2024年05月
2024年05月27日
再訪:和田堀公園
5月5日に大田黒公園でミドリのもみじ狩りをして〜その後に善福寺川緑地を歩き〜杉並児童交通公園を見た続き。
交通公園を出たあたりでここはまだ善福寺緑地。
この付近はカワセミが飛んで来ることもある。
写っているのはカワセミ待ちの皆さん。
たぶんこの日この時にカワセミは姿を現していない。飛んでいたらもっと緊張感がある、あるいはザワザワしている。この公園も3回目なので何となく空気を読めるようになってきた。
川にいたのはアオサギとカモ。
どちらもお食事中。アオサギは口に魚をくわえている。
こんなオブジェも見られた(^^ゞ
ところでアオサギは青い部分はまったくなく灰色をしているのに、なぜかアオサギと呼ばれる。学術名はラテン語で Ardea cinerea 。Ardea はサギ、cinerea が灰色を意味する。英語でも Grey heron とグレーが使われグローバル的には灰色が標準。
それがなぜ日本ではアオサギなのかその理由を調べてみるとーーー
古代(だいたい古墳時代から奈良時代頃:上代ともいう)の日本語で、色を示す言葉あるいは概念は赤・黒・白・青しかなく、赤と黒で明るさと暗さを、白と青でハッキリとボンヤリを表していたとされる。極論すると赤・黒・白以外はすべて青! だからアオサギのようなボンヤリしたグレーも青になる。それで奈良時代にはこの鳥に名前が付いていたのでアオサギになったと。
話がそれるけれど、青信号・青リンゴ・青汁など緑色をしたものを青と呼ぶのも、この青と緑の区別がなかったことが今でも影響していると言われる。
理屈としてはわかる。
言葉や名前なんて区別の必要があって生まれるもの。例えば日本ではすべての魚に名前がある。しかしどこか砂漠の国では魚は魚という単語だけで、固有種の名前はない言語もあると聞いた。サンマもマグロも魚としか呼ばない。食べるわけじゃないから別に名前はいらないのだ。逆に昔は遊牧民だったどこかの言語では、停まっている馬、走っている馬、死んでいる馬とかですべて呼び名が違うらしい。日本人なら馬だけで用が足りても彼らには不足なんだろう。
色に話を戻すと今はあらゆる色を作り出せるから、サーモンピンクとローズピンクは名前を変えて区別する必要がある。同じ黄色でもパステルカラーの黄色とビビッドな黄色とは別の色扱い。
だとしてもである。
紫のように自然界にあまりない色ならともかく、空や海の青と植物の緑、この2大天然色を古代の日本人は同じ色として扱っていたとは信じがたい。頭が混乱しなかったのかな。まあ緑のランプを見て青信号と思うから慣れの問題なのか。それでもグレーまで青とはちょっとその認識状況が想像できない。青春も暗く憂鬱な日々になってしまうゾ。
ついでに余談。
アオサギの体はグレーでも卵の色は青い!画像はhttp://www.omnh.net/aquapia/2013/03/post_727.htmlから引用

さて白山前橋を渡ると和田堀公園に入る。
食堂&釣り堀の武蔵園、和田堀、大きなゴリラのぬいぐるみのあるお店を、この日は素通り。
そして川縁(かわべり)で見つけたのがこの鳥。
ハッキリとした羽の縁取りと大きな水かき。
これはカワウだと思う。ちなみに鮎を捕まえる鵜飼いに使うのはウミウ。
野球場を過ぎ、公園より立派なサクラがある民家の横を通って、ワンパク広場に出る。
この先には初めて来た1月27日に満開だったウメの木があり、
それがサクラ花見で訪れた4月7日には小さな実をつけていた。
約1ヶ月経って、それがどうなっているか楽しみにしていたのに、
ない、ない、ウメの実がまったくない!
なぜならこのオッサンがウメの実を棒ですべてたたき落としていたから。
私が着いたとき「もうこれで全部落ちたな」なんて言っていた。
大量のウメの実。
手に握っている棒はこの辺に落ちていたものだろうが、
用意周到に袋まで準備して白昼堂々の計画的犯行。
この場合、ここは都立公園でウメの木や実は東京都の財産なので、刑法235条の窃盗罪が成立する。10年以下の懲役又は50万円以下の罰金。落ちている実を拾っても他人の財産には変わりなく遺失物横領罪。またこの棒でウメの木にダメージを与えていたら器物損壊罪。他にも軽犯罪法や条例での処罰規定がある。
とりあえず公園になっている実を採れば犯罪である。どんぐりや松ぼっくりを拾って問題にならないのは、それらが財産的価値を持っていないとの社会的通念があるから。ウメの実やギンナンはそうじゃない。レジ袋一杯に詰められたウメの実は、スーパーで買えば1万円以上する。
もっともこの場に警官が通りかかったとしても、注意くらいはするかも知れないが現行犯として逮捕されることはない。私がこのウメの実泥棒の証拠写真と共に警察に告発してもおそらく受理されない。理由は微罪過ぎるから。
というわけでウメの実泥棒をしてもコイツらには何のお咎めもなし。
これでいいのか日本の社会正義!
ウメの実がなっているところを見たかったのに。
どうかウメの実のバチが当たって、この家族に不幸が訪れますように。
気を取り直してお散歩続行。
いいねやっぱり新緑は。
奈良時代の人はこれも新青といっていた?
済美(せいび)橋で和田堀公園は終了。
そして橋の袂(たもと)にあるのは済美公園。
公園のメインは上の広場で、段々畑のようなのは親水公園的なしつらえ。
水に頭を突っ込んでお食事中。
カモは二羽が一緒にいるケースが多いからカップルで行動しているのかな。
これはコサギ。頭の後ろのは冠羽(かんう)と呼ばれる。2本あるはずだが水に濡れてひっついているように思える。これを振って他のコサギと合図を交わすらしい。
あっ、魚を捕まえた!
こんなのも泳いでいるんだ。
すぐに上を向いて丸呑みしたのでその姿の撮影は間に合わず。
ならば連続写真で狙おうとシャッターの設定を変えてカメラを向けると、
もう満腹になったのか飛び去ってしまった(/o\)
先ほどアオサギの話をしたので、ついでにシラサギも。実はシラサギという鳥はいない。これは白いサギの総称。だからコサギもシラサギ。日本にいるのは主にダイサギ・チュウサギ・コサギつまり大中小の白いサギ。ほかにはカラシラサギなど。
ちなみに鳥ではなく犯罪の世界では
白詐欺:個人を騙す詐欺師
赤詐欺:結婚詐欺、ロマンス詐欺
青詐欺:企業を騙す詐欺師
黒詐欺:詐欺師を騙す詐欺師
と分類されている(^^ゞ 元々は警察の隠語とされるものの、黒詐欺が映画やドラマ以外で実際に存在しているかは知らない。
済美橋から2つ下流にある熊野橋。
その先の紅葉橋との間に鯉のぼりがかけられている。
善福寺公園(善福寺川緑地とは別の公園ね)で鯉のぼりを見たときに書いた、武者幟(絵のぼり)も手すりに吊されている。向きが横になっているのは仕方ないか。
5月3日の善福寺公園のときと違って、この日は風もそこそこあって、気持ちよさそうに鯉のぼりが舞っていた。
紅葉橋の下にミニサイズの鯉のぼりも。
ただし大きい方もそうなのだが、ちょっと色があせているのが残念。特に黒鯉の退色が目立つ。子供が成長して、もう用済みになった鯉のぼりを持っている人がいれば寄付してあげて。
この後は駅まで歩いて5月5日のお散歩は終了。
こどもの日の当日にもまた鯉のぼりを見られて、子供じゃなくてもうれしい。
おしまい
交通公園を出たあたりでここはまだ善福寺緑地。
この付近はカワセミが飛んで来ることもある。
写っているのはカワセミ待ちの皆さん。
たぶんこの日この時にカワセミは姿を現していない。飛んでいたらもっと緊張感がある、あるいはザワザワしている。この公園も3回目なので何となく空気を読めるようになってきた。
川にいたのはアオサギとカモ。
どちらもお食事中。アオサギは口に魚をくわえている。
こんなオブジェも見られた(^^ゞ
ところでアオサギは青い部分はまったくなく灰色をしているのに、なぜかアオサギと呼ばれる。学術名はラテン語で Ardea cinerea 。Ardea はサギ、cinerea が灰色を意味する。英語でも Grey heron とグレーが使われグローバル的には灰色が標準。
それがなぜ日本ではアオサギなのかその理由を調べてみるとーーー
古代(だいたい古墳時代から奈良時代頃:上代ともいう)の日本語で、色を示す言葉あるいは概念は赤・黒・白・青しかなく、赤と黒で明るさと暗さを、白と青でハッキリとボンヤリを表していたとされる。極論すると赤・黒・白以外はすべて青! だからアオサギのようなボンヤリしたグレーも青になる。それで奈良時代にはこの鳥に名前が付いていたのでアオサギになったと。
話がそれるけれど、青信号・青リンゴ・青汁など緑色をしたものを青と呼ぶのも、この青と緑の区別がなかったことが今でも影響していると言われる。
理屈としてはわかる。
言葉や名前なんて区別の必要があって生まれるもの。例えば日本ではすべての魚に名前がある。しかしどこか砂漠の国では魚は魚という単語だけで、固有種の名前はない言語もあると聞いた。サンマもマグロも魚としか呼ばない。食べるわけじゃないから別に名前はいらないのだ。逆に昔は遊牧民だったどこかの言語では、停まっている馬、走っている馬、死んでいる馬とかですべて呼び名が違うらしい。日本人なら馬だけで用が足りても彼らには不足なんだろう。
色に話を戻すと今はあらゆる色を作り出せるから、サーモンピンクとローズピンクは名前を変えて区別する必要がある。同じ黄色でもパステルカラーの黄色とビビッドな黄色とは別の色扱い。
だとしてもである。
紫のように自然界にあまりない色ならともかく、空や海の青と植物の緑、この2大天然色を古代の日本人は同じ色として扱っていたとは信じがたい。頭が混乱しなかったのかな。まあ緑のランプを見て青信号と思うから慣れの問題なのか。それでもグレーまで青とはちょっとその認識状況が想像できない。青春も暗く憂鬱な日々になってしまうゾ。
ついでに余談。
アオサギの体はグレーでも卵の色は青い!画像はhttp://www.omnh.net/aquapia/2013/03/post_727.htmlから引用

さて白山前橋を渡ると和田堀公園に入る。
食堂&釣り堀の武蔵園、和田堀、大きなゴリラのぬいぐるみのあるお店を、この日は素通り。
そして川縁(かわべり)で見つけたのがこの鳥。
ハッキリとした羽の縁取りと大きな水かき。
これはカワウだと思う。ちなみに鮎を捕まえる鵜飼いに使うのはウミウ。
野球場を過ぎ、公園より立派なサクラがある民家の横を通って、ワンパク広場に出る。
この先には初めて来た1月27日に満開だったウメの木があり、
それがサクラ花見で訪れた4月7日には小さな実をつけていた。
約1ヶ月経って、それがどうなっているか楽しみにしていたのに、
ない、ない、ウメの実がまったくない!
なぜならこのオッサンがウメの実を棒ですべてたたき落としていたから。
私が着いたとき「もうこれで全部落ちたな」なんて言っていた。
大量のウメの実。
手に握っている棒はこの辺に落ちていたものだろうが、
用意周到に袋まで準備して白昼堂々の計画的犯行。
この場合、ここは都立公園でウメの木や実は東京都の財産なので、刑法235条の窃盗罪が成立する。10年以下の懲役又は50万円以下の罰金。落ちている実を拾っても他人の財産には変わりなく遺失物横領罪。またこの棒でウメの木にダメージを与えていたら器物損壊罪。他にも軽犯罪法や条例での処罰規定がある。
とりあえず公園になっている実を採れば犯罪である。どんぐりや松ぼっくりを拾って問題にならないのは、それらが財産的価値を持っていないとの社会的通念があるから。ウメの実やギンナンはそうじゃない。レジ袋一杯に詰められたウメの実は、スーパーで買えば1万円以上する。
もっともこの場に警官が通りかかったとしても、注意くらいはするかも知れないが現行犯として逮捕されることはない。私がこのウメの実泥棒の証拠写真と共に警察に告発してもおそらく受理されない。理由は微罪過ぎるから。
というわけでウメの実泥棒をしてもコイツらには何のお咎めもなし。
これでいいのか日本の社会正義!
ウメの実がなっているところを見たかったのに。
どうかウメの実のバチが当たって、この家族に不幸が訪れますように。
気を取り直してお散歩続行。
いいねやっぱり新緑は。
奈良時代の人はこれも新青といっていた?
済美(せいび)橋で和田堀公園は終了。
そして橋の袂(たもと)にあるのは済美公園。
公園のメインは上の広場で、段々畑のようなのは親水公園的なしつらえ。
水に頭を突っ込んでお食事中。
カモは二羽が一緒にいるケースが多いからカップルで行動しているのかな。
これはコサギ。頭の後ろのは冠羽(かんう)と呼ばれる。2本あるはずだが水に濡れてひっついているように思える。これを振って他のコサギと合図を交わすらしい。
あっ、魚を捕まえた!
こんなのも泳いでいるんだ。
すぐに上を向いて丸呑みしたのでその姿の撮影は間に合わず。
ならば連続写真で狙おうとシャッターの設定を変えてカメラを向けると、
もう満腹になったのか飛び去ってしまった(/o\)
先ほどアオサギの話をしたので、ついでにシラサギも。実はシラサギという鳥はいない。これは白いサギの総称。だからコサギもシラサギ。日本にいるのは主にダイサギ・チュウサギ・コサギつまり大中小の白いサギ。ほかにはカラシラサギなど。
ちなみに鳥ではなく犯罪の世界では
白詐欺:個人を騙す詐欺師
赤詐欺:結婚詐欺、ロマンス詐欺
青詐欺:企業を騙す詐欺師
黒詐欺:詐欺師を騙す詐欺師
と分類されている(^^ゞ 元々は警察の隠語とされるものの、黒詐欺が映画やドラマ以外で実際に存在しているかは知らない。
済美橋から2つ下流にある熊野橋。
その先の紅葉橋との間に鯉のぼりがかけられている。
善福寺公園(善福寺川緑地とは別の公園ね)で鯉のぼりを見たときに書いた、武者幟(絵のぼり)も手すりに吊されている。向きが横になっているのは仕方ないか。
5月3日の善福寺公園のときと違って、この日は風もそこそこあって、気持ちよさそうに鯉のぼりが舞っていた。
紅葉橋の下にミニサイズの鯉のぼりも。
ただし大きい方もそうなのだが、ちょっと色があせているのが残念。特に黒鯉の退色が目立つ。子供が成長して、もう用済みになった鯉のぼりを持っている人がいれば寄付してあげて。
この後は駅まで歩いて5月5日のお散歩は終了。
こどもの日の当日にもまた鯉のぼりを見られて、子供じゃなくてもうれしい。
おしまい
2024年05月25日
再訪:善福寺川緑地 その2 杉並児童交通公園
前回に書いた4月7日に花見で善福寺川緑地を来たときに、訪れ忘れたところとは杉並児童交通公園。緑地の最も下流域の右岸にある。ただし善福寺川緑地は都立公園で、こちらは杉並区立だから善福寺川緑地に隣接していると書くのが正確。その名の通り交通をコンセプトにした子供のための施設である。
園内には模擬の信号機が設置されており、
よい子がそれで学習中。
足漕ぎ式のゴーカートでドライバー目線にもなれる。
楽しそうなコース設定。
日本では珍しいロータリー式の交差点も経験できる?
実はこの公園に興味を持ったのはゴーカートがあると聞いたから。ゴーカートなんて長らく乗ってないし見てすらいない。児童公園では乗れないとしても久しぶりに目にしてみたいと思ったのがきっかけ。でも頭にあったのは子供用でもエンジンで走るゴーカート。まさか足漕ぎ式とは思っていなかった(^^ゞ
これはレンガ造りがいい雰囲気を醸しているミニ東京駅。
蒸気機関車が停車中。
列車はコンクリート製でもレールは鉄でできていた。駅を出ていきなり曲がっているのはご愛敬。でもその先にはしっかり踏切もある。
こちらは「すぎなみえき」。この駅構内にある看板(駅名標という)に「すぎなみえき」と書くと杉並駅駅になっちゃうよ。
駅名看板に「駅」と書くのは普通。
それはさておき、
この「すぎなみえき」にあるのは本物の蒸気機関車。
D51形蒸気機関車、通称デゴイチ。
蒸気機関車= Steam Locomotive = SL で名前を覚えているのはD51のみ。それはやはりデゴイチとの愛称が付いているからだろう。恐るべしネーミングの影響。SLは1965年から1975年(昭和50年)にかけて全国で通常の営業運転としては姿を消した。それで廃止される前にその姿を見ようとSLブームが起きる。たぶんその頃にデゴイチの名前を知ったのだと思う。
そういえば貴婦人と呼ばれているSLもあったなと思い出し調べてみると、
それはC57型という車種だった。(車種とはいわないか?)
