2024年11月
2024年11月29日
高橋龍太郎コレクション展 その6
巨大な作品を見て少し浮遊感を感じた後に、
通路を進むとまた通常の展示室になる。
こういうわけのわからない作品を「ケッ」と睨みつけ、
次に足が止まったのはこれ。
ob 「Choking」 2011年
それは顔も魅力的だったけれど、
サインが可愛かったから(^^ゞ
それは半分冗談(だから半分は本当)。ありがちなアニメ顔ではあるが、全体のぼかし加減や背景の描き方に、ちょっと印象派的な要素があって不思議な世界観が漂っている。
タイトルのChokingは黒板に書くチョーク(chalk)ではなく、息が詰まるや窒息、あるいは単に詰まるという意味のチョーク(choke)。首を絞める反則技をかけられたら「チョーク、チョーク」とレフリーにアピールするのを子供の頃にプロレスでよく見た。今もやっているのかな? また昔のクルマについていたチョークは、始動時にキャブレターの空気弁を絞ってガソリンの混合比率を高める装置。chokingはchokeの形容詞形。
それはそうとして、
この絵を見て息苦しい感じはまったくしない。
どうしてChokingなんだろう。
坂本夏子 & 梅津庸一 「絵作り」 2013
まったく現代アートぽくない作品。タイトルを読むと海岸で絵を描くキャンバスを張っている様子だろうか。これは二人の画家がコラボして描いている。そんな制作の作品は初めて見た。ただし画風が交差しているようなところはなく、言われなければ画家が二人でとは気付かない。
どちらも知らない画家だったのでグーグルで画像検索してみた。
リンクは短縮URL。
坂本夏子 https://x.gd/olxIY
梅津庸一 https://x.gd/zjjYq
それを眺めると、この絵は二人の個性がほどよく混じり合っている。そして現代アートの画家がコラボしたら、現代アート的ではない作品になったのがどこか面白い。
坂本夏子 「BATH, R」 2009〜2010年
こちらは坂本夏子の単独作品。BATHだから浴室のはずなのに、描かれている空間が広いのでプールのように見える。また視界のゆがみが水中での光景に錯覚する。
ところで2000年に105歳で他界した、
小倉遊亀(おぐらゆき)に「浴女」という代表作がある。
浴女 その一
浴女 その二
ひょっとしたらこれにインスピレーションを得て描いたのかも知れない。
いわゆるパクりじゃなくてオマージュね。
2020年にミケル・バルセロ展と同時開催されていた水戸部七絵(みとべ ななえ)。コロナでマスクをしていたのにもかかわらず、絵の具を溶いた油の匂いが鼻をつくほど「超を百倍超えた超厚塗り」の作品に度肝を抜かれた記憶は今でも鮮明。
ここでも盛大にヤラカシてた(^^ゞ
重さに耐えかねて絵の具が落ちてるやん!
水戸部七絵 「DEPTH」 2017年
さて
何これ?
入場料にこれを見る分も含まれているのがハラ立つ。
解説によると「本作は雑誌5冊を焼いている。高温の窯で焼かれた後も書物は灰に帰すことなく、本の形を留めたまま白く縮んだ姿を見せる」とあり、それにはヘエ〜と思ったものの、
続く文章が「言葉を伝えるという本来の役割から解き放たれ、そこにただ存在する形は、物質性や時間性、意味性を超え、我々の認識を揺さぶる」。
頭ワイてるんちゃうか?
こんなオモチャみなたいな、
もといオモチャ箱感あふれる展示の横を歩いて、
またハラ立つのが現れる。
巨大な電球、たぶん街灯の先端部分が無造作に並べられていて順番に点灯している。それだけ。何かを表現してはいるのだろうけれど、どうせ頭ワイてるような理屈に違いない。
初回に
=========
超大雑把に解説するなら、古代文明の時代から近代までのアートは、
広い意味で美の追究
視覚に訴える、視覚で感じたり楽しむもの
だった。それが現代アートになると
美にはとらわれない
社会へのメッセージや問題提起がテーマのものが多い
視覚を超えて思考や洞察を要求される
作品によっては参加型で体感や体験とセットになっている
絵画や彫刻だけでなく、映像や音響、空間、パフォーマンスなど、
あらゆるものが素材になる
=========
と書いた。だから現代アートでは作者のメッセージや問題提起がキモで、でも、そのメッセージや問題提起の内容や質がーーーとも。そしてこの展覧会を見て関心を持てたのは、やはり視覚的に楽しめたものに限られた。
視覚で引きつけられない作品はメッセージや問題提起を読み解く気にはなれず、同様に視覚で楽しめれば別にメッセージや問題提起に気持ちが向かない。結局、どちらにしたって作家との理性での対話はなし。頭が古いのかな、時代に乗り遅れているのかな。
お気づきだったかも知れないが、つまらないと思った作品は作者や作品名を記していない。それ自体に特に意味はなく単に面倒だっただけ。一方でそれらの作品に関心を持つ人、その背景に思いを巡らせるのはどんな人なのだろうと思う。それはこのコレクションのオーナーである高橋龍太郎氏に対しても同じ。「よくこんなものを金を払って集めたな」と感じた展示が多数だった。
彼らはどんな頭の構造をしているのか、私と会話が成り立つのかなどと想像している。そして私のほうが多数派だよね、だよね!とちょっとビビりながら思ったりして(^^ゞ
ただし草間彌生と 水戸部七絵は以前に個展を見ていて、その世界観がわかってるから素直に目に入ってきた部分はある。上で紹介した水戸部七絵の「DEPTH」だけを初めて見たら、「コイツは頭がおかしい」とたぶん考えたはず。そういう意味じゃ現代アートを楽しむには慣れや馴染みが必要なのかも。
でも馴染むための労力と、それから得られる果実を較べたら釣り合わないような気がする。そこにときめくものがあるように思えないし、私がすべての芸術において重視し、また評価の判断基準である作品に「酔える」感覚は味わえそうにない。だからやはり、食べず嫌いはいけませんよとお勉強のつもりで、あるいはたまにはのゲテモノ食いとして、これからも現代アートとは付き合っていくんだろうな。
おしまい
通路を進むとまた通常の展示室になる。
こういうわけのわからない作品を「ケッ」と睨みつけ、
次に足が止まったのはこれ。
ob 「Choking」 2011年
それは顔も魅力的だったけれど、
サインが可愛かったから(^^ゞ
それは半分冗談(だから半分は本当)。ありがちなアニメ顔ではあるが、全体のぼかし加減や背景の描き方に、ちょっと印象派的な要素があって不思議な世界観が漂っている。
タイトルのChokingは黒板に書くチョーク(chalk)ではなく、息が詰まるや窒息、あるいは単に詰まるという意味のチョーク(choke)。首を絞める反則技をかけられたら「チョーク、チョーク」とレフリーにアピールするのを子供の頃にプロレスでよく見た。今もやっているのかな? また昔のクルマについていたチョークは、始動時にキャブレターの空気弁を絞ってガソリンの混合比率を高める装置。chokingはchokeの形容詞形。
それはそうとして、
この絵を見て息苦しい感じはまったくしない。
どうしてChokingなんだろう。
坂本夏子 & 梅津庸一 「絵作り」 2013
まったく現代アートぽくない作品。タイトルを読むと海岸で絵を描くキャンバスを張っている様子だろうか。これは二人の画家がコラボして描いている。そんな制作の作品は初めて見た。ただし画風が交差しているようなところはなく、言われなければ画家が二人でとは気付かない。
どちらも知らない画家だったのでグーグルで画像検索してみた。
リンクは短縮URL。
坂本夏子 https://x.gd/olxIY
梅津庸一 https://x.gd/zjjYq
それを眺めると、この絵は二人の個性がほどよく混じり合っている。そして現代アートの画家がコラボしたら、現代アート的ではない作品になったのがどこか面白い。
坂本夏子 「BATH, R」 2009〜2010年
こちらは坂本夏子の単独作品。BATHだから浴室のはずなのに、描かれている空間が広いのでプールのように見える。また視界のゆがみが水中での光景に錯覚する。
ところで2000年に105歳で他界した、
小倉遊亀(おぐらゆき)に「浴女」という代表作がある。
浴女 その一
浴女 その二
ひょっとしたらこれにインスピレーションを得て描いたのかも知れない。
いわゆるパクりじゃなくてオマージュね。
2020年にミケル・バルセロ展と同時開催されていた水戸部七絵(みとべ ななえ)。コロナでマスクをしていたのにもかかわらず、絵の具を溶いた油の匂いが鼻をつくほど「超を百倍超えた超厚塗り」の作品に度肝を抜かれた記憶は今でも鮮明。
ここでも盛大にヤラカシてた(^^ゞ
重さに耐えかねて絵の具が落ちてるやん!
水戸部七絵 「DEPTH」 2017年
さて
何これ?
入場料にこれを見る分も含まれているのがハラ立つ。
解説によると「本作は雑誌5冊を焼いている。高温の窯で焼かれた後も書物は灰に帰すことなく、本の形を留めたまま白く縮んだ姿を見せる」とあり、それにはヘエ〜と思ったものの、
続く文章が「言葉を伝えるという本来の役割から解き放たれ、そこにただ存在する形は、物質性や時間性、意味性を超え、我々の認識を揺さぶる」。
頭ワイてるんちゃうか?
こんなオモチャみなたいな、
もといオモチャ箱感あふれる展示の横を歩いて、
またハラ立つのが現れる。
巨大な電球、たぶん街灯の先端部分が無造作に並べられていて順番に点灯している。それだけ。何かを表現してはいるのだろうけれど、どうせ頭ワイてるような理屈に違いない。
初回に
=========
超大雑把に解説するなら、古代文明の時代から近代までのアートは、
広い意味で美の追究
視覚に訴える、視覚で感じたり楽しむもの
だった。それが現代アートになると
美にはとらわれない
社会へのメッセージや問題提起がテーマのものが多い
視覚を超えて思考や洞察を要求される
作品によっては参加型で体感や体験とセットになっている
絵画や彫刻だけでなく、映像や音響、空間、パフォーマンスなど、
あらゆるものが素材になる
=========
と書いた。だから現代アートでは作者のメッセージや問題提起がキモで、でも、そのメッセージや問題提起の内容や質がーーーとも。そしてこの展覧会を見て関心を持てたのは、やはり視覚的に楽しめたものに限られた。
視覚で引きつけられない作品はメッセージや問題提起を読み解く気にはなれず、同様に視覚で楽しめれば別にメッセージや問題提起に気持ちが向かない。結局、どちらにしたって作家との理性での対話はなし。頭が古いのかな、時代に乗り遅れているのかな。
お気づきだったかも知れないが、つまらないと思った作品は作者や作品名を記していない。それ自体に特に意味はなく単に面倒だっただけ。一方でそれらの作品に関心を持つ人、その背景に思いを巡らせるのはどんな人なのだろうと思う。それはこのコレクションのオーナーである高橋龍太郎氏に対しても同じ。「よくこんなものを金を払って集めたな」と感じた展示が多数だった。
彼らはどんな頭の構造をしているのか、私と会話が成り立つのかなどと想像している。そして私のほうが多数派だよね、だよね!とちょっとビビりながら思ったりして(^^ゞ
ただし草間彌生と 水戸部七絵は以前に個展を見ていて、その世界観がわかってるから素直に目に入ってきた部分はある。上で紹介した水戸部七絵の「DEPTH」だけを初めて見たら、「コイツは頭がおかしい」とたぶん考えたはず。そういう意味じゃ現代アートを楽しむには慣れや馴染みが必要なのかも。
でも馴染むための労力と、それから得られる果実を較べたら釣り合わないような気がする。そこにときめくものがあるように思えないし、私がすべての芸術において重視し、また評価の判断基準である作品に「酔える」感覚は味わえそうにない。だからやはり、食べず嫌いはいけませんよとお勉強のつもりで、あるいはたまにはのゲテモノ食いとして、これからも現代アートとは付き合っていくんだろうな。
おしまい
2024年11月27日
高橋龍太郎コレクション展 その5
高さ5m60cmの「サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)」が展示されていた部屋にあったさらに大きな作品。
鴻池朋子 「皮緞帳」 2015〜16年 6m×24m
緞帳は「どんちょう」で舞台の前に垂れ下がるやつ。タイトルにあるようにこの緞帳は牛革製で、解説には「水彩、クレヨン」とある。水彩は水彩絵の具だと思うが、皮の表面なら絵の具がはじかれてしまうから、皮の裏側に色を塗っているのかな。
大きさには圧倒された。でも特に何か感じるものはなし。「Crash セイラ・マス」と「サーフ・エンジェル」で美術において大きさは正義みたいなところはあると書いた。でも大きければすべてよしではもちろんない。
それよりもなによりも
部屋に入ったときから気になっていたのがコレ。
青木美歌 「Her songs are floating」 2007年
いや〜懐かしい、ダイハツのコンパーノじゃないか。従兄弟で10歳ほど年上のKニイチャンが大学生の頃に乗っていたクルマ。シャコタンにマフラーの芯を抜いた爆音で(^^ゞ 当時暴走族という言葉はなく、バイクはカミナリ族と呼ばれていたが、クルマを改造する人はまだ少なく集団名はなかったように思う。
そのかわりいわゆるカーマニアは「カーキチ」と呼ばれていた。キチは今じゃ使えない言葉になって基地外なんて書くキチね。Kニイチャンが暴走していたかどうかは私がまだ子供だったのでよく知らないが、爆走していたのは間違いない。父親のクルマとまったく違う低く大きな排気音にスゲーと思ったものである。
コンパーノはダイハツが初めて発売した四輪自動車。それまではマツダと同じくオート三輪のメーカーだった(リンクした写真はダイハツのミゼット)。
1963年(昭和38年)4月に最初に発売されたのは長い荷室を持つライトバン(商用車)で、6月に同じボディのワゴン(乗用車)が発売される。排気量は800cc。下の写真はワゴン。画像はhttps://x.gd/PbKhzから引用(短縮URL使用)
11月には2ドアセダンが発売され「コンパーノ・ベルリーナ」の名前がつけられる。4ドアセダンの追加は1965年の5月。ベルリーナはイタリア語でセダンの意味。コンパーノもイタリア語で「仲間」。イタリア語的発音では「compagno・コンパーニョ」。ワゴンと違ってBピラー(サイドウインドの中間)上部にウインカーがあるのが珍しいしちょっとカワイイ。白いクルマの画像はhttps://meisha.co.jp/?p=21094から引用
ヨーロッパ的で何となく昔のフィアットを思わせる顔立ちなのは、当時のイタリア・カロッツェリアの名門であるビニヤーレのデザインだから。
昭和30〜40年代の国産車としてはこのコンパーノと、ビニヤーレから独立したミケロッティによるデザインの日野コンテッサ、それとスズキのフロンテ800が他を寄せ付けないデザインの完成度。(コンテッサの後部が長いのはリアエンジンだから。それで逆にフロントにはラジエターのためのグリルがない)
そして1965年4月にオープンモデルの「コンパーノ・スパイダー」発売。画像はhttps://www.webcartop.jp/2017/07/135336/から引用
日本のモータリーゼーションが本格化したのは、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後。コンパーノが発売された頃の大衆車はトヨタのパブリカやマツダの初代ファミリアなど600〜800ccクラスで(当時の軽四は360cc)、その上がトヨタのコロナ、日産ブルーバードの1500ccクラスだった。しかし1966年にその間を埋めるトヨタカローラ、日産サニーが1000〜1200ccで発売されると、この600〜800ccクラスは需要が冷え込んでしまう。コンパーノは排気量を1000ccまで拡大したりするものの1970年に販売終了。
コンパーノのモデルチェンジは行われず、代わりにトヨタと共同開発したコンソルテが1970年に後継車種として発売された。コンソルテもイタリア語で意味は伴侶や仲間などの絆を表す。1967年に業務提携で傘下入りしたトヨタへの忖度丸出しのネーミング。
そしてこれがコンパーノとは似ても似つかないブサイクなデザインで(/o\) 画像はhttps://lrnc.cc/_ct/16948834から引用
さて、何の話だったっけ(^^ゞ
作品はボロボロになったクルマにガラス細工を一体化させたもの。
コンパーノを選んだことに意味があるのかどうかは不明。しかしそんなに売れたクルマではないので、この作品が制作された2007年に「たまたま」スクラップのコンパーノを近所で見つけたとは考えにくい。
ガラスで表現されているのは、
粘菌やバクテリアやカビなどをモチーフとした原始的な生命形態らしい。
屋根と窓にあるのとでは少し印象が違う。
室内の写真を撮り忘れたので作者のホームページから借用。屋根を突き破って根が生えているみたいだ。https://www.mikaaoki.jp/works/hersongs.html
ひょっとしたらこのガラスの生命体は、廃車となったこのクルマから養分を吸い取っているのかも知れない。そして作品タイトルはHer songs are floating。直訳すれば「彼女の歌が浮遊している」。このクルマにはねられて亡くなった女性の霊魂がガラスに形を変えて取り憑き、そして夜な夜などこからとなく寂しげな歌がーーーキャー(>_<)
「皮緞帳」とコラボで。
屋根にあるガラスは楽しげで生命力が感じられる。
だから先ほどのモーソーは間違っているな。
展示室全体を。
ありふれているけれど一言でならシュールな空間。
その次にあったのは
宮永愛子 「景色のはじまり」 2011年
画像はhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29345から引用
ナンジャコレ?と思って通り過ぎようとしたら解説の文章が目にとまった。金木犀(キンモクセイ)の葉を6万枚!とあった。
おそらくキンモクセイの葉を何かの薬品に浸けて葉肉を取り葉脈だけにする。さらに脱色して、それを接着剤で貼り合わせる手作業でこの作品はできあがっている。何人で作業したのだろう、どれくらいの時間が掛かったのか。いわゆる「気が遠くなる」ほどの手間暇なのは間違いない。
それを想像すると神々しく見えてきた。
美術においては手間暇も正義!
