2023年03月
2023年03月30日
今年こそ六義園でしだれ桜 その4
少しうっそうとしたところを歩いて、
また池の畔に出る。
吹上茶屋のあたりに、
今が盛りのユキヤナギや、
咲き始めたソメイヨシノがあった。
ところで、
かつてソメイヨシノは、六義園もある駒込一帯が染井村と呼ばれていた江戸時代に、この地の植木職人が交配させて生み出したとするのが定説だった。染井村は植木職人が多く住む園芸が盛んな地域だったらしい。サクラの代名詞だった奈良の吉野山に咲くサクラ(山桜)とは明らかに違うので、区別するために染井吉野と名付けたとされる。
そして全国にあるソメイヨシノはすべて接ぎ木で増やされている。つまり同じ遺伝子を持つクローン。だから各地(同じ気象条件エリア)で一斉に咲く。
しかし何年か前にDNA解析の結果、今も上野公園に存在している1本のソメイヨシノがその原木との研究結果(仮説)が発表された。上野公園と駒込とは4キロほど離れている。染井村が本家と名乗れるかどうかには実に微妙な距離。染井村の植木職人が上野公園(当時は寛永寺の境内)で栽培したとの説もあるものの、原木とされた上野公園のソメイヨシノの樹齢は推定で70〜100年。だとすれば明治生まれだから江戸時代の染井村で誕生したとの説は捏造だったことになる。ただし正確な樹齢は切り倒して年輪を数えないと分からないようだ。
なので今もソメイヨシノのルーツについて確定的な結論には至っておらず、さらに研究が進められている。ロマンがあるような別にどうでもいいような(^^ゞ
池の向こうに白い花を咲かせている木が見える。
枝垂れてはいないがあれもサクラ? ここからではよく分からない。
池を回り込んで吹上茶屋の対岸。
近づいてみると、この白い花はコブシのようだ。
真逆光で霞んだ写真をフォトショで補正したら、
ラスボスみたいな姿になってしまった。
道を少し引き返して滝見茶屋。
しかし滝などどこにもない。
どうやらこの落差10センチほどの水流ふたつを滝に見立てているみたいだ(>_<)
引き返したのは滝見茶屋が目的ではなく、この尋芳径に入るため。
尋芳は「はなとふ」ではなく一般的には「じんほう」と読む。芳は香りでそれを尋ねる。香り=花だから花を尋ねる・探すなどの意味。いい匂いのするオネエチャン(遊女)を求める暗喩とする説もある(^^ゞ
季節的にまだ花は何もなく、この変わった新芽が目立った程度。
これはアオキという植物だと思う。
尋ねていたものが見えてきた!
これは六義園の第2のしだれ桜と呼ばれている。
ということは前回に書いたメインのしだれ桜の隣にあるしだれ桜は、
モノの数にも入っていないのか? ますますオキノドク(/o\)
その「名もなきしだれ桜」と同じように、枝はあまり横に張らずに背丈だけが伸びたような姿。しかし花数はこちらのほうが断然多い。
メインのしだれ桜と較べれば、あちらが圧倒的に素晴らしいので見劣りするのは確か。枝が短いというか枝垂れ度合いが少ないというか。でもこれが単独で存在していたなら、それなりに評されるのではないか。
それにしても、ここまで来る人はメインを見ている人の数十分の一ほどか。
(1)第2のしだれ桜を知らない
(2)ここまで歩いてくるのが面倒
(3)メインのしだれ桜だけで充分
園内を散策している人と較べても、この周りは人が少ないから(2)はないように思う。それと合わせて考えると(散策するなら、ここには来ない理由はないから)、やはり(1)が正解かな。もう少しアピールしてあげましょう。
さらに散策。
これは以前に紅葉を見に来たときにも書いた、周りにツツジの木があるからではなく、材木としてのツツジで建てられているつつじ茶屋。
その時に「ツツジって建材になるほど大きくなるのか?」と疑問に思ったが、その後は何も調べずじまい。今回もこのブログをアップしたらコロッと忘れてしまうに違いない(^^ゞ
なおつつじ茶屋や滝見茶屋は、吹上茶屋と違って飲食は提供しておらず東屋があるだけ。
流れそのそばを歩いたり、
クマザサの間を抜けたりして、
最初の地点に戻ってくる。
芝生の色が鮮やかな時期にも来たいもの。
そして、しだれ桜エリアに再び。
2回目は写真は撮らず、ひたすらサクラを眺めていた。
その甲斐あって、10日間たった今でもその光景が目に焼きついている。シアワセ
最後に正門に抜ける途中にある内庭大門からのぞき込んで。
何も知らず門を開けて、このしだれ桜があったらひっくり返るね。
正門エリアにあったバエ撮影用スポット。
あれっ?以前バイクに乗っている頃、
六義園は駐輪場がないから来るのを諦めたことがあるのに。
改めて公式ホームページをチェックしたら「駐車場はない」と書いてあるだけだった。バイクは自転車と一緒に駐輪場に駐められると書いてくれていたら、もっと何度も来ていたのに。不親切な表示である。
正門も染井門以上に大混雑。
この人たちは駒込駅ではなく、都営三田線の千石駅から来ているのだろうな。
最初の投稿で書いた染井門と同じよう、事前に入場券を買っていれば待ち時間ゼロで入れるのに、ほとんどの人が30分ほど並んでここで入場券を買っている。さてこの経験から学んで、次からは要領よく行動できる人がどれくらいいるかな? 入場券の必要な施設に出かけるなら、(混雑度合いにもよるが)事前購入できるかどうかはチェックしておくべき。スマホがあればこの門の前で「事前購入」もできるから、そういうITスキルを身につけましょう。
昨年は見損ねた六義園のしだれ桜。今年はベストなタイミングで訪れることができて、その素晴らしさを十二分に堪能した。江戸の二大庭園として何かとライバル視される小石川後楽園と較べて、小声で言うけれど(^^ゞ しだれ桜に限れば六義園が数倍以上に素晴らしいよ。是非とも見ておくべき東京のサクラ名所。
実はこの後、近くにある隠れたしだれ桜の名所も訪問した。
その話はいずれまた。
とりあえずおしまい
また池の畔に出る。
吹上茶屋のあたりに、
今が盛りのユキヤナギや、
咲き始めたソメイヨシノがあった。
ところで、
かつてソメイヨシノは、六義園もある駒込一帯が染井村と呼ばれていた江戸時代に、この地の植木職人が交配させて生み出したとするのが定説だった。染井村は植木職人が多く住む園芸が盛んな地域だったらしい。サクラの代名詞だった奈良の吉野山に咲くサクラ(山桜)とは明らかに違うので、区別するために染井吉野と名付けたとされる。
そして全国にあるソメイヨシノはすべて接ぎ木で増やされている。つまり同じ遺伝子を持つクローン。だから各地(同じ気象条件エリア)で一斉に咲く。
しかし何年か前にDNA解析の結果、今も上野公園に存在している1本のソメイヨシノがその原木との研究結果(仮説)が発表された。上野公園と駒込とは4キロほど離れている。染井村が本家と名乗れるかどうかには実に微妙な距離。染井村の植木職人が上野公園(当時は寛永寺の境内)で栽培したとの説もあるものの、原木とされた上野公園のソメイヨシノの樹齢は推定で70〜100年。だとすれば明治生まれだから江戸時代の染井村で誕生したとの説は捏造だったことになる。ただし正確な樹齢は切り倒して年輪を数えないと分からないようだ。
なので今もソメイヨシノのルーツについて確定的な結論には至っておらず、さらに研究が進められている。ロマンがあるような別にどうでもいいような(^^ゞ
池の向こうに白い花を咲かせている木が見える。
枝垂れてはいないがあれもサクラ? ここからではよく分からない。
池を回り込んで吹上茶屋の対岸。
近づいてみると、この白い花はコブシのようだ。
真逆光で霞んだ写真をフォトショで補正したら、
ラスボスみたいな姿になってしまった。
道を少し引き返して滝見茶屋。
しかし滝などどこにもない。
どうやらこの落差10センチほどの水流ふたつを滝に見立てているみたいだ(>_<)
引き返したのは滝見茶屋が目的ではなく、この尋芳径に入るため。
尋芳は「はなとふ」ではなく一般的には「じんほう」と読む。芳は香りでそれを尋ねる。香り=花だから花を尋ねる・探すなどの意味。いい匂いのするオネエチャン(遊女)を求める暗喩とする説もある(^^ゞ
季節的にまだ花は何もなく、この変わった新芽が目立った程度。
これはアオキという植物だと思う。
尋ねていたものが見えてきた!
これは六義園の第2のしだれ桜と呼ばれている。
ということは前回に書いたメインのしだれ桜の隣にあるしだれ桜は、
モノの数にも入っていないのか? ますますオキノドク(/o\)
その「名もなきしだれ桜」と同じように、枝はあまり横に張らずに背丈だけが伸びたような姿。しかし花数はこちらのほうが断然多い。
メインのしだれ桜と較べれば、あちらが圧倒的に素晴らしいので見劣りするのは確か。枝が短いというか枝垂れ度合いが少ないというか。でもこれが単独で存在していたなら、それなりに評されるのではないか。
それにしても、ここまで来る人はメインを見ている人の数十分の一ほどか。
(1)第2のしだれ桜を知らない
(2)ここまで歩いてくるのが面倒
(3)メインのしだれ桜だけで充分
園内を散策している人と較べても、この周りは人が少ないから(2)はないように思う。それと合わせて考えると(散策するなら、ここには来ない理由はないから)、やはり(1)が正解かな。もう少しアピールしてあげましょう。
さらに散策。
これは以前に紅葉を見に来たときにも書いた、周りにツツジの木があるからではなく、材木としてのツツジで建てられているつつじ茶屋。
その時に「ツツジって建材になるほど大きくなるのか?」と疑問に思ったが、その後は何も調べずじまい。今回もこのブログをアップしたらコロッと忘れてしまうに違いない(^^ゞ
なおつつじ茶屋や滝見茶屋は、吹上茶屋と違って飲食は提供しておらず東屋があるだけ。
流れそのそばを歩いたり、
クマザサの間を抜けたりして、
最初の地点に戻ってくる。
芝生の色が鮮やかな時期にも来たいもの。
そして、しだれ桜エリアに再び。
2回目は写真は撮らず、ひたすらサクラを眺めていた。
その甲斐あって、10日間たった今でもその光景が目に焼きついている。シアワセ
最後に正門に抜ける途中にある内庭大門からのぞき込んで。
何も知らず門を開けて、このしだれ桜があったらひっくり返るね。
正門エリアにあったバエ撮影用スポット。
あれっ?以前バイクに乗っている頃、
六義園は駐輪場がないから来るのを諦めたことがあるのに。
改めて公式ホームページをチェックしたら「駐車場はない」と書いてあるだけだった。バイクは自転車と一緒に駐輪場に駐められると書いてくれていたら、もっと何度も来ていたのに。不親切な表示である。
正門も染井門以上に大混雑。
この人たちは駒込駅ではなく、都営三田線の千石駅から来ているのだろうな。
最初の投稿で書いた染井門と同じよう、事前に入場券を買っていれば待ち時間ゼロで入れるのに、ほとんどの人が30分ほど並んでここで入場券を買っている。さてこの経験から学んで、次からは要領よく行動できる人がどれくらいいるかな? 入場券の必要な施設に出かけるなら、(混雑度合いにもよるが)事前購入できるかどうかはチェックしておくべき。スマホがあればこの門の前で「事前購入」もできるから、そういうITスキルを身につけましょう。
昨年は見損ねた六義園のしだれ桜。今年はベストなタイミングで訪れることができて、その素晴らしさを十二分に堪能した。江戸の二大庭園として何かとライバル視される小石川後楽園と較べて、小声で言うけれど(^^ゞ しだれ桜に限れば六義園が数倍以上に素晴らしいよ。是非とも見ておくべき東京のサクラ名所。
実はこの後、近くにある隠れたしだれ桜の名所も訪問した。
その話はいずれまた。
とりあえずおしまい
2023年03月29日
今年こそ六義園でしだれ桜 その3
前回まで写真をアップしてきたのは左側のしだれ桜。六義園のしだれ桜といえばこれ。ただしガイドブック的な情報ではあまり取り上げられていないけれど、その隣にもう1本しだれ桜がある。
こちらは横方向には枝が張らずにひょろ長い印象。まだ若い木なのか。いやこれだけの高さならそんなはずはないか。ちなみにメインのしだれ桜は樹齢約70年とのこと。しだれ桜は樹齢何百年のものがザラにあるから、まあそれと較べればまだ若木。
メインと同じ品種(江戸彼岸系のしだれらしい)に見えるが花数は少なかった。でもこの姿、日本画に描いたら素敵な作品になりそうじゃないか。
なのに誰もこちらのしだれ桜の写真を撮っていないし、眺めている人すらほとんどいなかった。おそらく来場者の目に入っていない(/o\) オキノドク
とは言いつつ、やはりメインのしだれ桜の咲きっぷりに見とれてしまう(^^ゞ
青空も明るくきれいでまさに春爛漫。
左側と下で別の木のように見えるが、
これがひとつのサクラなんだから、その大きさを推して知るべし。
このしだれ桜は樹高15m、最大幅20mとされる。樹齢70年の割りに大きいのは前回に書いたように3本のサクラを寄せ植えしたからと思われる。
しだれ桜の魅力は当たり前だけれど「しだれる」ところ。漢字で書くなら枝垂れる。まさに花びらが滝になった落ちてくるような姿は圧巻。
しだれ桜鑑賞を一旦終えて、六義園をブラブラ散策。
この門をくぐると、
日本庭園が広がっている。
ここでレンズを再度、35mm換算で15mm〜36mmの広角ズームに付け替える。
せっかく広々とした庭園なのだからレンズも広角の方がいいでしょうとの理由。
レンズを広角側にズームすれば確かに写る範囲は広くなる。ただしそれでいい風景写真になるかというと、そうじゃないのが写真の難しいところ。
これは35mm換算で36mmにしての撮影。
つまり広角ズームレンズの望遠側。
同じ場所で換算15mmの広角側にすると。
広く撮ればすべてよしではないのだ。
理由はいろいろあるだろうが、
被写体までの距離が充分あるので換算36mmでも充分な画角が得られている。
換算15mmは人間の目の視野角を超えているので不自然に感じる。
広角レンズにするほど左右が広く写るが、上下にも広がるので間が抜けて見える。
あたりかと思う。まあ結論は私のテクニック不足(/o\)
先ほどまでのしだれ桜を振り返る。
松を眺めながら池沿いを。
イマイチ風格に欠ける灯籠。
松のこのグラデーションは今の季節限定。
渡月橋と名付けられた橋。
この橋は六義園でも「バエ風景」ポイントのひとつ。
2019年に紅葉を見に来たときにも撮った。
ーーー続く
こちらは横方向には枝が張らずにひょろ長い印象。まだ若い木なのか。いやこれだけの高さならそんなはずはないか。ちなみにメインのしだれ桜は樹齢約70年とのこと。しだれ桜は樹齢何百年のものがザラにあるから、まあそれと較べればまだ若木。
メインと同じ品種(江戸彼岸系のしだれらしい)に見えるが花数は少なかった。でもこの姿、日本画に描いたら素敵な作品になりそうじゃないか。
なのに誰もこちらのしだれ桜の写真を撮っていないし、眺めている人すらほとんどいなかった。おそらく来場者の目に入っていない(/o\) オキノドク
とは言いつつ、やはりメインのしだれ桜の咲きっぷりに見とれてしまう(^^ゞ
青空も明るくきれいでまさに春爛漫。
左側と下で別の木のように見えるが、
これがひとつのサクラなんだから、その大きさを推して知るべし。
このしだれ桜は樹高15m、最大幅20mとされる。樹齢70年の割りに大きいのは前回に書いたように3本のサクラを寄せ植えしたからと思われる。
しだれ桜の魅力は当たり前だけれど「しだれる」ところ。漢字で書くなら枝垂れる。まさに花びらが滝になった落ちてくるような姿は圧巻。