写真は上がD51で下がC57。画像はhttps://x.gd/5in7Dとhttps://x.gd/N53o8から引用
C57のどこに貴婦人を感じるのかまったくわからない(^^ゞ
私にはC57のほうが車輪が大きくてダイナミックに思える。
「すぎなみえき」のD51はけっこうきれいにペイントされていた。
運転席にも上がれる。
メーター類は外されており、その跡がスマホやタブレット置き場に見えるのが笑える。ハンドルのようなものは逆転機と呼ばれる前進後退を切り替えるレバー。自動車のようにギアではなくネジを回すらしいが、ネットでの解説をチラッと読んだ程度では理解できなかった。
考えてみると走っている蒸気機関車は見たことがない。特に興味はないのだけれど冥土への土産話に一度くらいは見に行こうか。関東だと4箇所ほどで観光運行している。ところで客車に乗っても蒸気機関車が引いていると何か違いがあるのかな。
公園の全体図。
面積は約0.9ヘクタール。
公園は午後5時で閉園。
その前の4時半から、ゴーカートなどの貸し出しが中止になり模擬信号も消える。
ゴーカートの他に自転車の貸し出しもあって、どちらも無料。このような交通公園はあちこちの自治体でも設けているみたい。もし私が子供の頃にもあったら、何度も免停にならずに済んだかも(^^ゞ
5月5日のこどもの日にふさわしいお散歩立ち寄り先でした。
ーーー続く
園内には模擬の信号機が設置されており、
よい子がそれで学習中。
足漕ぎ式のゴーカートでドライバー目線にもなれる。
楽しそうなコース設定。
日本では珍しいロータリー式の交差点も経験できる?
実はこの公園に興味を持ったのはゴーカートがあると聞いたから。ゴーカートなんて長らく乗ってないし見てすらいない。児童公園では乗れないとしても久しぶりに目にしてみたいと思ったのがきっかけ。でも頭にあったのは子供用でもエンジンで走るゴーカート。まさか足漕ぎ式とは思っていなかった(^^ゞ
これはレンガ造りがいい雰囲気を醸しているミニ東京駅。
蒸気機関車が停車中。
列車はコンクリート製でもレールは鉄でできていた。駅を出ていきなり曲がっているのはご愛敬。でもその先にはしっかり踏切もある。
こちらは「すぎなみえき」。この駅構内にある看板(駅名標という)に「すぎなみえき」と書くと杉並駅駅になっちゃうよ。
駅名看板に「駅」と書くのは普通。
それはさておき、
この「すぎなみえき」にあるのは本物の蒸気機関車。
D51形蒸気機関車、通称デゴイチ。
蒸気機関車= Steam Locomotive = SL で名前を覚えているのはD51のみ。それはやはりデゴイチとの愛称が付いているからだろう。恐るべしネーミングの影響。SLは1965年から1975年(昭和50年)にかけて全国で通常の営業運転としては姿を消した。それで廃止される前にその姿を見ようとSLブームが起きる。たぶんその頃にデゴイチの名前を知ったのだと思う。
そういえば貴婦人と呼ばれているSLもあったなと思い出し調べてみると、
それはC57型という車種だった。(車種とはいわないか?)
写真は上がD51で下がC57。画像はhttps://x.gd/5in7Dとhttps://x.gd/N53o8から引用
C57のどこに貴婦人を感じるのかまったくわからない(^^ゞ
私にはC57のほうが車輪が大きくてダイナミックに思える。
「すぎなみえき」のD51はけっこうきれいにペイントされていた。
運転席にも上がれる。
メーター類は外されており、その跡がスマホやタブレット置き場に見えるのが笑える。ハンドルのようなものは逆転機と呼ばれる前進後退を切り替えるレバー。自動車のようにギアではなくネジを回すらしいが、ネットでの解説をチラッと読んだ程度では理解できなかった。
考えてみると走っている蒸気機関車は見たことがない。特に興味はないのだけれど冥土への土産話に一度くらいは見に行こうか。関東だと4箇所ほどで観光運行している。ところで客車に乗っても蒸気機関車が引いていると何か違いがあるのかな。
公園の全体図。
面積は約0.9ヘクタール。
公園は午後5時で閉園。
その前の4時半から、ゴーカートなどの貸し出しが中止になり模擬信号も消える。
ゴーカートの他に自転車の貸し出しもあって、どちらも無料。このような交通公園はあちこちの自治体でも設けているみたい。もし私が子供の頃にもあったら、何度も免停にならずに済んだかも(^^ゞ
5月5日のこどもの日にふさわしいお散歩立ち寄り先でした。
ーーー続く
2024年05月24日
再訪:善福寺川緑地
5月5日は大田黒公園でミドリのもみじ狩りを楽しんだ。
ここは杉並区なので善福寺川緑地とそれに連なる和田堀公園に近い。
このふたつの都立公園は1月27日に梅里中央公園でロウバイを見た後に初めて訪れ、そのときに川沿いが桜並木になっているのを知り、4月7日にサクラ花見に出かけたばかり。同じ場所に何度も行くのは芸がない。でも帰り道の散歩だと思えばいいかと寄り道。それと花見のときに見忘れた施設がひとつあったのも再訪の理由。
前回と前々回に書いたように、
ミドリのもみじ狩りにとても感激・満足して大田黒公園を出る。
住宅地をテクテク。
何軒か商店の集まっている通りを抜けると、
善福寺川に掛かる松渓(しょうけい)橋に到着。
ここまで大田黒公園から8分ほど。
とりあえず左岸を歩く。
ここはまだ善福寺川緑地ではない。
ブラシノキを植えている家があった。
本当にコップを洗えそうな形をしている。英語名はBottleBrushでボトルブラッシュ。日本語でのブラシは英語でブラッシュね。
ところどころ護岸工事をしていて対岸に移動させられたり、
あるいは川から1本離れた道路を歩かされる。
こんなキレイに整備された道路もあったが、
こちらでは、
この細い隙間をくぐり抜け、
人の家の裏口をのぞいている気分。
護岸工事がなければ絶対に通らない抜け道。
そんなハプニングもお散歩あるあるで面白いもの。
ここを歩いてしばらくすると、
よく覚えている光景が目に入る。ここは最初に訪れた1月27日に、左岸から右岸に橋を渡らずに出た?と勘違いした護岸工事の壁。
目隠しフェンスのせいで、そのときは橋だと気付かずに通った神通橋。
ここから写真では右側の下流が善福寺川緑地。
左岸に移って善福寺川緑地に入る。
仲よし広場と名付けられた場所。
奥に見える壁の向こうで護岸工事進行中。
しばらく歩いて4月7日の花見では最上流地点だった西田橋。
あのとき満開のサクラは、
こうなっていた。
少し撮る向きが違うものの、
その先のオオシマザクラの1ヶ月後。
同じくチューリップと黄色いヤマブキが咲いていた場所。
花見のときには実っていなかった夏みかん?
いろいろ思い出しながら歩いていると、
尾崎橋に到着。
あれっ、こんなに近かったかと驚く。西田橋からここまで16分。4月7日の所要時間を写真撮影時刻で確認してみると48分かかっている。その日はサクラの写真をたくさん撮ったし、花見客も多かったので約3倍の違い。
尾崎橋でも1ヶ月の変化を。
尾崎橋を渡るとネットで調べると「川の声」と紹介されている銅像がある。
ただし公式情報はなし。
前回は台座に書かれている文字を見忘れたので、今回はしっかり確認しようと一周してみたものの何も書かれていなかった。というわけで名前が本当に「川の声」なのか、また作者やこの像の性別も不明のまま。
何もわからなかったので、とりあえず顔のドアップでも(^^ゞ
さらに下流に進む。
まるで油絵に描かれていそうな風景。
杉並区でしか見たことのない白い送電線鉄柱と新緑。
ーーー続く
ここは杉並区なので善福寺川緑地とそれに連なる和田堀公園に近い。
このふたつの都立公園は1月27日に梅里中央公園でロウバイを見た後に初めて訪れ、そのときに川沿いが桜並木になっているのを知り、4月7日にサクラ花見に出かけたばかり。同じ場所に何度も行くのは芸がない。でも帰り道の散歩だと思えばいいかと寄り道。それと花見のときに見忘れた施設がひとつあったのも再訪の理由。
前回と前々回に書いたように、
ミドリのもみじ狩りにとても感激・満足して大田黒公園を出る。
住宅地をテクテク。
何軒か商店の集まっている通りを抜けると、
善福寺川に掛かる松渓(しょうけい)橋に到着。
ここまで大田黒公園から8分ほど。
とりあえず左岸を歩く。
ここはまだ善福寺川緑地ではない。
ブラシノキを植えている家があった。
本当にコップを洗えそうな形をしている。英語名はBottleBrushでボトルブラッシュ。日本語でのブラシは英語でブラッシュね。
ところどころ護岸工事をしていて対岸に移動させられたり、
あるいは川から1本離れた道路を歩かされる。
こんなキレイに整備された道路もあったが、
こちらでは、
この細い隙間をくぐり抜け、
人の家の裏口をのぞいている気分。
護岸工事がなければ絶対に通らない抜け道。
そんなハプニングもお散歩あるあるで面白いもの。
ここを歩いてしばらくすると、
よく覚えている光景が目に入る。ここは最初に訪れた1月27日に、左岸から右岸に橋を渡らずに出た?と勘違いした護岸工事の壁。
目隠しフェンスのせいで、そのときは橋だと気付かずに通った神通橋。
ここから写真では右側の下流が善福寺川緑地。
左岸に移って善福寺川緑地に入る。
仲よし広場と名付けられた場所。
奥に見える壁の向こうで護岸工事進行中。
しばらく歩いて4月7日の花見では最上流地点だった西田橋。
あのとき満開のサクラは、
こうなっていた。
少し撮る向きが違うものの、
その先のオオシマザクラの1ヶ月後。
同じくチューリップと黄色いヤマブキが咲いていた場所。
花見のときには実っていなかった夏みかん?
いろいろ思い出しながら歩いていると、
尾崎橋に到着。
あれっ、こんなに近かったかと驚く。西田橋からここまで16分。4月7日の所要時間を写真撮影時刻で確認してみると48分かかっている。その日はサクラの写真をたくさん撮ったし、花見客も多かったので約3倍の違い。
尾崎橋でも1ヶ月の変化を。
尾崎橋を渡るとネットで調べると「川の声」と紹介されている銅像がある。
ただし公式情報はなし。
前回は台座に書かれている文字を見忘れたので、今回はしっかり確認しようと一周してみたものの何も書かれていなかった。というわけで名前が本当に「川の声」なのか、また作者やこの像の性別も不明のまま。
何もわからなかったので、とりあえず顔のドアップでも(^^ゞ
さらに下流に進む。
まるで油絵に描かれていそうな風景。
杉並区でしか見たことのない白い送電線鉄柱と新緑。
ーーー続く
2024年05月22日
ミドリのもみじ狩り その2
池や東屋の手前にある芝生広場。
奥に見えているのは茶室+休憩所+管理事務所を兼ねた建物。
芝生に竹で作られた見慣れないものがーーー
このような配置で立ち入り禁止のプレートも一緒にあったので、この竹細工もその意味なのだろう。しかしどうして通路に面した位置ではなく芝生の中央部に置いてあるのかが不明。
見上げるともみじの新緑。
でもちょっと木の雰囲気が違う。
名札を見ると右はサワラで左がカエデ。サワラは真っ直ぐに伸び、カエデは横に枝を張るので、パッと見にはもみじばかりに見えたのが違和感の正体。
ところでもみじ関連は言葉がややこしい。
まず植物分類的にモミジとカエデは同じ。どちらもムクロジ科カエデ属。英語では Maple(メイプル)。なおメイプルシロップはメープルシロップとの表記も多い。
モミジは古語の「もみづ」が由来。意味は草木の葉が秋に色づくのを表した動詞。その名詞形が「もみぢ」。それで色づく葉の中で特にに赤くなる品種をモミジと呼ぶようになったとされる。
また学術的ではないものの葉の切れ込みが深いのをモミジ、浅いのをカエデと呼ぶ分類もある。カエデの語源は葉の形が「蛙(カエル)の手」に似ているから。画像はhttps://www.shinrin-ringyou.com/topics/kaede.phpから引用
ついでにイロハモミジ(最も多く見る品種)は葉が7つに切れ込んでいるものが多く、それを七文字であるイロハニホヘトになぞらえてのネーミング。
別の観点でややこしいのが紅葉を「もみじ」とも「こうよう」とも読むこと。さらに黄色く色づくのは黄葉といい、これも「こうよう」と発音するから混乱する。もっとも黄葉はあまり使われず「イチョウが紅葉してきた」なんて表現も多い。私はレッドオータム、イエローオータムと使い分けている。そんな英語は辞書には載っていないが、外人にもたいてい理解してもらえる。
さて黒い屋根瓦があってもどこか洋風なこの建物は、音楽評論家だった大田黒元雄の記念館。ここは彼の死後に自宅が寄付され、周辺の土地と合わせて公園となったところ。ドビュッシーを日本に紹介したともいわれる大田黒元雄(1893年・明治26年〜1979年・昭和54年)については前回訪れたときのブログに書いたから、興味があればご参照を。
ところで大田黒は苗字ぽくないので大田黒公園の名前には人物を感じない。でももし彼が鈴木や佐藤の苗字だったら鈴木公園とかになっていたのかな?
見学自由。
靴を脱がなければいけないので前回はパスしたが今回は入った。
入り口に年譜。
公開されているのは一部屋だけ。ここは自宅の母屋ではなく離れに当たる建物で大田黒の仕事部屋。(母屋は残っていない)
淡いパステルのタイル張りの壁は珍しい。
でもこの部屋にすごく馴染んでいる。
現在の感覚では華奢(きゃしゃ)に見えるピアノは、
スタンウェイ製。1900年に独のハンブルグ工場で製造されたと解説にあった。スタンウェイというとアメリカのピアノのイメージがあるが、創業間もない頃からアメリカとドイツの2本社体制。
ちなみにカエデの木は固いのでピアノにも多く使われている。それがこの公園にカエデが多いのと関係あるかどうかは知らない。
室内にはピアノ演奏が流れていた。しかしその音源はこのショボいラジカセ(/o\) CDとラジオだからCDラジオか。とにかくもう少しいい音でお願いしたい。
30歳前後の頃だろうか。
奥さんは声楽家の広田ちづえ。彼女の情報はネットにはなかった。
彼は100冊近い著作を残している。
ファイルに入っていたのは表紙や目次ばかりで中身を読めなかったのが残念。
蓄音機は蓋を開けておいてくれないと単なる家具(^^ゞ
部屋を別角度から。
この赤い椅子は何のため? 座ってピアノを眺めるの?
記念館を出て再び芝生広場。
記念館方向は逆光で木々が陰になっている。
反対側を向くと目に眩しいもみじの新緑!
それを見上げて眺めていると、
まるで墜落したような飛行機雲があった(^^ゞ
紅葉を見に出かけてミドリのもみじがあるように、
新緑の季節に紅葉しているもみじもある。
新緑もみじとの対比が美しい。
もっともこの紅葉は逆光で光を透かしているからキレイなのであって、
順光で撮ると汚く濁った色(/o\)
そんな種明かしはしないで光あふれる景色を楽しみましょう。
これは本日の魅力が全部詰まった1枚。日差しとそれに照らされてキミドリが色鮮やかなもみじの新緑、オレンジ色に輝いている紅葉、そして青空。
下の方に順光で写っている紅葉もある。同じ方向で撮っているのに順光と逆光が一緒なのが不思議。幹で光が反射しているのか?
