2024年04月
2024年04月26日
パンケーキを焼けなくても
みんな大好きパンケーキ。バターとメイプルシロップだけじゃなくて、様々なフルーツやソースと一緒に提供されるメニューも多くなり、有名店には長い行列が並んでいる。(写真はグーグルの検索画面)
一昔前までパンケーキはホットケーキと呼ばれた。パンケーキの名前は1970年代後半に雑誌で、海外のお店で出されているメニューを紹介するときに使われていた記憶はあるものの、一般に広くパンケーキと呼ばれ出したのは平成になってから。ただしファミレスではもっと前からパンケーキだったようにも思う。
その名前を初めて聞いて「まあ原料は小麦だからパンといえばパンなのかな」と思った人は多かったかも知れない。でもパンケーキのパンは、食パンなどのパンではなく、浅めの鍋を意味するパン(深い鍋はポット)が由来。日本語になっている中でいえばフライパンのパン。ケーキはオーブンで焼くが、パンケーキはフライパンなどを使うからパンケーキ。
なのでホットケーキは和製英語である。パンケーキをホットケーキと呼ぶ場合も無くはないようだが、基本的に英語圏ではパンケーキが一般的。hot cake だと「アツアツの焼きたてケーキ」になってしまう。
ついでにフライパンも和製英語で英語圏では frying pan。なおフライは炒めると揚げるのどちらでも使う。天ぷらや日本語のフライのように小麦粉などをつけて揚げる場合は deep‐fry。
どうして日本ではホットケーキの名前になったのかははっきりしない。明治に初めてパンケーキが伝わった頃の名前は「薄餅」だった模様。大正時代になりデパートの食堂でハットケーキとして提供され人気が出る。HOTの発音は hάt または hˈɔt でハットに近いからホットケーキの意味だと思う。(発音記号がお使いのスマホやパソコンで表示されなければゴメン)
そしてハットがいつ頃ホットに変わったのかも不明。しかし1957年(昭和32年)には「森永ホットケーキの素(小麦粉その他の粉材料をすべて混ぜたもの)」が発売されているので遅くともその頃。
またパンケーキ = ホットケーキではなくパンケーキ > ホットケーキとする考え方もある。その違いは甘さ。ホットケーキは原料に砂糖も加えるが、そうではなくておかずと一緒に食べるパンケーキもあるらしい。そういえば日本でビスケットはお菓子のイメージが強いものの、アメリカではパンと同じようなポジションのビスケットもある。
しかし平成になってパンケーキと呼ばれだしブームとなったのは、基本的にすべてスイーツ系のパンケーキである。だから甘くないパンケーキが登場してホットケーキと区別のために使い分けられるようになったのではなさそう。
要するに言葉としてのオシャレ感の問題。ホットケーキには昔ながらの喫茶店などで提供されるイメージもあったので、それを嫌ってオシャレなホットケーキはパンケーキと誰かが言い出したのだろう。
今のところパンケーキとホットケーキのどちらでも通じる。森永や昭和(製粉会社)で売られている粉材料は現在も「ホットケーキミックス」の名前のまま。ただし日清製粉にはホットケーキミックスとパンケーキミックスの両方がある。でも令和生まれが大人になる頃にはビフテキやライスカレーのように死語になっている予感。
さてそのパンケーキ。付き合いで有名店にも何度か入ったが、いつでも食べられるものではない。もちろん粉を練って焼いた経験もなし。でもたまに無性に食べたくなるときがある。まあこれは発作みたいな現象で1分も我慢すればたいてい収まる。
それで先日、そのパンケーキ発作が起きた。そのときにふと、パンケーキの味の多くを占めているのはメイプルシロップなのだからトーストにそれを掛ければ似たような味になるのでは?とひらめく。
幸か不幸かヨーグルトやシリアルに垂らして食べるために、
自宅にはメイプルシロップが常備されている。
そうなると発作はとまらない(^^ゞ
もう0時を回った深夜にもかかわらずコンビニにダッシュして食パンを買ってきた。いつもより少し長めにトーストし、バターも普段より多めに塗る。ちなみに私はトーストにはマーガリンよりバター派。そしてメイプルシロップを。
食べた。
バターに、メイプルシロップの甘さと香ばしさが混じった味はまさにパンケーキ。もちろん食感はまったく違う。それでも25%ほどはパンケーキを食べている雰囲気になるかな。けっこう気に入って、それ以来トーストはほとんどこのパンケーキもどきにして食べている。
発作が起きたときにはお試しを。
一昔前までパンケーキはホットケーキと呼ばれた。パンケーキの名前は1970年代後半に雑誌で、海外のお店で出されているメニューを紹介するときに使われていた記憶はあるものの、一般に広くパンケーキと呼ばれ出したのは平成になってから。ただしファミレスではもっと前からパンケーキだったようにも思う。
その名前を初めて聞いて「まあ原料は小麦だからパンといえばパンなのかな」と思った人は多かったかも知れない。でもパンケーキのパンは、食パンなどのパンではなく、浅めの鍋を意味するパン(深い鍋はポット)が由来。日本語になっている中でいえばフライパンのパン。ケーキはオーブンで焼くが、パンケーキはフライパンなどを使うからパンケーキ。
なのでホットケーキは和製英語である。パンケーキをホットケーキと呼ぶ場合も無くはないようだが、基本的に英語圏ではパンケーキが一般的。hot cake だと「アツアツの焼きたてケーキ」になってしまう。
ついでにフライパンも和製英語で英語圏では frying pan。なおフライは炒めると揚げるのどちらでも使う。天ぷらや日本語のフライのように小麦粉などをつけて揚げる場合は deep‐fry。
どうして日本ではホットケーキの名前になったのかははっきりしない。明治に初めてパンケーキが伝わった頃の名前は「薄餅」だった模様。大正時代になりデパートの食堂でハットケーキとして提供され人気が出る。HOTの発音は hάt または hˈɔt でハットに近いからホットケーキの意味だと思う。(発音記号がお使いのスマホやパソコンで表示されなければゴメン)
そしてハットがいつ頃ホットに変わったのかも不明。しかし1957年(昭和32年)には「森永ホットケーキの素(小麦粉その他の粉材料をすべて混ぜたもの)」が発売されているので遅くともその頃。
またパンケーキ = ホットケーキではなくパンケーキ > ホットケーキとする考え方もある。その違いは甘さ。ホットケーキは原料に砂糖も加えるが、そうではなくておかずと一緒に食べるパンケーキもあるらしい。そういえば日本でビスケットはお菓子のイメージが強いものの、アメリカではパンと同じようなポジションのビスケットもある。
しかし平成になってパンケーキと呼ばれだしブームとなったのは、基本的にすべてスイーツ系のパンケーキである。だから甘くないパンケーキが登場してホットケーキと区別のために使い分けられるようになったのではなさそう。
要するに言葉としてのオシャレ感の問題。ホットケーキには昔ながらの喫茶店などで提供されるイメージもあったので、それを嫌ってオシャレなホットケーキはパンケーキと誰かが言い出したのだろう。
今のところパンケーキとホットケーキのどちらでも通じる。森永や昭和(製粉会社)で売られている粉材料は現在も「ホットケーキミックス」の名前のまま。ただし日清製粉にはホットケーキミックスとパンケーキミックスの両方がある。でも令和生まれが大人になる頃にはビフテキやライスカレーのように死語になっている予感。
さてそのパンケーキ。付き合いで有名店にも何度か入ったが、いつでも食べられるものではない。もちろん粉を練って焼いた経験もなし。でもたまに無性に食べたくなるときがある。まあこれは発作みたいな現象で1分も我慢すればたいてい収まる。
それで先日、そのパンケーキ発作が起きた。そのときにふと、パンケーキの味の多くを占めているのはメイプルシロップなのだからトーストにそれを掛ければ似たような味になるのでは?とひらめく。
幸か不幸かヨーグルトやシリアルに垂らして食べるために、
自宅にはメイプルシロップが常備されている。
そうなると発作はとまらない(^^ゞ
もう0時を回った深夜にもかかわらずコンビニにダッシュして食パンを買ってきた。いつもより少し長めにトーストし、バターも普段より多めに塗る。ちなみに私はトーストにはマーガリンよりバター派。そしてメイプルシロップを。
食べた。
バターに、メイプルシロップの甘さと香ばしさが混じった味はまさにパンケーキ。もちろん食感はまったく違う。それでも25%ほどはパンケーキを食べている雰囲気になるかな。けっこう気に入って、それ以来トーストはほとんどこのパンケーキもどきにして食べている。
発作が起きたときにはお試しを。
2024年04月24日
イヤホンのケーブルが絡まない方法
イヤホンのケーブルは絡まりやすいもの。携帯音楽プレーヤーと一緒にポケットに入れて、その後にポケットの中を触っていないのに取り出すと見事に絡まっている。カバンに入れても同じ。何と机の上に置いておくだけも絡まる!
今時はワイヤレスでしょ?と言われそうだが私は有線のイヤホンが好み。理由はふたつあって、ただでさえあれこれ充電しなければいけない機器が多いのに、これ以上は増やしたくない=充電忘れをしたくないから。それとワイヤレスのイヤホンはイヤホン内部でDA(デジタル・アナログ)変換している。言い換えればイヤホン自体が音作りをする。現在使っている携帯音楽プレーヤーの音をそこそこ気に入っているので、それを変えたくない気持ちもある。
以前はソニーのイヤホンをよく使っていた。それはセレーション加工という表面にわずかな凹凸を施した絡みにくいケーブルだったから。見た目は普通のケーブルとほとんど変わらない。最初は「本当に絡まない?」と半信半疑だったものの効果は絶大。ケーブルが絡むストレスは1/1000に減ったといっても大げさではない。なお英語でserrationとはノコギリの歯のような形状。
それからしばらくイヤホンは
ソニー製:セレーションコードだから
低音重視タイプ:主に聴くクラシックには、そのほうが安定感があって聴き疲れしない
1万円前後:私の耳にはそれくらいで充分
との明確な選択基準を持っていた。
しかし6〜7年前からソニーはワイヤレスに注力して、そういう中間価格帯のイヤホンを作らなくなってしまった。現在ソニーの有線イヤホンのラインナップは25万円から8万円と、5000円以下の2つのゾーンしかない。
さて現在使っているイヤホンはゼンハイザーの IE 100 PRO。これは発売直後の2021年7月にe☆イヤホンで購入。当時1万2870円。調べてみると価格は今もあまり変わっていないようだ。ただしゼンハイザーはドイツのメーカーで、その頃のドル円は110円で今は155円と円安だから、それにより値下がり分が相殺されている可能性もある。
ところで今頃になって、このイヤホンについてブログを書いていなかったと気がついた。超簡単にレビューすると、ごくニュートラルで素直な音質である。悪く言えば何の素っ気も特徴もない音。でも特に不満はない。また一般にイヤホンやスピーカーは最初は音が少し固く時間と共に馴染んでくるもの。馴染ませるのをエイジングというが、このイヤホンはまったくそれが必要なく、またしばらく使っても音が変わらなかったのを覚えている。
しかし約2年後の2023年の5月にケーブル断線(>_<)
今まで断線は何度も経験して、その度に買い換えてきたのが私のイヤホン歴。ただしこのIE 100 PROはケーブルの交換ができる。よく覚えていないもののケーブル交換ができるイヤホンで一番安かったからこれを選んだような記憶もある。
それでケーブルを交換(業界ではリケーブルと呼ぶ)しようと思ってビックリ。イヤホンより値段が高い商品がほとんど! リケーブルなんて音質にこだわるマニア向けだからそうなるのだろう。
ケーブルがなければイヤホンは機能しないので、何とかAmazonで3280円のケーブルを見つけて購入。いわゆる中華のノンブランド商品。写真で見えている端子の先にイヤホン本体を差し込んでリケーブル完成。オリジナルは断線したから聴き較べはできていないが高音域が若干キレイになってよし。ただし目隠しテストをすればわからない「気のせい」レベル。でもオーディオはそれが大事(^^ゞ
実はこのケーブルに変えてよかったのは音質よりもケーブルの柔らかさ。IE 100 PROは耳の後ろにケーブルを沿わせる、いわゆるシュア掛けをする設計。シュア掛けとはアメリカのShure(シュア)というメーカーが提唱しているイヤホン装着法。画像はhttps://e-earphone.blog/?p=1264934から引用改変
それでIE 100 PROのオリジナルケーブルでは、写真に示した部分が固められており装着しづらかったが、こちらはケーブルだけなので柔らかくシュア掛けしやすい。逆にゼンハイザーがどうして耳に近い部分を固めるのか疑問。
さてようやく本題。
新しく買ったケーブルは写真でわかるように2本ケーブルの撚り線になっている。このタイプは真っ直ぐなケーブルよりは絡みにくい。でも油断していると絡まってイライラする。イヤホンとはそういうものと半分は諦めていたところ、先日とある方法を思いつく。
それはフック。
グルグル・クシャクシャのまま放置するから絡むのだ。
イヤホンを携帯プレイヤーから外す。
フックに掛けておく。
それだけ。
もちろんこの方法は自宅やオフィスなどでしか使えず、移動中にポケットやカバンに入れている間に絡むのは防げない。しかしさあ出かけようと思ったらイヤホンが絡まっていて、それをほどくのに時間が掛かってイライラする事態は避けられる。振り返ってみると私の場合はそのケースが最も多い。
またケーブルがクルクルと捻れてヘンな癖が付いてしまうのも防げる。文章的に説明不足かも知れないが下の写真を参考に。そういえばまだ電話の受話器がカールコードでつながれていた昭和の時代、アイツは常に捻れていた(^^ゞ 画像はhttps://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0705/28/news018.htmlから引用
例によって前書きと脱線が長かったけれどm(_ _)m
別にフックでなくてハンガーやドアノブやその他どこでも、
イヤホンを吊すだけだからとりあえずお試しを。
今時はワイヤレスでしょ?と言われそうだが私は有線のイヤホンが好み。理由はふたつあって、ただでさえあれこれ充電しなければいけない機器が多いのに、これ以上は増やしたくない=充電忘れをしたくないから。それとワイヤレスのイヤホンはイヤホン内部でDA(デジタル・アナログ)変換している。言い換えればイヤホン自体が音作りをする。現在使っている携帯音楽プレーヤーの音をそこそこ気に入っているので、それを変えたくない気持ちもある。
以前はソニーのイヤホンをよく使っていた。それはセレーション加工という表面にわずかな凹凸を施した絡みにくいケーブルだったから。見た目は普通のケーブルとほとんど変わらない。最初は「本当に絡まない?」と半信半疑だったものの効果は絶大。ケーブルが絡むストレスは1/1000に減ったといっても大げさではない。なお英語でserrationとはノコギリの歯のような形状。
それからしばらくイヤホンは
ソニー製:セレーションコードだから
低音重視タイプ:主に聴くクラシックには、そのほうが安定感があって聴き疲れしない
1万円前後:私の耳にはそれくらいで充分
との明確な選択基準を持っていた。
しかし6〜7年前からソニーはワイヤレスに注力して、そういう中間価格帯のイヤホンを作らなくなってしまった。現在ソニーの有線イヤホンのラインナップは25万円から8万円と、5000円以下の2つのゾーンしかない。
さて現在使っているイヤホンはゼンハイザーの IE 100 PRO。これは発売直後の2021年7月にe☆イヤホンで購入。当時1万2870円。調べてみると価格は今もあまり変わっていないようだ。ただしゼンハイザーはドイツのメーカーで、その頃のドル円は110円で今は155円と円安だから、それにより値下がり分が相殺されている可能性もある。
ところで今頃になって、このイヤホンについてブログを書いていなかったと気がついた。超簡単にレビューすると、ごくニュートラルで素直な音質である。悪く言えば何の素っ気も特徴もない音。でも特に不満はない。また一般にイヤホンやスピーカーは最初は音が少し固く時間と共に馴染んでくるもの。馴染ませるのをエイジングというが、このイヤホンはまったくそれが必要なく、またしばらく使っても音が変わらなかったのを覚えている。
しかし約2年後の2023年の5月にケーブル断線(>_<)
今まで断線は何度も経験して、その度に買い換えてきたのが私のイヤホン歴。ただしこのIE 100 PROはケーブルの交換ができる。よく覚えていないもののケーブル交換ができるイヤホンで一番安かったからこれを選んだような記憶もある。
それでケーブルを交換(業界ではリケーブルと呼ぶ)しようと思ってビックリ。イヤホンより値段が高い商品がほとんど! リケーブルなんて音質にこだわるマニア向けだからそうなるのだろう。
ケーブルがなければイヤホンは機能しないので、何とかAmazonで3280円のケーブルを見つけて購入。いわゆる中華のノンブランド商品。写真で見えている端子の先にイヤホン本体を差し込んでリケーブル完成。オリジナルは断線したから聴き較べはできていないが高音域が若干キレイになってよし。ただし目隠しテストをすればわからない「気のせい」レベル。でもオーディオはそれが大事(^^ゞ
実はこのケーブルに変えてよかったのは音質よりもケーブルの柔らかさ。IE 100 PROは耳の後ろにケーブルを沿わせる、いわゆるシュア掛けをする設計。シュア掛けとはアメリカのShure(シュア)というメーカーが提唱しているイヤホン装着法。画像はhttps://e-earphone.blog/?p=1264934から引用改変
それでIE 100 PROのオリジナルケーブルでは、写真に示した部分が固められており装着しづらかったが、こちらはケーブルだけなので柔らかくシュア掛けしやすい。逆にゼンハイザーがどうして耳に近い部分を固めるのか疑問。
さてようやく本題。
新しく買ったケーブルは写真でわかるように2本ケーブルの撚り線になっている。このタイプは真っ直ぐなケーブルよりは絡みにくい。でも油断していると絡まってイライラする。イヤホンとはそういうものと半分は諦めていたところ、先日とある方法を思いつく。
それはフック。
グルグル・クシャクシャのまま放置するから絡むのだ。
イヤホンを携帯プレイヤーから外す。
フックに掛けておく。
それだけ。
もちろんこの方法は自宅やオフィスなどでしか使えず、移動中にポケットやカバンに入れている間に絡むのは防げない。しかしさあ出かけようと思ったらイヤホンが絡まっていて、それをほどくのに時間が掛かってイライラする事態は避けられる。振り返ってみると私の場合はそのケースが最も多い。
またケーブルがクルクルと捻れてヘンな癖が付いてしまうのも防げる。文章的に説明不足かも知れないが下の写真を参考に。そういえばまだ電話の受話器がカールコードでつながれていた昭和の時代、アイツは常に捻れていた(^^ゞ 画像はhttps://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0705/28/news018.htmlから引用
例によって前書きと脱線が長かったけれどm(_ _)m
別にフックでなくてハンガーやドアノブやその他どこでも、
イヤホンを吊すだけだからとりあえずお試しを。
2024年04月19日
西郷山公園で黄色と緑!のサクラ
もう近所のサクラは葉ザクラだし、翌日にちょっと遠出をする予定もあったのに、4月13日は自宅に引きこもっているにはもったいない陽気だった。それでなぜか西郷山公園に変わった名前のサクラがあって、今までそれが咲いている姿を見ていないのを思い出す。もう葉ザクラだろうが少しくらいは花も残っているかと散歩がてらに。
西郷山公園は菅刈(すがかり)公園と共に、中目黒から目黒川を上流に進み、少し渋谷方向に入ったところにある。スターバックスリザーブの大きなお店の近くといえば、わかる人にはわかりやすいかも知れない。
どちらも西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち)の屋敷跡。屋敷の建物があったあたりが菅刈公園。渋谷に向かっては高台となり、当時は西郷にちなんで西郷山と呼ばれる。そこに造られたのが西郷山公園。面積は菅刈公園が2ヘクタール、西郷山公園は1ヘクタール。
もう葉ザクラなのに、
中目黒駅近くの目黒川はまだそこそこの人出。
10円パンが売っていた。
パンの値段が10円ではなくて、10円硬貨を模しているから10円パン。
オリジナルは韓国の10ウォンパン。
「やはり中目黒の桜の枝は切られていた」でも紹介して、もはや定点観測スポットとなっている宿山橋から目黒川の葉ザクラ状況を。それにしても撮る方向=太陽の向きが違うだけで写真の印象はずいぶんと変わるもの。もうそろそろカメラが自動的に補正してくれないかな。これじゃまるで別の日の写真みたいだ。脳は視覚情報を補正して肉眼ではこんな風には見えていないのだから。
しばらく歩いてまずは菅刈公園へ。
何か咲いていたけれど近づけず。
広場の様子。
しだれ桜が咲いていた。
ツバキとモクレン。
菅刈公園に立ち寄ったのは、
小さいながらも日本庭園があるので、それを眺めるため。
ここを西郷従道が手に入れる前、江戸時代には大名屋敷だった。
しかし扉が閉まっている。
土曜日は休園日なのか?
