2023年11月

2023年11月28日

少し色づいていた代々木公園

11月23日は渋谷に出たついでに、ファイヤー通りのイエローオータムを散策してきた。それだけで帰るつもりだったものの、ファイアー通りの終点は代々木公園なので、そのまま帰るのももったいないかと代々木公園も少しブラブラ。


原宿門から入ってすぐのところ。
写真中央奥の白いアーチのあるあたりがオリーブ広場。
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実はここで東京・パーク・ガーデン・アワードという
ガーデニングのコンテストが行われていたのだが、
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ちょっと来るのが遅かったみたい。
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東京・パーク・ガーデン・アワード(名前が長い!)は宿根草(しゅっこんそう=多年草)をテーマにしたコンテスト。普通の草花は花が終わると枯れるもの。宿根草とは枯れずにまた来年も花を咲かせる草花。だから花だけではなく宿根草による季節ごとの移ろいが審査基準。植え付け開始が昨年の12月からで、コンテスト期間も4月から11月と長い。

言ってみればこれはトータルなガーデニング造園を競う玄人っぽいコンテスト。でも私のようなド素人ベランダ・ガーデニング男子にとっては花がたくさんないと寂しいわけでーーー
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コンテストは11月17日に最終審査が終了している。どれが優勝だったのか現地で表示がなかったのは残念なところ。ところでこれらは撤去せずにそのままにしておくのかな? だとしたら春に賑やかになった頃にまた見に来たい。


中央の花壇には花がたくさん咲いていてヨカッタ。
これはコンテストとは無関係なもの。
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その奥には先日、ジャニー喜多川と代々木公園を関連付けたブログで紹介した、1964年東京オリンピックの選手村宿舎が1棟だけ保存されている。
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iPhoneで写真を取る私の姿。
カラオケマイクで小指は立てないよ(^^ゞ
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色づきを探しながら代々木公園を歩く。
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「しあわせの像」
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これは電通が建てたらしい。
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電通といえば2015年に女性社員の過労死自殺で、労働基準法に基づく強制調査を受け、また検察からも略式起訴され有罪となった。さらにオリンピックでは「中抜き」が取り沙汰され、昨今では電通がらみのプロジェクトは「電通案件」と怪しげな目で見られることも増えた。ここしばらくで最もイメージが低下した企業のひとつかも知れない。

昔は「天下の電通」だったのにと思って、
大学生の就職人気ランキングをマイナビで調べてみると(数字は文化系での順位)

      1980年調査 7位
        ↓
      2010年調査 30位
        ↓
      2020年調査 48位

とドンドン順位を下げ、2021年調査では78位に踏みとどまったものの、マイナビでは100位までしか公表されていないので

      2022年調査からはランキング圏外(>_<)

に転落していた。ちなみに200位まで公表しているキャリタス就活の調査によると2023年の電通のランキングは107位。まさに「驕る平家は久しからず 盛者必衰の理をあらはす」を地で行く展開。

なお1990年と2000年のデータが抜けているのはマイナビのホームページでは2009年からのデータしか公表していないから(1980年のデータは別の資料で見つけた)。

ただこんな資料もあったから、電通の人気は2000年を境に右肩下がりだったみたいだ。元データは同じくマイナビ。グラフはhttps://hrnote.jp/contents/saiyo-ninkikigyouranking-20191226/から引用
G1

おそらくこれは電通に限らず広告業界全体の傾向だろう。就職人気ランキングと入社する人材のレベルは必ずしも一致しないが、それなりには相関する。そういえば広告が面白かったり、時代を切り開いていたのは1990年代終わり頃までだったなと思ったり。


さて電通の話 (/_')/ソレハコッチニオイトイテ
「しあわせの像」の近くにあったのが「ケツァルコアトゥル」という石の彫刻。
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「古代メキシコ神話の文化神ケツァルコアトゥルの化身「羽毛のある蛇」を表しています」と書かれていてる。ヘビにも羽毛があるようにも見えないけれど。

また「この彫刻は1990年11月、日本国とメキシコ合衆国の友好親善のシンボルとして、メキシコ合衆国から東京都に贈られたものです」とも書かれていて、そういえば何年か前に世界らん展でメキシコが合衆国だと知ったのを久しぶりに思い出した。
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園内の周回路を進んでみたが、色づいている木々は多くない。
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でも柿がなっているのを見つけた。
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さらに進む。
レッドオータムは色があまりよくない。
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これは真っ黄色になったら見応えがありそう。
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晩秋の雰囲気が出てるかな?
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代々木公園に前回来たのは10月22日。「秋のバラフェスタ」開催は翌週の10月28日からでバラを見るには早すぎた。そして今回は遅すぎるわけで(^^ゞ でも花数は前回より多かった。これは第2バラ園であるフラワーランドの様子。
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とりあえずアップも撮っておきましょう。
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芝生広場にて写真を撮っている私の姿。
10月22日にはまだグリーンを感じられた芝生はもうすっかり枯れた色。
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今回は池に噴水が高く上がっていなかった。
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ちょっときれいなレッドオータムを発見。
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原宿門近くの第1バラ園(バラの園)にまで戻ってきた。バラは寂しいばかりだとはいえ、秋色の木々をバックに眺められたから、それなりによき体験かと。
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さて今年の紅葉はどこに見に行こうか。

wassho at 22:09|PermalinkComments(0) お花畑探訪 | マーケティング、ビジネス

2023年11月26日

喉元過ぎれば「暑さ」を忘れよう?

11月7日に東京は27.5度の最高気温を記録。
画像にもあるように100年ぶりの記録更新。画像はtenki.jpより引用
P1


それからたった19日後の本日は、午前9前の気温がわずかに6度。
最高気温は9.5度まで上がったものの、それでも今日はオー寒っ(>_<) な一日だった。
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同じ月でざっと20度も違うわけで、寒暖差が月間でそんなに開いたのは今までにもあったのかな。調べてみようと思ったけれど、

 北海道では30度近くになることもある。

 1日の寒暖差が7度以上になると頭痛やめまい、倦怠感など体の不調に陥りやすく
 なり、それに対応する「寒暖差疲労」外来を設置しているクリニックもある。

などがわかった程度で肝心の寒暖差気温データをまとめたものは見つけられず。
自分で集計するのも面倒なので調査はあっさり中止(^^ゞ


ところで寒暖差は名前の通り「差」なので、気温が高くなっても低くなってもその数値は大きくなる。気象庁にデータがある1875年(明治8年)から昨年までの11月の平均最高・最低気温は

   最高気温:16.3度  最低気温:7.6度

だから今回は明らかに最高気温の上昇による寒暖差の拡大。
ちなみにデータを2000年から集計すると

   最高気温:17.3度  最低気温:10.1度

となり最高気温で1度、最低気温で2.5度上昇している。
いわゆる地球温暖化。



その地球温暖化をテーマにしたテレビ番組を最近見た。
それで興味深かったのは日本人は気候変動への意識が低いとの指摘。

番組で使われたのはこんな国際調査データ。
画像はhttps://institute.dentsu.com/articles/2823/から引用
G1

データを見ると気候変動の影響に対して「極度に心配している」または「とても心配している」と回答した人は調査対象11カ国で日本が最も低い。トップのフィリピン84.0%に対して日本は16.4%だから1/5程度の反応。日本の次に低いフィンランドは44.1%なので、それと較べても1/3ほどしかない。