葉脈しか残っていないので向こうが透けて見える。
補足しておくと、キンモクセイは秋になったらオレンジ色の花を咲かせていい香りがするやつね。この緑の葉が上の写真のようになったわけだ。
ーーー続く
鴻池朋子 「皮緞帳」 2015〜16年 6m×24m
緞帳は「どんちょう」で舞台の前に垂れ下がるやつ。タイトルにあるようにこの緞帳は牛革製で、解説には「水彩、クレヨン」とある。水彩は水彩絵の具だと思うが、皮の表面なら絵の具がはじかれてしまうから、皮の裏側に色を塗っているのかな。
大きさには圧倒された。でも特に何か感じるものはなし。「Crash セイラ・マス」と「サーフ・エンジェル」で美術において大きさは正義みたいなところはあると書いた。でも大きければすべてよしではもちろんない。
それよりもなによりも
部屋に入ったときから気になっていたのがコレ。
青木美歌 「Her songs are floating」 2007年
いや〜懐かしい、ダイハツのコンパーノじゃないか。従兄弟で10歳ほど年上のKニイチャンが大学生の頃に乗っていたクルマ。シャコタンにマフラーの芯を抜いた爆音で(^^ゞ 当時暴走族という言葉はなく、バイクはカミナリ族と呼ばれていたが、クルマを改造する人はまだ少なく集団名はなかったように思う。
そのかわりいわゆるカーマニアは「カーキチ」と呼ばれていた。キチは今じゃ使えない言葉になって基地外なんて書くキチね。Kニイチャンが暴走していたかどうかは私がまだ子供だったのでよく知らないが、爆走していたのは間違いない。父親のクルマとまったく違う低く大きな排気音にスゲーと思ったものである。
コンパーノはダイハツが初めて発売した四輪自動車。それまではマツダと同じくオート三輪のメーカーだった(リンクした写真はダイハツのミゼット)。
1963年(昭和38年)4月に最初に発売されたのは長い荷室を持つライトバン(商用車)で、6月に同じボディのワゴン(乗用車)が発売される。排気量は800cc。下の写真はワゴン。画像はhttps://x.gd/PbKhzから引用(短縮URL使用)
11月には2ドアセダンが発売され「コンパーノ・ベルリーナ」の名前がつけられる。4ドアセダンの追加は1965年の5月。ベルリーナはイタリア語でセダンの意味。コンパーノもイタリア語で「仲間」。イタリア語的発音では「compagno・コンパーニョ」。ワゴンと違ってBピラー(サイドウインドの中間)上部にウインカーがあるのが珍しいしちょっとカワイイ。白いクルマの画像はhttps://meisha.co.jp/?p=21094から引用
ヨーロッパ的で何となく昔のフィアットを思わせる顔立ちなのは、当時のイタリア・カロッツェリアの名門であるビニヤーレのデザインだから。
昭和30〜40年代の国産車としてはこのコンパーノと、ビニヤーレから独立したミケロッティによるデザインの日野コンテッサ、それとスズキのフロンテ800が他を寄せ付けないデザインの完成度。(コンテッサの後部が長いのはリアエンジンだから。それで逆にフロントにはラジエターのためのグリルがない)
そして1965年4月にオープンモデルの「コンパーノ・スパイダー」発売。画像はhttps://www.webcartop.jp/2017/07/135336/から引用
日本のモータリーゼーションが本格化したのは、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後。コンパーノが発売された頃の大衆車はトヨタのパブリカやマツダの初代ファミリアなど600〜800ccクラスで(当時の軽四は360cc)、その上がトヨタのコロナ、日産ブルーバードの1500ccクラスだった。しかし1966年にその間を埋めるトヨタカローラ、日産サニーが1000〜1200ccで発売されると、この600〜800ccクラスは需要が冷え込んでしまう。コンパーノは排気量を1000ccまで拡大したりするものの1970年に販売終了。
コンパーノのモデルチェンジは行われず、代わりにトヨタと共同開発したコンソルテが1970年に後継車種として発売された。コンソルテもイタリア語で意味は伴侶や仲間などの絆を表す。1967年に業務提携で傘下入りしたトヨタへの忖度丸出しのネーミング。
そしてこれがコンパーノとは似ても似つかないブサイクなデザインで(/o\) 画像はhttps://lrnc.cc/_ct/16948834から引用
さて、何の話だったっけ(^^ゞ
作品はボロボロになったクルマにガラス細工を一体化させたもの。
コンパーノを選んだことに意味があるのかどうかは不明。しかしそんなに売れたクルマではないので、この作品が制作された2007年に「たまたま」スクラップのコンパーノを近所で見つけたとは考えにくい。
ガラスで表現されているのは、
粘菌やバクテリアやカビなどをモチーフとした原始的な生命形態らしい。
屋根と窓にあるのとでは少し印象が違う。
室内の写真を撮り忘れたので作者のホームページから借用。屋根を突き破って根が生えているみたいだ。https://www.mikaaoki.jp/works/hersongs.html
ひょっとしたらこのガラスの生命体は、廃車となったこのクルマから養分を吸い取っているのかも知れない。そして作品タイトルはHer songs are floating。直訳すれば「彼女の歌が浮遊している」。このクルマにはねられて亡くなった女性の霊魂がガラスに形を変えて取り憑き、そして夜な夜などこからとなく寂しげな歌がーーーキャー(>_<)
「皮緞帳」とコラボで。
屋根にあるガラスは楽しげで生命力が感じられる。
だから先ほどのモーソーは間違っているな。
展示室全体を。
ありふれているけれど一言でならシュールな空間。
その次にあったのは
宮永愛子 「景色のはじまり」 2011年
画像はhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29345から引用
ナンジャコレ?と思って通り過ぎようとしたら解説の文章が目にとまった。金木犀(キンモクセイ)の葉を6万枚!とあった。
おそらくキンモクセイの葉を何かの薬品に浸けて葉肉を取り葉脈だけにする。さらに脱色して、それを接着剤で貼り合わせる手作業でこの作品はできあがっている。何人で作業したのだろう、どれくらいの時間が掛かったのか。いわゆる「気が遠くなる」ほどの手間暇なのは間違いない。
それを想像すると神々しく見えてきた。
美術においては手間暇も正義!
葉脈しか残っていないので向こうが透けて見える。
補足しておくと、キンモクセイは秋になったらオレンジ色の花を咲かせていい香りがするやつね。この緑の葉が上の写真のようになったわけだ。
ーーー続く
2024年11月25日
高橋龍太郎コレクション展 その4
天明屋尚 「ネオ千手観音」 2003年 画像中央
「那羅延堅固王」(ならえんけんごおう) 2003年 画像左
「密迹金剛力士」(みっしゃくこんごうりきし) 2003年 画像右
遠くから見ていると普通の仏画に見えたが、近づくと千手観音と両サイドの仁王像が持っているのは銃器や刃物。作者の天明屋尚(てんみょうや・ひさし)はこのような日本画形式と現代のモチーフや風俗をミックスさせた「ネオ日本画」の考案者。
面白いしクォリティも高いのだけれど、あと一歩パロディの域から出ていない印象。
池田学 「興亡史」 2006年
これは2メーター四方くらいの大きさ。そこに細かく細かく描き込まれている。基本的には城が何層も積み重なっているような構図で、そのあちこちで小さなシロアリみたいなサムライが戦ったりしている。なぜかたこあげや電車もある。制作に相当な時間がかかっただはずで、何となく作者が楽しみながら描き込んでいるようにも思える。
ここでこんなことをしている、あっ、こっちではーーーと細部を発見するのはなかなか面白い。しかし全部をクリアするには絵の前にカブリツキで1時間以上は掛かりそう。それもちょっと困るんだよなあ。
舟越桂 「言葉を聞く山」 1997年
今年の3月に亡くなった舟越桂(ふなこし・かつら)。いくつかのテレビ番組で特集が組まれた。その中で彼の彫刻と対峙して目が合わないのは「斜視に彫られている」のが原因と知る。今まで作品は何度か見ていても眼球の向きまでは意識していなかった。
初めて「見つめて」みる。本当だ、どの方向からも目が合わない、この作品では右目が少し外を向いている。舟越桂の作品がどれも遠くを見ているように感じるのは、表情があっさりしているせいと思っていたのに、そういうテクニックがあったのか。それに気付かない私の目は斜視ではなく節穴(^^ゞ
奈良美智 「Untitled」 1999年
奈良美智 「Green Mountain」 2003年
あちこちで見かける奈良美智(なら・よしとも)の少女画。20年くらい前に彼の作品がよく紹介され出したとき、何となく安直な感じがして、好きになれないどころか少し腹立たしかった。でもさすがに見慣れたせいか、こういうのもありかと思えるようになり、またカワイイと感じたりもする。私の感性が広がったのか精神が鈍ったのか?
何と書いたらいいのかわからないものが壁際にあり、
布で作られた作品を眺めて、
手のひらを赤く塗られたロリータっぽいパネルを過ぎたら、
ちょっとエロくて幻想的で、そしてカッコイイおネエちゃんに足を止められる。
ハスキーな声で呼びかけられたような気がした。
山中雪乃 「stretch」 2022
そして部屋の奥にまた巨大なものが見えてきた!
森靖(もりおさむ) 「Jamboree – EP」 2014
高さ 385 × 幅 406 × 奥行き 365cm
モデルがエルビス・プレスリーなのはすぐにわかった。でもずいぶんと太っていて安岡力也がプレスリーのコスプレをしているみたいだ。
なぜかオッパイが飛び出し、
左手はオチンチンを押さえている。マイケル・ジャクソンは押さえながらホォゥー!と叫んでいたけれど、プレスリーもそんなポーズをしていたかな?
これはウンチ?
