2024年02月

2024年02月28日

ウメよりも和太鼓がよかった赤塚梅まつり

タイトルは違うが前回からの続き。


高島平駅から赤塚公園を歩き、
新大宮バイパスを渡って到着した赤塚溜池公園。
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赤塚梅まつり開催中とあって園内はかなりの賑わい。
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入り口のすぐそばにあった溜池。公園の名前の由来となっているから、相当に大きな池を想像していたのに、それほどでもなかった(^^ゞ
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板橋区のホームページによるとウメの木は約150本。
この日で6〜7分咲きといったところ。
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写真では少し寂しくもあるが、人間の目は見たいものを見る=咲いているところを無意識に集中して眺めるから、花数に不足感はなかった。

ただし品種が少ないし剪定の仕方もワンパターン。しだれのウメもなかった。あちこちの名所を訪ね歩いてきた目には、たくさん咲いてはいても「いいウメを見たなあ」との満足感は得られずやや残念。

それでも現地では天気もよかったし、梅まつりの雰囲気もあって楽しく過ごせた。しかし自宅に戻って写真を整理してビックリ。普段より大幅に撮影枚数が少ない。まあ「写真は正直」である。


ここのウメは花のサイズが小さい。
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花色が重なるように撮りましょう。
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アップも少しだけ。
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羽根木公園に続いてメジロの撮影に成功。
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これは枝が緑色で伸びるタイプで私の好み。
肉眼ではそれが影響して花も少し緑がかった白に見える。
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屋台をブラブラ。
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昨今の物価高ではステーキで1000円しないなんて安く思えてしまう。
それにしてもビフテキなんて言葉は久しぶりに聞いた。
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公園の奥で人だかりができていたので覗いてみると。
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とても前まで出られそうになかったのでカメラを頭の上に持ち上げて撮影。
最前列右から4人目は板橋区長。
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私が来てすぐに撮影タイム終了。
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お祭りのイベントとして武者行列があるとは事前に知っていた。一般的に記念撮影は最後に行うから、この時点ではそれが終わったのだと認識。



園内マップ。
前回に書いたように赤塚溜池公園(図の右上ウグイス色部分)は赤塚公園の一角にある。このエリアでウメがあるのはここと、隣接する赤塚公園の城址地区にある梅林。
マップ3


城址地区に向けて丘を登る。そこそこ急勾配だったのと、前日はたまに雪も混じる雨が降り続いていたので、土と落ち葉の階段がぬかるんで滑りやすかった。
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上がってみると城址(じょうし)地区=城跡とはいえ遺構的なものはなく広場があるだけ。もっともここにあった赤塚城は戦国時代の少し前に築城され、秀吉の頃には廃止されている。だから一般にイメージする天守閣があるような城ではなく、館(やかた)がいくつかある砦(とりで)のような姿だったはず。


多くの人が何かを待っている。
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どう見ても武者っぽい雰囲気。
まだ何かイベントがあるのかな?
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ところで床几(しょうぎ:折りたたみ式の椅子)の後ろに並んでいるのは盾(たて)。飛んでくる弓矢から身を守るために合戦で使われた。ここのは描かれている図柄(家紋)が丸いので、まるで弓の的のように見えるが、

こうやって使うやつね。
101置き盾

盾にはいろいろ種類があって大別すると、この会場にあった地面に置いて使う「置盾 おきだて」と、手で持って使う「持盾 もちだて」に分かれる。

ただし持盾は古代ローマ兵や騎士など西洋のイメージが強い。
日本刀は両手で持つからあまり使われなかったのだろうか。
102持ち盾


しかし武士=刀とは江戸時代になってからのイメージで、それ以前の戦(いくさ)において、指揮官である武将は別として戦闘の主力となる歩兵の武器は槍(やり)である。

これは関ヶ原合戦図屏風の一部。
槍で戦っている兵士は盾を持っていない。
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こちらは古代ローマ兵の再現イベント。
槍が武器の兵士は盾も持っている。
104ローマ兵

このあたりは文化の違いや体格の差、あるいは兵士の安全や生命に対する価値観の反映なのかなどと想像を膨らませると何かと興味深い。


話を置盾に戻すと、それを地面に並べるのは戦闘開始の準備である。そこから生まれたのが相手に反対する・逆らうを意味する「盾突く」の言葉。この場合の「突く」は槍などで突くのではなく「地面に突き立てる」の意味。

また置盾は板につっかい棒を組み合わせた簡単な構造。移動の際には手で持って運搬する。持盾はもちろん手で操る道具。それで両者を手盾(てだて)とも呼んだ。盾がないと防御ができず戦えないから、そこから策がない状態を「手立てがない」と表現するようになったとの説もある。

他にも図星、手の内、はず(当然そうなること)、裏をかく、身から出たサビ、駆け引き、出張、折り紙付き、切羽詰まる、反りが合わない、抜き打ちーーーなど武器や戦から生まれた言葉は多い。興味があればお調べを。



広場には和太鼓も置かれていた。
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そしてこの立て看板で、先ほど見た記念撮影でイベントが終わったのではなく、和太鼓演奏や武者行列などはこれから始まると知る。
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開示予定時刻までまだ10分少々あったので、
広場に続いている城址地区の梅林エリアに入る。
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見たところ同じ品種の白梅ばかりのようだ。
またウメの背丈が下の溜池公園と較べてずいぶんと低い。


さてもっと奥まで見に行くかと思ったとき、銃声のような大きな音が聞こえて身体がビクッと反応する。私は「ワッ!」と大声で驚かされるととてもビックリするタイプ(^^ゞ

もちろん音の正体は銃声ではなく和太鼓の最初の一拍。


梅林から広場に戻って和太鼓見物。
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この大きさの太鼓だけで15台ほどあった。
最も近い太鼓までの距離は5メートルもない。
音とは空気の振動だと実感できるド迫力の大音響がこちらに向かってくる。


演奏は2チームの合奏。
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左側のチームはメンバーが若い。
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また曲ごとにメンバーが入れ替わり、
子供が太鼓を打つときもある。
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逆に右側のチームはメンバーが固定だから体力的には大変だったかも知れない。
演奏は30分ほど続いた。


真横からバチさばきを観察。
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腕の動きが速いので、シャッタースピード1/1000秒に設定して高速撮影。
一人だけタイミングがずれているのを発見(>_<)
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大太鼓。
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小太鼓。
ドラムのタムタムのように並んでいるが、それとは違って口径はどれも同じように見える。
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後ろ姿。こういうファッションを見るとどうしても「夜露死苦」「愛羅武勇」「仏恥義理」などヤンキー漢字を思い浮かべてしまう(^^ゞ  法被に書かれた文字をヒントに検索すると、このチームの名前は鼓粋若衆 板橋 轟太鼓とわかった。
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こちらのチーム名は不明。バチをクルクル回したり轟太鼓とは叩き方が違うから、そのジュニアチームではないと思う。
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前から見ていると太鼓があって気付きにくいものの、和太鼓はかなり大股開きの体勢で叩いている。それにしても彼らの和柄のシャツはちょっといいね。私が着たら「その筋」の人に見える危険性があるからビミョーかもーーー


ウメはあまり見応えがなかったけれど、
和太鼓のリズムを全身に浴びて身体が活性化したような気がする。



ーーー続く

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2024年02月26日

赤塚公園を歩く

天皇誕生日の三連休で唯一晴れた2月24日に、
赤塚公園と赤塚溜池公園にウメを見に行ってきた。


公園があるのはは板橋区(地図がやや白くなっているエリア)。東京で暮らしてずいぶんと長いが、単なる通過ではなく目的を持って板橋区を訪れたのは初めてかも知れない。赤塚公園は地図に示したように2つの地区を線で結んだような形をしている。
マップ1


こちらは全体が赤塚公園で、青く塗ったのが赤塚溜池公園。赤塚公園は都立、赤塚溜池公園は板橋区立の公園。それぞれ管轄の違う独立した公園とはいえ、地理感覚的には赤塚公園の一角に赤塚溜池公園があるイメージ。全部まとめて赤塚公園で利用者に不都合はないし、その方が運営的にも効率的なはず。そのあたりは何かと行政的なあれやこれやがあって無駄を生んでいるのだろう。
マップ2

ウメは赤塚溜池公園と隣接する赤塚公園の城址地区の梅林にある。だから26ヘクタールある赤塚公園で用があるのは一番西側の城址地区だけ。でもこのあたりへは滅多に来ることもないので、赤塚公園の中央地区から溜池公園・城址地区まで歩いて向かうとした。



都営三田線の高島平(たかしまだいら)駅で下車。
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都営とは都営地下鉄の略。東京の地下鉄は東京都が経営する都営地下鉄と、東京メトロ(正式名は東京地下鉄株式会社)の2つに分かれている。東京メトロは政府と東京都が出資していた帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が民営化して2004年にできた会社。

