芽していないから、もう少したくさん発芽してからブログしようと思っていたから。発芽していたのは桃である
しかし4月11日から3ヶ月と14日が経過した現在、
5品種21粒を蒔いた種で発芽しているのは、その時の桃がひとつだけ(/o\)
もういくら何でも残り20粒は発芽できなかったと考えるべきだろう。みかんとせとかは今回が初めてだが、以前に柿とりんごは発芽したの何がいけなかったのだろう。
これは5月19日に撮った写真。
昨日に撮影したもの。
ずいぶんと大きくなったが、まだ「木」という感じはまったくしない。
そろそろひとまわり大きな鉢に植え替える時期かな。
桃以外の皆さんも御一緒に記念撮影(^^ゞ
過去の経験からあまり期待してはいないが、
さてどこまで育ちますか。
2022年07月24日
木村伊兵衛と画家たちの見たパリ 色とりどり その2
「パリの街角」に続く第2のコーナーは「素顔のパリっ子」で、こちらは人物を中心に捉えた作品となっている。昨今はプライバシーや肖像権とかがややこしいが、この頃は「見てよいものは撮ってもよい」だったのどかな時代。
「ミラボー橋、パリ、1955年」
「パリ、1954年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954-1955年」
「パリ、1954-1955年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954-1955年」
「モンマルトル、パリ、1954-1955年」
「パリ、1954-1955年」
最初の1枚は、ひょっとして歩いている女性は仕込み?と思うくらいサマになっているが、総じて人々のありふれた日常の姿が撮られている。まるでパリの街中や路地裏をブラブラ散歩しているような気分。まだまだのんびりとした時代の空気感になごむね。いわゆる花の都パリのイメージはないが、昭和29年当時の日本人にはこれでも相当にオシャレなものに思えたのかも知れない。
下から3枚目のマダムが脚を伸ばしているお店は骨董屋かなんかだろうか。スナップ写真は基本的にストリート写真だから、室内の写真が少ないのは残念なところ。生活の匂いは室内により濃く現れるから、私は絵画でも室内を描いたものが好きなんだけれど。
ところで木村伊兵衛がパリに出かけたのは1954年(昭和29年)と翌55年の2回に分けてである。最初の1954年は日本人写真家としては戦後初めてのことだったらしい(終戦は1945年・昭和20年ね)。しかし作品タイトルに「1954-1955年」とあるのはナゼ? いつ撮影したものか整理できていなかったのかな?
さて実はーーー
写真展や写真集を見ていつも思うことがある。
それは素晴らしいと思った写真があったとして、それが
カメラマンの才能や能力に依るのか
被写体自体の魅力なのか
ということ。
昔、まだタバコの広告があった頃、マイルドセブンの雑誌広告に南極の写真を使ったものがあった。写っているのは氷山と青空だけなのに、なぜかその風景が好きでよく眺めていたし、新しい広告が出るのを楽しみにしていた。
しかしあるとき、私でも南極まで行けばこんな写真は撮れる−−−と気づく(^^ゞ その頃からそんなことを考え始めたような気がする。
これは15年ほど前に、ミラノの下町ぽいエリアで私が撮った写真。もちろん地元の人には風景的な価値はなくて、こんなところを写真に撮るのは観光客だけだろう。つまり外国の街並みという被写体に魅力がある。私だって自宅近くの交差点を撮ったりしない。
その場所にしばらくいると、自転車なのにジャケットにネクタイをしている、実に味のあるジイさんがたまたま通りかかった。この写真はけっこうお気に入り。もちろんこの写真の価値は被写体が100%を占める。
素人写真のことはさておいて、プロの写真の価値はカメラマンの才能や能力と、被写体自体の魅力の掛け算だとは一応理解している。付け加えるなら、その被写体を探す・見つける・撮りに行く労力を含めての評価だろう。
ただ掛け算だとしても、それでも才能や能力と、被写体の比重はどれくらいなんだろうと考えてしまうのは理屈っぽいかな。えっ、絵画と較べて写真を見下していないかって? まったくそうじゃない。絵の展覧会に出かけても、これくらいなら私でも描けるとしょっちゅう思っているから(^^ゞ
ーーー続く
「ミラボー橋、パリ、1955年」
「パリ、1954年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954-1955年」
「パリ、1954-1955年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954-1955年」
「モンマルトル、パリ、1954-1955年」
「パリ、1954-1955年」
最初の1枚は、ひょっとして歩いている女性は仕込み?と思うくらいサマになっているが、総じて人々のありふれた日常の姿が撮られている。まるでパリの街中や路地裏をブラブラ散歩しているような気分。まだまだのんびりとした時代の空気感になごむね。いわゆる花の都パリのイメージはないが、昭和29年当時の日本人にはこれでも相当にオシャレなものに思えたのかも知れない。
下から3枚目のマダムが脚を伸ばしているお店は骨董屋かなんかだろうか。スナップ写真は基本的にストリート写真だから、室内の写真が少ないのは残念なところ。生活の匂いは室内により濃く現れるから、私は絵画でも室内を描いたものが好きなんだけれど。
ところで木村伊兵衛がパリに出かけたのは1954年(昭和29年)と翌55年の2回に分けてである。最初の1954年は日本人写真家としては戦後初めてのことだったらしい(終戦は1945年・昭和20年ね)。しかし作品タイトルに「1954-1955年」とあるのはナゼ? いつ撮影したものか整理できていなかったのかな?
