2025年08月
2025年08月30日
北極熊が温暖化で塞翁が馬
このブログをスマホではなくパソコンで閲覧するとページの左上に北極熊がちょこんと座っていて、歩いてきた足跡がブログタイトルのあたりに点々とついている。これはライブドアが用意したテンプレートでファイル名は white_bear。最初は旅客機を大きくあしらったレイアウト、次がコンクリートの打ちっぱなしの壁で、この北極熊が3代目のデザインだと記憶している。もっともデザインをチョコチョコ変更したのはブログの開設当初だけで、おそらく20年以上はこの北極熊が「晴れ時々マーケティング」のシンボルになってくれている。たぶん選んだのは冬で北極熊は冬らしくていいと思い、夏になったらこれまた涼しそうでよかったのでそのままにしたように思う(^^ゞ
これがパソコンでの画面。
今まで気にしていなかったが子供の北極熊だね。
旅客機やコンクリート壁がどんなデザインだったか確認したくなり、ブログ設定のページを開いてみたら、それらはもう用意されていなかったし、この white_bear もなかった。新しく設定はできなくても、古い設定はそのまま有効なようだ。久々にデザイン変更しようかとも考えたものの、特に気に入ったテンプレートがなかったのでそのまま継続。なお用意されているテンプレートがずいぶんと少なくなっていた。現在158種類あるけれど、単なる色違いやカラム数違いを差し引くと100種類ほどしかない。昔は数百のレベルで用意されていたと思う。まあブログはオワコンというかオワメディアだし仕方ないか(/o\)
さて北極熊、別名は白熊。山にいる熊と較べると色が違うのはもちろんのこと、顔が小さくていわゆる「シュッと」している。
日本の熊と大きさを較べると(数値はオスの成獣)
北極熊:体長2〜2.5m 体重400〜600kg
ヒグマ:体長2〜2.8m 体重250〜500kg
ツキノワグマ:体長1.2〜1.8m 体重50〜120kg
大きさはヒグマと互角でも体重は北極熊がかなり重い。これはおそらく生息地の寒さによる貯め込んだ皮下脂肪の厚さの違い。それとツキノワグマは意外と小さいと初めて知った。
日本の場合、ヒグマは北海道に、ツキノワグマは本州と四国に生息している。そして実は九州に熊本県があって、くまモンがいてもクマは存在しない。かつてはツキノワグマが生息していたが1957年(昭和32年)に絶滅した。それに元々地名は「隈本」であってクマとも関係がない。
左からヒグマ、ツキノワグマ、くまモン。ツキノワグマの模様は「月の輪」ではなくせいぜい三日月。V字型模様の場合もある。英語ではシンプルに Moon bear。ヒグマは Brown bear で北極熊は Polar bear。
Polar:ポーラは「極の、極地の」などの意味を持つ形容詞。ポーラスター(北極星)が有名だけれど南極にも使う。化粧品のポーラは「美の極み」と解釈して読みやすいようにPOLAの文字を当てた造語。
北極熊に話を戻すと、
彼らが生息しているのは北極圏周辺にある海沿いエリアの陸地。
それで北極圏とはどこかというと、まず地図上では北緯66度33分のラインが北極線と呼ばれ、それより北が北極圏。同様に南緯66度33分が南極線で、それより南が南極圏。ちなみに日本の北緯度は沖縄:26度12分、東京:35度41分、札幌:43度3分。ついでにロンドン51度30分、モスクワ:55度45分。
赤いラインが北緯66度33分の北極線。
冬至のときに太陽高度がゼロとなるのがこの緯度(説明は省略)。
北極点を見下ろした地図。
ピンクでなぞっているのが北極線。
北極線より内側の北極圏はカナダ、デンマーク(グリーンランド等がデンマークの自治領)、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシア、アメリカ(アラスカ州)の8カ国にまたがる。
また北極圏には様々な定義があり「最も暖かい月の平均気温が10℃を越えない」との条件もそのひとつ。蛇行した細い赤線がそのエリア。
そしてこれが北極熊の生息エリア。
北極圏8カ国のうちの4カ国。
ちょっと地図がわかりづらいが丸い破線が北極線。先ほど書いたように北極圏周辺にある海沿いエリアがメイン。カナダ北側には北極線からかなり外れていても生息している。ただしそこは「最も暖かい月の平均気温が10℃を越えない」との定義ではほぼ北極圏と重なる。画像はhttps://x.gd/EoVhx(短縮URL使用)から引用
当然ながら極寒の地。
こんなところで北極熊はどんな生活をしているのかーーー
極点付近は真夏でも海が凍っている。
秋になるとそれ以外の海域も凍りだし、それが冬〜次の春まで続く。
これらは海氷と呼ばれ厚さは1〜3メートル。
夏以外の北極圏は氷の大地で覆われているような状態。
北極熊はこの海氷に繰り出し、ところどころにできた氷の裂け目でアザラシを待ち構え、息継ぎで顔を出したり、休息のために上がってくるところを捕食する。また海氷には雪が積もり、アザラシはその雪の中にカマクラのような巣を作って子育てをする。北極熊はその巣を襲って子供アザラシも食べる。
氷の海を泳ぐアザラシは脂肪たっぷり。その高カロリーなアザラシを食べて北極熊もたっぷりと皮下脂肪を蓄え、北極圏の極寒気候に適応して生きてきた。
ただし問題は海氷が溶けてなくなってしまう夏。北極熊は泳ぎが得意で山のクマと較べて小さな頭部も泳ぐために進化した結果とされているとはいえ、水中専門のアザラシを泳いで捕まえるまではできない。
それでどうするかといえば何と「我慢」。魚や苔・海藻などの植物(北極に実のなるような植物はない)、海岸に漂着したクジラやイルカの死骸も食べるようだが基本的には絶食状態が続く。よく知られているように山にいるクマは冬眠する。北極熊は夏眠こそしないが体力温存のために活動量も減るらしい。
北極点周辺は真夏でも海氷が溶けないのだから、夏はそちらで暮らせば良さそうなものの、出産子育てとか何か移動できない事情があるのかも知れない。
丸々と太った冬と、ゲッソリ痩せた夏。画像はhttps://x.gd/6E45Gvとhttps://x.gd/GtJEW(短縮URL使用))から引用編集
こうして食いだめと絶食の生活パターンを繰り返してきた北極熊であるが、
その暮らしに変化の波が押し寄せている。
ーーー続く
これがパソコンでの画面。
今まで気にしていなかったが子供の北極熊だね。
旅客機やコンクリート壁がどんなデザインだったか確認したくなり、ブログ設定のページを開いてみたら、それらはもう用意されていなかったし、この white_bear もなかった。新しく設定はできなくても、古い設定はそのまま有効なようだ。久々にデザイン変更しようかとも考えたものの、特に気に入ったテンプレートがなかったのでそのまま継続。なお用意されているテンプレートがずいぶんと少なくなっていた。現在158種類あるけれど、単なる色違いやカラム数違いを差し引くと100種類ほどしかない。昔は数百のレベルで用意されていたと思う。まあブログはオワコンというかオワメディアだし仕方ないか(/o\)
さて北極熊、別名は白熊。山にいる熊と較べると色が違うのはもちろんのこと、顔が小さくていわゆる「シュッと」している。
日本の熊と大きさを較べると(数値はオスの成獣)
北極熊:体長2〜2.5m 体重400〜600kg
ヒグマ:体長2〜2.8m 体重250〜500kg
ツキノワグマ:体長1.2〜1.8m 体重50〜120kg
大きさはヒグマと互角でも体重は北極熊がかなり重い。これはおそらく生息地の寒さによる貯め込んだ皮下脂肪の厚さの違い。それとツキノワグマは意外と小さいと初めて知った。
日本の場合、ヒグマは北海道に、ツキノワグマは本州と四国に生息している。そして実は九州に熊本県があって、くまモンがいてもクマは存在しない。かつてはツキノワグマが生息していたが1957年(昭和32年)に絶滅した。それに元々地名は「隈本」であってクマとも関係がない。
左からヒグマ、ツキノワグマ、くまモン。ツキノワグマの模様は「月の輪」ではなくせいぜい三日月。V字型模様の場合もある。英語ではシンプルに Moon bear。ヒグマは Brown bear で北極熊は Polar bear。
Polar:ポーラは「極の、極地の」などの意味を持つ形容詞。ポーラスター(北極星)が有名だけれど南極にも使う。化粧品のポーラは「美の極み」と解釈して読みやすいようにPOLAの文字を当てた造語。
北極熊に話を戻すと、
彼らが生息しているのは北極圏周辺にある海沿いエリアの陸地。
それで北極圏とはどこかというと、まず地図上では北緯66度33分のラインが北極線と呼ばれ、それより北が北極圏。同様に南緯66度33分が南極線で、それより南が南極圏。ちなみに日本の北緯度は沖縄:26度12分、東京:35度41分、札幌:43度3分。ついでにロンドン51度30分、モスクワ:55度45分。
赤いラインが北緯66度33分の北極線。
冬至のときに太陽高度がゼロとなるのがこの緯度(説明は省略)。
北極点を見下ろした地図。
ピンクでなぞっているのが北極線。
北極線より内側の北極圏はカナダ、デンマーク(グリーンランド等がデンマークの自治領)、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシア、アメリカ(アラスカ州)の8カ国にまたがる。
また北極圏には様々な定義があり「最も暖かい月の平均気温が10℃を越えない」との条件もそのひとつ。蛇行した細い赤線がそのエリア。
そしてこれが北極熊の生息エリア。
北極圏8カ国のうちの4カ国。