規模的には

   都営地下鉄:4路線:総延長距離109km:利用者数1日あたり200万人
   東京メトロ:9路線:総延長距離195km:利用者数1日あたり740万人

東京メトロは民営化したとはいえ、株主は営団地下鉄時代と同じく政府と東京都のみの特殊会社。なのに私鉄と見なされている不思議な存在。旧国鉄であるJR鉄道7社のうちJR東日本・東海・西日本・九州は完全民営化して国の資本は入っていない(残り3つはJR北海道・四国・貨物)。上場しているから誰でも株主になれる。でも私鉄には分類されない。ちょっと不思議な鉄道の世界。



都営三田線は高島平の4つ手前の志村坂上から地上に出て高架線路を走っている。なので改札からまっすぐ外に出ると歩道橋階段の途中。
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歩道橋の上から東側の光景。
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高島平といえば日本で一番大きな高島平団地。
右側に並んでいるのがそれ。

入居開始は1972年(昭和47年)で、敷地面積36.5ヘクタールにに1万170戸(賃貸8,287戸、分譲1,883戸)の住まいが供給され、東洋一のマンモス団地と唄われた。

話は逸れるが、昭和の中頃過ぎまで「東洋一」のキャッチフレーズがよく使われた。戦後の焼け野原からの復興を果たした自負心の表れだったのかな。もっとも当時はちょっと頑張れば東洋一になれたし、というか日本一になればほぼ自動的に東洋一が確定した時代。現在の日本で東洋一はどれくらいあるのか知りたいもの。


これは入居開始当時のパンフレット。
ほとんど何もないところに巨大団地が出現した様子がうかがえる。
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現在の航空写真。
もう空き地はないものの、14階建てが並ぶ団地の存在感は今も大きい。
高島平2

ただし人口減少や高齢化の波は高島平にも押し寄せ、入居開始当時は3万人を超えていた団地人口は現在半数近くに減少。高齢者比率も40%を超えている(日本全体では28.4%)。もちろんそれは全国各地のマンモス団地やニュータウンに共通の現象ではある。少し郊外に出ると、だんだんと日本がアカン国になっていくのを実感する(/o\)



さて歩道橋の上から西側の光景。
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高島団地の前、都営三田線と平行しているのは高島通り。
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道路は片側3車線で広いうえに、
歩道とは別に遊歩道まである。
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歩道橋をおり遊歩道を西向きに歩いてひとつ目の交差点。
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赤塚公園は左折の標識。
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高島通り沿いの遊歩道はまだ続いており、こちらにも興味はあったのだが、
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当初の予定通りに左折して、赤塚公園の中央広場に向かう。
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両サイドに団地が並んでいる。
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駅を出てから10分ほどで、
赤塚公園の中央地区に到着。
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公園内のメインストリート。
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左右にウメの木が少しあったがチラ見した程度。
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ここの噴水はジャブジャブ池を兼ねた夏休み限定の設備らしい。
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周りからも噴水がプールに注がれるなんて珍しいと思ったけれど、
どうやらこれは照明装置みたい。
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噴水の上空に珍しい雲を発見。
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噴水を過ぎて競技場グラウンドまで南下したら、
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回れ右して、
再び西向きに進む。
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高架が見えているのは首都高5号池袋線。
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このまま真っ直ぐかと思いきや、
首都高をくぐって左側に出なければならなかった。
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赤塚溜池公園までの細長いエリアが続く。
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もっと中央へ。
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この左側の小高くなった茂みの奥が気になったものの、
この日は探検せず。
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二つ目の信号。
ここで信号待ちをしていると何やらいい匂いがしてきた。
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周りを見回すと首都高の向こうに焼き肉屋。この距離でこれだけの匂いなら、近所の人は公害に近い匂いの強さのはずだがどうなんだろう。
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現在位置。
この地図は上が南を向いている。
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いい感じの道が続くとはいえ、
首都高のすぐそばだからうるさい。
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どうしても左側が気になる(だから写真を撮っている)。
やはり探検してくればよかったと今更ながら後悔(/o\)
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通路沿いにあったあれこれ。
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このウッドデッキを越えると、
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少しだけ高台になっている広場に出て、
土の地面は終了。
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道案内は見当たらなかったけれど、とりあえずこちらに進む。
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ここは新大宮バイパス(国道17号)と首都高5号線が合流するところ。合流といっても首都高が上、バイパスが下と同じ土地の立体利用。
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これは首都高の高架。
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新大宮バイパスの上を仮設か工事中かよくわからない橋で渡って、
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階段を降りると、
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赤塚溜池公園が見えてきた。
ピンクの色彩にテンションが上がる。
ここまで赤塚公園に入ってから約30分。
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ーーー続く

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2024年02月23日

2月なのに気温23.7度で林試の森の河津桜は満開

花に限らずいわゆる名所と呼ばれる場所は、数多くのところへ行きたい〜同じところには行きたくない(新しいところへ行く機会が減るから)と考えるのが私の行動パターン。

しかし九品寺の紅葉と、林試の森公園の河津桜は例外で毎年訪れているし、場合によってはシーズンに複数回のこともある。理由は単純で

  九品仏:私の知る限り紅葉の鮮やかさでは河口湖に次ぐレベル。
      都内ではおそらくナンバーワン。しかも自宅から近い。

  林試の森公園:自宅のすぐそば。

ーーーだから。

ただ自宅のすぐそばアルアルで、あまりに近いと何かと後回しになりがち。2月20日の朝にSNSで検索すると、河津桜は既に5分咲き強まで開花が進んでいた。ただSNSにアップされるのはよく咲いている部分の写真が多いので、少しは割り引いて考える必要がある。

そして天気予報を見ると、
この日を含めて2月27日までほとんど傘マークが並んでいる。
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それでどうするかーーー あれこれ考えるのも面倒なので、結局は自宅から近いのだし外出のついでにダメ元で見てきちゃえとなる(^^ゞ



いつもは奥に写っている橋の上から眺める池を横から。
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橋を使わないルートでは階段になる。
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上り終えると前方にピンクの景色が見えてきた。
思っていた以上に咲いている。
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河津桜の植えられている芝生広場に入る。
ただし(夏でも)ここに芝生はほとんどない(^^ゞ

これは広場西側の3本。
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それを抜けて右が南側の2本で、左の北側には6〜7本ある。
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サクラは8分咲きで満開と呼ぶ。
これから咲くツボミもまだたくさんあって、まさにそんな状態。
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この日の東京の最高気温は23.7度。群馬県高崎市では25.7度を記録し、なんと2月なのに夏日到来! ちなみに前日の最高気温は17.2度(東京)。平年なら11.5度くらいのはずで、今年の2月は相当に暖かい。

周りの人の話から聞こえてきたところによると、昨日まで5分咲きだったのに、今日の気温につられて一気に満開になったとのこと。


まずは今年もこのピンクを眺められてアリガタヤ。
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この日のカメラはiPhoneなのでマクロ機能で接写撮影。
雄しべが赤いのは開花して日数が経っている花。開花して間のないのは白い。
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この女の子はスマホで写真を撮っているのではなく、
上から落ちる花びらを手に持ったビニール袋に入れようとしている。
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花びらを集めたいのなら地面から拾えばよさそうなものだが、そちらには目もくれない。どうやら空中で花びらをキャッチする遊びのようだ。お友達3人くらいとヒラヒラ舞う花びらを楽しそうに追いかけていた。


雲に隠れていた太陽が顔を覗かせる。
これが北側のほぼ全景。
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先ほどより河津桜に明るさというか輝きが増しているのがわかるだろうか。
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最高気温は23.7度だったこの日はもちろんコートなし。ジャケットも脱ぎたいくらい暖かかったのに、それからたった3日後の本日はなんと雪マーク!
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そして現在の気温は2.2度。
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この季節は「三寒四温」の言葉があるように昔から寒暖の差が激しいもの。それでも3日で20度もの違いはやはりおかしい。もちろん今日が寒いのではなく20日が暖かすぎた。でもそれを叫んだところで、とりあえず慣れるしかないんだよなあ。

植物も異常気象に慣れて、
いつも通りにこれからもキレイな花を咲かせてくれますように。

wassho at 10:04|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2024年02月21日

羽根木公園までウメ散歩 その2

晴れてはいるが空に雲多し。
青空はキレイでも太陽が雲に隠れている時間が長かった。
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気象分類では空全体の雲の量が

  1割以下:快晴
  2割から8割:晴れ
  9割以上:曇り

となる。天気予報もこの日は晴れマーク。
しかし感覚的には5割以上だったら「やや曇り」かな。


だから写真的には明るさが足りないものの、
これはこれで優しい雰囲気で素敵だと思うようにしよう。
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ところでウメの花色は大別すれば白梅と紅梅に分けられる。しかし真っ赤なウメもあるもののほとんどはピンク系である。 紅(くれない べに)色とは濃い赤、鮮やかな赤、紫がかった赤ーーーなど定義は辞書によって様々。私は「赤より濃くて、その分だけ鮮やかさは控えめ」との感覚を持っている。