しだれ桜鑑賞を一旦終えて、六義園をブラブラ散策。
この門をくぐると、
日本庭園が広がっている。
ここでレンズを再度、35mm換算で15mm〜36mmの広角ズームに付け替える。
せっかく広々とした庭園なのだからレンズも広角の方がいいでしょうとの理由。
レンズを広角側にズームすれば確かに写る範囲は広くなる。ただしそれでいい風景写真になるかというと、そうじゃないのが写真の難しいところ。
これは35mm換算で36mmにしての撮影。
つまり広角ズームレンズの望遠側。
同じ場所で換算15mmの広角側にすると。
広く撮ればすべてよしではないのだ。
理由はいろいろあるだろうが、
被写体までの距離が充分あるので換算36mmでも充分な画角が得られている。
換算15mmは人間の目の視野角を超えているので不自然に感じる。
広角レンズにするほど左右が広く写るが、上下にも広がるので間が抜けて見える。
あたりかと思う。まあ結論は私のテクニック不足(/o\)
先ほどまでのしだれ桜を振り返る。
松を眺めながら池沿いを。
イマイチ風格に欠ける灯籠。
松のこのグラデーションは今の季節限定。
渡月橋と名付けられた橋。
この橋は六義園でも「バエ風景」ポイントのひとつ。
2019年に紅葉を見に来たときにも撮った。
ーーー続く
2023年03月28日
今年こそ六義園でしだれ桜 その2
しだれ桜の前は大勢の人なので、
サクラの木全体を撮ろうと→サクラから離れる→人も写る
人が写らないよう前に出る→サクラの木全体を写せない
というジレンマに陥る。
でもそれを想定して本日は35mm換算で15mm〜36mmの広角ズームをカメラに装着してきた。35mm換算やmmは何の単位?などの説明は省略するが、数値が小さいほど広い範囲が写り(広角)=サクラから離れずにすむ、大きいほど遠くのものが拡大されて写る(望遠)との関係にある。スマホのカメラは26〜28mm程度のものが多い。
しかし15mmの最大広角を以てしても、画面の上下左右にバランスよくサクラを収めようとすると、どうしても人が写ってしまう。致し方なし。
カメラの話が先走ってしまったけど、この素晴らしいしだれ桜の姿を見てね。
なんとも見事な咲きっぷりに唸ってしまう。
このアングルは人に遮られずに地面から全体を撮れた。先ほどのアングルより枝振りが散漫な印象で人気がない=人が少なかったから撮影できたのであるが、改めて眺めるとこれもなかなかいい姿じゃないか。
人が写り込んでしまうなら、
上を向いて撮ろうホトトギス。
期待に違わず実に美しい。見上げて眺めていると神々しくさえもある。神や仏は人間が空想したファンタジーとしか思っていないけれど、もしこのしだれ桜がご神木なら拝んでしまうかな。もっとも信仰するのは満開の時期限定(^^ゞ
ときどき雲が太陽の一部を遮って、それによって陰影ができる。影になっているところから明るい部分に目を移すと、花びらが眩い(まばゆい)ばかりに輝いて見える。
広角ズームだからあまりアップでは撮れない。
腕を精一杯に伸ばしてがんばる。
根元近くも撮っておきましょう。
このしだれ桜は3本の木を寄せ植えしたと言われている。
でもやはり見上げてしまう。
まったくもって飽きずにずっと見ていられる。
レンズを35mm換算で27mm〜203mmの標準&望遠ズームに交換。交換は面倒だし、落としたりしないよう気を使うし、レンズを2本持ち歩くのも重い。だからレンズ交換ができるカメラを使って10年以上になるのに、出先で交換したのは数回しかない。それだけ六義園のしだれ桜には期待していた。
望遠を活かしてアップで。
六義園のしだれ桜の花びらはソメイヨシノよりはわずかにピンクがかっている程度で、限りなく白に近い。遠目だと少しサクラ色に見えるのは、ツボミや雄しべ雌しべの部分が全体の色調に影響するから。
もっとサクラ色が濃い方が好みではある。
しかし全体を眺めたときは、この白さゆえの華やかさもあるなと思ったり。
桜の魅力は色×大きさも含めた樹形で決まるのかも知れない。
ーーー続く
2023年03月27日
今年こそ六義園でしだれ桜
東京で最も美しくて、かつサイズ的にも見応えのあるしだれ桜は、文京区は駒込にある六義園のものではないかとしばらく前に知る。それなら是非にともと思ったものの、昨年はコロナ規制で都立庭園は3月21日まで閉鎖。その規制解除は突然だったので、スケジュールの調整ができたときには既に散り始めだった(/o\)
ならば今年こそはと六義園の公式Twitterをフォロー。
3月14日(火) 3分咲き
3月15日(水) 5分咲き(5分より咲いているかも)
3月16日(木) 見ごろです!
の情報をキャッチする。
それにしても3分咲きから見頃まで2日間と早くない? 営業促進ツイートの疑いあり?
しかし翌日17日(金)にSNSをあれこれチェックして満開であるのを確信。
ただし天気予報は
18日(土) 雨のち曇り
19日(日) 晴れ
20日(月) 晴れ
21日(春分の日) 曇り時々晴れ
だった。これではただでさえ混雑するのに、19日の日曜日は激混みが予想される。21日も祝日とはいえ、やはりサクラは青空の下で見たい。え〜い、3連休にしちゃえ(^^ゞ ということで3月20日に六義園を訪問。この日は天気がいいばかりではなく、最高気温19.2度のポカポカ陽気にも恵まれた。
皇居のある千代田区の北隣が文京区。
六義園(りくぎえん)は文京区でも一番北側にある。
山手線の駒込駅で下車。
隣駅はオバアチャンの原宿として有名な巣鴨。
なお駒込は豊島区になる。六義園の所在は正確には文京区本駒込。
駅を出るともう六義園が見えている。信号の向こうにあるのは染井門という出入り口。普段はこの道路(本郷通り)をもう少し進んだ正門しか開いていないが、しだれ桜の時期は駅近の染井門も開放される。ありがたやーーーと思っていたのだが(後述)。
平日なのになかなかの人出。
写真では見えない右側の道路の奥まで行列は延びている。
この不思議な光景な何かというと、事前に入場券を買っている人は真ん中の通路から中に入れる。並んでいるのは入場券を買うための行列で、門のところで折り返しているからこちらを向いている人がいる。
図で説明すると
私は事前にオンラインで購入していたので真ん中の通路からスイスイ入場。公式Twitterによると入場券購入は30分ほどの待ち時間だったようだ。
上の写真で真ん中の通路がガラ空きなので分かるように、事前に入場券を買っていない人のほうが圧倒的に多い。オンライン購入なら2分ほどの手間、行列は30分。この違いは大きい。またオンラインがいやならコンビニでも入場券は買える。こんなことはちょっと調べれば分かるのに、どうして現地窓口で買おうとするかな。情弱という言葉は嫌いで使いたくないものの、もっと要領よく行動しましょう皆さん。
赤と青のテープの間が、事実上VIP待遇になっている事前購入者用の入場レーン。
オンライン購入はメールで送られてきたQRコードをスマホで見せる方式。
染井門を入ってすぐの所に、しだれ桜への道案内はなかったように思う。
多くの人が向かっているので、それについていく。
途中でたくさん咲いているツバキなど見ながら、
道は続く。
ここでふと気づいた。
染井門、正門、しだれ桜の位置関係は下のようになっている。
正門から入ったほうが近いやん(^^ゞ
染井門を開いたのは、入場者を正門と二分して混雑を捌きたかったのね。
まあそれも親切と言えなくはないか。
少しわかりにくいが、前日の雨でぬかるんでいたのでシートが敷かれていた。
いよいよしだれ桜が見えてきた。
ーーー続く
ならば今年こそはと六義園の公式Twitterをフォロー。
3月14日(火) 3分咲き
3月15日(水) 5分咲き(5分より咲いているかも)
3月16日(木) 見ごろです!
の情報をキャッチする。
それにしても3分咲きから見頃まで2日間と早くない? 営業促進ツイートの疑いあり?
しかし翌日17日(金)にSNSをあれこれチェックして満開であるのを確信。
ただし天気予報は
18日(土) 雨のち曇り
19日(日) 晴れ
20日(月) 晴れ
21日(春分の日) 曇り時々晴れ
だった。これではただでさえ混雑するのに、19日の日曜日は激混みが予想される。21日も祝日とはいえ、やはりサクラは青空の下で見たい。え〜い、3連休にしちゃえ(^^ゞ ということで3月20日に六義園を訪問。この日は天気がいいばかりではなく、最高気温19.2度のポカポカ陽気にも恵まれた。
皇居のある千代田区の北隣が文京区。
六義園(りくぎえん)は文京区でも一番北側にある。
山手線の駒込駅で下車。
隣駅はオバアチャンの原宿として有名な巣鴨。
なお駒込は豊島区になる。六義園の所在は正確には文京区本駒込。
駅を出るともう六義園が見えている。信号の向こうにあるのは染井門という出入り口。普段はこの道路(本郷通り)をもう少し進んだ正門しか開いていないが、しだれ桜の時期は駅近の染井門も開放される。ありがたやーーーと思っていたのだが(後述)。
平日なのになかなかの人出。
写真では見えない右側の道路の奥まで行列は延びている。
この不思議な光景な何かというと、事前に入場券を買っている人は真ん中の通路から中に入れる。並んでいるのは入場券を買うための行列で、門のところで折り返しているからこちらを向いている人がいる。
図で説明すると
私は事前にオンラインで購入していたので真ん中の通路からスイスイ入場。公式Twitterによると入場券購入は30分ほどの待ち時間だったようだ。
上の写真で真ん中の通路がガラ空きなので分かるように、事前に入場券を買っていない人のほうが圧倒的に多い。オンライン購入なら2分ほどの手間、行列は30分。この違いは大きい。またオンラインがいやならコンビニでも入場券は買える。こんなことはちょっと調べれば分かるのに、どうして現地窓口で買おうとするかな。情弱という言葉は嫌いで使いたくないものの、もっと要領よく行動しましょう皆さん。
赤と青のテープの間が、事実上VIP待遇になっている事前購入者用の入場レーン。
オンライン購入はメールで送られてきたQRコードをスマホで見せる方式。
染井門を入ってすぐの所に、しだれ桜への道案内はなかったように思う。
多くの人が向かっているので、それについていく。
途中でたくさん咲いているツバキなど見ながら、
道は続く。
ここでふと気づいた。
染井門、正門、しだれ桜の位置関係は下のようになっている。
正門から入ったほうが近いやん(^^ゞ
染井門を開いたのは、入場者を正門と二分して混雑を捌きたかったのね。
まあそれも親切と言えなくはないか。
少しわかりにくいが、前日の雨でぬかるんでいたのでシートが敷かれていた。
いよいよしだれ桜が見えてきた。
ーーー続く
2023年03月26日
柿の種のナゾ
先日、桃と柿の種まきをしたことを書いた。何年か前から食べ終えた果物の種を残しておいて、それを種まきするガーデニングというか遊びを楽しんでいる。発芽率は低いし、発芽してもあまり大きくならずに枯れてしまうけれど。
2020年の冬に植えた柿
2022年の5月に植えた柿
先日に植えた柿
ところでこちらはお菓子の柿の種。
まったく形が似てないやん?
調べてみると
大正時代に新潟の米菓職人が、
長円形(小判の形)をした金型で形をくり抜いてアラレを作っていた。
しかし金型を誤って踏みつけ三日月型になってしまう。
その金型で作ったアラレを、ある人に見せたところ、
柿の種に形が似ていると言われ、それが商品名になった。
とする説が多い。
どうしてその人は、こんな細長い形をしたものを柿の種に似ていると言ったのだろう。困っている職人の顔を見て「なんじゃこれ?」とは言えず、適当に思いつきで答えたのかな。
さらに調べると筆柿(ふでがき)や、あんぽ柿の種は細長いと分かった。
これが筆柿。チンポ柿とも呼ばれるらしい(>_<)
あんぽ柿の種←→お菓子の柿の種←→富有柿の種の比較写真
画像はhttps://mainichi.jp/maisho/articles/20200128/kei/00s/00s/012000cから引用
しかし筆柿は愛知県産、あんぽ柿は福島県産である。それに柿としてはマイナーな存在。大正時代に新潟の人が知っていたかどうかは疑問が残る。それにもし知っていたら「これは筆柿の種に似ている」と答えた気もする。ナゾ
その後にお菓子の柿の種は、新潟の名物として徐々に広まり、またピーナツと一緒にする食べ方も生まれた。そして1977年に亀田製菓がその柿ピーを小分け包装の「フレッシュパック」として発売し大ヒット。おつまみ系お菓子として定着して現在に至る。
1977年であればもう40年以上も柿の種を食べてきたことになる。もちろん果物の柿はもっと昔から食べている。それなのに今までお菓子の柿の種と、果物の柿の種の形がチットモ似ていないと気づかなかったなんて。しかも種を取り出し保存し、植えてまでいるのにーーー
我ながら観察眼のなさに忸怩たる思いである(^^ゞ
2020年の冬に植えた柿
2022年の5月に植えた柿
先日に植えた柿
ところでこちらはお菓子の柿の種。
まったく形が似てないやん?
調べてみると
大正時代に新潟の米菓職人が、
長円形(小判の形)をした金型で形をくり抜いてアラレを作っていた。
しかし金型を誤って踏みつけ三日月型になってしまう。
その金型で作ったアラレを、ある人に見せたところ、
柿の種に形が似ていると言われ、それが商品名になった。
とする説が多い。
どうしてその人は、こんな細長い形をしたものを柿の種に似ていると言ったのだろう。困っている職人の顔を見て「なんじゃこれ?」とは言えず、適当に思いつきで答えたのかな。
さらに調べると筆柿(ふでがき)や、あんぽ柿の種は細長いと分かった。
これが筆柿。チンポ柿とも呼ばれるらしい(>_<)
あんぽ柿の種←→お菓子の柿の種←→富有柿の種の比較写真
画像はhttps://mainichi.jp/maisho/articles/20200128/kei/00s/00s/012000cから引用
しかし筆柿は愛知県産、あんぽ柿は福島県産である。それに柿としてはマイナーな存在。大正時代に新潟の人が知っていたかどうかは疑問が残る。それにもし知っていたら「これは筆柿の種に似ている」と答えた気もする。ナゾ
その後にお菓子の柿の種は、新潟の名物として徐々に広まり、またピーナツと一緒にする食べ方も生まれた。そして1977年に亀田製菓がその柿ピーを小分け包装の「フレッシュパック」として発売し大ヒット。おつまみ系お菓子として定着して現在に至る。
1977年であればもう40年以上も柿の種を食べてきたことになる。もちろん果物の柿はもっと昔から食べている。それなのに今までお菓子の柿の種と、果物の柿の種の形がチットモ似ていないと気づかなかったなんて。しかも種を取り出し保存し、植えてまでいるのにーーー
我ながら観察眼のなさに忸怩たる思いである(^^ゞ
2023年03月24日
芦花公園(蘆花恒春園)で彼岸桜とルピナス
菜の花とのツーショット。
ピンクと黄色の組み合わせがきれいなので、早咲きのサクラの近くには菜の花がよく植えられる。でも彼岸桜は早咲きのサクラの中では遅い方なので、菜の花は既に盛りを過ぎた様子。
それと菜の花を植える間隔が広すぎる。上の写真はいわゆる望遠レンズの圧縮効果で何とかたくさん咲いているように見えているが、肉眼に近いのはこちらの写真。これじゃテンションが上がらない(/o\) 菜の花はもっと密集して植えましょう、芦花公園関係者の皆さん。
チューリップも植えられていたが背丈低っ!
