2022年10月

2022年10月30日

歳が目にしみる(/o\)

昭和の時代にそこそこの大人だったのだから、
それなりに歳は食っているわけで。

加齢に伴う現象のひとつが顔のたるみやシワ。これってスキンケアをしっかりやっていれば多少は防げたのかな? 「後悔先に立たず」という先人の言葉が思い出される(^^ゞ
たるみ

この顔のたるみやシワは外観上の衰えであって、それはそれで大事だとしても、例えば老眼のような実害はないと思っていた。でもそうじゃなかった。

実は3〜4ヶ月ほど前から、

  顔にたくさん汗をかくと、それがやたら目にしみる
  シャンプーを流した後、目を開くとお湯が必ず目にしみる

ようになってきた。それも左目だけ。

これって汗やお湯が、顔のたるみやシワを伝わって左目に入っているとしか考えられない。そこで自分の顔をシゲシゲと眺めてみたが、3〜4ヶ月ほど前から大きく変化したようには思えない。もっともたるみやシワを気にしたことはないので、3〜4ヶ月ほど前の記憶はないに等しいのだが。

さらに観察すると目の下のたるみは左目のほうが大きいのに気づいた。ただし、それがいつからか分からないし、だいたい汗やお湯は目の上から伝わってくる。

そこで顔に水を掛けて実験。なぜか目にしみてくれない(^^ゞ しかし目の下側の涙袋と呼ばれる部分の盛り上がりは左目の方がごく僅かに厚く、右目と較べればそこに水がたまりやすいような気もする。ただ涙袋は加齢によって薄くなるものらしいので、症状が起きた時期を考えると、そのあたりも不可解。

涙袋

結局のところ原因は解明できていないものの、
歳が身にこたえるのではなく、目にしみるゼというお話でした。
そろそろアンチエイジング整形でもするか(^^ゞ

wassho at 17:29|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2022年10月26日

日比谷公園ガーデニングショー その3

会場の片隅にあった馬のフラワーアート。
かわいい!
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しかし近づいて眺めてみると、ちょっとシュールで怖い感じもするのが不思議。
何となくジブリの映画に出てきそうでもある。
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馬の前にベンチがある。これはそこに座って馬を背景に撮影してもらおうという配慮。たくさんの人がここでピースサインをしたりハートマークを作っていた。ただしこれが南を背にしている。つまり多くの時間帯で逆光になる。写真前提ならもう少し気を利かせましょう。


日比谷公園の花壇=芝生広場は普段は立ち入り禁止。花は通路に近い場所に植えられているものの、それでもちょっと距離がある。

しかしこの日は中に入れたのでバラにも近づけた。もっともそんなにたくさん植えられているわけじゃない。いや、その辺の公園より数は多いかも知れないが、なにせとても広い芝生広場なのでボリュームが感じられないと言うべきか。それはいいとして、今回はせっかくのチャンスだったのにクンクンしてもあまり香りがしなかったのが残念。
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第2花壇の会場を後にする。
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中央に見えるレンガ造りは日比谷公会堂。2016年に改修のためと閉鎖されたのに、ずっとそのままになっている。1929年(昭和4年)に竣工の建物なので、現在の法規制に従って改修するとトイレのスペースが足りなくなるらしい。何ともトホホな理由であるが、いったいいつまで放置するつもり? たまにそれが報じられて、上記の理由で「担当者は頭を抱えている」なんて書かれるけれど、頭を抱えるだけならサルでもできるよ。(日比谷公園は都立公園なので公会堂の所管も東京都)


さて何の予備知識もなしに訪れた日比谷公園ガーデニングショー。「庭」の展示だと思っていたので期待とは違っていたものの、庭心のある作品をたくさん見られてそれなりに満足した。日比谷公園は好きだし、天気がよくて暇な日があれば、今後もまた見に来ると思う。


会場から外に出る通路で、子供向けに吹き矢の体験イベントみたいなことをやっていた。もし矢がそれて私に当たったら「ウッ!」と叫んで死ぬふりをしようと思っていたのに、係員がしっかり指導しているのでそんな事態は起こらず(^^ゞ
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1903年(明治36年)の開園当時からある、老舗レストランの松本楼はそこそこの行列。
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日比谷公園にはフィリピンの革命家の銅像とか南極の石とか、ちょっと風変わりなものがあちこちに置かれている。今までいくつか見たけれど埴輪まであるとは知らなかった。なんとこれはレプリカではなく遺跡から出土した本物だそう。
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公園内をぶらっと歩いて雲形池。
この藤棚が満開の時に見に来ようと思っているのに、毎年忘れてしまう(>_<)
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最初に紹介した心字池より、こちらのほうが落ち着いた雰囲気。
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この雲形池は大音楽堂いわゆる日比谷の野音と近い。漏れ聞こえてくるリハーサルの音に誘われてそちらに移動。腹の底に響くような重低音を久しぶりに味わえた。ただしちょうど野音の前まで来た時にマイクテストなのか「あ、あ、う、う」のようなものに変わってしまう。
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G-FREAK FACTORYはホームページによると「群馬の雄!!ロックとレゲエを愛する」1997年に結成されたバンドらしい。
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グッズ販売開始までまだ2時間もあるのに、早々と並んでいる熱心なファンの皆さん。
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野音の裏手には「かもめの広場」と名付けられた一画がある。
お目当てはこの噴水。日頃の行いがよいので(^^ゞ 虹が架かっていた!
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ところでここが「かもめの広場」と名付けられたのは、この噴水の彫刻が東京都の鳥であるユリカモメを模しているからとのこと。しかしこれがユリカモメに見えるか? だいたいカモメの類いはふっくらした姿をしているもの。似てなさ過ぎる。


それはさておき、
最後にまた大好きな水しぶきのハイスピード撮影。
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クローズアップして。
光もたっぷり当たっていい感じ。
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かもめの広場から公園の外に出ると、そこは霞ヶ関の官庁街。
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日曜なので閑散としている。
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国会議事堂も見える。
その中にいる人はともかく建物はいつ見ても立派である(^^ゞ
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これにて初めての日比谷公園ガーデニングショー体験は終了。
暑くも寒くもなく秋晴れのいい1日でなにより。



