2025年05月
2025年05月31日
あやせローズガーデン
2025年春バラのメインイベントは神奈川県綾瀬市にある「あやせローズガーデン」。5月11日にNHKの「趣味の園芸」でその存在を知った。なかなか都合が付かず訪れたのは5月26日。時期的にはちょっと出遅れたかと心配したものの、それは杞憂で満開の素晴らしいバラに迎えられた。
地図で白くなっているのが綾瀬市。横浜中心部の西側、湘南エリアの北側に位置している。交通情報で「東名・綾瀬バス停から何キロ渋滞」とよく聞くので名前は知っていたが、しっかりと位置を確認したのは始めて。東京都には清瀬市があって、どちらもマイナーなので(ゴメン)混同しそう。
ついでに神奈川県の区分地図。画像はMap-It マップイット(c)から引用
清川村、中井町、大井町、開成町は初めてその名前を知った。でも清川村には宮ヶ瀬湖があり、東名高速には秦野中井と大井松田のインターチェンジ、そして開成町はよくツーリングした南足柄に行く途中なので、意識はしていなくてもバイクやクルマで通っている。なお中井町・大井・開成ともに「ちょう」ではなく「まち」と発音する。
相鉄線(相模鉄道)の「さがみ野駅」で下車。
あやせローズガーデンもそうだけれど、平仮名を使う名称は文章の途中だと「 」を入れないと読みにくいからやめて欲しいと昔から主張している。でも平仮名を使うネーミングはどんどん増えるばかり(/o\)
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
ここまでの経路は東急東横線→東急目黒線→東急新横浜線→相鉄新横浜線→相鉄本線と5つの路線。でも東急と相鉄が相互乗り入れが2023年3月に開業したので、乗り換えたのは多摩川駅(田園調布駅の隣)で東横線から目黒線への1回だけ。
私鉄や地下鉄の相互乗り入れが進んでとても便利な世の中になっている。ただたまに列車の行き先がとても遠くの地名で、どちらに向かっているのかわからない場合があったりもする。
駅前のロータリー。
あのバスに乗る。
使えるのは吉岡工業団地行きと長後駅西口行きで1時間に3本。駅を降りて10分ほどでバスが来てラッキー。歩くと45分くらい、バスだと10分弱。
観音入口の停留所で降りてバスで来た道をしばらく進む。
200メートルほど歩くと工事中の囲い。
その内側はもう「あやせローズガーデン」。
さらに進むとローズガーデンの幟(のぼり)。
あやせローズガーデンは5月1日にオープンしたばかり。
光陵公園の中にあやせローズガーデンはある。
公園に到着。
ここは綾瀬市の市立公園。開園は1976年(昭和51年)で面積は4.4ヘクタール。2019年から改修工事を進め、野球場を多目的フィールドに作り替え、以前よりあったバラ園もローズガーデンにリニューアルして昨年の5月にオープンする予定だった。当初の計画では入場料400円の有料施設(元のバラ園は無料)。
しかし昨年2月に「予定どおりの工事完成は見込めるものの、昨年の寒さや夏の高温などの影響により植物の生育が有料施設としてふさわしい状態まで達しないため、オープンを1年延期します」と発表される。綾瀬市のプレスリリースはここをクリック
さらに9月には市議会の反発で指定管理者選定の議案が否決され、それと関連するのかどうかはわからないが、有料化も取り消された。何かとゴタゴタした中での再出発のようだ。
黄色で囲ったのが光陵公園で、この航空写真ではまだ完成していないローズガーデンはピンクの線。写真左側で木が密集しているのは「長峰自然の森」と呼ばれる自然保護区のようなところ。ただし神奈川県のホームページでは「長峰の森」となっている。
なぜか現在の光陵公園の全体マップが見当たらない。これは綾瀬市のホームページで2024年02月02日更新のページに掲載されていた平面図。
これを見ると野球場の位置は変わらず、芝生広場を駐車場にし、日本庭園とバラ園と一緒にしてローズガーデンを作ったと読み取れる。
さらに航空写真の範囲を拡大すると青い線で囲ったのは厚木基地。正確には米軍の厚木航空施設と、海上自衛隊の厚木航空基地で共同利用している施設。面積は507ヘクタール。ちなみに羽田空港1516ヘクタール、成田空港1137ヘクタール。
写真左下にピンクで塗ったのが「あやせローズガーデン」で、ここは厚木基地に隣接しているロケーションになる。
ところで先ほどの神奈川県の区分地図を見て欲しい。綾瀬市と厚木市の間には海老名市が挟まっている。実は厚木基地は綾瀬市と大和市に立地していて厚木市とは無関係。なのにどうして厚木基地なのかは諸説あって不明。開設されたのは帝国海軍時代の1942年(昭和17年)。その頃の正式名称は調べられなかったが、厚木海軍航空隊が置かれていたから通称は厚木基地だったはず。
たった83年前のことでも正確な事情がわからないのに、歴史学者は何100年、1000年以上前の出来事を、さも見てきたかのように解説するね(^^ゞ
ーーー続く
地図で白くなっているのが綾瀬市。横浜中心部の西側、湘南エリアの北側に位置している。交通情報で「東名・綾瀬バス停から何キロ渋滞」とよく聞くので名前は知っていたが、しっかりと位置を確認したのは始めて。東京都には清瀬市があって、どちらもマイナーなので(ゴメン)混同しそう。
ついでに神奈川県の区分地図。画像はMap-It マップイット(c)から引用
清川村、中井町、大井町、開成町は初めてその名前を知った。でも清川村には宮ヶ瀬湖があり、東名高速には秦野中井と大井松田のインターチェンジ、そして開成町はよくツーリングした南足柄に行く途中なので、意識はしていなくてもバイクやクルマで通っている。なお中井町・大井・開成ともに「ちょう」ではなく「まち」と発音する。
相鉄線(相模鉄道)の「さがみ野駅」で下車。
あやせローズガーデンもそうだけれど、平仮名を使う名称は文章の途中だと「 」を入れないと読みにくいからやめて欲しいと昔から主張している。でも平仮名を使うネーミングはどんどん増えるばかり(/o\)
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
ここまでの経路は東急東横線→東急目黒線→東急新横浜線→相鉄新横浜線→相鉄本線と5つの路線。でも東急と相鉄が相互乗り入れが2023年3月に開業したので、乗り換えたのは多摩川駅(田園調布駅の隣)で東横線から目黒線への1回だけ。
私鉄や地下鉄の相互乗り入れが進んでとても便利な世の中になっている。ただたまに列車の行き先がとても遠くの地名で、どちらに向かっているのかわからない場合があったりもする。
駅前のロータリー。
あのバスに乗る。
使えるのは吉岡工業団地行きと長後駅西口行きで1時間に3本。駅を降りて10分ほどでバスが来てラッキー。歩くと45分くらい、バスだと10分弱。
観音入口の停留所で降りてバスで来た道をしばらく進む。
200メートルほど歩くと工事中の囲い。
その内側はもう「あやせローズガーデン」。
さらに進むとローズガーデンの幟(のぼり)。
あやせローズガーデンは5月1日にオープンしたばかり。
光陵公園の中にあやせローズガーデンはある。
公園に到着。
ここは綾瀬市の市立公園。開園は1976年(昭和51年)で面積は4.4ヘクタール。2019年から改修工事を進め、野球場を多目的フィールドに作り替え、以前よりあったバラ園もローズガーデンにリニューアルして昨年の5月にオープンする予定だった。当初の計画では入場料400円の有料施設(元のバラ園は無料)。
しかし昨年2月に「予定どおりの工事完成は見込めるものの、昨年の寒さや夏の高温などの影響により植物の生育が有料施設としてふさわしい状態まで達しないため、オープンを1年延期します」と発表される。綾瀬市のプレスリリースはここをクリック
さらに9月には市議会の反発で指定管理者選定の議案が否決され、それと関連するのかどうかはわからないが、有料化も取り消された。何かとゴタゴタした中での再出発のようだ。
黄色で囲ったのが光陵公園で、この航空写真ではまだ完成していないローズガーデンはピンクの線。写真左側で木が密集しているのは「長峰自然の森」と呼ばれる自然保護区のようなところ。ただし神奈川県のホームページでは「長峰の森」となっている。
なぜか現在の光陵公園の全体マップが見当たらない。これは綾瀬市のホームページで2024年02月02日更新のページに掲載されていた平面図。
これを見ると野球場の位置は変わらず、芝生広場を駐車場にし、日本庭園とバラ園と一緒にしてローズガーデンを作ったと読み取れる。
さらに航空写真の範囲を拡大すると青い線で囲ったのは厚木基地。正確には米軍の厚木航空施設と、海上自衛隊の厚木航空基地で共同利用している施設。面積は507ヘクタール。ちなみに羽田空港1516ヘクタール、成田空港1137ヘクタール。
写真左下にピンクで塗ったのが「あやせローズガーデン」で、ここは厚木基地に隣接しているロケーションになる。
ところで先ほどの神奈川県の区分地図を見て欲しい。綾瀬市と厚木市の間には海老名市が挟まっている。実は厚木基地は綾瀬市と大和市に立地していて厚木市とは無関係。なのにどうして厚木基地なのかは諸説あって不明。開設されたのは帝国海軍時代の1942年(昭和17年)。その頃の正式名称は調べられなかったが、厚木海軍航空隊が置かれていたから通称は厚木基地だったはず。
たった83年前のことでも正確な事情がわからないのに、歴史学者は何100年、1000年以上前の出来事を、さも見てきたかのように解説するね(^^ゞ
ーーー続く
2025年05月27日
12球植えて11発芽し12輪咲いたチューリップ2025総集編
昨年は春に植えた百日草が、2024年7月26日から12月22日まで149日間も咲き百五十日草になった。それで同じプランターを使うチューリップの、球根を植え付けるタイミングを逃してしまい2025年シーズンはお休み。これで2023年、2024年と3回連続。
ーーーのはずだったのに、大晦日に正月食料の買い出しにスーパーに行ったら、正月飾りの隣にチューリップの球根があり、つい買ってしまう。元旦に植え付けて、1月27日に初発芽、4月4日に初開花、そして4月10日に7株まで開花していると以前にブログに書いた。
植えていたのはこの3品種を4球ずつで12球。
以前は200球近く植えていたのと較べると極めて小規模。
なお中央のハウステンボスという品種は3株しか発芽しなかった。
ちなみにハウステンボスは、長崎のテーマパーク「ハウステンボス」が2000年の日蘭友好400周年にあわせて命名した品種。
これは4月10日に載せた写真。
赤いカナスタ4輪、黄色いワシントン3輪で7開花。
そして4月12日に開花が遅れていたハウステンボスも咲いて、メデタク全品種が開花。
開花直後のハウステンボスは白っぽい。
ではご斉唱ください。
♪ならんだ ならんだ あかしろきいろ
♪どの花みても きれいだな
花びらがギザギザのフリンジ咲き。
3品種が咲いているのを別角度で。
4月15日にハウステンボスの2つ目が開花。
最初に咲いたのは少しピンクになってきた。
ハウステンボス3つ目が咲いたのは4月18日。
でも赤いカナスタが1つ、黄色いワシントンが2つ脱落。
先ほど書いたようにハウステンボスは4球植えて3株しか発芽しなかった。そしてチューリップは1株に1本の茎が伸びてひとつの花が咲く。でも4月19日にハウステンボスが4つになった!
中央の2輪は茎が途中で枝分かれしている。このような咲き方をしたのは初めてのような気がする。過去のブログを確認しようと思ったけれど153回も投稿していたので断念。でもかなりビックリしたからおそらく初めて。
調べてみると「枝咲き」「スプレー咲き」という1株で複数の花、多ければ7〜8輪をつける品種もあるみたい。でもこのハウステンボスはそういった品種ではなく、いわゆる突然変異での結果。
「枝咲き」「スプレー咲き」の画像検索結果はここをクリック。今までの球根選びで見た記憶はないものの、華やかそうなので次に育てるときはこれらも加えたいと思う。
カナスタとワシントンも4つ咲いている姿を載せましょう。
さてきれいな花を見終えた後は、
総集編名物の「朽ちゆくチューリップを愛でる会」を開催します(^^ゞ
これはこれで味わいがあるでしょ。
そして花の命は短くてーーー
5月5日には終了時期を迎える。
数はずいぶんと少なくても
それなりに楽しめた2025年チューリップ。
どれくらいの規模にするかは別として来シーズンも植えると思う。
ーーーのはずだったのに、大晦日に正月食料の買い出しにスーパーに行ったら、正月飾りの隣にチューリップの球根があり、つい買ってしまう。元旦に植え付けて、1月27日に初発芽、4月4日に初開花、そして4月10日に7株まで開花していると以前にブログに書いた。
植えていたのはこの3品種を4球ずつで12球。
以前は200球近く植えていたのと較べると極めて小規模。
なお中央のハウステンボスという品種は3株しか発芽しなかった。
ちなみにハウステンボスは、長崎のテーマパーク「ハウステンボス」が2000年の日蘭友好400周年にあわせて命名した品種。
これは4月10日に載せた写真。
赤いカナスタ4輪、黄色いワシントン3輪で7開花。
そして4月12日に開花が遅れていたハウステンボスも咲いて、メデタク全品種が開花。
開花直後のハウステンボスは白っぽい。
ではご斉唱ください。
♪ならんだ ならんだ あかしろきいろ
♪どの花みても きれいだな
花びらがギザギザのフリンジ咲き。
3品種が咲いているのを別角度で。
4月15日にハウステンボスの2つ目が開花。
最初に咲いたのは少しピンクになってきた。
ハウステンボス3つ目が咲いたのは4月18日。
でも赤いカナスタが1つ、黄色いワシントンが2つ脱落。
先ほど書いたようにハウステンボスは4球植えて3株しか発芽しなかった。そしてチューリップは1株に1本の茎が伸びてひとつの花が咲く。でも4月19日にハウステンボスが4つになった!