画面に色を表示する場合は光の三原色であるRGB数値を使う(説明は長くなるので省略)。パソコンやスマホでどれだけ正確に再現できるかはわからないけれど、参考までに赤と紅の色を設定してみた。色情報の提供先によってRGB数値が異なるので、とりあえず2つ。
赤と紅色

いずれにせよ梅の花の色は紅色ではなく明らかにピンク系である。ピンクは日本語にすれば桃色。だから色の付いたウメは紅梅ではなく桃梅と呼ぶのが妥当。しかしそれだとモモとウメが混ざって、言葉としてややこしいから紅の単語を使ったのかなどと、いつもながらのどうでもいい話(^^ゞ



太陽はこのように雲に隠れている。
それでも、たまに雲の切れ目から顔を出す。
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そうすると色彩が輝き始める。
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アップで撮るにはやはり光量が必要。
肉眼で見ても断然キレイ。
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メジロも見つけられた。
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前回に代田富士見橋について書いたが、この羽根木公園でも富士山が眺められる。
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もちろんこの日は雲だらけ(/o\)
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太陽がずっと隠れだしたので梅林をブラブラしながら、
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売店の出ている広場へ戻る。
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行列ができているのは、
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無料のゲームコーナー。
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大型のスマートボールのようなものを子供がやっていた。(これは別イベントでの画像)画像はhttps://www.kouseihogo-net.jp/hogo/hogoshi/hogoshi_support/view/1593から引用
スマートボール

ところでこの「社会を明るくする運動」って何だ?
ざっと調べたところ、それは国民が

  犯罪や非行の防止と、
  犯罪や非行をした人たちの更生について理解を深め,
  それぞれの立場において力を合わせて、

  犯罪や非行のない安全で安心な明るい地域社会を築くための全国的な運動

ーーーとあった。

1951年から始まり今年で74年目で法務省が主唱している。主唱とは聞き慣れない言葉だが、もちろん唱えるだけでなく所管業務として予算が付いている。法務省の令和2年度行政事業レビューシートによれば予算規模は7億800万円のようだ(注:検索でヒットしたのがこれだけだったので、この理解であっているのかどうかは自信がない)。またそれとは別に、現場の活動費として住民から自治会費として徴収したり、それを地方自治体が助成したり、あるいは直接的に予算措置を執っている。

その趣旨には賛同するとして、この運動を74年間も続けてどれだけの成果があったのだろうね。小中学生を対象とした作文コンテストが有名らしいけれど。

私が子供の頃は交通事故で死亡する人が毎年1万5000人前後いて、それが日清戦争での戦死者数(2年間で1万7282人)より多いことから「交通戦争」なんて呼ばれた時代。そのせいか学校では交通標語をよく作らされた。あれも「社会を明るくする運動」の交通版のような運動の一環だったのかも知れない。

また道路のあちこちに交通標語のノボリが立ち、歩道橋には標語の横断幕が張られていた。「あんな文字を読みながら運転したら事故するよな」とよく冗談を言っていたものである。 とにかく街には交通標語があふれていた。「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などは第二次大戦中の国策標語。どうやら戦争になると世の中には標語が増えるようだ。


さて交通事故の死亡者数が最も多かったのは1970年(昭和45年)の1万6765人。2023年は2678人で約16%に減少している。

これは交通事故の発生件数と死亡者数を重ねたグラフで、興味深い現象が起きている。画像はhttps://news.yahoo.co.jp/articles/a5aa92c85ca11312736a61f8c44931d59aa347c5から引用
交通事故グラフ

1990年頃まで発生件数と死亡者数は相関している。しかしそれ以降2005年あたりまでは発生件数は増えているのに死亡者数は減っている。また2000年前後の事故発生件数は死亡者数のピーク時より多く、にもかかわらず死亡者数はピーク時の半分ほどである。

これらから考えられる交通事故死亡者数が大幅に減少した大きな要因は2つ。それはクルマの安全性能向上と救命医療技術の進歩だろう。少なくとも交通標語で人々が心を入れ替えたからでは決してない。

まあそういうことなのである。「犯罪や非行」の「理解を深め」たからといって、それが減るものでもない。交通事故と犯罪・非行を同じフレームでは捉えられないとしても、行政や政治の頭のいいリーダーの人たちには、社会を明るくするためのもう少しまともな対策を考えて欲しいもの。現状はおそらく運動すること自体に意義がある状態で、運動の継続=予算付けが目的となっているように思える。



さて
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

これは白牡丹というモフモフした印象のウメで可愛かった。
シロではなくハクと読む。
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混ざり合った色を楽しみましょう。
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育成中の苗木。
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もっと日が射さないかとの期待とは裏腹に、
こんな状況になってきたので撤収とした。
写真ではまるで夕方に見えても、まだ午後3時前。
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おしまい

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2024年02月20日

羽根木公園までウメ散歩

大きな梅林のある世田谷区立の羽根木公園。2021年に訪れてブログも書いた。いろいろなところへ行きたい=同じ場所へはあまり行きたくないのであるが、少し遠いものの散歩圏内なので、これは名所巡りではなく散歩なのだと思うことにして2月18日にウメを見てきた。


自宅からの方角だけを頭に入れて、適当に歩くと小田急線の世田谷代田(だいた)駅に出た。羽根木公園の最寄り駅はひとつ先の梅ヶ丘。
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公園はこの先。
この橋の下は、
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環七通り。
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橋の名前は代田富士見橋。
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山梨日日新聞社の富士山NETによると、東京には富士見と付く地名が72カ所もあるらしい。これは47都道府県でトップ。うち町名になっているのは6カ所。富士見坂と名付けられた道路が23カ所。駅名が3カ所。ウィキペディア調べで富士見橋は8カ所だったが、この橋は含まれていなかったので少なくとも9カ所はある。

静岡や山梨はどこからでも富士山が見えるのだから、そんな地名はつけないかと思いきや、富士見の町名が静岡で4カ所、山梨で2カ所あった。

代田富士見橋に話を戻すと、富士見の地名であってもビルが建ったりしてもう富士山が見えないところが多い。しかしここは今でも空気が澄んでいる日には富士山が見える。そして駅とこの橋は一直線上にある。というわけで世田谷代田駅は改札から富士山を望めるのがチョコッと有名。

   その写真はここをクリック



代田富士見橋を渡って直進。
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左に見えているのは東京農大の世田谷代田キャンパス。キャンパスといっても1階に農大のアンテナショップなどの店舗が入り、2階が市民向けのオープンカレッジと呼ぶセミナー室となっている建物だけ。キャンパスと聞けば寺社の境内と同じで広い敷地をイメージしてしまう。なおここの敷地は667平米、建物の延べ床面積は420平米。

まあ大学も新しい試みにチャレンジしないと生き残れない時代。ところで東京農大(東京農業大学)と東京農工大がややこしいけれど、前者が私立で後者が国立。大根踊りをやるのは東京農大ね。


キャンパスの先に広場がある。これは世田谷区立の代田富士356(みごろ)広場。
名前が3と数字だから富士見地名にカウントはビミョー。面積は640平米。
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広場とは都市公園法に基づく公園の分類のひとつみたい。公園との具体的な違いはよくわからず。またここは小田急線のトンネルの上部に造られている。


したがってフェンスの向こうは線路。ここ世田谷代田駅の手前〜下北沢駅〜東北沢駅の先まで小田急線は地下を通っている。
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当然ながら、ここでは条件がよければ富士山を背景に電車が走るわけで、
それを狙って鉄ちゃんは写真を撮りにに来るのかな。


