2023年02月
2023年02月28日
新宿御苑で寒桜と松とプラタナス
ここから先はウメを見なかったのでタイトルを少し変更。
日本庭園にある楽羽亭という茶室の周りでウメと早咲きのヤマザクラ、そしてフクジュソウを眺めた後はブラブラと苑内散策。
このあたりの池は「上の池(かみのいけ)」と呼ばれている。
まずはこのL字クランクの橋で池の中にある小さな島へ。
松がカッコイイ。
暖かくなるにつれて黄色い部分が緑色になっていくのかな。普通は黄色いと枯れるイメージなのに、生命力を感じさせる黄色だった。
2つめの橋は太鼓橋。
橋の上からウメとヤマザクラが咲いていたところを。
ウメ ビハインド マツ
ウメ&マツ好きにはたまらないね(^^ゞ
橋を渡ったところにも見応えのある松が。
少し先にサクラっぽいものが見えてきた。
先ほどと同じヤマザクラかと思いきや、
葉が出ていないからヤマザクラではない。
苑内マップに照らし合わせると、これはサツマカンザクラという寒桜。
赤く見えているのは花びらが落ちて露わになった雄しべと雌しべ。
見頃かなり過ぎの感じなので、きれいなところを狙って。
さらに進んでこの立派な3本松があるのは、日本庭園の中の芝生広場。
ここには夏目漱石が小説の中でも書いた、
いわゆる「ローマの松」の背を低くしたようなマツがたくさんある。
ここにも早咲きのサクラが。
先ほど見たのと同じサツマカンザクラだと見て取れたので素通りしようと思ったが、
その隣にある木の色づきに興味を引かれて近づいてみると、
たくさんのツボミだった。
品種までは分からないもののサクラで間違いないだろう。
せっかくそばまで来たので、サツマカンザクラをもう1枚。
いずれ機会があれば、もっとキレイに咲いている時期に来てみましょう。
ローマの松ショート版を下からあおって。
パワーがみなぎっているように見えるのに、どうして背が低いの?
新宿御苑は
日本庭園
風景式庭園(イギリス風)
整形式庭園(フランス風)
と3つのタイプ別に庭園が設けられている。
それがどんな庭かについては昨年に訪れた際のブログで少し説明している。
ここは日本庭園を抜けて風景式庭園に入ったところ。
見回したところ花が咲いている気配はなかったので、池の周りを進むことにする。日本庭園の池とつながっているが、このあたりでは「中の池」と名前がついている。
なんじゃこれ?
識別タグのようなものが打たれている。
アメリカデイゴという木のようだ。
現在位置。
さらに進むと、八重桜を見に来たときに一緒に楽しめたツツジ。
私の好きな丸い形の剪定。
この黄色い花はサンシュユ。
ロウバイと違って、サンシュユはウメと同じ時期に咲く。それでウメに黄色はないから(ロウバイは梅と名前がついているがクスノキの仲間)ウメと一緒に植えると彩りがきれい。新宿御苑のガーデナーにもアドバイスしたいね。写真は昨年に訪れた京王百草園。
池の端までやって来た。
このあたりは「下の池」という名前。
上の池から下の池までを直線で結ぶと約800メートル。相当大きな池であるが、その水源は苑内の湧き水らしい。そしてこの池が渋谷川の源流のひとつとのこと。
川の源流と聞くと山奥を想像するが平地にあるものも意外と多い。桜並木で有名な目黒川の源流も世田ヶ谷区内にある。家康がやって来て城や城下町を開くまで江戸は湿地帯だったから、東京には地下水が豊富なのだろう。
下の池の近くにあるのがなぜか「開かずの門」となっている正門。
門を出てJRの線路を越えれば国立競技場である。
かつて新宿御苑が皇室苑地だった時代に、皇族の出入りに使われていた門だから平民は通らせてもらえないらしい。ただし総理主催の「桜を見る会」で国会議員や外国大使などに対してはこの正門が使われた。そして安倍晋三後援会のご一行様を乗せたバス17台も正門から入場したんだって。
さて正門近くから広がるのは整形式庭園。
その目玉はプラタナス並木。
新宿御苑は細い枝をまったく残さない剪定スタイル。だから葉を落としたプラタナスは実に異様な形をしていて、それに魅せられる。
そのゴツゴツさは北斎の描く波の形にも似ているけれど、
なぜかウルトラセブンに登場した
電気海獣エレキングをいつも思いだしてしまう(^^ゞ
整形式庭園の中央にはバラ園があるが今はご覧の状態。
何年か前の1月にロウバイを見に来たときには少し咲いていたのだが。
整形式庭園の全景。
180度回って風景式庭園。
この季節の芝生はもちろんこんな状態。しかしなぜかとてもフカフカしていて気持ちよかった。昨年の4月半ばに八重桜を見たとき緑色の芝生にそんな記憶はないから、芝生は枯れた状態の方がクッションがいいのかな?
トイレを探していたら旧御凉亭(台湾閣) の近くまで来たので、以前も訪れているが、ついでに入ってみた。
昭和天皇の成婚祝いに台湾から贈られたものだと思っていたが、よく読むと台湾在住の邦人からの寄贈だった。当時の台湾は日本に占領されていたから多くの日本人がいたのだろう。
外観はすごく中華的に凝っているのに、
中はガランとしていて、ところどころに中国風の装飾があるものの、拍子抜けするほど殺風景。名前が「御凉亭」なのは、ここで池からの風を感じながら夕涼みでもするための施設だったからみたい。
御凉亭の利点は庭(日本庭園の芝生広場付近)を少し高い位置から広く眺められること。また池や庭に対して北向きに建っているので、視界的にもクッキリと見える。
今回で分かったのは
ソメイヨシノや八重桜と違って、新宿御苑はウメにあまり重きを置いていない
早咲きのサクラについても同じく
ということ。ウメはもうちょっと品種バラエティ的にがんばって欲しいもの。まあそれでも都会のオアシス的な空間を歩くだけで、充分に楽しめる場所であるのに変わりはないが。
超混雑するソメイヨシノの時期に来る気はないし、八重桜は昨年に見たし、
さて次はどのシーズンに訪れようかな。
おしまい
日本庭園にある楽羽亭という茶室の周りでウメと早咲きのヤマザクラ、そしてフクジュソウを眺めた後はブラブラと苑内散策。
このあたりの池は「上の池(かみのいけ)」と呼ばれている。
まずはこのL字クランクの橋で池の中にある小さな島へ。
松がカッコイイ。
暖かくなるにつれて黄色い部分が緑色になっていくのかな。普通は黄色いと枯れるイメージなのに、生命力を感じさせる黄色だった。
2つめの橋は太鼓橋。
橋の上からウメとヤマザクラが咲いていたところを。
ウメ ビハインド マツ
ウメ&マツ好きにはたまらないね(^^ゞ
橋を渡ったところにも見応えのある松が。
少し先にサクラっぽいものが見えてきた。
先ほどと同じヤマザクラかと思いきや、
葉が出ていないからヤマザクラではない。
苑内マップに照らし合わせると、これはサツマカンザクラという寒桜。
赤く見えているのは花びらが落ちて露わになった雄しべと雌しべ。
見頃かなり過ぎの感じなので、きれいなところを狙って。
さらに進んでこの立派な3本松があるのは、日本庭園の中の芝生広場。
ここには夏目漱石が小説の中でも書いた、
いわゆる「ローマの松」の背を低くしたようなマツがたくさんある。
ここにも早咲きのサクラが。
先ほど見たのと同じサツマカンザクラだと見て取れたので素通りしようと思ったが、
その隣にある木の色づきに興味を引かれて近づいてみると、
たくさんのツボミだった。
品種までは分からないもののサクラで間違いないだろう。
せっかくそばまで来たので、サツマカンザクラをもう1枚。
いずれ機会があれば、もっとキレイに咲いている時期に来てみましょう。
ローマの松ショート版を下からあおって。
パワーがみなぎっているように見えるのに、どうして背が低いの?
新宿御苑は
日本庭園
風景式庭園(イギリス風)
整形式庭園(フランス風)
と3つのタイプ別に庭園が設けられている。
それがどんな庭かについては昨年に訪れた際のブログで少し説明している。
ここは日本庭園を抜けて風景式庭園に入ったところ。
見回したところ花が咲いている気配はなかったので、池の周りを進むことにする。日本庭園の池とつながっているが、このあたりでは「中の池」と名前がついている。
なんじゃこれ?
識別タグのようなものが打たれている。
アメリカデイゴという木のようだ。
現在位置。
さらに進むと、八重桜を見に来たときに一緒に楽しめたツツジ。
私の好きな丸い形の剪定。
この黄色い花はサンシュユ。
ロウバイと違って、サンシュユはウメと同じ時期に咲く。それでウメに黄色はないから(ロウバイは梅と名前がついているがクスノキの仲間)ウメと一緒に植えると彩りがきれい。新宿御苑のガーデナーにもアドバイスしたいね。写真は昨年に訪れた京王百草園。
池の端までやって来た。
このあたりは「下の池」という名前。
上の池から下の池までを直線で結ぶと約800メートル。相当大きな池であるが、その水源は苑内の湧き水らしい。そしてこの池が渋谷川の源流のひとつとのこと。
川の源流と聞くと山奥を想像するが平地にあるものも意外と多い。桜並木で有名な目黒川の源流も世田ヶ谷区内にある。家康がやって来て城や城下町を開くまで江戸は湿地帯だったから、東京には地下水が豊富なのだろう。
下の池の近くにあるのがなぜか「開かずの門」となっている正門。
門を出てJRの線路を越えれば国立競技場である。
かつて新宿御苑が皇室苑地だった時代に、皇族の出入りに使われていた門だから平民は通らせてもらえないらしい。ただし総理主催の「桜を見る会」で国会議員や外国大使などに対してはこの正門が使われた。そして安倍晋三後援会のご一行様を乗せたバス17台も正門から入場したんだって。
さて正門近くから広がるのは整形式庭園。
その目玉はプラタナス並木。
新宿御苑は細い枝をまったく残さない剪定スタイル。だから葉を落としたプラタナスは実に異様な形をしていて、それに魅せられる。
そのゴツゴツさは北斎の描く波の形にも似ているけれど、
なぜかウルトラセブンに登場した
電気海獣エレキングをいつも思いだしてしまう(^^ゞ
整形式庭園の中央にはバラ園があるが今はご覧の状態。
何年か前の1月にロウバイを見に来たときには少し咲いていたのだが。
整形式庭園の全景。
180度回って風景式庭園。
この季節の芝生はもちろんこんな状態。しかしなぜかとてもフカフカしていて気持ちよかった。昨年の4月半ばに八重桜を見たとき緑色の芝生にそんな記憶はないから、芝生は枯れた状態の方がクッションがいいのかな?
