2024年03月

2024年03月31日

花の咲いていないサクラ祭りをハシゴした本日の最高気温は28.1度!

もちろんまだ夏ではないし、それどころか4月にすらなっていない本日は3月31日。
なのに東京の最高気温は7月上旬並みの28.1度を記録!!!

3月の気温としては2013年3月10日の25.3度を上回って大幅に記録更新。
数日前まで外出時にはダウンジャケットを着ていたのにーーー

画像はhttps://news.biglobe.ne.jp/domestic/0331/wth_240331_0869691025.htmlから引用
最高気温28.1

なお2013年のときには、煙霧(えんむ)の現象が起き、また最高気温記録の2時間後には10度も気温が下がったことなどを当時のブログに書いている。煙霧については今のところあれが最初で最後の体験。

    https://wassho.livedoor.blog/archives/52947036.html


話は変わってサクラ。
気象庁による東京での開花宣言はわずか2日前の3月29日。
これは昨年の3月14日と較べると15日つまり半月も遅い。
もっとも昨年は観測史上1位タイの早さで、平年の開花日は3月24日。

なお平年(値)とは過去30年間の平均値。
※ただしその期間の設定は10年単位となる。話が長くなるので説明は省略。現在、平年値として適用されているのは1991年から2020年までの平均値。

その平年の開花日3月24日と較べると5日遅れだから少し遅い程度とも思えそうだが、実は観測史上1位タイの3月14日を記録したのは2020年と021年と昨年2023年であり、また2022年も3月16日だった。過去30年まで記憶はしていないから、東京でのサクラ開花は3月中頃なのがここ最近の肌感覚。

だから今年のサクラは異常に遅く感じる。
データとしては2012年の3月31日開花以来となる12年ぶりの遅さとなっている。
満開になるのは開花から約1週間掛かるので次の週末4月5日あたりか。

どうしてこんなに遅くなったのかな。
今シーズンの冬はあまり寒くなかったものの、逆に3月になって気温があまり上がらなかった。グラフは東京の2〜3月の平均気温を今年と昨年で較べた結果。見事にグラフの上下位置が2月と3月で入れ替わっている。もちろん、それが影響したかどうかはサクラに尋ねてみないとわからないが(^^ゞ
気温グラフ


ところでサクラについては

   昔は入学式に咲いているイメージだったのに、
   それがいつの間にか卒業式を象徴する言葉になり、
   さらに最近は卒業式に「舞い散る」風景が定番と

なってきている。いつ頃に咲くのがいいのか悪いのかよくわからないとしても、とりあえず今年の新入生はサクラに出迎えてもらえそうである。



さてサクラが咲けば開かれるのがサクラ祭り。

何かと準備があるから、開花が遅いからといってスケジュールは動かせない。東京ではほとんどがこの土日、3月30日から31日に開催された。ただし29日に開花したばかりなので、まだ一分咲き程度。だから花見ではなく枝見になってしまう。

それにもともと色がほぼ真っ白なソメイヨシノにはあまり興味がないし、来週にしだれ桜をどこかに見に行く予定で、この週末のサクラ祭りに出かけるつもりはなかった。しかしサクラの咲いていないサクラ祭りなんて、なかなか経験できる機会はないと気が変わる(^^ゞ

それで散歩圏内の2カ所でサクラ祭りをハシゴ。

まず向かったのはかむろ坂。
ここは私の定番お花見散歩コースで、今までもブログに書いている。
場所等はそちらの記事に。

   かむろ坂で陽光桜
   https://wassho.livedoor.blog/archives/53450137.html

   かむろ坂でサクラの通り抜け
   https://wassho.livedoor.blog/archives/53384671.html


かむろ坂の西の端。
ここから山手通りに向かって緩やかに下っていく。
このあたりに植えられているのは陽光桜で、ソメイヨシノより少し早く咲く。
つまり今が盛りの満開。
ただしここまで陽光桜を見に来る人はあまりいなくて少しかわいそう。
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咲き始めはこんな色で、
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時間が経つとピンクが濃くなり、また花びらが落ちると萼(がく:花びらを支える部分)が赤なので全体的により色濃く見える。
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赤い萼を道路を挟んだピンクの花びらに重ねて。
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陽光桜の並木は500メートルほど続き、
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この小山台一丁目の交差点で終了。
その先からはソメイヨシノのエリア。
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一分咲き。
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三分咲き。
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未開花(/o\)
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半袖・短パンにビーサンのオッサンとすれ違う。
今日はこんな服装で充分なくらい暑かった。
繰り返し書くがまだ3月31日。
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かむろ坂上からは歩行者天国になっている。
ここのサクラは何度も見ているものの、サクラ祭りの日に来たのは初めて。
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何をしているのかと思ったら、
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ペンキ塗りの体験コーナーだった。
この子たちの何倍も生きているけど、こんなにたくさんペンキを塗ったことはないな。
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会場周辺のサクラは見事に開花せず(>_<)
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それでもこの賑わい。
日本人はサクラが好きだけれど、サクラにかこつけて出かけたがる民族でもある。
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テントの色でわかるように、いわゆるテキヤの屋台ではなく、出展しているのはこの先にある東急目黒線・不動前駅周辺のお店が中心のようだ。


この姿はもしやーーー
それにしても「某」って?
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「なにがし」と読ませるみたい。
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タイミングよく阿波踊りが始まった。
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この姿勢はつらいはず。
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まさかこんなところで阿波踊りが見られるとは思っていなかった。器楽隊も3メートルと離れていなかったのでド迫力の大音響。高円寺の阿波踊りを見たのは2017年。今年の夏は久しぶりにまた見に行こうかな。
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「某」が坂の上に行ってしまった。
それにしても誰もサクラを見上げていない(^^ゞ
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このメインの場所ではサクラがほとんど咲いていなかったものの、前半に陽光桜を見たせいもあってサクラ祭りの気分は充分に味わえた。地元商店が主催のアットホームな雰囲気もよし。気温的には夏祭りだったが阿波踊りにはそれもよかったかな。訪れてはいないが昨年はイベント当日が雨だったと記憶している。雨が降ったり、天気がいいのにサクラが咲いていなかったりと主催者の皆さんには何かとご苦労様である。
ポスター



坂を下る。
ここはもう山手通りまで150メートルほどのところ。
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左右に走っているのが山手通り。
かむろ坂下の標識の下に見えている路地に入ると目黒川にぶつかる。
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ーーー続く

wassho at 22:33|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2024年03月25日

汁そばにワサビ

ふと思い浮かんだ疑問。

麺類と香辛料の組み合わせは一般的に、

  冷たいうどん :ショウガ
  冷たいそば  :ワサビ
 
  温かいうどん :七味唐辛子またはショウガ
  温かいそば  :七味唐辛子

となっている。

うどんは冷たくても温かくてもショウガを使うのに、
どうして温かいそばにワサビを使わないのだ?

