2025年02月
2025年02月26日
とりあえず小惑星「2024 YR4」の衝突確率はほぼ消滅
「小惑星との衝突まであと7年と306日」のタイトルでブログを書いたのは、6日前になる2月20日。昨年の12月27日に発見された小惑星2024YR4。それが2032年12月に地球と衝突する確率が1月には1.2%だったのが、2月になって2.2%=1/45へ引き上げられたのに関してあれこれと。
実はブログを投稿した後に、改めて2024YR4を検索してみて確率が3.1%に上昇していたのを知った。でもブログを修正するのが面倒だったのでそのまま放置m(_ _)m
ヤバイ方向へ進んでいるのかなと思っていたら、22日には0.28%へと低下。
ソースとなっているのはNASAの発表で、時系列で確認すると
2月17日 2.6%
2月18日 3.1%
2月19日 1.5%
2月22日 0.28%
2月24日 0.004%
2月25日 0.0017%
となり、現時点ではほとんど無視できる数字。
20日に書いたブログはその時点で一番新しい数値をベースにしたつもりだったけれど、どうも情報伝達にタイムラグがあったようだ。まあ日本語で書かれたものしか読んでいなかったし。あとNASA(アメリカ航空宇宙局)とESA(欧州宇宙機関)の発表する数字が微妙に違う。例えば2月17日時点での衝突確率はNASAが2.6%なのに対してESAは2.4%。
とりあえず確率が大幅に下がったのはいいニュース。
しかし現在の2024YR4は地球から遠ざかるコースにあり、
直径が40〜90mと小さな天体なのでそろそろ観測不可能。
地球の周回軌道上にあって、より高性能な赤外線望遠鏡である
ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡を3月に観測に投入するが、
正確な軌道を割り出せるのは、おそらく次に地球に接近する2028年12月まで待たなければならないーーーはずだったのに、それにしては細かく数字を刻んでくるなあ。
やはり前回に書いた陰謀論は当たっているんじゃない?(^^ゞ
ところで前回のブログを書いたときに、
いろいろ調べていたら衝撃的な事実を発見した(ちょっと大げさ)
その前に、そもそも小惑星って何?
2010年に探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」から戻ってきた頃によく耳にするようになったものの、小さな惑星とはわかったようなわからないような言葉である。
調べてみると
太陽の周りを回る星から
惑星(水金地火木土天海の8つ)と準惑星(冥王星他4つ)と、
惑星と準惑星の周りを回る月などの衛星約300個を引いた残りすべてが
太陽系小天体と呼ばれ、
そのうち木星の軌道周辺より内側にあるのが小惑星
との定義。
ちなみに彗星と小惑星は別物扱い。説明は長くなるので省略。また小惑星あるいはその破片が地球の大気圏に突入し燃え尽きるのが流星、燃え尽きず地上に落ちてくれば隕石と区別される。
小惑星の大きさについてはっきりとした定義は見つけられなかった。最大の小惑星セレスの直径は910kmだが100kmを超えるものは数えるほどしかないそうだ。参考までに地球と月の直径はそれぞれ1万2756kmと3475km。2006年に惑星から準惑星に降格された冥王星は2377kmで月よりも小さい。
現在までに観測された小惑星は約80万個。直径100kmを超えるものは数えるほどしかないないのなら、これらのほぼすべては100km未満となる。また直径1km程度、ないしそれ以下については未発見の小惑星が数十万個あると推測されている。
80万個+数十万個が100km未満というだけじゃ尺度として大雑把すぎる。まだ解明されていない部分も多いのだろうが、求むわかりやすい解説。参考までにイトカワはウンチみたいな形をしており(^^ゞ 長さが約540メートル、断面の直径が太い部分で200メートルほど。
宇宙に漂うさまざまな粒子が衝突・合体を無数に繰り返し巨大化して星になる。(我々がいる太陽系では)まず太陽が誕生し、そのおこぼれが集まって惑星・準惑星・衛星ができた。やがてしだいに勢いが衰え星作り期間が終わる。つまり小惑星はいわば星になれなかった余り物。星のかけらと表現すればロマンチックかも。
また物質が合体すると重力が大きくなり、それが重心に向かって引っ張る力で潰されて球体になる。だから星は丸い。ただしサイズが小さいと重力より物質の強度が強いため球体にならず元の形を保つ。球体になるかならないかの境目は直径300km。だからイトカワはあのような姿。ほぼすべてが100km未満だとすれば、小惑星は球体ではなくいびつな岩の形で宇宙を漂っていると考えられる。
そして、小惑星の多くは
小惑星帯と呼ばれる火星と木星の軌道の間で太陽の周りを公転している。
でも2024YR4のようにその軌道をはずれる小惑星も出てくるわけで、その軌道が地球の公転軌道と交差していれば、いつかは必ず衝突する。いわゆる最小公倍数的な計算。2032年には地球に衝突しないであろう2024YR4も、何万年後あるいは何億年後にはまたーーーである。
まあ小惑星にしてみれば地球がぶつかってきやがったな話(^^ゞ
ーーー続く
実はブログを投稿した後に、改めて2024YR4を検索してみて確率が3.1%に上昇していたのを知った。でもブログを修正するのが面倒だったのでそのまま放置m(_ _)m
ヤバイ方向へ進んでいるのかなと思っていたら、22日には0.28%へと低下。
ソースとなっているのはNASAの発表で、時系列で確認すると
2月17日 2.6%
2月18日 3.1%
2月19日 1.5%
2月22日 0.28%
2月24日 0.004%
2月25日 0.0017%
となり、現時点ではほとんど無視できる数字。
20日に書いたブログはその時点で一番新しい数値をベースにしたつもりだったけれど、どうも情報伝達にタイムラグがあったようだ。まあ日本語で書かれたものしか読んでいなかったし。あとNASA(アメリカ航空宇宙局)とESA(欧州宇宙機関)の発表する数字が微妙に違う。例えば2月17日時点での衝突確率はNASAが2.6%なのに対してESAは2.4%。
とりあえず確率が大幅に下がったのはいいニュース。
しかし現在の2024YR4は地球から遠ざかるコースにあり、
直径が40〜90mと小さな天体なのでそろそろ観測不可能。
地球の周回軌道上にあって、より高性能な赤外線望遠鏡である
ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡を3月に観測に投入するが、
正確な軌道を割り出せるのは、おそらく次に地球に接近する2028年12月まで待たなければならないーーーはずだったのに、それにしては細かく数字を刻んでくるなあ。
やはり前回に書いた陰謀論は当たっているんじゃない?(^^ゞ
ところで前回のブログを書いたときに、
いろいろ調べていたら衝撃的な事実を発見した(ちょっと大げさ)
その前に、そもそも小惑星って何?