開園時間が午後4時までだった(/o\)
写真撮影は4時8分。
仕方なく西郷山公園へ。
先にある横断歩道の所を、
左折すれば、
西郷山公園に到着。
サクラの植えられている広場は高台の上にある。
この斜面にある突起は、ノンフレーム工法という地盤補強・崖崩れ防止のために打ち込まれたアンカー(杭:くい)。コンクリートで斜面を塗り固めると景観が損なわれるし、環境破壊にもなるので最近はこのような施工が多いらしい。
まだ咲いているサクラを見上げたり見下ろしたりしながら、
高台の広場に到着。
冒頭に書いた「西郷山公園の変わった名前のサクラ」は、ネームプレートが切れているが「普賢象 ふげんぞう」。名前は忘れていたものの場所は覚えていたのですぐに見つかった。
しかし普賢象は八重桜だったようで、まだ咲いていなかった。
ところで普賢象なんてサクラの名前として変わっている。これは花の中央から伸びる雌しべの先端が曲がっており、普賢菩薩の乗る白象の鼻に見立ててのネーミング。
<参考写真>
八重桜が満開になるのはもう少し先。
既に葉がこんもり生い茂っているのは河津桜。
そして背後の木と色が混じって初めは気がつかなかったものの、
黄色いサクラを発見!
サクラに黄色があるとは知らなかった。ネームプレートはなかったので調べてみると、これはウコンザクラ(鬱金桜)とわかった。ウコンとはターメリックのウコン。カレー粉の材料だったり、二日酔いに効くとかいわれるあのウコン。
ウコンはショウガの仲間でサクラとはまったく関係はなく、これは花びらの色が黄色いからそう名付けられている。しかしウコンのようにオレンジ色ではなく、ごく淡い黄色だからショウガザクラでもよかったんじゃない?
とりあえず生まれて初めて見る黄色いサクラに興奮。
惜しむらくはiPhoneのマクロで撮影したので画像に生気がない。
なおウコンザクラは黄桜とも呼ばれ、日本酒の「黄桜」はこのウコンザクラに由来する。カッパのCMは子供の頃によく見て、何なら🎶カッパッパ〜のCMソングもメロディーだけなら今でも口ずさめるが、そんな話は初耳。
さらにウコンザアクラの近くにあったのが、これまた他の木の葉と色が被ってわかりにくかった御衣黄(ぎょいこう)。名前に「黄」とあってもこちらは緑色。正しくは黄緑だから黄色も混じってはいる。
ただし御衣黄は花びらの先端が割れておらずサクラの形をしていない。だから公園ではサクラではなく、ウコンザクラの黄色とコーディネートする目的で植えられた別の木だと思っていた。あとでサクラと知ってビックリ。(図鑑で見る御衣黄は花びらが割れているのもあった)
開花して時間が経つと緑が抜けて白っぽくなるようだ。
ウコンザクラと御衣黄は黄色緑色系のサクラに分類され、まだ他に数品種あるみたい。そんな色があったなんて、まだまだサクラについて知らないことがあるものだ。
西郷山公園は菅刈(すがかり)公園と共に、中目黒から目黒川を上流に進み、少し渋谷方向に入ったところにある。スターバックスリザーブの大きなお店の近くといえば、わかる人にはわかりやすいかも知れない。
どちらも西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち)の屋敷跡。屋敷の建物があったあたりが菅刈公園。渋谷に向かっては高台となり、当時は西郷にちなんで西郷山と呼ばれる。そこに造られたのが西郷山公園。面積は菅刈公園が2ヘクタール、西郷山公園は1ヘクタール。
もう葉ザクラなのに、
中目黒駅近くの目黒川はまだそこそこの人出。
10円パンが売っていた。
パンの値段が10円ではなくて、10円硬貨を模しているから10円パン。
オリジナルは韓国の10ウォンパン。
「やはり中目黒の桜の枝は切られていた」でも紹介して、もはや定点観測スポットとなっている宿山橋から目黒川の葉ザクラ状況を。それにしても撮る方向=太陽の向きが違うだけで写真の印象はずいぶんと変わるもの。もうそろそろカメラが自動的に補正してくれないかな。これじゃまるで別の日の写真みたいだ。脳は視覚情報を補正して肉眼ではこんな風には見えていないのだから。
しばらく歩いてまずは菅刈公園へ。
何か咲いていたけれど近づけず。
広場の様子。
しだれ桜が咲いていた。
ツバキとモクレン。
菅刈公園に立ち寄ったのは、
小さいながらも日本庭園があるので、それを眺めるため。
ここを西郷従道が手に入れる前、江戸時代には大名屋敷だった。
しかし扉が閉まっている。
土曜日は休園日なのか?
開園時間が午後4時までだった(/o\)
写真撮影は4時8分。
仕方なく西郷山公園へ。
先にある横断歩道の所を、
左折すれば、
西郷山公園に到着。
サクラの植えられている広場は高台の上にある。
この斜面にある突起は、ノンフレーム工法という地盤補強・崖崩れ防止のために打ち込まれたアンカー(杭:くい)。コンクリートで斜面を塗り固めると景観が損なわれるし、環境破壊にもなるので最近はこのような施工が多いらしい。
まだ咲いているサクラを見上げたり見下ろしたりしながら、
高台の広場に到着。
冒頭に書いた「西郷山公園の変わった名前のサクラ」は、ネームプレートが切れているが「普賢象 ふげんぞう」。名前は忘れていたものの場所は覚えていたのですぐに見つかった。
しかし普賢象は八重桜だったようで、まだ咲いていなかった。
ところで普賢象なんてサクラの名前として変わっている。これは花の中央から伸びる雌しべの先端が曲がっており、普賢菩薩の乗る白象の鼻に見立ててのネーミング。
<参考写真>
八重桜が満開になるのはもう少し先。
既に葉がこんもり生い茂っているのは河津桜。
そして背後の木と色が混じって初めは気がつかなかったものの、
黄色いサクラを発見!
サクラに黄色があるとは知らなかった。ネームプレートはなかったので調べてみると、これはウコンザクラ(鬱金桜)とわかった。ウコンとはターメリックのウコン。カレー粉の材料だったり、二日酔いに効くとかいわれるあのウコン。
ウコンはショウガの仲間でサクラとはまったく関係はなく、これは花びらの色が黄色いからそう名付けられている。しかしウコンのようにオレンジ色ではなく、ごく淡い黄色だからショウガザクラでもよかったんじゃない?
とりあえず生まれて初めて見る黄色いサクラに興奮。
惜しむらくはiPhoneのマクロで撮影したので画像に生気がない。
なおウコンザクラは黄桜とも呼ばれ、日本酒の「黄桜」はこのウコンザクラに由来する。カッパのCMは子供の頃によく見て、何なら🎶カッパッパ〜のCMソングもメロディーだけなら今でも口ずさめるが、そんな話は初耳。
さらにウコンザアクラの近くにあったのが、これまた他の木の葉と色が被ってわかりにくかった御衣黄(ぎょいこう)。名前に「黄」とあってもこちらは緑色。正しくは黄緑だから黄色も混じってはいる。
ただし御衣黄は花びらの先端が割れておらずサクラの形をしていない。だから公園ではサクラではなく、ウコンザクラの黄色とコーディネートする目的で植えられた別の木だと思っていた。あとでサクラと知ってビックリ。(図鑑で見る御衣黄は花びらが割れているのもあった)
開花して時間が経つと緑が抜けて白っぽくなるようだ。
ウコンザクラと御衣黄は黄色緑色系のサクラに分類され、まだ他に数品種あるみたい。そんな色があったなんて、まだまだサクラについて知らないことがあるものだ。
2024年04月18日
板橋と練馬の南蔵院でしだれ桜のハシゴ 練馬編
4月10日、板橋区の南蔵院でしだれ桜を見た後は、
ハシゴ先である練馬区の南蔵院へ。
練馬区の南蔵院を最初に知り、福岡にある有名な南蔵院を避けるために「東京 南蔵院 サクラ」であれこれ検索していて、たまたまこちらも見つけたのは最初に書いた通り。しかしここはネットにほとんど情報がない。板橋の南蔵院の開花状況はSNSでそれなりに確認できたものの、練馬の南蔵院をX(Twitter)で探すと、本日4月18日の段階でも最新投稿が3月23日(/o\)
でもハシゴは今年の花見の隠れテーマだし、板橋まで行けばどうせ帰り道なのだからと訪れることにした。しかし実は帰り道じゃなかった。
東京の電車は山手線の主要駅をターミナルとして放射状に延びている。近年、私鉄と地下鉄が相互乗り入れするようになって利便性がとても増したとはいえ、ある程度都心から離れて南北に移動しようとすると、いったん都心まで戻らなければならないのだ。
それぞれの南蔵院最寄り駅である本蓮沼から練馬まで、乗り換え案内アプリで検索すると何種類ものルート候補が提示される。それだけ一筋縄ではたどり着けない証し。途中でバスを使うルートもあったが、乗り間違えしそうなので最もベーシックなルートを選んだ。
それは本蓮沼駅から都営三田線で巣鴨まで戻り、山手線に乗り換えて池袋、そして西武池袋線で練馬まで。直線距離の2倍半ほどの移動になる。
練馬駅に到着。
ここまで本蓮沼駅から約45分掛かった。
桜並木もあった練馬駅前の雰囲。
ここで痛恨のミス(というほどでもないが)。南蔵院までは地図アプリの経路案内を頼りに歩いたのだが、それがバスを使う設定になっていた(>_<) 実際にスマホに表示されていた地図はもっと狭い範囲だったので遠回りしているのに気付かず。
でも普段の生活圏内にはない東武ストアの前を通りかかり、徳川家光が手植えした1枚の写真に収まりきらない大きな木も見られたからいいかーーーと自分の失敗を正当化。
3本の電車を乗り継いで練馬に着き、そこから遠回りな道順を進んで、ようやく南蔵院に到着。これでもししだれ桜が散っていたらキリスト万歳と境内で叫んでやる(^^ゞ
最初にあったのは大きなソメイヨシノ。
葉ザクラ進行中。
咲いているソメイヨシノは白いのに、散った花びらがピンクなのが不思議。
隣にしだれ桜。
それほど大きくないサイズ。
花付き度合いは普通かな。
キリスト万歳ではなくお釈迦様ありがとうでよかった。
しだれ桜は枝が目立つのが写真的には手強(ごわ)い。
本日2箇所目のしだれ桜でほんわか気分に浸りましょう。
本堂のほうにもしだれ桜があった。
こちらは2本でサイズは板橋の南蔵院より大きい。
でも花数が少ない。
奥の方は葉ザクラが進んでいる。
手前はそうでもないから品種が違うのか? そうは見えなかったが。
手前のしだれ桜を角度を変えて。
ツボミはあまりなかったから満開の時期が過ぎていたのだろうか。でも地面に花びらはあまり落ちていない。ひょっとしたら今年は花付きが悪かったのかも知れない。板橋の南蔵院もネットで見た過去の写真と較べて花数が少なかった。ソメイヨシノは毎年同じように花を咲かせても、しだれ桜は年によって差があるというのが経験則。
本堂と隣にある薬師堂。
扉が閉まっていて本日休業的な感じ。
境内ブラブラ。
戦没者慰霊碑とサクラの花びらに埋もれたタンポポ。
これはおそらくしだれ桜の花びら。
空海像。
これがあるなら真言宗のお寺。そういえば板橋の南蔵院、福岡の南蔵院も真言宗だった。宗派によってお寺の名前が決まっているのか?