東京農大のキャンパスの前は広い歩道だったのに、代田富士356広場を出るといきなり左側に路肩すらなくてビックリする。けっこうクルマが通るのでなかなか右側に渡りにくい。
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5分ほど進むと、
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羽根木公園に到着。
ここは一番南東の出入り口。
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中に入る。
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坂を少し上った右側に羽根木プレーパーク。
プレーパークって何?という人は、それをテーマに書いた以前のブログを読んでみて。
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子供たちが生き生きと遊んでいてその元気な熱量に圧倒される。よきことかな。
公園の中で火をおこせるのはプレーパークならでは。
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ガンバレ!
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ウメを見に行きましょう。
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でも園芸店の出店があったのでウロウロジロジロ。
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ルピナスは5月頃に咲く花なのに、
どうやって育てたのだろう。
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♪♪キンカン塗って また塗って〜とよくCMが流れていたので、子供の頃はキンカンは薬の名前だと思っていた。皮ごと生で食べられるらしいけれど、甘露煮以外は食べたことがない。そのうちトライしよう。
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サボテンと多肉植物。サボテンはトゲがある、多肉植物にはトゲがないとの分類は不正確。しかし眺めている程度ならその分類で充分。
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盆栽も少し興味がある。しかし水やりが毎日必要で、さらに夏は1日2回!
私には無理と諦めている。
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黄梅(おうばい)はジャスミンの仲間。これはモクセイ科ソケイ属で、バラ科サクラ属のウメとは全くの別物。しかしウメに黄色はないので各梅園は黄梅もたくさん植えて欲しい。
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福寿草も春の訪れを感じさせる花。
黄色い花を見るとそう思うのは、子供の頃のタンポポの影響か?
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少し離れたところに別の出店。
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こちらはわりと普通の品揃え。
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せたがや梅まつり開催中なので公園上部の広場は屋台も出て大賑わい。
ちなみに2021年に訪れときはコロナでイベントは中止だった(/o\)
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このエリアにも何本か梅があるものの、
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メインはこの下の傾斜地。
ただこの日は雲が多くーーー
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航空写真




ーーー続く

wassho at 20:13|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2024年02月19日

平安時代も今もア〜レ〜はできない その2

着物は帯を含めて9種類もの道具で身体に巻き付けられており、
ア〜レ〜をしただけではムフフな状態にはならないと前回に書いた。

せっかくの機会(どんな?)なので紹介しておくと、

女性の場合、
着物では5層の衣類を着用している。

<第1階層>
ブラジャーとパンツ。


<第2階層>
肌襦袢:上半身用の肌着。
裾除け(すそよけ):下半身用の肌着。腰巻きや「お腰」とも呼ばれる。
なお両者が一体となったワンピースタイプもある。
肌襦袢

ブラジャーとパンツがなかった時代は、これが下着の役割を果たしていたのだろう。現在はブラジャーとパンツだけでは肌の露出が大きいので、肌が触れて長襦袢を汚さないために着るようである。


<第3階層>
次に着るのが長襦袢。
着物をスーツだとすれば長襦袢はワイシャツ的なポジション。
長襦袢

写真のように白だと下着っぽいが、色や柄が付いている長襦袢もある。

また着物の内側から覗いている襟は半襟と呼ばれ、これは長襦袢の襟部分に被せて使用する。白だけじゃなくて染めや織りなどで色柄も豊富。私の母親は白い半襟しかつけていなかったなあ。昭和の着物から一番変化したのはこの部分だと思う。画像はhttps://senkosha.base.shop/items/82034069&82089134&83154172から引用
半襟


着用はまず肌襦袢と裾除けを着た上に、半襟を被せた長襦袢を羽織り、
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腰紐と呼ばれる紐で固定する。
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さらに伊達締めという細い帯を締める。腰紐か伊達締めのどちらかだけでよさそうにも思えるけれど、着たことがないのでなんともいえない。画像はhttps://ommki.com/news/archives/13555から引用
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<第4階層>
長襦袢の上に着物を着る。
これも長襦袢と同様に腰紐を結び、伊達締めを巻く。

だからア〜レ〜をして帯がほどけたとしても長襦袢と着物の、それぞれに腰紐と伊達締めがベルトの役割としてまだ4重にガードしているのだ。


<第5階層>
最後に帯を締める。
帯の中には写真左の帯板と右の帯枕を入れ、
どちらもベルトが付属している。
帯板帯枕

帯板は帯の身体の前部分に挟み込み、
帯がパンと張ったように見せる芯材のようだ。

帯枕は身体の後ろ側で作る帯の結び目を立体的にかさ上げする役目。帯枕はさらに帯揚げと呼ばれる布で包(くる)んで本体が目に触れないようにし、またその帯揚げ自体も結ぶ。画像はhttps://g-iseya.jp/dressing/sash-2とhttps://www.simaya.net/product/106から引用
帯揚げ

帯枕位置


そして最後に帯締めを帯の上から結ぶ。
上の写真で帯の中央にある紐が帯締め。

まとめると帯板+帯枕+帯揚げ+帯本体+帯締めの5重構造。長襦袢と着物の腰紐と伊達締めを加えると合計9重構造で着物は身体に巻き付けられていることになる。ア〜レ〜で帯を引っ張っただけでは道はまだ遠いゾ(^^ゞ


どうやって着るのか知りたい人は動画でどうぞ。

長襦袢の上に着物を着て腰紐と伊達締めを結ぶまで。 約8分



帯の結び方。 約10分



肌襦袢から帯までのフルバージョン。 約1時間



ア〜レ〜からは話が逸れてしまったが、着物についてはまったく無知だったので調べてみていろいろと面白かった。最大の発見は帯に着物をまとめるベルトの役割はあまりなく、どちらかといえば着物姿の見栄えをよくするアクセサリー的な存在だということ。それでベルトとしては不必要なほどに太いのかと納得。

そういえば舞妓さんなんてあんなに大きな帯を。画像はhttp://www.imamiya.jp/haruhanakyoko/event/hassaku.htmから引用
舞妓

すっかり見慣れているから違和感はないものの、冷静に衣服として眺めれば(舞妓さんのではなくても)帯はかなりオーバーデコレーションで、世界各地の民族衣装と較べても特異な存在である。しかし大きな布を使って、後ろ姿に膨らみまで作って結ぶ帯があるから着物姿は美しいのだろう。女性の帯が男性用の帯と同じだと想像するとちょっと興ざめである。

しかし大きな布を使うからそれを結ぶのは難しく大変であり、その大きさゆえに高価なものとなる。それが着物離れの一因でもあるとすれば、なんとも「塞翁が馬」的な巡り合わせかも知れない。


さて前回に書いたテレビ番組に話を戻すと、江戸時代にア〜レ〜ができたとは、帯は単独で結んでおり、帯板〜帯枕〜帯揚げ〜帯締めなどの補助道具を使っていなかったとの意味だと思う。着物と長襦袢に腰紐と伊達締めを巻いていたのかは不明。

もし巻いていたら帯だけのア〜レ〜じゃ目的を達せられない。でも考えようによっては帯でア〜レ〜、そして伊達締めでア〜レ〜腰紐でア〜レ〜をそれぞれ2回、合計5回もア〜レ〜を楽しめるじゃないか(^^ゞ



おしまい

wassho at 20:46|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2024年02月17日

平安時代も今もア〜レ〜はできない

昨年の終わりに「十二単(ひとえ)はセクシー着物だった!」とのブログを書いた

皇族の儀式や雛人形で見る今日の十二単と違って、平安時代の十二単は帯は締めず、12枚重ねたそれぞれの着物の前身頃(まえみごろ)を結ぶ紐(ひも)などはなく単に羽織っていただけ。しかも肌着となるものもつけていない。だから少し動いただけで、前がはだけて肌が見えるエロいコスチュームだったとの内容。

それを書きながら、じゃあ帯がないのなら平安時代はア〜レ〜はできないなとか、いやすぐはだけるのならア〜レ〜をする必要はないかとバカなことを考えていた(^^ゞ


おそらくほとんどの人には着物、帯、ア〜レ〜の3つの単語だけで意味が通じると思う。それでも念のために説明しておくと、ア〜レ〜とは「古典的な性加害シーンにおける決め台詞」である。

<シーン1>
加害者となる男性は悪代官などの権力者。
被害者はその権力者に対して立場の弱い女性である。
村の庄屋の娘などがよく登場する。

まずは宴席が始まる。
1


<シーン2>
酒の入った悪代官が娘に言い寄る。
この時に「よいではないか」を繰り返さなければならない。
2


<シーン3>
拒み続ける女性。
業を煮やす悪代官。

ふすまを開けると、宴席の隣の部屋にはなぜか布団が敷かれている。
逃げようとする女性。

そのとき、悪代官は女性の帯をつかみ、それを引っ張って帯をほどく。
女性は帯がほどかれるのに合わせて回転しながら「ア〜レ〜」と叫ぶのがお約束(^^ゞ
3

画像はhttps://www.line-tatsujin.com/detail/a12810.htmlとhttps://twitter.com/nage_ngw_info/status/499303241016807425から引用

私は「ア〜レ〜」としてしか認識していなかったが、
これには帯回しとの名前がつけられているらしい。

昔は時代劇が多くてそんなシーンも見ていたのかな。
でも実際はこんな時代劇コントが記憶に残ってるのかも知れない。画像はhttps://www.asahi.com/showbiz/gallery/100702shimura/shimura020.htmlから引用
志村けん


今は時代劇もほとんどないし、また何かと規制があって「ア〜レ〜」なシーンなどは放送されない。それでも帯を引っ張られた女性がクルクル回るインパクトは強烈。だからなのかテレビで「ア〜レ〜」を見ていない世代が描いたと思われるイラストにも「ア〜レ〜」は登場する。画像はhttps://www.pixiv.net/artworks/82897314&104351433&304547から引用
イラスト