2010年に探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」から戻ってきた頃によく耳にするようになったものの、小さな惑星とはわかったようなわからないような言葉である。
調べてみると
太陽の周りを回る星から
惑星(水金地火木土天海の8つ)と準惑星(冥王星他4つ)と、
惑星と準惑星の周りを回る月などの衛星約300個を引いた残りすべてが
太陽系小天体と呼ばれ、
そのうち木星の軌道周辺より内側にあるのが小惑星
との定義。
ちなみに彗星と小惑星は別物扱い。説明は長くなるので省略。また小惑星あるいはその破片が地球の大気圏に突入し燃え尽きるのが流星、燃え尽きず地上に落ちてくれば隕石と区別される。
小惑星の大きさについてはっきりとした定義は見つけられなかった。最大の小惑星セレスの直径は910kmだが100kmを超えるものは数えるほどしかないそうだ。参考までに地球と月の直径はそれぞれ1万2756kmと3475km。2006年に惑星から準惑星に降格された冥王星は2377kmで月よりも小さい。
現在までに観測された小惑星は約80万個。直径100kmを超えるものは数えるほどしかないないのなら、これらのほぼすべては100km未満となる。また直径1km程度、ないしそれ以下については未発見の小惑星が数十万個あると推測されている。
80万個+数十万個が100km未満というだけじゃ尺度として大雑把すぎる。まだ解明されていない部分も多いのだろうが、求むわかりやすい解説。参考までにイトカワはウンチみたいな形をしており(^^ゞ 長さが約540メートル、断面の直径が太い部分で200メートルほど。
宇宙に漂うさまざまな粒子が衝突・合体を無数に繰り返し巨大化して星になる。(我々がいる太陽系では)まず太陽が誕生し、そのおこぼれが集まって惑星・準惑星・衛星ができた。やがてしだいに勢いが衰え星作り期間が終わる。つまり小惑星はいわば星になれなかった余り物。星のかけらと表現すればロマンチックかも。
また物質が合体すると重力が大きくなり、それが重心に向かって引っ張る力で潰されて球体になる。だから星は丸い。ただしサイズが小さいと重力より物質の強度が強いため球体にならず元の形を保つ。球体になるかならないかの境目は直径300km。だからイトカワはあのような姿。ほぼすべてが100km未満だとすれば、小惑星は球体ではなくいびつな岩の形で宇宙を漂っていると考えられる。
そして、小惑星の多くは
小惑星帯と呼ばれる火星と木星の軌道の間で太陽の周りを公転している。
でも2024YR4のようにその軌道をはずれる小惑星も出てくるわけで、その軌道が地球の公転軌道と交差していれば、いつかは必ず衝突する。いわゆる最小公倍数的な計算。2032年には地球に衝突しないであろう2024YR4も、何万年後あるいは何億年後にはまたーーーである。
まあ小惑星にしてみれば地球がぶつかってきやがったな話(^^ゞ
ーーー続く
2025年02月24日
林試の森の河津桜はまだ三分咲き
この三連休は今季最長寒波とやらで全国的に冷え込みが厳しく、また雪国では例年以上の大雪に見舞われたようだ。でも冬来たりなば春遠からじで、そろそろウメや河津桜のシーズン。
昨年の2月は暖かくて、2月20日に東京で最高気温23.7度を記録し、自宅近くの林試の森公園(元は林業試験場)にある河津桜が満開になった。本日は最低気温マイナス0.1度、最高気温10.8度。さて今年の開花状況はどうなっているかと偵察に。
話は変わるが、
林試の森にはプラタナスもけっこうある。
でも新宿御苑にあるように↓ゴツゴツしていない。
あそこのは見るからに異様だし、ちょっと変わった品種なのかな。
機会があれば他の場所でも冬プラタナスの姿を確認しててみたい。
林試の森で河津桜は芝生がないのに芝生広場と名付けられた場所にある。
東西に細長い広場の西側の3本はまだほとんど開花しておらず。
実は先週も偵察しに来た(^^ゞ
これがそのときの様子で1週間経って少しつぼみが色づいた程度。
でも北側にある、つまり南を向いている河津桜はこの通り。
横から眺めて。
先週は一分咲き未満といったところだった。
ところで常々、
日差しと青空こそが最高の写真テクニックと思っていて、
この2枚を見較べるとそれがよくわかる。
三分咲きとはいえ、
よく咲いている場所の前に来れば充分にお花見気分。
iPhoneのマクロ(接写)モードで。
もっと密度の高い枝を探して。
ピンクにパワーをもらいましょう。
週間予報によると26日から気温が高くなり、今週末は20度前後の見込み。
おそらく満開になるでしょう。
でも3月4日は最高気温が5度しかなく、そして小さく雪のマークが!そういえば今シーズンは都心で雪を見ていないので、ちょっとくらいなら積もってくれてもいいけれど。
昨年の2月は暖かくて、2月20日に東京で最高気温23.7度を記録し、自宅近くの林試の森公園(元は林業試験場)にある河津桜が満開になった。本日は最低気温マイナス0.1度、最高気温10.8度。さて今年の開花状況はどうなっているかと偵察に。
話は変わるが、
林試の森にはプラタナスもけっこうある。
でも新宿御苑にあるように↓ゴツゴツしていない。
あそこのは見るからに異様だし、ちょっと変わった品種なのかな。
機会があれば他の場所でも冬プラタナスの姿を確認しててみたい。
林試の森で河津桜は芝生がないのに芝生広場と名付けられた場所にある。
東西に細長い広場の西側の3本はまだほとんど開花しておらず。
実は先週も偵察しに来た(^^ゞ
これがそのときの様子で1週間経って少しつぼみが色づいた程度。
でも北側にある、つまり南を向いている河津桜はこの通り。
横から眺めて。
先週は一分咲き未満といったところだった。
ところで常々、
日差しと青空こそが最高の写真テクニックと思っていて、
この2枚を見較べるとそれがよくわかる。
三分咲きとはいえ、
よく咲いている場所の前に来れば充分にお花見気分。
iPhoneのマクロ(接写)モードで。
もっと密度の高い枝を探して。
ピンクにパワーをもらいましょう。
週間予報によると26日から気温が高くなり、今週末は20度前後の見込み。
おそらく満開になるでしょう。
でも3月4日は最高気温が5度しかなく、そして小さく雪のマークが!そういえば今シーズンは都心で雪を見ていないので、ちょっとくらいなら積もってくれてもいいけれど。
2025年02月20日
小惑星との衝突まであと7年と306日
いくつかの記事をネットで見かけはしても、
おそらく世間的にはたいして話題になっていない出来事。
それは
直径が40〜90mと推定される小惑星「2024 YR4」が
2032年12月22日に地球に衝突する可能性があり
その確率が当初の1.2%から2.2%へ上昇した
という情報。
7年と306日なんてもうすぐやないか(>_<) ノストラダムスの1997年7月に人類が滅亡するなんて根拠のない与太話に大騒ぎした人もいたのに、どうして今回はスルーされているのだろう。
もっとも衝突の可能性が2.2%なら、逆に衝突しない可能性が97.8%でたいしたことないように思える。しかし2.2%とは1/45であり、昭和世代感覚だとクラスに一人の割合だからまったく無視するのもどうかと思う数字である。ちなみに年末ジャンボ宝くじの1等当選確率は2000万分の1=0.000005%なので当たらないと安心できる(^^ゞ
2024YR4が発見されたのは昨年末の12月27日。25日に地球に最接近し、月との距離の約2.16倍のところを通過した後の姿を、チリに設置された天体望遠鏡で捉えられた。
その天体望遠鏡を運営しているのはATLAS(アトラス)と優しげなネーミングだが、正式名称はAsteroid Terrestrial-impact Last Alert Systemで、日本語だと小惑星・地球衝突・最終警報システム。そんな地球防衛軍みたいな組織があったのかと驚き。
話はそれるが地球と月について、このようなイメージを持っている人が多い。画像はhttps://x.gd/cyOvSから引用(短縮URL使用)
上の写真で地球と月のサイズ比はだいたい合っているものの、距離感はまったく違っていて、実際の地球と月の間は地球が30個ほど並ぶほど離れている。ブログに貼り付けると小さくて見えないのでクリックで拡大して確認してみて。画像はhttps://astropics.bookbright.co.jp/earth-and-moonから引用
だから月より約2.16倍離れたとはかなり遠い位置。でも2024YR4は太陽系内を次のような軌道で周回しており、その公転周期は約4年。それで軌道計算してみると、次の次の接近のときがヤバイと判明したたようだ。
この2024YR4が地球に落ちてきた場合、直径40mならTNT火薬(いわゆる爆弾)800万トン相当=広島原爆の約530倍、直径90mでは5000万トン相当=広島原爆の約3300倍の爆発となる。そう言われてもピンとこないが後者は東京23区が消滅するレベルらしい(/o\)
ただし衝突の可能性が2.2%だとしても、地球の面積である5億1000万平方キロに対して、日本の国土は37万8000平方キロしかない。近海に落ちれば巨大津波が起きるだろうから排他的経済水域(EEZ)の447万平方キロを加えても484万8000平方キロ。それを元に計算すると、
484万8000平方キロ ÷ 5億1000万平方キロ = 0.0095
2.2% × 0.0095 = 0.02%
ちょっと安心した?