ちょっと地図がわかりづらいが丸い破線が北極線。先ほど書いたように北極圏周辺にある海沿いエリアがメイン。カナダ北側には北極線からかなり外れていても生息している。ただしそこは「最も暖かい月の平均気温が10℃を越えない」との定義ではほぼ北極圏と重なる。画像はhttps://x.gd/EoVhx(短縮URL使用)から引用
当然ながら極寒の地。
こんなところで北極熊はどんな生活をしているのかーーー
極点付近は真夏でも海が凍っている。
秋になるとそれ以外の海域も凍りだし、それが冬〜次の春まで続く。
これらは海氷と呼ばれ厚さは1〜3メートル。
夏以外の北極圏は氷の大地で覆われているような状態。
北極熊はこの海氷に繰り出し、ところどころにできた氷の裂け目でアザラシを待ち構え、息継ぎで顔を出したり、休息のために上がってくるところを捕食する。また海氷には雪が積もり、アザラシはその雪の中にカマクラのような巣を作って子育てをする。北極熊はその巣を襲って子供アザラシも食べる。
氷の海を泳ぐアザラシは脂肪たっぷり。その高カロリーなアザラシを食べて北極熊もたっぷりと皮下脂肪を蓄え、北極圏の極寒気候に適応して生きてきた。
ただし問題は海氷が溶けてなくなってしまう夏。北極熊は泳ぎが得意で山のクマと較べて小さな頭部も泳ぐために進化した結果とされているとはいえ、水中専門のアザラシを泳いで捕まえるまではできない。
それでどうするかといえば何と「我慢」。魚や苔・海藻などの植物(北極に実のなるような植物はない)、海岸に漂着したクジラやイルカの死骸も食べるようだが基本的には絶食状態が続く。よく知られているように山にいるクマは冬眠する。北極熊は夏眠こそしないが体力温存のために活動量も減るらしい。
北極点周辺は真夏でも海氷が溶けないのだから、夏はそちらで暮らせば良さそうなものの、出産子育てとか何か移動できない事情があるのかも知れない。
丸々と太った冬と、ゲッソリ痩せた夏。画像はhttps://x.gd/6E45Gvとhttps://x.gd/GtJEW(短縮URL使用))から引用編集
こうして食いだめと絶食の生活パターンを繰り返してきた北極熊であるが、
その暮らしに変化の波が押し寄せている。
ーーー続く
2025年08月27日
武士の情けで金盛丸を鉢増し
2019年12月の世田谷ボロ市で買ってきた金盛丸。
まるで漁船みたいな名前のサボテンである。
この半円球がオリジナルの姿。
買ったときから奥に見える子株がひとつ付いていた。
春になった2020年5月に買ってきたときのポットから白いプランターに植え替え。冬の間はあまり成長しないので、このときはまだ半円球。
子株が成長してプランターの縁に当たるようになったので、
4ヶ月後の2020年9月に子株を切り離して別のプランターに移す。
これは植え替え前の写真で、元株にはさらに新しい子株がついている。
半円球からずいぶんと背が高くなっているが、これは徒長(とちょう)という現象。徒長とは「植物の伸長成長が(他の方向より)勝り、内容の充実を伴わない成長を指す農業・園芸用語」。つまり発育障害の一種で原因はおそらく日照不足。ベランダは東向きで直射日光が当たるのは午前中だけ。
でも私のサボテンのイメージはこれなので気にせず。
気にしても日照を増やすのは引っ越さないと無理。

元株と子株を別々にして9ヶ月後の2021年6月の姿。
奥が元株で手前が株分けした子株1号。
元株に新しく付いた子株が大きくなり、さらにいくつかの子株が増えている。
そこで元株を少し大きなプランターに植え替え。
植え替えるときに子株が元株から落ちたので地面に置いた。
2ヶ月後の2021年8月。
元株の子株は数が増え、子株1号にも子株がつき始めた。
この頃はまだ子株ができると可愛い、うれしいと思っていた時期ーーー
20ヶ月後の2023年4月。
金盛丸とは子株が無限に増えるのだと知る(/o\)
2023年5月。
新たにプランターを購入。
元株と子株1号についた子株を取り除いて、
取り除いた子株専用のプランターを作った。
それで一件落着のつもりだったのに、わずか6ヶ月後の2023年11月には子株を除去した元株と子株1号にたくさんの新たな子株が育って、もとの木阿弥状態(>_<) この頃から金盛丸の生命力に恐れをなす。
さらに8ヶ月後の2024年7月の状況。
子株はスクスク・ズンズン育っている。
それに合わせてまた子株用のプランターを作れば無限に子株が増えて、いずれベランダが金盛丸に占領される羽目になる。とりあえずこのときは放置を決定。いわゆる問題の先送り。
放置して13ヶ月が経過した今年の8月15日の撮影。
もうジャングル状態!
そろそろ決断しなければならない。
このままでは切りがないので余分な子株は取り除いて捨てようと思ったそのとき、
「お願いです私たちを捨てないで!」の声がどこかから聞こえてきた(^^ゞ
しかし金盛丸ばかり増えても仕方ないしと躊躇。
元気よく伸びている子株を捨てるのは忍びなく、さりとてこれだけ密集していると風通しも悪く生育に影響があるだろうとも考え、武士の情けでもうひとつだけ鉢増しすることに。プランターの数が増えても、金盛丸は冬でも部屋に取り込まずベランダに出しっぱなしでOKなのが救い。
この写真で一番背が高いのが元株、次の写真が子株1号。
もう最初の写真とはまったく別の植物になっている。
元株と子株1号の子株を取り除く。親株にくっついているものがほとんどだが、地面に根を生やしているのもあった。2023年5月に作った子株を集めたプランターからも少し取った。
子株を取り除いた状態。
この2つはプランターから倒れており、下の方が柔らかくなって腐りかけていた。
トゲがなければキュウリみたいだ。
大きいのはベンジャミンのプランターに置き、小さいのは箱に入れて分別。
この状態で丸1日乾燥させる。
サボテンや多肉植物の解説書には植え替え前に、根や切り口を乾燥させろと書いてあるものが多い。金盛丸は今までの経験で乾燥させなくても大丈夫なのはわかっていたけれど、この季節にベランダでの作業が暑すぎて中断(^^ゞ
8月17日に作業再開。
新しいプランターに植え替えられたのはベンジャミンのプランターに取り分けた子株のみ。
箱に入れてあった子株はーーー許せm(_ _)m
このあと傾いているのを修正したりして鉢増しは終了。
それから10日経った本日現在、特に異常なし。
さて
今までは子株が増えるに任せてきたが今後は方針を変える。
先ほどの分別した写真を見ればわかるように、子株のほとんどは地面に根を生やさず親株にくっついている。それで平気な親株のパワーは凄いとはいえ、やはり子株は親株から栄養を奪って親株の成長を阻害しているはず。
だから元株と子株1号は子株が付いたら小さなうちにすべて取り去る。
なぜなら元株と子株1号は大きく育てて、2本立てに仕立てたいから。
イメージとしてはこんな感じ。
また今回で3つに増えた子株の寄せ植えプランターも、できるだけ新しくついた子株は取っていこうかなあと思案中。植物が自らの意思で子株を増やすのを尊重したいと思う反面で、やはりジャングル状態になっては生育環境としてよくないような気もする。ある程度育った子株を引きちぎって捨てるのは心苦しいので、豆粒サイズのうちにとの気持ちもある。まあ様子を見ながら、金盛丸の声を聞きながら?対応しましょう。
まるで漁船みたいな名前のサボテンである。
この半円球がオリジナルの姿。
買ったときから奥に見える子株がひとつ付いていた。
春になった2020年5月に買ってきたときのポットから白いプランターに植え替え。冬の間はあまり成長しないので、このときはまだ半円球。
子株が成長してプランターの縁に当たるようになったので、
4ヶ月後の2020年9月に子株を切り離して別のプランターに移す。
これは植え替え前の写真で、元株にはさらに新しい子株がついている。
半円球からずいぶんと背が高くなっているが、これは徒長(とちょう)という現象。徒長とは「植物の伸長成長が(他の方向より)勝り、内容の充実を伴わない成長を指す農業・園芸用語」。つまり発育障害の一種で原因はおそらく日照不足。ベランダは東向きで直射日光が当たるのは午前中だけ。
でも私のサボテンのイメージはこれなので気にせず。
気にしても日照を増やすのは引っ越さないと無理。

元株と子株を別々にして9ヶ月後の2021年6月の姿。
奥が元株で手前が株分けした子株1号。
元株に新しく付いた子株が大きくなり、さらにいくつかの子株が増えている。
そこで元株を少し大きなプランターに植え替え。
植え替えるときに子株が元株から落ちたので地面に置いた。
2ヶ月後の2021年8月。
元株の子株は数が増え、子株1号にも子株がつき始めた。
この頃はまだ子株ができると可愛い、うれしいと思っていた時期ーーー
20ヶ月後の2023年4月。
金盛丸とは子株が無限に増えるのだと知る(/o\)
2023年5月。
新たにプランターを購入。
元株と子株1号についた子株を取り除いて、
取り除いた子株専用のプランターを作った。
それで一件落着のつもりだったのに、わずか6ヶ月後の2023年11月には子株を除去した元株と子株1号にたくさんの新たな子株が育って、もとの木阿弥状態(>_<) この頃から金盛丸の生命力に恐れをなす。
さらに8ヶ月後の2024年7月の状況。
子株はスクスク・ズンズン育っている。
それに合わせてまた子株用のプランターを作れば無限に子株が増えて、いずれベランダが金盛丸に占領される羽目になる。とりあえずこのときは放置を決定。いわゆる問題の先送り。
放置して13ヶ月が経過した今年の8月15日の撮影。
もうジャングル状態!