さらにネットで調べてみると、意外にも「ア〜レ〜」を試してみたと報告している女性が多くいる。また以前に見たNHKの「着物がある生活」のような内容の番組で、講師の女性が「ア〜レ〜」について「私もやってみたのですがーーー」のような話をし始めてビックリした経験もある。ヤッタンカイ! いずれにせよ「ア〜レ〜」は未だ日本の伝統文化として健在である(^^ゞ


ところで文化的な内容だったNHKの番組で、
どうして「ア〜レ〜」が話題になったかというと、

  江戸時代:着物の帯は結んであるだけ

  現在:着物の帯は結ぶ以外に、
     いろいろな補助道具を使って固定されている

との話の流れだったように思う。

そのときはフ〜ンと思っただけだったが、今回改めて調べてみると、
帯はそれ自体を結んでいるだけでなく

  帯の外側から帯締めが巻かれている。

  帯の内側に帯揚げ、帯枕、帯板が入っており、
  それぞれがベルトの役割を果たしている。

  また帯の下には腰紐と、伊達締めという細い帯があり、
  それで着物を巻き付けている。

  さらに着物の下に着る長襦袢も、同様に腰紐と伊達締めで巻き付けている。

と、帯を含めて9種類!もの道具で身体を巻き付けているとわかった。



ーーー続く

wassho at 17:24|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2024年02月15日

善福寺川緑地&和田堀公園 その2

善福寺川緑地のヒコーキ広場を過ぎたあたり。
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標識等はなかったものの、
既に境界線を越えて和田堀公園側にいると思われる。
2-1公園マップ


しばらく進むと手作り感があふれ出ているお店が並んでいた。
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その近くにこの公園の名前の由来である和田堀池がある。
落ち葉が水面を覆っていて景観ワルし。
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水面が見えるところでもバエない風景(/o\)
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元々この池は昭和30年代中頃(1960年頃)に善福寺川の氾濫対策の調節池として人工的に掘られたもの。その後に周辺を整備し1964年(昭和39年)に都立公園として開園。また同じく都立公園である善福寺川緑地の開園も同時期。つまり両者は一体として開発され、場所も同じ杉並区内にある。なのにどうして別々の公園としたのだろうか。ネットで少し調べた程度では手がかりすら得られず。



和田堀池を過ぎたところにもお店があった。
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なにゆえ巨大なゴリラ?
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善福寺川の左岸沿いに出る。
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この写真の少し上流側に大きな望遠レンズでカメラを構えている人が数名いた。和田堀公園はバードウォッチングができる場所として有名で、この時はどうやらカワセミがいたみたい。
カワセミ

「オスのカワセミが飛んでいる」なんて声を掛け合っている。しかし私のズームレンズなんて肉眼とたいして変わらないのでまったく見つけられず。

それで諦めて歩き出したら、この場所で下流から水面近くをカワセミが飛んできた。

    生まれて初めてカワセミを目撃!!!

ものすごいスピードだったのでカメラを向ける余裕もなし。向けたところでおそらくピンボケになったと思う。でも小さな鳥だが確かに青い姿をこの目で見た。一瞬のことで水辺の宝石と呼ばれるその美しさまではわからなかったとはいえ、この1月27日は私のカワセミ記念日になったのだ\(^o^)/


カワセミは撮れなかったので、じっとしているカモでも(^^ゞ
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この野球場は洪水対策の調節池を兼ねている。
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和田堀池はもう調節池として使われていないようで、この6号以外に現在2号と3号の調節池がある。1号が和田堀池だったとして、どうして4と5号がないのだ?

なお洪水対策の似たような設備として調整池がある。さらにそれぞれ池の読み方が、各地の施設によって「いけ」「ち」と異なりややこしい。

  調節池:川からあふれる水を一時的に貯める。遊水池ともいう。
  調整池:川に流れ込む水を一時的に貯める。こちらは調整「地」ともいう。

行政と土木業界はもっとわかりやすいネーミングを考えるべき。


この野球場で気になったのは洪水対策機能よりも、梅里中央公園のブログでも書いたタワーではなく電柱型で、しかも白く塗られている高圧送電線。
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このタイプはこの日に初めて見た。調べてみるとこれは景観に配慮した「美化鉄柱」あるいは「モノポール鉄塔」と呼ばれる種類らしい。送電線もいろいろと進化しているんだね。この日はカワセミに美化鉄柱と、2つも初物を見られてメデタイ?


さらに進んでサザンカを発見。
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その先にはウメが咲いていた。
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同じ場所、同じ時刻に撮っているのに背景の空色が異なるのが不思議。
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下の青が濃い方が写真としてキレイではある。しかし実際は上の水色よりもっと空の色は薄いわけでーーー。他の景色は見た目通りなのに、デジカメはどうして空だけを色濃く写すのだろう。青空を背景に花を撮るのは好きだけれど、最近はちょっとこの色を不自然に感じる。


川沿いを歩けない区間が少しあって、
住宅地を通り抜けた後に、
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再び左岸沿いへ。
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この付近は和田堀公園の東の外れ。
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2-2航空写真



そして、たぶんこの武蔵野橋が終端。
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善福寺川緑地のスタート地点からここまで、つまり善福寺川緑地の端から和田堀公園の端まで歩いて1時間半ほどだった。


武蔵野橋の先に謎の構造物。
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上流側と下流側をズームすると。
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魚道のようにも見えるが、魚道は川を堰き止めた場所の横をサカナがすり抜けられるようにした設計。この上流側と下流側の間には何もない。言ってみれば川幅を柵で区切っただけ。その機能や目的がよくわからず。


次の紅葉橋で左岸は行き止まりになっていた。
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橋の上から上流方向を振り返って。
奥に見えているのは武蔵野橋との間にある熊野橋。
もう周りに公園の雰囲気はなく川沿いの住宅街。
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紅葉橋の少し先で善福寺川とお別れ。
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そしてこんな路地に入り、
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花の咲いていないフラワージャングル(^^ゞ を横目で見ながら、
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坂を上り、
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この先の信号を右折。
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今度は坂を下って、
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やってきたのは神田川。
近くを流れているから、ついでに見ておこうかと。
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2つの川の位置関係。
ピンクの破線が善福寺川から離れて神田川へ向かった道順。
2-3神田川&善福寺川

善福寺川はこの先で神田川と合流する全長10.5kmの短い川。そのうち4.2kmが善福寺川緑地と和田堀公園の中を流れている。


神田川は井の頭公園が源流。
善福寺川の次は新宿区で妙正寺川と合流し、高田馬場、早稲田、飯田橋と流れ、小石川で日本橋川に分流。その後はお茶の水、秋葉原を通って両国橋で隅田川に注いでいる。
2-4神田川

ちなみに南こうせつが ♪♪あなたはもう忘れたかしら〜 と唄ったのは、
早稲田あたりの神田川の情景らしい。


神田川を少し歩いたら、
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環七に出る。
ここで本日の川沿い散歩は終了。
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2つの公園を較べると歩いて楽しいのは善福寺川緑地。公式ホームページによればサクラも和田堀公園の280本に対して善福寺川緑地が400本と多い。でももし春になってサクラを見に来たら、カワセミも期待して和田堀公園まで歩くんだろうな(^^ゞ



おしまい

wassho at 19:47|PermalinkComments(0) イベント、旅行 | お花畑探訪

2024年02月13日

善福寺川緑地&和田堀公園

1月27日にロウバイを梅里中央公園に見に出かけて、そのブログの最後に「この近くの前から訪れたかった場所に向かう」と書いた。それが善福寺(ぜんぷくじ)川緑地と、それに隣り合っている和田堀公園。


位置関係。
これだけでも相当に大きいとイメージできると思うが、
1-1地図


「前から訪れたかった」と思っていたのは、ここが他の都内の大きな公園と較べても引けを取らない広さだと、ずいぶんと昔に地図を眺めていたときに気がついていたから。でも代々木公園や神宮外苑なら他府県でも知名度があるのに、善福寺川緑地&和田堀公園は杉並区ローカルな存在。それで一体どんなところなのかと好奇心ムクムク。
1-2広域図

参考までに面積は

  善福寺川緑地  18ヘクタール
  和田堀公園   26ヘクタール
          合計44ヘクタール

  新宿御苑    58ヘクタール
  代々木公園   54ヘクタール
  神宮外苑    58ヘクタール
  砧公園     39ヘクタール


興味があったのに今まで訪れていなかったのは、このあたりに用事はないし、ここだけを見に来るほどの公園マニアでもないから(^^ゞ それで今回ようやく念願叶ってーーーというほど大げさでもないが足を踏み入れてきた。