さて実はーーー
写真展や写真集を見ていつも思うことがある。
それは素晴らしいと思った写真があったとして、それが
カメラマンの才能や能力に依るのか
被写体自体の魅力なのか
ということ。
昔、まだタバコの広告があった頃、マイルドセブンの雑誌広告に南極の写真を使ったものがあった。写っているのは氷山と青空だけなのに、なぜかその風景が好きでよく眺めていたし、新しい広告が出るのを楽しみにしていた。
しかしあるとき、私でも南極まで行けばこんな写真は撮れる−−−と気づく(^^ゞ その頃からそんなことを考え始めたような気がする。
これは15年ほど前に、ミラノの下町ぽいエリアで私が撮った写真。もちろん地元の人には風景的な価値はなくて、こんなところを写真に撮るのは観光客だけだろう。つまり外国の街並みという被写体に魅力がある。私だって自宅近くの交差点を撮ったりしない。
その場所にしばらくいると、自転車なのにジャケットにネクタイをしている、実に味のあるジイさんがたまたま通りかかった。この写真はけっこうお気に入り。もちろんこの写真の価値は被写体が100%を占める。
素人写真のことはさておいて、プロの写真の価値はカメラマンの才能や能力と、被写体自体の魅力の掛け算だとは一応理解している。付け加えるなら、その被写体を探す・見つける・撮りに行く労力を含めての評価だろう。
ただ掛け算だとしても、それでも才能や能力と、被写体の比重はどれくらいなんだろうと考えてしまうのは理屈っぽいかな。えっ、絵画と較べて写真を見下していないかって? まったくそうじゃない。絵の展覧会に出かけても、これくらいなら私でも描けるとしょっちゅう思っているから(^^ゞ
ーーー続く
2022年07月23日
木村伊兵衛と画家たちの見たパリ 色とりどり
今年の2月に見に行った写真展(絵画も少しあった)。その時の「目黒区美術館のおかしな対応」についてはブログにしたが、肝心の写真展について書くのをすっかり忘れていた。
それはこの写真展がつまらなかったからではなく、かなり満足したのだけれど、やはり絵画と較べればグッと迫ってこないというか、ファンタジーである絵画と違って、写真は現実なので作品と妄想コミュニケーションする余地が少ないというかーーーそんなことが影響したのかズルズルと時間が過ぎてしまった。
木村伊兵衛(いへい)は明治34年(1901年)生まれで昭和49年(1974年)に72歳で没。戦前・戦後を通じて活動した最も著名な写真家の1人。とはいえ世間一般的な知名度はゼロに近いだろう。もちろん私も知らなかった。ちなみにウィキペディアに日本の写真家一覧として850名ほどの写真家が載っているが、知っている名前は10名に満たない。そのほとんどはヌードを撮ってる写真家なのは内緒(^^ゞ
それはともかく木村伊兵衛はスナップ写真の名手とされる。スナップ写真の正確な定義は知らないが、おもに街中で「おっ、これは!」と感じたものを撮ったのがスナップ写真だと思っている。人が写っている場合は撮影を意識させないのがポイント。スナップと聞くと「スナップをきかせる」から手首を連想するかも知れないが、手首はリストね。snapには瞬時に動作するさまを表現する言葉。意味は広いから詳しくは自分で調べてちょうだい。
これは50歳代くらいの写真かな。
こちらはもう少し後に撮られたものだろう。
それにしても同じ人物には見えない。その理由はおそらくポートレート撮影の「決め顔」とスナップ撮影された「緩い顔」の違いだろう。意外とこの2枚がスナップ写真の本質を表していたりして。また昭和の中頃過ぎまで「画家はベレー帽を被る」というお約束的なイメージがあったがカメラマンもそうだったのかな。あるいは単に彼の好みか。
さてこの写真展は木村伊兵衛が1954年(昭和29年)と55年にパリを訪れたときのスナップ写真が展示されている。年齢的には50歳代中頃となる。
写真展示は4部構成で最初のコーナーのタイトルは「パリの街角」。
なかなかバランスよく画像を集められなかったがいくつかを紹介しておく。
「地下鉄高架、パリ、1955年」
「デュプレクス地下鉄高架駅、パリ、1955年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954-1955年」
ほとんど予備知識なしで展覧会を訪れたが、最初の何点かを見て少し違和感を覚えた。それは1954年とか55年と書かれていたにもかかわらずカラー写真だったから。私の記憶つまり我が家のアルバムでカラー写真が登場するのは1960年代になってから。それに初期のカラー写真は少し色が薄いというか浅かった印象があるのに、展示されていた写真は妙に色がコッテリしているものも多く不自然に感じた。
それで「これは白黒写真に着色を施してカラー化したもの」だと思った。たまたま学芸員が通りかかったのでそのことを尋ねると「いいえカラー写真です。富士フイルムが開発した国産初のカラーフィルムを使って撮影しています」との答え。
そんなに昔からカラーフィルムがあるとは知らなかった。富士フイルムのホームページで調べてみると最初に発売されたカラーフィルムは大型カメラ用が1948年(昭和23年)、一般的な35mmサイズが翌1949年。ただしそれらはリバーサル=スライドに用いるフィルム。プロはリバーサルで撮影するから木村伊兵衛がパリに持っていったのはこれだろう。
そして一般的な35mmサイズで紙にプリントできるカラーフィルムは1958年(昭和33年)に発売された。当時は現像所がひとつしかなく現像に2週間を要していたらしい。全国各地に現像所ができて家庭でカラー写真が普及し始めたのが1960年代の中頃からのようだ。
「ブロボ通り、モンマルトル、パリ、1954-1955年」
「パリ、1954-1955年」
「古い街、パリ、1954年」
「パリ、1954年」
「裏通り、メニルモンタン、パリ、1954年」
「エトワール広場、パリ、1955年」
さてこれらの写真が国産初のカラーフィルムで撮影されているとしても、それなりにレタッチ(補正・修正)が施されていると思う。作品リストには「木村伊兵衛が撮影したオリジナルの写真をデジタルデータ化しプリントしたものです」と書かれていた。セピアに近い写真と見較べると、おそらく色数が多い場面の写真は彩度を上げる(色を濃くする)方向に仕上げられているのでは?