手のひらには穴が空き、
指で正体不明のものを挟んでいる。タバコにしては太すぎる。
背中はけっこう丸かった。
解説には「スケールやポーズから示唆される大仏の要素や、雌雄同体の姿は、エルビスをモニュメントのはらむ男性性から解き放ち、さまざまな記号性に捉われる私たちの潜在意識に問いを投げかける」(原文のまま)とあった。
うそ〜、クスッと笑ってもらうための一発芸じゃないの?(^^ゞ
エスカレーターで地下の展示室へ移動。
広がっていたのはコンサートが開けそうな大空間。
小谷元彦(おだに・もとひこ)
「サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)」 2022年
高さ 560 × 幅 423 × 奥行き 376cm
反対側から。
電灯でできている頭の部分がiPhoneだとどうしてもにじんでしまう。
しっかりと見たい人はこちらでプロが撮った写真をどうぞ。
タイトルの「仮設のモニュメント」は、東日本大震災復興のイベントにこの作品を出展したのと関係がありそうだ。モチーフになっているのはギリシャ彫刻の傑作とされるサモトラケのニケ(紀元前200–前190年ごろ)で、上半身の服装はそっくり。サモトラケは発見された地名で、ニケは勝利の女神の名前。
そして両腕を広げたポーズは、この有名なシーンからのインスピレーションらしい。頭部は神聖幾何学というオカルトの世界でマカバと呼ばれる多角形の形。
タイタニックとマカラはともかく、サモトラケのニケに馴染みのあるヨーロッパの人がこの作品を見たらすぐにそうだとわかるのに違いない。日本人なら観音像をモチーフしていたら気付くように。
サモトラケのニケとタイタニックとマカラの組み合わせで何を意図しているのかはつかめなかったし、だったら何?との気持ちがないといえば嘘になる。それでも前回の「Crash セイラ・マス」で書いたように美術において大きさは正義。下から仰ぎ見ましょう。
サーフボードに載っているのはやはり津波つながりかも。
恒例の?バックショット。
ーーー続く
「那羅延堅固王」(ならえんけんごおう) 2003年 画像左
「密迹金剛力士」(みっしゃくこんごうりきし) 2003年 画像右
遠くから見ていると普通の仏画に見えたが、近づくと千手観音と両サイドの仁王像が持っているのは銃器や刃物。作者の天明屋尚(てんみょうや・ひさし)はこのような日本画形式と現代のモチーフや風俗をミックスさせた「ネオ日本画」の考案者。
面白いしクォリティも高いのだけれど、あと一歩パロディの域から出ていない印象。
池田学 「興亡史」 2006年
これは2メーター四方くらいの大きさ。そこに細かく細かく描き込まれている。基本的には城が何層も積み重なっているような構図で、そのあちこちで小さなシロアリみたいなサムライが戦ったりしている。なぜかたこあげや電車もある。制作に相当な時間がかかっただはずで、何となく作者が楽しみながら描き込んでいるようにも思える。
ここでこんなことをしている、あっ、こっちではーーーと細部を発見するのはなかなか面白い。しかし全部をクリアするには絵の前にカブリツキで1時間以上は掛かりそう。それもちょっと困るんだよなあ。
舟越桂 「言葉を聞く山」 1997年
今年の3月に亡くなった舟越桂(ふなこし・かつら)。いくつかのテレビ番組で特集が組まれた。その中で彼の彫刻と対峙して目が合わないのは「斜視に彫られている」のが原因と知る。今まで作品は何度か見ていても眼球の向きまでは意識していなかった。
初めて「見つめて」みる。本当だ、どの方向からも目が合わない、この作品では右目が少し外を向いている。舟越桂の作品がどれも遠くを見ているように感じるのは、表情があっさりしているせいと思っていたのに、そういうテクニックがあったのか。それに気付かない私の目は斜視ではなく節穴(^^ゞ
奈良美智 「Untitled」 1999年
奈良美智 「Green Mountain」 2003年
あちこちで見かける奈良美智(なら・よしとも)の少女画。20年くらい前に彼の作品がよく紹介され出したとき、何となく安直な感じがして、好きになれないどころか少し腹立たしかった。でもさすがに見慣れたせいか、こういうのもありかと思えるようになり、またカワイイと感じたりもする。私の感性が広がったのか精神が鈍ったのか?
何と書いたらいいのかわからないものが壁際にあり、
布で作られた作品を眺めて、
手のひらを赤く塗られたロリータっぽいパネルを過ぎたら、
ちょっとエロくて幻想的で、そしてカッコイイおネエちゃんに足を止められる。
ハスキーな声で呼びかけられたような気がした。
山中雪乃 「stretch」 2022
そして部屋の奥にまた巨大なものが見えてきた!
森靖(もりおさむ) 「Jamboree – EP」 2014
高さ 385 × 幅 406 × 奥行き 365cm
モデルがエルビス・プレスリーなのはすぐにわかった。でもずいぶんと太っていて安岡力也がプレスリーのコスプレをしているみたいだ。
なぜかオッパイが飛び出し、
左手はオチンチンを押さえている。マイケル・ジャクソンは押さえながらホォゥー!と叫んでいたけれど、プレスリーもそんなポーズをしていたかな?
これはウンチ?
手のひらには穴が空き、
指で正体不明のものを挟んでいる。タバコにしては太すぎる。
背中はけっこう丸かった。
解説には「スケールやポーズから示唆される大仏の要素や、雌雄同体の姿は、エルビスをモニュメントのはらむ男性性から解き放ち、さまざまな記号性に捉われる私たちの潜在意識に問いを投げかける」(原文のまま)とあった。
うそ〜、クスッと笑ってもらうための一発芸じゃないの?(^^ゞ
エスカレーターで地下の展示室へ移動。
広がっていたのはコンサートが開けそうな大空間。
小谷元彦(おだに・もとひこ)
「サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)」 2022年
高さ 560 × 幅 423 × 奥行き 376cm
反対側から。
電灯でできている頭の部分がiPhoneだとどうしてもにじんでしまう。
しっかりと見たい人はこちらでプロが撮った写真をどうぞ。
タイトルの「仮設のモニュメント」は、東日本大震災復興のイベントにこの作品を出展したのと関係がありそうだ。モチーフになっているのはギリシャ彫刻の傑作とされるサモトラケのニケ(紀元前200–前190年ごろ)で、上半身の服装はそっくり。サモトラケは発見された地名で、ニケは勝利の女神の名前。
そして両腕を広げたポーズは、この有名なシーンからのインスピレーションらしい。頭部は神聖幾何学というオカルトの世界でマカバと呼ばれる多角形の形。
タイタニックとマカラはともかく、サモトラケのニケに馴染みのあるヨーロッパの人がこの作品を見たらすぐにそうだとわかるのに違いない。日本人なら観音像をモチーフしていたら気付くように。
サモトラケのニケとタイタニックとマカラの組み合わせで何を意図しているのかはつかめなかったし、だったら何?との気持ちがないといえば嘘になる。それでも前回の「Crash セイラ・マス」で書いたように美術において大きさは正義。下から仰ぎ見ましょう。
サーフボードに載っているのはやはり津波つながりかも。
恒例の?バックショット。
ーーー続く
2024年11月23日
高橋龍太郎コレクション展 その3
草間彌生のコーナーを抜けると撮影OKの表示。
以前に東京国立博物館で同じ展示室に撮影可と不可の作品があって、何が違うのかと係員に尋ねたら「東京国立博物館が所有する作品は撮影可で、よそから借りてきているものはその所有者の意向による」との返事だった。今回の展覧会はすべて高橋龍太郎のコレクションだからその理屈は当てはまらない。どうして草間彌生だけNGなのかナゾ
展示室の様子。
私には理解不能というか、
興味が持てず理解を試みる気が起きない作品を横目に通り過ぎ、
その次にあったのは合田佐和子が往年のハリウッド女優を描いた作品。
「グレタ・ガルボ」 1975年
「ジョン・クロフォード 1931」 1975年
その2枚の間に展示されていたのがこの作品。
「ルー・リード」 1977年。
ルー・リード(1942〜2013年)はアメリカのロックミュージシャン。ただし日本では1970年代前半にロック好きの間で多少は人気だったかな程度(だと思う)。FMラジオで彼の曲を聴いたと思うがまったく記憶にない。でもルー・リードの語呂がよくて名前はよく覚えていた。
彼の顔は1972年発表のこの「トランスフォーマー」のアルバムジャケットでしか知らなかった。まだ中学か高校生のときにこのアルバムを知って「イキっとんなあ」と思っていた。でも素顔?はこんなだったんだと作者の意図とは関係なく眺めて、またその名前にどこか懐かしさを感じた作品。なお合田佐和子はルー・リードの大ファンだったらしい。
会田誠 「紐育空爆之図」(戦争画 RETURNS) 1996年
紐育空爆之図は「にゅうようく くうばく のず」と読む。零戦がマンハッタン上空を八の字旋回して、空爆された街が炎上している。戦闘機がこんな密集飛行をするのは不可能だから、これは一機が飛んでいる軌跡なのか。何を訴えているのかはわからないものの、マンハッタンと零戦の組み合わせに意表を突かれて印象的だった。
これは屏風絵。
そして零戦はホログラムのような素材で制作されており、見る角度によって色が変わる。首をかしげながら色の変化を追いかけるのも面白かった。
それよりも気になったのはコレ!
なぜかベニヤ板をビールケースで持ち上げて、それに屏風を載せている。
屏風を高い位置に展示する必要があるにしても、美術館がビールケースを使うはずがない。ビールケース込みの作品なのか?それに意味があるのか? 辛抱たまらず近くにいた係員に尋ねると「作者の明確な指示はないのですが、この作品はこうして展示するのが慣例になっている」との返事。
フ〜ンと思いながら、作品を眺める。
そのとき「ビールケースはいつもキリン?」とさらなる疑問が。でもそんな質問を再びするのは恥ずかしくて尋ねられなかった私は小心者(^^ゞ
そして作品を離れてビックリ!
なんとこれはボロっちいフスマに描かれていた。
さらにつなぎ合わせているのはガムテープ!
コレを見せるために屏風絵なのに壁際に展示していなかったのだ。
やはり現代アートはワカンナイ。
会田誠 「大山椒魚」 2003
大山椒魚は「おおさんしょううお」。
生きた化石とも言われ特別天然記念物になっているやつね。
一見すると日本画風でクラシックな印象を受けるのは、古典的な青海波模様を背景にしているから。でも常識的にはそれと絶対に一緒になるはずのなかった、グロテスクなオオサンショウウオと少女のヌードが描かれている。そのミスマッチが絶妙で幻想的。日本画のパロディなのだろうけど、パロディを超えて自立している本物感があった。今回の展覧会で一番欲しいと思った作品。
iPhoneで撮影したのも一緒に。
色合いはこちらの方が正確。
村上隆 「ルイ・ヴィトンのお花畑」 2003年
つまりこの柄をモチーフにしたということね。
隅っこにブランドロゴも入っている。
村上隆とルイ・ヴィトンは2000年頃よりずっとコラボを続けている関係。
Mr. 「ブラジリアン柔術クリスマス」 2002年
Mr. 「YIすブっピー(いすずっぴー)」 2004〜2005年
(片仮名と平仮名が合っていないが打ち間違いではない)
Mr.は村上隆の弟子で20年以上一緒に活動している人。
アニメ風、ゲームキャラクター風の少女が専門。
近づいて下から見上げましょう。
このコーナーを出るとき振り返ったら天井からぶら下がっているものに気付いた。
村上隆の「Mr. DOB」という作品。
ちなみにこれは近所の商店街。
別に他意はない(^^ゞ
次のコーナーでは巨大な像に圧倒された。
周りに写っている人との比較で大きさを実感して欲しい。
西尾康之 「Crash セイラ・マス」 2005年
高さ 280 × 幅 400 × 奥行き 600cm
セイラ・マスは機動戦士ガンダムの登場人物。ガンダムでは冷静沈着なキャラクターらしく、怒りまくっているこの作品との対比に何か意味がありそう。しかし残念ながらガンダム世代ではないのでそこはよくわからず。
でも見ているだけで楽しめた。現代アートではない絵画もそうだけれど、美術において大きさは正義みたいなところはある。
床に鏡があってお腹の中まで見られる。
パンフレットには制作方法として「陰刻鋳造、ファイバープラスター、鉄」と記載されている。陰刻鋳造の意味はよくわからないが、何らかの型を作ってファイバープラスターを流し込むのだろう。ファイバープラスターは塗り壁などに使う材料。鉄はこれだけの大きさなので、内部の骨組みに使われていると思われる。
お尻から失礼いたします。
もしパソコンで読んでいるなら写真をクリックして拡大し、
作品の迫力をいくらかでも感じて欲しい。
ーーー続く
以前に東京国立博物館で同じ展示室に撮影可と不可の作品があって、何が違うのかと係員に尋ねたら「東京国立博物館が所有する作品は撮影可で、よそから借りてきているものはその所有者の意向による」との返事だった。今回の展覧会はすべて高橋龍太郎のコレクションだからその理屈は当てはまらない。どうして草間彌生だけNGなのかナゾ
展示室の様子。
私には理解不能というか、
興味が持てず理解を試みる気が起きない作品を横目に通り過ぎ、
その次にあったのは合田佐和子が往年のハリウッド女優を描いた作品。
「グレタ・ガルボ」 1975年
「ジョン・クロフォード 1931」 1975年
その2枚の間に展示されていたのがこの作品。
「ルー・リード」 1977年。
ルー・リード(1942〜2013年)はアメリカのロックミュージシャン。ただし日本では1970年代前半にロック好きの間で多少は人気だったかな程度(だと思う)。FMラジオで彼の曲を聴いたと思うがまったく記憶にない。でもルー・リードの語呂がよくて名前はよく覚えていた。
彼の顔は1972年発表のこの「トランスフォーマー」のアルバムジャケットでしか知らなかった。まだ中学か高校生のときにこのアルバムを知って「イキっとんなあ」と思っていた。でも素顔?はこんなだったんだと作者の意図とは関係なく眺めて、またその名前にどこか懐かしさを感じた作品。なお合田佐和子はルー・リードの大ファンだったらしい。
会田誠 「紐育空爆之図」(戦争画 RETURNS) 1996年
紐育空爆之図は「にゅうようく くうばく のず」と読む。零戦がマンハッタン上空を八の字旋回して、空爆された街が炎上している。戦闘機がこんな密集飛行をするのは不可能だから、これは一機が飛んでいる軌跡なのか。何を訴えているのかはわからないものの、マンハッタンと零戦の組み合わせに意表を突かれて印象的だった。
これは屏風絵。
そして零戦はホログラムのような素材で制作されており、見る角度によって色が変わる。首をかしげながら色の変化を追いかけるのも面白かった。
それよりも気になったのはコレ!
なぜかベニヤ板をビールケースで持ち上げて、それに屏風を載せている。
屏風を高い位置に展示する必要があるにしても、美術館がビールケースを使うはずがない。ビールケース込みの作品なのか?それに意味があるのか? 辛抱たまらず近くにいた係員に尋ねると「作者の明確な指示はないのですが、この作品はこうして展示するのが慣例になっている」との返事。
フ〜ンと思いながら、作品を眺める。
そのとき「ビールケースはいつもキリン?」とさらなる疑問が。でもそんな質問を再びするのは恥ずかしくて尋ねられなかった私は小心者(^^ゞ
そして作品を離れてビックリ!
なんとこれはボロっちいフスマに描かれていた。
さらにつなぎ合わせているのはガムテープ!