トイレを探していたら旧御凉亭(台湾閣) の近くまで来たので、以前も訪れているが、ついでに入ってみた。
昭和天皇の成婚祝いに台湾から贈られたものだと思っていたが、よく読むと台湾在住の邦人からの寄贈だった。当時の台湾は日本に占領されていたから多くの日本人がいたのだろう。
外観はすごく中華的に凝っているのに、
中はガランとしていて、ところどころに中国風の装飾があるものの、拍子抜けするほど殺風景。名前が「御凉亭」なのは、ここで池からの風を感じながら夕涼みでもするための施設だったからみたい。
御凉亭の利点は庭(日本庭園の芝生広場付近)を少し高い位置から広く眺められること。また池や庭に対して北向きに建っているので、視界的にもクッキリと見える。
今回で分かったのは
ソメイヨシノや八重桜と違って、新宿御苑はウメにあまり重きを置いていない
早咲きのサクラについても同じく
ということ。ウメはもうちょっと品種バラエティ的にがんばって欲しいもの。まあそれでも都会のオアシス的な空間を歩くだけで、充分に楽しめる場所であるのに変わりはないが。
超混雑するソメイヨシノの時期に来る気はないし、八重桜は昨年に見たし、
さて次はどのシーズンに訪れようかな。
おしまい
2023年02月26日
新宿御苑で梅と福寿草
上野公園の五條天神でウメ、品川の荏原神社でカンヒザクラを眺めたものの、どちらもスケール的に物足りず欲求不満な感覚が残った。それで本日の朝から晴れ上がった青空を見ていると、どこかたくさんウメが咲いているところへ出かけたくなり。
ただもうウメの名所はそこそこ巡ったし、これといって新たにすぐ思いつくところがなかった。出かけようと思い立ったのが昼前なので、ネットで調べたりする余裕もあまりなく。というわけで「新宿御苑ならきっとウメもあるだろう」との安易な発想で(^^ゞ 場所を決定。
いつものように新宿三丁目駅で降りて新宿門へ。
何となく工事中の雰囲気。
えっ!ひょっとして休園中?と一瞬あせったが、
どうやら出入り口の改修をしていただけのようで、少し迂回するだけで苑内に入れた。
券売機前はそこそこの混雑。
でもPASMOやSuicaなどの交通系ICカードを持っていれば、
チケットを買わずに入場できる。
その割に並んでいる人が多いのは、気づいていないのかな。もともと新宿御苑は入場チケットにQRコードが印刷されていて、それを駅の改札に似たゲートにかざすという謎システムだった。それはこのICカードでの入場に備えてのことだったのだろうか。去年の春に八重桜を見に来たときにICカードはまだ使えなかった。とにかく便利だから、あらゆる入場チケットを買わなければいけない施設に早く普及して欲しいもの。
ゲートをくぐってすぐの所にあるロウバイは既にご臨終状態。
今シーズンはどこにもロウバイを見に行かず、あの香りをクンクンできなかった。
入場者のだいたい3/4位の人はゲートから真っ直ぐ芝生広場の方に進んでいく。
私は右折して日本庭園方向へ。
遠くにウメが見え始めてテンションが上がる。
ウメや池を見下ろす位置から日本庭園に近づく。
これこれ、こういうボリュームでウメを見たかったのよ。
意図的にボカしたのではなく、手前の枝にオートフォーカスが合ってしまったピンボケ写真なのだけれど、とても柔らかい印象になって結果オーライ(^^ゞ
ウメの右隣にあるのは、
満開状態で葉が出ているからヤマザクラの一種だろう。
ヤマザクラにも早咲きがあると知る。
ヤマザクラは茶色の葉を出すのであまり好きではなかったが、
これはけっこう可愛かった。品種名は表示されていなかった。
でもやはり葉桜なので、離れて眺めれば地味な印象は否めない。
私が見て回った範囲で新宿御苑にあったウメはこのピンクと白の2種類だけ。65品種が植えられているサクラと較べると、あまり重視していない模様。またここは品種表示が充実していないので、このウメの品種は分からなかった。
ウメは縦に延びるので、小さく可憐な花なのに力強さを感じる。
不思議と立体的に撮れた1枚。
ウメと月!
ピンクと白のミックスで。
空を背景にするのと、周りの景色一緒に撮るのとでは印象が変わる。
ただし肉眼では脳が花に集中するのか、写真ほどの違いを感じない。
豆粒のようになっているツボミを眺めるのも面白い。
ウメの木の下に福寿草が咲いている場所があった。春の訪れを告げる花としてよく取り上げられるのに、今まで見たことがなかった。名前も縁起よさそうだし初対面できてうれしい。
葉は少しヨモギに似ている。
ただしこんなにカワイイ花なのに福寿草は毒草(>_<)
かなり強い毒性を持っているらしい。
ーーー続く
ただもうウメの名所はそこそこ巡ったし、これといって新たにすぐ思いつくところがなかった。出かけようと思い立ったのが昼前なので、ネットで調べたりする余裕もあまりなく。というわけで「新宿御苑ならきっとウメもあるだろう」との安易な発想で(^^ゞ 場所を決定。
いつものように新宿三丁目駅で降りて新宿門へ。
何となく工事中の雰囲気。
えっ!ひょっとして休園中?と一瞬あせったが、
どうやら出入り口の改修をしていただけのようで、少し迂回するだけで苑内に入れた。
券売機前はそこそこの混雑。
でもPASMOやSuicaなどの交通系ICカードを持っていれば、
チケットを買わずに入場できる。
その割に並んでいる人が多いのは、気づいていないのかな。もともと新宿御苑は入場チケットにQRコードが印刷されていて、それを駅の改札に似たゲートにかざすという謎システムだった。それはこのICカードでの入場に備えてのことだったのだろうか。去年の春に八重桜を見に来たときにICカードはまだ使えなかった。とにかく便利だから、あらゆる入場チケットを買わなければいけない施設に早く普及して欲しいもの。
ゲートをくぐってすぐの所にあるロウバイは既にご臨終状態。
今シーズンはどこにもロウバイを見に行かず、あの香りをクンクンできなかった。
入場者のだいたい3/4位の人はゲートから真っ直ぐ芝生広場の方に進んでいく。
私は右折して日本庭園方向へ。
遠くにウメが見え始めてテンションが上がる。
ウメや池を見下ろす位置から日本庭園に近づく。
これこれ、こういうボリュームでウメを見たかったのよ。
意図的にボカしたのではなく、手前の枝にオートフォーカスが合ってしまったピンボケ写真なのだけれど、とても柔らかい印象になって結果オーライ(^^ゞ
ウメの右隣にあるのは、
満開状態で葉が出ているからヤマザクラの一種だろう。
ヤマザクラにも早咲きがあると知る。
ヤマザクラは茶色の葉を出すのであまり好きではなかったが、
これはけっこう可愛かった。品種名は表示されていなかった。
でもやはり葉桜なので、離れて眺めれば地味な印象は否めない。
私が見て回った範囲で新宿御苑にあったウメはこのピンクと白の2種類だけ。65品種が植えられているサクラと較べると、あまり重視していない模様。またここは品種表示が充実していないので、このウメの品種は分からなかった。
ウメは縦に延びるので、小さく可憐な花なのに力強さを感じる。
不思議と立体的に撮れた1枚。
ウメと月!
ピンクと白のミックスで。
空を背景にするのと、周りの景色一緒に撮るのとでは印象が変わる。
ただし肉眼では脳が花に集中するのか、写真ほどの違いを感じない。
豆粒のようになっているツボミを眺めるのも面白い。
ウメの木の下に福寿草が咲いている場所があった。春の訪れを告げる花としてよく取り上げられるのに、今まで見たことがなかった。名前も縁起よさそうだし初対面できてうれしい。
葉は少しヨモギに似ている。
ただしこんなにカワイイ花なのに福寿草は毒草(>_<)
かなり強い毒性を持っているらしい。
ーーー続く
2023年02月25日
荏原神社のカンヒザクラ(寒緋桜) その2
23日の天皇誕生日に出かけてきたカンヒザクラお花見の続編。
鳥居のすぐ後ろに恵比寿さん。
釣り竿から糸が垂れているのが分かるかな。江戸時代はすぐそばまで海だったから、漁業の神様としての意味合いがあるのかも知れない。
ちなみに前回に書いた、憎きライバルの(^^ゞ 品川神社は大黒さんを祀っていて、ここでも張り合っている。ただしなぜか七福神に関しては両社とも東海七福神という同じ組織に属している。まあ正月の七福神巡りは儲かるから、それはそれ・これはこれなのだろう。
さてようやくカンヒザクラのお話。
できるだけきれいなところを撮ってはいるが、最盛期1週間過ぎあたりのタイミングだった。
見た目は河津桜によく似ている。
河津桜と較べると、色が濃くて、ひとまわり小さく、花びらをあまり広げずに咲く。
ただ私のデジカメはサクラを撮ると、なぜか色が濃くそして少し黄色がかって写る場合があって(サクラ以外のピンクの花ではそんな現象は起きないのに)、実際の色はこちらのほうが近い。
もっと濃い色のカンヒザクラもあるようだが、ここ荏原神社のは河津桜とそれほど変わらない。知らなければ河津桜だと思ったかも。
ピンクの花を眺めると心がなごむね。
やたらグネグネした枝を発見。
目黒川の対岸から。
実はカンヒザクラは5本ほどあるだけ。ちょっと期待外れだった。
いつもより写真が少ないことで察してちょうだい(^^ゞ
でもミツを吸っているメジロが撮れたからちょっとうれしい。
肝心の目玉がほとんど写っていないけれど(>_<)
とりあえず寒緋桜は河津桜とよく似ている。そんなことはネットや図鑑で調べても分かるとはいえ、実際にこの目で見ないと覚えられないんだよねえ。ちょっと違う意味での百聞は一見にしかず。
おしまい
鳥居のすぐ後ろに恵比寿さん。
釣り竿から糸が垂れているのが分かるかな。江戸時代はすぐそばまで海だったから、漁業の神様としての意味合いがあるのかも知れない。