汁そばにワサビ

試してみた(^^ゞ

特におかしくはないけれど、
別においしくもないかな。

讃岐うどんのお店で七味唐辛子とショウガの両方があれば、どちらにしようか迷う場合もある。でも汁そばならワサビがあっても迷わず七味を選ぶと思う。まあそのレベル。

面白いのはワサビの味がかすかにする出汁と一緒にソバをすすると、ざるそばを食べているような気になってくる。味覚による連想効果があるみたい。


そういえば学生の頃、大阪の淀屋橋か中之島にあった喫茶店でロールサンドウィッチなるものを食べたことがある。「ロールサンドウィッチなるもの」と書いたのは、今ではお弁当に入れたりして馴染みがあるものの、当時は一般的にそんなサンドウィッチは存在せず、目にしたのはそのときが初めてだったから。

それはハムとキュウリのサンドウィッチを、食パンを重ねるのではなくクルクルと巻いて皿にのっていた。そしてなぜかロールされたパンの内側には海苔が。

それを食べた瞬間、口の中が細巻き寿司になった!
アレッ、私は今何を食べているの?といった感じ。
醤油はつけていないのに海苔の味が脳を混乱させたのだと思う。

味覚と脳の関係も何かと興味深い。


<おまけ>
ざるそばに七味唐辛子が意外とマッチする話を以前にブログにしている。

   https://wassho.livedoor.blog/archives/53049079.html

10年ほど前のその投稿を読み返すと「温かい蕎麦にワサビは合うんだろうか?」と書いているのを発見。当時にそんな疑問をいだいたのはすっかり忘れていた。

wassho at 22:55|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2024年03月22日

富士山の伏流水ーーーとのモヤモヤする表現 その2

山に雨が降ると地形に沿って水流ができ、それが集まり沢になりさらに川となる。その川を流れている水が地下にもしみこんだのが伏流水。しかし富士山に川はない。

それは富士山がスコリアと呼ばれる多孔質の火山噴出物で覆われているから。平たく言えばメチャ水はけのよい土壌。だから雨水や雪解け水は地表にとどまらず地下にすぐにしみこんでしまう。

これは以前に富士山の五合目付近で撮った写真。
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川にならず富士山にしみこんで地下水となった水は、やがて広い裾野のあちらこちらから湧き水となって出てくる。たとえば河口湖をはじめとする富士五湖も「流れ込んでいる」川はなく湧き水が水源。
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そのひとつである山中湖から「流れ出て」いるのが相模川。もしそこに伏流水があっても、それはネーミング的に相模川の伏流水であり富士山の伏流水ではない。前回の引用で示したように伏流水とは川と関連した地下水なのだから。


水の流れの図解。
画像はhttps://yuusui-map.jp/user/yuusui.htmlから引用
F1


上の図に対して前回に示した「富士の伏流水」を使用していると謳っているミネラルウォーターやお酒などは、それをこのように表現する。つまり地下水を伏流水と言い換えている。
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F3

画像はhttps://mitsuuroko-beverage.com/products/kawaguchiko/vanadium/とhttps://oasislink.co.jp/clytia_officeoasis/water/water_fuji/から引用


それはもちろん

    富士山の地下水で作りました

というより

    富士山の伏流水で作りました

のほうがイメージがいいからだろう。「伏」の文字には何となく想像をかき立てる要素もあし、「流」は動的でフレッシュな印象も与える。

別に法律で伏流水の定義が決まっているわけではなし、富士山由来の水のおいしさに変わりはないので、とやかく言うつもりはないとしても、あまりに伏流水、伏流水と強調されると印象操作的なあざとさも感じてしまう。富士山の伏流水との表現に疑問をいだくきっかけとなったのも、そんな広告だったように思う。


もっとも伏流水との表現は観光地でも魅力的らしく、
こんな観光ホームページも見つけた。
思いっ切り地表水やないかい!!

岐阜の円原川伏流水
画像はhttps://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_5980.htmlから引用
K1


秋田の元滝伏流水
画像はhttps://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1278.htmlから引用
K2


ついでに書くと、
よく聞く「天然水」との表現も考えてみるとおかしい。水はH2Oで水素と酸素から合成できる。しかしそんな人工的に化学反応で作られた水は実験室にあるか燃料電池で水素発電した副産物くらい。地球上にあるほぼすべての水は「天然もの」やで(^^ゞ


いずれにせよ伏流水だったり天然水だったり、何かとイメージアップ、付加価値向上に走るのが世の習い。そして富士山商品界隈では、もう伏流水と呼ぶのが当たり前になりすぎて、特に意識もせずに使っているのかも知れない。嘘も百回言えば真実になるのも同じく人の世の常である。



おしまい



<天然水に関するおまけ>

市販されている水は、農水省の「ミネラルウォーター類(容器入り飲用水)の品質表示 ガイドライン」では、次の4つに分類されている。

 ⚫️ナチュラルウォーター

  特定の水源から採水された地下水を原水とし沈殿、濾過、加熱殺菌以外の
  物理的・化学的処理を行わない。

 ⚫️ナチュラルミネラルウォーター

  ナチュラルウォーターのうち鉱化された地下水を原水としたもの。

  ※鉱化されたとは土壌のミミネラル成分が多く溶け込んだ状態を指すが、
   その具体的な数値はガイドラインには書かれていなかった。

  ※このナチュラルミネラルウォーターが一般的にいうミネラルウォーター。

 ⚫️ミネラルウォーター

  ナチュラルミネラルウォーターを原水とし、品質を安定させる目的等のために
  ミネラルの調整、曝気、複数の水源から採水したナチュラルミネラルウォーター
  の混合等が行われているもの。

  ※曝気(ばっき)とは空気中の成分を吹き込むこと。
   ここでは炭酸ガスの注入と思われる。

 ⚫️ボトルドウォーターまたは飲用水

  上記以外で飲用に適した水。
  (水道水のペットボトル詰めでも可)


そして「自然」「天然」の用語およびこれに類似する用語の使用が認められているのは

   ナチュラルウォーター
   ナチュラルミネラルウォーター

のみでミネラルウォーターには認められていない。つまり行政的には「沈殿、濾過、加熱殺菌」以外の人為的な加工を行っていない=ほぼ無加工なのが天然水の定義となる。

wassho at 23:28|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2024年03月21日

富士山の伏流水ーーーとのモヤモヤする表現

別にどうでもいい話ではあるものの、
前からちょっと引っ掛かりを感じているのが今回のテーマ。


最初に伏流水とは何ぞやから。
雨が降って地表に落ちてきた水は、まず次の2種類に区分される。

  地表水:沢や川を流れたり、池や湖あるいはダムなどに溜まっている水。
      海に流れて海水となった水は原則として含まない。

  地下水:地表から地中に浸透して、土の中の隙間を流れたり、
      そこにとどまっている水。

要は水が地面の上に存在するか、地面の下なのかの違い。
地表水とは聞き慣れない言葉でも地下水との対比と理解できる。

そして伏流水とは川を流れる地表水が、川の下に浸透して地下水となった状態を指す。だから地下水の一種であり、地下水のエリア限定版のようなもの。


ネットで見つけた説明をいくつか引用する。

⚫️一般財団法人環境イノベーション情報機構
 https://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2309
伏流水とは、河川の流水が河床の地質や土質に応じて河床の下へ浸透し、水脈を保っている極めて浅い地下水。本来の地下水と異なり、河道の附近に存在して河川の流水の変動に直接影響されるものをいう。