あまりに数値が低いので、やや疑問に思い他の調査も探してみると次のようなものを見つけた。これは文科省所管の科学技術振興機構が2015年に実施したもの。
G2

この調査は

  今年12月にパリで開かれる気候変動枠組条約締約国会議(COP21)
  へ世界各地の市民の声を届けることを目的としたプロジェクトである、
  World Wide Views Climate and Energyが6月6日に、世界96カ所で
  一斉に開かれました。

  約1万人の専門家ではない市民が参加して、世界共通の設問について
  話し合いを行った後、世界共通の選択肢の中から自分の考えに近いものを
  選んで各自が投票を行いました。

とあるからちょっと特殊な調査手法。「約1万人の専門家ではない市民」とあるが、それでもこんなプロジェクトに参加するくらいだから、それなりに環境意識は高い人が対象と思われる。

なのに「とても心配している」が世界全体で79%なのに対して日本は44%。やはり日本人の危機意識は低いのかも知れない。

ただし「ある程度心配している」まで含めればそう変わらない。このあたりをどう判断するかはデータ分析の難しいところ。それは最初のグラフも同じ。


話を前出の番組に戻すと、
日本人の気候変動への意識が低い結果について東京大学の教授が

  日本は失われた30年と言われるように、過去に経済がなかなか厳しい状態に
  あったわけです。ですから、一般市民の方々は、日々の生活や経済状況に非常に
  関心がいってしまって、環境問題の優先順位が下がっているのかなと、
  私は思っています。

とコメントしていた。

ウ〜ンそれはどうかなあ???
最初のグラフで3位に入っているブラジルなんて、2014年から2017年にかけては国家破綻レベルの経済危機だったわけで、それと較べれば日本はそんなに切羽詰まった状況にはまだない。

調査データは結果の数字が一人歩きしがちだけれど、どういう手法を用いたのか、どんな尋ね方をしたのかまで含めて検討しないと分析を間違う場合もある。最初の調査を例に取ると「脅かす」との文言が日本語としてはちょっときつい。

それに実施時期も重要なので、ひょっとして最初のグラフの調査は、日本だけ今日のように寒い日に行ったのチャウかと思ったり(^^ゞ それは冗談としても意識の高いトップ3のフィリピン、インド、ブラジルは暑い国だし、日本に次いで意識の低いフィンランドは寒い国。その国の気象状況によって意識の違いは生まれてくるとの仮説は成り立つかも知れない。


それはさておき、真夏真冬の絶対的な暑さ寒さより、その途中の気温が変化するときに体調を崩しやすいもの。たまに今からダウンを着たら真冬はどうするんだなんていう人もいる。しかし真冬になったら身体は寒さにも慣れているから、そんな心配はまったく不要。

今年の夏、そして11月前半の暑さの記憶はまだ新しいけれど、
喉元過ぎたのだから暖かくして過ごしましょう。

wassho at 22:42|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2023年11月25日

渋谷ファイヤー通りでイエローオータム

渋谷エリアでイチョウの黄葉名所といえば神宮外苑のイチョウ並木が有名。しかしファイアー通りもそこそこ見応えがあると耳にしたので、勤労感謝の23日に渋谷に出たついでに。


そのファイアー通りとは渋谷と原宿を結ぶ道路につけられた愛称。公園通りを以前は丸井があったところで曲がらずにまっすぐ進み、タワレコのあるあたりからがファイアー通り。ファイアーの由来はその先に消防署があるから。雑誌のポパイが名付けたらしい。

ところで英語で消防署は fire station、消防車は fire engine か fire truck。しかし「消す」の意味がないからどうも素直に頭に入ってこない。消防士の fireman なんて放火魔みたいじゃないか(^^ゞ


ずっと昔のファイアー通りは人通りも少ない倉庫街的な場所だったようだ。しかし1970年代の中頃に「文化屋雑貨店」という独特のインディーズ的なセンスを持ったお店ができてから流行の発信エリアとなっていく。しばらくしてビームスも出店した。

これが当時の文化屋雑貨店。木造瓦葺き2階建てのアパートを改装したような店舗。スクランブル交差点から10分も離れていないところに、こんな建物があったなんて今では想像も付かないね。

文化屋雑貨店

私が知っているのは1980年代になってからだけれど、今でいうサブカルの匂いがプンプンしたお店だった。大して役にも立たないものをいろいろと買った記憶があるゾ。

その後バブルの頃に立ち退きに合い原宿に移転。場所は裏原エリア。もちろん当時にそんな言葉はなかった。後に裏原と呼ばれ、いろいろなお店が集まったのにも多少は影響したのかな。そして2015年に閉店。通っていたのは1990年代中頃くらいまでなので、最後はどうなっていたのかはよく知らない。


話は変わって渋谷を代表するメインストリートである公園通りについて。ファイアー通りなんて変わった名前だとナゼ?と思っても、公園通りだと当たり前すぎて何の疑問も持たないもの。だからなぜ公園通りとの名前なのか知っている人は意外と少ない。

公園通りは

   代々木公園に向かう道路だから。
       &
   通り沿いにあるパルコがイタリア語で「公園」の意味だから。
   (伊:parco 英:park)

以前は区役所通りと呼ばれていたものを、1973年(昭和48年)に渋谷パルコが出来たのをきっかけに当時の渋谷区役所通商店街が命名したとの由来。なのでどちらかというとパルコ寄りのネーミング。でも世間でパルコ=公園の認識はほとんどないだろうな。

地図


さてファイアー通りを原宿に向けて歩いて行くと現れるイチョウのイエローオータム。自宅近くのイチョウはまだ全く緑で、こんなに黄色いのは今年になって初めて見た。
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このあたりがファイアー通りの中間地点。
通りを歩き始めて5〜6分といったところ。
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黄葉度合いが微妙に違っているのがきれい。
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黄葉とは紅葉の黄色バージョンね。読みは「こうよう」と同じ。紛らわしいから私はイエローオータム、レッドオータムと表現することが多い。(英語の辞書には載っていないけれどイギリス人には通じた)


代々木公園手前の歩道橋の上から。
見下ろすとなかなかの景色。ただし歩いていると歩道が狭いので見通しが悪い(/o\)
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振り返って原宿駅方向。
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こちらは表参道から続く井の頭通り。
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代々木公園の原宿門。
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ファイヤー通りのイエローオータムはこれだけを目当てにわざわざ見に来るほどのレベルではないとしても、渋谷や原宿に来たら眺めてみる価値はあると思うよ。

wassho at 13:41|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2023年11月20日

無限に増える金盛丸の子株

2019年12月に世田谷のボロ市で、
ひと株だけ買ってきた金盛丸という名前のサボテン。
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それにどんどんと子株が付き、
現在は4つのプランターにまで増えている。


これのセンターにあるのが最初の写真の金盛丸。
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こちらの長いのは最初の写真に小さく写っている子株第1号。
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どちらのプランターにも窒息しそうなほど子株が増えてきたので、
子株や、さらに子株から生えている孫株を切り離して、
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親株と子株1号は単独で植え替え、
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子株や孫株はひとまとめにして植え直したのが5月1日。
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あ〜すっきりしたと思っていたのもつかの間、
それから約7ヶ月が過ぎた現在の様子。
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まとめ植えした子株や孫株が大きくなったのはうれしいけれど、
せっかく1本だけにした親株と子株1号にもまた子株がウジャウジャと(^^ゞ