入ってきた門と反対方向から出ると、
墓地が広がっていて、
さらにその半分ほどの広さがある墓地予定地。
境内に戻って、
濃いピンクの花びら絨毯の上に立つ観音像。
しかし観音像に覆い被さっているのは、
山桜系の白いサクラなのが解せない。
観音像の隣に仁王門。
この仁王門は変わっていて、
上部に鐘がつるされており鐘楼(しょうろう)門となっている。
さらに変わっているのはその位置。
仁王門は小さなお寺ならメインの出入り口の門として、大きなお寺ならメインの出入り口から続く境内参道の途中に、ここから先は聖域と示すために造られる。でもここの仁王門は境内の片隅にポツンと立っている。かつてはもっと敷地が広く、ここを本堂につながる参道が通っていたのだろうか。
なおこの南蔵院も正確な建立時期はわかっていないものの、室町時代初期の1357年に中興(復活)されたとの記録があるから、板橋の南蔵院と較べると相当に古い。この仁王門自体は江戸中期の建築。
「あ」と口を開いている阿形(あぎょう)と「ん」と口を閉じた吽形(うんぎょう)が対となる金剛力士像。阿吽(あうん)の呼吸との表現はこれがルーツ。また金剛力士は仁王とも呼ばれ、仁王立ちの語源でもある。
金剛力士は金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる、あらゆる物を打ち砕ける武器を持っているから金剛力士と呼ばれる。でも南蔵院の金剛力士はエアー金剛杵だった。どちらも持っていなかったり、吽形(うんぎょう)だけが持っていないのはたまにある。
参考までに金剛杵(こんごうしょ)を持つ東大寺の金剛力士像。
なお東大寺では向かって左に阿形、右に吽形の配置だが、これは例外的で通常は逆。
像の設置位置の左右に何か意味があるかは知らない。
さて金剛力士像といえば恒例のビーチクチェック! 仏像で乳首があるのは金剛力士像だけで、なぜかやたら目立っているものが多い。ここ南蔵院のは珍しくごく控えめだった。
小さい方のしだれ桜を再度眺めて、本日のしだれ桜ハシゴは終了。
板橋の南蔵院が箱庭的とすれば、こちらの南蔵院はガラーンと何の造作も施していない印象でまさに対照的なお寺。しだれ桜は特に見応えはなかったものの、いろいろな所で様々なサクラを眺めるのを趣味にしているので、サクラ蓄積知の幅が広がってそれなりに満足。その知識が何の役に立つのかはわからないけれど(^^ゞ
おしまい
ハシゴ先である練馬区の南蔵院へ。
練馬区の南蔵院を最初に知り、福岡にある有名な南蔵院を避けるために「東京 南蔵院 サクラ」であれこれ検索していて、たまたまこちらも見つけたのは最初に書いた通り。しかしここはネットにほとんど情報がない。板橋の南蔵院の開花状況はSNSでそれなりに確認できたものの、練馬の南蔵院をX(Twitter)で探すと、本日4月18日の段階でも最新投稿が3月23日(/o\)
でもハシゴは今年の花見の隠れテーマだし、板橋まで行けばどうせ帰り道なのだからと訪れることにした。しかし実は帰り道じゃなかった。
東京の電車は山手線の主要駅をターミナルとして放射状に延びている。近年、私鉄と地下鉄が相互乗り入れするようになって利便性がとても増したとはいえ、ある程度都心から離れて南北に移動しようとすると、いったん都心まで戻らなければならないのだ。
それぞれの南蔵院最寄り駅である本蓮沼から練馬まで、乗り換え案内アプリで検索すると何種類ものルート候補が提示される。それだけ一筋縄ではたどり着けない証し。途中でバスを使うルートもあったが、乗り間違えしそうなので最もベーシックなルートを選んだ。
それは本蓮沼駅から都営三田線で巣鴨まで戻り、山手線に乗り換えて池袋、そして西武池袋線で練馬まで。直線距離の2倍半ほどの移動になる。
練馬駅に到着。
ここまで本蓮沼駅から約45分掛かった。
桜並木もあった練馬駅前の雰囲。
ここで痛恨のミス(というほどでもないが)。南蔵院までは地図アプリの経路案内を頼りに歩いたのだが、それがバスを使う設定になっていた(>_<) 実際にスマホに表示されていた地図はもっと狭い範囲だったので遠回りしているのに気付かず。
でも普段の生活圏内にはない東武ストアの前を通りかかり、徳川家光が手植えした1枚の写真に収まりきらない大きな木も見られたからいいかーーーと自分の失敗を正当化。
3本の電車を乗り継いで練馬に着き、そこから遠回りな道順を進んで、ようやく南蔵院に到着。これでもししだれ桜が散っていたらキリスト万歳と境内で叫んでやる(^^ゞ
最初にあったのは大きなソメイヨシノ。
葉ザクラ進行中。
咲いているソメイヨシノは白いのに、散った花びらがピンクなのが不思議。
隣にしだれ桜。
それほど大きくないサイズ。
花付き度合いは普通かな。
キリスト万歳ではなくお釈迦様ありがとうでよかった。
しだれ桜は枝が目立つのが写真的には手強(ごわ)い。
本日2箇所目のしだれ桜でほんわか気分に浸りましょう。
本堂のほうにもしだれ桜があった。
こちらは2本でサイズは板橋の南蔵院より大きい。
でも花数が少ない。
奥の方は葉ザクラが進んでいる。
手前はそうでもないから品種が違うのか? そうは見えなかったが。
手前のしだれ桜を角度を変えて。
ツボミはあまりなかったから満開の時期が過ぎていたのだろうか。でも地面に花びらはあまり落ちていない。ひょっとしたら今年は花付きが悪かったのかも知れない。板橋の南蔵院もネットで見た過去の写真と較べて花数が少なかった。ソメイヨシノは毎年同じように花を咲かせても、しだれ桜は年によって差があるというのが経験則。
本堂と隣にある薬師堂。
扉が閉まっていて本日休業的な感じ。
境内ブラブラ。
戦没者慰霊碑とサクラの花びらに埋もれたタンポポ。
これはおそらくしだれ桜の花びら。
空海像。
これがあるなら真言宗のお寺。そういえば板橋の南蔵院、福岡の南蔵院も真言宗だった。宗派によってお寺の名前が決まっているのか?
入ってきた門と反対方向から出ると、
墓地が広がっていて、
さらにその半分ほどの広さがある墓地予定地。
境内に戻って、
濃いピンクの花びら絨毯の上に立つ観音像。
しかし観音像に覆い被さっているのは、
山桜系の白いサクラなのが解せない。
観音像の隣に仁王門。
この仁王門は変わっていて、
上部に鐘がつるされており鐘楼(しょうろう)門となっている。
さらに変わっているのはその位置。
仁王門は小さなお寺ならメインの出入り口の門として、大きなお寺ならメインの出入り口から続く境内参道の途中に、ここから先は聖域と示すために造られる。でもここの仁王門は境内の片隅にポツンと立っている。かつてはもっと敷地が広く、ここを本堂につながる参道が通っていたのだろうか。
なおこの南蔵院も正確な建立時期はわかっていないものの、室町時代初期の1357年に中興(復活)されたとの記録があるから、板橋の南蔵院と較べると相当に古い。この仁王門自体は江戸中期の建築。
「あ」と口を開いている阿形(あぎょう)と「ん」と口を閉じた吽形(うんぎょう)が対となる金剛力士像。阿吽(あうん)の呼吸との表現はこれがルーツ。また金剛力士は仁王とも呼ばれ、仁王立ちの語源でもある。
金剛力士は金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる、あらゆる物を打ち砕ける武器を持っているから金剛力士と呼ばれる。でも南蔵院の金剛力士はエアー金剛杵だった。どちらも持っていなかったり、吽形(うんぎょう)だけが持っていないのはたまにある。
参考までに金剛杵(こんごうしょ)を持つ東大寺の金剛力士像。
なお東大寺では向かって左に阿形、右に吽形の配置だが、これは例外的で通常は逆。
像の設置位置の左右に何か意味があるかは知らない。
さて金剛力士像といえば恒例のビーチクチェック! 仏像で乳首があるのは金剛力士像だけで、なぜかやたら目立っているものが多い。ここ南蔵院のは珍しくごく控えめだった。
小さい方のしだれ桜を再度眺めて、本日のしだれ桜ハシゴは終了。
板橋の南蔵院が箱庭的とすれば、こちらの南蔵院はガラーンと何の造作も施していない印象でまさに対照的なお寺。しだれ桜は特に見応えはなかったものの、いろいろな所で様々なサクラを眺めるのを趣味にしているので、サクラ蓄積知の幅が広がってそれなりに満足。その知識が何の役に立つのかはわからないけれど(^^ゞ
おしまい
2024年04月17日
板橋と練馬の南蔵院でしだれ桜のハシゴ 板橋編 その2
階段を上って本堂へ。
花台が備えられているのは、先日の池上本門寺でも見かけた釈迦の誕生日(4月8日)を祝う花まつり、正式名は灌仏会(かんぶつえ)のためのしつらえ。
この日は4月10日だったが、
しばらくは続けられるのだろう。
花まつりはいわばキリストの誕生日を祝うクリスマスと同じ。多くのお寺で降誕会(こうたんえ)の法要やイベントがそこそこの規模で営まれる。でもまあクリスマスの認知度とは雲泥の差(>_<)
なぜ花まつりかというと、釈迦の母親がお産のために里帰りする途中、ルンビニの花園で休んでいたときに釈迦が生まれたとの故事から。ルンビニは現在のネパール南部でインドとの国境近くの村。
花まつりは誕生日なので、
誕生仏と呼ばれる釈迦が生まれたときの姿を模した仏像が用いられる。
上の写真だと小さいので、
こちらは東大寺にある国宝の誕生仏。
場所がルンビニの花園なのは先ほど書いたとおりだが、
言い伝えによると
まず釈迦は母親の右脇から生まれた!
そして誕生した直後に立ち上がって7歩を進み!!
右手で天を、左手で大地を指差したまま、
天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)と説いた!!!
とされ、誕生仏のポーズはそれを表現している。
信じるか信じないかはあなたしだい(^^ゞ
さてこの天上天下唯我独尊。そう、ヤンキーが「オレこそが最強だ」と特攻服にその漢字を刺繍したり、「◯◯さんは唯我独尊ですね」とうぬぼれが強く協調性のない人間に対して使われる、あの言葉である。
もちろん釈迦の言葉がそんな意味では困るので、
仏教界では天上天下唯我独尊を
天の上にも、天の下にも、
誰もがこの世にただ独りしかいない尊い存在
などと解説するのが一般的。
ただしこれ以外にも解釈は様々ある。しかし少し調べてみると、どれも天上天下唯我独尊の漢字8文字それぞれの意味をあれこれ掘り下げて考察している。なのでどうもこじつけくさい。さらに解釈する人の宗教観もにじみ出るからなおさら。
仏教は古代インドで生まれ、中国を経由して日本に入った。仏典を中国語に翻訳するときに解釈の揺れはあっただろうし、さらに中国語と日本語は同じ漢字を使っていてもニュアンスが違う場合もある。ましてや仏典に書かれた中国語は日本語でいうなら古文である。平安時代の「いとおかし」が現代の「面白い」ではないように、解釈するには幅広い中国語の知識が必要。しかしどうもそういうアプローチでの解釈もされていない。あくまで現在の日本語としての語感がベース。
だから二重三重に天上天下唯我独尊の意味がずれている可能性もある。できたらオリジナルの言語で天上天下唯我独尊はどう表現されていたのか、そこからの解釈をお願いしたいもの。
誕生仏は水盤に立てられており、そこには甘茶(あまちゃ)が入れられている。甘茶はアジサイに近い品種の葉を発酵させてお茶にする。フィロズルチンという成分が含まれており、これは砂糖の約1000倍の甘さがあるとされる。(成分としての話で甘茶が砂糖より1000倍甘いわけではない)
花まつりの正式名である「灌仏会(かんぶつえ)」の「灌」は「水をそそぐ、流れ込む」との意味。単語として灌はあまり聞き慣れないものの、農地に水を引き入れるのを灌漑(かんがい)というでしょ。そして誕生仏に甘茶を掛けるから灌仏会。細長い棒が4本写っているのは柄杓(ひしゃく)の柄。
どうして甘茶を掛けるかは南蔵院の説明で。
ここに書かれているようにお参りしている人もいたが、それには靴を脱いで本堂の中に上がる必要があったので、私は花台の前から甘茶掛けなしでお参り。天上天下唯我独尊とお祈りした。仏教的あるいはヤンキーな意味だったのかは想像にお任せしましょう。
ところで右手で天を、左手で大地を指すのが誕生仏だけれど、どうにも映画サタデーナイトフィーバーでジョン・トラボルタが見せた決めポーズを連想してしまう(^^ゞ あっ、このポスターを見て懐かしかったらジジババ確定ね。
本堂の上から境内を眺める。
正面以外はビルが近かったり、電線が目立ったりーーー
山門から退出。
でもこれで終わりじゃない。
南蔵院は山門の手前、境内の外にある前庭も絵になっている。
そしてお寺の北側に面した道路(写真右奥)には、
本堂の裏側にある墓地からはみ出したサクラが。
ピンクの花と茶色い葉、そして白い花とグリーンの葉の八重桜。
南蔵院と道路を挟んで立派な門。
門の上には見事なサクラ。
南蔵院のしだれ桜と違ってこちらはソメイヨシノ。
これもお寺の一部かと思ったら、
表札には個人名。
Googleマップで確認すると、墓地を除いた南蔵院と同じくらいの面積がある。推定で約800坪。周りの駐車場もここの所有地かも知れない。
南蔵院がいつ建立されたのか正確なところは不明なものの、おそらく戦国時代の終わり頃に、このあたりの荒れ地を開墾して蓮沼村を開いた新井三郎盛久が開基(スポンサー)となって創建されたようだ。そして江戸時代に入り新井三郎盛久の子孫がこの地の名主を勤め、新井三郎の名前を代々引き継いだらしい。
だからお寺の隣にお大きな屋敷があるわけか。いいなあ〜
それにしても江戸時代前からの財力を現在も維持しているのは凄い。
なおこれはネットで拾った情報をつなぎ合わせただけで信憑性75%くらい。
さて南蔵院のしだれ桜とモモの花をあれこれ紹介してきたが、最も見応えのある光景は、南蔵院を出て新井さんちの門を背中にして眺めたここ。しだれ桜とソメイヨシノのコラボ、お寺の五色幕、新緑その他モロモロ圧倒的に美しい。
南蔵院を訪れたら是非この場所をお忘れなく!
ーーー練馬編に続く
花台が備えられているのは、先日の池上本門寺でも見かけた釈迦の誕生日(4月8日)を祝う花まつり、正式名は灌仏会(かんぶつえ)のためのしつらえ。
この日は4月10日だったが、
しばらくは続けられるのだろう。
花まつりはいわばキリストの誕生日を祝うクリスマスと同じ。多くのお寺で降誕会(こうたんえ)の法要やイベントがそこそこの規模で営まれる。でもまあクリスマスの認知度とは雲泥の差(>_<)
なぜ花まつりかというと、釈迦の母親がお産のために里帰りする途中、ルンビニの花園で休んでいたときに釈迦が生まれたとの故事から。ルンビニは現在のネパール南部でインドとの国境近くの村。
花まつりは誕生日なので、
誕生仏と呼ばれる釈迦が生まれたときの姿を模した仏像が用いられる。
上の写真だと小さいので、
こちらは東大寺にある国宝の誕生仏。
場所がルンビニの花園なのは先ほど書いたとおりだが、
言い伝えによると
まず釈迦は母親の右脇から生まれた!
そして誕生した直後に立ち上がって7歩を進み!!
右手で天を、左手で大地を指差したまま、
天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)と説いた!!!
とされ、誕生仏のポーズはそれを表現している。
信じるか信じないかはあなたしだい(^^ゞ
さてこの天上天下唯我独尊。そう、ヤンキーが「オレこそが最強だ」と特攻服にその漢字を刺繍したり、「◯◯さんは唯我独尊ですね」とうぬぼれが強く協調性のない人間に対して使われる、あの言葉である。
もちろん釈迦の言葉がそんな意味では困るので、
仏教界では天上天下唯我独尊を
天の上にも、天の下にも、
誰もがこの世にただ独りしかいない尊い存在
などと解説するのが一般的。
ただしこれ以外にも解釈は様々ある。しかし少し調べてみると、どれも天上天下唯我独尊の漢字8文字それぞれの意味をあれこれ掘り下げて考察している。なのでどうもこじつけくさい。さらに解釈する人の宗教観もにじみ出るからなおさら。
仏教は古代インドで生まれ、中国を経由して日本に入った。仏典を中国語に翻訳するときに解釈の揺れはあっただろうし、さらに中国語と日本語は同じ漢字を使っていてもニュアンスが違う場合もある。ましてや仏典に書かれた中国語は日本語でいうなら古文である。平安時代の「いとおかし」が現代の「面白い」ではないように、解釈するには幅広い中国語の知識が必要。しかしどうもそういうアプローチでの解釈もされていない。あくまで現在の日本語としての語感がベース。
だから二重三重に天上天下唯我独尊の意味がずれている可能性もある。できたらオリジナルの言語で天上天下唯我独尊はどう表現されていたのか、そこからの解釈をお願いしたいもの。
誕生仏は水盤に立てられており、そこには甘茶(あまちゃ)が入れられている。甘茶はアジサイに近い品種の葉を発酵させてお茶にする。フィロズルチンという成分が含まれており、これは砂糖の約1000倍の甘さがあるとされる。(成分としての話で甘茶が砂糖より1000倍甘いわけではない)
花まつりの正式名である「灌仏会(かんぶつえ)」の「灌」は「水をそそぐ、流れ込む」との意味。単語として灌はあまり聞き慣れないものの、農地に水を引き入れるのを灌漑(かんがい)というでしょ。そして誕生仏に甘茶を掛けるから灌仏会。細長い棒が4本写っているのは柄杓(ひしゃく)の柄。
どうして甘茶を掛けるかは南蔵院の説明で。
ここに書かれているようにお参りしている人もいたが、それには靴を脱いで本堂の中に上がる必要があったので、私は花台の前から甘茶掛けなしでお参り。天上天下唯我独尊とお祈りした。仏教的あるいはヤンキーな意味だったのかは想像にお任せしましょう。
ところで右手で天を、左手で大地を指すのが誕生仏だけれど、どうにも映画サタデーナイトフィーバーでジョン・トラボルタが見せた決めポーズを連想してしまう(^^ゞ あっ、このポスターを見て懐かしかったらジジババ確定ね。
本堂の上から境内を眺める。
正面以外はビルが近かったり、電線が目立ったりーーー
山門から退出。
でもこれで終わりじゃない。
南蔵院は山門の手前、境内の外にある前庭も絵になっている。
そしてお寺の北側に面した道路(写真右奥)には、
本堂の裏側にある墓地からはみ出したサクラが。
ピンクの花と茶色い葉、そして白い花とグリーンの葉の八重桜。
南蔵院と道路を挟んで立派な門。
門の上には見事なサクラ。
南蔵院のしだれ桜と違ってこちらはソメイヨシノ。
これもお寺の一部かと思ったら、
表札には個人名。
Googleマップで確認すると、墓地を除いた南蔵院と同じくらいの面積がある。推定で約800坪。周りの駐車場もここの所有地かも知れない。
南蔵院がいつ建立されたのか正確なところは不明なものの、おそらく戦国時代の終わり頃に、このあたりの荒れ地を開墾して蓮沼村を開いた新井三郎盛久が開基(スポンサー)となって創建されたようだ。そして江戸時代に入り新井三郎盛久の子孫がこの地の名主を勤め、新井三郎の名前を代々引き継いだらしい。
だからお寺の隣にお大きな屋敷があるわけか。いいなあ〜
それにしても江戸時代前からの財力を現在も維持しているのは凄い。
なおこれはネットで拾った情報をつなぎ合わせただけで信憑性75%くらい。
さて南蔵院のしだれ桜とモモの花をあれこれ紹介してきたが、最も見応えのある光景は、南蔵院を出て新井さんちの門を背中にして眺めたここ。しだれ桜とソメイヨシノのコラボ、お寺の五色幕、新緑その他モロモロ圧倒的に美しい。
南蔵院を訪れたら是非この場所をお忘れなく!