おしまい

wassho at 21:11|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年10月25日

日比谷公園ガーデニングショー その2

大噴水の会場から指定された通路通りに歩いたのに、なぜか会場の外に出てしまい、
次の第2花壇会場で再入場。
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第1、第2花壇とも花壇と名はついていても実際はほとんど芝生広場だと前回に書いた。そしてどちらの花壇も普段は芝生の中には入れない。でもこの日は花壇の中がイベント会場だから堂々の入場。
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ここでの展示は2つあって、
まずはハンギングバスケット部門。
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ハング(hang)は吊す、バスケットはカゴ。つまりハンギングバスケットはカゴ(のようなプランター)に植物を寄せ植えして吊したもの。


百聞は一見にしかずで、こんなやつね。
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ハングは(上から)吊すだけれど、コンテストではこのような壁掛けスタイルが多い。これはカゴを90度傾けて壁に付けているのではなく、このようなスリット(切れ目)入りのバスケットを使って仕立てる。
スリットバスケット


誰かの家を訪れて、こんなハンギングバスケットがあったらひれ伏すかも(^^ゞ
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ただハンギングバスケットのコンテストは何度か訪れているものの、ひとつひとつは素晴らしくても、たくさん並ぶとどれも似たり寄ったりに見えてくるのが困りもの。


だからなのかどうかは知らないが、
ハンギングバスケット・コンテンストでは背後の壁にも凝る。
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これはほとんど花を使わないで差別化作戦に出たか。
でも地味だから会場では埋没気味。
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多肉植物で面を埋める荒技。でも色のグラデーションがよく考えられている。時計を添える構成の評価は微妙なところ。
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こういう奇をてらっただけの作品は嫌い。
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ゴージャスなハンギングバスケットが多い中で、
これは色合い的にシンプルで「オッ?」と思ったのだけれど、
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どうしてこんなことをしたがるかな。
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これが一番のお気に入り作品。赤をほとんど使わず秋らしい色合いでまとめている。それでいて地味になっていない仕上がりが素晴らしい。
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作品は花壇の東西両サイドに展示されていた。だからこの写真にある倍の作品数。
お腹いっぱいになりました。
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ハンギングバスケットで蜜を吸っていた蝶。
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調べてみるとツマグロヒョウモンのオスのようだ。花の多いところに行くと、たまにこんなきれいな蝶を見かける。でも子供の頃にたくさんいたモンシロチョウや、たまに見かけるとうれしかったモンキチョウはもうずいぶんとご無沙汰。こういうきれいな蝶を見ると、そっちの蝶をなぜか思い出してしまう。



会場の一角にそびえ立っていた竹。
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七夕みたいに短冊が付けられている。
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ネーミングがんばったね(^^ゞ
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とりあえず下から煽ってみる。
ちょっと色あせ気味なのが残念。
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第2花壇でもうひとつ行われてたコンテストがコンテナガーデン。
コンテナは容器。要は鉢植え部門ね。
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ハンギングバスケットと較べれば空間的な自由度が大きいから、
作品の多彩さは格段にまさっていて見飽きない。
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ただ地面に置かれているから、顔の高さに展示されていたハンギングバスケットに慣れた目にはちょっと見づらい。そして写真構図的に撮りにくい(/o\)
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こんなにポツンポツンと置かないで、
もう少しまとめて展示してもいいように思うが。
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私の好きなダリアを眺めていたら、
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また蝶がやって来た。
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先ほどと同じ蝶だろうか、あるいはこのツマグロヒョウモンがたくさんいるのか。日比谷公園の隣は皇居だし、意外とこの都心の超ど真ん中に蝶は多いのかも知れない。(ダジャレで書いたのではないよ)


いろんな創意工夫を楽しみながら会場をブラブラ。
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盆栽にもこういった遊び心が必要だと思う。
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手がリアルに見えて怖い(>_<)
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こういう場所では花が少ないとやはり寂しいかな。
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ーーー続く

wassho at 23:32|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年10月24日

日比谷公園ガーデニングショー

バナー

たまたまSNSのタイムラインに流れてきて知ったイベント。
公式ホームページから抜粋すると、

  市民参加のガーデンコンテスト作品展示、20周年記念シンポジウム、花と緑・環
  境緑化等に係る企業・団体のテント出展、コンサート、キッチンカーによるグルメ
  飲食等のほか、花苗配布をはじめとする様々な「花と緑」の演出がイベントを
  彩ります。

  日比谷公園ガーデニングショーは、日比谷公園開園100年を記念して平成15年に
  始まり、このたび20回目の開催となります。新たな節目を迎え、さらに広く市民、
  企業・団体等の参加を得て、「花とみどり・環境」のメッセージを世界に発信すると
  ともに、これからの持続可能な社会を目指し「花とみどりの力」がもつ可能性を
  提案します。

コロナで中断しており今年は3年ぶりの開催だそうだ。
昨日は天気もよかったので(最高気温23.8度)散歩も兼ねて出かけてきた。


正午ちょっと過ぎに日比谷公園到着。
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この公園に来た時はお約束になっている皇居のお堀写真。
なぜか手前の雑草にピントが合ってしまった(/o\)
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少し右を向いて帝国劇場方向。(茶色い背の低いビル)
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帝国劇場は国際ビルという建物と一体化したような造りで、そのオフィスフロアに以前はパンナム(パンアメリカン航空 1991年に破綻)が入居していた。昔ある時、仕事でパンナムに行くとエレベーターホールで、同じ町内の幼なじみTちゃんのお母さんにバッタリ。おそらく大阪から帝国劇場に何かを見に来ていたのだと思う。でもそんな偶然ってある? そのお母さんとは15年以上は会っていなかったのだけれど、向こうもよほどビックリしたのか、私の顔を見るなり〇〇ちゃん!と子供の頃の呼び名で叫ばれた。懐かしくてうれしいような、部下も連れていたし恥ずかしいような(^^ゞ

そんなめずらしい思い出のある帝国劇場も2025年に閉館して建て直すらしい。まだ築56年なのに日本のビルの寿命は短いね。


さらに右を向いて銀座方向。
中央の薄いオレンジ色のビルはホテルのペニンシュラ。
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皇居のお堀方向から180度向きを変えて、日比谷公園の北東角にある有楽門から入る。
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この地図は上が西だから有楽門は右下になっている。
ガーデニングショーは大噴水と第2花壇のあるところ。
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2020年に紅葉を見に来たあたりは、まだグリーン一色。
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とりあえず心字池を眺められる高台に登る。
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毎度お馴染みの展望スペースから。
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ここからのほうがお堀もよく見える。
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秋のうろこ雲。
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高台を降りて第1花壇。
日比谷公園には第1と第2の花壇がある。しかしどちらも花壇と言うよりメインは芝生広場で、その周辺に少し花が植えられているスペースがあるだけ。
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何輪か咲いていたバラを眺めながら、
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ガーデニングショーの会場に到着。
公園内に会場として仕切られているが入場は無料。
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入口テントをくぐると大噴水のある場所に出る。
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この噴水を取り囲むようにライフスタイルガーデン部門の作品が並べられている。
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ほとんど予備知識なしで訪れたのだが、
ちょっと私の見たかったガーデニングとは違うイメージ。


