2022年09月
2022年09月30日
プレートが跳ね上がる地震のナゾ
本日、午後3時頃に茨城県で地震があったらしい。もっとも東京では震度1で、その時間はタクシーに乗っていたから、後でスマホの通知を見るまで気づかなかったレベル。
先日の台風14号は、東京で雨が激しくなったのは23日(金)の深夜になってからだが、午前中にちょっと揺れた。台風が来た時に地震が起きるなんて、そんなダブルパンチは勘弁してほしいもの。もしそれが大地震ならまさに地獄図になってしまう。そういえば2019年10月の史上最強と呼ばれた台風19号の時も、雨風が強くなり始めた頃にグラッときた。その時は他府県の友人たちから「台風に気をつけて」というようなLINEが届いていて「こんな時に地震が来た!」と打ったからよく覚えている。
台風が来る→気圧が下がる→地面が緩む→地震が起きるなんて連鎖もあるのかな。あるいは大波のパワーが蓄積して、やがて地面を揺らすとか。もちろんそんな学説は聞いたことがないけれど。
さて台風地震説(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
地震はその原因別に3分類されている。
火山性地震
断層型地震
海溝型地震
3つのうち火山性地震は読んで字のごとく火山活動がもたらす地震。残る断層型と海溝型はプレートテクトニクスによって引き起こされる。プレートは岩盤、テクトニクスは動くとか運動といった意味。
超大雑把に説明すると、
地球を輪切りにした構造は以下のようになっている。
表面は地殻と呼ばれ、もちろん岩盤でできている。厚さは大陸部分で35km、海で5〜10kmとされる。地球の半径は約6400kmだから、大陸と海の中間をとって地殻を平均20kmとすればその比率は0.3%で皮膚みたいに薄い。
プレートとは地殻と上部マントルの一部を合わせたもの。厚さは約100km。マントルは赤色で描かれることが多いからマグマのようなドロドロしたものを連想するが、固体の岩盤からできている。上部マントルの温度は500度から1500度。一般に岩石は800度から1200度で溶ける。しかし地下深く圧力が高いので固体を保っていられる仕組み。ちなみにマグマとは、それが地表まで吹き出して圧力が下がり溶け出したもの。
このプレートはいくつかに分断されている。数え方は色々とあるようで、一般的には14枚または15枚と解説される。
そしてプレートは年間に数cm程度と僅かずつではあるが移動している。移動させている力はマントルの対流。地球中心部の温度は6000度ほどある。鍋に水を入れてコンロで火を付ければ、鍋底と表面の温度差で対流するのと同じ理屈。マントルは固体との説明だからイメージしづらいが、固体でも少しずつ対流するものらしい。
さてプレートの移動する方向はバラバラなので、隣り合うプレートと離れるところもあれば、ぶつかるところもある。日本付近を見ると4枚のプレートが重なる位置にあって互いにぶつかり合っている。だから地震が多い(>_<) プレートの活動によって日本列島ができたのかも知れないが、こんな場所にプレート境界がたくさんあって、押し合いへし合いしている不運を嘆かずにはいられない。
先ほど書いた断層型地震とは、
プレートが押し合う
↓
その力が陸地にもたまる
↓
もろい部分がズルッと滑って揺れが発生する
といったメカニズムで起こる。
そのずれた場所が断層。阪神淡路大震災はこのタイプ。
よく聞く活断層とは、過去に何度も地震を引き起こした断層で、将来も震源になると思われている断層。活火山・休火山・死火山といった言葉の使い方に近い(ただし断層に休や死はない)。日本には判明しているだけで約2000もの活断層がある(>_<)
震源の位置で区別すれば断層型地震は陸地で、海溝型地震は海で発生する。断層型地震は内陸型地震あるいは直下型地震とも呼ばれる。このうち直下型地震は人口の多い地域で発生するものを指すから、地学用語と言うより防災用語かな。なぜか「首都直下地震」のように「型」を省略して表現される場合が多い。なお関東大震災は海溝型地震。
さてプレートの押す力によって地面がズレる断層型地震について特に疑問はない。さもありなんと思う。しかしどうにも納得できないのが海溝型地震の発生メカニズムなのである。
ーーー続く
補足:2枚目から4枚目の画像は、それぞれ下記のサイトからの引用。
https://geophys.hiroshima-u.ac.jp/nakakuki/plate_mantle/pm1.html
https://ascii.jp/elem/000/000/455/455932/index-3.html
https://www.aig.co.jp/sonpo/lp/pp/riskcolumn_202110
先日の台風14号は、東京で雨が激しくなったのは23日(金)の深夜になってからだが、午前中にちょっと揺れた。台風が来た時に地震が起きるなんて、そんなダブルパンチは勘弁してほしいもの。もしそれが大地震ならまさに地獄図になってしまう。そういえば2019年10月の史上最強と呼ばれた台風19号の時も、雨風が強くなり始めた頃にグラッときた。その時は他府県の友人たちから「台風に気をつけて」というようなLINEが届いていて「こんな時に地震が来た!」と打ったからよく覚えている。
台風が来る→気圧が下がる→地面が緩む→地震が起きるなんて連鎖もあるのかな。あるいは大波のパワーが蓄積して、やがて地面を揺らすとか。もちろんそんな学説は聞いたことがないけれど。
さて台風地震説(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
地震はその原因別に3分類されている。
火山性地震
断層型地震
海溝型地震
3つのうち火山性地震は読んで字のごとく火山活動がもたらす地震。残る断層型と海溝型はプレートテクトニクスによって引き起こされる。プレートは岩盤、テクトニクスは動くとか運動といった意味。
超大雑把に説明すると、
地球を輪切りにした構造は以下のようになっている。
表面は地殻と呼ばれ、もちろん岩盤でできている。厚さは大陸部分で35km、海で5〜10kmとされる。地球の半径は約6400kmだから、大陸と海の中間をとって地殻を平均20kmとすればその比率は0.3%で皮膚みたいに薄い。
プレートとは地殻と上部マントルの一部を合わせたもの。厚さは約100km。マントルは赤色で描かれることが多いからマグマのようなドロドロしたものを連想するが、固体の岩盤からできている。上部マントルの温度は500度から1500度。一般に岩石は800度から1200度で溶ける。しかし地下深く圧力が高いので固体を保っていられる仕組み。ちなみにマグマとは、それが地表まで吹き出して圧力が下がり溶け出したもの。
このプレートはいくつかに分断されている。数え方は色々とあるようで、一般的には14枚または15枚と解説される。
そしてプレートは年間に数cm程度と僅かずつではあるが移動している。移動させている力はマントルの対流。地球中心部の温度は6000度ほどある。鍋に水を入れてコンロで火を付ければ、鍋底と表面の温度差で対流するのと同じ理屈。マントルは固体との説明だからイメージしづらいが、固体でも少しずつ対流するものらしい。
さてプレートの移動する方向はバラバラなので、隣り合うプレートと離れるところもあれば、ぶつかるところもある。日本付近を見ると4枚のプレートが重なる位置にあって互いにぶつかり合っている。だから地震が多い(>_<) プレートの活動によって日本列島ができたのかも知れないが、こんな場所にプレート境界がたくさんあって、押し合いへし合いしている不運を嘆かずにはいられない。
先ほど書いた断層型地震とは、
プレートが押し合う
↓
その力が陸地にもたまる
↓
もろい部分がズルッと滑って揺れが発生する
といったメカニズムで起こる。
そのずれた場所が断層。阪神淡路大震災はこのタイプ。
よく聞く活断層とは、過去に何度も地震を引き起こした断層で、将来も震源になると思われている断層。活火山・休火山・死火山といった言葉の使い方に近い(ただし断層に休や死はない)。日本には判明しているだけで約2000もの活断層がある(>_<)
震源の位置で区別すれば断層型地震は陸地で、海溝型地震は海で発生する。断層型地震は内陸型地震あるいは直下型地震とも呼ばれる。このうち直下型地震は人口の多い地域で発生するものを指すから、地学用語と言うより防災用語かな。なぜか「首都直下地震」のように「型」を省略して表現される場合が多い。なお関東大震災は海溝型地震。
さてプレートの押す力によって地面がズレる断層型地震について特に疑問はない。さもありなんと思う。しかしどうにも納得できないのが海溝型地震の発生メカニズムなのである。
ーーー続く
補足:2枚目から4枚目の画像は、それぞれ下記のサイトからの引用。
https://geophys.hiroshima-u.ac.jp/nakakuki/plate_mantle/pm1.html
https://ascii.jp/elem/000/000/455/455932/index-3.html
https://www.aig.co.jp/sonpo/lp/pp/riskcolumn_202110
2022年09月26日
大間(下北半島)でも、お盆に花火
長崎ではお盆の墓参りで、お墓の前で花火をすると知ってカルチャーショックを受けた話を以前に書いた。そんな変わった風習があるのは長崎だけだと思っていたら、遠く離れた北国でも同じようにーーー
紹介していたのはNHKの新日本風土記という紀行ドキュメント番組。今回のタイトルは「下北半島 夏」。恐山やむつ市の夏祭りなどと一緒に紹介されていたのが大間のお盆。
大間 おおま あのマグロで有名な大間である。
青森県にあるイメージは浮かんでも、正確な場所は意外と知らないんじゃない?