⚫️首相官邸ホームページ 地下水用語集(立ち上げ段階版)
 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/mizu_junkan/tikasui_management/pdf/siryou4-3.pdf
高透水性の河床、湖底、裂か(割れ目)などから地下に涵養された水をいう。
通常の降雨浸透と異なり比較的大量の浸透に対して使われる。

 ※涵養(かんよう)=地下に水が浸透する


⚫️日本大百科全書(ニッポニカ)
 https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8F%E6%B5%81-124178#w-1585674
【伏流】
地表水が地中に浸透して地下水として流れることをいう。扇状地のように厚い砂礫(されき)層からなる地形を流れる川では、川の水は伏流して地下水となり、部分的に水流が消失することもある。また石灰岩地域や火山噴出物からなる地域を流れる川の水もよく伏流する。

とくに伏流水という場合には、河川や湖沼の底部または側部の砂礫層中を流れる水をさす。


⚫️東京都水道局
 https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/suigen/topic/09.html
伏流水とは河川水等の地表水が周辺の砂層などの中に浸透して流れる水のことをいいます。

東京都水道局

東京都水道局の図でもわかるように、
伏流水は川の下にある地下水である。


ところがである。
富士山の伏流水と銘打った商品が多く存在している。
たぶん知っていると思うけれど「富士山」は川の名前じゃない(^^ゞ

<ミネラルウォーター>
画像はhttps://www.furusato-tax.jp/product/detail/19423/4805029から引用
M1

画像はhttps://store.shopping.yahoo.co.jp/shinyakoso/bc3010020.htmlから引用
M2

画像はhttps://item.rakuten.co.jp/f222038-numazu/asahi01-p/から引用
M4


<日本酒、焼酎>
画像はhttps://sakemuseum.com/products/35331-1/から引用編集
S3

画像はhttps://www.yamanashi-kankou.jp/special/2020_nihonshu_mtfuji.htmlから引用
S4

画像はhttps://y-houraiya.com/products/detail/26から引用編集
S5


<そば、うどん>
画像はhttps://co-trip.jp/article/611329から引用
ME1

画像はhttps://houtoutaiken.lp-web.net/2019/10/29/about-soba/から引用
ME2

画像はhttps://iwata-food.com/item/udon400g/から引用
ME3



山に雨が降ると地形に沿って水流ができ、それが集まり沢になりさらに川となる。その川を流れている水が地下にもしみこんだのが伏流水。しかし富士山に川はないのだ。そして川がなければ伏流水は存在しない。

なのに「富士山の伏流水」とはどういうこと?



ーーー続く

wassho at 23:13|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2024年03月17日

もちろんキンカンの種はまいた

細々と続けているベランダ・フルーツガーデニング。食べ終わった果物の種を、ベランダの余っているプランターにまけば発芽するのだろうかとの好奇心で始めたのがこの試み。とりあえず振り返ってみるとーーー


最初は2020年の2月に柿とリンゴ。
柿は2019年の秋に食べたもの。
1ヶ月後に初めてリンゴが発芽したときは感激したなあ。
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5月には柿も芽を出した。
気をよくして6月にアメリカンチェリーも追加。

しかし4つ発芽したリンゴのうち、ほとんど成長していないひとつを残して8月には枯れた。2つが発芽した柿も同様。アメリカンチェリーは発芽せず(/o\)

そして8月の終わりに桃を追加。
しかしこれまた発芽せず(>_<)

12月にその年の秋に食べた柿をまく。
2021年6月になってもプランターに変化なし。
もう発芽しないのがデフォルトになって残念と思わなくなる。



そんな中で頑張ったのが最初に植えたリンゴのひとつ。

これは2020年5月。
左のプランターの小さい方がその株。
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それ以外は7月に15センチ程度まで大きくなったのに、
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8月になるとハダニにやられてしまった。
写真を拡大すればクモの巣のような症状が確認できる。
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小さかったのはハダニの被害はなかったものの、
なぜか大きくならないまま。
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そして2021年の2月にはご臨終寸前。
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しかし茎の先端には生き生きとした緑がわずかにに残っている
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2021年4月には見事に復活。
ど根性リンゴと名付けた!
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ただし7月頃が背丈のピーク。
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8月には弱りだし、
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2022年1月にはこの姿。
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残念ながら2度目の復活はなく、
2022年4月にご臨終認定。
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ど根性リンゴ以外の話を続けると、
2021年6月、アメリカンチェリーに再挑戦。
お約束通りの結果。


2022年5月。
気を取り直して柿、みかん、せとか、リンゴ、桃の種をまく。
合計21粒の大規模?チャレンジ。
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その中で桃がひとつだけ発芽。
7月にはいい感じに育ってきたのに、
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8月になって突然あっという間に枯れた。
これは2023年3月まで、枯れたままの姿でミイラとなってベランダにあった桃。
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めげずに2023年3月に桃と柿をまく。
夏までに発芽の気配を見せず。

その後はブログにもしていないので時期はうろ覚えだが、
8月か9月にブドウの種をまいた。

10月下旬に土だけが見えているプランターの様子(/o\)
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ここまでトータルの種まき&発芽状況を確認すると

  リンゴ       種まき数 12   発芽数 4
  柿         種まき数 24   発芽数 2
  アメリカンチェリー 種まき数 8    発芽数ゼロ
  桃         種まき数 6    発芽数 1
  みかん       種まき数 6    発芽数ゼロ
  せとか       種まき数 1    発芽数ゼロ
  (ブドウの種まき数は記録なし)

ブドウを除いて、種をまいた総数は57で発芽したのが7なので、発芽率は12%に過ぎない。また背丈も20センチ以上に成長した株はない。でもまあ食べ残した種は無料だし、発芽の喜びを味わうためにやっているような趣味である。



さてようやくここからが本題で、
前日のブログに書いた生で食べたキンカン。
その実は小さいくせに種の数は多い。普通なら腹立たしものだが、この春はこれをまいてやろうとほくそ笑んでいた(^^ゞ もっとも過去に「みかん」と「せとか」は発芽しなかったから柑橘系は期待薄ではある。


本日に種まきを実施。
種数は12粒。
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昨年の秋に食べた柿の種を残しておいたはずなのに、どこを探しても見当たらず。
なのでプランターの大きさに関係なく各2粒をまいた。
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一般に小さい種は好光性種子(こうこう・せい・しゅし:発芽に光を必要とする)らしいので、まき穴は1センチ未満の深さ。写真で表面に穴が開いているのは失敗して深くなってしまった穴。

また浅くまいた種に水やりをすると、水の勢いで種が流れてしまうから、水やりは種まき前の実施。多少は私もガーデニングの経験則が増えてきた。


では期待せずに発芽を待ちましょう(^^ゞ

wassho at 22:27|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2024年03月16日

生のキンカンを食べた

2月18日にウメを見に行った羽根木公園では植木屋の出店で、そして2月24日に赤塚梅祭りの帰りに立ち寄った赤塚植物園でも栽培展示されているキンカンを見かけた。キンカンの実がなっているところを見るなんて珍しいのに1週間に2回も。

