2023年05月

2023年05月31日

エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才 その3

エゴン・シーレは風景画も残している。
次の2点は17歳頃の作品だから最初の展覧会に参加する前。
言っちゃ悪いが平凡で退屈。

「山腹の村」 1907年
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「秋の森」 1907年
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その5年後に描いた22歳頃の作品が 「カルヴァリオへの道」 1912年
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カルヴァリオ(Calvaria)とはラテン語で、それをヘブライ語に置き換えるとゴルゴダ(Golgotha)になる。ゴルゴダの丘といえばキリストが十字架に掛けられたエルサレム郊外の地名。日本ではカルヴァリオよりゴルゴダのほうがわかりやすいだろう。

エゴン・シーレはエルサレムに出かけた経験はなく、これは彼の住むウィーン郊外のどこかの風景をゴルゴダに見立てたものだろう。十字架が3本立っているのはキリストと一緒に2人の罪人も処刑されたとルカの福音書にあるから。これは宗教画というより聖書の一節にインスピレーションを得ての作品と思う。

それにしても十字架以外の棒は何なのだろう。たまたまカルヴァリオ=ゴルゴダだと知っていたからテーマを読み取れたが、タイトルを見るまでは電信柱が描かれた風景画だと思っていた(/o\)

なお作品のオリジナルタイトルは「Kalvarienberg」(ドイツ語でのカルヴァリオ)なのに、それを「カルヴァリオへの道」と「への道」を付け加えるのは意訳すぎると思う。ついでに言うなら日本語表記はゴルゴダにすべき。


「吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)」 1912年
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知らずに見れば抽象画と思うはず。しかしタイトルを読めば分かるように風景画である。初回に書いたようにデフォルメせずにはいられない画家だから、風景画もこうなったのだろうか。表現としてはなかなか面白いので、このタイプの作品があるのならもっと見たいもの。


「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街 IV)」 1914年
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「ドナウ河畔の街シュタイン II」 1913年
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どこがと問われると困るが、この2つはどちらもエゴン・シーレらしい感じがする。彼独特の暗い色調がそう思わせるのかな。ただ彼が人物を暗く描くとどことなく「死」の匂いがするのに、なぜか風景画では暗くてもカワイイ印象になるのが不思議。


次は静物画。

「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」 1907年
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画像では少し暗くなっているが、背景のグレーは銀色で黄色い部分は金色に塗られている(よりわかりやすい画像へのリンクはこちら)。このあたりはクリムトの影響とされる。より金を多用するクリムトに対して、エゴン・シーレは「銀のクリムト」と呼ばれたりもした。

ところでエゴン・シーレとクリムトとの関係でよく引き合いに出されるのが、彼が17歳で初めてクリムトに出会った時に作品を見せて交わされた会話。

  シーレ 「僕には才能がありますか?」
  クリムト「才能がある? それどころか、ありすぎる」

何となくエゴン・シーレが憧れの大御所クリムトに、おどおどと自信なさげに尋ねたようなニュアンスで紹介される場合が多い。ここから師弟愛が芽生えたと連想させる美しいエピソード。しかし私はエゴン・シーレが「このオッサン(当時クリムトは45歳)にオレ様の新しい才能が理解できるか、いっちょ確かめたろ」と尋ねたとも解釈できると思っている。

このエピソードの出所を調べて、その原典に当たろうとまでするつもりはない。でもこの手の話は、また特にネット時代になってからはコピペにコピペを重ねたものが多いから、鵜呑みにはできないぞと常々思っているだけ。


「菊」 1910年
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エゴン・シーレが活躍したのはヨーロッパでジャポニスム(日本ブーム)が起きていた時代。本物の菊を見たのか(幕末頃からヨーロッパに輸出されていたらしい)菊を描いた日本画を参考にしたのかは不明なものの、やはりエゴン・シーレの手に掛かると菊も死の匂いが漂うね。


1917年に描かれた肖像画は「カール・グリュンヴァルトの肖像」
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エゴン・シーレはその独特な画風に1911年(21歳の年)には到達している。展覧会では1907年に描かれた肖像画2点も展示されていて、それらはまあ普通の描き方。対してこの1917年の作品はいかにもエゴン・シーレとの印象を受ける。白いシャツが浮き上がるような配色や、人物を少し上から見下ろしたような構図も面白い。

とは言っても(これが依頼されて描かれたものかどうかは知らないが)肖像画なので、ある程度の写実的要素は外せない。だからエゴン・シーレワールドはやや控えめ。人体はそれほどデフォルメされていないし、死を連想させるような閉塞感もない。でも扉を開けて暗い部屋にこんなオッサンが座っていたら怖い(^^ゞ


そしてエゴン・シーレワールド全開な作品を3つ。

「啓示」 1911年
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「母と子」 1912年
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「母と二人の子ども II」 1915年
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それぞれ何か込められたメッセージがあるのだろうが、それを探ってもあまり意味がない気がする。これらを「キモ可愛い」と思えればエゴン・シーレが好きになるし、不気味としか感じられなければ他の画家の絵を楽しめばいいだけのこと。ただ訳のわからない絵を「ナンジャこれ〜」と笑えるようになれれば絵の世界が広がるよ。



最後にゲス野郎エゴン・シーレの話。

彼は21歳で絵のモデルをしていたヴァリ・ノイツィルという女性と知り合い同棲を始める。一説によるとクリムトのお下がりと噂される(/o\) なにせクリムトは生活を共にするパートナーとは結婚どころか肉体関係も持たなかったのに、愛人に産ませた子供が15人ほどいた風変わりな性豪。

それはさておき、エゴン・シーレはヴァリ・ノイツィルをモデルに絵もたくさん描いて、また4年も同棲したのに「結婚するなら家柄のいい女性」との理由で、25歳の時(1915年)に突然ブルジョワの娘であるエーディト・ハームスと結婚する。

その時にヴァリも失いたくない考えた彼は、結婚後もたまには一緒に旅行に出かける関係を続けようと自分勝手な提案をする。もちろんヴァリは憤慨して拒否。

これだけでもゲス野郎だが、エゴン・シーレは結婚したエーディトの姉のアデーレともデキてた。それどころかヴァリと付き合う前は実の妹のゲルティともヤッてた(>_<)


エゴン・シーレとヴァリ・ノイツィル。
彼女は4歳年下なのに、この写真ではまるでエゴン・シーレのお母さんのように見える。
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もうちょっといい写真を。
彼女はハチミツ色の金髪だったと伝えられている。
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こちらはエゴン・シーレとエーディト・ハームス。
彼女よりエゴン・シーレが別人のようにオッサンになっているのに驚く。
撮影は1917年で彼はまだ27歳なのに。
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エーディト・ハームスのアップ。
彼女はエゴン・シーレより3歳年下。
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こちらはヴァリ・ノイツィルをモデルにした「悲しみの女」 1912年。
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目に涙をためているように見える。ただし制作時期的にそれはエゴン・シーレとの離別とは関係ない。彼女の目力に圧倒されて気がつきにくいものの、背後に一輪の花を持った男の顔が描かれており、これはエゴン・シーレ自身とされる。そしてヴァリ・ノイツィルを黒髪、自分を「ハチミツ色の金髪」に塗り分けている。つまりお互いの身体的特徴を入れ替えて描いている。それが愛情表現なのか、単に配色上の都合でそうしたかは不明。それにしてもエゴン・シーレの目がイッてるのはナゼ?