大間は下北半島の最北端、ということは本州最北端に位置している。
参考までに北海道に向かって突き出している右側が下北半島で、左が津軽半島ね。
なぜ? いつから? といった説明はなかったものの、
とにかく大間ではお盆の墓参りで花火をする。
墓石のてっぺんに花火を置いて親族一同で眺める!
オトウサン、そんなことしたらバチ当たるよ!
墓標の上にも花火!
ご先祖様は熱くないのかなあ(^^ゞ
長崎のお盆で免疫ができているから、
あの時ほど驚きはしなかったとはいえ、ところ変わればいろいろ違うなあと実感。
背景が暗いとどこでも見られる花火の光景だが、
ここは墓地なんだから、やっぱりヘン。
しかし考えてみれば京都の大文字なんてもっと派手に火を使っているわけで、あんなに大規模にできないから、火だけではなく火薬も使おうとなったのは案外に合理的な発想なのかも。それでも墓地で打ち上げ花火がポンポンと上がっている光景には笑ってしまうけれど。
他にも墓参りで花火をしたり、あるいはもっと変わったことをしている地方があるのだろうか。とりあえず大間と長崎は姉妹都市になったらいいと思うゾ。
紹介していたのはNHKの新日本風土記という紀行ドキュメント番組。今回のタイトルは「下北半島 夏」。恐山やむつ市の夏祭りなどと一緒に紹介されていたのが大間のお盆。
大間 おおま あのマグロで有名な大間である。
青森県にあるイメージは浮かんでも、正確な場所は意外と知らないんじゃない?
大間は下北半島の最北端、ということは本州最北端に位置している。
参考までに北海道に向かって突き出している右側が下北半島で、左が津軽半島ね。
なぜ? いつから? といった説明はなかったものの、
とにかく大間ではお盆の墓参りで花火をする。
墓石のてっぺんに花火を置いて親族一同で眺める!
オトウサン、そんなことしたらバチ当たるよ!
墓標の上にも花火!
ご先祖様は熱くないのかなあ(^^ゞ
長崎のお盆で免疫ができているから、
あの時ほど驚きはしなかったとはいえ、ところ変わればいろいろ違うなあと実感。
背景が暗いとどこでも見られる花火の光景だが、
ここは墓地なんだから、やっぱりヘン。
しかし考えてみれば京都の大文字なんてもっと派手に火を使っているわけで、あんなに大規模にできないから、火だけではなく火薬も使おうとなったのは案外に合理的な発想なのかも。それでも墓地で打ち上げ花火がポンポンと上がっている光景には笑ってしまうけれど。
他にも墓参りで花火をしたり、あるいはもっと変わったことをしている地方があるのだろうか。とりあえず大間と長崎は姉妹都市になったらいいと思うゾ。
2022年09月25日
賞味期限切れのきな粉
キッチンの引き出しの奥に何やら見慣れないというか、そこにしまった記憶のないものを発見。取り出してみるときな粉だった。新品未開封。
バイクでツーリングしていた頃、濃いめのアイスコーヒーにきな粉を加えたものを、ステンレスボトルに入れて持って出かけていたから、そのために買ったものだろう。きな粉コーヒーにしていたのは、香りもよかったし、コーヒーだけより多少はミネラルなどの補給になるかと思ってのこと。
しかしバイクを降りたのは2018年の春。
そして恐る恐るパッケージを見ると賞味期限は2017年12月22日だった。
期限が切れてから約5年と7ヶ月経過(^^ゞ
でもきな粉なんて乾燥した大豆の粉だし、別に腐るようなものじゃないだろう。それに封も切っていない。よし久々にきな粉コーヒーを作ろうと考える。
でも念のために少し舐めてみた。
(>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<)
何とも摩訶不思議な味がした。腐っているとは思えないが、まったく別物に変質している。おいしい←→まずいといった味覚の範疇を飛び越えた、今まで口にした中で一番正体不明の味。かすかにきな粉の香りは残っているものの、間違っても食べようとは思わないレベル。
あまり賞味期限を気にしない方だけれど、
何事も限度があるというお話でした(^^ゞ
パッケージにある牛乳きな粉を飲みたくなったから、
後で買ってこようっと。
バイクでツーリングしていた頃、濃いめのアイスコーヒーにきな粉を加えたものを、ステンレスボトルに入れて持って出かけていたから、そのために買ったものだろう。きな粉コーヒーにしていたのは、香りもよかったし、コーヒーだけより多少はミネラルなどの補給になるかと思ってのこと。
しかしバイクを降りたのは2018年の春。
そして恐る恐るパッケージを見ると賞味期限は2017年12月22日だった。
期限が切れてから約5年と7ヶ月経過(^^ゞ
でもきな粉なんて乾燥した大豆の粉だし、別に腐るようなものじゃないだろう。それに封も切っていない。よし久々にきな粉コーヒーを作ろうと考える。
でも念のために少し舐めてみた。
(>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<)
何とも摩訶不思議な味がした。腐っているとは思えないが、まったく別物に変質している。おいしい←→まずいといった味覚の範疇を飛び越えた、今まで口にした中で一番正体不明の味。かすかにきな粉の香りは残っているものの、間違っても食べようとは思わないレベル。
あまり賞味期限を気にしない方だけれど、
何事も限度があるというお話でした(^^ゞ
パッケージにある牛乳きな粉を飲みたくなったから、
後で買ってこようっと。
2022年09月24日
結果も教えて欲しい豪雨予報
先週は台風14号、今週は15号とせっかくのダブル三連休は台風にたたられてしまった。昨晩は東京でもかなり激しく雨が降って、窓を閉めていてもゴーッと雨音が聞こえたくらい。
画像はスマホに入れている防災アプリの通知履歴。今回は台風の影響だが、温暖化の異常気象のせいか1時間に80mm以上の通知もたまに来るようになった。もっともその勢いで降り続けば災害級なんだろうけれど、今のところ数分で普通の雨降りに戻っている。
ちなみに気象庁が定めている雨の強さは5段階。
数字は1時間当たりの降水量で次のように定義されている。
10mm以上20mm未満 やや強い雨
20mm以上30mm未満 強い雨
30mm以上50mm未満 激しい雨
50mm以上80mm未満 非常に激しい雨
80mm以上 猛烈な雨
さて防災アプリが通知してくるのは予報である。
画像は本日の80mm以上の通知をクリックしたもの。
だから実際の降水量がどの程度だったかは分からない。もちろん気象庁にアクセスすれば降水量の結果を公表しているが、そこまでするのも面倒だし、また最小で10分単位でしか分からない。つまり窓を閉めていても激しく雨音が聞こえ「メッチャ降ってるなあ、これって(1時間あたりに換算すれば)何mmの雨?」と思っても、それを知ることができない。
予報の通知を出したなら、責任を持ってその結果も教えて欲しいんだけどなあ。結果のボタンをタップしたら「1時間換算80mmの雨が3分間降りました」。あるいは現在をタップすれば「この1分間の雨量は1時間換算で60mmです」とか。そんなことを知りたがるのは私だけかな。
調べてみると気象台は、
転倒ます型雨量計という装置で0.5mm単位で雨量を計測している。
https://www.jma-net.go.jp/fukuoka/kansoku/raingauge.files/raingauge.htm
1時間に80mmの雨が1分間に降らす雨の量は
80mm ÷ 60分 = 1.3mm
だから近似値は出せるはず。
見たところ装置の計測精度を倍の0.25mmにするのもそれほど難しくないだろう。
ところで気象庁は5段階の雨の強さのイメージとして次のように表現している。
10mm以上20mm未満 ザーザーと降る
20mm以上30mm未満 どしゃ降り
30mm以上50mm未満 バケツをひっくり返したように降る
50mm以上80mm未満 滝のように降る(ゴーゴーと降り続く)
80mm以上 息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感ずる。
バケツをひっくり返したようとはよく使われる表現ではあるが、バケツをひっくり返せば水は固まりで落ちてくるので、もしそのような雨が降ったら地球最後の日ちゃうか(^^ゞ 滝も同じく。それに滝なんて人によってイメージするものが違うはず。ザーザーとどしゃ降りの違いもビミョウ。
そんないい加減な表現はしないで、せっかくスマホが普及して防災アプリで数値も通知できるようになったのだから、降水量の結果もリアルタイムで伝えれば、降水量数値の肌感覚も養われるというもの。それと「あす正午までに予想される24時間降水量は200mmです(大変です)」のような予報がある。それも数値肌感覚も養われていれば「24時間降水量は200mmです。そのうち50mmの雨が2時間続きます」とか伝えた方がイメージしやすいはず。
もちろん気象情報あるいは災害対策としては分単位の降水量なんて、さほど意味がないのは理解している。でも今この瞬間のことって知りたくない?
