2024年10月
2024年10月26日
カモシカのような脚のナゾ その2
カモシカの脚は細くないし短いのに、どうしてスラッと長い美脚を「カモシカのような脚」なんて表現するのか。前回に書いた内容をおさらいすると、画像はhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/238926とhttps://x.gd/kL4pjから(短縮URL使用)から引用編集
英語で「ガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legs」との表現があり美脚を意味する。ガゼルはカモシカと同じくシカではなくウシ科の動物。画像はhttps://animalia.bio/grants-gazelleから引用
ガゼルに似たウシ科で優美な姿をしている動物をアンテロープと総称し、漢字では羚羊(れいよう)と書く。
↓
カモシカはアンテロープ含まれない。
しかしなぜか日本では羚羊と書いて「かもしか」とも読まれてきた。
↓
ガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legsの英文が日本に入ってきたとき、ガゼル=羚羊そしてカモシカ=羚羊なので、「カモシカのような脚」と意訳あるいは誤訳した。
ーーーというのが通説。
もっともらしいストリーではあるけれど、どうにも疑問が残る。
誰かカモシカの脚は太いし毛むくじゃら!ーーーと言わなかったのかと。
今ならネットですぐに突っ込みが入るのに(^^ゞ
このLegs like a gazelle / gazelle-like legsなどの英文表現が日本に入ってきたのは、明治維新以降と考えられる。ただし多くのイギリスやアメリカ人が、アフリカからモンゴルにかけて生息するガゼルを大昔から知っていたわけではないので、この表現が生まれたのはもっと後のはず。
新聞や雑誌に報道写真が載るようになったのは1920年代頃。ガゼルを紹介するアフリカ紀行のようなものまで写真が使われ、イギリスやアメリカ人にガゼルの姿が広く知られるようになったのは第2次世界大戦前後のような気がする。だとすると日本人が知ったのは戦後か? (単なる当てずっぽう)
戦争が終わったのは1945年(昭和20年)。
カモシカは明治期以降に乱獲され、1955年(昭和30年)には全国で3000頭程度にまで激減。1934年に国の天然記念物、1955年に特別天然記念物に指定して保護されたので、現在は10万頭を超えると推測されている。
日本全体での生息数の時系列データは見当たらなかったものの、1970年代頃までは「幻の動物」とされていたカモシカ。「カモシカのような脚」と言われてもカモシカを見た人はほとんどいなかったのかも知れない。
いや、それでもおかしい。
幻の動物扱いされていたのは、それなりにカモシカに関心があった証拠。その姿を知っていた人は少なからずいたと考えられる。また絶滅寸前まで乱獲したのなら逆に、少し前までカモシカは身近な存在でもあったはず。
そのカモシカを知っている人たちは異を唱えなかったのか。そもそもカモシカを知らない人が多数だとして、じゃあなぜ見たこともないカモシカを比喩にした「カモシカのような脚」の表現を受け入れたのかも不思議。「センザンコウみたいな肌」といわれてもピンとこないでしょ。シカの足は細い 〜 よく知らないけれどカモシカというシカがいて、シカよりもっと細い足らしいと連想したのだろうか。
2002年から2012年まで放送された「トリビアの泉」という雑学番組があった。そこで「カモシカの脚は太い」と紹介されたときに、かなりの驚きをもたれたといわれる。ということは約50年間、日本人はカモシカを知らないのに「カモシカのような脚」を細い脚だと認識して、しかも間違って認識していたことになる。我々はアホなのか?(^^ゞ
「トリビアの泉」で取り上げられたとはいえその効果は限定的。現在も多くの人は「カモシカのような脚」を細くて長い脚あるいは美脚だと思い、大根足、象みたいな脚とともに脚に関する三大慣用句として健在。
精一杯に想像力を働かせると、ガゼルのような脚がカモシカのような脚として紹介され広まりかけたとき、カモシカの脚は太いと知っていた人はいただろうが、当時はそんな意見を広く世間に発表する手段は新聞の投書欄くらいしかない。まあ目くじらを立てて(これも海のクジラじゃないよ)投書するような話でもなく、誰も指摘しないままカモシカという脚の細いシカの例えと多くの人が信じ込んで今日に至るーーーそんなところかな。
他に似たような事例はないかと考えているがあまり思い浮かばない。誤解の点では「馬子にも衣装」を「七五三で着飾った孫」に由来すると思っている人が多いのに近いか。あるいは動物の比喩なら、ほとんどの人は「月とスッポン」がそう言われる理由を考えることなく使っている。
「カモシカのような脚」と同じ勘違いの慣用句が見つかったら、
またブログを書きましょう。
おしまい
英語で「ガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legs」との表現があり美脚を意味する。ガゼルはカモシカと同じくシカではなくウシ科の動物。画像はhttps://animalia.bio/grants-gazelleから引用
ガゼルに似たウシ科で優美な姿をしている動物をアンテロープと総称し、漢字では羚羊(れいよう)と書く。
↓
カモシカはアンテロープ含まれない。
しかしなぜか日本では羚羊と書いて「かもしか」とも読まれてきた。
↓
ガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legsの英文が日本に入ってきたとき、ガゼル=羚羊そしてカモシカ=羚羊なので、「カモシカのような脚」と意訳あるいは誤訳した。
ーーーというのが通説。
もっともらしいストリーではあるけれど、どうにも疑問が残る。
誰かカモシカの脚は太いし毛むくじゃら!ーーーと言わなかったのかと。
今ならネットですぐに突っ込みが入るのに(^^ゞ
このLegs like a gazelle / gazelle-like legsなどの英文表現が日本に入ってきたのは、明治維新以降と考えられる。ただし多くのイギリスやアメリカ人が、アフリカからモンゴルにかけて生息するガゼルを大昔から知っていたわけではないので、この表現が生まれたのはもっと後のはず。
新聞や雑誌に報道写真が載るようになったのは1920年代頃。ガゼルを紹介するアフリカ紀行のようなものまで写真が使われ、イギリスやアメリカ人にガゼルの姿が広く知られるようになったのは第2次世界大戦前後のような気がする。だとすると日本人が知ったのは戦後か? (単なる当てずっぽう)
戦争が終わったのは1945年(昭和20年)。
カモシカは明治期以降に乱獲され、1955年(昭和30年)には全国で3000頭程度にまで激減。1934年に国の天然記念物、1955年に特別天然記念物に指定して保護されたので、現在は10万頭を超えると推測されている。
日本全体での生息数の時系列データは見当たらなかったものの、1970年代頃までは「幻の動物」とされていたカモシカ。「カモシカのような脚」と言われてもカモシカを見た人はほとんどいなかったのかも知れない。
いや、それでもおかしい。
幻の動物扱いされていたのは、それなりにカモシカに関心があった証拠。その姿を知っていた人は少なからずいたと考えられる。また絶滅寸前まで乱獲したのなら逆に、少し前までカモシカは身近な存在でもあったはず。
そのカモシカを知っている人たちは異を唱えなかったのか。そもそもカモシカを知らない人が多数だとして、じゃあなぜ見たこともないカモシカを比喩にした「カモシカのような脚」の表現を受け入れたのかも不思議。「センザンコウみたいな肌」といわれてもピンとこないでしょ。シカの足は細い 〜 よく知らないけれどカモシカというシカがいて、シカよりもっと細い足らしいと連想したのだろうか。
2002年から2012年まで放送された「トリビアの泉」という雑学番組があった。そこで「カモシカの脚は太い」と紹介されたときに、かなりの驚きをもたれたといわれる。ということは約50年間、日本人はカモシカを知らないのに「カモシカのような脚」を細い脚だと認識して、しかも間違って認識していたことになる。我々はアホなのか?(^^ゞ
「トリビアの泉」で取り上げられたとはいえその効果は限定的。現在も多くの人は「カモシカのような脚」を細くて長い脚あるいは美脚だと思い、大根足、象みたいな脚とともに脚に関する三大慣用句として健在。
精一杯に想像力を働かせると、ガゼルのような脚がカモシカのような脚として紹介され広まりかけたとき、カモシカの脚は太いと知っていた人はいただろうが、当時はそんな意見を広く世間に発表する手段は新聞の投書欄くらいしかない。まあ目くじらを立てて(これも海のクジラじゃないよ)投書するような話でもなく、誰も指摘しないままカモシカという脚の細いシカの例えと多くの人が信じ込んで今日に至るーーーそんなところかな。
他に似たような事例はないかと考えているがあまり思い浮かばない。誤解の点では「馬子にも衣装」を「七五三で着飾った孫」に由来すると思っている人が多いのに近いか。あるいは動物の比喩なら、ほとんどの人は「月とスッポン」がそう言われる理由を考えることなく使っている。
「カモシカのような脚」と同じ勘違いの慣用句が見つかったら、
またブログを書きましょう。
おしまい
2024年10月24日
カモシカのような脚のナゾ
カモシカのカモとは何かについて書いたのが前回のブログ。そのきっかけとなったカモシカをテーマとした番組を見て、実は最初に?と思ったのはカモシカの脚についてだった。
これがカモシカ、正確には日本固有種のニホンカモシカ。ウシ科ヤギ亜科に属するカモシカはこのニホンカモシカと、スマトラカモシカ、台湾カモシカの3種しかいない。やや違う系統に朝鮮カモシカとも呼ばれるオナガゴラールがいる。名前から推測するとアジア中心に生息する動物のようだ。3枚目の画像はhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/238926から引用
カモシカの写真や映像を見るのは初めてではないにしても、あまり記憶に残っておらず「カモシカの絵を描きなさい」と言われてもお手上げなレベルだった。
そしてカモシカを改めてみて思ったのは、顔は可愛いけれど
脚、太いやん(^^ゞ
誰もが知っている「カモシカのような脚」との言葉から受けるイメージとはずいぶんと違う。シカのほうがよほど脚が細い。画像はhttps://www.nara-np.co.jp/news/20240717213347.htmlから引用
胴体とのバランスでは馬だってカモシカより細い。
カモシカはシカ科ではなくウシ科だからか、ウシと同じような太さ。カモシカのような脚ですねと女性にいえば喜ばれても、ウシみたいなといえばシバかれるはず(^^ゞ
だいたい細くて長い脚ならキリンにかなう動物はいない。
それがどうして「カモシカのような脚」が細くて長い、いわゆるスラッとした美脚の代名詞になったのか。考えてみれば前回に書いたように、カモシカは山の急斜面で踏ん張って暮らしているから脚がガッチリしているのは当然なのに。画像はhttps://x.gd/kL4pjから引用(短縮URL使用)
前回と同じく、これまた諸説ありでハッキリとはしないものの、
ネットで解説されている情報をまとめると以下のようになる。
1)
英語に「ガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legs」という表現がある。意味はカモシカのようなと同じで細くて長くスラッとした美脚。
これがガゼル。シカのように見えるがカモシカと同じくウシ科の動物。でもカモシカと違ってこれなら美脚の比喩として使われるのは納得。画像はhttps://animalia.bio/grants-gazelleから引用
ガゼルはアフリカ、中東、中国北部に掛けて生息している。大きくはガゼル属、トムソンガゼル属、ダマガゼル属に分かれ、そこから13種ほどに細分化される。運動能力に優れ俊敏で、瞬間的には時速90km以上で走りチーターを振り切ることもあるらしい。
ちなみに日産がシルビアの姉妹車としてラインナップしていたガゼール(初代1979〜1983年:写真上、2代目1983年〜1986年:写真下)は、ガゼルをガゼールと引き延ばしてネーミング化したもの。スペルはGazelleと動物のガゼルと同じ。
他にはアディダスにもガゼルというスニーカーがあり、日産と同じくその俊敏さ、足の速さにあやかったネーミング。また英語で成長著しい中小企業をガゼルと呼ぶ使い方もある。
2)
ここから話がややこしい。
写真は上がオリックスで下がインパラ。
ガゼルに近い品種なのは一目瞭然。どちらもウシ科。ウシ科にはこういう動物がたくさんいて、ウシ科約130種のうち約90種がこんな感じ。これらをまとめてアンテロープと総称する。ウシ科の中で優美な姿をしているのをアンテロープと呼んで、それ以外のウシ科動物と区別したといってもいい。だからこれは生物学的な分類名ではない。タヌキとアナグマをまとめてムジナというのと同じ。
アンテロープは漢字で羚羊(れいよう)と書く。おそらく中国での命名が日本に伝わったのだろう。そして前回にカモシカは漢字で氈鹿と説明したが、同じく羚羊と書いてカモシカとも読む。
その理由はわからない。昔はカモシカも羚羊(れいよう)=アンテロープと見なされていたのか。今とは基準が違ってウシ科の中で優美な姿をしているではなく、シカに似ているのをまとめてアンテロープと呼んでいたのかも知れない。
ちなみにウシはウシ科、シカはシカ科でまったく別の品種。
現在のアンテロープの定義は
ウシ科 ー (ウシ族+ヤギ亜科)=アンテロープ
カモシカはヤギ亜科カモシカ属なのでアンテロープではない。
話はそれるが羚羊には羊の字が使われている。しかしヒツジはウシ科ヤギ亜科ヒツジ属である。アンテロープはヒツジにまったく似ていないのに羊の文字を当てたのも不思議。
3)
そしてガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legsの英文が日本に入ってきてそれを翻訳する際に
ガゼル?何それ?