今では写真のレタッチはスマホでもできるし、デジタルならではの技術と思われているが、アナログのフィルム時代でもレタッチはおこなわれていた(具体的にどんな作業かは知らない)。写真(作品)はシャッターを切ったらそれで完成ではないのである。
フィルム時代のレタッチは白黒写真はカメラマン自身が、カラー写真なら現像所の技術者に指示しておこなうことが多かったように思う。いずれにせよそのレタッチには本人の意向が反映されている。しかし木村伊兵衛はもう亡くなっているのだから、展覧会で見た写真は100%彼の作品といえるのかと思ったり。それがどうしたな類いの話ではあるけれど。
それはさておき1954年〜55年(昭和29年〜30年)のパリの雰囲気が感じられるのは楽しいね。写真の魅力は時間と空間を一瞬でワープできるところ。もちろんデジカメの映像を見慣れた目には精彩・細密感がまるでない写真であるが、それもノスタルジックな味わいでよし。ただこの時代にタイムマシンで訪れて、最新のデジカメで撮ったらどんな写真になるのだろうかと妄想が膨らむ。
ところで下から3枚目のクルマがとても気になる。おそらくは第2次世界大戦前のまだレーシングカーとスポーツカーの区別が曖昧だった頃のクルマ。ボディー後半の絞り込まれたような形はボートテイル(船の後ろ)と呼ばれたデザイン。右ハンドルだからイギリス車か? 30分ほどネットで調べたが車種名は分からなかった。それにしてもこんなクルマが街中に駐まっているなんて刺激的。もし一緒に写っているバアさんが、颯爽とこのクルマに乗り込んだら惚れるわ(^^ゞ
ーーー続く
それはこの写真展がつまらなかったからではなく、かなり満足したのだけれど、やはり絵画と較べればグッと迫ってこないというか、ファンタジーである絵画と違って、写真は現実なので作品と妄想コミュニケーションする余地が少ないというかーーーそんなことが影響したのかズルズルと時間が過ぎてしまった。
木村伊兵衛(いへい)は明治34年(1901年)生まれで昭和49年(1974年)に72歳で没。戦前・戦後を通じて活動した最も著名な写真家の1人。とはいえ世間一般的な知名度はゼロに近いだろう。もちろん私も知らなかった。ちなみにウィキペディアに日本の写真家一覧として850名ほどの写真家が載っているが、知っている名前は10名に満たない。そのほとんどはヌードを撮ってる写真家なのは内緒(^^ゞ
それはともかく木村伊兵衛はスナップ写真の名手とされる。スナップ写真の正確な定義は知らないが、おもに街中で「おっ、これは!」と感じたものを撮ったのがスナップ写真だと思っている。人が写っている場合は撮影を意識させないのがポイント。スナップと聞くと「スナップをきかせる」から手首を連想するかも知れないが、手首はリストね。snapには瞬時に動作するさまを表現する言葉。意味は広いから詳しくは自分で調べてちょうだい。
これは50歳代くらいの写真かな。
こちらはもう少し後に撮られたものだろう。
それにしても同じ人物には見えない。その理由はおそらくポートレート撮影の「決め顔」とスナップ撮影された「緩い顔」の違いだろう。意外とこの2枚がスナップ写真の本質を表していたりして。また昭和の中頃過ぎまで「画家はベレー帽を被る」というお約束的なイメージがあったがカメラマンもそうだったのかな。あるいは単に彼の好みか。
さてこの写真展は木村伊兵衛が1954年(昭和29年)と55年にパリを訪れたときのスナップ写真が展示されている。年齢的には50歳代中頃となる。
写真展示は4部構成で最初のコーナーのタイトルは「パリの街角」。
なかなかバランスよく画像を集められなかったがいくつかを紹介しておく。
「地下鉄高架、パリ、1955年」
「デュプレクス地下鉄高架駅、パリ、1955年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954年」
「パリ、1955年」
「パリ、1954-1955年」
ほとんど予備知識なしで展覧会を訪れたが、最初の何点かを見て少し違和感を覚えた。それは1954年とか55年と書かれていたにもかかわらずカラー写真だったから。私の記憶つまり我が家のアルバムでカラー写真が登場するのは1960年代になってから。それに初期のカラー写真は少し色が薄いというか浅かった印象があるのに、展示されていた写真は妙に色がコッテリしているものも多く不自然に感じた。
それで「これは白黒写真に着色を施してカラー化したもの」だと思った。たまたま学芸員が通りかかったのでそのことを尋ねると「いいえカラー写真です。富士フイルムが開発した国産初のカラーフィルムを使って撮影しています」との答え。
そんなに昔からカラーフィルムがあるとは知らなかった。富士フイルムのホームページで調べてみると最初に発売されたカラーフィルムは大型カメラ用が1948年(昭和23年)、一般的な35mmサイズが翌1949年。ただしそれらはリバーサル=スライドに用いるフィルム。プロはリバーサルで撮影するから木村伊兵衛がパリに持っていったのはこれだろう。
そして一般的な35mmサイズで紙にプリントできるカラーフィルムは1958年(昭和33年)に発売された。当時は現像所がひとつしかなく現像に2週間を要していたらしい。全国各地に現像所ができて家庭でカラー写真が普及し始めたのが1960年代の中頃からのようだ。
「ブロボ通り、モンマルトル、パリ、1954-1955年」
「パリ、1954-1955年」
「古い街、パリ、1954年」
「パリ、1954年」
「裏通り、メニルモンタン、パリ、1954年」
「エトワール広場、パリ、1955年」
さてこれらの写真が国産初のカラーフィルムで撮影されているとしても、それなりにレタッチ(補正・修正)が施されていると思う。作品リストには「木村伊兵衛が撮影したオリジナルの写真をデジタルデータ化しプリントしたものです」と書かれていた。セピアに近い写真と見較べると、おそらく色数が多い場面の写真は彩度を上げる(色を濃くする)方向に仕上げられているのでは?