なぜか分数の1/5000にすると、まだ確率が高い気もするけど。
なんて思っていたら、こんな落下予想エリア図を見つけた。
日本は外れているように見えるものの(日本以外なら落ちてもいいと思っているわけじゃない)、少しタイミングがずれれば日本列島縦断コースになりそうぢゃないか(>_<)
とはいえ2024YR4が2032年12月22日に地球に衝突する可能性2.2%というのは、あくまで暫定的な試算。まだ観測不十分で正確な軌道は割り出せていない。
さらに現在の2024YR4は地球から遠ざかるコースにあるため、そろそろ観測不可能な距離となっており、次に観測できるのは再び地球に接近する2028年12月。来月には地球の周回軌道上にあるジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡も観測に投入するようだが、どうやら確定予測が出るのは4年後みたいだ。
もし本当に地球に衝突したらどうなるのかな。
2024YR4は秒速17km=時速6万1200km=なんとマッハ51!で落ちてくるとの推定。そして地上に衝突した際の運動エネルギーはほぼすべて熱エネルギーに変換されるらしい。都市部に落ちた場合をイメージしやすいように東京で例えると、原爆3300倍の爆発によって23区内は焼け野原ならぬ溶け野原になって消滅。その熱と衝撃波が周辺に広がって、東京駅から半径70kmの首都圏は今まで経験した震災・津波被害の比ではないレベルに破壊されるのではないか。それだけのエリアを復旧復興する経済力はどんな国にもないから、被災地は放棄になる可能性もある。住んでいた人もいなくなるわけだし。想像を絶するとはまさにこのこと。
映画アルマゲドンでは宇宙船で作業員を送り込み、核爆弾を小惑星に埋め込んで爆発させて軌道を変えた。それはちょっとSF的過ぎて2032年ではリアリティがないとしても、NASAは2022年に直径160mの小惑星に、重さ579kgの探査機を衝突させて軌道を変える実験に成功している。
その小惑星は直径780mある別の小惑星を周回する衛星で、実験の成果によりその公転周期が11時間55分から11時間23分へ32分短くなったとされる。それが2024YR4の軌道を地球から逸らす(そらす)レベルなのかどうかはわからないけれど、そんな対策でもするのだろうか。
核弾頭を何発か打ち込めば直径40〜90mの岩なら砕けそうに思える。ただそれで軌道を変えられるのか、単にバラバラになって広範囲に落ちてくるだけなのかーーー
ところで2024YR4の情報を検索すると
「さらに観測を続けデータを取れば、この確率は10倍またはそれ以上に
不正確となる可能性もある」
「以前にも観測を繰り返し詳しい軌道が分かった結果、衝突するとみられていた小惑星が、
人工衛星の内側の軌道を通り抜けていくと判明した例もある」
「小惑星の衝突確率の算出方法の関係上、衝突確率は一時的に過大評価されてしまう
性質がある」
「衝突確率はある時点でゼロに下がると予想しています」
などと書かれている内容も多かった。
これがどうも怪しい。
小惑星が接近している、宇宙人が攻めてくる、怪獣が出現するなどの場合に、映画では必ずといっていいほど政府は混乱を招くとの理由で最初はその事実を伏せる。(そして手遅れになる)これはそのプロパガンダではないか? ひょっとして、もう上級国民向けのシェルターなんか作り始めてたりしてーーー陰謀論(^^ゞ
4年後に正確な予測が出たら、また悩むとしましょう。
もっともそれが高い確率だとしても諦めるしかないんだけど。
おそらく世間的にはたいして話題になっていない出来事。
それは
直径が40〜90mと推定される小惑星「2024 YR4」が
2032年12月22日に地球に衝突する可能性があり
その確率が当初の1.2%から2.2%へ上昇した
という情報。
7年と306日なんてもうすぐやないか(>_<) ノストラダムスの1997年7月に人類が滅亡するなんて根拠のない与太話に大騒ぎした人もいたのに、どうして今回はスルーされているのだろう。
もっとも衝突の可能性が2.2%なら、逆に衝突しない可能性が97.8%でたいしたことないように思える。しかし2.2%とは1/45であり、昭和世代感覚だとクラスに一人の割合だからまったく無視するのもどうかと思う数字である。ちなみに年末ジャンボ宝くじの1等当選確率は2000万分の1=0.000005%なので当たらないと安心できる(^^ゞ
2024YR4が発見されたのは昨年末の12月27日。25日に地球に最接近し、月との距離の約2.16倍のところを通過した後の姿を、チリに設置された天体望遠鏡で捉えられた。
その天体望遠鏡を運営しているのはATLAS(アトラス)と優しげなネーミングだが、正式名称はAsteroid Terrestrial-impact Last Alert Systemで、日本語だと小惑星・地球衝突・最終警報システム。そんな地球防衛軍みたいな組織があったのかと驚き。
話はそれるが地球と月について、このようなイメージを持っている人が多い。画像はhttps://x.gd/cyOvSから引用(短縮URL使用)
上の写真で地球と月のサイズ比はだいたい合っているものの、距離感はまったく違っていて、実際の地球と月の間は地球が30個ほど並ぶほど離れている。ブログに貼り付けると小さくて見えないのでクリックで拡大して確認してみて。画像はhttps://astropics.bookbright.co.jp/earth-and-moonから引用
だから月より約2.16倍離れたとはかなり遠い位置。でも2024YR4は太陽系内を次のような軌道で周回しており、その公転周期は約4年。それで軌道計算してみると、次の次の接近のときがヤバイと判明したたようだ。
この2024YR4が地球に落ちてきた場合、直径40mならTNT火薬(いわゆる爆弾)800万トン相当=広島原爆の約530倍、直径90mでは5000万トン相当=広島原爆の約3300倍の爆発となる。そう言われてもピンとこないが後者は東京23区が消滅するレベルらしい(/o\)
ただし衝突の可能性が2.2%だとしても、地球の面積である5億1000万平方キロに対して、日本の国土は37万8000平方キロしかない。近海に落ちれば巨大津波が起きるだろうから排他的経済水域(EEZ)の447万平方キロを加えても484万8000平方キロ。それを元に計算すると、
484万8000平方キロ ÷ 5億1000万平方キロ = 0.0095
2.2% × 0.0095 = 0.02%
ちょっと安心した?
なぜか分数の1/5000にすると、まだ確率が高い気もするけど。
なんて思っていたら、こんな落下予想エリア図を見つけた。
日本は外れているように見えるものの(日本以外なら落ちてもいいと思っているわけじゃない)、少しタイミングがずれれば日本列島縦断コースになりそうぢゃないか(>_<)
とはいえ2024YR4が2032年12月22日に地球に衝突する可能性2.2%というのは、あくまで暫定的な試算。まだ観測不十分で正確な軌道は割り出せていない。
さらに現在の2024YR4は地球から遠ざかるコースにあるため、そろそろ観測不可能な距離となっており、次に観測できるのは再び地球に接近する2028年12月。来月には地球の周回軌道上にあるジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡も観測に投入するようだが、どうやら確定予測が出るのは4年後みたいだ。
もし本当に地球に衝突したらどうなるのかな。
2024YR4は秒速17km=時速6万1200km=なんとマッハ51!で落ちてくるとの推定。そして地上に衝突した際の運動エネルギーはほぼすべて熱エネルギーに変換されるらしい。都市部に落ちた場合をイメージしやすいように東京で例えると、原爆3300倍の爆発によって23区内は焼け野原ならぬ溶け野原になって消滅。その熱と衝撃波が周辺に広がって、東京駅から半径70kmの首都圏は今まで経験した震災・津波被害の比ではないレベルに破壊されるのではないか。それだけのエリアを復旧復興する経済力はどんな国にもないから、被災地は放棄になる可能性もある。住んでいた人もいなくなるわけだし。想像を絶するとはまさにこのこと。
映画アルマゲドンでは宇宙船で作業員を送り込み、核爆弾を小惑星に埋め込んで爆発させて軌道を変えた。それはちょっとSF的過ぎて2032年ではリアリティがないとしても、NASAは2022年に直径160mの小惑星に、重さ579kgの探査機を衝突させて軌道を変える実験に成功している。
その小惑星は直径780mある別の小惑星を周回する衛星で、実験の成果によりその公転周期が11時間55分から11時間23分へ32分短くなったとされる。それが2024YR4の軌道を地球から逸らす(そらす)レベルなのかどうかはわからないけれど、そんな対策でもするのだろうか。
核弾頭を何発か打ち込めば直径40〜90mの岩なら砕けそうに思える。ただそれで軌道を変えられるのか、単にバラバラになって広範囲に落ちてくるだけなのかーーー
ところで2024YR4の情報を検索すると
「さらに観測を続けデータを取れば、この確率は10倍またはそれ以上に
不正確となる可能性もある」
「以前にも観測を繰り返し詳しい軌道が分かった結果、衝突するとみられていた小惑星が、
人工衛星の内側の軌道を通り抜けていくと判明した例もある」
「小惑星の衝突確率の算出方法の関係上、衝突確率は一時的に過大評価されてしまう
性質がある」
「衝突確率はある時点でゼロに下がると予想しています」
などと書かれている内容も多かった。
これがどうも怪しい。
小惑星が接近している、宇宙人が攻めてくる、怪獣が出現するなどの場合に、映画では必ずといっていいほど政府は混乱を招くとの理由で最初はその事実を伏せる。(そして手遅れになる)これはそのプロパガンダではないか? ひょっとして、もう上級国民向けのシェルターなんか作り始めてたりしてーーー陰謀論(^^ゞ
4年後に正確な予測が出たら、また悩むとしましょう。
もっともそれが高い確率だとしても諦めるしかないんだけど。
2025年02月12日
西方寺のロウバイ
中川八幡山公園で今シーズンのロウバイ第2弾を見た後は西方寺へ。Googleマップによると距離5.3キロ、所要時間1時間15分と出たので散歩ノルマをこなすために歩いて向かうことにした。
ところどころ市街地から離れたのんびりしたルート。
実際には1時間ちょうどで西方寺に着いた。
しかしGoogleマップにはこんな表示が出ていたのに、
港北ニュータウンとその周辺は丘陵地帯なので、ところどころかなりキツい上り坂もあった。今までこの高低差の情報を利用した経験がなく、表示された↑39mがどの程度なのか今ひとつ把握できていなかった。そこで以前に訪れて、あまりの急坂に息も絶え絶えになった京王百花園のルートを調べてみると↑50mであり、やはり今回もそれなりの勾配かと。とにかくGoogleの表示のように「全ルートがほぼ平坦」ではまったくない。
ところでマップの道案内機能に「近いけれど坂道あり」「ちょっと遠くても平坦」なんてルート案内があればいいのにと思う。関係者の皆さん、ご検討のほどをよろしく。
西方寺の参道。
いい趣きを出しているね。
参道の入り口には寺の名前が表示されておらず、
七福神の案内のみ。
参道の途中に駐車場へ抜けるところがあり、
まずそこにロウバイ。
他にも何本かのロウバイがあった。
後ろに見える墓地は半円形のすり鉢状で珍しい形。
慰霊碑ではなく記念碑なのは、この地域から出征して帰国した人と戦没した人の両方を顕彰(けんしょう:功績などを広く知らせる)しているため。
スイセンも咲いていた。
西方寺はなかなかの花寺の模様。
このページを見て秋には彼岸花を見に来ると決定。
残念ながら駐車場のロウバイは見頃過ぎ。
参道に戻る。
山門に近づくとロウバイの甘い香りがしてきた。
看板の文字はちょっとかすれて読みづらかったものの、
本堂は茅葺きで屋根の形もカッコイイ。
2枚前の写真ではわかりづらいが山門も茅葺きである。
元々は鎌倉時代初期の1190年に鎌倉で創建され、室町時代後期の1495年に現在の場所に移ってきたとされる。この本堂は江戸時代中期、徳川吉宗が将軍であった1721年の建立。
本堂隣の建物の前にロウバイ。
最盛期をわずかに過ぎた印象とはいえ、まだまだ見頃。
そしてこの花数!