そろそろ決断しなければならない。
このままでは切りがないので余分な子株は取り除いて捨てようと思ったそのとき、
「お願いです私たちを捨てないで!」の声がどこかから聞こえてきた(^^ゞ
しかし金盛丸ばかり増えても仕方ないしと躊躇。
元気よく伸びている子株を捨てるのは忍びなく、さりとてこれだけ密集していると風通しも悪く生育に影響があるだろうとも考え、武士の情けでもうひとつだけ鉢増しすることに。プランターの数が増えても、金盛丸は冬でも部屋に取り込まずベランダに出しっぱなしでOKなのが救い。
この写真で一番背が高いのが元株、次の写真が子株1号。
もう最初の写真とはまったく別の植物になっている。
元株と子株1号の子株を取り除く。親株にくっついているものがほとんどだが、地面に根を生やしているのもあった。2023年5月に作った子株を集めたプランターからも少し取った。
子株を取り除いた状態。
この2つはプランターから倒れており、下の方が柔らかくなって腐りかけていた。
トゲがなければキュウリみたいだ。
大きいのはベンジャミンのプランターに置き、小さいのは箱に入れて分別。
この状態で丸1日乾燥させる。
サボテンや多肉植物の解説書には植え替え前に、根や切り口を乾燥させろと書いてあるものが多い。金盛丸は今までの経験で乾燥させなくても大丈夫なのはわかっていたけれど、この季節にベランダでの作業が暑すぎて中断(^^ゞ
8月17日に作業再開。
新しいプランターに植え替えられたのはベンジャミンのプランターに取り分けた子株のみ。
箱に入れてあった子株はーーー許せm(_ _)m
このあと傾いているのを修正したりして鉢増しは終了。
それから10日経った本日現在、特に異常なし。
さて
今までは子株が増えるに任せてきたが今後は方針を変える。
先ほどの分別した写真を見ればわかるように、子株のほとんどは地面に根を生やさず親株にくっついている。それで平気な親株のパワーは凄いとはいえ、やはり子株は親株から栄養を奪って親株の成長を阻害しているはず。
だから元株と子株1号は子株が付いたら小さなうちにすべて取り去る。
なぜなら元株と子株1号は大きく育てて、2本立てに仕立てたいから。
イメージとしてはこんな感じ。
また今回で3つに増えた子株の寄せ植えプランターも、できるだけ新しくついた子株は取っていこうかなあと思案中。植物が自らの意思で子株を増やすのを尊重したいと思う反面で、やはりジャングル状態になっては生育環境としてよくないような気もする。ある程度育った子株を引きちぎって捨てるのは心苦しいので、豆粒サイズのうちにとの気持ちもある。まあ様子を見ながら、金盛丸の声を聞きながら?対応しましょう。
2025年08月25日
夏に桃の種まき
5月24日に桃の種を3つまいてブログにもした。
食べ終わった果物の種を使った恒例のフルーツガーデニング。
ただし今まで69種まいて7株と発芽率は10.1%。
細かなデータは前回のブログで↓
https://wassho.livedoor.blog/archives/53506834.html
その時に載せた写真。
土の上に置いてあるのは桃の種の殻。
それから2ヶ月。
プランターは沈黙を守ったまま(/o\)
桃の後ろのレンガ色プランターにはグレープフルーツの種がまいてある。ブログにはしなかったが作業日は5月29日。こちらも同様に沈黙。もっとも柑橘類は今まで発芽したことがなく期待していなかったが。
桃は夏の果物なのに種まきを翌年の春にするのは、夏にまいて秋に芽が出ると小さいうちに冬を迎える→まだ冬を越せる体力がついていないーーーというのをどこかで聞いたから。
しかし今まで発芽後にそこそこの大きさまでに育ったことはないのだから、発芽して「ヤッター!」を楽しめればそれだけでいいじゃないかと現実的に考え直す。それで今年2度目の桃の種まきを実行。作業したのは8月9日。
「伝家の宝桃」とだじゃれなネーミングの桃。
ちなみにこれ、名前のついていない無印の桃よりちょっと値段が高かったのに、まったくおいしくなかった。せめて発芽して元を取らせておくれ。
種の入っている殻を、
トンカチとドライバーを使って割るのであるが、
道具箱を漁っていたら、やたら幅の広いドライバーを見つけた。
どんなネジを回すために買ったのかまったく思い出せず。
でも桃の殻割りには普通サイズよりこのほうが向いている。
無事に殻を割れた。
けっこう力加減が難しいんだぜ。
発芽しなかった種はどうなっているのだとプランターを掘り起こす。
3つあった桃のプランターから種らしきものが出てきたのは1つのプランターだけ。
ひっくり返すと空っぽ。
新しい殻と種と、掘り起こした種の比較。
2つのプランターに一粒ずつまいたグレープフルーツも、掘り起こせたのはひとつだけ。違う形に見えるが同じ種をひっくり返しての撮影。
桃とグレープフルーツの消えた種はどこへ行ったのだろう?
微生物に分解されて土になるのに3ヶ月は早すぎると思うがーーー
今回の「伝家の宝桃」の種は、前回のグレープフルーツのプランターにまいた。
割った殻を置くのは単に「これは桃のプランター」の目印。
発芽してくれるかな、して欲しいなあ。
現在、種まきから16日目。
以前に桃が発芽したのは1ヶ月後くらいだった。
食べ終わった果物の種を使った恒例のフルーツガーデニング。
ただし今まで69種まいて7株と発芽率は10.1%。
細かなデータは前回のブログで↓
https://wassho.livedoor.blog/archives/53506834.html
その時に載せた写真。
土の上に置いてあるのは桃の種の殻。
それから2ヶ月。
プランターは沈黙を守ったまま(/o\)
桃の後ろのレンガ色プランターにはグレープフルーツの種がまいてある。ブログにはしなかったが作業日は5月29日。こちらも同様に沈黙。もっとも柑橘類は今まで発芽したことがなく期待していなかったが。
桃は夏の果物なのに種まきを翌年の春にするのは、夏にまいて秋に芽が出ると小さいうちに冬を迎える→まだ冬を越せる体力がついていないーーーというのをどこかで聞いたから。
しかし今まで発芽後にそこそこの大きさまでに育ったことはないのだから、発芽して「ヤッター!」を楽しめればそれだけでいいじゃないかと現実的に考え直す。それで今年2度目の桃の種まきを実行。作業したのは8月9日。
「伝家の宝桃」とだじゃれなネーミングの桃。
ちなみにこれ、名前のついていない無印の桃よりちょっと値段が高かったのに、まったくおいしくなかった。せめて発芽して元を取らせておくれ。
種の入っている殻を、
トンカチとドライバーを使って割るのであるが、
道具箱を漁っていたら、やたら幅の広いドライバーを見つけた。
どんなネジを回すために買ったのかまったく思い出せず。
でも桃の殻割りには普通サイズよりこのほうが向いている。
無事に殻を割れた。
けっこう力加減が難しいんだぜ。
発芽しなかった種はどうなっているのだとプランターを掘り起こす。
3つあった桃のプランターから種らしきものが出てきたのは1つのプランターだけ。
ひっくり返すと空っぽ。
新しい殻と種と、掘り起こした種の比較。
2つのプランターに一粒ずつまいたグレープフルーツも、掘り起こせたのはひとつだけ。違う形に見えるが同じ種をひっくり返しての撮影。
桃とグレープフルーツの消えた種はどこへ行ったのだろう?
微生物に分解されて土になるのに3ヶ月は早すぎると思うがーーー
今回の「伝家の宝桃」の種は、前回のグレープフルーツのプランターにまいた。
割った殻を置くのは単に「これは桃のプランター」の目印。
発芽してくれるかな、して欲しいなあ。
現在、種まきから16日目。
以前に桃が発芽したのは1ヶ月後くらいだった。
2025年08月21日
長くなったもの、短くなったもの 後編その3
これまで書いてきたように私の記憶や推測が正しければ、クルー丈より短いスニーカー丈やハイカット丈のスニーカーが、ランニング用品ではなく一般のソックスとして売り出されたのは2000年頃あるいは2000年代中頃。
ジョギングをするときは真冬でも短パンだったから、長いパンツにスニーカー丈のソックスを組み合わせてはいたのはこのときが最初。季節はもちろん夏。
始めて買って、
はいて、
自宅を出て、
あまりの涼しさに驚き、
「これを考案した人に一生感謝する」と心の中で手を合わせた(オオゲサ)。ここまで直近5回のブログは、ここ数年愛用してきた膝下まである七分丈の短パンを、普通丈の膝が少し出る短パンに戻したら涼しかった話から始まっている。しかしこのときの感動はそれを上回る。短パンの七分丈→普通丈が涼しい→さらに涼しい感覚なのに対して、長パンに短いソックスの組み合わせは暑い→涼しいで感謝したいほどのインパクトだった。
それ以来は暑い季節はビジネスシーンでも、スーツのときを除いて、たとえネクタイを締めていてもスニーカー丈あるいはハイカット丈のソックスしかはいていない。まあ足を組んで座らない限り見えないし。
画像はhttps://x.gd/Fkov5(短縮URL使用)から引用編集
一方で、さらに丈が短く靴をはいているとまったく見えないフットカバーやカバーソックスの歴史は男女によって分かれる。先行したのは女性のパンプス用として。
大手のアツギは1991年から似たような商品を発売していたらしい。無印良品のホームページによると同社が発売したのは2002年からで、広く知られるようになったのは2009年あたりとある。2008年に書かれた別の取材記事で「ここ1、2年の流行ではなく定番化してきている」ともあった。とりあえず女性用は2000年代後半から一般的だったようだ。
ただしルーズソックスのコギャルだけでなく、大人の若い女性もストッキングをはかずに生足になった始まりは1996年が通説。だとすれば生足ブームからフットカバー普及まで約10年間のタイムラグがある。
すると生足の大人女子はパンプスを石田純一のように素足で履いていたのか、あるいはビジネスシーンでも生足の際はサンダルやミュールだったのか。チョット興味はあるけれど今回はそこまで調べていない。
女性用のフットカバーが2000年代後半には一般化していたのに対して、男性用はグンゼの発売が2013年で、また「男性用フットカバーが人気」との2015年の雑誌記事を見つけたので、女性に遅れること7〜8年で広まったと考えられる。
それはたぶん必然性があったかどうかの違い。
和装から洋装に変わって以来、日本の女性はスカートの際にストッキングをはいてきた。寒い時期の防寒用途を除けば、「生足なんてはしたない、それを人に見られるのは恥ずかしい」との気持ちと「ストッキングをはいたほうが引き締まって美脚に見える」の2つの要素があったと思われる。バブル時代(1986年昭和61年〜1991年平成3年)といえば思い出すのはワンレンでボディコンのセクシーな衣装。そんなファッションのときでも生足ではなくストッキングをはいていたのである。
1996年からの生足ブームは、とあるスーパーモデルの来日がきっかけと一般に解説される。きっかけはそうだったとして、だんだんと熱帯化する日本の夏にストッキング・レスの快適さを体験し、先ほどの2つの意識を上回ったのではないかな。
これは気象庁による猛暑日の年間日数のグラフ。
90年代中頃から増加のピッチが上がっているのがわかる。
詳しくはhttps://x.gd/juz2O(短縮URL)を参照してちょうだい。
この気象状況も後押ししてストッキングははきたくない、でも素足で革のパンプスはーーーとの実用性ニーズでフットカバーが求められたと考えられる。
対して男性の革靴を素足で履いているように見せたいとは単純にオシャレ欲求。そこそこの人数ボリュームが一斉に生足になった女性と違い、素足で革靴を履くのはそれまで石田純一的とキワモノ扱いされてきた歴史もあって、最初はマーケットもごく小さく、ゆえに靴下メーカーも対応しなかった。それが男性用フットカバーが女性用より7〜8年遅れた理由だと推測している。(なお石田純一は本人の弁によると1985年昭和60年から素足で革靴)
ちなみに私は素足で革靴が格好いいとの意識もなく、またあれはローファータイプの革靴に似合うスタイルであり、そんな革靴もあまり持っていないので基本的にフットカバーのソックスは使わない。
でもあるとき、このクラシカルなウイングチップ(つま先などに装飾があるタイプ)の革靴なのに、カジュアルな色で、しかもソールがスニーカータイプのこの靴を衝動買いして、これのためにフットカバーを買ったことがある。
でもやはり革靴の素足履きはやはりローファーのような足の甲が多く見える靴でないと似合わなかった。それにフットカバーは靴を脱ぐときに一緒に脱げてしまうのが面倒(脱げないよう改良しましたと書いてあったのに)。それにこの靴、ソールがスニーカーぽいのに履き心地がちっともよくなくて、ほぼ新品の状態で靴箱に眠ったまま(>_<) 実は色違いで2足衝動買いしてしまったのに(>_<) (>_<)
そんなわけででフットカバーは数回はいただけ。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
とりあえずここでは短いソックスを、
くるぶしあたりまでのスニーカー丈やハイカット丈に限定し、
それが普及したのを2000年代中頃と遅めに設定したとしても、
もう20年の歴史がある。
十年ひと昔ならぬ、ふた昔前からである。
だから暑い季節にそれをはくのは、もうファッションとは関係なくごく当たり前の選択になってている。とくに足元が露わになる短パンのときは必須。クルー丈のソックスでは実際にも、見た目にも暑苦しいと感じる。
それでもたまにおジイちゃんが、こんなふうに短パンにクルー丈のソックスというか黒い「紳士靴下」をビシッとはいているのを見かける(もちろんシャツもイン!)。おそらくはファッションに興味がないというよりも、情報収集能力が低下して短い丈のソックスを知らないのだと思う。こうならないように気をつけないと(^^ゞ
しかししかしである。
ファッションとは流行が流行遅れになり、そしてそれがまた復活してくる輪廻転生。最近はふくらはぎの中程まである昔ながらのクルー丈ソックスがリバイバルしているのだ。
画像は今年夏のファッション雑誌からのコラージュ。
シャツはインしていないものソックスはおジイちゃんと一緒!