そしてエーディト・ハームスを描いた
「縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ」 1915年
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グリーンをメインにした絵を制作したかったのか髪の毛までが同じ色調。それにしても全体的に優しい雰囲気である。ひょっとしてエゴン・シーレは結婚して毒が抜けたのか。そんなタマじゃないとは思うのだが(^^ゞ


エゴン・シーレはエーディト・ハームスと結婚して3日後にオーストリア=ハンガリー帝国軍に招集され第1次世界大戦に従軍する。しかし軍上層部が芸術に理解があったようで前線には送られず、プラハで捕虜収容所の看守などの任務に就く。2017年にウィーンに転属になると自宅からの勤務。それで絵の制作や発表も可能となった。

先ほど肖像画を紹介したカール・グリュンヴァルトはエゴン・シーレの上官。芸術愛好家で繊維業を営む富豪でもあり、後に彼のパトロンにもなった。だからあの絵には多少のオベンチャラが入っているかも。

エゴン・シーレが除隊になったかどうかはっきりしないのであるが、1918年3月の展覧会には50点以上の新作を一挙に公開して好評を博し、それまでに制作した作品も高値で売れるようになる。7月には富裕層の住む高級住宅地に新しいアトリエを構えた。エーディト・ハームスもめでたく懐妊。

しかし好事魔多しーーー

1918年から1920年にかけて世界人口の1/3が感染し、死亡者数は5000万人から1億人(当時の総人口は18〜19億人)ともいわれるスペイン風邪に夫婦でかかってしまう。1918年10月28日に妊娠6ヶ月のエーディト・ハームスが死去。エゴン・シーレもその3日後に亡くなった。28歳の短い生涯。ちなみに師匠のクリムトも同じ年の2月にスペイン風邪で亡くなっている。こちらは享年55歳。ウィーンは2つの宝を同時に失ったわけだ。

エゴン・シーレがもっと長生きして、どんな画風に変遷していったかにはもちろん興味がある。でもたった28歳で美術史にこれだけのインパクトを残せたのだから、それは素晴らしい人生だったと思う。

  ラファエロ   37歳
  ゴッホ     37歳
  モディリアーニ 35歳
  バスキア    27歳

モーツァルトも35歳だし夭折した芸術家はたくさんいる。彼らの作品に触れるとき、その短い期間であれだけのことを成し遂げた人生はどれだけ濃密だったのだろうと思う。私は無駄に長く生きて、ウス〜い人生を送っているような気がする。まあこうなったらトコトン薄めてやろうと思っているけれど(^^ゞ


おしまい

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2023年05月28日

エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才 その2

どんな有名画家でもキャリアの最初の頃はごく当たり前の絵を描いており、やがて個性を反映した独自の画風を確立する。というか独自の画風を確立して、その画風が受け入れられたものだけが一流の画家として後世に名を残す。

絵の上手い下手は関係ないと言い切るのは乱暴かも知れないが、そもそも展覧会に出品できるような人は絵が上手いのであって、オリジナリティこそが一流と二流の分かれ目だと思っている。


展覧会では画家の初期の作品も展示される場合が多い。画風確立前だからたいていは「ふ〜ん」といったレベル。もし私が画家なら、そんな作品は展示して欲しくないけどな(^^ゞ

次の作品はエゴン・シーレが17歳頃のもの。彼は18歳で初めて展覧会に参加しており、それをプロデビューとするなら、まだアマチュア時代の作品。日本でいうなら高校2年生でこれだけ描ければたいしたものと思うけれど、この程度を描ける美術部の高校生はザラにいる。


「イタリアの農民」 1907年
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「毛皮の襟巻をした芸術家の母(マリー・シーレ)の肖像」 1907年
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クリムトが21歳頃の作品も展示されていた。

「ハナー地方出身の少女の頭部習作」 1883年
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クリムトといえば華やかなエクスタシーの世界。しかし何年か前にクリムトの展覧会を訪れて各年代の作品を見たとき、彼はあの画風に到達しなくても大成しただろうなと思った。これもその実力の片鱗を感じさせる若き日の作品である。


ところでドローイング(線画)がたくさんあって、
それを眺めていて面白い発見をした。

まずはエゴン・シーレのドローイング。

「横たわる長髪の裸婦」 1918年
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「リボンをつけた横たわる少女」 1918年
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こちらはクリムトである。

「脚を曲げ横たわる裸婦」 1914/1915年
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「上腕で顔の一部を隠し横たわる裸婦(“花嫁”のための習作)」 1917年
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エゴン・シーレは黒チョーク、クリムトは鉛筆と画材が違うから力強さが異なるのは別として、エゴン・シーレがラインを一気に描いているのに対して、クリムトは何度もなぞりながら描いている。

一気に描けるほうが絵が上手いとは思わない。だったら、それがどうした?なんだけれど、違いを見つけてうれしかったというだけのお話(^^ゞ

ただしエゴン・シーレのドローイングはすごく動的。前回にエゴン・シーレはポーズフェチと書いた。この作品のポーズはごく普通とはいえ、やはり彼は空間把握力に優れていたのだと思う。対してクリムトのドローイングは静的。しかし単なるデッサン(形を絵に写し取る)ではなく、この段階から何か心情的なものが伝わってくる。

もっともクリムトの作品(油絵)は静的であるものの、エゴン・シーレの作品が動的かというとそんなことはないから、やはりそれがどうした?な発見でしかないm(_ _)m


ーーー続く

wassho at 23:11|PermalinkComments(0) 美術展 

2023年05月25日

エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才

え〜、展覧会を訪れたのは3ヶ月と4日前の2月21日である。ブログにするのを忘れていたわけじゃないが、その頃から梅、各種のサクラ、そしてチューリップにバラその他と春の花見シーズンが始まったので、ついつい後回しになってしまった。それにしても油断していると月日はあっという間に過ぎていくね。


上野公園の五條天神でウメを見て、その日に中国に送り返されたパンダのシャンシャンがいた動物園の前を通って、毎度お馴染みの東京都美術館に到着。
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さてエゴン・シーレ。なぜかフルネームで呼ばれることが多いオーストリアの画家。1890年(明治23年)生まれで1918年(大正7年)に28歳で、当時パンデミックを引き起こしていたスペイン風邪により夭折。

16歳でウィーン工芸学校に学ぶも、才能を認められてそのままウィーン美術アカデミーへ進学。これはかなりの神童扱いだったよう。17歳でクリムトに出会い才能を認められ、18歳で初めての展覧会参加。だから画家として活躍していたのはわずか10年ほど。

これは16歳の写真。
自信に満ちあふれたクソ生意気そうな雰囲気が伝わってくる(^^ゞ
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こちらは24歳頃に撮られたもの。
日本だと大正3年のエゴン・シーレ。
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構図は顔のやや右側からで、そしてわずかにアゴを引いて上目遣いでレンズを見つめるような撮り方は共通。16歳の写真も似ているから、これが一番イケてる顔だと昔から自信があったのだろう。そしてなぜかモミアゲの短いテクノカット! テクノカットは1980年頃にYMOが流行らせた髪型だと思っていたのに、ヨーロッパでは大正時代からあったんだ。


同時期の写真。
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この全身を写せる大きな鏡はアトリエを移っても持ち運んだと言われる。そこに写り込む姿を見ながら作品を制作していたらしいが、こうやってカッコ付けてた時間も長かったのでは。


そんなナルシストのエゴン君が自画像を描くとこうなる。

「ほおずきの実のある自画像」 1912年
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先ほどの写真とは逆に見下げるような視線。一見するとドヤ顔にも見える。でもそれにしてはどこか弱々しい印象。

この前年にエゴン・シーレは初の個展を開くなど順調にキャリアをステップアップさせている。その反面、猥褻な絵を制作していると地元住民から反感を買ったり、警察によって逮捕や絵を焼却されたりもしている。そんな「俺って才能あるのにナンデヤネン」な気持ちが絵に表れているのかも知れない。

どうしても彼の顔に目がいってしまうものの、なぜホウズキを描いたのかも興味深い。というかホオズキの赤は絶妙なアクセントになっているし、花びらのある普通の花ではなく、ここには赤いのに地味なホオズキがピッタリと思ったり。

参考までに関係あるかどうかは別として、ホオズキの花言葉は「心の平安」「不思議」「自然美」「私を誘って下さい」「頼りない」「半信半疑」「いつわり」「欺瞞」とバラエティに富んでいる。特に西洋では「いつわり」「欺瞞」がメインだとの説もある。

ついでに彼が着ている黒いジャケットがやたらカッコよく見える。実際には黒の無地で、細く引かれた白い線は立体感を表現するために描かれたものと思うが、こんな生地のジャケットがあれば是非買いたいと思うくらい。

そしてジャケットを眺めていると、ジャケットの一番外側だけに輪郭線が引かれているのに気がついた。ひとつの絵の中で輪郭線のある・なしを使い分けるのはめずらしいのでは?