新緑なので順光でもミドリもみじはキレイ。
陰になっている部分の柔らかい色合いも魅力的。
そして真逆光だと妖艶ですらある。
紅葉が好きで新緑はもっと大好きな私には、
実に楽しめたミドリのもみじ狩りだった。
もし新緑が好きならもみじを見に行きましょう。
おしまい
奥に見えているのは茶室+休憩所+管理事務所を兼ねた建物。
芝生に竹で作られた見慣れないものがーーー
このような配置で立ち入り禁止のプレートも一緒にあったので、この竹細工もその意味なのだろう。しかしどうして通路に面した位置ではなく芝生の中央部に置いてあるのかが不明。
見上げるともみじの新緑。
でもちょっと木の雰囲気が違う。
名札を見ると右はサワラで左がカエデ。サワラは真っ直ぐに伸び、カエデは横に枝を張るので、パッと見にはもみじばかりに見えたのが違和感の正体。
ところでもみじ関連は言葉がややこしい。
まず植物分類的にモミジとカエデは同じ。どちらもムクロジ科カエデ属。英語では Maple(メイプル)。なおメイプルシロップはメープルシロップとの表記も多い。
モミジは古語の「もみづ」が由来。意味は草木の葉が秋に色づくのを表した動詞。その名詞形が「もみぢ」。それで色づく葉の中で特にに赤くなる品種をモミジと呼ぶようになったとされる。
また学術的ではないものの葉の切れ込みが深いのをモミジ、浅いのをカエデと呼ぶ分類もある。カエデの語源は葉の形が「蛙(カエル)の手」に似ているから。画像はhttps://www.shinrin-ringyou.com/topics/kaede.phpから引用
ついでにイロハモミジ(最も多く見る品種)は葉が7つに切れ込んでいるものが多く、それを七文字であるイロハニホヘトになぞらえてのネーミング。
別の観点でややこしいのが紅葉を「もみじ」とも「こうよう」とも読むこと。さらに黄色く色づくのは黄葉といい、これも「こうよう」と発音するから混乱する。もっとも黄葉はあまり使われず「イチョウが紅葉してきた」なんて表現も多い。私はレッドオータム、イエローオータムと使い分けている。そんな英語は辞書には載っていないが、外人にもたいてい理解してもらえる。
さて黒い屋根瓦があってもどこか洋風なこの建物は、音楽評論家だった大田黒元雄の記念館。ここは彼の死後に自宅が寄付され、周辺の土地と合わせて公園となったところ。ドビュッシーを日本に紹介したともいわれる大田黒元雄(1893年・明治26年〜1979年・昭和54年)については前回訪れたときのブログに書いたから、興味があればご参照を。
ところで大田黒は苗字ぽくないので大田黒公園の名前には人物を感じない。でももし彼が鈴木や佐藤の苗字だったら鈴木公園とかになっていたのかな?
見学自由。
靴を脱がなければいけないので前回はパスしたが今回は入った。
入り口に年譜。
公開されているのは一部屋だけ。ここは自宅の母屋ではなく離れに当たる建物で大田黒の仕事部屋。(母屋は残っていない)
淡いパステルのタイル張りの壁は珍しい。
でもこの部屋にすごく馴染んでいる。
現在の感覚では華奢(きゃしゃ)に見えるピアノは、
スタンウェイ製。1900年に独のハンブルグ工場で製造されたと解説にあった。スタンウェイというとアメリカのピアノのイメージがあるが、創業間もない頃からアメリカとドイツの2本社体制。
ちなみにカエデの木は固いのでピアノにも多く使われている。それがこの公園にカエデが多いのと関係あるかどうかは知らない。
室内にはピアノ演奏が流れていた。しかしその音源はこのショボいラジカセ(/o\) CDとラジオだからCDラジオか。とにかくもう少しいい音でお願いしたい。
30歳前後の頃だろうか。
奥さんは声楽家の広田ちづえ。彼女の情報はネットにはなかった。
彼は100冊近い著作を残している。
ファイルに入っていたのは表紙や目次ばかりで中身を読めなかったのが残念。
蓄音機は蓋を開けておいてくれないと単なる家具(^^ゞ
部屋を別角度から。
この赤い椅子は何のため? 座ってピアノを眺めるの?
記念館を出て再び芝生広場。
記念館方向は逆光で木々が陰になっている。
反対側を向くと目に眩しいもみじの新緑!
それを見上げて眺めていると、
まるで墜落したような飛行機雲があった(^^ゞ
紅葉を見に出かけてミドリのもみじがあるように、
新緑の季節に紅葉しているもみじもある。
新緑もみじとの対比が美しい。
もっともこの紅葉は逆光で光を透かしているからキレイなのであって、
順光で撮ると汚く濁った色(/o\)
そんな種明かしはしないで光あふれる景色を楽しみましょう。
これは本日の魅力が全部詰まった1枚。日差しとそれに照らされてキミドリが色鮮やかなもみじの新緑、オレンジ色に輝いている紅葉、そして青空。
下の方に順光で写っている紅葉もある。同じ方向で撮っているのに順光と逆光が一緒なのが不思議。幹で光が反射しているのか?
新緑なので順光でもミドリもみじはキレイ。
陰になっている部分の柔らかい色合いも魅力的。
そして真逆光だと妖艶ですらある。
紅葉が好きで新緑はもっと大好きな私には、
実に楽しめたミドリのもみじ狩りだった。
もし新緑が好きならもみじを見に行きましょう。
おしまい
2024年05月20日
ミドリのもみじ狩り
もうあまり使われなくなった言葉だが、もみじ狩りといえば赤く色づいたもみじを見に行く行楽。温暖化の影響で東京では12月になってからなので、秋の風物詩とはいえなくなったものの、毎シーズンどこかに出かけて楽しんでいる。
それでへそ曲がりの私は、
紅葉に中にあるミドリのもみじを愛でるのも趣味(^^ゞ
今までにこんなこともブログに書いてきた。
だったら新緑の最も美しい季節に、ミドリのもみじを見に行ったらどうだと思いつく。どこかで新緑のもみじを見た人はたくさんいるとしても、わざわざミドリのもみじ狩りに出かけるなんて日本人の1%の1%もいないだろう。我ながら面白い企画ではとほくそ笑む。
ではどこへ見に行くか。自由が丘の九品仏や芝公園のもみじ谷は紅葉スポットとして気に入ってはいても、日常生活圏と被っていてゴールデンウィーク的にはつまらない。でもあまり遠くへも行きたくない。そこで選んだのが2021年に紅葉を見て、その庭園的な造りが印象的だった杉並区にある大田黒公園。訪れたのは5月5日。
地下鉄丸ノ内線の荻窪駅で下車。
右側に見える線路はJRの中央線。
この商店街に入って1本目を、
左に曲がる。
何となく道順は覚えていた。
しばらく進むと道案内看板。
大田黒公園なんて昔からあるのに何を書き換えたんだろう。
住宅地を進み、
この道路に突き当たったら、
もう写真中央に入り口が見えている。
大田黒公園に到着。
駅からは7〜8分の距離。
正門をくぐると70メートルほどある樹齢100年を超えるイチョウ並木。
前回に来たときは見事なイエローオータムだった。
イチョウ並木を過ぎると檜皮葺(ひわだぶき)の中門。
そしてこんな風景が広がっている。
公園と名前が付いていても雰囲気は庭園。日本語的に公園はそこで遊んだりスポーツしたり、また休憩も含めて活動が目的。対して庭園は人が造りあげた庭を鑑賞するところ。いわば「する」と「見る」の違い。国立公園などはまた話が違ってくるが長くなるので割愛。なお公園 > 庭園(正確には数学記号の ⊃ )とされているので公園と名乗っても間違いじゃない。
水路の先は池になっていて東屋(あずまや)がある。
ちなみに庭園などによくある東屋とは屋根と柱だけの建物。平安時代?は都(京都)より東の地域を東(あずま)=田舎と呼んでバカにしていた。和歌に出てくる東人(あずまびと)は田舎者や野蛮人の扱い。なので東屋とは「田舎風の粗末な家」が元来の意味。東国でも家に壁はあったと思うけれど。それにしても差別用語だったものが、いつの間にか風流を感じるようになるから言葉は面白い。最近は逆の場合も多いが。
ところで大田黒公園は杉並区立の公園なのに、区のホームページに案合図などがないのがちょっとケシカラン。とりあえず航空写真で。
池には大きな錦鯉が多数。
黄金色のもいた。
さてミドリのもみじはここまでの写真にも写っているけれど、
改めてご紹介。
もみじの新緑は実に美しい。
一部が光に照らされていたり、
浮かんでいるように見えるのも素敵。
日が当たっているのと陰になっているもみじのミックス。
そしてお約束の逆光写真。
ウ〜ンたまりません。
とりあえずミドリのもみじ狩り企画は大当たり。
ーーー続く
それでへそ曲がりの私は、
紅葉に中にあるミドリのもみじを愛でるのも趣味(^^ゞ
今までにこんなこともブログに書いてきた。
だったら新緑の最も美しい季節に、ミドリのもみじを見に行ったらどうだと思いつく。どこかで新緑のもみじを見た人はたくさんいるとしても、わざわざミドリのもみじ狩りに出かけるなんて日本人の1%の1%もいないだろう。我ながら面白い企画ではとほくそ笑む。
ではどこへ見に行くか。自由が丘の九品仏や芝公園のもみじ谷は紅葉スポットとして気に入ってはいても、日常生活圏と被っていてゴールデンウィーク的にはつまらない。でもあまり遠くへも行きたくない。そこで選んだのが2021年に紅葉を見て、その庭園的な造りが印象的だった杉並区にある大田黒公園。訪れたのは5月5日。
地下鉄丸ノ内線の荻窪駅で下車。
右側に見える線路はJRの中央線。
この商店街に入って1本目を、
左に曲がる。
何となく道順は覚えていた。
しばらく進むと道案内看板。
大田黒公園なんて昔からあるのに何を書き換えたんだろう。
住宅地を進み、
この道路に突き当たったら、
もう写真中央に入り口が見えている。
大田黒公園に到着。
駅からは7〜8分の距離。
正門をくぐると70メートルほどある樹齢100年を超えるイチョウ並木。
前回に来たときは見事なイエローオータムだった。
イチョウ並木を過ぎると檜皮葺(ひわだぶき)の中門。
そしてこんな風景が広がっている。
公園と名前が付いていても雰囲気は庭園。日本語的に公園はそこで遊んだりスポーツしたり、また休憩も含めて活動が目的。対して庭園は人が造りあげた庭を鑑賞するところ。いわば「する」と「見る」の違い。国立公園などはまた話が違ってくるが長くなるので割愛。なお公園 > 庭園(正確には数学記号の ⊃ )とされているので公園と名乗っても間違いじゃない。
水路の先は池になっていて東屋(あずまや)がある。
ちなみに庭園などによくある東屋とは屋根と柱だけの建物。平安時代?は都(京都)より東の地域を東(あずま)=田舎と呼んでバカにしていた。和歌に出てくる東人(あずまびと)は田舎者や野蛮人の扱い。なので東屋とは「田舎風の粗末な家」が元来の意味。東国でも家に壁はあったと思うけれど。それにしても差別用語だったものが、いつの間にか風流を感じるようになるから言葉は面白い。最近は逆の場合も多いが。
ところで大田黒公園は杉並区立の公園なのに、区のホームページに案合図などがないのがちょっとケシカラン。とりあえず航空写真で。
池には大きな錦鯉が多数。
黄金色のもいた。
さてミドリのもみじはここまでの写真にも写っているけれど、
改めてご紹介。
もみじの新緑は実に美しい。
一部が光に照らされていたり、
浮かんでいるように見えるのも素敵。
日が当たっているのと陰になっているもみじのミックス。
そしてお約束の逆光写真。
ウ〜ンたまりません。
とりあえずミドリのもみじ狩り企画は大当たり。
ーーー続く
2024年05月18日
井の頭公園を通り抜け
練馬駅前の平成つつじ公園から善福寺公園を経て、5月3日の「ゴールデンウィークちょっと長めのお散歩コース」の最終目的地は井の頭公園。
ここは東京以外でも全国的に知名度が高く、多くの人が名前くらいは聞いた記憶のある公園ではないかと思う。名前が印象的なのとサクラの名所としてよくニュースでも報じられるからだろう。
面積は開園面積として約42.8ヘクタールとある。ただし、この開園面積の定義が調べてもはっきりしない。東京都建設局の資料によると井の頭公園とは
井の頭公園:40.13ヘクタール
井の頭第二公園:1.60ヘクタール
玉川上水緑地:9.5ヘクタール
の総称。
この合計は51.23ヘクタールとなる。しかし同じ資料に開園面積として約42.8ヘクタールと記載されている。51.23 − 42.8 = 8.43ヘクタールはどこへ行った? 語感から常識的な判断をすると総敷地面積に対し公園として整備開園済みの面積になるけれど、資料には「計画区域外を含む場合がある」などと書かれていて意味がよくわからない。求む用語集。
細かなことはさておいて、42.8ヘクタールのうち動物園が11.5ヘクタールで27%を占める。これは上野公園が全体で53.8ヘクタール、動物園は14ヘクタールで26%だから比率としては同じようなもの。ただしパンダで全国的に有名な上野動物園と違って、井の頭の動物園は東京でもあまり存在感がない。ライオン、トラ、キリン、象、カバなど子供に人気の動物はおらず地味な動物園である。
また井の頭公園といえば半分くらいは池の印象があるものの、池の面積は4.2ヘクタールで1割ほどに過ぎない。もっとも上の航空写真で公園の形を「少し傾いた大の字」だとすれば、右に払っている部分が公園のメインエリア。そこだけ見れば「半分くらいは池」ではある。
ところで井の頭公園は「がしら」ではなく「いのかしら」と「か」が濁らない。これは公園だけではなく、このあたりの井の頭と付く名前はすべて「いのかしら」。でも「いのがしら」と発音する人のほうが圧倒的に多い。ここの近く、あるいは渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線沿線に住んでいる人を除けばほとんどがそうじゃないかな。シロガネーゼの白金が実は「しろかね」だと知っている人が少ないのと同じ。
ふたつの語が結びついて、後ろのカ行、サ行、タ行、ハ行で始まる音が濁るのを連濁という。いちおう「和語なら連濁する」「漢語や外来語なら連濁しない」との法則があるとはいえ、例外だらけなので結局は個別に調べるしかない。日本語は難しすぎるね。
さて吉祥寺通りからそれる脇道を進むと、
井の頭公園に到着。吉祥寺駅からだと多くの人がここを利用するのに、公園の規模と較べてずいぶんと小さな出入り口である。
とりあえず池に沿って右方向に進む。
井の頭公園に来るのはウン十年ぶり。
この橋の右下にあるのが、
お茶の水と呼ばれる湧き水。
この看板では家康のエピソードが記されているが、さらに3代将軍家光が「ここが井戸では一番素晴らしい」として「井之頭」と名付けたとする説もある。1970年代までは水が湧き出ていたそうだ。なお千代田区神田のお茶の水はその付近の寺の湧き水を、2代将軍秀忠の茶の湯用に献上したのが地名の由来。なにかと徳川家つながりなお茶の水という言葉。
ちなみに文京区大塚にある国立のお茶の水女子大学は、創立が(神田の)お茶の水で1932年(昭和7年)に移転。また鉄腕アトムのお茶の水博士はお茶の水駅からのネーミング。ただしその理由はわからなかった。アトムを描いていた頃に手塚治虫が住んでいたのは豊島区のトキワ荘。でもお茶の水から神田にかけては出版社が多いので馴染みがあったのかな。またアトムもお茶の水小学校に通っていた。アトム連載当時は架空の小学校だったのに、少子化のため1993年(平成5年)に3つの小学校を統廃合して、新たにお茶の水小学校ができたとちょっと寂しい歴史の流れ。

\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ
木々を抜けて明るい通路に出る。
ジブリ美術館コッチの看板。
でも750メートル先だからけっこう遠い。
そして見えてくるのが弁財天。
創建は天慶年間(938年〜947年)に源経基(つねもと)によると伝えられ、1197年に源頼朝が宮社を建立、鎌倉末期に焼失、3代将軍家光が再興したなどとされる。現在のお堂は関東大震災(1923年 大正12年)で損壊してから1928年(昭和3年)に再建されたもの。
弁財天の近くに噴水。
噴水といえばお約束の高速シャッタースピード。でも距離が離れているのでいつものように水しぶきが止まっているようにはならなかった。写真を拡大すれば多少の違いはわかる。
<オート設定 シャッタースピード1/200秒>
<マニュアル設定 シャッタースピード1/2000秒>
池を回り込んで弁天堂を正面から。
弁天橋と名付けられた橋で池を渡り歩ける。
それにしても新緑の美しさよ。
池の右岸(下流に向かって右)を進んで、
狛江橋で池に突き出した半島のような所に来ると、
自然文化園のチケット売り場がある。
自然文化園とは聞き慣れないが、写真の英語表記を見てわかるように動物園のこと。開園は1942年(昭和17年)。上野動物園に匹敵する動物園が構想されたものの、戦時中で予算と物資が不足して大型動物を集められず、そこで「自然生態観察園」とのコンセプトになったのがネーミングの由来。
こちらの半島部分は水生物園、吉祥寺通りの向こう側に(普通の)動物園と区画が分けられている。水生物とは魚類、両生類、昆虫、植物など淡水の水辺の生き物。また水鳥も展示されているので甲高い鳴き声があたりに響いていた。
水生物園の向かいはボート乗り場。
昔から井の頭公園でデートをしてボートに乗ると、そのカップルは別れるとのジンクスがまことしやかにささやかれている。私の経験に照らし合わせるとそれは事実である(^^ゞ
新緑を満喫しながら歩く。
池の左岸に渡ってしばらく進むと、
キッチンカーが出ているエリアに。
さらに先には手作りアクセサリーなどを販売している露店。
昔から井の頭公園は露店と、大道芸やストリートミュージックなどのパフォーマンスが盛んだった。しかし何かと混乱してきたので2007年から出展者・出演者と行政が取り決めを結んだ「井の頭公園アートマーケッツ」として運営されている。
井の頭公園アートマーケッツは「手作りアート作品」と「パフォーマンス」のマーケットと定義されていて物販は手作りの作品限定。だから古着や中古品・アンティークなど単なる販売は禁止。ちょっとやり過ぎでフリーマーケットのようなわくわく感に欠ける。集まっている人の年齢層も高め。パフォーマンスは公園内の何カ所かで場所が指定されている。今回は上演しているときに通りかからなかった。
この日に訪れた平成つつじ公園と善福寺公園と違って、井の頭公園は特に目的もなく久しく訪れていなかったから寄り道しただけ。本日の園内散策コースはこんな感じ。今までも池の周りしか来たことがないから、そのうち園内をくまなく歩いてみたい。
ここはもう井の頭公園駅の手前。
青いのは井の頭線の線路。
なぜかこの光景にものすごく心惹かれる。
吸い込まれるように線路の下をくぐってみたけれど、
特に何もなかった(^^ゞ
左下にチラッと写っている水面は井の頭池から流れ出た水。つまりここが神田川の最上流部にあたるわけで、善福寺川に続いて本日2つ目の源流ゲット!
