2025年03月

2025年03月31日

小惑星の話の続き その2

小惑星2024YR4は地球から82万8800km=月との距離の2.16倍のところで発見された。逆にいえば、その位置に来るまで発見されなかった。仮に衝突コースの軌道を進んでいた場合、6万1200kmで移動している2024YR4が、そこから地球に衝突するまでわずか13時間半しかない。


地球に接近してくる小惑星が、
どのあたりで見つかっているのか過去の事例を探すと

 2012年 2012 LZ1 直径500m 最接近の4日前に発見
      最接近時の地球との距離540万キロkm これは月との距離の14倍

 2013年 3月2日のブログでも紹介したチェリャビンスク隕石 
      直径17m 落ちてくるまで気付かれず

 2023年 2023 BU 直径3.5〜8.5m 最接近の5日前に発見
      最接近時の地球との距離3589km

 2023年 2023 NT1 直径60m 最接近の2日後に発見 発見された位置は、 
      地球から月までの距離の約4分の1に相当する10万230km

 2024年 2024 XA  直径1.3〜2.8m 
      発見の5時間後に最接近 地球との距離わずかに1355km
      ちなみに人工衛星が回っているのは高度200kmから3万6000lm

 2024年 2024 XA1 直径0.7〜1.5m 発見から約12時間後に地球と衝突

他にもたくさんあって調べきれない。しかしPHAが140m以上の基準を設けている理由は別として、どうやら大都市壊滅級の小惑星でも早期発見は容易ではなく、(衝突コースなら)発見されたときには既に手遅れが現実のようだ(/o\)

もっとも2024YR4の大きさを100mと大きめに見積もっても、最接近距離82万8800kmとの比率は、東京から1000km離れた知床半島で12cmのものを探すのと同じ。そりゃ難しいか、しかも探すのは真っ暗な宇宙だし。

なお上の事例だけを見るとしっかり観測・監視されているように思えるものの、地球に突入してきた小惑星で2024XA1のように事前に発見されていた事例は、天体観測史上わずかに11件しかない。チェリャビンスク隕石のように落ちてきた初めて存在を知るケースがほとんど。だから発見して半日後には衝突、場所によっては大惨事というのは、あり得なくはない話なのである。



その小惑星はどれくらいの頻度で地球に向かってくるのか。

星は宇宙に漂うさまざまな粒子が衝突・合体を繰り返し巨大化した天体。そのサイズまで至らなかったり、ほとんど石コロのままでいるのが小惑星。それが地球に突入してきて大気圏で燃え尽きるのが流星で、その中で特に明るいのが火球(たまにUFOと間違われるヤツ)。そして燃え尽きずに地上まで落ちてきたのは隕石と呼び名が変わる。

大気中で燃え尽きる流星のサイズは数mmから数cm程度で、星屑や星のカケラとも呼べないくらいに小さい。なお燃え尽きるといっても、その燃えかすが数十から数百マイクロメートルの微粒子となり大気中を漂って地表に落ちてくる(1マイクロメートルは1mmの1/1000)。その見積もり量はなんと年間で5000トン。だから流星は四六時中無数に落ちてきているといえる。夜に限っても目に見えるほど光る流星はその中のごくわずか。肩から払ったチリに流星の燃えかすがのっていたかも知れないね(^^ゞ


流星の段階で燃え尽きずに地表まで到達したのが隕石。大気圏突入時に何センチ以上なら燃え尽きずに隕石となるのかはよくわからなかった。大きさと共に成分も関連するはず。また発見された隕石のサイズ分布も資料なし。

その隕石も推定で年間2万個が地表に落ちている。発見されるのはそのうち10個未満。ただしこれはどの程度の大きさ以上を隕石と見なしているかにもよるはず。数ミリ角のものだってあるはずで、そんなサイズなら自宅の庭に落ちても見つけられないだろう。

それは別として2万個のうち10個未満しか発見されないのは、陸地は地球の3割だし、都市部はその3割の1%ほどに過ぎないのがその理由。陸地に落ちてもほとんどが人知れずな僻地。そう聞くと今後に大型の小惑星が衝突しても大丈夫と安心するけれど、日本では5年に1回の割合で隕石落下が確認されている。それは日本の人口密度が高いからで、それだけ小惑星衝突のリスクも高いのを意味している(/o\)

41流れ星

さて上空で燃え尽きる流星や石コロレベルの隕石について
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

問題は大型の小惑星(というと表現が矛盾してしまうが)いわゆる巨大隕石。
一説によると大きさと頻度の関係は

  直径1m   2週間に1度       重大な影響なし
  直径5m   数年に1度        重大な影響なし
  直径20m   50年から数100年に1度  強い爆発
  直径100m  1万年に1度        都市の破壊
  直径1km   50〜100万年に1度    地域の破壊
  それ以上   1〜3億年に1度      気候変動、大量絶滅

と考えられているらしい。

ただしこの何年に1度の割合との表現はくせ者。100年に1度なんていわれると、ほとんどそんな事態は起きない〜安心と考えがちだが、確率的にはそれは明日かも知れないし100年後かも知れないとの意味である。

それに何年に1度とは過去の期間を過去の回数で割ったものである。
2014年にこんなことがあった。

  2月6日に東京都心で26センチの積雪となり、
  ニュースでは40年振りの大雪と騒がれた。
  40年振りとは40年に1度ともいえる。
  しかし2月14日には27センチ積もって記録更新!
  40年に1度とわ?(^^ゞ

ところで
年末ジャンボ宝くじの1等当選確率は2000万分の1で、パーセントでなら0.000005%。これは飛行機に438年間(秀吉の時代から)毎日搭乗すれば1度は事故に遭うとされる確率の0.0009%より180倍も低い。それでも毎年20人以上が7億円、運がよければ前後賞併せて10億円をゲットしていてウラヤマシイぞ。

なんだけれどーーー
米テュレーン大学の計算によると、人が一生の間に隕石の直撃で死亡する確率は160万分の1。なんと宝くじが当たるより隕石に当たる確率のほうが高い!(一生と年に1回の確率を較べてはいけないが)


例によってあれこれと話がそれたが、
頭にゴツンと直撃するのか都市の壊滅に巻き込まれるのかは別として、

  小惑星との衝突によって死ぬ確率は宝くじが当たるより高く
  ほとんどの場合にそれは前触れなく突然やってくるか
  あるいは事前に察知できても避難する時間的余裕がない

というリスクが人生にはつきものと、
だったらドウシタなオチでゴメン。
とりあえず明日も小惑星が衝突コースで急速接近中のニュースが流れませんように(^^ゞ




おしまい

wassho at 22:11|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2025年03月30日

小惑星の話の続き

2月20日に「小惑星との衝突まであと7年と306日」のブログを書いたら、2月25日には地球との衝突確率が0.0017%まで下がってほとんど意味のない数字に。それでも最初のブログのときにあれこれ調べた内容で続編をふたつ付け加えた。

  2月20日:小惑星との衝突まであと7年と306日
  2月26日:とりあえず小惑星「2024 YR4」の衝突確率はほぼ消滅
  3月02日:とりあえず小惑星「2024 YR4」の衝突確率はほぼ消滅 その2

もう既に誰も2024YR4のことなど話題にしていないが、
今回は2月26日に少し触れた

   「ところで前回のブログを書いたときに、
    いろいろ調べていたら衝撃的な事実を発見した(ちょっと大げさ)」

についての書き足し。

40小惑星接近

<その1 危険視されているのは直径140mから>

火星と木星の間には小惑星帯と呼ばれるエリアがあり、無数の小惑星がそこで地球と同じように太陽の回りを公転している。でもときおり木星の重力によって軌道を乱されて地球に向かってくる小惑星が現れる。今回の2024YR4もそのひとつ。

それらの小惑星と、地球に接近する軌道を持つ彗星は総称してNEO(ネオ:Near-Earth Objects:地球近傍天体または地球接近天体)と呼ばれている。その数は推定で2万5000個。なぜか最新の数字が見つからないのだが、2013年6月に1万個目の小惑星「2013 MZ5」が発見されている。

その中で地球にとって特に危険な小惑星がPHA(Potentially Hazardous Asteroid:潜在的に危険な小惑星)と分類される。2012年時点で登録されているのは1331個。(それにしてもこの時代になぜ10年以上前の数字しか見つからないのだ。それ以降に発見されていないとも考えづらいが)

PHAに該当する条件は

  その公転軌道が地球の公転軌道と交差する
  地球から0.5天文単位に接近する
  (天文単位=地球と太陽との平均距離=1億5000万キロ)

この0.5天文単位に接近するの意味がよくわからない。公転軌道が交差するなら、いつかは必ず衝突するはずなのに。ひょっとしたら「数百年以内に」などの前提がついているのかも知れない。

それはさておき、
PHA該当のもうひとつの条件が

  直径が140m以上

意外だと思ったひとつめがこれ。
ミニマムサイズが大きすぎない?