他の皆さんがどう思っていたかは分からないものの、作品よりも屋台のほうが賑わっていたような。まあちょうどお昼時だったせいもあるが。
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ちなみに屋台で一番行列が長かったのが、この焼きソーセージ。
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少し分かりづらいが、他の屋台の前まで行列が伸びていた。
食べたかったものの、キホン並べない性格のため断念。
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他に目立った人だかりは、この「シミのもとを押し出せる美容液」というガーデニングとは何の関係もない商品。ターゲット層が重なると読んでのマーケティングはお見事。それにしても大塚製薬が80%オフってーーー(無言)
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屋台ゾーンにはステージが向けられており、この時はバイオリンのソロ演奏。写真はズームで撮っているが、少し遠目からは、つい最近ニューヨークで司法試験に受かった人に似ていなくもなかった(^^ゞ
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作品展示を見て回る。
これは多肉植物を組み合わせたもの。
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多肉植物が紅葉するとは知っていたが、こんなにたくさん見たのは初めて。
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ゴリラ?
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この作品は地味すぎたから、
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日比谷ミッドタウンと一緒に撮ってバエさせようと思ったのに、
余計に地味さが目立ってしまった(>_<)
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こんなバスルームに憧れても、作品的には企画倒れの感を免れず。
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これはいい雰囲気だった。それでも、こんな風に庭とかけ離れたものが見たかったんじゃないとの気持ちが最後までぬぐえなかった。
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噴水を半周したので記念撮影。
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もちろんシャッター速度を上げての「止まる水しぶき」は忘れない。
なぜかこの撮影が大好き。
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再び作品展示。
ウ〜ン。
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植物で勝負しようよ。
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ここにあったのは「2坪ほどのスペースにまとめられた、ガーデニング要素を併せ持つオブジェ」とでもいうべきもの。私がガーデニングショーとは庭造りの展覧会みたいなものと勝手に思い込んでいたので、期待とはずいぶんと違うものだった。でも普段はあまり見られないものを見れたのでヨシ。

これらの作品はコンテンスとになっていて、プロアマ問わず参加できるようだ。それはいいとして、コンテストとは別にテーマ展示というか、もっと大きな作品を見たかったかな。


大噴水を後にして、別会場である隣の第2花壇に向かう。
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ーーー続く

wassho at 20:32|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2022年10月21日

とりあえず葉はよく伸びているクリスマス・カクタス

2008年に買ってきたクリスマス・カクタス。
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この植物は葉をちぎって土に挿し芽をして増やす。ただしカクタスの名前が示すようにサボテンの仲間だから、正確には葉ではなく茎になる。ところでこのように花は咲いても実はならず、つまり種はできないから、コイツらは自然界でどうやって繁殖しているのだろう?

この初代から挿し芽をして2代目を作り、それを繰り返して2代目、3代目、4代目がベランダにあった。しかしだんだんと花数が減り、また2019年にはハマキムシに食われるなどしたので、2021年5月に2代目、3代目、4代目から状態のよい株を選んで植え替えた。

鉢から抜いた各世代の株。
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これが新4代目。
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クリスマスの頃に花を咲かせるからクリスマス・カクタスなのであるが、植え替えをした年はあまり花を咲かせない。開花に体力を回さず、新しい鉢の中に根を張り巡らすのを優先しているからかと想像している。

2021年のクリスマスイブには2つ咲いていただけ。
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年を越えて2022年1月中頃にはもう少し花が増えた。
水やり&撮影のためにベランダに出しているが、花の時期は室内に置いている。
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2月が終わる頃には花が落ち、
これが今年ゴールデンウィーク前の様子。
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伸びた葉をちぎる。
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剪定後はこれくらいのボリューム。
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挿し芽して5代目も作った。
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そして現在。
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クリスマス・カクタス歴は40年近くあるけれど、こんなに勢いよく葉が育ったのは初めてかも知れない。植え替えの成果が2年目になって現れてきたのだろうか。


春に挿し芽をした5代目も元気。今までは挿し芽をしても半分ちょっとしか育たなかったのに、今回はほとんど残っている感じ。
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ただ一部の葉で白く丸くなっているのが気がかり。
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今年の1月と似たような角度で比較。
葉の分量は倍近くありそうだ。
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元気なのはうれしいが、何となく葉が長すぎるような気もしている。「秋になってから伸びてくる先端の赤い新芽は摘み取る」と読んだので、そうしている。しかし夏にもう一度全体的な長さを調節したほうがよかったのかな。今から葉の途中でちぎる勇気はちょっとない。

なおクリスマス・カクタスの成長している葉は花芽を付けない→肥料をやると葉が成長し続ける→だから花数を増やすために7月半ばからは肥料は与えないーーーと今年になって知った。それに従ったものの、今までもあまり肥料は使っていなかったから、その効果にそれほど期待していない。

とりあえずは葉の半分くらいに花が咲いてくれるとうれしい。


※クリスマス・カクタスはデンマーク・カクタスあるいは
 シャコバ・サボテンとも呼ばれる。

wassho at 20:10|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2022年10月18日

句読点がカンマだったりテンでバラバラ その3

句読点でテン「、」を打つべきところにカンマ「,」を使う人がたまにいる。それが公務員、弁護士、理系の人に多いと思っていたら、始まりは1952年(昭和27年)に吉田内閣が各省庁に通達した「公用文作成の要領」で定めたルールだったというのが前回・前々回までの内容。 ※理系については、納得のいく説明をまだ見つけられていない。

その「公用文作成の要領」の改訂版である「公用文作成の考え方」が今年の1月に出されたのも最初に触れた通り。ところで、それらについて調べると

   「公用文作成の要領」→通達
   「公用文作成の考え方」→通知

となっている。

通達と通知の違いに明確な定義はなくて微妙なものの、少なくとも法律ではない。だからなのか、そして通達から70年経っているのも影響しているのか、各省庁が作成する、あるいは役人が書く文章がすべてカンマ「,」とマルの「。」でできているわけじゃない。省庁によっても温度差がある。