さあ井の頭線に乗って帰りましょう。
ホームに降りると無情にも電車が発車した後。
ちょっとローカル線ぽい雰囲気もあるホームで次の電車を待つ。
「いのかしら」ですよ。
自宅に戻ってみると2万歩越え。
歩数はスマホのセンサーによる計測だが、距離はどう判断しているのか不明で信頼できない。とうやらGPSでは測っていないようだし歩幅もスマホに登録していない。
2022年の1月から日常生活以外に週に3回、合計で3万歩の散歩ノルマを課している。大体1回に1万3000歩前後を歩くことが多い。その甲斐あって現在は至って健脚。でも2万歩を超えるとちょっと疲れる。
とりあえずお疲れ様自分だった5月3日。
よく歩きいろいろ見て楽しいゴールデンウィークでした。
おしまい
ここは東京以外でも全国的に知名度が高く、多くの人が名前くらいは聞いた記憶のある公園ではないかと思う。名前が印象的なのとサクラの名所としてよくニュースでも報じられるからだろう。
面積は開園面積として約42.8ヘクタールとある。ただし、この開園面積の定義が調べてもはっきりしない。東京都建設局の資料によると井の頭公園とは
井の頭公園:40.13ヘクタール
井の頭第二公園:1.60ヘクタール
玉川上水緑地:9.5ヘクタール
の総称。
この合計は51.23ヘクタールとなる。しかし同じ資料に開園面積として約42.8ヘクタールと記載されている。51.23 − 42.8 = 8.43ヘクタールはどこへ行った? 語感から常識的な判断をすると総敷地面積に対し公園として整備開園済みの面積になるけれど、資料には「計画区域外を含む場合がある」などと書かれていて意味がよくわからない。求む用語集。
細かなことはさておいて、42.8ヘクタールのうち動物園が11.5ヘクタールで27%を占める。これは上野公園が全体で53.8ヘクタール、動物園は14ヘクタールで26%だから比率としては同じようなもの。ただしパンダで全国的に有名な上野動物園と違って、井の頭の動物園は東京でもあまり存在感がない。ライオン、トラ、キリン、象、カバなど子供に人気の動物はおらず地味な動物園である。
また井の頭公園といえば半分くらいは池の印象があるものの、池の面積は4.2ヘクタールで1割ほどに過ぎない。もっとも上の航空写真で公園の形を「少し傾いた大の字」だとすれば、右に払っている部分が公園のメインエリア。そこだけ見れば「半分くらいは池」ではある。
ところで井の頭公園は「がしら」ではなく「いのかしら」と「か」が濁らない。これは公園だけではなく、このあたりの井の頭と付く名前はすべて「いのかしら」。でも「いのがしら」と発音する人のほうが圧倒的に多い。ここの近く、あるいは渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線沿線に住んでいる人を除けばほとんどがそうじゃないかな。シロガネーゼの白金が実は「しろかね」だと知っている人が少ないのと同じ。
ふたつの語が結びついて、後ろのカ行、サ行、タ行、ハ行で始まる音が濁るのを連濁という。いちおう「和語なら連濁する」「漢語や外来語なら連濁しない」との法則があるとはいえ、例外だらけなので結局は個別に調べるしかない。日本語は難しすぎるね。
さて吉祥寺通りからそれる脇道を進むと、
井の頭公園に到着。吉祥寺駅からだと多くの人がここを利用するのに、公園の規模と較べてずいぶんと小さな出入り口である。
とりあえず池に沿って右方向に進む。
井の頭公園に来るのはウン十年ぶり。
この橋の右下にあるのが、
お茶の水と呼ばれる湧き水。
この看板では家康のエピソードが記されているが、さらに3代将軍家光が「ここが井戸では一番素晴らしい」として「井之頭」と名付けたとする説もある。1970年代までは水が湧き出ていたそうだ。なお千代田区神田のお茶の水はその付近の寺の湧き水を、2代将軍秀忠の茶の湯用に献上したのが地名の由来。なにかと徳川家つながりなお茶の水という言葉。
ちなみに文京区大塚にある国立のお茶の水女子大学は、創立が(神田の)お茶の水で1932年(昭和7年)に移転。また鉄腕アトムのお茶の水博士はお茶の水駅からのネーミング。ただしその理由はわからなかった。アトムを描いていた頃に手塚治虫が住んでいたのは豊島区のトキワ荘。でもお茶の水から神田にかけては出版社が多いので馴染みがあったのかな。またアトムもお茶の水小学校に通っていた。アトム連載当時は架空の小学校だったのに、少子化のため1993年(平成5年)に3つの小学校を統廃合して、新たにお茶の水小学校ができたとちょっと寂しい歴史の流れ。

\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ
木々を抜けて明るい通路に出る。
ジブリ美術館コッチの看板。
でも750メートル先だからけっこう遠い。
そして見えてくるのが弁財天。
創建は天慶年間(938年〜947年)に源経基(つねもと)によると伝えられ、1197年に源頼朝が宮社を建立、鎌倉末期に焼失、3代将軍家光が再興したなどとされる。現在のお堂は関東大震災(1923年 大正12年)で損壊してから1928年(昭和3年)に再建されたもの。
弁財天の近くに噴水。
噴水といえばお約束の高速シャッタースピード。でも距離が離れているのでいつものように水しぶきが止まっているようにはならなかった。写真を拡大すれば多少の違いはわかる。
<オート設定 シャッタースピード1/200秒>
<マニュアル設定 シャッタースピード1/2000秒>
池を回り込んで弁天堂を正面から。
弁天橋と名付けられた橋で池を渡り歩ける。
それにしても新緑の美しさよ。
池の右岸(下流に向かって右)を進んで、
狛江橋で池に突き出した半島のような所に来ると、
自然文化園のチケット売り場がある。
自然文化園とは聞き慣れないが、写真の英語表記を見てわかるように動物園のこと。開園は1942年(昭和17年)。上野動物園に匹敵する動物園が構想されたものの、戦時中で予算と物資が不足して大型動物を集められず、そこで「自然生態観察園」とのコンセプトになったのがネーミングの由来。
こちらの半島部分は水生物園、吉祥寺通りの向こう側に(普通の)動物園と区画が分けられている。水生物とは魚類、両生類、昆虫、植物など淡水の水辺の生き物。また水鳥も展示されているので甲高い鳴き声があたりに響いていた。
水生物園の向かいはボート乗り場。
昔から井の頭公園でデートをしてボートに乗ると、そのカップルは別れるとのジンクスがまことしやかにささやかれている。私の経験に照らし合わせるとそれは事実である(^^ゞ
新緑を満喫しながら歩く。
池の左岸に渡ってしばらく進むと、
キッチンカーが出ているエリアに。
さらに先には手作りアクセサリーなどを販売している露店。
昔から井の頭公園は露店と、大道芸やストリートミュージックなどのパフォーマンスが盛んだった。しかし何かと混乱してきたので2007年から出展者・出演者と行政が取り決めを結んだ「井の頭公園アートマーケッツ」として運営されている。
井の頭公園アートマーケッツは「手作りアート作品」と「パフォーマンス」のマーケットと定義されていて物販は手作りの作品限定。だから古着や中古品・アンティークなど単なる販売は禁止。ちょっとやり過ぎでフリーマーケットのようなわくわく感に欠ける。集まっている人の年齢層も高め。パフォーマンスは公園内の何カ所かで場所が指定されている。今回は上演しているときに通りかからなかった。
この日に訪れた平成つつじ公園と善福寺公園と違って、井の頭公園は特に目的もなく久しく訪れていなかったから寄り道しただけ。本日の園内散策コースはこんな感じ。今までも池の周りしか来たことがないから、そのうち園内をくまなく歩いてみたい。
ここはもう井の頭公園駅の手前。
青いのは井の頭線の線路。
なぜかこの光景にものすごく心惹かれる。
吸い込まれるように線路の下をくぐってみたけれど、
特に何もなかった(^^ゞ
左下にチラッと写っている水面は井の頭池から流れ出た水。つまりここが神田川の最上流部にあたるわけで、善福寺川に続いて本日2つ目の源流ゲット!
さあ井の頭線に乗って帰りましょう。
ホームに降りると無情にも電車が発車した後。
ちょっとローカル線ぽい雰囲気もあるホームで次の電車を待つ。
「いのかしら」ですよ。
自宅に戻ってみると2万歩越え。
歩数はスマホのセンサーによる計測だが、距離はどう判断しているのか不明で信頼できない。とうやらGPSでは測っていないようだし歩幅もスマホに登録していない。
2022年の1月から日常生活以外に週に3回、合計で3万歩の散歩ノルマを課している。大体1回に1万3000歩前後を歩くことが多い。その甲斐あって現在は至って健脚。でも2万歩を超えるとちょっと疲れる。
とりあえずお疲れ様自分だった5月3日。
よく歩きいろいろ見て楽しいゴールデンウィークでした。
おしまい
2024年05月16日
善福寺公園でスイレン
善福寺公園は上の池エリアと下の池エリアが道路で隔てられている。
上の池で鯉のぼりを楽しんだ後は信号を渡って下の池へ。
小学4年生の屋外アートが展示されていた。
こんな雰囲気でまあまあ面白かった。
それぞれの板は塗り絵レベルで特に価値や意味があるわけじゃない。しかしそのカラフルな人を模した形が、森のようになっている空間にあるのがこの作品のキモ。だから何だ?と考え出すと人生を楽しめないよ(^^ゞ 小学4年生でこんな体験をしたなんてうらやましい。
木々をを抜けて遊具のある広場へ。この公園には近所の人しか来ていないようで、ゴールデンウィークど真ん中の5月3日なのに閑散とした印象。
新緑で目を喜ばせながら下の池の左岸を歩く。
下の池でのお目当てはこれ。
スイレン!
カメラだとズームしているけれど、
肉眼では花までの距離がちょっと遠い。
場所を移動してスイレンに近づく。
スイレンをたくさん見るのは久しぶり。
ハスの名所はたくさんあってもスイレンは少ない。
スイレンの花は文句なく美しくまた気品もある。
ただしアップで撮ると水面が何かと汚いのが写真的には困りもの。
なおこの日はこの色のスイレンしか咲いていなかった。
最初に眺めていた方角を向いて。
スイレンのエリアはそこそこの広さ。今はまだ咲き始めでもうすぐ花数が増えてくるだろう。スイレンとアジサイはだいたい同じ頃に見頃を迎える。そしてアジサイと違ってスイレンは9月頃までと開花時期が長い。もうしばらくしてからまた見に来ましょう。
スイレンが咲いているのは下の池の一番下流。池なのに下流とはおかしな表現だが、スイレンに面したこの堰から水が流れ出て善福寺川がスタート。言い換えれば善福寺川の最も上流地点がここ。
さらに新緑を眺めながら池の右岸をブラブラ。
下の池を一周して、遊具のある所まで戻ってきた。
少し引き返して善福寺公園を出る。
まだまだ歩けたので予定通り井の頭公園までお散歩続行。
バイクで走ると気持ちそさそうなカーブ。
この変わった建物は、
東京女子大学。
ゴールデンウィークなので学生の人影がなく残念(^^ゞ
杉並区から武蔵野市に。
住宅地の路地を抜けると、
吉祥寺駅の北側に出る。
駅から延びている吉祥寺大通り。
奥の信号で人が渡っているのが、吉祥寺大通りと平行するサンロード商店街。
駅が見えてきた。
ここまで善福寺公園を出てから25分ほど。
駅南側の飲食店街。
すごく人が多く見えるものの、これは手前からズームレンズの望遠側で撮った写真。いわゆる望遠レンズによる圧縮効果。
こちらはほぼ同じ場所を普通に撮ったもので、実際はこれくらいの混雑。
写真ってけっこう嘘をつくのよ。
この看板を探せば上の2枚がほぼ同じ場所だとわかるはず。

井の頭通りに出て吉祥寺通りとの交差点。
公園を示す標識の矢印がヘンな方向を指しているが、
井の頭公園へは吉祥寺通りに沿って左折する。
だいたいこの矢印の方向に道路はないからナゾの標識。
交差点から100mほど歩くと井の頭公園の入り口に通ずる坂道が現れる。
ーーー続く
2024年05月14日
善福寺公園で鯉のぼり
5月3日にツツジがまったく終了していた練馬の平成つつじ公園を10分ほど見て回ってから、次にやってきたのは善福寺公園。開園は1961年(昭和36年)。同じく善福寺川沿いにある善福寺川緑地や和田堀公園が1964年だから少し早い。
面積は8ヘクタールで、そのうち池が3.7ヘクタールと47%を占める。池の畔(ほとり)に前回に書いたオリジナルの善福寺があったので、ここの池が善福寺池と呼ばれ、そこから流れる川が善福寺川となった。
現在は上の池と下の池に分かれているが、元々の善福寺池は上の池。下の池は昭和10年代に善福寺川を堰き止めて作られた人工池。その善福寺川は善福寺池の湧水が水源でここからスタートする。江戸時代には神田上水の補助水源として利用され、また井の頭池(井の頭公園)と三宝寺池(石神井公園)と共に武蔵野の三大湧水池と呼ばれた。ただし昭和30年代から水が湧き出さなくなり、現在は地下からのくみ上げに頼っている。
上の地図で善福寺公園に隣接しているのが地下水をくみ上げている杉並浄水所。浄水場ではなく浄水所なのは、東京都水道局が規模によって言葉を使い分けているから。たぶん東京都だけの用語。なおこの杉並浄水所は2016年にくみ上げた水から大腸菌が検出されたため、今は水道水に使用されていない。ということは善福寺池と善福寺川に給水しているだけ?