ちなみに前回に書いた、憎きライバルの(^^ゞ 品川神社は大黒さんを祀っていて、ここでも張り合っている。ただしなぜか七福神に関しては両社とも東海七福神という同じ組織に属している。まあ正月の七福神巡りは儲かるから、それはそれ・これはこれなのだろう。
さてようやくカンヒザクラのお話。
できるだけきれいなところを撮ってはいるが、最盛期1週間過ぎあたりのタイミングだった。
見た目は河津桜によく似ている。
河津桜と較べると、色が濃くて、ひとまわり小さく、花びらをあまり広げずに咲く。
ただ私のデジカメはサクラを撮ると、なぜか色が濃くそして少し黄色がかって写る場合があって(サクラ以外のピンクの花ではそんな現象は起きないのに)、実際の色はこちらのほうが近い。
もっと濃い色のカンヒザクラもあるようだが、ここ荏原神社のは河津桜とそれほど変わらない。知らなければ河津桜だと思ったかも。
ピンクの花を眺めると心がなごむね。
やたらグネグネした枝を発見。
目黒川の対岸から。
実はカンヒザクラは5本ほどあるだけ。ちょっと期待外れだった。
いつもより写真が少ないことで察してちょうだい(^^ゞ
でもミツを吸っているメジロが撮れたからちょっとうれしい。
肝心の目玉がほとんど写っていないけれど(>_<)
とりあえず寒緋桜は河津桜とよく似ている。そんなことはネットや図鑑で調べても分かるとはいえ、実際にこの目で見ないと覚えられないんだよねえ。ちょっと違う意味での百聞は一見にしかず。
おしまい
2023年02月23日
荏原神社のカンヒザクラ(寒緋桜)
サクラには自然種、変種、園芸種あわせて500から600品種あるとされ、そのうちソメイヨシノが本数では8割を占めると言われている。だからどこでも眺められるソメイヨシノではなく、最近はできるだけそれ以外のサクラを探して出かけるようにしている。
今まで見てきたのは
河津桜 ジンダイアケボノ コマツオトメ オオシマザクラ
八重桜 しだれ桜 彼岸桜 ヤマザクラ
あたりかな。もっとも八重桜以下は品種名ではなくグループ名のようなものだから、品種で数えれはもう少し多い。
それでふと「寒桜や寒緋桜や緋寒桜」というサクラはたまに聞くのに、見たことがなかったかもと気づく。名前からしてややこしいが
寒桜は、寒緋桜と山桜あるいは大島桜の交雑種と考えられている。
その寒緋桜カンヒザクラと緋寒桜ヒカンザクラは同じ品種の別名。
緋寒桜ヒカンザクラだと彼岸桜ヒガンザクラと紛らわしいので、寒緋桜カンヒザクラと
呼ぶようになった。
寒は寒い時期から咲くから、緋は花の色が濃いのでそう名付けられた。
だそうだ。ただし色については緋色ほど濃い紅色ではないが。
調べてみると寒緋桜が、
散歩圏内の荏原神社というところで咲いているようなので訪れてみた。
品川駅の南、大崎駅の東といったロケーション。
品川にはなぜか品川駅より南に北品川の駅がある。フシギ
荏原神社は桜並木(もちろんソメイヨシノ)で有名な目黒川沿いに位置する。
ここから500メートルほどで天王洲運河と合流して目黒川は終了。
川沿いを歩いて行くと写真を撮っている人多数で、
あそこが荏原神社とわかった。
ここから見えている範囲がほぼすべてで規模は小さい。
でも明治天皇が立ち寄ったとの由緒を持つ。
文字を正確に読めば
明治天皇が京都から東京に来る途中で、
三種の神器のひとつである鏡を置く場所である内侍所(ないしどころ)
として使われた
との意味のようである(解釈にあまり自信なし)。天皇一行は江戸城に入る前に品川宿で一泊している。品川宿があったのは荏原神社から200mほどの所だから、施設としてあれこれ利用されたのだろう。
ただし天皇との関係はちょっと複雑ーーー
天皇がその神社の祭祀に際して勅使を遣わす、勅祭社と格付けされる神社がある。もちろん第一級の格式で平安時代後期に22社、現在は全国に16社。そして明治維新で天皇が東京に移ると、その勅祭社に準じる存在として、明治3年に東京近郊の12の神社が准勅祭社と定められた。そのひとつが荏原神社から350mほど離れた場所にある品川神社。
ところが当時の荏原神社は品川貴船社の名称であり、荏原神社は「准勅祭社に指定された品川神社とはウチのことだ!」と主張している。それが正しいかどうかは調べればすぐ分かりそうなものなのに、なぜかはっきりとした記録がないらしい。
准勅祭社の制度はわずか3年で廃止されたものの、荏原神社、品川神社ともに現在でも御朱印で我こそが「元准勅祭社」だと朱肉も鮮やかにアピールしている。まるで本家と元祖の争いみたい(^^ゞ
画像はhttps://wave2017.hatenablog.comから引用
品川神社の御朱印に「十社之内」と記されているのは、准勅祭社12社から都内23区以外にある2社を除いた東京十社が結成され、その構成神社だという意味。もちろん荏原神社は東京十社には含まれていない。そういう観点からは荏原神社の分が悪そうである。よほど腹に据えかねるのか荏原神社の公式ホームページには次のような記載がある。
凡そ二十五年前までは、 品川神社の神職が当社の神輿に付ける稲穂を取りにきて
当社に倣った祭りをしていましたが、今ではお断りしています。
敵対心丸出し。イイゾ、モットヤレ(^^ゞ
25年前と記されているが、かなり前の資料にもこの文章が引用されているので、実際はもっと昔に書かれたものだろうと推測できる。荏原神社がいつから我こそが准勅祭社であったと主張しているかもポイントであると思われるが、それを示す資料は見当たらなかった。
ついでに御朱印をよく見ると、
荏原神社:元准勅祭「社」
品川神社:元准勅祭「神社」
と微妙に表現が違うのに気づく。神社庁のデータベースでも荏原神社は元准勅祭「社」、品川神社は元准勅祭「神社」と記載されている。もちろん正しい表記は元准勅祭「社」である。詳しい事情は分からないが、どうやら神社庁が
明治3年に准勅祭社に指定された12社を元准勅祭「社」
3年後に准勅祭社制度が廃止された後、1975年(昭和50年)に
元准勅祭「社」から結成された東京十社に属する神社を元准勅祭「神社」
と呼ぶ区別をしているとの説がある。そして荏原神社は元准勅祭「社」のグループ、品川神社を元准勅祭「神社」のグループに入れているようだ。ただし東京十社に参加しなかった2社を除けば、それ以外の神社は元准勅祭「社」・元准勅祭「神社」の両方に属するわけだから、これはまさに荏原神社と品川神社の本家vs元祖争いのための措置だと考えられる。神社庁がことを丸く収めようと玉虫色の対応をしたのかな? 気づかれないようにコソッと「神」の一文字を紛れ込ませて(^^ゞ
しかし品川神社はホームページの由緒書きでは元准勅祭「神社」と記しているが、トップページでは堂々と元准勅祭「社」を名乗っている。また他の東京十社に属する神社で元准勅祭「神社」と記しているところはない。
もっとも12社のうちホームページを持つ神社は11社あるが、トップページで元准勅祭「社」をアピールしているのは荏原神社と品川神社を含めて3社しかない。また由緒書きでもまったく触れていない神社が4社ある。メンツにかけてこだわっているのは荏原神社と品川神社だけのようである。
とにかく神職も一皮むけば業の塊だとよく分かるエピソード。
本家vs元祖争いの話で長くなってしまったので、
寒緋桜の話は次回に。
ーーー続く
今まで見てきたのは
河津桜 ジンダイアケボノ コマツオトメ オオシマザクラ
八重桜 しだれ桜 彼岸桜 ヤマザクラ
あたりかな。もっとも八重桜以下は品種名ではなくグループ名のようなものだから、品種で数えれはもう少し多い。
それでふと「寒桜や寒緋桜や緋寒桜」というサクラはたまに聞くのに、見たことがなかったかもと気づく。名前からしてややこしいが
寒桜は、寒緋桜と山桜あるいは大島桜の交雑種と考えられている。
その寒緋桜カンヒザクラと緋寒桜ヒカンザクラは同じ品種の別名。
緋寒桜ヒカンザクラだと彼岸桜ヒガンザクラと紛らわしいので、寒緋桜カンヒザクラと
呼ぶようになった。
寒は寒い時期から咲くから、緋は花の色が濃いのでそう名付けられた。
だそうだ。ただし色については緋色ほど濃い紅色ではないが。
調べてみると寒緋桜が、
散歩圏内の荏原神社というところで咲いているようなので訪れてみた。
品川駅の南、大崎駅の東といったロケーション。
品川にはなぜか品川駅より南に北品川の駅がある。フシギ
荏原神社は桜並木(もちろんソメイヨシノ)で有名な目黒川沿いに位置する。
ここから500メートルほどで天王洲運河と合流して目黒川は終了。
川沿いを歩いて行くと写真を撮っている人多数で、
あそこが荏原神社とわかった。
ここから見えている範囲がほぼすべてで規模は小さい。
でも明治天皇が立ち寄ったとの由緒を持つ。
文字を正確に読めば
明治天皇が京都から東京に来る途中で、
三種の神器のひとつである鏡を置く場所である内侍所(ないしどころ)
として使われた
との意味のようである(解釈にあまり自信なし)。天皇一行は江戸城に入る前に品川宿で一泊している。品川宿があったのは荏原神社から200mほどの所だから、施設としてあれこれ利用されたのだろう。
ただし天皇との関係はちょっと複雑ーーー
天皇がその神社の祭祀に際して勅使を遣わす、勅祭社と格付けされる神社がある。もちろん第一級の格式で平安時代後期に22社、現在は全国に16社。そして明治維新で天皇が東京に移ると、その勅祭社に準じる存在として、明治3年に東京近郊の12の神社が准勅祭社と定められた。そのひとつが荏原神社から350mほど離れた場所にある品川神社。