梅里中央公園から
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住宅地の中を歩いて、
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8分ほどで善福寺川緑地に到着。
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ここからまず上流の善福寺川緑地のスタート地点に向かう。そこでUターンして下流方向に緑地の端から端までを歩いて、隣の和田堀公園に入るのが本日の散歩計画。
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これが善福寺川。
思っていたより川幅が狭くて川よりは水路といった感じ。
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マンションが迫っている場所も少しあるものの、
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ほとんどのところは住宅建物から距離もあり、
公園の中をずっと歩いているような雰囲気。
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そのまま左岸沿いをスタート地点まで歩くつもりだったのに、
工事のフェンスに遮られて緑地の外に出されてしまう。
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ここまでの道のり。
左岸とは上流から下流を見て左側ね。
1-3航空写真-1



とりあえず川からあまり離れないようにと、
このY字路の左側を進む。
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このフェンスに沿って進めばまた左岸に出られそうだ。
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工事のお知らせ看板。
注目は上部タイトルにある「その205」の文字。
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205回目のお知らせなのか?と最初はビックリした。しかし看板に工事期間は令和3年10月下旬からと書かれている。205回だと計算すると平均して4日に1回の割合になるからそれはあり得ない。それに文章的には「その205」は「お知らせ」にではなく「整備工事」に掛かっている。ずっと昔から数えて善福寺川で205回目の工事箇所の意味だろうか。

少し調べてみたが判明せず。 ナゾ


フェンスが延々と続く。
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そして方角的には下流に向かっている。
だとしたらここは右岸なのか?
しかし左岸をそれて道路に出てから善福寺川を渡っていないぞ。


7〜8分歩いてようやくフェンスが終了。
そして前方に右岸。
どうして左岸から川を渡らずに右岸に出られる?
私は異次元空間に迷い込んだのか!!!
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まるで狐につままれたような気分だったが地図や航空写真で確認すると、先ほどのY字路のところが橋で左岸から右岸に渡っていたと判明。両側がフェンスに覆われていたので気がつかなかっただけと、実につまらないオチでゴメン。
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また左岸から道路に出たあたりが、
善福寺川緑地の西端=スタート地点にほぼ近いこともわかった。



というわけで再び善福寺川。
今度は右岸で下流を目指す。
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左岸は川から少し離れた道を歩いたので右岸は川の畔(ほとり)を歩く。
ウネウネ模様のフェンスが光を反射して面白い。
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水もきれいだった。
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右岸から左岸を眺めて。
今年は善福寺川にもサクラを見に来ようかと考える。
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ところどころにある変わったものを撮りながら。
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景色的には左岸のほうが楽しかったかな。
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善福寺川の源流は意外と近くで、そして滝があるらしい。
行ってみたいけれど、いつになることやら。
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マンションのあるところまで戻ってきた。
左岸でここを通過してから約30分。
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カラーコーンが立てられているのは、
ペンキ塗りたての場所。
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何と日本語以外にスウェーデン語、デンマーク語、ロシア語、トルコ語、クロアチア語、ポーランド語、スロベニア語、アラビア語、タガログ語、中国語、英語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語と、
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合計18カ国語!でペンキ塗りたての警告。
矢口塗装店にはおチャメな人物がいると見た(^^ゞ


相生橋を通過。
ここが梅里中央公園から善福寺川の左岸に着いた場所。
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さらに進む。
風景が変わらないのでちょっと飽きてきた。
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次の尾崎橋から上流を振り返る。
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尾崎橋は五日市街道(都道7号線)と交わるところ。
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今ココがわかる看板。
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尾崎橋を越えたところに誰かがストールを着せてあげた銅像。
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ここからは再び左岸を歩く。
別に意味はない。
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やはり川沿いの土地だから洪水警報用だろう。
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珍しい葉の付き方をしている木を発見。
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画像検索するとヒイラギモクセイ(ヒイラギとギンモクセイの交雑種)に似ているものの、葉の形が少し違うなど確信を持つに至らず。


ヒコーキ広場と名付けられた児童公園エリア。
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どこに飛行機?と思っていたら、
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これでした。
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このあたりで善福寺川緑地が終わり和田堀公園の敷地に入るはず。
でも特に境界線を示す標識などは見当たらなかった。
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善福寺川の左岸からY字路の橋で右岸に渡った、
つまり緑地のスタート地点からここ終了地点まで約50分だった。



ーーー続く

wassho at 22:43|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2024年02月10日

デイヴィッド・ホックニーとキュビスム その2

続いて風景のジョイナーフォト。前回に紹介した室内写真と比べて視点の移動は控えめながら、キュビスム展でも感じた万華鏡らしさは伝わってくる。


Pearblossom Hwy 1986年
40Pearblossom Hwy


Place Furstenburg, Paris, August 7, 8, 9, 1985
41Place Furstenburg, Paris, August 7, 8, 9, 1985


The Brooklyn Bridge Nov 28th 1982
42The Brooklyn Bridge Nov 28th 1982


Merced River, Yosemite Valley 1982年
43Merced River, Yosemite Valley 1982


35年ほど前にメトロポリタン美術館で見た作品がどんなのだったかはもう記憶にないものの、こんな手法を考えるホックニーは天才だと思ったのはよく覚えている。またその頃は部屋にポスターを飾るなどホックニーのファンだったので、そんなホックニーを好きなった私の目は確かだと都合のいい解釈で喜んでもいた。

彼のジョイナーフォトに魅せられたのは別の理由もあった。当時は仕事のプレゼンテーションでビジュアルボードを作る機会が多かった。例えばマーケティングのターゲットとなる人物・生活像を、雑誌の切り抜きなどを組み合わせてイメージしやすくクライアントに提示するのである。だからホックニーとは目的も手法もまったく違うとはいえ、コラージュの制作には馴染みがあり、コラージュそのものに関心が高かったのかも知れない。


それはさておきメトロポリタン美術館でホックニーのジョイナーフォトに感激した私は、帰国後にそれを真似してみようと思い立つ。絵は描けなくても写真の切り貼りくらいはできるだろうとの魂胆。

勤務していたコンサルティング会社は青山通りにあった。バイトに来ていた女子大生にモデル役を頼み込み、青山通りに面したスパイラルホールの前と、そこから路地に入ったちょっとアンティーク感のある喫茶店の前で撮影した。関係ないけれど、その喫茶店でお茶しているとモデルの山口小夜子をよく見かけたのは懐かしい思い出。

撮影は思ったより手間が掛かった。

まず当時のコンパクトカメラはズームレンズがなく広角の固定焦点。そこで会社の一眼レフ&ズームレンズを借りてきた。ただしピント合わせはマニュアル。(世界初のオートフォーカス一眼レフであるミノルタα7000は既に発売されていたが会社にはなかった)

撮影はモデルに対して正面、右寄り、左寄りの3方向から。それぞれに腰の高さ、目の高さ、脚立に乗ってと3つの高さで。その9カ所からカメラのアングルを左右や上下に振って、またズームの倍率を変えながら撮る。その都度ピントも合わせなければならないし、フィルムの交換も面倒だった。

たぶん200枚くらい撮った。
フィルム代、現像代、プリント代ーーーけっこうな出費(/o\)

それよりも何よりも、
できあがってきた写真を、どう組み合わせてもサマにならなかったのがショック。200枚といっても4地点分だったと思うので1地点あたりだと50枚。イメージしていた広がりや動きを感じる雰囲気をだすのには、それじゃ全然足りなかったように記憶している。それと当然ながら「紙の写真」だから一度カットしてしまうとやり直しがきかない(再度プリントする手はあるが)。

そんなこんなで日本のホックニーになる目論見はあえなく挫折(>_<)
それも楽しい経験のひとつではある。

これはホックニーのジョイナーフォト制作風景。
私も自宅で写真を広げて、まったく同じポーズで悩んでいた。
制作風景

画像はhttps://www.rollingstone.com/culture/culture-features/the-rolling-stone-interview-david-hockney-modern-art-master-204057/から引用


国立西洋美術館でキュビスム展を見るまで、35年ほど前にホックニー「ごっこ」をしたことすら忘れていたが、考えてみれば今はデジカメの時代。とりあえず撮影枚数を気にする必要はなく、またピントもオートフォーカス。液晶モニターがチルトするから低い位置や高い位置から撮るのも楽。そして何より写真を画像ソフト上で配置できる。形や大きさも自由自在で何度でもやり直し可能。色を変えたり様々なエフェクトも掛けられる。

またやってみるかと密かに企んでいるのは、
まだ誰にも打ち明けていないから内緒にね(^^ゞ



そんな思い出話、
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

ホックニーは日本の風景もジョイナーフォトにしている。制作はすべて1983年なので同じ時期の来日だろう。最初の3枚は京都の旅館。

Gregory Watching The Snow Fall, Kyoto, Feb 21st 1983
51Gregory Watching The Snow Fall, Kyoto, Feb 21st 1983