画像はhttps://x.gd/AkqT3、https://x.gd/tTgPX、https://x.gd/EiSKh、https://x.gd/JAo3F、https://x.gd/qG2MG、https://x.gd/WJq9n(短縮URL使用))から引用編集
実はこれ2年ほど前からの現象で、いわゆるZ世代(概ね1997年〜2012年頃に生まれ:今年で13歳〜28歳)に多く見られる。彼らは自分たちより上のミレニアム世代(概ね1980年〜1990年代半ば生まれ:今年で30歳〜45歳)が「短いソックスをはいていてダサい」とバカにしてなぜか世代間抗争になっている。ミレニアム世代が好むスキニーパンツに対抗してバギーパンツをはき始めたのもZ世代。
アメリカでは「ソックスを見れば年齢がわかる」とまで言われるトレンドであるが、日本の街中で観察してみると20〜25歳前後の層で短パンにクルー丈のスタイルの若者がそこそこいる。今の季節はサンダルだと裸足だし、長パンだと見た目ではわからないから観察以上にいるかも知れない。それでもそうじゃない若者も多くいるのはアメリカより日本が暑いからかも知れない。なおこのファッショントレンドとは関係なく、おジイちゃんと同じノリでクルー丈のソックスのなのに、一周回って先端ファッションになっている人もいるので見極めが難しい(^^ゞ
昔のように短パンでもクルー丈のソックスが 当たり前の時代がまたやってくるのだろうか。今のところ私はスニーカー丈がダサいという感覚は持っていないし、それになんといってもクルー丈より涼しいからスニーカー丈をはき続けるつもり。でもそんなスタイルが先ほどのおジイちゃんのイラストのような扱いをされたら凹むなあ(/o\)
今回のタイトルを正確に表現すると「長くなったもの、短くなったもの、そしてまた長くなりつつあるもの」。まあファッションとはそうやってフェードアウトとリバイバルの繰り返し。バギーパンツなんて私が小学生の頃にブームで、もうとっくに死語だと思っていたのに、今やユニクロでも販売されるくらい復活してビックリ。そのうち聖子ちゃんカットや真知子巻きもまた流行ったりして(^^ゞ
おしまい
ジョギングをするときは真冬でも短パンだったから、長いパンツにスニーカー丈のソックスを組み合わせてはいたのはこのときが最初。季節はもちろん夏。
始めて買って、
はいて、
自宅を出て、
あまりの涼しさに驚き、
「これを考案した人に一生感謝する」と心の中で手を合わせた(オオゲサ)。ここまで直近5回のブログは、ここ数年愛用してきた膝下まである七分丈の短パンを、普通丈の膝が少し出る短パンに戻したら涼しかった話から始まっている。しかしこのときの感動はそれを上回る。短パンの七分丈→普通丈が涼しい→さらに涼しい感覚なのに対して、長パンに短いソックスの組み合わせは暑い→涼しいで感謝したいほどのインパクトだった。
それ以来は暑い季節はビジネスシーンでも、スーツのときを除いて、たとえネクタイを締めていてもスニーカー丈あるいはハイカット丈のソックスしかはいていない。まあ足を組んで座らない限り見えないし。
画像はhttps://x.gd/Fkov5(短縮URL使用)から引用編集
一方で、さらに丈が短く靴をはいているとまったく見えないフットカバーやカバーソックスの歴史は男女によって分かれる。先行したのは女性のパンプス用として。
大手のアツギは1991年から似たような商品を発売していたらしい。無印良品のホームページによると同社が発売したのは2002年からで、広く知られるようになったのは2009年あたりとある。2008年に書かれた別の取材記事で「ここ1、2年の流行ではなく定番化してきている」ともあった。とりあえず女性用は2000年代後半から一般的だったようだ。
ただしルーズソックスのコギャルだけでなく、大人の若い女性もストッキングをはかずに生足になった始まりは1996年が通説。だとすれば生足ブームからフットカバー普及まで約10年間のタイムラグがある。
すると生足の大人女子はパンプスを石田純一のように素足で履いていたのか、あるいはビジネスシーンでも生足の際はサンダルやミュールだったのか。チョット興味はあるけれど今回はそこまで調べていない。
女性用のフットカバーが2000年代後半には一般化していたのに対して、男性用はグンゼの発売が2013年で、また「男性用フットカバーが人気」との2015年の雑誌記事を見つけたので、女性に遅れること7〜8年で広まったと考えられる。
それはたぶん必然性があったかどうかの違い。
和装から洋装に変わって以来、日本の女性はスカートの際にストッキングをはいてきた。寒い時期の防寒用途を除けば、「生足なんてはしたない、それを人に見られるのは恥ずかしい」との気持ちと「ストッキングをはいたほうが引き締まって美脚に見える」の2つの要素があったと思われる。バブル時代(1986年昭和61年〜1991年平成3年)といえば思い出すのはワンレンでボディコンのセクシーな衣装。そんなファッションのときでも生足ではなくストッキングをはいていたのである。
1996年からの生足ブームは、とあるスーパーモデルの来日がきっかけと一般に解説される。きっかけはそうだったとして、だんだんと熱帯化する日本の夏にストッキング・レスの快適さを体験し、先ほどの2つの意識を上回ったのではないかな。
これは気象庁による猛暑日の年間日数のグラフ。
90年代中頃から増加のピッチが上がっているのがわかる。
詳しくはhttps://x.gd/juz2O(短縮URL)を参照してちょうだい。
この気象状況も後押ししてストッキングははきたくない、でも素足で革のパンプスはーーーとの実用性ニーズでフットカバーが求められたと考えられる。
対して男性の革靴を素足で履いているように見せたいとは単純にオシャレ欲求。そこそこの人数ボリュームが一斉に生足になった女性と違い、素足で革靴を履くのはそれまで石田純一的とキワモノ扱いされてきた歴史もあって、最初はマーケットもごく小さく、ゆえに靴下メーカーも対応しなかった。それが男性用フットカバーが女性用より7〜8年遅れた理由だと推測している。(なお石田純一は本人の弁によると1985年昭和60年から素足で革靴)
ちなみに私は素足で革靴が格好いいとの意識もなく、またあれはローファータイプの革靴に似合うスタイルであり、そんな革靴もあまり持っていないので基本的にフットカバーのソックスは使わない。
でもあるとき、このクラシカルなウイングチップ(つま先などに装飾があるタイプ)の革靴なのに、カジュアルな色で、しかもソールがスニーカータイプのこの靴を衝動買いして、これのためにフットカバーを買ったことがある。
でもやはり革靴の素足履きはやはりローファーのような足の甲が多く見える靴でないと似合わなかった。それにフットカバーは靴を脱ぐときに一緒に脱げてしまうのが面倒(脱げないよう改良しましたと書いてあったのに)。それにこの靴、ソールがスニーカーぽいのに履き心地がちっともよくなくて、ほぼ新品の状態で靴箱に眠ったまま(>_<) 実は色違いで2足衝動買いしてしまったのに(>_<) (>_<)
そんなわけででフットカバーは数回はいただけ。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
とりあえずここでは短いソックスを、
くるぶしあたりまでのスニーカー丈やハイカット丈に限定し、
それが普及したのを2000年代中頃と遅めに設定したとしても、
もう20年の歴史がある。
十年ひと昔ならぬ、ふた昔前からである。
だから暑い季節にそれをはくのは、もうファッションとは関係なくごく当たり前の選択になってている。とくに足元が露わになる短パンのときは必須。クルー丈のソックスでは実際にも、見た目にも暑苦しいと感じる。
それでもたまにおジイちゃんが、こんなふうに短パンにクルー丈のソックスというか黒い「紳士靴下」をビシッとはいているのを見かける(もちろんシャツもイン!)。おそらくはファッションに興味がないというよりも、情報収集能力が低下して短い丈のソックスを知らないのだと思う。こうならないように気をつけないと(^^ゞ
しかししかしである。
ファッションとは流行が流行遅れになり、そしてそれがまた復活してくる輪廻転生。最近はふくらはぎの中程まである昔ながらのクルー丈ソックスがリバイバルしているのだ。
画像は今年夏のファッション雑誌からのコラージュ。
シャツはインしていないものソックスはおジイちゃんと一緒!