2024YR4が地球に衝突したらどうなるかについて2月20日のブログを引用すると、
■■■■■
2024YR4は秒速17km=時速6万1200km=なんとマッハ51!で落ちてくるとの推定。そして地上に衝突した際の運動エネルギーはほぼすべて熱エネルギーに変換されるらしい。都市部に落ちた場合をイメージしやすいように東京で例えると、原爆3300倍の爆発によって23区内は焼け野原ならぬ溶け野原になって消滅。その熱と衝撃波が周辺に広がって、東京駅から半径70kmの首都圏は今まで経験した震災・津波被害の比ではないレベルに破壊されるのではないか。それだけのエリアを復旧復興する経済力はどんな国にもないから、被災地は放棄になる可能性もある。住んでいた人もいなくなるわけだし。想像を絶するとはまさにこのこと。
■■■■■

その2024YR4は直径が40〜90mなのでPHAに該当しない。東京23区相当の面積が溶け野原になる程度の被害規模は、天文学のスケールではたいしたことないのかな。

それとどうして140mなんて中途半端な数字? 最初は、こういうのを取り仕切っているのはたいていNASAだからアメリカの単位に合わせたのかと思った。しかし140mは153ヤード、459フィートとどの単位でも中途半端。

何となく解せなかったものの、ひょっとしたらこれは観測の限界が140mあたりなのかとも思えてきた。それに関連したのがふたつ目の発見で、これはちょっとだけ衝撃的。



<その2 発見からたった13時間半で地球に衝突する>

2024YR4は地球に昨年の12月25日に最接近した。ただし発見されたのは最接近2日後の12月27日。12月25日に最接近したとは発見後の軌道観測を逆計算した結果。どうして最も近い位置ではなく、少し離れたところで発見されたのかは当時の記事にはなかったように思う。

最接近したとき地球との距離は82万8800kmで、これは月との距離の2.16倍。つまりこれくらい近くまで来ないと直径40〜90mの小惑星は発見できない(場合もある)のだ。これがどれくらいヤバイかというと2024YR4のスピードは時速6万1200kmだから

  82万8800km ÷ 6万1200km= 13.567

2024YR4が衝突コースだった場合、それは発見からわずか13時間半後!

もし東京に落ちてくるなら首都圏より外側に避難しなければならない。東京の人口は1398万人、首都圏全体では4434万人。それだけの人数が13時間半以内に首都圏外まで避難するのは絶対に無理。というか10万人だって不可能なはず。

実際にそんな事態になったらどうしようか。

ニュースを知ったときに運良く新幹線のそばにいれば、切符がなくても即座に無理やり飛び乗るのが最も確実な行動。でもそんなに都合よく行かないだろうから、♪♪盗んだバイクで走り出す〜が次の作戦になるな。そして渋滞を避けるため中央道か関越道の上り車線(東京行き)を逆走して逃げると思う。だからクルマではなくバイク。ただそれだって、幸運にもガソリン満タンで鍵がついたままになっているバイクが見つかればの話だけれど(^^ゞまあ小惑星が落ちれば溶け野原になって痛みも感じず即死なので、ジタバタせずにこれも運命と受け入れるかも知れない。




ーーー続く

wassho at 23:11|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2025年03月25日

固くなった伊右衛門

何ヶ月か前のお話。

スーパーに伊右衛門のバームクーヘンがあったので、
なんとはなしに買ってきた。

no title

食べた。
あまりおいしくなかった。
とてもまずいわけじゃないけれど、
何でもかんでも抹茶を入れればいいものではないな、というのが正直な感想。

バームクーヘンは小さくカットされて、
個別に包装されている。
写真はここをクリック

そのときは2つほど食べた。
その後は何となく食べる気が起きずそのまま放置。


3〜4週間が経った頃に、
ようやく残りに手を伸ばす。

食べた。
あれ?固くなっている。
乾燥して水分が抜けた感じ。
食感もボソボソ。


ナンジャコレと思ってパッケージを見てみる。
1IMG_7591


作っていたのはサントリーじゃなかった。
2IMG_7592


そこに衝撃の説明が。
個包装には穴が開けられている!
3IMG_7593


そして外装開封後は、

  個包装のまま密閉容器に入れる
  または外装を2〜3回折り曲げて空気が入らないようにして

冷蔵庫で保管しろとの指示。
4IMG_7594


え〜聞いてないよ〜(読んでないよ〜)
個別の包装がされていれば、外装を開封しても大丈夫だと思うじゃない。
お菓子の注意書きなんて普通は読まないでしょ。

個包装のフィルムはもう手元になく、穴の大きさがどの程度だったかは不明。それにしてもこれはバームクーヘン独特の包装方法なのか、あるいは抹茶入りだからなのか。個包装されたバームクーヘンは今までも食べたことがあるが固くなった記憶はない。もっともそれは外装を開いて数日で食べ終えたからかも知れない。


とりあえず抹茶入りのバームクーヘンを食べるときはご用心を。

wassho at 23:40|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2025年03月24日

プラタナスのゴツゴツ問題

新宿御苑の整形式庭園にはプラタナス並木があって、
冬は葉を落として節くれ立った枝がゴツゴツとむき出しになっている。
その姿になぜか惹かれるものがあると何度か書いた。
10-1

10-2


そして2月24日に林試の森へ河津桜の開花偵察に出かけた際、林試の森にあるプラタナスは新宿御苑のようにゴツゴツしていない〜同じ木には見えない〜考えてみれば新宿御苑のは見るからに異様だし、あれはちょっと変わった品種なのかなーーーとも書いた。
11-1

11-2


どうやらそのせいで脳にプラタナス・スイッチが入ったらしく、
最近はどこを歩いていてもやたらプラタナスが目につく(^^ゞ

それによって、まずは

  プラタナスはゴツゴツしているのがほとんどで、
  変わっているのは林試の森のプラタナスのほうである

へと考えが変わった。


ゴツゴツしている近くの公園のプラタナス。
12IMG_7566


駐車場のプラタナスもゴツゴツ。
13IMG_7570


別の公園のプラタナスもやはりゴツゴツ。
14IMG_7573


こちらのプラタナスだってゴツゴツ。
15IMG_7576

これだけゴツゴツがたくさんあるのなら、
やはりそれがノーマルと考えるのが自然。



ところでゴツゴツ写真の最初に載せた近所の公園には、
このように枝を縦に細く伸ばしたプラタナスもある。
16-0-IMG_7568

隣のプラタナスには枝がないのに何が違うんだろう?

ーーーと考え出したときに、ちょっと思い当たる節があったので、
過去の新宿御苑の写真を「月日順」に並べてみた。

2019年「1月14日」細い枝がある。
16-2019-1-14


2023年「2月26日」細い枝がない。
18-2023-2-26


2022年「4月17日」少し葉が出ているのに細い枝はない。
話はそれるがプラタナスの若葉はキレイだね。
19-2022-4-17-1

20-2022-4-17-2

最初は暖かくなると細い枝を伸ばして、それに葉が茂るのだろうと考えていた。しかし「1月14日」に枝があって「2月26日」に枝がないのは矛盾する。さらに「4月17日」の写真を見ると葉は出ているのに細い枝はない。したがって縦に細く伸ばした枝に葉が茂る説は却下。

どうして枝が縦に細く伸びるプラタナスと、そうでないプラタナスがあるのか。そして年によってその枝があったりなかったりするのか?



またプラタナスのもうひとつの魅力は樹皮の色が白いこと。林試の森のように他にたくさんの木がある中で、真っ白なプラタナスが現れると神秘的ですらある。
21

白い木で有名なのは白樺であるが、白樺は寒い地方か高原や山にしか生えていない。だから東京で見るプラタナスの白い姿は貴重。

白いのは樹皮が定期的に剥がれ落ちるからで一種の新陳代謝と考えられている。
その過程でまるで迷彩柄のようになっている場合も。
25-2019-1-14カモフラ柄


しかし街中で見かけたプラタナスには、
分厚そうな樹皮に覆われた木もあった。
30IMG_7580


細い枝を伸ばしたり伸ばさなかったり、樹皮が剥がれ落ちたり落ちなかったりーーーどうしてプラタナスはこんなにワガママなんだ(^^ゞ


少し調べようと思ったもののプラタナスの情報は意外と少ない。
Googleで検索して最初の2ページに現れた19件は

  植物のプラタナス 5件
  病院名 5件
  プラタナスのある公園などの紹介 3件
  福祉施設名 2件
  企業名 1件
  漫画、お菓子、本のタイトル 合計3件

だった。まあサクラやウメを好きな人はたくさんいても、プラタナスのファンなんて聞いたことがないからそんなものか。

それでもあれこれキーワード付け加えて調べてみたところ、縦に伸びる細い枝がないプラタナスは剪定で切り落とされているようだ。新宿御苑の写真では

 「1月14日」細い枝がある
 「2月26日」細い枝がない
 「4月17日」細い枝がない

だったが、当苑での剪定作業は1月後半から実施されるようで「1月14日」に枝があるのはそのためと思われる。ただし近所の公園に細い枝があるのとないプラタナスが混在している理由は不明。1本だけ予算が足りなくて剪定できなかったとも考えづらいし。


樹皮の色に関しては品種の違いかも知れない。

プラタナスは品種名ではなく、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称で全部で10品種ほどある。そのうち日本にあるのは

  スズカケノキ(西アジア原産)
  アメリカ・スズカケノキ(北米原産)
  モミジ・バ・スズカケノキ(スズカケノとアメリカ・スズカケノキの交配種)

この中でアメリカ・スズカケノキは樹皮があまり剥がれ落ちないみたい。


ただしここで重大発見!
先ほどのこの木はプラタナスじゃない可能性がある。
31IMG_7577

それは冬のイチョウも細い枝を剪定すればこんな姿になると気付いたから。
もっと暖かくなって葉が出てきたら要確認。


話が前後するが、林試の森のプラタナスがゴツゴツしていないのは品種の違いではなく、まったく剪定をしていなくて枝が伸びっぱなしで育っている可能性がある。

逆に街中で見るプラタナスは

  (1)本来の姿は幹の周りに枝が伸びる普通の樹形なのに
  (2)それを余り巨大化しないよう枝を幹の近くで短く切断
  (3)その短くなった枝から新しく細い枝が伸びてくる
  (4)その細い枝も葉が落ちたら剪定して(2)の形を維持する

とのサイクルで、あの姿になっているのではないか? 今までゴツゴツした姿に見とれて気が回らなかったものの、ゴツゴツしたプラタナスはどう考えても樹高に対して枝が短すぎるでしょ。