画像はスマホに入れている防災アプリの通知履歴。今回は台風の影響だが、温暖化の異常気象のせいか1時間に80mm以上の通知もたまに来るようになった。もっともその勢いで降り続けば災害級なんだろうけれど、今のところ数分で普通の雨降りに戻っている。
ちなみに気象庁が定めている雨の強さは5段階。
数字は1時間当たりの降水量で次のように定義されている。
10mm以上20mm未満 やや強い雨
20mm以上30mm未満 強い雨
30mm以上50mm未満 激しい雨
50mm以上80mm未満 非常に激しい雨
80mm以上 猛烈な雨
さて防災アプリが通知してくるのは予報である。
画像は本日の80mm以上の通知をクリックしたもの。
だから実際の降水量がどの程度だったかは分からない。もちろん気象庁にアクセスすれば降水量の結果を公表しているが、そこまでするのも面倒だし、また最小で10分単位でしか分からない。つまり窓を閉めていても激しく雨音が聞こえ「メッチャ降ってるなあ、これって(1時間あたりに換算すれば)何mmの雨?」と思っても、それを知ることができない。
予報の通知を出したなら、責任を持ってその結果も教えて欲しいんだけどなあ。結果のボタンをタップしたら「1時間換算80mmの雨が3分間降りました」。あるいは現在をタップすれば「この1分間の雨量は1時間換算で60mmです」とか。そんなことを知りたがるのは私だけかな。
調べてみると気象台は、
転倒ます型雨量計という装置で0.5mm単位で雨量を計測している。
https://www.jma-net.go.jp/fukuoka/kansoku/raingauge.files/raingauge.htm
1時間に80mmの雨が1分間に降らす雨の量は
80mm ÷ 60分 = 1.3mm
だから近似値は出せるはず。
見たところ装置の計測精度を倍の0.25mmにするのもそれほど難しくないだろう。
ところで気象庁は5段階の雨の強さのイメージとして次のように表現している。
10mm以上20mm未満 ザーザーと降る
20mm以上30mm未満 どしゃ降り
30mm以上50mm未満 バケツをひっくり返したように降る
50mm以上80mm未満 滝のように降る(ゴーゴーと降り続く)
80mm以上 息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感ずる。
バケツをひっくり返したようとはよく使われる表現ではあるが、バケツをひっくり返せば水は固まりで落ちてくるので、もしそのような雨が降ったら地球最後の日ちゃうか(^^ゞ 滝も同じく。それに滝なんて人によってイメージするものが違うはず。ザーザーとどしゃ降りの違いもビミョウ。
そんないい加減な表現はしないで、せっかくスマホが普及して防災アプリで数値も通知できるようになったのだから、降水量の結果もリアルタイムで伝えれば、降水量数値の肌感覚も養われるというもの。それと「あす正午までに予想される24時間降水量は200mmです(大変です)」のような予報がある。それも数値肌感覚も養われていれば「24時間降水量は200mmです。そのうち50mmの雨が2時間続きます」とか伝えた方がイメージしやすいはず。
もちろん気象情報あるいは災害対策としては分単位の降水量なんて、さほど意味がないのは理解している。でも今この瞬間のことって知りたくない?
2022年09月21日
丁寧に説明するとは
単語の意味は辞書を引けば分かる。
それをつなぎ合わせれば文章の意味も理解できる。
しかし辞書に載っていない裏の意味もあるから言葉というのはややこしい。
例えば
前向きに検討します
これは言葉通りの場合もあるけれど「断る」の婉曲表現だったりもする。京都には「ぶぶ漬け(お茶漬けのこと)でもどうですか?」というのがあって、それは「もう帰ってくれ」と長居を嫌がられているサイン(^^ゞ
さて「前向きに検討します」は政治の世界でも昔からよく使われてきたが、ここ最近になってニューフェースが現れた。それは「丁寧に説明する」。
岸田総理は世論調査で反対論が上回っている国葬について、国民に丁寧に説明するとして、9月8日の国会閉会中審査で自らが答弁に立った。これはかなり異例な対応らしい。安倍・菅時代は都合が悪くなると、強弁したり説明をはぐらかすことが多かったから、その姿勢は評価できる(内容はともかく)。
しかし反対論は一向に収まらず。昨日は浜田防衛大臣が「国民への説明はまだ十分ではない」と会見で述べたし、先ほどニュースを見たら松野官房長官は「引き続き、国民への説明を続けていく」とか言ってた。ちなみに国葬は6日後。
そこで当然の疑問。
説明したら理解を得られるのか?
それが成り立つ可能性があるのは、本当に状況が分かっていない場合である。国葬について政府がどういう理由で国葬にすべきと判断したかについては、反対している野党も国民も承知している。反対するのはその判断に異を唱えているのであって、理由が分からないからじゃない。
だから説明を続けたところで態度が変わるはずがないのだ。浜田大臣は岸田総理に「どのような説明が足りない」と意見したいのか、コッソリ説明してくれないかな(^^ゞ
もちろん岸田総理も松野官房長官も、説明したところで事態が変わるとは考えていないだろう。ということは「前向きに検討します」と同じように、「丁寧に説明する」とは「反対されても態度は変えません」の婉曲表現である。近頃よく使われる言い回しで表現するなら、同意を得る努力の「やってる感」を出しているのに過ぎない。
婉曲表現はコミュニケーションをスムーズにするために、どの言語にもある技法。しかしこのような裏の意味、反対の意味を含ませた使い方をするのは日本だけのような気がする。これは高度なコミュニケーション能力なのか、言葉を虚しくする所業なのか。
とりあえず、またひとつ日本語が難しくなった(/o\)
それをつなぎ合わせれば文章の意味も理解できる。
しかし辞書に載っていない裏の意味もあるから言葉というのはややこしい。
例えば
前向きに検討します
これは言葉通りの場合もあるけれど「断る」の婉曲表現だったりもする。京都には「ぶぶ漬け(お茶漬けのこと)でもどうですか?」というのがあって、それは「もう帰ってくれ」と長居を嫌がられているサイン(^^ゞ
さて「前向きに検討します」は政治の世界でも昔からよく使われてきたが、ここ最近になってニューフェースが現れた。それは「丁寧に説明する」。
岸田総理は世論調査で反対論が上回っている国葬について、国民に丁寧に説明するとして、9月8日の国会閉会中審査で自らが答弁に立った。これはかなり異例な対応らしい。安倍・菅時代は都合が悪くなると、強弁したり説明をはぐらかすことが多かったから、その姿勢は評価できる(内容はともかく)。
しかし反対論は一向に収まらず。昨日は浜田防衛大臣が「国民への説明はまだ十分ではない」と会見で述べたし、先ほどニュースを見たら松野官房長官は「引き続き、国民への説明を続けていく」とか言ってた。ちなみに国葬は6日後。
そこで当然の疑問。
説明したら理解を得られるのか?
それが成り立つ可能性があるのは、本当に状況が分かっていない場合である。国葬について政府がどういう理由で国葬にすべきと判断したかについては、反対している野党も国民も承知している。反対するのはその判断に異を唱えているのであって、理由が分からないからじゃない。
だから説明を続けたところで態度が変わるはずがないのだ。浜田大臣は岸田総理に「どのような説明が足りない」と意見したいのか、コッソリ説明してくれないかな(^^ゞ
もちろん岸田総理も松野官房長官も、説明したところで事態が変わるとは考えていないだろう。ということは「前向きに検討します」と同じように、「丁寧に説明する」とは「反対されても態度は変えません」の婉曲表現である。近頃よく使われる言い回しで表現するなら、同意を得る努力の「やってる感」を出しているのに過ぎない。
婉曲表現はコミュニケーションをスムーズにするために、どの言語にもある技法。しかしこのような裏の意味、反対の意味を含ませた使い方をするのは日本だけのような気がする。これは高度なコミュニケーション能力なのか、言葉を虚しくする所業なのか。
とりあえず、またひとつ日本語が難しくなった(/o\)
2022年09月18日
国葬と医療業界
何これ?なタイトルになってしまったm(_ _)m
この両者に直接のつながりはなく、国語やマナーについてのお話。
安部元総理の国葬について、出席しない国会議員などが案内状をSNSにアップして何かと取り沙汰されている。その行為自体の是非もさることながら、盛り上がっているのが記入方法。
最初のケースは辻元清美議員だったと思う。
彼女は
御欠席
御芳名
御連絡先
の「御」の文字をこのように処理した画像を公開した。
するとネットを中心に
御芳名は「御芳」までを消さなくてはならない
字消しの二重線は斜めではなく縦に引くものだ
欠席に印を付けるだけでなく、その下に「致します」と書き加えなければならない
などの指摘が沸き起こる。他の人の例では
字消し線が1本→2本でなくてはならない
字消し線が曲がっている→字消し線は定規を使ってまっすぐ引くもの
なんてのもあった。どれも昔から作法とされてきたもので、昨今話題のいわゆる謎マナーとは異なるとしても、メンドクサイ国だなあというのが正直なところ。
これらは「御」「芳」は尊敬を示す言葉だから、案内状の差出人が相手に向けて使うのは適切でも、受取人が返信する際に、自分に対して尊敬語は使えないとする文法から来ている。理屈的には筋が通っているが、いや、それゆえに出欠を確認する本来の目的とは関係のない非生産的な作業を強いられる。なお字消し線をどうするかは単なる美意識の問題。「致します」を加えるのは物事はエスカレートすることを示している。
それにしても、どの国の言語にも丁寧な表現はあるものの、日本語は異様に敬語が発達している。かといって日本人が飛び抜けて敬う心を持っているかというと世界平均とそれほど変わらないのでは?なのにどうしてこんな日本語になったのだろう。
私の場合「御」のついたようなものは、仕方なくマナーに則っている(ただし字消し線は斜めだし定規も使わない)。しかし10年くらい前から、よほどの相手を除いては「21世紀にもなったし、もうええやろ」とやめたのが、返信封筒などに書かれている「行」を消して「御中」に書き換える作業。封筒に書かれた宛名なんて配達する人以外は必要ないのだから。