中央の2輪は茎が途中で枝分かれしている。このような咲き方をしたのは初めてのような気がする。過去のブログを確認しようと思ったけれど153回も投稿していたので断念。でもかなりビックリしたからおそらく初めて。
調べてみると「枝咲き」「スプレー咲き」という1株で複数の花、多ければ7〜8輪をつける品種もあるみたい。でもこのハウステンボスはそういった品種ではなく、いわゆる突然変異での結果。
「枝咲き」「スプレー咲き」の画像検索結果はここをクリック。今までの球根選びで見た記憶はないものの、華やかそうなので次に育てるときはこれらも加えたいと思う。
カナスタとワシントンも4つ咲いている姿を載せましょう。
さてきれいな花を見終えた後は、
総集編名物の「朽ちゆくチューリップを愛でる会」を開催します(^^ゞ
これはこれで味わいがあるでしょ。
そして花の命は短くてーーー
5月5日には終了時期を迎える。
数はずいぶんと少なくても
それなりに楽しめた2025年チューリップ。
どれくらいの規模にするかは別として来シーズンも植えると思う。
2025年05月25日
小さい方のベンジャミンを植え替え
ウチのベンジャミンは大小の2本がある。大きいのは35年ほど前に実家にあった苗木をもらってきた。それから25年ほど経った頃に、そのベンジャミンから挿し木をとって増やしたのが小さいベンジャミン。2016年と2017年に12本、3本、18本と合計33本を挿し木して、32本を枯らして生き残った唯一の1本である。その試行錯誤の連続に興味があれば、文末の「ベンジャミン」のタグをクリックして読んでちょうだい。
2017年7月8日に水挿しからスタート、
7月15日に赤玉土に植え替え。
ひとつだけ大きなペットボトルに入れられているのが後のベンジャミン(小)になる。
10月9日に鉢上げして赤玉土の苗床から普通のプランター&用土に移す。
約1年後となる2018年10月25日の撮影。
一番左が後のベンジャミン(小)。
そして最初の水挿しから8年弱が経過した現在のベンジャミン(小)を(大)と並べて。
よくぞここまでと感涙にむせぶね(^^ゞ
しかし鉢上げしたときから、つまり8年前からプランターは同じ。さすがに背丈に対してプランターが小さく=軽すぎて、昨年の夏頃から少し強い風が吹くと倒れるようになってしまった。
そこで植え替えを実施。
作業は本日5月25日。
プランターから引き抜く。菜箸をプランターと土が接している部分に差し込み、グルグルして隙間を作ったら割とあっさり抜けた。
根の状態を見る。
さっぱりわからない(^^ゞ
二回りほど大きなプランターに、用土はフレッシュな腐葉土50%&赤玉中粒50%の割合。マガァンプK(化成肥料)も混ぜ込んだ。量は適当に手で3つかみほど。このプランターはベンジャミン(大)が2016年に植え替えるまで使っていたもの。
植え替え終了の記念写真。
プランターが大きくなった分だけかさ上げされて、少し背が高くなった。
悩みの種は幹が細いこと。ベンジャミン(大)も細いが、(小)は背丈を考えるとあり得ないくらい細い。原因はたぶん日照不足。ベランダは東向きなので直射日光は午前中しか当たらない。
なお写真を見て両者の幹の色が違うのに初めて気がついた。ベンジャミン(大)は老木っぽい印象(/o\) 寿命はどれくらいなんだろう?
5月22日にブログにしたベンジャミン(大)の葉が枯れて茶色くなる現象。(小)にもわずかに見られたので、同様に痛んでいる葉はすべて切り落とした。
(大)は全体の1〜2割程度が痛んでいたのに対し、(小)は数%程度なのであまり気にしていない。また(大)の痛んだ葉を切り落としたのは5月18日だから本日で1週間経過。今のところ再発は見られなくてひと安心。
とりあえず夏が過ぎるまでは好き勝手に葉を伸ばさせて、
秋になったら、できるだけ丸い形になるように剪定するつもり。
2017年7月8日に水挿しからスタート、
7月15日に赤玉土に植え替え。
ひとつだけ大きなペットボトルに入れられているのが後のベンジャミン(小)になる。
10月9日に鉢上げして赤玉土の苗床から普通のプランター&用土に移す。
約1年後となる2018年10月25日の撮影。
一番左が後のベンジャミン(小)。
そして最初の水挿しから8年弱が経過した現在のベンジャミン(小)を(大)と並べて。
よくぞここまでと感涙にむせぶね(^^ゞ
しかし鉢上げしたときから、つまり8年前からプランターは同じ。さすがに背丈に対してプランターが小さく=軽すぎて、昨年の夏頃から少し強い風が吹くと倒れるようになってしまった。
そこで植え替えを実施。
作業は本日5月25日。
プランターから引き抜く。菜箸をプランターと土が接している部分に差し込み、グルグルして隙間を作ったら割とあっさり抜けた。
根の状態を見る。
さっぱりわからない(^^ゞ
二回りほど大きなプランターに、用土はフレッシュな腐葉土50%&赤玉中粒50%の割合。マガァンプK(化成肥料)も混ぜ込んだ。量は適当に手で3つかみほど。このプランターはベンジャミン(大)が2016年に植え替えるまで使っていたもの。
植え替え終了の記念写真。
プランターが大きくなった分だけかさ上げされて、少し背が高くなった。
悩みの種は幹が細いこと。ベンジャミン(大)も細いが、(小)は背丈を考えるとあり得ないくらい細い。原因はたぶん日照不足。ベランダは東向きなので直射日光は午前中しか当たらない。
なお写真を見て両者の幹の色が違うのに初めて気がついた。ベンジャミン(大)は老木っぽい印象(/o\) 寿命はどれくらいなんだろう?
5月22日にブログにしたベンジャミン(大)の葉が枯れて茶色くなる現象。(小)にもわずかに見られたので、同様に痛んでいる葉はすべて切り落とした。
(大)は全体の1〜2割程度が痛んでいたのに対し、(小)は数%程度なのであまり気にしていない。また(大)の痛んだ葉を切り落としたのは5月18日だから本日で1週間経過。今のところ再発は見られなくてひと安心。
とりあえず夏が過ぎるまでは好き勝手に葉を伸ばさせて、
秋になったら、できるだけ丸い形になるように剪定するつもり。
2025年05月24日
桃の種まき4回目
食べ終わった果物の種を、ベランダで余っているプランターに植え付ける名付けてフルーツガーデニング。果物を収穫するなんてことはもちろん、そこそこの大きさの株に育つのさえ期待しておらず、発芽したときのヤッター!感をコストゼロで楽しむのが目的。
しかし現実は厳しく、ここまでの実績は
リンゴ 種まき数 12 発芽数 4
柿 種まき数 24 発芽数 2
アメリカンチェリー 種まき数 8 発芽数ゼロ
桃 種まき数 6 発芽数 1
みかん 種まき数 6 発芽数ゼロ
せとか 種まき数 1 発芽数ゼロ
ブドウ 種まき数 不明 発芽数ゼロ
キンカン 種まき数 12 発芽数ゼロ
種まき数の記録が見当たらないブドウを除外してカウントすると、種まき合計の69粒に対して発芽合計は7株。発芽率はわずかに10.1%に過ぎない。なおかつ20センチ以上に成長した株はなし。
そんなことは気にせず今年も種まきしましょう。
今回は桃。
桃は過去3回挑戦している。
2020年8月30日 2つまく 発芽せず
2022年4月11日 2つまく 5月中頃に1つ発芽→8月中旬に枯れる
2023年3月12日 2つまく 発芽せず
それでも桃は8品種トライして発芽した3品種のひとつである。
作業日は本日5月24日。本当は4月初旬のつもりだったが忘れていた。それはなぜかというと、種はもちろん昨年の夏に食べた桃のものである。忘れないようにとキッチンのわりと目立つ場所に置いてあったのだが、半年以上もそこに置いてあるものだから、すっかりいつもの光景となって存在感がなくなってしまい(^^ゞ
桃の種まきはひと手間かかる。
これが桃の種でクルミのような殻に覆われている。このまま撒いても土の中で口が開くはずだけれど、中の種を採りだしたほうが発芽しやすい(らしい)。
ペンチで周辺部を少し砕く。
これはドライバーを差し込みやすくするため。
写真では中央のが作業済み。
そしてドライバーを当ててハンマーで叩く。
殻はかなり固いので力が弱いと跳ね返されるし、強すぎるとぐっさり中まで入って種を傷つけてしまう。またドライバーとハンマーで両手がふさがり、種を固定するのは両足の親指とトリッキーな姿勢。
割れるとアーモンドが薄くなったような種が現れる。
真ん中のはちょっとドライバーが当たってしまった。
プランターは土の入った使い回し。
殻が割れれば種まきはあっという間に終了。
種の位置はごく浅くわずかに土が被さっている程度。
殻を載せているのは、ここに桃の種が入っているとの目印。
さてどうなるやら。
過去の桃の発芽率は1/6=16.7%で、今のところ期待値もその程度。
しかし現実は厳しく、ここまでの実績は
リンゴ 種まき数 12 発芽数 4
柿 種まき数 24 発芽数 2
アメリカンチェリー 種まき数 8 発芽数ゼロ
桃 種まき数 6 発芽数 1
みかん 種まき数 6 発芽数ゼロ
せとか 種まき数 1 発芽数ゼロ
ブドウ 種まき数 不明 発芽数ゼロ
キンカン 種まき数 12 発芽数ゼロ
種まき数の記録が見当たらないブドウを除外してカウントすると、種まき合計の69粒に対して発芽合計は7株。発芽率はわずかに10.1%に過ぎない。なおかつ20センチ以上に成長した株はなし。
そんなことは気にせず今年も種まきしましょう。
今回は桃。
桃は過去3回挑戦している。
2020年8月30日 2つまく 発芽せず
2022年4月11日 2つまく 5月中頃に1つ発芽→8月中旬に枯れる
2023年3月12日 2つまく 発芽せず
それでも桃は8品種トライして発芽した3品種のひとつである。
作業日は本日5月24日。本当は4月初旬のつもりだったが忘れていた。それはなぜかというと、種はもちろん昨年の夏に食べた桃のものである。忘れないようにとキッチンのわりと目立つ場所に置いてあったのだが、半年以上もそこに置いてあるものだから、すっかりいつもの光景となって存在感がなくなってしまい(^^ゞ
桃の種まきはひと手間かかる。
これが桃の種でクルミのような殻に覆われている。このまま撒いても土の中で口が開くはずだけれど、中の種を採りだしたほうが発芽しやすい(らしい)。
ペンチで周辺部を少し砕く。
これはドライバーを差し込みやすくするため。
写真では中央のが作業済み。
そしてドライバーを当ててハンマーで叩く。
殻はかなり固いので力が弱いと跳ね返されるし、強すぎるとぐっさり中まで入って種を傷つけてしまう。またドライバーとハンマーで両手がふさがり、種を固定するのは両足の親指とトリッキーな姿勢。
割れるとアーモンドが薄くなったような種が現れる。
真ん中のはちょっとドライバーが当たってしまった。
プランターは土の入った使い回し。
殻が割れれば種まきはあっという間に終了。
種の位置はごく浅くわずかに土が被さっている程度。
殻を載せているのは、ここに桃の種が入っているとの目印。
さてどうなるやら。
過去の桃の発芽率は1/6=16.7%で、今のところ期待値もその程度。
2025年05月22日
ベンジャミンの葉が枯れて茶色い(>_<)
正確な記憶はないものの、かれこれ35年ほど一緒に暮らしているベンジャミン。斑入りの葉なので品種名はベンジャミン・スターライト。ーーーと思っていたら「ベンジャミン・スターライト」で検索すると「フィカス・ベンジャミン・スターライトの育て方」なんて記事が最初にヒットした。
フィカスとはナンジャ?と思って調べると、どうやらベンジャミンの学名がフィカス・ベンジャミナ(Ficus benjamina)で、それでベンジャミンをフィカス・ベンジャミンと呼ぶ場合もあるらしい。だとしても別にフィカスを付け加える必要を感じないし、子供の頃にテレビでベンジャミン伊東の登場を楽しみにしていた身としては、これからもベンジャミンと呼びたい(^^ゞ あっ、ベンジャミン伊東を知っていたらジジババ確定ね。
ベンジャミンは11月の終わり頃に部屋に取り込んで、3月の中頃〜4月の初めあたりにベランダに出す。室内だと日照が足りないのか葉を落とす。2月くらいから落ちる葉が増えだし、最終的に葉の量は半分くらいになる。でも外に出せば新芽が出て葉ができ5月には元通りに。毎年それの繰り返し。
なのだけれどーーー
今年は4月の中頃より、葉の一部が枯れて茶色くなる症状が多発(/o\)
全体の1〜2割に症状が出ている。
ネットで調べても原因はよくわからず。
水不足
光の不足または過剰
気温の変化
などを指摘しているページもあったが、水のやり方は35年間変わっておらず室外なら基本的に週1回。室内に置いていたときにこの症状はなかったから光の不足ではないし、ベランダには屋根があり過剰も考えづらい。3月の後半〜4月の前半に最低気温が5度を下回る日が何度か続いたので、それが原因かなあ。
また2021年の夏前にカイガラムシあるいはスス病の影響(はっきりとした原因はわからず推測)で大量に葉を落とした。しかしその時とも症状が違う。
しばらく観察すると症状の進行は極めて緩慢。
さっさと枯れて落ちてくれれば新しい葉が出てくるのに。
そして茶色くなった葉が元に戻ることはない。
というわけで1ミリでも茶色くなっている葉を全部切り落とした。
実施は5月18日。
ベンジャミンの前に立ち、上から横から下から眺めて痛んだ葉を探し、
鉢を少しずつ回転させながら見落としがないように。
30分以上はかかった手間のいる作業。
多少の見落としはあるとしても95%は除去できたと思う。
痛んだ葉を切り取る前と後。
写真ではあまり違いがわからないが、かなりスカスカになった。
そして本日現在、新たに茶色くなっている葉はなし。ただしたった4日の経過観察ではまだ安心するには早いかも知れない。とにかく再び症状が現れないのを願っている。
なおベンジャミンはもう1本あって、
そちらは大きな鉢に植え替えをする予定。
その話は近いうちに。
フィカスとはナンジャ?と思って調べると、どうやらベンジャミンの学名がフィカス・ベンジャミナ(Ficus benjamina)で、それでベンジャミンをフィカス・ベンジャミンと呼ぶ場合もあるらしい。だとしても別にフィカスを付け加える必要を感じないし、子供の頃にテレビでベンジャミン伊東の登場を楽しみにしていた身としては、これからもベンジャミンと呼びたい(^^ゞ あっ、ベンジャミン伊東を知っていたらジジババ確定ね。
ベンジャミンは11月の終わり頃に部屋に取り込んで、3月の中頃〜4月の初めあたりにベランダに出す。室内だと日照が足りないのか葉を落とす。2月くらいから落ちる葉が増えだし、最終的に葉の量は半分くらいになる。でも外に出せば新芽が出て葉ができ5月には元通りに。毎年それの繰り返し。
なのだけれどーーー
今年は4月の中頃より、葉の一部が枯れて茶色くなる症状が多発(/o\)
全体の1〜2割に症状が出ている。
ネットで調べても原因はよくわからず。
水不足
光の不足または過剰
気温の変化
などを指摘しているページもあったが、水のやり方は35年間変わっておらず室外なら基本的に週1回。室内に置いていたときにこの症状はなかったから光の不足ではないし、ベランダには屋根があり過剰も考えづらい。3月の後半〜4月の前半に最低気温が5度を下回る日が何度か続いたので、それが原因かなあ。