ところが当時の荏原神社は品川貴船社の名称であり、荏原神社は「准勅祭社に指定された品川神社とはウチのことだ!」と主張している。それが正しいかどうかは調べればすぐ分かりそうなものなのに、なぜかはっきりとした記録がないらしい。
准勅祭社の制度はわずか3年で廃止されたものの、荏原神社、品川神社ともに現在でも御朱印で我こそが「元准勅祭社」だと朱肉も鮮やかにアピールしている。まるで本家と元祖の争いみたい(^^ゞ
画像はhttps://wave2017.hatenablog.comから引用
品川神社の御朱印に「十社之内」と記されているのは、准勅祭社12社から都内23区以外にある2社を除いた東京十社が結成され、その構成神社だという意味。もちろん荏原神社は東京十社には含まれていない。そういう観点からは荏原神社の分が悪そうである。よほど腹に据えかねるのか荏原神社の公式ホームページには次のような記載がある。
凡そ二十五年前までは、 品川神社の神職が当社の神輿に付ける稲穂を取りにきて
当社に倣った祭りをしていましたが、今ではお断りしています。
敵対心丸出し。イイゾ、モットヤレ(^^ゞ
25年前と記されているが、かなり前の資料にもこの文章が引用されているので、実際はもっと昔に書かれたものだろうと推測できる。荏原神社がいつから我こそが准勅祭社であったと主張しているかもポイントであると思われるが、それを示す資料は見当たらなかった。
ついでに御朱印をよく見ると、
荏原神社:元准勅祭「社」
品川神社:元准勅祭「神社」
と微妙に表現が違うのに気づく。神社庁のデータベースでも荏原神社は元准勅祭「社」、品川神社は元准勅祭「神社」と記載されている。もちろん正しい表記は元准勅祭「社」である。詳しい事情は分からないが、どうやら神社庁が
明治3年に准勅祭社に指定された12社を元准勅祭「社」
3年後に准勅祭社制度が廃止された後、1975年(昭和50年)に
元准勅祭「社」から結成された東京十社に属する神社を元准勅祭「神社」
と呼ぶ区別をしているとの説がある。そして荏原神社は元准勅祭「社」のグループ、品川神社を元准勅祭「神社」のグループに入れているようだ。ただし東京十社に参加しなかった2社を除けば、それ以外の神社は元准勅祭「社」・元准勅祭「神社」の両方に属するわけだから、これはまさに荏原神社と品川神社の本家vs元祖争いのための措置だと考えられる。神社庁がことを丸く収めようと玉虫色の対応をしたのかな? 気づかれないようにコソッと「神」の一文字を紛れ込ませて(^^ゞ
しかし品川神社はホームページの由緒書きでは元准勅祭「神社」と記しているが、トップページでは堂々と元准勅祭「社」を名乗っている。また他の東京十社に属する神社で元准勅祭「神社」と記しているところはない。
もっとも12社のうちホームページを持つ神社は11社あるが、トップページで元准勅祭「社」をアピールしているのは荏原神社と品川神社を含めて3社しかない。また由緒書きでもまったく触れていない神社が4社ある。メンツにかけてこだわっているのは荏原神社と品川神社だけのようである。
とにかく神職も一皮むけば業の塊だとよく分かるエピソード。
本家vs元祖争いの話で長くなってしまったので、
寒緋桜の話は次回に。
ーーー続く
2023年02月22日
五條天神(上野公園)のウメ
昨日、東京都美術館でエゴン・シーレ展を見てきた。美術館は上野公園にある。上野公園といえばサクラが有名だけれど、あれだけ広いのだから、どこかにウメもあるだろうと調べてみると、1件だけヒットしたのが五條天神という神社。とりあえず美術館を訪れる前に立ち寄ってみた。
西郷銅像の近くの出入り口からさくら通りを歩く。
右側に京都の清水寺を模した清水観音堂。
朱色に塗られている部分がいわゆる清水の舞台になっている。
左側には不忍池(しのばずのいけ)が見下ろせる。
この場所から斜め左にそれたところに、
鳥居が連なった入口がある。
めずらしい光景なので、ここは外国人に人気の場所。
五條天神社と花園稲荷神社の2つの名前。
赤鳥居をくぐり抜け、
階段の下にもまた赤鳥居。
全部で30本くらいだったかな。
最初に現れるのは花園稲荷神社。
このお堂があるだけのこぢんまりとした規模。
その下に五條天神。
こちらはまあ普通サイズ。
そんなことよりもウメが5本ほどしかない。
かなり期待外れ(/o\)
上野公園のウメ情報を検索してもほとんどなかった理由が分かった。
一般に天神あるいは天満と名のつく神社は菅原道真を祀っている。それは彼を神格化したときに「天満大自在天神」との呼び名(戒名みたいなもの?)を用いたから。そしてウメ好きだった菅原道真にちなんで、天神あるいは天満宮にはたくさんのウメがつきもの。
しかしもともと天神とは、天にいる様々な神々を意味している。菅原道真が有名で彼の代名詞のようになっているが天神=菅原道真じゃない。ここ五條天神が祀っているのは大己貴命(おおなむじのみこと 別名おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。ただし神社界にも天神=菅原道真の雰囲気があるらしく、後に「社名に天神がつくのだから」との理由で菅原道真も合祀されている。
というわけで菅原道真メインじゃないから、ここはウメが少ないのかな?
それはさておき、
今年初めて見る満開の白梅。
白とピンクのツーショットで。
ピンクのしだれウメ。
もうひとつツーショットとアップ。
大きな鳥居(こちらが正門)の横にもピンクの花が。
河津桜だと思うが、見慣れた河津桜とはちょっと雰囲気が違ってどこかウメっぽい。
サブ扱いされたミチザネの祟りか(^^ゞ
神社らしい雰囲気を眺めて、
赤鳥居をまた登って神社を出ると、お地蔵さんの向こうに変わった形のものが。
これはパゴダ様式(ミャンマー様式)で建てられた仏塔。
祀られているのは薬師如来。
合格祈願の絵馬がたくさん。
それはここに上野大仏があるから。
上野には江戸時代から大仏が3回作られ、地震や火災によって失われている。3つめの大仏が作られたのは江戸時代後期の1843年(明治維新が1868年)。1855年の安政地震によって頭部が破損し修復される。しかし大正12年(1923年)の関東大震災によって再び頭部が落下。
頭部が落ちた大仏(>_<)
大仏は解体して保管されていたが、顔面以外の部分は戦時中に軍需金属資源として供出させられてしまう。昭和47年(1972年)に残っていた顔面部をレリーフとして大仏があったこの場所に安置。パゴダ様式の仏塔は、その5年前に建てられた大仏再建を願う祈願塔。
何度も頭部が落ちた大仏であるが(初代も地震により頭部落下)、顔面だけのレリーフとなったことで「もう落ちない」だろうと受験生が験担ぎに訪れるのだそう(^^ゞ
さくら通りを進んで中央の広場。正面に見えるのは東京国立博物館。
青空に雲の模様がバエてるね。
上の写真から90度回れ左をして進むと上野動物園。
いみじくもこの日はパンダのシャンシャンが中国に送り返された日。観覧最終日となった19日には多くのファンが動物園を訪れていた。それはまあ分かるとして、ニュースを見たらなんと本日も上野動物園を出発するパンダを見送りに来た人が150人、成田空港にも300人が詰めかけたそうだ。もちろんシャンシャンはトラックや飛行機に乗っているので姿は見えない。それでも最後の挨拶をしたかったということなのだろう。おそるべしパンダ愛(^^ゞ
写真はhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF210AH0R20C23A
2000000/とhttps://mainichi.jp/articles/20230221/k00/00m/040/121000c
から引用
動物園前の郵便ポストはパンダのデザインでかわいい。シャンシャン返還が大騒ぎになったので勘違いしている人もいるけれど、上野動物園にはまだ4頭のパンダがいるよ。
動物園入り口から斜めに進んだところにレンガ造り建物の東京都美術館がある。
エゴン・シーレ展についてはまた後日。
西郷銅像の近くの出入り口からさくら通りを歩く。
右側に京都の清水寺を模した清水観音堂。
朱色に塗られている部分がいわゆる清水の舞台になっている。
左側には不忍池(しのばずのいけ)が見下ろせる。
この場所から斜め左にそれたところに、
鳥居が連なった入口がある。
めずらしい光景なので、ここは外国人に人気の場所。
五條天神社と花園稲荷神社の2つの名前。
赤鳥居をくぐり抜け、
階段の下にもまた赤鳥居。
全部で30本くらいだったかな。
最初に現れるのは花園稲荷神社。
このお堂があるだけのこぢんまりとした規模。
その下に五條天神。
こちらはまあ普通サイズ。
そんなことよりもウメが5本ほどしかない。
かなり期待外れ(/o\)
上野公園のウメ情報を検索してもほとんどなかった理由が分かった。
一般に天神あるいは天満と名のつく神社は菅原道真を祀っている。それは彼を神格化したときに「天満大自在天神」との呼び名(戒名みたいなもの?)を用いたから。そしてウメ好きだった菅原道真にちなんで、天神あるいは天満宮にはたくさんのウメがつきもの。
しかしもともと天神とは、天にいる様々な神々を意味している。菅原道真が有名で彼の代名詞のようになっているが天神=菅原道真じゃない。ここ五條天神が祀っているのは大己貴命(おおなむじのみこと 別名おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。ただし神社界にも天神=菅原道真の雰囲気があるらしく、後に「社名に天神がつくのだから」との理由で菅原道真も合祀されている。
というわけで菅原道真メインじゃないから、ここはウメが少ないのかな?