現在位置は上の池北側の「あそび場」と名付けられた広場。
善福寺公園に来た目的は上の池と下の池でそれぞれあって、
上の池でのお目当ては鯉のぼり。
鯉のぼりなんてずっと別に興味もなかったのに、2014年にネモフィラと芝桜を見にバイクツーリングした群馬県太田市の北部運動公園で、たまたま150匹の鯉のぼりイベントを見てその魅力を再発見。以来、子供の日が近づくと血が騒ぐようになった(^^ゞ
川でいうなら左岸(上流から見て左側)を新緑を愛でながら進む。
平成つつじ公園では見られなかった鮮やかな色彩のツツジもあって、
江戸の敵を長崎で討った気分。
鯉のぼりの真横から。
でもこの日は風がほとんどなくメザシ状態。
少しだけ風が吹いてきた。
でもすぐにまた無風状態になったので池の周りの散策再スタート。
オレンジのツツジとシャクナゲ。
たぶんキショウブ(黄菖蒲)。
アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方はマスターしているものの、キショウブと黄色いカキツバタの違いはよく理解していない。近くまで寄れなかったが、写真を拡大して確認できるこの模様はキショウブだと思う。
原産は西アジアからヨーロッパで明治時代後期に観賞用として持ち込まれた。しかし全国で野生化し、繁殖力が強く在来種に影響を与えるとして生態系被害防止外来種に指定されている。これは駆除対象ではなく、これ以上増やさないレベルの措置のよう。ただしアヤメの仲間では、ハナショウブが最も多く栽培されており、かつハナショウブに黄色はないのでキショウブは珍重され人気も高い。
ボート乗り場があって、
ここが上の池の最も南側あたり。
内田秀五郎の銅像。
1907年(明治40年)に現杉並区に当たる井萩村の村長に就任し、区画整理、駅や工場の誘致など、このエリア発展の基礎を築いた人物らしい。
右岸からの鯉のぼり。
先ほどよりは風がある。
気持ちよさそうに泳いでいるように見えて、こちらも気持ちいい。
鯉のぼりは尻尾から見ると揺れ方が面白いもの。でもこの日は風が足らなかった。もっともこのように池に吊されていると尻尾の真後ろからは眺められないが。
ところで誰でも知っているこの歌。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
子供の頃は何も考えずに歌っていたものの、よく歌詞を読むとお母さんがいないじゃないか。それに真鯉は黒い鯉、緋鯉は赤い鯉である。だから真鯉がお父さんで緋鯉がお母さん、それ以外の青やピンクが子供たちだったのでは?
これにはいろいろ時代背景が影響している。鯉のぼりのルーツは平安時代まで遡り、武士の家で端午の節句に幟(のぼり)を立てて、男児の立身出世・武運長久を願う風習が生まれたのが始まり。
幟(のぼり)とは縦型の旗、幟旗(のぼりばた)ともいう。今は集客の道具として使われるが、オリジナルは合戦のときの敵味方識別のための目印。
平和な江戸時代になると装飾要素が強くなり、幟(のぼり)に武者絵や七福神など縁起のよい図柄を描くようになる。それらを絵のぼりと呼ぶ。しかし町人にとってそれは武家の風習だし、元は軍旗である幟(のぼり)を立てて同じようにお祝いするのは憚られた。そこでまず吹き流しが使われ、それを中国の故事である「鯉の滝登り」にヒントを得て鯉の模様にしたのが鯉のぼりの始まり。(諸説あり)
この歌川広重が描いた浮世絵には鯉のぼりのほかに、
川の対岸に武家が立てた幟旗(のぼりばた)や絵のぼりも描かれている。
なので鯉のぼりの「のぼり」は幟旗(のぼりばた)の「のぼり」。漢字で書けば鯉幟。鯉が空に昇って泳いでいるからじゃない。もっとも幟(のぼり)の語源に「昇る」の意味もあるのでまったくの間違いとも言い切れない。
今でも鯉のぼりと共に武者幟(絵のぼり)を揚げるところはあるみたい。幟旗(のぼりばた)が立つと合戦の雰囲気が出てくるね。画像はhttps://www.chunichi.co.jp/article/452872から引用
武家社会が終わった明治になって徐々に絵のぼり < 鯉のぼりとなるものの、江戸から当時にかけて鯉のぼりは黒い真鯉が一匹だけ。赤い緋鯉が登場したのは明治後半といわれる。まだ男子中心社会だし、そのときに真鯉がお父さん、緋鯉が子供というか息子の解釈が生まれたと思われる。
そして黒と赤以外の色が使われるようになったのは戦後になってから。これは染色の技術発達に伴っての進化。まず青の鯉が追加され、これでサイズ変化と共に真鯉:お父さん、緋鯉:お母さん、青い鯉:子供の位置づけが確立し、その後に他の色も増えてくる。
童謡の「こいのぼり」が発表されたのは1931年(昭和6年)なので、まだ黒い真鯉と赤い緋鯉が二匹だけの時代。だからお母さんが不在ーーーと歌詞にも歴史ありとのお話。
公園や池の規模と比較して少し数が物足りない。もう2列ほど増やして欲しい気もする。それでも晴天の下で鯉のぼりをのんびり眺められて満足。何となく元気になる気がするから、鯉のぼりなんて久しく見ていないという人も来年はどこかに出かけてみては。けっこういろいろなところでやっているよ。
ーーー下の池へ続く
面積は8ヘクタールで、そのうち池が3.7ヘクタールと47%を占める。池の畔(ほとり)に前回に書いたオリジナルの善福寺があったので、ここの池が善福寺池と呼ばれ、そこから流れる川が善福寺川となった。
現在は上の池と下の池に分かれているが、元々の善福寺池は上の池。下の池は昭和10年代に善福寺川を堰き止めて作られた人工池。その善福寺川は善福寺池の湧水が水源でここからスタートする。江戸時代には神田上水の補助水源として利用され、また井の頭池(井の頭公園)と三宝寺池(石神井公園)と共に武蔵野の三大湧水池と呼ばれた。ただし昭和30年代から水が湧き出さなくなり、現在は地下からのくみ上げに頼っている。
上の地図で善福寺公園に隣接しているのが地下水をくみ上げている杉並浄水所。浄水場ではなく浄水所なのは、東京都水道局が規模によって言葉を使い分けているから。たぶん東京都だけの用語。なおこの杉並浄水所は2016年にくみ上げた水から大腸菌が検出されたため、今は水道水に使用されていない。ということは善福寺池と善福寺川に給水しているだけ?
現在位置は上の池北側の「あそび場」と名付けられた広場。
善福寺公園に来た目的は上の池と下の池でそれぞれあって、
上の池でのお目当ては鯉のぼり。
鯉のぼりなんてずっと別に興味もなかったのに、2014年にネモフィラと芝桜を見にバイクツーリングした群馬県太田市の北部運動公園で、たまたま150匹の鯉のぼりイベントを見てその魅力を再発見。以来、子供の日が近づくと血が騒ぐようになった(^^ゞ
川でいうなら左岸(上流から見て左側)を新緑を愛でながら進む。
平成つつじ公園では見られなかった鮮やかな色彩のツツジもあって、
江戸の敵を長崎で討った気分。
鯉のぼりの真横から。
でもこの日は風がほとんどなくメザシ状態。
少しだけ風が吹いてきた。
でもすぐにまた無風状態になったので池の周りの散策再スタート。
オレンジのツツジとシャクナゲ。
たぶんキショウブ(黄菖蒲)。
アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方はマスターしているものの、キショウブと黄色いカキツバタの違いはよく理解していない。近くまで寄れなかったが、写真を拡大して確認できるこの模様はキショウブだと思う。
原産は西アジアからヨーロッパで明治時代後期に観賞用として持ち込まれた。しかし全国で野生化し、繁殖力が強く在来種に影響を与えるとして生態系被害防止外来種に指定されている。これは駆除対象ではなく、これ以上増やさないレベルの措置のよう。ただしアヤメの仲間では、ハナショウブが最も多く栽培されており、かつハナショウブに黄色はないのでキショウブは珍重され人気も高い。
ボート乗り場があって、
ここが上の池の最も南側あたり。
内田秀五郎の銅像。
1907年(明治40年)に現杉並区に当たる井萩村の村長に就任し、区画整理、駅や工場の誘致など、このエリア発展の基礎を築いた人物らしい。
右岸からの鯉のぼり。
先ほどよりは風がある。
気持ちよさそうに泳いでいるように見えて、こちらも気持ちいい。
鯉のぼりは尻尾から見ると揺れ方が面白いもの。でもこの日は風が足らなかった。もっともこのように池に吊されていると尻尾の真後ろからは眺められないが。
ところで誰でも知っているこの歌。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
子供の頃は何も考えずに歌っていたものの、よく歌詞を読むとお母さんがいないじゃないか。それに真鯉は黒い鯉、緋鯉は赤い鯉である。だから真鯉がお父さんで緋鯉がお母さん、それ以外の青やピンクが子供たちだったのでは?
これにはいろいろ時代背景が影響している。鯉のぼりのルーツは平安時代まで遡り、武士の家で端午の節句に幟(のぼり)を立てて、男児の立身出世・武運長久を願う風習が生まれたのが始まり。
幟(のぼり)とは縦型の旗、幟旗(のぼりばた)ともいう。今は集客の道具として使われるが、オリジナルは合戦のときの敵味方識別のための目印。
平和な江戸時代になると装飾要素が強くなり、幟(のぼり)に武者絵や七福神など縁起のよい図柄を描くようになる。それらを絵のぼりと呼ぶ。しかし町人にとってそれは武家の風習だし、元は軍旗である幟(のぼり)を立てて同じようにお祝いするのは憚られた。そこでまず吹き流しが使われ、それを中国の故事である「鯉の滝登り」にヒントを得て鯉の模様にしたのが鯉のぼりの始まり。(諸説あり)
この歌川広重が描いた浮世絵には鯉のぼりのほかに、
川の対岸に武家が立てた幟旗(のぼりばた)や絵のぼりも描かれている。
なので鯉のぼりの「のぼり」は幟旗(のぼりばた)の「のぼり」。漢字で書けば鯉幟。鯉が空に昇って泳いでいるからじゃない。もっとも幟(のぼり)の語源に「昇る」の意味もあるのでまったくの間違いとも言い切れない。
今でも鯉のぼりと共に武者幟(絵のぼり)を揚げるところはあるみたい。幟旗(のぼりばた)が立つと合戦の雰囲気が出てくるね。画像はhttps://www.chunichi.co.jp/article/452872から引用
武家社会が終わった明治になって徐々に絵のぼり < 鯉のぼりとなるものの、江戸から当時にかけて鯉のぼりは黒い真鯉が一匹だけ。赤い緋鯉が登場したのは明治後半といわれる。まだ男子中心社会だし、そのときに真鯉がお父さん、緋鯉が子供というか息子の解釈が生まれたと思われる。
そして黒と赤以外の色が使われるようになったのは戦後になってから。これは染色の技術発達に伴っての進化。まず青の鯉が追加され、これでサイズ変化と共に真鯉:お父さん、緋鯉:お母さん、青い鯉:子供の位置づけが確立し、その後に他の色も増えてくる。
童謡の「こいのぼり」が発表されたのは1931年(昭和6年)なので、まだ黒い真鯉と赤い緋鯉が二匹だけの時代。だからお母さんが不在ーーーと歌詞にも歴史ありとのお話。
公園や池の規模と比較して少し数が物足りない。もう2列ほど増やして欲しい気もする。それでも晴天の下で鯉のぼりをのんびり眺められて満足。何となく元気になる気がするから、鯉のぼりなんて久しく見ていないという人も来年はどこかに出かけてみては。けっこういろいろなところでやっているよ。
ーーー下の池へ続く
2024年05月13日
平成つつじ公園は完全終了していた(涙)
さて本日からゴールデンウィーク後半のブログが続く。5月中に書き終わるかな? 後半スタートの5月3日は、練馬駅そばにある区立の平成つつじ公園へ出かけてきた。
ところで今年の冬はわりと暖かかったのに、3月になって気温が上がらずサクラの開花は昨年より半月も遅かった。そのくせ3月後半からは急に気温が上がり、東京では3月と4月に気温25度以上の夏日を8日間も記録。ちなみに昨年は4日間。
それが影響してか春に咲く花はなかなか咲かず、あるいは咲いたと思ったらすぐ散ってしまう傾向にある。ツツジも開花時期が短かった模様。この平成つつじ公園では4月25日頃に見頃が終わっているとの情報がSNSで上がっていた。しかし公式ホームページによれば600品種10,000株と大規模なので、遅咲きの品種を少しは楽しめるかと考えて。
練馬駅到着。
4月10日に南蔵院へしだれ桜を見に来たときは南口で、今回は北側の中央北口。それにしてもこんな短い間隔でまた練馬まで来るとは思っていなかった。
平成つつじ公園は、
ほぼ駅直結といっていい場所にある。
中央北口は2階部分につながっている。
橋の下はバスターミナル。
階段を降りて左に進むと平成つつじ公園。先ほどの看板では練馬文化センターを取り囲むように公園が記されているが、ツツジのあるのは建物の西側。
🎶 この木、なんの木〜
ーーーとのんきに歌っていたら視界の先につつじ公園が見えてきた。
こ、これはホンマにあかんヤツや!
つつじ公園なのに入り口にバラのアーチ。
バラはキレイでもその先に見えるツツジは(/o\)
とりあえず園内ウロウロ。
600品種10,000株がいっせいに傷んでいると景色が汚い(>_<)
少し高くなったところから美しくツツジが咲く誇っているところをモーソーする。
いつか見頃のときにリベンジしに来ましょう。
写真を見せられる状態のものはごく僅か。
新緑はいろいろとキレイだった。
目立っていたのがこの木。
葉の形を拡大してみるとネムノキか。アカシアも同じような葉をしているが、アカシアはもっと葉の数が多いから、たぶんネムノキだろう。
参考までにネムノキ(上)とアカシア(下)はこんな花が咲く。
アカシアはミモザみたいだが、それもそのはずで本来ミモザはオジギソウの別名で花の色はピンク系。しかし日本ではフサアカシアやギンヨウアカシアをミモザと呼んでいる。
日本ではと書いたものの、イタリアでもフサアカシアをミモザと呼ぶらしく、またロシア発祥のミモザサラダも卵の黄身を花の色に見立ててのネーミング。だから他にもアカシアをミモザと呼んでいる国は多いのかも知れない。
ツツジではなくアカシアの話題で盛り上がるのは致し方のないところーーー
園内にいたのは10分くらい(^^ゞ
まあバラが咲いていただけでも儲けもの。よく見ると2種類の赤いバラが咲いていた。
バラのアーチを眺めつつ、
後ろ髪は引かれずに公園を後にする。
多少の覚悟はしていたとはいえ、けっこうガッカリした。もう少し開花時期の違うツツジを植え揃えて欲しい。あるいはそうしていたのに異常気象でそれらも一斉に咲いてしまったのだろうか。それにしても自宅の周りの公園や街路樹のツツジはまだそこそこキレイだったから、どうしてここはこんなに全滅状態なのかが不思議。
でも実はこの日は平成つつじ公園だけの予定ではなく、ここは前菜の位置づけ。
それが救いで気を取り直す。
本日のメインは善福寺公園。4月7日にサクラを見てきた善福寺川緑地と和田堀公園の上流4キロほどの場所にある。本当は善福寺公園に行くだけの計画だったものの、ツツジも見たいなと思って平成つつじ公園が候補にあがった。それなら練馬から善福寺公園まで歩き、ゴールデンウィークだしどうせなら井の頭公園まで足を伸ばしちゃえと考えたのがこの日のお散歩プラン。
平成つつじ公園から善福寺公園まではゴーグルマップによれば約6.8km、さらに井の頭公園までで10kmの距離になる。疲れたら善福寺公園で終了の腹づもり。
駅まで戻り西武池袋線とほぼ並行に走っている千川通りに出る。
けっこういい感じの並木道が続く。
そしてほら、ところどころにツツジの街路樹。
ツツジ専門の平成つつじ公園より断然キレイじゃないか。
納得イカンゾ!