ベランダでチューリップを育てていると、暖冬のときは背丈が低いまま花を咲かせることがある。今年の冬は暖冬ではなかったが、3月に入る少し前から急に気温が上がったので、そのせいなのかなあ。
♪並んだ並んだ赤・白・黄色〜と写真に収めたかったのに、赤チューリップは黄色や白と離れたところで、まだポツンポツンと咲いているだけだった。
2〜3頭身のズングリムックリな姿でも、できるだけカッコよく撮ってあげました。
そして、そして、
ルピナスが咲いていたのがうれしいサプライズ!
写真中央のカラフルなトウモロコシのような花がルピナスね。
しばらくルピナスを見ていなかったので、この宇宙植物のような姿をじっくりと眺める。ところでこの日は3月16日。ソメイヨシノならまだ満開になっていない時期。ルピナスは4月の終わりからツツジなどと同じ頃に咲く花なのに、どうしてもう咲いている?
ひょっとしてルピナスにも早咲き品種があるのか。もしそうだとして、それを早咲きの彼岸桜に合わせて咲かせたのならーーーグッドジョブ!です、芦花公園関係者の皆さん。
それにしてもルピナスとサクラを同時に眺められるなんて思ってもみなかった。
もっとも組み合わせ的に似合っているかどうかはビミョーだけれど(^^ゞ
おそらく芦花公園でしか見られない光景だから、もう1枚いっておきましょう。
これは紅白桃色のウメをカラフルにするために、
梅林に植えて欲しいといつも主張しているサンシュユ。
園内の数カ所にあって、どれも大きなサンシュユだった。発音しにくい名前なのは中国名の山茱萸をそのまま音読みしたから。中国語だと「シァン ヂゥー ユ」らしい。
この季節は真っ白な花を咲かせて、公園や道路沿いでよく目立つユキヤナギ。私が噴水を見つけたときのお約束、高速シャッタースピードで水しぶきが静止したような写真と同じような姿に撮れた。
ユキヤナギは白い花が雪が積もったように見えるからユキである。しかし分類学的にヤナギとはまったく関係ない。ヤナギと葉の形が似ている、ヤナギのように枝が垂れるからその名前がついている。
高遠小彼岸桜を今までとは違った方向から。
どちらもユキヤナギと、前回に書いたコブシが一緒に写っている。
芦花公園のサクラはそれほど知られていない。東京でサクラ(ソメイヨシノ)の開花宣言があれば、満開になるのはその1週間から10日後。でもその開花宣言の時に彼岸桜はもう満開になっているから、一足早くお花見ができるよ。ほんのりとピンク色で、ほとんど真っ白なソメイヨシノよりサクラらしくて美しい。
来年は開花宣言のニュースを見たら、
ソッコーで芦花公園に是非。
おしまい
ピンクと黄色の組み合わせがきれいなので、早咲きのサクラの近くには菜の花がよく植えられる。でも彼岸桜は早咲きのサクラの中では遅い方なので、菜の花は既に盛りを過ぎた様子。
それと菜の花を植える間隔が広すぎる。上の写真はいわゆる望遠レンズの圧縮効果で何とかたくさん咲いているように見えているが、肉眼に近いのはこちらの写真。これじゃテンションが上がらない(/o\) 菜の花はもっと密集して植えましょう、芦花公園関係者の皆さん。
チューリップも植えられていたが背丈低っ!
ベランダでチューリップを育てていると、暖冬のときは背丈が低いまま花を咲かせることがある。今年の冬は暖冬ではなかったが、3月に入る少し前から急に気温が上がったので、そのせいなのかなあ。
♪並んだ並んだ赤・白・黄色〜と写真に収めたかったのに、赤チューリップは黄色や白と離れたところで、まだポツンポツンと咲いているだけだった。
2〜3頭身のズングリムックリな姿でも、できるだけカッコよく撮ってあげました。
そして、そして、
ルピナスが咲いていたのがうれしいサプライズ!
写真中央のカラフルなトウモロコシのような花がルピナスね。
しばらくルピナスを見ていなかったので、この宇宙植物のような姿をじっくりと眺める。ところでこの日は3月16日。ソメイヨシノならまだ満開になっていない時期。ルピナスは4月の終わりからツツジなどと同じ頃に咲く花なのに、どうしてもう咲いている?
ひょっとしてルピナスにも早咲き品種があるのか。もしそうだとして、それを早咲きの彼岸桜に合わせて咲かせたのならーーーグッドジョブ!です、芦花公園関係者の皆さん。
それにしてもルピナスとサクラを同時に眺められるなんて思ってもみなかった。
もっとも組み合わせ的に似合っているかどうかはビミョーだけれど(^^ゞ
おそらく芦花公園でしか見られない光景だから、もう1枚いっておきましょう。
これは紅白桃色のウメをカラフルにするために、
梅林に植えて欲しいといつも主張しているサンシュユ。
園内の数カ所にあって、どれも大きなサンシュユだった。発音しにくい名前なのは中国名の山茱萸をそのまま音読みしたから。中国語だと「シァン ヂゥー ユ」らしい。
この季節は真っ白な花を咲かせて、公園や道路沿いでよく目立つユキヤナギ。私が噴水を見つけたときのお約束、高速シャッタースピードで水しぶきが静止したような写真と同じような姿に撮れた。
ユキヤナギは白い花が雪が積もったように見えるからユキである。しかし分類学的にヤナギとはまったく関係ない。ヤナギと葉の形が似ている、ヤナギのように枝が垂れるからその名前がついている。
高遠小彼岸桜を今までとは違った方向から。
どちらもユキヤナギと、前回に書いたコブシが一緒に写っている。
芦花公園のサクラはそれほど知られていない。東京でサクラ(ソメイヨシノ)の開花宣言があれば、満開になるのはその1週間から10日後。でもその開花宣言の時に彼岸桜はもう満開になっているから、一足早くお花見ができるよ。ほんのりとピンク色で、ほとんど真っ白なソメイヨシノよりサクラらしくて美しい。
来年は開花宣言のニュースを見たら、
ソッコーで芦花公園に是非。
おしまい
wassho at 20:25|Permalink│Comments(0)│
2023年03月23日
芦花公園(蘆花恒春園)で彼岸桜 その2
花の丘に上がると向かえてくれるのがこの光景!
ワイド感を出すために上下をトリミングしてパノラマ風にしてみた。
パソコンで読んでいるならクリックして大きな画面にしてみて欲しい。
イイ感じにジャマな場所にある(^^ゞ 白い物体は清掃工場の煙突。
また写真には撮らなかったが、公園を挟んで煙突の反対側には巨大なガスタンクが並んでいる。場所は環八沿いだからクルマの音もけっこううるさい。徳冨蘆花が半農生活・晴耕雨読を求めてこの地にやって来たときとは時代が違うのだから仕方ないね。
サクラのそばまで近づきましょう。
そして見上げればサクラの世界に吸い込まれそう。
このアングルで巨木だと分かってもらえるかな。
このソメイヨシノより10日ほど早く満開を迎えるサクラは、タカトウコヒガンザクラ(高遠小彼岸桜)。文字を意味で分解すれば「高遠」「小」「彼岸桜」となる。
「高遠」は長野県伊那市にある地名で、高遠城址公園は青森県の弘前公園、奈良県の吉野山と並んで日本三大桜名所と称されている。そこに植えられているサクラが高遠小彼岸。芦花公園のサクラはそれを移植したもの。
「小」と「彼岸桜」は小彼岸桜と彼岸桜の別品種があるのではなく、どちらも同じ意味。つまり彼岸桜の前に「小」を付けたり付けなかったりする。どうしてそんなややこしいことになった? 小彼岸桜はコヒガンとサクラを省略して呼ばれる場合も多く、それだとより別品種のように思えてしまう。なお彼岸とは春のお彼岸(春分の日と前後各3日、だから3月中旬)に花が咲くのに由来する。
その子彼岸桜あるいは彼岸桜とは、日本のサクラ基本野生種11種である豆桜と江戸彼岸の交雑種とされる。ネーミング的には何となく彼岸桜のほうが江戸彼岸よりオリジナルなイメージを持ってしまうけど。
この日の天気はよかったものの、梅の季節と違ってサクラのときは雲が出がち。背景の空が真っ青にならないのがちょっと残念。でもこれはこれで柔らかそうな雰囲気でいいかも。
かなりモフモフな咲きっぷり。
遠目には満開ピークに見えても、まだツボミもたくさん残している。
ところで芦花公園には高遠小彼岸桜が何本あるのか。
このプレートには12本と書かれている。ただしこれは昨年に撮影した写真。
公式ホームページだと15本。
1年で3本増やした?
桜が移植された平成9年(1997年)に15本と書かれたプレートをネットで発見!
画像はhttps://toutoi-tokyo.blogspot.com/2013/03/rokakousyunen.htmlから引用
だとしたら15本→12本→15本と変遷したのか?
何となくどちらかが間違っている気もするけれど。
前回に書いた芦花公園 vs 蘆花恒春園の名称とともに、またこの公園のナゾが増えた。
まあ
\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ
キレイなサクラを眺めましょう。
寒桜や河津桜よりピンクは薄く、ほんのり桜色といった風情。
これくらいが最もサクラらしい色合いかも知れない。
ーーー続く
ワイド感を出すために上下をトリミングしてパノラマ風にしてみた。
パソコンで読んでいるならクリックして大きな画面にしてみて欲しい。
イイ感じにジャマな場所にある(^^ゞ 白い物体は清掃工場の煙突。
また写真には撮らなかったが、公園を挟んで煙突の反対側には巨大なガスタンクが並んでいる。場所は環八沿いだからクルマの音もけっこううるさい。徳冨蘆花が半農生活・晴耕雨読を求めてこの地にやって来たときとは時代が違うのだから仕方ないね。
サクラのそばまで近づきましょう。
そして見上げればサクラの世界に吸い込まれそう。
このアングルで巨木だと分かってもらえるかな。
このソメイヨシノより10日ほど早く満開を迎えるサクラは、タカトウコヒガンザクラ(高遠小彼岸桜)。文字を意味で分解すれば「高遠」「小」「彼岸桜」となる。
「高遠」は長野県伊那市にある地名で、高遠城址公園は青森県の弘前公園、奈良県の吉野山と並んで日本三大桜名所と称されている。そこに植えられているサクラが高遠小彼岸。芦花公園のサクラはそれを移植したもの。
「小」と「彼岸桜」は小彼岸桜と彼岸桜の別品種があるのではなく、どちらも同じ意味。つまり彼岸桜の前に「小」を付けたり付けなかったりする。どうしてそんなややこしいことになった? 小彼岸桜はコヒガンとサクラを省略して呼ばれる場合も多く、それだとより別品種のように思えてしまう。なお彼岸とは春のお彼岸(春分の日と前後各3日、だから3月中旬)に花が咲くのに由来する。
その子彼岸桜あるいは彼岸桜とは、日本のサクラ基本野生種11種である豆桜と江戸彼岸の交雑種とされる。ネーミング的には何となく彼岸桜のほうが江戸彼岸よりオリジナルなイメージを持ってしまうけど。
この日の天気はよかったものの、梅の季節と違ってサクラのときは雲が出がち。背景の空が真っ青にならないのがちょっと残念。でもこれはこれで柔らかそうな雰囲気でいいかも。
かなりモフモフな咲きっぷり。
遠目には満開ピークに見えても、まだツボミもたくさん残している。
ところで芦花公園には高遠小彼岸桜が何本あるのか。
このプレートには12本と書かれている。ただしこれは昨年に撮影した写真。
公式ホームページだと15本。
1年で3本増やした?
桜が移植された平成9年(1997年)に15本と書かれたプレートをネットで発見!
画像はhttps://toutoi-tokyo.blogspot.com/2013/03/rokakousyunen.htmlから引用
だとしたら15本→12本→15本と変遷したのか?
何となくどちらかが間違っている気もするけれど。
前回に書いた芦花公園 vs 蘆花恒春園の名称とともに、またこの公園のナゾが増えた。
まあ
\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ
キレイなサクラを眺めましょう。
寒桜や河津桜よりピンクは薄く、ほんのり桜色といった風情。
これくらいが最もサクラらしい色合いかも知れない。
ーーー続く
2023年03月22日
芦花公園(蘆花恒春園)で彼岸桜
昨年、散歩がてらにたまたま立ち寄って、時期的に満開のはずがない桜にビックリしたら、それはソメイヨシノではなくヒガンザクラだった芦花公園。それで今年は彼岸桜を眺めにどこかへ出かけようと思ったものの、どうにも名所らしき所を見つけられず。じゃあもう一度行くかと3月16日に訪れた。
この公園は名前がちょっとややこしい。昔は芦花公園(ろか こうえん)と呼んでいたはずなのに(そう記憶するのに)、今は蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)となっている。
蘆は芦の旧字で植物のアシやヨシなどを指す言葉。蘆花とは明治から大正にかけての小説家である徳冨蘆花のこと。名前に花がついているが男性。文豪に数えられる1人ではあっても、知名度はあまりないかも。1868年(明治元年)生まれで森鴎外や夏目漱石と同世代である。彼の兄は戦前に最も影響力のあったオピニオンリーダーとも評される徳富蘇峰。
左が蘆花で、右が蘇峰。
その徳冨蘆花の自宅があったのが世田谷区にあるこの場所で、彼は自宅を恒春園と名付けていた。彼の死後から10年が経った1937年(昭和12年)に恒春園は当時の東京市に寄付され、翌年に公園として公開。さらに順次周辺の土地を買い増して整備されたのがこの公園。
そして名前については
この公園(全体)の正式名称は蘆花恒春園
ただし徳冨蘆花自宅の恒春園の敷地以外を含める場合は芦花公園と呼ばれている
のような説明が一般的。また正式名称が変更されたとの情報は見つからなかった。
だとしたら芦花公園は通称か?
