2022年12月
2022年12月30日
年が明けたら蛍の光?
♪蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
実は「すぎの戸」が「時が過ぎ」と「杉の戸」の掛詞になっているを知ってた?
それはともかく誰もが歌える蛍の光。
「書(ふみ)読む月日」を重ねたのに「今日でお別れ」なので卒業式の定番ソング。私が児童や学生だった頃は、在校生が「蛍の光」を歌って、卒業生が「仰げば尊し」で返すのがお約束にだったものだが今はどうなんだろう。
そしてもちろん卒業式だけでなく、いろんなお別れの場面でも歌われる。この曲が流れると何となく終わったんだなと、しんみりした気分になるのは日本人共通の感情だろう。それを逆手にとって?お店が閉店時間になると客を追い出すためにも使われる(^^ゞ ただしあれは4拍子の「蛍の光」を、3拍子に編曲し直した「別れのワルツ」という派生バージョン。
その違いを気にした人はあまりいないと思うが、こちらで聞き較べれば「別れのワルツ」だと「本日はご来店まことにありがとうございました」と、まるでアナウンスが聞こえてきそうなのがおもしろい。
とにかく蛍の光のメロディを聴くと「別れ」「おしまい」と条件反射してしまう。しかしどうやらそれは日本人だけのようであるというお話。英語圏では大晦日のカウントダウンで年が明けた瞬間に歌われる新年ソングとなっているらしい。ホンマカイナ? と思ってしまうが論より動画で。
新しい年がいきなり蛍の光して大丈夫?
カウントダウンの後、オッサンがロックで蛍の光!
そもそも蛍の光はスコットランド民謡のAuld Lang Syne(オールド・ラング・ザイン)が原曲。Auld Lang Syneはスコットランド語で英語に置き換えればOld Long Since。日本語だと「古き昔」あたりのニュアンス。歌詞は「旧友と会って、昔を懐かしんで酒を飲み交わす」ような内容。蛍の光とメロディは同じでも、まったく別れとは関係なく逆に再会がテーマ。だから蛍の光が原曲を無視して歌詞を作り替えたといえる。どうしてそうなったのかは知らない。
もっとも「旧友と会って、昔を懐かしんで酒を飲み交わす」Auld Lang Syneを新年早々に歌うのも意味がよく分からないが。
またこの曲は世界各国に広まっており、なんと韓国では国歌が1948年までAuld Lang Syneのメロディーで歌われており、つまり国歌が蛍の光だった時代がある。また本家スコットランドでAuld Lang Syneは準国歌の扱いだそうだ。ということは国歌になっていた可能性もあったのだろうか。表彰式で蛍の光が流れたら日本人の観客は帰っちゃうよ(^^ゞ
まあところ変われば、あれこれ変わる。世界は広いね。
さて年の瀬もいよいよ押し迫ってきた。
♪ もうふたつ寝るとお正月
やっぱりこの歌の方がいいかな。
よいお年をお迎えください。
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
実は「すぎの戸」が「時が過ぎ」と「杉の戸」の掛詞になっているを知ってた?
それはともかく誰もが歌える蛍の光。
「書(ふみ)読む月日」を重ねたのに「今日でお別れ」なので卒業式の定番ソング。私が児童や学生だった頃は、在校生が「蛍の光」を歌って、卒業生が「仰げば尊し」で返すのがお約束にだったものだが今はどうなんだろう。
そしてもちろん卒業式だけでなく、いろんなお別れの場面でも歌われる。この曲が流れると何となく終わったんだなと、しんみりした気分になるのは日本人共通の感情だろう。それを逆手にとって?お店が閉店時間になると客を追い出すためにも使われる(^^ゞ ただしあれは4拍子の「蛍の光」を、3拍子に編曲し直した「別れのワルツ」という派生バージョン。
その違いを気にした人はあまりいないと思うが、こちらで聞き較べれば「別れのワルツ」だと「本日はご来店まことにありがとうございました」と、まるでアナウンスが聞こえてきそうなのがおもしろい。
とにかく蛍の光のメロディを聴くと「別れ」「おしまい」と条件反射してしまう。しかしどうやらそれは日本人だけのようであるというお話。英語圏では大晦日のカウントダウンで年が明けた瞬間に歌われる新年ソングとなっているらしい。ホンマカイナ? と思ってしまうが論より動画で。
新しい年がいきなり蛍の光して大丈夫?
カウントダウンの後、オッサンがロックで蛍の光!
そもそも蛍の光はスコットランド民謡のAuld Lang Syne(オールド・ラング・ザイン)が原曲。Auld Lang Syneはスコットランド語で英語に置き換えればOld Long Since。日本語だと「古き昔」あたりのニュアンス。歌詞は「旧友と会って、昔を懐かしんで酒を飲み交わす」ような内容。蛍の光とメロディは同じでも、まったく別れとは関係なく逆に再会がテーマ。だから蛍の光が原曲を無視して歌詞を作り替えたといえる。どうしてそうなったのかは知らない。
もっとも「旧友と会って、昔を懐かしんで酒を飲み交わす」Auld Lang Syneを新年早々に歌うのも意味がよく分からないが。
またこの曲は世界各国に広まっており、なんと韓国では国歌が1948年までAuld Lang Syneのメロディーで歌われており、つまり国歌が蛍の光だった時代がある。また本家スコットランドでAuld Lang Syneは準国歌の扱いだそうだ。ということは国歌になっていた可能性もあったのだろうか。表彰式で蛍の光が流れたら日本人の観客は帰っちゃうよ(^^ゞ
まあところ変われば、あれこれ変わる。世界は広いね。
さて年の瀬もいよいよ押し迫ってきた。
♪ もうふたつ寝るとお正月
やっぱりこの歌の方がいいかな。
よいお年をお迎えください。
2022年12月28日
ヘソを上げるべきか尻を下向けるべきか その2
姿勢の矯正方法は効果があっても「つい忘れてしまって」継続するのが難しいもの。しかし以前に書いたように「頭にお手玉」はなぜか1度やるだけで身体が覚えてしまう。理由は不明だが、顔が真っ直ぐ前を向くことで視界が変化するから、「頭にお手玉」を載せないでうつむいてしまうと脳が「こうじゃない」と気づくからかなと想像している。
それに対して「ヘソ高」は他の矯正方法と同じように意識して続ける必要がある。しかし「ヘソ高」にすると歩くのが楽になり、そして身体は常に楽をしたがるから案外と忘れない。おそらく外で歩いている時の95%以上は無意識でも「ヘソ高」をキープできていると思う。
私と同じように骨盤が後傾している人にしか当てはまらないだろうが、「頭にお手玉」を載せたつもりになり、そして「ヘソの位置を高く保つ」意識を持って歩くと、身体のどこにも力みがなく、まるで身体が軽くなったように感じる。そして信号待ちの時は、このまま永遠に立ち続けていられるのではと思うほど。
しかしである。「頭にお手玉」「ヘソ高」で立っている姿勢はとても楽だとしても、どことなく重心が高くて不安定な感じがするのも否めない。
以前に「古武道に学ぶなんとか〜」というような番組で、正しい姿勢とは「気をつけ」のようなものではなく、
骨盤を少し後傾させる
それに伴ってやや猫背気味になる
また膝が曲がって前に出る
だと紹介していた。
「正しい」と聞くと無条件に信じてしまいそうになるが「何に対して正しいのか」が常に問題である。この姿勢は武道の教えだから、安定感と動きやすさを求めればこれが正しいということなのだろう。これを極端にやれば(骨盤の向きは逆になるが)野球やテニスで守る時の体勢である。
骨盤の後傾が悩みの種なのだから、この古武道姿勢はトンデモナイ話。それでもものは試しとやってみた。私の場合、骨盤を後傾させるより、お尻の出っ張っている部分を下に向ける意識を持つと、この姿勢になる(なっているように思う)。もちろん「ヘソ高」と同じで、実際にお尻が下を向くわけじゃない。この僅かな意識の違いに身体が反応するのが面白くもあり不思議でもある。
この姿勢は確かに重心が下がって安定感があり、また敏捷に動けそうな気がする。そして真逆の方法である「ヘソ高」と同じくらい身体が楽なのだ。姿勢にはいろんな工夫の仕方があるものだと思う。
ただし古武道姿勢は猫背になるのだから気分爽快な感じはしない。歩く時の軽やかさもない。結論としては普段は「ヘソ高」で、電車の中とか人混みでは「お尻下向け」がいいかも知れない。その時に思い出せればだけれど。
なお自分の骨盤が後傾しているかどうかが分からない人は、
次の方法でチェックするといい。
思い切り全身に力を込めて「気をつけ!」の姿勢を取る。
その時に背中が反り返って、お腹が突き出していたら後傾している。あっそうそう、太っている人には「ヘソ高」にすると、ポッコリ腹が目立たなくなるメリットもあるよ(^^ゞ
前回と今回に書いたのは骨盤が後傾している人限定の内容。それとあくまで私の独学だから医学的に正しいかどうかの保証もなし。それだけじゃ申し訳ないので、最後にほとんどの人に役立つ話を。
急な坂道あるいは階段を上る時、無意識のうちに身体が前のめりになるもの。でも身体はできるだけ真っ直ぐな方が楽に上れる。試してみれば分かるけれど、片足を前に出した状態で上半身を前傾させると太もものあたりに体重が掛かってしまう。それを防ぐために身体は真っ直ぐに。
初詣で寺社の急階段を上ることでもあればお試しを。
おしまい
それに対して「ヘソ高」は他の矯正方法と同じように意識して続ける必要がある。しかし「ヘソ高」にすると歩くのが楽になり、そして身体は常に楽をしたがるから案外と忘れない。おそらく外で歩いている時の95%以上は無意識でも「ヘソ高」をキープできていると思う。
私と同じように骨盤が後傾している人にしか当てはまらないだろうが、「頭にお手玉」を載せたつもりになり、そして「ヘソの位置を高く保つ」意識を持って歩くと、身体のどこにも力みがなく、まるで身体が軽くなったように感じる。そして信号待ちの時は、このまま永遠に立ち続けていられるのではと思うほど。
しかしである。「頭にお手玉」「ヘソ高」で立っている姿勢はとても楽だとしても、どことなく重心が高くて不安定な感じがするのも否めない。
以前に「古武道に学ぶなんとか〜」というような番組で、正しい姿勢とは「気をつけ」のようなものではなく、
骨盤を少し後傾させる
それに伴ってやや猫背気味になる
また膝が曲がって前に出る
だと紹介していた。
「正しい」と聞くと無条件に信じてしまいそうになるが「何に対して正しいのか」が常に問題である。この姿勢は武道の教えだから、安定感と動きやすさを求めればこれが正しいということなのだろう。これを極端にやれば(骨盤の向きは逆になるが)野球やテニスで守る時の体勢である。
骨盤の後傾が悩みの種なのだから、この古武道姿勢はトンデモナイ話。それでもものは試しとやってみた。私の場合、骨盤を後傾させるより、お尻の出っ張っている部分を下に向ける意識を持つと、この姿勢になる(なっているように思う)。もちろん「ヘソ高」と同じで、実際にお尻が下を向くわけじゃない。この僅かな意識の違いに身体が反応するのが面白くもあり不思議でもある。
この姿勢は確かに重心が下がって安定感があり、また敏捷に動けそうな気がする。そして真逆の方法である「ヘソ高」と同じくらい身体が楽なのだ。姿勢にはいろんな工夫の仕方があるものだと思う。
ただし古武道姿勢は猫背になるのだから気分爽快な感じはしない。歩く時の軽やかさもない。結論としては普段は「ヘソ高」で、電車の中とか人混みでは「お尻下向け」がいいかも知れない。その時に思い出せればだけれど。
なお自分の骨盤が後傾しているかどうかが分からない人は、
次の方法でチェックするといい。
思い切り全身に力を込めて「気をつけ!」の姿勢を取る。
その時に背中が反り返って、お腹が突き出していたら後傾している。あっそうそう、太っている人には「ヘソ高」にすると、ポッコリ腹が目立たなくなるメリットもあるよ(^^ゞ
前回と今回に書いたのは骨盤が後傾している人限定の内容。それとあくまで私の独学だから医学的に正しいかどうかの保証もなし。それだけじゃ申し訳ないので、最後にほとんどの人に役立つ話を。
急な坂道あるいは階段を上る時、無意識のうちに身体が前のめりになるもの。でも身体はできるだけ真っ直ぐな方が楽に上れる。試してみれば分かるけれど、片足を前に出した状態で上半身を前傾させると太もものあたりに体重が掛かってしまう。それを防ぐために身体は真っ直ぐに。
初詣で寺社の急階段を上ることでもあればお試しを。
おしまい
2022年12月27日
ヘソを上げるべきか尻を下向けるべきか
1ヶ月ほど前に紹介した頭にお手玉を載せて(載せたつもりで)歩くと、ちょっとうつむき加減な癖が解消されて視界が広がった話の続編。
その時にも書いたように私は骨盤が後傾気味。それを矯正するために色々と工夫して最終的にコマネチ!メソッドを編み出した。姿勢の矯正方法というのは効果があっても、つい忘れがちになるもの。しかしコマネチ!メソッドは20年ほど続けているので、もうすっかり身体が覚えている。だから意識しなくても身体はコマネチ!状態で、少なくとも立っている、歩いている時に骨盤は後傾していない。
ーーーのつもりだったのに。
頭にお手玉を意識するとうつむき加減の矯正だけでなく、上半身もスッと伸びたように姿勢がよくなる。あれっ?コマネチ!メソッドで上半身の姿勢はいいはずなのに、まだ改善の余地があったのかな。そんなことを考えながら、コマネチ!メソッドの前にやっていた「ヘソの位置を高く保つ」矯正法を超久しぶりに試してみた。
ごく僅かな違いだがコマネチ!メソッドより骨盤の後傾が改善されているような気がする。20年前は両者を比較してコマネチ!メソッドのほうがいいと思ったのだが。コマネチ!メソッドがあまりに身体に馴染んでしまったせいもあるかも知れない。
とは言っても骨盤後傾の矯正→上半身の姿勢がよくなる度合いにほとんど違いはない。しかし「ヘソ高」にすると、歩くのがすごく楽になるのを発見!具体的には脚を前に出す動きが軽い。
これはおそらく、極端に考えてみれば
寝そべった=骨盤が水平まで後退した状態から脚を前に出せば、
それは脚を持ち上げる動きになる
から、骨盤がしっかり立っていれば脚を持ち上げる方向に動かす必要はなく、真っ直ぐ前に出せるからだと思う。つまりコマネチ!メソッドより「ヘソ高」のほうが骨盤後傾をより矯正できている証明。コマネチ!メソッドには絶対の自信を持っていたので釈然としない気持ちはある。しかしまあ20年も経てば何かと身体も変化したのだろう。
そして第2の発見は「ヘソ高」にすると単に脚運びが単に楽になるだけでなく、カカトから着地する歩き方に自然となること。「カカトから着地し、爪先で蹴り出す」のが「正しい歩き方」とは昔から知っていた。しかしそれだと歩きにくい=私には合わないと無視してドタ足だったのに、とあるきっかけでカカトから着地を試したのが2009年。やってみたら足に受ける衝撃のあまりの少なさに3日後には元のドタ足には戻れなくなった。
こちらも10年以上は続けているから、もう意識もせず自然にできるし、特に歩きにくいと感じてもいない。それでも「ヘソ高」で歩くと、もっとナチュラルにカカトから着地になる。これも骨盤後傾がコマネチ!メソッドより矯正されて、以前より脚を前に振り出せるようになったからではと推測している。何となく歩幅も広がった気もする。とは言ってもせいぜい2mmか3mm程度だとは思うが、その微妙な違いを身体は感じるもの。
なお「ヘソの位置を高く保つ」と書いたのは意識の上でのこと。実際にヘソの位置を高くするのは不可能。しかしヘソの位置を高くと心掛けると、どこの筋肉がどう動くのかは分からないが、なぜか後傾している骨盤が真っ直ぐになるのである。
ーーー続く
その時にも書いたように私は骨盤が後傾気味。それを矯正するために色々と工夫して最終的にコマネチ!メソッドを編み出した。姿勢の矯正方法というのは効果があっても、つい忘れがちになるもの。しかしコマネチ!メソッドは20年ほど続けているので、もうすっかり身体が覚えている。だから意識しなくても身体はコマネチ!状態で、少なくとも立っている、歩いている時に骨盤は後傾していない。
ーーーのつもりだったのに。
頭にお手玉を意識するとうつむき加減の矯正だけでなく、上半身もスッと伸びたように姿勢がよくなる。あれっ?コマネチ!メソッドで上半身の姿勢はいいはずなのに、まだ改善の余地があったのかな。そんなことを考えながら、コマネチ!メソッドの前にやっていた「ヘソの位置を高く保つ」矯正法を超久しぶりに試してみた。
ごく僅かな違いだがコマネチ!メソッドより骨盤の後傾が改善されているような気がする。20年前は両者を比較してコマネチ!メソッドのほうがいいと思ったのだが。コマネチ!メソッドがあまりに身体に馴染んでしまったせいもあるかも知れない。
とは言っても骨盤後傾の矯正→上半身の姿勢がよくなる度合いにほとんど違いはない。しかし「ヘソ高」にすると、歩くのがすごく楽になるのを発見!具体的には脚を前に出す動きが軽い。
これはおそらく、極端に考えてみれば
寝そべった=骨盤が水平まで後退した状態から脚を前に出せば、
それは脚を持ち上げる動きになる
から、骨盤がしっかり立っていれば脚を持ち上げる方向に動かす必要はなく、真っ直ぐ前に出せるからだと思う。つまりコマネチ!メソッドより「ヘソ高」のほうが骨盤後傾をより矯正できている証明。コマネチ!メソッドには絶対の自信を持っていたので釈然としない気持ちはある。しかしまあ20年も経てば何かと身体も変化したのだろう。
そして第2の発見は「ヘソ高」にすると単に脚運びが単に楽になるだけでなく、カカトから着地する歩き方に自然となること。「カカトから着地し、爪先で蹴り出す」のが「正しい歩き方」とは昔から知っていた。しかしそれだと歩きにくい=私には合わないと無視してドタ足だったのに、とあるきっかけでカカトから着地を試したのが2009年。やってみたら足に受ける衝撃のあまりの少なさに3日後には元のドタ足には戻れなくなった。
こちらも10年以上は続けているから、もう意識もせず自然にできるし、特に歩きにくいと感じてもいない。それでも「ヘソ高」で歩くと、もっとナチュラルにカカトから着地になる。これも骨盤後傾がコマネチ!メソッドより矯正されて、以前より脚を前に振り出せるようになったからではと推測している。何となく歩幅も広がった気もする。とは言ってもせいぜい2mmか3mm程度だとは思うが、その微妙な違いを身体は感じるもの。
なお「ヘソの位置を高く保つ」と書いたのは意識の上でのこと。実際にヘソの位置を高くするのは不可能。しかしヘソの位置を高くと心掛けると、どこの筋肉がどう動くのかは分からないが、なぜか後傾している骨盤が真っ直ぐになるのである。
ーーー続く
2022年12月25日
トナカイのナゾ
前回、キリスト暦的には25日の日没を過ぎたら日付が変わって26日だから、クリスマスではないと書いたので気が引けるものの、別にキリスト教徒でもないから、まっいいか。
何はともあれメリークリスマス!