エゴン・シーレはデフォルメするのが巧みな画家で、デフォルメされた姿形のバランスがとても魅力的だし、それによって何か伝わってくるものがあると思う。並べて展示されていたこの3枚はテーマも画材も違うけれど、エゴン・シーレの魅力が凝縮されている。

「闘士」 1913年
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「裸体自画像 ゼマ版画集特装版のための試し刷り」 1912年
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「背を向けて立つ裸体の男」 1910年
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そしてエゴン・シーレのディープな世界へ。彼の2大モチーフは死と性だと思う。性についてはたぶん後で書くと思うが、女好きだったから何となく想像できるとして、死について彼がなぜこだわっていたのかを解説した資料が見つからない。病弱でもなかったし精神的に病んでいたわけでもない。28歳で早世したがそれはスペイン風邪、今でならコロナで思いも掛けずに亡くなったようなもの。

でも理由はナゾだとしても、
絵を見ればヤバイとすぐに分かる(^^ゞ

「叙情詩人(自画像)」 1911年
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「自分を見つめる人 II(死と男)」 1911年
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どちらもあり得ないポーズなのに、デフォルメの天才エゴン・シーレにかかればあまり不自然に見えず、彼の描きたかったであろう情念だけが伝わってくる。でも何を伝えたかったかまでは(私には)理解不能。

ちなみに「叙情詩人」の中央最下部に赤く塗られているのはオチンチン。
そこに描く必要あった?と思わなくもない(^^ゞ


次のドローイング(線画)を見て、エゴン・シーレにちょっとアブノーマルな性癖を感じる人は多いだろう。私もそう思うけれど、それよりも彼はポーズフェチだったような気がする。デッサン(形を絵に写し取る能力)には長けていたので、普通のポーズでは飽き足らなかったのでは?

「しゃがむ裸の少女」 1914年
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「赤い靴下留めをして横たわる女」 1913年
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「赤い靴下留めをして座る裸婦、後ろ姿」 1914年
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「頭を下げてひざまずく女」 1915年
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何となく陰キャで閉塞感のある画風に息苦しくもなる。しかし同じくヌードのドローイングでも、赤ちゃんや妊婦がモデルだと愛らしさや幸せそうな雰囲気が伝わってくる。そのあたりに個性や奇抜さに頼っているだけではないエゴン・シーレの力量を感じる。

「プット(アントン・ペシュカ・ジュニア)」 1915年
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「妊婦」 1910年
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ところで次の作品はは実にシンプルだけれど完成度が高くて、
誰でも描けそうで描けないドローイングじゃないかな。

「背中向きの女性のトルソ」 1913年
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ーーー続く

wassho at 23:36|PermalinkComments(0) 美術展 

2023年05月18日

明治神宮で新緑 その3

この拝殿エリア東側を抜けて次に向かうのは、
明治神宮でもディープなところ。
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北参道を北に進む。
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明治神宮は敷地東側に南北を結ぶほぼ直線の参道がある。
大鳥居より南側が南参道、北側が北参道と区別される。

南参道と較べると北参道を歩いている人はかなり少ない。
人が少ない分、参道脇の森もいっそう深く思える。
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ちなみに南参道から境内を出て青山通りまで続く道路が表参道だが、北参道の延長は裏参道と呼ばれている。明治神宮と神宮外苑を結ぶルートで国立競技場あたりに出る。ただし誰でも知っている表参道と違って知名度はとても低いが。


目的地に向かうのに北参道を通る必要はないけれど、
今まで歩いたことがなかったので。
参考までにこれが当日の散策ルート。
案内図


ところで森のあちこちにこんな仕掛けを見かけた。
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樹液でも採取しているのかと思うも、上は垂れた樹液が入る構造になっていないし、下は樹液を貯めるには小さすぎる。
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後で調べたらこれはナラ枯れ対策の害虫捕獲装置。画像はhttps://greensnap.jp/greenBlog/9755830より引用。
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ナラ・シイ・カシなどのブナ科樹木(どんぐりの木)内部にカシノナガ・キクイムシが入り込むと、ラファエレア菌(通称ナラ菌)が繁殖して、水の吸い上げを阻害する。それで枯れるのがナラ枯れと呼ばれるもの。正式名称はブナ科樹木萎凋病。

ネットで調べるとたくさんの情報がヒットするものの、全体としてどの程度深刻な状況なのかはよく分からず。画像はhttps://www.pref.tochigi.lg.jp/d08/rinya_hogo/narakare.htmlより引用。
107ナラ枯れ


北参道を折れて本来のルートへ戻る。
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誰も歩いていないので、何か出てこないかとちょっとビビる(^^ゞ
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本来のルートに入った。
クルマが通るのか?
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ここを左に曲がると、
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目的地が見えてくる。
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これは北池。
神宮御苑にある南池は「なんち」と読むが、この池の読み方は不明。
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宝物殿の入口。
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公開は不定期・期間限定のようだ。
この日は春の大祭にあわせた公開日だったが、既に公開時間を過ぎていた。


しかし別に宝物殿を見に来たわけじゃない。
お目当てはその前の広大な芝生広場。
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1枚の写真ではとても収まりきらない広さ。こんな素敵な場所にもかかわらず、ここを知っている人は少ない。ゴールデンウィークなのにガラ空き! この日、都内で最も人口密度の低い広場だったんじゃないか?
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変わった形の雲。
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レンズ雲あるいは吊るし雲と言うらしく珍しい現象なので、この日のニュースになっていた。明治神宮でこの雲を目撃できたのは、きっと吉兆に違いない(^^ゞ


新宿御苑でも、ここでも景観のジャマをするDoCoMoのエンパイヤステートもどきビル。
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ローアングルにして隠しましょう。
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しばし芝生でくつろいだ後、南門に向かって移動。
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芝生ゾーンの端から振り返って。
忘れないように書いておくと、ここは原宿駅から徒歩10分ほどの地点である。
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境内と言うより森林公園を歩いている雰囲気。
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お手入れご苦労様。
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ずいぶんうっそうとしてきて暗くなった。
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前方から光が差し込んでいる。
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南門、第一鳥居の横に抜けて明治神宮散策は終了。
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そのまま帰るのはもったいないので、表参道を下っていく。
下界に戻った気分。
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日本初の億ションといわれるコープオリンピア。竣工は1965年(昭和40年)。オリンピアのネーミングは1964年の東京オリンピックにちなんで。
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その隣にあるレンガ色の建物がマンション31。1974年(昭和49年)に竣工。名前はマンションでも、今はほとんどが賃貸オフィスになっている。
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この2つの共通点は、どちらもかつてジャニーズの合宿所(寮)があったこと。ただいま話題沸騰中のジャニー喜多川氏が若き頃は夜な夜なここで(^^ゞ