動物みたいだけれど、そんな動物は誰も知らないぞ。
↓
どうやらガゼルは羚羊の一種らしい。
じゃガゼルはカモシカと訳そう。
それで「カモシカのような脚」となったとか、その当たりが大方の説明である。
が、しか〜しなのである。
それって、おかしいと思わないか?
ーーー続く
これがカモシカ、正確には日本固有種のニホンカモシカ。ウシ科ヤギ亜科に属するカモシカはこのニホンカモシカと、スマトラカモシカ、台湾カモシカの3種しかいない。やや違う系統に朝鮮カモシカとも呼ばれるオナガゴラールがいる。名前から推測するとアジア中心に生息する動物のようだ。3枚目の画像はhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/238926から引用
カモシカの写真や映像を見るのは初めてではないにしても、あまり記憶に残っておらず「カモシカの絵を描きなさい」と言われてもお手上げなレベルだった。
そしてカモシカを改めてみて思ったのは、顔は可愛いけれど
脚、太いやん(^^ゞ
誰もが知っている「カモシカのような脚」との言葉から受けるイメージとはずいぶんと違う。シカのほうがよほど脚が細い。画像はhttps://www.nara-np.co.jp/news/20240717213347.htmlから引用
胴体とのバランスでは馬だってカモシカより細い。
カモシカはシカ科ではなくウシ科だからか、ウシと同じような太さ。カモシカのような脚ですねと女性にいえば喜ばれても、ウシみたいなといえばシバかれるはず(^^ゞ
だいたい細くて長い脚ならキリンにかなう動物はいない。
それがどうして「カモシカのような脚」が細くて長い、いわゆるスラッとした美脚の代名詞になったのか。考えてみれば前回に書いたように、カモシカは山の急斜面で踏ん張って暮らしているから脚がガッチリしているのは当然なのに。画像はhttps://x.gd/kL4pjから引用(短縮URL使用)
前回と同じく、これまた諸説ありでハッキリとはしないものの、
ネットで解説されている情報をまとめると以下のようになる。
1)
英語に「ガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legs」という表現がある。意味はカモシカのようなと同じで細くて長くスラッとした美脚。
これがガゼル。シカのように見えるがカモシカと同じくウシ科の動物。でもカモシカと違ってこれなら美脚の比喩として使われるのは納得。画像はhttps://animalia.bio/grants-gazelleから引用
ガゼルはアフリカ、中東、中国北部に掛けて生息している。大きくはガゼル属、トムソンガゼル属、ダマガゼル属に分かれ、そこから13種ほどに細分化される。運動能力に優れ俊敏で、瞬間的には時速90km以上で走りチーターを振り切ることもあるらしい。
ちなみに日産がシルビアの姉妹車としてラインナップしていたガゼール(初代1979〜1983年:写真上、2代目1983年〜1986年:写真下)は、ガゼルをガゼールと引き延ばしてネーミング化したもの。スペルはGazelleと動物のガゼルと同じ。
他にはアディダスにもガゼルというスニーカーがあり、日産と同じくその俊敏さ、足の速さにあやかったネーミング。また英語で成長著しい中小企業をガゼルと呼ぶ使い方もある。
2)
ここから話がややこしい。
写真は上がオリックスで下がインパラ。
ガゼルに近い品種なのは一目瞭然。どちらもウシ科。ウシ科にはこういう動物がたくさんいて、ウシ科約130種のうち約90種がこんな感じ。これらをまとめてアンテロープと総称する。ウシ科の中で優美な姿をしているのをアンテロープと呼んで、それ以外のウシ科動物と区別したといってもいい。だからこれは生物学的な分類名ではない。タヌキとアナグマをまとめてムジナというのと同じ。
アンテロープは漢字で羚羊(れいよう)と書く。おそらく中国での命名が日本に伝わったのだろう。そして前回にカモシカは漢字で氈鹿と説明したが、同じく羚羊と書いてカモシカとも読む。
その理由はわからない。昔はカモシカも羚羊(れいよう)=アンテロープと見なされていたのか。今とは基準が違ってウシ科の中で優美な姿をしているではなく、シカに似ているのをまとめてアンテロープと呼んでいたのかも知れない。
ちなみにウシはウシ科、シカはシカ科でまったく別の品種。
現在のアンテロープの定義は
ウシ科 ー (ウシ族+ヤギ亜科)=アンテロープ
カモシカはヤギ亜科カモシカ属なのでアンテロープではない。
話はそれるが羚羊には羊の字が使われている。しかしヒツジはウシ科ヤギ亜科ヒツジ属である。アンテロープはヒツジにまったく似ていないのに羊の文字を当てたのも不思議。
3)
そしてガゼルのような脚 Legs like a gazelle / gazelle-like legsの英文が日本に入ってきてそれを翻訳する際に
ガゼル?何それ?
動物みたいだけれど、そんな動物は誰も知らないぞ。
↓
どうやらガゼルは羚羊の一種らしい。
じゃガゼルはカモシカと訳そう。
それで「カモシカのような脚」となったとか、その当たりが大方の説明である。
が、しか〜しなのである。
それって、おかしいと思わないか?
ーーー続く
2024年10月22日
カモシカの名前由来の諸説
しばらく前に見たテレビ番組。
取り上げられていたのはカモシカ。
カモシカについては何かと知らない話だらけだった。
まずカモシカはシカではなく、ウシやヤギと同じウシ科の動物なんだって。
蹄(ひづめ)が2つに分かれており、さらに大きく開くこともできるので踏ん張りがきく。それでカモシカは山の標高の高いところや急斜面に生息している。画像はテレビ画面を撮影
しかし平地や標高の低い場所に住むシカが、この30年間で5倍にも増えてカモシカの住むエリアにも進出。エサとなる草を食べ尽くすのでカモシカの生息が脅かされているというのが番組の趣旨。
ところでカモシカのカモの名前の由来については諸説ある。
でもどれも怪しい。
(1)
まず山の険しいところを「かま」と呼び、カモシカはそこに住んでいるからという説。
もっともらしく聞こえるものの、山の険しいところを「かま」と呼ぶ事例は見つけられなかった。山用語で「鎌」といえば切り立って細い尾根、いわゆる馬の背を指す。カモシカは斜面に生息しているので「鎌」は当てはまらない。山岳の漢字に山岳(かま)とフリガナを振ってあるものもあったが、辞書に載っている限りでは山岳を「かま」とは読まない。
(2)
カモシカの肉は鴨のようにおいしいからとの説もある。
カモシカは1934年(昭和9年)に天然記念物として指定され、1955年からは特別天然記念物。基本的に天然記念物は保護される対象とはいえ、近年になってカモシカは増えすぎたため、一部の地域では有害鳥獣として駆除も行われている。(天然記念物=絶滅危惧種ではない)
天然記念物が理由なのか、あるいは年間で捕獲されるのが600頭前後と少ないせいかどうかは知らないが、カモシカの肉は市場で売られたりレストランで供されることはない。それでも駆除したカモシカの肉を食べた人はいるわけで、ネットでその感想をいくつか見つけた。
それによれば「鴨肉のよう」と書いてあるレポートは皆無。鹿よりも牛に近いとの感想はいくつかあり、まあウシ科だからそうなのだろう。だいたい古代にカモシカを食べていた=カモシカとネーミングしたのは山の民であって、彼らは鴨の味なんて知らなかったんじゃないかな。
だからこの説も却下。
(3)
カモシカを漢字で書くと氈鹿。これは毛氈(もうせん)が昔はカモシカの毛から作られているのに由来し、氈は「かも」とも読むのでカモシカと呼ぶとの解説も多い。
毛氈(もうせん)とは動物の毛を圧縮した不織布。より一般的な言葉ならフエルト。主な用途は敷物である。現在、毛氈の名前で呼ばれるのはほとんどが茶道の野点(のだて)や、雛人形で使われるもの。赤い毛氈は緋毛氈(ひもうせん)で別格扱い。VIPが通るレッドカーペットと同じ。書道の下敷きに用いられるのも高級品はウールの毛氈。安いのはポリエステルのフエルト。画像はhttps://x.gd/yLFYzとhttps://x.gd/dGKeXから引用(短縮URL使用)
「氈」の字を辞書で引くと音読みの「せん」、訓読みの「もうせん」「けむしろ」としか載っていない。しかし以前は「氈」を「かも」とも読んでいたようだ。「おりかも」とも言った。
その意味は獣毛で織った敷物。それがカモシカの毛だったのか、また毛氈のように不織布のフエルトが含まれるかは不明。また昔は馬の鞍の下に敷くクッション材にカモシカの毛皮を使い、それを「かも」と呼ぶ事例も見つけた。画像はhttps://pacalla.com/article/article-1412/から引用
では毛氈(もうせん)や「氈(かも)」がカモシカの名前の由来なのか。何となく順序が逆のような気がする。カモシカなんて人より先に日本に生息していて、既に縄文時代には食べられていたのがわかっている。それに対して毛氈(もうせん)が日本に伝来したのは奈良時代。日本でも作り始めて、それにカモシカの毛を使ったとしても(グルーバルスタンダード的には羊毛)、その頃にカモシカの名前はあったはず。それでいわゆる当て字で氈鹿と書いて「カモシカ」と読ませた可能性が高い。
他にも説があるものの、いずれも「カモシカの名前の由来には諸説ある」の域を過ぎない。昔のことなんてなかなか確定できないので「諸説ある」となるのは仕方ないにしても、けっこういい加減な「諸説」がまかり通っていると思ったしだい。
そしてネットの時代になって、真偽を確認せずに、あるいは深く考えずにコピペ、コピペを重ねて拡散し、いつのまにかすっかり事実のように扱われているケースもあるのが怖いところ。AIだってその情報源はネットにある情報。これからはフェイクニュースならぬフェイク諸説も増えてきそう(/o\) だから気をつけないと。
結局、あれこれ調べてカモシカのカモの由来について、納得のいく説明にはたどり着けず。考えてみればシカだって、なぜシカなのかわからないから別にいいけれど。でもとりあえずカモウシとよばれなくてよかったねカモシカ君(^^ゞ
2024年10月19日
雄しべと雌しべの勘違い
ひとつ前のブログを書く際に植物の精細胞と卵細胞の大きさを調べて、必然的に雄しべと雌しべについてもあれこれと知ることとなった。それで雄しべと雌しべについてずっと勘違いしていた事実があると判明。今回は恥を忍んで(/o\) そのお話。
植物にはいろいろな系統がある。詳しいところは興味があればご自分で調べていただくとして、一般にイメージする花が咲くのは被子植物。画像はhttps://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/chu_1/seimei/syokubutunobunrui/10.htmlから引用
当然ながら花には雄しべと雌しべがある。
雄しべが作った花粉がめしべの柱頭(先端)につくのが受粉で、そこから花粉が雌しべの奥にある胚珠(はいしゅ)に向かって花粉管を伸ばし、そこに精細胞を送り込んで胚珠にある卵細胞と合体するのが受精と前回に書いた。
精子は泳ぐけれど花粉は空を飛べないので、何かによって雄しべから雌しべまで運ばれる必要がある。それが媒介で以下に分類される。媒介とは「取り持つ、橋渡しをする」といった意味。
風媒
水媒
虫媒
鳥媒
コウモリ媒
カタツムリ媒
(コウモリは鳥じゃなく哺乳類で、カタツムリは昆虫じゃなく貝の仲間ね)
一番イメージするのは虫媒だろう。
ミツバチは蜜と花粉を集めに、蝶は蜜を吸いに花に集まってくる。
鳥媒はウメに寄ってくるメジロくらいしか思い浮かばないな。画像はhttps://www.oricon.co.jp/special/58436/から引用
いずれにせよ、そのときに虫や鳥の身体についた花粉が雌しべに触れることによって受粉する。農家ではそれで不足する場合、人の手による人工授粉も行われる。人工授粉の画像はhttps://www.aomori-ringo.or.jp/kids/cultivation/とhttps://apron-web.jp/kihon/15273/から引用
さてである。
花には雄花と雌花に分かれているものもあるが、多くは雄しべと雌しべを持つ。言い換えればオスとメスの性質を併せ持つ両性花。ということは虫や鳥が媒介するとき、あるいはモフモフや筆で人工授粉をしたら、自分の花粉が雌しべに受粉してしまう。その場合、種として生まれてくるのは近親交配を通り越して自分のクローンになる。それで問題ないのか?