ビックリするのは孫株で、植え替えたときに豆粒みたいな小さな株は、2つ上の写真でわかるように土の上に置いただけだった。だから夏頃までは水やりをするとプカプカ浮いていたのに、いつの間にか地面に根を張ってしっかりと立っている。
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しかもひ孫株までつけている!
オソルベシは金盛丸の生命力。
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さて困った。
子株がまた増えてくるのは想定内だったとしても、たった7ヶ月でこうなるとは思っていなかった。また再び子株を切り離して植え直したりすれば金盛丸は無限に増えてしまう。親株と子株1号についた子株を取り除いたのは、本体の成長にエネルギーをより集中させるため。しかし考えてみればそれは人間のエゴで、植物は子孫を増やすのが本能だから次から次へと子株をつけるのだ。

まあ子株を捨てればいいのだが、なんとなくそれは忍びないんだよなあ。しばらく前まで私は葉を切る剪定も植物が「痛い!」といっているような気がして出来なかった。金盛丸の子株はコロンとしていて葉より生き物っぽい(^^ゞ

空き地でもあればそこに植えるが都会の真ん中にそんなものはナシ。公園には勝手に植えちゃいけないと思うし。まだしばらくは余裕があるけれど、親株と子株1号のプランターが5月のような状態になるのはいつ頃だろうかーーー


なおサボテンに詳しい人ならこの金盛丸は徒長していると指摘するはず。徒長(とちょう)とは植物がひょろ長く伸びてしまった状態。金盛丸は一番最初に載せた写真のように本来は丸い形をしているもので、成長しても大きく丸くならなければいけない。実は金盛丸も花を咲かせるのだが、こんなに徒長していればそれも無理なはず。

徒長の原因はいろいろあるがウチの場合は、おそらく日当たり不足。ベランダは東向きなので日光は午前の早い時間しか当たらない。しかしもう見慣れたし、これはこれでサボテンらしい姿で徒長した金盛丸も悪くないと思っているのだ(^^ゞ

wassho at 23:01|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2023年11月19日

クリスマス1ヶ月前のクリスマス・カクタス

クリスマスの1ヶ月前にはまだ数日あるけれど、クリスマスの頃に花が咲くからそう呼ばれるクリスマス・カクタスはそこそこ順調に推移している。

昨シーズンの開花状況は
こちら https://wassho.livedoor.blog/archives/53443034.html から。


これは4月中頃の様子。
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バッサリ剪定して、
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さっぱりした姿に。
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これは剪定した葉を植えたもの。
クリスマス・カクタスはサボテンなので正確には茎になる。
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ここまでと、それまでの簡単なまとめは https://wassho.livedoor.blog/archives/53455099.html にも書いた。



長かった夏が過ぎて10月中頃の様子。
やり過ぎたか?と思うくらい剪定しても、ひと夏で回復するのがクリスマス・カクタス。
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しかしこんな斑点が(/o\)
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調べてみたら炭疽(たんそ)病なるものに最も症状が近い。一種のカビによる被害。長雨で高温多湿状態が続くと発生しやすいらしい。ベランダだから雨はあまり当たらないものの、低い位置に置いているから風通しが悪いのかな。ただし10年以上同じ環境で育てていて、こんな症状がでたのは初めて。

ところで炭疽菌といえば生物兵器やテロにも使われる恐ろしい細菌。ただしそれで引き起こされるのは炭疽「症」で、感染するのは人を含めた動物。植物の炭疽「病」とは別みたいだ。もしベランダに炭疽菌が発生していたら困るどころの騒ぎじゃない(^^ゞ


その植物の方の炭疽病には薬剤もなく、被害に遭った部分を除去して焼却または地中深く埋めなさいとあった。つまり諦めろとのお達し。

しかしこの時点でほとんどの茎に炭疽病と思われる症状が多かれ少なかれ発生していたし、それらを取り除いたらクリスマス・カクタスがほとんどなくなってしまう。

だから見なかったことにした(^^ゞ この時点で取り除くのも、後に症状がさらに進行して枯れてしまうのも結果的には同じだろうとの判断。


11月5日。
ツボミができているのを確認。
炭疽病が広がっている様子はなくひと安心。
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なぜかひとつの茎に2つツボミがあるのや、茎の途中からツボミが出ているものを発見。こんなのも初めて見る。今シーズンは何かと様子が違うクリスマス・カクタス。
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そして本日11月19日。
大きなつぼみは少し色づいてきた。
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ひとつの茎に2つ付いたり茎の途中に出た奇形のツボミもしっかり育っている。
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炭疽病は10月時点から進行していないようだし、
とりあえず開花前に全滅の恐れはないと思っている。

wassho at 18:56|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2023年11月17日

自殺に追いやる罪は必要か?

宝塚歌劇団に所属していた女性、いわゆるタカラジェンヌが9月30日に飛び降り自殺。その原因が劇団内でのパワハラやいじめ、また過酷な労働環境にあるのではないかと疑われている事件。

11月14日に宝塚歌劇団が記者会見を開き社内調査の結果を公表。「長時間の活動や上級生からの指導で強い心理的負荷がかかっていた可能性は否定できない」とする一方で、「いじめやハラスメントは確認できなかった」と述べる記者会見を開いた。

当然ながら遺族は反発しているし、その対応について東のジャニーズ、西の宝塚と評するものもあった。(なかなかウマイこと言うなと思った)

宝塚会見


警察庁と厚労省が作成している自殺統計では、自殺の原因を次の7つに分類している。
数値は2022年度のもの。(なお自殺者1人につき4つまでの原因が重複して計上される)

   健康問題     45%
   家庭問題     17%
   経済・生活問題  17%
   勤務問題     10%
   その他      6%
   男女問題     3%
   学校問題     2%

ただしこれは全年代での数値なので、例えば19歳までだと学校問題が35%でトップになるし、20〜29歳では男女問題が10.2%を占める。詳しく知りたければ https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R05/R4jisatsunojoukyou.pdf でご確認を。

いずれせよ統計では、パワハラやいじめが原因とされる自殺がどれくらいあるのかはわからなかった。しかし児童や学生の自殺でいじめは多くを占めるだろうし、社会人がパワハラを受けて自殺したニュースもよく目にするようになってきた。また最近はネットでの誹謗中傷やバッシングを苦にしての自殺も増えていると思う。

それを防ぐにはどうすべきかーーーいろいろな議論がなされているものの、ふと「人を自殺に追いやっても罪には問われない」のも一因になっているのではと思いついたのが今回のブログ。


偶然だが本日、歌舞伎俳優の市川猿之助に対して両親への自殺幇助の罪で、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。自殺に関して罪に問われるのは次の4つの場合だけである。ごくごく平たく解説すると

<自殺関与罪>
  自殺教唆(きょうさ):自殺するようそそのかした、勧めた。

  自殺幇助(ほうじょ):自殺が行えるよう手助けをした。

<同意殺人罪>
  嘱託(しょくたく)殺人:自殺したい人の依頼を受けて、その人を殺害した。

  承諾殺人:相手に殺害の申し込みをし、その同意を得て殺害した。


市川猿之助は両親に睡眠導入剤を手渡して服用させ、自殺を手助けしたとして自殺幇助の罪に問われた。自殺幇助と嘱託殺人の線引きは微妙になる場合もあり、例えば毒入りの注射器を使っての自殺なら、それを用意して手渡せば自殺幇助で、注射までしてあげれば嘱託殺人になる。もっとも刑期は4つの罪で「6ヶ月以上7年以下の懲役又は禁錮」と同じ。参考までに普通の殺人罪は「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」。

また承諾殺人について「殺害の申し込みをし、その同意を得て」なんてことがあるのかと思われるかも知れないが、これは心中を図ろうとしてとして相手を殺害、自分だけが生き残った場合などに問われる罪である。


さて自殺教唆は教唆=そそのかすとの名前になっている。ニュアンス的に「死ぬのもひとつの方法」「死ぬと楽になれる」など柔らかな表現がイメージされるものの、強く迫る強要ももちろん含まれる。ただし罪に問われるのは「死ね」「自殺しろ」など自殺に直接言及する文言あるいはそれに近い表現、例えば「消えてしまえ」「いると迷惑」などがある場合に限られる。なお「死んで下さい」「死んで欲しいです」と丁寧にお願いしても同じね(^^ゞ

だからそういう言葉を使わなかった場合、言い換えれば明示または暗示的に自殺を迫らなければ、パワハラやいじめ、誹謗中傷やバッシングをして自殺に追い込んでも罪には問われない。

そこで表現はどうであれ、結果として

   人を自殺するまでに追い込むのは罪ではないのか?
   そのような行為はいわゆる殺人と何が違うのか?