明治通りと表参道が交わる神宮前交差点。
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北西側にある東急プラザ表参道原宿。もはや伝説の原宿セントラルアパート(1958〜1990年頃)からティーズ原宿(1999〜2010年)という商業施設を経て2012年に開業。
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その向かいにあるビルは原宿セントラルアパートと同世代のはず。学生時代にこのビル2階のお店に何かを買いに来た。ここを通る度にその記憶がよみがえるのに、それが何の店だったか未だに思い出せない(/o\)
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ラフォーレ原宿には30年以上は行っていないなあ。
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表参道を少し下って歩道橋へ。
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それはこの表参道の新緑を眺めるため。
まるで都市開発のイメージスケッチのような美しい光景である。
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左側は表参道ヒルズ。
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その開発のためにこの同潤会アパートが取り壊されたのは残念。
そのせいでこの街の個性がずいぶんと失われた。
これは保存ではなく1棟だけモニュメント的にに再現されたもの。
オリジナルよりもヨーロッパ調に仕上げられている。
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明治神宮で都心から森へのワープ感覚を味わい、新緑を満喫して、また森林浴もたっぷりと。突然思いついたにしては充実したゴールデンウィークの1日。人混みは嫌いだけれど、表参道ならその喧噪も何となく受け入れられるから不思議。



おしまい

wassho at 22:27|PermalinkComments(0) お花畑探訪 | イベント、旅行

2023年05月16日

明治神宮で新緑 その2

「木造の明神鳥居としては3番目の大きさ」であると判明してしまった大鳥居(前回参照)。それをくぐった先に明治神宮御苑の出入り口がある。御苑はいわば神社内の日本庭園のようなところ。今回はパスしたがハナショウブの頃に来てみようかと思っている。
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少し進んだ場所から第二鳥居の大鳥居を振り返る。
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その次にあるのが第三鳥居の南玉垣鳥居。
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両者の位置関係。
大鳥居から南玉垣鳥居までの通路は正参道と呼ばれている。
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ところで正参道はご覧のように途中で折れ曲がっているわけだが、実はこの角度が90度ではなく88度になっている。八は末広がりで縁起を担いでの設計らしい。ただ現地で2度の違いを感じるのは難しいかな。企画倒れ感あり(/o\)


南玉垣鳥居に到着。
新緑を背景にすがすがしい光景。
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この鳥居は2016年に立て替えられている。以前に来たのは2019年だからまだ3年目で白木の雰囲気があった↓ 7年経った現在と見較べてみるのも面白い。
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さて社殿に入る。
拝殿の左右に巨大なクスノキ。樹高約17m。
実は左側のクスノキは2本の木が1つに見えるように剪定されたもの。
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その根元の写真。
これは夫婦楠(めおとくす)と呼ばれて夫婦円満や家内安全の象徴として人気。
このクスノキに手を合わせている人もいたし、チャッカリ木の前に賽銭箱もある(^^ゞ
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右側のクスノキの下は絵馬掛け所になっている。
所はショではなくドコロね。
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外人さん絵馬記入中。
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外国語の絵馬はかなり多い。
何語で書かれたのか分からない絵馬も。
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拝殿の左右には、
日本酒、お茶、ビール、お餅、漬物と奉納されたものがたくさん。
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拝殿から振り返った南神門。
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明治神宮で新緑と青空を眺めたら何かいいこと起こりそう。
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ちょっと雲が多くなり太陽が遮られがちなものの、
新緑が照らし出された瞬間は逃さない!
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拝殿エリアを東側の門から出たところ。
左は神楽殿で、右は社務所。
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巫女さんを撮っていないで(^^ゞ
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「春は新緑」を目に焼き付けましょう。
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ーーー続く

wassho at 20:01|PermalinkComments(0) お花畑探訪 | イベント、旅行

2023年05月15日

明治神宮で新緑 &鳥居のナゾ

「春はあけぼの」ならぬ「春は新緑」だの話は何回か前に書いた。5月6日は曇りのち雨のさえない予報だったはずが、いい天気になったので新緑を楽しみに出かけようかと。しかしそんなつもりはなく遅くまで寝ていたから、あまり郊外までは足を伸ばせない。ならば緑が深くて自宅から近いところといえば明治神宮である。


2020年に新しくなった原宿駅。
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地下鉄で来たのでこの駅で降りたわけじゃない。地下鉄の明治神宮前駅とはつながってはいるものの、実はJRの新しい駅舎にはまだ入ったことがない。


原宿駅前の交差点。
真っ直ぐ進めば(明治神宮のというより地名としての)表参道。
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180度向きを変えて神宮橋。
橋の下は山手線その他JRの線路。
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それを渡れば明治神宮の南門。
この鳥居は第一鳥居と呼ばれる。
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あれ? 以前に来たときと雰囲気が違う。
こちらの写真は2019年1月の撮影。
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調べてみると、以前の鳥居は明治神宮が創建された1920年(大正9年)からのもの。老朽化や腐食が進んだとの理由で、昨年の1月から7月にかけて建て替えたそうだ。古くなっているイメージなかったけどなあ。それにしてもシンプルな構造物なのに工事期間はけっこう長いね。写真では新しい鳥居が小さく見えるが、それは構図のせいで高さ11m、最上部の幅15.6mは先代と同じ。


新緑が映える新鳥居。
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境内に入る。
原宿駅前から3分でこの光景に変化するワープ感覚が明治神宮の魅力。
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うっそうとしているので新緑は木々の間から。
写真に撮ると光の当たっているところしか新緑のように見えないものの、
実際は新緑のトンネルに包まれている感がある。
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ところどころ視界が開けた場所では巨大な新緑。
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参道はまだまだ続く。
南門の第一鳥居をくぐり、次の鳥居である大鳥居まで約450mある。
大鳥居で社殿方向に曲がらずに、北門までまっすぐ行くと約1km。
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明治神宮に来ると何か特別な感覚を覚えるという人は多い。パワースポットだからなんて説明されたりもする。もちろんそんな都合のいいエネルギーなんて存在しないから

   深い森に囲まれた
   先が見えないほどの長い直線道路

がその正体だと思う。山に行けばもっとたくさんの木が生えているし、高速道路を始め長い直線道路もあちこちにある。しかしこの2つが同時に存在している場所はそう多くはない。だから不思議な気持ちになる。さらに森はカオス的存在だし、直線道路は秩序そのもの。その極端でスケールの大きな対比が知覚に普段とは違う刺激を与えるのだろう。もちろん神様がいるからと信じたい人の気持ちは尊重するよ(^^ゞ


奉納された日本酒。
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どこの神社にもあるが明治神宮のはスケールが桁違い。数えてみると5段目までは1列に38樽が並んでいる。最上段は27樽で合計217樽。ただし2樽奉納しているお酒が多いので銘柄数はその半分ほど。ちなみにこの樽にはお酒は入っていない。


その向かいにはワインの樽。
明治天皇がワイン好きだった縁でフランスのブルゴーニュから贈られたもの。
ロマネコンティの樽もあるらしい。
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そして現れるのが大鳥居と呼ばれる第二鳥居。
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こちらは1975年(昭和50年)に立て替えられている。ところで明治神宮のホームページによると、この鳥居は「高さ12m、笠木(最上部)の長さ17m」で「木造の明神鳥居としては日本一」と書かれており、ネットでもそのコピペ情報がほとんど。

そこをスルーしないのがこのブログのいいところでありメンドくさいところ(^^ゞ
まず明神鳥居とは何だ。

鳥居には主なものだけで30種類ほどのバリエーションがあるらしく、大別すると明神(みょうじん)鳥居系と神明(しんめい)鳥居系に分けられる。明神と神明ーーーどうして漢字を入れ替えただけの紛らわしい名前にした?