こうして最初に書いた
「変わっているのは林試の森のプラタナスのほう」の考えを見直し中。

もっともこれは「変わっている」を

  自然の姿に対して
  現実の多数に対して

のどちらで定義するかに左右される。それと幹の近くで短く切断した枝がどうしてゴツゴツ・クネクネしてくるのかまでを説明できないのも難点。

それはさておいて、仮説とした剪定サイクルがもし正しいとするならば、街中や公園で見かけるゴツゴツしたプラタナスは、街路樹などの用途=人間の都合に合わせて形を変えられた人工的な姿、ある種の奇形との結論になる。ちょっと気の毒にも思えてきた。


とにかく何かと謎多きプラタナスのゴツゴツ問題。
そのうちしっかりと調べましょう。

wassho at 22:48|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月20日

満開から18日後の河津桜

昨日は、3月2日に林試の森公園で河津桜が満開だったことを書いた。
今回はそれから18日が過ぎた本日3月20日春分の日の様子。
ブログがリアルの日付に追いついたのは久しぶり。


西側はまだ花がかなり残っている。
1IMG_7533


東側はほとんど葉桜。
2IMG_7535


メインの北側を時系列で。

2月24日 三分咲き
3-1 67330f6a

3月2日 満開
3-2 443f80fb

本日3月20日 五分咲きというか五分残り
3-3IMG_7536

河津桜は開花期間が長い。発祥の地である伊豆の河津町では、2月1日から3月10日あたりまで河津桜祭りをやっている。ソメイヨシノなんかはパッと咲いてパッと散るのも魅力のひとつ。まあサクラにもいろいろあっていいだろう。


iPhoneでピンク系の花をアップ撮ると、なぜか精気がなく色が死んでしまう。
他の色だとそうでもないのに不思議。
4IMG_7544


というわけで広い範囲を。
5IMG_7549


青空も忘れずに。
6IMG_7559


葉桜=新緑。
IMG_7555


ついでに近くに咲いていたツバキ。
IMG_7565

IMG_7563



本日までの最高気温と最低気温をグラフにして、
春の激しい気温変化を確認してみた。
気温推移グラフ

満開だった3月2日は最高気温が22.1度もあったのに、その2日後には最低気温が0.4度。まさにジェットコースター。中旬も15度を超える日はわずかしかない。そして昨日の最低気温は0.5度。東京都心でも北側は雪が軽く積もった。3月19日なのに(/o\)

本日の昼間は日差しが強くてそこそこ暖かく感じたものの、林試の森に入ったのは午後5時を回っていて気温はおそらく一桁台。公園内を歩くと「冬の森の匂い」がした。

  春よ来い来い
  早く来い

wassho at 22:48|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月19日

三分咲きから満開になった林試の森の河津桜

昨年の2月は暖かくて、自宅近くの林試の森で河津桜は2月20日に満開となった。寒かった今年の2月は、2月24日に偵察した時点でまだ三分咲き。しかし急激に気温が上昇する週間予報だったので、そのときのブログに満開は次の週末だろうと書いた。

さてどうなっているか。
3月2日に林試の森で答え合わせ。


西側より河津桜のある芝生広場に近づく。
今までにも書いているけれど、この広場に芝生はない。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

遠くからでも満開とわかる\(^o^)/
10-DSCF6948


東側に植えられている河津桜。
この木だけロープが張られて保護されている。
11-DSCF6950


そしてメインの北側(つまり南向き)はご覧の通り。
12-1DSCF6952


参考までにこれが2月24日の写真。
そのわずか6日後だから満開になるまで早いものだね。
12-2


1週間前と違ってお花見する人多数。
とはいってもほとんど地元民しか来ないのでそれほど混雑はしていない。
13-DSCF6961

14DSCF6957


林試の森に河津桜があると知ったのは2019年の3月末。もちろんその時期では見頃はとっくに終了。満開になる来年の2月には見に来るぞと当時のブログにも書いたのに、翌年になってコロッと忘れてしまい(/o\) 、2021年からは2月になったら「林試の森・河津桜」とパソコンに表示されるようにスケジュールソフトをセットしてある。

それ以来は毎年。
今年で5回目の満開を見られて幸せ。
20DSCF6967


少し見上げて、
21DSCF7020


もっと急角度で見上げて。
22DSCF6976


たくさんの花に、
23DSCF6972


近づきましょう。
25-DSCF6987

26-DSCF7023

27-DSCF7025

28-DSCF7026

やはりサクラはピンクでないとね。


お約束の逆光写真も忘れずに。
30DSCF6998



3月15日付けのブログに河津桜が植えられている場所は少ないと書いた。
しかし調べてみると河津桜の歴史は以外と浅いとわかった。

 1955年(昭和30年)、伊豆の河津町で、
 草むらで芽吹いていた1メートルほどの苗木が偶然発見される。
 発見者が自宅の庭に植えて育てたところ11年後の1966年に開花。

 調査の結果、オオシマザクラとカンヒザクラの交配種に、
 さらにカンヒザクラが交雑した新種と判明する。
 1974年に河津桜と命名され、翌年には河津町の木に指定。

 その頃より河津町では、河津川や河津駅周辺に200本あまりの植栽を始める。

 それらが成長した1991年(平成3年)に第1回河津桜まつりを開催。
 集まった観光客はわずか3000人(>_<)

 しかしその後、1997年に10万人、1999年には100万人を突破!
 現在は河津川沿いに850本、河津町内で8000本の規模!


私が河津桜をいつ知ったかもう記憶がないが、おそらく河津桜まつりが有名になった1997年から1999年頃だろう。伊豆にはこんなキレイな色のサクラがあるんだと興味を持ったのは覚えているものの、その歴史背景までは知らず、昔からあるサクラの品種だとばかり思っていた。

河津桜の名前が全国区になって約25年。それだけの年数で現在の状況は、よく広まったのかそうでないのかはなんとも言えないものの、とにかくもっと河津桜が見られる場所が増えて欲しいもの。50〜100本ほどの河津桜を眺めて身も心もピンクに染まりたい(^^ゞ



<おまけ>
芝生のない芝生広場(2回目)の外れにウメも少しだけある。
紅梅もあるのだがもう散ってしまった。
40-DSCF7029

42-DSCF7031

43-DSCF7032


wassho at 22:17|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月17日

代々木公園のウメとイベント

10-DSCF6849

河津桜を見た後は、
代々木公園にも少しだけウメがあるのでそちらに向かう。

クネクネとしていて暗闇で見たら恐ろしそうな木。
11-DSCF6851


ツバキが咲いていた。
花数は多かったのに状態のいい花が少なく残念。
12-DSCF6852

13-DSCF6853

14-DSCF6859


最初に歩いたソメイヨシノゾーンに戻る。
15-DSCF6863


舞い上がる落ち葉。
16-DSCF6866

これは何かというと代々木公園の下には地下鉄千代田線が走っていて、公園内にいくつも通風口がある。落ち葉のシーズンはそれを投げて舞い上がらせるのが、この公園での定番の遊び。私もやりたかったのに、この親子がなかなかどいてくれずガマン(^^ゞ



木立の下からウメがチラッと見えた。
17DSCF6865


代々木公園の梅園はここ。
18梅園位置


もっとも梅園というほどの規模でもない。
代々木公園の広さを考えれば申し訳程度の本数。
19-DSCF6916


植えられているのは、白とやや濃いめのピンクの2種類。
20-DSCF6870

21-DSCF6884

23-1DSCF6875

23-2DSCF6888



ところで写真には向かない逆光であるが、こうやって光が透けた状態を好んでときどき撮っている。(この写真は以前に別の場所で撮影したもの)
30-1

30-2


そして、この色のウメは逆光だとネオンのように光って見えるのを発見。
写真左は順光で右は45度程度の斜め逆光(木の影を見て)。
33


ウ〜ン写真ではわかりづらいかなあ。
肉眼でははっきり光って見えるのだけれど。逆光だけの写真でもう一枚。
35DSCF6911



最後に一番賑やかに咲いているウメを眺めて(これは順光)、
36DSCF6913


梅園を後にする。
37DSCF6912

わざわざこれを目当てに来るレベルの梅園ではないとしても、
河津桜を見に来たらついでに立ち寄ってもいいでしょう。



南門から歩道橋で競技場エリアへ。
正面に見えているビルはNHK。
40DSCF6925


井の頭通りの渋谷方向。
41DSCF6921


原宿方向は気まぐれで、
ズームレンズの広角側:35mm換算で27mm、画角76.5度。
42DSCF6924


ズームレンズの望遠側:35mm換算で206mm、画角12度。
43DSCF6922

35mm換算の説明は長くなるので省略。
その次の数字が小さければ広く写り、大きければ遠くが大きく写る。

こうやって見較べるとまずまずの望遠性能。でも花が少し遠くに咲いていると、この程度じゃ足りないケースがほとんど。広角側にも望遠側にももう少し伸びたズームレンズが欲しい。


競技場は工事中。もうトラックは取り除かれていた。なおすぐ隣にある「国立代々木競技場」と「代々木公園の陸上競技場」で名前が紛らわしい。間違ってやって来た選手もいるんじゃない?(^^ゞ
DSCF6926


歩道橋を降りたところはバスケットコート。
写真左に少し見えているのがサッカーやラグビーのためのグランド。
DSCF6927


グランドの横を通り過ぎて原宿側に移るとイベント広場がある。
何やら開催中。
DSCF6930


しかし出店テントにはナゾの表示がーーー
DSCF6931

DSCF6932


このイベント広場は去年の夏に「原宿スーパーよさこい2024」を見たところ。
DSCF6935


そのステージ横断幕で何のイベントかを理解。
DSCF6936

公式ホームページによると「日本のプロ農業者が集い“子どもと農業をつなぐ架け橋”として都会の子どもたちに元気なニッポン農業を発信するイベントです」とのこと。ところで「プロ」っていう必要ある?