茅葺き屋根とロウバイ。
でもいつも書いているようにロウバイは黄色で小さな花なので、背景が茶系のアースカラーだとバエない。
ならば少し茅葺き屋根から離しましょう。
境内をあれこれ。
この姿は冬のイチョウ。
これはセンリョウ。
冬に赤い実をつけ縁起物ともされる木は、このセンリョウのほかナンテンとマンリョウがある。センリョウは実の数が少ないのでわかりやすいが、どちらも多くの実をつけるナンテンとマンリョウはちょっと見分けが難しい。
ちなみにセンリョウは漢字で千両、マンリョウは万両。正式名はセンリョウがクササンゴ、マンリョウがヤブタチバナ。なぜ千両や万両と呼ばれるようになったのかは諸説あるが、何と他にも億両、百両、十両、一両もある。
実家の庭にはナンテンがあったのだけれど「せっかく赤い実をつけたと思ったら、すぐ鳥が食べてしまう」と母親がよく嘆いていた。いや、ナンテンは鳥に食べてもらって種を運んで欲しくて、一生懸命に実を赤くしているのです母上(^^ゞ
またロウバイに戻って。
写真を撮ったというよりクンクンのついでにシャッターを押している感じ。
青空のブルー背景に撮りたかったのに、
少し日陰だったのでレンズを上に向けると微妙な色合いになってしまった。
素直に眺めましょう。
上の方に西日が差し込んだところを狙って。
最後に花の内側に赤紫の輪があって、
これがマンゲツロウバイとよくわかるドアップを。
おしまい
ところどころ市街地から離れたのんびりしたルート。
実際には1時間ちょうどで西方寺に着いた。
しかしGoogleマップにはこんな表示が出ていたのに、
港北ニュータウンとその周辺は丘陵地帯なので、ところどころかなりキツい上り坂もあった。今までこの高低差の情報を利用した経験がなく、表示された↑39mがどの程度なのか今ひとつ把握できていなかった。そこで以前に訪れて、あまりの急坂に息も絶え絶えになった京王百花園のルートを調べてみると↑50mであり、やはり今回もそれなりの勾配かと。とにかくGoogleの表示のように「全ルートがほぼ平坦」ではまったくない。
ところでマップの道案内機能に「近いけれど坂道あり」「ちょっと遠くても平坦」なんてルート案内があればいいのにと思う。関係者の皆さん、ご検討のほどをよろしく。
西方寺の参道。
いい趣きを出しているね。
参道の入り口には寺の名前が表示されておらず、
七福神の案内のみ。
参道の途中に駐車場へ抜けるところがあり、
まずそこにロウバイ。
他にも何本かのロウバイがあった。
後ろに見える墓地は半円形のすり鉢状で珍しい形。
慰霊碑ではなく記念碑なのは、この地域から出征して帰国した人と戦没した人の両方を顕彰(けんしょう:功績などを広く知らせる)しているため。
スイセンも咲いていた。
西方寺はなかなかの花寺の模様。
このページを見て秋には彼岸花を見に来ると決定。
残念ながら駐車場のロウバイは見頃過ぎ。
参道に戻る。
山門に近づくとロウバイの甘い香りがしてきた。
看板の文字はちょっとかすれて読みづらかったものの、
本堂は茅葺きで屋根の形もカッコイイ。
2枚前の写真ではわかりづらいが山門も茅葺きである。
元々は鎌倉時代初期の1190年に鎌倉で創建され、室町時代後期の1495年に現在の場所に移ってきたとされる。この本堂は江戸時代中期、徳川吉宗が将軍であった1721年の建立。
本堂隣の建物の前にロウバイ。
最盛期をわずかに過ぎた印象とはいえ、まだまだ見頃。
そしてこの花数!
茅葺き屋根とロウバイ。
でもいつも書いているようにロウバイは黄色で小さな花なので、背景が茶系のアースカラーだとバエない。
ならば少し茅葺き屋根から離しましょう。
境内をあれこれ。
この姿は冬のイチョウ。
これはセンリョウ。
冬に赤い実をつけ縁起物ともされる木は、このセンリョウのほかナンテンとマンリョウがある。センリョウは実の数が少ないのでわかりやすいが、どちらも多くの実をつけるナンテンとマンリョウはちょっと見分けが難しい。
ちなみにセンリョウは漢字で千両、マンリョウは万両。正式名はセンリョウがクササンゴ、マンリョウがヤブタチバナ。なぜ千両や万両と呼ばれるようになったのかは諸説あるが、何と他にも億両、百両、十両、一両もある。
実家の庭にはナンテンがあったのだけれど「せっかく赤い実をつけたと思ったら、すぐ鳥が食べてしまう」と母親がよく嘆いていた。いや、ナンテンは鳥に食べてもらって種を運んで欲しくて、一生懸命に実を赤くしているのです母上(^^ゞ
またロウバイに戻って。
写真を撮ったというよりクンクンのついでにシャッターを押している感じ。
青空のブルー背景に撮りたかったのに、
少し日陰だったのでレンズを上に向けると微妙な色合いになってしまった。
素直に眺めましょう。
上の方に西日が差し込んだところを狙って。
最後に花の内側に赤紫の輪があって、
これがマンゲツロウバイとよくわかるドアップを。
おしまい
2025年02月10日
中川八幡山公園でロウバイ その2
ウメが咲いているとは思っていなかったので舞い上がってしまったが、
ここへはロウバイを見に来たのだと思い出す。
丘の下から見たときはキレイにたくさん咲いていると思えたのに、
近寄ってみるとロウバイは「見頃過ぎ中頃」な状態だった。
多く花が残っている木でもこの程度。
できるだけ状態のよいところを狙って。
花の内側に赤紫の色が見えるからこれはマンゲツロウバイ。
花の状態は残念だったものの、
香りは充分に残っておりクンクンは満喫できてヨシ。
他のロウバイを探して公園内を散策。
石柱を模した?オブジェなのかな。
何のために穴が空いているのかは不明。
港北ニュータウンは旧石器時代から近世に掛けて様々な遺跡が268箇所も見つかっている。発掘されずにニュータウンの造成工事で破壊されたものを含めればもっとあっただろう。でも日本に石柱の文化はなかったので、それとは関係なさそう。
この中川八幡山公園は小さな丘をまるごと公園にしたような造り。だから見晴らしは抜群。戦国時代には山城や砦をここに構えていたはずとモーソーが広がる。
頂上中央部は芝生広場。
そこにはサクラの木が植えられており、
こんな巨木もあった(これ以外のサクラも充分に大きいが)。
サクラが咲いたらまた来ようかと考えている。
竹林もいい感じ。
港北ニュータウンは竹が多い印象を昔から持っている。
夏みかん的なものも実っていた。
夏みかんは春の果物なのに、なぜか夏みかん。
丘の上部分を回り終えた。
あれ?