画像はhttps://x.gd/AkqT3、https://x.gd/tTgPX、https://x.gd/EiSKh、https://x.gd/JAo3F、https://x.gd/qG2MG、https://x.gd/WJq9n(短縮URL使用))から引用編集
実はこれ2年ほど前からの現象で、いわゆるZ世代(概ね1997年〜2012年頃に生まれ:今年で13歳〜28歳)に多く見られる。彼らは自分たちより上のミレニアム世代(概ね1980年〜1990年代半ば生まれ:今年で30歳〜45歳)が「短いソックスをはいていてダサい」とバカにしてなぜか世代間抗争になっている。ミレニアム世代が好むスキニーパンツに対抗してバギーパンツをはき始めたのもZ世代。
アメリカでは「ソックスを見れば年齢がわかる」とまで言われるトレンドであるが、日本の街中で観察してみると20〜25歳前後の層で短パンにクルー丈のスタイルの若者がそこそこいる。今の季節はサンダルだと裸足だし、長パンだと見た目ではわからないから観察以上にいるかも知れない。それでもそうじゃない若者も多くいるのはアメリカより日本が暑いからかも知れない。なおこのファッショントレンドとは関係なく、おジイちゃんと同じノリでクルー丈のソックスのなのに、一周回って先端ファッションになっている人もいるので見極めが難しい(^^ゞ
昔のように短パンでもクルー丈のソックスが 当たり前の時代がまたやってくるのだろうか。今のところ私はスニーカー丈がダサいという感覚は持っていないし、それになんといってもクルー丈より涼しいからスニーカー丈をはき続けるつもり。でもそんなスタイルが先ほどのおジイちゃんのイラストのような扱いをされたら凹むなあ(/o\)
今回のタイトルを正確に表現すると「長くなったもの、短くなったもの、そしてまた長くなりつつあるもの」。まあファッションとはそうやってフェードアウトとリバイバルの繰り返し。バギーパンツなんて私が小学生の頃にブームで、もうとっくに死語だと思っていたのに、今やユニクロでも販売されるくらい復活してビックリ。そのうち聖子ちゃんカットや真知子巻きもまた流行ったりして(^^ゞ
おしまい
2025年08月18日
長くなったもの、短くなったもの 後編その2
前編を長くなった短パン、後編に短くなったソックスの話を書くつもりだったのに、Wikipediaがスニーカー丈ソックスは「1980年代のスニーカーブームを受け、スニーカーから見えないソックスとして売り出された」なんていい加減なことを書いているせいで、話がスニーカーに流れてしまい後編「その2」に続くはめに。
1980年代にコンバースやプロケッヅのように、つま先が丸いゴム貼りでない現在の形のスニーカーが出始めたのは確かだとして、それがブームと表現できるほど爆発的に広まったのではないというのが私の記憶であり考え。
1980年代中頃に最も話題だったスニーカーブランドはリーボックで(マーケットシェアとは別)、それは80年代前半に始まったエアロビクスのブームと結びついている。そして当時のエアロビは1983年に公開された映画「フラッシュダンス」に影響された(かどうかは知らないが)レオタードにレッグウォーマーのスタイル。それはやがて形を変え1990年代に一世を風靡したルーズソックスにもつながっていく。
そういうレッグウォーマーやルーズソックスのように長くてユルユルが格好いいとされていた時代に、それと真逆のスニーカー丈の短いソックスは受け入れられなかったはず。
またWikipediaのスニーカーソックスのページには「スニーカーソックスはレナウンが商標登録している」との記述がある。これはわざとなのかまったく説明不足。レナウンが商標登録をしたのは1995年である。
そして実はこれなんと最初は「ルーズソックス」の商品名としての商標登録だった。もちろん誰もルーズソックスをスニーカーソックスなんて呼ばずにこのブランド戦略は失敗。だいたいルーズソックスは制服のローファー革靴と一緒にはくのだから「スニーカーソックス」なんてネーミングは意味不明。いったいレナウンは何を考えていたのか。かつては「通勤快足」なんてマーケティング史に残るネーミングを開発していたのに。
ただし「スニーカーソックス」のネーミングはそのまま消滅するかと思いきや、何とレナウンは2000年にルーズソックスとは正反対の「短い丈、すなわちスニーカー丈の靴下」の商品名としてこれを復活採用。アッパレというかヨウヤルワというか。なおレナウンの「スニーカーソックス」がヒットしたかどうかは知らない。
こういう状況を踏まえても、短いスニーカー丈のソックスが出回り始めたのはこの2000年前後からと推測するのが妥当。また女子高生のルーズソックスもその頃にブームが終わっている。
話をスニーカーにもう一度だけ戻すと、ナイキが出回り始めたのは1980年代の終わり頃。当初はそれほど目立ったブランドでもなかったものの、徐々に人気が高まり、ついには1996年に「エアマックス狩り」なんてニュースが流れるようになる。エアマックス狩りとはエアマックス95というスニーカーを履いている人から脱がせて強奪するカツアゲ(>_<)
エアマックス狩りの少し前、当時はソールにエアクッションのあるエアマックスが画期的に思えて割と好んで履いていた(履き心地は他のスニーカーと大差なかったが)。
しかし靴は覚えていても靴下までの記憶はないなあ。でも何となく1990年代終わり頃までソックスは従来と同じクルー丈だったような気がする。なお時代感覚を思い起こすヒントとして、ユニクロがフリースを売り始めたのは1994年ね。
ただし一般的にはそうだけれど、短い丈のソックスがなくはなかった。それはランニング用品としてのソックス。1990年代から2000年代の中頃に掛けて私はけっこう熱心にジョギングしていた。近所の公園にはジョギングコースがあり、公園そばのスニーカーショップはランニングシューズの品揃えが充実。そこでランニングシューズを買うとおまけでもらえたのが丈の短いいわゆるスニーカー丈のソックス。
ただオリンピックマラソンの画像を調べてみると、チョット予想と違った結果に。
2004年アテネ金メダルの野口みずきのソックスはスニーカー丈に見えるものの、2000年シドニー金メダルの高橋尚子と、1996年アトランタ銅メダルで「初めて、自分で自分をほめたいと思います」の有森裕子は前回に図解したスニーカー丈とクルー丈の中間のハーフ丈。
1992年バルセロナで「こけちゃいました」の谷口浩美はソックスをはいていないが銀メダルの森下広一はハーフ丈。この大会は「こけちゃいました」のインパクトがあまりに強すぎて森下の銀メダルより有名なのは歴史の皮肉。
その前1988年ソウル大会。
この頃はまだクルー丈のソックス。
短いほうがエラいわけじゃないとしても、90年代のオリンピック選手がハーフ丈なのに、私がスニーカー丈でジョギングしていたとは何となく気が引ける感も。
画像は上左から順にhttps://x.gd/fSD4T、https://x.gd/7Eoqf、https://x.gd/cVWM6、https://x.gd/7AIHB、https://x.gd/Cd0dG、https://x.gd/RBQJw(短縮URL使用))から引用編集
ところでジョギングの話ついでに、どうも最近はジョギングといわずにランニングと呼ぶ人が多いように感じる。昔はランニングとは陸上競技としてのマラソンや長距離走などを意味していて、アメリカでは趣味として無理せず気軽に走るのをジョギングというと伝わったのが1970年代の中頃。それを機に走る人が一気に増えた。それまで公園や街中で走っている人なんてほとんどいなかったと言っても、1980年以降生まれの人には信じてもらえないかも知れない。もちろん私もジョギングの概念があったからこそチンタラ走るのを趣味にしていたと言える。
それが今や「ランニング女子」なんて言葉もあるくらいランニングが一般的。ランニングとジョギングを一言で分けるなら走る速度の違いで、ランニング女子のほとんどはジョギング速度なのに。まだ死語ではないと思うが、いつからジョギングの言葉としての地位が低下したのだろう。
逆に考えればランニングの言葉地位が上昇したといえる。しかし一方で男性の袖なし下着を昔は「ランニング」といったのに、そちらはもうすっかり死語になってしまった。同じ「ランニング」なのに正反対の扱われ方で面白いね。
なお男性の袖なし下着をランニングと呼んだのは、陸上選手などが、そのスタイルのウエアを着ていたのに由来。今はタンクトップあるいはノースリーブのネーミングになっている。そのタンクトップとはかつて女性用のランニングシャツ形状を示す言葉だった。タンクとはプールや池のことで水着がタンクスーツ。水着の形に似ていて、上半身だけを覆うシャツなのでタンクトップ。ついでに戦車がタンクなのは、水槽がタンクで戦車は形が似ており、開発段階でタンクと暗号にしていたのが語源。
またノースリーブも以前は女性用のブラウスやワンピースで袖がないデザインを指していた。それがいつの間にか男性用にも使われている。言葉は生き物で何かと変化する実例。
話をソックスに戻すと、おまけでもらった短い丈のソックスを当時はジョギング専用として、普段のソックスとは別物と使っていた。そしてとにかく短いソックスが広まりを日常的にはくようになったのは2000年頃、ひょっとしたら2000年代中頃というのが私の推測。後者だとしても既に20年経っている。
なのだけれどーーー
ーーー続く
「その2」では終わらなかった(^^ゞ
1980年代にコンバースやプロケッヅのように、つま先が丸いゴム貼りでない現在の形のスニーカーが出始めたのは確かだとして、それがブームと表現できるほど爆発的に広まったのではないというのが私の記憶であり考え。
1980年代中頃に最も話題だったスニーカーブランドはリーボックで(マーケットシェアとは別)、それは80年代前半に始まったエアロビクスのブームと結びついている。そして当時のエアロビは1983年に公開された映画「フラッシュダンス」に影響された(かどうかは知らないが)レオタードにレッグウォーマーのスタイル。それはやがて形を変え1990年代に一世を風靡したルーズソックスにもつながっていく。
そういうレッグウォーマーやルーズソックスのように長くてユルユルが格好いいとされていた時代に、それと真逆のスニーカー丈の短いソックスは受け入れられなかったはず。
またWikipediaのスニーカーソックスのページには「スニーカーソックスはレナウンが商標登録している」との記述がある。これはわざとなのかまったく説明不足。レナウンが商標登録をしたのは1995年である。
そして実はこれなんと最初は「ルーズソックス」の商品名としての商標登録だった。もちろん誰もルーズソックスをスニーカーソックスなんて呼ばずにこのブランド戦略は失敗。だいたいルーズソックスは制服のローファー革靴と一緒にはくのだから「スニーカーソックス」なんてネーミングは意味不明。いったいレナウンは何を考えていたのか。かつては「通勤快足」なんてマーケティング史に残るネーミングを開発していたのに。
ただし「スニーカーソックス」のネーミングはそのまま消滅するかと思いきや、何とレナウンは2000年にルーズソックスとは正反対の「短い丈、すなわちスニーカー丈の靴下」の商品名としてこれを復活採用。アッパレというかヨウヤルワというか。なおレナウンの「スニーカーソックス」がヒットしたかどうかは知らない。
こういう状況を踏まえても、短いスニーカー丈のソックスが出回り始めたのはこの2000年前後からと推測するのが妥当。また女子高生のルーズソックスもその頃にブームが終わっている。