少しだけ会場を見て回る。
でもキッズじゃないので参加は無理だね(^^ゞ
DSCF6937


この日は最高気温が19.7度。代々木公園を歩き回り、このウシさん店舗のジェラートに心引かれたものの長い行列で断念。
DSCF6938


ケヤキ並木に出る。
よさこいのパレード会場だった場所。
DSCF6940


丹下健三作の代々木体育館を眺めながら、
DSCF6942


ケヤキ並木は終了。
DSCF6946

ここは公園通りの最頂部。写真右側の縦長の窓がある建物は渋谷公会堂。代々木公園につながっていて公園通りなのだけれど、渋谷で遊んだり買い物したりでここまで上がってくることはないから、公園通りと代々木公園が結びついていない人は多い。

この後は久しぶりに公園通りを一番上から渋谷駅まで降りて、
本日の河津桜&ウメのお花見は終了。
メジロもたくさん見られてよき一日でした。




おしまい

wassho at 23:21|PermalinkComments(0) お花畑探訪 | イベント、旅行

2025年03月16日

代々木公園の河津桜 その2

この日は土曜日だったし最高気温も19.7度のぽかぽか陽気。
満開の河津桜の周りは人がいっぱい。まさに春爛漫。
DSCF6815

DSCF6818

DSCF6820

ちなみにそれから2週間と1日経った本日は、
最低気温4.8度、最高気温7.7度。
おかけに冷たい雨まで降ってオオ寒っな天候(>_<)


河津桜の周りにはロープがあって余り近づけなかった。
eDSCF6731


では満開の河津桜を一緒に眺めましょう。

1本目
10-1DSCF6726

2本目
11-2DSCF6727

3本目
12-3DSCF6739

4本目
13-4DSCF6744

5本目
14-5DSCF6755

6本目
15-6DSCF6759

7本目
16-7DSCF6764

8本目
17-8DSCF6772

9本目
18-9DSCF6775

最後の10本目。
19DSCF6773



天気のよい日は青空と一緒に花を楽しむのが鉄則。
35DSCF6735

36DSCF6737

38DSCF6740

39DSCF6728


可憐な花をアップで見て幸せになってちょうだい。
47DSCF6840

48DSCF6841

50DSCF6748


3、5、6本目の木はまだツボミも多かった。
ツボミと花が混じっている姿もまたよし。
DSCF6761


シダレた状態の河津桜。
河津桜にもシダレの品種があるのか、たまたま重みでそうなったのか。
DSCF6811



メジロもたくさんいた。
DSCF6791

DSCF6796

代々木公園が55ヘクタールで隣接する明治神宮が72ヘクタール。合わせれば相当な広さのグリーンゾーンなので鳥もたくさんいるのかと。

今までウメを見に行ってメジロに遭遇した経験はあるけれど、今回ほど近くで、かつシャッターチャンスが多かったのは初めて。メジロのカワイイ目玉もバッチリ撮れた。

参考までに今までのイマイチなメジロ写真

  赤塚公園  https://x.gd/jfJVU
  羽根木公園 https://x.gd/c3RfO
  荏原神社  https://x.gd/abL8k
  湯島天神  https://x.gd/4sEMB 

過去の写真のメジロはかなり高い位置にいた。写真はトリミングしているから大きさは今回と変わらないものの、肉眼では離れていてサイズ感をつかめていなかった。代々木公園で初めて目の前で見てわかったのは、メジロはとても小さな鳥。スズメの2/3くらいかな。手のひらで包めそうな大きさ。

まあとにかく可愛い鳥だし、
ウメやサクラとメジロが一緒にいると何となくメデタイ。
DSCF6800

DSCF6810



河津桜の最後は、
背景がぼけてピンク一色になっている写真でトロけてもらいましょう。
DSCF6827

DSCF6830





ーーー続く

wassho at 21:00|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月15日

代々木公園の河津桜

もうすぐサクラの開花時期。しかしソメイヨシノは白すぎてサクラ感に欠けるので余り好きではない。ただし見に出かけないとは言っていない(^^ゞ それでピンク色のサクラの代表格といえば河津桜。でもたくさん植えられていたり名所と呼ばれる場所はごく少ない。

過去のブログをたどってみると河津桜を見に出かけたのは

  三浦海岸
  目黒区の林試の森
  旧中川の河川敷
  世田谷区の桜神宮
  多摩川の等々力緑地北側


別の目的で訪れたら、たまたま咲いていたのが

  千葉にある小湊(こみなと)鐵道の里見駅
  小田原の曽我梅林
  上野の東照宮ぼたん苑
  目黒区の西郷山公園
  上野公園の五條天神
  隅田公園の牛嶋神社

近所の林試の森では毎年見ているので、もっと見ているように思っていたが意外と少なかった。植えられている数は三浦海岸が1000本とダントツで、次が旧中川河川敷の36本。林試の森は10本程度でこれでも多い方。どうしてこんなに河津桜が少ないのか不思議であり残念。

一番の名所は河津桜発祥の地である伊豆の河津町。バイクに乗っているとき、何度か見に行こうとしたけれど余りの渋滞予想に心が折れて実現せず。一度は見ておきたいがクルマだと渋滞はなおさらだし、そんな日は果たしてやってくるのか?


さて3月1日に、余り遠くないところで河津桜が咲いている場所はないかと、ネットで探していたら代々木公園にあるとの情報を見つけた。代々木公園で河津桜の話は聞いたことがなかったし、今までの検索ではヒットしていなかったので少しビックリ。


さっそくのお出かけ。毎度おなじみ代々木公園の原宿門を入ったところ。この日は最高気温19.7度でダウンいらず。
DSCF6700


何を売っているんだろうとキッチンカーを眺めていたら、
その奥に黄色く咲いている木を発見。
DSCF6701


先日にあれこれと書いたミモザ=アカシア。立ち替わり入れ替わりやって来て、木の前でポーズを決めている女子の顔が写らないように撮るのは難しいんだよ。
DSCF6702

DSCF6703


奥へ進む。
DSCF6707


常緑樹と落葉樹。
DSCF6709

DSCF6710


バラ園のアーチ。
DSCF6711


もちろん現在は冬眠中。
DSCF6712


バラ園のアーチの先は中央広場の噴水池につながっているのだけれど、工事中のようで白い壁で囲われていた。

壁に描かれた完成予想図。
今とどう変わるのかイマイチ理解できず。噴水は少し派手になりそう。
工事は昨年の9月〜来年の1月末までと長期間。
DSCF6714


工事車両出入り口から現場をのぞく。
建物を造っているわけじゃないからガラーンとした様子。
DSCF6715


さらに進んで、
このあたりはソメイヨシノゾーン。
DSCF6718


工事中の壁沿いに右折して進路変更。
DSCF6721


大きな工事現場では、このようにところどころで囲いの中が見えるようになっている場合が多い。そういう規制があるのかな。
DSCF6722


見てきました河津桜!
DSCF6723


これが全景。
期待していたより多い。
DSCF6725


歩いたルートと河津桜の場所はこのあたり。バラ園で工事の囲いに突き当たって右へ曲がったほうが近かったかも。少し場所を勘違いしていた。
河津桜位置





ーーー続く

wassho at 23:13|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月14日

浜離宮でマツと庭園 その2

2月27日に歩いたルート。(マップは上が南)
園内マップ

マップ下中央のお花畑とあるのが初回に書いた菜の花畑。秋にはコスモス畑になる。現在位置は海寄りの通路を2/3ほど南に上がったところ。


マツのお手入れ中。
199DSCF6607


このマツの葉はどれも同じ色で、
枝?の先端から葉が出ている。
200-DSCF6606

201-DSCF6608


こちらは遠目には2色で、
枝?全体から葉が出ている。
202-DSCF6609

203-DSCF6611

マツが好きとはこのブログでも何度か書いたが、その姿を眺めるのが好きなだけで、実はマツのことをほとんど知らない。クロマツとアカマツがあってそれは樹皮の色が違う程度は理解しているものの、上の2つのマツはどれもクロマツに見える。でも葉の伸び方がまったく違うのはなぜ? そのうちマツについてもお勉強しましょう。


潮入の池を南から。
205DSCF6614

206DSCF6617


このお伝い橋で池を渡る。
207-DSCF6616


途中に中島という小島があって、
右側が中島の御茶屋。
208-DSCF6619

209-DSCF6625


家宣が建てたとあるので、将軍家別邸となった浜御殿初期からの存在。現在の建物は1983年(昭和58年)の再建。

解説の最後に御茶屋と茶室の違いが書かれている。
付け加えると

  将軍らが江戸城外へ出た際に使用する、
  幕府が関東各地に設置した常設の施設があり、
  宿泊用が御殿、休憩やレクレーション用が御茶屋と呼ばれ、
  多くは主要街道沿いに建てられた。

幕府用語的には御殿とは立派な邸宅なだけではなく、あくまで将軍用の邸宅を意味する。だからどんなに立派でも大名が住むのは大名屋敷。そしてここが浜御殿と呼ばれたのもその用語基準に基づいている。なお京都でお茶屋といえば舞妓さんたちと宴席を楽しむ場所(^^ゞ


中島から対岸までにさらに小さな「小の字島」。
220-DSCF6624

221-DSCF6630


藤棚があった。
222-DSCF6628

223-DSCF6629


そして対岸に到着。ここにあるマツは見応え充分。「浜離宮で菜の花その2」で紹介した三百年の松より形は美しい。三百年の松はちょっと葉が混み合いすぎ。
225-DSCF6631