駒沢公園、上野公園の正式名称は、駒沢オリンピック公園と上野恩賜公園である。フルネームを使う人はほとんどいなくて、短縮した通称の駒沢公園、上野公園で呼ばれる。でも芦花公園を蘆花恒春園の短縮と考えるのは無理があるんだよなあ。
また最寄り駅は京王線の芦花公園駅。この駅は上高井戸駅だった名前を、1937年に芦花公園駅へ改称している。1937年は恒春園が寄付された年。つまりまだ公園の敷地が恒春園しかなかった時期である。だから芦花公園>蘆花恒春園との理屈は成り立たない。寄付されたときから芦花公園と呼ばれていたはず。
まっ、こんな推理をしても何の役にも立たない(^^ゞ
とりあえず蘆花恒春園=芦花公園である。
なおほとんどの人が芦花公園と呼んでいると思うが、地図には蘆花恒春園としか表記されていないから、それを頼りにやってくる人は注意が必要。これも昔(紙の道路地図の時代)は芦花公園だったように記憶しているのだがーーーもう切りがないからやめておこう。
これは徳冨蘆花の自宅だった狭義の蘆花恒春園の入口。広義の芦花公園は24時間自由に出入りできるが、こちらは9:00〜16:30の開園。
文字が途中で切れているが、徳冨蘆花旧宅と刻まれている。
案内図のうちピンクで囲ったのが狭義の蘆花恒春園。
Googleマップで計測してみたら約1.1ヘクタールあった。坪数に換算すれば3300坪だからさすが文豪。もっとも徳冨蘆花がここを購入した1907年(明治40年)当時、このあたりは農村があるだけの超田舎だったはず。彼は文壇を離れ、半農生活を求めてここに転居したという。それ以前は赤坂→原宿→逗子→青山と転居している。あっ、いまではブランド住所ばかりじゃないか。さすが文豪(^^ゞ
なお現在の広義の芦花公園は6.8ヘクタールだから、当初よりおよそ6倍に拡張されている。
園内の雰囲気。
当時の建物が残っている。土地と建物だけでなく遺品一切を残すのを条件に寄付したと聞く。面白いのは母屋とは別に奥さんの「愛子夫人居宅」があること。夫婦仲が悪くて別居していたのかと思ったら、これは未亡人となった愛子夫人が恒春園を寄付した後に、当面の住まいとして東京市が建てた家のようだ。
規模は小さいものの竹林もある。
母屋から連なる秋水書院と名付けられた建物。
その名前の由来が立て札に書かれている。幸徳秋水事件って習ったよね。
秋水書院の前にあった木は白い花を咲かせていた。
ツバキとサザンカの見分けが難しいように、ハクモクレン(白木蓮)とコブシもよく似ている。おまけにモクレンという木もある。どれもモクレン科だから親戚のようなもの。
ただしモクレンとハクモクレンの見分けは簡単である。
モクレン(木蓮)の花は紫系。シモクレン(紫木蓮)と呼ぶこともある。
ハクモクレン(白木蓮)の花はその名の通り白。
もちろん花が咲いていないと見分けられないが。
それでハクモクレンとコブシはどちらも白い花が咲くのがやっかい。咲く時期も同じ。
見分け方として
ハクモクレンはモクレンと同じように花が上向きに、すぼんだ形で咲く。
コブシは花の咲く向きは一定ではなく、また放射状に花びらが開く。
とよく言われる。しかしツバキは花が丸ごと落ちる、サザンカは花びらがバラバラになって落ちるとの見分け方があるが、まだ花がひとつも落ちていなければ見分けられないように(何度も経験している)、ハクモクレンも最後は花の形を維持できなくて花びらが大きく開く。そうなるとその見分け方も通用しない。
それでも3つだけ咲いていた若い花は上向きですぼんでいたから、
これはハクモクレンだろう。
狭義の蘆花恒春園から広義の芦花公園に出る。
なぜか公園の中に墓地がある。
公園案内図を見ると共同墓地と書かれていた。公園にする前からあった墓地なのだろうか。近くまでは行かなかったが、墓石などはそんなに古くなさそうだ。
共同墓地から少し離れたところにあるのが徳冨蘆花と愛子夫人のお墓。当時はここも恒春園敷地内だったのか、それとも自宅のすぐそばに墓地を買ったのかは不明。いずれにせよ愛子夫人は墓ごと寄付して、死後にはその墓に入ったことになる。
徳冨蘆花は小説を読んだこともないしほとんど馴染みがないのだけれど、徳富蘇峰は私の母校の創設者である新島襄の盟友のようなものだから少し親近感がある。その弟だからツナガリで軽く黙祷。ちなみに蘆花も蘇峰も同志社の前身である同志社英学校中退である。私は卒業したゾ徳富兄弟(^^ゞ
なお実の兄弟なのに蘆花は徳「冨」、蘇峰は徳「富」と「とみ」の漢字にワ冠・ウ冠の違いがある。もっとも本名は蘆花が徳富健次郎、蘇峰が徳富猪一郎だから、これらはどちらもペンネームみたいなもの。
徳冨夫妻のお墓から離れてドッグランの近くにあった白い花。
ほら秋水書院の前にあったハクモクレンと見分けがつかないでしょ。
でもどうやらこちらはコブシのようだ。
コブシのそばにあったウメ。
これだけウメがたくさん咲いているのを見るのは、今年はこれが最後だろう。
そしてツバキやマツを眺めつつ、
やって来ました花の丘。
丘といっても周りより1mほど高いだけ(^^ゞ
そして満開の姿が見えているのが彼岸桜!
ーーー続く
この公園は名前がちょっとややこしい。昔は芦花公園(ろか こうえん)と呼んでいたはずなのに(そう記憶するのに)、今は蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)となっている。
蘆は芦の旧字で植物のアシやヨシなどを指す言葉。蘆花とは明治から大正にかけての小説家である徳冨蘆花のこと。名前に花がついているが男性。文豪に数えられる1人ではあっても、知名度はあまりないかも。1868年(明治元年)生まれで森鴎外や夏目漱石と同世代である。彼の兄は戦前に最も影響力のあったオピニオンリーダーとも評される徳富蘇峰。
左が蘆花で、右が蘇峰。
その徳冨蘆花の自宅があったのが世田谷区にあるこの場所で、彼は自宅を恒春園と名付けていた。彼の死後から10年が経った1937年(昭和12年)に恒春園は当時の東京市に寄付され、翌年に公園として公開。さらに順次周辺の土地を買い増して整備されたのがこの公園。
そして名前については
この公園(全体)の正式名称は蘆花恒春園
ただし徳冨蘆花自宅の恒春園の敷地以外を含める場合は芦花公園と呼ばれている
のような説明が一般的。また正式名称が変更されたとの情報は見つからなかった。
だとしたら芦花公園は通称か?
駒沢公園、上野公園の正式名称は、駒沢オリンピック公園と上野恩賜公園である。フルネームを使う人はほとんどいなくて、短縮した通称の駒沢公園、上野公園で呼ばれる。でも芦花公園を蘆花恒春園の短縮と考えるのは無理があるんだよなあ。
また最寄り駅は京王線の芦花公園駅。この駅は上高井戸駅だった名前を、1937年に芦花公園駅へ改称している。1937年は恒春園が寄付された年。つまりまだ公園の敷地が恒春園しかなかった時期である。だから芦花公園>蘆花恒春園との理屈は成り立たない。寄付されたときから芦花公園と呼ばれていたはず。
まっ、こんな推理をしても何の役にも立たない(^^ゞ
とりあえず蘆花恒春園=芦花公園である。
なおほとんどの人が芦花公園と呼んでいると思うが、地図には蘆花恒春園としか表記されていないから、それを頼りにやってくる人は注意が必要。これも昔(紙の道路地図の時代)は芦花公園だったように記憶しているのだがーーーもう切りがないからやめておこう。
これは徳冨蘆花の自宅だった狭義の蘆花恒春園の入口。広義の芦花公園は24時間自由に出入りできるが、こちらは9:00〜16:30の開園。
文字が途中で切れているが、徳冨蘆花旧宅と刻まれている。
案内図のうちピンクで囲ったのが狭義の蘆花恒春園。
Googleマップで計測してみたら約1.1ヘクタールあった。坪数に換算すれば3300坪だからさすが文豪。もっとも徳冨蘆花がここを購入した1907年(明治40年)当時、このあたりは農村があるだけの超田舎だったはず。彼は文壇を離れ、半農生活を求めてここに転居したという。それ以前は赤坂→原宿→逗子→青山と転居している。あっ、いまではブランド住所ばかりじゃないか。さすが文豪(^^ゞ
なお現在の広義の芦花公園は6.8ヘクタールだから、当初よりおよそ6倍に拡張されている。
園内の雰囲気。
当時の建物が残っている。土地と建物だけでなく遺品一切を残すのを条件に寄付したと聞く。面白いのは母屋とは別に奥さんの「愛子夫人居宅」があること。夫婦仲が悪くて別居していたのかと思ったら、これは未亡人となった愛子夫人が恒春園を寄付した後に、当面の住まいとして東京市が建てた家のようだ。
規模は小さいものの竹林もある。
母屋から連なる秋水書院と名付けられた建物。
その名前の由来が立て札に書かれている。幸徳秋水事件って習ったよね。
秋水書院の前にあった木は白い花を咲かせていた。
ツバキとサザンカの見分けが難しいように、ハクモクレン(白木蓮)とコブシもよく似ている。おまけにモクレンという木もある。どれもモクレン科だから親戚のようなもの。
ただしモクレンとハクモクレンの見分けは簡単である。
モクレン(木蓮)の花は紫系。シモクレン(紫木蓮)と呼ぶこともある。
ハクモクレン(白木蓮)の花はその名の通り白。
もちろん花が咲いていないと見分けられないが。
それでハクモクレンとコブシはどちらも白い花が咲くのがやっかい。咲く時期も同じ。
見分け方として
ハクモクレンはモクレンと同じように花が上向きに、すぼんだ形で咲く。
コブシは花の咲く向きは一定ではなく、また放射状に花びらが開く。
とよく言われる。しかしツバキは花が丸ごと落ちる、サザンカは花びらがバラバラになって落ちるとの見分け方があるが、まだ花がひとつも落ちていなければ見分けられないように(何度も経験している)、ハクモクレンも最後は花の形を維持できなくて花びらが大きく開く。そうなるとその見分け方も通用しない。
それでも3つだけ咲いていた若い花は上向きですぼんでいたから、
これはハクモクレンだろう。
狭義の蘆花恒春園から広義の芦花公園に出る。
なぜか公園の中に墓地がある。
公園案内図を見ると共同墓地と書かれていた。公園にする前からあった墓地なのだろうか。近くまでは行かなかったが、墓石などはそんなに古くなさそうだ。
共同墓地から少し離れたところにあるのが徳冨蘆花と愛子夫人のお墓。当時はここも恒春園敷地内だったのか、それとも自宅のすぐそばに墓地を買ったのかは不明。いずれにせよ愛子夫人は墓ごと寄付して、死後にはその墓に入ったことになる。
徳冨蘆花は小説を読んだこともないしほとんど馴染みがないのだけれど、徳富蘇峰は私の母校の創設者である新島襄の盟友のようなものだから少し親近感がある。その弟だからツナガリで軽く黙祷。ちなみに蘆花も蘇峰も同志社の前身である同志社英学校中退である。私は卒業したゾ徳富兄弟(^^ゞ
なお実の兄弟なのに蘆花は徳「冨」、蘇峰は徳「富」と「とみ」の漢字にワ冠・ウ冠の違いがある。もっとも本名は蘆花が徳富健次郎、蘇峰が徳富猪一郎だから、これらはどちらもペンネームみたいなもの。
徳冨夫妻のお墓から離れてドッグランの近くにあった白い花。
ほら秋水書院の前にあったハクモクレンと見分けがつかないでしょ。
でもどうやらこちらはコブシのようだ。
コブシのそばにあったウメ。
これだけウメがたくさん咲いているのを見るのは、今年はこれが最後だろう。
そしてツバキやマツを眺めつつ、
やって来ました花の丘。
丘といっても周りより1mほど高いだけ(^^ゞ
そして満開の姿が見えているのが彼岸桜!
ーーー続く
2023年03月20日
春の種まき2023
昨年は4月11日に柿、みかん、せとか、リンゴ、桃の食べ終わった種を21粒まき、桃がひとつだけ発芽して、そこそこ伸びてきた話を7月25日にブログにした。
これがその時の写真。
しかし8月の中頃に急に弱りだし、あっという間に枯れてしまった(>_<)
めげずに今年も挑戦。作業したのは3月12日。
用意したのは柿8粒。
桃4粒。
柿と桃の大きさの比較ね。
みかん、せとか、リンゴも種を残しておいたはずなのに、なぜか見つからない(/o\)
桃はクルミのようになっている殻の中に種が入っている。その殻を割って種を取り出せと書いてあるものが多い。自然界ではそのまま発芽するのだからそんな必要はないと思うものの、今まで発芽しなかったのが、前回は割ったら発芽したので、今回もそうした。
これがけっこう面倒な作業。殻はとても固く、両足の親指で殻を挟んでドライバーをあてがってトンカチで叩く。それでもなかなか割れない。もちろん力一杯で叩けばすぐ割れるだろうが、そうすると中の種を傷つけてしまう。またドライバーが滑って親指を突き刺しそうでビビってしまう。
4つ割るのに15分ほど掛かったかな。
うち2つは乾燥して死んでるっぽい。左上の種に白い筋が入っているのはドライバーで擦ってしまった跡。前回はもっとザックリとやってしまったのに発芽したから、この程度なら問題ないはず。
改めて柿と桃の大きさ比較。
厚みは似たようなもの。
これは先ほど書いた昨年の夏に枯れた桃を、放置しておいたらミイラになったもの。
撮影は作業日の3月12日。
こちらは昨年10月19日の撮影。
なんと4ヶ月半ほど経っているのに、ほとんど姿が変わっていないのに驚く。
プランターを掘り起こしてみる。昨年は桃2つ、柿6つ、リンゴ6つ、せとか1つ、みかん6つの合計21粒植えた。1つ発芽したから20粒がプランターの中に残っている計算。でも掘り起こせたのは5つだけ。リンゴ、せとか、みかんは種がもともと小さいし、形が崩れてしまうと土と見分けがつかなくなる。写真の5つは柿。だから桃と柿が1つずつ行方不明。腐敗して土になったのかな。
以前は種を割ると中に虫がいたこともあったが、今回はなし。
ただしカビみたいなものが出てきた。
この2つのプランターに桃を1つずつ。
柿8粒は4つのプランターに分けて。
この後に土を被せて種まき終了。
用土は前回のをそのまま使い回し。
桃や柿が食べられるほど育つとはもちろん思っていない。
とりあえず昨年よりは多く発芽してくれたらうれしい。
これがその時の写真。
しかし8月の中頃に急に弱りだし、あっという間に枯れてしまった(>_<)
めげずに今年も挑戦。作業したのは3月12日。
用意したのは柿8粒。
桃4粒。
柿と桃の大きさの比較ね。
みかん、せとか、リンゴも種を残しておいたはずなのに、なぜか見つからない(/o\)
桃はクルミのようになっている殻の中に種が入っている。その殻を割って種を取り出せと書いてあるものが多い。自然界ではそのまま発芽するのだからそんな必要はないと思うものの、今まで発芽しなかったのが、前回は割ったら発芽したので、今回もそうした。
これがけっこう面倒な作業。殻はとても固く、両足の親指で殻を挟んでドライバーをあてがってトンカチで叩く。それでもなかなか割れない。もちろん力一杯で叩けばすぐ割れるだろうが、そうすると中の種を傷つけてしまう。またドライバーが滑って親指を突き刺しそうでビビってしまう。
4つ割るのに15分ほど掛かったかな。
うち2つは乾燥して死んでるっぽい。左上の種に白い筋が入っているのはドライバーで擦ってしまった跡。前回はもっとザックリとやってしまったのに発芽したから、この程度なら問題ないはず。
改めて柿と桃の大きさ比較。
厚みは似たようなもの。
これは先ほど書いた昨年の夏に枯れた桃を、放置しておいたらミイラになったもの。
撮影は作業日の3月12日。
こちらは昨年10月19日の撮影。
なんと4ヶ月半ほど経っているのに、ほとんど姿が変わっていないのに驚く。
プランターを掘り起こしてみる。昨年は桃2つ、柿6つ、リンゴ6つ、せとか1つ、みかん6つの合計21粒植えた。1つ発芽したから20粒がプランターの中に残っている計算。でも掘り起こせたのは5つだけ。リンゴ、せとか、みかんは種がもともと小さいし、形が崩れてしまうと土と見分けがつかなくなる。写真の5つは柿。だから桃と柿が1つずつ行方不明。腐敗して土になったのかな。
以前は種を割ると中に虫がいたこともあったが、今回はなし。
ただしカビみたいなものが出てきた。
この2つのプランターに桃を1つずつ。
柿8粒は4つのプランターに分けて。
この後に土を被せて種まき終了。
用土は前回のをそのまま使い回し。
桃や柿が食べられるほど育つとはもちろん思っていない。
とりあえず昨年よりは多く発芽してくれたらうれしい。
2023年03月18日
日比谷公園でリバティベルと菜の花と残り梅
前回に書いたオオカンザクラを見下ろせなかった三笠山を、
サクラとは反対方向に降りる。
このあたりはマツが多い。
少し進むと何やら奇妙なものが。
自由の鐘と名付けられた鐘だった。
先ほどは自由の女神像を見つけたし、この日はなぜか自由に縁がある。
後で調べた情報を付け加えて説明すると、
オリジナルはアメリカのフィラデルフィアにある鐘。
1776年の独立宣言公布の際に鳴らされたアメリカ独立の象徴的存在。
全米各地にレプリカが設置されている。
海外には日本、ドイツ、ベルギー、イスラエルにレプリカがある。
日本へは昭和27(1952)年4月、マッカーサーの提案により贈られた。
この年はサンフランシスコ平和条約が発効した年であり、
占領下からの独立との意味があったのかも知れない。
その後に壊れてしまったものを修復したというのが、
写真のパネルに書かれている内容。
日付は平成24年だから2012年。
「昨年10月」「60年ぶりに鐘が打ち鳴らされた」と書かれているから
2011-60=1953 あれっ?????