さてようやく菅前総理の登場。

国葬での弔辞が「あれは電通が作った」「ゴメン、電通は関係なかった」「ゴメンで済んだら警察いらん」とにわかに脚光というか流れ弾を浴びていが、彼はTwitterに公式アカウントを開設している

それにしても背景写真にもっとマシなのはなかったのか? 菅前総理の背後に殺し屋みたいな奴が写っているし(^^ゞ 、彼の横にいる黄色いジャンパーを着たスタッフの目つきも危ないヤロ。マスクから鼻も出ている。また差し込んだ日光で写真が霞んでいて、中身以前にボツにするレベル。さらによく見たらポートレート写真もセンターからずれている(/o\)

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写真のこと(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
ここには「事務所スタッフが運営」と記されている。つまり菅前総理自身がツイートを書いているわけじゃない。そして文章には「、」と「。」の句読点が使われている。

別のツイートでも「、」と「。」

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この参考ツイート ↑ に2020年11月17日と古いものを引っ張り出してきたのは、
その1つ前がこれ ↓ だから。

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菅前総理のTwitterで普段は「、」と「。」が使われているのにもかかわらず、この時だけテン「、」の代わりにカンマ「,」が用いられている。すなわち「公用文作成の要領」に沿った書き方。

さきほど省庁によって温度差があると書いた。そのカンマ「,」をよく使う省庁のひとつが外務省だったとされる。だから、このツイートは事務所スタッフではなく、外務省の人間が書いたものと当時は噂された。注意一秒・怪我一生じゃないけれど意外なところからバレるものだ。

それが最初の投稿で「横書きで読点の代わりにカンマを使うのは国の指導だったので菅前総理の米国大統領宛祝電ツイートに外務省の代筆疑惑が持たれている」と句読点なしで長い文を書いた理由。ネタ振りを長々と引っ張ってm(_ _)m



ついでに話題となった国葬での菅前総理の弔辞。(文末に全文掲載)

State_Funeral_of_Shinzo_Abe_20220927

国葬のニュースを見た人は、管さんが安倍さんの部屋に行ったら、山県有朋の本が読みかけで置いてあって、そこに山県有朋が亡くなった伊藤博文を偲んで詠んだ和歌があったとの下りを覚えているだろう。

おそらく安倍さんが銃撃され亡くなった後に部屋を訪れたら、まるで運命のようにその本を見つけたと思ったはず。しかし改めて弔辞を読むと、管さんが安倍さんの部屋を訪れたのがいつだったかまったく触れられていない(実際は亡くなってからではない)。

しかし弔辞の冒頭で安倍さんが撃たれた後、管さんが現地に駆けつけたことが述べられている。だから聴衆は、同様に安倍さんが亡くなった後に部屋を訪れたと思い込み、その時のエピソードだと感動してしまうのだ。

これは実に見事なテクニック。この話に入る直前に「衆議院第1議員会館、1212号室」とリアリティのある単語をわざわざ挿入し、情景や臨場感を引き出した筆運びも相当に凄い。

もちろんこれは電通ではなかったにしろ、それなりのスピーチライター、ゴーストライターが書いている。Twitterのアカウントにあんな写真を使う人間に、こんな文章が書けるはずがないのだ(^^ゞ

スピーチライターを使うのが悪いとは思っていない。
しかし

  亡くなった安倍さんの部屋に行ってみたら(国葬当時はそう思っていた)
  机の上に読みかけの本があって、
  ここまで読んだとの印に、最後のページは端が折ってあり、
  そのページを開くと、安倍さんと同じく銃で暗殺された伊藤博文を
  偲んで詠んだ和歌にマーカーで線が引いてあった。

なんて、ちょっと話ができ過ぎ・クサ過ぎる。関西弁で表現するなら、

  そんな都合のええ話、アレヘンアレヘン
ないない

というのが正直な感想だったかな。

また一部で報道されたように、安倍さんが山県有朋の本を読んでいたのは事実だが、彼自身がFacebookで2015年1月12日に写真付きで「読了した」と報告している。管さんが安倍さんの部屋でまだ読みかけの本を見つけた時期は不明だとしても、少なくともそれは事件のあった日から7年半以上も昔の話になる。

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それを知るとゴタゴタの続いた国葬の中で、なかなか感動的だった管さんの弔辞も一気にしらけてしまう。おそらく、そこまで細かく突っ込まれるとは思っていなかったのだろう。あるいは書いているうちに文章に酔って調子に乗りすぎたか。しかし先ほどの注意一秒・怪我一生のように、今はそういうことにも気を配らなければいけない時代になっている。Twitterの写真で分かるように、管さん&彼のスタッフはSNSリテラシーが低そうだし、起用したスピーチライターもそうだったのかも知れない。


あっ! 私の過去のブログを読んで、
言っていることが矛盾しているなんて指摘しないでね(^^ゞ



おしまい

■■■■■■■■菅前総理の弔辞全文■■■■■■■■■■■■■■

七月の、八日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。
口惜しくてなりません。

哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。
前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。
私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。

何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。


衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉

wassho at 20:35|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2022年10月17日

句読点がカンマだったりテンでバラバラ その2

70年前に定められた「公用文作成の要領」において横書きの読点はテンの「、」ではなく、カンマの「,」を用いるとされ、なおかつ句点はマルの「。」のままで、ピリオドの「.」にしなかったという謎ルールが採用された。

その理由の記録はないが、有力とされているのが活字が影響したとする説。

手書きじゃないものを活字と呼ぶ場合もあるけれど、狭義で活字とは文字を彫ったハンコみたいなもの。写真は活字は金属(鉛)製だが、木製の時代もあった。

活字

この活字を文章に合わせて1文字ずつ並べ(組むという)、それにインクを付けて紙に刷るのが活版印刷。当然ながら活字を組むのに相当の時間を要するので、今ではほぼ消滅して趣味の印刷物に使われる程度。ちなみに大手の新聞社で活版印刷が使われていたのは1970年代の始めまでだったと思う。

ここでのポイントは活字は1文字単位で作られていること。

縦に日本語を書くときに句読点はマス目の右上に位置する。それに対して横書きでは左下になる。今はパソコンが自動的に調整してくれるが、縦書きが文書の主流だった時代に左下に位置する「、」の活字はなかった(らしい)。英文のカンマ「,」は当然ながら横書き仕様なので左下に彫られている。そこでカンマを使うとしたのが活字影響説。