それはさておき、
今年初めて見る満開の白梅。
白とピンクのツーショットで。
ピンクのしだれウメ。
もうひとつツーショットとアップ。
大きな鳥居(こちらが正門)の横にもピンクの花が。
河津桜だと思うが、見慣れた河津桜とはちょっと雰囲気が違ってどこかウメっぽい。
サブ扱いされたミチザネの祟りか(^^ゞ
神社らしい雰囲気を眺めて、
赤鳥居をまた登って神社を出ると、お地蔵さんの向こうに変わった形のものが。
これはパゴダ様式(ミャンマー様式)で建てられた仏塔。
祀られているのは薬師如来。
合格祈願の絵馬がたくさん。
それはここに上野大仏があるから。
上野には江戸時代から大仏が3回作られ、地震や火災によって失われている。3つめの大仏が作られたのは江戸時代後期の1843年(明治維新が1868年)。1855年の安政地震によって頭部が破損し修復される。しかし大正12年(1923年)の関東大震災によって再び頭部が落下。
頭部が落ちた大仏(>_<)
大仏は解体して保管されていたが、顔面以外の部分は戦時中に軍需金属資源として供出させられてしまう。昭和47年(1972年)に残っていた顔面部をレリーフとして大仏があったこの場所に安置。パゴダ様式の仏塔は、その5年前に建てられた大仏再建を願う祈願塔。
何度も頭部が落ちた大仏であるが(初代も地震により頭部落下)、顔面だけのレリーフとなったことで「もう落ちない」だろうと受験生が験担ぎに訪れるのだそう(^^ゞ
さくら通りを進んで中央の広場。正面に見えるのは東京国立博物館。
青空に雲の模様がバエてるね。
上の写真から90度回れ左をして進むと上野動物園。
いみじくもこの日はパンダのシャンシャンが中国に送り返された日。観覧最終日となった19日には多くのファンが動物園を訪れていた。それはまあ分かるとして、ニュースを見たらなんと本日も上野動物園を出発するパンダを見送りに来た人が150人、成田空港にも300人が詰めかけたそうだ。もちろんシャンシャンはトラックや飛行機に乗っているので姿は見えない。それでも最後の挨拶をしたかったということなのだろう。おそるべしパンダ愛(^^ゞ
写真はhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF210AH0R20C23A
2000000/とhttps://mainichi.jp/articles/20230221/k00/00m/040/121000c
から引用
動物園前の郵便ポストはパンダのデザインでかわいい。シャンシャン返還が大騒ぎになったので勘違いしている人もいるけれど、上野動物園にはまだ4頭のパンダがいるよ。
動物園入り口から斜めに進んだところにレンガ造り建物の東京都美術館がある。
エゴン・シーレ展についてはまた後日。
2023年02月14日
トッポ・ジージョの頃のスパゲッティは
小麦粉は白いからうどんや素麺は白い。
ただし、
中華麺:「かん水」=アルカリ性の塩水で生地を練る時に、
色素反応を起こして黄色くなる。
スパゲッティをはじめとするパスタ類:原料として使う
デュラム種の小麦自体が黄色いから、その色がついている。
というのがこれまでのお話。
なぜ黄色いのかとの疑問は解けたので、イエロー三部作の最後は余談。
もっともこのブログは余談がほとんどを占めるが。
私はトッポ・ジージョでスパゲッティという食べ物を知った世代である。
といっても今では分からない人のほうが多いかも知れない。
トッポ・ジージョはイタリアで1958年に生まれたネズミのキャラクター。
日本では1966年からその人形劇がテレビで放送された。
イタリアの人形劇だからスパゲッティもよくでてくる。
当時まだスパゲッティはそんなに一般的な食べ物ではなかったように思う。しかし母親もトッポ・ジージョに影響されたのか、やがて食卓に出てくるようになった。「今日のゴハンはトッポ・ジージョだ!」と喜んでいた無邪気な時代が私にもあったのである(^^ゞ フォークで麺をクルクルするのもそれまでにない体験で楽しかった。
その頃のスパゲッティといえば、ナポリタンとミートソースの2種類しかない。ナポリタンはケチャップでオレンジ色になっているが、私の視覚的記憶ではミートソース・スパゲッティのミートソースがかかっていない部分のスパゲッティは白かったようなーーー。
意識もしていなかったし、はっきりと覚えているわけではないが1970年代になってもスパゲッティはまだ白っぽかったと思う。おそらく今と違って使用する小麦がデュラムセモリナ100%ではなかったのだろう。
これまた記憶が定かではなく、おそらく1980年代の終わりだったと思うのだが「日本のスパゲッティはアルデンテじゃない」と「イタリア人が言っている」とよく取り沙汰された。うどん感覚で茹ですぎていたのが主な原因だろうが、デュラムセモリナ以外の小麦も使っていて、プリプリ感が足らなかったのが一因かも知れない。
イタリアでは乾麺パスタはデュラムセモリナ100%が法律で義務づけられている。日本ではそんな法律はないものの、現在は輸入されているものはもちろん、国内で生産さそれている商品もデュラムセモリナ100%になっている。デュラム種小麦は日本で栽培されていないから輸入小麦ということになる。いつ頃からそうなったのかと興味を持って調べてみたが、それらしき情報は見つけられず。
トッポ・ジージョのついでに古い話をもうひとつ。
現在、スーパーの棚で一番広い面積を占めているのはディ・チェコの商品だと思う。もう定番商品と言って差し支えない。しかしかつてディ・チェコは憧れの商品だった時代がある。80年代前半に雑誌でイタリア関連の特集を組む時、ディ・チェコもよく取り上げられた。「本場のイタリアにはディ・チェコという素晴らしいパスタがある。それと較べたら日本で売られているものなんてーーー」といった扱いが多かった。ディ・チェコの単語を知っているだけで、ちょっと通ぶれたもの。イタリア旅行のお土産にディ・チェコのスパゲッティをもらった経験もある。
それが今ではスーパーにズラーッと並んでいるのだから時代の変化を感じるね。調べてみると、1983年からミズタエンタープライズという会社が輸入して日清製粉が総発売元の体制で、2000年には日清製粉が独占輸入権も獲得している。思ったより早く日本に入っていたが、今のようなシェアになったのは1990年代中頃のような気がする(自信なし)。
ディ・チェコはたいした宣伝をしていないから、日清製粉の営業力もさることながら、品質つまりはおいしさで受け入れられたのだろう。舌は正直だから、食品分野ではこうした中身だけで勝負するマーケティングも通用する(場合もある)。
ところでブログを書きながら、
デュラム種小麦を使った、あるいは少し混ぜた中華麺やうどん
かん水で練ったスパゲッティ
は、どんな味や歯ごたえがするのだろうかとずっと気になっている(^^ゞ
誰か作ってくれないかな。
ただし、
中華麺:「かん水」=アルカリ性の塩水で生地を練る時に、
色素反応を起こして黄色くなる。
スパゲッティをはじめとするパスタ類:原料として使う
デュラム種の小麦自体が黄色いから、その色がついている。
というのがこれまでのお話。
なぜ黄色いのかとの疑問は解けたので、イエロー三部作の最後は余談。
もっともこのブログは余談がほとんどを占めるが。
私はトッポ・ジージョでスパゲッティという食べ物を知った世代である。
といっても今では分からない人のほうが多いかも知れない。
トッポ・ジージョはイタリアで1958年に生まれたネズミのキャラクター。
日本では1966年からその人形劇がテレビで放送された。
イタリアの人形劇だからスパゲッティもよくでてくる。
当時まだスパゲッティはそんなに一般的な食べ物ではなかったように思う。しかし母親もトッポ・ジージョに影響されたのか、やがて食卓に出てくるようになった。「今日のゴハンはトッポ・ジージョだ!」と喜んでいた無邪気な時代が私にもあったのである(^^ゞ フォークで麺をクルクルするのもそれまでにない体験で楽しかった。
その頃のスパゲッティといえば、ナポリタンとミートソースの2種類しかない。ナポリタンはケチャップでオレンジ色になっているが、私の視覚的記憶ではミートソース・スパゲッティのミートソースがかかっていない部分のスパゲッティは白かったようなーーー。
意識もしていなかったし、はっきりと覚えているわけではないが1970年代になってもスパゲッティはまだ白っぽかったと思う。おそらく今と違って使用する小麦がデュラムセモリナ100%ではなかったのだろう。
これまた記憶が定かではなく、おそらく1980年代の終わりだったと思うのだが「日本のスパゲッティはアルデンテじゃない」と「イタリア人が言っている」とよく取り沙汰された。うどん感覚で茹ですぎていたのが主な原因だろうが、デュラムセモリナ以外の小麦も使っていて、プリプリ感が足らなかったのが一因かも知れない。
イタリアでは乾麺パスタはデュラムセモリナ100%が法律で義務づけられている。日本ではそんな法律はないものの、現在は輸入されているものはもちろん、国内で生産さそれている商品もデュラムセモリナ100%になっている。デュラム種小麦は日本で栽培されていないから輸入小麦ということになる。いつ頃からそうなったのかと興味を持って調べてみたが、それらしき情報は見つけられず。
トッポ・ジージョのついでに古い話をもうひとつ。
現在、スーパーの棚で一番広い面積を占めているのはディ・チェコの商品だと思う。もう定番商品と言って差し支えない。しかしかつてディ・チェコは憧れの商品だった時代がある。80年代前半に雑誌でイタリア関連の特集を組む時、ディ・チェコもよく取り上げられた。「本場のイタリアにはディ・チェコという素晴らしいパスタがある。それと較べたら日本で売られているものなんてーーー」といった扱いが多かった。ディ・チェコの単語を知っているだけで、ちょっと通ぶれたもの。イタリア旅行のお土産にディ・チェコのスパゲッティをもらった経験もある。
それが今ではスーパーにズラーッと並んでいるのだから時代の変化を感じるね。調べてみると、1983年からミズタエンタープライズという会社が輸入して日清製粉が総発売元の体制で、2000年には日清製粉が独占輸入権も獲得している。思ったより早く日本に入っていたが、今のようなシェアになったのは1990年代中頃のような気がする(自信なし)。
ディ・チェコはたいした宣伝をしていないから、日清製粉の営業力もさることながら、品質つまりはおいしさで受け入れられたのだろう。舌は正直だから、食品分野ではこうした中身だけで勝負するマーケティングも通用する(場合もある)。
ところでブログを書きながら、
デュラム種小麦を使った、あるいは少し混ぜた中華麺やうどん
かん水で練ったスパゲッティ
は、どんな味や歯ごたえがするのだろうかとずっと気になっている(^^ゞ
誰か作ってくれないかな。
2023年02月13日
ではパスタが黄色いのは?
小麦粉は白いから、それから作ったうどんや素麺も白い。
なのに中華麺が黄色いのは卵が入っているからだと思っていたら、
そうではなく「かん水」=アルカリ性の塩水で生地を練る時に、
小麦に含まれるフラボノイド系色素が化学反応を起こして発色して黄色くなる。
ーーーというのが前回に書いた内容。
ではスパゲッティをはじめとするパスタはどうなんだ?が次の疑問。
中華麺の黄色系とはやや色味が違うけれど、明らかに小麦粉の白とは違う。
まさかイタリアで「かん水」は使っていないはず。
中華麺ほどは疑問に思っていなかったものの、ついでに調べてみたら、
これはパスタに使われている小麦が白ではなく黄色いからと分かった。
その小麦とはデュラムセモリナ。
何となく昔から聞き覚えのある言葉。
デュラムが小麦の品種名で、セモリナとは粗挽きとの意味。だからデュラムセモリナとは「粗挽きのデュラム種の小麦粉」。画像検索の写真で見ると、確かにやや黄色っぽい。これはニンジンやトマトなどと同じカロテノイド系色素を含んでいるため。
話はそれるが無料の写真サイトで小麦粉の写真を探していたら、こんなのを見つけた。この小麦は真っ白じゃないか。カメラマンはデュラムセモリナのことを知らなかったんだろうな。別に知らなくてもいい知識とはいえ、知らなきゃ知らないで、思わぬところで恥をかく場合もあるものだ。
イタリアでは乾燥パスタは、このデュラムセモリナと水だけで製造しなければいけないとの法律があるらしい。ところで一般に小麦粉には次の分類がある。
薄力粉:軟質小麦:ケーキ、お菓子、お好み焼き、天ぷら、素麺など
中力粉:中間質小麦:うどん、フランスパンのような固いパンなど
強力粉:硬質小麦:食パンのような柔らかいパン、餃子の皮、中華麺、ピザなど
へえ〜、素麺とうどんと中華麺では小麦の種類も違っていたんだ。軟質〜硬質は粒の固さと思われるが、小麦粉のグルテン(タンパク質)含有量でも区別されている。
薄力粉:軟質小麦:グルテン8.5%以下
中力粉:中間質小麦:グルテン9%前後
強力粉:硬質小麦:グルテン12%以上
8.5%以下と9%前後って微妙な気もするがーーー
デュラム小麦のグルテン含有量は強力粉と同じ程度だが、性質が異なり「伸びにくく歯切れがよい」のだそうだ。またとても固いので粗挽き(セモリナ)以外には挽けないとされる。だからデュラム小麦は常にデュラムセモリナ。(小麦でも粗挽きの対義語は細挽きなのかな?)