あまり深く調べたことはなく、
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
とりあえず自分の花粉が自分の雌しべに受粉するのは問題ないとするなら、どうして雄しべと雌しべがもっと接近して、お互いが接触するように伸びてこないのだとの疑問をずっと持っていた。もっと近ければ虫や鳥の媒介を必要とせず、わずかな風で受粉できるのにコイツらアホちゃうかと。
違う視点でヒントになるのは、冒頭に載せた系統図のシダ植物や裸子植物。地球の歴史を見ると発生はシダ植物→裸子植物→被子植物の順。時期を書けば4億年前→3.8億年前→2億年前に生まれている。つまり裸子植物の進化版が被子植物。裸子植物には雄しべ雌しべではなく、雄花と雌花が分かれている異性花も多い。異性花が進化してひとつの花で受精を完結する両生花になったのか。ひょっとすると雄しべ雌しべのある両性花も進化の途中で、そのうち植物は受粉ではなく内部で子孫を増やす仕組みを獲得するのかと思ったり。
そうなると植物に花は必要なくなるので、
ガーデニングの楽しみがなくなって困るなあ。
まっ、何億年か先の話だからいいか(^^ゞ
ところがである。
先日に植物の精細胞と卵細胞を調べていたときに、ソレハコッチニオイトイタ自分の花粉が雌しべに受粉してしまうのはやはり問題だったと知る。
人間の場合は46本の染色体 ≒ DNA ≒ 遺伝子を持ち、それは両親の精子と卵子から23本づつ受け継いだもの。どの生物も似たような仕組みで多様性を確保している。近親交配の弊害は省略するが、やはり植物でも同じなのだ。
植物の受粉は次のように分類されている。
自家受粉:同じ花の雄しべと雌しべで受粉
他家受粉・隣家受粉:同じ株の別の花の花粉で受粉
他家受粉・異株受粉:別の株の花粉で受粉(これが狭義の他家受粉)
望ましいのは狭義の他家受粉で、そのために植物は
雄しべと雌しべの成長時期をずらす
という作戦で自家受粉を防いでいる。これを雌雄(しゆう)異熟といい、雄しべが花粉を作るときに雌しべがまだ受粉できない状態にあるのを雄性(ゆうせい)先熟、その逆が雌性(しせい)先熟。
また同じ花の花粉では受粉しない自家不和合性を持つ品種や、他にもいくつかの自家受粉を防ぐ仕組みがある。
しかし他家受粉をするには、何かを媒介にして花粉が運ばれてこなければならない。またそれが運良く雌しべの先端である柱頭に接触する確率も100%ではないだろう。そこで植物は他家受粉ができないとなると、最後の手段として自家受粉を行う(品種もある)。できれば他家受粉で健康的な子孫を、それが無理ならリスクがあっても自家受粉でとにかく子孫を残す万全の備えを持った二段構え戦略。
そんな素晴らしさも知らずに「コイツらアホちゃうか」と失礼極まりない発言をして、
雄しべさん、雌しべさん、申し訳ございませんでしたm(_ _)m (^^ゞ
<追伸>
雌雄異熟だと、雄しべと雌しべの成熟時期が異なるのに、どうして自家受粉できるのかわからないが、そこまでは調べていない。
話は変わるが稲も被子植物。
しかし稲に花が咲いたり、そこにハチや蝶が集まっている光景は想像しづらい。
調べてみるとこれが稲の花。初めて見た。画像はhttps://www.ajfarm.com/yamagata/2721/から引用
稲は風媒花。風媒花は昆虫や鳥の興味を引く必要がないので一般的に花が地味。そして稲の場合は、開花直前に雄しべの花粉が雌しべの花粉に降りかかる仕組みになっており、風媒花に分類されても実際には自家受粉だけで子孫=種を残す。
ところで米は稲の種だけれど、ご飯は種を食べているなんて意識はまったくないね。
植物にはいろいろな系統がある。詳しいところは興味があればご自分で調べていただくとして、一般にイメージする花が咲くのは被子植物。画像はhttps://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/chu_1/seimei/syokubutunobunrui/10.htmlから引用
当然ながら花には雄しべと雌しべがある。
雄しべが作った花粉がめしべの柱頭(先端)につくのが受粉で、そこから花粉が雌しべの奥にある胚珠(はいしゅ)に向かって花粉管を伸ばし、そこに精細胞を送り込んで胚珠にある卵細胞と合体するのが受精と前回に書いた。
精子は泳ぐけれど花粉は空を飛べないので、何かによって雄しべから雌しべまで運ばれる必要がある。それが媒介で以下に分類される。媒介とは「取り持つ、橋渡しをする」といった意味。
風媒
水媒
虫媒
鳥媒
コウモリ媒
カタツムリ媒
(コウモリは鳥じゃなく哺乳類で、カタツムリは昆虫じゃなく貝の仲間ね)
一番イメージするのは虫媒だろう。
ミツバチは蜜と花粉を集めに、蝶は蜜を吸いに花に集まってくる。
鳥媒はウメに寄ってくるメジロくらいしか思い浮かばないな。画像はhttps://www.oricon.co.jp/special/58436/から引用
いずれにせよ、そのときに虫や鳥の身体についた花粉が雌しべに触れることによって受粉する。農家ではそれで不足する場合、人の手による人工授粉も行われる。人工授粉の画像はhttps://www.aomori-ringo.or.jp/kids/cultivation/とhttps://apron-web.jp/kihon/15273/から引用
さてである。
花には雄花と雌花に分かれているものもあるが、多くは雄しべと雌しべを持つ。言い換えればオスとメスの性質を併せ持つ両性花。ということは虫や鳥が媒介するとき、あるいはモフモフや筆で人工授粉をしたら、自分の花粉が雌しべに受粉してしまう。その場合、種として生まれてくるのは近親交配を通り越して自分のクローンになる。それで問題ないのか?
あまり深く調べたことはなく、
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
とりあえず自分の花粉が自分の雌しべに受粉するのは問題ないとするなら、どうして雄しべと雌しべがもっと接近して、お互いが接触するように伸びてこないのだとの疑問をずっと持っていた。もっと近ければ虫や鳥の媒介を必要とせず、わずかな風で受粉できるのにコイツらアホちゃうかと。
違う視点でヒントになるのは、冒頭に載せた系統図のシダ植物や裸子植物。地球の歴史を見ると発生はシダ植物→裸子植物→被子植物の順。時期を書けば4億年前→3.8億年前→2億年前に生まれている。つまり裸子植物の進化版が被子植物。裸子植物には雄しべ雌しべではなく、雄花と雌花が分かれている異性花も多い。異性花が進化してひとつの花で受精を完結する両生花になったのか。ひょっとすると雄しべ雌しべのある両性花も進化の途中で、そのうち植物は受粉ではなく内部で子孫を増やす仕組みを獲得するのかと思ったり。
そうなると植物に花は必要なくなるので、
ガーデニングの楽しみがなくなって困るなあ。
まっ、何億年か先の話だからいいか(^^ゞ
ところがである。
先日に植物の精細胞と卵細胞を調べていたときに、ソレハコッチニオイトイタ自分の花粉が雌しべに受粉してしまうのはやはり問題だったと知る。
人間の場合は46本の染色体 ≒ DNA ≒ 遺伝子を持ち、それは両親の精子と卵子から23本づつ受け継いだもの。どの生物も似たような仕組みで多様性を確保している。近親交配の弊害は省略するが、やはり植物でも同じなのだ。
植物の受粉は次のように分類されている。
自家受粉:同じ花の雄しべと雌しべで受粉
他家受粉・隣家受粉:同じ株の別の花の花粉で受粉
他家受粉・異株受粉:別の株の花粉で受粉(これが狭義の他家受粉)
望ましいのは狭義の他家受粉で、そのために植物は
雄しべと雌しべの成長時期をずらす
という作戦で自家受粉を防いでいる。これを雌雄(しゆう)異熟といい、雄しべが花粉を作るときに雌しべがまだ受粉できない状態にあるのを雄性(ゆうせい)先熟、その逆が雌性(しせい)先熟。
また同じ花の花粉では受粉しない自家不和合性を持つ品種や、他にもいくつかの自家受粉を防ぐ仕組みがある。
しかし他家受粉をするには、何かを媒介にして花粉が運ばれてこなければならない。またそれが運良く雌しべの先端である柱頭に接触する確率も100%ではないだろう。そこで植物は他家受粉ができないとなると、最後の手段として自家受粉を行う(品種もある)。できれば他家受粉で健康的な子孫を、それが無理ならリスクがあっても自家受粉でとにかく子孫を残す万全の備えを持った二段構え戦略。
そんな素晴らしさも知らずに「コイツらアホちゃうか」と失礼極まりない発言をして、
雄しべさん、雌しべさん、申し訳ございませんでしたm(_ _)m (^^ゞ
<追伸>
雌雄異熟だと、雄しべと雌しべの成熟時期が異なるのに、どうして自家受粉できるのかわからないが、そこまでは調べていない。
話は変わるが稲も被子植物。
しかし稲に花が咲いたり、そこにハチや蝶が集まっている光景は想像しづらい。
調べてみるとこれが稲の花。初めて見た。画像はhttps://www.ajfarm.com/yamagata/2721/から引用
稲は風媒花。風媒花は昆虫や鳥の興味を引く必要がないので一般的に花が地味。そして稲の場合は、開花直前に雄しべの花粉が雌しべの花粉に降りかかる仕組みになっており、風媒花に分類されても実際には自家受粉だけで子孫=種を残す。
ところで米は稲の種だけれど、ご飯は種を食べているなんて意識はまったくないね。
2024年10月13日
1万8000倍に成長した百日草
先日、枯れて引き抜いた百日草は長さが1.8m。でも撒いた種は7mmほどだったので1.8m ÷ 7mm = 257倍に成長した計算との話を書いた。
その成長度合いに驚くと共に、1.8mはたまたま私の身長と同じだったので、人間の精子は0.06mm、卵子は0.15mm、受精すると精子は卵子の中に潜り込むので、卵子の大きさで同じように計算すると1.8m ÷ 0.15mm = 1万2000倍とも書いた。
しかし考えてみたら、
精子や卵子と種の大きさを較べるのはおかしいと気付く。
ご存じのように花ができる植物は、雄しべにある花粉が雌しべに触れて受粉し、それによって種を作る。人間とはまったく仕組みが違うとはいえ、無理やり当てはめれば種は母親のお腹にいる赤ちゃんみたいなものかな。
もう少し説明すると花弁(花びら)は萼(がく)で支えられ、その中に雄しべと雌しべがある。画像はhttps://chuugakurika.com/2018/02/08/post-1725/から引用
なおこれは被子植物(反対語は裸子植物)の両生花(反対語は雄花と雌花に分かれる単性花)の場合。長くなるのでその説明は省略m(_ _)m
雄しべの「やく」に花粉ができ、
それが雌しべの柱頭につくのが受粉。
柱頭についた花粉は花粉管を伸ばし、そこに精細胞を送り込んで雌しべの胚珠(はいしゅ)を目指す。図で花粉管は1本だが、実際には柱頭についた花粉がそれぞれ花粉管を伸ばし競争を繰り広げる。精子が卵管の中を泳いで卵子まで競争するのと同じ。生物は生まれる前から常に競争なんだなあと小さな感慨。
そして競争を勝ち抜いた精細胞が、
胚珠の中にある卵細胞と結びついて受精。