コレを見せるために屏風絵なのに壁際に展示していなかったのだ。
やはり現代アートはワカンナイ。
会田誠 「大山椒魚」 2003
大山椒魚は「おおさんしょううお」。
生きた化石とも言われ特別天然記念物になっているやつね。
一見すると日本画風でクラシックな印象を受けるのは、古典的な青海波模様を背景にしているから。でも常識的にはそれと絶対に一緒になるはずのなかった、グロテスクなオオサンショウウオと少女のヌードが描かれている。そのミスマッチが絶妙で幻想的。日本画のパロディなのだろうけど、パロディを超えて自立している本物感があった。今回の展覧会で一番欲しいと思った作品。
iPhoneで撮影したのも一緒に。
色合いはこちらの方が正確。
村上隆 「ルイ・ヴィトンのお花畑」 2003年
つまりこの柄をモチーフにしたということね。
隅っこにブランドロゴも入っている。
村上隆とルイ・ヴィトンは2000年頃よりずっとコラボを続けている関係。
Mr. 「ブラジリアン柔術クリスマス」 2002年
Mr. 「YIすブっピー(いすずっぴー)」 2004〜2005年
(片仮名と平仮名が合っていないが打ち間違いではない)
Mr.は村上隆の弟子で20年以上一緒に活動している人。
アニメ風、ゲームキャラクター風の少女が専門。
近づいて下から見上げましょう。
このコーナーを出るとき振り返ったら天井からぶら下がっているものに気付いた。
村上隆の「Mr. DOB」という作品。
ちなみにこれは近所の商店街。
別に他意はない(^^ゞ
次のコーナーでは巨大な像に圧倒された。
周りに写っている人との比較で大きさを実感して欲しい。
西尾康之 「Crash セイラ・マス」 2005年
高さ 280 × 幅 400 × 奥行き 600cm
セイラ・マスは機動戦士ガンダムの登場人物。ガンダムでは冷静沈着なキャラクターらしく、怒りまくっているこの作品との対比に何か意味がありそう。しかし残念ながらガンダム世代ではないのでそこはよくわからず。
でも見ているだけで楽しめた。現代アートではない絵画もそうだけれど、美術において大きさは正義みたいなところはある。
床に鏡があってお腹の中まで見られる。
パンフレットには制作方法として「陰刻鋳造、ファイバープラスター、鉄」と記載されている。陰刻鋳造の意味はよくわからないが、何らかの型を作ってファイバープラスターを流し込むのだろう。ファイバープラスターは塗り壁などに使う材料。鉄はこれだけの大きさなので、内部の骨組みに使われていると思われる。
お尻から失礼いたします。
もしパソコンで読んでいるなら写真をクリックして拡大し、
作品の迫力をいくらかでも感じて欲しい。
ーーー続く
2024年11月21日
高橋龍太郎コレクション展 その2
この日は渋谷にいたので半蔵門線で清澄白河(きよすみしらかわ)駅へ。他にも大江戸線、東西線、新宿線と4つの地下鉄路線が利用できる。ということはつまり、東京都現代美術館はどの駅からも遠い(^^ゞ
地上に出たところは清洲橋通り。
左後方には昨年に紅葉を見に来た清澄庭園がある。
美術館は右方向。
平日の昼過ぎに道路はガラガラ。
いつもこうなのかな。この近辺はあまり馴染みがない。
深川の地名を見るとなぜか「江戸」って気分になる。
三ツ目通りへと右折。
しばらく歩くと、
東京都現代美術館に到着。
地下鉄出入り口からここまで10分弱だった。
前回に書いたように略称はMOT。
でもロゴマークはMO+(プラス)にしか見えない。
美術館広場と呼ばれる場所。
このオブジェのタイトルは「カタツムリのように」。私の知っているカタツムリとはまったく違う品種みたい。でも「ように」だから何か別の意味があるのかも知れない。
これも屋外展示の作品なのか、
建築デザインの一部なのかはわからず。
入場。
この美術館に来るのは初めて。
デカい!
Wikipediaによると延べ床面積は3万3515平米で日本最大の美術館建築とあった。
いや、そんなはずはないと調べてみると
東京国立博物館 7万8471平米
国立新美術館 4万9834平米
東京都美術館 3万7489平米
東京都現代美術館 3万3515平米
国立西洋美術館 1万7369平米
東京国立博物館は建物がいくつもあるから同列には扱えないとしても、国立新美術館(六本木)と東京都美術館(上野)のほうが広いじゃないか。以前に書いたようにWikipediaを鵜呑みにしてはいけないと再確認。
まあそれでも東京都現代美術館が広いのに変わりない。
ちなみにルーブル美術館は7万3000平米。
なお当然ながら展示室の面積は延べ床面積より狭い。肝心なのはそちらの面積だが調べていない。だいたい延べ床面積に比例していると思うが、国立新美術館は自前のコレクションを持たず収蔵庫がないので展示面積は広いかも知れない。ただし国立新美術館と東京都美術館は企画展と公募展で展示室が分かれている。誰か種目別の美術館面積ランキングを作って欲しい。
展示室への入り口は上の写真の廊下中程にあったが、
初めて来た美術館なので奥のほうまで見て歩いた。
するとサテライト展示なるものを発見。
ここは展覧会のチケットなしで無料で見られる。
パーテーションに書いてあるように展覧会の正式名称は「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」。私観とは聞き慣れない単語で国語辞典には載っていない。主観や私感の連想から何となく意味はわかるけれど、どうして私観の言葉を使ったのだろう。
中には展示品がふたつ。
ライオンをガラス球で作った作品と、奥は蜷川実花の写真。画像はhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29345から引用
さて展示室に入ると最初は草間彌生のコーナー。
彼女については2017年に国立新美術館で開かれた展覧会で多少は詳しくなった。
若い頃の草間先生のお写真。タイトルは『「ドレッシング・テーブル」と 「チェアー」』。彼女は1957年から1973年の17年間はアメリカを拠点にしている。渡米当時は28歳で、この写真撮影は1964年。
彼女の周りに多数あるのは、布でくるんだ「ソフト・スカルプチュア(スカルプチュアは彫刻)」というジャンルの作品。今回は解説がなかったものの、前回の展覧会でこのウンチみたいなのはオチンチンとされていた。なぜか先の尖ったオチンチン(^^ゞ
「マカロニ・スーツケース」 1965年
カバンにマカロニも貼り付けてあるけれど、車輪のようなものが圧倒的に目立つ。これもパスタの一種なのかな。求む解説。
「マカロニガール」 1999年
これは日本に帰国後の制作。こちらは車輪のようなものしかない。それでもタイトルはマカロニガール。やはり車輪型のマカロニなのか?
「太平洋」 1959年
彼女は1949年(昭和24年)に京都の美術高校を卒業し、1957年にアメリカに渡るまで実家のある松本で活動していて、それを草間彌生の松本時代と呼ぶ。その期間の作品は結構好き。そしてこの「太平洋」は松本時代の作風に似ている。アメリカでは一気に前衛へと作風を変えたと思っていた。
「森の中に立つ女」 1978年
そしておなじみの「かぼちゃ」 1990年
かぼちゃはもうすっかり彼女のトレードマークで、こんな商品まで売られている。これはスーツケースではなくて、伸縮素材で作られたスーツケースカバー。ちょっと欲しいかも。
ーーー続く
地上に出たところは清洲橋通り。
左後方には昨年に紅葉を見に来た清澄庭園がある。
美術館は右方向。
平日の昼過ぎに道路はガラガラ。
いつもこうなのかな。この近辺はあまり馴染みがない。
深川の地名を見るとなぜか「江戸」って気分になる。
三ツ目通りへと右折。
しばらく歩くと、
東京都現代美術館に到着。
地下鉄出入り口からここまで10分弱だった。
前回に書いたように略称はMOT。
でもロゴマークはMO+(プラス)にしか見えない。
美術館広場と呼ばれる場所。
このオブジェのタイトルは「カタツムリのように」。私の知っているカタツムリとはまったく違う品種みたい。でも「ように」だから何か別の意味があるのかも知れない。
これも屋外展示の作品なのか、
建築デザインの一部なのかはわからず。
入場。
この美術館に来るのは初めて。
デカい!
Wikipediaによると延べ床面積は3万3515平米で日本最大の美術館建築とあった。
いや、そんなはずはないと調べてみると
東京国立博物館 7万8471平米
国立新美術館 4万9834平米
東京都美術館 3万7489平米
東京都現代美術館 3万3515平米
国立西洋美術館 1万7369平米
東京国立博物館は建物がいくつもあるから同列には扱えないとしても、国立新美術館(六本木)と東京都美術館(上野)のほうが広いじゃないか。以前に書いたようにWikipediaを鵜呑みにしてはいけないと再確認。
まあそれでも東京都現代美術館が広いのに変わりない。
ちなみにルーブル美術館は7万3000平米。
なお当然ながら展示室の面積は延べ床面積より狭い。肝心なのはそちらの面積だが調べていない。だいたい延べ床面積に比例していると思うが、国立新美術館は自前のコレクションを持たず収蔵庫がないので展示面積は広いかも知れない。ただし国立新美術館と東京都美術館は企画展と公募展で展示室が分かれている。誰か種目別の美術館面積ランキングを作って欲しい。
展示室への入り口は上の写真の廊下中程にあったが、
初めて来た美術館なので奥のほうまで見て歩いた。
するとサテライト展示なるものを発見。
ここは展覧会のチケットなしで無料で見られる。
パーテーションに書いてあるように展覧会の正式名称は「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」。私観とは聞き慣れない単語で国語辞典には載っていない。主観や私感の連想から何となく意味はわかるけれど、どうして私観の言葉を使ったのだろう。
中には展示品がふたつ。
ライオンをガラス球で作った作品と、奥は蜷川実花の写真。画像はhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29345から引用
さて展示室に入ると最初は草間彌生のコーナー。
彼女については2017年に国立新美術館で開かれた展覧会で多少は詳しくなった。
若い頃の草間先生のお写真。タイトルは『「ドレッシング・テーブル」と 「チェアー」』。彼女は1957年から1973年の17年間はアメリカを拠点にしている。渡米当時は28歳で、この写真撮影は1964年。
彼女の周りに多数あるのは、布でくるんだ「ソフト・スカルプチュア(スカルプチュアは彫刻)」というジャンルの作品。今回は解説がなかったものの、前回の展覧会でこのウンチみたいなのはオチンチンとされていた。なぜか先の尖ったオチンチン(^^ゞ
「マカロニ・スーツケース」 1965年
カバンにマカロニも貼り付けてあるけれど、車輪のようなものが圧倒的に目立つ。これもパスタの一種なのかな。求む解説。
「マカロニガール」 1999年
これは日本に帰国後の制作。こちらは車輪のようなものしかない。それでもタイトルはマカロニガール。やはり車輪型のマカロニなのか?