ところで宛名が人なら様、組織なら御中と特に考えずに機械的に使い分けているはず。だから「御中」は使う対象が違うだけで「様」と同じように尊敬を示す接尾語で、言葉自体に特に意味はないと思いがち。実はもうちょっと奥が深い。
御中は組織の「中の人」の意味に「御」をつけて尊敬語にしたもの。だから御中が指しているのは組織ではなく個人なのだ。たまに〇〇会社御中▢▢様と書く人がいるが、御中の意味を知っていれば、それが日本語としておかしいと分かる。
さて御中は誰でも知っている言葉であるが、次の
御机下
御侍史
は知らない人がほとんどかも知れない。初めて見たなら読み方すら分からないはず。これらは「おんきか」「おんじし」または「ごきか」「ごじし」と読む。これは医療業界で医師の宛名に付ける言葉。ただし「先生」も併用して、例えば 〇〇先生 御机下 と書く。
なぜこの言葉を知っているかというと、大病院で診察を受けるには町医者などが発行した紹介状が必要で、それに書いてあったから。ここ数年で3回も紹介状を書いてもらった私の身体はけっこうボロボロである(/o\)
これらが意味するところは
御机下:直接渡すのは恐れ多いので机の下に置きます
机の上に置くほどのものではないので、机の下にしのばせます
御侍史:直接渡すのは恐れ多いので、お付きの人に渡します
ご自身で読んでいただくほどのものではないので、
お付きの人が読んでお伝えください
※侍史は書状を管理する役職名として昔使われていた言葉
である。だから文法的なポジションとしては単なる尊敬表現の「御中」と違い、本人が読んでくださいと限定する「親展」など内容を表す使われ方に近い。もちろん実質的には単なる敬称であるが。それにしても紹介状を机の下に置かれたりしたら困るけどね(^^ゞ
明治時代にこの2つの言葉は割と普通に使われていたようだが、その後に廃れ、しかしなぜか医療業界にのみ残っている不思議な言葉。もうほとんど医療用語といっていい。日常的にに使われるから業界向けにこんなスタンプまで売られているほど。
まあとにかくこんな言葉があるくらいで、日本人はへりくだるのが大好き。それは美徳でもあるけれど、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。日本社会がどこか窮屈なのは、そんなことが影響しているようにも思う。
この両者に直接のつながりはなく、国語やマナーについてのお話。
安部元総理の国葬について、出席しない国会議員などが案内状をSNSにアップして何かと取り沙汰されている。その行為自体の是非もさることながら、盛り上がっているのが記入方法。
最初のケースは辻元清美議員だったと思う。
彼女は
御欠席
御芳名
御連絡先
の「御」の文字をこのように処理した画像を公開した。
するとネットを中心に
御芳名は「御芳」までを消さなくてはならない
字消しの二重線は斜めではなく縦に引くものだ
欠席に印を付けるだけでなく、その下に「致します」と書き加えなければならない
などの指摘が沸き起こる。他の人の例では
字消し線が1本→2本でなくてはならない
字消し線が曲がっている→字消し線は定規を使ってまっすぐ引くもの
なんてのもあった。どれも昔から作法とされてきたもので、昨今話題のいわゆる謎マナーとは異なるとしても、メンドクサイ国だなあというのが正直なところ。
これらは「御」「芳」は尊敬を示す言葉だから、案内状の差出人が相手に向けて使うのは適切でも、受取人が返信する際に、自分に対して尊敬語は使えないとする文法から来ている。理屈的には筋が通っているが、いや、それゆえに出欠を確認する本来の目的とは関係のない非生産的な作業を強いられる。なお字消し線をどうするかは単なる美意識の問題。「致します」を加えるのは物事はエスカレートすることを示している。
それにしても、どの国の言語にも丁寧な表現はあるものの、日本語は異様に敬語が発達している。かといって日本人が飛び抜けて敬う心を持っているかというと世界平均とそれほど変わらないのでは?なのにどうしてこんな日本語になったのだろう。
私の場合「御」のついたようなものは、仕方なくマナーに則っている(ただし字消し線は斜めだし定規も使わない)。しかし10年くらい前から、よほどの相手を除いては「21世紀にもなったし、もうええやろ」とやめたのが、返信封筒などに書かれている「行」を消して「御中」に書き換える作業。封筒に書かれた宛名なんて配達する人以外は必要ないのだから。
ところで宛名が人なら様、組織なら御中と特に考えずに機械的に使い分けているはず。だから「御中」は使う対象が違うだけで「様」と同じように尊敬を示す接尾語で、言葉自体に特に意味はないと思いがち。実はもうちょっと奥が深い。
御中は組織の「中の人」の意味に「御」をつけて尊敬語にしたもの。だから御中が指しているのは組織ではなく個人なのだ。たまに〇〇会社御中▢▢様と書く人がいるが、御中の意味を知っていれば、それが日本語としておかしいと分かる。
さて御中は誰でも知っている言葉であるが、次の
御机下
御侍史
は知らない人がほとんどかも知れない。初めて見たなら読み方すら分からないはず。これらは「おんきか」「おんじし」または「ごきか」「ごじし」と読む。これは医療業界で医師の宛名に付ける言葉。ただし「先生」も併用して、例えば 〇〇先生 御机下 と書く。
なぜこの言葉を知っているかというと、大病院で診察を受けるには町医者などが発行した紹介状が必要で、それに書いてあったから。ここ数年で3回も紹介状を書いてもらった私の身体はけっこうボロボロである(/o\)
これらが意味するところは
御机下:直接渡すのは恐れ多いので机の下に置きます
机の上に置くほどのものではないので、机の下にしのばせます
御侍史:直接渡すのは恐れ多いので、お付きの人に渡します
ご自身で読んでいただくほどのものではないので、
お付きの人が読んでお伝えください
※侍史は書状を管理する役職名として昔使われていた言葉
である。だから文法的なポジションとしては単なる尊敬表現の「御中」と違い、本人が読んでくださいと限定する「親展」など内容を表す使われ方に近い。もちろん実質的には単なる敬称であるが。それにしても紹介状を机の下に置かれたりしたら困るけどね(^^ゞ
明治時代にこの2つの言葉は割と普通に使われていたようだが、その後に廃れ、しかしなぜか医療業界にのみ残っている不思議な言葉。もうほとんど医療用語といっていい。日常的にに使われるから業界向けにこんなスタンプまで売られているほど。
まあとにかくこんな言葉があるくらいで、日本人はへりくだるのが大好き。それは美徳でもあるけれど、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。日本社会がどこか窮屈なのは、そんなことが影響しているようにも思う。
2022年09月17日
国葬をするなら、もっと日本的にやればいいのに
今月27日に執り行われる国葬。
かなり広範囲に案内状を出している模様で、落選した元国会議員や著名人の「私ににまで案内状が来てビックリした」とのニュースが飛び交っている。ひょっとしてと思い、先ほど郵便受けを確認したらウチにはまだ届いてないなあ(^^ゞ 会場はそれなりに密だろうから、封を開けずにしまってあるアベノマスク着用で出席しようと思っているのに。
ご存じのように国葬には賛否両論がある。
あれこれ思うところは多々あるけれど、1つだけ書いておくと、国葬の政治的価値としてあげられる弔問外交。顔を合わせて面識を得る、親しみを深めるメリットは否定しないものの、式典前後の限られた時間でどれだけの成果を上げられるの? そんな短時間でテキパキこなさなければいけない、普段の外交より難しいことをする能力が岸田総理や林外務大臣にあるかどうかも疑問。
それよりも何よりもである。
弔問外交に期待するならプーチン大統領を招待しない決定にガッカリである。もちろんそれはウクライナへの侵略を鑑みての措置。エリザベス女王の国葬にも招待されていない。しかし今もっとも、例え立ち話でもする価値のある人間はプーチンである。それに日本には日本の葬式文化がある。
外国ではどうか知らないが、日本の葬式は結婚式と違って「来る者拒まず」がしきたり。どこかのコメンテーターが村八分の意味を勘違いしていて恥をかいていたが、村八分の仲間ハズレにしても葬式には協力し参列もするのが日本。(葬式と火事の2つを除いた残り8つで付き合いを絶つのが村八分)
つまりウクライナ侵略を批判し経済制裁もするとして、それと葬式は(日本の場合)別よというスタンスで上手に立ち回ることもできたはず。せっかくのチャンス(と書くのは安倍さんに申し訳ないが)を活かす知恵やセンスが欲しかったと思う。
さて国葬の式次第についてはまだ情報がない。もちろん宗教的な儀式はしないから、スピーチと献花が中心だろう。でも弔問外交を考えるなら、もっと日本的な要素を取り入れてもいいかと。
そのヒントはお通夜。読経が終わった後に食事を振る舞って、故人との思い出などを語り合ってもらう習わしがある。故人と最後の食事を共にするとの意味もあるそうだ。普段は縁遠い人とも意外と話が弾むもの。
これほど弔問外交にうってつけのセッティングはない。各国首脳と日本の各界代表の参列者を同じテーブルにしてもいいだろう。海外の国同士が日本とは関係なく交流を深めても意義がある。そして岸田総理には喪主よろしく、各テーブルを回ってお酒をついでもらう。お酌係は内閣総出でもいいかな。もちろん今回の国葬は6000人規模なので全員は無理だし意味もないので、各国首脳クラス中心の食事会。参列者を選別することになるが、日本では外国から来た客人には特別な計らいをするとかナゾ文化をでっち上げればよい。外交なんてキツネとタヌキの化かし合いなんだから。
とりあえず何でもいいから、弔問外交で少しは成果を上げて欲しい。
それが外交にも熱心だった安部元総理への供養というもの。
補足
国葬とは別に、国お通夜を前日にやるべしとの意味ではないよ。
国葬の後半パートとしての食事の振る舞い=弔問外交のステージ作り。
一般の葬式でも、すべてが終わった後に精進落としでお膳を出したりするでしょ。