アレッ?キリスト教徒じゃないのにメリークリスマスとわ?
まっいいか(^^ゞ
クリスマスといえばサンタクロースで、サンタクロースにはトナカイがつきもの。おそらく物心がついた頃から馴染みのある存在なのに、考えてみたら本物の生きたトナカイは見たことがない。日本には150以上の動物園があって、その中でトナカイを飼っているのは8施設だけのようだ。
見た目で分かるようにトナカイはシカの仲間で寒い地域に住む動物。英語ではCaribou(カリブー)またはReindeer(レインディア)。DeerはシカでReinは古語で角。普通のシカと較べて角が大きいからかな。ちなみに家畜としても飼育されているが、野生のトナカイは2016年から絶滅危惧種に指定されている(/o\)
ところでトナカイを改めて見てみると、
鼻が赤くないじゃないか!
サンタクロースのイラストに描かれるように真っ赤ではなくても、多少は赤いから、♪真っ赤なお鼻のトナカイさんは〜と歌われてるのだと思っていた。
トナカイの鼻には毛細血管が集まっているらしく、寒いと人間の頬が赤くなるように充血するらしい。それでもほんのりピンク程度で「真っ赤なお鼻」じゃない。
だいたい「赤鼻のトナカイ」の歌詞では
暗い夜道は
ぴかぴかの
おまえの鼻が
役に立たつのさ
となっており、ピカピカも夜道で役に立つも意味不明。薄いピンクを真っ赤と表現するのはまだしも、電球のように光るなんて話を盛りすぎ(^^ゞ
「赤鼻のトナカイ」は1948年にアメリカでヒットしたクリスマスソング「Rudolph the Red-nosed Reindeer」を邦訳したもの。その原曲の歌詞でも
Then one foggy Christmas Eve ある霧の濃いクリスマスイブに
Santa came to say サンタがやって来て言った
Rudolph with your nose so bright ルドルフ(トナカイの名前)お前の鼻は
明るいから
Won't you guide my sleigh tonight? 今夜、私のソリの案内をしてくれないか?
(道を照らしてくれないか)
とある。
なぜ明るいのだ?
ただし原曲で歌詞の内容は
サンタクロースのそりを引く8頭のトナカイがいた。
(ソリのメンバーではない)赤鼻のルドルフは、
鼻が赤いので他のトナカイにバカにされて遊んでももらえなかった。
でもある霧の濃いクリスマスイブに、
お前の鼻は明るいから、私のソリの案内をしてくれないか?
とサンタクロースに言われて、それから人気者になった。
という趣旨で、人と違うと悩んでいる子供を元気づけるような歌になっている。意外と意味が深いクリスマスソングなのだ。ただし「赤鼻のトナカイ」と邦訳された時に、かなり話をはしょって、ちょっと訳のわからない歌詞に変わってしまったみたい。習ったのは幼稚園だったので何も分からず歌っていたけれど(^^ゞ
真っ赤なお鼻の トナカイさんは
いつもみんなの 笑いもの
でもその年の クリスマスの日
サンタのおじさんは 言いました
暗い夜道は ぴかぴかの
おまえの鼻が 役に立つのさ
いつも泣いてた トナカイさんは
今宵こそはと 喜びました
いずれにせよ「Rudolph the Red-nosed Reindeer」「赤鼻のトナカイ」が、ちょっといい話だと知ったとしても、やはり赤い鼻が暗い夜道でどうして役立つのかはナゾ
教えてサンタクロース!
2022年12月23日
イブはギリでもイブイブは無理
赤穂浪士討ち入りの日にあわせて「12月14日は討ち入りの日じゃない」という話を13日と14日に書いた。12月14日は江戸時代に使われていた旧暦の日付であって、現在の暦に置き換えれば翌年1月31日が討ち入りの日であるとの内容。
旧暦と新暦の違いを説明するのに討ち入り事件はよく例として用いられる。そして12月にはもうひとつ暦に関する話題がある。それがクリスマスイブ。
その話は以前にも書いている。
それでポイントだけをまとめると、
1)
クリスマスイブの「イブ」の意味をほとんどの人が「前日」だと思っている。理由はクリスマスは特別にめでたい日なので前日から祝う、それがクリスマスイブだと。そこから派生して誕生日イブとか結婚記念日イブなんて使い方もある。また12月23日をクリスマスのイブイブと呼んだりする。
2)
しかしクリスマスイブのイブは前日ではなく「イブニング evening」つまり夜を意味している。だからクリスマスイブを訳せばクリスマスの夜となる。正確を期せば「クリスマス当日の夜」。
3)
では、どうしてクリスマスの前日なのに、夜を意味する言葉で呼ぶのか?
それに関わっているのが暦の違い。
現在の暦では午前0時から次の1日が始まる。しかし暦によっては1日の始まりを日の出としたり、逆に日没とするものもある。キリスト暦もそのひとつで日没から始まる。それを示したのが下の図。
キリスト暦では1日が晩→朝→昼の順番となっていたので、25日クリスマスの夜が現在の暦では24日になる。だから24日の「夜」がクリスマスイブ。現在の暦で25日クリスマスの夜は、キリスト暦では26日でもうクリスマスじゃない。クリスマスは日没で終了。この暦に従えばクリスマスケーキは24日の日没までお預けだし、逆に25日の日没を超えれば売れ残ったケーキを堂々と安売りできる(^^ゞ
ところで不思議なのは1日の始まりを日没とする暦がどうしてあるのか。
人間は夜行性動物じゃないのに?
キリスト暦以外に、キリスト教のベースとなったユダヤ暦もそうだし、柳田国男は古来の日本では1日の始まりが日没であったと主張している。キリスト暦とユダヤ暦は旧約聖書の一節に
神が天地を創造した
神が「光あれ」と言ったので光が生まれた
神は光を昼、闇を夜と呼んだ。
「夕べがあり、朝があった。第一の日である」
と書かれているのがその理由。要するに神が晩→朝→昼の順番を決めたことになっている。柳田国男説については古来とはいつを指すのか、その主張にどのような根拠があるのかなど興味はあるが詳しくは知らない。またイスラム暦も同じく日没が1日の始まりである。イスラム暦は月の満ち欠けを基準とする太陰暦だから、月の出る日没から数えるのが都合よかったのだろう。
ちなみ現在の暦が午前0時で次の日に変わるのは、
日の出や日没は季節によって時刻が変わるから、基準にするには不便。
そこで太陽が真南に来る時を正午とし、次の正午までの時間を1日の長さとした。
これは季節にかかわらず一定である。
しかし真っ昼間に日付が変わると何かと不便だから、正午の12時間前、
すなわち午前0時で日付が変わるルールにした。
ーーーからである。
考えてみれば暦の上、カレンダー的に午前0時で日付が変わったとしても、その時に「よし、新しい1日が始まった」なんて思う人はいない。感覚的には太陽が昇って朝になって1日が始まったと感じる。おそらく夜勤で働く人でも同じはず。
だからキリスト暦、ユダヤ暦、イスラム暦に従って生きていた人でも、1日の始まりがどこに決められていようが、あまり関係なかったのかも知れない。
また原始時代とまでいかなくても、まだ人類が文明らしいものを持っていなかった時代、当然ながら日の出と共に生活活動が始まり、日没で終了しただろう。火は使っていても照明と呼ぶまでのものはなかったら、食事も日のあるうちに食べていたに違いない。つまり日没で1日が終了して後は寝るだけ。そして終了したということは、その瞬間に次の日が始まるわけで、日没を1日の始まりとするのは合理性があったとも言える。
ところでChristmas Eveのeveは、eveningで夜を示していると書いたが、実は英語のeveには前日の意味もある。この語源ははっきりしないものの、おそらく現代の暦では25日クリスマスの前日になるクリスマスイブに由来している。時代が変わって言葉に新しい意味が加わったのだと思う。よく聞くのはNew Year’s Eveで、これは新年の前日すわなち大晦日を意味する。
だから誕生日イブはまあ英語的に間違いじゃない(日本語とのチャンポンだけど)。でもイブイブは英語では絶対に言わない。だから3日続けてお酒を飲んで、忘年会イブイブ、忘年会イブ、忘年会だったと言い訳しちゃダメよ(^^ゞ
旧暦と新暦の違いを説明するのに討ち入り事件はよく例として用いられる。そして12月にはもうひとつ暦に関する話題がある。それがクリスマスイブ。
その話は以前にも書いている。
それでポイントだけをまとめると、
1)
クリスマスイブの「イブ」の意味をほとんどの人が「前日」だと思っている。理由はクリスマスは特別にめでたい日なので前日から祝う、それがクリスマスイブだと。そこから派生して誕生日イブとか結婚記念日イブなんて使い方もある。また12月23日をクリスマスのイブイブと呼んだりする。
2)
しかしクリスマスイブのイブは前日ではなく「イブニング evening」つまり夜を意味している。だからクリスマスイブを訳せばクリスマスの夜となる。正確を期せば「クリスマス当日の夜」。
3)
では、どうしてクリスマスの前日なのに、夜を意味する言葉で呼ぶのか?
それに関わっているのが暦の違い。
現在の暦では午前0時から次の1日が始まる。しかし暦によっては1日の始まりを日の出としたり、逆に日没とするものもある。キリスト暦もそのひとつで日没から始まる。それを示したのが下の図。
キリスト暦では1日が晩→朝→昼の順番となっていたので、25日クリスマスの夜が現在の暦では24日になる。だから24日の「夜」がクリスマスイブ。現在の暦で25日クリスマスの夜は、キリスト暦では26日でもうクリスマスじゃない。クリスマスは日没で終了。この暦に従えばクリスマスケーキは24日の日没までお預けだし、逆に25日の日没を超えれば売れ残ったケーキを堂々と安売りできる(^^ゞ
ところで不思議なのは1日の始まりを日没とする暦がどうしてあるのか。
人間は夜行性動物じゃないのに?
キリスト暦以外に、キリスト教のベースとなったユダヤ暦もそうだし、柳田国男は古来の日本では1日の始まりが日没であったと主張している。キリスト暦とユダヤ暦は旧約聖書の一節に
神が天地を創造した
神が「光あれ」と言ったので光が生まれた
神は光を昼、闇を夜と呼んだ。
「夕べがあり、朝があった。第一の日である」
と書かれているのがその理由。要するに神が晩→朝→昼の順番を決めたことになっている。柳田国男説については古来とはいつを指すのか、その主張にどのような根拠があるのかなど興味はあるが詳しくは知らない。またイスラム暦も同じく日没が1日の始まりである。イスラム暦は月の満ち欠けを基準とする太陰暦だから、月の出る日没から数えるのが都合よかったのだろう。
ちなみ現在の暦が午前0時で次の日に変わるのは、
日の出や日没は季節によって時刻が変わるから、基準にするには不便。
そこで太陽が真南に来る時を正午とし、次の正午までの時間を1日の長さとした。
これは季節にかかわらず一定である。
しかし真っ昼間に日付が変わると何かと不便だから、正午の12時間前、
すなわち午前0時で日付が変わるルールにした。
ーーーからである。
考えてみれば暦の上、カレンダー的に午前0時で日付が変わったとしても、その時に「よし、新しい1日が始まった」なんて思う人はいない。感覚的には太陽が昇って朝になって1日が始まったと感じる。おそらく夜勤で働く人でも同じはず。
だからキリスト暦、ユダヤ暦、イスラム暦に従って生きていた人でも、1日の始まりがどこに決められていようが、あまり関係なかったのかも知れない。
また原始時代とまでいかなくても、まだ人類が文明らしいものを持っていなかった時代、当然ながら日の出と共に生活活動が始まり、日没で終了しただろう。火は使っていても照明と呼ぶまでのものはなかったら、食事も日のあるうちに食べていたに違いない。つまり日没で1日が終了して後は寝るだけ。そして終了したということは、その瞬間に次の日が始まるわけで、日没を1日の始まりとするのは合理性があったとも言える。
ところでChristmas Eveのeveは、eveningで夜を示していると書いたが、実は英語のeveには前日の意味もある。この語源ははっきりしないものの、おそらく現代の暦では25日クリスマスの前日になるクリスマスイブに由来している。時代が変わって言葉に新しい意味が加わったのだと思う。よく聞くのはNew Year’s Eveで、これは新年の前日すわなち大晦日を意味する。
だから誕生日イブはまあ英語的に間違いじゃない(日本語とのチャンポンだけど)。でもイブイブは英語では絶対に言わない。だから3日続けてお酒を飲んで、忘年会イブイブ、忘年会イブ、忘年会だったと言い訳しちゃダメよ(^^ゞ
2022年12月21日
ジーンズのお尻にダメージ
いわゆるダメージジーンズには興味がなくて1本も持っていないのだけれど、
なぜかお尻というか股の付け根の後ろ側がやたら破れる。
これはもうパンツ丸見え状態(>_<)
こちらはなぜか片側だけが切れたようになっている。
これはまだ破れていないが、
おそらく時間の問題かと(/o\)
また傷んでいる箇所が上の黒いジーンズと左右が逆。
どうしてこうなるのかな?