ロウバイがなかったじゃないか。
このタウンニュースの記事には59本とあり、他にも30本ほど植えられていると書かれているのはネットでいくつか見かけたのに。先ほどの場所にあったロウバイは4〜5本。残り55本はどこへ消えた?
でも本日のメインはこの後の西方寺だし、まっいいかと思って丘を降りる。歩いたのは丘の頂上部だけなので、ひょっとしたら中腹や下の部分にあったのかも知れない。
途中でこんな鳥を見かける。
ネットで調べたらハクセキレイという名前らしい。
そしてドングリに続いて、トゲトゲの実を発見。
見上げるとまだいくつもぶら下がっていた。
これはモミジバフウのようだ。漢字では紅葉葉楓で発音で区切るなら紅葉葉・楓。楓をカエデと訓読みすればいわゆるモミジのことだけれど、これは音読みでフウとも読めて、そのばあいはフウの木を意味する。
両者は品種的にはまったくの別物。しかしモミジバフウは葉の形がモミジに似ているフウで、しかも楓の文字は同じなのだから超絶にややこしい。もっと違う名前にすればよかったのに。
植物分類的には
モミジ →ムクロジ目:ムクロジ科:カエデ属
フウ →ユキノシタ目:フウ科:フウ属
フウのうち葉先が3つに分かれているのが中国原産のタイワンフウ。モミジのように5〜7つに分かれるのが米国原産のアメリカフウで、その別名がモミジバフウ。
どちらも紅葉が鮮やかで街路樹や公園木として人気があると紹介されている。でもフウなんて名前は初めて聞いた。今までモミジと思ってモミジバフウを見ていたりもしたのかな。今年の紅葉シーズンにはちょっと注意して観察するとしましょう。
ーーー続く
ここへはロウバイを見に来たのだと思い出す。
丘の下から見たときはキレイにたくさん咲いていると思えたのに、
近寄ってみるとロウバイは「見頃過ぎ中頃」な状態だった。
多く花が残っている木でもこの程度。
できるだけ状態のよいところを狙って。
花の内側に赤紫の色が見えるからこれはマンゲツロウバイ。
花の状態は残念だったものの、
香りは充分に残っておりクンクンは満喫できてヨシ。
他のロウバイを探して公園内を散策。
石柱を模した?オブジェなのかな。
何のために穴が空いているのかは不明。
港北ニュータウンは旧石器時代から近世に掛けて様々な遺跡が268箇所も見つかっている。発掘されずにニュータウンの造成工事で破壊されたものを含めればもっとあっただろう。でも日本に石柱の文化はなかったので、それとは関係なさそう。
この中川八幡山公園は小さな丘をまるごと公園にしたような造り。だから見晴らしは抜群。戦国時代には山城や砦をここに構えていたはずとモーソーが広がる。
頂上中央部は芝生広場。
そこにはサクラの木が植えられており、
こんな巨木もあった(これ以外のサクラも充分に大きいが)。
サクラが咲いたらまた来ようかと考えている。
竹林もいい感じ。
港北ニュータウンは竹が多い印象を昔から持っている。
夏みかん的なものも実っていた。
夏みかんは春の果物なのに、なぜか夏みかん。
丘の上部分を回り終えた。
あれ?
ロウバイがなかったじゃないか。
このタウンニュースの記事には59本とあり、他にも30本ほど植えられていると書かれているのはネットでいくつか見かけたのに。先ほどの場所にあったロウバイは4〜5本。残り55本はどこへ消えた?
でも本日のメインはこの後の西方寺だし、まっいいかと思って丘を降りる。歩いたのは丘の頂上部だけなので、ひょっとしたら中腹や下の部分にあったのかも知れない。
途中でこんな鳥を見かける。
ネットで調べたらハクセキレイという名前らしい。
そしてドングリに続いて、トゲトゲの実を発見。
見上げるとまだいくつもぶら下がっていた。
これはモミジバフウのようだ。漢字では紅葉葉楓で発音で区切るなら紅葉葉・楓。楓をカエデと訓読みすればいわゆるモミジのことだけれど、これは音読みでフウとも読めて、そのばあいはフウの木を意味する。
両者は品種的にはまったくの別物。しかしモミジバフウは葉の形がモミジに似ているフウで、しかも楓の文字は同じなのだから超絶にややこしい。もっと違う名前にすればよかったのに。
植物分類的には
モミジ →ムクロジ目:ムクロジ科:カエデ属
フウ →ユキノシタ目:フウ科:フウ属
フウのうち葉先が3つに分かれているのが中国原産のタイワンフウ。モミジのように5〜7つに分かれるのが米国原産のアメリカフウで、その別名がモミジバフウ。
どちらも紅葉が鮮やかで街路樹や公園木として人気があると紹介されている。でもフウなんて名前は初めて聞いた。今までモミジと思ってモミジバフウを見ていたりもしたのかな。今年の紅葉シーズンにはちょっと注意して観察するとしましょう。
ーーー続く
2025年02月09日
中川八幡山公園でロウバイ
今年のロウバイツアーは3箇所。1月18日に訪れた東京町田市の忠生(ただお)公園に続いて、2月6日に横浜市都筑区の中川八幡山公園と港北区にある西方寺を巡ってきた。中川八幡山公園は港北ニュータウン、西方寺はニュータウンをわずかに離れた位置にある。
ニュータウン内にある中川八幡山公園が都筑区なのは、1994年(平成6年)に横浜市が港北区と緑区の一部を分割して都筑区を新設したから。1983年(昭和58年)より入居が始まった港北ニュータウンは現在、港北区ではなく都筑区にあるというややこしい状況。
参考までに港北ニュータウンと、東京近郊のもうひとつの大きなニュータウンである多摩ニュータウンの位置図。
東横線を日吉で横浜市営地下鉄に乗り換える。
横浜市営地下鉄には2系統あってブルーラインとグリーンラインの愛称が付けられている。ブルーラインは1972年(昭和47年)に 伊勢佐木長者町駅 と上大岡駅間で開業。1976年には横浜駅までつながり、その後5回の延伸を経て1999年(平成11年)に現在の規模に。グリーンラインは2008年(平成20年)開業と新しい路線。主に港北ニュータウンの各地を結んでいる。
正式名称はブルーラインが横浜市営地下鉄の1号線と3号線。1号線が湘南台←→関内、3号線が関内←→あざみ野と区別されているが、湘南台←→あざみ野の直通運転なので実質的には同じ路線である。2号線は計画されたものの建設されずに欠番扱いで、そしてグリーンラインが4号線。4号線開業時にグリーンラインの愛称を設け、それに併せて1&3号線もブルーラインと名付けられた。
でもブルーラインとグリーンラインってややこしくない? 横浜市営地下鉄には滅多に乗らないので、その度にどっちがブルーでグリーンだったかわからずイラッとする。銀座線と丸ノ内線なら間違いようがないのに、ここのように似通ってかつ中身のないネーミングにするなんてアホとしか思えない。
また横浜市営地下鉄は1993年に開業した新横浜北駅を、1999年に北新横浜駅に変更している。新横浜駅と間違える乗客が多かったのがその理由。紛らわしいネーミングは使ってはいけないと、そのとき充分に学ばなかったらしい(/o\)
センター北駅で下車。このあたりは港北ニュータウンのタウンセンターと呼ばれており、その北側だからセンター北。
でも港北ニュータウンは大きく第1地区、第2地区、中央地区、その他に分かれている。そしてセンターとは中央なのに、タウンセンターは中央地区以外にも広がっていて、これまたややこしいネーミング。画像はhttps://tamaplaza.news/yokohama-kohoku-new-townから引用
関係ないけれどセンター南駅付近の住所は何と都筑区茅ケ崎!
もちろん茅ヶ崎といえば湘南しか思い浮かばない。東京に住み始めた頃、このあたりを初めてクルマで走っていて「茅ヶ崎コッチ」の道路標識を見て、いつの間にそんなところまで?、ひょっとして宇宙人のイタズラでワープした?とあせった経験がある(^^ゞ
なお湘南は茅ヶ崎、都筑区は茅ケ崎と微妙に書き方が異なる。
駅を降りるとキレイに整備された光景。
観覧車があってビックリした。
駅から出たところは2階部分。
ロータリーを見下ろしながら、
ペデストリアンデッキ(大型の歩行者通路、公共歩廊)を東に進む。
地上に降りて、
この先のコーナーを
曲がると、小高い丘となっている中川八幡山公園が見えてきた。
脇道で公園に入り丘を登っていく。
ここまで駅から徒歩10分。
あっドングリ、久しぶりと思って写真を撮った後、
よく見たら辺り一面ドングリだらけだった(^^ゞ
ススキを眺めながら、
さらに登る。
かすかにロウバイの香りを感じて、
見上げると視界の先に黄色い花が。
しかし階段は徐々にロウバイから離れて左にそれていき、
斜面を上がった場所にはウメが咲いていた。
めでたく今年の初ウメ!