だから人間の精子と卵子と較べるなら、植物ではこの精細胞と卵細胞がその対象になる。しかし花粉の大きさは一般的に20〜40マイクロメートル(μm)とすぐにわかったものの、精細胞と卵細胞については情報を見つけられず。
話は変わるがマイクロメートル(μm)とは1mmの1/1000で、小数点で書けば0.001mm。さらにその1/1000すなわち100万分の1mmがナノメートル。ナノはとてつもなく微小だからいいとして、くせ者がこのマイクロメートル。
1マイクロメートル=1/1000mm=0.001mm。したがって花粉の大きさである20マイクロメートルとは0.02mm。0.02mmならまだ何となくその長さを感覚的に把握できても、20マイクロメートルと言われた途端に別世界の話になってしまって実感が湧かない。たまに100マイクロメートルなんて表記を見ると「0.1mmと書け0.1mmと!」と憤慨している。
ちなみに食品ラップの厚みがだいたい10マイクロメートルで、セロテープが50マイクロメートルだけれど、それじゃピンとこないでしょ。それぞれ0.01mmと0.05mm。面白いのは薄さをイメージしてもらう必要のあるコンドームは決してマイクロメートルを使わない(^^ゞ
マイクロメートルを以前はミクロンともいったが、計量法(法律)が1997年に改正され使用が禁止となる。また「ミクロの単位まで磨き上げた」なんてミクロとして表現されたりもして、この使い方は今でも見かける。
植物の精細胞と卵細胞に話を戻す。
その大きさをネットであれこれ調べても出てこないので、仕方なくChatGPTに尋ねてみた。
すると
精細胞:10〜20マイクロメートル=0.01〜0.02mm
卵細胞:100マイクロメートル=0.1mm
との回答。
植物の細胞は50〜250マイクロメートルと書いてあるところが多い。ただしそれは体細胞の話で生殖細胞はそれより小さいので(説明省略)、まあそんなものかも知れない。ChatGPTを調べ物に使うのは当てにならないから避けるべきではあるが、とりあえずこれが正しいとして、前回と同じように1.8mを卵細胞の0.1mmで割ると
1.8m ÷ 0.1mm = 1万8000倍
となる。
精子と卵子での計算は1万2000倍なので似たような数字になってきた。
だったら何?と言う話ではあるけれど、
人間も植物も最初のスタートから1万倍以上にも成長するのかと小さな感慨2回目。
もし今からまた1万2000倍成長したら身長21.6km(^^ゞ
その成長度合いに驚くと共に、1.8mはたまたま私の身長と同じだったので、人間の精子は0.06mm、卵子は0.15mm、受精すると精子は卵子の中に潜り込むので、卵子の大きさで同じように計算すると1.8m ÷ 0.15mm = 1万2000倍とも書いた。
しかし考えてみたら、
精子や卵子と種の大きさを較べるのはおかしいと気付く。
ご存じのように花ができる植物は、雄しべにある花粉が雌しべに触れて受粉し、それによって種を作る。人間とはまったく仕組みが違うとはいえ、無理やり当てはめれば種は母親のお腹にいる赤ちゃんみたいなものかな。
もう少し説明すると花弁(花びら)は萼(がく)で支えられ、その中に雄しべと雌しべがある。画像はhttps://chuugakurika.com/2018/02/08/post-1725/から引用
なおこれは被子植物(反対語は裸子植物)の両生花(反対語は雄花と雌花に分かれる単性花)の場合。長くなるのでその説明は省略m(_ _)m
雄しべの「やく」に花粉ができ、
それが雌しべの柱頭につくのが受粉。
柱頭についた花粉は花粉管を伸ばし、そこに精細胞を送り込んで雌しべの胚珠(はいしゅ)を目指す。図で花粉管は1本だが、実際には柱頭についた花粉がそれぞれ花粉管を伸ばし競争を繰り広げる。精子が卵管の中を泳いで卵子まで競争するのと同じ。生物は生まれる前から常に競争なんだなあと小さな感慨。
そして競争を勝ち抜いた精細胞が、
胚珠の中にある卵細胞と結びついて受精。
だから人間の精子と卵子と較べるなら、植物ではこの精細胞と卵細胞がその対象になる。しかし花粉の大きさは一般的に20〜40マイクロメートル(μm)とすぐにわかったものの、精細胞と卵細胞については情報を見つけられず。
話は変わるがマイクロメートル(μm)とは1mmの1/1000で、小数点で書けば0.001mm。さらにその1/1000すなわち100万分の1mmがナノメートル。ナノはとてつもなく微小だからいいとして、くせ者がこのマイクロメートル。
1マイクロメートル=1/1000mm=0.001mm。したがって花粉の大きさである20マイクロメートルとは0.02mm。0.02mmならまだ何となくその長さを感覚的に把握できても、20マイクロメートルと言われた途端に別世界の話になってしまって実感が湧かない。たまに100マイクロメートルなんて表記を見ると「0.1mmと書け0.1mmと!」と憤慨している。
ちなみに食品ラップの厚みがだいたい10マイクロメートルで、セロテープが50マイクロメートルだけれど、それじゃピンとこないでしょ。それぞれ0.01mmと0.05mm。面白いのは薄さをイメージしてもらう必要のあるコンドームは決してマイクロメートルを使わない(^^ゞ
マイクロメートルを以前はミクロンともいったが、計量法(法律)が1997年に改正され使用が禁止となる。また「ミクロの単位まで磨き上げた」なんてミクロとして表現されたりもして、この使い方は今でも見かける。
植物の精細胞と卵細胞に話を戻す。
その大きさをネットであれこれ調べても出てこないので、仕方なくChatGPTに尋ねてみた。
すると
精細胞:10〜20マイクロメートル=0.01〜0.02mm
卵細胞:100マイクロメートル=0.1mm
との回答。
植物の細胞は50〜250マイクロメートルと書いてあるところが多い。ただしそれは体細胞の話で生殖細胞はそれより小さいので(説明省略)、まあそんなものかも知れない。ChatGPTを調べ物に使うのは当てにならないから避けるべきではあるが、とりあえずこれが正しいとして、前回と同じように1.8mを卵細胞の0.1mmで割ると
1.8m ÷ 0.1mm = 1万8000倍
となる。
精子と卵子での計算は1万2000倍なので似たような数字になってきた。
だったら何?と言う話ではあるけれど、
人間も植物も最初のスタートから1万倍以上にも成長するのかと小さな感慨2回目。
もし今からまた1万2000倍成長したら身長21.6km(^^ゞ
2024年10月10日
全部で何人生まれた?
芦花公園を訪れた話を途中に挟んだが、その前に「全部で何人?」のタイトルでブログを2回書いた。最初は日本の、その2は世界の人口推移について。ただし人口推移の話は本題ではなく前振りのようなもの。
もう今回のタイトルでネタバレしているものの、
興味を持ったのは、現在の
日本の人口 1億2400万人
世界の人口 81億1900万人
や急増する人口問題ではなくて、
今まで何人の人が生まれたかのいわば累積人口。
それを知ってもたいして意味はない。だいたい記録が残っているのはせいぜい100年ほど前からで、それ以前の人口は推測に推測を重ねてはじき出していて、途中のパラメーターを少し変えれば結果が大きく変わるくらいは想像がつく。
ところで以前にこんな話を書いた。
自分の両親にはそれぞれ両親がいて、その私にとって祖父母に当たる人にもまた両親がいてーーーと先祖の数は倍々に増えていく。それを計算すると私の先祖は戦国時代に10億人、鎌倉時代にはなんと1兆人!を突破する計算になる。
その頃から「全部で何人生まれた?」に何となく興味を持っていたのかも知れない。
参考までに2021年に書いたご先祖様3部作のリンクを張っておく。
ご先祖様のナゾ
https://wassho.livedoor.blog/archives/53394771.html
ご先祖様のナゾ その2
https://wassho.livedoor.blog/archives/53394920.html
実はほとんどのご先祖様と血がつながっていない
https://wassho.livedoor.blog/archives/53395125.html
その累積人口。
そんなどうでもいいテーマに興味を持っている人は少ないらしく、ネットで探してもあまり情報は見つからなかった。
とりあえず世界の人口についてはアメリカの人口問題研究所(PRB:Population Reference Bureau:公的機関ではなくNPOみたい)が、2022年に人類誕生以来の累計人口を1170億人と発表している。また2013年のこちらの記事で生物学者の池田清彦が500億人と書いている。他には秋田大学教授が150〜200億人としている記事もあったが、これは文章内容からして信憑性がやや薄い。
池田の記事には情報ソースが書かれていない。人口問題研究所もリンクしたページには、その計算方法は記されていなかった(ホームページを隅々まで読めばどこかには書かれているのかも知れないが)。なおなぜかリンク先には「その計算は科学であると同時に芸術でもある」なんて意味不明の記述がある。
けっこう探したけれど累積人口を見つけられたのはこの3つくらい。人口問題研究所は1995年から累積人口を発表している。2011年における推定値は1080億人。2011年の世界人口は約71億人で、現在の人口はそれより10億人増えている。そして累積人口は推定値を2011年から90億人も増やしているから、それなりに推定方法をアップデートした数字だと考え、とりあえずこの1170億人を世界の、つまりは人類誕生以来の累計人口としておく。
さてめでたく人類は今までに1170億人が生まれたとわかったとして、
だからどうかというと別に感想はない。
最初に「それを知ってもたいして意味はない」と書いたでしょ(^^ゞ
現在の世界人口81億人(千万人以下は省略)と並べると
今までに1089億人が死んで81億人が生きている。
今生きているのは累積人口の7%。
やっぱり、それがどうしたな感想ーーー
ただ人類(ホモ・サピエンス)の誕生は30万年前。現在の81億人はこの100年に生まれた人だとして、それが30万年の歴史に占める割合は無視してもいいくらいのほんの一瞬。いちおう計算してみると100年 ÷ 30万年 = 0.033%に過ぎない。
その瞬きするような短い期間に7%もの人口が集中しているのは、「その2」にも載せたこのグラフが示す、産業革命を境にした急激な人口増加。ざっと300年で8.2倍に増えている。グラフは国連人口基金(UNFPA)https://x.gd/piFLc(短縮URL使用)から引用編集
グラフで青色に囲った部分は、現在の81億人が生まれた範囲。なおこのグラフは時間軸が右半分が2000年、左半分が十数万年になっている。左右の時間縮尺を同じにするなら、人類誕生は30万年前なので、左半分は今より150倍以上長くなる。
たまにイナゴやバッタが突然に大量発生のニュースがある。現在の人類は30万年の歴史で眺めれば、それに似た異常な状態なのかもと思えてくる。画像はhttps://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00174/070300003/から引用
全世界的には今までに1170億人生まれたとして、
日本だけでは何人生まれたのか?