今では写真のレタッチはスマホでもできるし、デジタルならではの技術と思われているが、アナログのフィルム時代でもレタッチはおこなわれていた(具体的にどんな作業かは知らない)。写真(作品)はシャッターを切ったらそれで完成ではないのである。
フィルム時代のレタッチは白黒写真はカメラマン自身が、カラー写真なら現像所の技術者に指示しておこなうことが多かったように思う。いずれにせよそのレタッチには本人の意向が反映されている。しかし木村伊兵衛はもう亡くなっているのだから、展覧会で見た写真は100%彼の作品といえるのかと思ったり。それがどうしたな類いの話ではあるけれど。
それはさておき1954年〜55年(昭和29年〜30年)のパリの雰囲気が感じられるのは楽しいね。写真の魅力は時間と空間を一瞬でワープできるところ。もちろんデジカメの映像を見慣れた目には精彩・細密感がまるでない写真であるが、それもノスタルジックな味わいでよし。ただこの時代にタイムマシンで訪れて、最新のデジカメで撮ったらどんな写真になるのだろうかと妄想が膨らむ。
ところで下から3枚目のクルマがとても気になる。おそらくは第2次世界大戦前のまだレーシングカーとスポーツカーの区別が曖昧だった頃のクルマ。ボディー後半の絞り込まれたような形はボートテイル(船の後ろ)と呼ばれたデザイン。右ハンドルだからイギリス車か? 30分ほどネットで調べたが車種名は分からなかった。それにしてもこんなクルマが街中に駐まっているなんて刺激的。もし一緒に写っているバアさんが、颯爽とこのクルマに乗り込んだら惚れるわ(^^ゞ
ーーー続く
2022年07月20日
2022年チューリップ総集編その4 定点時系列観察
定点で観察するのは必然的に何度も観察するわけだから、定点時系列観察というのは言葉的には意味がダブっているかも知れない。まあそれはともかく、チューリップがそこそこ大きくなってきたら、プランターの置いてある範囲全体を写真に撮って記録する習慣がついている。それによって特に何かを発見したことはないが。
それでは毎度お馴染みのフォーマットで。
基本的に1週間毎の土曜か日曜に撮影している。
なお今シーズンの初発芽は1月27日。
一番賑やかなのは4月9日と16日の写真。花の開き具合がかなり違うのは、おそらく16日が曇っていたせいだろう。とにかくこの2日を挟んだ期間が今年のピークだった。これは昨年より1週間遅い。それは2月の平均気温が昨年の8.5度と較べて5.2度と低かったのが影響しているように思う。
ベランダは細長いので、横方向から全体を捉えることができない(カメラ位置を引くことができないから)。それでこれは4月12日に室内から窓ガラス越しに撮った写真。今年はたくさん咲いたから、よっぽどうれしかったんだろう(^^ゞ
今シーズンの特記事項は2017年シーズンに初めて現れ、それ以降も毎年発生していたアブラムシが出なかったこと。
ちなみにベランダに並んでいるシルバーの物体は、光りを嫌うとされるアブラムシ対策としてペットボトルにアルミ箔を巻き付けたもの。ただし2019年シーズンから置き始めて、それでもアブラムシは現れ続けたたから効果はあまりない。多少アブラムシの数は減少したものの、それがアルミ箔によるものなのかは不明。
今年アブラムシが出なかったのは、おそらくアブラムシ殺虫剤入りの液体肥料を使ったから。肥料を撒いたのは2回程度だったのに効果は抜群。もっともたまたま今年はアブラムシが寄ってこなかった可能性もあり、何年か続けてみないと断定はできないけれど。
話は変わるが、毎年こんな模様入りの葉ができるのに、
成長するにつれていつの間にか模様が消えるのが不思議。
これは5月19日に撮った最後の写真。
まさに「ツワモノどもが夢の後」。
2022年シーズンのチューリップ日記は今回にて終了。
またあっという間に2023年シーズンの植え付け時期がやってくる。
それでは毎度お馴染みのフォーマットで。
基本的に1週間毎の土曜か日曜に撮影している。
なお今シーズンの初発芽は1月27日。
一番賑やかなのは4月9日と16日の写真。花の開き具合がかなり違うのは、おそらく16日が曇っていたせいだろう。とにかくこの2日を挟んだ期間が今年のピークだった。これは昨年より1週間遅い。それは2月の平均気温が昨年の8.5度と較べて5.2度と低かったのが影響しているように思う。
ベランダは細長いので、横方向から全体を捉えることができない(カメラ位置を引くことができないから)。それでこれは4月12日に室内から窓ガラス越しに撮った写真。今年はたくさん咲いたから、よっぽどうれしかったんだろう(^^ゞ
今シーズンの特記事項は2017年シーズンに初めて現れ、それ以降も毎年発生していたアブラムシが出なかったこと。
ちなみにベランダに並んでいるシルバーの物体は、光りを嫌うとされるアブラムシ対策としてペットボトルにアルミ箔を巻き付けたもの。ただし2019年シーズンから置き始めて、それでもアブラムシは現れ続けたたから効果はあまりない。多少アブラムシの数は減少したものの、それがアルミ箔によるものなのかは不明。
今年アブラムシが出なかったのは、おそらくアブラムシ殺虫剤入りの液体肥料を使ったから。肥料を撒いたのは2回程度だったのに効果は抜群。もっともたまたま今年はアブラムシが寄ってこなかった可能性もあり、何年か続けてみないと断定はできないけれど。
話は変わるが、毎年こんな模様入りの葉ができるのに、
成長するにつれていつの間にか模様が消えるのが不思議。
これは5月19日に撮った最後の写真。
まさに「ツワモノどもが夢の後」。
2022年シーズンのチューリップ日記は今回にて終了。
またあっという間に2023年シーズンの植え付け時期がやってくる。
2022年07月19日
掛け軸や絵巻は巻かない方がいいんじゃない?
日本画には掛け軸や絵巻といった形のものがある。大きなサイズの作品は屏風(びょうぶ)や襖絵(ふすまえ)で、小さなものは掛け軸にする文化だったというイメージを持っている(絵巻は長編絵画みたいなものだから特殊なジャンル)。そして掛け軸サイズでない日本画が描かれて額装されるようになったのは、明治以降に西洋画の影響を受けてからと思う。もっと後のことかも知れない。
掛け軸や絵巻はクルクルと巻いて収納する。コンパクトになって場所を取らずに便利。ただし紙や布(日本画は絹の布に描くのが一般的)を丸めるのだから、当然ながらシワが寄ったり波打ったりする。