ロウバイしか頭になかったので想定外の出来事にテンション上昇。
青空を背景に白梅が映える。
まだ咲き始めでツボミもたくさん。
ただウメは数本でそれほど多くなかった。
ーーー続く
ニュータウン内にある中川八幡山公園が都筑区なのは、1994年(平成6年)に横浜市が港北区と緑区の一部を分割して都筑区を新設したから。1983年(昭和58年)より入居が始まった港北ニュータウンは現在、港北区ではなく都筑区にあるというややこしい状況。
参考までに港北ニュータウンと、東京近郊のもうひとつの大きなニュータウンである多摩ニュータウンの位置図。
東横線を日吉で横浜市営地下鉄に乗り換える。
横浜市営地下鉄には2系統あってブルーラインとグリーンラインの愛称が付けられている。ブルーラインは1972年(昭和47年)に 伊勢佐木長者町駅 と上大岡駅間で開業。1976年には横浜駅までつながり、その後5回の延伸を経て1999年(平成11年)に現在の規模に。グリーンラインは2008年(平成20年)開業と新しい路線。主に港北ニュータウンの各地を結んでいる。
正式名称はブルーラインが横浜市営地下鉄の1号線と3号線。1号線が湘南台←→関内、3号線が関内←→あざみ野と区別されているが、湘南台←→あざみ野の直通運転なので実質的には同じ路線である。2号線は計画されたものの建設されずに欠番扱いで、そしてグリーンラインが4号線。4号線開業時にグリーンラインの愛称を設け、それに併せて1&3号線もブルーラインと名付けられた。
でもブルーラインとグリーンラインってややこしくない? 横浜市営地下鉄には滅多に乗らないので、その度にどっちがブルーでグリーンだったかわからずイラッとする。銀座線と丸ノ内線なら間違いようがないのに、ここのように似通ってかつ中身のないネーミングにするなんてアホとしか思えない。
また横浜市営地下鉄は1993年に開業した新横浜北駅を、1999年に北新横浜駅に変更している。新横浜駅と間違える乗客が多かったのがその理由。紛らわしいネーミングは使ってはいけないと、そのとき充分に学ばなかったらしい(/o\)
センター北駅で下車。このあたりは港北ニュータウンのタウンセンターと呼ばれており、その北側だからセンター北。
でも港北ニュータウンは大きく第1地区、第2地区、中央地区、その他に分かれている。そしてセンターとは中央なのに、タウンセンターは中央地区以外にも広がっていて、これまたややこしいネーミング。画像はhttps://tamaplaza.news/yokohama-kohoku-new-townから引用
関係ないけれどセンター南駅付近の住所は何と都筑区茅ケ崎!
もちろん茅ヶ崎といえば湘南しか思い浮かばない。東京に住み始めた頃、このあたりを初めてクルマで走っていて「茅ヶ崎コッチ」の道路標識を見て、いつの間にそんなところまで?、ひょっとして宇宙人のイタズラでワープした?とあせった経験がある(^^ゞ
なお湘南は茅ヶ崎、都筑区は茅ケ崎と微妙に書き方が異なる。
駅を降りるとキレイに整備された光景。
観覧車があってビックリした。
駅から出たところは2階部分。
ロータリーを見下ろしながら、
ペデストリアンデッキ(大型の歩行者通路、公共歩廊)を東に進む。
地上に降りて、
この先のコーナーを
曲がると、小高い丘となっている中川八幡山公園が見えてきた。
脇道で公園に入り丘を登っていく。
ここまで駅から徒歩10分。
あっドングリ、久しぶりと思って写真を撮った後、
よく見たら辺り一面ドングリだらけだった(^^ゞ
ススキを眺めながら、
さらに登る。
かすかにロウバイの香りを感じて、
見上げると視界の先に黄色い花が。
しかし階段は徐々にロウバイから離れて左にそれていき、
斜面を上がった場所にはウメが咲いていた。
めでたく今年の初ウメ!
ロウバイしか頭になかったので想定外の出来事にテンション上昇。
青空を背景に白梅が映える。
まだ咲き始めでツボミもたくさん。
ただウメは数本でそれほど多くなかった。
ーーー続く
2025年02月03日
新宿御苑で白いサザンカと真っ白なスイセン その3
「その3」は地図でブルーの線を引いたルート。
コブクザクラやジュウガツザクラなどの冬桜があった先のクラシックな建物。
前からこれは何か気になっていた。
近づくと旧洋館御休所との表示。
新宿御苑の沿革を大雑把に書けば
江戸時代は信濃の高遠藩(たかとお・はん)内藤家の大名屋敷。
1868年に明治維新。
1872年(明治5年)に政府は大名屋敷の敷地跡と周りの土地を合わせて、
近代農業振興を目的とする「内藤新宿試験場」を設置。
ちなみに大名屋敷9万5000坪、周りの土地8万3000坪だったから、
新宿御苑は元大名屋敷だった場所というのはあまり正確じゃない。
1877年(明治10年)試験場内に農業教育施設が開校。
ただしなぜか翌年に駒場(目黒区)へ移転。
それが後に東京大学農学部や東京農工大学の前身となる。
1879年(明治12年)試験場の業務が三田育種場(港区の芝あたり)に移転。
同時に試験場は皇室に献上され、名称を植物御苑に改める。
以前に内藤新宿試験場が、日本の農業近代化に果たした役割は数え切れないと何かで読んだ記憶がある。でもたった7年の歴史しかないのに驚いた。7年でそんなに成果を上げられる?
でも次に記す庭園への改装までは試験場としての機能をある程度は持っていたのかも知れない。それだと29年間になる。
1901年(明治34年)に庭園へ改装する5年間の工事が始まる。
1906年(明治39年)皇室の御料地としての新宿御苑として完成する。
太平洋戦争中は芝生部分が開墾されて農耕地になる。
空襲で旧御凉亭と旧洋館御休所以外の施設はすべて焼失。
1945年(昭和20年)終戦
1949年(昭和24年)国民公園新宿御苑として一般に公開。
旧洋館御休所は、ここが皇室の植物御苑になった17年後の1896年(明治29年)に建てられ、その後の増改築で1924年(大正13年)にほぼ現在の姿になったとされる。植物御苑・新宿御苑を訪れた天皇や皇族の休憩所として使われた。解説看板の英文はImperial Rest Houseとなっており平民は立ち入り不可だな。御休所の読みは「ごきゅうしょ」。でも「みやすどころ」のほうが雰囲気が出ると思うゾ。
また大正時代以降は芝生部分がゴルフコースとしても利用されていたので、そのクラブハウスの役割も果たしていたようだ。そういえば1937年(昭和12年)まで皇居の中にもゴルフコースがあった。やんごとなき皆様は意外にもゴルフがお好き?
去年の春に横浜山手の西洋館巡りをした。神戸北野の異人館と違って横浜山手の建物は大正・昭和のものがほとんどで、最も古い建物でも明治43年竣工。だからこの旧洋館御休所のほうが古い。
では内部の見学をと思ったら靴を脱がないといけなくて回れ右。どうも私はこういうところで靴を脱ぐのが嫌い。洋館なのだからそのまま入れるようにして欲しい。
旧洋館御休所の隣に、
デザインや色を似せて建てられている公園の管理事務所。
その先にある大きな温室。
新宿御苑には何度も来ているのにまだ入ったことがない。
今回も温室に入ったら、出てきたときに寒そうな気がしてーーー
そして暖かい季節だと、温室の中は暑いからやめようと言うが私(^^ゞ
広々とした空間。
何度も書くけれどここは新宿駅より徒歩10分!
次は日本庭園に向かう。
ここは日本庭園の一番東側。
ここのマツは変わった形に剪定されている。
これを目当てに日本庭園までやって来た。
今までこのマツは夏目漱石が坊ちゃんの中で「画家ターナーが描いた松」と書いた「ローマでよく見られる形のマツ」の背丈の低い版だと思っていた。
しかしさにあらず。
これは多行松(タギョウショウ)と呼ばれるクロマツを土台に赤松を接木した園芸品種。英語ではジャパニーズ・アンブレラ・パイン。まさに傘を開いたような形をしている。でも高野槇(コウヤマキ)も英語名はジャパニーズ・アンブレラ・パインで同じ。そちらは傘を少しだけ開いたような形。
また多行松とほぼ同じ形の美松(ウツクシマツ)という天然品種もある。これは滋賀県湖南市にしか生息しておらず天然記念物に指定されている。
マツもなかなか奥が深いね。
普通の形のマツも植えられている。
やはりちょっとクネっとしているのがマツらしいかも。
日本庭園から南に下がって「中の池」沿いを散策。
私の好きなコンモリした形に剪定されたツツジ山を横目で眺めて。
またスイセンがあったけれどここはほとんど開花していなかった。
そして見えてきました!