ところでグルテンって、近頃はグルテンフリーなんて言葉をよく聞く。当然グルテンが含まれていないとの意味である。それが取り沙汰されるということはグルテンは身体に悪いのだろうか。食品アレルギーみたいなもので、異常が起きなければ関係ないと思っているのだが。パンやパスタが食べられなくなると困るので調べていない(^^ゞ
ーーー続く
なのに中華麺が黄色いのは卵が入っているからだと思っていたら、
そうではなく「かん水」=アルカリ性の塩水で生地を練る時に、
小麦に含まれるフラボノイド系色素が化学反応を起こして発色して黄色くなる。
ーーーというのが前回に書いた内容。
ではスパゲッティをはじめとするパスタはどうなんだ?が次の疑問。
中華麺の黄色系とはやや色味が違うけれど、明らかに小麦粉の白とは違う。
まさかイタリアで「かん水」は使っていないはず。
中華麺ほどは疑問に思っていなかったものの、ついでに調べてみたら、
これはパスタに使われている小麦が白ではなく黄色いからと分かった。
その小麦とはデュラムセモリナ。
何となく昔から聞き覚えのある言葉。
デュラムが小麦の品種名で、セモリナとは粗挽きとの意味。だからデュラムセモリナとは「粗挽きのデュラム種の小麦粉」。画像検索の写真で見ると、確かにやや黄色っぽい。これはニンジンやトマトなどと同じカロテノイド系色素を含んでいるため。
話はそれるが無料の写真サイトで小麦粉の写真を探していたら、こんなのを見つけた。この小麦は真っ白じゃないか。カメラマンはデュラムセモリナのことを知らなかったんだろうな。別に知らなくてもいい知識とはいえ、知らなきゃ知らないで、思わぬところで恥をかく場合もあるものだ。
イタリアでは乾燥パスタは、このデュラムセモリナと水だけで製造しなければいけないとの法律があるらしい。ところで一般に小麦粉には次の分類がある。
薄力粉:軟質小麦:ケーキ、お菓子、お好み焼き、天ぷら、素麺など
中力粉:中間質小麦:うどん、フランスパンのような固いパンなど
強力粉:硬質小麦:食パンのような柔らかいパン、餃子の皮、中華麺、ピザなど
へえ〜、素麺とうどんと中華麺では小麦の種類も違っていたんだ。軟質〜硬質は粒の固さと思われるが、小麦粉のグルテン(タンパク質)含有量でも区別されている。
薄力粉:軟質小麦:グルテン8.5%以下
中力粉:中間質小麦:グルテン9%前後
強力粉:硬質小麦:グルテン12%以上
8.5%以下と9%前後って微妙な気もするがーーー
デュラム小麦のグルテン含有量は強力粉と同じ程度だが、性質が異なり「伸びにくく歯切れがよい」のだそうだ。またとても固いので粗挽き(セモリナ)以外には挽けないとされる。だからデュラム小麦は常にデュラムセモリナ。(小麦でも粗挽きの対義語は細挽きなのかな?)
ところでグルテンって、近頃はグルテンフリーなんて言葉をよく聞く。当然グルテンが含まれていないとの意味である。それが取り沙汰されるということはグルテンは身体に悪いのだろうか。食品アレルギーみたいなもので、異常が起きなければ関係ないと思っているのだが。パンやパスタが食べられなくなると困るので調べていない(^^ゞ
ーーー続く
2023年02月11日
黄色いのは「かん水」のせいだった
うどんも素麺も中華麺も原材料は小麦である。
その小麦粉は白い。
だからうどんも素麺も白い。
なのに中華麺が黄色いのは?
それをずっと卵が入っているからだと思っていた。
小麦粉に卵を入れて生地を作るのはお菓子で知っていたし、
どんなものかよく理解していなかったが卵麺という麺もある。
卵麺は普通の中華麺より多くの卵が入った味の濃い中華麺との認識だった。
しかし結論を言うと中華麺が黄色いのは
「かん水」を使って小麦粉を練っているから
との事実を少し前に知る。
写真はhttp://kannoseimenjo.com/nama-chuka/3380/から引用
「かん水」って言葉としてはたまに聞くものの、豆腐を作る時に使う「にがり」と同じように何となく正体不明の液体。中華麺も豆腐も自分で作ったりしないから、今まで調べもしなかった。
とりあえずアウトラインを書いておくと、
はるか昔(いつの頃か不明)中国(モンゴルとの説もある)で
塩湖の水で麺を作ったらおいしいことが発見される。
そこからいろいろ進化して、現在は炭酸ナトリウムや炭酸カルシウムを
主成分としたアルカリ塩水を「かん水」と呼んでいる。
塩だけだと中性だから、塩&アルカリ性なのがキモなのだろう。
原材料の炭酸ナトリウムや炭酸カルシウムの言葉は知っていても、具体的には?なので、結局のところ「かん水」についてもよく分からずじまい。とりあえずアルカリ性を持たせた塩水ということにしておこう(^^ゞ
なお炭酸ナトリウムや炭酸カルシウムは炭酸塩と呼ばれる塩の一種。
いわゆる食塩は塩化ナトリウムで、こちらは中性。
また「かん水」には梘水、鹹水、乾水、漢水、鹸水、礆水、鹻水、堿水、碱水と実にたくさんの漢字がある。
そのかん水のアルカリ性は、小麦粉のグルテン(タンパク質)に収縮作用を及ぼし弾力性、コシや延び(茹ですぎて伸びるとは違う意味)が増す。塩はコシを作るが、延びはアルカリ性によるものらしい。意識はしていなかったが言われてみれば、うどん(食塩水だけでこねる)と較べて中華麺は延びる食感があるかな。焼きそばで特に感じる気もする。
ちなみに中華麺業界では延びることをアシといい、しなやかな麺を「足がある」「足が長い」などと表現する。足腰の両立が製麺所のウデの見せ所とついシャレが(^^ゞ
そしてである。
小麦に含まれるフラボノイド系色素がアルカリ、つまり「かん水」と接すると淡い黄色に発色する。いわゆる化学反応。これが中華麺が黄色い理由。だから中華麺が黄色いのはかん水によるもの。
これって広く知られているのかなあ。
だからどうした?という内容ではあるとしても、
私にとってはけっこうビックリな発見だった。
漠然と理解しているようで、実は勘違いしていることはたくさんある気がする。
あれこれ補足しておくと、
かん水による発色はごく淡いので、
ほとんどの中華麺は着色料でより濃く色づけされている。
卵麺は以下の目的で卵を使う。
卵のタンパク質と小麦粉のグルテン(タンパク質)の相乗効果で麺に
より弾力をもたらす
卵の黄色で発色もよくなる
(味は関係なかったーーー)
卵麺と名乗れるのは小麦粉に対して5%以上の卵を使っている麺だけ。
卵麺でなくても「つなぎ」として卵を少量使用する場合があるが、
多くの中華麺に卵は入っていない。
冷やし中華は特に黄色い麺が好まれるので卵麺がよく使われる。
安い店なら着色料たっぷりの麺かも(/o\)
ところで冷やし中華がラーメンより黄色いって、言われてみればそうだけれど
それを認識している人ってどれくらいいるのだろう。
中華麺と書いたが、これは日本国内の話。
中国で食べられている麺のすべてにかん水が使われているわけではない。
伝統的な製法の沖縄そばは、かん水の代わりに木の灰を水に溶かした
上澄み液=アルカリ性を使う。
また本格的な長崎チャンポンは唐灰汁(とうあく)と呼ばれる
普通のかん水とはやや異なるものが使われる。
ーーー続く
その小麦粉は白い。
だからうどんも素麺も白い。
なのに中華麺が黄色いのは?
それをずっと卵が入っているからだと思っていた。
小麦粉に卵を入れて生地を作るのはお菓子で知っていたし、
どんなものかよく理解していなかったが卵麺という麺もある。
卵麺は普通の中華麺より多くの卵が入った味の濃い中華麺との認識だった。
しかし結論を言うと中華麺が黄色いのは
「かん水」を使って小麦粉を練っているから
との事実を少し前に知る。
写真はhttp://kannoseimenjo.com/nama-chuka/3380/から引用
「かん水」って言葉としてはたまに聞くものの、豆腐を作る時に使う「にがり」と同じように何となく正体不明の液体。中華麺も豆腐も自分で作ったりしないから、今まで調べもしなかった。
とりあえずアウトラインを書いておくと、
はるか昔(いつの頃か不明)中国(モンゴルとの説もある)で
塩湖の水で麺を作ったらおいしいことが発見される。
そこからいろいろ進化して、現在は炭酸ナトリウムや炭酸カルシウムを
主成分としたアルカリ塩水を「かん水」と呼んでいる。
塩だけだと中性だから、塩&アルカリ性なのがキモなのだろう。
原材料の炭酸ナトリウムや炭酸カルシウムの言葉は知っていても、具体的には?なので、結局のところ「かん水」についてもよく分からずじまい。とりあえずアルカリ性を持たせた塩水ということにしておこう(^^ゞ
なお炭酸ナトリウムや炭酸カルシウムは炭酸塩と呼ばれる塩の一種。
いわゆる食塩は塩化ナトリウムで、こちらは中性。
また「かん水」には梘水、鹹水、乾水、漢水、鹸水、礆水、鹻水、堿水、碱水と実にたくさんの漢字がある。
そのかん水のアルカリ性は、小麦粉のグルテン(タンパク質)に収縮作用を及ぼし弾力性、コシや延び(茹ですぎて伸びるとは違う意味)が増す。塩はコシを作るが、延びはアルカリ性によるものらしい。意識はしていなかったが言われてみれば、うどん(食塩水だけでこねる)と較べて中華麺は延びる食感があるかな。焼きそばで特に感じる気もする。
ちなみに中華麺業界では延びることをアシといい、しなやかな麺を「足がある」「足が長い」などと表現する。足腰の両立が製麺所のウデの見せ所とついシャレが(^^ゞ
そしてである。
小麦に含まれるフラボノイド系色素がアルカリ、つまり「かん水」と接すると淡い黄色に発色する。いわゆる化学反応。これが中華麺が黄色い理由。だから中華麺が黄色いのはかん水によるもの。
これって広く知られているのかなあ。
だからどうした?という内容ではあるとしても、
私にとってはけっこうビックリな発見だった。
漠然と理解しているようで、実は勘違いしていることはたくさんある気がする。
あれこれ補足しておくと、
かん水による発色はごく淡いので、
ほとんどの中華麺は着色料でより濃く色づけされている。
卵麺は以下の目的で卵を使う。
卵のタンパク質と小麦粉のグルテン(タンパク質)の相乗効果で麺に
より弾力をもたらす
卵の黄色で発色もよくなる
(味は関係なかったーーー)
卵麺と名乗れるのは小麦粉に対して5%以上の卵を使っている麺だけ。
卵麺でなくても「つなぎ」として卵を少量使用する場合があるが、
多くの中華麺に卵は入っていない。
冷やし中華は特に黄色い麺が好まれるので卵麺がよく使われる。
安い店なら着色料たっぷりの麺かも(/o\)
ところで冷やし中華がラーメンより黄色いって、言われてみればそうだけれど
それを認識している人ってどれくらいいるのだろう。
中華麺と書いたが、これは日本国内の話。
中国で食べられている麺のすべてにかん水が使われているわけではない。
伝統的な製法の沖縄そばは、かん水の代わりに木の灰を水に溶かした
上澄み液=アルカリ性を使う。
また本格的な長崎チャンポンは唐灰汁(とうあく)と呼ばれる
普通のかん水とはやや異なるものが使われる。
ーーー続く
2023年02月08日
受験シーズンに思うこと
数日前にある駅の前を通りかかったらとても混雑していた。
大学が近くにある駅なので入学試験の日だったのだろう。
ちょうど今頃は私立大学の受験シーズン。
学生時代もすっかり昔の話になってしまったので、 昨今の受験事情についてはまったく疎い。共通1次→センター試験→共通テストと変遷した試験は私立でも利用されているようだし、AO入試もどのようなものかよく知らないうちに総合型選抜に名前が変わった。
2021年のデータによると、その総合型選抜(当時はAO入試)の入学者が全体に占める割合は国公私トータルで10.4%、また推薦入試の入学者数は同じく38.4%となっている。合計すれば48.8%で約半分。私立に限れば56.5%にも達する。つまり普通の入試(今は一般選抜と呼ばれている)を受ける受験生は半分しかいないわけだから、ずいぶんと様変わりしているのは間違いない。
まっ、もう受験することはないのでどうでもいいけど(^^ゞ
ただし共通1次は1979年、AO入試は1990年から始まって、それぞれ30年〜40年以上の歴史がある。どんな目的やいきさつでこの制度が始まったのかは承知していないものの、それらが学生や大学、ひいては日本社会にどのような変化や影響をもたらしたのかには興味がある。それを検証したような研究ってあるのかな?