これは5月に見てきた鏑木清方の作品。彼は1972年(昭和47年)まで生きた画家だから、つまり作品はまだそれほど古くないから、巻いたことによるダメージはそれほど大きくない。それでもカタログの画像と較べると形が歪んでいるし、波打って無地の背景が陰影のように見える。
こちらは江戸時代前期の17世紀に描かれた菱川師宣(もろのぶ)の見返り美人図。
けっこうシワクチャ(>_<) ※展示写真はhttps://go-to-museums.com/beautylookingback-1834からの引用
もちろんダメージがひどくなってくれば修復作業がおこなわれる。それがどうのような作業かは知らないが、巻かなければ傷まないのにと思うのは私だけかな。驚いたことに国宝や重要文化財でも展示していないときは巻かれている(何度かそんなシーンをテレビで見た)。
家庭では収納場所に困るから巻物にするのは合理性があるとしても、美術館なら作品の保全を優先すべきだと思うのだが。
そんなことを考えながらネットで調べていると興味深いものを見つけた。写真は名古屋にある徳川美術館が所蔵している源氏物語絵巻。平安時代末期の作品で国宝に指定されている。教科書で見た記憶がある人も多いかと思う。
徳川美術館によると
3巻の絵巻だったものを
昭和7年(1932)に額装に改めた(つまり切り離した)
当時はそれが最善と判断したが、80年が経過して弊害が生じたため、
2016年から5年かけて絵巻に戻した
とのこと。その際に絵巻の軸の直径を大きくして巻くことによる負担を少なくしたらしいが、それでも巻いたり広げたりを繰り返せば傷むでしょ。額装で生じた弊害が具体的に何かは分からないが、遠い将来のことまでを考えるなら巻かずに保管して欲しい。もちろん掛け軸と違って絵巻は長いから大変だろうが(源氏物語絵巻は1巻が5〜7m)、国宝ならそれくらいはしましょう。もちろん11mちょっとある鳥獣戯画も是非。
美術館関係者の皆様ご一考を。
話は変わるが、シワが寄ったりしている掛け軸の作品。例として上げたものを見てもわかるように、それらもカタログ写真ではきれいに真っ平らである。シワの部分つまり元の絵に対して歪んでいる箇所の分量をコンピューターで計算して補正することは可能。しかしそんなことができるようになったのは20年ほど前からの話。パソコンがなかった時代からカタログの写真は真っ平らだった。
どうやって撮影しているのだろう。パッと思いつくのはガラス板を載せてシワを伸ばす方法。油絵と違って日本画に凹凸はないから可能だろうが、まさかね? とにかくナゾ
掛け軸や絵巻はクルクルと巻いて収納する。コンパクトになって場所を取らずに便利。ただし紙や布(日本画は絹の布に描くのが一般的)を丸めるのだから、当然ながらシワが寄ったり波打ったりする。
これは5月に見てきた鏑木清方の作品。彼は1972年(昭和47年)まで生きた画家だから、つまり作品はまだそれほど古くないから、巻いたことによるダメージはそれほど大きくない。それでもカタログの画像と較べると形が歪んでいるし、波打って無地の背景が陰影のように見える。
こちらは江戸時代前期の17世紀に描かれた菱川師宣(もろのぶ)の見返り美人図。
けっこうシワクチャ(>_<) ※展示写真はhttps://go-to-museums.com/beautylookingback-1834からの引用
もちろんダメージがひどくなってくれば修復作業がおこなわれる。それがどうのような作業かは知らないが、巻かなければ傷まないのにと思うのは私だけかな。驚いたことに国宝や重要文化財でも展示していないときは巻かれている(何度かそんなシーンをテレビで見た)。
家庭では収納場所に困るから巻物にするのは合理性があるとしても、美術館なら作品の保全を優先すべきだと思うのだが。
そんなことを考えながらネットで調べていると興味深いものを見つけた。写真は名古屋にある徳川美術館が所蔵している源氏物語絵巻。平安時代末期の作品で国宝に指定されている。教科書で見た記憶がある人も多いかと思う。
徳川美術館によると
3巻の絵巻だったものを
昭和7年(1932)に額装に改めた(つまり切り離した)
当時はそれが最善と判断したが、80年が経過して弊害が生じたため、
2016年から5年かけて絵巻に戻した
とのこと。その際に絵巻の軸の直径を大きくして巻くことによる負担を少なくしたらしいが、それでも巻いたり広げたりを繰り返せば傷むでしょ。額装で生じた弊害が具体的に何かは分からないが、遠い将来のことまでを考えるなら巻かずに保管して欲しい。もちろん掛け軸と違って絵巻は長いから大変だろうが(源氏物語絵巻は1巻が5〜7m)、国宝ならそれくらいはしましょう。もちろん11mちょっとある鳥獣戯画も是非。
美術館関係者の皆様ご一考を。
話は変わるが、シワが寄ったりしている掛け軸の作品。例として上げたものを見てもわかるように、それらもカタログ写真ではきれいに真っ平らである。シワの部分つまり元の絵に対して歪んでいる箇所の分量をコンピューターで計算して補正することは可能。しかしそんなことができるようになったのは20年ほど前からの話。パソコンがなかった時代からカタログの写真は真っ平らだった。
どうやって撮影しているのだろう。パッと思いつくのはガラス板を載せてシワを伸ばす方法。油絵と違って日本画に凹凸はないから可能だろうが、まさかね? とにかくナゾ
2022年07月12日
ジューシーのナゾ
ジューシーとはもちろんジュースのような味がすることではなく、水分が多いとか瑞々(みずみず)しいという意味。主に野菜や果物に対して使われるが、ステーキの肉汁などでも言うかな。ちなみに英語では「儲かる、魅力的、興味をそそる」などのくだけた表現としても使われる。おいしい話だと juicy offer 。芸人が使う「おいしい」に juicy が当てはまるかどうかは知らない。
ところで我々が飲む水は水道水にせよミネラルウォーターにせよ、極めて混じりけの少ない水である。それが衛生的ということになっている。しかし動物はペットを含めて水たまりの水でも平気で飲む。アフリカの草原で象などが大きな水たまりで水浴びをして、ついでにウンチもしながら(^^ゞ そこの水を飲んでいる映像もたまに見る。水の汚れがどの程度なら飲めるのかが昔からの疑問。
さてジューシー。
その水分はもちろん根から吸収したものである。ジューシーな野菜や果物に限らず、作物には多かれ少なかれ水分が含まれている。例えば米(精米)だと重量比で15%ほど。そして作物に与える水はもちろん水道水やミネラルウォーターじゃない。雨水、川の水、ため池の水などが使われる。例え水道水を使ったとしても地面に撒くのだから、結果的には泥水になる。つまり人間が飲もうとは思わない水である。