ーーー練馬編に続く
2024年04月15日
板橋と練馬の南蔵院でしだれ桜のハシゴ 板橋編
気象庁によるサクラ満開宣言が4月4日。しかし3月31日こそ最高気温28.1度を記録するバカ陽気になったものの、東京の4月前半は天候に恵まれず。画像はhttps://kishojin.weathermap.jp/diary.php?ame=より引用
それでも晴れた日を狙って4月2日に妙見堂のしだれ桜&池上本門寺、4月7日には善福寺川緑地&和田堀公園を見てきた。そしてそろそろ葉桜になり始める4月10日に出かけてきたのは板橋区と練馬区にある南蔵院というお寺。
3月31日にはかむろ坂と目黒川の桜祭りを回って「花の咲いていないサクラ祭りをハシゴした本日の最高気温は28.1度!」のブログを書いた。4月2日と4月7日も場所としてはつながっているとはいえ2箇所を回っている。だから「ハシゴ」は今年の花見の隠れテーマ。
それにしてもどうしてハシゴなのだろう。語源としては梯子酒で、これは「飲み屋を次々と変えて飲み歩くのを」「梯子を一段一段と上がる様子になぞらえた」と解説される。でもいい気分でフラフラとお店を回るのと、慎重に足元を確認しながら上がっていく梯子とではイメージがずいぶん違う。深く考えると違和感あり。
そろそろ葉桜に−−−と書いたが、板橋の南蔵院のしだれ桜はSNSで情報を探すと、4月1日の時点ではまだほとんど咲いていなかった。4月6日に公式ホームページのお知らせで「しだれ桜もようやく咲き始め、見頃を迎えつつあります」と載る。咲き始めと見頃では文章が矛盾しているが、いずれにせよまだ満開でないと判断。それで4月7日は善福寺川緑地&和田堀公園にした。
しだれ桜といっても品種は様々で、ソメイヨシノより先に咲いてそれが満開の頃には散ってしまうものもあれば、ソメイヨシノと同時期あるいは遅く咲くしだれ桜もある。ソメイヨシノと違ってしだれ桜の開花情報はマスコミで流れないから、調べるのがけっこう面倒。
4月6日以降の開花情報はSNSや公式ホームページで得られなかった。それでも7日と8日は20度を超える気温となったので、もうそろそろ大丈夫かと天気予報とスケジュールの都合を睨んで4月10日に訪れることにした。ここはモモもキレイで、それが3月末には咲いていたので傷まないうちにとの気持ちもあった。
話は変わるがこの板橋の南蔵院は東京のしだれ桜を特集していたネットのページで見つけた。しかし南蔵院というと、こんな大きな涅槃(ねはん)像のある福岡のお寺が有名。
だから「南蔵院」だけでネット検索すると福岡の情報の方が多くなるので「東京 南蔵院 サクラ」などの工夫が必要。それでたまたま見つけたのが練馬にある同じく南蔵院。こちらはネットでもあまり情報がなかったものの、板橋まで行けば帰り道かと思い、今年の隠れテーマのハシゴに合わせて訪れたしだい。実はまったく帰り道じゃなかったけれど、その話は後ほど。
さてまずは板橋の南蔵院から。
2月に赤塚梅まつりで、上の地図にも記した赤塚公園と赤塚溜池公園を訪れたとき「東京で暮らしてずいぶんと長いが、単なる通過ではなく目的を持って板橋区を訪れたのは初めてかも知れない」と書いた。なのに2ヶ月後にまさかの板橋区再訪。もっとも同じようなことが連続して起きるのは人生あるあるな話。
都営地下鉄三田線の本蓮沼(もとはすぬま)駅で下車。
目の前は国道17号である中山道。
ところでこの中山道(なかせんどう)。東海道が江戸から京都までを主に太平洋沿岸ルートで結ぶのに対して、こちらは長野や岐阜など内陸部を通る街道。しかし子供の頃に社会科で習ったのは中仙道だったのに、いつのまにか中山の表記が一般的になっている。どうしてなの? 中山を「なかせん」とは読みづらいやろ。
中山道に突き当たっているのがこの蓮沼アスリート通り。
この道路沿いにオリンピック強化指定選手などが(だけが)利用できるナショナルトレーニングセンターがあって、このしゃれた名前が付いている。ただし何の変哲もないごく普通の道路。
中山道沿いに歩いて行く。
寺に着いたかと思ったら石材屋だった(^^ゞ
その数軒隣に南蔵院。
外から眺めるだけでやたらキレイなお寺。
寳勝山(ほうしょうざん)と書かれている。
寳は宝の旧字。
境内はまるで箱庭のように整った光景。
板橋十景に選ばれている。
板橋十景のうち「赤塚溜池公園周辺」「高島平団地とけやき並木」「東京大仏(乗蓮寺)」は赤塚梅まつりの際に訪れている。板橋2度目で早くも4つをゲット!
まずは境内に入ってすぐ右側にある真っ赤なキクモモ。
菊の花びらに形が似ているからその品種名。別名はゲンジグルマ(源氏車)。
あまり菊には見えないけれどいい形。
赤とピンクのキクモモに囲まれて極楽にいるような仏様。
この三体は奥から
羽黒山供養塔:聖観音菩薩
湯殿山供養塔:大日如来
月山供養塔:阿弥陀如来
で、まとめて出羽三山供養塔と呼ばれる。ただしここ南蔵院では湯殿山供養塔を単独で出羽三山供養塔と称していて、三体全部でも出羽三山供養塔とする変則的な構成。
なお出羽三山とは、山形県の中央にそびえる月山(1984m)・羽黒山(414m)・湯殿山(1500m)の総称。3つの独立した山ではなく月山を主峰とした峰続きの3つの山。
古くから信仰の対象となっている山である。ただし出羽三山供養塔は供養と名前が付いていても、その山で遭難などした人の冥福を祈るのでなく、普通にご利益を願って拝む。だからちょっと変わったネーミング。
出羽三山供養塔の隣は地蔵堂。
ここの地蔵は「はいた地蔵」と呼ばれ歯痛に効くらしい。
地蔵堂にはピンクのキクモモ。
新緑とのコントラストが美しい。
地蔵堂の斜め向かいにある不動明王を祀る不動堂。
その左右に2本のモモ。
左側はモフモフしたモモ。
品種名はわからず。
ところで桃の花をハナモモと呼ぶ場合があるが私はそれがどうも気に入らない。果実栽培ではなく花の観賞用に改良した園芸品種がハナモモらしいが、その理屈だと桜も梅もハナサクラやハナウメじゃないと整合性がとれない。それにハナモモだって実がなって食べられる。
またハナモモは品種名ではなく園芸品種の総称なのに、「南蔵院のハナモモとキクモモがきれいでした」と書かれているものもたくさん見かける。アホチャウカ?
おっと、仏の前ではしたない言葉は慎んで(^^ゞ
ところでこのモモは花から葉が飛び出ている。
そんな咲き方ってある?と思ってよく見ると、
枝から延びた葉が花の間をすり抜けているとわかった。
モモはサクラと違って枝から延びる花柄(かへい)が短く、つまり花と葉の出所がほぼ同じ位置。だから見方によって花から葉が生えているように見える。
とても素晴らしかったので全体像をもう一度。
ウメやサクラと違ってモモを見られるところは少ないので貴重。
そして不動堂の右側は、
先ほどの地蔵堂と同じピンクのキクモモ。
キクモモの隣にも別のお地蔵さん。
さて本堂右手前のしだれ桜。
なかなか立派な姿ではあるとはいえ、ちょっと花数が少ない。ツボミがたくさん残っているでもなく、またネットで見かける写真ではもっと豪華な咲きっぷりなので、今年は不作なのかも知れない。
それでもまさに桜色の淡いピンクが降ってくる姿は楽しめた。
南無阿弥陀仏、お釈迦様ありがとう。
こちらは本堂より手前のしだれ桜。
周りの新緑と混じり合いがキレイ。
少し葉桜になっているのは品種が違うのか?
でもその葉の色もいい。
先ほどのお地蔵さんをアップで。
横顔まで撮るのがこのブログのいいところ。
そのお地蔵さんの横、
本堂の左側にもしだれ桜がある。
右にあるのよりかなり小さく、
植えられてそれほど年数が経っていない印象。
こちらの方が花付き「率」は高く、
また花により元気がある印象。
ーーー続く
それでも晴れた日を狙って4月2日に妙見堂のしだれ桜&池上本門寺、4月7日には善福寺川緑地&和田堀公園を見てきた。そしてそろそろ葉桜になり始める4月10日に出かけてきたのは板橋区と練馬区にある南蔵院というお寺。
3月31日にはかむろ坂と目黒川の桜祭りを回って「花の咲いていないサクラ祭りをハシゴした本日の最高気温は28.1度!」のブログを書いた。4月2日と4月7日も場所としてはつながっているとはいえ2箇所を回っている。だから「ハシゴ」は今年の花見の隠れテーマ。
それにしてもどうしてハシゴなのだろう。語源としては梯子酒で、これは「飲み屋を次々と変えて飲み歩くのを」「梯子を一段一段と上がる様子になぞらえた」と解説される。でもいい気分でフラフラとお店を回るのと、慎重に足元を確認しながら上がっていく梯子とではイメージがずいぶん違う。深く考えると違和感あり。
そろそろ葉桜に−−−と書いたが、板橋の南蔵院のしだれ桜はSNSで情報を探すと、4月1日の時点ではまだほとんど咲いていなかった。4月6日に公式ホームページのお知らせで「しだれ桜もようやく咲き始め、見頃を迎えつつあります」と載る。咲き始めと見頃では文章が矛盾しているが、いずれにせよまだ満開でないと判断。それで4月7日は善福寺川緑地&和田堀公園にした。
しだれ桜といっても品種は様々で、ソメイヨシノより先に咲いてそれが満開の頃には散ってしまうものもあれば、ソメイヨシノと同時期あるいは遅く咲くしだれ桜もある。ソメイヨシノと違ってしだれ桜の開花情報はマスコミで流れないから、調べるのがけっこう面倒。
4月6日以降の開花情報はSNSや公式ホームページで得られなかった。それでも7日と8日は20度を超える気温となったので、もうそろそろ大丈夫かと天気予報とスケジュールの都合を睨んで4月10日に訪れることにした。ここはモモもキレイで、それが3月末には咲いていたので傷まないうちにとの気持ちもあった。
話は変わるがこの板橋の南蔵院は東京のしだれ桜を特集していたネットのページで見つけた。しかし南蔵院というと、こんな大きな涅槃(ねはん)像のある福岡のお寺が有名。
だから「南蔵院」だけでネット検索すると福岡の情報の方が多くなるので「東京 南蔵院 サクラ」などの工夫が必要。それでたまたま見つけたのが練馬にある同じく南蔵院。こちらはネットでもあまり情報がなかったものの、板橋まで行けば帰り道かと思い、今年の隠れテーマのハシゴに合わせて訪れたしだい。実はまったく帰り道じゃなかったけれど、その話は後ほど。
さてまずは板橋の南蔵院から。
2月に赤塚梅まつりで、上の地図にも記した赤塚公園と赤塚溜池公園を訪れたとき「東京で暮らしてずいぶんと長いが、単なる通過ではなく目的を持って板橋区を訪れたのは初めてかも知れない」と書いた。なのに2ヶ月後にまさかの板橋区再訪。もっとも同じようなことが連続して起きるのは人生あるあるな話。
都営地下鉄三田線の本蓮沼(もとはすぬま)駅で下車。
目の前は国道17号である中山道。
ところでこの中山道(なかせんどう)。東海道が江戸から京都までを主に太平洋沿岸ルートで結ぶのに対して、こちらは長野や岐阜など内陸部を通る街道。しかし子供の頃に社会科で習ったのは中仙道だったのに、いつのまにか中山の表記が一般的になっている。どうしてなの? 中山を「なかせん」とは読みづらいやろ。
中山道に突き当たっているのがこの蓮沼アスリート通り。
この道路沿いにオリンピック強化指定選手などが(だけが)利用できるナショナルトレーニングセンターがあって、このしゃれた名前が付いている。ただし何の変哲もないごく普通の道路。
中山道沿いに歩いて行く。
寺に着いたかと思ったら石材屋だった(^^ゞ
その数軒隣に南蔵院。
外から眺めるだけでやたらキレイなお寺。
寳勝山(ほうしょうざん)と書かれている。
寳は宝の旧字。
境内はまるで箱庭のように整った光景。
板橋十景に選ばれている。
板橋十景のうち「赤塚溜池公園周辺」「高島平団地とけやき並木」「東京大仏(乗蓮寺)」は赤塚梅まつりの際に訪れている。板橋2度目で早くも4つをゲット!
まずは境内に入ってすぐ右側にある真っ赤なキクモモ。
菊の花びらに形が似ているからその品種名。別名はゲンジグルマ(源氏車)。
あまり菊には見えないけれどいい形。
赤とピンクのキクモモに囲まれて極楽にいるような仏様。
この三体は奥から
羽黒山供養塔:聖観音菩薩
湯殿山供養塔:大日如来
月山供養塔:阿弥陀如来
で、まとめて出羽三山供養塔と呼ばれる。ただしここ南蔵院では湯殿山供養塔を単独で出羽三山供養塔と称していて、三体全部でも出羽三山供養塔とする変則的な構成。
なお出羽三山とは、山形県の中央にそびえる月山(1984m)・羽黒山(414m)・湯殿山(1500m)の総称。3つの独立した山ではなく月山を主峰とした峰続きの3つの山。
古くから信仰の対象となっている山である。ただし出羽三山供養塔は供養と名前が付いていても、その山で遭難などした人の冥福を祈るのでなく、普通にご利益を願って拝む。だからちょっと変わったネーミング。
出羽三山供養塔の隣は地蔵堂。
ここの地蔵は「はいた地蔵」と呼ばれ歯痛に効くらしい。
地蔵堂にはピンクのキクモモ。
新緑とのコントラストが美しい。
地蔵堂の斜め向かいにある不動明王を祀る不動堂。
その左右に2本のモモ。
左側はモフモフしたモモ。
品種名はわからず。
ところで桃の花をハナモモと呼ぶ場合があるが私はそれがどうも気に入らない。果実栽培ではなく花の観賞用に改良した園芸品種がハナモモらしいが、その理屈だと桜も梅もハナサクラやハナウメじゃないと整合性がとれない。それにハナモモだって実がなって食べられる。
またハナモモは品種名ではなく園芸品種の総称なのに、「南蔵院のハナモモとキクモモがきれいでした」と書かれているものもたくさん見かける。アホチャウカ?
おっと、仏の前ではしたない言葉は慎んで(^^ゞ
ところでこのモモは花から葉が飛び出ている。
そんな咲き方ってある?と思ってよく見ると、
枝から延びた葉が花の間をすり抜けているとわかった。
モモはサクラと違って枝から延びる花柄(かへい)が短く、つまり花と葉の出所がほぼ同じ位置。だから見方によって花から葉が生えているように見える。
とても素晴らしかったので全体像をもう一度。
ウメやサクラと違ってモモを見られるところは少ないので貴重。
そして不動堂の右側は、
先ほどの地蔵堂と同じピンクのキクモモ。
キクモモの隣にも別のお地蔵さん。
さて本堂右手前のしだれ桜。
なかなか立派な姿ではあるとはいえ、ちょっと花数が少ない。ツボミがたくさん残っているでもなく、またネットで見かける写真ではもっと豪華な咲きっぷりなので、今年は不作なのかも知れない。
それでもまさに桜色の淡いピンクが降ってくる姿は楽しめた。
南無阿弥陀仏、お釈迦様ありがとう。
こちらは本堂より手前のしだれ桜。
周りの新緑と混じり合いがキレイ。
少し葉桜になっているのは品種が違うのか?
でもその葉の色もいい。
先ほどのお地蔵さんをアップで。
横顔まで撮るのがこのブログのいいところ。
そのお地蔵さんの横、
本堂の左側にもしだれ桜がある。
右にあるのよりかなり小さく、
植えられてそれほど年数が経っていない印象。
こちらの方が花付き「率」は高く、
また花により元気がある印象。
ーーー続く
2024年04月13日
善福寺川緑地と和田堀公園で満開のサクラ
タイトルを少し変更して前回からの続き。
善福寺川緑地を上流の西田橋から尾崎橋まで歩いてきて、
現在位置がこちら。
びっしりと桜並木が並んでいる尾崎橋上流。
それと較べて下流は様相が一変するけれど、
お花見散歩は続行。
尾崎橋の下流すぐのところにある銅像。
1月の終わりに梅里中央公園でロウバイを見た帰りに立ち寄ったときは、誰かに暖かそうなストールを着せてもらっていた。ところでこの銅像をネットで調べると「川の声」との名前らしい。しかしどれも伝聞ばかりできちんとした情報がないし、東京都公園協会のマップにも載っていない。台座に書かれている文字も見忘れた。
なので作者はわからないし銅像の性別も不明。また公園内には他にも子供の銅像があるようだが、この日は見かけなかった。まあ次に来たときのお楽しみにということで。
横からも撮ってあげましょう。
このアングルのほうが可愛い。
尾崎橋から下流にもポツポツとサクラは咲いている。
しばらく歩くと、
少しまとまった規模で。
尾崎川上流より圧倒的に人は少ないので、
のんびりお花見したいのならこちらがいいかも。
さらに歩くと、
ピンクのサクラ。
名前は書かれていなかったものの、これは上流で見た紅華(こうか)だろう。
やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(前回に引き続き4回目)
成園橋で右岸に渡りしばらく歩くと、
対岸にヒコーキ広場が見えてきた。
ここには飛行機型のジャングルジムがある。
このあたりで善福寺川緑地はそろそろ終わり。
しばらくするとまたピンクのサクラ。前回に書いた名前の書かれていなかった最初のピンクのサクラに似ている。ここでも名前はわからず。ひょっとしたらサクラではなくハナカイドウかも知れない。でも花びらの先が割れているからやはりサクラかな。
まあとにかくサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(5回目)
なぜかこの付近だけ散った花びらが多い。
先ほどのピンクのサクラはまだ満開になっていないから、その花びらではない。そして周りにソメイヨシノも見当たらず。風の影響で違う場所で散った花びらの吹き溜まりになっているのだろうか。ちょっと不思議。
現地に標識はないものの、
この白山前橋から先が和田堀公園。
工事で通行止めかと思ったら、
工事は対岸。
右岸に広がる「はらっぱ広場」。
先ほどの花びらはここから飛んできたのかも。
大成橋の先は、
右岸沿いに道はないし、
左岸は工事中だったので、
左岸の少し奥からケヤキ広場に入る。
以前にも写真を撮った和田堀池手前の飲食店は、
隣が釣り堀だった。
外から釣り堀の様子はうかがえず。
水面が落ち葉だらけだった和田堀池は、
それがなくなって多少は見られる風景になっていた。
ナゾにゴリラがいるお店で、
今回は犬を発見。ゴールデンレトリーバー?