さて駅前にいた受験生を目にしたら、
以前に思い浮かんだ疑問を思い出した。
芸術大学と呼ばれる大学がある。多くは美術学部と音楽学部が併設されている。どちらかに特化したものが美大や音大。これらの大学ではいわゆる座学の授業もあるだろうが、絵を描いたり彫刻を作ったり、楽器を演奏したり歌ったりと創作や実習が中心。学科によっては作曲もする。
一方で普通の大学には文学部がある。歴史や哲学の学科が文学部に含まれる大学もあるが、ここで意味しているのは文学部文学科としての文学部。そして文学も同じ芸術なのに、美術や音楽と違って、なぜか文学部の授業で学生は小説や詩や戯曲を書いたりしない。
どうして?
この違いはなぜ生まれた?
この話にオチや結論はない。
単に疑問として持っているだけ。
ただ思うのは講義を受けるだけの授業よりも、実習のある授業の方が楽しいし、それによってその学問がより身につくはずだということ。ちなみに私は法学部だったけれど、法学部の授業とは
法律があって、
それによってさばかれた裁判の判決があって、
その判決(判例と呼ばれる)を論評した学説
を学ぶのがメイン。まったくクリエイティブな要素がない。そして、その裁判も二十歳前後の者にとって身近に感じられるテーマのものはほとんどないから、実に勉強として退屈なわけで(/o\)
これがもし「憲法をいちから作り直す」とか「最近に起きた社会的な出来事に対応する法律を考える」とか、あるいは「裁判官、検事、弁護士、ついでに裁判を報じるマスコミにも分かれて模擬裁判をする」なんて授業も多少あれば、もっと勉強に身が入って弁護士にでもなったかも知れないのに(^^ゞ
入試制度をいじるより、大学での教育の在り方を考えた方がいいように思えたり。
大学が近くにある駅なので入学試験の日だったのだろう。
ちょうど今頃は私立大学の受験シーズン。
学生時代もすっかり昔の話になってしまったので、 昨今の受験事情についてはまったく疎い。共通1次→センター試験→共通テストと変遷した試験は私立でも利用されているようだし、AO入試もどのようなものかよく知らないうちに総合型選抜に名前が変わった。
2021年のデータによると、その総合型選抜(当時はAO入試)の入学者が全体に占める割合は国公私トータルで10.4%、また推薦入試の入学者数は同じく38.4%となっている。合計すれば48.8%で約半分。私立に限れば56.5%にも達する。つまり普通の入試(今は一般選抜と呼ばれている)を受ける受験生は半分しかいないわけだから、ずいぶんと様変わりしているのは間違いない。
まっ、もう受験することはないのでどうでもいいけど(^^ゞ
ただし共通1次は1979年、AO入試は1990年から始まって、それぞれ30年〜40年以上の歴史がある。どんな目的やいきさつでこの制度が始まったのかは承知していないものの、それらが学生や大学、ひいては日本社会にどのような変化や影響をもたらしたのかには興味がある。それを検証したような研究ってあるのかな?
さて駅前にいた受験生を目にしたら、
以前に思い浮かんだ疑問を思い出した。
芸術大学と呼ばれる大学がある。多くは美術学部と音楽学部が併設されている。どちらかに特化したものが美大や音大。これらの大学ではいわゆる座学の授業もあるだろうが、絵を描いたり彫刻を作ったり、楽器を演奏したり歌ったりと創作や実習が中心。学科によっては作曲もする。
一方で普通の大学には文学部がある。歴史や哲学の学科が文学部に含まれる大学もあるが、ここで意味しているのは文学部文学科としての文学部。そして文学も同じ芸術なのに、美術や音楽と違って、なぜか文学部の授業で学生は小説や詩や戯曲を書いたりしない。
どうして?
この違いはなぜ生まれた?
この話にオチや結論はない。
単に疑問として持っているだけ。
ただ思うのは講義を受けるだけの授業よりも、実習のある授業の方が楽しいし、それによってその学問がより身につくはずだということ。ちなみに私は法学部だったけれど、法学部の授業とは
法律があって、
それによってさばかれた裁判の判決があって、
その判決(判例と呼ばれる)を論評した学説
を学ぶのがメイン。まったくクリエイティブな要素がない。そして、その裁判も二十歳前後の者にとって身近に感じられるテーマのものはほとんどないから、実に勉強として退屈なわけで(/o\)
これがもし「憲法をいちから作り直す」とか「最近に起きた社会的な出来事に対応する法律を考える」とか、あるいは「裁判官、検事、弁護士、ついでに裁判を報じるマスコミにも分かれて模擬裁判をする」なんて授業も多少あれば、もっと勉強に身が入って弁護士にでもなったかも知れないのに(^^ゞ
入試制度をいじるより、大学での教育の在り方を考えた方がいいように思えたり。
2023年02月03日
冬の散歩には秀吉が必要
普段の生活で歩く以外に「週に3回で合計3万歩」の散歩を、昨年の1月に自分へのノルマとして設定した。やむを得ぬ事情があって夏頃に3ヶ月ほど中止した時期があったが、その期間はサボったわけじゃないのでカウント外として(ズルい)、メデタク1年間継続達成!
最近は外出先から歩いて帰ってくることも多い。おかげでPASMO(ICカードの乗車券)残高の減りが遅くて助かる。ただこの程度の運動強度では体重・体型に特に効果が感じられないのが残念なところ。それでも何となく調子いいかな。
ところで先ほど玄関で数えたら、この1年間に9足も靴を買っていた(^^ゞ 内訳はいわゆるスニーカーが6足、ランニングシューズが3足。最初は単に雰囲気だけで選んでいたが、今は情報量と経験値が増えたので、これからスニーカー&ランニングシューズについて色々とブログに書くだろう。今回は1回目にしていきなり番外編的内容。
昨年の終わり近くに購入したのが、サロモンのGLIDE MAXというランニングシューズ。これは厚みのあるソール(靴底)が抜群にソフトで気に入っている。感触を言葉で表現するのは難しいものの、まるで分厚いマシュマロを踏みつけているような履き心地(チョット大げさ)。あまりに気に入ったのでこの1ヶ月ほどはこればかりを履いていた。
それで先日、たまには違う靴で出かけるかと履いたのが、
ナイキのJORDAN AIR 200Eというスニーカー。
歩き始めるとソールがやたら固い。最初はGLIDE MAXのマシュマロソールに慣れてしまったので固く感じるのかとも考えた。しかし記憶にあるこの靴の履き心地とはあまりにも違う感触なのである。この靴だって踵のところに空気層があって、GLIDE MAXとはレベルが違うものの、ジワーッと沈み込むような履き心地のよさがあったはずなのに。
しかし、しばらく歩くうちに少し柔らかくなってきた。それで冬の気温の低さでソールが硬化していたと判明。結局、足のぬくもりがソールを温めて、オリジナルの履き心地を回復するまで1時間弱ほど掛かった。
後日、何足かを試し履きしてみた。多少ソールが固く感じられる靴もあったが、このJORDAN AIR 200Eほど固く、また回復に時間が掛かるものはなかった。同じような構造を持つ別のJORDAN AIRも持っているが、このように固くなってはいない。
理由はよく分からないが、とにかくJORDAN AIR 200Eは寒さが苦手なようで。そんなスニーカーがあるとは新発見。秀吉は信長の草履を懐に入れて温めていたらしいが、私も秀吉を家来に欲しいものだ(^^ゞ
最近は外出先から歩いて帰ってくることも多い。おかげでPASMO(ICカードの乗車券)残高の減りが遅くて助かる。ただこの程度の運動強度では体重・体型に特に効果が感じられないのが残念なところ。それでも何となく調子いいかな。
ところで先ほど玄関で数えたら、この1年間に9足も靴を買っていた(^^ゞ 内訳はいわゆるスニーカーが6足、ランニングシューズが3足。最初は単に雰囲気だけで選んでいたが、今は情報量と経験値が増えたので、これからスニーカー&ランニングシューズについて色々とブログに書くだろう。今回は1回目にしていきなり番外編的内容。
昨年の終わり近くに購入したのが、サロモンのGLIDE MAXというランニングシューズ。これは厚みのあるソール(靴底)が抜群にソフトで気に入っている。感触を言葉で表現するのは難しいものの、まるで分厚いマシュマロを踏みつけているような履き心地(チョット大げさ)。あまりに気に入ったのでこの1ヶ月ほどはこればかりを履いていた。
それで先日、たまには違う靴で出かけるかと履いたのが、
ナイキのJORDAN AIR 200Eというスニーカー。
歩き始めるとソールがやたら固い。最初はGLIDE MAXのマシュマロソールに慣れてしまったので固く感じるのかとも考えた。しかし記憶にあるこの靴の履き心地とはあまりにも違う感触なのである。この靴だって踵のところに空気層があって、GLIDE MAXとはレベルが違うものの、ジワーッと沈み込むような履き心地のよさがあったはずなのに。
しかし、しばらく歩くうちに少し柔らかくなってきた。それで冬の気温の低さでソールが硬化していたと判明。結局、足のぬくもりがソールを温めて、オリジナルの履き心地を回復するまで1時間弱ほど掛かった。
後日、何足かを試し履きしてみた。多少ソールが固く感じられる靴もあったが、このJORDAN AIR 200Eほど固く、また回復に時間が掛かるものはなかった。同じような構造を持つ別のJORDAN AIRも持っているが、このように固くなってはいない。
理由はよく分からないが、とにかくJORDAN AIR 200Eは寒さが苦手なようで。そんなスニーカーがあるとは新発見。秀吉は信長の草履を懐に入れて温めていたらしいが、私も秀吉を家来に欲しいものだ(^^ゞ
2023年02月01日
ヨーグルトも常温に温めてみた
シリアルには牛乳をかけて食べる。
でも冬だと牛乳は冷たい。
温めたいわゆるホットミルクとシリアルの組み合わせは?な感じがする。
そうだ!牛乳を温かくするのではなく、
冷蔵庫で冷えているのを常温に戻る程度に加熱すればいいんだ!