実は新宿御苑で一番好きな冬のプラタナス。
まずはプラタナス並木が挟んでいるバラ園を。
真冬なのにいくつか咲いていた。
この季節にバラを見られてうれしいような、でもポツンポツンとだけ咲いているバラを眺めるのは、かえってちょっと寂しいような。
このスズランが巨大化したようなのはアツバキミガヨラン。なんとも読みにくい名前だが漢字で書くと「厚葉君が代蘭」。葉が厚くまた品種としては蘭の一種なので、それはわかるとしてなぜに君が代?
調べてみるとアツバキミガヨランの学名はYucca gloriosa(ユッカ・グロリオサ)。gloriosaはラテン語で「誉れ、栄光の」などの意味。英語でならglory(グローリー)に当たる。それを天皇の治世を示す「君が代」に掛けたというのが通説。誰が考えたんだろうね。それにしても元は皇室の御料地だった新宿御苑で、君が代の名前がつく花を見るのも何かの縁。
バラ花壇の両サイドにプラタナスの並木がある。
なぜか葉を落とした冬のゴツゴツした姿が大好き。
ここ新宿御苑のプラタナスは他の場所より異様さが際立っている。
どうよ、このゴツゴツぶり!
スイセンが思ったより咲いていなくて落ち込んでいた気分がすっかり晴れた(^^ゞ
どうしてこの姿が好きなのか自分でもよくわからないのだが(^^ゞ
最後にアツバキミガヨランとバラとプラタナスのスリーショット写真。
今まで新宿御苑を訪れたのは、ロウバイ、スイセン、ウメ、サクラ、ツツジを見るためと冬から春にかけての季節。そして来る度に四季折々に訪れようと思うのに果たせていない。今年こそはと誓いを新たにしつつ帰路につく。
おしまい
コブクザクラやジュウガツザクラなどの冬桜があった先のクラシックな建物。
前からこれは何か気になっていた。
近づくと旧洋館御休所との表示。
新宿御苑の沿革を大雑把に書けば
江戸時代は信濃の高遠藩(たかとお・はん)内藤家の大名屋敷。
1868年に明治維新。
1872年(明治5年)に政府は大名屋敷の敷地跡と周りの土地を合わせて、
近代農業振興を目的とする「内藤新宿試験場」を設置。
ちなみに大名屋敷9万5000坪、周りの土地8万3000坪だったから、
新宿御苑は元大名屋敷だった場所というのはあまり正確じゃない。
1877年(明治10年)試験場内に農業教育施設が開校。
ただしなぜか翌年に駒場(目黒区)へ移転。
それが後に東京大学農学部や東京農工大学の前身となる。
1879年(明治12年)試験場の業務が三田育種場(港区の芝あたり)に移転。
同時に試験場は皇室に献上され、名称を植物御苑に改める。
以前に内藤新宿試験場が、日本の農業近代化に果たした役割は数え切れないと何かで読んだ記憶がある。でもたった7年の歴史しかないのに驚いた。7年でそんなに成果を上げられる?
でも次に記す庭園への改装までは試験場としての機能をある程度は持っていたのかも知れない。それだと29年間になる。
1901年(明治34年)に庭園へ改装する5年間の工事が始まる。
1906年(明治39年)皇室の御料地としての新宿御苑として完成する。
太平洋戦争中は芝生部分が開墾されて農耕地になる。
空襲で旧御凉亭と旧洋館御休所以外の施設はすべて焼失。
1945年(昭和20年)終戦
1949年(昭和24年)国民公園新宿御苑として一般に公開。
旧洋館御休所は、ここが皇室の植物御苑になった17年後の1896年(明治29年)に建てられ、その後の増改築で1924年(大正13年)にほぼ現在の姿になったとされる。植物御苑・新宿御苑を訪れた天皇や皇族の休憩所として使われた。解説看板の英文はImperial Rest Houseとなっており平民は立ち入り不可だな。御休所の読みは「ごきゅうしょ」。でも「みやすどころ」のほうが雰囲気が出ると思うゾ。
また大正時代以降は芝生部分がゴルフコースとしても利用されていたので、そのクラブハウスの役割も果たしていたようだ。そういえば1937年(昭和12年)まで皇居の中にもゴルフコースがあった。やんごとなき皆様は意外にもゴルフがお好き?
去年の春に横浜山手の西洋館巡りをした。神戸北野の異人館と違って横浜山手の建物は大正・昭和のものがほとんどで、最も古い建物でも明治43年竣工。だからこの旧洋館御休所のほうが古い。
では内部の見学をと思ったら靴を脱がないといけなくて回れ右。どうも私はこういうところで靴を脱ぐのが嫌い。洋館なのだからそのまま入れるようにして欲しい。
旧洋館御休所の隣に、
デザインや色を似せて建てられている公園の管理事務所。
その先にある大きな温室。
新宿御苑には何度も来ているのにまだ入ったことがない。
今回も温室に入ったら、出てきたときに寒そうな気がしてーーー
そして暖かい季節だと、温室の中は暑いからやめようと言うが私(^^ゞ
広々とした空間。
何度も書くけれどここは新宿駅より徒歩10分!
次は日本庭園に向かう。
ここは日本庭園の一番東側。
ここのマツは変わった形に剪定されている。
これを目当てに日本庭園までやって来た。
今までこのマツは夏目漱石が坊ちゃんの中で「画家ターナーが描いた松」と書いた「ローマでよく見られる形のマツ」の背丈の低い版だと思っていた。
しかしさにあらず。
これは多行松(タギョウショウ)と呼ばれるクロマツを土台に赤松を接木した園芸品種。英語ではジャパニーズ・アンブレラ・パイン。まさに傘を開いたような形をしている。でも高野槇(コウヤマキ)も英語名はジャパニーズ・アンブレラ・パインで同じ。そちらは傘を少しだけ開いたような形。
また多行松とほぼ同じ形の美松(ウツクシマツ)という天然品種もある。これは滋賀県湖南市にしか生息しておらず天然記念物に指定されている。
マツもなかなか奥が深いね。
普通の形のマツも植えられている。
やはりちょっとクネっとしているのがマツらしいかも。
日本庭園から南に下がって「中の池」沿いを散策。
私の好きなコンモリした形に剪定されたツツジ山を横目で眺めて。
またスイセンがあったけれどここはほとんど開花していなかった。
そして見えてきました!
実は新宿御苑で一番好きな冬のプラタナス。
まずはプラタナス並木が挟んでいるバラ園を。
真冬なのにいくつか咲いていた。
この季節にバラを見られてうれしいような、でもポツンポツンとだけ咲いているバラを眺めるのは、かえってちょっと寂しいような。
このスズランが巨大化したようなのはアツバキミガヨラン。なんとも読みにくい名前だが漢字で書くと「厚葉君が代蘭」。葉が厚くまた品種としては蘭の一種なので、それはわかるとしてなぜに君が代?
調べてみるとアツバキミガヨランの学名はYucca gloriosa(ユッカ・グロリオサ)。gloriosaはラテン語で「誉れ、栄光の」などの意味。英語でならglory(グローリー)に当たる。それを天皇の治世を示す「君が代」に掛けたというのが通説。誰が考えたんだろうね。それにしても元は皇室の御料地だった新宿御苑で、君が代の名前がつく花を見るのも何かの縁。
バラ花壇の両サイドにプラタナスの並木がある。
なぜか葉を落とした冬のゴツゴツした姿が大好き。
ここ新宿御苑のプラタナスは他の場所より異様さが際立っている。
どうよ、このゴツゴツぶり!