また2021年の夏前にカイガラムシあるいはスス病の影響(はっきりとした原因はわからず推測)で大量に葉を落とした。しかしその時とも症状が違う。
しばらく観察すると症状の進行は極めて緩慢。
さっさと枯れて落ちてくれれば新しい葉が出てくるのに。
そして茶色くなった葉が元に戻ることはない。
というわけで1ミリでも茶色くなっている葉を全部切り落とした。
実施は5月18日。
ベンジャミンの前に立ち、上から横から下から眺めて痛んだ葉を探し、
鉢を少しずつ回転させながら見落としがないように。
30分以上はかかった手間のいる作業。
多少の見落としはあるとしても95%は除去できたと思う。
痛んだ葉を切り取る前と後。
写真ではあまり違いがわからないが、かなりスカスカになった。
そして本日現在、新たに茶色くなっている葉はなし。ただしたった4日の経過観察ではまだ安心するには早いかも知れない。とにかく再び症状が現れないのを願っている。
なおベンジャミンはもう1本あって、
そちらは大きな鉢に植え替えをする予定。
その話は近いうちに。
2025年05月20日
クリスマス・カクタスの剪定と挿し芽2025
2008年に買ってきてから挿し芽をして増やしてきたクリスマス・カクタス。2019年にはハマキムシにかじられて被害甚大だったりもした。なんとかそれも乗り越えて、昨年春時点でのベランダ・ラインナップは
2021年春に植え替えした:4代目その1
2021年春に植え替えした:4代目その2が半分萎れたので引き抜き→そのスペースに
2024年春に挿し芽をしたミックス鉢の4代目半
2022年春に挿し芽した:5代目その1
2023年春に挿し芽した:5代目その2
の4鉢。
2021年春に株を植え替えた4代目は、その年の冬こそあまり咲かなかったものの(これは想定内)、期待通り2022年と翌2023年にはかなりの花数となった。
しかし4代目その2が2024年春に半分萎れる。4代目その1は葉(サボテンなので正確には茎)の状態はよかったのに2024年の冬は前年・前々年と較べて極端に花数が少なくなった。植え替え効果はたった2シーズンなのかとガッカリ。
また4代目半に挿した芽は夏頃には全滅してしまい、またその鉢に残していた4代目その2の株も精気がなくなりほとんど花を付けず。
そのあたりの写真付き状況は下記のクリックで。
→今シーズンは不作なクリスマス・カクタス
そしてやって来ました今年も剪定&挿し芽の時期。
作業したのは5月18日。
4代目半は廃棄するとして、問題は4代目その1をどうするか。植え替えると今年の冬は花を咲かせない。昨シーズンは数輪だけだった5代目その1は、今シーズンで4年目となるのでそこそこの花数になるはずだが、そうなる保証があるわけじゃない。5代目その2はまだ今シーズンは無理だろう。
ーーーなどを考えて、安全策をとって4代目その1は植え替えず現状のままとした。2021年に植え替えた=土をフレッシュにしていて、昔は10年以上何もしなくてもたくさん咲いていたのだからとの気持ちもあった。あっ、これは過去の成功体験にひきづられて失敗するというパターンかも(^^ゞ
それぞれの剪定前と後。
<2021年春に植え替えした:4代目その1>
<2022年春に挿し芽した:5代目その1>
<2023年春に挿し芽した:5代目その2>
<2021年春に植え替えした:4代目その2&2024年春に挿し芽した4代目半>
とても弱っているのは廃棄するつもりで、もう水やりしていなかったから。
けっこうバッサリと茎をちぎっているのに、写真に撮るとあまりそう見えない。株の絶対数が多すぎるのかな。
ちぎった茎。
4代目その1は株の一部が木質化しているのが気がかり。おそらく老化のサイン。今までもよくなったが、2021年に植え替えてまだ4年しか経っていないのに。
そして今年の挿し芽:5代目その3と命名。
5代目その1と2からちぎった茎も混じっているけれど、4代目その1の茎が多いので5代目のネーミングを踏襲。
土はフレッシュな腐葉土と赤玉土を1/2ずつのミックス。マガァンプK(化成肥料)も混ぜ込んである。金粉みたいに見えるのは表面に振りかけたバーミキュライト(砂の一種)。特に意味や目的はなくバーミキュライトが余っていたので。
他の3鉢は
・割り箸で土をブスブス(耕している、土に空気が入るようにしているつもり。
効果があるのかどうかは不明)
・マガァンプK(化成肥料)をパラパラ
・その上に腐葉土を少しだけ足す
といつもの手順。
それと秋に花芽を付ける前にも茎を摘むとも聞いたので、後で調べて今年はやってみるつもり。とりあえず9月10日になったら「クリスマス・カクタスの茎を摘む準備」と表示されるようスケジュールソフトに設定した。
冬になったら、
4代目その1と5代目その1が2022年レベルで咲きますように。
2021年春に植え替えした:4代目その1
2021年春に植え替えした:4代目その2が半分萎れたので引き抜き→そのスペースに
2024年春に挿し芽をしたミックス鉢の4代目半
2022年春に挿し芽した:5代目その1
2023年春に挿し芽した:5代目その2
の4鉢。
2021年春に株を植え替えた4代目は、その年の冬こそあまり咲かなかったものの(これは想定内)、期待通り2022年と翌2023年にはかなりの花数となった。
しかし4代目その2が2024年春に半分萎れる。4代目その1は葉(サボテンなので正確には茎)の状態はよかったのに2024年の冬は前年・前々年と較べて極端に花数が少なくなった。植え替え効果はたった2シーズンなのかとガッカリ。
また4代目半に挿した芽は夏頃には全滅してしまい、またその鉢に残していた4代目その2の株も精気がなくなりほとんど花を付けず。
そのあたりの写真付き状況は下記のクリックで。
→今シーズンは不作なクリスマス・カクタス
そしてやって来ました今年も剪定&挿し芽の時期。
作業したのは5月18日。
4代目半は廃棄するとして、問題は4代目その1をどうするか。植え替えると今年の冬は花を咲かせない。昨シーズンは数輪だけだった5代目その1は、今シーズンで4年目となるのでそこそこの花数になるはずだが、そうなる保証があるわけじゃない。5代目その2はまだ今シーズンは無理だろう。
ーーーなどを考えて、安全策をとって4代目その1は植え替えず現状のままとした。2021年に植え替えた=土をフレッシュにしていて、昔は10年以上何もしなくてもたくさん咲いていたのだからとの気持ちもあった。あっ、これは過去の成功体験にひきづられて失敗するというパターンかも(^^ゞ
それぞれの剪定前と後。
<2021年春に植え替えした:4代目その1>
<2022年春に挿し芽した:5代目その1>
<2023年春に挿し芽した:5代目その2>
<2021年春に植え替えした:4代目その2&2024年春に挿し芽した4代目半>
とても弱っているのは廃棄するつもりで、もう水やりしていなかったから。
けっこうバッサリと茎をちぎっているのに、写真に撮るとあまりそう見えない。株の絶対数が多すぎるのかな。
ちぎった茎。
4代目その1は株の一部が木質化しているのが気がかり。おそらく老化のサイン。今までもよくなったが、2021年に植え替えてまだ4年しか経っていないのに。
そして今年の挿し芽:5代目その3と命名。
5代目その1と2からちぎった茎も混じっているけれど、4代目その1の茎が多いので5代目のネーミングを踏襲。
土はフレッシュな腐葉土と赤玉土を1/2ずつのミックス。マガァンプK(化成肥料)も混ぜ込んである。金粉みたいに見えるのは表面に振りかけたバーミキュライト(砂の一種)。特に意味や目的はなくバーミキュライトが余っていたので。
他の3鉢は
・割り箸で土をブスブス(耕している、土に空気が入るようにしているつもり。
効果があるのかどうかは不明)
・マガァンプK(化成肥料)をパラパラ
・その上に腐葉土を少しだけ足す
といつもの手順。
それと秋に花芽を付ける前にも茎を摘むとも聞いたので、後で調べて今年はやってみるつもり。とりあえず9月10日になったら「クリスマス・カクタスの茎を摘む準備」と表示されるようスケジュールソフトに設定した。
冬になったら、
4代目その1と5代目その1が2022年レベルで咲きますように。
2025年05月17日
仙川散歩:祖師谷公園〜砧公園
4月30日に西沢つつじ園を訪れた後、仙川沿いにある祖師谷公園、大蔵運動公園、砧公園を散歩して回った最終回。仙川沿いを歩くのが趣旨だったのだけれど、それも少し飽きたので祖師谷公園を出た後は、成城学園前までは街中を通るルートに変更。
駅に突き当たって300メートルほど線路沿いに歩いた後、仙川散歩の再スタート。
川沿いはこんな雰囲気。
同じ景色が続いて退屈した頃に現れた、この番号の振ってある建物は東宝のスタジオ。見えているのはごく一部で、10棟のスタジオがあり敷地面積は7.8ヘクタール。
東映や松竹は撮影所なのに東宝はスタジオの名称を使っている。でも東宝の撮影所という呼び方も聞くので、最近に名称変更したのかと思ったら1971年(昭和46年)から東宝スタジオだった。
東宝スタジオを過ぎて5〜6分歩くと仙川は世田谷通りと交差する。ここまで祖師谷公園を出て45分、西沢つつじ園からだと2時間ちょっと。
世田谷通りに架かっているのは大蔵橋で、
そこから妙法寺の「おおくら大仏」が見える。
なんだ後ろ姿かと思ったでしょ。実はこの大仏、参拝者がいる午前9時から午後5時までは本堂の方を向いており、そして午後5時になると180度回転して世田谷通りを向くのだ。あっ、もちろん法力ではなくモーターでね(^^ゞ 似たような方向で撮影して、大仏が正面を向いている写真はこちら→クリック
世田谷通りを超えたあたりは何やら工事中。
左岸側は崖になっており、崖の上に大蔵運動公園がある。
ここから登れるようになっていた。
かなりハードなのかと思いきや、
1〜2分で登り切り、
現在位置は案内図にあるアスレチック広場。
テニスコートの横を通り抜け、
奥にある高いネットはゴルフ練習場のもの。
中央の広場で本日4つ目の鯉のぼり。
この公園のは極めてオーソドックスな鯉のぼり。
吹き流しまであった。
残念ながらこの時は風がほとんどなく。
しかし、このようにロープに連結した鯉のぼりは川や池に渡されているのがほとんどで、真下から眺められる機会は貴重。それでしばらく粘っていたら泳ぎだしてメデタシ。
それにしてもここ最近に見た鯉のぼりはロープ式ばかり。
久しぶりにポールに掲げられている鯉のぼりも見たいな。
広場の通路に噴水あり。
お約束のハイスピードシャッターで、
水しぶきを止めたけれど、水量がわずかしかなくてショボくなってしまった(/o\)
噴水の先にバラ。
これは大蔵運動公園と砧公園を隔ている大蔵通り。
大蔵運動公園と砧公園は隣接している。航空写真でわかるように大蔵運動公園はスポーツ施設中心で、砧公園は広い芝生となかなかいい組み合わせ。
大蔵運動公園は世田谷区立で11.3ヘクタールと区立公園としてはダントツに広い。砧公園は都立で39.1ヘクタール。併せると50ヘクタールを越え、23区の都立公園面積ランキングでは7位相当の広さになる。
西門より砧公園に入る。
この案内図は上が南。
園内ブラブラ。
こんな景色の中を歩いていたら、
なぜか倒れて放置されている?木を見つけた。
近づいて「なかなかの味わい」と眺めていて、
ふと視線を上げると。
٩(;°□°)۶ キャー、ここは木の墓場なのか!
世田谷美術館も砧公園の中にある。
砧公園の魅力はなんと言っても広い芝生。
都会の中にあるとは思えない空間。
なんだけど、
先ほどの案内図を見てわかるように、ここは東名高速が隣を通っていて、園内のどこにいてもかなりの音量=うるさいレベルの騒音(>_<)
砧公園と大蔵運動公園沿いの東名高速は約1.5キロ。
その区間をトンネルで覆ってくれないかなあ。
3つの公園巡りはここで終了。4つの鯉のぼりとたくさんの新緑、さらに初めて歩く仙川沿いで楽しいお散歩だった。
とはいってもさらに最寄りの用賀駅までは20分ほど歩かなければならない。
そして本日のトータル歩数は久々の2万歩越え。
過去最高は2万7409歩で、普段の散歩は1万〜1万5000歩くらい。
2万歩を超えても「脚」はまったく平気なのに「足の裏」が厳しくなってくる。
でもいずれ3万歩に挑戦したい。
おしまい
駅に突き当たって300メートルほど線路沿いに歩いた後、仙川散歩の再スタート。
川沿いはこんな雰囲気。
同じ景色が続いて退屈した頃に現れた、この番号の振ってある建物は東宝のスタジオ。見えているのはごく一部で、10棟のスタジオがあり敷地面積は7.8ヘクタール。
東映や松竹は撮影所なのに東宝はスタジオの名称を使っている。でも東宝の撮影所という呼び方も聞くので、最近に名称変更したのかと思ったら1971年(昭和46年)から東宝スタジオだった。
東宝スタジオを過ぎて5〜6分歩くと仙川は世田谷通りと交差する。ここまで祖師谷公園を出て45分、西沢つつじ園からだと2時間ちょっと。
世田谷通りに架かっているのは大蔵橋で、
そこから妙法寺の「おおくら大仏」が見える。
なんだ後ろ姿かと思ったでしょ。実はこの大仏、参拝者がいる午前9時から午後5時までは本堂の方を向いており、そして午後5時になると180度回転して世田谷通りを向くのだ。あっ、もちろん法力ではなくモーターでね(^^ゞ 似たような方向で撮影して、大仏が正面を向いている写真はこちら→クリック
世田谷通りを超えたあたりは何やら工事中。
左岸側は崖になっており、崖の上に大蔵運動公園がある。
ここから登れるようになっていた。
かなりハードなのかと思いきや、
1〜2分で登り切り、
現在位置は案内図にあるアスレチック広場。
テニスコートの横を通り抜け、
奥にある高いネットはゴルフ練習場のもの。
中央の広場で本日4つ目の鯉のぼり。
この公園のは極めてオーソドックスな鯉のぼり。
吹き流しまであった。
残念ながらこの時は風がほとんどなく。
しかし、このようにロープに連結した鯉のぼりは川や池に渡されているのがほとんどで、真下から眺められる機会は貴重。それでしばらく粘っていたら泳ぎだしてメデタシ。
それにしてもここ最近に見た鯉のぼりはロープ式ばかり。
久しぶりにポールに掲げられている鯉のぼりも見たいな。
広場の通路に噴水あり。
お約束のハイスピードシャッターで、
水しぶきを止めたけれど、水量がわずかしかなくてショボくなってしまった(/o\)
噴水の先にバラ。
これは大蔵運動公園と砧公園を隔ている大蔵通り。
大蔵運動公園と砧公園は隣接している。航空写真でわかるように大蔵運動公園はスポーツ施設中心で、砧公園は広い芝生となかなかいい組み合わせ。
大蔵運動公園は世田谷区立で11.3ヘクタールと区立公園としてはダントツに広い。砧公園は都立で39.1ヘクタール。併せると50ヘクタールを越え、23区の都立公園面積ランキングでは7位相当の広さになる。
西門より砧公園に入る。
この案内図は上が南。
園内ブラブラ。
こんな景色の中を歩いていたら、
なぜか倒れて放置されている?木を見つけた。
近づいて「なかなかの味わい」と眺めていて、
ふと視線を上げると。
٩(;°□°)۶ キャー、ここは木の墓場なのか!