それらの水にはいろいろと細菌も含まれているはず。そのすべてが有害ではないのだろうが、汚いというかきれいではない水を吸収した作物を食べて健康に問題がないのだから、理屈的には濾過あるいは殺菌されていることになる。
おそらく根がフィルターの役割を持っていて、H2Oの水分子と、窒素やリン酸などの栄養素となる分子しか通さないのだろう。調べてみると分子の大きさは1〜10ナノメートル(ナノはミリの100万分の1)、細菌は1000〜5000ナノメートルだから濾し分けはできそうである。あるいは根ではなく細胞に取り込むときに濾し分けられるのか。もちろんこれは私の想像だかから科学的に正しいかどうかは分からないが。
スイカや桃を食べながら「コイツら泥水を吸って育ったはずなのに?」と思ったのがきっかけで、どうでもいいことを書いたしだい。
ところで我々が飲む水は水道水にせよミネラルウォーターにせよ、極めて混じりけの少ない水である。それが衛生的ということになっている。しかし動物はペットを含めて水たまりの水でも平気で飲む。アフリカの草原で象などが大きな水たまりで水浴びをして、ついでにウンチもしながら(^^ゞ そこの水を飲んでいる映像もたまに見る。水の汚れがどの程度なら飲めるのかが昔からの疑問。
さてジューシー。
その水分はもちろん根から吸収したものである。ジューシーな野菜や果物に限らず、作物には多かれ少なかれ水分が含まれている。例えば米(精米)だと重量比で15%ほど。そして作物に与える水はもちろん水道水やミネラルウォーターじゃない。雨水、川の水、ため池の水などが使われる。例え水道水を使ったとしても地面に撒くのだから、結果的には泥水になる。つまり人間が飲もうとは思わない水である。
それらの水にはいろいろと細菌も含まれているはず。そのすべてが有害ではないのだろうが、汚いというかきれいではない水を吸収した作物を食べて健康に問題がないのだから、理屈的には濾過あるいは殺菌されていることになる。
おそらく根がフィルターの役割を持っていて、H2Oの水分子と、窒素やリン酸などの栄養素となる分子しか通さないのだろう。調べてみると分子の大きさは1〜10ナノメートル(ナノはミリの100万分の1)、細菌は1000〜5000ナノメートルだから濾し分けはできそうである。あるいは根ではなく細胞に取り込むときに濾し分けられるのか。もちろんこれは私の想像だかから科学的に正しいかどうかは分からないが。
スイカや桃を食べながら「コイツら泥水を吸って育ったはずなのに?」と思ったのがきっかけで、どうでもいいことを書いたしだい。
2022年07月11日
2022年チューリップ総集編その3 ヘンタイ・ガーデニング(^^ゞ
花なんてものはキレイな姿を愛でたり写真に撮ったりするもの。私もあちこちのガーデンに出かけたときはそうしている。というか人間の脳は見たいものしか見ないので傷んだ花はあまり目に入らない。正確にいうなら脳が認識から除外する。
なんだけれど自宅で球根から栽培すると、芽が出たときから朽ち果てるまでを見届けてやろうという気になるから不思議。愛着とは別に、意外と形が面白かったり新たな発見があったりする。チューリップを育てている人は多いから、チューリップについて書かれたブログなどもたくさんあるだろうが、盛りの過ぎた花の姿をこんなにたくさん載せているのは他にないはずと、まったく無駄な自負を持っている(^^ゞ
さてチューリップ・ヘンタイの基本はやはり雄しべ雌しべかな。
変態観察を続けて得た知識を紹介。チューリップの雌しべは3方向に分かれたものと、もっと複雑なヒダになっているものがある。
これは3方向タイプだけれど、少し波打っている。
また黄色の雌しべは割と珍しい。
3方向タイプで、それぞれが離れたタイプもある。
そんなことを頭の片隅にでも置きながら、
雄しべ雌しべのカワイイ姿を眺めて、ヘンタイ初級者コースを楽しんでちょうだい。
さてチューリップの花は日が当たると開いて、日が沈むと閉じる。この写真はツボミではなく、この日は雨で日差しが弱く、かなり満開になってきたチューリップが日中でも花を開かなかった姿。
花が開くのは虫を誘い込んで受粉するためだろう。でもこれは欲張って開きすぎ! 隣の赤や黄色のチューリップ見較べて欲しい。白いチューリップはたいていこうなるが、他の色は特に濃淡での傾向がなく品種によるのだと思っている。
上の状態にまで開いたチューリップも、日が暮れればある程度は閉じるというかスボむ。しかし、このように花びらが細くなるともう開きぱなしで、後は花びらが落ちるだけ。
とにかくこの開ききったチューリップはとてもブサイク。一般的にはそうなる前に花がら摘み(痛んだ花を切り取ること)をするのだろうが、何となくそれもかわいそうな気がしてできない。まあその後のもっと朽ちていく姿を楽しむヘンタイ趣味も影響しているが。しかしヘンタイを自負していてもこの姿は苦手(>_<)
赤いチューリップはガバーッと開くのではなく、
花びらが丸まっていくことも多い。
そして徐々に巻きが強くなる。
花としては盛りを過ぎているのに、まったく色艶が衰えていないのがスゴイ。
最後はチューリップとはまったく別物の花に。まるで分厚い唇みたい。
めでたく今シーズンのブサカワ大賞に決定。いや、これはこれで美しいかも。
先ほどの雄しべ雌しべが剥き出しになったのと違って、まだ花びらが多く残っている状態のものを。この1枚か2枚の花びらが垂れ下がって、他のものがまだ立っている姿にけっこうソソられる(^^ゞ
花びら&雄しべ雌しべシリーズあれこれ。
こういう朽ちていく変化に興味が出ればヘンタイ中級者の仲間入り(^^ゞ
雄しべについている花粉の色が変わるなんてことにも気づくようになる。
これは今シーズンのオモシロ写真の上位2選。
2枚目はちびまる子ちゃんの花輪クンを連想しない?
さて多くのチューリップは花びらが閉じなくなって、やがて散る。
つまり花びらを落とす。
しかし散らずに、花びらがクシュクシュと縮むものもある。これがなかなかに風情を醸し出す姿で、それゆえになかなかプランターを片付けられない。
同じ花での移り変わり。
次の4枚の写真はけっこう生々しく撮れているから、もしパソコンでこのブログを読んでいるならクリックして拡大して欲しい。そしてその姿にゾクッとするものを感じたら、もうあなたもすっかりチューリップ・ヘンタイ上級者!