その最も大きな違いは、明神が上部が反って装飾性を持たせているのに対して、神明は丸太を組み合わせただけのシンプルなデザイン。   
鳥居形状
画像引用1

それで「木造」の注釈はコンクリート製あるいは鉄製ならさらに大きな鳥居があるのは当然として、「木造の明神鳥居として」と言うからには、木造の神明鳥居に明治神宮のより大きなものがあるように読み取れる。


調べてみると工法を問わず、日本で最大の鳥居は和歌山県にある熊野本宮大社のもの。
鋼板製で高さ33.9m、幅42m。
熊野本宮大社1

熊野本宮大社2
画像引用2&3

この鳥居は日本一なのでときどき紹介される。
それにしても巨大。無駄にデカいとの気もするが(^^ゞ

しかもこの鳥居は神社からかなり離れた場所にあって(鳥居の背後の森は神社ではない)、神社の参道に建っているわけでもない。建設地はかつて神社があった場所らしいが、境内にこんなサイズでは建てられないからそこが選ばれたのだろう。まあ巨大なものを造りたいとは人間の本能。建立は2000年。施工は川崎製鉄と日本鋼管が前身のJFEエンジニアリング。


それはさておき「神社の鳥居、高さランキング」を記したホームページを見ていておかしなことに気づいた。1位から19位は鋼板製やコンクリート製の鳥居が並ぶ。工法不明のものもあるが木造ではないだろう。

木造の鳥居が登場するのは20位の山梨県の北口本宮冨士浅間神社から。
冨士山大鳥居と呼ばれ高さ18m、幅11m。
それがこの写真。
北口本宮冨士浅間神社
画像引用4

あれ? 上部が反っているから明治神宮と同じ明神鳥居じゃないか。
でもこれは脚が3本あるから明神系の両部鳥居としてカウントしているのかも知れない。

木造2位は広島県の厳島神社で高さ16.6m。
これも明神系の両部鳥居。
厳島神社
画像引用5

問題は木造3位である埼玉の川越氷川神社。
高さ15mで明治神宮のより3m高い。
そしてこれは純粋な明神型の鳥居じゃないか。
川越氷川神社
画像引用6

面白いのは木造4位の同じく埼玉にある武蔵一宮・氷川神社。
この神社の鳥居は明治神宮が大鳥居を1975年に建て変えたときに譲り受けたもの。その時に鳥居下部を1m継ぎ足して高さ13mにしている。もちろん明治神宮のお下がりだから正真正銘の明神鳥居。


それ以上は調べていないが、明治神宮が「木造の明神鳥居としては日本一」と述べているなら「木造の神明鳥居」でもっと大きなものがあるかと思いきや、明治神宮と同じ「木造の明神鳥居」でより大きなものが存在した。

もっとも明治神宮のホームページは「木造の明神鳥居としては日本一」と述べているだけで、日本で一番大きいとも高いとも書いていない。でもナンダカなあ〜と思わざるを得ない。ましてや明治神宮の元鳥居を改造して現鳥居より大きくしたものまで存在するのである。


えっ、そんなアラ探しをしたらバチが当たるって?
いや、バチが当たるのはウソをつく奴だよ。


鳥居の話で長くなってしまったm(_ _)m
ーーー続く



画像の引用元ページ
引用1:https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/7261/
引用2:https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrtts/Hrttstk/Dskmy/147552/252217/
引用3:https://www.sekaiisan-wakayama.jp/know/kumano-sanzan/hongu.html
引用4:https://www.jtb.co.jp/myjtb/card/travel_life/column/article310.asp
引用5:https://j-town.net/2019/06/27290669.html?p=all
引用6:https://thegate12.com/jp/article/456

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2023年05月12日

元町商店街をブラブラ

5月4日の横浜山手バラツアーは

   前菜はアメリカ山公園
   メインディッシュに港の見える丘公園
   余裕があればデザートとして山手資料館とイタリア山庭園

の予定だったものの、港の見える丘公園でバラ満腹になって日も少し陰ってきたので、そこで終了とした。帰りは来たときと同じく元町・中華街駅から電車に乗る。どうせならということで駅のすぐそばにある元町商店街をブラブラしてきた。

元町は

  江戸時代終わりに幕府が横浜村(当時はド田舎)の漁港を外国に開港
  それにより横浜村の村民がこの土地に強制移住
  横浜元町と呼ばれる

  山下と山手地区に外国人居留地が設けられたので、その中間地帯に立地する
  横浜元町で商売が盛んになる
  明治維新の頃に横浜が取れ「元町」の名前になる

との歴史を持つ。
それを引き継いで昔は「ハイカラ」なイメージのあるところだった。


入口にあるフェニックスアーチ。
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こんなデザインのビルがあったり、歩道だけではなく車道までピンコロ(9センチ四方の石畳)が敷かれていてオシャレな雰囲気が漂う。
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少し中に入ると土日祝日は歩行者天国。
カメラを高く掲げたり、お腹あたりで構えたり、地面近くにしてみたり。
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ローアングルにしたときに気づいたのだが、この商店街のビルは1階がセットバック(壁面後退)している。歩道を広く確保するためで、おそらく商店街協定のようなものを結んでいるのだろう。


商店街は500mほど。
終端にもフェニックスアーチがある。
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駅の方向にUターン。
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この商店街がスッキリしているのは先ほどのセットバックの他に、
電線が地中化されていて電柱がないのも大きい。



横浜元町商店街といえば1970年代中頃から大流行したハマトラの聖地。キタムラ(カバン)、ミハマ(靴)、フクゾー(服)がその御三家ブランド。特にキタムラはその時に全国ブランドになったと思う。ところでハマトラは雑誌JJが仕掛けたんだっけ? 雑誌が世の中を動かすパワーを持っていたのは90年代初めくらいまでかな。


これがキタムラ本店。
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こちらはキタムラK2本店。キタムラ経営者の兄弟が独立した店らしいが、同じKのロゴマークを使うなと裁判で争ったこともある。いわゆる骨肉の争い(>_<)
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ハマトラのブームはとっくの昔に終わったものの、
それでも元町にはトラッド・コンサバ系のお店が多いように感じる。
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メンズも。
ちなみにハマトラ(横浜トラディショナル)は女性のファッショントレンドね。
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それにしてもこのロゴは久しぶりに見た気がする。
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そしてフクゾー本店。
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元町商店街はいわゆるチェーン店のお店がほとんどないし、飲食店比率も少なくラーメン屋や居酒屋は(少なくとも1階には)見当たらない。だから落ち着いた雰囲気で歩いていて楽しい気分になれる場所。

ただし今は高級品か低価格品しか売れず、ここで紹介したような「ちょっとだけ値の張る商品を扱う」お店は全国的にどんどん減っている。この元町でも若い人はあまり歩いていないし、お店に入っている人は年齢層がかなり高い。こういうエリアがなくなって欲しくないなあと願う。まあこの日に何も買わなかったけれど(^^ゞ


歩いたのは商店街メインの元町通り。
それで1本隣の通りはどうなっているかとのぞいてみると、
とても人通りが少なかった。ゴールデンウィークなのに(/o\)
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でも調べてみるとこの元町仲通りは個性的な物作りにこだわる店が多く「クラフトマンシップ・ストリート」と呼ばれているらしい。

自宅最寄り駅から30分ほどなので、
そのうち探検に来ましょう。

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2023年05月11日

港の見える丘公園で春バラ その2

沈床花壇を離れてローズガーデンへ移る。
こちらはアーチだけではなく平植え(そんな言葉があるかどうか知らないが)が中心。開花率は沈床花壇と同じ程度。ただし見通しがいいので、こちらのほうがバラがたくさん咲いているように見える。
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そこそこ風があったのにバラの香りも存分に楽しめた。鼻を近づけないと香りを感じられないバラ園もあって、どうして?と思うこともある。何が違うのだろうか。
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箸休めに新緑も楽しみましょう。
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常緑樹も新緑になるらしいがーーー詳しくはよく知らない。
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ローズガーデンに近いこの出入り口からまっすぐ行くと外国人墓地。
墓地沿いを右に進むとアメリカ山公園に着く。
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この出入り口広場にもたくさんのバラ。
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ローズガーデンと較べると単調な植栽なのに、
よく見るとけっこう種類が多かった。
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再びローズガーデンに戻る。
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こちらのアーチは黄色のバラ。
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皆さんがスマホで撮影しているのは、
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フクロウ!
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もちろん野生ではなく写真左側の男性のペットみたい。
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この男性は何か喋るではなく、フクロウを植木鉢に止まらせて人々に写真を獲らせているだけ。ちょっと不思議な光景。でもめずらしいものを見られてよかった。フクロウは何となく不気味なイメージがあったけれど、近くで眺めるとキレイでカワイイ鳥。