なお破れているのは写真に撮った箇所のみで、他の部分にダメージはない。
不思議なことに破れるのはジーンズだけで、チノパンやウールのパンツなどではこうならない。生地の強度でいえばジーンズのデニムのほうが圧倒的に強いのに。だいたいデニムは頑丈なのが取り柄で、だからこそダメージを施したりするファッションが生まれたはず。
とりあえずナゾ
どうせ破れるのなら、こんな恥ずかしい場所じゃなくて、ダメージジーンズ的に見えるところが破れて欲しかったな(^^ゞ
なぜかお尻というか股の付け根の後ろ側がやたら破れる。
これはもうパンツ丸見え状態(>_<)
こちらはなぜか片側だけが切れたようになっている。
これはまだ破れていないが、
おそらく時間の問題かと(/o\)
また傷んでいる箇所が上の黒いジーンズと左右が逆。
どうしてこうなるのかな?
なお破れているのは写真に撮った箇所のみで、他の部分にダメージはない。
不思議なことに破れるのはジーンズだけで、チノパンやウールのパンツなどではこうならない。生地の強度でいえばジーンズのデニムのほうが圧倒的に強いのに。だいたいデニムは頑丈なのが取り柄で、だからこそダメージを施したりするファッションが生まれたはず。
とりあえずナゾ
どうせ破れるのなら、こんな恥ずかしい場所じゃなくて、ダメージジーンズ的に見えるところが破れて欲しかったな(^^ゞ
2022年12月20日
かつて国会議事堂の敷地は三角形だった
興味があるかどうかは別として、
誰もが知っている国会議事堂。
その敷地がどんな形をしているかなんて考えたこともなかったが、常識的に考えれば四角形のはず。航空写真で確認すれば四隅が斜めになっているものの、横長の議事堂に合わせるように普通に長方形である。
しかし以前はこんな三角形の敷地だったとたまたま知った。
まあ私には何の関わりもない話だとしても、
いつ四角形にしたのか、どうして四角形にした(敷地を拡張した)のか気になるもの。
しかしなぜか調べても関連資料が見つからない。
国会議事堂が建てられたのは1936年(昭和11年)と思っていたより最近である。大日本帝国憲法の公布1889年(明治22年)→国会(帝国議会)開催1890年(明治23年)と歴史が流れるが、議事堂建設は当然ながらそれ以前から準備が進められ、1887年(明治20年)に現在の場所に建設すると決まる。しかし予算の都合ですぐ建設に着手できず、結果的に4つの仮議事堂を経ることになる。
<第1次仮議事堂>
1890年(明治23年)11月24日、なんと第1回帝国議会召集の前日に竣工(完成を意味する、対義語は着工)。現在は経産省がある区画に建てられた。しかし翌年1月20日に火災で焼失してしまう(/o\) わずか2ヶ月の歴史。
<第2次仮議事堂>
同じ場所に1891年4月28日に着工して10月30日に竣工。超突貫工事がんばりました。そして第2回帝国議会召集が11月21日。
<広島臨時仮議事堂>
仮の前に臨時までつくめずらしい建物。1894年(明治27年)8月に、日清戦争のため大本営が広島に置かれる。それで帝国議会も広島で開かれると9月22日に決定され、急遽工事を始めてして10月14日に竣工。議会招集は10月15日。議事堂建設のハードスケジュールはすっかりお約束になってきた。ただし広島での議会開催はたった4日間で、そのためだけの建物。昔から政府は無駄遣いが好きーーー
<1925年(大正14年)9月18日>
第2次仮議事堂が火災のため焼失(>_<)
<第3次仮議事堂>
火災が起きてからわずか80日ほどの1925年(大正14年)12月22日に竣工。もうどんなに早くても驚かなくなってきたね。
そして現在の議事堂は1920年(大正9年)に着工され、なぜか伝統に反して?17年もの歳月をかけて建設された。先ほど書いたように竣工は1936年(昭和11年)。三角形敷地の写真はいつ撮影されたものか不明だが、おそらく完成直後だろう。
さて国会の敷地が三角形から長方形になったのは1960年代に入ってからのようだ。衆議院と参議院のホームページに敷地拡張に関する記述は見当たらないが、Wikipediaによると
昭和30年代(1955-1964年)に入り、周辺の国有地が衆議院および参議院
へ移管されるとともに、パレスハイツ(現・最高裁判所庁舎)・ジェファー
ソンハイツ(現・衆議院議長公邸および参議院議長公邸)・リンカーンセンター
(現・国土交通省庁舎)等の連合国軍占領期以後の在日米軍接収地も返還が
決まったため、首都高速道路の整備と合わせて、国会議事堂の敷地拡張および
周辺の区画整理が行われた。
とある。他で得られた情報も似たり寄ったり。しかしここに書かれているパレスハイツ、ジェファーソンハイツ、リンカーンセンター等は国会議事堂に隣接している場所ではない。首都高も同じく。
現在の地図で見ると丸ノ内線が議事堂敷地の地下を走っている。道路の下に地下鉄を掘ったと考えると、三角形を作っていたラインの1つだろう。このあたりの丸ノ内線は1958年(昭和33年)に開通している。有楽町線の開通は議事堂の敷地が拡張されてから後の1974年(昭和49年)だから、敷地内には入り込んでいない。
それにしても国会議事堂建設については、仮議事堂も含めて膨大な資料があるのに、火災の日付まで分かるのに、なぜ敷地拡張についてははっきりしないのだ?
先ほどWikipediaでは昭和30年代(1955-1964年)と書かれているのに「三角形から長方形になったのは1960年代に入ってから」と断定したのは次の写真を見つけたから。
これは1960年の安保闘争でデモ隊が国会を取り囲んだ様子。
日付は1960年(昭和35年)6月18日。この時はまだ三角形の敷地をしているとわかる。
それにしても凄まじい数のデモ隊。主催者発表で33万人、警察発表でも13万人の規模。日本の政治がまだ熱かった時代。この時は国会のゲートが破られて敷地内に侵入されている。それで私の仮説はデモ隊対策として敷地を拡張したのではというもの。10年後にはまた安保改定があるから、その時のデモ隊に備えるために。
デモ隊とすれば正面から進んできて三角形のほうが取り囲みやすい。四角形だと直角に曲がらなければいけないから突進の勢いがそがれる。もちろん敷地を広げれば道路から議事堂の距離も長くなる。広げなくても投石や火焔瓶は届かなかったと思うけれど、国会議員がすぐ近くまで迫られていると感じる恐怖は幾分和らげただろう。
いわば国家議事堂の黒歴史なので資料があまりないのかなあ。
考えすぎかも知れないが。
それはともかく三角形時代の敷地はどことなく優雅なイメージだね。
誰もが知っている国会議事堂。
その敷地がどんな形をしているかなんて考えたこともなかったが、常識的に考えれば四角形のはず。航空写真で確認すれば四隅が斜めになっているものの、横長の議事堂に合わせるように普通に長方形である。
しかし以前はこんな三角形の敷地だったとたまたま知った。
まあ私には何の関わりもない話だとしても、
いつ四角形にしたのか、どうして四角形にした(敷地を拡張した)のか気になるもの。
しかしなぜか調べても関連資料が見つからない。
国会議事堂が建てられたのは1936年(昭和11年)と思っていたより最近である。大日本帝国憲法の公布1889年(明治22年)→国会(帝国議会)開催1890年(明治23年)と歴史が流れるが、議事堂建設は当然ながらそれ以前から準備が進められ、1887年(明治20年)に現在の場所に建設すると決まる。しかし予算の都合ですぐ建設に着手できず、結果的に4つの仮議事堂を経ることになる。
<第1次仮議事堂>
1890年(明治23年)11月24日、なんと第1回帝国議会召集の前日に竣工(完成を意味する、対義語は着工)。現在は経産省がある区画に建てられた。しかし翌年1月20日に火災で焼失してしまう(/o\) わずか2ヶ月の歴史。
<第2次仮議事堂>
同じ場所に1891年4月28日に着工して10月30日に竣工。超突貫工事がんばりました。そして第2回帝国議会召集が11月21日。
<広島臨時仮議事堂>
仮の前に臨時までつくめずらしい建物。1894年(明治27年)8月に、日清戦争のため大本営が広島に置かれる。それで帝国議会も広島で開かれると9月22日に決定され、急遽工事を始めてして10月14日に竣工。議会招集は10月15日。議事堂建設のハードスケジュールはすっかりお約束になってきた。ただし広島での議会開催はたった4日間で、そのためだけの建物。昔から政府は無駄遣いが好きーーー
<1925年(大正14年)9月18日>
第2次仮議事堂が火災のため焼失(>_<)
<第3次仮議事堂>
火災が起きてからわずか80日ほどの1925年(大正14年)12月22日に竣工。もうどんなに早くても驚かなくなってきたね。
そして現在の議事堂は1920年(大正9年)に着工され、なぜか伝統に反して?17年もの歳月をかけて建設された。先ほど書いたように竣工は1936年(昭和11年)。三角形敷地の写真はいつ撮影されたものか不明だが、おそらく完成直後だろう。
さて国会の敷地が三角形から長方形になったのは1960年代に入ってからのようだ。衆議院と参議院のホームページに敷地拡張に関する記述は見当たらないが、Wikipediaによると
昭和30年代(1955-1964年)に入り、周辺の国有地が衆議院および参議院
へ移管されるとともに、パレスハイツ(現・最高裁判所庁舎)・ジェファー
ソンハイツ(現・衆議院議長公邸および参議院議長公邸)・リンカーンセンター
(現・国土交通省庁舎)等の連合国軍占領期以後の在日米軍接収地も返還が
決まったため、首都高速道路の整備と合わせて、国会議事堂の敷地拡張および
周辺の区画整理が行われた。
とある。他で得られた情報も似たり寄ったり。しかしここに書かれているパレスハイツ、ジェファーソンハイツ、リンカーンセンター等は国会議事堂に隣接している場所ではない。首都高も同じく。
現在の地図で見ると丸ノ内線が議事堂敷地の地下を走っている。道路の下に地下鉄を掘ったと考えると、三角形を作っていたラインの1つだろう。このあたりの丸ノ内線は1958年(昭和33年)に開通している。有楽町線の開通は議事堂の敷地が拡張されてから後の1974年(昭和49年)だから、敷地内には入り込んでいない。
それにしても国会議事堂建設については、仮議事堂も含めて膨大な資料があるのに、火災の日付まで分かるのに、なぜ敷地拡張についてははっきりしないのだ?
先ほどWikipediaでは昭和30年代(1955-1964年)と書かれているのに「三角形から長方形になったのは1960年代に入ってから」と断定したのは次の写真を見つけたから。
これは1960年の安保闘争でデモ隊が国会を取り囲んだ様子。
日付は1960年(昭和35年)6月18日。この時はまだ三角形の敷地をしているとわかる。
それにしても凄まじい数のデモ隊。主催者発表で33万人、警察発表でも13万人の規模。日本の政治がまだ熱かった時代。この時は国会のゲートが破られて敷地内に侵入されている。それで私の仮説はデモ隊対策として敷地を拡張したのではというもの。10年後にはまた安保改定があるから、その時のデモ隊に備えるために。
デモ隊とすれば正面から進んできて三角形のほうが取り囲みやすい。四角形だと直角に曲がらなければいけないから突進の勢いがそがれる。もちろん敷地を広げれば道路から議事堂の距離も長くなる。広げなくても投石や火焔瓶は届かなかったと思うけれど、国会議員がすぐ近くまで迫られていると感じる恐怖は幾分和らげただろう。
いわば国家議事堂の黒歴史なので資料があまりないのかなあ。
考えすぎかも知れないが。
それはともかく三角形時代の敷地はどことなく優雅なイメージだね。
2022年12月18日
2023年シーズンのチューリップは1回お休み
5月の中頃に枯れたチューリップを抜いたままベランダに放置してあるプランター。例年なら11月の終わりには2023年に向けての植え付けが終わっているのに。
2010年2月に鉢植えのまだツボミのチューリップを買ってきて、それが咲いたのがなぜかやたら嬉しくて、2011年シーズンからずっと続けてきたチューリップ・ガーデニング。思うところあって2023年シーズンは植えないことにした。
思うところあってと書いたものの、特に理由はなく、とりあえず1回やめてみるかと思っただけの話。あえていえばちょっとマンネリ化してきたという気持ちが、心のどこかにあったのかも知れない。
代わりに何かを育てようとは考えているが、今のところ具体的な計画はなし。ひょっとして春が来てチューリップが恋しくなったら鉢植えで買ってきたりして(^^ゞ
一応ご報告までm(_ _)m
なお過去の記事のうち、ベランダで育てていたチューリップに関しては
パソコン:画面左側の「カテゴリ別アーカイブ」の「ベランダ・ガーデニング」
の下にある「チューリップ」をクリックすれば表示される。
スマホ:下のほうまでスクロールして「カテゴリーアーカイブ」をタップして、
パソコンと同じく「ベランダ・ガーデニング」の下にある「チューリップ」
をタップ。
またパソコンなら画面左の「記事検索」、スマホでは「カテゴリーアーカイブ」の2つ下の検索窓に「チューリップ」と入れて検索すると、ベランダのチューリップについて書いた記事以外に、チューリップ畑を訪れたものなど、記事の中にチューリップの単語が含まれるものがすべて表示される。
2010年2月に鉢植えのまだツボミのチューリップを買ってきて、それが咲いたのがなぜかやたら嬉しくて、2011年シーズンからずっと続けてきたチューリップ・ガーデニング。思うところあって2023年シーズンは植えないことにした。
思うところあってと書いたものの、特に理由はなく、とりあえず1回やめてみるかと思っただけの話。あえていえばちょっとマンネリ化してきたという気持ちが、心のどこかにあったのかも知れない。
代わりに何かを育てようとは考えているが、今のところ具体的な計画はなし。ひょっとして春が来てチューリップが恋しくなったら鉢植えで買ってきたりして(^^ゞ
一応ご報告までm(_ _)m
なお過去の記事のうち、ベランダで育てていたチューリップに関しては
パソコン:画面左側の「カテゴリ別アーカイブ」の「ベランダ・ガーデニング」
の下にある「チューリップ」をクリックすれば表示される。
スマホ:下のほうまでスクロールして「カテゴリーアーカイブ」をタップして、
パソコンと同じく「ベランダ・ガーデニング」の下にある「チューリップ」
をタップ。
またパソコンなら画面左の「記事検索」、スマホでは「カテゴリーアーカイブ」の2つ下の検索窓に「チューリップ」と入れて検索すると、ベランダのチューリップについて書いた記事以外に、チューリップ畑を訪れたものなど、記事の中にチューリップの単語が含まれるものがすべて表示される。
2022年12月17日
九品仏の紅葉4シーズン目
バイクでツーリングしていた頃、河口湖で真っ赤な紅葉に出会い、今まで見て喜んでいた紅葉はなんだったのだとの気分になる。それから赤純度の高い紅葉を探してあちこち出かけれど見つからず。それが2019年、近くにあるというだけでいわば「ついでに」訪れた九品仏で、まさかの探していた色の紅葉に出会った。チルチルミチルの青い鳥とはまさにこのこと。
そして、このあたりに住んでいる限り、ここへは毎年来ると決めて4シーズン目。今年も行ってきました九品仏(くほんぶつ)浄真寺。場所は自由が丘駅から徒歩10分ほど。訪れたのは12月8日。
九品仏の出入り口は2つあって、1つは九品仏駅から伸びている参道の先にある総門。もうひとつは自由が丘駅(九品仏駅の隣駅)から歩いてきたらたどり着く東門。紅葉の季節は総門からだと入っていきなり極楽浄土の世界、東門はちょっと東京離れした落ち着いた風情が味わえる。どちらかといえば東門からがお勧め。
東門の周りはまったくの住宅街。
住宅の切れ目の通路奥に東門。
門をくぐってのこの景色には4シーズン目でも感動する。
こちらは総門を入ってすぐのところから。例年はもっと赤と黄色に色づいているのに、今年はまだ緑が多くて紅葉が遅れているみたいだ。
以前にも書いたように紅葉とは秋の風物詩だったのに、東京ではもうすっかり12月になってから見に行くイベントである。これはいわゆる地球温暖化というより都心におけるヒートアイランド現象の影響。ヒートアイランド現象は夏の出来事のようにいわれるが、東京の過去100年間のデータでは、最高気温の上昇が夏の1.4度に対して冬は4.8度と冬のほうにその現象が強く表れている。そのうち正月の楽しみは紅葉なんてことになるのかな(/o\)
季節感はおかしくても赤、黄色、緑の競演は美しい。
お地蔵さんと紅葉。
総門から続いている通路の終わり部分。
色づきが浅いので今年は極楽浄土感が足りない。
東門からの通路に戻る。九品仏はこちらがメインストリート。
そしてここにあるのがおそらく都内で最も赤純度の高い紅葉。
もっとも写真だとヨソの紅葉とそんなに違わなくなってしまうのが残念。
撮りがちな写真も撮って(^^ゞ
山門に向かう。
山門から東門を振り返って。
山門から先は少し日当たりが悪いし、
色の純度も落ちて紅葉的には今ひとつ。
東京都の天然記念物の大きなイチョウは、この季節にはいつも葉が落ちている。
しかし隣にあるイチョウは黄葉が真っ盛り。
品種が違うのか?