「太平洋」 1959年
彼女は1949年(昭和24年)に京都の美術高校を卒業し、1957年にアメリカに渡るまで実家のある松本で活動していて、それを草間彌生の松本時代と呼ぶ。その期間の作品は結構好き。そしてこの「太平洋」は松本時代の作風に似ている。アメリカでは一気に前衛へと作風を変えたと思っていた。
「森の中に立つ女」 1978年
そしておなじみの「かぼちゃ」 1990年
かぼちゃはもうすっかり彼女のトレードマークで、こんな商品まで売られている。これはスーツケースではなくて、伸縮素材で作られたスーツケースカバー。ちょっと欲しいかも。
ーーー続く
2024年11月20日
高橋龍太郎コレクション展
高橋龍太郎とは1946年(昭和21年)生まれで御年78歳の精神科医。勤務医を経て1990年に東京蒲田でタカハシクリニックを開業し現在も院長を務める。待合室に飾る絵の購入から始まった「高橋コレクション」は1997年頃から本格化し、なんと3500点を超えてさらに拡大中。その規模と質共に日本の現代アートにおいて他の追随を許さないコレクションといわれる。
もちろん待合室の絵から突然アートに目覚めたわけではなく、学生時代(学生運動の活動家でもあった)から映画や評論も含めて文化的なものとの関わりは深かったようだ。田原総一朗の番組制作を手伝った縁で(彼はジャーナリストになる前、1964〜1977年までテレビ東京の社員だったのは案外と知られていない)、後に奥さんとなる女性を紹介され、結婚式の仲人は田原総一朗なんだって。仲人としてどんな挨拶をしたか聞いてみたいね。
こんなオッチャン。
それにしても3500点もの作品を普段はどこにしまっているのだろう。後で紹介するけれど、とてつもなく巨大な作品も多数あるのに。画像はhttps://www.mot-art-museum.jp/events/2024/09/20240919112559/から引用
高橋コレクション展は過去に26回開催されているらしい。そんな凄いコレクターがいるとは何となくは知っていた。でも現代アートだしーーー(^^ゞ と、あまり興味を持っていなかったのであるが、そういえばしばらく美術館に足を運んでいないから、たまには変わった作品でも見るかと訪れたのが今回の展覧会。
ところで自分のブログで確認してみたら、今年は一度も展覧会を見ていなかった。その理由は面白そうなものがなかったから。そしておそらくそれはコロナの影響。もう過去の記憶になりつつあるが、コロナが猛威を振るっていたのは2020年1月から2023年5月頃まで。展覧会(企画展)は各地の美術館から作品を借りてくるので、企画を立てて開催まで準備に2〜3年はかかるという。その交渉、特に海外の美術館とどうやりとりしているかは知らないものの、出張はおろか出勤さえ制限されたコロナは大きな足かせになったはず。それが影響して今年の展覧会は不作なのだろうと想像している。少し調べたら来年もあまりパッとしないようだ(/o\)
訪れたのは11月1日。場所は江東区の清澄白河(きよすみしらかわ)にある東京都現代美術館。略称はMOTでMuseum Of contemporary art Tokyoの大文字部分。これじゃ東京の美術館の意味だからMCTのほうがいいと思うゾ。ちなみに名前が似ていてややこしい東京国立近代美術館は皇居の北の丸公園にある。そちらの略称はMOMATでthe national Museum Of Modern Art, Tokyoの大文字部分。
その近代と現代。歴史区分としては
原始時代→古代→中世→近世→近代→現代
に分かれる。日本の場合は、
原始時代:旧石器時代、縄文時代、弥生時代
古代:大和時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代
中世:鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、安土桃山時代
近世:江戸時代
近代:明治、大正、昭和の第二次世界大戦終了まで(1945年)
現代:第二次世界大戦終了以降(近代と現代の境目については諸説ある)
もっとも日常生活で近代と現代はあまり区別されていない。たとえば最新のビルを近代的なと表現したりもする。歴史区分に従えばそれではレトロになってしまう(^^ゞ
美術分野ではそれがもっと顕著で、先に書いた美術館の名称でわかるように
近代美術:モダンアート
現代美術:コンテンポラリーアート
である。
だから1874年(明治7年)に最初の展覧会が開かれた印象派はモダンアートに属する。しかし印象派をモダンアートと認識している人は少ないはず。(少なくとも日本では)モダンアートの言葉の響きは、近代ではなく現代美術・現代アートのニュアンスでイメージされているように思う。
またよく「まるでモダンアートのような◯◯」との表現がある。ネットでそのフレーズを検索したら次のような画像を見つけた。画像はhttps://www.fevecasa.com/fevematome/detail.php?id=1013、https://yomuno.jp/posts/78161、https://x.gd/oIw6k(短縮URL使用)、https://engineweb.jp/article/detail/3349520から引用
これらが意味しているモダンアートは近代美術=明治、大正、昭和の第二次世界大戦終了までではなく、もっと最近の現代美術=コンテンポラリーアートなのは明白。でもついモダンアートと言っちゃうんだよね。私も今までのブログで現代美術をモダンアートと記している文章が多数ある。
コンテンポラリーアートだと長いし、現代美術だと表現が硬いから、
とりあえずこれからは現代アートと呼ぶことにしよう。
さてその現代アート。
「難しい、理解できない」「意図や意味がわからない」「これが芸術?」「何でもありなの?」「誰でも、子供でも作れそう」「オモチャやガラクタみたいな作品もある」と感じる人は多いと思う。その理由は現代アートが、それ以前のアートの延長線上にはなく、最近よく使われるの表現で言えば「その斜め上をいく存在」でまったく別物の創作物だから。
超大雑把に解説するなら、古代文明の時代から近代までのアートは、
広い意味で美の追究
視覚に訴える、視覚で感じたり楽しむもの
だった。それが現代アートになると
美にはとらわれない
社会へのメッセージや問題提起がテーマのものが多い
視覚を超えて思考や洞察を要求される
作品によっては参加型で体感や体験とセットになっている
絵画や彫刻だけでなく、映像や音響、空間、パフォーマンスなど、
あらゆるものが素材になる
などの特徴があり、逆に言えば戦後に制作された上記の内容を持つ従来の美術概念にとらわれていないのが現代アート(単に時期だけで決まるわけじゃない)。
とはいっても現代アートの解説はなかなか難しい。別に美術史に詳しいわけではないし、今まで何となく認識していたことを文章にして私自身は頭を整理できたとしても、読む人には伝わらないだろうなあと思いながら書いた(^^ゞ まあとにかく現代アートにはメッセージや問題提起が込められている。これがキモである。
そこで問題が起こる。
現代アートでは作者のメッセージや問題提起を、鑑賞者は頭を使って読み解かなければならない。素敵な絵をボーッと眺めるのが好きで、そのために美術館に出かけるのだけれど、まあ頭を使う別ジャンルの楽しみ方があってもそれはそれでいい。問題はそのメッセージや問題提起の内容や質である。
例えばペットボトルを集めて作った何かわけのわからない作品があったとする。ナンジャコレ?と思いながらタイトルや解説を読むと、どうやら環境問題を訴えているらしい。その観点で眺めればそういう作品に見えなくもない。
しかしこう思ってしまう。
環境問題の重大さなんてアンタに指摘されなくてもわかっている
現代アートのクリエーターは表現を磨いてきたプロではあっても、思考を鍛えてきたプロじゃない。だからメッセージや問題提起の底が浅いというか知的レベルが低いというか。哲学者や(一流の)評論家などとコラボして作品を作ればいいのにといつも思う。それに「表現を磨いてきたプロ」とは書いたものの、そちらもアマチュアあるいは図画工作のレベルの域を出ていない人も多い。
つまり現代アートはキモであるメッセージや問題提起がつまらないから、つまらないものが多いから魅力を感じないのである。さら表現のクオリティまで低ければなおさらである。
似たようなことはラップにもいえる。ヒップホップの音楽ジャンルのひとつであるが、ラップに音楽性はほとんどなく歌詞のメッセージが主体。でもその内容が、総理大臣の名前とか知らないだろうなあ、因数分解なんて絶対に解けないよねレベルの連中が書いているから薄っぺらすぎてーーー以下自粛(^^ゞ
ーーー続く
2024年11月11日
どうしてツボ(鍼灸・指圧)を医学・科学的に解明しないのかな その4
過去3回までに書いたように、
ツボの刺激に一定の効果はある。
それを示す臨床データもある。
しかし言い伝えられてきた気や経絡などは存在しない。
当然ながら経絡上にあるとされるツボそのものにも実体はない。
つまり鍼灸や指圧は間違った理論によって説明されている。天体を観測して地球が宇宙の中心だと天動説を唱えていたのと同じ。
<疑問その1>
人類がツボを活用した歴史は原始時代まで遡る。今のところの最古記録は、アルプスの雪山から氷漬けミイラとして見つかった、5300年前(新石器時代)の遺体に残っていたツボ治療の痕跡。
中国でツボが用いられたのは4600年ほど前とされ、理論体系化されたのは2200年前の後漢末期。曹操、劉備、孫権が覇権を争った三国志の時代でもある。
日本には4〜5世紀のヤマト王権時代=古墳時代に、来日した新羅(朝鮮)の医師によって最初にもたらされた。その後、7世紀の飛鳥時代に遣隋使・遣唐使が教本などを持ち帰った記録がある。また官職としての鍼灸師もいた。広く普及したのがいつ頃かはわからないが、平安時代の貴族の日記にはお灸の話がよく出てくるらしい。鍼が広まったのは室町時代になってのようだ。
さてその頃はもちろん、まあ明治の中頃までなら「気・経絡・経穴」のツボ理論を信じるのは仕方なかったとして、どうして今でも鍼灸師はそんな嘘八百な解説をするのだ? そして何と鍼灸師の国家試験を見たら経絡に関する出題があった(/o\)
ひょっとしたら「東洋医学の考えでは」と前置きを付ければ、科学的ではない話をしても許されると考えている? 私が常々バカじゃないかと思っている「暦の上では」とその話に意味がないのを断って、立春とか二十四節気で季節を述べたがる人の心理と一緒なのかな。理由は何であれ間違いは訂正しなければならない。地球が太陽の周りを回る地動説に基づくべきなのは当然。
<疑問その2>
とはいっても鍼灸師がツボの原理・メカニズムを解明できるわけではない。彼らは医療類似行為の技術者であり、そこまでの医学や生理学的な知識はない。解明するのは医者や研究者の仕事。
しかし調べてみると、ツボの原理・メカニズムについて研究が進んでいる様子は見られない。ごくたまに細々との印象。しかもハッキリ言って名前を聞いたことがないような大学での研究がほとんど。その一方で病院つまりは西洋医学の分野で鍼灸治療を取り入れているところは増えているようだ。その中には東大病院も含まれる(リハビリ部門)。そういえば鍼灸ではないけれど、以前に入院したとき漢方薬を飲まされてビックリした。
医学界・科学界がツボや反射区の原理・メカニズム解明に興味がないのが残念。でもどうしてなのだろう。とてつもない発見が隠れていて研究のやりがいがありそうなのに。
もっとも臨床(医療の現場)では原理・メカニズムが不明でも、結果がでて治療に役立てばそれでいいのかも知れない。スマホの中で電子部品やプログラムがどう機能しているか知らなくても便利に使っているのと同じ。
それでも鍼で刺し、モグサを燃やし、指で押したりして、薬も飲まずに身体の不調を改善する摩訶不思議なツボの秘密をナントカ知りたいと望んでいる。
まずは単純な好奇心である。「気」に相当する未知なるエネルギーが発見される可能性はほとんどないとしても、見つかったらそれはそれで生理学・医学と物理学の両方でノーベル賞をもらえる(^^ゞ おそらく刺激によって何らかの伝達物質が放出され、それがネットワーク的に機能しているはずで、それを解明できれば科学・医学は大きく前進する。
そしてそれはフィードバックされて、鍼灸の進化にもつながるに違いない。原理・メカニズム以外の鍼灸の謎は、多数のツボがあって多数の効能があるけれど、どうやってそれを突き止めたのかである。原理・メカニズムがわかっていないのだから、論理的に考えると試行錯誤して見つけたと考えるしかない。つまり現在の鍼灸は人類が5000年以上かけてアッチを刺しコッチを押したりしてツボを探り当ててきた。
原理・メカニズムが解明されれば、新たなツボや新たな効能も見つかるだろう。あるいは2つ同時に刺激を与えれば〜刺激を与える順番で別の働きをするとか。ひょっとしたら「お前はもう死んでいる」の北斗の拳に出てきたような必殺の急所も!
また現在の鍼灸は主に身体の不調を改善する効果しかないものの、原理・メカニズムの解明によって病気の治療にまで発展できる可能性もある。逆にその原理・メカニズムを応用した薬の開発も考えられる。「飲むだけで痛くない!足裏グリグリ君顆粒」なんてのが発売されたりして。
「原理・メカニズム」「どうやって突き止めた」に続く、さらなるそして最大の謎がもうひとつある。ツボや反射区は対象となる臓器や器官と離れた場所にも多く存在している。神様が設計したか自然の進化でそうなったかは別として、身体とはそれなりに合理的に構成されているものである。それなのになぜ関係のない離れた場所に?
松尾芭蕉もお灸を据えた、膝の下にある足三里(あしさんり)のツボは胃腸にも効くという。どうしてそんなところにあるのだ。足三里がお腹にあれば胃腸の調子が悪いときにそこをさすったりして自然と刺激を与えられるのに。頭痛のツボは足の甲にもある。誰が頭が痛いときにそんなところを触るネン!
どう考えても離れた場所にあるのは非合理的。でも既知の知識で推察するからそう思うのであって、これも何か意味があるのだろう。ツボの原理・メカニズムが解明されれば人体や生命の神秘にまた一歩近づけると期待している。一方でこれは設計ミスあるいはプログラムのバグのようなもので、ひょっとしたら鍼灸とはそれを利用したゲームの裏技みたいな方法かとモーソーしたりも。
ところで「その3」では気・経絡・経穴からなるツボ理論を、古代ギリシャ人が「万物は火、空気、水、土からなる」と考えていたようなものと例えた。その4大元素論をベースに中世〜ルネサンス期のヨーロッパで盛んに行われたのが錬金術。
もちろん何かと何かを混ぜ、どのように手を加えようが物質が金に変わることはない(核分裂を利用するなら理論的に可能性はある)。錬金術は最終的にニセモノとして廃れたものの、その課程で質量保存の法則や元素表などが考え出され、様々な化学薬品、蒸留や火薬などの技術の発見にもつながった。つまり錬金術は科学である化学を生み出した。あのニュートンだって錬金術に取り組んでいる。
またあまり知られていないが、錬金術は物質を金に変えると同時に、それを飲むと不老不死をもたらす賢者の石やエリクサーと呼ばれる薬の開発を目指していた。
どう?医学や生理学に携わっている皆さん、
ツボの研究をする気になってきた?(^^ゞ
おしまい
<補足>
指圧は日本で生まれた施術で、大正時代初めに浪越徳治郎によって確立された。子供の頃に彼が「アーッハッハ」と豪快に笑い「指圧の心は母ごころ、押せば生命の泉湧く」と言いながらよくテレビに出ていたのを覚えている。でも単におもしろいオッサンのイメージで、指圧の創始者だったとは知らなかったな。また新婚旅行で来日したマリリン・モンローにも指圧したらしく、彼女の素肌に触れた唯一の日本人ともいわれる(^^ゞ 94歳で亡くなったのは2000年。写真を見るとまさに指圧のためにあるような大きな親指!
ツボの刺激に一定の効果はある。
それを示す臨床データもある。
しかし言い伝えられてきた気や経絡などは存在しない。
当然ながら経絡上にあるとされるツボそのものにも実体はない。
つまり鍼灸や指圧は間違った理論によって説明されている。天体を観測して地球が宇宙の中心だと天動説を唱えていたのと同じ。
<疑問その1>
人類がツボを活用した歴史は原始時代まで遡る。今のところの最古記録は、アルプスの雪山から氷漬けミイラとして見つかった、5300年前(新石器時代)の遺体に残っていたツボ治療の痕跡。
中国でツボが用いられたのは4600年ほど前とされ、理論体系化されたのは2200年前の後漢末期。曹操、劉備、孫権が覇権を争った三国志の時代でもある。
日本には4〜5世紀のヤマト王権時代=古墳時代に、来日した新羅(朝鮮)の医師によって最初にもたらされた。その後、7世紀の飛鳥時代に遣隋使・遣唐使が教本などを持ち帰った記録がある。また官職としての鍼灸師もいた。広く普及したのがいつ頃かはわからないが、平安時代の貴族の日記にはお灸の話がよく出てくるらしい。鍼が広まったのは室町時代になってのようだ。
さてその頃はもちろん、まあ明治の中頃までなら「気・経絡・経穴」のツボ理論を信じるのは仕方なかったとして、どうして今でも鍼灸師はそんな嘘八百な解説をするのだ? そして何と鍼灸師の国家試験を見たら経絡に関する出題があった(/o\)
ひょっとしたら「東洋医学の考えでは」と前置きを付ければ、科学的ではない話をしても許されると考えている? 私が常々バカじゃないかと思っている「暦の上では」とその話に意味がないのを断って、立春とか二十四節気で季節を述べたがる人の心理と一緒なのかな。理由は何であれ間違いは訂正しなければならない。地球が太陽の周りを回る地動説に基づくべきなのは当然。
<疑問その2>
とはいっても鍼灸師がツボの原理・メカニズムを解明できるわけではない。彼らは医療類似行為の技術者であり、そこまでの医学や生理学的な知識はない。解明するのは医者や研究者の仕事。
しかし調べてみると、ツボの原理・メカニズムについて研究が進んでいる様子は見られない。ごくたまに細々との印象。しかもハッキリ言って名前を聞いたことがないような大学での研究がほとんど。その一方で病院つまりは西洋医学の分野で鍼灸治療を取り入れているところは増えているようだ。その中には東大病院も含まれる(リハビリ部門)。そういえば鍼灸ではないけれど、以前に入院したとき漢方薬を飲まされてビックリした。
医学界・科学界がツボや反射区の原理・メカニズム解明に興味がないのが残念。でもどうしてなのだろう。とてつもない発見が隠れていて研究のやりがいがありそうなのに。
もっとも臨床(医療の現場)では原理・メカニズムが不明でも、結果がでて治療に役立てばそれでいいのかも知れない。スマホの中で電子部品やプログラムがどう機能しているか知らなくても便利に使っているのと同じ。
それでも鍼で刺し、モグサを燃やし、指で押したりして、薬も飲まずに身体の不調を改善する摩訶不思議なツボの秘密をナントカ知りたいと望んでいる。
まずは単純な好奇心である。「気」に相当する未知なるエネルギーが発見される可能性はほとんどないとしても、見つかったらそれはそれで生理学・医学と物理学の両方でノーベル賞をもらえる(^^ゞ おそらく刺激によって何らかの伝達物質が放出され、それがネットワーク的に機能しているはずで、それを解明できれば科学・医学は大きく前進する。
そしてそれはフィードバックされて、鍼灸の進化にもつながるに違いない。原理・メカニズム以外の鍼灸の謎は、多数のツボがあって多数の効能があるけれど、どうやってそれを突き止めたのかである。原理・メカニズムがわかっていないのだから、論理的に考えると試行錯誤して見つけたと考えるしかない。つまり現在の鍼灸は人類が5000年以上かけてアッチを刺しコッチを押したりしてツボを探り当ててきた。
原理・メカニズムが解明されれば、新たなツボや新たな効能も見つかるだろう。あるいは2つ同時に刺激を与えれば〜刺激を与える順番で別の働きをするとか。ひょっとしたら「お前はもう死んでいる」の北斗の拳に出てきたような必殺の急所も!