世田谷美術館も砧公園の中にある。
砧公園の魅力はなんと言っても広い芝生。
都会の中にあるとは思えない空間。
なんだけど、
先ほどの案内図を見てわかるように、ここは東名高速が隣を通っていて、園内のどこにいてもかなりの音量=うるさいレベルの騒音(>_<)
砧公園と大蔵運動公園沿いの東名高速は約1.5キロ。
その区間をトンネルで覆ってくれないかなあ。
3つの公園巡りはここで終了。4つの鯉のぼりとたくさんの新緑、さらに初めて歩く仙川沿いで楽しいお散歩だった。
とはいってもさらに最寄りの用賀駅までは20分ほど歩かなければならない。
そして本日のトータル歩数は久々の2万歩越え。
過去最高は2万7409歩で、普段の散歩は1万〜1万5000歩くらい。
2万歩を超えても「脚」はまったく平気なのに「足の裏」が厳しくなってくる。
でもいずれ3万歩に挑戦したい。
おしまい
2025年05月15日
仙川散歩:祖師谷公園 その2
前回にあれこれ書いた、公園なのにその真ん中を縦断=敷地を分断している車道。
まずは下流を向いてその左側からスタート。
仙川との位置関係では左岸になる。
この日は4月30日。甲州街道と仙川の交差地点北側で見た「仙川・鯉のぼり流し」に続いて本日2つ目の鯉のぼり。なかなかポップなカラーリング。背中部分にロープを入れてあるので「泳ぐよう」には風に舞わない。そういう吊り方は初めて見た。
奥にもうひとつ。
よく見ると胸ビレと尻ビレも付いている。
♪♪やねよりたかいこいのぼり
大きいまごいはお父さん
小さいひごいは子どもたち
この童謡「こいのぼり」にはお母さんがいない。しかし真鯉(まごい)とは黒い鯉で、緋鯉(ひごい)は赤い鯉。そしてベーシックな鯉のぼりは次のような配置になっていて緋鯉は子供ではなくお母さん。画像はhttps://www.hinakoubou.jp/product/734415から引用
それは鯉のぼりが次のように変遷してきたから。
江戸時代は真鯉だけ→跡取り息子の誕生を祝う、成長を願っての掲揚
つまり真鯉は息子を表している
明治になって真鯉と緋鯉が対になる→父と息子の象徴
戦後→緋鯉はお母さんの象徴となり、さらに家族全員を表現するため
子供は男の子なら青や緑、女の子ならピンクやオレンジの子鯉が登場
童謡「こいのぼり」は1931年(昭和6年)に作られており、まだ明治スタイルの鯉のぼりを歌にしているから現在では歌詞が矛盾する。
ちょっとアップで。
あまり近づかないほうがよかったかも。
鯉のぼりの隣にあった藤棚。
見頃時期はとっくに終了していても、
何房かは写真に撮れた。
道路を渡って右側のエリアを探索。
特に何もなかったものの、
仙川の対岸にはそこそこツツジが咲いているのを見つける。
でも向こう岸に渡れないので、
また道路左側エリアに戻り、気持ちよさそうに風にそよぐ新緑。
ユリノキだった。
これは車道ではなく歩行者用通路。
新緑と常緑針葉樹の濃い緑のミックスゾーン。
少し開けた場所に出た。
とってもキミドリな新緑。
せきれい橋で右岸に移動。
上流方向。
先ほどのツツジは「まっいいか」と見に行かず。
下流方向に本日3つ目の鯉のぼり。
絵柄はわりとオーソドックスなものの、
色の塗り方は先ほどの鯉のぼりと似ている。
この時は風がなく、
鯉のぼりはご機嫌斜め(^^ゞ
右岸にある「はらっぱ広場」。
少し開けた場所もそうだったけれど祖師谷公園は芝生がない。
木に何か引っ掛かっている。
ナンジャコレ?
今までに見たことがない形状。
しかし今は画像検索ができる便利な時代。
これはパチンコのようにして飛ばすパラシュートのオモチャだと判明。
ところで、
この木に引っ掛かった写真をAIに見せて尋ねると
ChatGPT:オリエンテーリングのコントロールフラッグ
(オリエンテーリングとは野山に設定されたポイントを、
指定された順序で通過し所要時間を競うスポーツ
コントロールフラッグはそのポイントを示す目印)
Grok:ヘリウムを詰め浮いていた風船
Gemini:赤と青の風船が複数入ったネット状の袋
と、チンプンカンプンな回答。AIは思考の補助ツール、平たく言えば相談相手としてはかなり使えるが、調べ物をさせるとあまり当てにならない。画像の内容に使ったのは初めてで、まるでダメダメだとわかった。
ただし不可解なのはGemini(ジェミニ)の回答。これはGoogleが提供している生成AI。画像検索したのもGoogleで、こちらは一発でパラシュートオモチャを探し当ててきたのに。どうやら連携はしていないみたい。いや、私がAIより賢いことにしておこう(^^ゞ なおGrok(グロック)はエックス(旧Twitter)が提供している。
「はらっぱ広場」を進むと白いフジがあった。
白フジは紫フジより後に咲くのでまだ見頃。
背景の新緑と一緒になって優しい雰囲気。
今年はフジを見に出かけなかったので、
こんなところで見られてうれしい。
白い藤棚より「はらっぱ広場」を見下ろした光景。
出口近くにあった新緑3色。
この日に公園内を歩いたのは、右から左へこんなルート。
ホームページに掲載されているこのマップは上が西で左が南を向いている。前回に載せた公園内の看板にあったマップとは逆。横長の公園だかから北を上にできないのは仕方ないとしても、東西は統一して欲しいね。
ーーー続く
まずは下流を向いてその左側からスタート。
仙川との位置関係では左岸になる。
この日は4月30日。甲州街道と仙川の交差地点北側で見た「仙川・鯉のぼり流し」に続いて本日2つ目の鯉のぼり。なかなかポップなカラーリング。背中部分にロープを入れてあるので「泳ぐよう」には風に舞わない。そういう吊り方は初めて見た。
奥にもうひとつ。
よく見ると胸ビレと尻ビレも付いている。
♪♪やねよりたかいこいのぼり
大きいまごいはお父さん
小さいひごいは子どもたち
この童謡「こいのぼり」にはお母さんがいない。しかし真鯉(まごい)とは黒い鯉で、緋鯉(ひごい)は赤い鯉。そしてベーシックな鯉のぼりは次のような配置になっていて緋鯉は子供ではなくお母さん。画像はhttps://www.hinakoubou.jp/product/734415から引用
それは鯉のぼりが次のように変遷してきたから。
江戸時代は真鯉だけ→跡取り息子の誕生を祝う、成長を願っての掲揚
つまり真鯉は息子を表している
明治になって真鯉と緋鯉が対になる→父と息子の象徴
戦後→緋鯉はお母さんの象徴となり、さらに家族全員を表現するため
子供は男の子なら青や緑、女の子ならピンクやオレンジの子鯉が登場
童謡「こいのぼり」は1931年(昭和6年)に作られており、まだ明治スタイルの鯉のぼりを歌にしているから現在では歌詞が矛盾する。
ちょっとアップで。
あまり近づかないほうがよかったかも。
鯉のぼりの隣にあった藤棚。
見頃時期はとっくに終了していても、
何房かは写真に撮れた。
道路を渡って右側のエリアを探索。
特に何もなかったものの、
仙川の対岸にはそこそこツツジが咲いているのを見つける。
でも向こう岸に渡れないので、
また道路左側エリアに戻り、気持ちよさそうに風にそよぐ新緑。
ユリノキだった。
これは車道ではなく歩行者用通路。
新緑と常緑針葉樹の濃い緑のミックスゾーン。
少し開けた場所に出た。
とってもキミドリな新緑。
せきれい橋で右岸に移動。
上流方向。
先ほどのツツジは「まっいいか」と見に行かず。
下流方向に本日3つ目の鯉のぼり。
絵柄はわりとオーソドックスなものの、
色の塗り方は先ほどの鯉のぼりと似ている。
この時は風がなく、
鯉のぼりはご機嫌斜め(^^ゞ
右岸にある「はらっぱ広場」。
少し開けた場所もそうだったけれど祖師谷公園は芝生がない。
木に何か引っ掛かっている。
ナンジャコレ?
今までに見たことがない形状。
しかし今は画像検索ができる便利な時代。
これはパチンコのようにして飛ばすパラシュートのオモチャだと判明。
ところで、
この木に引っ掛かった写真をAIに見せて尋ねると
ChatGPT:オリエンテーリングのコントロールフラッグ
(オリエンテーリングとは野山に設定されたポイントを、
指定された順序で通過し所要時間を競うスポーツ
コントロールフラッグはそのポイントを示す目印)
Grok:ヘリウムを詰め浮いていた風船
Gemini:赤と青の風船が複数入ったネット状の袋
と、チンプンカンプンな回答。AIは思考の補助ツール、平たく言えば相談相手としてはかなり使えるが、調べ物をさせるとあまり当てにならない。画像の内容に使ったのは初めてで、まるでダメダメだとわかった。
ただし不可解なのはGemini(ジェミニ)の回答。これはGoogleが提供している生成AI。画像検索したのもGoogleで、こちらは一発でパラシュートオモチャを探し当ててきたのに。どうやら連携はしていないみたい。いや、私がAIより賢いことにしておこう(^^ゞ なおGrok(グロック)はエックス(旧Twitter)が提供している。
「はらっぱ広場」を進むと白いフジがあった。
白フジは紫フジより後に咲くのでまだ見頃。
背景の新緑と一緒になって優しい雰囲気。
今年はフジを見に出かけなかったので、
こんなところで見られてうれしい。
白い藤棚より「はらっぱ広場」を見下ろした光景。
出口近くにあった新緑3色。
この日に公園内を歩いたのは、右から左へこんなルート。
ホームページに掲載されているこのマップは上が西で左が南を向いている。前回に載せた公園内の看板にあったマップとは逆。横長の公園だかから北を上にできないのは仕方ないとしても、東西は統一して欲しいね。
ーーー続く
2025年05月14日
仙川散歩:祖師谷公園
間違って隣の神社に入ったのを引き返して、
いよいよ祖師谷(そしがや)公園を散策。
ここに来るのは初めて。
この地図は上が東で左が北を向いている。
公園の中央に仙川が北から南へ流れていて、
さらに公園左岸(上流から見て左)は道路があって敷地が二分されている。写真に「止まれ」の文字、横断歩道、奥にはクルマもいてわかるように、これは車道でわりと頻繁にクルマが通る。こんな造りの公園は他にあったっけ?
それはこの公園の歴史に関連しているのかも知れない。
実はここ、世田谷区あるいは都立公園のサグラダファミリアと呼ばれているのだ。
昭和の初めにこのあたりは田畑が広がっていた田舎エリア。1941年に戦争が始まり1943年に防空緑地に指定される。防空緑地とは空襲被害に備えての避難場所。ちなみに同じ世田谷区の駒沢公園や砧公園、大阪なら服部・鶴見・久宝寺・大泉の4大緑地など、防空緑地が戦後に大きな公園になった例は多い。
ここの場合は旧制の東京農業教育専門学校が一部の土地を買い上げて実習農場としていたようだ。農業をするのが学生か農家の違いだけで田園地帯なのは同じ。1949年(昭和24年)に東京農業教育専門学校は東京教育大学と合併。東京教育大学は1973年(昭和48年)に筑波大学となって筑波に移転した。
その農場跡地を中心として1975年(昭和50年)に開園したのが祖師谷公園。
ただしである。
行政的には防空緑地の計画がそのまま公園として引き継がれていたようで、都市計画としての祖師谷公園の設置決定は1957年(昭和32年)で、計画面積は53.33ヘクタール。これは上野公園53.85ヘクタールと同じ広さ。
しかし現在、祖師谷公園の開園面積はなんと、
たったの9.34ヘクタール!(2021年末現在)
計画の17.5%しか実現していない
これが現在開園しているエリア。図と航空写真は東京都建設局・祖師谷公園マネジメントプラン令和4年3月より引用加筆
黄色い線が計画予定地で、赤い部分が現在のエリア。
開園から50年、計画段階からだと68年が経過してこの進捗状況。
航空写真を見ればわかるように周辺は田畑だった頃と違い住宅が密集している。
ドウスンノコレ?