ローズガーデンの隣にあるのがイギリス館。
1937年(昭和12年)に建てられたイギリスの総領事公邸で現在は横浜市が所有。
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無料で見学できるが、以前に訪れたので今回はバラに専念。
庭側にはバラが植えられていた。
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その隣に大きな噴水。
横浜水道創設記念噴水塔となっているものの、そのレプリカだそうだ。
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それはさておき、噴水は水しぶきを撮るのがお約束。
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ちょっと変わった写真が撮れた。
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こちらは山手111番館。アメリカ人の両替商ラフィンが1926年(大正15年)に建てた個人住宅。建物名はここが中区山手町111番地だから。
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カフェになっていた。
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そこから見下ろしたローズガーデン。
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階段状になっている水路。先ほどの噴水から流れているのかも知れない。
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上の写真にも写っている階段水路の先にある構造物。
こういうのはフォリーと呼ばれる。
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フォリーとはWikipediaによると西洋の庭園などにみられる装飾用の建物で、通常の建築のように居住や雨風をしのぐといった用途がまったくないものを指す。英語で folly は一般的には愚かとの意味。そこから転じて道楽な建物というニュアンスだろう。



前菜のアメリカ山公園、メインディッシュの港の見える丘公園で沈床花壇とローズガーデンと、それぞれ個性の違う3つのバラ園を回れて楽しかった。デザートに山手資料館とイタリア山庭園も回るつもりだったものの、もうお腹いっぱいになったのでまたの機会に。


おしまい

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2023年05月08日

港の見える丘公園で春バラ

アメリカ山公園から港の見える丘公園へ行くには2通りのルートがある。

  前回に写真を載せた門柱のある出入り口から進んで外国人墓地の横を通り、
  港の見える丘公園のイギリス山から入る。

  1階に降りて海側に移動し、港の見える丘公園のフランス山から入る。

イギリス山ルートだと平坦なのだが、何となく港の見える丘公園はフランス山の階段を上る習慣があるので後者を選んだ。

アメリカ山を下るのはエレベーターで。
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元町・中華街駅の地上出口。
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港の見える丘公園が350mで山下公園が400mの標識。2つの公園がそんなに近いのかと思われるかも知れないが、山下公園の400mは一番近い西側の入口までの距離。山下公園の敷地はそこから約800mの長さがある。
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それとこの標識の数字は少しおかしくて、港の見える丘公園の入口までは100mもない。


ベージュ色のアーチが入口。
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これがフランス橋で、ここはフランス山地区。
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階段を登る。
ちょっと長い。
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公園は4つのエリアに分かれている。
急坂があるのはフランス山に上がる最初だけ。
公園マップ


平坦な庭園広場に出ると、
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アメリカ山公園と同じく巨大なシャクナゲがお出迎え。
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この風車はフランス領事官邸の井戸を汲み上げていたもの。
今は飾りとして回っているだけ。
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フランス山の歴史は教科書にも載っていた生麦事件から始まる。
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林間広場までやって来た。
新緑が眩しく美しい!
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ごく普通の彫刻に思えるが、
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題材はかなり重い。
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米軍の問題は沖縄ばかりのイメージで、1977年にファントム戦闘機が横浜の住宅地に墜落した事故はあまり知られていない。もちろん当時は大騒ぎだったものの50年近くたって風化したというか、それ以降に生まれた人ならほとんど知らないだろう。でも忘れちゃいけない日本の黒歴史。興味があれば「愛の母子像」「パパママバイバイ」などでお調べを。



木立の間から展望台が見えてきた。
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港の見える丘公園に来たことがなくても、この展望台を何かで見た人は多いはず。
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とりあえず眺めるのがお約束。
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しかし正面にベイブリッジはあるものの、
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それ以外は単なる港湾施設が見えるだけでパッとしないのがこの展望台の難点(>_<)
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90度左を向けば山下公園に係留されている氷川丸の「煙突」と、
その奥に大さん橋をかろうじて眺められる。
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実はこの屋根がカッコイイのだけれど、写真に撮っている人はいなかった(/o\)
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展望台隣の花壇にいたガーデンベア。
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これは横浜市の緑化事業関連で使われているゆるキャラ。緑色がだからまったくベア(クマ)に見えないのがご愛敬。子熊かと思いきやなぜか推定年齢200歳の設定。ナンデ?



そしていよいよバラ園に入る。
まずはマップで沈床花壇と書かれているゾーンへ。
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ここはアーチに沿わせたバラがメイン。
開花率は65%くらいかな。
最初に書いたように来週は雨の予報なので、タイミング的に1週間早いのは承知の上。
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ゴールデンウィークだし、人が写り込まずに撮るのは不可能。
それならば「上を向いて歩こうホトトギス」。
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横から撮るのもアリ。
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中央に噴水がある。
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そこでやることはひとつの高速シャッター撮影。
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アップでいろいろ。
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開花率は今ひとつだったとはいえバラ花壇の規模が大きい、すなわち花数の絶対数が多いので物足りなさは感じずにすんだ。それと開花率が低い=早くから咲いて既に痛んでいる花が少ないので、適当にシャッターを切っても状態のいい花が多かった。満開状態だと見栄えの悪い花が混じるもの。バラに限らず開花率をとるか、状態のよさを優先するかはいつも悩むところ。

この沈床花壇はバラの品種は多くない。
でもピンクのバラが一番好きだし、それがキレイに咲いていたから満足。
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ーーー続く

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2023年05月07日

春バラはアメリカ山公園から その2

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バラはこの広場の反対側、
すなわちカメラを構えている背後に主に植えられている。

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ベイブリッジやマリンタワーと一緒に。
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壁やアーチやフェンスなどいろいろな背景のバラを楽しめる。
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フェンスの上にいたカラス。
カラスをじっくり眺めたことはあまりないが、日光を浴びていると意外とキレイ。
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あれこれアップで。
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バラ以外もたくさんの花が咲いていた。
写真を撮ったのはごく一部。
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ラベンダーもあった。通常は7月頃に咲く花なので、これは早咲きの品種なのだろう。そっと握りしめて手のひらをクンクン(^^ゞ バラとラベンダーの香りを同時に楽しめるなんてシアワセ。
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メインの芝生広場とは別の小さな芝生。
ここは何となく建物の屋上感がある。
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やはりこちらのほうが圧倒的に素晴らしい。
新緑もキレイ。
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こんな寄せ植えの後ろにあったのは、
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人の頭ほどもある大きなシャクナゲ。
写真じゃサイズ感は伝わらないけれど。
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ひときわ目立っていたのがベニバナトチノキ。
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これは初めて見た。普通のトチノキは白い花がニョキニョキ伸びるように咲いて、ちょっと気持ち悪いのだけれど、色が違うだけでこうも印象が変わるのかと驚く。


花自体も美しい。
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芝生広場の中段から。
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アメリカ山の由来。
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幕末はアメリカ公使館の予定地だったり、戦後は米軍住宅が建ったりしてアメリカに縁が深かったから、公園を整備したときにアメリカ山と名付けたみたい。横浜にはフランス山、イギリス山、イタリア山が昔からあるので、新たにアメリカ山ができても違和感はない。