練馬駅の隣の中村橋駅付近で千川通りは線路から離れ出す。
なんか暑いなと思ったら、
並木&日陰が道路の反対側になっていたので移動。
お散歩アルアルな出来事。
環八を通過。
井草四丁目の六叉路を通過。
西武新宿線の上井草駅までやってきた。
自宅周辺は高架線路ばかりなので、
地面に引かれているレールが懐かしいというかもはや新鮮。
こんな写真まで撮ってしまう。
踏切を渡ると右側がゴルフの練習場で、左側は早稲田大学ラグビー部のグラウンド。正式名称は早大上井草グラウンド。ラグビー部の学生寮もある。たぶん中に入って練習を見学できるがこの日は素通り。
ラグビーグラウンドを過ぎた当たりで右折して住宅街に入る。
しばらく進むと青梅街道に出る。
そこを渡ると、
善福寺公園への案内標識があった。
その手前に善福寺。
「善福寺」の文字が微妙に右へ流れているのが気になる。
ところで善福寺川は、
当然この善福寺から名前をとったと思ってしまうが然に非ず(さにあらず)。
この寺の創建は不明だが、記録のある中興(途絶えていたのを復興させる)が1709年だからそこそこ古い。当時の名前は福寿庵。それを理由はわからないものの1942年(昭和17年)に、このあたりの地名の善福寺をとって善福寺に改称した。つまりよくある寺名 → 地名の関係とは逆のパターン。
ではなぜ地名が善福寺だったかというと、もっと以前に善福寺の名前を持つ寺があったから。それが地名や川の名前にもなった。そのオリジナル善福寺の創建や廃寺の時期は不明。
現在の善福寺から200mほど進んで左側の木々が善福寺公園。
善福寺公園に到着。
平成つつじ公園を出発してからちょうど1時間半だった。
偶然にもまたネムノキ(たぶん)。
ーーー続く
ところで今年の冬はわりと暖かかったのに、3月になって気温が上がらずサクラの開花は昨年より半月も遅かった。そのくせ3月後半からは急に気温が上がり、東京では3月と4月に気温25度以上の夏日を8日間も記録。ちなみに昨年は4日間。
それが影響してか春に咲く花はなかなか咲かず、あるいは咲いたと思ったらすぐ散ってしまう傾向にある。ツツジも開花時期が短かった模様。この平成つつじ公園では4月25日頃に見頃が終わっているとの情報がSNSで上がっていた。しかし公式ホームページによれば600品種10,000株と大規模なので、遅咲きの品種を少しは楽しめるかと考えて。
練馬駅到着。
4月10日に南蔵院へしだれ桜を見に来たときは南口で、今回は北側の中央北口。それにしてもこんな短い間隔でまた練馬まで来るとは思っていなかった。
平成つつじ公園は、
ほぼ駅直結といっていい場所にある。
中央北口は2階部分につながっている。
橋の下はバスターミナル。
階段を降りて左に進むと平成つつじ公園。先ほどの看板では練馬文化センターを取り囲むように公園が記されているが、ツツジのあるのは建物の西側。
🎶 この木、なんの木〜
ーーーとのんきに歌っていたら視界の先につつじ公園が見えてきた。
こ、これはホンマにあかんヤツや!
つつじ公園なのに入り口にバラのアーチ。
バラはキレイでもその先に見えるツツジは(/o\)
とりあえず園内ウロウロ。
600品種10,000株がいっせいに傷んでいると景色が汚い(>_<)
少し高くなったところから美しくツツジが咲く誇っているところをモーソーする。
いつか見頃のときにリベンジしに来ましょう。
写真を見せられる状態のものはごく僅か。
新緑はいろいろとキレイだった。
目立っていたのがこの木。
葉の形を拡大してみるとネムノキか。アカシアも同じような葉をしているが、アカシアはもっと葉の数が多いから、たぶんネムノキだろう。
参考までにネムノキ(上)とアカシア(下)はこんな花が咲く。
アカシアはミモザみたいだが、それもそのはずで本来ミモザはオジギソウの別名で花の色はピンク系。しかし日本ではフサアカシアやギンヨウアカシアをミモザと呼んでいる。
日本ではと書いたものの、イタリアでもフサアカシアをミモザと呼ぶらしく、またロシア発祥のミモザサラダも卵の黄身を花の色に見立ててのネーミング。だから他にもアカシアをミモザと呼んでいる国は多いのかも知れない。
ツツジではなくアカシアの話題で盛り上がるのは致し方のないところーーー
園内にいたのは10分くらい(^^ゞ
まあバラが咲いていただけでも儲けもの。よく見ると2種類の赤いバラが咲いていた。
バラのアーチを眺めつつ、
後ろ髪は引かれずに公園を後にする。
多少の覚悟はしていたとはいえ、けっこうガッカリした。もう少し開花時期の違うツツジを植え揃えて欲しい。あるいはそうしていたのに異常気象でそれらも一斉に咲いてしまったのだろうか。それにしても自宅の周りの公園や街路樹のツツジはまだそこそこキレイだったから、どうしてここはこんなに全滅状態なのかが不思議。
でも実はこの日は平成つつじ公園だけの予定ではなく、ここは前菜の位置づけ。
それが救いで気を取り直す。
本日のメインは善福寺公園。4月7日にサクラを見てきた善福寺川緑地と和田堀公園の上流4キロほどの場所にある。本当は善福寺公園に行くだけの計画だったものの、ツツジも見たいなと思って平成つつじ公園が候補にあがった。それなら練馬から善福寺公園まで歩き、ゴールデンウィークだしどうせなら井の頭公園まで足を伸ばしちゃえと考えたのがこの日のお散歩プラン。
平成つつじ公園から善福寺公園まではゴーグルマップによれば約6.8km、さらに井の頭公園までで10kmの距離になる。疲れたら善福寺公園で終了の腹づもり。
駅まで戻り西武池袋線とほぼ並行に走っている千川通りに出る。
けっこういい感じの並木道が続く。
そしてほら、ところどころにツツジの街路樹。
ツツジ専門の平成つつじ公園より断然キレイじゃないか。
納得イカンゾ!
練馬駅の隣の中村橋駅付近で千川通りは線路から離れ出す。
なんか暑いなと思ったら、
並木&日陰が道路の反対側になっていたので移動。
お散歩アルアルな出来事。
環八を通過。
井草四丁目の六叉路を通過。
西武新宿線の上井草駅までやってきた。
自宅周辺は高架線路ばかりなので、
地面に引かれているレールが懐かしいというかもはや新鮮。
こんな写真まで撮ってしまう。
踏切を渡ると右側がゴルフの練習場で、左側は早稲田大学ラグビー部のグラウンド。正式名称は早大上井草グラウンド。ラグビー部の学生寮もある。たぶん中に入って練習を見学できるがこの日は素通り。
ラグビーグラウンドを過ぎた当たりで右折して住宅街に入る。
しばらく進むと青梅街道に出る。
そこを渡ると、
善福寺公園への案内標識があった。
その手前に善福寺。
「善福寺」の文字が微妙に右へ流れているのが気になる。
ところで善福寺川は、
当然この善福寺から名前をとったと思ってしまうが然に非ず(さにあらず)。
この寺の創建は不明だが、記録のある中興(途絶えていたのを復興させる)が1709年だからそこそこ古い。当時の名前は福寿庵。それを理由はわからないものの1942年(昭和17年)に、このあたりの地名の善福寺をとって善福寺に改称した。つまりよくある寺名 → 地名の関係とは逆のパターン。
ではなぜ地名が善福寺だったかというと、もっと以前に善福寺の名前を持つ寺があったから。それが地名や川の名前にもなった。そのオリジナル善福寺の創建や廃寺の時期は不明。
現在の善福寺から200mほど進んで左側の木々が善福寺公園。
善福寺公園に到着。
平成つつじ公園を出発してからちょうど1時間半だった。
偶然にもまたネムノキ(たぶん)。
ーーー続く
2024年05月11日
久しぶりに花の種まき
3月に種をまいたキンカンはやはり発芽せず。これで食べ終わった果物の種をベランダの余っているプランターにまくベランダ・フルーツガーデニングは、種まき数69、発芽数7で発芽率は10%に低下してしまった。
過去のまとめはこちらからどうぞ。
https://wassho.livedoor.blog/archives/53475699.html
それで久しぶりに花の種を播くかと思い立つ。
そんなことは2013年のヒマワリ以来。
そしてそのときは小学生の頃にヒマワリとアサガオの種を播いて以来だった(^^ゞ
とりあえず駅からの帰り道に100円ショップに立ち寄る。
何となくガーベラが欲しかったのになかったのでマリーゴールドと百日草を買う。
でもやはりガーベラが欲しくなり後日に園芸店に行くも売っておらず。
たくさん播くつもりはなかったのに気がついたら矢車草とミニヒマワリを買っていた。
種はなぜか ml(ミリリットル)と体積単位で表示され売られている。だからパッケージに何粒が入っているのかわからない。そこで内容チェック。
ミニヒマワリ 1 ml 23粒 フランス産
矢車草 2 ml 多数 中国産
百日草 1 ml 30粒ほどあったが、乾燥してペラペラなのもあった タンザニア産
マリーゴールド 1.5 ml 多数 なぜか「台湾・ポーランド産」との表記
大体これくらい入っているものだとのご参考に。
それにしても何粒はいっているかの目安くらいは書いておいて欲しい。
これだけの数があれば充分というか多すぎる。
なぜならどれも株間隔を20〜30cmとれと書いてあるから。
種はチューリップで使っていたプランターに播くつもりで、それは650型といわれる長辺が65cmのサイズ。でも内寸では59cmしかない。内寸短辺は17cm。
それだと59 ÷ 20 = 2.95なので2つしか種をまけない。
無理して両端と真ん中を使っても3つ。
ならばとジグザグにして斜めに20cmの間隔を確保。
また1箇所に2粒を播いた。
全部が発芽するとは限らないし、2つとも発芽したら間引く計画。
プランターの端ギリギリに播くのはどうかと思わなくはないが、まあ仕方がない。
それでもプランターひとつで育てられるのは4株。
650型プランターは8個あるが、チューリップのシーズンと違って他の植物もベランダに出してあるので、プランターを並べられるのは5つが限界。
というわけでたくさん種が入っていても、3品種は4株、1品種だけが8株になる。
もう少し間隔を詰めようかと考えるも、
とりあえず今回は指示通りにして大丈夫そうなら次回からそうするとした。
ベランダの隅に重ねて置いてあったプランター。
その上部にミニヒマワリとマリーゴールド。
これには百日草。
矢車草はプランター2つ。
他は黄色あるいは黄色が入っているので色のバランスで。
当初のプランにはなかったものの、フルーツガーデニングに使っていたプランターにもミニヒマワリを播いた。これでミニヒマワリは8株。
土はチューリップ時代のを少し取り除いて、「古い土の再生材(中身は腐葉土)」と油かすを適当に入れて全体をかき混ぜた。フルーツガーデニング用のプランターは何もせずそのまま。ここしばらく発芽していないから養分も減っていないはず(^^ゞ
作業したのは5月2日。
そして5月8日に初発芽!
ひょっとしたら前日かも知れないが留守にしていたので確認できず。
百日草 7発芽
矢車草 3発芽
マリーゴールド 4発芽
ピンボケしている写真もあるが、発芽したばかりなので見た目はどれも変わらない。
そして5月10日にミニヒマワリもひとつ初発芽\(^o^)/
同じく見た目は他の品種と変わらず。
本日現在は
百日草:7発芽
矢車草:6発芽
マリーゴールド:6発芽
ミニヒマワリ:3発芽
全部でで44粒播いたから合計発芽率は48%。まあまあかな。あと1週間ほど様子を見て、間引き、可能なら場所移動、あるいは再種まきをする予定。
過去のまとめはこちらからどうぞ。
https://wassho.livedoor.blog/archives/53475699.html
それで久しぶりに花の種を播くかと思い立つ。
そんなことは2013年のヒマワリ以来。
そしてそのときは小学生の頃にヒマワリとアサガオの種を播いて以来だった(^^ゞ
とりあえず駅からの帰り道に100円ショップに立ち寄る。
何となくガーベラが欲しかったのになかったのでマリーゴールドと百日草を買う。
でもやはりガーベラが欲しくなり後日に園芸店に行くも売っておらず。
たくさん播くつもりはなかったのに気がついたら矢車草とミニヒマワリを買っていた。
種はなぜか ml(ミリリットル)と体積単位で表示され売られている。だからパッケージに何粒が入っているのかわからない。そこで内容チェック。
ミニヒマワリ 1 ml 23粒 フランス産
矢車草 2 ml 多数 中国産
百日草 1 ml 30粒ほどあったが、乾燥してペラペラなのもあった タンザニア産
マリーゴールド 1.5 ml 多数 なぜか「台湾・ポーランド産」との表記
大体これくらい入っているものだとのご参考に。
それにしても何粒はいっているかの目安くらいは書いておいて欲しい。
これだけの数があれば充分というか多すぎる。
なぜならどれも株間隔を20〜30cmとれと書いてあるから。
種はチューリップで使っていたプランターに播くつもりで、それは650型といわれる長辺が65cmのサイズ。でも内寸では59cmしかない。内寸短辺は17cm。
それだと59 ÷ 20 = 2.95なので2つしか種をまけない。
無理して両端と真ん中を使っても3つ。
ならばとジグザグにして斜めに20cmの間隔を確保。
また1箇所に2粒を播いた。
全部が発芽するとは限らないし、2つとも発芽したら間引く計画。
プランターの端ギリギリに播くのはどうかと思わなくはないが、まあ仕方がない。
それでもプランターひとつで育てられるのは4株。
650型プランターは8個あるが、チューリップのシーズンと違って他の植物もベランダに出してあるので、プランターを並べられるのは5つが限界。
というわけでたくさん種が入っていても、3品種は4株、1品種だけが8株になる。
もう少し間隔を詰めようかと考えるも、
とりあえず今回は指示通りにして大丈夫そうなら次回からそうするとした。
ベランダの隅に重ねて置いてあったプランター。
その上部にミニヒマワリとマリーゴールド。
これには百日草。
矢車草はプランター2つ。
他は黄色あるいは黄色が入っているので色のバランスで。
当初のプランにはなかったものの、フルーツガーデニングに使っていたプランターにもミニヒマワリを播いた。これでミニヒマワリは8株。
土はチューリップ時代のを少し取り除いて、「古い土の再生材(中身は腐葉土)」と油かすを適当に入れて全体をかき混ぜた。フルーツガーデニング用のプランターは何もせずそのまま。ここしばらく発芽していないから養分も減っていないはず(^^ゞ
作業したのは5月2日。
そして5月8日に初発芽!