本堂を横から。
境内をブラブラしながら鮮やかな色を楽しむ。
ここを進むと本堂の前に。
また撮りがちな写真。
もう4シーズン目だと他に撮るものがない。
これも以前にブログに載せたような。
山門をくぐって前庭エリアに戻る。
どこの寺でもそうなのだが、仁王像の乳首が金具になっているのがいつも気になる(^^ゞ
少し日も落ちて陰影にレッドオータムとイエローオータムがまたよし。
この幻想的な色彩ミックスがたまらないね。
今年の紅葉見物は自然教育園&九品寺と近場だけだった。
来年は少し遠出もしましょう。
そして、このあたりに住んでいる限り、ここへは毎年来ると決めて4シーズン目。今年も行ってきました九品仏(くほんぶつ)浄真寺。場所は自由が丘駅から徒歩10分ほど。訪れたのは12月8日。
九品仏の出入り口は2つあって、1つは九品仏駅から伸びている参道の先にある総門。もうひとつは自由が丘駅(九品仏駅の隣駅)から歩いてきたらたどり着く東門。紅葉の季節は総門からだと入っていきなり極楽浄土の世界、東門はちょっと東京離れした落ち着いた風情が味わえる。どちらかといえば東門からがお勧め。
東門の周りはまったくの住宅街。
住宅の切れ目の通路奥に東門。
門をくぐってのこの景色には4シーズン目でも感動する。
こちらは総門を入ってすぐのところから。例年はもっと赤と黄色に色づいているのに、今年はまだ緑が多くて紅葉が遅れているみたいだ。
以前にも書いたように紅葉とは秋の風物詩だったのに、東京ではもうすっかり12月になってから見に行くイベントである。これはいわゆる地球温暖化というより都心におけるヒートアイランド現象の影響。ヒートアイランド現象は夏の出来事のようにいわれるが、東京の過去100年間のデータでは、最高気温の上昇が夏の1.4度に対して冬は4.8度と冬のほうにその現象が強く表れている。そのうち正月の楽しみは紅葉なんてことになるのかな(/o\)
季節感はおかしくても赤、黄色、緑の競演は美しい。
お地蔵さんと紅葉。
総門から続いている通路の終わり部分。
色づきが浅いので今年は極楽浄土感が足りない。
東門からの通路に戻る。九品仏はこちらがメインストリート。
そしてここにあるのがおそらく都内で最も赤純度の高い紅葉。
もっとも写真だとヨソの紅葉とそんなに違わなくなってしまうのが残念。
撮りがちな写真も撮って(^^ゞ
山門に向かう。
山門から東門を振り返って。
山門から先は少し日当たりが悪いし、
色の純度も落ちて紅葉的には今ひとつ。
東京都の天然記念物の大きなイチョウは、この季節にはいつも葉が落ちている。
しかし隣にあるイチョウは黄葉が真っ盛り。
品種が違うのか?
本堂を横から。
境内をブラブラしながら鮮やかな色を楽しむ。
ここを進むと本堂の前に。
また撮りがちな写真。
もう4シーズン目だと他に撮るものがない。
これも以前にブログに載せたような。
山門をくぐって前庭エリアに戻る。
どこの寺でもそうなのだが、仁王像の乳首が金具になっているのがいつも気になる(^^ゞ
少し日も落ちて陰影にレッドオータムとイエローオータムがまたよし。
この幻想的な色彩ミックスがたまらないね。
今年の紅葉見物は自然教育園&九品寺と近場だけだった。
来年は少し遠出もしましょう。
2022年12月14日
本日12月14日は討ち入りの日じゃない
明日から本日へとタイトル語句を修正して、前回からの続き。
日本で使われてきた暦を一覧にしたのが以下。宣明暦までは中国で制定されたものを導入している。メイドインジャパンな暦は5代将軍徳川綱吉の時代から。偶然にも討ち入りのあった頃である。それにしても元嘉暦の開始が692年ということは飛鳥時代の末期。縄文・弥生時代はともかく、それなりに規模の大きな社会ができていた飛鳥時代や古墳時代は、暦なしでどう生活していたのだろう。
使用開始年 使用年数
元嘉暦(げんかれき) 692年 5年
儀鳳暦(ぎほうれき) 697年 67年
大衍暦(たいえんれき) 764年 94年
五紀暦(ごきれき) 858年 4年
宣明暦(せんみょうれき) 862年 823年
貞享暦(じょうきょうれき) 1685年 70年
宝暦暦(ほうりゃくれき) 1755年 43年
寛政暦(かんせいれき) 1798年 46年
天保暦 (てんぽうれき) 1844年 29年
グレゴリオ暦1873年(明治6年)
なお天保暦まではすべて太陰太陽暦となる。旧暦という場合、一般には現在の1つ前の暦である天保暦を意味するが、もちろんそれ以前は、その出来事が起きた時代に使われていた暦が旧暦と呼ばれる。
ところで月給は月ごとに支払われる賃金。明治6年にグレゴリオ暦へと改暦されたのは西洋文化に合わせる意味もあったが、実は明治6年が天保暦では3年に1度の閏月のある年にあたり、財政事情の苦しい明治政府が13ヶ月分の給料を支払う余裕がなかったからとも言われている。
実際には明治5年12月3日を明治6年(1873年)1月1日とグレゴリを暦に合わせて改暦したので(そんなに太陽暦とずれていたのにも驚くが)、明治政府はその年の閏月分だけではなく、明治5年の12月に働いた2日間分の給料も「たった2日だから」と払っていない。明治政府はその話を盛って「2ヶ月分の給料を節約した、政府は努力している」とアピールしたそうだ。逆に考えれば、昨今は日本の賃金が上がっていないと指摘されるから、いっそ旧暦に戻すのもありかもとキッシーに教えてあげようか(^^ゞ
ただし冷静に考えると、バッくれた2日分の給料は別として、旧暦から新暦に切り替えれば、明治6年に支払う13ヶ月分の給料は12ヶ月分になるものの、その分だけ次の年は早くやってくるわけで、会計年度をまたいで考えればたいした違いはない。どれだけの差になるかを計算すると、
新暦の3年=36ヶ月
旧暦の3年=3年に1度の閏月があるので37ヶ月(正確には19年に7回の閏月)
3年で36/37=97%だから節約できるのは3%、1年だと1%に過ぎない。つまりほとんど節約できていない。それでも新暦への切り替えについて調べると、ほとんどが「2ヶ月分の給料を節約した」と、明治政府の盛った話をそのまま載せている。プロパガンダを信じ込ませてしまえば、その威力は絶大である。
さて討ち入りに話を戻すと、討ち入りがあった元禄15年(貞享暦の時代)は閏月が設定され1年が384日もある年だった。その12月14日を現在の暦に置き換えると1703年1月30日となる。
さらに正確を期すなら、江戸時代でも暦の上では1日の始まりは午前0時を意味する正子(しょうし)だが、一般的には夜明けが1日の始まりとされていた。討ち入り時刻が寅の刻(午前4時前後だから夜明け前)とされているので、江戸時代的にはまだ14日でも今の基準でなら15日早朝になる。それを考慮すると討ち入りがあったのは1月31日である。
閏月の関係もあって、12月14日とはなんと1ヶ月半もずれている。
年もまたいで翌年だなんてヘンな感じ。
まあお祝いする日でもないから別にいいか(^^ゞ
太陰太陽暦では閏月がどこに挿入されるか、またどの月が大の月・小の月かもその都度違うので、旧暦の何月何日が新暦の何月何日に当たるかを単純に計算で求めることはできない。つまり旧暦の日付を新暦の日付に直すのは大変だったのである。(今は暦データをプログラムされた計算ソフトがある)
というわけで歴史上の日付は、赤穂浪士の討ち入り12月14日と同じように、その時代に用いられていた暦での日付がそのまま使われている。また元号だといつのことか分からないから西暦にする場合でも、たとえば寿永4年3月24日に起きた壇ノ浦の戦いなら、寿永4年を1185年に直して1185年3月24日というように日付は旧暦のまま。
旧暦を新暦であるグレゴリオ暦に置き換えると
壇ノ浦の戦い 寿永4年3月24日 →1185年5月2日
桶狭間の戦い 永禄3年5月19日 →1560年6月22日
本能寺の変 天正10年6月2日 →1582年7月1日
関ヶ原の戦い 慶長5年9月15日 →1600年10月21日
黒船来航 嘉永6年6月3日 →1853年7月8日
大政奉還 慶応3年10月14日 →1867年11月9日
壇ノ浦の戦いは5月だったから入水する気になったのかな、桶狭間の戦いは梅雨時だから大雨が降ったのかとか新暦への置き換えで、季節感がリセットされて多少は歴史の見え方が違ってくる場合もあるかも知れない。
なお歴史上の出来事が新暦で表示されているように思える場合でも、グレゴリオ暦がヨーロッパで採用される1582年より以前のものは、その前のユリウス暦で換算されていることがある。例としてWikipediaで桶狭間の戦いは永禄3年5月19日(1560年6月12日)と西暦が併記されているが、この西暦はユリウス暦である。本能寺の変は1582年だが、グレゴリオ暦の採用開始は10月15日からだから、Wikipediaでは同じくユリウス暦で補足されている。また確認はしていないが西洋史の歴史上の日付も1582年以前はおそらくユリウス暦だろう。
それにしても日本の歴史をユリウス暦で表記する意味ある?
ところで討ち入りの日が12月14日か、1月31日なのかはまあいいとして命日はどうだろう。歴史上の人物の命日は今でも供養されたり、あるいはお祭りなんかになっている。たとえば徳川家康は元和2年4月17日没。これを現在の暦に置き換えれば1616年6月1日。しかし東照宮では家康を祀る最も重要な行事として御例祭を毎年4月17日に開いている。こういうのはちょっとビミョー。
それと、その日が閏月だったらどうするのだろう。2月29日生まれの誕生日問題と違って1ヶ月丸々存在しないのだから。またよく生誕何年とか没後何年という言い方もするが、場合によっては旧暦の日付は翌年になる場合もあるから、年数の計算も違ってくる。
最後にオマケとして
赤穂浪士討ち入りの発端は藩主である浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)が、江戸城の松の廊下で吉良上野介義央(きら・こうずけのすけ・よしひさ)に切りつけた事件。ミドルネームっぽい内匠頭や上野介は官職名ね。
松の廊下、正式には松之大廊下(まつのおおろうか)は江戸城では2番目に長い廊下だったとされる。全長50メートル幅4メートルで畳敷き。廊下に沿った襖(ふすま)に松が描かれているので、その名前がついている。もっともこの事件がなければ一般に名前が知られることはなかっただろう。1番長い廊下を知っているのはよほどの城マニアだ。
皇居にある3つの公園のひとつ、皇居東御苑はかつて江戸城の本丸などがあった場所。そこを散策すると松の廊下跡コッチの案内板がある。
何か歴史を感じられるかと、その方向に歩いて行くと、
説明書きがあって、
その隣に小さな石碑があるだけ!
まあ江戸城そのものが残っていないのだから、松の廊下がなくて当然だが、逆にわざわざここが松の廊下があった場所だと石碑を置く意味があるかな? ここは日本屈指のガッカリ名所だと思っている。忠臣蔵ファンの皆さんは話のネタに是非訪れましょう(^^ゞ
おしまい
日本で使われてきた暦を一覧にしたのが以下。宣明暦までは中国で制定されたものを導入している。メイドインジャパンな暦は5代将軍徳川綱吉の時代から。偶然にも討ち入りのあった頃である。それにしても元嘉暦の開始が692年ということは飛鳥時代の末期。縄文・弥生時代はともかく、それなりに規模の大きな社会ができていた飛鳥時代や古墳時代は、暦なしでどう生活していたのだろう。
使用開始年 使用年数
元嘉暦(げんかれき) 692年 5年
儀鳳暦(ぎほうれき) 697年 67年
大衍暦(たいえんれき) 764年 94年
五紀暦(ごきれき) 858年 4年
宣明暦(せんみょうれき) 862年 823年
貞享暦(じょうきょうれき) 1685年 70年
宝暦暦(ほうりゃくれき) 1755年 43年
寛政暦(かんせいれき) 1798年 46年
天保暦 (てんぽうれき) 1844年 29年
グレゴリオ暦1873年(明治6年)
なお天保暦まではすべて太陰太陽暦となる。旧暦という場合、一般には現在の1つ前の暦である天保暦を意味するが、もちろんそれ以前は、その出来事が起きた時代に使われていた暦が旧暦と呼ばれる。
ところで月給は月ごとに支払われる賃金。明治6年にグレゴリオ暦へと改暦されたのは西洋文化に合わせる意味もあったが、実は明治6年が天保暦では3年に1度の閏月のある年にあたり、財政事情の苦しい明治政府が13ヶ月分の給料を支払う余裕がなかったからとも言われている。
実際には明治5年12月3日を明治6年(1873年)1月1日とグレゴリを暦に合わせて改暦したので(そんなに太陽暦とずれていたのにも驚くが)、明治政府はその年の閏月分だけではなく、明治5年の12月に働いた2日間分の給料も「たった2日だから」と払っていない。明治政府はその話を盛って「2ヶ月分の給料を節約した、政府は努力している」とアピールしたそうだ。逆に考えれば、昨今は日本の賃金が上がっていないと指摘されるから、いっそ旧暦に戻すのもありかもとキッシーに教えてあげようか(^^ゞ
ただし冷静に考えると、バッくれた2日分の給料は別として、旧暦から新暦に切り替えれば、明治6年に支払う13ヶ月分の給料は12ヶ月分になるものの、その分だけ次の年は早くやってくるわけで、会計年度をまたいで考えればたいした違いはない。どれだけの差になるかを計算すると、
新暦の3年=36ヶ月
旧暦の3年=3年に1度の閏月があるので37ヶ月(正確には19年に7回の閏月)
3年で36/37=97%だから節約できるのは3%、1年だと1%に過ぎない。つまりほとんど節約できていない。それでも新暦への切り替えについて調べると、ほとんどが「2ヶ月分の給料を節約した」と、明治政府の盛った話をそのまま載せている。プロパガンダを信じ込ませてしまえば、その威力は絶大である。
さて討ち入りに話を戻すと、討ち入りがあった元禄15年(貞享暦の時代)は閏月が設定され1年が384日もある年だった。その12月14日を現在の暦に置き換えると1703年1月30日となる。
さらに正確を期すなら、江戸時代でも暦の上では1日の始まりは午前0時を意味する正子(しょうし)だが、一般的には夜明けが1日の始まりとされていた。討ち入り時刻が寅の刻(午前4時前後だから夜明け前)とされているので、江戸時代的にはまだ14日でも今の基準でなら15日早朝になる。それを考慮すると討ち入りがあったのは1月31日である。
閏月の関係もあって、12月14日とはなんと1ヶ月半もずれている。
年もまたいで翌年だなんてヘンな感じ。
まあお祝いする日でもないから別にいいか(^^ゞ
太陰太陽暦では閏月がどこに挿入されるか、またどの月が大の月・小の月かもその都度違うので、旧暦の何月何日が新暦の何月何日に当たるかを単純に計算で求めることはできない。つまり旧暦の日付を新暦の日付に直すのは大変だったのである。(今は暦データをプログラムされた計算ソフトがある)
というわけで歴史上の日付は、赤穂浪士の討ち入り12月14日と同じように、その時代に用いられていた暦での日付がそのまま使われている。また元号だといつのことか分からないから西暦にする場合でも、たとえば寿永4年3月24日に起きた壇ノ浦の戦いなら、寿永4年を1185年に直して1185年3月24日というように日付は旧暦のまま。
旧暦を新暦であるグレゴリオ暦に置き換えると
壇ノ浦の戦い 寿永4年3月24日 →1185年5月2日
桶狭間の戦い 永禄3年5月19日 →1560年6月22日
本能寺の変 天正10年6月2日 →1582年7月1日
関ヶ原の戦い 慶長5年9月15日 →1600年10月21日
黒船来航 嘉永6年6月3日 →1853年7月8日
大政奉還 慶応3年10月14日 →1867年11月9日
壇ノ浦の戦いは5月だったから入水する気になったのかな、桶狭間の戦いは梅雨時だから大雨が降ったのかとか新暦への置き換えで、季節感がリセットされて多少は歴史の見え方が違ってくる場合もあるかも知れない。
なお歴史上の出来事が新暦で表示されているように思える場合でも、グレゴリオ暦がヨーロッパで採用される1582年より以前のものは、その前のユリウス暦で換算されていることがある。例としてWikipediaで桶狭間の戦いは永禄3年5月19日(1560年6月12日)と西暦が併記されているが、この西暦はユリウス暦である。本能寺の変は1582年だが、グレゴリオ暦の採用開始は10月15日からだから、Wikipediaでは同じくユリウス暦で補足されている。また確認はしていないが西洋史の歴史上の日付も1582年以前はおそらくユリウス暦だろう。
それにしても日本の歴史をユリウス暦で表記する意味ある?