たった1年で壊れたのかとか、それを60年も放置していたのかとかナゾが多いが、調べてもよく分からなかった。なおパネルに書かれている「辞達」とは弁論のことで、中央大学の弁論部のみが使っている言葉のようだ。「言葉が相手に伝わる」との意味。また「辞達学会」となっているのは、学者の集まる学会ではなく「弁論部」を指している。それにしても「辞達学会」なんて言われても何も伝わらないぞ(^^ゞ また1000万円も寄付した林勇二氏については検索してもそれらしき人物にはヒットしなかった。ChatGPTに尋ねても例によって自信たっぷりにウソばかり答えるし(/o\)
日本の鐘は外から突くのに対して、これは西洋式だから鐘を振って、中の振り子が鐘を叩く仕組み。振り子に勢いがつくまでなかなか鳴らないみたい。
パネルを読むと、鐘を振るにはリニアモーターが使われている。リニアモーターといえばリニア新幹線しか思い浮かばないが、いろいろなところで実用化されているものだ。
なおこの鐘は毎日正午に鳴っているらしい。道路を挟んで法務省があるけれど、お昼休みのチャイム代わりに聴いているのかな。
ところで自由の鐘は英語でLiberty Bell。そしてリバティベルといえば、私が大学生の頃にモンクレーと並んでオシャレダウンジャケットとして双璧だった存在で懐かしい。10年ほど前からモンクレーは20万円以上する高級ダウンとしてドヤ顔で着ている人をよく見かけるようになった。だったらリバティベルは?と久しぶりに思い出して調べてみたら、とっくの昔に消滅した模様(>_<) そういえば80年代の中頃過ぎには、もう着ている人を見かけなくなったように記憶している。
クラウドファンディングで復刻版などもあるようだ。ただしちょっと雰囲気が違う。当時のリバティベルはエナメルホワイトと呼ばれていた光沢のある素材だった。
これは当時のものらしく、かなりくたびれているものの光沢感は残っている。まあこれが街中やゲレンデやディスコで眩しかったわけよ(^^ゞ また襟や袖にあしらわれたトリコロールカラーもリバティベルの特徴で遠くからでも一目で分かった。
画像はhttps://www.makuake.com/project/libertybell-2020とhttps://la.readyrspt.cyou/index.php?main_page=product_info&products_id=6056から引用
さて、
テニスコートの南側に来ると菜の花が咲いていた。
菜の花を、野菜として育てたのが菜花だとずっと思っていたのに、どうも微妙に違うと最近に知った。だいたい菜の花という品種は存在しないらしい。参考までに農水省のページをリンクしておく。
だからこれの正体は不明なわけだが、
とりあえずは菜の花として黄色を楽しみましょう。
春にウメやサクラのピンクを見ると心がなごむけれど、黄色は元気になるね。ただし写真でアップ気味に撮ると、画像全体が黄色味がかってシャキッとしないのがいつも不満。
第1花壇の南側にもカンヒザクラがあった。
まだ若い木みたい。
やはりサクラで思い浮かべるものとは少しイメージが違う。
でもこれはこれで趣のある姿。
ウメが3色。
もう3月9日とウメのシーズンは終わりなので、
少し離れたら咲いているようには見えない。
最後に雲形池で鶴の噴水を眺めて、この日は終了。
それにしても、まさか日比谷公園に来て、
リバティベルのダウンジャケットなんて昭和の思い出話をするとは思わなかったゼ(^^ゞ
おしまい
サクラとは反対方向に降りる。
このあたりはマツが多い。
少し進むと何やら奇妙なものが。
自由の鐘と名付けられた鐘だった。
先ほどは自由の女神像を見つけたし、この日はなぜか自由に縁がある。
後で調べた情報を付け加えて説明すると、
オリジナルはアメリカのフィラデルフィアにある鐘。
1776年の独立宣言公布の際に鳴らされたアメリカ独立の象徴的存在。
全米各地にレプリカが設置されている。
海外には日本、ドイツ、ベルギー、イスラエルにレプリカがある。
日本へは昭和27(1952)年4月、マッカーサーの提案により贈られた。
この年はサンフランシスコ平和条約が発効した年であり、
占領下からの独立との意味があったのかも知れない。
その後に壊れてしまったものを修復したというのが、
写真のパネルに書かれている内容。
日付は平成24年だから2012年。
「昨年10月」「60年ぶりに鐘が打ち鳴らされた」と書かれているから
2011-60=1953 あれっ?????
たった1年で壊れたのかとか、それを60年も放置していたのかとかナゾが多いが、調べてもよく分からなかった。なおパネルに書かれている「辞達」とは弁論のことで、中央大学の弁論部のみが使っている言葉のようだ。「言葉が相手に伝わる」との意味。また「辞達学会」となっているのは、学者の集まる学会ではなく「弁論部」を指している。それにしても「辞達学会」なんて言われても何も伝わらないぞ(^^ゞ また1000万円も寄付した林勇二氏については検索してもそれらしき人物にはヒットしなかった。ChatGPTに尋ねても例によって自信たっぷりにウソばかり答えるし(/o\)
日本の鐘は外から突くのに対して、これは西洋式だから鐘を振って、中の振り子が鐘を叩く仕組み。振り子に勢いがつくまでなかなか鳴らないみたい。
パネルを読むと、鐘を振るにはリニアモーターが使われている。リニアモーターといえばリニア新幹線しか思い浮かばないが、いろいろなところで実用化されているものだ。
なおこの鐘は毎日正午に鳴っているらしい。道路を挟んで法務省があるけれど、お昼休みのチャイム代わりに聴いているのかな。
ところで自由の鐘は英語でLiberty Bell。そしてリバティベルといえば、私が大学生の頃にモンクレーと並んでオシャレダウンジャケットとして双璧だった存在で懐かしい。10年ほど前からモンクレーは20万円以上する高級ダウンとしてドヤ顔で着ている人をよく見かけるようになった。だったらリバティベルは?と久しぶりに思い出して調べてみたら、とっくの昔に消滅した模様(>_<) そういえば80年代の中頃過ぎには、もう着ている人を見かけなくなったように記憶している。
クラウドファンディングで復刻版などもあるようだ。ただしちょっと雰囲気が違う。当時のリバティベルはエナメルホワイトと呼ばれていた光沢のある素材だった。
これは当時のものらしく、かなりくたびれているものの光沢感は残っている。まあこれが街中やゲレンデやディスコで眩しかったわけよ(^^ゞ また襟や袖にあしらわれたトリコロールカラーもリバティベルの特徴で遠くからでも一目で分かった。
画像はhttps://www.makuake.com/project/libertybell-2020とhttps://la.readyrspt.cyou/index.php?main_page=product_info&products_id=6056から引用
さて、
テニスコートの南側に来ると菜の花が咲いていた。
菜の花を、野菜として育てたのが菜花だとずっと思っていたのに、どうも微妙に違うと最近に知った。だいたい菜の花という品種は存在しないらしい。参考までに農水省のページをリンクしておく。
だからこれの正体は不明なわけだが、
とりあえずは菜の花として黄色を楽しみましょう。
春にウメやサクラのピンクを見ると心がなごむけれど、黄色は元気になるね。ただし写真でアップ気味に撮ると、画像全体が黄色味がかってシャキッとしないのがいつも不満。
第1花壇の南側にもカンヒザクラがあった。
まだ若い木みたい。
やはりサクラで思い浮かべるものとは少しイメージが違う。
でもこれはこれで趣のある姿。
ウメが3色。
もう3月9日とウメのシーズンは終わりなので、
少し離れたら咲いているようには見えない。
最後に雲形池で鶴の噴水を眺めて、この日は終了。
それにしても、まさか日比谷公園に来て、
リバティベルのダウンジャケットなんて昭和の思い出話をするとは思わなかったゼ(^^ゞ
おしまい
2023年03月17日
日比谷公園で寒緋桜と大寒桜
ソメイヨシノではないサクラをできるだけたくさん見るのが私のお花見ポリシー。日比谷公園でカンヒザクラとオオカンザクラが咲いているのを知り、虎ノ門方面に出かけたついでに立ち寄ってきた。撮影は3月9日。
いつもと違って日比谷公会堂のところから園内を進む。
第2花壇と呼ばれている芝生広場。ただし普段は中には入れない。昨年秋に訪れたガーデニングショーで初めて足を踏み入れた。
大きな時計が12時を指しているのは、
故障しているから(^^ゞ
バラはまだ芽吹きだしたところ。
噴水では、お約束の高速シャッター。
心字池も今回は下から丸の内方向を眺めたのみ。
鴨の逆立ち姿。
水草などを食べているのだろうが、水中に潜ったりはしない。これで水草に口が届くということは、心字池はとても水深が浅いのだろうか。
こちらは第1花壇。
第1花壇の東側にあった彫像。
ここには何度も来ているのに、今までその存在に気づいていなかった。
竪琴を持っているし、何となくギリシャの女神的な雰囲気であるが、これは自由の女神像らしい。ところで自由の女神といえばニューヨークにあるアレが有名というか、ほとんどアレしか思い浮かばない。ニューヨークのは左手で持っているのが独立宣言書だし、右手はタイマツを掲げて照らす行為だから何となく意図せんとするところが分かりやすい。あまり知られていないが足は奴隷制を象徴する鎖を踏みつけている。
それでこの日比谷公園のは何を表現しているのだろう。また自由の女神=ニューヨークのアレと思い込んでいたが、世の中には様々な自由の女神があるのだろうか。調べようと思ったものの、ざっと検索しただけではニューヨークのアレ関連しかヒットしないので諦めた。
ところでこの像は右腕が異様に真っ直ぐ延びていて、
絶対にタクシーを止めてやるとの強い意志を感じるね(^^ゞ
公園の北東側、テニスコートのあるところに赤に近い花が見えてきた。
これがカンヒザクラ。
花びらはあまり開かず釣り鐘状で下向きに咲くのが特徴。亜熱帯性のサクラで、沖縄ではサクラといえばカンヒザクラを指す。ソメイヨシノは沖縄の気候に合わず花を咲かせないようだ。
上の写真を見るときれいなのだが、
角度によっては萎びてぶら下がっているようにも見えてしまう。
サクラあるあるの胴咲きでもしっかり下向き。
カンヒザクラは少し遠目に眺めるのがいいみたい。
ところで日比谷公園のカンヒザクラを見て、
カンヒザクラにまつわるある重大な疑惑が確信に変わった(おおげさ)。
その話はいずれまた。
テニスコートの向こう側にピンクの花。
こちらはオオカンザクラ。
なぜか街灯がサクラの風景に溶け込んでいる。
公園にあるのを街灯と呼ぶのは不自然かな?
カンヒザクラは知らなければサクラとは思わないかも知れない。しかしオオカンザクラは誰もがサクラと思う雰囲気を持っている。
それでも寒桜や大寒桜(花が寒桜より大きい)は、寒緋桜と山桜または大島桜を掛け合わせた栽培品種。つまり半分はカンヒザクラの血を引いている。
なおサクラの品種はその成り立ちで4つに分けられる。
日本の野生種
自然交雑種(野生種同士が自然に混じり合ったもの)
海外の野生種
栽培品種、園芸品種(異なる品種を人工的に掛け合わせたもの)
日本の野生種は10種と11種の学説に分かれている。問題となっているのはカンヒザクラで「日本の野生種である」「台湾の野生種が人によって沖縄などに持ち込まれ広がった」との論争にまだ決着がついていない。ちなみにソメイヨシノは栽培品種ね。
よく見るとオオカンザクラは花びらがボール状にまとまって咲いている。
何となくほんわかした感じ。
寒桜ましてや大寒桜なんて名前を聞くと、その語感からとても寒そうなイメージが思い浮かぶが、実際はピンクの春らしい色の花が咲く。あっ、ピンクに春を感じるのはサクラに慣れ親しんでいる日本人独特の感覚かな?
オオカンザクラの前は少し高台になっている。三笠山と名前がつけられた標高9m!の超低山。もちろん自然の地形ではなく、公園の池などを掘った残土で盛り上げたもの。
その下にあった「水飲み」の器具。説明書きによると馬も水を飲めるように作られているとある。人間も馬と同じところから水を飲んでいたんだ。
登山道を上がって頂上に到着。
高い位置からオオカンザクラを眺めようとの魂胆だったのにーーー。
誰か手前の木を切り倒してくれえ(^^ゞ
ーーー続く
いつもと違って日比谷公会堂のところから園内を進む。
第2花壇と呼ばれている芝生広場。ただし普段は中には入れない。昨年秋に訪れたガーデニングショーで初めて足を踏み入れた。
大きな時計が12時を指しているのは、
故障しているから(^^ゞ
バラはまだ芽吹きだしたところ。
噴水では、お約束の高速シャッター。
心字池も今回は下から丸の内方向を眺めたのみ。
鴨の逆立ち姿。
水草などを食べているのだろうが、水中に潜ったりはしない。これで水草に口が届くということは、心字池はとても水深が浅いのだろうか。
こちらは第1花壇。
第1花壇の東側にあった彫像。
ここには何度も来ているのに、今までその存在に気づいていなかった。
竪琴を持っているし、何となくギリシャの女神的な雰囲気であるが、これは自由の女神像らしい。ところで自由の女神といえばニューヨークにあるアレが有名というか、ほとんどアレしか思い浮かばない。ニューヨークのは左手で持っているのが独立宣言書だし、右手はタイマツを掲げて照らす行為だから何となく意図せんとするところが分かりやすい。あまり知られていないが足は奴隷制を象徴する鎖を踏みつけている。
それでこの日比谷公園のは何を表現しているのだろう。また自由の女神=ニューヨークのアレと思い込んでいたが、世の中には様々な自由の女神があるのだろうか。調べようと思ったものの、ざっと検索しただけではニューヨークのアレ関連しかヒットしないので諦めた。
ところでこの像は右腕が異様に真っ直ぐ延びていて、
絶対にタクシーを止めてやるとの強い意志を感じるね(^^ゞ
公園の北東側、テニスコートのあるところに赤に近い花が見えてきた。
これがカンヒザクラ。
花びらはあまり開かず釣り鐘状で下向きに咲くのが特徴。亜熱帯性のサクラで、沖縄ではサクラといえばカンヒザクラを指す。ソメイヨシノは沖縄の気候に合わず花を咲かせないようだ。
上の写真を見るときれいなのだが、
角度によっては萎びてぶら下がっているようにも見えてしまう。
サクラあるあるの胴咲きでもしっかり下向き。
カンヒザクラは少し遠目に眺めるのがいいみたい。
ところで日比谷公園のカンヒザクラを見て、
カンヒザクラにまつわるある重大な疑惑が確信に変わった(おおげさ)。
その話はいずれまた。
テニスコートの向こう側にピンクの花。
こちらはオオカンザクラ。
なぜか街灯がサクラの風景に溶け込んでいる。
公園にあるのを街灯と呼ぶのは不自然かな?