ひょっとしたら前日かも知れないが留守にしていたので確認できず。
百日草 7発芽
矢車草 3発芽
マリーゴールド 4発芽
ピンボケしている写真もあるが、発芽したばかりなので見た目はどれも変わらない。
そして5月10日にミニヒマワリもひとつ初発芽\(^o^)/
同じく見た目は他の品種と変わらず。
本日現在は
百日草:7発芽
矢車草:6発芽
マリーゴールド:6発芽
ミニヒマワリ:3発芽
全部でで44粒播いたから合計発芽率は48%。まあまあかな。あと1週間ほど様子を見て、間引き、可能なら場所移動、あるいは再種まきをする予定。
2024年05月08日
玉敷公園のフジ その3&よさこい
最初に見た藤棚と、隣にあるステージと芝生広場。
ここでヨサコイをやるとアナウンスがあった。
そのメンバーたちが準備中。
芝生広場の反対側の藤棚を眺める。
ここのフジは最初に見た藤棚や大藤と較べてかなり短い。
ヨサコイが始まった。
最初に「まず2曲踊ります、その後、踊り子さんがしばらく休憩します」とアナウンスが流れる。踊り子さんーーーと「さん」をつけると何かヘンな感じ(^^ゞ
小さな女の子が一生懸命に旗を振っていて可愛い。
しかし人数が少なかったのと、ヨサコイはド派手な衣装と思っていたから、ちょっとイメージと違った。いわゆる創作ダンスを見たような印象。画像はグーグルの検索画面
ところでヨサコイとはよく耳にするのに、
イマイチ意味を理解していなかったので調べてみた。
大きくはヨサコイとYOSAKOIソーランに分かれる。
まずはよさこい。平仮名だと文章の中で読みにくいので、片仮名でヨサコイと書いてきたが「よさこい」が正しい表記。
これは高知の「よさこい祭り」が発祥。
1954年(昭和29年)に徳島の阿波踊りに対抗する商工会議所の企画として始まった。
鳴子(なるこ)と呼ばれる、
振るとカチャカチャと音の出る道具を使うのが特徴だが、
当初は盆踊り的だった模様。鳴子のことを知らなければファッション的にも阿波踊りと見分けが付かない。写真は1959年(昭和34年)の撮影。画像はhttps://story.nakagawa-masashichi.jp/103441から引用
1971年(昭和46年)にニース(フランス)のカーニバルに参加招待さる。この時に同じく招待されていた新潟の「佐渡おけさ」、山形の「花笠踊り」などと差別化するためにサンバ調のリズムに変更された。
その作戦が功を奏し現地では大受け。
国内でもニュースになる。
それをきっかけにロックその他の音楽を取り入れたり、
ダンスとしての振り付けが行われるようになる。
そして平成になって大きな転機。
北海道の大学生が高知でよさこい祭りを見て感動。この光景を北海道でもと企画立案し、1992年(平成4年)に高知の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」を融合させた「YOSAKOIソーラン祭り」を10チーム・1000名で開催する。
その学生とは飛行機内でのCAへの横柄な態度を吉幾三に暴露され、それがきっかけで札幌市職員に対するパワハラも発覚して絶賛炎上した長谷川岳参議院議員だったというからビックリ。ヨサコイの第二の生みの親だったのに、いつから天狗になったんや長谷川ちゃん(/o\)
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
北海道でのYOSAKOIソーラン祭り成功をきっかけにヨサコイは全国に広まり、1999年(平成11年)には高知で「よさこい全国大会」が開催されるまでに。現在は全国で800以上のよさこいイベントが開催されているともいわれる。
高知・北海道・それ以外を区別するために
高知:よさこい
北海道:ソーラン
それ以外:よさこいソーラン
と呼び分けたりもする。
この日のイベントでも「よさこいソーラン」と紹介されていた。
でも一般的には単に「よさこい」と呼んでいるような気がするな。
ヨサコイの基本ルールはシンプル。発祥の高知ではまず鳴子を持って踊ること。また曲のどこかに「よさこい鳴子踊り」の一部を取り入れるの2つだけ。「よさこい鳴子踊り」は民謡「よさこい節」をベースに初期のよさこい祭りのために作られた曲。
それが北海道では「ソーラン節」に変えられ、それに倣って各地ではそれぞれの地元民謡などを取り入れている。なお北海道でも鳴子は持つが鳴らさないことも多い。この日のメンバーは鳴子を持っていなかった。
大きな違いは高知では踊りながらのパレードなのに対して、北海道ではステージでのダンス披露が基本となる。これは雪の降る北海道では冬の練習が屋内だからそうなったらしい。
ちなみに「よさこい」とは「夜さり来い→夜さ来い=夜にいらっしゃい」の古語が変化した言葉。ただしどうして「夜にいらっしゃい」というのかは解説が見つからなかった。
いろいろ調べていたら見たくなってきちゃった(^^ゞ
東京でも夏に原宿や池袋であるみたいなので出かけてみようか。
さてミニよさこいを見た後は公園内をまたひと回り。
フジの新緑もなかなかキレイ。
フジの花は小さいし風で揺れるのでアップでは撮りにくい。
なおかつその形はたいして美しくもない(^^ゞ
やはりフジは香ってナンボの世界。
もう10日経つのに、
まだ鼻の奥に甘い香りの記憶が残っている。
玉敷公園は想像していた以上にいい藤棚だった。
藤棚は旧河野邸を含め大小合わせて6つ。
そしてこの規模が無料なのも初めてだし素晴らしい。
都内からだと遠いけれど、フジ好きなら訪れる価値があるのは保証するよ。
おしまい
<補足>
この日は4月なのに30度超えの真夏日!
ここでヨサコイをやるとアナウンスがあった。
そのメンバーたちが準備中。
芝生広場の反対側の藤棚を眺める。
ここのフジは最初に見た藤棚や大藤と較べてかなり短い。
ヨサコイが始まった。
最初に「まず2曲踊ります、その後、踊り子さんがしばらく休憩します」とアナウンスが流れる。踊り子さんーーーと「さん」をつけると何かヘンな感じ(^^ゞ
小さな女の子が一生懸命に旗を振っていて可愛い。
しかし人数が少なかったのと、ヨサコイはド派手な衣装と思っていたから、ちょっとイメージと違った。いわゆる創作ダンスを見たような印象。画像はグーグルの検索画面
ところでヨサコイとはよく耳にするのに、
イマイチ意味を理解していなかったので調べてみた。
大きくはヨサコイとYOSAKOIソーランに分かれる。
まずはよさこい。平仮名だと文章の中で読みにくいので、片仮名でヨサコイと書いてきたが「よさこい」が正しい表記。
これは高知の「よさこい祭り」が発祥。
1954年(昭和29年)に徳島の阿波踊りに対抗する商工会議所の企画として始まった。
鳴子(なるこ)と呼ばれる、
振るとカチャカチャと音の出る道具を使うのが特徴だが、
当初は盆踊り的だった模様。鳴子のことを知らなければファッション的にも阿波踊りと見分けが付かない。写真は1959年(昭和34年)の撮影。画像はhttps://story.nakagawa-masashichi.jp/103441から引用
1971年(昭和46年)にニース(フランス)のカーニバルに参加招待さる。この時に同じく招待されていた新潟の「佐渡おけさ」、山形の「花笠踊り」などと差別化するためにサンバ調のリズムに変更された。
その作戦が功を奏し現地では大受け。
国内でもニュースになる。
それをきっかけにロックその他の音楽を取り入れたり、
ダンスとしての振り付けが行われるようになる。
そして平成になって大きな転機。
北海道の大学生が高知でよさこい祭りを見て感動。この光景を北海道でもと企画立案し、1992年(平成4年)に高知の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」を融合させた「YOSAKOIソーラン祭り」を10チーム・1000名で開催する。
その学生とは飛行機内でのCAへの横柄な態度を吉幾三に暴露され、それがきっかけで札幌市職員に対するパワハラも発覚して絶賛炎上した長谷川岳参議院議員だったというからビックリ。ヨサコイの第二の生みの親だったのに、いつから天狗になったんや長谷川ちゃん(/o\)
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
北海道でのYOSAKOIソーラン祭り成功をきっかけにヨサコイは全国に広まり、1999年(平成11年)には高知で「よさこい全国大会」が開催されるまでに。現在は全国で800以上のよさこいイベントが開催されているともいわれる。
高知・北海道・それ以外を区別するために
高知:よさこい
北海道:ソーラン
それ以外:よさこいソーラン
と呼び分けたりもする。
この日のイベントでも「よさこいソーラン」と紹介されていた。
でも一般的には単に「よさこい」と呼んでいるような気がするな。
ヨサコイの基本ルールはシンプル。発祥の高知ではまず鳴子を持って踊ること。また曲のどこかに「よさこい鳴子踊り」の一部を取り入れるの2つだけ。「よさこい鳴子踊り」は民謡「よさこい節」をベースに初期のよさこい祭りのために作られた曲。
それが北海道では「ソーラン節」に変えられ、それに倣って各地ではそれぞれの地元民謡などを取り入れている。なお北海道でも鳴子は持つが鳴らさないことも多い。この日のメンバーは鳴子を持っていなかった。
大きな違いは高知では踊りながらのパレードなのに対して、北海道ではステージでのダンス披露が基本となる。これは雪の降る北海道では冬の練習が屋内だからそうなったらしい。
ちなみに「よさこい」とは「夜さり来い→夜さ来い=夜にいらっしゃい」の古語が変化した言葉。ただしどうして「夜にいらっしゃい」というのかは解説が見つからなかった。
いろいろ調べていたら見たくなってきちゃった(^^ゞ
東京でも夏に原宿や池袋であるみたいなので出かけてみようか。
さてミニよさこいを見た後は公園内をまたひと回り。
フジの新緑もなかなかキレイ。
フジの花は小さいし風で揺れるのでアップでは撮りにくい。
なおかつその形はたいして美しくもない(^^ゞ
やはりフジは香ってナンボの世界。
もう10日経つのに、
まだ鼻の奥に甘い香りの記憶が残っている。
玉敷公園は想像していた以上にいい藤棚だった。
藤棚は旧河野邸を含め大小合わせて6つ。
そしてこの規模が無料なのも初めてだし素晴らしい。
都内からだと遠いけれど、フジ好きなら訪れる価値があるのは保証するよ。
おしまい
<補足>
この日は4月なのに30度超えの真夏日!
2024年05月07日
玉敷公園のフジ その2
玉敷神社の参道途中から公園に向かう。
行列ができているお団子屋さん屋台カーを過ぎると、
ドカーンと大きな藤棚。
これだけの規模は久しぶり。
これが短辺。
長辺は写真1枚には収まりきらない。
目測で12m x 35m 位。だとしたら面積は420平方メートルの計算。
日の当たっているところは枯れ始めたり色あせたりしていたものの、
全体的には充分に見頃なタイミングで来られたと思う。
そして藤棚の中に入ると濃厚な甘い香りに包まれる。
クンクンする必要がまったくないのはこの規模だからこそ。
それを味わいたくてここまでやってきたのよ\(^o^)/
フジのカーテン。
自宅近くに藤棚のある公園やお寺はいくつかあっても、
こんな風には長く伸びていない。何が違うのだろう。
ところが、その長く伸びた房をニコニコして眺めていたら、
地元の人の会話があちこちから聞こえてきた。
「今年は短いな」
「昔と較べると半分の長さしかない」
へえ〜、そうなんだ。
左側の藤棚に移る。
写真では右と較べて小さく見えるがこちらの方が広い。ほぼ正方形で面積は700平方メートルといわれているから、ルート計算では26メートル四方くらい。
ただしフジの下には入れず外から眺めるだけ。
中にあるのは樹齢450年とされる埼玉県指定天然記念物の大藤。
こりらのほうが色が少し濃かったかな。
俳句コンテストもやっているみたい。
大藤の隣に池があってその畔(ほとり)に白フジ。
白は紫より遅れて咲くので、こちらの方がみずみずしかった。
白フジの棚は規模が小さく房も短いので積極的なクンクンが必要。
紫と較べるとややすっきりとした香りなのが白フジの特徴。
白フジと紫フジを一緒に。
少し高くなっているところから。
中央に広がっているのが大藤と最初に見た藤棚。
屋台の前を通って最初の地点に戻る。
左右に広がっているのが最初の藤棚、こちらに延びているのが大藤。
最初の藤棚の反対側はステージ状に高くなっている。
そこから見下ろして。
ステージの前は芝生広場と、その先にまた藤棚。
ステージの横に小さな藤棚。
その付近にツツジも咲いている。
ツツジ特有の色が飽和したような見え方が好き。
でも全体的に期待したほどは咲いていなかった。
フジと一緒に撮るもツツジの花数が物足りない。
まあ欲張ってはいけません。
ーーー続く
行列ができているお団子屋さん屋台カーを過ぎると、
ドカーンと大きな藤棚。
これだけの規模は久しぶり。
これが短辺。
長辺は写真1枚には収まりきらない。
目測で12m x 35m 位。だとしたら面積は420平方メートルの計算。
日の当たっているところは枯れ始めたり色あせたりしていたものの、
全体的には充分に見頃なタイミングで来られたと思う。
そして藤棚の中に入ると濃厚な甘い香りに包まれる。
クンクンする必要がまったくないのはこの規模だからこそ。
それを味わいたくてここまでやってきたのよ\(^o^)/
フジのカーテン。
自宅近くに藤棚のある公園やお寺はいくつかあっても、
こんな風には長く伸びていない。何が違うのだろう。
ところが、その長く伸びた房をニコニコして眺めていたら、
地元の人の会話があちこちから聞こえてきた。
「今年は短いな」
「昔と較べると半分の長さしかない」
へえ〜、そうなんだ。
左側の藤棚に移る。
写真では右と較べて小さく見えるがこちらの方が広い。ほぼ正方形で面積は700平方メートルといわれているから、ルート計算では26メートル四方くらい。
ただしフジの下には入れず外から眺めるだけ。
中にあるのは樹齢450年とされる埼玉県指定天然記念物の大藤。
こりらのほうが色が少し濃かったかな。
俳句コンテストもやっているみたい。
大藤の隣に池があってその畔(ほとり)に白フジ。
白は紫より遅れて咲くので、こちらの方がみずみずしかった。
白フジの棚は規模が小さく房も短いので積極的なクンクンが必要。
紫と較べるとややすっきりとした香りなのが白フジの特徴。
白フジと紫フジを一緒に。
少し高くなっているところから。
中央に広がっているのが大藤と最初に見た藤棚。
屋台の前を通って最初の地点に戻る。
左右に広がっているのが最初の藤棚、こちらに延びているのが大藤。
最初の藤棚の反対側はステージ状に高くなっている。
そこから見下ろして。
ステージの前は芝生広場と、その先にまた藤棚。
ステージの横に小さな藤棚。
その付近にツツジも咲いている。
ツツジ特有の色が飽和したような見え方が好き。
でも全体的に期待したほどは咲いていなかった。
フジと一緒に撮るもツツジの花数が物足りない。
まあ欲張ってはいけません。
ーーー続く
2024年05月06日
玉敷公園のフジ
久しぶりに大規模な藤棚で存分にクンクンしたいと思い立ち、
4月28日に埼玉県は加須市の玉敷公園まで出かけてきた。
加須市は読み方もわからなかったが「かぞ」市で、地図を見ると群馬・茨城・栃木に接する埼玉県北東部のディープなエリア。
乗り換え案内アプリによると東横線で渋谷→JR湘南新宿ラインで大宮→JR宇都宮線で久喜(くき)→東武伊勢崎線で加須までと提示された。「宇都宮線」なんて名前だけでも遠くに出かけるイメージ。
当日は10時9分発の湘南新宿ライン特別快速に乗るはずが、10時3分発の埼京線に乗ってしまった。同じホームで大宮行きと表示されていて快速だったし、先に発車するこちらの方が早いのかなと思って。しかし最初はよかったもののだんだんと停まる駅が多くなり、特に最後のほうは各駅停車状態。後で数えてみると湘南新宿ライン特別快速が渋谷から大宮間で4駅停まるだけに対して、埼京線快速は11駅も停まっていた。
結果、湘南新宿ライン特別快速なら10時44分に着いたはずが、埼京線快速では10時50分と6分遅れ。これだけならたいした違いではないけれど、その後も1本ずつ遅れて次の電車が来るまでの間隔も長いから、トータルでは30分ほどのロス。乗り換え案内アプリはいろいろ計算してくれているので素直に信じましょう(^^ゞ
ところで埼玉に行くのに「湘南新宿ライン」なんて妙な感じだが、これは山手線〜赤羽線〜東北本線をまたいで運行する列車の通称。埼京線も同じネーミング手法で正式な線路名称ではない。このあたりの仕組みは複雑であまり理解していない。乗り換え案内アプリが普及したから、これからも理解することはないと思う。
さて大宮から宇都宮線に乗り換えてしばらくすると、いかにも地方都市の郊外な雰囲気になってくる。車窓から見えるのは駅の前後を除けば戸建て住宅のみ。つまりビルやマンションなどの高い建物は皆無。緑も多く空がやたら広い。それを眺めていると身体から緊張感が抜けてリラックスし、時間もゆっくり流れている感覚になる。いや別に毎日緊張を感じながら生活している意識はまったくないのに、都会に住むのはそれだけでプレッシャーが掛かっているものなのかな。
とにかくもうフジなど見に行かないで、このまま宇都宮線に乗っていようかという心地よい気分だった(^^ゞ ストレスが溜まっている人には、とりあえず地方まで電車に乗りに行くミニミニ旅行をお勧めしたい。