の問題。

追い込むのは罪だとは思うが、それを普通の殺人罪と同列に扱うべきかについては考え不足で意見を持つに至っていないm(_ _)m それにもし「自殺に追い込む罪」を制定するとしたら、それが立法論的にまた実際の運用においても、とてもやっかいな扱いになるくらいの想像は付く。

とはいえ
パワハラやいじめ、誹謗中傷やバッシングは増加する一方である。誰もがスマホを持ちメールやSNSが広まってさらに拍車がかかった。そんなことが起きないような社会を目指すというのは正論だとしても、それは世の中から貧乏な人をなくすのと同じくらい現実性がない。だから法的な歯止め、きつい表現をすれば「ほどほどにしないと痛い目に遭う」と知らしめ社会を矯正する方策も必要と思うのだが。


誰か賢い人に考えて欲しい。

wassho at 22:26|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2023年11月12日

プレーパークという公園

先日に訪れた渋谷はるのおがわプレーパークは、その名前が示すようにプレーパークに分類される公園。東京では割と見かける形態。ただし運営団体としては最大と思われるNPO法人:日本冒険遊び場づくり協会のホームページによると、全国に351箇所あるプレーパーク所在地のうち首都圏だけで170箇所を占めている。だからそれ以外での地域ではまだあまり馴染みがないのかも知れない。首都圏以外ではなぜか兵庫県が突出して多い。

1所在地

それで具体的に普通の公園あるいは児童公園と何が違うのか。
ウィキペディアには

    従来の公園、既成のブランコ、シーソー、鉄棒などがあるようなお仕着せの
    遊び場と違い、一見無秩序のように見えて、子供たちが想像力で工夫して、
    遊びを作り出すことの出来る遊び場

と書かれている。ブランコ、シーソー、鉄棒などは楽しいので、それを「お仕着せ」と表現するのはどうかと思うゾ。人が見ていなければ私もやりたい(^^ゞ それはさておき、いわゆる公園遊具がないのがプレーパーク第1の特徴。


また上記のNPO法人ではプレーパークを冒険遊び場とも呼んでいる。
その解説には

  冒険遊び場は、子どもが「遊び」をつくる遊び場です。

  そこでは火を使ったり、地面に穴を掘ったり、木に登ったり、
  何かものをつくったり・・・。

  落ち葉やどろんこや自然の素材を使って、
  遊び場にあるスコップや金づちや大鍋を使って、
  自分の「やってみたいと思うこと」を実現していく遊び場です。

  さまざまな遊びが展開されていくので、変化しつづける遊び場ともいえます。

  禁止するのではなく、いっしょに考えてやってみる。

  のびのびと思いきり遊べるこの場所は、
  子どもが生きる力を育むことを支えています。

ーーーとある。

言葉だけでは分からないので上記NPO法人のパンフをにある写真を引用すると

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23パンフ3

24パンフ4


間違いなく楽しそうな雰囲気。遊びの範疇に入るものであれば自由に使える空間を提供しているのが第2の特徴。逆にプレーパークにはこういう遊びをしなければいけないとの決まりはないので「プレーパークで何をしている」かを言葉で定義するのは難しい。下記のリンクは「プレーパーク」を画像検索したもの。子供たちが様々に遊んでいる様子を見てちょうだい。

    プレーパーク画像検索はココをクリック


プレーパークは従来の児童公園ではできなかった遊びを楽しめる反面、それに伴う怪我などのリスクも高くなる。その対策としてプレーパークには公園の管理人であり、遊びのプロデューサー的存在のプレーリーダーやプレーワーカーと呼ばれる人が常駐している。これが第3の特徴。

プレーリーダーには有給とボランティアがいるようだが、常識的に考えてその人材確保は簡単じゃない。だからプレーパークは常時開園ではない。日本冒険遊び場づくり協会のホームページでプレーパークを開催頻度別に検索してみると全351箇所中で

   週に4回以上:39箇所
   週に1〜3回:77箇所
   月に1〜3回:151箇所
   不定期:   72箇所

となる。なぜか合計が339箇所にしかならないが、とにかくいつでも遊べるプレーパークはとても少ないのが現状。また開園時間が午前10時から午後5時までのところが多い。さらに週に4回以上開園しているプレーパークは夏休みや冬休みもある。夏休みに閉まってる公園ってーーー(/o\)

こちらは以前にたまたま休園の日に通りかかった世田谷のプレーパーク。

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普通の児童公園と較べてかなり手間のかかるプレーパークは

   自治体が場所と資金の提供または助成
   NPOなどの団体が運営

の形を取っているものが多いようだ。近隣住民が運営に参加している場合もあるだろう。これが第4の特徴。

なおプレーパークに入場料などはかからないし、会員制でもなく誰でも利用できるのが原則。また先日の渋谷はるのおがわプレーパークは単独したプレーパーク。大きな公園では敷地の一画に「プレーパークエリア」を設けて運用しているところもある。



さてプレーパークで遊ぶ適齢期の子供を持っているわけでもないから、私にとってプレーパークはほとんど縁のない存在。そして今回プレーパークについて少し調べてみた感想を述べると

   とても素晴らしい取り組み
      vs
   そこまで子供の遊びの面倒見なきゃいけないのか

と相反する気持ちになるのが正直なところ。
もちろん後者を声高に叫ぶ勇気はないとしても。


ただプレーパーク設置のような運動を進める人は、そういう環境下で子供を遊ばせるのが、いわゆるノビノビ育つ、スクスク育つのに貢献すると考えているように思える。そしてそれが健全な大人への成長につながると。

しかし私の世代はプレーパークに近い環境が身近にあったけれど、それが後生に影響を与えたか、ましてそれで立派な大人になったかというと絶対にそんなことはない(^^ゞ しょせん遊びなんだからあまり教育的効果は期待しない方がいい。ゲームばかりしているよりは身体的成長を促すくらいじゃないかな。

あるいはプレーパークで遊ぶ子供の親世代は、自分が子供の頃にそういう環境がなかったから憧れや渇望感があるのだろうか。それは昨今のアウトドアブームーーーというより、広場があればすぐテントを張りたがる連中を見ても同じように感じる。


それはさておき、
文明が発展するほど生活が体力的に楽になる。でもそれでは運動不足なるからスポーツをしたり体を鍛えなくちゃならない。それが本末転倒かどうかは別として、同じようなことが子供の遊び場にも現れていると役にも立たない考察。