鷹の御茶屋。
オリジナルは11代将軍家斉(いえなり 1787〜1837年)の時代で、
2018年(平成30年)に復元。
226-DSCF6632


靴を脱がずに見学できるのが素晴らしい!
227-DSCF6633


でも内部は拍子抜け。
228-DSCF6634


こんな小上がりがあって、
229-DSCF6636


それをいかに苦労して復元したかを説明するパネルが掲示されていたものの、復元する意味ある?というのが正直な感想。
230-DSCF6637


鷹の御茶屋をここから出て、
231-DSCF6638


その隣にあるのが燕の御茶屋。
2015年(平成27年)に復元。
232-DSCF6640


こちらは入室禁止。
233-DSCF6641


外からのぞく。
ちょっと変わった造りの和室ではあるとはいえ、わざわざ復元する意味ある?(2回目)
234-DSCF6642

235-DSCF6644



潮入の池を離れて、先日サザンカとスイセンを見に出かけた新宿御苑を思い起こさせるような道を歩く。木々のウッソウ度合いは新宿御苑と較べればかなり軽めではあるが。
DSCF6646


サザンカとツバキはよく似ていて、花が散るとき

 花びらがバラバラに落ちるのがサザンカ
 バラバラにならず花の形のままポトンと落ちたらツバキ

それでこの木はーーー下に落ちている花を見るのを忘れた(^^ゞ
DSCF6648


新宿御苑でも見たヤツデの花。
DSCF6650


これは画像検索でアオキと表示されたが確信は持てず。
DSCF6654

DSCF6655



森林ルートをさらに進んで菜の花畑の外れに出る。
あれっ、大手門に向かっているつもりだったのに道を間違えたみたい(>_<)
DSCF6656

DSCF6665


でもおかげでまた菜の花畑を歩き、
DSCF6670


菜の花越しに(咲いてないけど)梅を眺め、
DSCF6672


イエローパワーをたっぷりと浴びられたので塞翁が馬で終わりよし。
DSCF6685

DSCF6694




おしまい

wassho at 20:33|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月13日

浜離宮でマツと庭園

再びタイトルを微妙に変更して、
2月27日に訪れた浜離宮の続き。


菜の花畑から続いたウメ並木が終わると、
150-DSCF6545


アメリカデイゴというゴツゴツした木があった。
151-DSCF6547

152-1-DSCF6546


でも以前に新宿御苑で見たアメリカデイゴは、「なんじゃこれ!」と声が出るほど不思議な形だったので↓それと較べれば普通の木に見える。
152-2

夏にはこんな真っ赤な花が咲くらしい→クリック
一度は見てみたいがこの木1本のために浜離宮に来るのもなあ〜


水上バスの発着場。
カウンターが閉まっていて、今日は運行していないのかと思ったら、
153-DSCF6548


浜離宮は下船のみになっていた。
154-1DSCF6549

2020年に訪れたときはここかも乗船できたのに。いつから? そしてなぜなのだろう。少し調べてみたが情報は得られず。

参考までに東京の水上バスは、浅草と隅田川の下流にある浜離宮や日の出桟橋、それと臨海埋め立て地エリアを結んでいる。
154-2水上バス

ところで浜離宮は有料の庭園なので、(今は下船のみだが)浜離宮から水上バスに乗るには入園料を払って発着場まで行く必要がある。浜離宮で下船する場合は最初から運賃に入園料が含まれているというアコギな商売(^^ゞ もっともここで乗り降りするのは浜離宮が目当ての人だけど。



浜離宮の海沿いまでやって来た。
155-DSCF6551

この位置から見えるのは勝どきのタワーマンション群。昭和の時代の勝どきは倉庫だらけで、港湾地区特有のちょっとやばそうな雰囲気があったのも今は昔。


タワマンよりマツを眺めましょう。
156-DSCF6554

157-DSCF6555


この一段高くなった場所は灯台跡。
160DSCF6560

161DSCF6559


ただし、こんな基礎部分が残っているだけのガッカリ史跡。
162-1DSCF6562


それよりも浜離宮=徳川将軍家別邸=江戸時代の意識があるせいか灯台とイメージが結びつかない。そこで調べてみるとここにあったのは明治時代の灯台。

  明治5年に三重県に設置された安乗埼灯台(あのりさきとうだい)が、
  新しく建て替えられるのに伴い、
  昭和24年に記念灯台として浜離宮に移設した

とのこと。
これが当時の写真。
162-2

その後、昭和30年に横浜港の第三管区海上保安本部に移設され、さらに昭和48年にお台場近くにある船の科学館に三度目の移設。

でも船の科学館(ジャンルとしては博物館)はずいぶんと前から建物の老朽化で展示を中止していて、現在は南極観測船「宗谷」を見学できるだけ。建て替えの話も聞こえてこない。安乗埼灯台もまた引っ越し先を見つける必要があるかもね。
162-3



灯台跡の上から海方向。大きなアーチは築地大橋。その奥に勝どき橋があって、オレンジ色の重機の向こうに小さくアーチが見えている。
165DSCF6564

対岸に見えているのは勝どきの埋め立て地ではなく、
浜離宮の外側にある堤防(防潮堤)。

浜離宮と堤防の間隔は100m前後、堤防から埋め立て地までは200mちょっと。堤防の外側は埋め立て地があって、幅が狭く運河のように見えるが東京湾。また浜離宮の隣で更地になっているのは築地市場があった場所。
166


先ほどの安乗埼灯台の白黒写真、つまり昭和24年から30年の頃は防潮堤はなかったようにも見える。防潮堤の建設がいつかを調べたがわからず。なお築地市場跡の再開発と合わせて、この防潮堤を築地と竹芝を結ぶ遊歩道にする計画もあるようだ。再開発は今年着工してすべてが完成するのは2038年。まだ生きていますように(^^ゞ


この少し内側に切り込まれているのは「将軍お上がり場」。
将軍が舟でやって来たときに接岸した場所。
170DSCF6571

171DSCF6569


現在の皇居の堀はどの水路とも接続していない。貯められている水は雨水で浄化装置を使って水質を保っている。ただし豪雨で堀の水があふれた話は聞いた記憶がないので、下水管とはつながっているはず。江戸城の頃は玉川上水や神田上水から水を引き、下の地図でわかるようにお城の周りに水路が張り巡らされていた。画像はhttps://mag.japaaan.com/archives/235907/2から引用編集
172運河

地図を見ると水路を使えば浜離宮の大手門のところに到着するのに、そこではなくどうしてわざわざ東京湾側まで回り込んで出入りしたのか。ナゾ


ところで説明看板に書かれている
「幕末〜最後の将軍徳川慶喜が〜帰還して上陸」との文章は二重に間違っている。

幕末動乱の時代、14代徳川家茂(いえもち)が将軍としては229年振りとなる上洛を行うなど、幕府と朝廷の接触や交渉が盛んとなる(それ以前の上洛は何と3代家光まで遡る)。幕府の主要メンバーであった慶喜(よしのぶ)も当時は京都や大阪にいることが多かった。そして長州征伐のため大阪城に滞在していた家茂が1866年8月に病死。1867年1月10日に慶喜が二条城において将軍宣下を受け将軍に就任。(日付はすべて新暦)

しかし10ヶ月後の1867年11月10日に慶喜は大政奉還をしてしまう。実はその時点で慶喜はまだ将軍のまま。将軍職が廃止となったのは討幕派が仕掛けた政治工作で、王政復古の大号令が発せられた1868年1月3日。それをきっかけに戊辰戦争の始まりである鳥羽伏見の戦いが1月27日に勃発。

3日間の戦闘で旧幕府軍が劣勢となり敗走。慶喜が陣取っていた大阪城で体勢を立て直すはずだったのに、なんと総大将である彼は将兵を置き去りにして、2月1日にコッソリと船で大阪を発ち江戸に逃げ帰ったのは有名な話。

ーーーなので、鳥羽伏見の戦いから戻ってきた慶喜は、そのとき既に将軍ではない。そもそも慶喜は将軍になって以降はずっと京都や大阪にいて、将軍として江戸で暮らしたことすらない。

さらに王政復古の大号令=明治政府の成立。慶応から明治に改元したのは10月になってからであるが、歴史としては王政復古の時点で明治時代が始まっており、慶喜が江戸に帰ってきたときを幕末とするのも誤り。


なお慶喜がここへ戻ってきたのは、浜御殿でのんびり骨休めをするためではなく、初回に書いたように、当時ここは将軍家の別邸から幕府の海軍所(基地)に変わっていたからだろう。記録では2月5日の未明に上陸し、昼前には江戸城に戻ったとされる。おそらく仮眠程度しかできなかったはず。

まあ最後の将軍慶喜ではないとしても、彼が歩いたであろう場所に自分もいるのは何となく歴史のロマンを感じる体験。



さて浜離宮の海沿いを南に歩いて行く。

この黒い水鳥はオオバン。カモに似ているけれど仲間ではない。そういえばカモのクチバシは平べったいのに、これは尖っている。
175-DSCF6574


堤防の開口部。
ここから水上バスが入ってくる。もし堤防が遊歩道になればどうするのかな。
176-1DSCF6563


そしてこれは海から水を浜離宮の池に引き込む仕掛け。
つまり浜離宮の池は海水で、池の名前も「潮入の池」。
176-2DSCF6575

177-DSCF6576

178-DSCF6577

179-DSCF6578


大きな池である。浜離宮の面積は25ヘクタール。建築面積4.7ヘクタールの東京ドーム5.3個分。池の面積は公表されていないが4ヘクタールくらいはある思う。
185DSCF6590