かなり広範囲に案内状を出している模様で、落選した元国会議員や著名人の「私ににまで案内状が来てビックリした」とのニュースが飛び交っている。ひょっとしてと思い、先ほど郵便受けを確認したらウチにはまだ届いてないなあ(^^ゞ 会場はそれなりに密だろうから、封を開けずにしまってあるアベノマスク着用で出席しようと思っているのに。
ご存じのように国葬には賛否両論がある。
あれこれ思うところは多々あるけれど、1つだけ書いておくと、国葬の政治的価値としてあげられる弔問外交。顔を合わせて面識を得る、親しみを深めるメリットは否定しないものの、式典前後の限られた時間でどれだけの成果を上げられるの? そんな短時間でテキパキこなさなければいけない、普段の外交より難しいことをする能力が岸田総理や林外務大臣にあるかどうかも疑問。
それよりも何よりもである。
弔問外交に期待するならプーチン大統領を招待しない決定にガッカリである。もちろんそれはウクライナへの侵略を鑑みての措置。エリザベス女王の国葬にも招待されていない。しかし今もっとも、例え立ち話でもする価値のある人間はプーチンである。それに日本には日本の葬式文化がある。
外国ではどうか知らないが、日本の葬式は結婚式と違って「来る者拒まず」がしきたり。どこかのコメンテーターが村八分の意味を勘違いしていて恥をかいていたが、村八分の仲間ハズレにしても葬式には協力し参列もするのが日本。(葬式と火事の2つを除いた残り8つで付き合いを絶つのが村八分)
つまりウクライナ侵略を批判し経済制裁もするとして、それと葬式は(日本の場合)別よというスタンスで上手に立ち回ることもできたはず。せっかくのチャンス(と書くのは安倍さんに申し訳ないが)を活かす知恵やセンスが欲しかったと思う。
さて国葬の式次第についてはまだ情報がない。もちろん宗教的な儀式はしないから、スピーチと献花が中心だろう。でも弔問外交を考えるなら、もっと日本的な要素を取り入れてもいいかと。
そのヒントはお通夜。読経が終わった後に食事を振る舞って、故人との思い出などを語り合ってもらう習わしがある。故人と最後の食事を共にするとの意味もあるそうだ。普段は縁遠い人とも意外と話が弾むもの。
これほど弔問外交にうってつけのセッティングはない。各国首脳と日本の各界代表の参列者を同じテーブルにしてもいいだろう。海外の国同士が日本とは関係なく交流を深めても意義がある。そして岸田総理には喪主よろしく、各テーブルを回ってお酒をついでもらう。お酌係は内閣総出でもいいかな。もちろん今回の国葬は6000人規模なので全員は無理だし意味もないので、各国首脳クラス中心の食事会。参列者を選別することになるが、日本では外国から来た客人には特別な計らいをするとかナゾ文化をでっち上げればよい。外交なんてキツネとタヌキの化かし合いなんだから。
とりあえず何でもいいから、弔問外交で少しは成果を上げて欲しい。
それが外交にも熱心だった安部元総理への供養というもの。
補足
国葬とは別に、国お通夜を前日にやるべしとの意味ではないよ。
国葬の後半パートとしての食事の振る舞い=弔問外交のステージ作り。
一般の葬式でも、すべてが終わった後に精進落としでお膳を出したりするでしょ。
2022年09月14日
9.11 ワールドトレードセンターだった理由 その2
タイトルは変更していないものの、ここからは「ワールドトレードセンターだった理由」とは関係ない。単にワールドトレードセンターつながりな内容。
特集番組を見て新たに知ったのは、
ワールドトレードセンタービルの設計者が日系二世の山崎實(やまさき みのる 1912年〜1986年)という建築家だったこと。日本人としてはちょっと誇らしい(^^ゞ
山崎はサウジアラビアの空港や政府ビルなども手掛けていて、皮肉なことにそれはビン・ラディンの父が経営する建設会社からの依頼だったようだ。そんな彼の中東経歴を反映してか、ワールドトレードセンターにもメッカを模したイスラム様式が取り入れられている。(倒壊したツインタワーではなくプラザという建物。ワールドトレードセンターは7つのビル群で構成されていた)
ビン・ラディンがそれを知っていたかどうかは分からない。もっとも異教徒の日系アメリカ人がデザインしたイスラム様式なんて、彼にすればパチものもいいところで、逆に聖地メッカを模すなんて言語道断だったかも。
そしてビックリしたのはワールドトレードセンター(ツインタワー)には、飛行機の激突対策が設計の時点で盛り込まれていたとの事実。これは構想当時(着工は1966年、竣工は1970年と72年)、あまりにビルが高いから飛行機がぶつかるんじゃないかとの危惧を持った世論に対応したらしい。実際1945年には、エンパイアステートビルに米軍のB-25爆撃機が衝突している。
そこで飛行機対策として、ビルを覆う壁に鉄骨を張り巡らして強度を高めた。
ただし想定されたのは当時の主力旅客機であったボーイング707。
そして2001年に突入したのはボーイング767。
大きさを較べてみると
B-25爆撃機 全長16m、全幅21mのプロペラ機
ボーイング707 全長44m、全幅40m 最大離陸重量117トン
ボーイング767 全長49m、全幅48m 最大離陸重量179トン
ボーイング747 全長71m、全幅64m 最大離陸重量413トン
(大型バスが15トンほど)
最大離陸重量とは飛行機自体の重さに加えて、乗客や燃料などを離陸可能なギリギリまで積み込んだ時の総重量。767は707と較べて約2割大きく、5割ほど重い。ビルなんて何十年も先まで建っているのだから(エンパイアステートビルは今年で92歳)、飛行機がだんだんと大型化するくらいは想定できたはずなのに。訴訟社会のアメリカでは、その不備を突いて巨額の賠償金を請求できそうだが、そんな裁判は起きたのだろうか?(調べていない)
それでもボーイング707の衝突にも耐えられる強固な設計のおかげで、1993年の爆破テロではビクともしなかったし、9.11でもしばらく持ちこたえて、その間に多くの人が避難できたのかも知れない。
ところで日本の高層ビルは飛行機の激突対策なんてしているのかな?
とりあえず原発はそんな事態を想定していないみたいだ(>_<)
話は戻るけれど、前回の投稿で同時多発テロという言葉は、9.11から使われ出した(と思う)と書いた。ついでに英語ではどう表現するのかと調べると、
この事件を示す場合、基本的には 9-11 と省略形で呼ばれることが圧倒的に多い。
そして日本語にする際に 9-11 を同時多発テロと言い換えて翻訳されている。
発音はナインイレブンで、日本語の「きゅう てん いちいち」のようにハイフンは
読まない。またSeptember 11との表記も多い(セプテンバーは9月ね)
9-11の省略形を使わないとすれば、直訳では
simultaneous multiple terrorist attacks
同時 複数 テロリスト 攻撃(複数形)
となる。しかしほとんどのニュース記事などでは
simultaneous terrorist attacks
が使われている。つまり複数(すなわち多発)を意味する multiple は省略されている。考えてみれば同時に起きれば複数に決まっているし、英語なら attacks もSを付けて複数形にするから重複を避けているのだろうか(注:英語に詳しいわけではありません)。
また2015年にパリで起きた130人が死亡した同時多発テロなんて、ほとんどが Paris attacks とシンプルな表記。同時多発のような重みを付けた表現をするのは日本のマスコミだけのようである。
ところで9.11は4箇所への攻撃なので、まさに同時多発テロである。しかしこれが2箇所だけだったら、(日本語で)どう言うのだろう? 多発とはいいにくいから同時だけで済ますのかな。
いつもながら、どうでもいいことが気になる(^^ゞ
おしまい
特集番組を見て新たに知ったのは、
ワールドトレードセンタービルの設計者が日系二世の山崎實(やまさき みのる 1912年〜1986年)という建築家だったこと。日本人としてはちょっと誇らしい(^^ゞ
山崎はサウジアラビアの空港や政府ビルなども手掛けていて、皮肉なことにそれはビン・ラディンの父が経営する建設会社からの依頼だったようだ。そんな彼の中東経歴を反映してか、ワールドトレードセンターにもメッカを模したイスラム様式が取り入れられている。(倒壊したツインタワーではなくプラザという建物。ワールドトレードセンターは7つのビル群で構成されていた)
ビン・ラディンがそれを知っていたかどうかは分からない。もっとも異教徒の日系アメリカ人がデザインしたイスラム様式なんて、彼にすればパチものもいいところで、逆に聖地メッカを模すなんて言語道断だったかも。
そしてビックリしたのはワールドトレードセンター(ツインタワー)には、飛行機の激突対策が設計の時点で盛り込まれていたとの事実。これは構想当時(着工は1966年、竣工は1970年と72年)、あまりにビルが高いから飛行機がぶつかるんじゃないかとの危惧を持った世論に対応したらしい。実際1945年には、エンパイアステートビルに米軍のB-25爆撃機が衝突している。
そこで飛行機対策として、ビルを覆う壁に鉄骨を張り巡らして強度を高めた。
ただし想定されたのは当時の主力旅客機であったボーイング707。
そして2001年に突入したのはボーイング767。
大きさを較べてみると
B-25爆撃機 全長16m、全幅21mのプロペラ機
ボーイング707 全長44m、全幅40m 最大離陸重量117トン
ボーイング767 全長49m、全幅48m 最大離陸重量179トン
ボーイング747 全長71m、全幅64m 最大離陸重量413トン
(大型バスが15トンほど)
最大離陸重量とは飛行機自体の重さに加えて、乗客や燃料などを離陸可能なギリギリまで積み込んだ時の総重量。767は707と較べて約2割大きく、5割ほど重い。ビルなんて何十年も先まで建っているのだから(エンパイアステートビルは今年で92歳)、飛行機がだんだんと大型化するくらいは想定できたはずなのに。訴訟社会のアメリカでは、その不備を突いて巨額の賠償金を請求できそうだが、そんな裁判は起きたのだろうか?(調べていない)
それでもボーイング707の衝突にも耐えられる強固な設計のおかげで、1993年の爆破テロではビクともしなかったし、9.11でもしばらく持ちこたえて、その間に多くの人が避難できたのかも知れない。
ところで日本の高層ビルは飛行機の激突対策なんてしているのかな?