ところで討ち入りの日が12月14日か、1月31日なのかはまあいいとして命日はどうだろう。歴史上の人物の命日は今でも供養されたり、あるいはお祭りなんかになっている。たとえば徳川家康は元和2年4月17日没。これを現在の暦に置き換えれば1616年6月1日。しかし東照宮では家康を祀る最も重要な行事として御例祭を毎年4月17日に開いている。こういうのはちょっとビミョー。
それと、その日が閏月だったらどうするのだろう。2月29日生まれの誕生日問題と違って1ヶ月丸々存在しないのだから。またよく生誕何年とか没後何年という言い方もするが、場合によっては旧暦の日付は翌年になる場合もあるから、年数の計算も違ってくる。
最後にオマケとして
赤穂浪士討ち入りの発端は藩主である浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)が、江戸城の松の廊下で吉良上野介義央(きら・こうずけのすけ・よしひさ)に切りつけた事件。ミドルネームっぽい内匠頭や上野介は官職名ね。
松の廊下、正式には松之大廊下(まつのおおろうか)は江戸城では2番目に長い廊下だったとされる。全長50メートル幅4メートルで畳敷き。廊下に沿った襖(ふすま)に松が描かれているので、その名前がついている。もっともこの事件がなければ一般に名前が知られることはなかっただろう。1番長い廊下を知っているのはよほどの城マニアだ。
皇居にある3つの公園のひとつ、皇居東御苑はかつて江戸城の本丸などがあった場所。そこを散策すると松の廊下跡コッチの案内板がある。
何か歴史を感じられるかと、その方向に歩いて行くと、
説明書きがあって、
その隣に小さな石碑があるだけ!
まあ江戸城そのものが残っていないのだから、松の廊下がなくて当然だが、逆にわざわざここが松の廊下があった場所だと石碑を置く意味があるかな? ここは日本屈指のガッカリ名所だと思っている。忠臣蔵ファンの皆さんは話のネタに是非訪れましょう(^^ゞ
おしまい
2022年12月13日
明日12月14日は討ち入りの日じゃない
12月14日といえば赤穂浪士47人が、宿敵である吉良上野介の屋敷に討ち入った日とされる。いわゆる忠臣蔵。マスコミも大なり小なり、この日は討ち入りを取り上げるから、それを聞いていよいよ師走も本番と感じる人もいるだろう。
しかし実は討ち入りが決行されたのは明日ではないのである。ポイントは「時は元禄15年、師走半ばの14日〜」と講談などで名調子で語られる日付が今の暦とは違う旧暦であること。
暦(こよみ)とは時間の流れをいくつかの単位に分けて数えられるようにしたもの。地球が太陽を1周するのが年であり、それを何等分かしたものが月。地球が1回転するのが日。
現在、世界標準となっている暦はグレゴリオ暦と呼ばれるもの。ローマ教皇グレゴリウス13世が採用したのでその名前がついている。ヨーロッパで使われ出したのは1582年(ただし国によってかなり差がある)。これは前述のように地球が太陽を1周する公転周期を基準に作成された暦で1年は365日。
実際の公転周期は約365.242日なので、4年で1日ほどのずれが生じる。
365日 × 4年 = 1460日
365.242日 × 4年 = 1460.968日
だから4年に1度、2月を29日までと1日増やす閏年(うるうどし)が設けられる。閏年がなぜあるのか知らない人はけっこう多いもの。ちなみに夏季オリンピックは原則として閏年に開催される。原則と書いたのは閏年は必ずしも4年毎ではないから。
4年に1度閏年を設けて暦を修正しても、4年間の誤差は0.968日なので1日増やすと0.032日余分に加えている計算になり、それが積もるとまた誤差が広がってしまう。そこでグレゴリオ暦では400年間に97回の閏年を設ける手法がとられている。
西暦年が4で割り切れる年は原則として閏年
ただし、西暦年が100で割り切れる年は原則として平年
ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年
これだと1年あたりの誤差は26.832秒、約3320年で1日しかずれないらしい。オリンピックに話を戻すと2000年のシドニーオリンピックは100で割り切れるけれど、400でも割り切れたので閏年開催だった。次に平年に開催されるオリンピックは2100年。ここ数年に生まれた子供なら平年開催のオリンピックを観られるだろうが私は無理かな(^^ゞ
グレゴリオ暦のように地球が太陽を回る公転周期を基準にした暦を太陽暦という。これの対義語が月の満ち欠けを基準にしたもので、太陰暦あるいは陰暦と呼ばれる。
新月から次の新月までを1ヶ月とするのが太陰暦。この暦では年の概念がないというか太陽暦とはまったく違う。月が地球を1周する公転周期は約29.530日だから、29.530日 × 12ヶ月 = 354.36日(なぜ12ヶ月が太陽暦と共通なのか不思議なのだが調べていない)。それで29日の月、30日の月を各6回ずつ設けて1年を354日とし、0.36日分を補正するために3年に1回ほどの間隔で閏年を設けて1日増やす。
季節は地球と太陽との位置関係によって決まる。太陽暦は地球が太陽を回る公転周期に基づいているから、例えば今年の4月と来年の4月で太陽との位置関係は同じ=季節も同じ。しかし太陰暦は太陽とは関係なく、地球の公転周期365日に対して11日も短いので、同じ月でもどんどん季節はずれていく。例えば今年の4月は去年の4月より11日早くやってくる。5年ほど経てば4月はまだ冬である。
だから人類が暦を考え出してから、実生活として太陰暦が使われることはほとんどなかった。例外はイスラム教の宗教歴であるヒジュラ暦(またはイスラム暦)くらい。もちろんイスラム教国もグレゴリオ暦を採用しており、ヒジュラ暦は宗教関係の年間行事や休日・祝日を決める用途で使われている。
話はそれるけれど何月何日の言葉は、月の満ち欠けで考えたから月で、日が昇って沈むのを基準としたから日の言葉が使われているのだろうな。英語のmonthもmoonが語源。dayはsunではなく暖かいとの意味のゲルマン語から由来しているみたいだ。
さて月の満ち欠けが基準の太陰暦では実用性に欠けるので考え出されたのが、太陽暦とハイブリッドした太陰太陽暦。なお太陰暦はほとんど使われなかったので、この太陰太陽暦を太陰暦や陰暦と称している場合もあるので注意が必要。また本来の太陰暦を純太陰暦と呼ぶこともある。
どのようにハイブリッドしたかだが、太陰暦の1年は太陽暦と較べて11日短い。3年経つと33日となり約1ヶ月の誤差が生じる。そこで約3年毎に閏月を挿入して1年を13ヶ月にする手法がとられる。4月の後に閏月を設定した場合、その月は閏四月(うるうしがつ)と呼ばれた。だからあくまで1年は12ヶ月で、13月と名前がつく月はない。
どの年のどの月の前後に閏月を挿入するかについては、話が長くなるので省略する。とにかく太陰太陽暦は、現在の太陽暦とはかなり仕組みが異なっていた。また太陽暦ではニシムクサムライで小の月と大の月は固定されているが、太陰太陽暦では何月が大小どちらの月になるかも年ごとによって違う。
ーーー続く
しかし実は討ち入りが決行されたのは明日ではないのである。ポイントは「時は元禄15年、師走半ばの14日〜」と講談などで名調子で語られる日付が今の暦とは違う旧暦であること。
暦(こよみ)とは時間の流れをいくつかの単位に分けて数えられるようにしたもの。地球が太陽を1周するのが年であり、それを何等分かしたものが月。地球が1回転するのが日。
現在、世界標準となっている暦はグレゴリオ暦と呼ばれるもの。ローマ教皇グレゴリウス13世が採用したのでその名前がついている。ヨーロッパで使われ出したのは1582年(ただし国によってかなり差がある)。これは前述のように地球が太陽を1周する公転周期を基準に作成された暦で1年は365日。
実際の公転周期は約365.242日なので、4年で1日ほどのずれが生じる。
365日 × 4年 = 1460日
365.242日 × 4年 = 1460.968日
だから4年に1度、2月を29日までと1日増やす閏年(うるうどし)が設けられる。閏年がなぜあるのか知らない人はけっこう多いもの。ちなみに夏季オリンピックは原則として閏年に開催される。原則と書いたのは閏年は必ずしも4年毎ではないから。
4年に1度閏年を設けて暦を修正しても、4年間の誤差は0.968日なので1日増やすと0.032日余分に加えている計算になり、それが積もるとまた誤差が広がってしまう。そこでグレゴリオ暦では400年間に97回の閏年を設ける手法がとられている。
西暦年が4で割り切れる年は原則として閏年
ただし、西暦年が100で割り切れる年は原則として平年
ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年
これだと1年あたりの誤差は26.832秒、約3320年で1日しかずれないらしい。オリンピックに話を戻すと2000年のシドニーオリンピックは100で割り切れるけれど、400でも割り切れたので閏年開催だった。次に平年に開催されるオリンピックは2100年。ここ数年に生まれた子供なら平年開催のオリンピックを観られるだろうが私は無理かな(^^ゞ
グレゴリオ暦のように地球が太陽を回る公転周期を基準にした暦を太陽暦という。これの対義語が月の満ち欠けを基準にしたもので、太陰暦あるいは陰暦と呼ばれる。
新月から次の新月までを1ヶ月とするのが太陰暦。この暦では年の概念がないというか太陽暦とはまったく違う。月が地球を1周する公転周期は約29.530日だから、29.530日 × 12ヶ月 = 354.36日(なぜ12ヶ月が太陽暦と共通なのか不思議なのだが調べていない)。それで29日の月、30日の月を各6回ずつ設けて1年を354日とし、0.36日分を補正するために3年に1回ほどの間隔で閏年を設けて1日増やす。
季節は地球と太陽との位置関係によって決まる。太陽暦は地球が太陽を回る公転周期に基づいているから、例えば今年の4月と来年の4月で太陽との位置関係は同じ=季節も同じ。しかし太陰暦は太陽とは関係なく、地球の公転周期365日に対して11日も短いので、同じ月でもどんどん季節はずれていく。例えば今年の4月は去年の4月より11日早くやってくる。5年ほど経てば4月はまだ冬である。
だから人類が暦を考え出してから、実生活として太陰暦が使われることはほとんどなかった。例外はイスラム教の宗教歴であるヒジュラ暦(またはイスラム暦)くらい。もちろんイスラム教国もグレゴリオ暦を採用しており、ヒジュラ暦は宗教関係の年間行事や休日・祝日を決める用途で使われている。
話はそれるけれど何月何日の言葉は、月の満ち欠けで考えたから月で、日が昇って沈むのを基準としたから日の言葉が使われているのだろうな。英語のmonthもmoonが語源。dayはsunではなく暖かいとの意味のゲルマン語から由来しているみたいだ。
さて月の満ち欠けが基準の太陰暦では実用性に欠けるので考え出されたのが、太陽暦とハイブリッドした太陰太陽暦。なお太陰暦はほとんど使われなかったので、この太陰太陽暦を太陰暦や陰暦と称している場合もあるので注意が必要。また本来の太陰暦を純太陰暦と呼ぶこともある。
どのようにハイブリッドしたかだが、太陰暦の1年は太陽暦と較べて11日短い。3年経つと33日となり約1ヶ月の誤差が生じる。そこで約3年毎に閏月を挿入して1年を13ヶ月にする手法がとられる。4月の後に閏月を設定した場合、その月は閏四月(うるうしがつ)と呼ばれた。だからあくまで1年は12ヶ月で、13月と名前がつく月はない。
どの年のどの月の前後に閏月を挿入するかについては、話が長くなるので省略する。とにかく太陰太陽暦は、現在の太陽暦とはかなり仕組みが異なっていた。また太陽暦ではニシムクサムライで小の月と大の月は固定されているが、太陰太陽暦では何月が大小どちらの月になるかも年ごとによって違う。
ーーー続く
2022年12月12日
白金 自然教育園の紅葉 その2
少し開けた場所に出た。
そこで見つけたのが、この紫の実をつけた植物。
自然教育園は品種表示が充実しているが、この木には名札がなかった。しかし通りかかったオバチャンが「まあ紫式部!」と喜んでいたので名前が判明。紫の実だから紫式部とは覚えやすいというか安直な名前というか(^^ゞ 調べてみたらシソ科の植物で日本原産。
ついでに紫式部があるなら?と調べてみると、ありましたライバルの清少納言も! ハナショウブ、アジサイ、デンドロビウム(ランの一種)などに清少納言の名前がつけられている。ただしハナショウブの清少納言は紫色なんだけどーーー。なおハナショウブ、アジサイには紫式部という品種もある。調べればもっと他の植物にも名前が使われているかも知れない。
ところで、この開けた場所の隣は武蔵野植物園との表示がある。
しかし通路があるだけ。
自然教育園のホームページでも、園内マップに記されている以外は特に説明なし。どうやらここには武蔵野(現在でいうなら東京都とその周辺エリア)の雑木林に多く自生していた品種の木々が集められているらしい。でも他の場所と違いは感じられず。木に詳しい人なら、ここに来て「わっ、武蔵野の雰囲気だ」と思うのだろうか?
まあ天気がよく青空だったら、そんなことはどうでもいいか(^^ゞ
なお武蔵野植物園の通路は土がとても軟らかかった。腐葉土層が厚いのかな。土の感触を味わいながら歩くのは楽しい。
さて武蔵野植物園から進んで、園内の最も北側までやって来た。
ここで折り返して森の小道という通路に入る。
今までの通路より少し狭いが、いきなり紅葉がいい感じ。
しばらく進むと左にそれる通路が。
行ってみると少し水が流れていただけで拍子抜け。
森の小道に戻る。
誰かが撮影用に置いたモミジに便乗。
イエローオータムとレッドオータム。
これはわりと朱色っぽい紅葉。
赤・黄色・緑の三色競演!