調べても調べても、これがまったくわからない(/o\)
それを知って意味はないとしても、今まで誰も興味を持たなかったのかな。
現在の世界人口が81億人で日本人口1億2400万人だから、その比率は1:0.015。それを1170億人に掛ければ17億5500万人との数字は出る。しかし人類の誕生が30万年前なのに対して、日本列島に人類が渡ってきたのはわずか3万8000年前。単純に比率を当てはめるのはちょっと無理がある気がする。
とりあえず日本で何人生まれたかの数字は見つけられず。
そこで、見つけられなかったら自分で計算しようホトトギス。
もっともアメリカの人口問題研究所がやっているようなシミュレーションを自分でできるはずもなく、やったのは記録のある出生数を足し上げただけ。
日本の出生数は1899年(明治32年)からの記録がある。ただし終戦を挟んだ1944〜1946年(昭和19〜21年)の記録は欠落している。
明治32年の出生数は138万6981人、昨年は72万7277人で過去最低を記録した。過去最高は終戦4年後の1949年(昭和24年)の269万6638人。出生数はピーク時の37%に落ち込んでいる計算。
なお記録のない1944〜1946年の出生数については、日本の国立社会保障・人口問題研究所が1980年(昭和55年)に出した報告書の中で、出生率(人口1000人あたりの出生数)を
1944年 29人(本当の単位はパーミルだが1000人当たりだから人数と同じ)
1945年 24人
1946年 25人
と推定していた。1943年の出生数は225万3535人で出生率は30.9人なので、
225万3535人:30.9人 = 1944年の出生数:29人
などの比率を当てはめ出生数を1944年211万人、1945年175万人、1946年182万人として計算した。
ところで、この国立の機関である社会保障・人口問題研究所が、1980年(昭和55年)に出した報告書はなんと表紙以外は手書きである。
全文はこちらを参照されたい。
https://www.ipss.go.jp/history/shingikai/data/J000008829.pdf
(一部をワープロ打ちしたファイルもある↓)
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14215805.pdf
以前に1980年代後半のワープロ事情についてのブログを書いた。そこに「今じゃ信じられないが、社外に出す企画書や報告書で手書きのものも多かった」とも記した。そしてやはりその話を若い連中にしても信じてもらえなかった。でもその証拠がこの報告書。
それにしても手書きの報告書なんて超久しぶりに見た。「こんな風に一生懸命書いてたなあ」と懐かしくなり、この報告書ファイルをダウンロードして保存してしまったよ(^^ゞ
さて1899年(明治32年)から、
昨年2023年まで124年間の出生数合計は
ジャジャン! 2億323万6495人
う〜ん、やっぱり、それがどうしたな感想ーーー(再)
全部で何人生まれたかを知ることで、
いったい何を期待していたのだろうかと自分自身を問い詰めているところ(/o\)
以前に「奈良時代の人口は300万人だった」と知ったときは、ある種の知的好奇心が満たされた感覚があったのに、こちらにはまったくそれがない。別に2億人だろうが3億人だろうがどうでもよく思える。よく通販などで「累積販売数〇〇〇万本突破!」なんて広告があり、その数字にはそれなりの意味を見いだしてしまうのに、「全部で何人生まれた」にそういう思考が働かないのはなぜなのか。
いろいろとナゾ
しかしそれを考えたところで得るものはない気がする。
先ほど日本の累計人口について「今まで誰も興味を持たなかったのかな」と書いた。それは誰か研究しろよとの思いの裏返し。しかし研究者の皆様におかれましては、累積人口を推定しても何の役にも立たないと判明しましたので、他のテーマに精進してください(^^ゞ
でも今回はたった124年間だし、やはりこの土地に人類が渡ってきてからの、
しっかりと科学的に推定した数字は知りたいかも。
そして、それを見て改めてフ〜ン、ショウムナといいたい(^^ゞ
おしまい
もう今回のタイトルでネタバレしているものの、
興味を持ったのは、現在の
日本の人口 1億2400万人
世界の人口 81億1900万人
や急増する人口問題ではなくて、
今まで何人の人が生まれたかのいわば累積人口。
それを知ってもたいして意味はない。だいたい記録が残っているのはせいぜい100年ほど前からで、それ以前の人口は推測に推測を重ねてはじき出していて、途中のパラメーターを少し変えれば結果が大きく変わるくらいは想像がつく。
ところで以前にこんな話を書いた。
自分の両親にはそれぞれ両親がいて、その私にとって祖父母に当たる人にもまた両親がいてーーーと先祖の数は倍々に増えていく。それを計算すると私の先祖は戦国時代に10億人、鎌倉時代にはなんと1兆人!を突破する計算になる。
その頃から「全部で何人生まれた?」に何となく興味を持っていたのかも知れない。
参考までに2021年に書いたご先祖様3部作のリンクを張っておく。
ご先祖様のナゾ
https://wassho.livedoor.blog/archives/53394771.html
ご先祖様のナゾ その2
https://wassho.livedoor.blog/archives/53394920.html
実はほとんどのご先祖様と血がつながっていない
https://wassho.livedoor.blog/archives/53395125.html
その累積人口。
そんなどうでもいいテーマに興味を持っている人は少ないらしく、ネットで探してもあまり情報は見つからなかった。
とりあえず世界の人口についてはアメリカの人口問題研究所(PRB:Population Reference Bureau:公的機関ではなくNPOみたい)が、2022年に人類誕生以来の累計人口を1170億人と発表している。また2013年のこちらの記事で生物学者の池田清彦が500億人と書いている。他には秋田大学教授が150〜200億人としている記事もあったが、これは文章内容からして信憑性がやや薄い。
池田の記事には情報ソースが書かれていない。人口問題研究所もリンクしたページには、その計算方法は記されていなかった(ホームページを隅々まで読めばどこかには書かれているのかも知れないが)。なおなぜかリンク先には「その計算は科学であると同時に芸術でもある」なんて意味不明の記述がある。
けっこう探したけれど累積人口を見つけられたのはこの3つくらい。人口問題研究所は1995年から累積人口を発表している。2011年における推定値は1080億人。2011年の世界人口は約71億人で、現在の人口はそれより10億人増えている。そして累積人口は推定値を2011年から90億人も増やしているから、それなりに推定方法をアップデートした数字だと考え、とりあえずこの1170億人を世界の、つまりは人類誕生以来の累計人口としておく。
さてめでたく人類は今までに1170億人が生まれたとわかったとして、
だからどうかというと別に感想はない。
最初に「それを知ってもたいして意味はない」と書いたでしょ(^^ゞ
現在の世界人口81億人(千万人以下は省略)と並べると
今までに1089億人が死んで81億人が生きている。
今生きているのは累積人口の7%。
やっぱり、それがどうしたな感想ーーー
ただ人類(ホモ・サピエンス)の誕生は30万年前。現在の81億人はこの100年に生まれた人だとして、それが30万年の歴史に占める割合は無視してもいいくらいのほんの一瞬。いちおう計算してみると100年 ÷ 30万年 = 0.033%に過ぎない。
その瞬きするような短い期間に7%もの人口が集中しているのは、「その2」にも載せたこのグラフが示す、産業革命を境にした急激な人口増加。ざっと300年で8.2倍に増えている。グラフは国連人口基金(UNFPA)https://x.gd/piFLc(短縮URL使用)から引用編集
グラフで青色に囲った部分は、現在の81億人が生まれた範囲。なおこのグラフは時間軸が右半分が2000年、左半分が十数万年になっている。左右の時間縮尺を同じにするなら、人類誕生は30万年前なので、左半分は今より150倍以上長くなる。
たまにイナゴやバッタが突然に大量発生のニュースがある。現在の人類は30万年の歴史で眺めれば、それに似た異常な状態なのかもと思えてくる。画像はhttps://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00174/070300003/から引用
全世界的には今までに1170億人生まれたとして、
日本だけでは何人生まれたのか?
調べても調べても、これがまったくわからない(/o\)
それを知って意味はないとしても、今まで誰も興味を持たなかったのかな。
現在の世界人口が81億人で日本人口1億2400万人だから、その比率は1:0.015。それを1170億人に掛ければ17億5500万人との数字は出る。しかし人類の誕生が30万年前なのに対して、日本列島に人類が渡ってきたのはわずか3万8000年前。単純に比率を当てはめるのはちょっと無理がある気がする。
とりあえず日本で何人生まれたかの数字は見つけられず。
そこで、見つけられなかったら自分で計算しようホトトギス。
もっともアメリカの人口問題研究所がやっているようなシミュレーションを自分でできるはずもなく、やったのは記録のある出生数を足し上げただけ。
日本の出生数は1899年(明治32年)からの記録がある。ただし終戦を挟んだ1944〜1946年(昭和19〜21年)の記録は欠落している。
明治32年の出生数は138万6981人、昨年は72万7277人で過去最低を記録した。過去最高は終戦4年後の1949年(昭和24年)の269万6638人。出生数はピーク時の37%に落ち込んでいる計算。
なお記録のない1944〜1946年の出生数については、日本の国立社会保障・人口問題研究所が1980年(昭和55年)に出した報告書の中で、出生率(人口1000人あたりの出生数)を
1944年 29人(本当の単位はパーミルだが1000人当たりだから人数と同じ)
1945年 24人
1946年 25人
と推定していた。1943年の出生数は225万3535人で出生率は30.9人なので、
225万3535人:30.9人 = 1944年の出生数:29人
などの比率を当てはめ出生数を1944年211万人、1945年175万人、1946年182万人として計算した。
ところで、この国立の機関である社会保障・人口問題研究所が、1980年(昭和55年)に出した報告書はなんと表紙以外は手書きである。
全文はこちらを参照されたい。
https://www.ipss.go.jp/history/shingikai/data/J000008829.pdf
(一部をワープロ打ちしたファイルもある↓)
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14215805.pdf
以前に1980年代後半のワープロ事情についてのブログを書いた。そこに「今じゃ信じられないが、社外に出す企画書や報告書で手書きのものも多かった」とも記した。そしてやはりその話を若い連中にしても信じてもらえなかった。でもその証拠がこの報告書。
それにしても手書きの報告書なんて超久しぶりに見た。「こんな風に一生懸命書いてたなあ」と懐かしくなり、この報告書ファイルをダウンロードして保存してしまったよ(^^ゞ
さて1899年(明治32年)から、
昨年2023年まで124年間の出生数合計は
ジャジャン! 2億323万6495人
う〜ん、やっぱり、それがどうしたな感想ーーー(再)
全部で何人生まれたかを知ることで、
いったい何を期待していたのだろうかと自分自身を問い詰めているところ(/o\)
以前に「奈良時代の人口は300万人だった」と知ったときは、ある種の知的好奇心が満たされた感覚があったのに、こちらにはまったくそれがない。別に2億人だろうが3億人だろうがどうでもよく思える。よく通販などで「累積販売数〇〇〇万本突破!」なんて広告があり、その数字にはそれなりの意味を見いだしてしまうのに、「全部で何人生まれた」にそういう思考が働かないのはなぜなのか。
いろいろとナゾ
しかしそれを考えたところで得るものはない気がする。
先ほど日本の累計人口について「今まで誰も興味を持たなかったのかな」と書いた。それは誰か研究しろよとの思いの裏返し。しかし研究者の皆様におかれましては、累積人口を推定しても何の役にも立たないと判明しましたので、他のテーマに精進してください(^^ゞ
でも今回はたった124年間だし、やはりこの土地に人類が渡ってきてからの、
しっかりと科学的に推定した数字は知りたいかも。
そして、それを見て改めてフ〜ン、ショウムナといいたい(^^ゞ
おしまい
2024年10月06日
芦花公園に彼岸花を見に行ったらヒマワリとサクラ!まで咲いていた
<人口の話は1回お休み>
ところで Twitter がイーロン・マスクの買収によって X と名前を変えたのは2023年7月。名前が一文字だけなのは短すぎて、文章に書くとどうにも収まりが悪い。ニュースなどでは X(旧Twitter)と表記される場合も多いけれど、もう1年以上経つのに、そんな但し書きを入れるのもビミョーな感じ。
そうだ、エックスと書こう!