駅から上がってくるエスカレーターとは反対側の出入り口から。
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門柱のフォントがおしゃれ。
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港の見える丘公園に行く前に、軽く前菜のつもりで訪れたアメリカ山公園。
思いのほかボリュームのある前菜で満足感高し。


ーーー続く

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2023年05月04日

春バラはアメリカ山公園から

今年の春は暖かいので花の開花が前倒し。ツツジ、フジ、ボタンなどは名所に行きそびれた。チューリップはお台場を訪れたものの、今ひとつだったのでもう一箇所と思っているうちに見頃すぎになってしまい(/o\)

バラでその轍は踏むまいとーーー

ただし、いつ行くかの前に、
バラの名所も相当あちこちを訪れたので、

   行ったことがない
   見応えがありそう
   あまり遠方でない

の3条件を満たすところを見つけるのに苦労する。
今回選んだのは横浜の山手地区のいくつかを回るプラン。

   前菜はアメリカ山公園
   メインディッシュに港の見える丘公園
   余裕があればデザートとして山手資料館とイタリア山庭園

横浜は市の花がバラで、横浜ローズウィークなども開催して力が入っている。以前に訪れた山下公園横浜イングリッシュガーデンも見応えは充分だったので大ハズシはなかろうと。


例年なら春バラは5月中頃。しかし港の見える丘公園に訪れた人の情報をSNSで収集すると、既にかなり見頃となっており、ゴールデンウィーク明けくらいに最盛期を迎えるように思えた。やはり例年より1週間から10日ほど開花が早い。

混雑するゴールデンウィークより、それが終わった後のほうが好都合。しかし5月3日に天気予報を見ると、ゴールデンウイーク後半から次の週までずっと雨ぢゃないか(/o\)
01天気予報

というわけで快晴予報の出ていた本日に出かけてきた。

赤点線で囲まれているのが山手町。狭義にはそこが山手地区だが、もう少し広い範囲を指して山手ともいう。幕末から明治まで外国人居留地だった異国情緒が残るエリア。地形的に高台が多いから「山手」と呼ばれる。中華街や山下公園のあるエリアは海に近く土地が低いから反対語の「山下」が地名になった。
02山手地区


混雑を避けるために午前9時くらいには出発するつもりが、鮮やかに二度寝(^^ゞ
オマケに東横線のどこかでポイント故障があったとかで、その影響で電車がやたら信号待ちを繰り返して停車し30分ほど時間をロスする。

最初に訪れたのはアメリカ山公園。港の見える丘公園にはイギリス山やフランス山が昔からある。でもアメリカ山の言葉は聞き慣れない人も多いと思う。ここは2009年に一部、2012年に全面開園した新しい公園。

そして全国で初めての立体都市公園でもある。立体都市公園とは2004年の都市公園法改正で設けられた制度。これにより都市公園の地下を多目的に利用したり、建築物の屋上や人工地盤上に公園の設置が可能となった。アメリカ山公園以外には渋谷の宮下公園、首都高速大橋ジャンクション上の目黒天空庭園などがある。

要は土地がなければ建物の上に公園を造ろうとの制度で、
アメリカ山公園の場合は次のような断面構成になっている。

  茶色:地盤
  薄緑色:駅舎(実際には地下4階まである)
  薄オレンジ色:立体都市公園のために増築した部分
  図は横浜市環境創造局:公園における公民連携に関する基本方針から引用

03断面図

地上2階建てだった駅舎を4階建てに増築して、高台である隣の土地と同じ高さまで持ち上げ一体化して公園の敷地とした構造。隣の地面とつながっているのが、単なる屋上庭園とは違ってユニークなところ。高台が急峻に迫る山手ならではの地形を活かした構造になっている。公園敷地5500平米のうち駅舎の上にあるのは900平米ほど。


ここを最初に訪れたのは、上の断面図を見てもわかる通り駅直結だから。
元町・中華街駅の6番出口を出て広がっているのはこの景色。
地下4階のホームから8階分をエスカレーターで上がってきたのに、
そこに地面が現れて、初めて訪れたなら戸惑うかも知れない。
でも駅を出たら駅前の雰囲気ではなく、いきなり緑あふれる公園なのが新鮮。

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ーーー続く

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2023年05月03日

新緑を求めて等々力渓谷 その2

ガッカリ名所だった横穴墓群から水辺に戻って、
渓谷散策の再スタート。
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少し横道にそれたところにお堂があった。
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子供? 女の子?
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お堂の横を抜けて水辺に戻る途中に稚児大師様像とあった。大師は空海(弘法大師)だから、その幼少期の姿か。真言宗は仏ではなく空海を信仰対象とするイメージが強い。
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対岸にもお堂。
のぼりには稲荷大明神と書かれている。
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そのお堂の手前にあった石仏。
このあたりは神仏一体の世界線。(初めてこの言葉を使った)
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右は観音菩薩、左はお地蔵さんのように見えるが弘法大師像とのこと。それを石仏とは言わないかも知れないが、これはもう完全に仏の姿になぞらえている。


近くにカフェのようなお店もあった。
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階段の上に不思議な建築物を発見。
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ナンジャコレ?
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階段を上りきると等々力不動尊という寺だった。
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不動尊は不動明王を本尊とする寺で、ほとんどの場合は真言宗か天台宗。この2つの宗派はライバル関係なのに(だったのに)、どうしたそうなったのか興味深い。あちこちに弘法大師像があるから、この等々力不動尊の宗派は真言宗。


階段の下から見たナゾの建築物は儀式か何かに使うのかな?
写真の左側にも建物は延びている。
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そこから見下ろした境内の様子。
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一番左側は展望台になっている。
とはいっても木々しか見渡せず。
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なぜか太陽から一筋の光が延びて、しかも下のほうで少し曲がっている。
これは不動明王からのお告げ光線に違いない(^^ゞ


ナゾの建築物の高い部分には上がれなかった。
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ナゾの建築物のナゾの穴。
水抜きのためかと思ったが、板と板の間は隙間だらけだしーーー
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展望台でしばし新緑を眺める。
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境内から延びている通路を進む。
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渓谷内と違って高台なので日当たりがよく新緑を満喫できる。
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これは赤い布があるからお地蔵さんだろう。ちなみに仏のヒエラルキーは如来→菩薩→明王→天部。お地蔵さんは何となく庶民的なイメージがあるものの、地蔵菩薩だからけっこうセレブな仏様。
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また新緑を眺めて、
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あちこちにあるお堂に目をやる。
これは弁財天で、他にもいろいろあった。
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そしてまた新緑を眺める。
新緑を求めてやって来たのだから。
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iPhoneの超広角レンズは広い範囲を撮れる。しかし画面の中央以外はブレているというか流れたような画像になるのが不満。


先ほどのカフェに降りる道しるべがあった。
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客を案内するような道ではないと思うゾ(^^ゞ
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正面は等々力不動尊に上がる前に見た稲荷大明神。
お堂には不動明王も置かれている。
写真右手前が観音菩薩と弘法大師像。
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お堂と2体の石仏を結ぶライン上にチョロチョロ水が落ちていて、不動の滝と大げさな名前がついている。かつてはここで滝行をしたり、そもそも等々力の地名は不動の滝の音が周囲に「とどろく」に由来したともいわれるくらい水量の豊富な滝だったらしい。