話をスニーカーにもう一度だけ戻すと、ナイキが出回り始めたのは1980年代の終わり頃。当初はそれほど目立ったブランドでもなかったものの、徐々に人気が高まり、ついには1996年に「エアマックス狩り」なんてニュースが流れるようになる。エアマックス狩りとはエアマックス95というスニーカーを履いている人から脱がせて強奪するカツアゲ(>_<)
エアマックス狩りの少し前、当時はソールにエアクッションのあるエアマックスが画期的に思えて割と好んで履いていた(履き心地は他のスニーカーと大差なかったが)。
しかし靴は覚えていても靴下までの記憶はないなあ。でも何となく1990年代終わり頃までソックスは従来と同じクルー丈だったような気がする。なお時代感覚を思い起こすヒントとして、ユニクロがフリースを売り始めたのは1994年ね。
ただし一般的にはそうだけれど、短い丈のソックスがなくはなかった。それはランニング用品としてのソックス。1990年代から2000年代の中頃に掛けて私はけっこう熱心にジョギングしていた。近所の公園にはジョギングコースがあり、公園そばのスニーカーショップはランニングシューズの品揃えが充実。そこでランニングシューズを買うとおまけでもらえたのが丈の短いいわゆるスニーカー丈のソックス。
ただオリンピックマラソンの画像を調べてみると、チョット予想と違った結果に。
2004年アテネ金メダルの野口みずきのソックスはスニーカー丈に見えるものの、2000年シドニー金メダルの高橋尚子と、1996年アトランタ銅メダルで「初めて、自分で自分をほめたいと思います」の有森裕子は前回に図解したスニーカー丈とクルー丈の中間のハーフ丈。
1992年バルセロナで「こけちゃいました」の谷口浩美はソックスをはいていないが銀メダルの森下広一はハーフ丈。この大会は「こけちゃいました」のインパクトがあまりに強すぎて森下の銀メダルより有名なのは歴史の皮肉。
その前1988年ソウル大会。
この頃はまだクルー丈のソックス。
短いほうがエラいわけじゃないとしても、90年代のオリンピック選手がハーフ丈なのに、私がスニーカー丈でジョギングしていたとは何となく気が引ける感も。
画像は上左から順にhttps://x.gd/fSD4T、https://x.gd/7Eoqf、https://x.gd/cVWM6、https://x.gd/7AIHB、https://x.gd/Cd0dG、https://x.gd/RBQJw(短縮URL使用))から引用編集
ところでジョギングの話ついでに、どうも最近はジョギングといわずにランニングと呼ぶ人が多いように感じる。昔はランニングとは陸上競技としてのマラソンや長距離走などを意味していて、アメリカでは趣味として無理せず気軽に走るのをジョギングというと伝わったのが1970年代の中頃。それを機に走る人が一気に増えた。それまで公園や街中で走っている人なんてほとんどいなかったと言っても、1980年以降生まれの人には信じてもらえないかも知れない。もちろん私もジョギングの概念があったからこそチンタラ走るのを趣味にしていたと言える。
それが今や「ランニング女子」なんて言葉もあるくらいランニングが一般的。ランニングとジョギングを一言で分けるなら走る速度の違いで、ランニング女子のほとんどはジョギング速度なのに。まだ死語ではないと思うが、いつからジョギングの言葉としての地位が低下したのだろう。
逆に考えればランニングの言葉地位が上昇したといえる。しかし一方で男性の袖なし下着を昔は「ランニング」といったのに、そちらはもうすっかり死語になってしまった。同じ「ランニング」なのに正反対の扱われ方で面白いね。
なお男性の袖なし下着をランニングと呼んだのは、陸上選手などが、そのスタイルのウエアを着ていたのに由来。今はタンクトップあるいはノースリーブのネーミングになっている。そのタンクトップとはかつて女性用のランニングシャツ形状を示す言葉だった。タンクとはプールや池のことで水着がタンクスーツ。水着の形に似ていて、上半身だけを覆うシャツなのでタンクトップ。ついでに戦車がタンクなのは、水槽がタンクで戦車は形が似ており、開発段階でタンクと暗号にしていたのが語源。
またノースリーブも以前は女性用のブラウスやワンピースで袖がないデザインを指していた。それがいつの間にか男性用にも使われている。言葉は生き物で何かと変化する実例。
話をソックスに戻すと、おまけでもらった短い丈のソックスを当時はジョギング専用として、普段のソックスとは別物と使っていた。そしてとにかく短いソックスが広まりを日常的にはくようになったのは2000年頃、ひょっとしたら2000年代中頃というのが私の推測。後者だとしても既に20年経っている。
なのだけれどーーー
ーーー続く
「その2」では終わらなかった(^^ゞ
2025年08月14日
長くなったもの、短くなったもの 後編
ここしばらく愛用してきた私が着て膝下6センチとなる七分丈の短パンから、ずっと以前から持っている膝上2センチの普通丈の短パンにはき替えたら涼しさがまったく違った。ではもっと短い短パンならと考えて、でもそんな短パンは売っていないしはいている人もいないと気付く。テニスウエアの事例などから1985年くらいまで短パンは太ももの1/3位の長さだったのに、現在は、おそらくは1990年以降に膝が見える程度になっているとの話が前回。それがタイトルにある「長くなったもの」。
逆に「短くなったもの」もある。
それはソックス。
正確に言うなら長さのバリエーションが増えた。
一般的なソックスの長さは5種類である。
まずは4種類。画像はhttps://x.gd/0TrEK(短縮URL使用)から引用
上のイラストからハイソックスを除いた商品写真。名前はメーカーによってまちまちでクルーをレギュラー、ハイカットをハーフ、スニーカーをショートあるいはアンクル丈と呼んだりもする。ちなみにスニーカーソックスというのはレナウンの登録商標。画像はhttps://x.gd/Fkov5(短縮URL使用)から引用編集。次の写真も同様。
そして最初のイラストに載っていないのが、
このフットカバーやカバーソックスと呼ばれるタイプ。
石田純一のように素足で革靴を履きたくても、
そこまでは踏ん切れない人向け?
ハイソックス丈とクルー丈は昔からある。だから長さのバリエーションが増えたとはハイカット丈、スニーカー丈、フットカバーと短いソックスが登場した流れになる。
さて短パンがいつ頃から長くなったのか正確な資料は見つけられなかったが、ソックスが短くなったについても同様である。
Wikipediaによるとスニーカー丈は「1980年代のスニーカーブームを受け、スニーカーから見えないソックスとして売り出された」と書かれているものの、これがどうにも信用できない。
まず「1980年代のスニーカーブーム」って何? まあマッチが「『スニーカーぶる〜す』でデビューしたのは1980年だけれど(^^ゞ
たしかに今現在スニーカーと聞いて多くの人が思い浮かべる形のスニーカーが登場したのは1980年前後。それ以前はバスケットボールシューズ(バッシュ)やテニスシューズがその代わりだった。
話は変わって、高校生の頃に履いていた靴で唯一覚えているのはPRO-Keds(プロケッズ)のこれ。靴底サイドにある青と赤のラインが当時はやたらかっこよく思えた。先ほど調べたら復刻版で売られていると知り感涙。こんなことを書くと歳がバレるな(^^ゞ どうやら2022年に復刻したらしい。画像はhttps://x.gd/GASZH(短縮URL使用)から引用編集
ちなみにPRO-Kedsはアメリカのメーカー。1916年に米マサチューセッツで創業したスニーカーブランドKeds社の、スポーツシューズ部門が1949年に分離して発足。そのバスケットシューズは1960年代に多くのNBAプロバスケットプレイヤーが愛用し、1970年代はストリートカルチャーにも浸透。それが少し遅れで日本に入ってきたのが私の高校生時代。
Keds社はその後も続くがPRO-Keds社は1995年に工場閉鎖。その後に何度か復活と販売停止を繰り返し、なぜか現在は日本で製造されている。
私の高校時代にPRO-Kedsは人気があったが、それからズーっと後の1990年代前半にも話題になった時期がある。おそらくメジャーになりすぎたコンバースに飽きたアメカジ好きが目を付けたのだろう。ネットで調べると「PRO-Kedsが1990年代にブーム」と書かれている情報があるが、ブームというほどではなく限られたオシャレ好きの間での出来事。本当にブームだったら1995年の工場閉鎖はない。
こちらがそのコンバース。プロケッズと並べて改めて眺めると、つま先のところが丸くゴム貼りになっているのは共通。最初に載せた、つまり現在一般的なスニーカーとの一番の違いはこの部分のデザインや構造だったのだと改めて気付いた。スタンスミスなど昔のテニスシューズも同じ。気付くまでいったい何年経ってるんだーーー(/o\)
話を1980年代に戻して、そのころからつま先が丸いゴム貼りでないスニーカーが広まっていったとして、それが「1980年代のスニーカーブーム」と呼ぶほどではないとの考えは変わらない。ただ80年代のスニーカーについて印象的だった出来事を思い出した。
古くからマーケティングに携わってきた人なら、これを見て懐かしさのあまりに卒倒するはず(^^ゞ 1884年に発刊されたYUPPIE HANDBOOK。
YUPPIE(ヤッピー)とはyoung urban professionals(ヤング・アーバン・プロフェッショナルズ=若手都会派知的職業人)の略で、平たくいえば当時の新しい価値観やライフスタイルを体現したエリートサラリーマン、女性も含むので今風の表現ならビジネスパーソン。説明すると最低でもブログ5回分はかかるので割愛するけれど、この頃は他にもDINKs(ディンクス=Double Income No Kids)などライフスタイルに絡めた発想がマーケティング分野でもてはやされたもの。
それで女性の足元に注目。
Running Shoesと書かれているがいわゆるスニーカー(最初に写真を載せたタイプ)を履いている。スーツ姿でも通勤時はスニーカーで快適に移動しましょう、パンプスには会社に着いてから履き替えればいいとのメッセージ。日本でもそんな女性をたまに見かけた。彼女たちに多く履かれていたのはリーボック。エアロビ=リーボックの時代で、リーボックは当時の「イケてる」ライフスタイルのアイコンだった。
男性が履いているのはLLビーンの防水ブーツ。これがどんなメッセージだったかは忘れたというか、当時もあまり話題にならなかったと思う。もちろんスーツでこれを履いている人を見たこともない。

なお女性のソックスが見えないが、これはソックスが短いのではなく、パンストにスニーカーを履いているから。当時はまだ「生足」の時代ではない。
ソックスについて書くつもりだったのに、
Wikipediaのいい加減な記述のせいでスニーカーの話になってしまった。
話がすぐそれるのはいつものこととご容赦を。
ーーー続く
逆に「短くなったもの」もある。
それはソックス。
正確に言うなら長さのバリエーションが増えた。
一般的なソックスの長さは5種類である。
まずは4種類。画像はhttps://x.gd/0TrEK(短縮URL使用)から引用
上のイラストからハイソックスを除いた商品写真。名前はメーカーによってまちまちでクルーをレギュラー、ハイカットをハーフ、スニーカーをショートあるいはアンクル丈と呼んだりもする。ちなみにスニーカーソックスというのはレナウンの登録商標。画像はhttps://x.gd/Fkov5(短縮URL使用)から引用編集。次の写真も同様。
そして最初のイラストに載っていないのが、
このフットカバーやカバーソックスと呼ばれるタイプ。
石田純一のように素足で革靴を履きたくても、
そこまでは踏ん切れない人向け?