( X の一文字に違和感をいだかなくなるまでの暫定措置の予定)
さて10月2日にエックスをスクロールしていたら、芦花公園(正式名称は蘆花恒春園)で彼岸花が咲いているとのポストを見つけた(エックスへの変更に伴いツイートもポストに呼び方が変わった)。そういえば久しく彼岸花を見ていない。そして幸か不幸か、そのときにいたのが新宿。芦花公園は新宿から西に延びる京王線沿線にある。これも神の思し召しかと帰宅するのにずいぶんと遠回りな寄り道を実行。
芦花(ろか)公園には、森鴎外や夏目漱石と同世代の小説家である徳冨蘆花(ろか:名前に花がつくが男性)の旧宅エリアと、花の丘と呼ばれる広い歌壇がある。エックスにはどこで彼岸花が咲いているかは書かれていなかった。そこで最初に向かったのは旧宅。何となくこちらのほうが雰囲気的に彼岸花が咲いていそうに思えて。
こんなところ。
見つけた!
でも一輪だけ。しかも通路からかなり遠い。
他にもいくつか咲いていたが、
iPhoneのカメラで撮るにはどれも遠すぎる距離。
これはわりと近くにあったのを撮ってトリミングしたもの。しかしもう夕方に近かったし、敷地全体に高い木がうっそうとしていて、日当たりが悪くキレイな発色じゃない。
旧宅を出たところで明るい場所にある彼岸花を発見。
やはり光が当たると花の色は生き生きとしているね。
とりあえず彼岸花を拝めたとはいえ、
何株かの彼岸花がポツンポツンと散在しているだけで満足感にはほど遠い。
ただし考えてみれば芦花公園は別に彼岸花の名所でもないし、公園には彼岸花「も」咲いているというだけの話。それにエックスに載せられていた写真も今まで見てきたような彼岸花だった。ちょっと期待値が高すぎたみたい。
これは2013年に訪れた埼玉県日高市にある巾着田の彼岸花。
またこんな赤い絨毯を見たいな。
それでももっと咲いている場所はないかと公園内をブラブラ。
花の丘の隣の斜面に少しはまとまって咲いている彼岸花を見つけた。
木漏れ日が当たっている彼岸花。
かなりトリミングしてアップに近づけている。
斜面の上から眺める。
彼岸花が遠すぎる(/o\)
ようやく本数がそこそこ多くて、すぐそばまで近づける彼岸花を見つけた。
ただし日は当たっていない。
iPhoneを上と横からかざして。
彼岸花を見終わって花の丘の花壇へ。
キバナ・コスモスがたくさん咲いていた。
秋ですね〜
もっとも東京は9月22日から最高気温が30度を超える日はなかったのに、10月に入って再び真夏日30度超えと25度前後のジグザグ天候。この日は31.9度もあって暑かった。
もう10月のはずがーーー
それと猛暑に順応し過ぎて忘れてしまいがちだが25度だって夏日である。
しかしそのせいかどうかはわからないが、
10月なのにヒマワリがまだ咲いていた!
彼岸花よりヒマワリのほうがうれしかったかな。
まだツボミも控えている。
よく見るヒマワリは1株に1輪だけの花を咲かせる「一本立ち」。
ここのヒマワリは株が分岐する「枝咲き」タイプ。
つまり今年の夏に私がベランダで育てたミニヒマワリと同じタイプ。
そして念入りに観察しても、あの忌々(いまいま)しいハダニは見当たらなかった。
いいなあ〜。どうしたらそうやって育てられるのだろう。
ヒマワリとコスモスのツーショット。
こんな光景が存在するとは思っていなかった。
調べてみると夏にはこの花の丘の大部分をヒマワリが占めている模様。
来年の夏は満開で密集しているヒマワリを見に来ましょう。
芦花公園といえばサクラの名所として有名。
植えられているのは高遠小彼岸桜(たかとう・こ・ひがんざくら)という品種。これはソメイヨシノが数輪咲き始めた頃に満開になる。写真は2023年3月16日の撮影。この年の東京のソメイヨシノ開花宣言は3月14日で、満開が22日だった。
2022年に散歩の目的地として芦花公園にやってきて、まだサクラ(ソメイヨシノ)は咲き始めたばかりなのに、なぜにここでは満開!?とビックリさせられた。翌年にも再訪問。白いソメイヨシノと違ってほんのりとした桜色が私の好みに合う。
さて、
春にはキレイだったよなあとサクラの木を眺めていると、
何と秋なのに花が咲いているではないか!
違う木の花を見ているのではない。
これは本日と昨年3月にほぼ同じ場所で撮った写真。
左側が高遠小彼岸桜で確かにそれに咲いていた。
たくさん咲いていたから、どれかの枝がうっかり勘違いして咲いたのではなさそう。どうやら彼岸桜の系統は秋にも咲く品種があるみたい。この日はまだ咲き始めのようで、あまりサクラの雰囲気ではなかった。2022年にどうして今頃に満開!?とビックリさせられたけれど、ここのサクラは何かと驚かせてくれる。
なお芦花公園には秋に咲く十月桜もあって、それも咲いていたと後で知った。
残念ながらそちらは見逃した。
彼岸花はショボかったものの、
ヒマワリを見られて秋のサクラにビックリして、
遠回りな寄り道をした価値はありあり。
ところで Twitter がイーロン・マスクの買収によって X と名前を変えたのは2023年7月。名前が一文字だけなのは短すぎて、文章に書くとどうにも収まりが悪い。ニュースなどでは X(旧Twitter)と表記される場合も多いけれど、もう1年以上経つのに、そんな但し書きを入れるのもビミョーな感じ。
そうだ、エックスと書こう!
( X の一文字に違和感をいだかなくなるまでの暫定措置の予定)
さて10月2日にエックスをスクロールしていたら、芦花公園(正式名称は蘆花恒春園)で彼岸花が咲いているとのポストを見つけた(エックスへの変更に伴いツイートもポストに呼び方が変わった)。そういえば久しく彼岸花を見ていない。そして幸か不幸か、そのときにいたのが新宿。芦花公園は新宿から西に延びる京王線沿線にある。これも神の思し召しかと帰宅するのにずいぶんと遠回りな寄り道を実行。
芦花(ろか)公園には、森鴎外や夏目漱石と同世代の小説家である徳冨蘆花(ろか:名前に花がつくが男性)の旧宅エリアと、花の丘と呼ばれる広い歌壇がある。エックスにはどこで彼岸花が咲いているかは書かれていなかった。そこで最初に向かったのは旧宅。何となくこちらのほうが雰囲気的に彼岸花が咲いていそうに思えて。
こんなところ。
見つけた!
でも一輪だけ。しかも通路からかなり遠い。
他にもいくつか咲いていたが、
iPhoneのカメラで撮るにはどれも遠すぎる距離。
これはわりと近くにあったのを撮ってトリミングしたもの。しかしもう夕方に近かったし、敷地全体に高い木がうっそうとしていて、日当たりが悪くキレイな発色じゃない。
旧宅を出たところで明るい場所にある彼岸花を発見。
やはり光が当たると花の色は生き生きとしているね。
とりあえず彼岸花を拝めたとはいえ、
何株かの彼岸花がポツンポツンと散在しているだけで満足感にはほど遠い。
ただし考えてみれば芦花公園は別に彼岸花の名所でもないし、公園には彼岸花「も」咲いているというだけの話。それにエックスに載せられていた写真も今まで見てきたような彼岸花だった。ちょっと期待値が高すぎたみたい。
これは2013年に訪れた埼玉県日高市にある巾着田の彼岸花。
またこんな赤い絨毯を見たいな。
それでももっと咲いている場所はないかと公園内をブラブラ。
花の丘の隣の斜面に少しはまとまって咲いている彼岸花を見つけた。
木漏れ日が当たっている彼岸花。
かなりトリミングしてアップに近づけている。
斜面の上から眺める。
彼岸花が遠すぎる(/o\)
ようやく本数がそこそこ多くて、すぐそばまで近づける彼岸花を見つけた。
ただし日は当たっていない。
iPhoneを上と横からかざして。
彼岸花を見終わって花の丘の花壇へ。
キバナ・コスモスがたくさん咲いていた。
秋ですね〜
もっとも東京は9月22日から最高気温が30度を超える日はなかったのに、10月に入って再び真夏日30度超えと25度前後のジグザグ天候。この日は31.9度もあって暑かった。
もう10月のはずがーーー
それと猛暑に順応し過ぎて忘れてしまいがちだが25度だって夏日である。
しかしそのせいかどうかはわからないが、
10月なのにヒマワリがまだ咲いていた!
彼岸花よりヒマワリのほうがうれしかったかな。
まだツボミも控えている。
よく見るヒマワリは1株に1輪だけの花を咲かせる「一本立ち」。
ここのヒマワリは株が分岐する「枝咲き」タイプ。
つまり今年の夏に私がベランダで育てたミニヒマワリと同じタイプ。
そして念入りに観察しても、あの忌々(いまいま)しいハダニは見当たらなかった。
いいなあ〜。どうしたらそうやって育てられるのだろう。
ヒマワリとコスモスのツーショット。
こんな光景が存在するとは思っていなかった。
調べてみると夏にはこの花の丘の大部分をヒマワリが占めている模様。
来年の夏は満開で密集しているヒマワリを見に来ましょう。
芦花公園といえばサクラの名所として有名。
植えられているのは高遠小彼岸桜(たかとう・こ・ひがんざくら)という品種。これはソメイヨシノが数輪咲き始めた頃に満開になる。写真は2023年3月16日の撮影。この年の東京のソメイヨシノ開花宣言は3月14日で、満開が22日だった。
2022年に散歩の目的地として芦花公園にやってきて、まだサクラ(ソメイヨシノ)は咲き始めたばかりなのに、なぜにここでは満開!?とビックリさせられた。翌年にも再訪問。白いソメイヨシノと違ってほんのりとした桜色が私の好みに合う。
さて、
春にはキレイだったよなあとサクラの木を眺めていると、
何と秋なのに花が咲いているではないか!
違う木の花を見ているのではない。
これは本日と昨年3月にほぼ同じ場所で撮った写真。
左側が高遠小彼岸桜で確かにそれに咲いていた。
たくさん咲いていたから、どれかの枝がうっかり勘違いして咲いたのではなさそう。どうやら彼岸桜の系統は秋にも咲く品種があるみたい。この日はまだ咲き始めのようで、あまりサクラの雰囲気ではなかった。2022年にどうして今頃に満開!?とビックリさせられたけれど、ここのサクラは何かと驚かせてくれる。
なお芦花公園には秋に咲く十月桜もあって、それも咲いていたと後で知った。
残念ながらそちらは見逃した。
彼岸花はショボかったものの、
ヒマワリを見られて秋のサクラにビックリして、
遠回りな寄り道をした価値はありあり。
2024年10月05日
全部で何人? その2
前回は日本の人口推移について書いた。ただし本当に書きたかったテーマは人口推移とは直接関係のない「人口についてのちょっとした疑問」。ブログのタイトルがヒントだけれどわかるかな?