稲荷堂を離れて下流に進むと、日本庭園の案内があった。
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案内看板から少し階段を上がると入口。
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期待はしていなかったとはいえ、たいした庭園じゃない。だいたい日本庭園は自然を箱庭的に再現したもの。ジャンブルのような等々力渓谷を歩いてきたのだから、その有り難みも薄れるというもの。
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でも新緑がキレイだからヨシ。
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ところどころ行き止まりになっていたが、こんな通路を進み、
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竹林の間を上がっていくと和風の建物がある。
ここでは書院と呼ばれている。
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中は無料の休憩室。
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その書院の先にあるのがドカーンと広がる芝生。
久しぶりに頭上に木がない空間に出られて開放感バツグン。
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もちろん新緑も眺め放題!
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こちらは書院前の新緑。
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紅葉も好きだが新緑モミジも大好き。
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日本庭園を下っていくと「かぶき門」と呼ばれる出入り口がある。
こちらが正門だろうか。名前の由来は不明。
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かぶき門をでて上流方向。右側フェンスの下は渓谷を流れていた谷沢川(やざわがわ)で、このあたりで等々力渓谷は終了。
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下流方向はもう住宅街。
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この角を左に曲がって、
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坂の先に「止まれ」の赤い道路標識が見えているところが目黒通り。
駅からも幹線道路からも近いのが等々力渓谷。
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渓谷の非日常感と「春は新緑」を存分に楽しめたゴールデンウィークの1日でした。


おしまい

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2023年05月02日

新緑を求めて等々力渓谷

「春はあけぼの」と書いたのは清少納言。その一節のある枕草子の書き出しを現代語訳すると「春の推しは夜明け。山の稜線が少しずつほのかに白く明るくなって、紫がかった雲が細くたなびく様子がエモい!」というような内容。

電気のない平安時代に人々は早く寝て夜明けとともに起きていたのかも知れないし、彼女が暮らしていた京都なら山が近いから、そんな光景を目にしていたのだろう。でも枕草子ファン、あるいは古典ファンまたは研究者で、枕草子に書かれた春のあけぼのを体験した人はいないといっていい程度のパーセンテージだと思うゾ。授業で意味も分からず暗記させられたけど。

枕草子の冒頭は春夏秋冬ごとにどの時間帯が素晴らしいかを述べたもの。だから趣旨は違うけれど一般的には「春は桜」かな。しかし「春は桜、秋は紅葉」の季節感を日本人に植え付けたのは古今和歌集との説をどこかで耳にした。侮りがたし古典文学。カロカツクイイケレマルの呪文だけは今でも覚えている(^^ゞ

花を見るのは好きなので、春になったらウメやサクラを眺めに出かける。それでも私にとって一番の推しは「春は新緑」。どういうわけかあの明るい若葉色というか黄緑色がやたら好き。それを目にするとエネルギーが身体に充填される気がする。サクラが終わった頃から5月いっぱいあたりが見頃。春からわずかに初夏の風物詩。



それで新緑を見に行こうとなぜか思いついたのが等々力渓谷。普段の意識にまったく存在しない場所なのに、どうしてそれが出てきたのか自分でも不思議。自然豊かで緑が多いと無意識のうちにタグ付けしていたのだろうか。

地図

等々力渓谷は世田谷区の東南に位置する長さ約1kmほどの渓谷。23区内で唯一の渓谷でもある。渓谷と聞けば山と山に挟まれた谷に流れる川をイメージするはず。もちろん世田谷区に山なんてない。ここは平地(正確には台地)が川によってV字型に浸食され、つまり削られ掘られてできたもの。住宅地の中にそこだけほぼ手つかずの自然が残っており、めずらしい場所として東京ではちょこっと有名。


踏切を電車が通過しているのが見える。
少し右に進むと等々力駅で極めて駅近のロケーション。
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踏切から100mほどの歩道に埋め込まれた案内板。
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そこを曲がってすぐの所にある橋はゴルフ橋と呼ばれ、ここが等々力渓谷への入口。
橋の名前は昭和の初め頃、このあたりがゴルフ場だったのに由来している。
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橋の上から下流方向。
東京の世田谷にある駅から100mちょっとで、この光景なのがビックリするね。
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ゴルフ場橋にあった案内看板。
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等々力渓谷は1933年(昭和8年)に風致地区に指定され、1936年(昭和11年)に遊歩道が造られ、その後も徐々に整備されて1974年(昭和49年)に世田谷区立の公園となった。


いざ渓谷へ。
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真夏だと渓谷内は5度ほどヒンヤリしているらしい。
この日はまだほとんど温度差を感じなかった。


上流へは行けないみたい。
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ゴルフ場橋を下から。
なぜかド派手にカラーリング。
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ジャングル探検気分で下流に進んでいく。
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水はきれい。
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処理された下水も流れているが、渓谷内に30箇所以上の湧水があるとのこと。等々力渓谷の湧水は東京都による「東京の名湧水57選」に選ばれている。もっとも名湧水は名水とは違って飲める水ではないようだ。


木漏れ日がすごく幻想的に水面に落ちていたのに、
写真に撮るとほとんど再現されていなかった(/o\)
なお今回の撮影はすべてiPhone。
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さらに進む。
もう一度書くけれど、ここはダッシュすれば5分以内に電車に乗れる場所。
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この橋から先は右岸に遊歩道。
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右岸を進んで、
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次に現れる橋は環八の道路。渓谷は地表より低い場所にあるので、つまり道路としては水平なので、環八をクルマで走ってもこの橋を意識することはない。
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等々力渓谷を流れているのは谷沢川(やざわ がわ)。
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水源は同じく世田ヶ谷の桜ヶ丘で多摩川に接続するまで3.7kmの短い川。でも一級河川。一級河川というと大きな川をイメージすると思うが、行政上の区分はちょっと違う。

川には本流、支流といくつもの流れがある。それらをまとめて「水系」と呼ぶ。水系のうち重要なものは「一級水系」に指定され全国に109水系ある。それで「一級水系」に関連する河川のうち、国が管理している区間が「一級河川」と呼ばれる。谷沢川は一級水系である多摩川に属して国が管理している一級河川。3.7kmでも一級河川だから、川の規模はあまり関係ないようだ。ちなみに日本には3万ほどの川がある。そのうち一級河川が1万4000ほどもあって、実は半数近くが一級河川。

一級水系以外は二級水系と単独水系に分かれ、二級水系のうち都道府県が管理する区間が二級河川。数的には二級水系が2711水系で二級河川が約7000程度。また河川としては他に準用河川と普通河川があり、また一級河川の中でも国ではなく都道府県が管理する指定区間もある。

視点を変えれば河川の区分は管理者の区分といえる。

  一級河川大臣管理区間:管理者は国土交通大臣
  一級河川指定区間:管理者は都道府県知事
  二級河川:管理者は都道府県知事
  準用河川:管理者は市町村長
  普通河川:管理者は地方公共団体
図はhttps://www.qsr.mlit.go.jp/oita/naruhodokasen/kasen_kanri_chishiki/index.htmlから引用
水系



さて、
水際近くに降りられるところがあって、
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カモが何か食べていた。
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渓谷内は木に太陽を遮られて少し薄暗い。
新緑を見に来たのに(/o\)
でも上を見上げれば、ところどころ日に照らされて「春は新緑」を楽しめる。
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右岸に遊歩道が続いているが左岸に渡る橋があった。
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橋の上から歩いてきた方向を振り返る。
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左岸に横穴墓群なるものがあったので行ってみる。
古墳時代後期(7世紀)のものとされている。
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こちらのようだ。
渓谷の斜面を登っていく。
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最初にあるのは3号横穴(おうけつ)。
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入口小っさ!
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まったく中をのぞき込めない。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
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1号と2号は標識だけで遺跡らしきものは何もない。「横穴跡」があるのではなく、かつてここに横穴があったとの意味のようだ。埋めてしまったのか?
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横穴の先はもう環八に面した出入り口だから、この場所は地表近く。川の増水を考慮して、渓谷の底ではなく高い位置に墓を造ったのは理にかなっている。単に古墳時代には渓谷自体がもっと浅かったのかも知れないが。
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ーーー続く

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