ハイソックス丈とクルー丈は昔からある。だから長さのバリエーションが増えたとはハイカット丈、スニーカー丈、フットカバーと短いソックスが登場した流れになる。
さて短パンがいつ頃から長くなったのか正確な資料は見つけられなかったが、ソックスが短くなったについても同様である。
Wikipediaによるとスニーカー丈は「1980年代のスニーカーブームを受け、スニーカーから見えないソックスとして売り出された」と書かれているものの、これがどうにも信用できない。
まず「1980年代のスニーカーブーム」って何? まあマッチが「『スニーカーぶる〜す』でデビューしたのは1980年だけれど(^^ゞ
たしかに今現在スニーカーと聞いて多くの人が思い浮かべる形のスニーカーが登場したのは1980年前後。それ以前はバスケットボールシューズ(バッシュ)やテニスシューズがその代わりだった。
話は変わって、高校生の頃に履いていた靴で唯一覚えているのはPRO-Keds(プロケッズ)のこれ。靴底サイドにある青と赤のラインが当時はやたらかっこよく思えた。先ほど調べたら復刻版で売られていると知り感涙。こんなことを書くと歳がバレるな(^^ゞ どうやら2022年に復刻したらしい。画像はhttps://x.gd/GASZH(短縮URL使用)から引用編集
ちなみにPRO-Kedsはアメリカのメーカー。1916年に米マサチューセッツで創業したスニーカーブランドKeds社の、スポーツシューズ部門が1949年に分離して発足。そのバスケットシューズは1960年代に多くのNBAプロバスケットプレイヤーが愛用し、1970年代はストリートカルチャーにも浸透。それが少し遅れで日本に入ってきたのが私の高校生時代。
Keds社はその後も続くがPRO-Keds社は1995年に工場閉鎖。その後に何度か復活と販売停止を繰り返し、なぜか現在は日本で製造されている。
私の高校時代にPRO-Kedsは人気があったが、それからズーっと後の1990年代前半にも話題になった時期がある。おそらくメジャーになりすぎたコンバースに飽きたアメカジ好きが目を付けたのだろう。ネットで調べると「PRO-Kedsが1990年代にブーム」と書かれている情報があるが、ブームというほどではなく限られたオシャレ好きの間での出来事。本当にブームだったら1995年の工場閉鎖はない。
こちらがそのコンバース。プロケッズと並べて改めて眺めると、つま先のところが丸くゴム貼りになっているのは共通。最初に載せた、つまり現在一般的なスニーカーとの一番の違いはこの部分のデザインや構造だったのだと改めて気付いた。スタンスミスなど昔のテニスシューズも同じ。気付くまでいったい何年経ってるんだーーー(/o\)
話を1980年代に戻して、そのころからつま先が丸いゴム貼りでないスニーカーが広まっていったとして、それが「1980年代のスニーカーブーム」と呼ぶほどではないとの考えは変わらない。ただ80年代のスニーカーについて印象的だった出来事を思い出した。
古くからマーケティングに携わってきた人なら、これを見て懐かしさのあまりに卒倒するはず(^^ゞ 1884年に発刊されたYUPPIE HANDBOOK。
YUPPIE(ヤッピー)とはyoung urban professionals(ヤング・アーバン・プロフェッショナルズ=若手都会派知的職業人)の略で、平たくいえば当時の新しい価値観やライフスタイルを体現したエリートサラリーマン、女性も含むので今風の表現ならビジネスパーソン。説明すると最低でもブログ5回分はかかるので割愛するけれど、この頃は他にもDINKs(ディンクス=Double Income No Kids)などライフスタイルに絡めた発想がマーケティング分野でもてはやされたもの。
それで女性の足元に注目。
Running Shoesと書かれているがいわゆるスニーカー(最初に写真を載せたタイプ)を履いている。スーツ姿でも通勤時はスニーカーで快適に移動しましょう、パンプスには会社に着いてから履き替えればいいとのメッセージ。日本でもそんな女性をたまに見かけた。彼女たちに多く履かれていたのはリーボック。エアロビ=リーボックの時代で、リーボックは当時の「イケてる」ライフスタイルのアイコンだった。
男性が履いているのはLLビーンの防水ブーツ。これがどんなメッセージだったかは忘れたというか、当時もあまり話題にならなかったと思う。もちろんスーツでこれを履いている人を見たこともない。

なお女性のソックスが見えないが、これはソックスが短いのではなく、パンストにスニーカーを履いているから。当時はまだ「生足」の時代ではない。
ソックスについて書くつもりだったのに、
Wikipediaのいい加減な記述のせいでスニーカーの話になってしまった。
話がすぐそれるのはいつものこととご容赦を。
ーーー続く
2025年08月10日
長くなったもの、短くなったもの
七分丈の短パンをここ数年はいていて、久しぶりに普通丈の短パンをはいたらとても涼しかった話をひとつ前に書いた。膝下6センチと膝上2センチの違い。膝小僧が8センチあるのでトータル16センチで体感温度は大違い。
だったらもっと短い丈の短パンをはけば、たまに40度近くにもなる昨今の夏をもっと涼しく過ごせる理屈。なのだけれども、そういえば太ももの半分くらいまでの短パンはもうずいぶんとはいていないし、はいている人を見たこともないと気付く。現在は上の写真右側が短パンと聞いて思い浮かぶ長さ。
そうなったのはいつ頃からだっただろうか?
これがどうにも思い出せない。
もちろん昔はいていた短パンなんて今はもう持っていない。
思い出せなければ調べましょうホトトギス。
なぜかテニスが連想の最初に出てきたので往年のプレイヤーを。
撮影は左からコナーズ1976年、ボルグ1980年。マッケンローが撮られた正確な時期は不明だが1979年〜84年のいずれか。画像はhttps://x.gd/F1J91、https://x.gd/eQDMP、https://x.gd/wWaDCから引用編集(短縮URL使用)
やはりこの頃の短パンは短いね。太ももむき出しなデザイン。もちろんテニスウエアだけが短かったわけではなく、当時はこれが普通の長さだった。
そして1980年から45年が経った今年のウインブルドン。動きがあるのでわかりづらいものの、右側の選手を見ると今的な短パンの長さ。画像はhttps://x.gd/U8TSWとhttps://x.gd/tiJHSから引用編集(短縮URL使用)
これはユニクロのウエアを着た2012年のジョコビッチと2014年の錦織。今より少し長いのかな? でもポーズの違いかも知れない。画像はhttps://x.gd/3VJBmとhttps://x.gd/Tex9rから引用編集(短縮URL使用)
さて写真を見て眠っていた脳細胞に少し電気信号が走ったようでーーー
極めて曖昧にしか覚えていないものの1990年前後の渋カジ・アメカジブームの頃に短パンが長くなったような気がしてきた。アメリカの黒人ストリートファッションの影響を受けて、全体的にダブッとしたシルエットがチーマーなんて呼ばれた連中に好まれた。当時「そういえば昔はダボダボの学ランあったよなあ、ヤンキーの好みは変わらないものだ 」と感じたのも一緒に思い出した。
話は変わるけれど少年少女の諸君には自分が着た服や靴をすべて写真に撮って記録しておくのをお勧めする。何十年か後にそれは楽しい自分史になるはず。もっと年齢が幼ければ親御さんが代わりに撮っておいてもいい。デジカメの時代なのでコストはほぼゼロだし、保管に場所も取らず日付を控える必要もない。私はもうオッチャンだから今更ではある(/o\)
ところで私が通っていた小学校は公立でも制服があって、上着は紺色の襟なしのブレザー、男子の下は同じ色の半ズボンだった(女子はスカート)。ただし寒くなれば長ズボンをはいて文句を言われなかったし、またそれが何色でもよかった。
体操服の下は冬以外は白い短パン。半ズボンではない短パンという言葉を知ったのはそれを着た小学1年生のときが最初だったと記憶している。そのせいか私にとって短パンの単語には何となくスポーティーなイメージが今でもついて回る。
その短パンはジャージ(編み物)ではなく布製(織物)だった。冬用に長ズボンの白い布製の体操服もあった。なおジャージのパンツがまだなかったわけではなく担任の先生は体育の時間にジャージパンツだった。それは土踏まずのところにベルトがあるトレンカタイプだったのを思い出す。もう絶滅したかと思いきや今でもスクールジャージとして売られている。中学になって体操服はジャージパンツになったが、それがトレンカタイプだったかもう思い出せない(こういう記憶をたどるとき子供の頃からデジカメがあればと思う)
その体操服短パンは当然ながら股下数センチくらいで、昭和54年(1979年)に撮影されたこの写真の長さ。当時の下着はブリーフで太もものゴムが緩かったりして体育座りをしたときに、短パンからタマキンが見えているヤツが必ずいた(^^ゞ 画像はhttps://www.ryoutan.co.jp/articles/2023/01/94369/から引用
でも今は小学校の体操服でも短パンはそこそこ長いみたい。
時代は変わりけりである。画像はhttps://x.gd/iLpR6から引用(短縮URL使用)
話は戻って酷暑対策としての短パン。
膝より下の七分丈より膝上の現在の普通丈のほうが涼しいのは体感済み。さら短ければ短いほど涼しいのか、膝を覆う・覆わないの違いが大きくて、それ以上は短くてもあまり関係ないのか気になるところ。
仮に短ければ短いほど涼しいとしても、写真左のようなのはビーチなどでならともかく、街中ではチョット勇気いるかな。でも右側のは散歩ウエアとしてならありかも知れない。おそらく膝上10センチの長さ。画像はhttps://x.gd/GBBeeUとhttps://x.gd/Cjohgから引用編集(短縮URL使用)
まあ気が向いたら探しましょう。
でも普通丈の涼しさに感激して、既に2着新たに買ってしまったんだよな(^^ゞ
ーーー続く
だったらもっと短い丈の短パンをはけば、たまに40度近くにもなる昨今の夏をもっと涼しく過ごせる理屈。なのだけれども、そういえば太ももの半分くらいまでの短パンはもうずいぶんとはいていないし、はいている人を見たこともないと気付く。現在は上の写真右側が短パンと聞いて思い浮かぶ長さ。
そうなったのはいつ頃からだっただろうか?