とりあえずプレーパークで遊べる対象年齢外なのが残念(^^ゞ

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2023年11月09日

碑文谷公園の秋バラは数えられるほど

タイトルを変えて、
先に中目黒公園から訪れた10月28日の散歩の続き。

前々回に書いたように春バラと較べて秋バラは株数・花数ともに少ないから、賑やかさを楽しみたければ大きなバラ園に行かなくてはならない。それを承知でこの日は期待値低めのバラ巡り。案の定、中目黒公園で咲いていたバラは数輪程度。それでも他の植物でいろいろ楽しめた。

さて次の碑文谷公園はいかに。
まあ既にタイトルに書いちゃったけれど。


碑文谷(ひもんや)は目黒区の地名。碑文谷公園は東横線の学芸大学駅の近くにある。開園は1933年(昭和8年)と目黒区立の公園としては最も古い(当時は東京市立)。面積も4.4ヘクタールと区立公園で最大なのだが、これはグランドやその他を含んだ数字。公園そのものの面積は1.8ヘクタール。そのうち池が0.8ヘクタールを占める。


碑文谷公園に到着。
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鳥居と祠だけの神社もある。
池のそばだから祀られているのは弁財天。池の名前も弁天池。
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この神社は厳島神社との名前。ただし祠が建っているのが島の中にある厳島で、あの広島の厳島神社とは関係なさそう。創建は戦国時代との言い伝え。ホンマカイナ? 記録としては江戸時代の幕末に近い1848年に弁財天像を奉納したものしかないようだ。


このあたりが碑文谷公園のメインエリア。
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西日が眩しいバラコーナー。
ヒイ、フウ、ミイーーー11輪咲いていた(/o\)
いや中目黒公園より多いと喜ぶべきか。
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咲いていたのはこの2種類。
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他に撮るものがないから、
とりあえずいろんな角度から眺めましょう。
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あっという間にバラ鑑賞は終了。
春バラなら、この公園もそこそこの量が咲いているのにーーー
やはり秋バラは大きなバラ園に行かないとダメだね。



ところでネットで「碑文谷公園 バラ」と検索しようとすると「バ」まで打ち込んだところで「バラバラ」と検索候補が表示される。これは2016年に近くに住む88歳の女性が自宅で殺害され、その遺体がバラバラにされてこの弁天池に捨てられる事件が起こったから(/o\)
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犯人は2週間ほどで逮捕され、すでに強盗殺人として無期懲役の罪も確定している。しかしなぜ殺したのか、そしてバラバラにしたのかなど謎の多い事件だった。少し調べてみたがネットで拾えるのは事件が起きた2016年当時のことがほとんどで、事件の全貌はつかめず。ネットで何でも調べられるものではないと再確認。


今はのどかな雰囲気の弁天池。
ボートを楽しむ人も多い。
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このライフジャケットは子供用。子供はこれを着けてボートに乗るルールになっている。最近はそういうところが多いみたいだ。
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幼い兄弟で(たぶん)ライフジャケットを着て可愛いけれど、
少年よ、漕ぐ向きが逆さまだぞ(^^ゞ
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碑文谷公園でははポニーにも乗れる。
この日は馬場に出ていなかったので厩舎を覗き見。
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今週末は天気が悪そうだし、来週末ではそろそろ秋バラシーズン終了。やはり今年は大きなバラ園に秋バラを見に行くのは難しそうだ。まっ次の春バラにあちこち出かけましょう。

wassho at 21:59|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2023年11月08日

秋バラよりヒマワリが咲いていた中目黒公園 その2

園内ぶらぶら。
これはデュランタとその実。
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チェリーセージはサルビアの仲間。
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よく見かけるというか紅白で目立つから印象に残っているのか。チェリーセージには他にも単色で赤、紫、オレンジ、ピンクなどがある。でもこの紅白のようなインパクトはないから見過ごしがち。


キバナコスモス。
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ところでコスモスは秋桜とも書く。そして秋桜といえば1977年に山口百恵がヒットさせた「🎶淡紅の秋桜が〜秋の日の何気ない陽溜りに揺れている〜」の歌を思い出す人も多いだろう。これを作詞作曲したのはさだまさし。

それでさだまさしがコスモスを秋桜と漢字にしたと解説するものもある。でも昔からコスモスの和名は「アキザクラ」。だから秋桜(あきざくら)をコスモスと読ませるようにしたとするのが正しい。以前に書いた和製漢語や新漢語を作り出したのとはちょっと違う。


シャクチリソバかなあ?(自信なし)
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漢字では赤地利蕎麦。赤地利の語源は不明だが命名はあの牧野富太郎。原産はヒマラヤから中国南西部。ソバの仲間だけれど食べられない。ただし漢方の原料になるので以前は薬草園などで育てられていて、その種が飛散して各地で野生化したとされる。繁殖力が旺盛で現在はやっかいな外来種扱いとなり駆除の対象となっている地域もある。



代々木公園でも見た西洋ススキのパンパスグラス。
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こちらは日本のススキ。
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お線香のような名前のセンニチコウ。
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まだ秋だけどハツユキソウ。
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カンナのベンガルタイガー。
カンナとダリアは昔はどこにでもあったのに最近はあまり見ない気がする。
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鶏のトサカみたいなケイトウ(鶏頭)。
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この不気味なのはペニセツム・グラウクム・パープルマジェスティーと長い名前。熱帯アフリカ原産のイネ目イネ科の植物。ペニセツム・グラウクムの和名は「トウジンビエ(唐人稗)」や「クロキビ(黒黍)」。だからヒエやキビなど雑穀の園芸種。
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一番左の短いのを拡大したのがこれ。
白くまとわりついているのが花らしい。
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カラーミックスあれこれ。
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色づき前とやや色づいたコキア。
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やっぱりコキアは目立つ。
ひたち海浜公園でのこんな光景をまた見たいもの。
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そしてなぜかヒマワリが満開だった!
もう一度書くけれど、この日は10月28日。
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秋に咲く品種もあれば、そうでなくても種を遅まきにすればたいていのヒマワリは秋になって咲くみたいだ。このヒマワリがどちらかはわからず。とにかくまさかヒマワリが咲いているとは思っていなかったのでビックリ。


何じゃこりぁ〜!!
いきなり目に飛び込んできてビックリした。
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どうやらこれはカリンらしい。のど飴なんかの成分として入っているやつ。でもマルメロという植物かも知れない。私には見分けが付かず。どちらもバラ科ナシ亜連に属するナシの仲間。そういえば洋梨に形が近い。カリンもマルメロも生では食べられず砂糖漬け、ジャム、果実酒などにして利用される。



秋バラはほとんど咲いていなかったが、たくさんの花々を見られて満足。そしてヒマワリとバラと同時に見られるなんて珍しい体験。

いろいろ紹介してきたように中目黒公園は植物が充実している。また広い芝生もあって気持ちがいい。目黒川に桜を見に来る人はついでに立ち寄るといいと思うよ。
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公園の出入り口近くで紅葉していたのはハナミズキ。
ハナミズキは一番早く紅葉する植物のひとつ。
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逆光で撮った方がバエる。
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赤い実がなっていた。そして実の下の枝分かれしている先には小さな花芽。常に次の準備を怠らない植物は偉いなあ〜見習わないと(^^ゞ
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最後にひとつだけきれいに咲いていた秋バラも載せておきましょう。
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おしまい

wassho at 23:12|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2023年11月07日

秋バラよりヒマワリが咲いていた中目黒公園

バラが好きだという女子に、ドコソコのバラ園がよかったと話すと「春になったら行ってみますね♥」と言われたことが何回かあったので、バラは春に咲くものと思っている人は意外と多いのかも知れない。このブログではいつも春バラ・秋バラと区別しているが、バラはいつ咲くかのよって次の3タイプに分けられる。