そしてこれがこの日、一番赤の純度が高かったモミジ。
順光でもこれだけ鮮やかだと見応えがある。
紅葉は赤に近ければ近いほど素晴らしいというのが私の感覚。
茶色を感じるものは紅葉とは認めない主義である。
森の小道を抜けると水生植物園に出る。
とはいえ季節的に寂しい雰囲気なのは否めない(/o\)
水生植物園の隣にあるのがひょうたん池。
ひょうたんの形をしているかどうかは分からなかったものの、水面に紅葉が映って最初に見た水鳥の沼よりは風情がある。
水生植物園周辺はあまり見るべきものもなく、ススキなど眺めて
出入り口に向かう。
これが本日最後の紅葉シーン。
いわゆる紅葉の名所と違って、自然教育園では広い園内、無数の木々の中を紅葉を探して散策することになる。けっこう歩くし、その意味ではモミジ「狩り」の言葉にふさわしい場所。ちょっぴり探検気分の紅葉見物は意外と面白かった。園内滞在時間は1時間半ほど。
ただ自然環境に近い森だから、もっといろいろな木々の紅葉、黄葉が見られるかと思ったのに、色づいているのはほとんどがカエデだったのは少し残念。それでも木々の数や密集度は、公園の木立とは違って森を感じされてくれるのが貴重。しかも目黒駅から徒歩圏内。新緑マニアとしては来年の春にまた訪れてみようと思う。
おしまい
そこで見つけたのが、この紫の実をつけた植物。
自然教育園は品種表示が充実しているが、この木には名札がなかった。しかし通りかかったオバチャンが「まあ紫式部!」と喜んでいたので名前が判明。紫の実だから紫式部とは覚えやすいというか安直な名前というか(^^ゞ 調べてみたらシソ科の植物で日本原産。
ついでに紫式部があるなら?と調べてみると、ありましたライバルの清少納言も! ハナショウブ、アジサイ、デンドロビウム(ランの一種)などに清少納言の名前がつけられている。ただしハナショウブの清少納言は紫色なんだけどーーー。なおハナショウブ、アジサイには紫式部という品種もある。調べればもっと他の植物にも名前が使われているかも知れない。
ところで、この開けた場所の隣は武蔵野植物園との表示がある。
しかし通路があるだけ。
自然教育園のホームページでも、園内マップに記されている以外は特に説明なし。どうやらここには武蔵野(現在でいうなら東京都とその周辺エリア)の雑木林に多く自生していた品種の木々が集められているらしい。でも他の場所と違いは感じられず。木に詳しい人なら、ここに来て「わっ、武蔵野の雰囲気だ」と思うのだろうか?
まあ天気がよく青空だったら、そんなことはどうでもいいか(^^ゞ
なお武蔵野植物園の通路は土がとても軟らかかった。腐葉土層が厚いのかな。土の感触を味わいながら歩くのは楽しい。
さて武蔵野植物園から進んで、園内の最も北側までやって来た。
ここで折り返して森の小道という通路に入る。
今までの通路より少し狭いが、いきなり紅葉がいい感じ。
しばらく進むと左にそれる通路が。
行ってみると少し水が流れていただけで拍子抜け。
森の小道に戻る。
誰かが撮影用に置いたモミジに便乗。
イエローオータムとレッドオータム。
これはわりと朱色っぽい紅葉。
赤・黄色・緑の三色競演!
そしてこれがこの日、一番赤の純度が高かったモミジ。
順光でもこれだけ鮮やかだと見応えがある。
紅葉は赤に近ければ近いほど素晴らしいというのが私の感覚。
茶色を感じるものは紅葉とは認めない主義である。
森の小道を抜けると水生植物園に出る。
とはいえ季節的に寂しい雰囲気なのは否めない(/o\)
水生植物園の隣にあるのがひょうたん池。
ひょうたんの形をしているかどうかは分からなかったものの、水面に紅葉が映って最初に見た水鳥の沼よりは風情がある。
水生植物園周辺はあまり見るべきものもなく、ススキなど眺めて
出入り口に向かう。
これが本日最後の紅葉シーン。
いわゆる紅葉の名所と違って、自然教育園では広い園内、無数の木々の中を紅葉を探して散策することになる。けっこう歩くし、その意味ではモミジ「狩り」の言葉にふさわしい場所。ちょっぴり探検気分の紅葉見物は意外と面白かった。園内滞在時間は1時間半ほど。
ただ自然環境に近い森だから、もっといろいろな木々の紅葉、黄葉が見られるかと思ったのに、色づいているのはほとんどがカエデだったのは少し残念。それでも木々の数や密集度は、公園の木立とは違って森を感じされてくれるのが貴重。しかも目黒駅から徒歩圏内。新緑マニアとしては来年の春にまた訪れてみようと思う。
おしまい
2022年12月11日
白金 自然教育園の紅葉
目黒駅の少し先にある自然教育園。正式名称は「国立科学博物館附属 自然教育園」。目黒通りに面しており、その前は何度も通っているが今まで訪れる機会はなかった。自然教育園と名前はついているものの、単なる森みたいなもので訪れる目的がなかったというべきか。しかし別に紅葉の名所ではないのだけれど、たくさんの木々があって、中には紅葉しているものもあるらしいので、12月7日に近くに立ち寄ったついでに。
目黒駅からは徒歩7〜8分。住所は白金になる。シロガネーゼで有名な白金だけれど、地名の読みは「しろかね」である。地図で薄緑になっているのが自然教育園。下のほうに色が付いていないエリアが庭園美術館。両者は別の施設とはいえ、冒頭の航空写真を見てわかるように敷地としては一体となっている。
この場所は
室町時代は豪族の舘(諸説あり)。
江戸時代は大名の下屋敷。
明治になって軍の火薬庫を経て、皇室の御料地に。
戦後に文部省の管轄となり、天然記念物および史跡に指定され一般開放された。
との歴史を持つ。庭園美術館も元は宮家の邸宅だった施設だから、御料地の時代に土地を分けてもらったのだろう。そんないきさつはさておき、都心一等地に残る貴重な自然である。面積は自然教育園が20ヘクタール、庭園美術館が3.5ヘクタール。
目黒駅からの途中で、イチョウのイエローオータムがお出迎え。
イチョウのアーチを抜けたところ。
これだけでけっこうお腹いっぱいになった(^^ゞ
これは庭園美術館の入口。庭園美術館とはいえ有名なのは旧朝香宮邸の建物だからネーミングがミスマッチ。以前に訪れた時に庭園は改修工事中で見学できなかった。
庭園美術館と自然教育園の入口は隣接している。
自然教育園に到着。国立科学博物館は上野にある。そういえば同じく上野にある東京国立博物館は何度も展覧会を見に行っているのに、科学博物館は訪れたことがないな。まあいずれそのうち。
入場。
入園料は320円。
券売機にお金を入れると切手2枚分くらいの小さなチケットが発券される。ただし、その後はゲートもなく園内まで素通りで、チケットを持っているかどうかはチェックされない。その気になればタダで入ることもできると小声で(^^ゞ
園内に入ってすぐは小さな広場になっている。
写真の左側にある通路を進んで自然教育園の探索開始。
木々の密集度はかなり高い。
しばらく進むと土塁の表示。
土塁とは昔の城などの周りに土で築いた塀(へい)の名称。
ただし木や草が生えていてここが土塁かどうかはサッパリわからない。
もっとも盛り上がった土を見ても面白いわけでもないが。
ビューポイントとアピールしていた巨木。
これが幹の中程で、
こちらが上の部分と確かに大きな木。
紅葉した木が現れてきた。
この角度だと日光の当たり方が悪くてショボイが、
光を透かすように眺めればそれなりの風情。
入口から真っ直ぐ進んだ先で通路が二手に分かれていた。
左側から時計回りに歩くことにする。ところで、この地図を見ると特別保存地区となっている未公開エリアが半分近くを占めているのが分かる。もうちょっと散策できるところを増やしてほしいもの。
テクテク歩いて、
紅葉を見つけては眺めて写真を撮る。
紅葉を見に来ているのだけれど、緑のモミジの葉もけっこう好き。
まるで十字架のように真横に枝というより幹が伸びている木を発見。
館跡の表示があった。
しかし先ほどの土塁以上に木や草しか見当たらなかったので写真も撮らず。
説明にある白金長者とは、室町時代にこのあたりを支配していた人物が白金を多く持っていてそう呼ばれていたらしい。なおこの白金とはプラチナではなく銀を意味している。それで白金長者が具体的には誰かについて
室町時代あるいはそれ以前の豪族
南朝の雑色(ぞうしき:下級役人)であった柳下上総介
などの説がある。後者を載せている資料が多い。でも上総介(かずさのすけ)は今でいう千葉県が管轄の代官のようなものだし、千葉でも東京でも銀は採れない。上総介は官職名で柳下の下の名前も不明。結局のところ正体ははっきり分かっていないみたい。
それでも白金の地名はこの白金長者に由来している。その白金にはプラチナ通りと名付けられたオシャレなエリアがある。歴史的にはシルバーなんだけどなあ(^^ゞ また自然教育園=白金長者の屋敷の西側に接するエリアは、現在は品川区上大崎であるが、明治の中頃までは長者丸という地名だった。長者丸は今でもマンション名などによく使われている。高級住宅地だし由緒ある地名とはいえちょっと響きが成金っぽい(^^ゞ
さて通路が少し下りとなり、
降りたところにあったのが水鳥の沼。
しかし鳥はいなかったし、景色的にもショボイ。また木々で隠れてはいるが、すぐ先は首都高速が走っており、このあたりはちょっと騒音が気になる。
先ほどの分岐点から西に歩いてきて、ここからは北上。
紅葉を眺めて写真を撮って、また歩くの繰り返し。
柿かと思ったらカラスウリという植物だった。
この実は苦くて食べられないようだ。
通路沿いに伸びている水鳥の沼。
たくさんの木々の中に紅葉もあるのが自然教育園。
やや東向きに方向が変わる。
直射日光ではなく木漏れ日の逆光だと、紅葉は幻想的な雰囲気になる。
ーーー続く
2022年12月09日
ワールドカップ・カタール大会 雑感あれこれ その2
ご存じのように前回2018年のワールドカップはロシアで開催された。今大会でロシアはウクライナ侵攻を理由に予選段階から追放されている。4年前と世界がガラッと変わった象徴のような出来事でもある。4年前はプーチンが選手にメダルを授与していたのに(/o\)
写真はhttps://thedigestweb.com/topics_detail13/id=53252から引用
そのロシアの侵攻が開始されたのが2月24日で、FIFAの追放決定が2月28日。ヨーロッパでの予選日程が立て込んでいたせいもあるだろうが、実に素早い決定だった。検討使とあだ名されるどこかの国の総理大臣も見習って欲しいもの。
なおロシアのFIFAランキングは33位。2018年大会ではベスト8まで進んでいる。またウクライナのランキングは27位。今大会はヨーロッパ予選で敗退して出場ならず。戦争中なのに予選に参加していたのにもビックリしたが。ウクライナはこれで4大会連続予選落ちとなるものの、2006年ドイツ大会には出場してベスト8まで進んだから、日本がまだ見ていない景色は経験済み。
あれこれ思いつくままに雑感を書くと、
11月23日から始まった日本チームの試合。ドイツに勝った!三苫の1mm!なんて騒いでいたとき、ウクライナ情勢のニュースはほとんど目にしなかったような。だからどうだでもないが、まあそんなものかなとも思ったり。あるいはネットのニュースはひとつクリックすると同じような記事ばかり表示されるので、サッカー情報で埋まってしまいウクライナ関連を見落としたのだろうか。
今回のワールドカップは11月20日から始まり、決勝戦は12月19日。例年は6月中旬から7月中旬の開催。それはもちろん中東カタールの夏が暑いから変更されたわけで、至極まっとうな判断。長年の伝統や慣例であっても、人の決めたものなら人が変えられるのだ。やはり7月23日から8月8日にかけて開催した東京オリンピックはアホとしか言いようがない。
スタジアムで応援歌が歌われるとき、ところどころでヒュルヒュルと笛のような音が入るのに気がついた。なかなかいいアクセントになっている。そんな合いの手は前回の大会ではなかったはず。どんな曲だったかもう一度聞こうと思ったのに、どう検索してもそれらしき動画を見つけられない(>_<)
三苫の1mmもVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)による判定だったし、今大会はオフサイドもVARによって腕1本が出ていてもアウトとされるようになった。
オフサイドの起点である「いつ蹴ったか」については、選手の動きを1秒間に50回映像で記録しており、またボールにもセンサーが付けられていて、なんと1秒間に500回のデータを取っている。つまり蹴られたのがいつなのかコンマ何秒の単位で特定できるから、オフサイドで腕1本のはみ出しも検出される。
従来の単に録画を巻き戻すビデオ判定とは次元が違う。いきなり凄い時代になったものだと思う。あと10年もすれば、AIも組み合わさって複雑な判断ができるようになり、ほとんどのスポーツで審判なんて不要になるかも。コンピューターのジャッジの元で人間がプレーするなんてブラックなSFの世界も垣間見えたワールドカップでもあった。
日本はクロアチアにPK戦で負けた。PK戦なんてほとんどが運によるものだと思っているが、世の中にはそう考えない人もいるもので、そのほとんどが精神論。しかし翌日にスペインがPK戦で負けると、その精神論的意見がスーッと消えていったのは興味深かった。
ところで
テレビを観ていて気がついたのは、現地のスタジアムで応援してる日本人サポーターの年齢がとても若かったこと。今まではもっと幅広い年齢層の人がいたように記憶しているのだが。過去の映像を調べるまではしていないが、もし私の勘違いでなければ、どうしてそうなったのだろう。
写真はhttps://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=120927から引用
ちなみに過去のテレビの平均世帯視聴率(関東地区)をみるとトップ10は以下の通り。
2002年日韓大会 日本×ロシア 66.1%
2002年日韓大会 ドイツ×ブラジル 65.6% これは決勝戦
1998年フランス大会 日本×クロアチア 60.9%
1998年フランス大会 日本×アルゼンチン 60.5%
2002年日韓大会 日本×ベルギー 58.8%
2010年南アフリカ大会 日本×パラグアイ 57.3%
2006年ドイツ大会 日本×クロアチア 52.7%
1998年フランス大会 日本×ジャマイカ 52.3%
2006年ドイツ大会 日本×オーストラリア 49.0%
2018年ロシア大会 日本×コロンビア 48.7%
今大会と前大会の視聴率は
今回カタール大会 前回ロシア大会
ドイツ戦 35.3% コロンビア戦 48.7%
コスタリカ戦 42.9% セネガル戦 30.9%
スペイン戦 22.4% ポーランド戦 44.2%
クロアチア戦 34.6% ベルギー戦 36.4%
開催地によって時差の関係で放送時刻が違うから比較は難しいものの、一番盛り上がっていたのは1998年フランス〜2002年日韓大会で、そこからは右肩下がり(/o\) 当時と較べれば現在は半分程度の数字。今大会は前大会よりも数字は落ちている。もっとも今大会はABEMAによるネット配信で視聴した人が相当数いたらしいから、それを加えなければいけないがデータを持ち合わせていない。ただABEMAを含めても1998年フランス〜2002年日韓大会の頃に遠く及ばないのは確実。
サッカー人気の低下で中高年が抜け落ちてスタジアムが若者中心になったのだろうか。しかしロシア大会で、そんなことは感じなかったのも不可解。今のところナゾ
その人気の低下はドイツ戦の時に書いたように日本はベスト16までは進むけれど、それは32チームの16だから半分まで進んだに過ぎず、オリンピックでも日本がメダルを獲れない競技は関心が薄いのと同じ理屈。ただ原因はそれだけではなくカズ、中田、本田と続いた良くも悪くも話題を集めるスーパースター的な選手がいなくなったのも大きい。また広く女性からアイドル的な人気を集める選手も見当たらないようだ。
サッカーが強くなればすぐに客が集まるというほど人気商売は甘くないのだ。日本サッカー協会は大谷翔平のこんな写真を見て、どうしてこっちに来てくれなかったのかと恨み言をつぶやいていたりして(^^ゞ
写真はhttps://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/12/09/kiji/
20221209s00001007074000c.htmlから引用
また試合を観たら何か思い浮かぶだろうけれど、
とりあえずはおしまい。
写真はhttps://thedigestweb.com/topics_detail13/id=53252から引用
そのロシアの侵攻が開始されたのが2月24日で、FIFAの追放決定が2月28日。ヨーロッパでの予選日程が立て込んでいたせいもあるだろうが、実に素早い決定だった。検討使とあだ名されるどこかの国の総理大臣も見習って欲しいもの。
なおロシアのFIFAランキングは33位。2018年大会ではベスト8まで進んでいる。またウクライナのランキングは27位。今大会はヨーロッパ予選で敗退して出場ならず。戦争中なのに予選に参加していたのにもビックリしたが。ウクライナはこれで4大会連続予選落ちとなるものの、2006年ドイツ大会には出場してベスト8まで進んだから、日本がまだ見ていない景色は経験済み。