とりあえず原発はそんな事態を想定していないみたいだ(>_<)
話は戻るけれど、前回の投稿で同時多発テロという言葉は、9.11から使われ出した(と思う)と書いた。ついでに英語ではどう表現するのかと調べると、
この事件を示す場合、基本的には 9-11 と省略形で呼ばれることが圧倒的に多い。
そして日本語にする際に 9-11 を同時多発テロと言い換えて翻訳されている。
発音はナインイレブンで、日本語の「きゅう てん いちいち」のようにハイフンは
読まない。またSeptember 11との表記も多い(セプテンバーは9月ね)
9-11の省略形を使わないとすれば、直訳では
simultaneous multiple terrorist attacks
同時 複数 テロリスト 攻撃(複数形)
となる。しかしほとんどのニュース記事などでは
simultaneous terrorist attacks
が使われている。つまり複数(すなわち多発)を意味する multiple は省略されている。考えてみれば同時に起きれば複数に決まっているし、英語なら attacks もSを付けて複数形にするから重複を避けているのだろうか(注:英語に詳しいわけではありません)。
また2015年にパリで起きた130人が死亡した同時多発テロなんて、ほとんどが Paris attacks とシンプルな表記。同時多発のような重みを付けた表現をするのは日本のマスコミだけのようである。
ところで9.11は4箇所への攻撃なので、まさに同時多発テロである。しかしこれが2箇所だけだったら、(日本語で)どう言うのだろう? 多発とはいいにくいから同時だけで済ますのかな。
いつもながら、どうでもいいことが気になる(^^ゞ
おしまい
2022年09月13日
9.11 ワールドトレードセンターだった理由
9.11と呼ばれるアメリカ同時多発テロ事件が起こったのは2001年の9月11日。それから20年目の昨年ほどではなかったが、今年もいくつかの特集番組があった。
9.11では
ツインタワーであるワールドトレードセンターの南棟と北棟
ペンタゴンと呼ばれるアメリカ国防総省
ホワイトハウス(国会議事堂との説もある)
の4箇所がハイジャックした飛行機によって狙われた。だから同時多発テロと呼ばれ、また同時多発という言葉もこの時から使われ出したと記憶する。
そのうちホワイトハウスに向かっていた飛行機は途中で墜落したものの(乗客の反撃説やハイジャック犯の操縦ミス説などがある)、ワールドトレードセンターとペンタゴンへの突入には成功した。
ところで9.11で、誰もがまずイメージするのはワールドトレードセンターだと思う。この背の高い110階建てで415&417メートルもある高層ビルなら水平飛行で突入できる(参考までに東京タワー333m、スカイツリー634m)。それに対してペンタゴンは5階建て高さ23メートルしかないので突入は難しい。言い換えればこちらのハイジャック犯のほうが腕がいい。当時そう思ったけれど、そんな不謹慎なことは言い出せなくて(^^ゞ
もっとも飛行機はペンタゴンを直撃したのではなく、手前で胴体着陸して地上を滑るように五角形(英語でペンタゴン)の建物西側に激突したとされている。どのくらい手前なのか調べてみたが情報は見つからなかった。しかしペンタゴンの周りは大きな道路があるから、建物のすぐそばかと思う。
なお幸いにも飛行機が突っ込んだ場所は、改装工事中で使用されていなかった。もしそうでなければ世界最大規模のオフィスビルでもあるペンタゴンでの犠牲者は、ワールドトレードセンターを超えたとも言われている(死亡者数はワールドトレードセンター2763人、ペンタゴン125人)。
さて9.11の概要はそれなりに知っているつもりだったが、
特集番組を見て初めて知ったこともいくつかあった。
そのひとつがワールドトレードセンターが狙われた理由。今までは「アメリカ経済の中心であるニューヨーク」「そこで一番大きなビル」だからと思っていた。しかしビン・ラディンにとってはもっと深い意味があったようだ。
少し長くなるが歴史をたどってみると、
1938年、ロックフェラー財閥がサウジアラビアで初の油田を発見。
それまでサウジアラビアはイスラムの聖地メッカがあるだけの貧乏国だった。
↓
1940年代になるとオイルマネーでサウジアラビアが潤い出す。
それによって建設ラッシュが起きる。
↓
建設会社を起こして中東有数の財閥になったのがビン・ラディンの父親。
彼はとても敬虔なイスラム教徒。息子のビン・ラディンもその影響を受ける。
↓
ただし、行き過ぎて異教徒排斥のイスラム原理主義者になってしまう(/o\)
↓
豊かになったサウジアラビアの王室はだんだんと堕落する。
1979年、王室に反発した原理主義者がメッカのモスク占領事件を起こす。
↓
同じく1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻。
王室は自らへの批判をかわそうと、
「同じイスラム教徒のアフガニスタンを共産主義者から救え」との大義名分で、
原理主義者を義勇兵として送り込む。つまり厄介払いした。
↓
ソ連に対抗するアメリカも、100億ドル近い資金や武器をアフガニスタンに提供。
↓
ビン・ラディンはアフガニスタンで成果を上げ英雄視される。
1988年、自らの組織アルカイーダを結成。
↓
1989年、アフガニスタン紛争が終結。ビン・ラディンはサウジアラビアに帰国。
ただし反王室の立場は変わってなかった。
↓
1990年、湾岸戦争勃発。
イラクがクエートに侵攻し、サウジアラビア国境に到達。
ビン・ラディンは自らの組織が防衛する提案をするものの、
王室・政府はこれを拒否して、アメリカ軍に駐留を求めた。
これにビン・ラディンがブチ切れる。
それは理解できるとして、この時から彼が反王室より反アメリカに変わったとされるのがよくわからない。アメリカはサウジアラビアを防衛してくれるのだし、これ以前にアメリカとビン・ラディンに直接的な衝突はない。でもイスラム原理主義者というのは、異教徒であるアメリカ人が自分の国でデカい顔をするのが許せないらしい。
さてようやくワールドトレードセンター。ビン・ラディンの思考ではサウジアラビア王室が腐敗したのは、オイルマネーのせいで、それをもたらしたのがロックフェラー財閥。そのロックフェラーが建設したのがワールドトレードセンターとのつながりになるみたい。彼は1993年にもワールドトレードセンターで爆発物テロを起こしている。
9.11によってワールドトレードセンターはすっかり有名になった。しかし当時、最も知名度が高く、またニューヨークのアイコンでもあったのはエンパイアステートビル。こちらを狙わなかったのは、周りに高層ビルが多くて狙いにくいし、高さも屋上アンテナ部分をのぞけば381mで低いからだと思っていた。まさかビン・ラディンの逆恨み発想だったとは。
ーーー続く
9.11では
ツインタワーであるワールドトレードセンターの南棟と北棟
ペンタゴンと呼ばれるアメリカ国防総省
ホワイトハウス(国会議事堂との説もある)
の4箇所がハイジャックした飛行機によって狙われた。だから同時多発テロと呼ばれ、また同時多発という言葉もこの時から使われ出したと記憶する。
そのうちホワイトハウスに向かっていた飛行機は途中で墜落したものの(乗客の反撃説やハイジャック犯の操縦ミス説などがある)、ワールドトレードセンターとペンタゴンへの突入には成功した。
ところで9.11で、誰もがまずイメージするのはワールドトレードセンターだと思う。この背の高い110階建てで415&417メートルもある高層ビルなら水平飛行で突入できる(参考までに東京タワー333m、スカイツリー634m)。それに対してペンタゴンは5階建て高さ23メートルしかないので突入は難しい。言い換えればこちらのハイジャック犯のほうが腕がいい。当時そう思ったけれど、そんな不謹慎なことは言い出せなくて(^^ゞ