という話を以前に書いた。
もうひとつ冬の朝食には冷たくて困るものがある。
それはヨーグルト。
今回はそれを常温程度に温めてみた。
実はシリアル用の牛乳を温めた時、既にこれを思いついていた。なのに同時期に試さなかったのは、ヨーグルトを食べる時はトーストと一緒で、そちらの温かさに紛れて何とかなっていたから。でも冷たいのは冷たいわけで、2ヶ月遅れでようやく実験。
いつも食べているのはこの小岩井の生乳100%ヨーグルトで、ブログに画像を張るため初めてパッケージをじっくり見た。この商品は生乳を「せいにゅう」ではなく「なまにゅう」と読ませるんだ。「なま」と訓読みするなら「なまちち」がセオリーだと思うけど(^^ゞ
ちなみに生乳とは加熱殺菌などの処置を何も加えていない乳を指す。生乳を加熱殺菌して「牛乳」という商品になる。加熱殺菌していない生乳の販売は法律で禁止されているから、たとえ牧場で乳搾り体験をしても飲むことはできない。ヨーグルトは製造段階で加熱殺菌されるからいいのだろう。
だとしたらこの生乳100%とは少々紛らわしい表現。このヨーグルトは「火を入れていない生モノ」ではないのだから。加熱殺菌されている牛乳だって原材料は生乳100%である(成分無調整の普通の牛乳の場合)。ウソはついていないから優良誤認とはならないにしても、消費者の生乳についての知識のなさを巧みに利用している疑いがなきにしもあらず。
なお明治ブルガリアヨーグルトや森永ビヒダスヨーグルトなどは、原材料名として「生乳、乳製品」と書かれている。乳製品も原材料は生乳なので話はさらにややこしくなる。それにしても、この小岩井の「生乳100%」は何がありがたいのだろうか。価格はブルガリアやビヒダスが160〜170円前後なのに対して、小岩井のは250円ほどする。
そんな疑問はあっても、このヨーグルトを好んでいるのはブルガリアやビヒダスと較べて酸っぱくないから。それはおそらく生乳100%とは関係なくて、使っている乳酸菌などの違いだと思う。逆に他のヨーグルトはどうして酸っぱく仕上げているのか不思議。2008年頃に廃止となったが、それ以前はプレーンヨーグルトに砂糖をつけて売られていた。そんなことをするくらいなら酸味を抑えろよと思ってしまう。
またパッケージに「そのなめらかさ最高級」と書かれている。確かにトロトロと滑らかな口当たりは他のヨーグルトとは違う。しかし言い方を変えれば、普通のプレーンヨーグルトと、飲むヨーグルトの中間的な感じではある。小岩井の酸っぱくないのは気に入っているものの、食感的には普通のプレーンヨーグルトのほうが好み。なかなか私のニーズにピッタリのヨーグルトを作ってくれるメーカーがなくて困る(^^ゞ
さてようやく本題。
私が食べる量は容器半分。だから200gほど。それをボールに移し替えて電子レンジで30秒。まだちょっと冷たい感じがしたのでプラス10秒加熱した。温度は測っていないが25度前後だと思う。
冷たさがとれていい感じで食べられた。ただしシリアルのときは「これで冬でもシリアルを食べられる」と喜んだが、先ほど書いたように冬でもトーストと一緒に冷たいままでヨーグルトは食べていたから、前回ほどの感激はなかった。
なお温めると若干ではあるが酸味が増す。
私の場合はいつも缶詰のフルーツなどを入れるので特に影響なし。
また調べたところによると
冷たいヨーグルトは腸を冷やすので、温めた方がカルシウムなどの吸収率がよくなる。
ヨーグルトに含まれる乳酸菌やビフィズス菌などの動きも温めると活発になる。
ただし50度以上にすると乳酸菌やビフィズス菌は死滅してしまう。
ーーーらしい。まあヨーグルトに含まれている乳酸菌は胃液などでほとんどが死ぬのだけれど。もっとも死んだ乳酸菌も腸内の善玉菌のエサになる=善玉菌が増えるのがヨーグルトが健康にいいと言われる由縁。だから寒がりの人はもっと加熱してもいいかも。
とりあえず冬でもたくさんヨーグルトを食べて「腸活」したい人は、
温めると食べやすいですよ。
<2月5日追記>
温度を測ってみた
冷蔵庫から取り出したヨーグルトの温度は10.6度
容器の半分、約200gを電子レンジで40秒加熱すると24.7度
さらに20秒を追加で加熱したら31.6度
でも冬だと牛乳は冷たい。
温めたいわゆるホットミルクとシリアルの組み合わせは?な感じがする。
そうだ!牛乳を温かくするのではなく、
冷蔵庫で冷えているのを常温に戻る程度に加熱すればいいんだ!
という話を以前に書いた。
もうひとつ冬の朝食には冷たくて困るものがある。
それはヨーグルト。
今回はそれを常温程度に温めてみた。
実はシリアル用の牛乳を温めた時、既にこれを思いついていた。なのに同時期に試さなかったのは、ヨーグルトを食べる時はトーストと一緒で、そちらの温かさに紛れて何とかなっていたから。でも冷たいのは冷たいわけで、2ヶ月遅れでようやく実験。
いつも食べているのはこの小岩井の生乳100%ヨーグルトで、ブログに画像を張るため初めてパッケージをじっくり見た。この商品は生乳を「せいにゅう」ではなく「なまにゅう」と読ませるんだ。「なま」と訓読みするなら「なまちち」がセオリーだと思うけど(^^ゞ
ちなみに生乳とは加熱殺菌などの処置を何も加えていない乳を指す。生乳を加熱殺菌して「牛乳」という商品になる。加熱殺菌していない生乳の販売は法律で禁止されているから、たとえ牧場で乳搾り体験をしても飲むことはできない。ヨーグルトは製造段階で加熱殺菌されるからいいのだろう。
だとしたらこの生乳100%とは少々紛らわしい表現。このヨーグルトは「火を入れていない生モノ」ではないのだから。加熱殺菌されている牛乳だって原材料は生乳100%である(成分無調整の普通の牛乳の場合)。ウソはついていないから優良誤認とはならないにしても、消費者の生乳についての知識のなさを巧みに利用している疑いがなきにしもあらず。
なお明治ブルガリアヨーグルトや森永ビヒダスヨーグルトなどは、原材料名として「生乳、乳製品」と書かれている。乳製品も原材料は生乳なので話はさらにややこしくなる。それにしても、この小岩井の「生乳100%」は何がありがたいのだろうか。価格はブルガリアやビヒダスが160〜170円前後なのに対して、小岩井のは250円ほどする。
そんな疑問はあっても、このヨーグルトを好んでいるのはブルガリアやビヒダスと較べて酸っぱくないから。それはおそらく生乳100%とは関係なくて、使っている乳酸菌などの違いだと思う。逆に他のヨーグルトはどうして酸っぱく仕上げているのか不思議。2008年頃に廃止となったが、それ以前はプレーンヨーグルトに砂糖をつけて売られていた。そんなことをするくらいなら酸味を抑えろよと思ってしまう。
またパッケージに「そのなめらかさ最高級」と書かれている。確かにトロトロと滑らかな口当たりは他のヨーグルトとは違う。しかし言い方を変えれば、普通のプレーンヨーグルトと、飲むヨーグルトの中間的な感じではある。小岩井の酸っぱくないのは気に入っているものの、食感的には普通のプレーンヨーグルトのほうが好み。なかなか私のニーズにピッタリのヨーグルトを作ってくれるメーカーがなくて困る(^^ゞ
さてようやく本題。
私が食べる量は容器半分。だから200gほど。それをボールに移し替えて電子レンジで30秒。まだちょっと冷たい感じがしたのでプラス10秒加熱した。温度は測っていないが25度前後だと思う。
冷たさがとれていい感じで食べられた。ただしシリアルのときは「これで冬でもシリアルを食べられる」と喜んだが、先ほど書いたように冬でもトーストと一緒に冷たいままでヨーグルトは食べていたから、前回ほどの感激はなかった。
なお温めると若干ではあるが酸味が増す。
私の場合はいつも缶詰のフルーツなどを入れるので特に影響なし。
また調べたところによると
冷たいヨーグルトは腸を冷やすので、温めた方がカルシウムなどの吸収率がよくなる。
ヨーグルトに含まれる乳酸菌やビフィズス菌などの動きも温めると活発になる。
ただし50度以上にすると乳酸菌やビフィズス菌は死滅してしまう。
ーーーらしい。まあヨーグルトに含まれている乳酸菌は胃液などでほとんどが死ぬのだけれど。もっとも死んだ乳酸菌も腸内の善玉菌のエサになる=善玉菌が増えるのがヨーグルトが健康にいいと言われる由縁。だから寒がりの人はもっと加熱してもいいかも。
とりあえず冬でもたくさんヨーグルトを食べて「腸活」したい人は、
温めると食べやすいですよ。
<2月5日追記>
温度を測ってみた
冷蔵庫から取り出したヨーグルトの温度は10.6度
容器の半分、約200gを電子レンジで40秒加熱すると24.7度
さらに20秒を追加で加熱したら31.6度