186DSCF6591


西を向けば東京タワーが見え、
187DSCF6600


海のほうを見ればベイブリッジも見える。
188DSCF6581


少し小高くなったところで眺める、
190-DSCF6592


潮入の池の風景はマツに囲まれていた実に美しい。ただ冬なので芝生が枯れ色なのが残念。浜離宮には1月と2月にしか訪れたことがなく、次は芝生がグリーンなシーズンにもと思っている。
191-DSCF6594


ただひとつ気に入らない点が。
それは池の周りの石積み。
193-DSCF6605

194DSCF6604

ちょっと人工的すぎるというか近代的な造形に見える。

ここは海水を引いていて潮の干満差がある。それで土が流れ出さないようにとの措置だと思うけれど、江戸時代もこんなだったのかなあ? 見たところ施工されたのはそんなに昔ではなさそう。もう一工夫欲しいところ。




ーーー続く

wassho at 20:23|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月10日

浜離宮でウメ

内容にあわせてタイトルを微妙に変更して、
2月27日に訪れた浜離宮の続き。


菜の花畑を奥まで進み振り返る。
100DSCF6464


途中からは菜の花畑に沿ってウメが並ぶ。
手前にあるのはまだ成長途中で花をつけていない菜の花。
101DSCF6456


ウメの木側に移動。
102-DSCF6475


でもこちらだと逆光になってしまう。
103-DSCF6478


少し斜めから撮ったりレタッチ(画像修正)でごまかしながら。
ウメは花はもちろんとして、木の形も面白いというか味がある。
104-DSCF6482


逆光で花びらを透かすのは嫌いじゃない。
110-DSCF6479

111-DSCF6484


少し菜の花畑側に回り込んで。
やはりしっかりと光が当たっているほうがキレイ。
113DSCF6491



淡いピンクのウメ。
120-DSCF6495

121-DSCF6497


こちらは白。
しかしーーー
122-DSCF6499


近づくとツボミの色合いがタコを連想させる(^^ゞ
123-DSCF6500


タコっぽくないところをアップにしましょう。
124-DSCF6501


これが浜離宮で最も美しかった。
125-DSCF6505


どうよ、このピンク!
126-DSCF6508

127-DSCF6512


少し離れたところの紅梅は見頃をとっくに過ぎていたものの、
128-DSCF6659


目を皿のようにしてキレイなところを見つけた。
129-DSCF6660




前回、浜離宮に来たのはロウバイ目当てだった2020年の1月20日。そのときにビックリするほどたくさん咲いていたサザンカも、シーズン終わりの今回はこの程度。アップで撮れる状態の花もなかった。それでもここのサザンカの大きさはわかってもらえるかな。
135-1DSCF6530


あのときに見たサザンカのインパクトは強烈で、それまでは生け垣でよく見かける程度の認識だったのに、すっかりサザンカがお気に入りの花になった。せっかくなので前回の写真を再掲載。冬の太陽をしっかり受けたサザンカは、まるで南国植物のように輝いている。
135-2

135-3

135-4



菜の花畑を過ぎてもウメの並木は続く。
136-DSCF6532


これはモモではよく見かけるけれど、
ウメには珍しい同じ木に紅白の花が混じる源平咲き。
137-DSCF6536


と思ったら、
ウメ並木の最後は源平咲きだらけだった。
138-DSCF6541


2色で咲いていて何となくメデタイ(^^ゞ
139-DSCF6542





ーーー続く

wassho at 21:10|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月09日

浜離宮で菜の花 その2

大手門から入ったすぐ先に菜の花畑。
16-DSCF6401


でも途中にあるウメに足止めを食らう(^^ゞ
17-DSCF6402

18-DSCF6410


隣にある浜離宮の見所のひとつである三百年の松にも。
(写真の引きが十分でなかったのでもっと全体を見たければここをクリック))
19DSCF6414

20DSCF6413


一般に木の寿命は

  高い木は長い ←→ 低い木は短い
  針葉樹は長い ←→ 広葉樹は短い

の傾向がある。背が高くて針葉樹の杉は<条件がよければ>1000年以上とされ、屋久島の屋久杉は樹齢2000年から4000年。1000年未満は小杉と呼ばれているほど。一方で桃・栗・柿など背の低い広葉樹は長くて数十年。桜も100年ほど。ただし広葉樹でも大木となる欅(ケヤキ)は杉と同じく1000年以上。

逆に松は背が高くなくても針葉樹なので500年以上。戦争中の空襲で浜離宮が火に包まれても、江戸時代中期に植えられたこの松は生き残った。ここでの環境や手入れは万全だろうから、四百年の松、五百年の松と育って欲しいね。


ただ、
こんな凄い幹なんかは見応えがあるものの、
21-DSCF6415


姿かたち的には隣の普通のマツのほうが好みかな(^^ゞ
22-DSCF6417




さてウメとマツを見終えて、いよいよ菜の花。
23-DSCF6419


説明は不要ですね。
とにかくドカーンと菜の花がいっぱい!
イエローパワーを浴びて元気になってくる。
30-DSCF6435

31-DSCF6473


周りの景色を入れないで撮りましょう。
32DSCF6432

33DSCF6423


そして近寄って、
34DSCF6673


花〜ツボミ〜ハチと一緒のアップ。
35DSCF6678

36DSCF6675

37DSCF6682


菜の花の向こうにウメが咲いていて美しい景色。
38DSCF6430

郊外ならもっと広い菜の花畑はあるけれど、新橋駅から15分でこれだけの規模は貴重。そして黄色が目に鮮やかなだけでなく菜の花の香りも強烈。別にいい匂いではない。でも何となく生命力のある感じ。


菜の花の手前にあるのは、
40-DSCF6442


成育中の菜の花。
41-DSCF6443


これは葉もの野菜ぽくて、
42-DSCF6444


こちらの奥にあるのは茎が長い。
43-DSCF6457


菜の花は植物の品種名ではなく、アブラナ科の野菜の花の総称。アブラナ科の野菜とは、ハクサイ、キャベツ、カブ、ダイコン、ブロッコリー、カラシナ、コマツナ、ミズナ、チンゲンサイ、ナタネなど。

えっ、菜の花がキャベツやダイコン? それ自体も驚きだが、キャベツは葉が結球して丸くなるし、ダイコンの葉は真っ直ぐ伸びるとそれぞれ形がまったく違うのに。

実はキャベツやダイコンその他のアブラナ科の野菜は花芽が伸びる前に収穫している。(種を採るために)そのまま放置して花が咲いた写真は下記のURLをクリック。けっこうビックリするよ。

  キャベツの菜の花 https://x.gd/0bWWF

  ハクサイの菜の花 https://x.gd/oxk1V

  ダイコンの菜の花 https://x.gd/nmvjK

なおアブラナ科アブラナ属であるキャベツやハクサイの花は黄色で、
アブラナ科ダイコン属のダイコンは白い花が咲く。


もっとも菜の花の定義としては上に書いた通りだけれど、観賞用に植えられているのはアブラナ=ナタネ、セイヨウアブラナ、セイヨウカラシナのいずれか。先ほど載せた背丈が違う写真は、品種の違いではなく成長過程が異なるのだろう。

浜離宮に植えられている菜の花は、中央区観光協会のブログによれば

  "菜の花" の早生品種「黒川」「伏見」「寒咲」「江月」

とあるものの植物分類的な品種はわからず。
漢字の名前なので和種のアブラナ=ナタネの派生種なのかな。

食用にしている菜の花も、もちろんキャベツやダイコンの花芽ではなく、和種のアブラナ=ナタネの改良品種。また種から食用油を絞るのはセイヨウアブラナ。セイヨウアブラナを品種改良したキャノーラ種から採れるのがキャノーラ油。

菜の花はおいしいよね。私の好物は野菜を、菜の花と新タマネギとトマトの変わった組み合わせにしたすき焼き。


そんな菜の花のあれやこれや 
\(^^\)(/^^)/ソレハコッチニオイトイテ

菜の花のイエローと菜の葉の新緑ぽいグリーンの美しい調和。
44DSCF6468


ここ浜離宮では菜の花と汐留のビル群を一緒に撮るのがお約束。
46DSCF6447


菜の花畑の外れまで来た。
50-DSCF6458


この巨大なアロエみたいなのはリュウゼツラン。胡蝶蘭などランの花とは関係のないメキシコ原産の多肉植物。ランと名がつくのは花がランのように美しいからとされる。
52DSCF6666


その花は10年に1度しか咲かないといわれ、浜離宮で前回に咲いたのは2022年の夏。
画像は公式エックスhttps://x.gd/mxy1O(短縮URL使用)から引用
R1

R2

いきなりニョキッと花茎が伸びてくるそうだ。
それにしてもヘンな形。
なおかつ花がランのように美しいとは思えない(^^ゞ


花を咲かせた株は枯れてしまうらしい。だから正確には数十年に1度しか咲かないのではなく、花が咲くまでに数十年かかるである。この手前のが枯れた株なのかも知れない。
53DSCF6459

浜離宮でリュウゼツランが咲いたのは2003年、2008年、2012年、2022年。今ある株は何年目なのだろう。次に咲いたら怖いもの見たさ的に訪れてみたいな。


とりあえず菜の花とリュウゼツランのツーショットを撮っておきましょう。
54DSCF6461





ーーー続く

wassho at 11:38|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月08日

浜離宮で菜の花

久しぶりに新橋方面へ出かけたついでに、
浜離宮で菜の花やウメでも見ようと寄り道。
訪れたのは2月27日。


新橋駅から浜離宮までは歩いて15分弱の距離。
ついでに名前はよく知られていても、
場所はそれほどでもない地名をいくつか書き込んでおく。
地図


浜離宮は元々、

 海岸に沿って葦(アシまたはヨシ、海水でも育つ)が群生し、
 徳川家が鷹狩りをしていたプライベートビーチ。

 徳川家の血筋である甲府藩主・徳川綱重(家光の三男、4代将軍家綱の弟で、
 5代綱吉の兄、6代家宣の父)が江戸時代初期の1654年に譲り受け、
 海を埋め立てて屋敷と庭園を造る。