もっとも飛行機はペンタゴンを直撃したのではなく、手前で胴体着陸して地上を滑るように五角形(英語でペンタゴン)の建物西側に激突したとされている。どのくらい手前なのか調べてみたが情報は見つからなかった。しかしペンタゴンの周りは大きな道路があるから、建物のすぐそばかと思う。
なお幸いにも飛行機が突っ込んだ場所は、改装工事中で使用されていなかった。もしそうでなければ世界最大規模のオフィスビルでもあるペンタゴンでの犠牲者は、ワールドトレードセンターを超えたとも言われている(死亡者数はワールドトレードセンター2763人、ペンタゴン125人)。
さて9.11の概要はそれなりに知っているつもりだったが、
特集番組を見て初めて知ったこともいくつかあった。
そのひとつがワールドトレードセンターが狙われた理由。今までは「アメリカ経済の中心であるニューヨーク」「そこで一番大きなビル」だからと思っていた。しかしビン・ラディンにとってはもっと深い意味があったようだ。
少し長くなるが歴史をたどってみると、
1938年、ロックフェラー財閥がサウジアラビアで初の油田を発見。
それまでサウジアラビアはイスラムの聖地メッカがあるだけの貧乏国だった。
↓
1940年代になるとオイルマネーでサウジアラビアが潤い出す。
それによって建設ラッシュが起きる。
↓
建設会社を起こして中東有数の財閥になったのがビン・ラディンの父親。
彼はとても敬虔なイスラム教徒。息子のビン・ラディンもその影響を受ける。
↓
ただし、行き過ぎて異教徒排斥のイスラム原理主義者になってしまう(/o\)
↓
豊かになったサウジアラビアの王室はだんだんと堕落する。
1979年、王室に反発した原理主義者がメッカのモスク占領事件を起こす。
↓
同じく1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻。
王室は自らへの批判をかわそうと、
「同じイスラム教徒のアフガニスタンを共産主義者から救え」との大義名分で、
原理主義者を義勇兵として送り込む。つまり厄介払いした。
↓
ソ連に対抗するアメリカも、100億ドル近い資金や武器をアフガニスタンに提供。
↓
ビン・ラディンはアフガニスタンで成果を上げ英雄視される。
1988年、自らの組織アルカイーダを結成。
↓
1989年、アフガニスタン紛争が終結。ビン・ラディンはサウジアラビアに帰国。
ただし反王室の立場は変わってなかった。
↓
1990年、湾岸戦争勃発。
イラクがクエートに侵攻し、サウジアラビア国境に到達。
ビン・ラディンは自らの組織が防衛する提案をするものの、
王室・政府はこれを拒否して、アメリカ軍に駐留を求めた。
これにビン・ラディンがブチ切れる。
それは理解できるとして、この時から彼が反王室より反アメリカに変わったとされるのがよくわからない。アメリカはサウジアラビアを防衛してくれるのだし、これ以前にアメリカとビン・ラディンに直接的な衝突はない。でもイスラム原理主義者というのは、異教徒であるアメリカ人が自分の国でデカい顔をするのが許せないらしい。
さてようやくワールドトレードセンター。ビン・ラディンの思考ではサウジアラビア王室が腐敗したのは、オイルマネーのせいで、それをもたらしたのがロックフェラー財閥。そのロックフェラーが建設したのがワールドトレードセンターとのつながりになるみたい。彼は1993年にもワールドトレードセンターで爆発物テロを起こしている。
9.11によってワールドトレードセンターはすっかり有名になった。しかし当時、最も知名度が高く、またニューヨークのアイコンでもあったのはエンパイアステートビル。こちらを狙わなかったのは、周りに高層ビルが多くて狙いにくいし、高さも屋上アンテナ部分をのぞけば381mで低いからだと思っていた。まさかビン・ラディンの逆恨み発想だったとは。
ーーー続く
2022年09月05日
残念なスモークチーズ
少し前に納豆の話を書いたとき、同じ発酵食品つながりで思い出した話。
チーズも子供の頃は苦手だった。ただしその理由は匂いではない。当時、一般に出回っていたチーズはプロセスチーズだったからか、あまり匂いはしなかった。苦手だった理由は「石鹸を食べているよう」に思えたから。もちろん石鹸を食べたことはないし、石鹸とチーズでは固さがまったく違うのに、何となくそんな連想が働いて食べる気になれなかった。
たまに給食でチーズが出てきたときは、我慢して食べたのか、捨てたのか、友達にあげたのかもう記憶にない。自宅では父親がウイスキーのおつまみに、雪印の6Pチーズをよく食べていた。しかし身体のために牛乳を飲みなさいとの感じで、チーズを食べさせられることはなかった。
運命が変わったのは中学生になってから。その頃になると友達と繁華街にも出かけるようになる。ある時、誰かがピザを食べようといった。その頃、ピザはまだ目新しくてちょっとオシャレな食べ物だった。
ピザを食べた経験はなかったが、それがチーズを使った料理だとは知っていた。気乗りはしなかったものの付き合いで同行。お店はシェイキーズだったような気がする。やがてテーブルに運ばれてきたピザ。熱せられ溶けたチーズの匂いに「ちょっと臭いな」と感じた。しかし食べた瞬間に
こんな旨い食べ物があったのか!
とビックリして目がテンに。
ふた口目からは、もう匂いなんてまったく気にならなくなっていた。
これがきっかけでチーズ=石鹸のイメージも解消。それからは普通に食べられるようになった。もしピザという料理がこの世になかったら、納豆と同じように「チーズは発酵ではなく腐敗食品」とブログに書いていたりして(^^ゞ
さて本日のテーマはスモークチーズ。
私はこれがけっこう好き。しかしスモークチーズを食べる度に、いつも残念な思いをしている。それはスモークされているチーズ自身のレベルが低いこと。おそらくスモークチーズが、おつまみや子供のおやつ扱いされているからだろう。
パッケージもだいたいこんな感じだし。
たまには高級なスモークチーズを食べたいと思っている。
ネットで調べたらこんなスモークチーズもあった。
上は200gで1208円、下は360gで2450円(どちらも税込み)
高級品という価格帯ではないものの、このレベルならチーズのクォリティも高そうである。しかし近所のイオンは、チーズの品揃えがおそらく数百種類以上と豊富なのに、こういうスモークチーズは売っていない。成城石井や紀ノ国屋などの高級スーパーに行けば売っているのかな。
しかしスモークチーズのためにそこまで足を伸ばしたり、あるいはネットで取り寄せるほどのチーズグルメでもない。あくまで、たまに目について買う時に、もうちょっといいスモークチーズが欲しいのである。
そんな心構えだと、一生食べられないかも(^^ゞ
チーズも子供の頃は苦手だった。ただしその理由は匂いではない。当時、一般に出回っていたチーズはプロセスチーズだったからか、あまり匂いはしなかった。苦手だった理由は「石鹸を食べているよう」に思えたから。もちろん石鹸を食べたことはないし、石鹸とチーズでは固さがまったく違うのに、何となくそんな連想が働いて食べる気になれなかった。
たまに給食でチーズが出てきたときは、我慢して食べたのか、捨てたのか、友達にあげたのかもう記憶にない。自宅では父親がウイスキーのおつまみに、雪印の6Pチーズをよく食べていた。しかし身体のために牛乳を飲みなさいとの感じで、チーズを食べさせられることはなかった。
運命が変わったのは中学生になってから。その頃になると友達と繁華街にも出かけるようになる。ある時、誰かがピザを食べようといった。その頃、ピザはまだ目新しくてちょっとオシャレな食べ物だった。
ピザを食べた経験はなかったが、それがチーズを使った料理だとは知っていた。気乗りはしなかったものの付き合いで同行。お店はシェイキーズだったような気がする。やがてテーブルに運ばれてきたピザ。熱せられ溶けたチーズの匂いに「ちょっと臭いな」と感じた。しかし食べた瞬間に
こんな旨い食べ物があったのか!