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そうなると、どうしても気になるじゃない。
羽根木公園のブログではこう書いている。

   皮ごと生で食べられるらしいけれど、甘露煮以外は食べたことがない。
   そのうちトライしよう。

とはいうもののキンカンなんてどこで売っているのかと思っていたら、いつも行く駅前スーパーの果物売り場であっさり見つけた。脳は効率的に行動できるようにスーパーなどたくさんの商品があるところでは、関心のある対象しか認識しない機能を備えている。だから今まで気がつかなかったのだろう。


買ったときは10〜12個ほど入っていたかな。
値段は500円くらいだった。
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この駅前のスーパーは同系列の他店舗と較べて少し狭い。それで他店舗はで売ってるのに、この店には置いていない商品がよくある。それでもキンカンがあるのは、それだけよく売れているからなのか。普通に生活していてキンカンの話題なんて聞かないから、そのあたりがどうもナゾ


さて

   食べた感想はーーーウ〜ン、ビミョー。

それほど酸っぱいわけではない。
しかし甘みはまったく感じない。
というわけで買ってから2週間以上経つのに、まだ全部食べ切れていない(^^ゞ


キンカンが生で食べられるのは柑橘類としては皮がとても薄いから。最初はホンマカイナ?と思って恐る恐る囓ったたものの、皮の存在はまったく気にならない。

しかし不思議なことが。

皮ごと食べているから皮の味がする。当たり前と思われるかも知れないが、ミカンだろうがハッサクだろうがレモンだろうが柑橘類を皮ごと食べた経験はない。なのにどうして皮の味と認識できるのか? 今まで皮を食べたとすればユズの皮などを刻んで香り付けで料理に添えてあるものくらい。でも極めて少量だしその香り以外の味覚的記憶もない。なのにキンカンを食べると、ミカンの皮を囓ったのと同じ味が含まれているとわかるのが説明不能。

文章では想像しづらいと思うし、これ以上は考察のしようもないので、
できればキンカンを生で食べて体験してみて。


どれだけ皮が薄いのかと好奇心を抑えれれず切ってみた(^^ゞ
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意外にも直径に占める皮の黄色い部分の厚みの割合は、他の柑橘類と較べて別に薄くもない。皮が薄いから食べられるというより、キンカンは小さいから皮の絶対量が少ないので気にならないようだ。

様々な柑橘類の断面を確認するにはここをクリック

また皮と実の間の白い部分の割合はかなり多い。
そして実が少なっ!
ちょっとガッカリ(/o\)

そして実が少ないくせに種が多い。
なお種が緑色なのは実を切るときに一緒に切れて断面が露出しているから。


食生活行動としては、
他の柑橘類を買って食べた方が満足度は高かった。
しかし何事も経験なので、

これでいいのだ


wassho at 18:23|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2024年03月12日

夏以外はビールを冷やさずに

昔から自宅でビールはあまり飲まない。
しかし昨年の夏は

  平均気温が統計開始以降最高を記録!
  東京では64日間連続で最高気温30℃以上の真夏日となり過去最長を記録!
  同じく東京で最高気温35℃以上の猛暑日も22日で過去最多!
  全国で観測された猛暑日地点数の積算数も2010年以降最多!

とタスケテクレ〜な暑さだったので実によく飲んだ。部屋の中は冷房が効いていて、外気温のように例年と較べて特に暑いわけでもないのに、それでも冷たいビールを飲みたくなってしまうのが人体の不思議。

ビール

涼しくなるにつれていつの間にか飲まなくなったが、そろそろ冬になりかけた頃にキッチン棚の奥に6本パックの缶ビールが残っているのを発見。もう冷たくして飲むにはちょっと寒い頃合いーーー

以前にこんなブログを書いている。

   ビールはぬるめが意外と旨い
   https://wassho.livedoor.blog/archives/53244321.html

友人宅で出された、
冷やし忘れて冷蔵庫に入れてまだ30分ほどの「ぬるい」ビールを飲んだら、

   いわゆるホップの苦みが芳醇に感じられて、
   (スーパードライ以前の)ビール本来の味ってこんなのだったよなあと思った。

との内容。ただし

   しかしあの状態ではあまりにもぬるい。一般にビールは冷蔵庫で4時間冷やす
   と適温になるといわれている。だから30分から4時間のどこかに苦さと冷たさの
   妥協点があるはず。

とも書いた。

そのときは夏の真っ盛りだったから、そう思ったけれど、飲み忘れていた6本パックの缶ビールを見つけたのは冬。ひょっとしたらまったく冷やさずそのまま飲んでも大丈夫では?と思いつく。

   冷やさずに飲んだ。
   今まで自宅で飲んだビールで一番旨かった!

おそらく私の舌はビールの苦さが好きで、冷やすと苦みが減ると感じているようだ。あるいは味の複雑さ。実はウイスキーの水割りも氷を入れないのが好き。


もちろんビールの好みは人それぞれ。
でも興味が湧いたらとりあえず一缶試してみて。
私はたぶんこれから夏以外は冷やさないで飲むと思う。

難点はお店では冷えていないビールを飲めないこと(^^ゞ

wassho at 21:43|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2024年03月11日

日本の半分は雪国だったーーーと、その闇

かなり以前、まだタクシーに乗るとラジオが流れていた頃に「日本の半分は雪国ですからね」と出演者同士の会話が聞こえてきた。そんなわけないだろ、どういうこと?と思ったものの、その続きをあまり聞く間もなく目的地に到着。

すっかり忘れていたが、2月5日に東京でも雪が積もって、
その景色を眺めているときに突然「日本の半分は雪国」を思い出した。
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そんな話はタクシーを降りて10秒後には忘れていたのに。
何度か書いたが脳はすべてを記憶していて「忘れた領域」と「覚えている領域」に分散格納しているだけ。何かのきっかけで忘れていた記憶が「思い出した」領域に移動するとの仮説を改めて確信した。「思い出したくない記憶」がたくさんあるから、この仮説が間違っていますように(^^ゞ


それはさておき調べてみると、

  雪国について気象学的な定義や基準はない
  その降雪量や豪雪についても同じく

しかし豪雪地帯対策特別措置法という昭和37年(1962年)に成立した法律があり、それによって指定された地域を都道府県単位で数えると24あり、全部で47都道府県だから「日本の半分は雪国」との理屈になるようだ。

これがその指定地域。
青が特別豪雪地帯、水色が豪雪地帯。
数字は市町村数で括弧内はそのうちの特別豪雪地帯数。
マップ


都道府県名で書くと

   北海道    
   青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県
   栃木県 群馬県
   新潟県 富山県 石川県 福井県
   山梨県 長野県 岐阜県 静岡県
   滋賀県 京都府 兵庫県
   鳥取県 島根県 岡山県 広島県

地図を眺めてみると中国山陰地方には雪国の印象は持っていなかったなあ。また静岡に豪雪地帯があるのは意外だった。静岡市の井川地区・浜松市の水窪地区とのことで富士山とは関係ないみたい。それと長野はあまり雪が降らないんだね。