カンヒザクラは知らなければサクラとは思わないかも知れない。しかしオオカンザクラは誰もがサクラと思う雰囲気を持っている。
それでも寒桜や大寒桜(花が寒桜より大きい)は、寒緋桜と山桜または大島桜を掛け合わせた栽培品種。つまり半分はカンヒザクラの血を引いている。
なおサクラの品種はその成り立ちで4つに分けられる。
日本の野生種
自然交雑種(野生種同士が自然に混じり合ったもの)
海外の野生種
栽培品種、園芸品種(異なる品種を人工的に掛け合わせたもの)
日本の野生種は10種と11種の学説に分かれている。問題となっているのはカンヒザクラで「日本の野生種である」「台湾の野生種が人によって沖縄などに持ち込まれ広がった」との論争にまだ決着がついていない。ちなみにソメイヨシノは栽培品種ね。
よく見るとオオカンザクラは花びらがボール状にまとまって咲いている。
何となくほんわかした感じ。
寒桜ましてや大寒桜なんて名前を聞くと、その語感からとても寒そうなイメージが思い浮かぶが、実際はピンクの春らしい色の花が咲く。あっ、ピンクに春を感じるのはサクラに慣れ親しんでいる日本人独特の感覚かな?
オオカンザクラの前は少し高台になっている。三笠山と名前がつけられた標高9m!の超低山。もちろん自然の地形ではなく、公園の池などを掘った残土で盛り上げたもの。
その下にあった「水飲み」の器具。説明書きによると馬も水を飲めるように作られているとある。人間も馬と同じところから水を飲んでいたんだ。
登山道を上がって頂上に到着。
高い位置からオオカンザクラを眺めようとの魂胆だったのにーーー。
誰か手前の木を切り倒してくれえ(^^ゞ
ーーー続く
2023年03月16日
おかめ桜
緑道を歩いていたらピンクが鮮やかなサクラが咲いていた。
河津桜より明らかに色が濃いし花の形も違う。撮影は3月7日。
オカメザクラのプレートが掛かっていた。
初めて聞く名前だし、おそらく今まで見たこともなかったと思う。
iPhoneのカメラをマクロにして接写していたらミツバチが。
花びらはサクラとして一般的な5枚でも、それぞれが重ならない咲き方。
写真では分からないが、花は少し小さい。
花数も多くて密集しているし、とても花びらが多く感じられるサクラである。
ただし花びらの先が割れているサクラの特徴はあるものの、ちょっと細長いし、プレートがなければこれがサクラかどうか迷ったかも知れない。遠くからだと桃ぽくも見える。
おかめ桜とは
イギリス人の桜研究家コリングウッド・イングラムが
カンヒザクラとマメザクラを交配して、
イギリスで1947年に誕生した園芸品種
だそうだ。イギリスに桜の研究家がいたとは知らなかった。
それにしても、なにゆえ「オカメ」。
オカメとはヒョットコと一緒に登場するあのオカメである。
画像はhttps://nozawa-mingei.com/shop/から引用
ちょっとかわいそうなネーミング。もっとも平安時代にはこういう顔が美人とされたから、時代が変われば美意識も変わるように、イギリス人にはオカメがかわいく思えたのかな。
ネーミングの疑問はともかく、
知らなかったサクラの品種を見られてラッキー。
まさに犬も歩けば棒に当たる(^^ゞ
河津桜より明らかに色が濃いし花の形も違う。撮影は3月7日。
オカメザクラのプレートが掛かっていた。
初めて聞く名前だし、おそらく今まで見たこともなかったと思う。
iPhoneのカメラをマクロにして接写していたらミツバチが。
花びらはサクラとして一般的な5枚でも、それぞれが重ならない咲き方。
写真では分からないが、花は少し小さい。
花数も多くて密集しているし、とても花びらが多く感じられるサクラである。
ただし花びらの先が割れているサクラの特徴はあるものの、ちょっと細長いし、プレートがなければこれがサクラかどうか迷ったかも知れない。遠くからだと桃ぽくも見える。
おかめ桜とは
イギリス人の桜研究家コリングウッド・イングラムが
カンヒザクラとマメザクラを交配して、
イギリスで1947年に誕生した園芸品種
だそうだ。イギリスに桜の研究家がいたとは知らなかった。
それにしても、なにゆえ「オカメ」。
オカメとはヒョットコと一緒に登場するあのオカメである。
画像はhttps://nozawa-mingei.com/shop/から引用
ちょっとかわいそうなネーミング。もっとも平安時代にはこういう顔が美人とされたから、時代が変われば美意識も変わるように、イギリス人にはオカメがかわいく思えたのかな。
ネーミングの疑問はともかく、
知らなかったサクラの品種を見られてラッキー。
まさに犬も歩けば棒に当たる(^^ゞ
2023年03月14日
林試の森で河津桜 2023
東京では本日、サクラ(ソメイヨシノ)の開花が気象庁から発表された。統計を取り始めてからは最も早く、平年より10日早く、また全国で最も早い開花発表だそうだ。とはいっても2020年、2021年も開花発表は3月14日であり、この4年間で3回が本日なのだから、それほど早いとは感じない。昨年は3月20日だった。
参考までに平年値とは過去30年間の平均値。ただし平均値がアップデートされるのは10年に1度で、西暦年4桁の「1の位」が「1」のときに実施される。だから直近で改訂されたのは2021年。
ちょっとややこしいが
2011年から2020年の平年値=1981年から2010年までの平均値
2021年から2030年の平年値=1991年から2020年までの平均値
となる。つまり2020年に平年値というと、39年前の1981年から10年前の2010年の平均値なのに対し、翌2021年に平年値といえば、30年前の1991年から1年前の2020年の平均値となる。対象となる期間の古さがけっこう違うのだ。
どうして毎年アップデートして、
単純な過去30年の平均値にしないのかは知らない。
そのうち調べましょう。
さて東京でメジャーなサクラ品種の咲く順番はおおよそ、
↓カンヒザクラ 寒緋桜
カワヅザクラ 河津桜
ヒガンザクラ 彼岸桜
シダレザクラ
ソメイヨシノ 染井吉野
オオシマザクラ 大島桜
ヤエザクラ 八重桜
ヤマザクラ 山桜
となる(と思う)。
ソメイヨシノがサクラの代表品種だから、それを基準に早咲き、遅咲きにも分けられる。早咲きでもっともポピュラーなのは河津桜だろう。
発祥の地である伊豆の河津町を訪れたことはないものの、それでも各地の河津桜名所はいろいろと巡り歩いてきた。ところが2019年に自宅近くの林試の森公園に河津桜があるのを発見。まさに灯台もと暗し。それ以来は毎年ここで河津桜を眺めるのを楽しみにしている。
このブログでは何度も登場している元林業試験場の林試の森公園。
今回訪れたのは3月4日。
公園に隣接していた団地が取り壊されて更地になっている。
相当に広い敷地だからタワマンでも建つのかな。
西門から入ってすぐの所。
何気なく見上げたら、
この木はサクラだった。
河津桜でもソメイヨシノでもないのは明らかだが、品種名の表示はなかった。
その先にあるのは「大きな広場」と芸のない名前をつけられた場所。
写真左側に植えられているのはソメイヨシノ。
満開の様子はここをクリック。
広場の右側にはプラタナス並木がある。
ここのは新宿御苑のゴツゴツしたプラタナスとはずいぶんと姿が違う。
いつもの橋を渡って、
いつものように池を眺めて、
少し進むと河津桜が見えてくる。
河津桜が植えられているのは芝生広場と呼ばれる場所。とはいっても、夏になればごく薄〜く芝が生えている程度で、現状はほとんど土。
芝生広場の南側の河津桜。
北側。
メインの西側。
なぜか真ん中の木だけがやや葉桜状態。
何度も来て、いつも同じような写真だけれど、
とりあえず満開のお花見気分を味わってちょうだい。
お約束の逆光写真。
これは逆光ぽくないけれど、
逆光じゃなければ花びらに大の字のような模様は浮き上がらない。
ピンクの花が咲いてこそのサクラで、
だからソメイヨシノがあまり好きじゃない私の気持ちを分かってもらえるかな。
南側の河津桜を背にして芝生広場の全景。
ツバキとサザンカは花の形では見分けが難しいが散り方が違う。花ごとポトンと落ちればツバキで、花びらがバラバラに散ればサザンカ。
まだ何も落ちていないぢゃないか(^^ゞ
でもツバキだと思う。
ツバキは何となく冬の花のイメージがあるものの、品種によって咲く時期にかなりの開きがある。ツバキの開花時期として「11月〜12月」または「2月〜4月」と記している園芸本もあるくらい。
これは春咲きのツバキのようだ。
満開の河津桜を楽しんで10日経った本日の帰りに、
また林試の森公園に立ち寄ってみた。
花のまま落ちているからやはりツバキ。
そして満開!
河津桜はというと10日ですっかりーーー
まさに花の命は短くてである。
しかし今年もしっかり満開の姿を見られたのだからシアワセ。
参考までに平年値とは過去30年間の平均値。ただし平均値がアップデートされるのは10年に1度で、西暦年4桁の「1の位」が「1」のときに実施される。だから直近で改訂されたのは2021年。
ちょっとややこしいが
2011年から2020年の平年値=1981年から2010年までの平均値
2021年から2030年の平年値=1991年から2020年までの平均値
となる。つまり2020年に平年値というと、39年前の1981年から10年前の2010年の平均値なのに対し、翌2021年に平年値といえば、30年前の1991年から1年前の2020年の平均値となる。対象となる期間の古さがけっこう違うのだ。
どうして毎年アップデートして、
単純な過去30年の平均値にしないのかは知らない。
そのうち調べましょう。
さて東京でメジャーなサクラ品種の咲く順番はおおよそ、
↓カンヒザクラ 寒緋桜
カワヅザクラ 河津桜
ヒガンザクラ 彼岸桜
シダレザクラ
ソメイヨシノ 染井吉野
オオシマザクラ 大島桜
ヤエザクラ 八重桜
ヤマザクラ 山桜
となる(と思う)。
ソメイヨシノがサクラの代表品種だから、それを基準に早咲き、遅咲きにも分けられる。早咲きでもっともポピュラーなのは河津桜だろう。
発祥の地である伊豆の河津町を訪れたことはないものの、それでも各地の河津桜名所はいろいろと巡り歩いてきた。ところが2019年に自宅近くの林試の森公園に河津桜があるのを発見。まさに灯台もと暗し。それ以来は毎年ここで河津桜を眺めるのを楽しみにしている。
このブログでは何度も登場している元林業試験場の林試の森公園。
今回訪れたのは3月4日。
公園に隣接していた団地が取り壊されて更地になっている。
相当に広い敷地だからタワマンでも建つのかな。
西門から入ってすぐの所。
何気なく見上げたら、
この木はサクラだった。
河津桜でもソメイヨシノでもないのは明らかだが、品種名の表示はなかった。
その先にあるのは「大きな広場」と芸のない名前をつけられた場所。
写真左側に植えられているのはソメイヨシノ。
満開の様子はここをクリック。
広場の右側にはプラタナス並木がある。
ここのは新宿御苑のゴツゴツしたプラタナスとはずいぶんと姿が違う。
いつもの橋を渡って、
いつものように池を眺めて、
少し進むと河津桜が見えてくる。
河津桜が植えられているのは芝生広場と呼ばれる場所。とはいっても、夏になればごく薄〜く芝が生えている程度で、現状はほとんど土。
芝生広場の南側の河津桜。
北側。
メインの西側。
なぜか真ん中の木だけがやや葉桜状態。
何度も来て、いつも同じような写真だけれど、
とりあえず満開のお花見気分を味わってちょうだい。
お約束の逆光写真。
これは逆光ぽくないけれど、
逆光じゃなければ花びらに大の字のような模様は浮き上がらない。
ピンクの花が咲いてこそのサクラで、
だからソメイヨシノがあまり好きじゃない私の気持ちを分かってもらえるかな。
南側の河津桜を背にして芝生広場の全景。
ツバキとサザンカは花の形では見分けが難しいが散り方が違う。花ごとポトンと落ちればツバキで、花びらがバラバラに散ればサザンカ。
まだ何も落ちていないぢゃないか(^^ゞ
でもツバキだと思う。
ツバキは何となく冬の花のイメージがあるものの、品種によって咲く時期にかなりの開きがある。ツバキの開花時期として「11月〜12月」または「2月〜4月」と記している園芸本もあるくらい。
これは春咲きのツバキのようだ。
満開の河津桜を楽しんで10日経った本日の帰りに、
また林試の森公園に立ち寄ってみた。
花のまま落ちているからやはりツバキ。
そして満開!
河津桜はというと10日ですっかりーーー
まさに花の命は短くてである。
しかし今年もしっかり満開の姿を見られたのだからシアワセ。
2023年03月13日
海女さんの不思議な理屈
しばらく前に、素潜りでアワビやサザエなどを獲る漁師のドキュメンタリー番組を見た。漁師はそこそこ若い男性。素潜り漁といえば海女さんを思い浮かべるが、男性ならなんと呼ぶのだろうかと調べてみると
海人(あま)=素潜り漁を職業とする人
海士(あま)=男性の海人
海女(あま)=女性の海人
ーーーと、すべてアマだった(^^ゞ
何となく女性が多いイメージがあるが、具体的なところは調べても分からなかった。なお身体的に女性が男性よりとりわけ潜水に適しているわけではなく、それなのに女性が多い理由としては
男性より皮下脂肪が多いので海の冷たさに耐えられる。
神社などに奉納するアワビなどを獲るのは古来から女性の仕事だったのが
引き継がれた。
男性は危険だが漁獲量の多い沖合に出て、女性は漁獲量は少なくても安全な
磯場で漁をする役割分担が生まれた。
など諸説ある。合理的に考えるなら役割分担説かな。
ドキュメンタリー番組に話を戻すと、その若い漁師はまだ新米なので、
海に潜ってもなかなかアワビやサザエを見つけられない。
ベテランと較べれば潜っていられる時間も半分。
↓
結果、獲れる量はベテランの1/3ほど(/o\)
まあ仕方ないよね、厳しい仕事だよねと思いながら番組を見ていて、
ふと気がついた。
どうしてスキューバダイビングの器材(酸素ボンベなど)を使わない?