 甲府藩主・徳川綱重が亡くなり、5代将軍綱吉の頃に徳川将軍家の別邸となり
 御浜御殿と呼ばれる。以降は長らく将軍の息抜きの場だったが、

 1853年のペリー来航以降は幕府の海軍所(基地)となり、
 御浜御殿の名称も取りやめ。また敷地内に砲台も設けられる。

 明治政府は1869年(明治2年)延遼館(えんりょうかん)という迎賓施設を建設。
 明治16年に鹿鳴館が完成するまで国賓の接待に使われた。

 明治3年に庭園部分が宮内省管轄となり浜離宮に改称。
 明治17年(1882年)に敷地すべてが皇室所有になる。
 昭和20年(1945年)の終戦後に東京都に下賜され、翌年に公園として公開。

ーーーと鷹狩りのレクレーションから始まり、将軍家別邸、軍事施設、迎賓施設、皇室別邸といろいろ時代をくぐり抜けてきた場所。鹿鳴館と較べて延遼館の知名度はさっぱりだけれど、ここが明治外交の華やかな舞台だったわけで、東京にはいくつもある元大名屋敷跡の公園や庭園とは歴史の重みがひと味違う。


現在は浜離宮の前に勝どきの埋め立て地があるものの、江戸時代は東京湾を一望できたオーシャンビューの立地。江戸城から歩いても45分くらいだし、こんなところに別邸があるなんてうらやましすぎるゾ。

ちなみに対岸の勝どき〜月島〜佃島の埋め立て地ができたのは、1892年(明治25年)から1913年(大正2年)にかけて。浜離宮と隣の築地は江戸初期に埋め立てられているとはいえ、陸地からの延長だし海といっても干潟みたいなもの。でも海の沖合での造成地工事なんて、てっきり昭和になってからと思っていたのに明治・大正だったとは意外。

なお晴海と豊洲東側は1931年(昭和6年)の完成。豊洲がさらに晴海の対岸にまで伸びてきたのは1960年代の終わり。また1974年(昭和49年)にセブンイレブンの1号店が豊洲にオープンしている。関係ないけど吉野家の1号店は1947年(昭和22年)に築地で開業



浜離宮の大手門橋。
10-DSCF6387


これを渡ると大手門の出入り口。
11-DSCF6389

でも大手門とは城の正門を意味する言葉。ここは将軍家の別邸で城ではなかったのに、どうして大手門なのか前から気になっている。少し調べたものの手がかりは得られず。


大手門の下を流れているのは築地川。
12-DSCF6392

以前は隅田川より分流していた運河だったが、ほとんどが埋め立てられ、現在はここから正面に見えている浜離宮の海側堤防までの750mしかない。埋め立てといっても川に蓋をして暗渠(あんきょ)にしたのではなく、文字通りの埋め立て=川の消滅。だから築地川は上流から水が流れて海に注ぐのではなく、元は川だった部分に海からの水が入っているだけ。つまり海の水を引いた堀みたいなもの。

浜離宮は一方が東京湾に面しており、残り三方を築地川と汐留川で囲まれている。汐留川も築地川同様にここに残っている以外はすべて埋め立てられ、実質的には海水による堀。上流から水が流れておらず川の要件を満たしていないのに、川の名前が残っている事例は珍しいのでは?
築地川



大手門の出入り口に到着。
もう菜の花が見えている。
13-DSCF6396


正式名称は浜離宮恩賜庭園。
14-DSCF6397

恩賜(おんし)は身分の高い者から低い者へ与えられたもの。現代の日本では天皇からを指す。似たような言葉に下賜(かし)がある。恩賜が低い身分側の目線で賜(たまわ)る、賜ったものであるのに対し、下賜は高い身分が「与える」「贈る」の行為を示す。なお下賜の対義語が献上。


大手門で後ろを振り返ると汐留の高層ビル群。
15-DSCF6398


  左:高級ホテルのコンラッドが入っている東京汐留ビルディング。
    以前はオフィスフロアをソフトバンクの本社が占めていたが現在は竹芝へ移転。

 中央:資生堂の汐留タワー。38階建てで24階から上はロイヤルパークホテル。
    その後ろに少しだけ見えているのが日本テレビ。

  右:電通ビル。でも2021年にビルを売却。現在も入居を続けているが、テレワーク
    等でオフィススペースが不要になり使っているフロアは半分程度らしい。


話が横道にそれすぎて、なかなか門の中に入れない。
まあいつものことだけれど(^^ゞ




ーーー続く

wassho at 12:34|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2025年03月04日

ミモザとアカシアのあれこれ

駅までの道すがらにミモザの咲いているお宅が2軒ある。

先日、ミモザの黄色と青空の対比が余りに美しかったのでついシャッターを。ミモザはだいたいウメと同時期に咲き、これを見るともうすぐ春だと予感させられる。色合いはビビッドで夏っぽいけれど(^^ゞ

IMG_7468

IMG_7469


この黄色い花が咲く木を、ゆで卵が刻まれてトッピングされたミモザサラダのと連想で、ミモザと覚えている人は多いと思う。

でも本来ミモザはオジギソウ(おじぎ草)を指す呼び名。名前でわかるように木ではなく草だし、また花は淡い紫。ちなみにオジギソウは触られると葉を閉じて、お辞儀をしているように見えるのでその名がついた。
1オジギソウ



さて最初の写真で黄色い花を咲かせているのは、ギンヨウ(銀葉)アカシアやフサ(房)アカシアといったアカシアの木。でもなぜかミモザの名前で呼ばれている。しかも多くの国で。

それは

  オーストラリア原産のアカシアがヨーロッパに持ち込まれる。
  アカシアとミモザ(オジギソウ)は葉の形が似ているので、
  昔から馴染みのあったミモザになぞらえてミモザアカシアと呼ばれ、
  それがいつしかミモザと短縮され、その略称が定着する。

といったいきさつらしい。

そうして世界的にミモザといえばアカシアを指すのがデファクトスタンダードとなる。ヨーロッパにはミモザ祭りやミモザの日などがあるが、それらはすべてアカシアを意味している。オジギソウがかわいそうだね(^^ゞ


日本ではさらにややこしいことになっている。
日本でアカシアといえば、アカシアではない木を指すのだ。
その名もニセアカシア。

それは

  明治になりハリエンジュというアメリカ原産の木が入ってくる。
  なぜかそれをアカシアと呼んだ。
  少し調べたものの理由はわからず。

アカシアと呼ばれることとなったハリエンジュは砂防対策や街路樹としての適性が高かったので広く普及し、日本人はハリエンジュをアカシアと思い込む。なおハリエンジュの花は白で咲くのは5月頃。どちらも同じマメ科ではあるが系統的には離れていて、花や葉の形もまったく違う。
2ハリエンジュ


また1960年(昭和35年)に🎶アカシアの雨にうたれて〜の唄がヒットし一気にアカシアの知名度も高まった。もちろんここで唄われているアカシアもハリエンジュ。他にも札幌をはじめ各地のアカシア並木に植えられているのもハリエンジュだし、アカシア蜂蜜として売られているのもハリエンジュの蜜を吸った蜂蜜。


そして時期は不明だが黄色い花を咲かせる本物のアカシアが日本に入ってくる。するとそれまでアカシアと呼ばれていたハリエンジュは、何とニセアカシアと呼ばれるようになった。今まで自分たちが間違ってアカシアと呼んでいたのに、それに気付くと「偽」の名前を付けるなんて! 人間の傲慢さを見た思いがするゾ。

ただし先ほど書いたように今でもハリエンジュは、ニセアカシアではなくアカシアと呼ぶのが一般的。昭和の懐メロだけでなく、ユーミンやレミオロメンにもハリエンジュをアカシアと唄っている曲があるらしい。黄色い花が咲く「ホンモノ」アカシアはミモザと呼ばれているから、名前の機能としては植物学的にはともかく一応の区別はできている。まあ「ニセ」とつくのはイメージがよろしくないし、それにニセアカシアの蜂蜜なんて表示したら売り上げにも響く。


そんなわけで

 「ミモザの黄色い花がきれいですね」
 「あれはアカシアですよ」
 「アカシアの花は白でしょうが」

なんてケンカにならないよう気をつけてね。

wassho at 19:31|PermalinkComments(0) お花畑探訪 | ノンジャンル

2025年03月03日

チューリップは11/12球発芽

小惑星の話の続きをまだ書いていないが、
あちこちに花を見に出かけたので後回しに。
しばらくは花についてのブログが続く予定で、
本日はその前座みたいな内容。


それにしても今日は寒かった。
これが昨日の天気予報アプリの表示。
IMG_7473


そして、これが本日。
なんで20度(実際は22.1度)もあった次の日に雪が降るねん!
IMG_7481


ちなみに昨日と本日の最低・最高気温は

 3月2日 7.9度 22.1度
 3月3日 1.8度 14.4度

ただし本日の最高気温14.4度は午前0時15分に記録したもの。つまり昨日の暖かさが日付をまたいで残っていただけ。そして午前9時に8.7度、正午は4.5度、午後4時になって1.8度の最低気温を記録。でも雪は降らずに弱い雨が一日中。