また現在の鍼灸は主に身体の不調を改善する効果しかないものの、原理・メカニズムの解明によって病気の治療にまで発展できる可能性もある。逆にその原理・メカニズムを応用した薬の開発も考えられる。「飲むだけで痛くない!足裏グリグリ君顆粒」なんてのが発売されたりして。
「原理・メカニズム」「どうやって突き止めた」に続く、さらなるそして最大の謎がもうひとつある。ツボや反射区は対象となる臓器や器官と離れた場所にも多く存在している。神様が設計したか自然の進化でそうなったかは別として、身体とはそれなりに合理的に構成されているものである。それなのになぜ関係のない離れた場所に?
松尾芭蕉もお灸を据えた、膝の下にある足三里(あしさんり)のツボは胃腸にも効くという。どうしてそんなところにあるのだ。足三里がお腹にあれば胃腸の調子が悪いときにそこをさすったりして自然と刺激を与えられるのに。頭痛のツボは足の甲にもある。誰が頭が痛いときにそんなところを触るネン!
どう考えても離れた場所にあるのは非合理的。でも既知の知識で推察するからそう思うのであって、これも何か意味があるのだろう。ツボの原理・メカニズムが解明されれば人体や生命の神秘にまた一歩近づけると期待している。一方でこれは設計ミスあるいはプログラムのバグのようなもので、ひょっとしたら鍼灸とはそれを利用したゲームの裏技みたいな方法かとモーソーしたりも。
ところで「その3」では気・経絡・経穴からなるツボ理論を、古代ギリシャ人が「万物は火、空気、水、土からなる」と考えていたようなものと例えた。その4大元素論をベースに中世〜ルネサンス期のヨーロッパで盛んに行われたのが錬金術。
もちろん何かと何かを混ぜ、どのように手を加えようが物質が金に変わることはない(核分裂を利用するなら理論的に可能性はある)。錬金術は最終的にニセモノとして廃れたものの、その課程で質量保存の法則や元素表などが考え出され、様々な化学薬品、蒸留や火薬などの技術の発見にもつながった。つまり錬金術は科学である化学を生み出した。あのニュートンだって錬金術に取り組んでいる。
またあまり知られていないが、錬金術は物質を金に変えると同時に、それを飲むと不老不死をもたらす賢者の石やエリクサーと呼ばれる薬の開発を目指していた。
どう?医学や生理学に携わっている皆さん、
ツボの研究をする気になってきた?(^^ゞ
おしまい
<補足>
指圧は日本で生まれた施術で、大正時代初めに浪越徳治郎によって確立された。子供の頃に彼が「アーッハッハ」と豪快に笑い「指圧の心は母ごころ、押せば生命の泉湧く」と言いながらよくテレビに出ていたのを覚えている。でも単におもしろいオッサンのイメージで、指圧の創始者だったとは知らなかったな。また新婚旅行で来日したマリリン・モンローにも指圧したらしく、彼女の素肌に触れた唯一の日本人ともいわれる(^^ゞ 94歳で亡くなったのは2000年。写真を見るとまさに指圧のためにあるような大きな親指!
2024年11月10日
107日咲き続けている百日草
5月2日に種をまいて、5月8日に初発芽した百日草。
初開花したのは7月26日。
7株成長したうちの1株が終了して、引き抜いて長さを測ったら1.8mあり、種の大きさから257倍に成長したと書いたのが9月29日。
1.8mはたまたま私の身長と同じだったので、受精卵と較べると人間は1万2000倍の成長とも書いた。しかしその後、種と受精卵の大きさで成長倍率を比較するのはおかしいと気づき、雄しべの精細胞と雌しべの卵細胞の大きさで計算し直したら、百日草は1万8000倍と訂正したのが10月13日。
ヒョロヒョロと徒長し、咲きっぷりはまったく期待外れだった百日草ではあっても、いろいろとブログのネタは提供してくれた。そして初開花から107日目の本日、既に11月も中旬に差し掛かっているのに夏頃と同じように咲いている。
夏頃と同じとは言っても、夏でも花がたくさんの満開というか密集状態にはならなかったから、ずっと寂しい雰囲気のままである(^^ゞ
ベランダは東向きで日当たりがいいのは午前中だけ。夏はそうでもなかったが、秋になって日照の絶対量が不足するのか、すべての花がベランダの外を向いて眺められない(/o\) まあそんなにきれいな花でもないけれど。
ちょっとはマシなのをこっちに向けて。
まだ昨日か今日に咲いたのもある。
百日咲くから百日草と子供の頃に知り、凄いなあ本当かなあと思っていた。
初めてベランダで育てみてわかったのは、
本当に百日以上咲く
でもそれはひとつの花が百日咲くのではなく、
次々と花芽をつけて順番にトータル百日咲き続ける
だった。
開花期が百日以上ある花は他にもあるのに、どうしてこれが百日草と呼ばれるようになったのだろう。和種で百日以上はあまりない気がするので、開花期が長い花で最初に日本に入ってきたのが百日草なのかも知れない。百日草の原産はメキシコ。最近は英語名のジニアと呼ばれる場合も多い。
花としてはあまり楽しめなかった百日草。
また来年に育てることはないと思うけれど、
100日以上咲いているのを見続けてきたら、情が移っていとおしく思えてきた(^^ゞ
初開花したのは7月26日。
7株成長したうちの1株が終了して、引き抜いて長さを測ったら1.8mあり、種の大きさから257倍に成長したと書いたのが9月29日。
1.8mはたまたま私の身長と同じだったので、受精卵と較べると人間は1万2000倍の成長とも書いた。しかしその後、種と受精卵の大きさで成長倍率を比較するのはおかしいと気づき、雄しべの精細胞と雌しべの卵細胞の大きさで計算し直したら、百日草は1万8000倍と訂正したのが10月13日。
ヒョロヒョロと徒長し、咲きっぷりはまったく期待外れだった百日草ではあっても、いろいろとブログのネタは提供してくれた。そして初開花から107日目の本日、既に11月も中旬に差し掛かっているのに夏頃と同じように咲いている。
夏頃と同じとは言っても、夏でも花がたくさんの満開というか密集状態にはならなかったから、ずっと寂しい雰囲気のままである(^^ゞ
ベランダは東向きで日当たりがいいのは午前中だけ。夏はそうでもなかったが、秋になって日照の絶対量が不足するのか、すべての花がベランダの外を向いて眺められない(/o\) まあそんなにきれいな花でもないけれど。
ちょっとはマシなのをこっちに向けて。
まだ昨日か今日に咲いたのもある。
百日咲くから百日草と子供の頃に知り、凄いなあ本当かなあと思っていた。
初めてベランダで育てみてわかったのは、
本当に百日以上咲く
でもそれはひとつの花が百日咲くのではなく、
次々と花芽をつけて順番にトータル百日咲き続ける
だった。
開花期が百日以上ある花は他にもあるのに、どうしてこれが百日草と呼ばれるようになったのだろう。和種で百日以上はあまりない気がするので、開花期が長い花で最初に日本に入ってきたのが百日草なのかも知れない。百日草の原産はメキシコ。最近は英語名のジニアと呼ばれる場合も多い。
花としてはあまり楽しめなかった百日草。
また来年に育てることはないと思うけれど、
100日以上咲いているのを見続けてきたら、情が移っていとおしく思えてきた(^^ゞ
2024年11月08日
どうしてツボ(鍼灸・指圧)を医学・科学的に解明しないのかな その3
さて
鍼灸・指圧あるいはツボについて素直に納得できない理由とは。
それれは前回に書いた気・経絡・経穴(=ツボ)が空想の産物だから。361箇所のツボとされるところをメスで深く切り開いてもそんな組織は何もない。身体を隅々まで解剖したって経絡なんてどこにも見つからない。経路があるとされる位置とそうでない位置で人体の組成は同一である。ましてや正気と邪気なんて、その正体は誰も知らずまた確かめようがない。
古代ギリシャ人は火、空気、水、土が万物を構成する4大元素だと考え、18世紀頃までヨーロッパで支持されたていた。古代中国の考え方は火・水・木・金・土の五行思想。金はゴールドではなく金属の意味で、これに月と太陽の日を加えたのが曜日名の由来でもある。
今では万物を構成するのは、原子やその複合体である分子だと多くの人が知っている。つまり気・経絡・経穴の理論は、4大元素と同じく科学が未発達な時代のいわば思想に過ぎない。医学的な根拠は何もないどころか実体として存在すらしない。
それに「気が流れる経絡」があり「その経絡上にある気の出入り口である経穴」を基本原理としながら、経絡とは無関係に奇穴(きけつ)と阿是穴(あぜけつ)があるなんて、そもそも論理として破綻している。
だからツボとは、経絡とは〜と説明されればされるほど、
迷信やオカルトめいたものを感じてしまう。
そして問題はーーー
それでもツボを刺激する鍼灸や指圧に効果があること(^^ゞ
もちろん361箇所あるツボのすべてに、鍼灸の教科書に書いてあるような効能があるとは思っていない。しかし肩こり、腰痛、顔のむくみに関しては、私の周りにも鍼を打って解消した、少なくとも本人は満足している人が何人かいる。
以前にテレビで見てびっくりしたのは「赤ちゃんが逆子→エコー検査で見ると赤ちゃんはお腹の中でじっとしていて動かない→妊婦の足の小指横に米粒ほどのお灸→途端に赤ちゃんが活発に動き出し身体の向きを変え始める」といった映像。その後、赤ちゃんは逆子ではなく正常に生まれたとの報告。出産までにお灸以外の措置も他にしたのかどうかはわからなかったし、テレビなので話を盛っている可能性もあるが、足のツボを刺激して赤ちゃんが反応したところまでは事実。
そういえばツボは対象とする身体の部位から離れたところにもあるのが不思議。イラストは肩こりの例で、肩や首回りだけでなく、腕や手にも方に効くツボがある。画像はhttps://alinamin.jp/tired/stiff-shoulders-pressure-point.htmlから引用編集
さらに足裏には遠く離れた臓器や器官とつながっているツボたくさんがあって、その臓器や器官が弱っていれば押されると痛いらしい。たまにテレビで足裏マッサージをしてもらって激痛に悶絶するシーンがある。あれってそんなに痛いのかな。
これに似た足裏マッサージコースを歩いて、耐えきれないくらい痛くて途中脱落した経験はある。しかしそれがツボの反応なのか、これだけの突起の上に体重がかかるから痛いのかよくわからなかった。ニブイのかも(^^ゞ
ツボと表現したけれど、実は上に載せた足裏のイラストに描かれているのは、反射区と呼ばれツボとは別物。特定の反射区を刺激すると対応する臓器や器官に反射的な効果があるという。全身に分布するが足に多く特に足裏に集中している。ツボが点なのに対して面に展開しているのが大きな違い。だから刺激の与え方がツボとは異なり、押すだけでなく揉んだりさする施術もある。それが足裏マッサージと称される由縁。
反射区では末梢神経がそれぞれの臓器や器官につながっているともいわれるものの、医学的に解明されておらず根拠がないのはツボと同じ。ただし神経系統を理論に据えているから、ツボでいう気や経絡とは関係ない。
反射は英語でリフレックスreflex。最初の回で書いたリフレクソロジーはそれに学や論を意味する接尾語のオロジーologyを合わせた造語。スペルはreflexology。日本語では反射療法や反射学。リフレッシュのリフレじゃないよ。発祥は古代エジプトともいわれ、1917年にアメリカの医師が発表した論文が現在のリフレクソロジーのルーツ。なぜか台湾とイギリスでまずブームとなり、現在の日本でも台湾式と英国式のリフレクソロジーが主流。英国式はオイルを塗ってソフトに、台湾式がゴリゴリ悶絶(>_<)
ちなみに反射区ではなくツボも足にはたくさんある。しかし見つけた限りで足裏には2つしかなかったのは意外。その2つのうち前回に書いたWHO認定の361箇所に入っているのは湧泉(ゆうせん)のみ。画像はhttps://x.gd/qGtWtから引用(短縮URL使用)
湧泉は足の指を曲げてじゃんけんのグーの形をしたときに凹むところ。身体に老廃物が溜まっている時は硬くなり、活力がなくなるとブヨブヨの状態になるらしい。
効能は血行促進、頭痛、のどの痛み、首のコリ、食欲不振、高血圧、不眠、冷え性、腰痛、むくみ、ホルモンバランスなど多岐にわたる。また湧泉を刺激すると体力・気力が回復し、ストレスや不安が減少する(ホンマカイナ)。いわゆる万能ツボであり、名前の由来は「生命の泉が湧き出る」。私はなぜか右足にだけ湧泉を押すとクゥーと脳天にしみるような痛みを感じる。ナンデ?(/o\)
ーーー続く
鍼灸・指圧あるいはツボについて素直に納得できない理由とは。
それれは前回に書いた気・経絡・経穴(=ツボ)が空想の産物だから。361箇所のツボとされるところをメスで深く切り開いてもそんな組織は何もない。身体を隅々まで解剖したって経絡なんてどこにも見つからない。経路があるとされる位置とそうでない位置で人体の組成は同一である。ましてや正気と邪気なんて、その正体は誰も知らずまた確かめようがない。
古代ギリシャ人は火、空気、水、土が万物を構成する4大元素だと考え、18世紀頃までヨーロッパで支持されたていた。古代中国の考え方は火・水・木・金・土の五行思想。金はゴールドではなく金属の意味で、これに月と太陽の日を加えたのが曜日名の由来でもある。
今では万物を構成するのは、原子やその複合体である分子だと多くの人が知っている。つまり気・経絡・経穴の理論は、4大元素と同じく科学が未発達な時代のいわば思想に過ぎない。医学的な根拠は何もないどころか実体として存在すらしない。
それに「気が流れる経絡」があり「その経絡上にある気の出入り口である経穴」を基本原理としながら、経絡とは無関係に奇穴(きけつ)と阿是穴(あぜけつ)があるなんて、そもそも論理として破綻している。
だからツボとは、経絡とは〜と説明されればされるほど、
迷信やオカルトめいたものを感じてしまう。
そして問題はーーー
それでもツボを刺激する鍼灸や指圧に効果があること(^^ゞ
もちろん361箇所あるツボのすべてに、鍼灸の教科書に書いてあるような効能があるとは思っていない。しかし肩こり、腰痛、顔のむくみに関しては、私の周りにも鍼を打って解消した、少なくとも本人は満足している人が何人かいる。
以前にテレビで見てびっくりしたのは「赤ちゃんが逆子→エコー検査で見ると赤ちゃんはお腹の中でじっとしていて動かない→妊婦の足の小指横に米粒ほどのお灸→途端に赤ちゃんが活発に動き出し身体の向きを変え始める」といった映像。その後、赤ちゃんは逆子ではなく正常に生まれたとの報告。出産までにお灸以外の措置も他にしたのかどうかはわからなかったし、テレビなので話を盛っている可能性もあるが、足のツボを刺激して赤ちゃんが反応したところまでは事実。
そういえばツボは対象とする身体の部位から離れたところにもあるのが不思議。イラストは肩こりの例で、肩や首回りだけでなく、腕や手にも方に効くツボがある。画像はhttps://alinamin.jp/tired/stiff-shoulders-pressure-point.htmlから引用編集
さらに足裏には遠く離れた臓器や器官とつながっているツボたくさんがあって、その臓器や器官が弱っていれば押されると痛いらしい。たまにテレビで足裏マッサージをしてもらって激痛に悶絶するシーンがある。あれってそんなに痛いのかな。
これに似た足裏マッサージコースを歩いて、耐えきれないくらい痛くて途中脱落した経験はある。しかしそれがツボの反応なのか、これだけの突起の上に体重がかかるから痛いのかよくわからなかった。ニブイのかも(^^ゞ