そのぬいぐるみのある飲食店の裏にもお花見スペース。
先ほどの「はらっぱ広場」と同じくご近所さんオンリーの雰囲気。
モクレンでも咲いているのかと思って近づいてみると、
花に見えていたのは新しい葉が立っている姿。
調べてみるとビワのようなのだがイマイチ自信なし。
また川岸を歩く。
前回はこの付近で生まれて初めてカワセミを目撃した。鳥に特別の興味はないのになぜか感激。サクラ的には尾崎橋で切り上げてもよかったのに、和田堀公園まで足を伸ばしたのはまたカワセミを見られるかなとの期待半分で。
しかし残念ながらこの日はカワセミを拝めず(>_<)
野球場のそばにもサクラが何本か。
そして対岸の民家に生えているサクラが、
公園以上に立派でビックリ。
大宮橋を越えて、
左岸に広がるのがワンパク広場。
広い芝生にサクラが点在していて素敵な場所。
1月の終わりにここで見たのはこの満開のウメ。
寂しい冬の景色の中にいきなり現れたのでよく覚えている。
もちろんもう花はないが、
今はたくさんの実をつけている。
子供の成長を見るようでうれしいゾ(^^ゞ
下流に向かって歩き、
工事通行止めで少し川から離れて歩き、
さらに歩いて、
武蔵野橋に到着。
ここで和田堀公園は終了。
このスロープのようなものは杉並区立の済美(せいび)公園。
ここで前回に発見したナゾの魚道もどきを再び観察する。
右が下流。
川を遡ってくる魚を誘い込むような構造。
川の端を通って、
途中になぜか障害物のような箇所があったり、
幅が狭まったりしているが上流側で川とつながっている。
しかしこの区間、川の本流には魚の遡上あるいは往来を阻害する堰(せき)などはないのだ。だから単に川幅を柵で仕切ったに過ぎず魚道ではないはず。まったくナゾの構造物でネットでも手がかりを得られず。杉並区に問い合わせてみたい気分。
済美公園の上から眺める。
視点を変えてもナゾは解けず。
さらに下流の熊野橋と紅葉橋の間にもサクラがたくさんあった。
そろそろ夕日の時刻。
環七通りに出る手前にあったのは、
キクモモ(だと思う)。
花びらが菊のように細長い桃。
そして今度こそモクレン。
奥のサクラの手前が環七通り。
ここは水道用の水を取水しているのではなく、善福寺川が洪水になりそうなときに、環七通りの下に備えた貯水槽トンネルに流すための設備がある。
善福寺川にサヨナラして、
環七通りに出る。
善福寺川緑地に着いてから約3時間歩いて、本日のサクラ散歩はここで終了。
善福寺川緑地は圧倒的なサクラのボリュームがあったし、
和田堀公園はのんびりできるお花見スポットが点在している。
それでも前回に書いたように知名度が低いのでそれほど混雑していない。
こういうところが他にもないのか探してみたい。
おしまい
善福寺川緑地を上流の西田橋から尾崎橋まで歩いてきて、
現在位置がこちら。
びっしりと桜並木が並んでいる尾崎橋上流。
それと較べて下流は様相が一変するけれど、
お花見散歩は続行。
尾崎橋の下流すぐのところにある銅像。
1月の終わりに梅里中央公園でロウバイを見た帰りに立ち寄ったときは、誰かに暖かそうなストールを着せてもらっていた。ところでこの銅像をネットで調べると「川の声」との名前らしい。しかしどれも伝聞ばかりできちんとした情報がないし、東京都公園協会のマップにも載っていない。台座に書かれている文字も見忘れた。
なので作者はわからないし銅像の性別も不明。また公園内には他にも子供の銅像があるようだが、この日は見かけなかった。まあ次に来たときのお楽しみにということで。
横からも撮ってあげましょう。
このアングルのほうが可愛い。
尾崎橋から下流にもポツポツとサクラは咲いている。
しばらく歩くと、
少しまとまった規模で。
尾崎川上流より圧倒的に人は少ないので、
のんびりお花見したいのならこちらがいいかも。
さらに歩くと、
ピンクのサクラ。
名前は書かれていなかったものの、これは上流で見た紅華(こうか)だろう。
やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(前回に引き続き4回目)
成園橋で右岸に渡りしばらく歩くと、
対岸にヒコーキ広場が見えてきた。
ここには飛行機型のジャングルジムがある。
このあたりで善福寺川緑地はそろそろ終わり。
しばらくするとまたピンクのサクラ。前回に書いた名前の書かれていなかった最初のピンクのサクラに似ている。ここでも名前はわからず。ひょっとしたらサクラではなくハナカイドウかも知れない。でも花びらの先が割れているからやはりサクラかな。
まあとにかくサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(5回目)
なぜかこの付近だけ散った花びらが多い。
先ほどのピンクのサクラはまだ満開になっていないから、その花びらではない。そして周りにソメイヨシノも見当たらず。風の影響で違う場所で散った花びらの吹き溜まりになっているのだろうか。ちょっと不思議。
現地に標識はないものの、
この白山前橋から先が和田堀公園。
工事で通行止めかと思ったら、
工事は対岸。
右岸に広がる「はらっぱ広場」。
先ほどの花びらはここから飛んできたのかも。
大成橋の先は、
右岸沿いに道はないし、
左岸は工事中だったので、
左岸の少し奥からケヤキ広場に入る。
以前にも写真を撮った和田堀池手前の飲食店は、
隣が釣り堀だった。
外から釣り堀の様子はうかがえず。
水面が落ち葉だらけだった和田堀池は、
それがなくなって多少は見られる風景になっていた。
ナゾにゴリラがいるお店で、
今回は犬を発見。ゴールデンレトリーバー?
そのぬいぐるみのある飲食店の裏にもお花見スペース。
先ほどの「はらっぱ広場」と同じくご近所さんオンリーの雰囲気。
モクレンでも咲いているのかと思って近づいてみると、
花に見えていたのは新しい葉が立っている姿。
調べてみるとビワのようなのだがイマイチ自信なし。
また川岸を歩く。
前回はこの付近で生まれて初めてカワセミを目撃した。鳥に特別の興味はないのになぜか感激。サクラ的には尾崎橋で切り上げてもよかったのに、和田堀公園まで足を伸ばしたのはまたカワセミを見られるかなとの期待半分で。
しかし残念ながらこの日はカワセミを拝めず(>_<)
野球場のそばにもサクラが何本か。
そして対岸の民家に生えているサクラが、
公園以上に立派でビックリ。
大宮橋を越えて、
左岸に広がるのがワンパク広場。
広い芝生にサクラが点在していて素敵な場所。
1月の終わりにここで見たのはこの満開のウメ。
寂しい冬の景色の中にいきなり現れたのでよく覚えている。
もちろんもう花はないが、
今はたくさんの実をつけている。
子供の成長を見るようでうれしいゾ(^^ゞ
下流に向かって歩き、
工事通行止めで少し川から離れて歩き、
さらに歩いて、
武蔵野橋に到着。
ここで和田堀公園は終了。
このスロープのようなものは杉並区立の済美(せいび)公園。
ここで前回に発見したナゾの魚道もどきを再び観察する。
右が下流。
川を遡ってくる魚を誘い込むような構造。
川の端を通って、
途中になぜか障害物のような箇所があったり、
幅が狭まったりしているが上流側で川とつながっている。
しかしこの区間、川の本流には魚の遡上あるいは往来を阻害する堰(せき)などはないのだ。だから単に川幅を柵で仕切ったに過ぎず魚道ではないはず。まったくナゾの構造物でネットでも手がかりを得られず。杉並区に問い合わせてみたい気分。
済美公園の上から眺める。
視点を変えてもナゾは解けず。
さらに下流の熊野橋と紅葉橋の間にもサクラがたくさんあった。
そろそろ夕日の時刻。
環七通りに出る手前にあったのは、
キクモモ(だと思う)。
花びらが菊のように細長い桃。
そして今度こそモクレン。
奥のサクラの手前が環七通り。
ここは水道用の水を取水しているのではなく、善福寺川が洪水になりそうなときに、環七通りの下に備えた貯水槽トンネルに流すための設備がある。
善福寺川にサヨナラして、
環七通りに出る。
善福寺川緑地に着いてから約3時間歩いて、本日のサクラ散歩はここで終了。
善福寺川緑地は圧倒的なサクラのボリュームがあったし、
和田堀公園はのんびりできるお花見スポットが点在している。
それでも前回に書いたように知名度が低いのでそれほど混雑していない。
こういうところが他にもないのか探してみたい。
おしまい
2024年04月11日
善福寺川緑地で満開のサクラ
気象庁が東京での満開宣言を出したのが4月4日。4月になってからは冴えない天気が続いたものの、7日の日曜日は久しぶりの快晴、最高気温も22.6度まで上がった。このチャンスを逃すまいと出かけてきたのが、2つ設定した今年の花見メインイベントのひとつである善福寺川緑地と和田堀公園。
この2つは杉並区を流れる善福寺川の川岸にある。地図では境界線に赤い破線が引かれているけれど、現地では特に標識もなくまったくのシームレス。どちらも都立公園で開園時期も同じなのに、なぜ別々の公園とされているのかが不思議。緑地と公園と名前も違うが造りや雰囲気としても大きな違いはない。
ここは善福寺川緑地が18ヘクタール、和田堀公園は26ヘクタール。合計した44ヘクタールは83カ所ある都立公園でもトップ10相当の広さで、井の頭公園や駒沢公園より広い。前から訪れてみたいと思いながら機会がなかったが、今年の1月27日に梅里中央公園へロウバイを見に行った帰りに初めて立ち寄った。
そのとき川岸にたくさんのサクラが植えられているのを知り、
これはさぞ美しい桜並木に違いないと花見の候補地となる。
また「梅」里の次にサクラなのも面白いかとコッソリ気に入って(^^ゞ
梅里中央公園のときに降りた地下鉄丸ノ内線・新高円寺駅から
一駅先の南阿佐ヶ谷駅で下車。
このケヤキ並木はJRの阿佐ヶ谷駅に通じている。
丸ノ内線と並行して走っているのは青梅街道。
少しだけ西に進んで路地へ左折。
すぐに住宅地に入り道なりに歩いて、
この突き当たりで左を向くと、
目的地の地名が現れた。
大規模なマンション沿いに直進すると、
善福寺川に架かる橋に到着。
これは天王橋で、
下のマップで最も北側に描かれている場所。
とりあえず上流(西側)に向かって歩き出す。
このフェンスは見覚えがあるぞ。
こちらの黄色いテープが貼られた突き出している枝も。
お帰りなさいといわれているような気分でちょっとうれしい。
その先にあったサクラは山桜のように開花初期から葉を出していた。山桜の茶色い葉と違ってグリーンなのは、先日に池上本門寺で見た笹部桜と同じで花の形も似ている。しかし品種を示すプレートはなし。オオシマザクラかも知れないが、あの特有の香りはなかった。
右岸(上流から下流を見て右側)にあるセンター広場。
桜が咲き出せば、そろそろ新緑の季節の始まりでもある。
対岸のサクラを眺める。
どうよ、このウエーブと満開の咲きっぷり。
前回、左岸から右岸に橋を渡らずに出た?と勘違いした護岸工事の壁が現れた。
工事中なので、右岸を歩けるのはこの西田橋まで。
さらに上流に3つの橋があるが、
西田橋から見る限りサクラはここまでみたい。
下流側を向いて。
ここからは左岸を歩く。
サクラの下を歩くのも、
枝の伸びている満開のサクラを眺めるのも、
あるいは新緑との対比を楽しむのもすべてよし。
来てよかった!
先ほどのグリーンの葉を出していたサクラを対岸に眺める。
離れて見るとソメイヨシノとの違いが一目瞭然。
レジャーシートを広げる人々。
まだほとんど咲いていないものの、
ピンクの色をしたサクラが現れた。
やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。
品種名が書いてあるかと思ったら、
ただの番号だった(^^ゞ
ピンクのサクラを見た後に、改めてソメイヨシノを眺めると異様なくらい白い。この白さにちょっと幽霊的な怖さを感じるときもある。だから私はアンチ・ソメイヨシノ派。大規模に咲いていたり、風景としておもしろいところ以外にはあまり見に行かない。
チューリップとサクラ。
黄色いヤマブキとサクラ。
カラフルなチューリップやヤマブキと一緒だと、
より一層ソメイヨシノの白さが目立つ。
白いソメイヨシノの向こうにまたピンクのサクラが見えてきた。
紅華という品種。
お台場シンボルプロムナード公園で一度だけ見たことがある。
先ほどのピンクと違って、こちらは八重咲き。
つぼみの数は多くのないので、
満開になってもソメイヨシノのようなボリュームは出ないと思われる。
でも、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(2回目)
ほら真っ白いソメイヨシノは味気ないでしょと、
アンチ・ソメイヨシノ派の拡大に努めるワタシ(^^ゞ
次に現れたピンクは近所のかむろ坂でおなじみの陽光。
わりと知名度のある河津桜によく似た品種である。
陽光はソメイヨシノの少し前から咲くので、もう散りかけ。
しかし陽光は萼がとても赤いので、散りかけも可愛い。
(萼:がく:花びらを支えている部分)
そして、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(3回目)
まっ、文句ばかり言っていても楽しくないので、
本日はこの圧倒的なボリュームを楽しみましょう。
最初の天王橋に戻ってきた。
善福寺川緑地についてここまで約1時間。
ここから先は両岸に連続してサクラが咲いている。
しかし川の向きが変わって少し日当たりが悪い。
左岸右岸とも人出が多い。
人とぶつからないよう注意してサクラを見上げながら歩く。
次の相生橋を越えた先が一番見応えのあるゾーン。
これだけの桜並木なのに、善福寺川緑地は認知度が低いというか人気がないというか、ほとんどのサクラの名所ランキングに入っていない。調べた中では唯一都内108カ所のランキングを発表しているウォーカープラスで何と50位(/o\)
尾崎橋に到着。
今まで歩いてきた上流方向を眺める。
これでランキング50位なんて信じられないでしょ。
逆に考えれば穴場で、ランキング上位のところのように激混みしていない。
善福寺川は尾崎橋で、
旧五日市街道・現都道7号の大きな道路と交差する。
そして下流側。
えっ、サクラはここで終わり?
ーーー続く
この2つは杉並区を流れる善福寺川の川岸にある。地図では境界線に赤い破線が引かれているけれど、現地では特に標識もなくまったくのシームレス。どちらも都立公園で開園時期も同じなのに、なぜ別々の公園とされているのかが不思議。緑地と公園と名前も違うが造りや雰囲気としても大きな違いはない。
ここは善福寺川緑地が18ヘクタール、和田堀公園は26ヘクタール。合計した44ヘクタールは83カ所ある都立公園でもトップ10相当の広さで、井の頭公園や駒沢公園より広い。前から訪れてみたいと思いながら機会がなかったが、今年の1月27日に梅里中央公園へロウバイを見に行った帰りに初めて立ち寄った。
そのとき川岸にたくさんのサクラが植えられているのを知り、
これはさぞ美しい桜並木に違いないと花見の候補地となる。
また「梅」里の次にサクラなのも面白いかとコッソリ気に入って(^^ゞ
梅里中央公園のときに降りた地下鉄丸ノ内線・新高円寺駅から
一駅先の南阿佐ヶ谷駅で下車。
このケヤキ並木はJRの阿佐ヶ谷駅に通じている。
丸ノ内線と並行して走っているのは青梅街道。
少しだけ西に進んで路地へ左折。
すぐに住宅地に入り道なりに歩いて、
この突き当たりで左を向くと、
目的地の地名が現れた。
大規模なマンション沿いに直進すると、
善福寺川に架かる橋に到着。
これは天王橋で、
下のマップで最も北側に描かれている場所。
とりあえず上流(西側)に向かって歩き出す。
このフェンスは見覚えがあるぞ。
こちらの黄色いテープが貼られた突き出している枝も。
お帰りなさいといわれているような気分でちょっとうれしい。
その先にあったサクラは山桜のように開花初期から葉を出していた。山桜の茶色い葉と違ってグリーンなのは、先日に池上本門寺で見た笹部桜と同じで花の形も似ている。しかし品種を示すプレートはなし。オオシマザクラかも知れないが、あの特有の香りはなかった。
右岸(上流から下流を見て右側)にあるセンター広場。
桜が咲き出せば、そろそろ新緑の季節の始まりでもある。
対岸のサクラを眺める。
どうよ、このウエーブと満開の咲きっぷり。
前回、左岸から右岸に橋を渡らずに出た?と勘違いした護岸工事の壁が現れた。
工事中なので、右岸を歩けるのはこの西田橋まで。
さらに上流に3つの橋があるが、
西田橋から見る限りサクラはここまでみたい。
下流側を向いて。
ここからは左岸を歩く。
サクラの下を歩くのも、
枝の伸びている満開のサクラを眺めるのも、
あるいは新緑との対比を楽しむのもすべてよし。
来てよかった!