なんだけれど自宅で球根から栽培すると、芽が出たときから朽ち果てるまでを見届けてやろうという気になるから不思議。愛着とは別に、意外と形が面白かったり新たな発見があったりする。チューリップを育てている人は多いから、チューリップについて書かれたブログなどもたくさんあるだろうが、盛りの過ぎた花の姿をこんなにたくさん載せているのは他にないはずと、まったく無駄な自負を持っている(^^ゞ
さてチューリップ・ヘンタイの基本はやはり雄しべ雌しべかな。
変態観察を続けて得た知識を紹介。チューリップの雌しべは3方向に分かれたものと、もっと複雑なヒダになっているものがある。
これは3方向タイプだけれど、少し波打っている。
また黄色の雌しべは割と珍しい。
3方向タイプで、それぞれが離れたタイプもある。
そんなことを頭の片隅にでも置きながら、
雄しべ雌しべのカワイイ姿を眺めて、ヘンタイ初級者コースを楽しんでちょうだい。
さてチューリップの花は日が当たると開いて、日が沈むと閉じる。この写真はツボミではなく、この日は雨で日差しが弱く、かなり満開になってきたチューリップが日中でも花を開かなかった姿。
花が開くのは虫を誘い込んで受粉するためだろう。でもこれは欲張って開きすぎ! 隣の赤や黄色のチューリップ見較べて欲しい。白いチューリップはたいていこうなるが、他の色は特に濃淡での傾向がなく品種によるのだと思っている。
上の状態にまで開いたチューリップも、日が暮れればある程度は閉じるというかスボむ。しかし、このように花びらが細くなるともう開きぱなしで、後は花びらが落ちるだけ。
とにかくこの開ききったチューリップはとてもブサイク。一般的にはそうなる前に花がら摘み(痛んだ花を切り取ること)をするのだろうが、何となくそれもかわいそうな気がしてできない。まあその後のもっと朽ちていく姿を楽しむヘンタイ趣味も影響しているが。しかしヘンタイを自負していてもこの姿は苦手(>_<)
赤いチューリップはガバーッと開くのではなく、
花びらが丸まっていくことも多い。
そして徐々に巻きが強くなる。
花としては盛りを過ぎているのに、まったく色艶が衰えていないのがスゴイ。
最後はチューリップとはまったく別物の花に。まるで分厚い唇みたい。
めでたく今シーズンのブサカワ大賞に決定。いや、これはこれで美しいかも。
先ほどの雄しべ雌しべが剥き出しになったのと違って、まだ花びらが多く残っている状態のものを。この1枚か2枚の花びらが垂れ下がって、他のものがまだ立っている姿にけっこうソソられる(^^ゞ
花びら&雄しべ雌しべシリーズあれこれ。
こういう朽ちていく変化に興味が出ればヘンタイ中級者の仲間入り(^^ゞ
雄しべについている花粉の色が変わるなんてことにも気づくようになる。
これは今シーズンのオモシロ写真の上位2選。
2枚目はちびまる子ちゃんの花輪クンを連想しない?
さて多くのチューリップは花びらが閉じなくなって、やがて散る。
つまり花びらを落とす。
しかし散らずに、花びらがクシュクシュと縮むものもある。これがなかなかに風情を醸し出す姿で、それゆえになかなかプランターを片付けられない。
同じ花での移り変わり。
次の4枚の写真はけっこう生々しく撮れているから、もしパソコンでこのブログを読んでいるならクリックして拡大して欲しい。そしてその姿にゾクッとするものを感じたら、もうあなたもすっかりチューリップ・ヘンタイ上級者!
2022年07月04日
2022年チューリップ総集編その2 答え合わせ
今シーズンは200球を植えて171本が咲き、開花率がメデタク90%に達したことは以前に書いた。答え合わせというのは、どの品種が咲いてどの品種が咲かなかったかの確認。
過去2シーズンの記録は
2021年シーズン 21品種を植えて咲いたのが19品種、咲かなかったのが2品種
2020年シーズン 24品種を植えて咲いたのが21品種、咲かなかったのが3品種
ただしこれはたくさん植えた中で1輪でも花が開けば咲いたとカウントしているし、商品カタログとかなり違った花が咲いても不問としている。上記の咲かなかった品種の割合は9.5%と12.5%で、2シーズンを通算すれば約11%。つまりチューリップの球根を10品種買えば、そのうちの1つは咲かない計算。他の花を育てたことがあまりないが、そんなものなのかなあ。かなり比率が高い気がするけれど。
さて今シーズンは
21品種を植えて咲いたのが18品種、咲かなかったのが3品種
だった。比率は14.3%になる。開花率はよかったのに、ちょっとハラタツ(^^ゞ
以下は答え合わせの詳細。
単色のチューリップは1色1品種でカウントしている。
赤・白・黄色と紫は咲いたが、なぜかピンクが咲かず。単色は何度も植えていて咲かない色なんてなかったのに。微妙にショック。
この国華園(球根販売会社)のみかんブレンドという商品は、以前にオレンジブレンドの名前で売られていた。オレンジの時はきれいな花を咲かせていたのに、みかんに名前が変わってから花姿がショボくなり、また開花率も下がった。それから敬遠していたのだがオレンジ色のチューリップが好きなので久しぶりに購入。
それで咲くには咲いたが、背が低くてパッとしない姿。また20球のうち咲いたのは10球未満でやはり開花率が低い。なおいろいろな品種をミックスしたブレンドとなっているが、咲いたのはすべて同じ品種。
一口で言えばこの商品は品質が悪い。しかしそれを知っていても、オレンジ色のチューリップってあまり売っていないのが困ったところ。
カタログと較べるとずいぶんと赤が鮮やか。これはこれでキレイだが、赤いのは他にも植えているから、カタログのようなダークな赤が咲いて欲しかった。
これもカタログとは色味と白い部分の割合がすいずんと違う。
また咲き進むにつれて、白い部分がほとんどなくなってしまう。
これはカタログ通りの花姿。
ブリスベンという品種。カタログと較べて、花びらとフリンジ(先端のトゲトゲ)のコントラストがかなり低い。カタログだとくっきりした2色なのに、実際はグラデーションといった感じだった。
この4品種ではプリティプリンセスが咲いていない(>_<)
フォクシーフォックストロットは咲いたものの数輪のみ。
クイーンズランドはカタログと相当に色が違う。
それとこの品種はとても背が低かった。まるで三頭身(^^ゞ
シンフォニーはカタログと較べて、白とピンクの面積比率が逆だったが、ベランダで咲いた比率のほうが好みかな。
ダブルシュガーは八重咲きには違いないが、
カタログより花びらが少なく、あまり八重咲き感がなかった。
チャーミングビューティーは咲かず(>_<)
ハッピーアップスターは黄色が強い花だった。