なぜ今の時代に素潜りなのか?
調べてみると、海女さんたちが酸素ボンベを使わないのは、そうすると長く潜れるので獲りすぎて水産資源が枯渇するというものだった。法律的なところまでは調べていないものの、実質禁止されている状態。
もっともらしい理屈に聞こえるかも知れないが、乱獲を防ぎたければ漁獲量を規制すればいいのであって、より楽に・安全に・効率よく操業できる酸素ボンベを使用しないのは考え方としておかしいと思う。
しかし海女さん業界はそういう思考で成り立っているらしく、次のようなことも分かった。
水中メガネが使われ出したのは明治10年頃から。
当初は海の中がよく見えてアワビなどが獲れすぎるため禁止になったケースも。
ウエットスーツが普及したのは昭和30年代。
これによりより長く操業できるようになったが(身体が冷えにくいから)、
それが乱獲につながると禁止されている地域もある。
有名なのは長崎の壱岐島(いきのしま)のレオタード漁。ウエットスーツは禁止で
エアロビ用のレオタード着用がルールになっている。レオタードと水着と何が違うのか
よく知らないが、とにかくレオタードである。
なおこれは観光用のポスターなので、実際にレオタードを着ている海女さんは
オバチャンやオバアチャンだよ(^^ゞ
とにかく乱獲に対しては漁獲量を直接的に規制するのではなく、潜水漁をより苦しく難しくすることによって対応する習わしのようだ。素潜りだと潜って、海面に出て息を整えて、また海底まで潜るの繰り返しになる。酸素ボンベを使えば同じ漁獲量に対して操業時間は1/10以下になるのではないか? 余った時間で他の仕事もできるというもの。なぜそうしないのか理解できないが、海女さんたちは反対していないようなので、別に私が文句を言う筋合いでもないか。
海人(あま)=素潜り漁を職業とする人
海士(あま)=男性の海人
海女(あま)=女性の海人
ーーーと、すべてアマだった(^^ゞ
何となく女性が多いイメージがあるが、具体的なところは調べても分からなかった。なお身体的に女性が男性よりとりわけ潜水に適しているわけではなく、それなのに女性が多い理由としては
男性より皮下脂肪が多いので海の冷たさに耐えられる。
神社などに奉納するアワビなどを獲るのは古来から女性の仕事だったのが
引き継がれた。
男性は危険だが漁獲量の多い沖合に出て、女性は漁獲量は少なくても安全な
磯場で漁をする役割分担が生まれた。
など諸説ある。合理的に考えるなら役割分担説かな。
ドキュメンタリー番組に話を戻すと、その若い漁師はまだ新米なので、
海に潜ってもなかなかアワビやサザエを見つけられない。
ベテランと較べれば潜っていられる時間も半分。
↓
結果、獲れる量はベテランの1/3ほど(/o\)
まあ仕方ないよね、厳しい仕事だよねと思いながら番組を見ていて、
ふと気がついた。
どうしてスキューバダイビングの器材(酸素ボンベなど)を使わない?
なぜ今の時代に素潜りなのか?
調べてみると、海女さんたちが酸素ボンベを使わないのは、そうすると長く潜れるので獲りすぎて水産資源が枯渇するというものだった。法律的なところまでは調べていないものの、実質禁止されている状態。
もっともらしい理屈に聞こえるかも知れないが、乱獲を防ぎたければ漁獲量を規制すればいいのであって、より楽に・安全に・効率よく操業できる酸素ボンベを使用しないのは考え方としておかしいと思う。
しかし海女さん業界はそういう思考で成り立っているらしく、次のようなことも分かった。
水中メガネが使われ出したのは明治10年頃から。
当初は海の中がよく見えてアワビなどが獲れすぎるため禁止になったケースも。
ウエットスーツが普及したのは昭和30年代。
これによりより長く操業できるようになったが(身体が冷えにくいから)、
それが乱獲につながると禁止されている地域もある。
有名なのは長崎の壱岐島(いきのしま)のレオタード漁。ウエットスーツは禁止で
エアロビ用のレオタード着用がルールになっている。レオタードと水着と何が違うのか
よく知らないが、とにかくレオタードである。
なおこれは観光用のポスターなので、実際にレオタードを着ている海女さんは
オバチャンやオバアチャンだよ(^^ゞ
とにかく乱獲に対しては漁獲量を直接的に規制するのではなく、潜水漁をより苦しく難しくすることによって対応する習わしのようだ。素潜りだと潜って、海面に出て息を整えて、また海底まで潜るの繰り返しになる。酸素ボンベを使えば同じ漁獲量に対して操業時間は1/10以下になるのではないか? 余った時間で他の仕事もできるというもの。なぜそうしないのか理解できないが、海女さんたちは反対していないようなので、別に私が文句を言う筋合いでもないか。
2023年03月12日
隅田公園なのに墨田公園?
向島百花園でウメを眺めて、スカイツリーで高いものを見上げる訓練(前回のブログ参照)をした後は隅田公園に立ち寄ってきた。
江戸時代から隅田川の川沿いはサクラの名所として親しまれた場所であるが、1923年(大正12年)の関東大震災の後に、東京の防災都市化&復興事業として浜町公園、錦糸町公園とともに整備されたのが隅田公園。隅田川を挟んで西側が台東区、東側が墨田区であり、それぞれの区立公園として管理されている。こういう自治体をまたぐ公園はめずらしいのでは。
サクラで有名なのはもちろん、隅田川花火大会の花火もこのあたりから打ち上げられる。面積はどの資料でも台東区側10ヘクタール、墨田区側8ヘクタールと書かれている。しかし敷地を色づけしてみると台東区側が墨田区側の3倍近くありそうに見える。ちょっとナゾ
台東区側の隅田公園は、その中にある「梅めぐり散歩道」を2021年に歩いたので、今回は墨田区側を訪れた。スカイツリーからは徒歩10分ほどの距離。
公園の入口。
ブログのタイトルがおかしな文章になっているのは、
この標識が原因。
隅田公園は台東区側が「隅田」公園、墨田区側が「墨田」公園ではなく、どちらも「隅田」公園である。なのにここには墨田公園広場一帯と「墨田」の文字が使われている。どうして? 標識の下の石垣にはしっかり「隅田」公園と彫られているのに。
ひょっとして「墨田公園広場」とは、隅田公園内の広場につけられた固有名詞かと思い検索してみたが、そんな名前では1件もヒットせず。なおかつ公園内の広場(最初の写真の奥のほう)は「そよ風ひろば」との名前だと判明! よってますます意味不明(/o\)
では他の標識はどうなっているか。実はブログを書くため写真を整理しているときに「墨田公園広場」の文字を見つけた。だから現地で疑問に思っていたわけではない。私がまたこの公園に行く機会は当分ないだろうから、誰か真相を解明してちょうだい。
サクラがメインの公園なのでウメは数えるほどだけ。
ちょっと雰囲気がよさそうな場所があったけれど、
工事中で近づけず。
池を改修しているようだ。この池の周りは日本庭園としての造りになっているようなのだが、工事中で立ち入れなかった。
それと庭園の風景そのものは変わっていないはずなのに、ブルーシートが見えるだけで趣きがほとんど感じられなくなるものだと妙なところに目がいく。
公園内にある牛嶋神社。
この神社について検索すると、すべての情報で「牛嶋」神社と表記されている。なのに境内にあるこの石碑は「牛島」神社。隅田公園は漢字の使い方がちょっと変わっている?
よく見ると「島」の下のほうは「山」だけではなく「ヒ」みたいなものが書かれている。こんな漢字は初めて見た。
境内の河津桜は満開。
そろそろ帰ろうかと、
また工事中の池のそばを歩いていたときに見つけたのが、この烈公梅。
案内板に書かれていた「水戸にしかない品種とされる」の表現。まあ言いたい意味は分かるとしても、現にここ東京都墨田区で咲いているのだから、ちょっと違和感を覚えたり。また大輪と書かれているものの、ごく普通サイズの花だった。なお墨田区側の隅田公園は水戸藩の屋敷があった場所。
案内板にあるように烈公とは幕末の水戸藩主である徳川斉昭(なりあき:最後の将軍である徳川慶喜よしのぶのお父さんね)の諡号(しごう)である。諡号とは身分の高い人が死んだときに贈られる名前。
烈(れつ)とは激しいや厳しいなどの意味で強烈や激烈などの単語が思い浮かぶ。徳川斉昭は気性の荒い人物だったため、この諡号が贈られたとされる。しかし死者を敬うための名前としてはちょっとヘン。彼は徳川御三家の当主だから、幕府としても無下(むげ)には扱えない人物。ただし最後は井伊直弼との政治闘争に敗れて謹慎処分となり、それが解けぬうちに病死している。諡号を贈るのは権力側だろうから「ああ、うるさい奴だった」という意味が込められていたのかも(^^ゞ
でも烈公梅と名付けられたウメは、その名に反してとても可憐で美しい。
この姿に似合う名前にしてあげて欲しかったな。
向島百花園でウメを眺めて、スカイツリーを見上げた後は、
この烈公ちゃんで見納めして終了。
江戸時代から隅田川の川沿いはサクラの名所として親しまれた場所であるが、1923年(大正12年)の関東大震災の後に、東京の防災都市化&復興事業として浜町公園、錦糸町公園とともに整備されたのが隅田公園。隅田川を挟んで西側が台東区、東側が墨田区であり、それぞれの区立公園として管理されている。こういう自治体をまたぐ公園はめずらしいのでは。
サクラで有名なのはもちろん、隅田川花火大会の花火もこのあたりから打ち上げられる。面積はどの資料でも台東区側10ヘクタール、墨田区側8ヘクタールと書かれている。しかし敷地を色づけしてみると台東区側が墨田区側の3倍近くありそうに見える。ちょっとナゾ
台東区側の隅田公園は、その中にある「梅めぐり散歩道」を2021年に歩いたので、今回は墨田区側を訪れた。スカイツリーからは徒歩10分ほどの距離。
公園の入口。
ブログのタイトルがおかしな文章になっているのは、
この標識が原因。
隅田公園は台東区側が「隅田」公園、墨田区側が「墨田」公園ではなく、どちらも「隅田」公園である。なのにここには墨田公園広場一帯と「墨田」の文字が使われている。どうして? 標識の下の石垣にはしっかり「隅田」公園と彫られているのに。
ひょっとして「墨田公園広場」とは、隅田公園内の広場につけられた固有名詞かと思い検索してみたが、そんな名前では1件もヒットせず。なおかつ公園内の広場(最初の写真の奥のほう)は「そよ風ひろば」との名前だと判明! よってますます意味不明(/o\)
では他の標識はどうなっているか。実はブログを書くため写真を整理しているときに「墨田公園広場」の文字を見つけた。だから現地で疑問に思っていたわけではない。私がまたこの公園に行く機会は当分ないだろうから、誰か真相を解明してちょうだい。
サクラがメインの公園なのでウメは数えるほどだけ。
ちょっと雰囲気がよさそうな場所があったけれど、
工事中で近づけず。
池を改修しているようだ。この池の周りは日本庭園としての造りになっているようなのだが、工事中で立ち入れなかった。
それと庭園の風景そのものは変わっていないはずなのに、ブルーシートが見えるだけで趣きがほとんど感じられなくなるものだと妙なところに目がいく。
公園内にある牛嶋神社。
この神社について検索すると、すべての情報で「牛嶋」神社と表記されている。なのに境内にあるこの石碑は「牛島」神社。隅田公園は漢字の使い方がちょっと変わっている?
よく見ると「島」の下のほうは「山」だけではなく「ヒ」みたいなものが書かれている。こんな漢字は初めて見た。
境内の河津桜は満開。
そろそろ帰ろうかと、
また工事中の池のそばを歩いていたときに見つけたのが、この烈公梅。
案内板に書かれていた「水戸にしかない品種とされる」の表現。まあ言いたい意味は分かるとしても、現にここ東京都墨田区で咲いているのだから、ちょっと違和感を覚えたり。また大輪と書かれているものの、ごく普通サイズの花だった。なお墨田区側の隅田公園は水戸藩の屋敷があった場所。
案内板にあるように烈公とは幕末の水戸藩主である徳川斉昭(なりあき:最後の将軍である徳川慶喜よしのぶのお父さんね)の諡号(しごう)である。諡号とは身分の高い人が死んだときに贈られる名前。
烈(れつ)とは激しいや厳しいなどの意味で強烈や激烈などの単語が思い浮かぶ。徳川斉昭は気性の荒い人物だったため、この諡号が贈られたとされる。しかし死者を敬うための名前としてはちょっとヘン。彼は徳川御三家の当主だから、幕府としても無下(むげ)には扱えない人物。ただし最後は井伊直弼との政治闘争に敗れて謹慎処分となり、それが解けぬうちに病死している。諡号を贈るのは権力側だろうから「ああ、うるさい奴だった」という意味が込められていたのかも(^^ゞ
でも烈公梅と名付けられたウメは、その名に反してとても可憐で美しい。
この姿に似合う名前にしてあげて欲しかったな。
向島百花園でウメを眺めて、スカイツリーを見上げた後は、
この烈公ちゃんで見納めして終了。
2023年03月10日
スカイツリーを我慢して見上げる(>_<)
先日に訪れた向島百花園はスカイツリーから約1.5キロの場所にある。
実は高所恐怖症とは逆の「高いものを見上げると足がすくむ」という特異体質を持っている。それがどういうものかについては以前に書いた。
それでウメと一緒にスカイツリーを眺めているうちに「日本で一番高いものを見上げたらどんな感じだろう?」とあらぬ興味がフツフツと(^^ゞ それとスカイツリーはそこそこ近い場所から見たことはあっても、立っている場所に行く機会はなかったので、ついでに寄ってみるかとーーー
スカイツリーが見える方向へと適当に歩き出す。
どこからでも見えるけれど、なかなか近づかない(/o\)
30分ほど歩いてようやく近くまで来た。
スカイツリーの正式名は東京スカイツリーなのに、
なぜか駅名は東京が平仮名。
イザ見上げる。
身体が宙に浮いている感覚におそわれる(>_<)
もっと根本まで近づこう。
真下から勇気を出して!