ツボと表現したけれど、実は上に載せた足裏のイラストに描かれているのは、反射区と呼ばれツボとは別物。特定の反射区を刺激すると対応する臓器や器官に反射的な効果があるという。全身に分布するが足に多く特に足裏に集中している。ツボが点なのに対して面に展開しているのが大きな違い。だから刺激の与え方がツボとは異なり、押すだけでなく揉んだりさする施術もある。それが足裏マッサージと称される由縁。
反射区では末梢神経がそれぞれの臓器や器官につながっているともいわれるものの、医学的に解明されておらず根拠がないのはツボと同じ。ただし神経系統を理論に据えているから、ツボでいう気や経絡とは関係ない。
反射は英語でリフレックスreflex。最初の回で書いたリフレクソロジーはそれに学や論を意味する接尾語のオロジーologyを合わせた造語。スペルはreflexology。日本語では反射療法や反射学。リフレッシュのリフレじゃないよ。発祥は古代エジプトともいわれ、1917年にアメリカの医師が発表した論文が現在のリフレクソロジーのルーツ。なぜか台湾とイギリスでまずブームとなり、現在の日本でも台湾式と英国式のリフレクソロジーが主流。英国式はオイルを塗ってソフトに、台湾式がゴリゴリ悶絶(>_<)
ちなみに反射区ではなくツボも足にはたくさんある。しかし見つけた限りで足裏には2つしかなかったのは意外。その2つのうち前回に書いたWHO認定の361箇所に入っているのは湧泉(ゆうせん)のみ。画像はhttps://x.gd/qGtWtから引用(短縮URL使用)
湧泉は足の指を曲げてじゃんけんのグーの形をしたときに凹むところ。身体に老廃物が溜まっている時は硬くなり、活力がなくなるとブヨブヨの状態になるらしい。
効能は血行促進、頭痛、のどの痛み、首のコリ、食欲不振、高血圧、不眠、冷え性、腰痛、むくみ、ホルモンバランスなど多岐にわたる。また湧泉を刺激すると体力・気力が回復し、ストレスや不安が減少する(ホンマカイナ)。いわゆる万能ツボであり、名前の由来は「生命の泉が湧き出る」。私はなぜか右足にだけ湧泉を押すとクゥーと脳天にしみるような痛みを感じる。ナンデ?(/o\)
ーーー続く
2024年11月06日
どうしてツボ(鍼灸・指圧)を医学・科学的に解明しないのかな その2
鍼と灸そして指圧はツボと呼ばれる部位に刺激を与えて、痛みを取ったり体調不良を改善する施術。法律的には医療類似行為に属する。最近は脳卒中のリハビリやアトピー、心身症さらには美容に至るまで様々な分野に適応されている。(主に鍼で)
その効果を否定はしない。
まず前回に書いたように施術者になるには国家試験があり、言い換えればこれらは国家が認めた技術。だから一部の症状に対しては健康保険も適用される。それにコンビニより多い歯医者よりもさらに多い施設があって、年間5000億円ほどの市場規模なのは、その効果があるからこその需要。手をかざしてハンドパワーを送るとか、怪しげな波動エネルギーなどの類いと違って、広く受け入れられ客観性のある実績を持っているのは理解している。
それでも素直に納得できない気持ちは多分にある。
さて鍼と灸そして指圧のメカズムの基本的な説明はこうだ。
人体は気、血、津液(しんえき)が身体を巡り、
相互に影響しながら生命活動を維持している。
↓
↓ 血はもちろん血液。
↓ 津液は血液以外の体液の総称。単に水(みず)とも呼ぶ。
↓ 気とはエネルギー的存在とされる。
↓
気は体内に張り巡らされている経絡(けいらく)を通って、臓器や筋肉や皮膚に
エネルギーを供給する。血と津液も経絡を通る。人間の場合に経絡は14本。
↓
経絡には気の出入り口である経穴(けいけつ)があり、
これの一般的な名称がツボである。
また経絡上にない奇穴(きけつ)と阿是穴(あぜけつ)があり、
これらもツボと呼ばれる。つまりツボ=経穴+奇穴+阿是穴。
ツボは諸説あるが1000箇所以上存在する。
↓
ツボには経絡(けいらく)を通じて身体各部の反応が現れる。
またツボへの刺激によって身体各部を活性化させる。
↓
もう少し東洋医学的に表現すると、気には正気と邪気がある。
正気は自然治癒力を高めたり、身体を正常に機能させる働きがある。
邪気はその逆で病気を引き起こす。
正気と邪気は経絡を通っており、ツボ=経穴はその出入り口。
邪気を外に出し、正気を補うのが鍼灸や指圧によるツボ治療。
だいたいこんなところ。
気には正気と邪気があるなんて実に怪しげである(^^ゞ
ツボについて調べると多くの鍼灸院のページで「WHO(世界保健機関)によって認定されたツボが361箇所ある」との記述が見られる。国連機関の名前を出して、少しでも怪しさを払拭したい、科学医学的正当性をアピールしたい気持ちの表れにも思える。
ついでに書いておくとWHOに認定されたとはいえ、全世界や医学界がそれに関与したわけではない。この認定会議が開かれたのは2006年。場所は日本のつくば市。参加したのは日本、中国、韓国、モンゴル、シンガポール、ベトナム、オーストラリア、アメリカ、イギリスの9カ国。他に2つの国際団体も参加しているもののWFAS(World Federation of Acupuncture Societies:世界鍼灸学会連合会)とAAOM(American Association of Oriental Medicine:米国東洋医学協会)だからツボの身内。米国東洋医学協会は2007年から米国鍼灸東洋医学協会になった。
そもそもこの会議は医学的データを検証して「ツボの科学的根拠」を認定したものではなく、ツボを扱う鍼灸師や研究者約30名ばかりが集まって、日本式、中国式、韓国式でズレがあった「ツボの位置」について調整を行ったに過ぎない。だから「WHOによって認定されたツボが361箇所ある」とは優良誤認を招きかねない表現である。
参考までにWHOは1979年に43の疾患について鍼灸施術の効果を認めている。ただし結果的に効果があったのを確認しただけで、そのメカニズムを解明したわけではない。1989年には361箇所のツボの名称の標準化も行っている。
それはさておきWHOが認定したツボ361箇所とは左右対になっているものが309箇所、単体が52箇所なので、実際には309 × 2 + 52 =合計 670箇所。なおそれまで日本でツボとされてきたのは354箇所でWHO認定により7つ増えたことになる。
他にも昔からツボとされているところを含めると1000箇所以上になる。人間の身体の表面積は日本人成年男子平均で1万6900平方センチ。(自分の値を知りたければ、ここで計算できる)それをWHO認定の670箇所に限定しても1万6900 ÷ 670 = 25平方センチ。平均すれば5センチ四方にひとつ全身にビッシリとツボがある計算。ツボの知識がなくても、どこか適当に押せば何かには効くんじゃない(^^ゞ
ーーー続く
今回も本題にたどり着けなかったm(_ _)m
その効果を否定はしない。
まず前回に書いたように施術者になるには国家試験があり、言い換えればこれらは国家が認めた技術。だから一部の症状に対しては健康保険も適用される。それにコンビニより多い歯医者よりもさらに多い施設があって、年間5000億円ほどの市場規模なのは、その効果があるからこその需要。手をかざしてハンドパワーを送るとか、怪しげな波動エネルギーなどの類いと違って、広く受け入れられ客観性のある実績を持っているのは理解している。
それでも素直に納得できない気持ちは多分にある。
さて鍼と灸そして指圧のメカズムの基本的な説明はこうだ。
人体は気、血、津液(しんえき)が身体を巡り、
相互に影響しながら生命活動を維持している。
↓
↓ 血はもちろん血液。
↓ 津液は血液以外の体液の総称。単に水(みず)とも呼ぶ。
↓ 気とはエネルギー的存在とされる。
↓
気は体内に張り巡らされている経絡(けいらく)を通って、臓器や筋肉や皮膚に
エネルギーを供給する。血と津液も経絡を通る。人間の場合に経絡は14本。
↓
経絡には気の出入り口である経穴(けいけつ)があり、
これの一般的な名称がツボである。
また経絡上にない奇穴(きけつ)と阿是穴(あぜけつ)があり、
これらもツボと呼ばれる。つまりツボ=経穴+奇穴+阿是穴。
ツボは諸説あるが1000箇所以上存在する。
↓
ツボには経絡(けいらく)を通じて身体各部の反応が現れる。
またツボへの刺激によって身体各部を活性化させる。
↓
もう少し東洋医学的に表現すると、気には正気と邪気がある。
正気は自然治癒力を高めたり、身体を正常に機能させる働きがある。
邪気はその逆で病気を引き起こす。
正気と邪気は経絡を通っており、ツボ=経穴はその出入り口。
邪気を外に出し、正気を補うのが鍼灸や指圧によるツボ治療。
だいたいこんなところ。
気には正気と邪気があるなんて実に怪しげである(^^ゞ
ツボについて調べると多くの鍼灸院のページで「WHO(世界保健機関)によって認定されたツボが361箇所ある」との記述が見られる。国連機関の名前を出して、少しでも怪しさを払拭したい、科学医学的正当性をアピールしたい気持ちの表れにも思える。
ついでに書いておくとWHOに認定されたとはいえ、全世界や医学界がそれに関与したわけではない。この認定会議が開かれたのは2006年。場所は日本のつくば市。参加したのは日本、中国、韓国、モンゴル、シンガポール、ベトナム、オーストラリア、アメリカ、イギリスの9カ国。他に2つの国際団体も参加しているもののWFAS(World Federation of Acupuncture Societies:世界鍼灸学会連合会)とAAOM(American Association of Oriental Medicine:米国東洋医学協会)だからツボの身内。米国東洋医学協会は2007年から米国鍼灸東洋医学協会になった。
そもそもこの会議は医学的データを検証して「ツボの科学的根拠」を認定したものではなく、ツボを扱う鍼灸師や研究者約30名ばかりが集まって、日本式、中国式、韓国式でズレがあった「ツボの位置」について調整を行ったに過ぎない。だから「WHOによって認定されたツボが361箇所ある」とは優良誤認を招きかねない表現である。
参考までにWHOは1979年に43の疾患について鍼灸施術の効果を認めている。ただし結果的に効果があったのを確認しただけで、そのメカニズムを解明したわけではない。1989年には361箇所のツボの名称の標準化も行っている。
それはさておきWHOが認定したツボ361箇所とは左右対になっているものが309箇所、単体が52箇所なので、実際には309 × 2 + 52 =合計 670箇所。なおそれまで日本でツボとされてきたのは354箇所でWHO認定により7つ増えたことになる。
他にも昔からツボとされているところを含めると1000箇所以上になる。人間の身体の表面積は日本人成年男子平均で1万6900平方センチ。(自分の値を知りたければ、ここで計算できる)それをWHO認定の670箇所に限定しても1万6900 ÷ 670 = 25平方センチ。平均すれば5センチ四方にひとつ全身にビッシリとツボがある計算。ツボの知識がなくても、どこか適当に押せば何かには効くんじゃない(^^ゞ
ーーー続く
今回も本題にたどり着けなかったm(_ _)m
2024年11月03日
どうしてツボ(鍼灸・指圧)を医学・科学的に解明しないのかな
30歳前後の頃は重度の慢性的な急性肩こりに悩まされていた。
慢性なのに急性とはおかしな表現だが、次のような症状である。
午後3時か4時頃に「そろそろ来る」との予感がある。
30分ほどすると肩の筋肉がギューッと収縮し始める。肩甲骨上部のときもある。
触ると石か鉄になったかと思うくらい筋肉の一部が硬くなっている。
肩が凝るというより肩が痛い感覚。
なぜか元気までなくなる(/o\)
その急性の肩こりが数日おきに起きるから慢性の急性肩こり。どうにも我慢できないときは同僚に揉んでもらったりもしていたが、効果は揉まれているときとその後の10分くらいしか続かない。でも不思議なことに夜になるといつの間にか治まっている。
そして35歳くらいからその症状は出なくなった。現在、肩が凝るのは年に1〜2回くらいで、しかもあの痛かった収縮性の肩こりではなく普通の肩こり。
先日、久しぶりに強めの(普通の)肩こりになった。おそらく極度に集中力が必要なパソコン作業を長時間したのが原因。収縮性の肩こりは数時間で治まるが普通の肩こりは数日続くので、これはこれでやっかい。そんな話をある人にすると、「私の通っている鍼の先生は名医なので紹介しますよ」と言われて、それが今回のブログのきっかけ。実はずっと昔から疑問に思っていたテーマでもある。
さて鍼灸と書いて「しんきゅう」。
「鍼」を「しん」と読むのは熟語となった「鍼灸」くらいで、単独で使う場合は「はり」。先ほどの「鍼の先生」は「“はり”の先生」。「針」と「鍼」はどちらも金属のハリを意味するが、慣用的に裁縫などに使うのを針、治療で身体に刺すのを鍼と使い分ける。また身体にハリを刺すのは元は中国より伝わった技術で中国式ハリもある。なぜかそちらは「針」の漢字を使う場合も多い。
灸の訓読みは「やいと」。私の祖父母世代は「お灸」ではなく「やいと」と言っていたような気がする。なお「お灸」の「お」は単語を敬語化する接頭辞である。ただし「お灸」の場合は「お」を付けないと意味が通りにくい珍しい例かと思う。あっ「おにぎり」や「おむすび」もそうだった。
その「鍼」と「灸」がセットで鍼灸なのは、どちらも同じようにツボとされる部位を物理的に刺激して、痛みを取ったり体調不良を改善する行為だから。言うまでもなく「鍼」はハリを刺して、「お灸」はモグサを燃やした熱によって。同じくツボを刺激する施術には「指圧」もある。
鍼と灸と指圧を「業(ぎょう)として行う」場合は国家資格が必要。「業として行う」は法律独特の言い回しで、いくつかの要素が含まれるものの、平たく言えば職業=対価を得て行うとの意味。
ツボ関連の資格を得る国家試験は次の3つに分かれている。
はり師
きゆう師
あん摩マツサージ指圧師
なぜか法律では「鍼」と「灸」は平仮名で、しかも灸は「きゅう」と発音するのに「きゆう」と書く。また「マッサージ」ではなく「マツサージ」である。按摩も「按」だけが平仮名。
鍼灸師あるいは鍼灸院とよくいうものの実際は、はり師ときゆう師で別の資格。両方の資格を取る人が多いのだと思われる。ただ鍼灸はそうだとして、あん摩とマッサージは似ていても、指圧はその2つとは少し違うようにも思える。指圧の資格を取りたければ、あん摩とマッサージも勉強しなければならない。あん摩・マッサージ・指圧それぞれの違いについては次のページをご参考に。
https://www.idononippon.com/about/9033/
https://www.hinuma-acu.com/962862247
国家試験を受けるには高校卒業後に、厚生労働省か文部科学省が指定する専門学校で3年間、あるいは大学で4年間学ぶ必要がある。そんなにたくさん学ぶ内容があるのかと思うけれど、とにかくそういう仕組みになっている。また専門学校の学費は500万円前後かかる。ただし医師はこれらの資格を取らずに「業として行う」ことが可能。医学部で「鍼」「灸」「指圧」ましてや「あん摩・マッサージ」なんて習わないはずなのに、どうして認められるのだろう?