それについて調べていたら、いろいろと人口推移のデータも集まったし、そして本題に関してはまだほとんどわかっていないので、だったら人口推移も前振りでブログネタにしてみるかと書いたのが前回と今回。そして今回は世界の人口推移について。
4月に発表された国連の世界人口白書2024によれば、現在の世界人口は81億1900万人。ちなみに80億人を突破したのは昨年。調査して発表までには時間がかかるから、実際にはそれぞれ1年前だと思う。
これは人類が誕生して以降の人口推移グラフ。グラフは国連人口基金(UNFPA)https://x.gd/piFLc(短縮URL使用)から引用編集
産業革命を契機に急激に増えているのが一目瞭然。産業革命が起きたのは18世紀半ば。グラフではその頃の人口が10億人。ざっくり300年前として、その間に8.1倍に増えた計算。
日本の産業革命は明治20年代半ばからで(明治維新は1868年、明治は明治45年まで)、西洋の150年遅れで産業革命が導入されたことになる。当時の人口は3340万人。現在の1億2400万人で上記と同じように計算すると150年で3.8倍の増加。
上のグラフはスタートが人類誕生時点だから産業革命以降がほぼ垂直線になっている。それではイメージをつかみにくいので、こちらは1800年が始まり=産業革命後の推移と予想。グラフはhttps://www.yomiuri.co.jp/world/20201117-OYT1T50173/から引用編集
グラフでは50年ごとの人口が記されている。第2次世界大戦が終わったのは1945年だけれど、1950年で代用して戦後の人口増加を計算すると
世界人口 81億1900万人 ÷ 25億人 = 3.2倍
日本人口 1億2400万人 ÷ 8400万人 = 1.5倍
日本は戦後にすごく人口が増えたイメージを持っていたのに、
世界全体と較べると半分のペースだったとは意外。
実は世界の人口というとなぜか36億人の数字を思い出してしまう。調べてみるとそれは1969年から1970年頃。そのときに世界の人口について何か話題があったのか、それとも初めて知った世界の人口が36億人だったので覚えているのか。今となってはナゾ
さて上のグラフでは将来について2本の曲線が描かれている。人類は永遠に増え続けるのではなく、従来は国連の予想で2100年に109億人でピークに達すると考えられていた。しかし2020年に米国ワシントン大学が、ピークは2064年の97億人だとの説を発表して、見解が分かれている。まっ、どっちでもいいけど(^^ゞ (なおこのグラフの作成は2020年で、国連も今年の7月に2080年代半ばにはおよそ103億人でピークに達すると予測を修正している)
現在、最も人口の多い国はインドで14億4,170万人、2位が中国の14億2,520万人。インドが中国を抜いたのは昨年2023年。中国の人口は2年連続で減少しており現在がほぼピークとみられている。一方のインドは2063年に17億人まで増加する見込み。人口が増えれば経済規模も大きくなるものの、それが1対1の正比例になるかどうかはまた別の問題。
話はそれるが50年ほど前に誰かに聞いたか何かで読んだ、
インドにまつわるこんな話。
日本人は九九(9×9)を暗算できるが、インド人は99×99を暗算できるほど頭がいい。
しかしインドは暑すぎて何事にもやる気が起きず怠け者の国民性である。
また熱帯なので野宿しても死ぬことはないし、町や村のそこら中に果実が豊富に
なっていて飢えもしない。それで働く気が起こらず、ますます怠け者になる。
ただしインドがもう少し豊かになって冷房が普及すれば、
元々頭のいい民族なのだからインドはものすごい国になる。
持って生まれた頭のデキが民族によって差があるとは思っていないし、かなり偏見に満ちた意見だと当時から思えた。しかし「冷房」が国家の命運を左右するなど、考えてもみなかった着眼点が新鮮でかつ印象深くて未だによく覚えている。
インドで冷房が普及したのがいつからかはともかく、現在インドのIT技術者は世界2位の規模。ちなみにトップ5は
アメリカ 445万人
インド 343万人
中国 328万人
日本 144万人
ドイツ 121万人
インド国内のIT産業規模ではこれだけの技術者を雇用できず、インド人IT技術者はアメリカを始め世界中で活躍している。日本では楽天だけで数千人が在籍しているらしい。またGoogleやマイクロソフトなどの経営トップはインド系である。
インドの発展はさておいて、温暖化がさらに進んで日本でも野宿OK、路上の果物でお腹が満たせるようにならないかな(^^ゞ
話を世界の人口に戻すと、そのピークがいつかは別として100億人前後までは増え続ける。下記はそのエリア別の伸び方を示している。これからは現在14億人ほどのアフリカが11億人上乗せして地域別のトップに躍り出る。グラフはhttps://www.sri-sinc.jp/knowledge/2022052001.htmlから引用
それをもっと直感的に把握できるように描かれたのがこちら。近頃は観光地に行くと半分くらいは中国人?なんて思うことがある。そのうち右を見ても左を見てもアフリカの人だらけなんて時代も来るみたい。画像はhttps://vdata.nikkei.com/newsgraphics/population-and-world/から引用
さらに最初に話を戻して、現在の世界人口は81億1900万人。
1億人以上の国をリストアップすると
1位 インド 14億4,170万人
2位 中国 14億2,520万人
3位 アメリカ 3億4,180万人
4位 インドネシア 2億7,980万人
5位 パキスタン 2億4,520万人
6位 ナイジェリア 2億2,920万人
7位 ブラジル 2億1,760万人
8位 バングラデシュ 1億7,470万人
9位 ロシア 1億4,400万人
10位 エチオピア 1億2,970万人
11位 メキシコ 1億2,940万人
12位 日本 1億2,260万人
13位 フィリピン 1億1,910万人
14位 エジプト 1億1,450万人
15位 コンゴ共和国 1億560万人
世界には約200の国がある。
そして人口7位までの国だけで、合計人口が41億8050万人と全体の半分以上を占める。ここには載せなかったが20位までの合計人口が56億5090万人。すなわち200カ国中1割の国に世界人口の7割が暮らしている計算になる。
東京の一極集中とよく議論の的になるが、東京都の人口は日本の11.3%。世界はもっと偏っているのだと改めて認識。もっともインドと中国に、あえてえいえばアホほど人がいるせいでそんな状況を生み出しているのだが。とにかく世界はいびつである。また世界の人口を考える際にインドと中国を含む・含まないに分ける必要もあると思う。
さてお勉強はこれくらいにして、
そろそろ本題に進まなければ(^^ゞ
ーーー続く
それについて調べていたら、いろいろと人口推移のデータも集まったし、そして本題に関してはまだほとんどわかっていないので、だったら人口推移も前振りでブログネタにしてみるかと書いたのが前回と今回。そして今回は世界の人口推移について。
4月に発表された国連の世界人口白書2024によれば、現在の世界人口は81億1900万人。ちなみに80億人を突破したのは昨年。調査して発表までには時間がかかるから、実際にはそれぞれ1年前だと思う。
これは人類が誕生して以降の人口推移グラフ。グラフは国連人口基金(UNFPA)https://x.gd/piFLc(短縮URL使用)から引用編集
産業革命を契機に急激に増えているのが一目瞭然。産業革命が起きたのは18世紀半ば。グラフではその頃の人口が10億人。ざっくり300年前として、その間に8.1倍に増えた計算。
日本の産業革命は明治20年代半ばからで(明治維新は1868年、明治は明治45年まで)、西洋の150年遅れで産業革命が導入されたことになる。当時の人口は3340万人。現在の1億2400万人で上記と同じように計算すると150年で3.8倍の増加。
上のグラフはスタートが人類誕生時点だから産業革命以降がほぼ垂直線になっている。それではイメージをつかみにくいので、こちらは1800年が始まり=産業革命後の推移と予想。グラフはhttps://www.yomiuri.co.jp/world/20201117-OYT1T50173/から引用編集
グラフでは50年ごとの人口が記されている。第2次世界大戦が終わったのは1945年だけれど、1950年で代用して戦後の人口増加を計算すると
世界人口 81億1900万人 ÷ 25億人 = 3.2倍
日本人口 1億2400万人 ÷ 8400万人 = 1.5倍
日本は戦後にすごく人口が増えたイメージを持っていたのに、
世界全体と較べると半分のペースだったとは意外。
実は世界の人口というとなぜか36億人の数字を思い出してしまう。調べてみるとそれは1969年から1970年頃。そのときに世界の人口について何か話題があったのか、それとも初めて知った世界の人口が36億人だったので覚えているのか。今となってはナゾ
さて上のグラフでは将来について2本の曲線が描かれている。人類は永遠に増え続けるのではなく、従来は国連の予想で2100年に109億人でピークに達すると考えられていた。しかし2020年に米国ワシントン大学が、ピークは2064年の97億人だとの説を発表して、見解が分かれている。まっ、どっちでもいいけど(^^ゞ (なおこのグラフの作成は2020年で、国連も今年の7月に2080年代半ばにはおよそ103億人でピークに達すると予測を修正している)
現在、最も人口の多い国はインドで14億4,170万人、2位が中国の14億2,520万人。インドが中国を抜いたのは昨年2023年。中国の人口は2年連続で減少しており現在がほぼピークとみられている。一方のインドは2063年に17億人まで増加する見込み。人口が増えれば経済規模も大きくなるものの、それが1対1の正比例になるかどうかはまた別の問題。
話はそれるが50年ほど前に誰かに聞いたか何かで読んだ、
インドにまつわるこんな話。
日本人は九九(9×9)を暗算できるが、インド人は99×99を暗算できるほど頭がいい。
しかしインドは暑すぎて何事にもやる気が起きず怠け者の国民性である。
また熱帯なので野宿しても死ぬことはないし、町や村のそこら中に果実が豊富に
なっていて飢えもしない。それで働く気が起こらず、ますます怠け者になる。
ただしインドがもう少し豊かになって冷房が普及すれば、
元々頭のいい民族なのだからインドはものすごい国になる。
持って生まれた頭のデキが民族によって差があるとは思っていないし、かなり偏見に満ちた意見だと当時から思えた。しかし「冷房」が国家の命運を左右するなど、考えてもみなかった着眼点が新鮮でかつ印象深くて未だによく覚えている。
インドで冷房が普及したのがいつからかはともかく、現在インドのIT技術者は世界2位の規模。ちなみにトップ5は
アメリカ 445万人
インド 343万人
中国 328万人
日本 144万人
ドイツ 121万人
インド国内のIT産業規模ではこれだけの技術者を雇用できず、インド人IT技術者はアメリカを始め世界中で活躍している。日本では楽天だけで数千人が在籍しているらしい。またGoogleやマイクロソフトなどの経営トップはインド系である。
インドの発展はさておいて、温暖化がさらに進んで日本でも野宿OK、路上の果物でお腹が満たせるようにならないかな(^^ゞ
話を世界の人口に戻すと、そのピークがいつかは別として100億人前後までは増え続ける。下記はそのエリア別の伸び方を示している。これからは現在14億人ほどのアフリカが11億人上乗せして地域別のトップに躍り出る。グラフはhttps://www.sri-sinc.jp/knowledge/2022052001.htmlから引用
それをもっと直感的に把握できるように描かれたのがこちら。近頃は観光地に行くと半分くらいは中国人?なんて思うことがある。そのうち右を見ても左を見てもアフリカの人だらけなんて時代も来るみたい。画像はhttps://vdata.nikkei.com/newsgraphics/population-and-world/から引用
さらに最初に話を戻して、現在の世界人口は81億1900万人。
1億人以上の国をリストアップすると
1位 インド 14億4,170万人
2位 中国 14億2,520万人
3位 アメリカ 3億4,180万人
4位 インドネシア 2億7,980万人
5位 パキスタン 2億4,520万人
6位 ナイジェリア 2億2,920万人
7位 ブラジル 2億1,760万人
8位 バングラデシュ 1億7,470万人
9位 ロシア 1億4,400万人
10位 エチオピア 1億2,970万人
11位 メキシコ 1億2,940万人
12位 日本 1億2,260万人
13位 フィリピン 1億1,910万人
14位 エジプト 1億1,450万人
15位 コンゴ共和国 1億560万人
世界には約200の国がある。
そして人口7位までの国だけで、合計人口が41億8050万人と全体の半分以上を占める。ここには載せなかったが20位までの合計人口が56億5090万人。すなわち200カ国中1割の国に世界人口の7割が暮らしている計算になる。
東京の一極集中とよく議論の的になるが、東京都の人口は日本の11.3%。世界はもっと偏っているのだと改めて認識。もっともインドと中国に、あえてえいえばアホほど人がいるせいでそんな状況を生み出しているのだが。とにかく世界はいびつである。また世界の人口を考える際にインドと中国を含む・含まないに分ける必要もあると思う。
さてお勉強はこれくらいにして、
そろそろ本題に進まなければ(^^ゞ
ーーー続く
2024年10月02日
全部で何人?