  一季咲き
   春に咲くバラ

  四季咲き
   もちろんずっと咲いているのではなく、咲いては枯れまたツボミをつけて咲くバラ。
   これは一季咲きを繰り返し咲くように品種改良したもの。
   ただし四季咲きと名前が付いていても、実際に咲くのは春と秋で、
   夏はあまり咲かないし冬はほとんど咲かない。

   日本の冬は寒いから咲かないと解説される場合も多いが、ほとんどの
   ヨーロッパ諸国は北海道の北端である稚内よりさらに北側。南仏でも札幌あたり。
   だからヨーロッパでも咲かない。

   秋バラと呼ばれるのは、この四季咲きのバラが秋に咲いたもの。

  返り咲き
   一季咲き品種ではあるものの、調子がよかったら?秋にも咲くバラ。
   数は少ないと思う。

春には一季咲きと四季咲きの両方が咲くから賑やかになる。逆に言えば秋は四季咲きだけだから賑わいは見劣りする。また四季咲きのバラ自体の花数も春より秋は少ない。春に咲いて夏の暑さに耐えて体力を消耗しているからだと思う。

春バラと較べて秋バラの賑わい度合いは、花数の絶対数(株数)も加味すると

  大規模なバラ園:6〜7割
  小規模なバラ園:4〜5割
  公園の一角にあるようなバラコーナー:2〜3割

程度の印象になるかな。

なので賑わいを楽しみたければ秋バラほど大きなバラ園に行くべき。今年は夏の異常な暑さで秋バラが弱っているらしいからなおさら。

でもメジャーなバラ園はほとんど行き尽くして、訪れていないのは日帰り可能でもかなり遠方。なんやかんやでグズグズしてこの秋も大きなバラ園は行きそびれそう。でも先日訪れた芝浦中央公園は、それほどの規模でないのにそこそこ見応えがあった。それに気をよくして散歩のついでにバラがありそうな近所の公園も回ってみた。訪れたのは10月28日。



中目黒公園は桜で有名な目黒川沿いにある。
川よりは少し高台にあって短い上り坂を歩いて中に入る。
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面積は2.2ヘクタールでそこそこの広さ。
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土曜日なのにグランドには一組の親子が遊んでいただけ。
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だから秋バラは大きなバラ園に行かないとダメなんだって(^^ゞ
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これが一番賑やかな写真。
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咲いていた形跡もなし(/o\)
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まあでもこれは想定内。
中目黒公園は植物が充実しているから他にもいろいろと楽しめた。

一番目立っていたのがタイタンビカス。
これはフヨウの仲間。
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ツボミだけ見るとバラに似ている。
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でも花の姿はフヨウそのもの
というかフヨウとタイタンビカスの違いが何のかよくわからない。
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この日はデジカメではなくiPhoneなのでマクロモードでドアップ。
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ーーー続く

wassho at 22:58|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2023年11月06日

代々木公園の歴史とジャニー喜多川 その2

話をワシントンハイツに戻す。
現在とワシントンハイツがあった頃の航空写真の比較。
20航空写真新旧


代々木に出現したアメリカの街。
画像はhttps://fm-tohnet.sitekitt.com/blog/2229より引用。
21ワシントンハイツ1

これらのクルマはワシントンハイツの外、つまり東京都内を走っていたはずなのに、あまりそういう光景の写真を見たことがない。でも昭和40年代前半まで外車の人気がアメ車>ベンツの時代があったわけで、それは進駐軍が乗り回すアメ車に日本人が憧れを抱いたからだと思う。


終戦直後は日本人が闇市で四苦八苦して買い物していた時代。
しかしここにはスーパーマーケットまで備わっていた。画像はhttp://www.asahi.com/special/sengo/visual/page7.htmlとhttps://friday.kodansha.co.jp/article/63115より引用。
22ワシントンハイツ2



そして「あの」ジャニーさんが、
そんな別世界ワシントンハイツの住人だったと知る。

世間を騒がしている性加害問題については、あまり興味を持っていなくて見出しを読む程度。それでも相当な情報量になるから、いかにこの問題が大量に報じられているかである。騒動が大きくなったのは今年の5月頃から。9月7日と10月2日に記者会見が開かれてからは一挙にマスコミがヒートアップ。後者では特定の記者を指名しないようにする「NGリスト」の存在などもあって炎上に燃料投下。最近ようやくネットニュースを開いたら見出し全部がジャニーズ関連ということがなくなって少しホッとしている。

なので芸能人の皆さん、オイタをするならジャニーズ問題に注目が集まっている今がチャンスですぞ。広末涼子はジャニーさんの墓参りに行くべき(^^ゞ



ところで彼は会話に「You」が入るので有名だし、ジャニーって名前も使っているからアメリカかぶれしたオッサンだと思っていた。しかし実はアメリカ生まれで英語名のJohn Hiromu Kitagawaがその由来。

意外にも父親は高野山の僧侶。ロサンゼルスで1912年(大正元年)から続く高野山米国別院の第3代主監(住職?)を1924年(大正13年)から33年(昭和8年)まで務める。なかなかの人物で日系人社会から慕われ尊敬されていたようだ。また親戚には児玉誉士夫らと並ぶ「戦後最大級のフィクサー」と称された大谷貴義(たかよし)もいる。大谷は公の場にほとんど姿を現さないので有名ではないものの、彼が亡くなると葬儀委員長を元総理大臣の福田赳夫が務めたのだからその大物ぶりが伺い知れる。

父親の米国赴任中にジャニーさんは1931年(昭和6年)にロサンゼルスで生まれる。そして一家で1933年に帰国後、戦争中は兄弟で和歌山に疎開(前述の大谷氏の実家)。だから彼はアメリカ生まれの関西育ち。

終戦から4年後の1949年(昭和24年)に、同じくアメリカで生まれアメリカ国籍(いわゆる二重国籍)も持っている姉のメリー喜多川、兄の喜多川真一と共に渡米。高校〜短大(コミュニティーカレッジ)へと進む。1952年(昭和27年)に徴兵され朝鮮戦争に従軍。

そして除隊後、アメリカ大使館付きの軍事援助顧問団職員として来日。その関係でワシントンハイツに住んでいたと思われる。正確な時期はわからなかったものの、たぶん1953年か1954年(昭和29年)あたり。ジャニーズ事務所設立は1962年(昭和37年)で、その頃には軍事援助顧問団を辞めていたはずだから、大体7〜8年ほど住んでいたのかな。別の見方をすれば渡米した1949年から1960年頃までの10年間ちょっとは、アメリカ人のジャニー喜多川として生活していた。


軍事援助顧問団でどんな仕事をしていたのかは知らないが、休日には近所の少年30名ほどを集めて野球チームを作りコーチをしていた。えっ、ひょっとしてその頃から子供相手にヤッテタ?(/o\)

そのチームは最初「エラーズ」や「ヘターズ」などのヘンな名前だった。それでは格好悪いのでチームのメンバーだったあおい輝彦が「ジャニーさんのチームだからジャニーズ」と提案してジャニーズ少年野球団となり、それが後のジャニーズ事務所の名前にもつながる。あおい輝彦はジャニーズ少年野球団からジャニーズ事務所所属となり「初代ジャニーズ」を結成した4名のひとり。結果的にはブランド名としてのジャニーズの名付け親ともいえる。