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しかしそれでは句点をピリオドの「.」ではなくマルの「。」のままにした説明がつかない。そこで理由として上げられるのが活字の回転。右上にある「。」を180度回転させると、アラ不思議! 左下に移動するじゃありませんか(^^ゞ もちろんこの回転技はテン「、」には使えない。それがカンマとマルの日英混在な組み合わせになったとするもの。

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もっともらしい説に思えなくもないが、左下に位置する横書き用のテン「、」活字を新たに作るのがそんなに負担だったとは考えづらい。だからカンマとマルの組み合わせは謎のまま。



前回に理系ではカンマ「,」とピリオド「.」の組み合わせが使われると書いた。その理由として、論文を書くのに和文タイプライターがよく使われていたからとの説もある。

これが和文タイプライター。

和文タイプライター

この動画を見ると和文タイプライターは活字を1文字ずつ選ぶような仕組み。だからキーボードもなく英文タイプライターとはまったく構造が違う。英文タイプライターを見たことがない人は、こちらのリンク先動画を参考にして。

それにしても和文タイプライターの面倒なこと。このブログを和文タイプライターで打ったら、ひとつの投稿を書くのに何日かかるやら(/o\) 1980年前後に日本語ワープロが市場に出回った時の価格は200万円以上だった。それでも売れたのがよく分かる。

いくらでも活字を準備できた印刷と違って、和文タイプライターに収められる活字の数は限られている。そこでマル「。」を回転させて横書き用の活字をひとつ増やすのも惜しんで、ピリオド「.」をそのまま使用したとされる。もちろんこれも真偽不明。



面白いのは法曹関連。「公用文作成の要領」による横書きでカンマ「,」とマル「。」を組み合わせる謎ルールの制定は1952年(昭和27年)。なのに法曹界でそれが実施されたのは、ごく最近ともいえる2001年(平成13年)からなのだ。

これは明治以降の100数十年間、裁判関連文書は縦書きと決まっていたのが、2001年1月1日から(つまり21世紀を期に)横書きに変更されたのが原因。そしてとっくに活字の時代は終わって横書きでもテン「、」とマル「。」を左下に配置できるのに、裁判所が律儀に1952年の通達を守ったから。さすがは法の番人というべきか融通が利かないというべきか。

今年の1月に「公用文作成の考え方」が出されてテン「、」とマル「。」に改訂されたから、また対応も変わるのだろう。しかし「公用文作成の考え方」では従来通りのカンマ「,」とマル「。」の組み合わせも認められている。法律の厳格な対応がモットーな裁判所は、曖昧なルールを作らないでくれ!と困っているかも(^^ゞ



ところで句読点は漢文を日本語的に読むために使われた返り点がルーツとされる。レ点とか高校で習ったね。そして日本語の文に句読点を打つ風習は古来の日本にはなく、使われ出したのは明治中頃からのようだ(諸説あり。また使われ出した理由までは調べていない)。

ただしテン「、」とマル「。」の使い方は定まっておらず、文末にテンと今とは逆に使っていた事例もある。またテンは打ってもマルは打たずに1文字空白にしたり、「ウラジーミル、プーチン」と中黒「・」のように使ったり、その他いろいろと今とはずいぶんと違ったようだ。まあテンでバラバラ(^^ゞ

それで1952年(昭和27年)の「公用文作成の要領」以前にも

  1906年(明治39年):文部省が教科書の基準とした「句読法案」
  1946年(昭和21年):くぎり符号の使ひ方案(上記句読法案のバージョンアップ版)

などが策定されている。

普段は何気なく使っている句読点でも、調べてみるといろいろ奥が深い。そのうち顔文字や絵文字のルールも提唱されたりして(^^ゞ



ーーー続く

次回はようやく菅前総理の話。
断っておくけれど、たいした内容じゃないよ。

wassho at 23:11|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2022年10月15日

句読点がカンマだったりテンでバラバラ

  
「横書きで読点の代わりにカンマを使うのは国の指導だったので菅前総理の米国大統領宛祝電ツイートに外務省の代筆疑惑が持たれている」

文がこんなに長いと実に読みにくい。
それを解消するのが読点。通称「てん」。

   横書きで読点の代わりにカンマを使うのは、国の指導だったので、
   菅元総理の米国大統領宛祝電ツイートに、外務省の代筆疑惑が持たれている。

これでスッキリした。
そして読点とセットで使われ、文の終わりに付けるのが句点。通称「まる」。

読点は「とうてん」と読む。だから両方併せた総称の句読点は「くとうてん」。でも「読」を「とう」と発音する言葉は滅多にないから「どくてん」「くどくてん」と読みがち。また読み方も難しい上に、文の流れ的には「てん」「まる」の順なのに「句読」とそれが逆になっているし、さらに「読点」より「句点」のほうが何となくイメージが軽くて「てん」の意味に似合っているから、この言葉は意味的にもややこしい日本語。


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ところで読点「、」の代わりに英語のカンマ「,」を使う人がたまにいる。
先ほどの文を例にするとこんな感じ。

   横書きで読点の代わりにカンマを使うのは,国の指導だったので,
   菅前総理の米国大統領宛祝電ツイートに,外務省の代筆疑惑が持たれている。

私の経験ではカンマを使うのは役人、弁護士、理系の仕事をしている人に多い。もっともそれらの分野に属する人でカンマを使わない人もいるから、業界の慣例よりも単にその人の癖だと思っていた。(なお理系の人は読点をカンマにするだけでなく、句点の代わりにピリオド「.」も使う)

でも実はそうじゃなかったというお話。
それを知ったきっかけは1ヶ月ほど前に報じられた、京都市で「条例の読点表記を改める条例案」が可決されたとのニュース。


あれこれの情報を総合すると、カンマが使われたいきさつは次のようだ。

1952年(昭和27年)に時の吉田内閣が公用文の表記改善を目的とした「公用文作成の要領」を各省庁に通達(指示したとの意味)。その中で文書は横書きにする、そして横書き文書の読点は「、」ではなくカンマの「,」を用いると定められた。
   ↓
中央省庁だけでなく、裁判所や地方自治体もそれに倣う。
   ↓
当時はまだ横書き文書は少なかったものの、だんだんとそれが一般的になると、どうして「、」ではなく「,」なのだと疑問の声が大きくなる。
   ↓
しかし、なんとこの通達は今年の1月11日まで有効だった。
   ↓
そして今年の1月11日に改訂版ともいえる「公用文作成の考え方」が、内閣官房長官から各国務大臣に宛てて通知される(これにより「公用文作成の要領」は同日付で廃止され効力を失う)。