あれこれ思いつくままに雑感を書くと、
11月23日から始まった日本チームの試合。ドイツに勝った!三苫の1mm!なんて騒いでいたとき、ウクライナ情勢のニュースはほとんど目にしなかったような。だからどうだでもないが、まあそんなものかなとも思ったり。あるいはネットのニュースはひとつクリックすると同じような記事ばかり表示されるので、サッカー情報で埋まってしまいウクライナ関連を見落としたのだろうか。
今回のワールドカップは11月20日から始まり、決勝戦は12月19日。例年は6月中旬から7月中旬の開催。それはもちろん中東カタールの夏が暑いから変更されたわけで、至極まっとうな判断。長年の伝統や慣例であっても、人の決めたものなら人が変えられるのだ。やはり7月23日から8月8日にかけて開催した東京オリンピックはアホとしか言いようがない。
スタジアムで応援歌が歌われるとき、ところどころでヒュルヒュルと笛のような音が入るのに気がついた。なかなかいいアクセントになっている。そんな合いの手は前回の大会ではなかったはず。どんな曲だったかもう一度聞こうと思ったのに、どう検索してもそれらしき動画を見つけられない(>_<)
三苫の1mmもVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)による判定だったし、今大会はオフサイドもVARによって腕1本が出ていてもアウトとされるようになった。
オフサイドの起点である「いつ蹴ったか」については、選手の動きを1秒間に50回映像で記録しており、またボールにもセンサーが付けられていて、なんと1秒間に500回のデータを取っている。つまり蹴られたのがいつなのかコンマ何秒の単位で特定できるから、オフサイドで腕1本のはみ出しも検出される。
従来の単に録画を巻き戻すビデオ判定とは次元が違う。いきなり凄い時代になったものだと思う。あと10年もすれば、AIも組み合わさって複雑な判断ができるようになり、ほとんどのスポーツで審判なんて不要になるかも。コンピューターのジャッジの元で人間がプレーするなんてブラックなSFの世界も垣間見えたワールドカップでもあった。
日本はクロアチアにPK戦で負けた。PK戦なんてほとんどが運によるものだと思っているが、世の中にはそう考えない人もいるもので、そのほとんどが精神論。しかし翌日にスペインがPK戦で負けると、その精神論的意見がスーッと消えていったのは興味深かった。
ところで
テレビを観ていて気がついたのは、現地のスタジアムで応援してる日本人サポーターの年齢がとても若かったこと。今まではもっと幅広い年齢層の人がいたように記憶しているのだが。過去の映像を調べるまではしていないが、もし私の勘違いでなければ、どうしてそうなったのだろう。
写真はhttps://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=120927から引用
ちなみに過去のテレビの平均世帯視聴率(関東地区)をみるとトップ10は以下の通り。
2002年日韓大会 日本×ロシア 66.1%
2002年日韓大会 ドイツ×ブラジル 65.6% これは決勝戦
1998年フランス大会 日本×クロアチア 60.9%
1998年フランス大会 日本×アルゼンチン 60.5%
2002年日韓大会 日本×ベルギー 58.8%
2010年南アフリカ大会 日本×パラグアイ 57.3%
2006年ドイツ大会 日本×クロアチア 52.7%
1998年フランス大会 日本×ジャマイカ 52.3%
2006年ドイツ大会 日本×オーストラリア 49.0%
2018年ロシア大会 日本×コロンビア 48.7%
今大会と前大会の視聴率は
今回カタール大会 前回ロシア大会
ドイツ戦 35.3% コロンビア戦 48.7%
コスタリカ戦 42.9% セネガル戦 30.9%
スペイン戦 22.4% ポーランド戦 44.2%
クロアチア戦 34.6% ベルギー戦 36.4%
開催地によって時差の関係で放送時刻が違うから比較は難しいものの、一番盛り上がっていたのは1998年フランス〜2002年日韓大会で、そこからは右肩下がり(/o\) 当時と較べれば現在は半分程度の数字。今大会は前大会よりも数字は落ちている。もっとも今大会はABEMAによるネット配信で視聴した人が相当数いたらしいから、それを加えなければいけないがデータを持ち合わせていない。ただABEMAを含めても1998年フランス〜2002年日韓大会の頃に遠く及ばないのは確実。
サッカー人気の低下で中高年が抜け落ちてスタジアムが若者中心になったのだろうか。しかしロシア大会で、そんなことは感じなかったのも不可解。今のところナゾ
その人気の低下はドイツ戦の時に書いたように日本はベスト16までは進むけれど、それは32チームの16だから半分まで進んだに過ぎず、オリンピックでも日本がメダルを獲れない競技は関心が薄いのと同じ理屈。ただ原因はそれだけではなくカズ、中田、本田と続いた良くも悪くも話題を集めるスーパースター的な選手がいなくなったのも大きい。また広く女性からアイドル的な人気を集める選手も見当たらないようだ。
サッカーが強くなればすぐに客が集まるというほど人気商売は甘くないのだ。日本サッカー協会は大谷翔平のこんな写真を見て、どうしてこっちに来てくれなかったのかと恨み言をつぶやいていたりして(^^ゞ
写真はhttps://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/12/09/kiji/
20221209s00001007074000c.htmlから引用
また試合を観たら何か思い浮かぶだろうけれど、
とりあえずはおしまい。
2022年12月08日
ワールドカップ・カタール大会 雑感あれこれ
ワールドカップはベスト8が出そろい、ベスト4入りをかけた次のトーナメント戦は12月10日から。日本の試合はないので観るか観ないかは、その時の気分次第。クロアチアvsブラジル戦は、日本とドッコイドッコイだったクロアチアが、優勝候補筆頭のブラジル相手にどんなサッカーをするのかさせられるのか、ちょっと興味あるかな。
この図は決勝トーナメント1回戦の組み合わせを表したもの。赤い四角に白抜きで書いてあるのがFIFAランキング。グレーの枠に書いたのが得点結果。引き分けの試合はPK戦で勝ったチームにピンクの星印を付けてある。
これが示しているのは全8試合のうち、FIFAランキング上位のチームが下位のチームに勝ったのが7試合だという事実。率にすれば87.5%。FIFAランキングをどのように算出しているかは知らないが、一定期間の結果から現在の実力を反映するように設計されているはず。そして勝敗的中率が87.5%だから、その信頼性は相当に高いと確認できる。同時にワールドカップの時だけ弱いチームが特別な力を発揮するなんてないことも分かる。
さてベスト8に進出したチームのランキングは
ブラジル1位 アルゼンチン3位 フランス4位 イングランド5位
オランダ8位 ポルトガル9位 クロアチア12位 モロッコ22位
モロッコはPK戦でスペインを下したからジャンケンに勝ったようなもの。そう考えるとやはりランキング10位前後以内の実力でないと、ベスト8進出の可能性はほぼないのが現実。もう一度書くが、ワールドカップの時だけ特別な力を発揮するなんてあり得ない。だから日本はランキング24位のくせに、よくもヌケヌケと「ベスト8に進出して新し景色を見る」なんて言えたものだと恥かしくなってくる。ちなみに「新しい景色」は日本サッカー協会の公式キャンペーンである。
もちろんサッカーはスポーツだから、高い目標を掲げるのを一概に悪いと言うつもりはない。しかし気合いや根性や勢い、ましてやサポーターの応援で目標はクリアできない。そこは地道に努力を重ねるしかないのだ。
ドイツに勝った!三苫の1mm!ブラボー!なんて騒ぐのは楽しかったが、それが過ぎたら冷静に見つめるべきかと思う。もっとも4年に1度のサッカーファンである私が冷静にサッカーを考える必要はないのだが(^^ゞ
既に7大会連続でワールドカップに出場しているから(ただし2002年は開催国特権)、もう世界のトップ32チームの実力はある。盛り上げるためにベスト8入りの目標を掲げるのはいいとして、今は確実にグループリーグを突破してベスト16に食い込めるまでの実力をつける時期だろう。そして日本が継続してランキング15位内になったら、その時こそ新しい景色が開けるかも知れないと期待しよう。
なおこの分析は今大会の数字だけだから、精度を高めるにはもっと過去に遡る必要がある。例えば前大会で日本はランキング60位だけれどグループリーグを突破してベスト16だったし、ロシアは開催国のアドバンテージがあったとはいえ、66位なのにベスト8まで勝ち進んだ。
もっと多くの数字を集めて分析すれば、サッカー賭博で連戦連勝できるかもよ(^^ゞ
ーーー続く
この図は決勝トーナメント1回戦の組み合わせを表したもの。赤い四角に白抜きで書いてあるのがFIFAランキング。グレーの枠に書いたのが得点結果。引き分けの試合はPK戦で勝ったチームにピンクの星印を付けてある。
これが示しているのは全8試合のうち、FIFAランキング上位のチームが下位のチームに勝ったのが7試合だという事実。率にすれば87.5%。FIFAランキングをどのように算出しているかは知らないが、一定期間の結果から現在の実力を反映するように設計されているはず。そして勝敗的中率が87.5%だから、その信頼性は相当に高いと確認できる。同時にワールドカップの時だけ弱いチームが特別な力を発揮するなんてないことも分かる。
さてベスト8に進出したチームのランキングは
ブラジル1位 アルゼンチン3位 フランス4位 イングランド5位
オランダ8位 ポルトガル9位 クロアチア12位 モロッコ22位
モロッコはPK戦でスペインを下したからジャンケンに勝ったようなもの。そう考えるとやはりランキング10位前後以内の実力でないと、ベスト8進出の可能性はほぼないのが現実。もう一度書くが、ワールドカップの時だけ特別な力を発揮するなんてあり得ない。だから日本はランキング24位のくせに、よくもヌケヌケと「ベスト8に進出して新し景色を見る」なんて言えたものだと恥かしくなってくる。ちなみに「新しい景色」は日本サッカー協会の公式キャンペーンである。
もちろんサッカーはスポーツだから、高い目標を掲げるのを一概に悪いと言うつもりはない。しかし気合いや根性や勢い、ましてやサポーターの応援で目標はクリアできない。そこは地道に努力を重ねるしかないのだ。
ドイツに勝った!三苫の1mm!ブラボー!なんて騒ぐのは楽しかったが、それが過ぎたら冷静に見つめるべきかと思う。もっとも4年に1度のサッカーファンである私が冷静にサッカーを考える必要はないのだが(^^ゞ
既に7大会連続でワールドカップに出場しているから(ただし2002年は開催国特権)、もう世界のトップ32チームの実力はある。盛り上げるためにベスト8入りの目標を掲げるのはいいとして、今は確実にグループリーグを突破してベスト16に食い込めるまでの実力をつける時期だろう。そして日本が継続してランキング15位内になったら、その時こそ新しい景色が開けるかも知れないと期待しよう。
なおこの分析は今大会の数字だけだから、精度を高めるにはもっと過去に遡る必要がある。例えば前大会で日本はランキング60位だけれどグループリーグを突破してベスト16だったし、ロシアは開催国のアドバンテージがあったとはいえ、66位なのにベスト8まで勝ち進んだ。
もっと多くの数字を集めて分析すれば、サッカー賭博で連戦連勝できるかもよ(^^ゞ
ーーー続く
2022年12月06日
クロアチア戦でオワリッチ(/o\)
モドリッチやペリシッチなど、クロアチアは名前の最後が「ッチ」の選手が多い。数えてみたらスタメンに8人もいた。チッチ、チッチと耳障りに思ったが、日本のスタメンも権田、吉田、守田、鎌田、前田と田のつく選手を揃えているからお互い様か(^^ゞ あっ、それと日本にも谷グッチ!
写真はhttps://news.livedoor.com/article/detail/23318134から引用
さてFAFAランキングで7位のスペインと、11位のドイツを破った強豪ニッポンなのだから、12位のクロアチアも何とかしてくれるでしょうとの期待は多くの人が持っていたと思う。
結果は前半43分にめずらしく日本が先制したものの、後半10分に同点に追いつかれ、90分では決着が付かず延長戦へ。延長戦はどちらもノーゴールで勝負はPK戦に。
日本は4人が蹴って3人が失敗。逆にクロアチアは3人がシュートを決めたので、4人目終了時点で日本のカタール大会がオワリッチ(涙)
日本 クロアチア
1人目 失敗 成功
2人目 失敗 成功
3人目 成功 失敗
4人目 失敗 成功
5人目
PK戦はサッカーの上手い下手はほとんど関係なく、運しだいのジャンケンみたいなもの。それゆえに気持ちをどこにも持って行けない悔しさが残るが、まあそれもサッカーというスポーツ。
この試合ではいつもと違って堂安が先発出場し、またいつもと違って後半スタート時のメンバー交代もなかった。それが延長戦も見据えた采配だったのかどうかは素人には分からないものの、いつもと違って後半の躍動感がなかったのは残念なところ。
しかし引き分け(PK戦は勝敗には関係なく、この試合は記録としては引き分け扱い)だからそう思うわけじゃないが、FAFAランキング24位の日本は12位のクロアチアと実に互角に戦ったと思う。スペイン戦と違って見劣りするところはなかった。現時点で日本はランキング15位前後の実力はあるんじゃないかな。もっとも15位前後だからベスト16どまりでベスト8に進めないと言ってしまえば身も蓋もないが。
ところでテレビを観ていて気になったのは実況アナウンサーや解説の岡田元監督が、やたら「三苫が入れば何とかなる」と言っていたこと。今大会での彼の活躍は誰もが認めるところではあるとしても、その神頼み的なメンタリティに「ちょっと違うんじゃない?」「日本のサッカー界はそのレベルの発想なの?」と思ってしまった。まあ私も三苫があと2人いたらーーーなんて考えていたけど(^^ゞ
日本サッカーの実力は、ワールドカップに出場できるかできないか程度との認識を改めたのが、前大会でのベルギー戦。あの試合で、ベスト8の背中が見えるくらいのところまで来ていると感じた。今回はあと少しで手が触れられそうだったから、わずかとはいえまた一歩前進。念願の「新しい景色」とやらは見られなかったけれど、ドイツとスペインを破ったのだから、充分に楽しい景色だったと満足している。
じゃサッカー選手の皆さん、4年間また精進してね。
お疲れ様!!
写真はhttps://news.livedoor.com/article/detail/23318134から引用
さてFAFAランキングで7位のスペインと、11位のドイツを破った強豪ニッポンなのだから、12位のクロアチアも何とかしてくれるでしょうとの期待は多くの人が持っていたと思う。
結果は前半43分にめずらしく日本が先制したものの、後半10分に同点に追いつかれ、90分では決着が付かず延長戦へ。延長戦はどちらもノーゴールで勝負はPK戦に。
日本は4人が蹴って3人が失敗。逆にクロアチアは3人がシュートを決めたので、4人目終了時点で日本のカタール大会がオワリッチ(涙)
日本 クロアチア
1人目 失敗 成功
2人目 失敗 成功
3人目 成功 失敗
4人目 失敗 成功
5人目
PK戦はサッカーの上手い下手はほとんど関係なく、運しだいのジャンケンみたいなもの。それゆえに気持ちをどこにも持って行けない悔しさが残るが、まあそれもサッカーというスポーツ。
この試合ではいつもと違って堂安が先発出場し、またいつもと違って後半スタート時のメンバー交代もなかった。それが延長戦も見据えた采配だったのかどうかは素人には分からないものの、いつもと違って後半の躍動感がなかったのは残念なところ。
しかし引き分け(PK戦は勝敗には関係なく、この試合は記録としては引き分け扱い)だからそう思うわけじゃないが、FAFAランキング24位の日本は12位のクロアチアと実に互角に戦ったと思う。スペイン戦と違って見劣りするところはなかった。現時点で日本はランキング15位前後の実力はあるんじゃないかな。もっとも15位前後だからベスト16どまりでベスト8に進めないと言ってしまえば身も蓋もないが。
ところでテレビを観ていて気になったのは実況アナウンサーや解説の岡田元監督が、やたら「三苫が入れば何とかなる」と言っていたこと。今大会での彼の活躍は誰もが認めるところではあるとしても、その神頼み的なメンタリティに「ちょっと違うんじゃない?」「日本のサッカー界はそのレベルの発想なの?」と思ってしまった。まあ私も三苫があと2人いたらーーーなんて考えていたけど(^^ゞ
日本サッカーの実力は、ワールドカップに出場できるかできないか程度との認識を改めたのが、前大会でのベルギー戦。あの試合で、ベスト8の背中が見えるくらいのところまで来ていると感じた。今回はあと少しで手が触れられそうだったから、わずかとはいえまた一歩前進。念願の「新しい景色」とやらは見られなかったけれど、ドイツとスペインを破ったのだから、充分に楽しい景色だったと満足している。
じゃサッカー選手の皆さん、4年間また精進してね。
お疲れ様!!