面積や人口で較べたのがこちら。
面積比だとまさに半分になっている。人口では約15%。ここまでの資料はhttps://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/chisei/content/001584511.pdfによる
表



ところでである。

豪雪地帯対策特別措置法が豪雪地帯と指定する基準だけれど、まず法律本体には「政令で定める基準に従い」としか書かれていない。

その政令であるが、豪雪地帯の指定基準に関する政令(昭和三十八年政令第三百四十四号)によると、

  国土交通省令・総務省令・農林水産省令で定める期間における

  累年平均積雪積算値が五千センチメートル日以上の地域

とある。累年平均積雪積算値とは

  毎日の積雪量の平均値を、積雪が始まる秋の終わりから積雪が終わる、
  翌年の春の初めまで日を追って順次加え合わせた値

になる。この値は単位をセンチメートルにする慣習らしくてピンとこないものの、五千センチメートルは50メートル。仮に12月15日〜3月15日までの90日間で割れば、1日あたり55.5cmになる。降雪量ではなく積雪量だから毎日どれくらいの雪が降るかはイメージしづらい。しかし屋根の雪下ろしは1メートル積もったらといわれるから意外と低い値。東京じゃ数センチ積もっただけで大騒ぎになるが。


そして期間については「国土交通省令・総務省令・農林水産省令で定める期間」とあるように、なぜか別の政令である「豪雪地帯の指定基準に関する政令に規定する期間及び施設を定める省令(昭和三十八年総理府令第四十七号)」に記述されている。

それによると

  気象官署(出張所を含む。)又は気象官署から観測の委託を受けた者が、

  その観測点において、積雪に関する観測を開始した日の属する年の翌年
  (その日が一月一日である場合は、その日の属する年)から

  昭和三十七年の積雪の終期までとする。

  ただし、その期間は、三十年以上でなければならない。

となっている。文章がややこしいので要約して平たく書くと、ミニマムで法律のできた昭和37年(1962年)から過去30年間!

近頃よく使われる「大切な事なので2回言いました」をすれば、92年前から62年前の積雪記録を元に豪雪地帯の指定が行われている!天気予報が始まったのは明治16年(1883年)からであり、全国ほとんどの地域ではさらに昔からのデータが加えられているはず。問題なのは最新データが62年前の昭和37年止まりなこと。

政令の調べ方が間違っているかと思ったが「国立研究開発法人 土木研究所 寒地土木研究所」という公的機関が2003年に出しているこのレポートでも指定基準の概要として同じく「昭和37年の積雪の終期」と書かれているから、たぶん間違いないはず。


それにしてもーーー

これだけ地球温暖化が叫ばれ、昨今はスキー場が雪不足で過去最多の倒産となっているのに62年前のデータに基づいた行政なんてどういうこと??? もう豪雪地帯とはいえないところもあるだろうし、また同じだけの積雪があっても昭和37年(1962年)と現在では雪を克服するテクノロジーも違う。例えばクルマなんて昭和37年には鎖(くさり)の形そのもののタイヤチェーンしかなかった。しかしその後スノータイヤ〜スパイクタイヤ〜スタッドレスタイヤと開発され大抵の雪道なら普通に走れる。

しかもこの法律は昭和46年(1971年)に特別豪雪地帯における特例措置が設けられ、その後10年毎に特例措置の期限を延長している(特別措置法の中の特例措置なんて実にわかりにくい手法)。さらにこの法律は過去に21回も改正されている。平成以降だけでも14回。そういう際に基準見直しの話は出なかったのか? さらに言えば、こんなに永続的に続くならもはや「特別措置法」ではない。


おそらくはーーー

この豪雪地帯対策特別措置法に基づいて様々な公共事業が行われたり交付金や補助金が出る。それが利権となって、なおかつ昭和37年(1962年)から62年間も続く強固な利権の巣窟構造を形成していて誰もそれを崩せないんじゃないか。野党議員だって地元利権を減らせば選挙が危ない。名前は挙げないけれど政治絡みの圧力団体ぽいところのホームページもあり、特例措置の延長を主張していた。

もちろん全国で532ある豪雪地帯の実情を調べたわけじゃない。本当に支援が必要な地域があるとしても、豪雪地帯対策特別措置法のおかげでウハウハなところもあるだろうと思い、政治と行政の闇を見た気分。

何たってその指定は最新で62年前の気象データが基準なのだから。
大切な事なので3回書きましたm(_ _)m

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wassho at 22:13|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2024年03月09日

赤塚植物園

2月24日に板橋区の赤塚梅まつりと東京大仏を見た後、初めての板橋区散策の最後に訪れたのは赤塚植物園。この季節の植物園なんてほとんど見所はないものの、東京大仏からは100mも離れていないので。


あっという間に到着。
なお入場料は無料だった。
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本園と万葉・薬用園、農業園の3つのエリアに分かれている。板橋区のホームページによれば本園の広さが約1ヘクタール。全部足してもそれほど広い植物園ではない。
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バラ花壇はもちろん冬のお休み中。
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リキュウバイのプレートとツボミ。
ツボミはまさにフレッシュグリーンで輝いていた。
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どんな花かと調べてみたら、
プレートの説明と違ってウメには似ていない(/o\)
リキュウバイ

植物分類的にウメはバラ科サクラ属、リキュウバイはバラ科ヤナギザクラ属でかなり遠い親戚。とはいえ黄梅はモクセイ科、ロウバイにいたってはクスノキ目だから、それらと較べればウメを名乗る資格はあるかも。

このリキュウバイは千利休からとった名前で茶席でもよく飾られるらしい。ただし中国原産で日本に入ったのは明治末期なので、別に利休が好んだ花じゃない。そのネーミングによってより親しまれるようになったと思われる。いつも書くようにネーミングは物事に多大な影響を与える。


近くに梅林のプレート。
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でも階段に沿ってこれだけ並んでいただけ。
これを梅林とは大げさすぎないか。
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いったん道路に出て向かい側にあるのが万葉・薬用園。
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だから2月に植物園に来ちゃいけないんだって(^^ゞ
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ホームページによると「万葉集に謡われている植物の多くはここで見ることができます」とある。でも花が咲いていないとーーー


ちょっとよかったのはこのスイセン。
よく見るスイセンは中央が濃い黄色だが、これは淡い色で優しげ。
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本園に戻って「針葉樹の森」の階段を降りる。
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左側はメタセコイヤかな?
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木には葉の尖っている針葉樹と葉の形が広い広葉樹があって、針葉樹は常緑樹、広葉樹は落葉樹と覚えている人は多いと思うけれど、針葉樹にも落葉するものはある。メタセコイヤもそのひとつ。そして意外にもイチョウは扇形の葉をしているのに針葉落葉樹。

葉の形以前に裸子植物か被子植物科の違いがあって、針葉樹は裸子植物、広葉樹は被子植物。裸子・被子の違いは種となる胚珠(はいしゅ)が子房に包まれているかどうか(説明は長くなるので割愛)。それでイチョウは裸子植物。ただし一般に針葉樹と広葉樹に二分する場合にイチョウは針葉樹とされるが、「どちらでもない」とする分類方法もある。