この改訂で読点は「、」と改訂された。
ただし横書きの場合は「,」を用いてよいともされている。
なお「,」と「、」の混在はダメ。

というわけでカンマ問題はめでたく解決ーーーとはならなかった(/o\)

地方自治体の中には「公用文作成の要領」を受け、さらに強化して横書きにカンマを用いるのを条例で定めたところもあったから。前述の京都市も1960年に「,」を義務化する条例を制定しており、それに違反せずに「、」を使うには条例の改正が必用だったというのがニュースの内容。ちょっと滑稽。


それにしても「公用文作成の要領」では、なぜ横書きで「,」を使うと定めたのだろう。しかも句点はピリオドではなく「。」と日英混在。まさに謎ルールとしかいいようがない。

その理由について記録は残っていないようだが、一説によると印刷に使う活字や、同じく活字を使う和文タイプライターの使い勝手を考えてだと言われている。



ーーー続く

冒頭で唐突に菅前総理が登場するが、彼の話が出てくるのは次の次の予定。
ネタ振りに使ってゴメンね、スガちゃん(^^ゞ

wassho at 22:01|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2022年10月13日

テレビを見ながら音楽を聴く画期的な方法

バラエティやドラマはほとんど見ない、そんなテレビっ子ではまったくない私の生活に変化が起きたのは2015年。英語講座をきっかけにEテレ(NHK教育放送)の面白さに目覚めてやたら録画するようになった。今ではNHK総合の番組もいくつか録画している。いろいろ問題も取り沙汰されるNHKであるが、「ためになる番組」の制作能力は民放と較べて格段に高いと評価している。正確にいえば民放はそういう番組を作る気がないので較べられないが。

さて昔のビデオデッキと較べれば今は録画も簡単である。連続予約を設定しておけば毎週の放送を録り逃す心配もない。また個別の予約とは別に、6チャンネル分を24時間自動録画する機能もついているテレビを使っているから、単発の番組を録画し損ねても大丈夫。

問題は録画した番組すべてを見られないこと(^^ゞ



話は変わって音楽。
こちらはCDを買うのをやめて、昨年の6月からAmazonミュージックのサブスクへ切り替えた。そうなると聴くことのできるタイトル数はほぼ無限。

メインのクラシックは、タワーレコードが毎月ホームページに掲載する「レコード芸術特選盤」から面白そうな作品をピックアップし(URLのショートカットを保存している)、それをAmazonミュージックで探して自宅のオーディオで聴く。そして特によかったアルバムは携帯音楽プレーヤーにダウンロードして外出時にも聴くというスタイル。ただし現時点でピックアップはしたものの、まだ聴いていないアルバムが100作品以上ある。そしてそれが毎月20作品ほど増えていくわけで。単純計算すれば、5ヶ月前にピックアップしたものをまだ聴けていない。

オーディオで聴くといっても、スピーカーの前に座ってじっくり聴くのは稀で、たいていは何かをしながら聴いていることがほとんど。CDを買っていた時と違って、最初の数分でハズレと判断して聴くのを中断する場合もあるけれど(それで後悔しないのがサブスクのいいところ)、それでもピックアップしたリストが空になる日は永遠に来ないと思う。

つまり録画したテレビ番組と同じように、音楽を聴く時間も圧倒的に足らない(/o\)



もっともテレビ番組にせよ音楽にせよ、これらはお楽しみのためのものであって、見られない・聴けないからといって別に何か支障をきたすものではない。だから時間が無くて困ったとの気持ちにはならない。お楽しみが尽きないのはうれしい話なのだから。

でも本音ではもっとたくさん見たい・聴きたい(^^ゞ
そして画期的な方法を数日前に発見した!


先ほど音楽は何かをしながら聴いていると書いた。具体的にはパソコンしていたり本を読んだりしながらである。でもテレビを見ながらは、テレビにも音声があるのでそれは無理。言い換えればテレビと音楽は二者択一の選択。

ーーーと当然のように考えていたが

実は現在、ほとんどの番組に字幕が付けられている。いわゆるテロップとは別物で、字幕放送という本来は聴覚に障害のある人向けのサービス。テレビのリモコンの「字幕」などのボタンで字幕を出す・出さないを切り替えられる。これを使えばテレビ音声を出さずに番組を見られるし、つまりは同時に音楽を聴くことが可能になる。

たまたまテレビを見ながらリモコンを手探りで操作して、「字幕」のボタンを誤って押してしまって見つけた(^^ゞ そういえば番組表に字幕放送を示すマークがついているけれど、まったく意識していなかった。まさに怪我の功名。

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もちろん番組内容によっては音声と一緒でないと楽しめないものも多い。また番組内容に合わせて多少は音楽を選ぶ必要もある。それでも音楽を聴く時間を少しは増やせてうれしく思っている。よく「誰にとっても1日は平等に24時間」と諭すように言われたりする。その限界を実質的に超えたゼと、ちょっと鼻高々(^^ゞ

wassho at 09:52|PermalinkComments(0) 生活、日常 | 音楽、オーディオ

2022年10月11日

落語を何で見ていた?

1年ほど前に落語家の柳家小三治が亡くなった。稀代の名人とされ、そして人間国宝でもあった彼の死は大きく報じられた。ただし落語にまったくにまったく明るくない私は「小三治?聞いた気もするけど、落語家って同じような名前が多いからなあ」「この顔、見たことあるような・なかったような」程度の認識 m(_ _)m

柳家小三治

ニュースで彼の落語も少し紹介されていたし、この機会に落語に触れておくのもいいかと思い、NHKの古典芸能のような番組で落語の放送があったので2〜3回ほど見た。演じていたのは口調からして関東の落語家。

話は愉しかった。しかしゲラゲラと笑うようなところはなく、最後の「落ち(下げと呼ぶのかな)」でクスッと笑えた程度。たまたまそういう演目が放送されていたのかも知れないが、お笑いではなく落語という「話芸」を味わうような内容だった。子供の頃に見ていた上方落語と関東の落語はやはり違うのかなと思った。もっとも2〜3回見ただけで、分かったようなことを言うつもりはない。


上方落語とは違うなと思ったのは関西育ちで上方落語に親しんでいたから。それはそうだとして、問題は何で落語を見ていたのかである。もちろんテレビを通じてなのは確かであるものの、落語の番組なんてあったっけ?