スイセンが思ったより咲いていなくて落ち込んでいた気分がすっかり晴れた(^^ゞ
どうしてこの姿が好きなのか自分でもよくわからないのだが(^^ゞ
最後にアツバキミガヨランとバラとプラタナスのスリーショット写真。
今まで新宿御苑を訪れたのは、ロウバイ、スイセン、ウメ、サクラ、ツツジを見るためと冬から春にかけての季節。そして来る度に四季折々に訪れようと思うのに果たせていない。今年こそはと誓いを新たにしつつ帰路につく。
おしまい
2025年02月02日
新宿御苑で白いサザンカと真っ白なスイセン その2
「その2」は地図でピンクの線を引いたルート。
赤と白とピンクのサザンカ、地球外生命体のようなラクウショウの呼吸根を東側の外周路で見た後に、巨木で少し原生林の雰囲気を味わいながら中央部に戻り(前回:黄色の線のルート)、それを抜けたところにあるのがレストランゆりのき。
その前に新宿御苑で一番広いスイセン畑がある。よく見るスイセンは花びらが白くて中央部が黄色だが、ここに植えられているのは中央部も白いペーパーホワイトという品種。
新宿口を入ってすぐのところにあるスイセンが、ほとんど咲いていなかったのを「見なかったこと」にしたが、ウン、やっぱりここでもほんのわずかしか咲いていない。広く撮ると写真を拡大しないとわからないレベル(/o\)
公式エックスに「スイセンが咲き始めた」とポストされたのが1月11日。満開の1/3位にはなっているだろうと思って訪れたのが1月26日。ちょっと見通しが甘かった。ちなみに昨日2月1日に「見頃を迎えた」とポストされていた。1週間でここが満開になるとは思えないから、今で満開の1/3位なのだと思う。
わりとたくさん咲いているところを狙って。
ズームして。
普通の中央部が黄色いスイセンと較べると清楚で可憐な印象で惹かれるものがある。でもよく見たらスイセンは花の形自体はありきたり。中央部が黄色いスイセンを比較してこのペーパーホワイトがよく見えるのか、すべてのスイセンが真っ白でも魅力的なのかなビミョーなところ。なおペーパーホワイトは品種改良した園芸種ではなく野生種。
写真で部分を切り取るとあたかもスイセンを満喫したように見えてしまうので、戒めのために?ほとんど咲いていない光景をもう1枚。また奥に生け垣が見えている。ここは全体が生け垣に囲まれておりスイセンに近づけないのも難点。
間違って生け垣の中から伸びてきたスイセン。
しかし種のできる植物なら風で舞って生け垣の下に落ちるのもあり得るとして、スイセンは球根植物なのにどうしてこんな場所で成長したのかナゾ。
中央部が黄色いニホンズイセンも少しあった。
なぜか日本水仙は「ズ」と音が濁る。
名前に日本とあるがスイセンの原産地は地中海沿岸からアジア中部。ニホンズイセンも中国からもたらされたスイセンが日本で野生化したもの。海外にもこの品種があるのか、ニホンズイセンと呼ばれているのかはわからなかった。
芝生広場(地図で薄いグリーンになっている場所)を横切って北に進む。写真上は西、下は東を向いた光景。芝生がグリーンじゃないので風景は寒々しくても、この日は風はあったものの日差しは強くてそれほど寒くなかった。
芝生広場を抜けて新宿口より続く外周路に出る。
ここにもスイセンが植えられていて、レストラン前よりは多く咲いていた。
福寿草のプレートがあったのに姿は見当たらず。
公式エックスによれば開花したのは1月28日。
1/4ほどの開花状況。
これくらい咲いていればスイセンを見て来たと言ってもいいでしょう。
少し先の通路沿いに生け垣のないエリアが。写真はズームさらにトリミングしたりして大きくできても、クンクンはこういう場所じゃないとできない。
しかしこの日は風が強くてあまり香りを楽しめず。
でも間近で見られたからヨシとしよう。
いい香りのニホンズイセンと違って、
ペーパーホワイトはちょっと臭い(>_<)
外周路の内側にも生け垣で囲まれてスイセンが植えられている。
回り込んでたくさん咲いているところを探す。
ようやくボリューム的に満足できた。
スイセンの近くで咲いていたコブクザクラ。花一輪につきサクランボが複数なって、子宝に恵まれるとみなされたのが名前の由来。
花はイマイチ。
それを過ぎた当たりにジュウガツザクラ。
こちらのほうが花はきれいだった。
子福桜も十月桜も二期咲きのサクラ。開花期は春と、秋から冬。春に咲くのは当たり前だから冬桜というジャンルに分類される。秋冬期間は花数を増やしたり減ったりさせながら長く咲き続けるらしい。今はスカスカだけれど春になったら木の全体に花が咲くのかな。でも花のサイズはかなり小さいので他のサクラの満開とはイメージが違う気がする。
ジュウガツザクラの向かいにロウバイ。
新宿口近くにあったのと同じソシンロウバイで、同じく花数が極端に少ない。
ほとんどの人は見向きもしないで素通り(>_<)
前回に書いたように地面に花が落ちた様子はないしツボミも少ない。
どうして新宿御苑のロウバイはこんなに花数が少ないのか不思議。
とりあえずキレイなところだけを写真に収めましょう。
ーーー続く
赤と白とピンクのサザンカ、地球外生命体のようなラクウショウの呼吸根を東側の外周路で見た後に、巨木で少し原生林の雰囲気を味わいながら中央部に戻り(前回:黄色の線のルート)、それを抜けたところにあるのがレストランゆりのき。
その前に新宿御苑で一番広いスイセン畑がある。よく見るスイセンは花びらが白くて中央部が黄色だが、ここに植えられているのは中央部も白いペーパーホワイトという品種。
新宿口を入ってすぐのところにあるスイセンが、ほとんど咲いていなかったのを「見なかったこと」にしたが、ウン、やっぱりここでもほんのわずかしか咲いていない。広く撮ると写真を拡大しないとわからないレベル(/o\)
公式エックスに「スイセンが咲き始めた」とポストされたのが1月11日。満開の1/3位にはなっているだろうと思って訪れたのが1月26日。ちょっと見通しが甘かった。ちなみに昨日2月1日に「見頃を迎えた」とポストされていた。1週間でここが満開になるとは思えないから、今で満開の1/3位なのだと思う。
わりとたくさん咲いているところを狙って。
ズームして。
普通の中央部が黄色いスイセンと較べると清楚で可憐な印象で惹かれるものがある。でもよく見たらスイセンは花の形自体はありきたり。中央部が黄色いスイセンを比較してこのペーパーホワイトがよく見えるのか、すべてのスイセンが真っ白でも魅力的なのかなビミョーなところ。なおペーパーホワイトは品種改良した園芸種ではなく野生種。
写真で部分を切り取るとあたかもスイセンを満喫したように見えてしまうので、戒めのために?ほとんど咲いていない光景をもう1枚。また奥に生け垣が見えている。ここは全体が生け垣に囲まれておりスイセンに近づけないのも難点。
間違って生け垣の中から伸びてきたスイセン。
しかし種のできる植物なら風で舞って生け垣の下に落ちるのもあり得るとして、スイセンは球根植物なのにどうしてこんな場所で成長したのかナゾ。
中央部が黄色いニホンズイセンも少しあった。
なぜか日本水仙は「ズ」と音が濁る。
名前に日本とあるがスイセンの原産地は地中海沿岸からアジア中部。ニホンズイセンも中国からもたらされたスイセンが日本で野生化したもの。海外にもこの品種があるのか、ニホンズイセンと呼ばれているのかはわからなかった。
芝生広場(地図で薄いグリーンになっている場所)を横切って北に進む。写真上は西、下は東を向いた光景。芝生がグリーンじゃないので風景は寒々しくても、この日は風はあったものの日差しは強くてそれほど寒くなかった。
芝生広場を抜けて新宿口より続く外周路に出る。
ここにもスイセンが植えられていて、レストラン前よりは多く咲いていた。
福寿草のプレートがあったのに姿は見当たらず。
公式エックスによれば開花したのは1月28日。
1/4ほどの開花状況。
これくらい咲いていればスイセンを見て来たと言ってもいいでしょう。
少し先の通路沿いに生け垣のないエリアが。写真はズームさらにトリミングしたりして大きくできても、クンクンはこういう場所じゃないとできない。
しかしこの日は風が強くてあまり香りを楽しめず。
でも間近で見られたからヨシとしよう。
いい香りのニホンズイセンと違って、
ペーパーホワイトはちょっと臭い(>_<)
外周路の内側にも生け垣で囲まれてスイセンが植えられている。
回り込んでたくさん咲いているところを探す。
ようやくボリューム的に満足できた。
スイセンの近くで咲いていたコブクザクラ。花一輪につきサクランボが複数なって、子宝に恵まれるとみなされたのが名前の由来。
花はイマイチ。
それを過ぎた当たりにジュウガツザクラ。
こちらのほうが花はきれいだった。
子福桜も十月桜も二期咲きのサクラ。開花期は春と、秋から冬。春に咲くのは当たり前だから冬桜というジャンルに分類される。秋冬期間は花数を増やしたり減ったりさせながら長く咲き続けるらしい。今はスカスカだけれど春になったら木の全体に花が咲くのかな。でも花のサイズはかなり小さいので他のサクラの満開とはイメージが違う気がする。
ジュウガツザクラの向かいにロウバイ。
新宿口近くにあったのと同じソシンロウバイで、同じく花数が極端に少ない。
ほとんどの人は見向きもしないで素通り(>_<)
前回に書いたように地面に花が落ちた様子はないしツボミも少ない。
どうして新宿御苑のロウバイはこんなに花数が少ないのか不思議。
とりあえずキレイなところだけを写真に収めましょう。
ーーー続く