先ほどのグリーンの葉を出していたサクラを対岸に眺める。
離れて見るとソメイヨシノとの違いが一目瞭然。
レジャーシートを広げる人々。
まだほとんど咲いていないものの、
ピンクの色をしたサクラが現れた。
やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。
品種名が書いてあるかと思ったら、
ただの番号だった(^^ゞ
ピンクのサクラを見た後に、改めてソメイヨシノを眺めると異様なくらい白い。この白さにちょっと幽霊的な怖さを感じるときもある。だから私はアンチ・ソメイヨシノ派。大規模に咲いていたり、風景としておもしろいところ以外にはあまり見に行かない。
チューリップとサクラ。
黄色いヤマブキとサクラ。
カラフルなチューリップやヤマブキと一緒だと、
より一層ソメイヨシノの白さが目立つ。
白いソメイヨシノの向こうにまたピンクのサクラが見えてきた。
紅華という品種。
お台場シンボルプロムナード公園で一度だけ見たことがある。
先ほどのピンクと違って、こちらは八重咲き。
つぼみの数は多くのないので、
満開になってもソメイヨシノのようなボリュームは出ないと思われる。
でも、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(2回目)
ほら真っ白いソメイヨシノは味気ないでしょと、
アンチ・ソメイヨシノ派の拡大に努めるワタシ(^^ゞ
次に現れたピンクは近所のかむろ坂でおなじみの陽光。
わりと知名度のある河津桜によく似た品種である。
陽光はソメイヨシノの少し前から咲くので、もう散りかけ。
しかし陽光は萼がとても赤いので、散りかけも可愛い。
(萼:がく:花びらを支えている部分)
そして、やはりサクラは淡いピンクでなければ。
これこそが桜色。(3回目)
まっ、文句ばかり言っていても楽しくないので、
本日はこの圧倒的なボリュームを楽しみましょう。
最初の天王橋に戻ってきた。
善福寺川緑地についてここまで約1時間。
ここから先は両岸に連続してサクラが咲いている。
しかし川の向きが変わって少し日当たりが悪い。
左岸右岸とも人出が多い。
人とぶつからないよう注意してサクラを見上げながら歩く。
次の相生橋を越えた先が一番見応えのあるゾーン。
これだけの桜並木なのに、善福寺川緑地は認知度が低いというか人気がないというか、ほとんどのサクラの名所ランキングに入っていない。調べた中では唯一都内108カ所のランキングを発表しているウォーカープラスで何と50位(/o\)
尾崎橋に到着。
今まで歩いてきた上流方向を眺める。
これでランキング50位なんて信じられないでしょ。
逆に考えれば穴場で、ランキング上位のところのように激混みしていない。
善福寺川は尾崎橋で、
旧五日市街道・現都道7号の大きな道路と交差する。
そして下流側。
えっ、サクラはここで終わり?
ーーー続く
2024年04月09日
やはり中目黒の桜の枝は切られていた
3月31日にかむろ坂と目黒川へ、まだほとんど咲いていないサクラの桜祭りを見に出かけたとき、中目黒周辺の桜の枝が短くなっているとブログ書いた。
<それをもう一度掲載>
ところでこの日にサクラがほとんど咲いていないのは先ほど紹介したとおり
なのだけれど、写真を整理していてある違いに気がついた。
これは本日と以前の満開のときに撮った写真の比較。
建物や水路に垂れ下がっている草で同じ場所だとわかると思う。
花数が違うのは一目瞭然だとして、川の内側に延びている枝の長さが違う
ような気がする。また満開時のサクラは川の下に垂れている。これって花の
重みでそうなるのかな?
満開の撮影はミラーレスのデジカメで今回はiPhone。レンズの画角が違う
からそのように見えるだけなのか。何となく不思議。
またカメラレンズの画角の差以外に、花がほとんど咲いていないからボリュームが違って見えてそう思うのかとも考えていた。そして4月4日に気象庁が東京での満開宣言を出す。するとこのことがやたら気になり(^^ゞ 、翌5日に中目黒で途中下車して確かめてきた。
もう夕方で雨が降りそうな天気だったのでショボい風景ではあるものの、それを差し引いても明らかに枝が短い。ロングヘアからショートカットへとバッサリ切った感じ。
それで調べてみると確かに切られていた。
もちろん誰かがいたずらで切ったのではなく剪定という木の手入れ。
目黒区のこの広報ページによると
https://www.city.meguro.tokyo.jp/meguroplus/20230322.html
2024年1月から、大橋から日の出橋までの約1.6キロメートルにかけて、
目黒川沿道の桜の樹勢回復と剪定(せんてい)作業が行われました。
この桜の保護の取り組みは、平成30年に策定した「目黒川サクラ再生実行計画」に
基づくもので、今回は、314本の桜に対して「樹勢回復」と「基本剪定」を行いました。
と書かれている。
樹勢回復とは穴を掘って圧縮空気を噴射して固まった土をほぐし、肥料と多孔質の土を土壌改良材として投入と別の資料にあった。
平成30年に計画を策定して、どうして今頃になって実施なのか不思議。それはさておき今回施工されたのは目黒川が始まる上流の大橋から、中目黒駅の高架を超えた先にある日の出橋まで。目黒区を流れる目黒川の2/5ほどの範囲。
ちなみに
地図を見てわかるようにJRの目黒駅が実は品川区にあるのは、
そこそこ有名なトリビア。
目黒川サクラ再生実行計画は区内目黒川全域が対象なので、これからも剪定は続く予定。目黒川のお花見で一番賑わうのは、オシャレな出店が並ぶ中目黒駅から上流の大橋方向へ1/3ほどのエリアだが、サクラとして見応えのあるのは逆に中目黒駅から下流に向かって目黒通りと交差するまでの範囲。
これは中目黒駅から下流7つ目にある中里橋から昨年撮った風景。
参考までに目黒区内で目黒川に架かる橋は27本ある。
このこんもりとした風景も来年からしばらくは見られなくなるのか。
それはちょっと寂しいので駅周辺のようにバッサリやって欲しくないな。
剪定はサクラの手入れとして必要だし、
いずれは枝も伸びて元に戻るはず。
問題はそれまで長生きできるかどうか(^^ゞ
<それをもう一度掲載>
ところでこの日にサクラがほとんど咲いていないのは先ほど紹介したとおり
なのだけれど、写真を整理していてある違いに気がついた。
これは本日と以前の満開のときに撮った写真の比較。
建物や水路に垂れ下がっている草で同じ場所だとわかると思う。
花数が違うのは一目瞭然だとして、川の内側に延びている枝の長さが違う
ような気がする。また満開時のサクラは川の下に垂れている。これって花の
重みでそうなるのかな?
満開の撮影はミラーレスのデジカメで今回はiPhone。レンズの画角が違う
からそのように見えるだけなのか。何となく不思議。
またカメラレンズの画角の差以外に、花がほとんど咲いていないからボリュームが違って見えてそう思うのかとも考えていた。そして4月4日に気象庁が東京での満開宣言を出す。するとこのことがやたら気になり(^^ゞ 、翌5日に中目黒で途中下車して確かめてきた。
もう夕方で雨が降りそうな天気だったのでショボい風景ではあるものの、それを差し引いても明らかに枝が短い。ロングヘアからショートカットへとバッサリ切った感じ。
それで調べてみると確かに切られていた。
もちろん誰かがいたずらで切ったのではなく剪定という木の手入れ。
目黒区のこの広報ページによると
https://www.city.meguro.tokyo.jp/meguroplus/20230322.html
2024年1月から、大橋から日の出橋までの約1.6キロメートルにかけて、
目黒川沿道の桜の樹勢回復と剪定(せんてい)作業が行われました。
この桜の保護の取り組みは、平成30年に策定した「目黒川サクラ再生実行計画」に
基づくもので、今回は、314本の桜に対して「樹勢回復」と「基本剪定」を行いました。
と書かれている。
樹勢回復とは穴を掘って圧縮空気を噴射して固まった土をほぐし、肥料と多孔質の土を土壌改良材として投入と別の資料にあった。
平成30年に計画を策定して、どうして今頃になって実施なのか不思議。それはさておき今回施工されたのは目黒川が始まる上流の大橋から、中目黒駅の高架を超えた先にある日の出橋まで。目黒区を流れる目黒川の2/5ほどの範囲。
ちなみに
地図を見てわかるようにJRの目黒駅が実は品川区にあるのは、
そこそこ有名なトリビア。
目黒川サクラ再生実行計画は区内目黒川全域が対象なので、これからも剪定は続く予定。目黒川のお花見で一番賑わうのは、オシャレな出店が並ぶ中目黒駅から上流の大橋方向へ1/3ほどのエリアだが、サクラとして見応えのあるのは逆に中目黒駅から下流に向かって目黒通りと交差するまでの範囲。
これは中目黒駅から下流7つ目にある中里橋から昨年撮った風景。
参考までに目黒区内で目黒川に架かる橋は27本ある。
このこんもりとした風景も来年からしばらくは見られなくなるのか。
それはちょっと寂しいので駅周辺のようにバッサリやって欲しくないな。
剪定はサクラの手入れとして必要だし、
いずれは枝も伸びて元に戻るはず。
問題はそれまで長生きできるかどうか(^^ゞ
2024年04月08日
サクラ三分咲きの池上本門寺をブラブラ
4月2日は3月29日に開花宣言が出されたばかり。ソメイヨシノはまだ咲きそろっていないので、妙見坂のしだれ桜を見るだけのつもりだった。しかし前回に書いたように妙見堂まで登ると、そこは池上本門寺の墓地エリアとつながっていた。だったら本門寺にも寄ってから帰るかと。
まだ三分咲きくらい。
サクラは開花して時間が経つと中心部が赤くなってくる。
これはまさに咲きたてで真っ白。
ところでソメイヨシノの色がもはや「桜色」ではなく真っ白なことについてはほぼ毎年のように書いている。多少色があるように見えるのは開花からしばらくして中心部が赤くなってから。「もはや」と書いたのは子供の頃は花びらが淡いピンクだったと思うから。それは確信しているものの具体的な確証はない。それでも戦後になって一斉に植えられたソメイヨシノの老木化によって、あるいは地球環境の変化で色が抜けた説を何となく信じている。
しかしソメイヨシノのツボミはピンクなんだよな。
このピンクがどこに消えてしまうのかが不思議。
マスコミはこの時期になるとお花見情報を盛んに流すが、
ソメイヨシノの色についても掘り下げて ↓ 取り上げて ↑ 欲しいな。
妙見坂に向かう途中で写真を載せた池上会館の屋上部分。
屋上フロアと展望台がある。
以前にも来ているけれどとりあえず。
まあ大田区の町並みが見えるだけ。
妙見坂のしだれ桜を上から眺める。
お墓もたくさん見える(^^ゞ
馬鹿と煙は高いところーーーなので展望台にも。
ところでこのフレーズ、最近はほとんど聞かなくなった気がする。
展望台から見下ろした屋上フロア。
この展望台の価値は五重塔を高い視点で眺められるところ。
屋上フロアのお花あれこれ。
なお池上会館には屋上フロアまで通じるエレベーターがあるので、本門寺あるいは妙見堂を訪れるのに階段を上りたくなければ、こちらを利用するといい。
池上会館屋上を離れて五重塔に近づく。
少し斜めのほうが格好いい。
サクラ越しに見るにはまだ花数が少なすぎた。
寺まで犬猫を持ってきて捨てる輩がいるらしい。
力道山のお墓は前回に「墓マイラー」をしたので、
今回はいいでしょう。
春色着物のお姉様が撮っているのは笹部(ささべ)桜。
フェンスで囲われて他のサクラとは別格扱い。
色は基本的に白。
山桜と同じく開花初期から葉を出すのが特徴。
ただし山桜のように茶色の葉ではないので爽やかな印象。
こちらはピンクの花も混ざっているが突然変異的な発色かと思う。前回は白とピンクが混ざった源平咲きのような花も見た。
巨大な本堂。
本門寺では大堂と呼ぶ。
この大堂とは別に同規模の本殿もあるから少しややこしい。
大堂:日蓮を祀っている
本殿:釈迦のおわします殿堂
との区別らしい。
ただし大堂と本殿でメインとなっているのは圧倒的に大堂。本殿はあまり人の来ない境内の奥のエリアにある。だからほとんどの参拝客は釈迦ではなく日蓮を拝んで帰る。日蓮宗は何事も日蓮ファーストな宗派。でもいわゆる仏も無碍(むげ)にはできないから、いわば日蓮と釈迦のツートップ体制として、本堂の言葉を使わずに大堂と本殿の使い分けをしているようだ。本殿はそもそも神社の建物に使われる用語。
それにしても信仰の対象が人間なんてちょっと神道っぽい。そういえば代表的仏教で僧侶の名前がついているのは日蓮宗だけである。
もっとも真言宗だって空海が信仰の対象のようなものだし、浄土真宗では本尊の阿弥陀如来の左右に親鸞と蓮如の像を並べる。キリスト教でも多くの聖人が崇拝され、その名を記した教会も建てられているから、これは宗教あるあるなパターンなのかも知れない。
なお一般に最も大切な信仰の対象する仏像・経典・仏塔などを本尊といい、それを安置する場所が本堂。日蓮宗の本尊は大曼荼羅(だいまんだら)と呼ぶ。これは漢字・梵字で記された仏や菩薩、仏弟子、天台系の学僧、インドや中国と日本の神々の名号などを配置しており、オリジナルは日蓮が作成した書類。本尊が文字だけなのはめずらしく日蓮宗だけなのでは?
大堂は斜めからの眺めほうがスケール感をつかみやすいかも。
チューリップが参道の両サイドに。
以前は本堂の前に置かれていただけだから本数が10倍以上は増えている。
大きな寺にある線香を焚くこれは常香炉(じょうこうろ)と呼ばれる。
線香の煙を頭にこすりつければ賢くなるなどといわれ、子供の頃は煙たいのをガマンしてゴシゴシやったものだが、そんなのは迷信だと現実が証明した(^^ゞ
池上本門寺で笹部桜以外にフェンスで囲われているサクラがこれ。
まだ開花していなかった。
身延山(みのぶさん)は富士山の西、山梨県南部にある標高1153mの山。その中腹400m付近にあるのが久遠寺(くおんじ)で、そこが日蓮宗の総本山。
日蓮は鎌倉時代(1185〜1333年)中期の1222年に千葉県鴨川に生まれ、あれこれあった後、晩年となった1274年に身延山に入る。1277年頃より体調を崩し、1282年に温泉療養のため茨城県水戸に向かう途中に立ち寄った、この池上の地で亡くなった。久遠寺の創建は1281年、池上本門寺は1282年。
身延山は比叡山と高野山と共に日本仏教三大霊山とされているものの、それらと較べると知名度はかなり低い。なお日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)という内部分裂した宗派が別にあり、そちらの総本山は静岡県富士宮市の大石寺(たいせきじ)。浄土真宗の西本願寺と東本願寺のような関係か。
本門寺の中心エリアに横から入ったため仁王門を後ろから。
前に出て正面からと仁王像。
そして仁王像といえば恒例のビーチクチェック!
仏像で乳首があるのは金剛力士像だけで、なぜかやたら目立っているものが多い。
本門寺のはそれほどではなかった。これは「花乳首」といわれるタイプ。
総門からの階段を見下ろす。
此経難持坂(しきょうなんじざか)の名称で96段ある。妙見坂は111段だった。
仁王門の近くにあるのが日蓮聖人像。
白く輝いているのはこの銅像が一般的なブロンズ(青銅)ではなくアルミで作られているから。「銅」像というくらいでアルミ製はほとんど見ない気がする。
お前、何様のつもりや?とここの境内で口走ってはいけません(^^ゞ
大堂の横に戻って仁王門方向。
三重塔が新築されていた。
儲かってまんなあ本門寺はん!