アイスクリームは過去に2回買って2回とも咲いていない。
3度目の正直となる今回は6球のうち4つがツボんで、うち2つが咲いた。
カタログのようなまさにアイスクリームみたいな花を見たかったのであるが、実際に咲いたのはまったく違うイメージでガッカリ。これではただの八重咲きの白(/o\)
またかなり背丈の低い品種で、他の株に遮られて日当たりが悪かったのかも知れない。私はもう買わないけれど、これから試してみるなら、他のチューリップと一緒にしないで独立したプランターを用意したほうがベター。
これはカタログ通り。
色は個性のある赤で形もユリ咲きでキュート。ツボミの時から存在感があって楽しめる。これからもリピートすると思う。
カタログと違って単色。これは以前もそうだったので想定内。不正表示はケシカランが、みかんブレンドのオレンジ色があまり咲かないのを補ってくれたので、そこそこ満足している。
黄色の色合いも。白との比率もカタログとはずいぶんと違う。また白系チューリップあるあるで、少し日が当たるとガバーッと開いてしまい、朝早くしかキレイな姿を見られない。
というわけで咲かなかったのは
単色のピンク
プリティプリンセス
チャーミングビューティー
の3品種。それらの球根数は10球+6球+6球で22球。咲かなかった合計数は29球で、少なくともみかんブレンドだけで10球ほど咲いていないから計算が合わない。まっイイカ細かいことは。
ところで今シーズンの開花率は90%だったが、発芽率は100%近い数字だと思う。結果としてプランターはかなり密な状態になった。それで背の低い株あるいは後から育ってきた株の日当たりが悪そうなことが気がかりに。球根を植えるときに花の色バランスは多少考慮して配置しているが、それよりも背丈を優先すべきというのが今回の教訓。次の植え付けまで覚えていますように(^^ゞ
過去2シーズンの記録は
2021年シーズン 21品種を植えて咲いたのが19品種、咲かなかったのが2品種
2020年シーズン 24品種を植えて咲いたのが21品種、咲かなかったのが3品種
ただしこれはたくさん植えた中で1輪でも花が開けば咲いたとカウントしているし、商品カタログとかなり違った花が咲いても不問としている。上記の咲かなかった品種の割合は9.5%と12.5%で、2シーズンを通算すれば約11%。つまりチューリップの球根を10品種買えば、そのうちの1つは咲かない計算。他の花を育てたことがあまりないが、そんなものなのかなあ。かなり比率が高い気がするけれど。
さて今シーズンは
21品種を植えて咲いたのが18品種、咲かなかったのが3品種
だった。比率は14.3%になる。開花率はよかったのに、ちょっとハラタツ(^^ゞ
以下は答え合わせの詳細。
単色のチューリップは1色1品種でカウントしている。
赤・白・黄色と紫は咲いたが、なぜかピンクが咲かず。単色は何度も植えていて咲かない色なんてなかったのに。微妙にショック。
この国華園(球根販売会社)のみかんブレンドという商品は、以前にオレンジブレンドの名前で売られていた。オレンジの時はきれいな花を咲かせていたのに、みかんに名前が変わってから花姿がショボくなり、また開花率も下がった。それから敬遠していたのだがオレンジ色のチューリップが好きなので久しぶりに購入。
それで咲くには咲いたが、背が低くてパッとしない姿。また20球のうち咲いたのは10球未満でやはり開花率が低い。なおいろいろな品種をミックスしたブレンドとなっているが、咲いたのはすべて同じ品種。
一口で言えばこの商品は品質が悪い。しかしそれを知っていても、オレンジ色のチューリップってあまり売っていないのが困ったところ。
カタログと較べるとずいぶんと赤が鮮やか。これはこれでキレイだが、赤いのは他にも植えているから、カタログのようなダークな赤が咲いて欲しかった。
これもカタログとは色味と白い部分の割合がすいずんと違う。
また咲き進むにつれて、白い部分がほとんどなくなってしまう。
これはカタログ通りの花姿。
ブリスベンという品種。カタログと較べて、花びらとフリンジ(先端のトゲトゲ)のコントラストがかなり低い。カタログだとくっきりした2色なのに、実際はグラデーションといった感じだった。
この4品種ではプリティプリンセスが咲いていない(>_<)
フォクシーフォックストロットは咲いたものの数輪のみ。
クイーンズランドはカタログと相当に色が違う。
それとこの品種はとても背が低かった。まるで三頭身(^^ゞ
シンフォニーはカタログと較べて、白とピンクの面積比率が逆だったが、ベランダで咲いた比率のほうが好みかな。
ダブルシュガーは八重咲きには違いないが、
カタログより花びらが少なく、あまり八重咲き感がなかった。
チャーミングビューティーは咲かず(>_<)
ハッピーアップスターは黄色が強い花だった。
アイスクリームは過去に2回買って2回とも咲いていない。
3度目の正直となる今回は6球のうち4つがツボんで、うち2つが咲いた。
カタログのようなまさにアイスクリームみたいな花を見たかったのであるが、実際に咲いたのはまったく違うイメージでガッカリ。これではただの八重咲きの白(/o\)
またかなり背丈の低い品種で、他の株に遮られて日当たりが悪かったのかも知れない。私はもう買わないけれど、これから試してみるなら、他のチューリップと一緒にしないで独立したプランターを用意したほうがベター。
これはカタログ通り。
色は個性のある赤で形もユリ咲きでキュート。ツボミの時から存在感があって楽しめる。これからもリピートすると思う。
カタログと違って単色。これは以前もそうだったので想定内。不正表示はケシカランが、みかんブレンドのオレンジ色があまり咲かないのを補ってくれたので、そこそこ満足している。
黄色の色合いも。白との比率もカタログとはずいぶんと違う。また白系チューリップあるあるで、少し日が当たるとガバーッと開いてしまい、朝早くしかキレイな姿を見られない。
というわけで咲かなかったのは
単色のピンク
プリティプリンセス
チャーミングビューティー
の3品種。それらの球根数は10球+6球+6球で22球。咲かなかった合計数は29球で、少なくともみかんブレンドだけで10球ほど咲いていないから計算が合わない。まっイイカ細かいことは。
ところで今シーズンの開花率は90%だったが、発芽率は100%近い数字だと思う。結果としてプランターはかなり密な状態になった。それで背の低い株あるいは後から育ってきた株の日当たりが悪そうなことが気がかりに。球根を植えるときに花の色バランスは多少考慮して配置しているが、それよりも背丈を優先すべきというのが今回の教訓。次の植え付けまで覚えていますように(^^ゞ