2022年12月03日
1ミリで押し返したスペイン戦
勝っちゃったねスペイン戦。
バンザーイ\(^o^)/ \(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
いや、長友に倣ってブラボー!ブラボー!ブラボー!
ドイツとスペインに勝つなんて強豪国かよニッポン!
たくさん報道されているから今さらだけれど、三苫(みとま)が紙一重で切り返したあのシーン。この写真では誰が見たってゴールラインを割っているように見える。
しかしサッカーは真上から見てボールが1ミリでもゴールラインに掛かっていればインプレー(競技続行)とするルール。つまり接地面じゃなくて、地球でいうなら赤道がどこにあるかで判断される。
それで真上に近い角度で撮られたのがこの写真。
アップで。
超微妙な位置。線が引かれているのは芝生だからボヤけているところもあるし。
ちなみにメジャーな競技場の白線は石灰ではなく水性ペイントが使われている。
こんな画像も多く作られていた。
こちらは斜め上からと真上からでは見え方が違うのを実証した写真。
引用はTwitterの@ChrisJames_90から。
VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー、いわゆるビデオ判定)がどのような映像を使ったのは分からないが、とにかくそれによりインプレーと認められ、三苫が切り返して田中が押し込んだゴールが成立し、それが決勝点となりメデタシメデタシ。
報道では「三笘の1ミリ」なんて表現されていたが、VARの映像はプライスマイナス2ミリの誤差があるらしい。ということはラインに1ミリ掛かっているのに1ミリ割っていると判定される可能性もあり、逆に1ミリ割っていても1ミリ掛かっているとされる場合もある。
それでも人間の目なら最初の写真の角度からになるわけで。線審をライン上にズラーッと並べるわけにはいかないから、ラインを割った割らないなどの単純な事実判定ではVARの有効性はいうまでもない。これが審判の目による判定だったら、↓↓のような論争が次のワールドカップまで続く(^^ゞ
それにしても何ミリだったかは別として、三苫はよく追いつけたもの。時間にして、あと0.0何秒か遅れたらラインを割っていただろう。逆にもう5センチ手前で切り返したら、ボールが違うところに飛んで田中のゴールにはつながらなかったかも知れない。こういうのを勝利の女神が微笑んだというのだろうね。
さて午前4時のキックオフだったので3時45分くらいに起床。コーヒーを淹れたりして4時5分になってしまう。でも自動録画されているので、リアルタイムより5分遅れで観戦開始。テレビを見出してすぐに、本田圭佑の解説が面白いらしいからこの試合はABEMAで見るつもりだったのを思い出す。まっ、いいか。
最初のシュートこそ日本が放ったものの、圧倒的にスペインのペースなのは素人目にも明らか。スペインのサッカーははパスを広い範囲で回して相手を走らせ、隙ができれば一気に仕掛けていくスタイルのようだ。
そして開始わずか11分にクロス&ヘディングで先制される。相手がスペインだから、そりゃそうなるよねと意外にアッチャー(>_<) な気分にはならなかった。その後のスペインは無理をしてこない感じ。余裕でパスを回して日本を翻弄する。ドSかスペイン(^^ゞ 前半のボール支配率はスペイン78%・日本14%、パスの本数は日本の102本に対して5倍の530本。ほとんど日本はサッカーをさせてもらえてない状態。
特に見所なく前半が終了。後半は例によって浅野、堂安、三苫などが出てくるのは既に私でも想像が付く。もう少し早くそうすればと思うものの、前半は耐えて後半に攻撃的になるのが森保監督の勝ちパターンだから、それに実際、今回もそれが功を制したから文句を言うのはやめておこう。しかし逆にいえば日本が後半のような試合運びを90分間続けられるようになるまでテッペンは遠いかな。また3試合ともワンパターンなのも気になる。これからは相手チームがそれを見越した作戦や選手起用をしてくる可能性もある。
さあ期待の後半。なんと開始3分で堂安がシュートのお手本のようなゴールを決めて同点! そしてその2分後に三笘の1ミリから田中のゴール! その直後のプレーでスペインはパス回しではなくゴール前に長いボールを放り込んできたし、またパス回しにもミスが目立つようになった。ドSのくせに実はメンタル弱かったかスペイン!
それにしても逆転したのが後半5分くらいなので、そこから先が長い。VARの判定が出て試合が再開したのが後半10分あたり。日本の動きはよくなったとはいえ、なにせ相手はスペイン。引き分けで御の字と思っていたが、コスタリカ・ドイツ戦ではドイツが優勢との途中経過なので、引き分けではグループリーグ敗退になってしまう。
相変わらずボールの支配権はスペインにあり、リードしているのに押し込まれている状況が続く。ただ日本の守りもよく機能していた。後半30分くらいから、ひょっとしたらこのまま行けるかも知れないと思い始める。そうなると前半は余裕しゃくしゃくに思えたスペインのパス回しが、日本を攻めあぐねている様子に見えてくるから面白いもの。
ロスタイムは7分の表示。今回の大会はやたらロスタイムが長い。ハラハラ、ドキドキしながら試合の行方を見守る。心臓に悪いけどこれがサッカー観戦の醍醐味でもある。
しかしロスタイム経過2分頃、突然にLINEの通知音がピコピコと大量に鳴り始める。あっ、私は録画を5分遅れで見ているのだった。瞬時にこれは生中継で観ていた友人たちが、「日本おめでとう!」と打ったものだと察した。
せっかくのハラハラ・ドキドキを楽しんでいたのに、
しかも勝ち逃げのハラハラ・ドキドキで至福の時間だったのに、
それが台無しやないか(^^ゞ
まあでも勝利の喜びを、朝の6時前から分かち合えたのだから、それもまたヨシ。
さて次は12月6日のクロアチア戦。この調子で決勝まで勝ち進んで、日本のサッカー界が勘違いしておかしくなっても困るから、今回はベスト8止まりでもいいよ(^^ゞ
バンザーイ\(^o^)/ \(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
いや、長友に倣ってブラボー!ブラボー!ブラボー!
ドイツとスペインに勝つなんて強豪国かよニッポン!
たくさん報道されているから今さらだけれど、三苫(みとま)が紙一重で切り返したあのシーン。この写真では誰が見たってゴールラインを割っているように見える。
しかしサッカーは真上から見てボールが1ミリでもゴールラインに掛かっていればインプレー(競技続行)とするルール。つまり接地面じゃなくて、地球でいうなら赤道がどこにあるかで判断される。
それで真上に近い角度で撮られたのがこの写真。
アップで。
超微妙な位置。線が引かれているのは芝生だからボヤけているところもあるし。
ちなみにメジャーな競技場の白線は石灰ではなく水性ペイントが使われている。
こんな画像も多く作られていた。
こちらは斜め上からと真上からでは見え方が違うのを実証した写真。
引用はTwitterの@ChrisJames_90から。
VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー、いわゆるビデオ判定)がどのような映像を使ったのは分からないが、とにかくそれによりインプレーと認められ、三苫が切り返して田中が押し込んだゴールが成立し、それが決勝点となりメデタシメデタシ。
報道では「三笘の1ミリ」なんて表現されていたが、VARの映像はプライスマイナス2ミリの誤差があるらしい。ということはラインに1ミリ掛かっているのに1ミリ割っていると判定される可能性もあり、逆に1ミリ割っていても1ミリ掛かっているとされる場合もある。
それでも人間の目なら最初の写真の角度からになるわけで。線審をライン上にズラーッと並べるわけにはいかないから、ラインを割った割らないなどの単純な事実判定ではVARの有効性はいうまでもない。これが審判の目による判定だったら、↓↓のような論争が次のワールドカップまで続く(^^ゞ
それにしても何ミリだったかは別として、三苫はよく追いつけたもの。時間にして、あと0.0何秒か遅れたらラインを割っていただろう。逆にもう5センチ手前で切り返したら、ボールが違うところに飛んで田中のゴールにはつながらなかったかも知れない。こういうのを勝利の女神が微笑んだというのだろうね。
さて午前4時のキックオフだったので3時45分くらいに起床。コーヒーを淹れたりして4時5分になってしまう。でも自動録画されているので、リアルタイムより5分遅れで観戦開始。テレビを見出してすぐに、本田圭佑の解説が面白いらしいからこの試合はABEMAで見るつもりだったのを思い出す。まっ、いいか。
最初のシュートこそ日本が放ったものの、圧倒的にスペインのペースなのは素人目にも明らか。スペインのサッカーははパスを広い範囲で回して相手を走らせ、隙ができれば一気に仕掛けていくスタイルのようだ。
そして開始わずか11分にクロス&ヘディングで先制される。相手がスペインだから、そりゃそうなるよねと意外にアッチャー(>_<) な気分にはならなかった。その後のスペインは無理をしてこない感じ。余裕でパスを回して日本を翻弄する。ドSかスペイン(^^ゞ 前半のボール支配率はスペイン78%・日本14%、パスの本数は日本の102本に対して5倍の530本。ほとんど日本はサッカーをさせてもらえてない状態。
特に見所なく前半が終了。後半は例によって浅野、堂安、三苫などが出てくるのは既に私でも想像が付く。もう少し早くそうすればと思うものの、前半は耐えて後半に攻撃的になるのが森保監督の勝ちパターンだから、それに実際、今回もそれが功を制したから文句を言うのはやめておこう。しかし逆にいえば日本が後半のような試合運びを90分間続けられるようになるまでテッペンは遠いかな。また3試合ともワンパターンなのも気になる。これからは相手チームがそれを見越した作戦や選手起用をしてくる可能性もある。
さあ期待の後半。なんと開始3分で堂安がシュートのお手本のようなゴールを決めて同点! そしてその2分後に三笘の1ミリから田中のゴール! その直後のプレーでスペインはパス回しではなくゴール前に長いボールを放り込んできたし、またパス回しにもミスが目立つようになった。ドSのくせに実はメンタル弱かったかスペイン!
それにしても逆転したのが後半5分くらいなので、そこから先が長い。VARの判定が出て試合が再開したのが後半10分あたり。日本の動きはよくなったとはいえ、なにせ相手はスペイン。引き分けで御の字と思っていたが、コスタリカ・ドイツ戦ではドイツが優勢との途中経過なので、引き分けではグループリーグ敗退になってしまう。
相変わらずボールの支配権はスペインにあり、リードしているのに押し込まれている状況が続く。ただ日本の守りもよく機能していた。後半30分くらいから、ひょっとしたらこのまま行けるかも知れないと思い始める。そうなると前半は余裕しゃくしゃくに思えたスペインのパス回しが、日本を攻めあぐねている様子に見えてくるから面白いもの。
ロスタイムは7分の表示。今回の大会はやたらロスタイムが長い。ハラハラ、ドキドキしながら試合の行方を見守る。心臓に悪いけどこれがサッカー観戦の醍醐味でもある。
しかしロスタイム経過2分頃、突然にLINEの通知音がピコピコと大量に鳴り始める。あっ、私は録画を5分遅れで見ているのだった。瞬時にこれは生中継で観ていた友人たちが、「日本おめでとう!」と打ったものだと察した。
せっかくのハラハラ・ドキドキを楽しんでいたのに、
しかも勝ち逃げのハラハラ・ドキドキで至福の時間だったのに、
それが台無しやないか(^^ゞ
まあでも勝利の喜びを、朝の6時前から分かち合えたのだから、それもまたヨシ。
さて次は12月6日のクロアチア戦。この調子で決勝まで勝ち進んで、日本のサッカー界が勘違いしておかしくなっても困るから、今回はベスト8止まりでもいいよ(^^ゞ
2022年12月01日
なにゆえブラックフライデー
あちこちでブラックフライデーのセール真っ盛り。
アメリカでは1970年代中頃に広まったらしいが、日本ではイオンが2016年、Amazonが2019年から始めたのでまだ新しい風習。ところで昔から年末にバーゲンがあったのに、どうして11月下旬などと中途半端な時期なのか。
調べてみると、
アメリカでは感謝祭(サンクス・ギビング・デイ)が11月第4木曜日に祝われる。
重要な祝日であり日本の元旦に近いとも言われる。クリスマスより大切との説も
あったが確認はしていない。それでもそんな説が出るくらいの位置づけなんだろう。
お祝いに七面鳥を食べるのは有名。
↓
感謝祭はもちろん祝日(休日)で、翌日の金曜日も休日にするところが多い。
だから続く土日も併せて4連休になる。
↓
その金曜日から、売れ残った感謝祭向け商品やプレゼントのセールが始まった。
というあたりが由来みたい。もちろん今は売れ残りだけを売っているのではない。小売業界は不思議なところで、値下げの際には何か口実を付けたがる。現在、アメリカの小売業界では1年で最も売り上げを見込める日とされ、また年末商戦のスタートダッシュとしても重要なんだとか。
つまり感謝祭の風習から発展した販売戦術を日本にも導入したわけだ。
それはいいとして。なにゆえ「ブラック」なのだ。
ブラックに曜日の付く言葉と言えば、1987年(昭和62年)10月19日にニューヨーク株式市場で起きた史上最大の株価大暴落=ブラックマンデーが有名。ブラック&曜日のネーミングはその時に初めて聞いた。
そんな縁起の悪い言葉の組み合わせなのに、
そもそもブラックは買い物意欲を刺激するような色でもないのにーーー
今はもう慣れてしまったものの、初めてブラックフライデーの言葉を聞いた時は、ブラックマンデーを連想して???な気持ちだった。
それでなぜこの感謝祭バーゲンセールがブラックフライデーなのかというと、
諸説あるようだが、
買い物客で街に人があふれる。
↓
何かとイザコザや交通事故などが増える。
↓
警察官の仕事が増えるーーー自分も買い物したいのに(涙)
1950〜60年頃、フィラデルフィア警察が忙しくてイヤになるとの意味で、
この日をブラックフライデーと呼び出す。
↓
小売業界は縁起が悪いと反発し「ビッグフライデー」を提唱するも、
ブラックフライデーが定着してしまう(>_<)
あまりの混雑に消費者もウンザリしており、
ブラックな気持ちだったとの説もある。
↓
フィラデルフィアの新聞社が「お店が儲かって黒字になる金曜日」との
新説を発表する。
それならと小売業界も納得しメデタシメデタシーーーとなったようだ。やはりアメリカでも最初はブラックに抵抗感があったんだ。私の言語感覚が異常じゃなくて安心した(^^ゞ
参考までに私がAmazonのブラックフライデーで必ず買うのが、エクセルやワードなどの詰め合わせであるマイクロソフトのオフィス(Microsoft 365:1年契約のサブスク )。毎年3月にマイクロソフトが実施する2500円のキャッシュバック・キャンペーンとほとんど価格はかわらないものの、キャッシュバックは申込用紙を郵送したりで手間が掛かるから。
素直にキャンペーン価格で値下げすれば、マイクロソフトで買う=マイクロソフトはAmazonに販売手数料を支払う必要がない=より儲かるのに。値下げではなくキャッシュバックなのは、先ほど書いた小売業の「値下げの際には何か口実を付けたがる」と同じメンタリティかも知れない。