歌番組や時代劇番組がテレビから消えたはよく聞く。それと同じように昔は落語番組があったのかなあ。いや、なかったはず。漫才番組は結構あったから、そこに落語家も出演していたのだろうか。ずいぶんとたくさん落語を見て、そして大いに笑った気がするのに、まったく思い出せなくて記憶力の衰えに不安になってきた(^^ゞ

wassho at 23:31|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2022年10月10日

ポピュラー音楽の作曲家にクラシックを作曲して欲しい

以前に書いた「交響曲を各パート毎に楽器1台だけで、オーケストラを編成した演奏を聴きたい」に続くクラシック音楽業界への要望。今のところ前回を含めて4つほど思い浮かんでいる。


とりあえずこの動画(中身は静止画だけど)を聴いてみて。

これはピーター・ブレイナーという人がビートルズの Help! をバロック音楽にアレンジしたもの。アルバムでは全20曲で、ヘンデル、ヴィヴァルディ、バッハといったバロック期の代表的な作曲家のテイストが盛り込まれている。それぞれの作曲家とブレイナー自身を Let it be のアルバム・ジャケットに模しているのも面白い。

この演奏はバロック音楽としてまったく違和感がない。クラシックをある程度聴いている人なら、これはナンチャッテ・バロックではなくて本格的に編曲されているのが分かると思う。

違う演奏団体でのコンサート風景。最初の曲は何か分からないが、開始1分45秒後からの2曲目は Michelle(ミッシェル) 。Beatles Concerto Grosso あるいは Beatles Go Baroque で検索すればたくさん見つかる。


さてクラシック音楽はバロックの時代から、モーツァルトやベートーヴェンが活躍した古典派を経て、ロマン派、印象主義、新古典主義などにつながっていく。20世紀になってからのものは近代音楽、現代音楽なんて「クラシック」と矛盾した名前。その変遷の大きな方向性を一言でいえば時代が下がるにつれて、だんだんと音楽が複雑になる歴史。難しくなってくると言い換えてもいい。

そうなった理由はメロディー、ハーモニー、リズムの音楽3要素のうち、ハーモニーいわゆる和音の使い方に凝り出すから。古典派の時代にはなかった和音を作り出すことで、新しい音の世界が開けたのは進歩だが、そのうちに変わった和音を使うのが目的化してくる。やがて不協和音なんてのも使われ出す。そして和音や曲の構成に力が注がれる一方で、メロディーの比重が下がってくる。だからメロディーが平凡なクラシックは意外と多い。

それにしても、こんなことを言い切れるのは、クラシック音楽についてほとんど専門的な知識がない者の特権だろうな(^^ゞ だからそのつもりで読んでね。


話は変わってポピュラー音楽(J-POPでもロックでも歌謡曲でも、いわゆる流行り物系の音楽)の作曲家にとってはメロディーが最も大切。いかに心に響く、印象に残るメロディーを生み出すかにしのぎを削っている(打ち込み主体の音楽になって少し変わってきたような気もするが)。平均すればポピュラー音楽作曲家のメロディー創作能力は、クラシック音楽作曲家のそれを上回っているのではないか(特権再活用!)。

ということでポピュラー音楽作曲家の皆さんには、是非ともクラシック音楽の分野に進出して欲しいのである。もちろん従来と較べて長い曲になるから労働時間は増えるし、またアンサンブルならともかく、オーケストラ曲を作曲するのは能力・技術的に難しい話だろう。そしてたいして儲からない(^^ゞ でも500年後に名前を残せるのはクラシックですぞ。


残り2つの要望はいずれそのうち。

wassho at 18:37|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ 

2022年10月07日

古い友人とは

A氏からある人を紹介される。

   彼は私の古い友人でしてーーー

とA氏は言った。

そう聞くと、その人物が何となく信頼できるように思えてくる。人を紹介する時のスマートな台詞である。彼らは共通の趣味がきっかけで知り合い、もう17〜18年の付き合いになるらしい。

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ただし、

確かな年齢は知らないもののA氏は80歳を少し超えている老紳士。ということは60歳半ばからの知り合いである。17〜18年は充分に長い年月ではあるとしても、これって古い友人なのかな?

すなわち古い友人とは、

   絶対的な年月の長さなのか
   その年月が人生に占める割合なのか

との疑問。


小学6年生の時に、幼稚園からの友人は人生の半分以上を一緒に過ごしてきたとしても、古い友人とは言わない。そんな台詞がサマになるのは、30歳代でも無理で40歳代からだろうか。そういう意味では「古い友人」と紹介するのは大人の台詞である。

ところで幼なじみや同級生は古い友人なのだろうか。もちろん古い友人には違いないが、人に紹介する時には幼なじみや同級生と呼ぶ気がする。そう考えると古い友人とは、社会人になってから知り合った友人に使う言葉なのかも知れない。

日本の場合、年齢あるいは先輩後輩などの上下関係が何となくついて回るので、友人の幅が狭まるのが残念なところ。A氏が紹介してくれたB氏は彼より相当に若い。それをサラッと友人と呼べるのはカッコイイと思う。もっともB氏はA氏に相当気をつかっていたが。ところで日本の場合とは書いたが、他の国ではどうなんだろうね。


秋の夜長には、どうでもいいことを考えましょう(^^ゞ



さて秋とは言いつつ、それにしても昨日今日と異常に寒い。

3日前の9月4日に東京は最高気温が29.5度と半袖1枚で過ごせたのに、昨日は最高気温が15度、そして本日は13度。昼過ぎには最低気温となる11.3度を記録した。三日で気温が半分以下なんて(/o\) もうダウンを着てもいいくらい。

10年ほど前に、だんだんと春と秋が短くなって日本は四季ではなく三季の国になりつつあると書いたが、その傾向が強まっているみたいだ。コロナは起きるし侵略戦争は始まるし、そのうえ季節もひとつ減ったら、もう海からゴジラが現れても驚かないかも(^^ゞ

wassho at 22:00|PermalinkComments(0) 生活、日常 | ノンジャンル

2022年10月03日

プレートが跳ね上がる地震のナゾ その2

地球の表面は、厚さ約100kmのプレートと呼ばれる岩盤帯14〜15枚で覆われており、それがマントルの対流で少しずつ移動している。火山性のものを除けば、地震はそのプレート同士がぶつかり合う力で起こる。

その力が内陸部に及んで起きるのが、前回に書いた断層型地震。
そして海の底で起きるのが、その説明に?と思っている海溝型地震である。


プレートとプレートが押し合えば、盛り上がるような気がするが、海洋プレートは大陸プレートより重いとのことで、大陸プレートの下に潜り込む。潜り込んで海が深くなったところが海溝。