キンカンを採ってはいけません。
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実は最近、生まれて初めて生のキンカンを食べた。
その話はいずれまた。


まだ何も芽を出していないけれど、
品種プレートが充実しているのが高評価。
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最後に逆光で、
他の植物の葉色との混じり合いがキレイだったウメでも。
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たいして見るものはなかったとはいえ、それを承知の期待値低めで来たから問題なし。小さい植物園ながらも様々な品種を育てようとする姿勢が感じられたし、園内は高低差があるので見飽きることもなかった。この近所に住んでいる人がちょっとうらやましい。

wassho at 17:50|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2024年03月06日

東京大仏

2月24日に板橋区の赤塚溜池公園&赤塚公園・城址地区で開催された赤塚梅まつりで、ウメと和太鼓と武者行列を見てきた続き。奈良と鎌倉の大仏は知っていても、東京に大仏があるとは初耳。公園の場所を確認するために地図を見ていてたまたま見つけた。梅まつりの会場からはすぐ近くなのでついでに立ち寄り。


赤塚溜池公園を出て南に進む。
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道路に東京大仏通りと名前が付いている。
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通り(どおり)なんだから dori ではなく長音記号をつけて dōri あるいはdohri にすべきだし、St.(ストリートの省略形)をつけるのは表現が重複していると思うゾ。(o の上につけた長音記号がご覧のパソコンやスマホで表示されていなければゴメン)


5分ほど歩くと「不動の滝」なるものが道沿いにあった。
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名前と説明看板は立派だが、
水細っ!
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落差もたったこれだけ。
(最初の写真を拡大すればスケール感がよくわかる)
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これで賽銭を集めようなんて、どれだけ厚かましい魂胆?
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ところでここは寺や神社の境内でもないのに、この賽銭箱は誰が管理して、そのお金を使っているのか。宗教施設じゃないから、その収益には税金が掛かるのかーーーまっ、どうでもいいか(^^ゞ

看板に書かれている水垢離(みずごり)とは、神仏に祈願する前に冷水を浴びて身を清める儀式。ここでの水垢離がいわゆる滝行か、あるいは溜まった水を汲んで使ったのかはわからないとしても、江戸時代にはそれなりの水量があったと思われる。都市の近代化が進めば地下水は分断されるし舗装で地下にしみこむ水量も減る。こんなチョロチョロでも残ってるだけアリガタヤではある。

ちなみにこの不動の滝は2003年に東京都環境局が選定した「東京の名湧水57選」に入っている。これでも名湧水なのだから、それだけ湧水が少ない裏返しかも知れない。また環境局のホームページには「東京の名湧水57選は飲用に適することを保証するものではありません。」と赤文字で目立つように注意書きがなされている。飲めもしない湧水のどこが「名」なのかと釈然としない気持ち。



不動の滝から50mほど歩くと道路の右側奥にウメに隠れた大仏が見えてきた。
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大仏への道案内はないものの、
この赤塚植物園の標識を右折してすぐに東京大仏に到着。
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入門終了は午後3時45分と早め。
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そして何かと注意書きの多い寺である。タバコは電子タバコもダメと説明が細かい。ところで禁煙のアイコンの下に描かれているのは電子タバコではなくて、シーシャ(水タバコ)じゃないかな。シーシャと電子タバコは別物。

さらに注目は注意書きの一番左にある「チェアリング」。そのチェアリングとは

  折りたたみ式のアウトドアチェアに、
  おもに公園や川辺など、自宅からそれほど遠くないアウトドアで
  座ってリラックスする

の意味。2016年の雑誌の企画から生まれた言葉。
もちろん和製英語であり、最近はチェア活と呼ばれたりもする。

そのチェア活を寺でするヤツがそんなにいるとは思えないが。シーシャもチェアリングも一般的な認知度はそれほど高くない単語。それをデカデカと入り口に注意書きとして張り出すとは、この寺の住職あるいは関係者はよほど気難しい人物なのかも知れない。

この注意書きからも「一切お断りします!」のビックリマークに、
その強い意志が伺えるような。
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山門と金網越しの仁王像。
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仁王像って、やたら乳首が強調されているのが多い。
ここのはそうでもなかった。


さらに階段を上る。ここは赤塚梅まつりで武者行列を見た赤塚城が廃城になるまで、その三の丸などがあった土地。それで少し高い位置に寺がある。
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乗蓮寺(じょうれんじ)の創建は室町時代前半とされ関東ではかなりの古刹に属する。現在の地から南東に約6kmほどに建てられて、江戸時代初期にそのすぐそばに移転。そして1973年(昭和52年)に首都高建設と国道17号拡幅によってこちらに再移転。それからは51年だから寺の雰囲気としてはまだ新しい。


階段を上ると正面に本堂があって、
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回れ右をすると大仏様。
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1977年(昭和52年)の開眼で大きさは基壇(土台)2m、蓮台2.3m、座高8.2mの合計12.5m。仏の種類は阿弥陀如来(あみだ にょらい)。寺のホームページに「完成時には奈良と鎌倉の大仏に次いで日本で3番目の大きさ」とある。しかし座像に限っても1977年以前に日本寺大仏、別府寺大仏、白馬大仏、聚楽園大仏、布袋の大仏など15m越えの大仏はいくつもあるので、それはいささか誇大表現が過ぎる。


あまり本当のことを書いてバチが当たると困るので、
それは忘れて正面から眺めましょう。
まあ充分に大きいよ。
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ちなみに大仏とは釈迦の身長が丈六=1丈6尺=約4.8mあったので、それ以上の大きさで作られた仏像を指す。座像ならその半分の2.4mが基準。4.8mちょうどの等身大なら丈六仏(じょうろくぶつ)と呼ぶ。もちろん身長が4.8mなんてあり得ないが、弥勒菩薩が56億7千万年後の未来に降臨する、極楽浄土は十万億仏国土の彼方など仏教は数字を大きく盛りがちな宗教。


もっと近づいて。
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1977年に完成したから47年間も雨ざらしなのに、つい最近できたかのような印象を受ける。クリーニングやメンテナンスのレベルは高い。

なお写真でわかるように大仏に乳首はない。というか先ほど書いた仁王像以外の仏像は乳首をつけない。理由は知らないが他の仏像に乳首がないのより、仁王像だけに乳首をつけたりそれを強調するのが不思議。なぜか乳首にこだわるワタシ(^^ゞ



天保の大飢饉(1833〜1839年)は江戸時代四大飢饉のひとつ。
大塩平八郎の乱の原因ともなった。
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この供養塔は江戸時代に寺のあった宿場町内で亡くなった人を弔うために建立したとされ、423人の戒名が刻まれている(上の写真を拡大すればうっすらと見える)。それが今でも残っているのはよいこととして、185年以上も前の天保の大飢饉を「忘れまい」と、つい最近の出来事のような、そしてそれを知っているのが前提のような表現をするのは文章センスとして微妙で心に響かないね。