写真はグレーの建物がオリンピックの翌年となる1965年(昭和40年)竣工で、日本初の億ションといわれるコープオリンピア。隣のレンガ色がマンション31。表参道の最も原宿駅寄り、すなわち元ワシントンハイツだった代々木公園のすぐ近くに建っている。

以前はこの両方にジャニーズの合宿所(寮)があったとは知る人ぞ知るだった。事件の影響でもう今は多くの人が知っているかな。 芸能人の寮なのにどうしてこんな目立つ場所にと、昔から思っていたけれどジャニーさんの原点がワシントンハイツだったからかもと想像している。
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さてジャニー喜多川とメリー喜多川の姉弟は、アメリカ生まれで英語名も持っていたからジャニーやメリーの名前もそれなりに根拠がある。メリー喜多川の娘である藤島ジュリー景子の国籍はわからなかった。彼女が日本生まれでも、メリーさんがアメリカ国籍を放棄していなければ、アメリカ人の娘としてアメリカ国籍を取得している可能性はある。

ただし日本の法律ではミドルネームを持てない。それでアメリカで生まれたメリーさんはアメリカ国籍にはMary Yasuko Kitagawa、日本国籍には喜多川メリー泰子で出生届けをしたようだ。つまりファーストネームとミドルネームが合体した「メリー泰子」でひとつの名前。将来アメリカ国籍を放棄しても、西洋名があった方が海外で活動する際に便利と考えたからと思われる。後に結婚して本名は藤島メリー泰子。そして娘にも同じ発想で「ジュリー景子」と名付けた。

そんな名前の付け方があるのかと思ったが、考えてみれば日本に帰化したサッカー選手の田中マルクス闘莉王(トゥーリオ)と同じだね。ミドルネームを持つ外国人が日本国籍を取得する際にはよく使われる手法なのかもしれない。なおジャニーさんは日本国籍での届けにJohn Hiromu KitagawaのJohnは使わず、普通に喜多川 擴(ひろむ)としている。だからメリーさんと違ってジャニーは本名じゃなくてニックネーム。両親はどうして姉弟で使い分けたのだろう。


ところでジャニーさんの英語名のJohn。この名前のオリジナルはJohannes(ヨハネ)でその英語読み。Johanneは英語ではジョン、ドイツ語ではヨハン、フランス語ではジャン、イタリア語ではジョバンニである。ヨハン・セバスチャン・バッハとジョン・レノンが実は同じ名前。そのJohnを親しみを込めて呼ぶ場合にJohnny、Johnnieなどとなる。

しかしJohnはジョンだしJohnnyはジョニーのはず。どうしてジャニー喜多川でありジャニーズ事務所なのか。実はJohnやJohnnyの発音はイギリス英語とアメリカ英語では微妙に違う。

  John   イギリス発音:dʒˈɔn   アメリカ発音:dʒάn  
  Johnny  イギリス発音:dʒˈɔni  アメリカ発音:dʒάni  

発音記号では ɔ と ά の違い。カタカナで割り切って書くとイギリス発音がジョンやジョニー、アメリカ発音ではそれがジャンやジャニーになる。彼はアメリカ生まれだからカタカナではジャニーを名乗ったのだと思う。発音を聴き分けたいならここをクリック

そしてこれを確かめるために辞書を引いて初めて知ったのだが、Johnには名前のほかになぜか「トイレや便座」の意味もある。「トイレはどこ?」を「Where is the john?」などと言うらしい。訪ねる相手がジョンさんだったら困るな(^^ゞ

また男性に多い名前だからだろうか「やつ、男」「売春婦の客」を指す言葉としても使われ、そしてなんと
   
     オチンチン

の俗語でもある!

ジャニーはジャンの愛称だから、つまりかわいいオチンチン事務所?
喜多川クンの性癖に忠実な事務所のネーミングになっているじゃないか(^^ゞ
24ビル


久々の下ネタで今回は締めるとしましょう。
シツレイシマシタm(_ _)m



おしまい


追伸
そういえばビッグジョンというジーンズのブランドもあるけどーーー

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2023年11月04日

代々木公園の歴史とジャニー喜多川

先日、キンモクセイ目当てに訪れたら空振りで秋バラも見頃前だった代々木公園。そこがかつて陸軍の練兵場→米軍接収→オリンピックの選手村を経て公園になったとはそれなりに知っていた。それでもブログを書く前にいろいろ調べていたら、何かと興味深かったので回を改めて書いてみたのが今回のお話。



さて明治神宮と代々木公園は全国的な知名度があっても、訪れたことがなければ、その2つが隣接していると知らない人は多いかも知れない。航空写真で見ればまるでひとつの土地を分割したように思えるが、それぞれ別の成り立ちで現在に至っている。

明治神宮は江戸時代の最初は肥後藩、次いで彦根藩の大名屋敷だった土地。それが1874年(明治7年)に皇室御料地となり、明治天皇が亡くなって1920年(大正9年)に明治神宮が創建された。
1航空写真

代々木公園あたりも江戸時代には大名や旗本の屋敷があったエリア。しかし明治維新以降は茶畑・桑畑となる。江戸は大雑把に町民50万人+武士50万人で100万人都市だった。それが参勤交代で江戸に来ていた大名・武士達がいなくなったから。最大勢力の徳川家臣団も徳川慶喜に従って静岡に移った。明治維新の年に江戸は約4割も人口が減少したともいわれる。

もっとも明治9年には103万人となり100万人台を回復している。この時(1876年)の日本の総人口は3556万人。東京が占める割合は103万人÷3556万人で2.9%。現在の東京人口は1410万人で総人口は1億2434万人だから11.3%。いわゆる東京一極集中。これに千葉・埼玉・神奈川を加えると、現在は総人口の約3割が首都圏で暮らしている。参考までに東京都は47都道府県で3番目に面積が小さく、また首都圏1都3県が全国に占める面積割合は3.6%に過ぎない。


さて明治40年頃(明治は45年まで)になると東京の人口は250万人を超え、江戸の頃よりはるかに人が多くなる。にもかかわらず当時の東京の中心は皇居より東側だったからか、代々木は茶畑・桑畑のままだったようで、1909年(明治42年)に陸軍がその一帯を買い上げて代々木練兵場とした。ちなみに練兵場、今でいうなら軍事演習場は代々木以外に日比谷、青山、駒沢、駒場と都内に5箇所あった。戦前は東京のど真ん中で訓練してたんだ。

そして時代は下って1945年(昭和20年)に日本は太平洋戦争に敗戦。代々木練兵場は連合国に接収され、アメリカ初代大統領の名前を取ってワシントンハイツと呼ばれた進駐軍向けの住居が建てられる。総戸数827戸。

これは西側から撮ったもの。ワシントンハイツの左奥に明治神宮。
WH1


まさにフェンスの向こうのアメリカ。
東京のど真ん中にこんな光景があったなんて。
(クルマのナンバープレートを見ればここが日本だと分かる)。画像はhttps://shibuya90th.magazineworld.jp/history/459/とhttps://transit.ne.jp/2012/08/000547.htmlから引用
WH2

WH3


1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効して日本の占領は終了するものの、同時に発効した日米安保条約によって米軍が引き続き駐留。ワシントンハイツもそのまま使われる。使用期間は無期限だった。