計画を決めた後にチャッチャと用地買収を進めればよかったものを、グズグズしているうちに田畑から住宅地に変わってしまい、今となってはコレすべてを買い上げる予算など到底捻出できずーーーだろうか。
しかし実現性が失われようとも、いったん計画と決めたらそれを取り消さないのが行政である。開園しているエリアのマップを見ると南側に飛び地のような場所がある。そして東側にも宅地レベルのわずかな面積でポツリポツリと。こんな用地取得に意味があるのか。私の払った住民税を「やってる感」を出すためだけの言い訳仕事に使って欲しくないな。
東京都建設局の資料では1994年(平成6年)以降2011年(平成29年)の17年間に
0.1ヘクタールを3回
0.2ヘクタールを6回
0.3ヘクタールを1回
0.4ヘクタールを1回
0.6ヘクタールを1回
さらに
104平方メートルを1回
792平方メートルを1回 ※0.1ヘクタールが1000平方メートル
と実に細かく細かく刻んで14回も公園用地を広げている。
それで増えたのは合計2.9ヘクタール。
計算すると
2.9ヘクタール ÷ 17年間 = 0.17ヘクタール
53.33ヘクタール − 9.34ヘクタール = 43.99ヘクタール
43.99ヘクタール ÷ 0.17ヘクタール = 259年
ガウディが設計したサグラダファミリアは着工が1882年。143年たった今も工事が続けられている。それでも2034年頃に完成するとも言われているので、祖師谷公園はサグラダファミリアのグズ記録を大幅に塗り替えそうである。
話を公園左岸を貫いている道路に戻すと、
この道路の右側は「あの当時」はまだ公園敷地ではなかったようだ。
あの当時とは、今でも年末になると決まってニュースで取り上げられる2000年(平成12年)12月30日深夜もしくは31日未明に起きた世田谷一家殺害事件。その現場となった被害者宅は道路の右側、仙川の左岸沿いにあった。
当時の写真を見ると仙川の対岸にも住宅が見える。画像はhttps://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20201212-OYT1I50017/から引用
現在そのエリアは公園敷地となっているが、
なんとその被害者宅はまだ公園の中に残っている。
土地自体は2000年3月に東京都が公園用地として買収済み。事件は立ち退き猶予期間中の12月に起きた。当初警察は建物取り壊し延期を遺族に要請。その後、証拠保全が完了したとして2019年から逆に遺族と取り壊し協議を始めたとあり、とりあえず今も建物は遺族の所有で、事件を風化させたくないとの理由で現存している。
この事件を少し調べて、
証拠保全に19年間も掛かるはずがないやろ
土地を東京都が買収したのに、建物の所有権が遺族にある売買契約も不可解
と思ったがネットではこの情報しか出てこない。まあいつも書いているようにネットはコピペコピペの情報がほとんど。私みたいに証拠保全もサグラダファミリアかっ!と突っ込みたくなる人はいないようで。なお航空写真に家が2軒写っているのは隣家と一体になった二世帯住宅だから。事件があったのは右側の家。
この事件は「八王子スーパー強盗殺人事件1995年」「柴又女子大生放火殺人事件1996年」と並んで警視庁管内の平成三大未解決事件と呼ばれている。他にも未解決の殺人事件はたくさんあるのに、なぜか世田谷一家殺害事件だけ毎年取り上げられる。1987年に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件もずいぶん長く毎年取り上げられていたけれど、最近はさすがにほとんど見なくなった。あの事件は記者2人が殺害され、報道機関としては身内意識もあって毎年の報道が続いたのだと思う。
世田谷一家殺害事件の場合は、年末に事件の日が近づくと、成城署が駅前で情報提供を呼びかけるビラを配り、会見を開いたり捜査関係者が現場に献花に訪れたりする。そしてそれがニュースになる。別に文句があるわけじゃないものの、この事件が特別扱いなのはなぜなんだろうと、これまた毎年思う。
この事件もひとつの契機になって、それまで25年だった殺人事件の時効が2010年に廃止された(その時点で時効が成立していない過去の事件にも適応される)。とはいっても、どれだけの態勢を今も維持しているかは知らないが、捜査で犯人が見つかる可能性は極めて低いと思われる。事件の日が近づくと警察が会見を開くと書いた。昨年は「事件発覚当時、浴室の窓だけが開いており、犯人がそこから侵入した可能性が高い」との発表。24年後にそんな情報を公開してをして何になる? 恒例行事のネタ探しに困ってとも思えなくもない。
ただしこの事件の犯人は指紋を残し、また犯行現場で怪我をした出血からDNAも採取されている。犯人が何かミスを犯せば、そこから逮捕につながる可能性はまだ残っている。これだけ年月が経つと犯人が捕まればそれで「事件解決」なのかよくわからない気もするが、まずはそれを願い被害者のご冥福を祈ろう。
え〜っと、ずいぶん話がそれた(^^ゞ
2000年頃までここには住宅があって、当然ながら道路もあったとしても、もうとっくに公園の中には誰も住んでいないのに、未だにクルマが通っているのはどうかと思うゾというお話でした。
ーーー続く
いよいよ祖師谷(そしがや)公園を散策。
ここに来るのは初めて。
この地図は上が東で左が北を向いている。
公園の中央に仙川が北から南へ流れていて、
さらに公園左岸(上流から見て左)は道路があって敷地が二分されている。写真に「止まれ」の文字、横断歩道、奥にはクルマもいてわかるように、これは車道でわりと頻繁にクルマが通る。こんな造りの公園は他にあったっけ?
それはこの公園の歴史に関連しているのかも知れない。
実はここ、世田谷区あるいは都立公園のサグラダファミリアと呼ばれているのだ。
昭和の初めにこのあたりは田畑が広がっていた田舎エリア。1941年に戦争が始まり1943年に防空緑地に指定される。防空緑地とは空襲被害に備えての避難場所。ちなみに同じ世田谷区の駒沢公園や砧公園、大阪なら服部・鶴見・久宝寺・大泉の4大緑地など、防空緑地が戦後に大きな公園になった例は多い。
ここの場合は旧制の東京農業教育専門学校が一部の土地を買い上げて実習農場としていたようだ。農業をするのが学生か農家の違いだけで田園地帯なのは同じ。1949年(昭和24年)に東京農業教育専門学校は東京教育大学と合併。東京教育大学は1973年(昭和48年)に筑波大学となって筑波に移転した。
その農場跡地を中心として1975年(昭和50年)に開園したのが祖師谷公園。
ただしである。
行政的には防空緑地の計画がそのまま公園として引き継がれていたようで、都市計画としての祖師谷公園の設置決定は1957年(昭和32年)で、計画面積は53.33ヘクタール。これは上野公園53.85ヘクタールと同じ広さ。
しかし現在、祖師谷公園の開園面積はなんと、
たったの9.34ヘクタール!(2021年末現在)
計画の17.5%しか実現していない
これが現在開園しているエリア。図と航空写真は東京都建設局・祖師谷公園マネジメントプラン令和4年3月より引用加筆
黄色い線が計画予定地で、赤い部分が現在のエリア。
開園から50年、計画段階からだと68年が経過してこの進捗状況。
航空写真を見ればわかるように周辺は田畑だった頃と違い住宅が密集している。
ドウスンノコレ?
計画を決めた後にチャッチャと用地買収を進めればよかったものを、グズグズしているうちに田畑から住宅地に変わってしまい、今となってはコレすべてを買い上げる予算など到底捻出できずーーーだろうか。
しかし実現性が失われようとも、いったん計画と決めたらそれを取り消さないのが行政である。開園しているエリアのマップを見ると南側に飛び地のような場所がある。そして東側にも宅地レベルのわずかな面積でポツリポツリと。こんな用地取得に意味があるのか。私の払った住民税を「やってる感」を出すためだけの言い訳仕事に使って欲しくないな。
東京都建設局の資料では1994年(平成6年)以降2011年(平成29年)の17年間に
0.1ヘクタールを3回
0.2ヘクタールを6回
0.3ヘクタールを1回
0.4ヘクタールを1回
0.6ヘクタールを1回
さらに
104平方メートルを1回
792平方メートルを1回 ※0.1ヘクタールが1000平方メートル
と実に細かく細かく刻んで14回も公園用地を広げている。
それで増えたのは合計2.9ヘクタール。
計算すると
2.9ヘクタール ÷ 17年間 = 0.17ヘクタール
53.33ヘクタール − 9.34ヘクタール = 43.99ヘクタール
43.99ヘクタール ÷ 0.17ヘクタール = 259年
ガウディが設計したサグラダファミリアは着工が1882年。143年たった今も工事が続けられている。それでも2034年頃に完成するとも言われているので、祖師谷公園はサグラダファミリアのグズ記録を大幅に塗り替えそうである。
話を公園左岸を貫いている道路に戻すと、
この道路の右側は「あの当時」はまだ公園敷地ではなかったようだ。
あの当時とは、今でも年末になると決まってニュースで取り上げられる2000年(平成12年)12月30日深夜もしくは31日未明に起きた世田谷一家殺害事件。その現場となった被害者宅は道路の右側、仙川の左岸沿いにあった。
当時の写真を見ると仙川の対岸にも住宅が見える。画像はhttps://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20201212-OYT1I50017/から引用
現在そのエリアは公園敷地となっているが、
なんとその被害者宅はまだ公園の中に残っている。
土地自体は2000年3月に東京都が公園用地として買収済み。事件は立ち退き猶予期間中の12月に起きた。当初警察は建物取り壊し延期を遺族に要請。その後、証拠保全が完了したとして2019年から逆に遺族と取り壊し協議を始めたとあり、とりあえず今も建物は遺族の所有で、事件を風化させたくないとの理由で現存している。
この事件を少し調べて、
証拠保全に19年間も掛かるはずがないやろ
土地を東京都が買収したのに、建物の所有権が遺族にある売買契約も不可解
と思ったがネットではこの情報しか出てこない。まあいつも書いているようにネットはコピペコピペの情報がほとんど。私みたいに証拠保全もサグラダファミリアかっ!と突っ込みたくなる人はいないようで。なお航空写真に家が2軒写っているのは隣家と一体になった二世帯住宅だから。事件があったのは右側の家。
この事件は「八王子スーパー強盗殺人事件1995年」「柴又女子大生放火殺人事件1996年」と並んで警視庁管内の平成三大未解決事件と呼ばれている。他にも未解決の殺人事件はたくさんあるのに、なぜか世田谷一家殺害事件だけ毎年取り上げられる。1987年に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件もずいぶん長く毎年取り上げられていたけれど、最近はさすがにほとんど見なくなった。あの事件は記者2人が殺害され、報道機関としては身内意識もあって毎年の報道が続いたのだと思う。
世田谷一家殺害事件の場合は、年末に事件の日が近づくと、成城署が駅前で情報提供を呼びかけるビラを配り、会見を開いたり捜査関係者が現場に献花に訪れたりする。そしてそれがニュースになる。別に文句があるわけじゃないものの、この事件が特別扱いなのはなぜなんだろうと、これまた毎年思う。
この事件もひとつの契機になって、それまで25年だった殺人事件の時効が2010年に廃止された(その時点で時効が成立していない過去の事件にも適応される)。とはいっても、どれだけの態勢を今も維持しているかは知らないが、捜査で犯人が見つかる可能性は極めて低いと思われる。事件の日が近づくと警察が会見を開くと書いた。昨年は「事件発覚当時、浴室の窓だけが開いており、犯人がそこから侵入した可能性が高い」との発表。24年後にそんな情報を公開してをして何になる? 恒例行事のネタ探しに困ってとも思えなくもない。
ただしこの事件の犯人は指紋を残し、また犯行現場で怪我をした出血からDNAも採取されている。犯人が何かミスを犯せば、そこから逮捕につながる可能性はまだ残っている。これだけ年月が経つと犯人が捕まればそれで「事件解決」なのかよくわからない気もするが、まずはそれを願い被害者のご冥福を祈ろう。
え〜っと、ずいぶん話がそれた(^^ゞ
2000年頃までここには住宅があって、当然ながら道路もあったとしても、もうとっくに公園の中には誰も住んでいないのに、未だにクルマが通っているのはどうかと思うゾというお話でした。
ーーー続く
2025年05月12日
仙川散歩:甲州街道〜祖師谷公園
4月30日に西沢つつじ園を訪れて見頃時期が終了していたのを確認(^^ゞ その近くには仙川が流れており、川沿いに祖師谷公園、大蔵運動公園、砧公園と大きな公園があるので、そこを散歩しながら帰るのがこの日の企画第2弾。
祖師谷(そしがや)公園までのルート航空写真。
まずは甲州街道に出て調布方向へ仙川と交差している地点を目指す。そこを左折して仙川沿いを下流に歩いて行くのだが、上流方向に鯉のぼりのようなものがチラッと見え、とりあえずそれを眺めに行くことにした。
かなりの数。
でも鯉のぼりの色づけをしたものは少なくて、
水色とピンクの単色が多い。
「仙川 鯉のぼり流し」のポスターがあった。主催は「緑ヶ丘・仙川まちづくり協議会」なる団体で、近くの小学校の全児童、中学の美術部、保育園児の作品と書いてある。
それはいいとしてポスターに気になる記述が。
これは「昨年は協賛してくれたけれど、今年はしてくれなかった」としか読めない。普通そんなことをポスターに書く? スポンサー料の金額で揉めて嫌がらせしているのか、こう書かざるを得ない何か大人の事情があるのか? とにかくナゾ
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
子供たちの小さな鯉のぼりを眺めましょう。
水色とピンク単色の鯉のぼりもそれぞれ微妙に絵柄が違っていて、子供たちは自分が作った鯉のぼりを見つけられると思うし、それはいい思い出になるんじゃないかな。
ところで仙川沿いのこのマンション。
西沢つつじ園では9割が終了していたツツジが今まさに満開じゃないか。
ナンデヤ!西沢つつじ園。
白い花の中でもツツジの白が最も純白でキレイだと思っている。
他の白い花と光の反射(率?)が違うのかも知れない。
仙川の右岸は仙川崖線緑地になっている。
崖線(がいせん)とは、川の浸食で土地が削られて崖(がけ)が連なった地形。