Gregory Reading In Kyoto 1983年
52Gregory Reading In Kyoto


Shoes, Kyoto 1983年
53Shoes, Kyoto


これは木屋町通りだと思う。
Canal And Road, Kyoto 1983年
54Canal And Road, Kyoto


東京での1枚。
The Ashtray, Sunday Morning, Tokyo 1983年
55The Ashtray, Sunday Morning, Tokyo

Ashtrayは灰皿。画面中央に今では見なくなった公衆灰皿?がある。たぶんそれが珍しかったのでは。場所はおそらく新橋あたり。


そしてこれは石庭で知られる京都の龍安寺(りょうあんじ)。
Siting in the Zen Garden at the Ryoanji Temple Kyoto Feb. 19 1983年
58Siting in the Zen Garden at the Ryoanj

画面右下にフィルムケースが散乱している。
ほら、ジョイナーフォトでコラージュするにはフィルムがたくさん必要なのよ。


これをジョイナーフォトにする意味があったかどうかは疑問だが。
Walking in the Zen Garden at the Ryoanji Temple Kyoto Feb 21st 1983年
59Walking in the Zen Garden at the Ryoanji

タイトルが Walking で足元の連続写真が組み合わされているものの、庭を眺める視点は動いていない。なお日付を見ると彼は少なくとも龍安寺を2回訪れており、どうやらここを気に入ったみたい。



ピカソやジョルジュ・ブラックがキュビスムを始めたのは、写真が普及し始めて従来の「見たとおりに記録する」で絵画は写真に敵わないのも一因とされる。つまり写真にできない表現を見つけようと。

いわばそのアンチ写真のキュビスムを、写真を使って再現して、また多角度の視点だけではなく、時間の経過も統合したものに発展させたのがホックニーの面白いところ。ところでフランティシェク・クプカのように連続写真に影響を受けたキュビスム絵画はあっても、ピカソたちはどうして時間の経過を表現しなかったのだろう。ひょっとしたらそれはコロンブスの卵のようにいわれれば当たり前でも、そうでなければなかなか気付かないものだったのかも知れない。



さてホックニーといえばプールで、
そのジョイナーフォトもある。

プールは見下ろしており上段の椅子やパラソルは真横からで、これはまさにキュビスム的。
Sun on the Pool 1982年
70


これはグレゴリーが泳いでる写真をつなぎ合わせた時間的キュビスム。
Gregory Swimming Los Angeles March 31st 1982
71

京都の写真にも出てくるグレゴリーは、モデルからマネージャーそして恋人となったグレゴリー・エバンス。ホックニーは1960年代からゲイを公表していた。


ちょっとエロいのもいっときましょう(^^ゞ
Theresa Russell Nude for XVI RIP ARLES 1985年
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Theresa Russellとは若い頃はマリリン・モンローの役も演じたハリウッド女優のテレサ・ラッセルのようだけれど、この写真じゃわからないなあ。

またタイトルにある XVI RIP ARLES とは、まずXVIはローマ数字で16。RIPはフランス語で Rencontres Internationales de la Photographie の略。直訳では国際写真展。ARLES は南フランスのアルル。まとめると日本ではアルル国際写真フェスティバルと呼ばれる、カンヌ映画祭の写真版とも呼ばれる大規模写真イベント。一般的な表記は Les Rencontres d'Arles。初開催は1970年で、その16回目=1985年にこの作品を出展したと示している。



最後にホックニーのポートレイト。

これはタイトルや制作年が不明。
ただしジョイナーフォトを制作していたのは1980年代に限られるので、その頃の写真のはず。彼は1937年生まれで、仮に1985年撮影だとすると48歳。
1hockney


1966年、29歳か28歳。
何となく若い頃のアンディ・ウォーホルに似た雰囲気。
2-1966


アンディ・ウォーホルは1928年生まれで9歳年上。二人に親交はあったが「お付き合い」してたかどうかは知らない。写真は1980年に撮られた英米ポップアートの巨匠。ホックニー43歳、ウォーホル52歳頃。
3-デヴィッド・ホックニーとアンディ・ウォーホル1980

ところでホックニーの絵はカリフォルニアっぽいので、彼をアメリカ人だと思っている人が多いがブラッドフォード生まれのイギリス人である。ただし1964年にロサンゼルスに移住している。その後ニューヨーク近郊、ロンドンやパリに住んでいた時期もあり、現在はフランスのノルマンディーが拠点らしい。


これは2021年の撮影。
今年で御年87歳! 画像はhttps://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/hockney/index.htmlから引用
4-2021



キュビスム展に行くまでホックニーのことはほとんど忘れていたのに、ジョイナーフォトの画像を探しているときに、懐かしい作品もいろいろ見られて楽しかった。久しぶりに展覧会でも見たいなと思ったら、なんと昨年の7月から11月にかけて東京都現代美術館で開かれていたと知る。そして美術館のホームページには「日本では27年ぶりとなる大規模な個展です」との文字が!

もう見る機会はないかもなあ(^^ゞ



おしまい

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2024年02月08日

デイヴィッド・ホックニーとキュビスム

1月28日まで国立西洋美術館で開催されていたキュビスム展。その鑑賞日記は5回に分けてブログに書いた。そこでは触れなかったものの実は会場を回りながら、その展覧会には出品されていないある画家と、35年ほど昔の出来事を思い出していた。


その画家とはデイヴィッド・ホックニー。
ホックニー? それをキュビスムの展覧会で? と絵に興味のある人は思うかも知れない。


一般にホックニーといえばお洒落なアートのイメージ。

Sun State I 1973年
10Sun State I


そしてプールの絵が人気。
眺めているだけで幸せな気分になる画風。
3枚目の Day Pool with Three Blue は私が初めて買ったアートポスターでもある。

A Bigger Splash 1967年
11A Bigger Splash


Steps Into The Water 1975年
12Steps Into The Water


Day Pool with Three Blues 1978年
13Day Pool with Three Blues


ホックニーは何度か来日していて、こんな絵もある。これは私が今まで目にした絵で最もなだらかに描かれた富士山。日本人の画家ならこうは描きづらい

Mt. Fuji and Flowers 1972年
14Mt. Fuji and Flowers


そんなホックニーに対してキュビスムといえば、一般的にはピカソやジョルジュ・ブラックが描いた難解でわけのわからない暗い絵をイメージする。彼とは正反対で何の接点もない。私も以前はそう思っていた。


それで話は35年ほど前に遡る。

初めてニューロークを訪れた私は、お上りさんよろしくメトロポリタン美術館にも足を運んだ。ちなみにメトロポリタン美術館の床面積は18.5ヘクタール、上野の国立西洋美術館は1.7ヘクタールなのでその11倍近くある超巨大な美術館(床面積=展示面積ではないとしても)。とても1日で見て回れるものではない。

なのに私は入り口近くにあった古代エジプトのコーナーがやたら気に入り、そこでけっこうな時間を費やしてしまったため、残りはまさに駆け足状態だった。だから何を見たのか今ではほとんど覚えていない(/o\)

でもその中にホックニーの作品もあった。メトロポリタン美術館はクラシックな作品を展示しているイメージを持っていたので、ホックニーの展示自体が当時は意外に思えた。そしてそこにはポスターなどで見慣れたホックニー調の絵画数点と、ホックニーに限らず今までに見たことのないコラージュ写真の展示が。

そのコラージュのセンス、カッコよさに痺れた。ただし、そのときは美術の知識もあまりなくキュビスムと結びつけては考えなかった。しかし後年になってあれはホックニーのキュビスムだったのかと気付く。

月日は流れて、そんなこともすっかり忘れてしまっていたが、先日のキュビスム展でホックニーを思い出したしだい。あの展覧会でホックニーを思い浮かべていた人は他にもいただろうか。


そしてネットで調べてみたら、かなり多くの画像を見つけたので、自分の備忘録を兼ねて紹介しておこうと書いたのが今回のブログ。

なおキュビスムの特徴を因数分解すれば

  多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
  対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える

が古典的な解釈になる。ホックニーの作品は写真なので当然ながら多角度の視点で捉える要素のみ。それが理由なのかどうかは知らないものの、あまりキュビスムとはいわずフォトコラージュと紹介されるケースが多い。またホックニー自身は「ジョイナーフォト」と呼んでいる。ジョイナー Joiner とはたぶん、つなぎ合わせる人=指物師、建具職人の意味だと思う。


まずはポートレートから。

Mother 1, Yorkshire Moors, August 1985
21Mother 1, Yorkshire Moors, August 1985


Billy Wilder Lighting His Cigar 1982年
22Billy Wilder Lighting His Cigar

Mother 〜は多角度の視点をまとめただけだが、Billy〜が面白いのは葉巻に火をつける、口にくわえると時間の経過が1枚の写真にまとめられているところ。下のThe Skater〜はコラージュによって動いている感じがよく出ている。阿波踊りやフラダンスの写真を撮った経験があるけれど、どうしてもダルマさんが転んだ的な「瞬間静止」写真になりがち(^^ゞ