しかし1961年(昭和36年)、3年後の1964年に開催される東京オリンピックの選手村・競技場用地として日本に返還が決まる。返還完了は1964年(昭和39年)8月12日。10月10日からのオリンピック開催59日前。

代々木練兵場=ワシントンハイツの敷地がどこまで広がっていたのか、調べても正確なところはよく分からなかったが、少なくとも現在の

   代々木公園
   国立オリンピック記念青少年総合センター(通称はオリンピックセンター)
   国立代々木競技場
   NHK

は、その範囲に含まれる。

返還が完了した8月12日とは最終的な手続きの話で、引き渡し作業自体はもっと前から始まっていたと思う。それでも代々木競技場の着工はオリンピック前年の1963年2月。1964年7月以降は24時間体制の突貫工事を続け、完成したのはオリンピックの39日前。

NHKはオリンピックの放送センターを設置するため、そして将来の本部予定地として国にワシントンハイツの一部を払い下げるように求めて認められた。現在もここにあるNHK施設全般をNHK放送センターと呼ぶのはその名残なのだろうか。NHKがこちらに完全移転したのは1973年(昭和48年)で、それまでの本部は日比谷にあった。その頃はまだ子供だったしNHKに日比谷のイメージはまったくないなあ。


そして現在の代々木公園と国立オリンピック記念青少年総合センターのエリアはオリンピックの選手村となる。つまり1964年東京オリンピックの選手村は米軍住宅のリフォーム物件。SDGsが叫ばれた2021年の東京オリンピックよりエコだったりして(^^ゞ

ワシントンハイツの返還に伴い、米軍住宅を調布に移転する費用は日本の全額負担であった。金額は90億円。2020年基準の消費者物価指数は1964年が22.5、2023年が102.7である。そして102.7÷22.5=4.6だから、当時の90億円は今の400億円くらいかな。

なお1964年オリンピックの開催経費は265億円。移転費用もオリンピック経費と考えて90億円÷(90億円+265億円)を計算すると、移転費用は全体の25%を占める。

参考までに2021年東京オリンピックの開催経費は1兆4238億円。1964年の265億円を今の価値として4.6倍の1200億円と換算すると、2021年オリンピックは1964年と較べてなんと12倍も費用がかかっている(/o\)


ちょっと話がそれたが、その米軍移転費用の90億円は国と東京都が折半して負担した。それで元陸軍練兵場=国有地の大半を東京都が取得して代々木公園が造られたようだ。元ワシントンハイツの選手村を撤去して、公園が開園したのはオリンピックから3年後の1967年(昭和42年)。私と同世代なら森永チョコボールとリカちゃん人形が発売された年といえばイメージできるかも。

それしても都市環境意識なんてまだ希薄だった時代なのに、これだけの広い面積をよく丸ごと公園にできたものだと感心する。私が東京都知事だったら代々木ヒルズに再開発していた気がするな(^^ゞ




ーーー続く
ジャニーさんの話は次回に

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2023年11月01日

芝浦中央公園で秋バラ その2

芝浦中央公園の園内マップ。公園はAからDの区画に分かれている。
それらをA面B面と「面」で呼ぶのはちょっとヘンな感じ。

園内マップ

この図以外に道路を挟んでテニスコートやフットサルのグラウンドなどがある。
それがC面。

総面積は4.6ヘクタール。各区画ごとの面積は公表されていないようで、Googleマップで計測するとC面は1.5ヘクタールほど。運動場であるC面を差し引いていわゆる公園部分の面積=A面+B面+D面を求めると(数字を丸めて)3ヘクタールとなる。

マップでD面の下にシーズンテラスと書かれている場所は、前回に紹介した品川シーズンテラスのビルが建っている場所ではなく、ビルに付随する緑地。0.5ヘクタール位の広さ。この緑地と公園とはつながっているようなものなので、実質的に公園規模は3.5ヘクタールといったところ。

A面とB面は1980年(昭和55年)の開業なのに対し、D面は2015年(平成27年)竣工の品川シーズンテラスと同時に造られた。公園が広くなっていいことだけれど、行政が民間が建築するビルの付加価値向上に協力したとも言える。また品川シーズンテラスについて調べると「3.5ヘクタールもの広大な緑地を創出しています」などの記述がよく出てくる。ちょっと手柄の横取り感あり。

もっとも品川シーズンテラスは前回に書いたように、芝浦水再生センター(下水処理場)の上に構築した人工地盤の上に建てられている。つまりここの地主は東京都。それでマンションの地権者住戸のような形で、東京都はビルのフロアを無償で取得してそれを賃貸に回している。その割合はビルの半分。けっこうエゲツナイ地主である(^^ゞ

バラが植えられているのはB面にバラ園と書かれている場所。公園全体からすると、ごく僅かな面積。なおこの公園は他にあまり花は植えられていない。どうしてバラに特化したのだろう。バラ好きの職員がいたのかな。



バラ園の隣の木製遊具・芝生広場。
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子供用がボルダリングごっこをするためのものだと思う。
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他にも楽しそうな大型の遊具がいくつかあったのに誰も人がいなかった(/o\)
公園全体も人はまばらで、あまり地域の人に知られていないんじゃないかな。


これはD面の半分が閉鎖中との張り紙。
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D面の北側と南側で、順番に半分ずつ閉鎖されるのだが、なんと閉鎖期間は「令和4年度から令和8年度までの5か年」&「令和9年度から令和13年度までの5か年」の併せて10年間!公園に限らずあらゆる施設で聞いた記憶のないレベルの長期間。

閉鎖するのはD面の下にある下水処理施設のリニューアル工事のため。下水処理場の上に公園を造るのは土地の有効活用としていいアイデアな反面、それゆえにこんな事態も起きてしまう。それにしても10年は長いなあ。公園デビューした赤ちゃんが、小学校の途中くらいにまでなってしまう。


こちらはD面の閉鎖されていない南側。
マップには湿性花園と書かれているのに、ほとんど芝生だけ。
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でも好物の噴水があった(^^ゞ
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しかも水面ではなく地面から噴き出す珍しいタイプ。
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当然、高速シャッタースピードで撮るわけで。
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下の部分は地面に跳ね返った細かな水しぶきが多いから、
カメラのオートフォーカス機能が焦点を合わせられずにピンボケ。
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噴水が踊っているような姿を楽しみましょう。
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そしてこれが本日の最高傑作。
まるで氷のように撮れた。
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前回はピンクばかりを載せたので、今回はそれ以外のアップで。
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このバラはすごく花びらが尖っている。肉眼で見るとそうなのに、いろいろと構図を試しても写真だと花びらがピンとしているようには撮れない。
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裏側から撮るという素晴らしいテクニックを思いついた!
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公園から出るときに、
品川シーズンテラスの中を抜けられるのを発見。
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エシカレーターで降りる。
来たときは階段を上って損した(^^ゞ
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前回も書いたようにバラがメインではない公園としてはレベルが高い。遠くからわざわざ来るほどではないけれど、生活圏内に品川が含まれるバラ好きなら訪れるべき。

公園そのものはイマイチ存在感がないようにも思える。しかしそのうち高輪ゲートウェイ駅から、線路をまたいで通路が延びてくれば人気が出てくるかも知れない。D面はちょっと殺風景な印象なので、10年間の工事が終わったらもっとガーデン風にして欲しいな。



おしまい

wassho at 21:59|PermalinkComments(0) お花畑探訪