その緑が濃い風景を眺めていると、
全体がツルに覆われた木を発見。
ここまでやられると木は光合成ができなくていずれ枯れてしまう気がする。木が枯れたり倒れたらツルも同じ運命をたどる。だから木に寄生するツルも、そうならない程度に寄生するものと思っていたけれど、そこまでは考えないのか。まあ植物に脳があるわけでもない。
鯉のぼりの寄り道を終え甲州街道に戻って仙川。
見えている電車は京王線。
あれっ?仙川は「せんがわ」ではなく「せんかわ」だった。
そう思っていたのは京王線の仙川駅は「せんがわ」だから。でも川の名前は「せんかわ」のようだ。調べてみると駅があるのは調布市仙川町でこちらは「せんがわちょう」。それにあわせたということか。地名と川の名前がどうして違うのかはわからない。
仙川は小金井市を源流として、後に向かう大蔵運動公園の少し先で野川に合流し、その野川はそこから1キロほど先の二子玉川駅あたりで多摩川に合流する。川の図は上から仙川、野川、多摩川。
ついでに表記が「Senkawa River」では「仙川川」になってしまう。これは交通標識を含めこの手の標識は日本語にそのローマ字表記を添えただけだったが、外人に意味が伝わらないと標識の役割が果たせないとの考えに変わり英語表記に変更したのが理由。Senkawa Riverの文字が上から貼り付けられていて、おそらく以前はSenkawaだけだったと思われる。
いよいよ仙川お散歩スタート。
謎の鉄柱が並んでいる。
近づくと京王線の線路に沿って打ち込まれていた。
調べてみると京王線は仙川駅〜笹塚駅約7.2kmを高架にして、その区間に25箇所ある踏切をなくす工事を進めているらしい。沿線住民は高架化すれば騒音は増える。でも踏切の前後だけ高架にしてジェットコースターのような線路にはできないしなあ。
こんな風景が続く。
たまに変わったデザインの橋。
水はけっこうきれい。
SETAGAYA Qs-GARDEN(世田谷キューズガーデン)の看板。
最初の航空写真で祖師谷公園より上流に、祖師谷公園と同じくらいの広さで写っているのが世田谷キューズガーデン。第一生命のグランドや福利厚生施設があった場所を複合的に再開発したエリア。プレスリリースによると
◇◇◇◇◇
SETAGAYA Qs-GARDENは、約9haの敷地に「地域の人々のwell-beingを高めるまち〜多世代の住民が安心して、豊かに交流しながら、健康的に暮らし続けられるまち〜」をコンセプトに、多世代集合住宅(ファミリー向け分譲マンション、学生向けレジデンス、健康増進型・賃貸シニアレジデンス)、地域スポーツ施設(第一生命相娯園グラウンド・テニスコート、J&Sフィールド、ランニングコース)、地域コミュニティ施設等(Qs ANOTHER HOUSE(光風亭)、蒼梧記念館、芝生広場、クリニックモール、区立給田松の香公園)を配しています。また、1954年の既存施設(第一生命相娯園グラウンド)の開園以来、約70年間の長きに渡って守られてきた豊かで都内では希少な緑の環境を地域に開放する計画になっています。
◇◇◇◇◇
9ヘクタールは東京ドーム(4.675ヘクタール)の2倍弱。オープンしたのは2023年3月で、そのときに何か噂を聞いた記憶はあるがすっかり忘れていた。そのうち訪れましょう。
もうすぐ祖師谷公園。
川の左にあるのは駒澤大学野球部のグラウンド。
この先が公園だが川沿いは工事中。
公園は川の両岸にあるので突き当たった道路を右に折れ、
入り口らしきところから進んでみると何となく雰囲気が神社っぽい。
少し階段を上がると鳥居が見えてきてやはり神社と判明。
Uターンして引き返す(^^ゞ
工事の看板のところまで戻る。ここを写真右側に進めば右岸側の公園に入れるのだが、工事で閉鎖されて見通せず、間違って隣の神社まで行ってしまったわけ。
橋を左岸に渡り祖師谷公園に到着。
ーーー続く
祖師谷(そしがや)公園までのルート航空写真。
まずは甲州街道に出て調布方向へ仙川と交差している地点を目指す。そこを左折して仙川沿いを下流に歩いて行くのだが、上流方向に鯉のぼりのようなものがチラッと見え、とりあえずそれを眺めに行くことにした。
かなりの数。
でも鯉のぼりの色づけをしたものは少なくて、
水色とピンクの単色が多い。
「仙川 鯉のぼり流し」のポスターがあった。主催は「緑ヶ丘・仙川まちづくり協議会」なる団体で、近くの小学校の全児童、中学の美術部、保育園児の作品と書いてある。
それはいいとしてポスターに気になる記述が。
これは「昨年は協賛してくれたけれど、今年はしてくれなかった」としか読めない。普通そんなことをポスターに書く? スポンサー料の金額で揉めて嫌がらせしているのか、こう書かざるを得ない何か大人の事情があるのか? とにかくナゾ
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
子供たちの小さな鯉のぼりを眺めましょう。
水色とピンク単色の鯉のぼりもそれぞれ微妙に絵柄が違っていて、子供たちは自分が作った鯉のぼりを見つけられると思うし、それはいい思い出になるんじゃないかな。
ところで仙川沿いのこのマンション。
西沢つつじ園では9割が終了していたツツジが今まさに満開じゃないか。
ナンデヤ!西沢つつじ園。
白い花の中でもツツジの白が最も純白でキレイだと思っている。
他の白い花と光の反射(率?)が違うのかも知れない。
仙川の右岸は仙川崖線緑地になっている。
崖線(がいせん)とは、川の浸食で土地が削られて崖(がけ)が連なった地形。
その緑が濃い風景を眺めていると、
全体がツルに覆われた木を発見。
ここまでやられると木は光合成ができなくていずれ枯れてしまう気がする。木が枯れたり倒れたらツルも同じ運命をたどる。だから木に寄生するツルも、そうならない程度に寄生するものと思っていたけれど、そこまでは考えないのか。まあ植物に脳があるわけでもない。
鯉のぼりの寄り道を終え甲州街道に戻って仙川。
見えている電車は京王線。
あれっ?仙川は「せんがわ」ではなく「せんかわ」だった。
そう思っていたのは京王線の仙川駅は「せんがわ」だから。でも川の名前は「せんかわ」のようだ。調べてみると駅があるのは調布市仙川町でこちらは「せんがわちょう」。それにあわせたということか。地名と川の名前がどうして違うのかはわからない。
仙川は小金井市を源流として、後に向かう大蔵運動公園の少し先で野川に合流し、その野川はそこから1キロほど先の二子玉川駅あたりで多摩川に合流する。川の図は上から仙川、野川、多摩川。
ついでに表記が「Senkawa River」では「仙川川」になってしまう。これは交通標識を含めこの手の標識は日本語にそのローマ字表記を添えただけだったが、外人に意味が伝わらないと標識の役割が果たせないとの考えに変わり英語表記に変更したのが理由。Senkawa Riverの文字が上から貼り付けられていて、おそらく以前はSenkawaだけだったと思われる。
いよいよ仙川お散歩スタート。
謎の鉄柱が並んでいる。
近づくと京王線の線路に沿って打ち込まれていた。
調べてみると京王線は仙川駅〜笹塚駅約7.2kmを高架にして、その区間に25箇所ある踏切をなくす工事を進めているらしい。沿線住民は高架化すれば騒音は増える。でも踏切の前後だけ高架にしてジェットコースターのような線路にはできないしなあ。
こんな風景が続く。
たまに変わったデザインの橋。
水はけっこうきれい。
SETAGAYA Qs-GARDEN(世田谷キューズガーデン)の看板。
最初の航空写真で祖師谷公園より上流に、祖師谷公園と同じくらいの広さで写っているのが世田谷キューズガーデン。第一生命のグランドや福利厚生施設があった場所を複合的に再開発したエリア。プレスリリースによると
◇◇◇◇◇
SETAGAYA Qs-GARDENは、約9haの敷地に「地域の人々のwell-beingを高めるまち〜多世代の住民が安心して、豊かに交流しながら、健康的に暮らし続けられるまち〜」をコンセプトに、多世代集合住宅(ファミリー向け分譲マンション、学生向けレジデンス、健康増進型・賃貸シニアレジデンス)、地域スポーツ施設(第一生命相娯園グラウンド・テニスコート、J&Sフィールド、ランニングコース)、地域コミュニティ施設等(Qs ANOTHER HOUSE(光風亭)、蒼梧記念館、芝生広場、クリニックモール、区立給田松の香公園)を配しています。また、1954年の既存施設(第一生命相娯園グラウンド)の開園以来、約70年間の長きに渡って守られてきた豊かで都内では希少な緑の環境を地域に開放する計画になっています。
◇◇◇◇◇
9ヘクタールは東京ドーム(4.675ヘクタール)の2倍弱。オープンしたのは2023年3月で、そのときに何か噂を聞いた記憶はあるがすっかり忘れていた。そのうち訪れましょう。
もうすぐ祖師谷公園。
川の左にあるのは駒澤大学野球部のグラウンド。
この先が公園だが川沿いは工事中。
公園は川の両岸にあるので突き当たった道路を右に折れ、
入り口らしきところから進んでみると何となく雰囲気が神社っぽい。
少し階段を上がると鳥居が見えてきてやはり神社と判明。
Uターンして引き返す(^^ゞ
工事の看板のところまで戻る。ここを写真右側に進めば右岸側の公園に入れるのだが、工事で閉鎖されて見通せず、間違って隣の神社まで行ってしまったわけ。
橋を左岸に渡り祖師谷公園に到着。
ーーー続く
2025年05月11日
西沢つつじ園は9割終了していた(/o\)
ツツジは道路の植え込みや公園などそこら中にあって、ソメイヨシノと同じく特に名所へ出かけなくても見ることができる。以前は、と言っても何十年も昔の話ではないけれど、ゴールデンウィーク頃が見頃だったのに最近はGW前。おそらくは温暖化の影響。今年は特に早くてサクラが終わってしばらくで咲き始め、また気のせいかも知れないが、普段より特に咲きっぷりがよかったように思う。街のあちこちで「キレイやな〜」とニコニコしていた。
だから今年はツツジ名所へ出かけないつもりだった。なのに何となく街中のツツジではなくもっとたくさん咲いているところが見たくなり。
しかしそう思い立ったのは既に4月30日とGW突入後。それでダメモトのつもりで、あまり遠くない場所として見つけたのが世田谷区にある西沢つつじ園。そしてきっちりダメモトだったお話(^^ゞ
地図の白い部分が世田谷区。
西沢つつじ園はその北西に位置する。
京王線の千歳烏山で下車。
トリではなくカラスね。
世田谷区ができる前は北多摩郡千歳村の大字(おおあざ)烏山だったところ。
駅を出たのは西口。
すぐに細い商店街が延びていて駅前らしいものはなし。
千歳烏山駅は特急も停まる駅なので、こちらは裏口なのだろう。
旧甲州街道を横切り、
奥に見えるタワマンの少し先に目的地はある。
現在の甲州街道・国道20号線を横切る。
甲州街道はとにかくケヤキの並木に囲まれている。
このあたり約7キロに渡って700本以上。
写真は交差点を横断中に慌てて撮ったのでイマイチ。
こちらの画像検索画面で見てちょうだい→クリック
さらに八王子付近ではイチョウ並木が763本ある→クリック
これだけの規模の並木がある道路は珍しいと思う。
歩いているのは烏山通りで右側の建物は昭和医科大学の付属病院。
それを通り過ぎた次の角を右折すれば、
西沢つつじ園が見えてくる。
この位置からでも終了しているのははっきりと確認できる(/o\)
回れ右して帰らないで見に行きましょう。
もう少しは花が残っていると予想していたのだが。
このオレンジのツツジは傷みが目立つので、
これ以上近づいてはいけません。
最も咲いている場所でこの程度。
手前の赤いツツジはボカしてピンクツツジに焦点を合わせる。
花びらが細いのはモチツツジ。
葉や茎がネバネバしていて「鳥もち」を連想させるのでその名前。
きれいに咲いている部分を狙って。
こういう背の高いツツジはあまり見ない。
これがヤマツツジなのかな。
背は高いのに花は小さい。
つつじ園の一画を。
こちらはネットで見つけた同じアングルの4月22日の写真→クリック
1週間出遅れたね。
西沢つつじ園は植木屋がツツジを栽培・展示販売している場所。それを一般にも開放しているというか塀に囲われていないから勝手に眺められる。
西沢さん宅を正面から。
公式ホームページなどはないがネットで調べると広さは約3000平米、ツツジは約100品種・1万5000株としているものが多い。3000平米とは900坪だからそれくらいの広さかと思うが、1万5000株もあるかなあ? 2019年に訪れた根津神社↓でも3000株なのに。
もっともここは庭園ではなく栽培地なので大きな株と株の隙間に植えられている、まだ小さな株まで数えれば数は増えるのかも知れない。それでも3000平米 ÷ 1万5000株 = 0.2平米 = 45センチ四方となり1万5000株はあり得ない。
ネットにはいい加減な情報が多い。しかも誰かが書いた間違った話がコピペコピペの繰り返しで拡散して「嘘も百回言えば真実となる」傾向も強い。コピペする前に常識を働かせて割り算くらいはしましょう。
こちらはおそらく育成中の若株専用エリア。
これだけの間隔で植えられている。
西沢つつじ園の隣に世田谷区立の「烏山つつじ緑地」がある。
隣にあれば当然ながら開花状況も同じ。
世田谷区のホームページによれば1000平米で32品種。
株数の記載はない。
そしてこちらの「ホリデーノート運営 / 大人女子のご機嫌なおでかけ」執筆の記事を掲載したヤフーニュースによれば西沢ツツジ園が3000平米で1万5000株、烏山つつじ緑地は1000平米で1000株と書かれている。内容的には関係者に取材した様子はなく、ネット情報を集めて書いたいわゆるコタツ記事。しかし写真が載っているから現地は訪れているはず。ツツジの密度感は変わらないのに面積が1/3で株数が1/15なんておかしいと気付よ。
奥に進むと柵があり(写真下にわずかに写っている)、
そこから先は西沢つつじ園の敷地。
元々この烏山つつじ緑地も西沢つつじ園の一部であり、いつからかはわからないが現在は世田谷区が管理している。相続税を払う代わりに物納でもしたのかな(あくまで想像です)。
なぜか最近よく気になるプラタナス。
同じくクネクネ・ゴツゴツしているものの葉の形がプラタナスとは違う。画像検索ではモチノキあるいはクロガネモチに近いが確信は持てず。
こちらの園内で撮影できるレベルに咲いていたのはこれだけ。
ところで私が使っているミラーレスデジカメの画像は横3に対して縦2の比率。iPhoneのカメラは横4に対して縦3。これをアスペクト比と呼ぶ。日本語では縦横比率と考えるが、英語では横縦らしく「横:縦」の順で表記される。縦を1に置き換えると