これがどうにも思い出せない。
もちろん昔はいていた短パンなんて今はもう持っていない。
思い出せなければ調べましょうホトトギス。
なぜかテニスが連想の最初に出てきたので往年のプレイヤーを。
撮影は左からコナーズ1976年、ボルグ1980年。マッケンローが撮られた正確な時期は不明だが1979年〜84年のいずれか。画像はhttps://x.gd/F1J91、https://x.gd/eQDMP、https://x.gd/wWaDCから引用編集(短縮URL使用)
やはりこの頃の短パンは短いね。太ももむき出しなデザイン。もちろんテニスウエアだけが短かったわけではなく、当時はこれが普通の長さだった。
そして1980年から45年が経った今年のウインブルドン。動きがあるのでわかりづらいものの、右側の選手を見ると今的な短パンの長さ。画像はhttps://x.gd/U8TSWとhttps://x.gd/tiJHSから引用編集(短縮URL使用)
これはユニクロのウエアを着た2012年のジョコビッチと2014年の錦織。今より少し長いのかな? でもポーズの違いかも知れない。画像はhttps://x.gd/3VJBmとhttps://x.gd/Tex9rから引用編集(短縮URL使用)
さて写真を見て眠っていた脳細胞に少し電気信号が走ったようでーーー
極めて曖昧にしか覚えていないものの1990年前後の渋カジ・アメカジブームの頃に短パンが長くなったような気がしてきた。アメリカの黒人ストリートファッションの影響を受けて、全体的にダブッとしたシルエットがチーマーなんて呼ばれた連中に好まれた。当時「そういえば昔はダボダボの学ランあったよなあ、ヤンキーの好みは変わらないものだ 」と感じたのも一緒に思い出した。
話は変わるけれど少年少女の諸君には自分が着た服や靴をすべて写真に撮って記録しておくのをお勧めする。何十年か後にそれは楽しい自分史になるはず。もっと年齢が幼ければ親御さんが代わりに撮っておいてもいい。デジカメの時代なのでコストはほぼゼロだし、保管に場所も取らず日付を控える必要もない。私はもうオッチャンだから今更ではある(/o\)
ところで私が通っていた小学校は公立でも制服があって、上着は紺色の襟なしのブレザー、男子の下は同じ色の半ズボンだった(女子はスカート)。ただし寒くなれば長ズボンをはいて文句を言われなかったし、またそれが何色でもよかった。
体操服の下は冬以外は白い短パン。半ズボンではない短パンという言葉を知ったのはそれを着た小学1年生のときが最初だったと記憶している。そのせいか私にとって短パンの単語には何となくスポーティーなイメージが今でもついて回る。
その短パンはジャージ(編み物)ではなく布製(織物)だった。冬用に長ズボンの白い布製の体操服もあった。なおジャージのパンツがまだなかったわけではなく担任の先生は体育の時間にジャージパンツだった。それは土踏まずのところにベルトがあるトレンカタイプだったのを思い出す。もう絶滅したかと思いきや今でもスクールジャージとして売られている。中学になって体操服はジャージパンツになったが、それがトレンカタイプだったかもう思い出せない(こういう記憶をたどるとき子供の頃からデジカメがあればと思う)
その体操服短パンは当然ながら股下数センチくらいで、昭和54年(1979年)に撮影されたこの写真の長さ。当時の下着はブリーフで太もものゴムが緩かったりして体育座りをしたときに、短パンからタマキンが見えているヤツが必ずいた(^^ゞ 画像はhttps://www.ryoutan.co.jp/articles/2023/01/94369/から引用
でも今は小学校の体操服でも短パンはそこそこ長いみたい。
時代は変わりけりである。画像はhttps://x.gd/iLpR6から引用(短縮URL使用)
話は戻って酷暑対策としての短パン。
膝より下の七分丈より膝上の現在の普通丈のほうが涼しいのは体感済み。さら短ければ短いほど涼しいのか、膝を覆う・覆わないの違いが大きくて、それ以上は短くてもあまり関係ないのか気になるところ。
仮に短ければ短いほど涼しいとしても、写真左のようなのはビーチなどでならともかく、街中ではチョット勇気いるかな。でも右側のは散歩ウエアとしてならありかも知れない。おそらく膝上10センチの長さ。画像はhttps://x.gd/GBBeeUとhttps://x.gd/Cjohgから引用編集(短縮URL使用)
まあ気が向いたら探しましょう。
でも普通丈の涼しさに感激して、既に2着新たに買ってしまったんだよな(^^ゞ
ーーー続く
2025年08月06日
膝下6センチと膝上2センチの大いなる違い
毎年恒例の異常気象と書けば日本語的におかしいものの、今年の夏も予想通り?予想以上にとても暑い。昨日は群馬県の伊勢崎市で気象統計史上最高気温となる41.8度を観測。また関東5都県の14地点で40度超えでこれも過去最多記録となった。暑中お見舞い申し上げますの「お見舞い」とは単なる挨拶的な言い回しだったのに、そろそろ暑さで衰弱するのを本当に気遣うことになりそうである。そう遠くないうちに日本の夏は40度が当たり前になると危惧もしている。
さてそんな酷暑へのささやかな対策として、プライベートな外出時にはよほど差し支えがある場合を除いて、どこに行くにも夏は短パンを基本の服装にしている。
それを始めたのは2022年の夏から。そして翌2023年5月に「春だって夏みたいに暑い日はあるのだから、春に短パンでもいいんじゃないか」と思いつく。でもさすがに夏にはいている短パンではまだ早いかとの気持ちもあって七分丈(たけ)の短パンにしようかと。
しかし七分丈の短パンはユニクロや無印良品には売っていなかった。あまり需要がないのかな? それでAmazonや楽天で購入。パンツ類はウエストの問題があるので(^^ゞ 試着してサイズを確かめて買いたかったのに。
写真左側が実際に購入した七分丈。
私がはくともう少し裾(すそ)が短いーーーと脚が長いのをさりげなくアピール!
最初は七分丈とはいえ5月に短パンはさすがにまだ時期尚早かとの気持ちもあったものの、これが実に快適。どうしてもっと早くそうしなかったのかと後悔したくらい。それですっかり七分丈短パンが気に入り、合計3つ購入して秋まで着回し。2024年は4月でも暖かい日ならはいていた。今年2025年も同じく。
そして先日、そういえば最近は七分丈短パンばかりで、以前から持っている普通の長さの短パンをはいていなかったと気付く。普通の長さとは上の写真右側。
はいた
出かけた
メッチャ涼しい!
ビックリするほど七分丈と普通丈の違いは大きかった。例えるならチョット大げさだけれど、七分丈に対して普通丈はジャケットを脱いだくらいに涼しい。
並べて撮影。
たったこれだけの違いなのに。
着て測ってみると七分丈は膝小僧の下から6センチまで丈がある。普通丈は膝子僧の上から2センチ。膝小僧は8センチあり(生まれて初めて測った)トータル16センチの差。私の身長は180センチなので16センチは8.9%の違いに過ぎない。それでこんなに涼しいのかと新発見をした気分。
そんなわけで七分丈より普通丈の短パンは涼しい!と声を大にしてお勧めしたいのはやまやまなれど、七分丈短パンはメジャーじゃなくはいている人は少ないから、この新発見にあまり意味はなかった。ショボーン(^^ゞ
<おまけ>
この七分丈の短パンはカーゴパンツタイプで、腰だけでなく太もものあたりにもポケットがついている。そこのポケットのフラップを上げるとジッパーがあり、さらにポケットになっていると思いきや、
ただジッパーが下がるだけで、その先は行き止まり状態(>_<)
縫製の際にポケットを付け忘れたのか、
あるいは単にジッパーをデザイン要素としてここに縫い付けただけなのか?
もしポケットになっていたとしても、この場所じゃたぶん使わないと思うけれど
とりあえずナゾ
さてそんな酷暑へのささやかな対策として、プライベートな外出時にはよほど差し支えがある場合を除いて、どこに行くにも夏は短パンを基本の服装にしている。
それを始めたのは2022年の夏から。そして翌2023年5月に「春だって夏みたいに暑い日はあるのだから、春に短パンでもいいんじゃないか」と思いつく。でもさすがに夏にはいている短パンではまだ早いかとの気持ちもあって七分丈(たけ)の短パンにしようかと。
しかし七分丈の短パンはユニクロや無印良品には売っていなかった。あまり需要がないのかな? それでAmazonや楽天で購入。パンツ類はウエストの問題があるので(^^ゞ 試着してサイズを確かめて買いたかったのに。
写真左側が実際に購入した七分丈。
私がはくともう少し裾(すそ)が短いーーーと脚が長いのをさりげなくアピール!
最初は七分丈とはいえ5月に短パンはさすがにまだ時期尚早かとの気持ちもあったものの、これが実に快適。どうしてもっと早くそうしなかったのかと後悔したくらい。それですっかり七分丈短パンが気に入り、合計3つ購入して秋まで着回し。2024年は4月でも暖かい日ならはいていた。今年2025年も同じく。
そして先日、そういえば最近は七分丈短パンばかりで、以前から持っている普通の長さの短パンをはいていなかったと気付く。普通の長さとは上の写真右側。
はいた
出かけた
メッチャ涼しい!
ビックリするほど七分丈と普通丈の違いは大きかった。例えるならチョット大げさだけれど、七分丈に対して普通丈はジャケットを脱いだくらいに涼しい。
並べて撮影。
たったこれだけの違いなのに。
着て測ってみると七分丈は膝小僧の下から6センチまで丈がある。普通丈は膝子僧の上から2センチ。膝小僧は8センチあり(生まれて初めて測った)トータル16センチの差。私の身長は180センチなので16センチは8.9%の違いに過ぎない。それでこんなに涼しいのかと新発見をした気分。
そんなわけで七分丈より普通丈の短パンは涼しい!と声を大にしてお勧めしたいのはやまやまなれど、七分丈短パンはメジャーじゃなくはいている人は少ないから、この新発見にあまり意味はなかった。ショボーン(^^ゞ
<おまけ>
この七分丈の短パンはカーゴパンツタイプで、腰だけでなく太もものあたりにもポケットがついている。そこのポケットのフラップを上げるとジッパーがあり、さらにポケットになっていると思いきや、
ただジッパーが下がるだけで、その先は行き止まり状態(>_<)
縫製の際にポケットを付け忘れたのか、
あるいは単にジッパーをデザイン要素としてここに縫い付けただけなのか?
もしポケットになっていたとしても、この場所じゃたぶん使わないと思うけれど
とりあえずナゾ










































