実は高いビルの近くに来たときに、チラッと見上げて「あっ、クラッと来た来た」と楽しむこともある。しかしさすがに634mの高さのあるスカイツリーではクラッとくるのレベルが違う。手すりのようなものに身体を持たれかけて見上げたのだが、それでも平衡感覚をほとんど失ったような気分になった。手すりがなければ立っていられなかったかも。これって病気なのかちょっと心配。
この位置からだとスカイツリーに近すぎて展望台より上のほうが見えないので、川を渡った所から再び眺めた。上の写真は川の右側の階段あるところから撮ったもの。
しかしアンテナのような部分がギリ見えた程度。その巨大さもイメージできるよう3分割写真でご紹介。近くで見るとスカイツリーの鉄骨はなかなか美しい。
川から伸びている路地を下がって、
大通りと接する位置から(日の当たっているあたり)撮ってみた。
テッペンまで見渡せるようになったものの、周りの建物がジャマ(^^ゞ
この場所では身体を預けるものがないので、カメラのチルトモニターを引き出して、目では見上げずレンズだけを上に向けて撮った。こんなイメージね。
とりあえずスカイツリー上部のどアップを。
200mほど移動した位置から。
これくらい離れたほうがスカイツリーの姿はバランスがいい。
スカイツリー上部左側に見えている白い点は月。
ただこの距離でもスカイツリーを見上げるとクラクラする。
いわゆる超高層ビル(高さ150m以上)なら平気なのに。
三角関数を使って仰角を求めると
高さ634m 距離200m で 72度
高さ150m 距離200m で 45度
高さ150m 距離10m で 86度
これだけ離れていても超高層ビルの壁際10mから見上げている角度とあまり変わりない。やはり634mは高いーーーと、こんな計算をして感心しているのは私くらいだろうな(^^ゞ
実は高所恐怖症とは逆の「高いものを見上げると足がすくむ」という特異体質を持っている。それがどういうものかについては以前に書いた。
それでウメと一緒にスカイツリーを眺めているうちに「日本で一番高いものを見上げたらどんな感じだろう?」とあらぬ興味がフツフツと(^^ゞ それとスカイツリーはそこそこ近い場所から見たことはあっても、立っている場所に行く機会はなかったので、ついでに寄ってみるかとーーー
スカイツリーが見える方向へと適当に歩き出す。
どこからでも見えるけれど、なかなか近づかない(/o\)
30分ほど歩いてようやく近くまで来た。
スカイツリーの正式名は東京スカイツリーなのに、
なぜか駅名は東京が平仮名。
イザ見上げる。
身体が宙に浮いている感覚におそわれる(>_<)
もっと根本まで近づこう。
真下から勇気を出して!
実は高いビルの近くに来たときに、チラッと見上げて「あっ、クラッと来た来た」と楽しむこともある。しかしさすがに634mの高さのあるスカイツリーではクラッとくるのレベルが違う。手すりのようなものに身体を持たれかけて見上げたのだが、それでも平衡感覚をほとんど失ったような気分になった。手すりがなければ立っていられなかったかも。これって病気なのかちょっと心配。
この位置からだとスカイツリーに近すぎて展望台より上のほうが見えないので、川を渡った所から再び眺めた。上の写真は川の右側の階段あるところから撮ったもの。
しかしアンテナのような部分がギリ見えた程度。その巨大さもイメージできるよう3分割写真でご紹介。近くで見るとスカイツリーの鉄骨はなかなか美しい。
川から伸びている路地を下がって、
大通りと接する位置から(日の当たっているあたり)撮ってみた。
テッペンまで見渡せるようになったものの、周りの建物がジャマ(^^ゞ
この場所では身体を預けるものがないので、カメラのチルトモニターを引き出して、目では見上げずレンズだけを上に向けて撮った。こんなイメージね。
とりあえずスカイツリー上部のどアップを。
200mほど移動した位置から。
これくらい離れたほうがスカイツリーの姿はバランスがいい。
スカイツリー上部左側に見えている白い点は月。
ただこの距離でもスカイツリーを見上げるとクラクラする。
いわゆる超高層ビル(高さ150m以上)なら平気なのに。
三角関数を使って仰角を求めると
高さ634m 距離200m で 72度
高さ150m 距離200m で 45度
高さ150m 距離10m で 86度
これだけ離れていても超高層ビルの壁際10mから見上げている角度とあまり変わりない。やはり634mは高いーーーと、こんな計算をして感心しているのは私くらいだろうな(^^ゞ
2023年03月09日
向島百花園でウメとスカイツリー その2
白梅と濃さの違うピンク梅3本。
前回でも紅梅の色について書いた。白でなければすべて紅梅とする考えもあるし、そこまで極端でなくても上のピンクの1枚目くらいに色が濃ければ紅梅と呼ぶことも多い。しかし紅とは赤より鮮やかで深い色だと捉えているので、やはり下の写真くらい赤純度が高くなければ紅梅ではないというのが私の感覚。写真は2015年に神代植物園で撮ったもの。
同じ順番でアップを。
白梅と紅梅あるいはピンク梅が重なっている風景は美しい。
グリーンとの組み合わせも生命感があって悪くない。
先日の新宿御苑で初めて見たフクジュソウと、
サンシュユも向島百花園に咲いていた。
その時も書いたように、サンシュユの黄色はウメの花を引き立てるので一緒に植えて欲しい。この写真も神代植物園。
ウメ以外いろいろ。
フヨウは枯れた姿がドライフラワーみたいで印象的。
咲いている様子はここをクリック。
侘助(わびすけ)はツバキの一種。
木五倍子と書いてキブシと読む植物の実。
漢字を分解すれば五倍が「ブ」に当たるけれど、まあ読めないわな。
キブシの実からは黒色の染料が取れ、お歯黒の材料として利用されたそうだ。それにしても昔は歯が黒いのが美しいとされたのだから、美の感覚って変わるものだ。
画像はhttps://www.pinterest.jp/pin/820358888356471403/から引用
例によって逆光のスケスケ写真を撮る。
園内のウメ風景いろいろ。
昨年に訪れた京王百草園と名前が似ているから、何となく同じような雰囲気を想像していたものの、広さや品種数はかなり違って、向島百花園はコンパクトな梅園だった。園内を何度も回ったが、それでも滞在時間は45分ほど。ちょっと物足りない。
そういえばシダレのウメがなかったなと思っていたら、
入口に鉢植えで出迎えてくれていたのを帰るときに気づく(^^ゞ
こんなのがベランダに欲しいね。
おしまい
前回でも紅梅の色について書いた。白でなければすべて紅梅とする考えもあるし、そこまで極端でなくても上のピンクの1枚目くらいに色が濃ければ紅梅と呼ぶことも多い。しかし紅とは赤より鮮やかで深い色だと捉えているので、やはり下の写真くらい赤純度が高くなければ紅梅ではないというのが私の感覚。写真は2015年に神代植物園で撮ったもの。
同じ順番でアップを。
白梅と紅梅あるいはピンク梅が重なっている風景は美しい。
グリーンとの組み合わせも生命感があって悪くない。
先日の新宿御苑で初めて見たフクジュソウと、
サンシュユも向島百花園に咲いていた。
その時も書いたように、サンシュユの黄色はウメの花を引き立てるので一緒に植えて欲しい。この写真も神代植物園。
ウメ以外いろいろ。
フヨウは枯れた姿がドライフラワーみたいで印象的。
咲いている様子はここをクリック。
侘助(わびすけ)はツバキの一種。
木五倍子と書いてキブシと読む植物の実。
漢字を分解すれば五倍が「ブ」に当たるけれど、まあ読めないわな。
キブシの実からは黒色の染料が取れ、お歯黒の材料として利用されたそうだ。それにしても昔は歯が黒いのが美しいとされたのだから、美の感覚って変わるものだ。
画像はhttps://www.pinterest.jp/pin/820358888356471403/から引用
例によって逆光のスケスケ写真を撮る。
園内のウメ風景いろいろ。
昨年に訪れた京王百草園と名前が似ているから、何となく同じような雰囲気を想像していたものの、広さや品種数はかなり違って、向島百花園はコンパクトな梅園だった。園内を何度も回ったが、それでも滞在時間は45分ほど。ちょっと物足りない。
そういえばシダレのウメがなかったなと思っていたら、
入口に鉢植えで出迎えてくれていたのを帰るときに気づく(^^ゞ
こんなのがベランダに欲しいね。
おしまい
2023年03月08日
向島百花園でウメとスカイツリー
先日に訪れた新宿御苑は、広くて美しい庭園を歩けて満足度は高かったものの、よく考えたらウメの種類は少なかった。そこでもうひとつくらい梅園を見に行くかと。
訪れたのは2月28日で墨田区にある向島(むこうじま)百花園。
隅田川と荒川に挟まれたエリアのだいたい上1/3くらいが墨田区である。その下が江東区。墨田区が「隅田区」じゃないのは、江戸時代から隅田川の堤は「墨堤(ぼくてい)」と呼ばれており、そちらの名前(というか漢字)に馴染みがあったからとされる。
では本来なら「隅田堤(すみだつつみ)」のはずが、なぜ「墨堤(ぼくてい)」と読み替えられたのか。江戸時代から隅田川の堤は桜の名所。当時流行った漢詩でここを詠むときに「隅」を音読みして「墨」にしたようだ。つまり中国風の当て字みたいなものかな。
ところで江東区(こうとうく)は江戸の東側だから江東区かと思っていたが、「江」とは大きな川の意味で隅田川の東側だから江東区。日本で江=川のイメージはないから、中国の揚子江の江を思い出して。中国語では川の大きさの順で江>河>川なんだそうだ。そういえば黄河というのも教科書に載っていた。
東武スカイツリー線の東向島駅で下車。スカイツリーの開業(2012年)にあわせて東武伊勢崎線の一部区間に東武スカイツリー線の愛称が使われるようになった。
線路の高架沿いにレトロな列車が置かれているのは、
高架下を利用した東武博物館があるから。
いわゆる鉄道博物館。
この標識に沿って真っ直ぐ進めばいい。
こういう町並みを通り抜けると、
百花園入口の交差点がある。
道路の風景を撮り忘れたが、交差しているのは明治通り。
明治通りといえば渋谷〜原宿あたりのイメージが強いものの、
環状5号線でもあるので、実はグルッと東京を回っている。
明治通りを渡るとすぐに向島百花園が見えてくる。
ただし入口は写真左側の先。
壁が途切れたところを入ってみると児童公園になっていて、
アレッ?という感じ。
向島百花園の入口は児童公園を突っ切った先にあった。
入園料は150円。
この門をくぐれば、
ウメワールドが広がっている。
23区内だし駅近だし、高い建物に取り囲まれているのは仕方ないところ。
白いウメは白加賀。
こちらは紅千鳥。
ウメの色は白かピンクか赤である。言い換えれば白から赤までの範囲がある。しかし言葉としては白梅と紅梅のふたつだけ。写真のウメの名前は紅千鳥。しかし赤でも紅(べに または くれない:濃い赤を意味する)でもなく濃いめのピンクである。どこまでを紅梅と呼ぶのかといつも思う。いっそ桃梅という単語を作ればとも考えるが、そうするとそれがモモなのかウメなのかわからなくなる新たな問題が(^^ゞ
なお分類学的?に白梅と紅梅の違いとは花の色ではなく、枝や幹を切ったときの断面の色で区別されるらしい。そして白い梅の木から赤い花が咲くこともあれば、その逆も。つまり真っ白な紅梅もあり得るわけで、ウメの色は何かとややこしい。
画像はhttps://note.com/ladylike/n/n42b7965f769cから引用
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
紅白のウメを楽しみましょう。
ウメとスカイツリーの組み合わせもオツなもの。
スカイツリーまでの距離は約1.5キロ。
池を渡る石の上から、
右見て左見て。
上の写真とこの園内マップと照らし合わせれば、どれくらいの広さなのかイメージできると思う。敷地面積は約8800平米だからあまり広くない。
東京の雪吊りに実用性はなく、単に冬の風情を演出するためのもの。
もう春なんだからとっとと撤去して欲しいな。
新宿御苑で立派な松をたくさん見てきたばかりだからーーー
わずかだけれど竹林もある。
園内にはこんな石碑がそこら中に建っていて全部で29基もある。
ちょっと多すぎて目にウルサイ。
これは幕末から明治中期にかけての浮世絵師、月岡芳年(つきおか よしとし)の記念碑。彼の生涯が記されているようだ。もちろんまったく読み取れず(>_<)
はぎのトンネル。萩が咲くのは秋なので今はただの竹細工。
秋の様子はここをクリック。
竹格子から眺めるウメもまたよし。
ーーー続く
訪れたのは2月28日で墨田区にある向島(むこうじま)百花園。
隅田川と荒川に挟まれたエリアのだいたい上1/3くらいが墨田区である。その下が江東区。墨田区が「隅田区」じゃないのは、江戸時代から隅田川の堤は「墨堤(ぼくてい)」と呼ばれており、そちらの名前(というか漢字)に馴染みがあったからとされる。
では本来なら「隅田堤(すみだつつみ)」のはずが、なぜ「墨堤(ぼくてい)」と読み替えられたのか。江戸時代から隅田川の堤は桜の名所。当時流行った漢詩でここを詠むときに「隅」を音読みして「墨」にしたようだ。つまり中国風の当て字みたいなものかな。
ところで江東区(こうとうく)は江戸の東側だから江東区かと思っていたが、「江」とは大きな川の意味で隅田川の東側だから江東区。日本で江=川のイメージはないから、中国の揚子江の江を思い出して。中国語では川の大きさの順で江>河>川なんだそうだ。そういえば黄河というのも教科書に載っていた。
東武スカイツリー線の東向島駅で下車。スカイツリーの開業(2012年)にあわせて東武伊勢崎線の一部区間に東武スカイツリー線の愛称が使われるようになった。
線路の高架沿いにレトロな列車が置かれているのは、
高架下を利用した東武博物館があるから。
いわゆる鉄道博物館。
この標識に沿って真っ直ぐ進めばいい。
こういう町並みを通り抜けると、
百花園入口の交差点がある。
道路の風景を撮り忘れたが、交差しているのは明治通り。
明治通りといえば渋谷〜原宿あたりのイメージが強いものの、
環状5号線でもあるので、実はグルッと東京を回っている。
明治通りを渡るとすぐに向島百花園が見えてくる。
ただし入口は写真左側の先。
壁が途切れたところを入ってみると児童公園になっていて、
アレッ?という感じ。
向島百花園の入口は児童公園を突っ切った先にあった。
入園料は150円。
この門をくぐれば、
ウメワールドが広がっている。
23区内だし駅近だし、高い建物に取り囲まれているのは仕方ないところ。
白いウメは白加賀。
こちらは紅千鳥。
ウメの色は白かピンクか赤である。言い換えれば白から赤までの範囲がある。しかし言葉としては白梅と紅梅のふたつだけ。写真のウメの名前は紅千鳥。しかし赤でも紅(べに または くれない:濃い赤を意味する)でもなく濃いめのピンクである。どこまでを紅梅と呼ぶのかといつも思う。いっそ桃梅という単語を作ればとも考えるが、そうするとそれがモモなのかウメなのかわからなくなる新たな問題が(^^ゞ
なお分類学的?に白梅と紅梅の違いとは花の色ではなく、枝や幹を切ったときの断面の色で区別されるらしい。そして白い梅の木から赤い花が咲くこともあれば、その逆も。つまり真っ白な紅梅もあり得るわけで、ウメの色は何かとややこしい。
画像はhttps://note.com/ladylike/n/n42b7965f769cから引用
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
紅白のウメを楽しみましょう。
ウメとスカイツリーの組み合わせもオツなもの。
スカイツリーまでの距離は約1.5キロ。
池を渡る石の上から、
右見て左見て。
上の写真とこの園内マップと照らし合わせれば、どれくらいの広さなのかイメージできると思う。敷地面積は約8800平米だからあまり広くない。
東京の雪吊りに実用性はなく、単に冬の風情を演出するためのもの。
もう春なんだからとっとと撤去して欲しいな。
新宿御苑で立派な松をたくさん見てきたばかりだからーーー
わずかだけれど竹林もある。
園内にはこんな石碑がそこら中に建っていて全部で29基もある。
ちょっと多すぎて目にウルサイ。
これは幕末から明治中期にかけての浮世絵師、月岡芳年(つきおか よしとし)の記念碑。彼の生涯が記されているようだ。もちろんまったく読み取れず(>_<)
はぎのトンネル。萩が咲くのは秋なので今はただの竹細工。
秋の様子はここをクリック。
竹格子から眺めるウメもまたよし。
ーーー続く