とビックリして目がテンに。
ふた口目からは、もう匂いなんてまったく気にならなくなっていた。
これがきっかけでチーズ=石鹸のイメージも解消。それからは普通に食べられるようになった。もしピザという料理がこの世になかったら、納豆と同じように「チーズは発酵ではなく腐敗食品」とブログに書いていたりして(^^ゞ
さて本日のテーマはスモークチーズ。
私はこれがけっこう好き。しかしスモークチーズを食べる度に、いつも残念な思いをしている。それはスモークされているチーズ自身のレベルが低いこと。おそらくスモークチーズが、おつまみや子供のおやつ扱いされているからだろう。
パッケージもだいたいこんな感じだし。
たまには高級なスモークチーズを食べたいと思っている。
ネットで調べたらこんなスモークチーズもあった。
上は200gで1208円、下は360gで2450円(どちらも税込み)
高級品という価格帯ではないものの、このレベルならチーズのクォリティも高そうである。しかし近所のイオンは、チーズの品揃えがおそらく数百種類以上と豊富なのに、こういうスモークチーズは売っていない。成城石井や紀ノ国屋などの高級スーパーに行けば売っているのかな。
しかしスモークチーズのためにそこまで足を伸ばしたり、あるいはネットで取り寄せるほどのチーズグルメでもない。あくまで、たまに目について買う時に、もうちょっといいスモークチーズが欲しいのである。
そんな心構えだと、一生食べられないかも(^^ゞ
2022年09月03日
電子レンジのドア
数日前のこと、電子レンジを使ったら低くウ〜と唸る異音がして、しばらくすると配線が焦げているような匂いがしてきた(>_<) 前日まで何の問題もなく使えていたのに(涙)
それでも普通に温められたが、火でも噴いたら困るので買い換えた。電子レンジの横に貼ってあるシールを見ると1998年7〜12月製造とあった。その年に買ったかどうかは分からないとしても、まあ元は取っただろう(^^ゞ でも数年前まで実家にあった電子レンジは1970年代の終わりに買った40年選手。それと較べれば半分ほどの寿命だからちょっとハラタツ。
98年製の電子レンジにはいろいろと機能がついていたものの、ほとんど使わなかったので、今回は暖めるだけのシンプルな単機能の電子レンジを買った。
1つだけこだわったのは、
10秒の加熱時間設定ボタンが備わっていること。(だからダイヤル式は対象外)
それはトーストにはマーガリンでなくバターを塗るから。冷蔵庫で冷やされたバターは固くなって、トーストされたパンの熱程度では溶けない。それでいつも電子レンジで温めている。10秒ではまだ固く、20秒だと溶けすぎる。仕方なく20秒設定にして、15秒あたりで加熱取り消しの面倒な作業。
もし手のひらに載るくらいの超小型で、1秒単位で加熱時間を設定できるバター暖め専用の電子レンジをを開発してくれれば、必ず買うから電機メーカーの皆さんよろしく。連続加熱時間は30秒もあれば充分で、できれば食卓に置きたいから充電式がいいな。
ところで電子レンジでは金属製の食器やアルミホイルは使っちゃいけないとされている。電子レンジは超高周波の電波で食品を暖めている。だから金属だと電波が反射するからダメなのだと思っている(詳しくは調べていない)。
しかし電子レンジの庫内は鉄でできている。98年製電子レンジのターンテーブルは鉄製で、ターンテーブルをまわすテーブル?もアルミだった(今回のはターンテーブルがないフラットタイプ)。どうして金属製の部品はよくて食器がダメなのかがよく分からない。そのうち気が向いたら調べましょう。
さて電子レンジに対する最大の疑問は、どうして電子レンジのドアはあんなに固いのかである。ガッチャンと音もうるさいし、開け閉めする度に微妙にストレスがたまる。たまに置き位置がずれる場合もある。それはドアがしっかり閉まっていないと、超高周波の電波が漏れて人体に悪影響を及ぼすからなのだろう。
えっ、疑問は解けているじゃないかって?
いや問題はそこじゃない。
電子レンジのドアが固いのは、ドアの閉じ方が不完全で超高周波電波が漏れないように、しっかりとロックする仕組みになっているから。図のラッチあるいはフックと呼ばれる部分はスプリングで上下に動くようになっていて、(閉める場合は)差込口に当たるとまず上にズレながら中に入り、差込口の奥まで届いたら下に押し込まれる。(文章で説明するのは難しいので自分の電子レンジを観察してみて。メーカーや機種によって動き方に違いはあっても原理はほぼ同じはず)
つまり電子レンジのドアが固いのは、このスプリング式のロック機能が原因である。スプリングやその他の可動部品の動きが渋くなるのか、電子レンジが古くなるほどドアの開閉が固くなり、それにつれてガッチャンの音も大きくなる。(買ったばかりの電子レンジのドアは98年製のと較べて、今のところは1/5位の固さ)
スプリング式のロック機能が原因と書いたけれど、正確にいうならドアを本体に押しつける、あるいは本体から引き離す力でスプリングを動かそうとするから、ドアが固くなってしまう。
それならばである。
ドアの持ち手の内側にレバーのようなものがあって、それを握ればラッチが動いて差込口に「そーっと」入り、ドアを閉じた後に、レバーを離せばスプリングによってラッチが噛み合うような仕組みにすればいい。ドアを開くときはこの逆の動作。言い換えればドアの開閉とラッチを動かす動作を分けて考える発想。
構造は特に複雑ではないだろうし、部品が何点か増えるだけだから、それほど大きなコストアップ要因にはならないはず。私なら数千円余分に払っても(たぶんそんなに掛からない)そんな「楽々静かドア」の製品を選ぶけどなあ。
ところで電子レンジのドアのラッチの図解や写真を探しているときに、
次のようなものを見つけた。
この電子レンジはボタンを押すとドアが開く仕組み。
ただし閉じるときは従来と同じ。
こちらは逆に閉じるときの工夫。
クルマのスライドドアには、途中まで手で引っ張れば、後はモーターの力で巻き上げて自動的に閉まるものもあるが、そこまでのものではなさそう。
メーカーもそれなりに試行錯誤しているのかも知れない、ただしそんな機能を備えた電子レンジはごく僅かでしかない。とにかく電子レンジのドアがガッチャンなんて、早く過去の話になりますように。
それでも普通に温められたが、火でも噴いたら困るので買い換えた。電子レンジの横に貼ってあるシールを見ると1998年7〜12月製造とあった。その年に買ったかどうかは分からないとしても、まあ元は取っただろう(^^ゞ でも数年前まで実家にあった電子レンジは1970年代の終わりに買った40年選手。それと較べれば半分ほどの寿命だからちょっとハラタツ。
98年製の電子レンジにはいろいろと機能がついていたものの、ほとんど使わなかったので、今回は暖めるだけのシンプルな単機能の電子レンジを買った。
1つだけこだわったのは、
10秒の加熱時間設定ボタンが備わっていること。(だからダイヤル式は対象外)
それはトーストにはマーガリンでなくバターを塗るから。冷蔵庫で冷やされたバターは固くなって、トーストされたパンの熱程度では溶けない。それでいつも電子レンジで温めている。10秒ではまだ固く、20秒だと溶けすぎる。仕方なく20秒設定にして、15秒あたりで加熱取り消しの面倒な作業。
もし手のひらに載るくらいの超小型で、1秒単位で加熱時間を設定できるバター暖め専用の電子レンジをを開発してくれれば、必ず買うから電機メーカーの皆さんよろしく。連続加熱時間は30秒もあれば充分で、できれば食卓に置きたいから充電式がいいな。
ところで電子レンジでは金属製の食器やアルミホイルは使っちゃいけないとされている。電子レンジは超高周波の電波で食品を暖めている。だから金属だと電波が反射するからダメなのだと思っている(詳しくは調べていない)。
しかし電子レンジの庫内は鉄でできている。98年製電子レンジのターンテーブルは鉄製で、ターンテーブルをまわすテーブル?もアルミだった(今回のはターンテーブルがないフラットタイプ)。どうして金属製の部品はよくて食器がダメなのかがよく分からない。そのうち気が向いたら調べましょう。
さて電子レンジに対する最大の疑問は、どうして電子レンジのドアはあんなに固いのかである。ガッチャンと音もうるさいし、開け閉めする度に微妙にストレスがたまる。たまに置き位置がずれる場合もある。それはドアがしっかり閉まっていないと、超高周波の電波が漏れて人体に悪影響を及ぼすからなのだろう。
えっ、疑問は解けているじゃないかって?
いや問題はそこじゃない。
電子レンジのドアが固いのは、ドアの閉じ方が不完全で超高周波電波が漏れないように、しっかりとロックする仕組みになっているから。図のラッチあるいはフックと呼ばれる部分はスプリングで上下に動くようになっていて、(閉める場合は)差込口に当たるとまず上にズレながら中に入り、差込口の奥まで届いたら下に押し込まれる。(文章で説明するのは難しいので自分の電子レンジを観察してみて。メーカーや機種によって動き方に違いはあっても原理はほぼ同じはず)
つまり電子レンジのドアが固いのは、このスプリング式のロック機能が原因である。スプリングやその他の可動部品の動きが渋くなるのか、電子レンジが古くなるほどドアの開閉が固くなり、それにつれてガッチャンの音も大きくなる。(買ったばかりの電子レンジのドアは98年製のと較べて、今のところは1/5位の固さ)
スプリング式のロック機能が原因と書いたけれど、正確にいうならドアを本体に押しつける、あるいは本体から引き離す力でスプリングを動かそうとするから、ドアが固くなってしまう。
それならばである。
ドアの持ち手の内側にレバーのようなものがあって、それを握ればラッチが動いて差込口に「そーっと」入り、ドアを閉じた後に、レバーを離せばスプリングによってラッチが噛み合うような仕組みにすればいい。ドアを開くときはこの逆の動作。言い換えればドアの開閉とラッチを動かす動作を分けて考える発想。
構造は特に複雑ではないだろうし、部品が何点か増えるだけだから、それほど大きなコストアップ要因にはならないはず。私なら数千円余分に払っても(たぶんそんなに掛からない)そんな「楽々静かドア」の製品を選ぶけどなあ。
ところで電子レンジのドアのラッチの図解や写真を探しているときに、
次のようなものを見つけた。
この電子レンジはボタンを押すとドアが開く仕組み。
ただし閉じるときは従来と同じ。
こちらは逆に閉じるときの工夫。
クルマのスライドドアには、途中まで手で引っ張れば、後はモーターの力で巻き上げて自動的に閉まるものもあるが、そこまでのものではなさそう。
メーカーもそれなりに試行錯誤しているのかも知れない、ただしそんな機能を備えた電子レンジはごく僅かでしかない。とにかく電子レンジのドアがガッチャンなんて、早く過去の話になりますように。