本門寺のトイレは利用時間制限あり。
ゾウさん発見。
お釈迦様の誕生日を祝う行事が花まつり。キリスト誕生日のクリスマスみたいなもの。正式名称は灌仏会(かんぶつえ)。花を飾った台に誕生時の釈迦をかたどった仏像を置き、それに甘茶(あまちゃ)をかける儀式が一般的。甘茶とはアジサイの仲間で作ったお茶で、その名の通り甘いらしい。ちなみに誕生日はこのブログを書いている本日4月8日。
仁王門や大堂のあるエリアから道路を挟んで向こう側にあるのは、写真中央奥が本殿で右側が寺務所。大堂の周りと較べるとほとんど人がいない。
両者を隔ている道路は紅葉坂。
しかし下まで降りてみてもモミジの木はなかったけどーーー
前回2021年と今回で散策したのは、仁王門、大堂、五重塔のあるエリアでほぼ同じ。
本殿やその他の場所もそのうち探検してみたい。
ただし自宅からはビミョーに遠いというか、
電車を何本か乗り換えなければならないのがネック。
ところで池上本門寺は広いのだけれど、その面積については「約7万坪で、これは法華経の文字数(69,684字)に由来する」との情報ばかりがヒットする。いつも書くようにネット情報はコピペの繰り返しだから当てにならない場合が多い。
その7万坪は23ヘクタールに相当する。しかしこれは日蓮が亡くなったこの地に寺を建てるために寄進された面積。大抵の寺社の敷地は時代が経つにつれて減っていくもの。隣接する3ヘクタール弱の大田区立本門寺公園も元は寺の敷地だったし、0.85ヘクタールの池上梅園は日本画家の伊東深水邸跡だが、その以前は本門寺境内だっだんじゃないかなあ。
そんなことが気になる私は敷地面積マニア(^^ゞ
まだ三分咲きくらい。
サクラは開花して時間が経つと中心部が赤くなってくる。
これはまさに咲きたてで真っ白。
ところでソメイヨシノの色がもはや「桜色」ではなく真っ白なことについてはほぼ毎年のように書いている。多少色があるように見えるのは開花からしばらくして中心部が赤くなってから。「もはや」と書いたのは子供の頃は花びらが淡いピンクだったと思うから。それは確信しているものの具体的な確証はない。それでも戦後になって一斉に植えられたソメイヨシノの老木化によって、あるいは地球環境の変化で色が抜けた説を何となく信じている。
しかしソメイヨシノのツボミはピンクなんだよな。
このピンクがどこに消えてしまうのかが不思議。
マスコミはこの時期になるとお花見情報を盛んに流すが、
ソメイヨシノの色についても掘り下げて ↓ 取り上げて ↑ 欲しいな。
妙見坂に向かう途中で写真を載せた池上会館の屋上部分。
屋上フロアと展望台がある。
以前にも来ているけれどとりあえず。
まあ大田区の町並みが見えるだけ。
妙見坂のしだれ桜を上から眺める。
お墓もたくさん見える(^^ゞ
馬鹿と煙は高いところーーーなので展望台にも。
ところでこのフレーズ、最近はほとんど聞かなくなった気がする。
展望台から見下ろした屋上フロア。
この展望台の価値は五重塔を高い視点で眺められるところ。
屋上フロアのお花あれこれ。
なお池上会館には屋上フロアまで通じるエレベーターがあるので、本門寺あるいは妙見堂を訪れるのに階段を上りたくなければ、こちらを利用するといい。
池上会館屋上を離れて五重塔に近づく。
少し斜めのほうが格好いい。
サクラ越しに見るにはまだ花数が少なすぎた。
寺まで犬猫を持ってきて捨てる輩がいるらしい。
力道山のお墓は前回に「墓マイラー」をしたので、
今回はいいでしょう。
春色着物のお姉様が撮っているのは笹部(ささべ)桜。
フェンスで囲われて他のサクラとは別格扱い。
色は基本的に白。
山桜と同じく開花初期から葉を出すのが特徴。
ただし山桜のように茶色の葉ではないので爽やかな印象。
こちらはピンクの花も混ざっているが突然変異的な発色かと思う。前回は白とピンクが混ざった源平咲きのような花も見た。
巨大な本堂。
本門寺では大堂と呼ぶ。
この大堂とは別に同規模の本殿もあるから少しややこしい。
大堂:日蓮を祀っている
本殿:釈迦のおわします殿堂
との区別らしい。
ただし大堂と本殿でメインとなっているのは圧倒的に大堂。本殿はあまり人の来ない境内の奥のエリアにある。だからほとんどの参拝客は釈迦ではなく日蓮を拝んで帰る。日蓮宗は何事も日蓮ファーストな宗派。でもいわゆる仏も無碍(むげ)にはできないから、いわば日蓮と釈迦のツートップ体制として、本堂の言葉を使わずに大堂と本殿の使い分けをしているようだ。本殿はそもそも神社の建物に使われる用語。
それにしても信仰の対象が人間なんてちょっと神道っぽい。そういえば代表的仏教で僧侶の名前がついているのは日蓮宗だけである。
もっとも真言宗だって空海が信仰の対象のようなものだし、浄土真宗では本尊の阿弥陀如来の左右に親鸞と蓮如の像を並べる。キリスト教でも多くの聖人が崇拝され、その名を記した教会も建てられているから、これは宗教あるあるなパターンなのかも知れない。
なお一般に最も大切な信仰の対象する仏像・経典・仏塔などを本尊といい、それを安置する場所が本堂。日蓮宗の本尊は大曼荼羅(だいまんだら)と呼ぶ。これは漢字・梵字で記された仏や菩薩、仏弟子、天台系の学僧、インドや中国と日本の神々の名号などを配置しており、オリジナルは日蓮が作成した書類。本尊が文字だけなのはめずらしく日蓮宗だけなのでは?
大堂は斜めからの眺めほうがスケール感をつかみやすいかも。
チューリップが参道の両サイドに。
以前は本堂の前に置かれていただけだから本数が10倍以上は増えている。
大きな寺にある線香を焚くこれは常香炉(じょうこうろ)と呼ばれる。
線香の煙を頭にこすりつければ賢くなるなどといわれ、子供の頃は煙たいのをガマンしてゴシゴシやったものだが、そんなのは迷信だと現実が証明した(^^ゞ
池上本門寺で笹部桜以外にフェンスで囲われているサクラがこれ。
まだ開花していなかった。
身延山(みのぶさん)は富士山の西、山梨県南部にある標高1153mの山。その中腹400m付近にあるのが久遠寺(くおんじ)で、そこが日蓮宗の総本山。
日蓮は鎌倉時代(1185〜1333年)中期の1222年に千葉県鴨川に生まれ、あれこれあった後、晩年となった1274年に身延山に入る。1277年頃より体調を崩し、1282年に温泉療養のため茨城県水戸に向かう途中に立ち寄った、この池上の地で亡くなった。久遠寺の創建は1281年、池上本門寺は1282年。
身延山は比叡山と高野山と共に日本仏教三大霊山とされているものの、それらと較べると知名度はかなり低い。なお日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)という内部分裂した宗派が別にあり、そちらの総本山は静岡県富士宮市の大石寺(たいせきじ)。浄土真宗の西本願寺と東本願寺のような関係か。
本門寺の中心エリアに横から入ったため仁王門を後ろから。
前に出て正面からと仁王像。
そして仁王像といえば恒例のビーチクチェック!
仏像で乳首があるのは金剛力士像だけで、なぜかやたら目立っているものが多い。
本門寺のはそれほどではなかった。これは「花乳首」といわれるタイプ。
総門からの階段を見下ろす。
此経難持坂(しきょうなんじざか)の名称で96段ある。妙見坂は111段だった。
仁王門の近くにあるのが日蓮聖人像。
白く輝いているのはこの銅像が一般的なブロンズ(青銅)ではなくアルミで作られているから。「銅」像というくらいでアルミ製はほとんど見ない気がする。
お前、何様のつもりや?とここの境内で口走ってはいけません(^^ゞ
大堂の横に戻って仁王門方向。
三重塔が新築されていた。
儲かってまんなあ本門寺はん!
本門寺のトイレは利用時間制限あり。
ゾウさん発見。
お釈迦様の誕生日を祝う行事が花まつり。キリスト誕生日のクリスマスみたいなもの。正式名称は灌仏会(かんぶつえ)。花を飾った台に誕生時の釈迦をかたどった仏像を置き、それに甘茶(あまちゃ)をかける儀式が一般的。甘茶とはアジサイの仲間で作ったお茶で、その名の通り甘いらしい。ちなみに誕生日はこのブログを書いている本日4月8日。
仁王門や大堂のあるエリアから道路を挟んで向こう側にあるのは、写真中央奥が本殿で右側が寺務所。大堂の周りと較べるとほとんど人がいない。
両者を隔ている道路は紅葉坂。
しかし下まで降りてみてもモミジの木はなかったけどーーー
前回2021年と今回で散策したのは、仁王門、大堂、五重塔のあるエリアでほぼ同じ。
本殿やその他の場所もそのうち探検してみたい。
ただし自宅からはビミョーに遠いというか、
電車を何本か乗り換えなければならないのがネック。
ところで池上本門寺は広いのだけれど、その面積については「約7万坪で、これは法華経の文字数(69,684字)に由来する」との情報ばかりがヒットする。いつも書くようにネット情報はコピペの繰り返しだから当てにならない場合が多い。
その7万坪は23ヘクタールに相当する。しかしこれは日蓮が亡くなったこの地に寺を建てるために寄進された面積。大抵の寺社の敷地は時代が経つにつれて減っていくもの。隣接する3ヘクタール弱の大田区立本門寺公園も元は寺の敷地だったし、0.85ヘクタールの池上梅園は日本画家の伊東深水邸跡だが、その以前は本門寺境内だっだんじゃないかなあ。
そんなことが気になる私は敷地面積マニア(^^ゞ
2024年04月06日
妙見坂のしだれ桜は1本だけだった
東京のサクラ開花宣言はここ数年と較べて2週間ほど遅い3月29日。最初の日曜日である最高気温28.1度となった3月31日には当然ながらまだ一分咲き以下。でも準備の都合でその日に開催された(せざるを得なかった)サクラ祭りを「サクラの咲いていないサクラ祭りなんて、めったに経験できる機会はない」とヘソ曲がりな動機で自宅近くの2会場をハシゴしてきたのは前回までに書いた通り。
3月29日に開花すれば満開になるのは4月4日か5日当たりになる。しかし4月1日の夜に天気予報を見ると、どうも今年のサクラは天候に恵まれないようだ。晴れマークが付いているのは4月2日と6日しかなく傘マークのほうが多い(>_<)
本当は6日と7日の土日にのんびりとサクラ三昧をしたかったが、この時点で週末6日の晴れマークも当てにできないし、とりあえず雨の降らない2日にも見ておくかと外出の途中に時間をやりくりして訪れたのが妙見坂のしだれ桜。
ちなみに6日&7日には某所と某所にあるしだれ桜2カ所と、某所の川沿いのサクラを見に出かけるつもりだった。だから妙見坂は今年のメインイベントに入っていなかった補欠候補。しだれ桜があるところをあれこれ探していて見つけた。
そしてこのブログを書いている本日4月6日は晴れマークが消えたこんな天候で、
2日にサクラを見てきたのは正解。
場所は2021年にサクラを見に訪れた大田区にある池上本門寺の隣。本門寺の塔頭(たっちゅう)である昭栄院の境内に妙見堂というお堂があり、そのお堂に至る坂が妙見坂。
なお塔頭(たっちゅう)とは本来は大きな寺の高僧のお墓。その高僧を慕ったり墓を守るために弟子が墓の周りに住むようになり、それが転じて大きな寺の敷地内や近くにある付属の小さな寺を意味するようになる。
五反田から池上線に乗って20分ほどで池上駅に到着。
駅ビルは2021年にオープンしたエトモ池上。
前回に来たときから、駅名の隣に池上本門寺の表示があるのはいかなる理由・いきさつなのか気になっている。池上は単に地名だが、同じ東急線で九品仏駅なんてお寺の名前が駅名なっているのにこんな表示はない。
駅から100メートルほど離れた交差点は五叉路。そのひとつがこの本門寺通りで商店街にもなっている。もっとも地元の人が日常的に買い物をするようなお店はあまりなく、参拝客向けにお店が並んだ成り立ちのように思う。
いくつかあるレトロな雰囲気のお店は前回来たときからまったく変わっていない。
おそらくこれからも変わらないはず。
写真奥の突き当たりを右に曲がると本門寺に至る道路に出るのだが、
その手前で「参道はこっち」と主張している路地があったので、
そちらを進む。
路地を抜けて左を向き正面に見えているのが池上本門寺。
世田谷区内が源流で、目黒区から大田区と流れる呑川(のみがわ)を渡る。
池上本門寺の総門。
総門とは寺の正面玄関のような存在。大門あるいは南側に造られるから南大門ともいう。対して山門はここから先は神聖なエリアだと示す門。金剛力士像が置かれていれば仁王門と呼ばれる。小さい寺だと総門と山門は共通。
池上本門寺には入らず右に進む。
朗子(ろうし)会館、池上会館と会館の多い通り。
人名で朗子だと「さえこ」「あきこ」「ときこ」などになる。
この朗子会館の名前由来を示した資料は見当たらなかったが、「朗」には「朗(ほが)らか、明るい」の意味がある。池上本門寺は合唱団、鼓笛隊、ボーイスカウト、体操クラブなど青少年向けの活動を「朗子クラブ」と名付けており、「ほがらか、明るい」子供に育って欲しいとの意味が込められているのかと思う。
池上会館の横を抜けると昭栄院が見えてきた。
正面は呑川沿い。
実は先ほどの呑川の写真にも昭栄院は写っていた。
昭栄院は小寺院だから総門を兼ねた山門。
説明が充実。
こぢんまりとした佇まい。
庭の手入れはとても行き届いている印象を受けた。
山門をくぐって左にはベニハナトキワマンサク。
花色がマンサクは黄色、トキワマンサクは白、ベニハナトキワマンサクは濃いピンクであるが、白のトキワマンサクはあまり見かけない。ベニハナトキワマンサクが紅花を省略してトキワマンサクと記される場合も多い。
右にあったのは印象的にはツバキに思えるものの、
花の形が丸くて初めて見るタイプ。
調べてみるとこれはカイドウツバキ(海棠椿)というベトナム原産の品種。ツバキは冬に咲くから南国ベトナムは想像しづらいね。別名はベトナム椿ともいい、かつてはベトナム王家が門外不出としていた幻の花なんだそう。日本に入ってきたのは1990年代といわれる。
そして昭栄院の横の路地にありました!しだれ桜。
奥の階段が妙見坂。
そこそこのサイズで期待通りに満開。
(しだれ桜はソメイヨシノより早く咲く品種が多い)
電信柱を避けて撮りましょう。
かなり高い位置で咲いており私の持っているレンズではこれで精一杯。
お寺の屋根と一緒に。
ふと振り返ると昭栄院の庭からいろいろ突き出している。
こちらは花の形が普通でも、とてもビビッドな色のツバキ。
ベニハナトキワマンサクは実をつけていた。
これはハナズオウ。
まだほとんどツボミでも色は濃い。
しだれ桜の淡いピンクとフワフワ感を背景に眺めるとキレイだった。
もう一度しだれ桜を仰ぎ見て、
さて登りますか。
1/3のところにある踊り場から見下ろす。
同じく見上げる。
それにしても階段途中の広くなったところがなぜ踊り場の名前なのだろう?
2/3を登った踊り場から。
登り切った。全部で111段!
ところで路地に入ったときから気付いていたけれど、妙見坂のしだれ桜は昭栄院の敷地にある1本だけだった(/o\) ネットで見つけたサイトで何枚かの写真を見たのは、しだれ桜が何本かあるのではなく、1本の桜の別カットだったとのオチ(^^ゞ
気を取り直して妙見堂。
樹老人は七福神のひとつ。一般的には寿老人と書く方が多い。
ひょっとしたら樹老人はここだけかも知れない。
七福神は弁財天、恵比寿、大黒天、毘沙門天、布袋、寿老人、福禄寿。しかし寿老人と福禄寿は知名度が低いかな。ましてや樹老人は超マイナーな存在。
これは第二次世界大戦の後、シンガポールのチャンギーで開かれた軍事裁判でBC級戦犯として処刑された人の慰霊碑。昭栄院の以前の住職が処刑に立ち会った縁でここに建立されたみたい。
ところで戦争犯罪人と聞くと東条英機ら28人が裁かれ、うち7名が死刑となった極東国際軍事裁判(通称は東京裁判)が有名。A級戦犯との言葉もよく聞くから、BC級戦犯はそれより軽い罪に思えるがそうではない。
BC級戦犯はA級戦犯よりはるかに多い約5700名が起訴され、そのうち約1000名に死刑判決が下されている。起訴されて死刑になった率は東京裁判が25%で、BC級戦犯が18%だからそれほど大きな違いはない。なおBC級戦犯は横浜とマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。チャンギーもそのひとつで処刑者数は129名。
さてABC級戦犯とは連合国によって布告された戦争犯罪類型の区分である
A項:平和に対する罪
B項:通例の戦争犯罪
C項:人道に対する罪
のどれで有罪になったかを意味している。
区分としてはABCと「項」なのに、戦犯すなわち人物を示すときにABCの「級」に言い換えられる理由はよくわからない。どちらも死刑があるから量刑に差はないのに「級」と書くとレベルの違いのように思えてしまう。
裁判の根拠法となった国際軍事裁判所憲章(Charter of the International Military Tribunal)を読むと「項」については (a) (b) (c) と括弧付きで書かれているだけ。戦犯をどう表現してるかはよくわからなかった。英和辞書でA級戦犯を引くと class-A war criminal が出てくるが、国際軍事裁判所憲章にその表現はなく、これは日本語表現のA級を英訳したような気もする。
もっとも第二次世界大戦がかつてないほど大規模熾烈なものであったため、戦場における「B項:通例の戦争犯罪」だけではさばききれず、戦争指導者に対する罪として「A項:平和に対する罪」が設けられたので、A級戦犯のほうがより罪が重いとの見方は必ずしも間違いではない。またA級戦犯として処刑された7名はB項でも有罪になっている。
裁判で有罪となった戦犯が「殉難」かどうかは素直に受け入れられない部分もあるものの、もはや戦後79年、ここは素直に合掌。
そこそこ大きな木。
幹はこんな感じ。そして黙ってこれにしばらく抱きついているオバチャンを二人見た。
何かスピリチュアルな儀式なんだろうか? ひょっとしてこれは「樹」老人の化身?