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日本海溝やマリアナ海溝など、海溝という言葉にはそこそこ馴染みはあると思う。海底にある裂け目のようなイメージで何となく神秘的。たまに深海探査艇のニュースなどがあって冒険心がかきたてられる。しかしここが恐ろしくも大迷惑な地震の生みの親なわけだ(/o\)

ちなみに海溝とは深さが6000m以上のものを指し、それより浅いものはトラフと呼ばれる。トラフにはプレートの沈み込み以外のメカニズムでできるものもあるらしい。ところで「近い将来に南海トラフで地震が起きる」とよく報じられるが、トラフの意味を理解している人は少ないんじゃないかな。

ついでに前回「プレートの移動する方向はバラバラなので、隣り合うプレートと離れるところもあれば、ぶつかるところもある」と書いた。プレートが離れる=下からマントルが上がってくる=海底に山ができる。これを海嶺(かいれい)と呼ぶ。「嶺」は「峰」と同じ意味。海溝と違ってこちらはあまり聞かない言葉。

海溝でプレートはマントルの奥深くに沈み込み、つまり消滅する。しかし海嶺ではマントルが上がってきて、それが新たなプレートを形成する。まるで新陳代謝のようで地球が生きているかに思えるね。

参考までに日本周辺の海溝やトラフの位置図。

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さて今回の本題。
海溝型地震が起きるメカニズムとして、
どの資料を見ても、ほぼ例外なく次のように解説されている。

   海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込む際に、
   大陸プレートも引きずり込まれる。
   それによってひずみが蓄積され、
   それが限界に達すると、
   大陸プレートが跳ね上がる

これが地震の原因であり、海底で起きるから津波の原因でもあるーーーと。

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模型を使った解説もよく見られ、これはNHK高校講座・地学基礎での例。
動画を貼り付けられなかったので静止画何枚かを抜粋すると
   引用元:https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/chigakukiso/
       archive/chapter023.html

右側の海洋プレートに見立てたベルトがモーターで回転するようになっている。
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海洋プレートの動きに沿って、左側の大陸プレートも引きずられていく。
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どんどん引きづられて、この辺が限界点。
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それを超えると、パコンと大陸プレートが元の位置に跳ね上がる。
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こちらは朝日新聞のデザチューブというYouTubeチャンネル。
前半は断層型地震の解説で、海溝型地震は開始1分25秒あたりから。


多くの人は、これらの解説に納得するかも知れない。
何となく理屈は通っているように思える。
しかし、よく考えてみて欲しい。
プレートとは地殻と上部マントルの一部からなる岩盤。
平たくいえば岩である。

だとすれば、

   岩盤が曲げられたゴム板のように元の位置に戻るか???

それに、そもそも岩盤はグニャッと曲がったりはしない。大陸プレートが海洋プレートに引きずり込まれていく途中で亀裂が入っているはず。だから元の位置に「跳ね上がる」ような形でひずみが蓄積されたりはしない

ーーーはずなんだけれど。

そう思わない?
ノーベル賞もらえるかな(^^ゞ

まあとにかく、この海溝型地震が解説される際に、お約束で登場する「プレートが跳ね上がる」に昔から納得がいっていない。いろいろと調べたものの、それ以外の解説は見当たらないから疑問が解けないままである。


もっとも学説を頭ごなしに否定する気もなければ、それだけの知識もない。おそらく海溝型地震の発生するメカニズムは大筋ではあっているのだろう。ただ大陸プレートが元の位置に戻る現象を「跳ね上がる」とした言葉づかいが不適切あるいは表現力不足なのだと思う。

どこかの学者が使い始めて、他の適当な表現を誰も思いつかなかったので「跳ね上がる」が一般化したのかも知れない。そして図解する時に地震の専門家ではないイラストレーターが、わかりやすく弾力をイメージさせるような絵に仕上げた。そんなところだろうか。比喩的な表現は頭に入りやすいけれど、あくまで部分的な例え話だから、それですべて理解したつもりになってはいけない典型的な事例。



さらに言えば、海溝で海洋プレートに大陸プレートが引きずり込まれるイラストには致命的な間違いがある。どの解説でも似たようなものが使われていて、これらでは大陸プレートが急角度で引きずり込まれ、(もし岩盤にゴムのような弾力があるとすれば)いかにもパコンと「跳ね上がる」感じがするように描かれている。

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しかし海溝の深さは最も深いマリアナ海溝で1万924m、日本海溝なら8020mである。切りのいいところで仮に1万mとしよう。ただし海の深さは平均3800mだとされるので、海溝の切れ目そのものは約6000mになる。

それに対してプレートは厚さ100kmもある。つまり100対6。だから海溝は人間の感覚では深い裂け目であっても、プレートからすればちょっとしたへこみ程度の大きさに過ぎない。さらに海溝の幅も約100kmとされる。図は海の平均的深さ・海溝の深さと幅・プレートの厚みの縮尺を揃えて描いたもの。

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こうやって確認すると海溝は漠然とイメージしているような急峻な裂け目ではなく、実になだらかな斜面だと分かる。だから海溝型地震の説明イラストのように、大陸プレートが「パコンと跳ね上がりそう」な急角度で引きずりこまれているわけではない(と思う)。イラストレーターに悪気はないとしても、縮尺を無視したのが跳ね上がりに誘導するための印象操作になっている。

    (注)右側にある縦の三角は、海溝の幅とプレートの厚みが
       目の錯覚で同じ長さに見えないので、確認のため複製して置いてみた。


これは東北沖の日本海溝の地形図。
プレートの厚みは省略されていて、縦横の縮尺比率も異なり縦方向に4倍ほど拡大されている。それで見ても日本海溝は「浅く緩やかな」斜面で、やはり大陸プレートはパコンと跳ね上がりそうにない。
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ところでNHKの高校講座では、
解説に何とコンニャクまで使われていた!
例えが無理すぎるって(^^ゞ

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おしまい


補足:イラスト等はそれぞれ下記のサイトからの引用。
   一部を加筆あるいは修正している。

https://www.city.sakaide.lg.jp/site/bousai/jisin1.html
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/inf/bfc/leader/cp5/index.html
https://www.toppan.co.jp/bousai/shiru/03_16.html
https://www.oa.u-tokyo.ac.jp/researcher-story/024.html

wassho at 20:43|PermalinkComments(0) ノンジャンル