横3:縦2=縦1:横1.5
横4:縦3=縦1:横1.33
つまり3:2のほうが横長。
フィルムカメラもアスペクト比は3:2だった。それがなぜ4:3の比率が存在するかというと、デジカメが開発された当時に使われていたパソコンのブラウン管モニターの比率に合わせたから。昔のブラウン管テレビも4:3で、今の液晶テレビは16:9(縦を1にすると横は1.77)。
長くなるので途中は省略するけれど、現在は小さなデジカメやスマートフォン=小さなサイズの画像センサーを使う機器は4:3、一眼タイプやミラーレスなど大きなセンサーを使う機器は3:2が一般的。(今回のブログでは昭和医科大学の付属病院までがiPhone、それ以降がミラーレスデジカメでの撮影)
基本的には3:2のほうがスッキリした印象なので好み。でも縦に撮るとちょっと間延びした感じになる。その場合は4:3にしたいのに、そんな設定ができるカメラは存在しない。その辺のところをカメラメーカーさんはよろしく。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
ブログにはトリミングして対象を大きく見えるようにした写真も載せている。その場合もデジカメなら3:2、iPhoneで撮ったものは4:3の比率は維持している。
でもそれだとキレイじゃない部分をトリミングできなくて、
アスペクト比を無視してトリミング。
見応えがなかったツツジの代わりに、
シャガでも眺めておきましょう。
そういえば昨年は5月3日に練馬の平成つつじ公園へ出かけて完全終了していた。8800平米に600品種・1万株のツツジがすべて傷んでいて、それはそれは汚い風景で(^^ゞ 較べれば今回はまだマシとはいえツツジ名所巡りは2連敗。来年は記録更新しませんように。
だから今年はツツジ名所へ出かけないつもりだった。なのに何となく街中のツツジではなくもっとたくさん咲いているところが見たくなり。
しかしそう思い立ったのは既に4月30日とGW突入後。それでダメモトのつもりで、あまり遠くない場所として見つけたのが世田谷区にある西沢つつじ園。そしてきっちりダメモトだったお話(^^ゞ
地図の白い部分が世田谷区。
西沢つつじ園はその北西に位置する。
京王線の千歳烏山で下車。
トリではなくカラスね。
世田谷区ができる前は北多摩郡千歳村の大字(おおあざ)烏山だったところ。
駅を出たのは西口。
すぐに細い商店街が延びていて駅前らしいものはなし。
千歳烏山駅は特急も停まる駅なので、こちらは裏口なのだろう。
旧甲州街道を横切り、
奥に見えるタワマンの少し先に目的地はある。
現在の甲州街道・国道20号線を横切る。
甲州街道はとにかくケヤキの並木に囲まれている。
このあたり約7キロに渡って700本以上。
写真は交差点を横断中に慌てて撮ったのでイマイチ。
こちらの画像検索画面で見てちょうだい→クリック
さらに八王子付近ではイチョウ並木が763本ある→クリック
これだけの規模の並木がある道路は珍しいと思う。
歩いているのは烏山通りで右側の建物は昭和医科大学の付属病院。
それを通り過ぎた次の角を右折すれば、
西沢つつじ園が見えてくる。
この位置からでも終了しているのははっきりと確認できる(/o\)
回れ右して帰らないで見に行きましょう。
もう少しは花が残っていると予想していたのだが。
このオレンジのツツジは傷みが目立つので、
これ以上近づいてはいけません。
最も咲いている場所でこの程度。
手前の赤いツツジはボカしてピンクツツジに焦点を合わせる。
花びらが細いのはモチツツジ。
葉や茎がネバネバしていて「鳥もち」を連想させるのでその名前。
きれいに咲いている部分を狙って。
こういう背の高いツツジはあまり見ない。
これがヤマツツジなのかな。
背は高いのに花は小さい。
つつじ園の一画を。
こちらはネットで見つけた同じアングルの4月22日の写真→クリック
1週間出遅れたね。
西沢つつじ園は植木屋がツツジを栽培・展示販売している場所。それを一般にも開放しているというか塀に囲われていないから勝手に眺められる。
西沢さん宅を正面から。
公式ホームページなどはないがネットで調べると広さは約3000平米、ツツジは約100品種・1万5000株としているものが多い。3000平米とは900坪だからそれくらいの広さかと思うが、1万5000株もあるかなあ? 2019年に訪れた根津神社↓でも3000株なのに。
もっともここは庭園ではなく栽培地なので大きな株と株の隙間に植えられている、まだ小さな株まで数えれば数は増えるのかも知れない。それでも3000平米 ÷ 1万5000株 = 0.2平米 = 45センチ四方となり1万5000株はあり得ない。
ネットにはいい加減な情報が多い。しかも誰かが書いた間違った話がコピペコピペの繰り返しで拡散して「嘘も百回言えば真実となる」傾向も強い。コピペする前に常識を働かせて割り算くらいはしましょう。
こちらはおそらく育成中の若株専用エリア。
これだけの間隔で植えられている。
西沢つつじ園の隣に世田谷区立の「烏山つつじ緑地」がある。
隣にあれば当然ながら開花状況も同じ。
世田谷区のホームページによれば1000平米で32品種。
株数の記載はない。
そしてこちらの「ホリデーノート運営 / 大人女子のご機嫌なおでかけ」執筆の記事を掲載したヤフーニュースによれば西沢ツツジ園が3000平米で1万5000株、烏山つつじ緑地は1000平米で1000株と書かれている。内容的には関係者に取材した様子はなく、ネット情報を集めて書いたいわゆるコタツ記事。しかし写真が載っているから現地は訪れているはず。ツツジの密度感は変わらないのに面積が1/3で株数が1/15なんておかしいと気付よ。
奥に進むと柵があり(写真下にわずかに写っている)、
そこから先は西沢つつじ園の敷地。
元々この烏山つつじ緑地も西沢つつじ園の一部であり、いつからかはわからないが現在は世田谷区が管理している。相続税を払う代わりに物納でもしたのかな(あくまで想像です)。
なぜか最近よく気になるプラタナス。
同じくクネクネ・ゴツゴツしているものの葉の形がプラタナスとは違う。画像検索ではモチノキあるいはクロガネモチに近いが確信は持てず。
こちらの園内で撮影できるレベルに咲いていたのはこれだけ。
ところで私が使っているミラーレスデジカメの画像は横3に対して縦2の比率。iPhoneのカメラは横4に対して縦3。これをアスペクト比と呼ぶ。日本語では縦横比率と考えるが、英語では横縦らしく「横:縦」の順で表記される。縦を1に置き換えると
横3:縦2=縦1:横1.5
横4:縦3=縦1:横1.33
つまり3:2のほうが横長。
フィルムカメラもアスペクト比は3:2だった。それがなぜ4:3の比率が存在するかというと、デジカメが開発された当時に使われていたパソコンのブラウン管モニターの比率に合わせたから。昔のブラウン管テレビも4:3で、今の液晶テレビは16:9(縦を1にすると横は1.77)。
長くなるので途中は省略するけれど、現在は小さなデジカメやスマートフォン=小さなサイズの画像センサーを使う機器は4:3、一眼タイプやミラーレスなど大きなセンサーを使う機器は3:2が一般的。(今回のブログでは昭和医科大学の付属病院までがiPhone、それ以降がミラーレスデジカメでの撮影)
基本的には3:2のほうがスッキリした印象なので好み。でも縦に撮るとちょっと間延びした感じになる。その場合は4:3にしたいのに、そんな設定ができるカメラは存在しない。その辺のところをカメラメーカーさんはよろしく。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
ブログにはトリミングして対象を大きく見えるようにした写真も載せている。その場合もデジカメなら3:2、iPhoneで撮ったものは4:3の比率は維持している。
でもそれだとキレイじゃない部分をトリミングできなくて、
アスペクト比を無視してトリミング。
見応えがなかったツツジの代わりに、
シャガでも眺めておきましょう。
そういえば昨年は5月3日に練馬の平成つつじ公園へ出かけて完全終了していた。8800平米に600品種・1万株のツツジがすべて傷んでいて、それはそれは汚い風景で(^^ゞ 較べれば今回はまだマシとはいえツツジ名所巡りは2連敗。来年は記録更新しませんように。
2025年05月03日
初めての都電荒川線。でもーーー
4月9日は
足立区都市農業公園でいろいろな品種のサクラ
足立区都市農業公園荒川河川敷でチューリップ
荒川を散歩
4日前に訪れた尾久の原公園を再訪して、今度は満開のしだれ桜
と続いて今回が第5弾。
話は4月5日にさかのぼって、尾久の原公園を訪れたルートは渋谷から山手線で西日暮里、そこで日暮里・舎人ライナーに乗り換えて熊野前まで。
すると熊野前駅を降り目の前に都電荒川線の駅があってビックリ。
どうして驚いたかというと公園の公式ホームページに書かれていた記述がややこしくて、荒川線にも熊野前駅があるとは思っていなかったから。詳しいいきさつは4月13日に書いたブログで。
そして別に鉄オタではまったくないけれど、東京で唯一残っている路面電車の荒川線に乗ってみたいと思ったのが本日の第5弾企画。
都電荒川線だから走らせているのは東京都交通局。他には都営地下鉄、日暮里・舎人ライナーと都営バスがここの運営。お台場などを通る「ゆりかもめ」は東京都が85.12%出資する東京臨海ホールディングスが99.9%、残り0.1%を東京都が出資しているとややこしい第三セクター方式。
路線は東京北側を囲むように延びる12.2kmで、新宿区の早稲田から豊島区と北区を経て荒川区の三ノ輪橋まで。先ほど「都電荒川線の駅」と書いたが、都電の場合は停留所と呼ぶ。考えてみれば駅員はいないし切符も売っていないからまさにバスと同じ停留所。荒川線には全部で30の停留所があり、料金もバスと同じ仕組みで距離に関係なく170円。23区内の都バス運賃は210円だからかなり安い。全区間を乗ると所要時間は56分。12.2km ÷(30-1)=420mが停留所の平均間隔。
最盛期には40路線もの路面電車が東京を走っていたが、現在はこの荒川線と東急の世田谷線しか残っていない。ただし世田谷線が道路を走るのは環七を横切る若林踏切のみなので、画像はhttps://sg50th.tokyo/wakabayashi/img/kannana_setagayasen/img01.jpgから引用
実質的には荒川線が唯一の路面電車。元世田谷区住民としても世田谷線が路面電車との認識はない。とはいっても荒川線も道路を走る区間は14%の1.7kmしかなく、それがタイトルに「でもーーー」と書いた理由につながる。それはのちほどに。
ところで路面電車は軌道線上を走る列車との定義になるらしい。軌道とはレールの敷いてある線路。そして列車はすべて線路を走るのに、
道路に軌道が設置されているのを軌道線
専用の敷地に軌道が設置されているのが鉄道線
と言葉の使い方が入り交じったややこしい区別になっている。先ほど「世田谷線が道路を走るのは環七を横切る若林踏切のみ」と書いた。逆にいえば若林踏切以外は専用の敷地に軌道が設置されているのだが、一部でも道路と併用する場所があるとすべてが軌道線扱いになるようだ(詳しく調べていないので正確じゃないかも知れない)。また写真の若林踏切は、踏切とはいうものの信号で車を停止させていて遮断器がない。それもそこが軌道線なのが理由なのかな。
また昔は路面電車をチンチン電車ともいった。それは発車のときにベルを2回チンチンと鳴らしていたのに由来。でも子供の頃はどうして電車にオチンチン?と不思議だった(^^ゞ
東京都交通局は2017年より荒川線に「東京さくらトラム」との愛称を付けて、駅のサインもピンクに変わりデザインもサクラがモチーフ。ホームページなどでも「東京さくらトラム(都電荒川線)」と記載している。
でもまったく普及しておらず、今まで会話で聞いたことがない。おそらく沿線の人は荒川線と呼んでいるはず。普及しない理由はさまざま考えられるとして、ネーミングテクニック的には単純には名前が長すぎる。どうして特に示す必要もなく、列車の運行地域を示すわけでもない「東京」を加えたのだろう。「さくらトラム」で十分なはず。これなら「あらかわせん」と同じ6文字。なおトラムとは路面電車の英語。また荒川線沿線には飛鳥山公園などサクラの名所がいくつかある。
また都電とだけ言っても今は他の路線がないので荒川線を指すし、「東京のあのあたりは都電が走っている」とは「路面電車が走っている」との意味合いで使われる表現。
そして都電荒川線と頭に都電をつけた呼び方もよく聞かれる。
少し話はそれるが東京の地下鉄は
東京メトロ:銀座線、日比谷線、丸ノ内線など9路線
都営地下鉄:浅草線、三田線、新宿線、大江戸線の4路線
がある。東京メトロでは銀座線、日比谷線とそのまま呼ぶの対し、なぜか都営地下鉄は大江戸線以外を都営浅草線、都営三田線、都営新宿線とわざわざ「都営」を付ける人も多い。おそらく都電荒川線と呼ぶのもこれと同じ現象。
どうして都営と都電だけ路線名の前に付けられるのか、
実は東京に住み始めた頃から疑問に思っている。
さらにひょっとしたら「東京さくらトラム」ではなく「都電さくらトラム」にしていたら、都電を省略した「さくらトラム」の名前を人々が口にするようになっていたかも知れない。
ついでに東京メトロは営団地下鉄(帝都高速度交通営団)が民営化して2004年にできた組織。それ以前は都営地下鉄に対応する言葉が営団地下鉄。短縮形で都営と営団。でも営団銀座線などの呼び方は会話になかった。ちなみに東京メトロも愛称で正式社名が「東京地下鉄株式会社」と何のひねりもない名前なのはあまり知られていない。
さて尾久の原公園を出て熊野前の停留所に到着。
(理屈ではわかっても、これを停留所と表現するのはまだ少し抵抗がある)
電車を待つ。
ひとつ前の写真と比べて人数が減っているのは、
荒川線には三ノ輪橋行きと早稲田行きの2方向がある
それぞれの停留所は少し離れた場所に位置している
向かうのは「町屋駅前」
なのだけれど、それが三ノ輪橋行きなのか早稲田行きかわからなくて、調べているうちに電車を1本乗り過ごした(^^ゞ まあ土地勘のない場所でアルアルな話。
ちなみに荒川線の時刻表は、このように10時から15時台まで「この間、6〜7分間隔です」と大雑把。おおらかでヨシ。
反対側の電車がやって来た。
1両編成でちょっとレトロな雰囲気のデザイン。
でも屋根が2段になっている。こんなのは初めて見た。電車の屋根にはエアコンの装置が載っている。ところどころにルーバーが切られているとはいえ、それをすっぽり覆っていいものなのか?