長期予報を見ると雪マークが明日と明後日さらに3月9日にもあるから、
まだしばらく暖かい春はオアズケ。



さて元旦に3品種12球を植えたチューリップは、
1月27日に初発芽して、

これが本日の様子。
IMG_7477


品種ごとにまとめて植えてあって、これとこれは4つ発芽しているのに、
IMG_7478

IMG_7480


こちらは3つだけ(/o\)
IMG_7479

発芽している芽は既にそこそこ大きくなっているから、1つだけ発芽が遅れているのではなくて球根に発芽する力がなかったのだろう。ザンネン

でも発芽して花を付けなかった経験はなく、
とりあえず11輪の花が咲くはずで、それは今から楽しみ。

wassho at 22:01|PermalinkComments(0)

2025年03月02日

とりあえず小惑星「2024 YR4」の衝突確率はほぼ消滅 その2

星にまでなれなかった太陽系の余り物ともいえる小惑星。それでも星と同じように太陽の周りを回り、その軌道が同じく太陽の周りを回る地球の軌道と交差するなら、いつかは衝突する。その数は推定で100万個以上。

月面のクレーターはそんな小惑星が衝突した痕跡。
15月のクレーター

地球にもその誕生から現在までの間に数え切れないほど落ちてきたはず。しかし月と違って地球の7割は海で海底なら見えない。また水による浸食と火山活動や地殻変動による地形の変化、あるいは木が生えて森になったり逆に人間による開墾で痕跡が消えてしまい、現在確認できるクレーターは100個ほどとされている。ちなみに月のクレーターは数万個。

日本にも南アルプスに、2〜3万年前にできたと推定されている御池山(おいけやま)クレーターがある。でも森のようになっていてクレーターとはちょっとイメージが違う。小高い丘を「実はあれは古墳」といわれたような感じ。そのせいかどうか、ここがクレーターだと確認されたのは2003年とつい最近。画像はhttp://www2.ueda.ne.jp/~moa/oike.htmlから引用
16御池山




さて今までに地球に衝突した小惑星(隕石)で有名なのは次の4つ。

なお隕石あるいは小惑星と呼ぶかは、事例それぞれの慣例に従って書いている。定義的には小惑星またはその破片が地球の大気圏に突入し燃え尽きるのが流星、燃え尽きず地上に落ちてきたものが隕石。

1)S2隕石

落ちてきたのは32億6000万年前。参考までに地球ができたのが46億年前で、初期の生命が誕生したのが35〜40億年前である。大きさは直径37〜58kmと推定され、平たくいうとエベレスト4つ分の隕石が落ちてきたらしい。地図は東京駅を中心に直径58kmの円を描いている。これだけ巨大なのがドカーンと。
20首都圏58km

ただしなぜか落ちた場所の情報を見つけられなかった。しかしその影響は強烈で津波が地球全体を覆い、衝突によって生じた熱で海水は沸騰・蒸発。舞い上がったチリによって厚い雲の温室効果で気温は上昇し、日光が遮られる状態が数年から数十年は続いたと考えられている。まさにこの世の終わりレベル。

ただその頃はまだ単細胞生物しか存在しておらず、被害がなかったというか被害を受ける対象がいなかったというべきか。逆に海底の鉄分が巻き上げられたり、隕石に含まれていたリンが放出されて「肥料爆弾」のような効果をもたらしたと考えられている。そうであれば生物界にとっては、この世の終わりではなく創世記の重要イベントだったとも捉えられる。



2)チクシュルーブ小惑星

チクシュルーブの名前を知らなくても、
恐竜を絶滅させたのは巨大な隕石との話は知っていると思う。
それがこれ。
22恐竜絶滅


衝突したのは6600万年前。場所はメキシコのユカタン半島(赤い破線部分)のチクシュルーブ。メリダというユカタン州都の近く。
21チクシュルーブ

あっ、Googleマップにカッコ付きでアメリカ湾の表記がある!さらに米国版のGoogleマップを確認してみるとGulf of Americaの表記のみだった。トランプへの忖度オソルベシ!

小惑星の直径は10〜15km。衝突速度は秒速20km=時速7万2000km=マッハ60! 衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍とされ(といわれてもイメージできないが)、衝突でえぐられたクレーターは直径160km。マグニチュード11以上の地震となり300mの津波を引き起こしたと推定されている。

またこれが恐竜絶滅の原因となったのはよく知られているが、
絶滅したのは恐竜だけではなく、なんと全生物の80%。

小惑星が落ちてくる運動エネルギーは衝突によって熱エネルギーに変わる。衝突地点の半径1000kmは火球に覆われて生物は即死(>_<) 札幌から那覇まで約2200kmなので半径1000kmとはそれくらいのエリア。そして衝突の爆風で舞上げられた塵(ちり)の雲は世界中に広がり、太陽光が遮られる状態が何年も続く。植物は光合成できなくなり枯れ果て、それを食べていた草食動物、草食動物を食べていた肉食動物と順に絶滅の連鎖。


話は変わるけれどチクシュルーブ小惑星との衝突で、恐竜を含めて全生物の80%が絶滅した。逆に考えれば残り20%で、またいろいろと進化を遂げて現在の生態系ができあがったわけだ。

でもどうして恐竜は再び現れなかったのだろう。それが昔から疑問であり、復活して今の時代にも生きていて欲しかった気持ちがあるというか。しばらくは大型生物が生息できない環境だったとしても、それから6600万年のうちにチャンスはあった気もするのだが。



3)ツングースカ大爆発

1908年(明治41年)に、シベリアのほぼ無人の森林地帯に落ちた隕石によって引き起こされた爆発。

ところでシベリアってよく聞く地名なのに、
具体的にどこなのか把握されていないように思う。

ロシアは8つの連邦管区で構成されており、シベリアは国土の真ん中当たり。地図に小さな青い点がついているのがそれぞれの中心都市で、中央管区の中心がモスクワ、北西管区がサンクト=ぺテルブルク。シベリアの中心都市はノヴォシビルスクと聞いたことのない名前。画像はhttp://dvor.jp/rajon.htmから引用編集
30シベリア

ただしこれは行政区分であって、歴史的にはウラル山脈より東側がシベリア。だから中央シベリア高原や東シベリア山脈は極東管区にある。現在は狭義のシベリアがシベリア管区、広義のシベリアがそれにウラル管区と極東管区を加えた扱いのようだ。とにかくシベリアはロシアの2/3ほどを占める広い範囲。


隕石が爆発した場所はここ。
33ツングースカ1

このツングースカはそこの地名ではなく、その付近を流れている川の名前。ひょっとしたら無人の森林地帯ゆえに地名がなかったのかも知れない。

この隕石サイズは50〜60m。落下途中に大気中で大爆発を起こしたのがネーミングの由来。人が住んでいなくて人的被害はなかったものの、

  爆発地点の半径30〜50kmで森林が炎上
  東京都とほぼ同じ2150平方kmの範囲で樹木がなぎ倒された
  1000km離れた家屋の窓ガラスが割れた

とされる。「1000km離れた〜」は文章だと読み流してしまいそう。でも日本に置き換えると、札幌上空の爆発で大阪の窓ガラスが割れたのと同じで、いかにその威力が凄まじかったがわかる。

また
  爆発で隕石が気化し→それが巨大な夜行雲を形成
  夜行雲は光を発する→ロンドンでは数日間に渡り、
  夜に灯りなしで新聞を読めるほどだった

とのエピソードがツングースカ大爆発に関してはよく引き合いに出される。しかしツングースカからロンドンまでは約5200km。それに対してモスクワまでは3000kmで東京だって4500kmなのに、どうしてロンドン以外でそんな話が残っていないのか不思議。


ツングースカに落ちてきたのは2024YR4の約半分のサイズ。それでもこれだけの威力。基本的に衝撃力は小惑星の重さ × 落下速度で決まる。重さは体積に比例するとして球の体積は半径の3乗に比例するので(前回に書いたように小惑星は球体ではないがとりあえず)、2024YR4が2倍の大きさなら2 × 2 × 2で重さすなわち破壊力はツングースカの8倍(>_<)


4)チェリャビンスク隕石

直径17mで小さいながらもよく取り上げられるのは、
落ちてきたのが2013年と最近だから。

チェリャビンスクは落下したロシアの地名。
先ほどシベリアを説明した図でではウラル管区の最も南西に位置する場所。
35チェリャビンスク

ツングースカに続いてまたもロシアなのはロシアの面積がそれだけ広いから。地球の陸地の11.5%を占めている。カナダ、中国、アメリカがそれに続き、それぞれ6.7〜6.5%。ちなみに日本は0.25%(^^ゞ


この隕石もツングースカと同じように空中で爆発した。

火球となって落ちてくる様子。画像はhttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7563/から引用
37火球


隕石雲。
38隕石雲

飛行機雲はジェットエンジンの排気ガスに含まれる水蒸気が、上空の冷たい空気(マイナス50度前後)で冷やされて雲になる現象。対して隕石雲は隕石が大気との摩擦熱で気化する際に、燃えかすとして形成されたが微細な粒子が浮遊している状態。雲のように見えても、飛行機雲と違って気象的には雲じゃない。


そして、この隕石が今までの事例と違うのは、ドライブレコーダーや防犯カメラなどで撮られた映像がたくさんあること。当時のニュースでもいろいろと見た記憶がある。


爆発したのは街からかなり離れた場所だったもよう。それでもその衝撃波で4474棟の建物に被害が出て、1491人が重軽傷を負った。

また21世紀のネット時代に落ちた隕石なので、

  落下したなんと当日から、
  ネットで「チェリャビンスクに落下した隕石」の売り物が出回った(^^ゞ

  アメリカの新型宇宙兵器だとする陰謀論も主張された

隕石の落下にも世相が反映されるね。
今、メルカリで検索してもけっこうあったゾ



なかなか前回に書いた「衝撃的な事実」までたどり着かない(^^ゞ

ーーー続く

wassho at 23:32|PermalinkComments(0) ノンジャンル