他には特に撮る風景もないので妙見堂の窓ガラスでも(^^ゞ
妙見堂まで階段を上がって、ここが池上本門寺の墓地エリアとつながっているとわかった。それで予定には入っていなかったが、このあと本門寺も少しブラブラ。
3月29日に開花すれば満開になるのは4月4日か5日当たりになる。しかし4月1日の夜に天気予報を見ると、どうも今年のサクラは天候に恵まれないようだ。晴れマークが付いているのは4月2日と6日しかなく傘マークのほうが多い(>_<)
本当は6日と7日の土日にのんびりとサクラ三昧をしたかったが、この時点で週末6日の晴れマークも当てにできないし、とりあえず雨の降らない2日にも見ておくかと外出の途中に時間をやりくりして訪れたのが妙見坂のしだれ桜。
ちなみに6日&7日には某所と某所にあるしだれ桜2カ所と、某所の川沿いのサクラを見に出かけるつもりだった。だから妙見坂は今年のメインイベントに入っていなかった補欠候補。しだれ桜があるところをあれこれ探していて見つけた。
そしてこのブログを書いている本日4月6日は晴れマークが消えたこんな天候で、
2日にサクラを見てきたのは正解。
場所は2021年にサクラを見に訪れた大田区にある池上本門寺の隣。本門寺の塔頭(たっちゅう)である昭栄院の境内に妙見堂というお堂があり、そのお堂に至る坂が妙見坂。
なお塔頭(たっちゅう)とは本来は大きな寺の高僧のお墓。その高僧を慕ったり墓を守るために弟子が墓の周りに住むようになり、それが転じて大きな寺の敷地内や近くにある付属の小さな寺を意味するようになる。
五反田から池上線に乗って20分ほどで池上駅に到着。
駅ビルは2021年にオープンしたエトモ池上。
前回に来たときから、駅名の隣に池上本門寺の表示があるのはいかなる理由・いきさつなのか気になっている。池上は単に地名だが、同じ東急線で九品仏駅なんてお寺の名前が駅名なっているのにこんな表示はない。
駅から100メートルほど離れた交差点は五叉路。そのひとつがこの本門寺通りで商店街にもなっている。もっとも地元の人が日常的に買い物をするようなお店はあまりなく、参拝客向けにお店が並んだ成り立ちのように思う。
いくつかあるレトロな雰囲気のお店は前回来たときからまったく変わっていない。
おそらくこれからも変わらないはず。
写真奥の突き当たりを右に曲がると本門寺に至る道路に出るのだが、
その手前で「参道はこっち」と主張している路地があったので、
そちらを進む。
路地を抜けて左を向き正面に見えているのが池上本門寺。
世田谷区内が源流で、目黒区から大田区と流れる呑川(のみがわ)を渡る。
池上本門寺の総門。
総門とは寺の正面玄関のような存在。大門あるいは南側に造られるから南大門ともいう。対して山門はここから先は神聖なエリアだと示す門。金剛力士像が置かれていれば仁王門と呼ばれる。小さい寺だと総門と山門は共通。
池上本門寺には入らず右に進む。
朗子(ろうし)会館、池上会館と会館の多い通り。
人名で朗子だと「さえこ」「あきこ」「ときこ」などになる。
この朗子会館の名前由来を示した資料は見当たらなかったが、「朗」には「朗(ほが)らか、明るい」の意味がある。池上本門寺は合唱団、鼓笛隊、ボーイスカウト、体操クラブなど青少年向けの活動を「朗子クラブ」と名付けており、「ほがらか、明るい」子供に育って欲しいとの意味が込められているのかと思う。
池上会館の横を抜けると昭栄院が見えてきた。
正面は呑川沿い。
実は先ほどの呑川の写真にも昭栄院は写っていた。
昭栄院は小寺院だから総門を兼ねた山門。
説明が充実。
こぢんまりとした佇まい。
庭の手入れはとても行き届いている印象を受けた。
山門をくぐって左にはベニハナトキワマンサク。
花色がマンサクは黄色、トキワマンサクは白、ベニハナトキワマンサクは濃いピンクであるが、白のトキワマンサクはあまり見かけない。ベニハナトキワマンサクが紅花を省略してトキワマンサクと記される場合も多い。
右にあったのは印象的にはツバキに思えるものの、
花の形が丸くて初めて見るタイプ。
調べてみるとこれはカイドウツバキ(海棠椿)というベトナム原産の品種。ツバキは冬に咲くから南国ベトナムは想像しづらいね。別名はベトナム椿ともいい、かつてはベトナム王家が門外不出としていた幻の花なんだそう。日本に入ってきたのは1990年代といわれる。
そして昭栄院の横の路地にありました!しだれ桜。
奥の階段が妙見坂。
そこそこのサイズで期待通りに満開。
(しだれ桜はソメイヨシノより早く咲く品種が多い)
電信柱を避けて撮りましょう。
かなり高い位置で咲いており私の持っているレンズではこれで精一杯。
お寺の屋根と一緒に。
ふと振り返ると昭栄院の庭からいろいろ突き出している。
こちらは花の形が普通でも、とてもビビッドな色のツバキ。
ベニハナトキワマンサクは実をつけていた。
これはハナズオウ。
まだほとんどツボミでも色は濃い。
しだれ桜の淡いピンクとフワフワ感を背景に眺めるとキレイだった。
もう一度しだれ桜を仰ぎ見て、
さて登りますか。
1/3のところにある踊り場から見下ろす。
同じく見上げる。
それにしても階段途中の広くなったところがなぜ踊り場の名前なのだろう?
2/3を登った踊り場から。
登り切った。全部で111段!
ところで路地に入ったときから気付いていたけれど、妙見坂のしだれ桜は昭栄院の敷地にある1本だけだった(/o\) ネットで見つけたサイトで何枚かの写真を見たのは、しだれ桜が何本かあるのではなく、1本の桜の別カットだったとのオチ(^^ゞ
気を取り直して妙見堂。
樹老人は七福神のひとつ。一般的には寿老人と書く方が多い。
ひょっとしたら樹老人はここだけかも知れない。
七福神は弁財天、恵比寿、大黒天、毘沙門天、布袋、寿老人、福禄寿。しかし寿老人と福禄寿は知名度が低いかな。ましてや樹老人は超マイナーな存在。
これは第二次世界大戦の後、シンガポールのチャンギーで開かれた軍事裁判でBC級戦犯として処刑された人の慰霊碑。昭栄院の以前の住職が処刑に立ち会った縁でここに建立されたみたい。
ところで戦争犯罪人と聞くと東条英機ら28人が裁かれ、うち7名が死刑となった極東国際軍事裁判(通称は東京裁判)が有名。A級戦犯との言葉もよく聞くから、BC級戦犯はそれより軽い罪に思えるがそうではない。
BC級戦犯はA級戦犯よりはるかに多い約5700名が起訴され、そのうち約1000名に死刑判決が下されている。起訴されて死刑になった率は東京裁判が25%で、BC級戦犯が18%だからそれほど大きな違いはない。なおBC級戦犯は横浜とマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。チャンギーもそのひとつで処刑者数は129名。
さてABC級戦犯とは連合国によって布告された戦争犯罪類型の区分である
A項:平和に対する罪
B項:通例の戦争犯罪
C項:人道に対する罪
のどれで有罪になったかを意味している。
区分としてはABCと「項」なのに、戦犯すなわち人物を示すときにABCの「級」に言い換えられる理由はよくわからない。どちらも死刑があるから量刑に差はないのに「級」と書くとレベルの違いのように思えてしまう。
裁判の根拠法となった国際軍事裁判所憲章(Charter of the International Military Tribunal)を読むと「項」については (a) (b) (c) と括弧付きで書かれているだけ。戦犯をどう表現してるかはよくわからなかった。英和辞書でA級戦犯を引くと class-A war criminal が出てくるが、国際軍事裁判所憲章にその表現はなく、これは日本語表現のA級を英訳したような気もする。
もっとも第二次世界大戦がかつてないほど大規模熾烈なものであったため、戦場における「B項:通例の戦争犯罪」だけではさばききれず、戦争指導者に対する罪として「A項:平和に対する罪」が設けられたので、A級戦犯のほうがより罪が重いとの見方は必ずしも間違いではない。またA級戦犯として処刑された7名はB項でも有罪になっている。
裁判で有罪となった戦犯が「殉難」かどうかは素直に受け入れられない部分もあるものの、もはや戦後79年、ここは素直に合掌。
そこそこ大きな木。
幹はこんな感じ。そして黙ってこれにしばらく抱きついているオバチャンを二人見た。
何かスピリチュアルな儀式なんだろうか? ひょっとしてこれは「樹」老人の化身?
他には特に撮る風景もないので妙見堂の窓ガラスでも(^^ゞ
妙見堂まで階段を上がって、ここが池上本門寺の墓地エリアとつながっているとわかった。それで予定には入っていなかったが、このあと本門寺も少しブラブラ。
2024年04月03日
花の咲いていないサクラ祭りをハシゴした本日の最高気温は28.1度! その3
東京でサクラ開花宣言があった2日後の3月31日の続き最終回。
目黒川沿いを散歩しての問題点は、この駒沢通りを渡るのに歩道橋を上り下りする必要があること。ここ以外の道路はすべて信号で横断できるのに。
少し下れば交差点があるものの、どちらにするか迷う微妙な距離。
健康のため歩道橋を使いましょう。
駒沢通りを超えると中目黒駅周辺エリア。ここは前回に紹介した「アルカス春祭り」の会場だが、特にサクラ祭り的なイベントはやっていなかった。
中目黒駅のホームを下から見上げる。
ホームの高架下を通行止めにしていた。
上流方向へは左岸(上流から見て左側)を歩けということらしい。
今までこんな規制はなかったと思う。
でも一方通行に誘導しているのはガードマンがいた場所だけで、左岸に行ってみれば上流に向かう人、上流から戻ってくる人がいて何の意味もなし。
中目黒の魅力はサクラだけでなく、
こんなお洒落なお店と、
そこで買ったものでバエ写真を撮るのを楽しみにしている人も多い。
これは誰かが撮影準備しているのをとっさに盗み撮り?したのでちょっとピンボケ。
サクラはよくて一分咲き程度。
それでもこれだけ人が集まるのが中目黒。
満開、休日、好天が重なると川沿いはヨチヨチ歩きしかできない混雑になる。
東京のお花見人気スポットランキングではここしばらくずっと1位。
ところでこの日にサクラがほとんど咲いていないのは先ほど紹介したとおりなのだけれど、写真を整理していてある違いに気がついた。
これは本日と以前の満開のときに撮った写真の比較。
建物や水路に垂れ下がっている草で同じ場所だとわかると思う。
花数が違うのは一目瞭然だとして、川の内側に延びている枝の長さが違うような気がする。また満開時のサクラは川の下に垂れている。これって花の重みでそうなるのかな?
満開の撮影はミラーレスのデジカメで今回はiPhone。レンズの画角が違うからそのように見えるだけなのか。何となく不思議。
さてサクラの咲いていないサクラ祭りなんて、なかなか経験できる機会はないとのヘソ曲がりな動機で急遽出かけたサクラ祭りハシゴ散歩。かむろ坂を経て目黒川に沿いに歩き、中目黒駅から少し離れたところで終了。
これが曇りで肌寒かったら残念な気分だったかも知れないが、季節外れの夏日となった陽気が幸いしてか意外と満足度が高い1日を過ごせた。何事も体験してみないとわからないもの。でも来年は天気のいい日に満開のサクラで祭りを楽しみたいね(^^ゞ
おしまい
<おまけ>
中目黒駅に戻るとDJポリス出動中だった。
でも何も喋っていなくて残念。
2024年04月02日
花の咲いていないサクラ祭りをハシゴした本日の最高気温は28.1度! その2
タイトルは本日となっているが3月31日のお話の続き。
ソメイヨシノは咲いていなくても、阿波踊りでかむろ坂のサクラ祭りを楽しんだ後は、坂を下って山手通りを横断。その先の路地を100メートルほど進んで目黒川に出る。
ここも東京を代表するサクラ名所のひとつである。
目黒方向(上流側)に向かって歩いて行く。
お花見クルーズ船が通りかかった。
目黒川沿いはかむろ坂より高いビルに取り囲まれているから、日当たりが悪いのか開花状況は0.1分咲き程度。クルーズしてもビルやマンションしか見えないのに。
前回に書いたように東京の開花宣言は3月29日と今年はとても遅かった。そろそろ咲くかなあ〜もう咲くかと期待しながら待っているうちにキャンセルしそびれ、前日キャンセルで50%、当日なら100%の料金を取られるから、だったら乗っちゃえとのいきさつなのかも知れない。ちなみにクルーズ料金は飲食なしなら5000円くらい。
手前のビルはホテル雅叙園で、
奥はその敷地内にあるオフィスビルのアルコワター。
サクラが咲いていなくても目黒川にやってきたのは、アルコタワーの先にしだれ桜があるから。しだれ桜はソメイヨシノより早く咲く品種が多い。
私の知る限り目黒川沿いのしだれ桜は、上流側から順に、
首都高大橋ジャンクション
アルコタワー
大崎ブライトタワー
のそばに植えられた3カ所しかない。しかもそれぞれ1本だけ。
もっとたくさん増やしましょう関係者の皆さん。
左岸(上流から下流を見て左側)に渡ってしだれ桜に近づく。
花付きはいまいちなものの、
ソメイヨシノが0.1分咲きの中でとても美しく思えた。
やはりサクラは咲いてナンボ。
中目黒方向を望んで。橋の奥遠くに見えるタワーマンション(中目黒アトラスタワー)が建っているあたりが中目黒駅。
Uターンしているゴムボートもお花見クルーズ船。ここから先は水深が浅いようで、どのクルーズ船もここで折り返す。出発するのは天王洲周辺。
目黒方向に進む。
目黒川沿いで異彩を放っているのは、1970年代に全国でその名をとどろかせたラブホテルの目黒エンペラー。目黒エンペラーってまだあるんだよと同世代の人に教えると驚かれることが多い。
昨年はサクラ満開時期に通りかかったら、平日昼間にもかかわらず満室表示でビックリしたが、この日は日曜なのに OPEN = 空室ありの表示。サクラの開花が遅れるとその経済効果も遅れるね。
目黒エンペラーの前のサクラ。
早く咲けと一番願っているのはホテルの人だったりして(^^ゞ
目黒通りに架かる橋からお約束の光景。
下流側。
上流側。
これだと単なる川の写真になってしまうので、
以前に撮った満開時の写真も載せておきましょう。
目黒通りを超え中目黒を目指して歩く。
対岸に本日2つ目となるサクラ祭り会場が見えてきた。
橋を渡って会場へ。
ここは田道(でんどう)広場公園という場所。公園と名前は付いているが少年野球のためのグラウンド。たまにゲートボールにも使われている。
中に入ってビックリ。
全面ブルーシート敷き。
こんな設営のイベント会場は初めて。グラウンドの保護のためなんだろうけれど、天然芝で覆われているようなグラウンドならともかく、ここまでやる必要はあるのかな。前回に書いたとおりこの日は3月31日なのに最高気温は28.1度で超快晴。ブルーシートからの反射で少し眩しかった。
地元アイドル? 上の写真で左から2人目=下の写真の一番右で、なぜかいつも他の人と違う動きをしていた。
写真で見ると、そしておそらく動画でも「何?この素人集団?」な感じなものの、生のステージだとそれなりに楽しい。そういうライブの魅力あるいは魔力にハマる人がオタクになるんだろうな。
この後に人と会う約束があったので、
断腸の思いで誘惑を退ける(^^ゞ
ところで目黒川沿いのサクラ祭りは4つある。
まず中目黒駅前商店街が主催する「中目黒桜まつり」。
ポスターを見ると今年の開催は3月24日で、まだサクラの開花宣言前(/o\)
同じく中目黒駅前で、先ほど橋の奥遠くに見えた中目黒アトラスタワーの低層階に入るテナントが中心となっている「アルカス春祭り」。アルカスはサクラ=SAKURAを逆さまに読んだもの。でもアルカス秋祭りもある。
次に品川区五反田の自治会が主催する「目黒川さくらまつり」。
そして今回訪れたのが目黒区の商店街などが主催している「目黒川の桜まつり」である。
品川区の「目黒川さくらまつり」と、目黒区の「目黒川の桜まつり」はサクラが平仮名か漢字かを除けば「の」が間に入っているかどうかの違いだけで実に紛らわしい。
実は目黒区の「目黒川の桜まつり」は昨年まで「目黒イーストエリア桜まつり」との名称だった。どうやら今年から変更になったみたい。
「目黒イーストエリア」ってまったく認知度のない言葉で、何を意味しているかわからないから変更したのだろうか。それにしても「の」を挟んだだけで、ほとんど品川区と同じ名前を被せてくるとは喧嘩を売っているとしか思えない。
まっ、火事と喧嘩は江戸の華だからいいか(^^ゞ
サクラ祭り会場を出て再び中目黒を目指して歩く。
何を撮っているのか?と思われそうだが、
これは私史上、最も低い位置で咲いているサクラを見つけた記念。
なぜかいつも撮ってしまう清掃工場の煙突。
花見ならぬツボミ見をしながら、
そろそろ中目黒に近づいてきた。
ーーー続く