他にも大仏の周りにいろいろ。
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役小角(えん の おづぬ)は別名が役行者(えん の ぎょうじゃ)で、そちらの方がおそらく一般的。修験道の開祖で、日本各地に言い伝えが残るのでよく耳にする人物。7世紀に実在したとされるものの、2匹の鬼を子分にしていたとか、伊豆大島に流罪にされたのに毎晩歩いて海を渡り富士山頂まで登っていたとか、その人物像は奇想天外な話ばかり。しかしーーーだからこそ名前が残るのが人の世の常。
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大仏の隣にあった池。
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弁天堂は金ピカ。
金箔かどうかまではわからず。
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再びの大仏様はお背中から。
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真横からも眺めると姿勢良し。
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仏像の手の形は印相(いんそう または いんぞう)と呼び、その種類(結び方という)で仏のメッセージを表している。東京大仏の印相は阿弥陀如来特有の阿弥陀定印。これは「瞑想中あるいは最高の悟りの状態」を示している。
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鎌倉の大仏も同じ形。
奈良の大仏は右手が「畏れるな」、左手は「願いを聞き入れる」の意味。
大仏

もちろん手の組み方で仏のメッセージがわかるとは人間が考えたファンタジー。
でもそれを言い出すとーーー以下、自粛。


蓮の花は平たくデフォルメされた形。
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あまりカブリツキよりも、
これくらいの距離感で眺めるのがよかったし有り難みも感じる。
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東京大仏は知名度は低くて交通の便も悪いけれど、もし近くに来る機会があれば、美しくて迫力もあるから訪れてガッカリすることはないよ。

wassho at 22:50|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2024年03月02日

ウメよりも歴史の勉強になった?赤塚梅まつり

タイトルを微妙に変えて前回からの続き。


和太鼓のリズム、低音、爆音を楽しんでいて、
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ふと振り返ると、
いつの間にか武者行列の参加者が待機中。
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正式タイトルは「赤塚城 戦国絵巻 武者行列」。
前回に書いた記念撮影の様子でもわかるようにメンバーの多くは子供。
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メガネを掛けているお姫様の二人は姉妹かな。
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小さな武者姿が可愛い。
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この鎧や兜はボンテックスという樹脂をしみこませた紙で作られていて軽いらしい。各地の武者行列などではよく使われている素材のようだ。本物と並べれば違うとしても、見た目には紙製とはまったく思えず特に違和感もなし。もっとも本物を見慣れていないせいもあるが。


そろそろ始まりそう。
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赤塚城本丸跡の石碑と説明看板。
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武蔵千葉氏? 誰それ?
とりあえず最後の文節「正確はことはまだ明らかに〜」が「正確な」の書き間違いなのはわかった。この看板が立てられたのは平成13年3月。つまり約22年前。その間に誰も注意する人いなかったの? 何をしている板橋区教育委員会(/o\)

さて調べてみると武蔵千葉氏とは平氏をルーツとする一門。そうと書くと、アレッ?平家は壇ノ浦で滅亡したのでは?それがいつかはよく覚えていないけれどイイクニツクロウの前なのは確か。なのにここには1400年から1500年代の話が書いているじゃないかーーーと思われるかも知れない。(参考までに平家が滅亡した壇ノ浦の戦いは1185年)

意外と知られていないというか意識されていないものの、
平氏と平家は同じではない。記号で示せば平氏 > 平家となる。

桓武天皇

平氏は都をナクヨウグイスで平安京に遷都した桓武天皇(737年〜806年)の、孫の代の何名かが臣籍降下して平(たいら)の姓を与えられたのがその始まり。第1陣は825年から840年頃の話。平の文字にしたのは、おジイちゃんが造った平安京にちなんだもの。

古代の決まりでは天皇から直系の4世までが皇族。普通は2世と言えば子供を意味する。しかし皇族関連では親等と同じく子供を1世と数えるようで4世は玄孫(やしゃご)。当然ながら膨大な人数になる。例えば桓武天皇には側室を含めて5人の夫人との間に20人以上の子供がいた。男子はその半分で、成人できたのがさらに半分としても5人。それを当てはめて4世まで数えると5×5×5×5=625人になる。もちろんそれ以前の天皇の子孫もいるわけで。

朝廷としてはそんな人数を財政的に抱えきれないし、そのほとんどに皇位継承の可能性もない。それで皇族の身分を外し臣下として独り立ちさせたのが臣籍降下。その制度は古代からあり、特に桓武天皇(在位781〜806年)の時代から多くなったとされる。


さて50代天皇・桓武天皇の孫から始まった平氏を桓武平氏と呼ぶ。桓武と頭につけるのは他にも54代仁明天皇、55代文徳天皇、58代光孝天皇の子孫から平姓へ臣籍降下したグループがあるから。ただし桓武以外の天皇の平氏はほとんどが数代ほどで途絶えたので、平氏と言えば実質的に桓武平氏を示す。

最初の825年に臣籍降下したのは平高棟(たかむね)で、この系統は公家(貴族)として発展していく。平氏といえば武家としか学校では習わないけれど、そうでもないのだ。有名な「平家にあらずんば人にあらず」は、この系統で高棟(たかむね)より10代後となる平時忠(ときただ)の言葉。

そして桓武天皇の孫(ひ孫説もあり)の高望王(たかもちおう:生没年不明)が、桓武天皇の9代後の宇多天皇から臣籍降下で平の姓を与えられ平高望となったのが889年。この系統が後に平氏の最大勢力になる。

平氏となった平高望(たかもち)は898年に上総国(かずさのくに:今の千葉県中央部)に行政長官として赴任する。この時点では公家。しかし任期が過ぎても帰京せず、その地に土着して豪族となり武士団を形成して勢力を周辺に伸ばす。理由は京都に戻っても藤原一族が要職を独占しているから。この平高望が武家としての平氏の始まり。

平高望の孫の平将門(まさかど)の代になると関東ほぼ全域を支配。東国(関東)を意味する坂東平氏の名で呼ばれた。(その時代にそう呼ばれていたかは知らない)

そうして勢力を拡大していた平氏であるが、時代が下って1028年に起きた平忠常の乱(ただつね:平高望のひ孫、母方の祖父として平将門にもつながる)が起き、朝廷から派遣された源頼信(頼朝の6代前の祖先)により平定され、坂東平氏は源氏の支配下に入る。源氏と平氏が一緒になってややこしいからか、この頃になると坂東平氏ではなく、坂東武者や坂東武士と呼び変えられるみたい。

939年に起きた平将門の乱と較べると日本史的にはマイナーな存在とはいえ、この平忠常の乱はその後の歴史に影響を与えるいろいろな要素を持っていたと思う。坂東平氏と源氏とのつながりができた以外にも、例えば源頼信の息子の頼義が後に鎌倉の領地を手に入れ、それで頼朝にとって鎌倉が先祖伝来の土地になった。逆に将門の乱はもともと平氏一族の内乱で関東の政治に大きな影響は与えていない。将門の首が京都から東京まで飛んでいかなければ、今ほど有名にはならなかったかも。

いずれにせよ源頼朝が幽閉されていた伊豆から抜け出して挙兵し、鎌倉幕府を樹立できたのはこの坂東平氏、すなわち平氏の協力があったから。話は逸れるが、源頼義は妻を平氏からもらっており(当時の感覚だと婿に入る)、だからその子孫の頼朝は平氏の血も流れていることになる。



話は変わって、平忠常(ただつね)と同じく平高望(たかもち)のひ孫の代にあたる平維衡(これひら)は、関東を離れて伊勢に地盤を築き伊勢平氏と呼ばれる系統となる。やがてその子孫は京都に戻り朝廷や貴族に仕える軍事貴族としての道を歩む。

その平維衡(これひら)の5代後に平清盛が出る。清盛は初代の平高望(たかもち)から数えれば平氏9代目となる世代。そして清盛が都で権力者として上り詰めると、平氏の中で清盛の近親者およびその周辺が平家と呼ばれるようになる。だから平氏 > 平家。平氏の中でもセレブな存在が平家ファミリー。「平家にあらずんば人にあらず」の平時忠は平高棟(たかむね)の子孫でまったく別系列だが、姉が清盛の後妻になったので義理の親戚として平家一門に加わった。それが嬉しくての発言?