Wikipediaで調べると、これは9000形という車両で「屋根は見かけ上二重構造とし」とあったものの詳しい説明はなし。他にネット検索でも情報は見当たらず。
でも見つけました。
上の屋根には屋根がなかったのね!
思い込みの盲点を突かれた気分。画像はhttps://www.youtube.com/watch?v=zsDN1ptaFgoから引用
電車が通り過ぎる。
道路の向こうに見えているのが早稲田行きの停留所。
三ノ輪橋行きがすれ違って近づいてくる。
こちらは普通の屋根の形。
そこそこ込んでいたので車内の撮影は自主規制。
でも運転席の窓から外を眺める。鉄オタかっ(^^ゞ
それで気がついたのは私の乗車した区間は道路上の軌道を走らないとの事実(>_<)
道路を走るから路面電車に乗りたかったのに、これでは普通の電車と同じぢゃないか。
でもひとつ発見したのは、荒川線にはバスのように降車ボタンがある。
まっ、それを知っただけでも乗った甲斐があったとしましょう。
3つ先の町屋駅前で下車。
地下鉄千代田線の町屋駅で乗り換える。
ちょっと駅前をブラブラして、また停留所を通りかかると、今度はモダンなデザインの車両が停まっていた。全部で5タイプ33両があるらしい。
初めての都電荒川線は、道路をクルマと一緒に走る区間がないと想定外の結果で終わってしまった。でも何事も体験しなければわからないもの。実は東京さくらトラムと名付けられた荒川線は、沿線各地にバラが多く植えられているので有名。もうすぐ春バラのシーズン。1日乗車券でも買ってバラ巡りでもするか、でもそれぞれの規模は小さいしなあと、あれこれ思案中。
足立区都市農業公園でいろいろな品種のサクラ
足立区都市農業公園荒川河川敷でチューリップ
荒川を散歩
4日前に訪れた尾久の原公園を再訪して、今度は満開のしだれ桜
と続いて今回が第5弾。
話は4月5日にさかのぼって、尾久の原公園を訪れたルートは渋谷から山手線で西日暮里、そこで日暮里・舎人ライナーに乗り換えて熊野前まで。
すると熊野前駅を降り目の前に都電荒川線の駅があってビックリ。
どうして驚いたかというと公園の公式ホームページに書かれていた記述がややこしくて、荒川線にも熊野前駅があるとは思っていなかったから。詳しいいきさつは4月13日に書いたブログで。
そして別に鉄オタではまったくないけれど、東京で唯一残っている路面電車の荒川線に乗ってみたいと思ったのが本日の第5弾企画。
都電荒川線だから走らせているのは東京都交通局。他には都営地下鉄、日暮里・舎人ライナーと都営バスがここの運営。お台場などを通る「ゆりかもめ」は東京都が85.12%出資する東京臨海ホールディングスが99.9%、残り0.1%を東京都が出資しているとややこしい第三セクター方式。
路線は東京北側を囲むように延びる12.2kmで、新宿区の早稲田から豊島区と北区を経て荒川区の三ノ輪橋まで。先ほど「都電荒川線の駅」と書いたが、都電の場合は停留所と呼ぶ。考えてみれば駅員はいないし切符も売っていないからまさにバスと同じ停留所。荒川線には全部で30の停留所があり、料金もバスと同じ仕組みで距離に関係なく170円。23区内の都バス運賃は210円だからかなり安い。全区間を乗ると所要時間は56分。12.2km ÷(30-1)=420mが停留所の平均間隔。
最盛期には40路線もの路面電車が東京を走っていたが、現在はこの荒川線と東急の世田谷線しか残っていない。ただし世田谷線が道路を走るのは環七を横切る若林踏切のみなので、画像はhttps://sg50th.tokyo/wakabayashi/img/kannana_setagayasen/img01.jpgから引用
実質的には荒川線が唯一の路面電車。元世田谷区住民としても世田谷線が路面電車との認識はない。とはいっても荒川線も道路を走る区間は14%の1.7kmしかなく、それがタイトルに「でもーーー」と書いた理由につながる。それはのちほどに。
ところで路面電車は軌道線上を走る列車との定義になるらしい。軌道とはレールの敷いてある線路。そして列車はすべて線路を走るのに、
道路に軌道が設置されているのを軌道線
専用の敷地に軌道が設置されているのが鉄道線
と言葉の使い方が入り交じったややこしい区別になっている。先ほど「世田谷線が道路を走るのは環七を横切る若林踏切のみ」と書いた。逆にいえば若林踏切以外は専用の敷地に軌道が設置されているのだが、一部でも道路と併用する場所があるとすべてが軌道線扱いになるようだ(詳しく調べていないので正確じゃないかも知れない)。また写真の若林踏切は、踏切とはいうものの信号で車を停止させていて遮断器がない。それもそこが軌道線なのが理由なのかな。
また昔は路面電車をチンチン電車ともいった。それは発車のときにベルを2回チンチンと鳴らしていたのに由来。でも子供の頃はどうして電車にオチンチン?と不思議だった(^^ゞ
東京都交通局は2017年より荒川線に「東京さくらトラム」との愛称を付けて、駅のサインもピンクに変わりデザインもサクラがモチーフ。ホームページなどでも「東京さくらトラム(都電荒川線)」と記載している。
でもまったく普及しておらず、今まで会話で聞いたことがない。おそらく沿線の人は荒川線と呼んでいるはず。普及しない理由はさまざま考えられるとして、ネーミングテクニック的には単純には名前が長すぎる。どうして特に示す必要もなく、列車の運行地域を示すわけでもない「東京」を加えたのだろう。「さくらトラム」で十分なはず。これなら「あらかわせん」と同じ6文字。なおトラムとは路面電車の英語。また荒川線沿線には飛鳥山公園などサクラの名所がいくつかある。
また都電とだけ言っても今は他の路線がないので荒川線を指すし、「東京のあのあたりは都電が走っている」とは「路面電車が走っている」との意味合いで使われる表現。
そして都電荒川線と頭に都電をつけた呼び方もよく聞かれる。
少し話はそれるが東京の地下鉄は
東京メトロ:銀座線、日比谷線、丸ノ内線など9路線
都営地下鉄:浅草線、三田線、新宿線、大江戸線の4路線
がある。東京メトロでは銀座線、日比谷線とそのまま呼ぶの対し、なぜか都営地下鉄は大江戸線以外を都営浅草線、都営三田線、都営新宿線とわざわざ「都営」を付ける人も多い。おそらく都電荒川線と呼ぶのもこれと同じ現象。
どうして都営と都電だけ路線名の前に付けられるのか、
実は東京に住み始めた頃から疑問に思っている。
さらにひょっとしたら「東京さくらトラム」ではなく「都電さくらトラム」にしていたら、都電を省略した「さくらトラム」の名前を人々が口にするようになっていたかも知れない。
ついでに東京メトロは営団地下鉄(帝都高速度交通営団)が民営化して2004年にできた組織。それ以前は都営地下鉄に対応する言葉が営団地下鉄。短縮形で都営と営団。でも営団銀座線などの呼び方は会話になかった。ちなみに東京メトロも愛称で正式社名が「東京地下鉄株式会社」と何のひねりもない名前なのはあまり知られていない。
さて尾久の原公園を出て熊野前の停留所に到着。
(理屈ではわかっても、これを停留所と表現するのはまだ少し抵抗がある)
電車を待つ。
ひとつ前の写真と比べて人数が減っているのは、
荒川線には三ノ輪橋行きと早稲田行きの2方向がある
それぞれの停留所は少し離れた場所に位置している
向かうのは「町屋駅前」
なのだけれど、それが三ノ輪橋行きなのか早稲田行きかわからなくて、調べているうちに電車を1本乗り過ごした(^^ゞ まあ土地勘のない場所でアルアルな話。
ちなみに荒川線の時刻表は、このように10時から15時台まで「この間、6〜7分間隔です」と大雑把。おおらかでヨシ。
反対側の電車がやって来た。
1両編成でちょっとレトロな雰囲気のデザイン。
でも屋根が2段になっている。こんなのは初めて見た。電車の屋根にはエアコンの装置が載っている。ところどころにルーバーが切られているとはいえ、それをすっぽり覆っていいものなのか?
Wikipediaで調べると、これは9000形という車両で「屋根は見かけ上二重構造とし」とあったものの詳しい説明はなし。他にネット検索でも情報は見当たらず。
でも見つけました。
上の屋根には屋根がなかったのね!
思い込みの盲点を突かれた気分。画像はhttps://www.youtube.com/watch?v=zsDN1ptaFgoから引用
電車が通り過ぎる。
道路の向こうに見えているのが早稲田行きの停留所。
三ノ輪橋行きがすれ違って近づいてくる。
こちらは普通の屋根の形。
そこそこ込んでいたので車内の撮影は自主規制。
でも運転席の窓から外を眺める。鉄オタかっ(^^ゞ
それで気がついたのは私の乗車した区間は道路上の軌道を走らないとの事実(>_<)
道路を走るから路面電車に乗りたかったのに、これでは普通の電車と同じぢゃないか。
でもひとつ発見したのは、荒川線にはバスのように降車ボタンがある。
まっ、それを知っただけでも乗った甲斐があったとしましょう。
3つ先の町屋駅前で下車。
地下鉄千代田線の町屋駅で乗り換える。
ちょっと駅前をブラブラして、また停留所を通りかかると、今度はモダンなデザインの車両が停まっていた。全部で5タイプ33両があるらしい。
初めての都電荒川線は、道路をクルマと一緒に走る区間がないと想定外の結果で終わってしまった。でも何事も体験しなければわからないもの。実は東京さくらトラムと名付けられた荒川線は、沿線各地にバラが多く植えられているので有名。もうすぐ春バラのシーズン。1日乗車券でも買ってバラ巡りでもするか、でもそれぞれの規模は小さいしなあと、あれこれ思案中。
2025年05月02日
4日後の尾久の原公園
4月5日にしだれ桜を見に出かけた荒川区の尾久の原公園(おぐのはら)。東京都公園協会のホームページには七分咲きと書かれていたのに、それは最も開花している状態の木であって、全体的には5分咲き以下といったところだった。
そして4月9日に突如「たくさんのチューリップが見たい見たい発作」を発症し、訪れたのが足立区都市農業公園。そこは尾久の原公園とさほど離れておらず、ならば帰りに荒川を散歩して、あれから開花が進んだであろう尾久の原公園を再訪するのもよかろうと。
荒川と隅田川を尾久橋で渡って、
この歩道橋で地上に降りる。
再び隅田川の川べりに向かう。
堤防へのアプローチ。
隅田川沿いに来てみると、
堤防沿いのしだれ桜はあまり咲いておらず、ちょっとあせる。
ところでここにあるのはまだ背丈も低く植えられてそんなに年数が経っていない。サクラはゴツゴツ・クネクネと不定型な幹や枝の伸び方をする。それはある程度育ってからだと思っていたが若木のうちにそうみたい。
そして4日後の尾久の原公園に到着。
この段階で満開だとわかりヤッター\(^o^)/ な気分。
では満開のしだれ桜を。
上の写真↑の4日前の様子↓
まったく違うでしょ。
参考までに最低&最高気温の変化は
4月5日 6.1度 17.0度
4月6日 10.6度 20.1度
4月7日 10.5度 19.7度
4月8日 7.9度 20.2度
4月9日 11.0度 23.8度
それにしても4日でこれだけ違うのだから、お花見の日にち選びは難しい。
「ほんのり桜色」の美しいサクラ。尾久の原公園でしだれ桜の植樹を始めたのは2002年からで、まだそれほど大きくなく枝垂れ度合いは控えめ。
青空のブルーバックと、
お約束の逆光撮影。
日差しの明るさも申し分なし。
新緑と一緒に。
前回、しだれ桜がこれだけある場所はそうはないから素敵な公園と思ったものの、でももうしばらくは来ないだろうし(何事につけできるだけ違う場所に行きたいと思うタイプなのです)、ひょっとしたら一期一会かも知れないと感じていた。それが4日後にまたここに立っているなんて不思議な気分。やはり先のことはわからないもの。
そして4月9日に突如「たくさんのチューリップが見たい見たい発作」を発症し、訪れたのが足立区都市農業公園。そこは尾久の原公園とさほど離れておらず、ならば帰りに荒川を散歩して、あれから開花が進んだであろう尾久の原公園を再訪するのもよかろうと。
荒川と隅田川を尾久橋で渡って、
この歩道橋で地上に降りる。
再び隅田川の川べりに向かう。
堤防へのアプローチ。
隅田川沿いに来てみると、
堤防沿いのしだれ桜はあまり咲いておらず、ちょっとあせる。
ところでここにあるのはまだ背丈も低く植えられてそんなに年数が経っていない。サクラはゴツゴツ・クネクネと不定型な幹や枝の伸び方をする。それはある程度育ってからだと思っていたが若木のうちにそうみたい。
そして4日後の尾久の原公園に到着。
この段階で満開だとわかりヤッター\(^o^)/ な気分。
では満開のしだれ桜を。
上の写真↑の4日前の様子↓
まったく違うでしょ。
参考までに最低&最高気温の変化は
4月5日 6.1度 17.0度
4月6日 10.6度 20.1度
4月7日 10.5度 19.7度
4月8日 7.9度 20.2度
4月9日 11.0度 23.8度
それにしても4日でこれだけ違うのだから、お花見の日にち選びは難しい。
「ほんのり桜色」の美しいサクラ。尾久の原公園でしだれ桜の植樹を始めたのは2002年からで、まだそれほど大きくなく枝垂れ度合いは控えめ。
青空のブルーバックと、
お約束の逆光撮影。
日差しの明るさも申し分なし。
新緑と一緒に。
前回、しだれ桜がこれだけある場所はそうはないから素敵な公園と思ったものの、でももうしばらくは来ないだろうし(何事につけできるだけ違う場所に行きたいと思うタイプなのです)、ひょっとしたら一期一会かも知れないと感じていた。それが4日後にまたここに立っているなんて不思議な気分。やはり先のことはわからないもの。