ちなみに国家試験の合格率は
はり師 69.3%(2023年)
きゆう師 70.2%(2023年)
あん摩マッサージ指圧師 84.0%(2023年)
医師 92.4%(2024年)
歯科医師 66.1%(2024年)
もちろんこれは医師免許のほうが合格率が高い=簡単なのではなく、いわゆる受験生のレベルの差である。医師と歯科医師の差も同じく。
「あはき」との言葉を聞いたことがあるだろうか。これはあん摩マッサージ指圧の「あ」、鍼の「は」、灸の「き」の頭文字をとった略語。あはき業、あはき療養、あはき師などに使われる業界用語。「鍼」と「灸」の資格だけを持つ人を「はき師」とも呼ぶらしい。別に鍼灸師でいいと思うけれど(^^ゞ
鍼灸の施術を行っているところは2020年のデータで、全国に7万412箇所ある。内訳は「はき」が3万2103、「あはき」が3万8309箇所。「あ」だけだと1万8342箇所。
参考までにコンビニの数は5万5709(2024年9月)で歯医者は6万7755(2022年)。よく歯医者はコンビニより多くて飽和状態と言われるが鍼灸はそれより多い。
なお「あはき」と同じ意味で「鍼灸マッサージ」との新しい言い方もある。こちらは「あん摩と指圧」の単語が省かれてお気の毒。そういえば「按摩」は、ほとんど聞かなくなってもう死語に近い気がする。昔は視覚障害者で按摩の職業に就く人が多く、按摩=盲人=差別との謎ロジックで按摩は放送禁止用語になっている。そういうのも影響しているのかも知れない。
ところで「あはき」を「業として行う」には国家資格が必要なはずなのに、エステティックサロンやいわゆるリラクセーションとしてのマッサージ、それに整体やカイロプラクティックなどに国家資格はなく無免許での施術となる。ホテルなどで部屋に来てくれるマッサージ、足裏マッサージなども同様。そのあたりは法律的に微妙でグレーな領域。エステでは「あ」の資格を持つ従業員が施術するのでなければ、マッサージの言葉は使えず「リラクセーション、リフレクソロジー、トリートメント、ケア、癒やし、ほぐし」などと表現する。例えばフェイシャルケア。
国家資格がある=法律で規制されているといえる。しかし同時に法律で利権が守られているでもある。このあたりは大人の事情ならぬ大人の社会構造。だから「あはき」業界とエステ業界、整体業界は仲が悪い(^^ゞ また「あはき」と似たような国家資格に柔道整復師がある。いわゆる接骨整骨。こちらは「あはき」とは健康保険の取り扱い方が異なり、それが原因でここでもよく揉めている。
なお「治療」の言葉は医師のみに認められた行為で「あはき」で行うのは「施術」と法律ではなっている。なのに「〇〇鍼灸治療院」なんて名前はざらにある。「あはき」で開業するには自治体への届け出が必要なので、つまりその名前は公に認められているともいえる。その当たりの事情はナゾ
参考までに業界規模は
あはき 4890億円(2021年)
柔道整復 4790億円(2021年)
エステチックサロン 3130億円(2024年見込)
「あ」「は」「き」それぞれを知りたいところだが、兼業しているところも多いせいか個別の数字は見つけられなかった。
例によって下調べでわかった内容で、ずいぶんとボリュームを取ってしまった。
本題は次回にm(_ _)m
ーーー続く
慢性なのに急性とはおかしな表現だが、次のような症状である。
午後3時か4時頃に「そろそろ来る」との予感がある。
30分ほどすると肩の筋肉がギューッと収縮し始める。肩甲骨上部のときもある。
触ると石か鉄になったかと思うくらい筋肉の一部が硬くなっている。
肩が凝るというより肩が痛い感覚。
なぜか元気までなくなる(/o\)
その急性の肩こりが数日おきに起きるから慢性の急性肩こり。どうにも我慢できないときは同僚に揉んでもらったりもしていたが、効果は揉まれているときとその後の10分くらいしか続かない。でも不思議なことに夜になるといつの間にか治まっている。
そして35歳くらいからその症状は出なくなった。現在、肩が凝るのは年に1〜2回くらいで、しかもあの痛かった収縮性の肩こりではなく普通の肩こり。
先日、久しぶりに強めの(普通の)肩こりになった。おそらく極度に集中力が必要なパソコン作業を長時間したのが原因。収縮性の肩こりは数時間で治まるが普通の肩こりは数日続くので、これはこれでやっかい。そんな話をある人にすると、「私の通っている鍼の先生は名医なので紹介しますよ」と言われて、それが今回のブログのきっかけ。実はずっと昔から疑問に思っていたテーマでもある。
さて鍼灸と書いて「しんきゅう」。
「鍼」を「しん」と読むのは熟語となった「鍼灸」くらいで、単独で使う場合は「はり」。先ほどの「鍼の先生」は「“はり”の先生」。「針」と「鍼」はどちらも金属のハリを意味するが、慣用的に裁縫などに使うのを針、治療で身体に刺すのを鍼と使い分ける。また身体にハリを刺すのは元は中国より伝わった技術で中国式ハリもある。なぜかそちらは「針」の漢字を使う場合も多い。
灸の訓読みは「やいと」。私の祖父母世代は「お灸」ではなく「やいと」と言っていたような気がする。なお「お灸」の「お」は単語を敬語化する接頭辞である。ただし「お灸」の場合は「お」を付けないと意味が通りにくい珍しい例かと思う。あっ「おにぎり」や「おむすび」もそうだった。
その「鍼」と「灸」がセットで鍼灸なのは、どちらも同じようにツボとされる部位を物理的に刺激して、痛みを取ったり体調不良を改善する行為だから。言うまでもなく「鍼」はハリを刺して、「お灸」はモグサを燃やした熱によって。同じくツボを刺激する施術には「指圧」もある。
鍼と灸と指圧を「業(ぎょう)として行う」場合は国家資格が必要。「業として行う」は法律独特の言い回しで、いくつかの要素が含まれるものの、平たく言えば職業=対価を得て行うとの意味。
ツボ関連の資格を得る国家試験は次の3つに分かれている。
はり師
きゆう師
あん摩マツサージ指圧師
なぜか法律では「鍼」と「灸」は平仮名で、しかも灸は「きゅう」と発音するのに「きゆう」と書く。また「マッサージ」ではなく「マツサージ」である。按摩も「按」だけが平仮名。
鍼灸師あるいは鍼灸院とよくいうものの実際は、はり師ときゆう師で別の資格。両方の資格を取る人が多いのだと思われる。ただ鍼灸はそうだとして、あん摩とマッサージは似ていても、指圧はその2つとは少し違うようにも思える。指圧の資格を取りたければ、あん摩とマッサージも勉強しなければならない。あん摩・マッサージ・指圧それぞれの違いについては次のページをご参考に。
https://www.idononippon.com/about/9033/
https://www.hinuma-acu.com/962862247
国家試験を受けるには高校卒業後に、厚生労働省か文部科学省が指定する専門学校で3年間、あるいは大学で4年間学ぶ必要がある。そんなにたくさん学ぶ内容があるのかと思うけれど、とにかくそういう仕組みになっている。また専門学校の学費は500万円前後かかる。ただし医師はこれらの資格を取らずに「業として行う」ことが可能。医学部で「鍼」「灸」「指圧」ましてや「あん摩・マッサージ」なんて習わないはずなのに、どうして認められるのだろう?
ちなみに国家試験の合格率は
はり師 69.3%(2023年)
きゆう師 70.2%(2023年)
あん摩マッサージ指圧師 84.0%(2023年)
医師 92.4%(2024年)
歯科医師 66.1%(2024年)
もちろんこれは医師免許のほうが合格率が高い=簡単なのではなく、いわゆる受験生のレベルの差である。医師と歯科医師の差も同じく。
「あはき」との言葉を聞いたことがあるだろうか。これはあん摩マッサージ指圧の「あ」、鍼の「は」、灸の「き」の頭文字をとった略語。あはき業、あはき療養、あはき師などに使われる業界用語。「鍼」と「灸」の資格だけを持つ人を「はき師」とも呼ぶらしい。別に鍼灸師でいいと思うけれど(^^ゞ
鍼灸の施術を行っているところは2020年のデータで、全国に7万412箇所ある。内訳は「はき」が3万2103、「あはき」が3万8309箇所。「あ」だけだと1万8342箇所。
参考までにコンビニの数は5万5709(2024年9月)で歯医者は6万7755(2022年)。よく歯医者はコンビニより多くて飽和状態と言われるが鍼灸はそれより多い。
なお「あはき」と同じ意味で「鍼灸マッサージ」との新しい言い方もある。こちらは「あん摩と指圧」の単語が省かれてお気の毒。そういえば「按摩」は、ほとんど聞かなくなってもう死語に近い気がする。昔は視覚障害者で按摩の職業に就く人が多く、按摩=盲人=差別との謎ロジックで按摩は放送禁止用語になっている。そういうのも影響しているのかも知れない。
ところで「あはき」を「業として行う」には国家資格が必要なはずなのに、エステティックサロンやいわゆるリラクセーションとしてのマッサージ、それに整体やカイロプラクティックなどに国家資格はなく無免許での施術となる。ホテルなどで部屋に来てくれるマッサージ、足裏マッサージなども同様。そのあたりは法律的に微妙でグレーな領域。エステでは「あ」の資格を持つ従業員が施術するのでなければ、マッサージの言葉は使えず「リラクセーション、リフレクソロジー、トリートメント、ケア、癒やし、ほぐし」などと表現する。例えばフェイシャルケア。
国家資格がある=法律で規制されているといえる。しかし同時に法律で利権が守られているでもある。このあたりは大人の事情ならぬ大人の社会構造。だから「あはき」業界とエステ業界、整体業界は仲が悪い(^^ゞ また「あはき」と似たような国家資格に柔道整復師がある。いわゆる接骨整骨。こちらは「あはき」とは健康保険の取り扱い方が異なり、それが原因でここでもよく揉めている。
なお「治療」の言葉は医師のみに認められた行為で「あはき」で行うのは「施術」と法律ではなっている。なのに「〇〇鍼灸治療院」なんて名前はざらにある。「あはき」で開業するには自治体への届け出が必要なので、つまりその名前は公に認められているともいえる。その当たりの事情はナゾ
参考までに業界規模は
あはき 4890億円(2021年)
柔道整復 4790億円(2021年)
エステチックサロン 3130億円(2024年見込)
「あ」「は」「き」それぞれを知りたいところだが、兼業しているところも多いせいか個別の数字は見つけられなかった。
例によって下調べでわかった内容で、ずいぶんとボリュームを取ってしまった。
本題は次回にm(_ _)m
ーーー続く