久喜から伊勢崎線に乗り換えて加須に到着。
所要時間はドア to 改札で2時間半ほどだった。
改札や駅舎出入り口に鯉のぼりがあしらわれているのは、もうすぐ5月5日の端午の節句だからじゃない。戦前は生産量日本一となるなど、ここはかつて鯉のぼり作りが盛んだったから。ただし現在の状況は調べてもわからなかった。昭和の初めには40社以上あった製造・販売業者が現在は3社しか残っていないらしいので、駅のディスプレイに使うほどの生産規模なのかな。ちなみに現在の生産量日本一は岡山県。
それでも長さ100メートルの鯉のぼりを揚げるイベントは有名で、
ニュースで取り上げられることも多い。
それを見た記憶はあっても、加須市とまでは覚えていなかったm(_ _)m 画像はhttps://www.qualitysaitama.com/newspost/44730とhttps://www.city.kazo.lg.jp/soshiki/shougyou_kankou/event/5650.htmlから引用
駅前のロータリー。
鯉のぼりがいくつか見える。
それにしてもガラーンとした風景。
さてまだ駅に着いただけである。
ここからバスに乗って玉敷公園まで行く。
藤まつり期間は無料送迎バスが提供されている。
1時間に2本だけだけれど、ちょうどいいタイミングで駅に着いた。
それは間違って埼京線に乗ったおかげ。日頃の行いがいいとこうなる(^^ゞ
無料送迎バスは乗り合いバスと同じ車両だし、「ここが乗り場」と目立つ看板なども出ておらず、案内のオッチャンが立っているだけなのでわかりにくい。
ロータリーを離れて数分すると車窓からの光景はこんな感じ。
航空写真で見ると見事に農地だらけ。
到着したのは工場の空き地のような場所。
乗車時間は約15分。
ところどころに置かれた案内に沿って歩いて行く。
公園に隣接する玉敷神社に着いた。
平安時代初期からあると書かれている。
現在の場所に移ってきたのは1627年。
なお玉敷公園は、玉敷神社の神苑(神社付属の庭園)だった場所。
鳥居が3つもある長い参道。
距離約200メートル。
本殿到着。
左側に神楽殿。
屋根は茅葺き。
拝殿と本殿は一体タイプ。
大きくはないが端正なデザインでいい雰囲気。本殿が1816年、拝殿が1898年(明治31年)の建築とされるから、それほど古くはない。
神社のすぐ近くに醸造所がある加須市の地酒。
新緑がキレイだった。
参道の脇にあったこの門をくぐると、
藤棚を発見。
ただし普通の公園サイズ。
地下で水音が鳴る水琴窟(すいきんくつ)があったので、イラストにあるように竹筒を当てて聴いてみる。でも水の量が少なすぎて、何か聞こえたか聞こえなかったか程度(/o\)
ツツジ。
紫で花びらが細いのはモチツツジで(たぶん)、
黄色の花は八重咲きのヤマブキ(たぶん)。
ここは玉敷公園の旧河野邸と呼ばれるエリア。
案内図を見ると植物ではアジサイがメインみたい。
河野家は玉敷神社に仕える神官の家系。
そこから出た河野省三(1882年・明治15年〜1963年・昭和38年)が神道と国学の学者として有名らしい。国学院大学の学長にも就任している。
この旧河野邸は玉敷公園の飛び地みたいな存在。
メインのエリアには神社参道の途中を右折して入っていく。
ーーー続く
4月28日に埼玉県は加須市の玉敷公園まで出かけてきた。
加須市は読み方もわからなかったが「かぞ」市で、地図を見ると群馬・茨城・栃木に接する埼玉県北東部のディープなエリア。
乗り換え案内アプリによると東横線で渋谷→JR湘南新宿ラインで大宮→JR宇都宮線で久喜(くき)→東武伊勢崎線で加須までと提示された。「宇都宮線」なんて名前だけでも遠くに出かけるイメージ。
当日は10時9分発の湘南新宿ライン特別快速に乗るはずが、10時3分発の埼京線に乗ってしまった。同じホームで大宮行きと表示されていて快速だったし、先に発車するこちらの方が早いのかなと思って。しかし最初はよかったもののだんだんと停まる駅が多くなり、特に最後のほうは各駅停車状態。後で数えてみると湘南新宿ライン特別快速が渋谷から大宮間で4駅停まるだけに対して、埼京線快速は11駅も停まっていた。
結果、湘南新宿ライン特別快速なら10時44分に着いたはずが、埼京線快速では10時50分と6分遅れ。これだけならたいした違いではないけれど、その後も1本ずつ遅れて次の電車が来るまでの間隔も長いから、トータルでは30分ほどのロス。乗り換え案内アプリはいろいろ計算してくれているので素直に信じましょう(^^ゞ
ところで埼玉に行くのに「湘南新宿ライン」なんて妙な感じだが、これは山手線〜赤羽線〜東北本線をまたいで運行する列車の通称。埼京線も同じネーミング手法で正式な線路名称ではない。このあたりの仕組みは複雑であまり理解していない。乗り換え案内アプリが普及したから、これからも理解することはないと思う。
さて大宮から宇都宮線に乗り換えてしばらくすると、いかにも地方都市の郊外な雰囲気になってくる。車窓から見えるのは駅の前後を除けば戸建て住宅のみ。つまりビルやマンションなどの高い建物は皆無。緑も多く空がやたら広い。それを眺めていると身体から緊張感が抜けてリラックスし、時間もゆっくり流れている感覚になる。いや別に毎日緊張を感じながら生活している意識はまったくないのに、都会に住むのはそれだけでプレッシャーが掛かっているものなのかな。
とにかくもうフジなど見に行かないで、このまま宇都宮線に乗っていようかという心地よい気分だった(^^ゞ ストレスが溜まっている人には、とりあえず地方まで電車に乗りに行くミニミニ旅行をお勧めしたい。
久喜から伊勢崎線に乗り換えて加須に到着。
所要時間はドア to 改札で2時間半ほどだった。
改札や駅舎出入り口に鯉のぼりがあしらわれているのは、もうすぐ5月5日の端午の節句だからじゃない。戦前は生産量日本一となるなど、ここはかつて鯉のぼり作りが盛んだったから。ただし現在の状況は調べてもわからなかった。昭和の初めには40社以上あった製造・販売業者が現在は3社しか残っていないらしいので、駅のディスプレイに使うほどの生産規模なのかな。ちなみに現在の生産量日本一は岡山県。
それでも長さ100メートルの鯉のぼりを揚げるイベントは有名で、
ニュースで取り上げられることも多い。
それを見た記憶はあっても、加須市とまでは覚えていなかったm(_ _)m 画像はhttps://www.qualitysaitama.com/newspost/44730とhttps://www.city.kazo.lg.jp/soshiki/shougyou_kankou/event/5650.htmlから引用
駅前のロータリー。
鯉のぼりがいくつか見える。
それにしてもガラーンとした風景。
さてまだ駅に着いただけである。
ここからバスに乗って玉敷公園まで行く。
藤まつり期間は無料送迎バスが提供されている。
1時間に2本だけだけれど、ちょうどいいタイミングで駅に着いた。
それは間違って埼京線に乗ったおかげ。日頃の行いがいいとこうなる(^^ゞ
無料送迎バスは乗り合いバスと同じ車両だし、「ここが乗り場」と目立つ看板なども出ておらず、案内のオッチャンが立っているだけなのでわかりにくい。
ロータリーを離れて数分すると車窓からの光景はこんな感じ。
航空写真で見ると見事に農地だらけ。
到着したのは工場の空き地のような場所。
乗車時間は約15分。
ところどころに置かれた案内に沿って歩いて行く。
公園に隣接する玉敷神社に着いた。
平安時代初期からあると書かれている。
現在の場所に移ってきたのは1627年。
なお玉敷公園は、玉敷神社の神苑(神社付属の庭園)だった場所。
鳥居が3つもある長い参道。
距離約200メートル。
本殿到着。
左側に神楽殿。
屋根は茅葺き。
拝殿と本殿は一体タイプ。
大きくはないが端正なデザインでいい雰囲気。本殿が1816年、拝殿が1898年(明治31年)の建築とされるから、それほど古くはない。
神社のすぐ近くに醸造所がある加須市の地酒。
新緑がキレイだった。
参道の脇にあったこの門をくぐると、
藤棚を発見。
ただし普通の公園サイズ。
地下で水音が鳴る水琴窟(すいきんくつ)があったので、イラストにあるように竹筒を当てて聴いてみる。でも水の量が少なすぎて、何か聞こえたか聞こえなかったか程度(/o\)
ツツジ。
紫で花びらが細いのはモチツツジで(たぶん)、
黄色の花は八重咲きのヤマブキ(たぶん)。
ここは玉敷公園の旧河野邸と呼ばれるエリア。
案内図を見ると植物ではアジサイがメインみたい。
河野家は玉敷神社に仕える神官の家系。
そこから出た河野省三(1882年・明治15年〜1963年・昭和38年)が神道と国学の学者として有名らしい。国学院大学の学長にも就任している。
この旧河野邸は玉敷公園の飛び地みたいな存在。
メインのエリアには神社参道の途中を右折して入っていく。
ーーー続く
2024年05月04日
金盛丸 腐る!
2019年12月に世田谷のボロ市で買ってきた、
金盛丸というまるで釣り船のような名前のサボテン。
上の写真では左奥に見えている子株が成長して圧迫されてきたので、
2つのプランターに分離したのが2020年9月。
それが2023年4月には子株がモリモリ増殖。
なので2023年5月1日に、
買ってきたときのメインの株
買ってきたときから付いていた子株1号
ベランダで増えた子株の大きいもの
ベランダで増えた子株の小さいもの
の4プランターに整理して植え替えた。
しかしメインの株と子株1号にまた新たな子株が。
撮影は約7ヶ月後の2023年11月19日。
たった7ヶ月でこれだけ増えるのは想定外。
そしてこれが先日2024年4月27日の写真。
意外にも昨年11月からはそれほど増えていない。それはその後に冬だったからで、おそらくこれから夏に向けてまたウジャウジャ子株が生えてくるに違いない。まさに「どうするの、これ?」状態。
ーーーなどと思いながら眺めていると上の写真で左手前の、植えたときは豆粒みたいに小さかった子株を集めたプランターで、グラついている株がひとつあるのを発見。
触ってみるとあっさりと崩れて、
黒く腐っている状態。
どうしたんだろう?
普通に衰弱したのか、あるいは何か病気が原因か。
もし病気だと伝染したら困るのでプランターに残った部分も取り除く。
今のところ腐っていたのはひと株だけ。
増えすぎて困るなあと思っていたのに、
ひとつ枯れただけでショボーンとしちゃうのが我ながら可愛い(^^ゞ
金盛丸というまるで釣り船のような名前のサボテン。
上の写真では左奥に見えている子株が成長して圧迫されてきたので、
2つのプランターに分離したのが2020年9月。
それが2023年4月には子株がモリモリ増殖。
なので2023年5月1日に、
買ってきたときのメインの株
買ってきたときから付いていた子株1号
ベランダで増えた子株の大きいもの
ベランダで増えた子株の小さいもの
の4プランターに整理して植え替えた。
しかしメインの株と子株1号にまた新たな子株が。
撮影は約7ヶ月後の2023年11月19日。
たった7ヶ月でこれだけ増えるのは想定外。
そしてこれが先日2024年4月27日の写真。
意外にも昨年11月からはそれほど増えていない。それはその後に冬だったからで、おそらくこれから夏に向けてまたウジャウジャ子株が生えてくるに違いない。まさに「どうするの、これ?」状態。
ーーーなどと思いながら眺めていると上の写真で左手前の、植えたときは豆粒みたいに小さかった子株を集めたプランターで、グラついている株がひとつあるのを発見。
触ってみるとあっさりと崩れて、
黒く腐っている状態。
どうしたんだろう?
普通に衰弱したのか、あるいは何か病気が原因か。
もし病気だと伝染したら困るのでプランターに残った部分も取り除く。
今のところ腐っていたのはひと株だけ。
増えすぎて困るなあと思っていたのに、
ひとつ枯れただけでショボーンとしちゃうのが我ながら可愛い(^^ゞ
2024年05月02日
クリスマス・カクタスの剪定 2024
前シーズンは一度も部屋に入れず、いわゆる短日処理をしなかったのに咲いてくれたクリスマス・カクタス。花数は多くないもののそれなりに楽しめた。これは1月6日の撮影。
そしてだいたいゴールデンウィークの辺りに剪定するのがルーティーン。
今年は4月27日にちぎってあげた。
現在4鉢あって、それは2008年11月にひと鉢買って、
それから剪定でちぎった茎で増やしてきたもの。
これはその新4代目その1。
2021年に状態のよい株だけを残して植え替えて、それからすこぶる元気。
茎が上へと高く伸びている。
こちらは新4代目その2。
同じく植え替えて元気だったのに、2月頃から弱りだし一部は萎びている状態。
2022年春に挿し芽で増やした5代目その1。
挿し芽から花を咲かすまでは2年が必要で、
2023〜24年の前シーズンに初めて少しだけ咲いた。
さらに2023年春に挿し芽した5代目その2。
前シーズンはつぼみをつけただけで開花せず。
クリスマス・カクタスはサボテンなので葉のように見えるのは茎。
節をつけながら伸びていき、その節の部分でちぎってカットするのが剪定。
剪定後の新4代目その1。
これくらいバッサリやっても夏には元通りになる。
5代目その1とその2。
ちょっと株を間引いたほうがいいかなと思いつつ、とりあえずちぎっただけ。
間引くなら、もう少し様子を見てからにしましょう。
新4代目その2は萎びているのはもちろん、全体的に弱っているので全部引っこ抜いて5代目その3を作るつもりだったが、
この株はまだ元気だったので捨てるのが忍びなく(^^ゞ
新4代目その2と5代目その3のミックスバージョンになってしまった。
挿し芽は3枚ほど重ねるのがここしばらくのやり方。
このまま育つわけではなく、どれか強いのが伸びていく。
ミックスバージョンはプランターの土を半分ほど取り除き、そこに2022年までチューリップに使いそのまま放置してあった土と、100円ショップで売っていた「古い土の再生材」&油かすを適当にブレンドして追加。「古い土の再生材」は何も記載が無かったけれど、単なる腐葉土だと思う。
その後、すべてのプランターに化成肥料をパラパラ撒いて選定作業終了。
今年も咲いてくれますように!
そしてだいたいゴールデンウィークの辺りに剪定するのがルーティーン。
今年は4月27日にちぎってあげた。
現在4鉢あって、それは2008年11月にひと鉢買って、
それから剪定でちぎった茎で増やしてきたもの。
これはその新4代目その1。
2021年に状態のよい株だけを残して植え替えて、それからすこぶる元気。
茎が上へと高く伸びている。
こちらは新4代目その2。
同じく植え替えて元気だったのに、2月頃から弱りだし一部は萎びている状態。
2022年春に挿し芽で増やした5代目その1。
挿し芽から花を咲かすまでは2年が必要で、
2023〜24年の前シーズンに初めて少しだけ咲いた。
さらに2023年春に挿し芽した5代目その2。
前シーズンはつぼみをつけただけで開花せず。
クリスマス・カクタスはサボテンなので葉のように見えるのは茎。
節をつけながら伸びていき、その節の部分でちぎってカットするのが剪定。
剪定後の新4代目その1。
これくらいバッサリやっても夏には元通りになる。
5代目その1とその2。
ちょっと株を間引いたほうがいいかなと思いつつ、とりあえずちぎっただけ。
間引くなら、もう少し様子を見てからにしましょう。
新4代目その2は萎びているのはもちろん、全体的に弱っているので全部引っこ抜いて5代目その3を作るつもりだったが、
この株はまだ元気だったので捨てるのが忍びなく(^^ゞ
新4代目その2と5代目その3のミックスバージョンになってしまった。
挿し芽は3枚ほど重ねるのがここしばらくのやり方。
このまま育つわけではなく、どれか強いのが伸びていく。
ミックスバージョンはプランターの土を半分ほど取り除き、そこに2022年までチューリップに使いそのまま放置してあった土と、100円ショップで売っていた「古い土の再生材」&油かすを適当にブレンドして追加。「古い土の再生材」は何も記載が無かったけれど、単なる腐葉土だと思う。
その後、すべてのプランターに化成肥料をパラパラ撒いて選定作業終了。
今年も咲いてくれますように!














































































































































































































































































































































































































































