この流れを考えると源平の戦いは源氏 vs 平家であるけれど、頼朝には坂東平氏が多く加担していたから平氏 vs 平家の戦いの側面も持つ。もっとも同じ平氏とはいえ、その頃になれば9代前のヒイ・ヒイ・ヒイ・ヒイ・ヒイ・ヒイじいちゃんが共通というだけなので、同じ一族としての感覚や連帯感は既になかったと思う。まさに坂東平氏ではなく坂東武者がそのアイデンティティだったのかも知れない。

ついでに計算すると平高望(たかもち)が千葉に来たのが898年で、頼朝の挙兵が1180年だから282年の年月が流れている。現在に置き換えれば2024 − 282 = 1742年で徳川吉宗の時代まで遡る。平家と坂東平氏はそれだけ遠い親戚。


ところで坂東平氏側はこの少し前の世代から、後述する千葉氏・上総氏・三浦氏などに名前を変えている。どうして桓武天皇につながる平の姓を捨てて千葉や上総などに変更するのだろう。少し調べたがヒントは見つけられず。この頃になれば一族の数は先ほどの掛け算のように加速度的に増えて「平さん」だらけになって区別が付かなくなるから? もう都から離れて長いので「平」の名前にステイタスを感じなくなったから? あるいは平忠常の乱以降の源氏の支配がさらに進んで、平姓では何かと不都合があって名前を変えたのか?そのうち調べましょう。

ただ清盛ほか平家側はすべて平姓。もし坂東平氏が名前を変えずに平姓のままだったら、平氏同士の戦いはどうにもやりづらく、頼朝の元にそんなに多く集まっていなかった可能性もある。そう考えると名前を変えてなければ歴史も違っていた? 別の表現をすれば名前が歴史を変えた? そんなことをあれこれモーソー中である。



平氏と平家の話が長くなった。
ようやく武者行列の武蔵千葉氏。
でもそろそろ飽きてきたから簡潔に(^^ゞ

まず千葉氏は先ほどの平忠常(ただつね)の家系から出た一族。忠常のひ孫の平常兼(つねかね)が初代とされ、その孫の常胤(つねたね)から平ではなく千葉常胤と名乗っている(諸説あり)。

ならば千葉とはこの一族の名前だったのかと思ってしまうが実際は逆。奈良時代の万葉集には既に「知波乃奴」=「千葉の野」とあり千葉の地名が確立していた。つまり地名を家の名前としたパターン。

そして千葉氏は坂東平氏の中でも中心的な坂東八平氏に名を連ねる。坂東八平氏とは千葉氏・上総氏・三浦氏・土肥氏・秩父氏・大庭氏・梶原氏・長尾氏の8部族。千葉氏3代目となる千葉常胤(つねたね)は頼朝挙兵にいち早く協力し、鎌倉幕府成立後に有力御家人となる。

これは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で岡本信人が演じた千葉常胤。
千葉常胤


しかし鎌倉時代以前から一族内部での争いが絶えず(他の一族もほとんど同じだが)、とうとう室町時代中期の1455年に、16代当主を中心とする家族が拠点の千葉城を追放され、千葉北東部に逃れる。そこも攻撃されて一緒にいた16代当主の弟の息子兄弟だけが市川まで逃げ延びた。

1456年になるとそこも襲われて、当地まで逃げてきたのが看板に書いてあった内容。これにより千葉氏は、武蔵(東京)に逃げてきた武蔵千葉氏と、千葉に残った下総(しもふさ)千葉氏に区別される。まあ本家と元祖の対立のようなもの。

下総の位置。画像はhttps://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/2-1-2-53.htmlから引用
葛飾郡の位置

下総と上総(かずさ)の位置が地図では上下逆なのがややこしい。また地図の上部に上野国(こうずけのくに)と下野国(しもつけのくに)もある。これらの上・下は京の都に近い方が「上」を名乗ると考えられている。


やがて(小田原の)北条氏の配下に入るのも看板に書かれている。皮肉なことに武蔵千葉氏を追い出した下総千葉氏も戦国時代には自力で立ちゆかず、同じく北条氏の勢力下になり豊臣秀吉による小田原征伐を迎える。

これにより武蔵と下総の両千葉氏は滅亡した。滅亡と聞くと戦死や捉えられての処刑ですべて死んだような語感だが、戦国大名としての地位を失った、そして歴史の表舞台から姿を消したとの意味。壇ノ浦の戦いで滅亡した平家だって主要メンバーは戦死や入水自殺で死んだが、生き残って後世に子孫を残したものはいる。古代ローマ帝国の滅亡でローマ人全員が死んだのではないのと同じ。



入場していく武者行列。
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千葉氏は初代の平常兼が1045年生まれで、小田原征伐が1590年だからその歴史は545年。坂東八平氏の中でも一時は最大勢力で房総平氏ともいわれたので、千葉県や千葉市は千葉氏へのリスペクトが高い。千葉市の市章は千葉氏の家紋をベースにしてるほど。
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一方の武蔵千葉氏が赤塚城にやってきたのは1456年で、小田原征伐までこの地での歴史は134年。それほど長くないし、千葉氏から追われて落ち延びてきた以外に歴史上の存在感もない。それなのに21世紀の地元住民がこんなイベントをしてくれているなんて、感激あるいはビックリしているんじゃないかな。


武者行列の様子を少し見物して、
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隣の梅林に戻る。
50〜60本くらいに思う。
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何となくフワーッと天に伸びていく感じ。
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梅林のほとんどは白梅。
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奥の出入り口近くに少しピンクのもあった。
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密集している部分を逆光で眺めると輝いて見えて幻想的。
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観梅終了して城址地区から溜池に降りる。
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赤塚溜池公園&赤塚公園の城址地区のウメは「質より量」でちょっと残念だったのは確か。しかし和太鼓や武者行列などイベントはとても楽しめた。梅祭り開催中で人出も多かったものの、何となく地元中心でアットホームな雰囲気が感じられたのも好印象だった。



おしまい

でもウメ以外の初めての板橋区散歩はまだ続く。

wassho at 22:01|PermalinkComments(0) お花畑探訪