The Skater, New York 1982年
23The Skater, New York



室内での撮影あれこれ。
パソコンで読んでいるなら画像クリックで拡大して眺めて欲しい。

Christopher Isherwood Talking to Bob Holman 1983年
31-1Christopher Isherwood Talking to Bob Holman


上のジョイナーフォトにはそのベースと思われる絵画もある

Christopher Isherwood and Don Bachardy 1968年
31-2Christopher Isherwood and Don Bachardy



George, Blanche, Celia, Albert And Percy, London, January 1983年
32George, Blanche, Celia, Albert And Percy, London, January


Luncheon at the British Embassy, Tokyo, February 16th 1983
33Luncheon at the British Embassy, 1983


Sunday Morning, Mayflower Hotel, New York Nov. 28, 1982
34Sunday Morning Nov 28th 1982 Mayflower Hotel N


これはかなり大胆な多角度の視点のまとめ方。

Raymond Foye Looking At Brooklyn, Dec. 1982
36Raymond Foye Looking At Brooklyn


静物画的?ジョイナーフォト。

The Desk, July 1st, 1984
38The Desk, July 1st, 1984


Chair 1985年
39the chair 1985



ーーー続く

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2024年02月05日

梅里中央公園のロウバイ その2

公園西側のロウバイを見たあとは滑り台の右奥にある通路へ。
建物が迫っていて日当たりが悪いけれど、ここが公園南側。
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上の写真にもロウバイの木が数本ほど写っているものの、
ロウバイの黄色くて小さい花は地面と同系色になって目立たない。
アップで撮ってあげましょう。
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通路の突き当たりにはウメが咲いていた。
43DSCF0060


なかなかの見応え。
ウメが咲いているのを見るとなぜか元気が出る。
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他にごく薄いピンクと白で3種類。
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47DSCF0042


白とピンクのツーショット。
48DSCF0046


白とロウバイ。
でもやっぱりロウバイが控えめになってしまう。
49DSCF0044


東側通路は片側がロウバイ並木。
55DSCF0047


振り返ってウメの咲いている方向。
56DSCF0071


ロウバイ並木の中心を「抜いて」、
ロウバイが咲きあふれている写真にしたかったのだがーーー
もっと倍率の高いズームレンズで遠くから撮らないと無理みたい。
57DSCF0074


それは諦めて、
クンクンしながら青空背景のロウバイを満喫する。
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59DSCF0067


何度も書くけれど、
こういうアングルだとロウバイはまったく冴えない。
60DSCF0069


サザンカも見落とさずに。
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ロウバイ並木の先にあったのは区立の集会所。
よく見ると杉並の「杉」が自販機で隠れている。
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これで北西南東の順に公園をぐるっと回ったことになる。
見逃したロウバイはないかともう1周。
80DSCF0106


こんな小さなロウバイを見つけた。
背は低いが幹はけっこう太い。おそらく台木に接ぎ木する育て方。
81DSCF9981


「梅里中央公園は隠れたロウバイの名所」とネットで探し当ててやってきたわけだが、基本的に普通の公園で名所というような風情はない。しかしロウバイの数はそこそこあって巡り歩く楽しさはある。数えはしなかったが40〜50本といったところ。

ただロウバイの木はどれもそれほど大きくない。まだ植え始めてから日が浅いのかな。あと10年ほどすれば東側通路なんかは、こんもりとしたロウバイ並木になりそうな気がする。ただ問題は、長生きしてその姿を見られるかどうか(^^ゞ


最後にロウバイをバエさせてくれた青空を見上る。
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そして梅里中央公園を後にして、
この近くの前から訪れたかった場所に向かう。
その話はいずれまた。
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おしまい

wassho at 20:23|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2024年02月03日

梅里中央公園のロウバイ

先日にロウバイを見に出かけた港北ニュータウンにある早渕公園。ロウバイの木は立派で数も多かった。しかし竹藪に囲まれた窪地に植えられており、まったくその美しさを楽しむことができない。どうしてそんな場所に植えるのか「責任者出てこい!」のレベル。今でもちょっと腹が立っている。

このままで今年のロウバイ花見は終われないと他の場所を探す。しかしロウバイをたくさん植えているところは少ない。それほど遠くなくて名前の通ったところは既に訪れている(同じ場所には行きたくない性格)。それでようやく見つけたのが杉並区にある梅里中央公園。どうやら隠れた名所らしい。


地図で少し白くなっているのが杉並区。
地図

梅里は杉並区の地名。まるで昔はウメがたくさんあったかのような名前である。しかし実際は1968年(昭和43年)の町名統合の際に堀之内となるはずだったが、堀之内は斎場があるのでイメージが悪いと住民が反対。青梅街道に面している地区なので梅里になったとのいきさつ。


訪れたのは1月27日。
地下鉄丸ノ内線の新高円寺で下車。
10IMG_5670


ところで丸ノ内線は変わった路線の形になっている。
これがクセモノ。さらに途中で分岐している。
丸ノ内線-1

丸ノ内線-2

東京に住んで、ごくたまにしか丸ノ内線に乗らない人しかわかってもらえないと思うが、丸ノ内線では行きたい駅が池袋方向なのか、荻窪方向なのかでまず迷う。池袋と荻窪あるいはその手前にある新宿なんて東京全体から見たら似たような方角だから。例えば赤坂見附から銀座に行くのに「池袋行き」に乗るなんてピンとくる?

この日は新宿三丁目から乗車。池袋方向に間違いはしなかったものの、方南町行きに乗ってしまう。でも途中で分岐しているのを思い出し分岐手前の中野坂上で下車。荻窪行きは別のホームかと思ったら、同じホームに荻窪行きと方南町行きの電車が入るとわかり、無駄に階段を上り下りしてしまった(/o\)

地方から東京出張などで丸ノ内線を利用する場合は、事前によく調べておきましょう。ちなみに東京駅前のオフィス街は「丸の内」なのに地下鉄はなぜか「丸ノ内線」。そして丸ノ内線に丸の内駅はないよ。


駅から地上に上がると青梅街道。
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しばらく歩くとこんなのが目に入る。
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いわゆる高圧送電線だと思うけれど、タワーじゃなくて電柱タイプは初めて見る。しかも真っ白。よくあるタワータイプより高さはかなり低いように思う。建てるのに必要な面積も少なくて済みそうなので建物密集地タイプなのかも知れない。


青梅街道を左折して住宅街に入る。
14IMG_5677


梅里中央公園に到着。ここまで駅から15分程度。
もう奥にロウバイが見えてテンションが上がる。
15DSCF9946


公園の雰囲気。
面積は約0.6ヘクタールで、ここに写っている範囲で全体の3/5くらい。
16DSCF9947


先ほど見えていたロウバイ。
早渕公園と違って、とりあえずロウバイに陽の光が当たっていてひと安心。
17DSCF9952

18DSCF9951



この通路は公園の北側。
いわゆる枝振りがあまりよくなかったので、公園を横切って西側に移動。
19-1DSCF9968


こちらの方が本数も多いしサイズも少し大きい。
19-2DSCF9969


濃い黄色とやや薄い黄色。
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21DSCF0026


これは花の中心が赤紫だから和ロウバイ(単にロウバイともいう)。
このタイプはこれ1本しかなかった
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中心が赤紫にならないロウバイには、ソシン(素心)ロウバイと満月、福寿などの品種がある。その違いはとても微妙でよく理解していない。梅里中央公園のロウバイは花の形が丸いから福寿かなあ。でもまったく自信なし。

まあそんなにたいした違いじゃないから、
ロウバイはロウバイということで楽しみましょう(^^ゞ

これは色が薄くて、
25DSCF0003

26DSCF0018


こちらは色が濃い。
この違いは品種ではなく個体差だと思う。
27DSCF0101


少し離れたところのロウバイには何やら黒いものがーーー
30DSCF9994


近づいてみると(>_<)
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32DSCF0028

これはロウバイの実。
花が枯れたあと3月くらいに実をつけ、秋にこんなミノムシのような姿になる。つまり昨シーズンにできたもの。次の花を咲かせているのにどうして地上に落ちていないのだろう。いずれにせよ花を見るにはジャマで、ロウバイの自生を促すわけでもないのだから、公園を管理する人は取り除いておいて欲しい。


いつも書いているようにロウバイは黄色くて小さい花で、地面や周りの景色と同化してしまう。それゆえ写真に撮るのはもちろん、肉眼でも青空を背景にしないとバエない。窪地に植えられていた早渕公園ではそれが叶わなかったが、この公園では先ほどの写真のように青空と一緒に眺められて満足。
DSCF0009



ーーー続く

wassho at 19:42|PermalinkComments(0) お花畑探訪