総務省統計局によれば、今年の4月時点で日本の総人口は1億2400万人と推計されている。1年前より57万人、0.46%減った。
一般に人口という場合はこの総人口を指し、これには3ヶ月以上滞在している外国人も含まれている。日本人だけの人口は1億2072万人。こちらは1年前より85万5000人、0.7%の減少。
1億2400万人から1億2072万人を引いた328万人が外国人の数。また85万5000人から57万人を引くと28万5000人で、それだけ外国人が増えた計算になる。
外国人の比率を計算すると328万人 ÷ 1億2400万人 =2.6%
四捨五入して3%。
3%とはもちろん100人中の3人なのだけれど、人数のパーセンテージは子供の頃のクラスに当てはめると実感を持ちやすい。ただし世代によってクラスの人数が違うのが難点。私の小学生時代は1クラス40数名だった。今は30数名のクラスも多いと聞く。
とりあえず40名で計算すると3%は1.2名。たいした人数には思えないかも知れないが、これは全クラス&全学年で教室に1人は外国人の生徒がいる計算。5クラスあればどこかの教室には2名。もはやそんな時代。(これは人数を実感として把握するための計算なので、学校の実態と混同しないでね)
以前に奈良時代の人口はたった300万人と知ってびっくりした話を書いた。
こちらは平安時代からの人口の推移グラフ。グラフはhttps://www.jice.or.jp/knowledge/japan/commentary05から引用
これによれば1000万人を超えたのは関ヶ原の戦いの1600年頃。江戸時代の中頃に3000万人に達した後はしばらく停滞。幕末から明治維新の頃に掛けて人口が増大し、グラフの角度が跳ね上がるのは1925年(大正14年、大正は15年まで)あたり。
終戦時は7200万人で、1億人突破が1967年。
ところで一億総中流という言葉あるいは意識は
1958年から始まった「国民生活に関する世論調査」で自らを中流と回答した人が
7割を超えた。設問は「生活の程度は世間一般から見て」「上、中の上、中の中、
中の下、下」の5段階。
1960年代半ばには8割を超え、70年代に入ると9割以上。
1968年にGDPが世界第2位となった。
これらの状況を反映して1970年前後から広まったとされる。国際比較も興味があるものの、データを探したり分析に社会構造の違いを考慮したりが面倒なので手を付けていない。
そしてそれから50数年。
バブル崩壊以降「失われた10年」を3回更新し、現在はその4期目に入っている(/o\) 何かとパッとしない日本。「勝ち組・負け組」の言葉が使われ出したのが2003年、そして「格差社会」が2006年の流行語になる。
もう一億総中流の時代は終わったかと思いきや、
ほとんどといっていいほどデータに変動はない。
下図は「国民生活に関する世論調査」の1964年から2023年までのデータをグラフにしている。縦軸が%で、横軸が年度。ただし1998年、2000年、2020年は調査が実施されていない。2020年はコロナの影響。しかし1988年と2000年は「他調査とのスケジュールの関係」と説明されている。そんな理由で毎年行われている調査が中止になるとは知らなかった。
折れ線グラフは上から順に「中の上・中・下」の合計値、中の中、中の下、中の上。
1970年代になって以降はずっと90%プラスマイナスを維持している。バブルは多くの人いわゆる庶民の生活実感に影響がなかったといえる。バブルで日本中が浮かれていたなんてのはマスコミの作り出した虚像。なお2011年から少し高めに推移している理由はよくわからない。ちなみに2011年は東日本大震災のあった年。そして2021年から落ち気味なのは、いよいよ本格的な格差社会の始まりを示しているのだろうか。もっとも「意識調査」だけですべては語れない。
最初に載せたグラフは人口が右肩上がりで終わっているが、その続きは正反対の右肩下がり。もちろんそれはご存じのように少子化社会の影響。人口は2008年(平成20年)の1億2808万人をピークに下がり続けている。グラフは厚生労働白書平成27年(2015年)版より引用
今年の4月時点での1億2400万と較べると
16年間で408万人、率にして3%
も減少した。参考までに都道府県の人口順位で9位の福岡県が510万人、10位の静岡県が360万人ほどである。
人口が1億人を下回る時期の推定は
2012年発表の内閣府高齢社会白書によれば2048年
2023年発表の国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば2056年
2012年より11年後の2023年の発表では、その時期が8年後ろにずれている。これはもちろん出生数が増えたのではなく、総人口での推定なので、外国人が2012年当時の予測よりさらに増えた影響が反映している。
国内で暮らす日本人は今年の4月時点で1億2072万人(海外で暮らしているのは130万人)。これが1億人を切るのは2023年の推定によれば2052年で9955万人になる。この時点での外国人数は720万人と見積もられ、現在の328万人の2.2倍、全体に占める割合は720 ÷ (9955+720) =6.8% =40人クラスだと2.7人。
上のグラフを見れば「76年後」の2100年に人口は6000万人程度まで落ち込んでいる。今の半分であり、だいたい大正時代末期の水準。ただしこれは現在の外国人をあまり受け入れない移民政策をベースにした推計。それを変更すれば人口推移も大きく変わる。
人口に占める移民比率は2020年時点でアメリカ15.3%、ヨーロッパはイギリス13.8%、フランス13%、ドイツ18.8%、イタリア11%。単純平均すれば14.4%で日本の2.6%の5倍以上。
移民の多い国ほど経済成長率が大きいとのデータがある一方で、増えすぎた移民による様々なトラブルが起きているのもよく耳にするところ。なお「現在の外国人をあまり受け入れない移民政策をベースにした推計」と書いたが、それでもグラフに示されているのは、46年後の2070年に日本の移民比率は10%を超えると予測した上での数字。
昨日、岸田総理が退陣して石破総理が誕生した。自民党総裁選では9名もの候補者が立候補して、それぞれが各分野の政策をアピールしていたのはまだ記憶に新しい。もう10年もすれば、その中に移民政策も入ってくるだろうし、それは国論を二分する議論になるかも知れない。
「1億人」の数字に引っ張られて、一億総中流とか移民比率とかだいぶ話がずれた。
さらに言うと実は人口の推移すら今回の本題とは直接関係ない(^^ゞ
でもしばらくこの調子で書きましょう。
ーーー続く
一般に人口という場合はこの総人口を指し、これには3ヶ月以上滞在している外国人も含まれている。日本人だけの人口は1億2072万人。こちらは1年前より85万5000人、0.7%の減少。
1億2400万人から1億2072万人を引いた328万人が外国人の数。また85万5000人から57万人を引くと28万5000人で、それだけ外国人が増えた計算になる。
外国人の比率を計算すると328万人 ÷ 1億2400万人 =2.6%
四捨五入して3%。
3%とはもちろん100人中の3人なのだけれど、人数のパーセンテージは子供の頃のクラスに当てはめると実感を持ちやすい。ただし世代によってクラスの人数が違うのが難点。私の小学生時代は1クラス40数名だった。今は30数名のクラスも多いと聞く。
とりあえず40名で計算すると3%は1.2名。たいした人数には思えないかも知れないが、これは全クラス&全学年で教室に1人は外国人の生徒がいる計算。5クラスあればどこかの教室には2名。もはやそんな時代。(これは人数を実感として把握するための計算なので、学校の実態と混同しないでね)
以前に奈良時代の人口はたった300万人と知ってびっくりした話を書いた。
こちらは平安時代からの人口の推移グラフ。グラフはhttps://www.jice.or.jp/knowledge/japan/commentary05から引用
これによれば1000万人を超えたのは関ヶ原の戦いの1600年頃。江戸時代の中頃に3000万人に達した後はしばらく停滞。幕末から明治維新の頃に掛けて人口が増大し、グラフの角度が跳ね上がるのは1925年(大正14年、大正は15年まで)あたり。
終戦時は7200万人で、1億人突破が1967年。
ところで一億総中流という言葉あるいは意識は
1958年から始まった「国民生活に関する世論調査」で自らを中流と回答した人が
7割を超えた。設問は「生活の程度は世間一般から見て」「上、中の上、中の中、
中の下、下」の5段階。
1960年代半ばには8割を超え、70年代に入ると9割以上。
1968年にGDPが世界第2位となった。
これらの状況を反映して1970年前後から広まったとされる。国際比較も興味があるものの、データを探したり分析に社会構造の違いを考慮したりが面倒なので手を付けていない。
そしてそれから50数年。
バブル崩壊以降「失われた10年」を3回更新し、現在はその4期目に入っている(/o\) 何かとパッとしない日本。「勝ち組・負け組」の言葉が使われ出したのが2003年、そして「格差社会」が2006年の流行語になる。
もう一億総中流の時代は終わったかと思いきや、
ほとんどといっていいほどデータに変動はない。
下図は「国民生活に関する世論調査」の1964年から2023年までのデータをグラフにしている。縦軸が%で、横軸が年度。ただし1998年、2000年、2020年は調査が実施されていない。2020年はコロナの影響。しかし1988年と2000年は「他調査とのスケジュールの関係」と説明されている。そんな理由で毎年行われている調査が中止になるとは知らなかった。
折れ線グラフは上から順に「中の上・中・下」の合計値、中の中、中の下、中の上。
1970年代になって以降はずっと90%プラスマイナスを維持している。バブルは多くの人いわゆる庶民の生活実感に影響がなかったといえる。バブルで日本中が浮かれていたなんてのはマスコミの作り出した虚像。なお2011年から少し高めに推移している理由はよくわからない。ちなみに2011年は東日本大震災のあった年。そして2021年から落ち気味なのは、いよいよ本格的な格差社会の始まりを示しているのだろうか。もっとも「意識調査」だけですべては語れない。
最初に載せたグラフは人口が右肩上がりで終わっているが、その続きは正反対の右肩下がり。もちろんそれはご存じのように少子化社会の影響。人口は2008年(平成20年)の1億2808万人をピークに下がり続けている。グラフは厚生労働白書平成27年(2015年)版より引用
今年の4月時点での1億2400万と較べると
16年間で408万人、率にして3%
も減少した。参考までに都道府県の人口順位で9位の福岡県が510万人、10位の静岡県が360万人ほどである。
人口が1億人を下回る時期の推定は
2012年発表の内閣府高齢社会白書によれば2048年
2023年発表の国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば2056年
2012年より11年後の2023年の発表では、その時期が8年後ろにずれている。これはもちろん出生数が増えたのではなく、総人口での推定なので、外国人が2012年当時の予測よりさらに増えた影響が反映している。
国内で暮らす日本人は今年の4月時点で1億2072万人(海外で暮らしているのは130万人)。これが1億人を切るのは2023年の推定によれば2052年で9955万人になる。この時点での外国人数は720万人と見積もられ、現在の328万人の2.2倍、全体に占める割合は720 ÷ (9955+720) =6.8% =40人クラスだと2.7人。
上のグラフを見れば「76年後」の2100年に人口は6000万人程度まで落ち込んでいる。今の半分であり、だいたい大正時代末期の水準。ただしこれは現在の外国人をあまり受け入れない移民政策をベースにした推計。それを変更すれば人口推移も大きく変わる。
人口に占める移民比率は2020年時点でアメリカ15.3%、ヨーロッパはイギリス13.8%、フランス13%、ドイツ18.8%、イタリア11%。単純平均すれば14.4%で日本の2.6%の5倍以上。
移民の多い国ほど経済成長率が大きいとのデータがある一方で、増えすぎた移民による様々なトラブルが起きているのもよく耳にするところ。なお「現在の外国人をあまり受け入れない移民政策をベースにした推計」と書いたが、それでもグラフに示されているのは、46年後の2070年に日本の移民比率は10%を超えると予測した上での数字。
昨日、岸田総理が退陣して石破総理が誕生した。自民党総裁選では9名もの候補者が立候補して、それぞれが各分野の政策をアピールしていたのはまだ記憶に新しい。もう10年もすれば、その中に移民政策も入ってくるだろうし、それは国論を二分する議論になるかも知れない。
「1億人」の数字に引っ張られて、一億総中流とか移民比率とかだいぶ話がずれた。
さらに言うと実は人口の推移すら今回の本題とは直接関係ない(^^ゞ
でもしばらくこの調子で書きましょう。
ーーー続く