2026年05月
2026年05月29日
瀬田農業公園(フラワーランド) その2
バラのアーチというかトンネルもある。もっともそのサイズにバラの生育が追いついておらず、上部がスカスカなのが残念すぎる。この距離のバラトンネルは滅多にないから、しっかりバラで覆わせて欲しい。
そのせいかトンネル内はバラがあっても、
こんなハンギングバスケットや、
スイートピーに目移りしてしまう。
こちらももっと上まで伸びているとよかったのに。
ラベンダーもあった。
ただしこれは花穂の上にウサギの耳のような葉がつくフレンチラベンダーで、あまり香りは強くない。
参考までに香りが強いのは、
このイングリッシュラベンダー。
関東平野部ならフレンチラベンダーが花をつけるのは4月〜6月で、イングリッシュラベンダーは6月〜7月。ちなみにフレンチラベンダーの原産は地中海沿岸と北アフリカ。だからフランス南部は原産国の1つ。しかしイングリッシュラベンダーの原産も地中海沿岸でイギリスは関係ない。でもイギリスの涼しい気候でもよく育ちイギリス人が好んだので、イングリッシュラベンダーとなったらしい。
ついでに香りの弱いフレンチラベンダーの香りを楽しむには、鼻を近づけるのではなく花穂を優しく、でも少し力を込めて握り、自分の手のひらをクンクンするのがコツ。
トンネルを抜けた先に事務所の建物。
その前には花壇と、
ベニバナトチノキ(紅花 栃の木)の大きな木。
トチノキは白い花でちょっと不気味なものの、ベニバナトチノキの花は可愛い。
トンネルを引き返して元いた場所に。
子供がいないと遊具も寂しそう。
温室があったのに、
中に入れなくて残念。
なお温室の向こう側にも果樹園などがあるのだが、この日は気付かず見逃してしまう。
温室の前の様子。
写真の奥が宿根草の庭。
宿根草の庭の横にもバラのエリアがある。
それを抜けたところで見つけたこちらの紫の花はニゲラ。
これは1年草でクロタネソウ(黒種草)とも呼ばれる。種が黒ゴマに似ているから。だったら黒ゴマ草にしたらよかったのに。
また種が黒い植物なんて他にいくらもあるのに、なぜかこの植物の特徴を表すように使われていて、ニゲラ(Nigella)もその語源はラテン語で黒を表すNiger(ニゲル)から。現在では黒人を指す差別用語となっているNegro(ニグロ)やNigger(ニガー)もルーツはNiger(ニゲル)。
なおニゲラ(Nigella)を強引に直訳すれば黒草だが、黒いのは種だけで、花は他に水色、赤、ピンクなど多彩。ただしこの公園では見当たらなかった。
最初に見た藤棚を再び。
かなり太い幹。
いずれフジのシーズンにも訪れましょう。
ところでここは瀬田「農業」公園である。でもここにあるのは花ばかりで米や野菜は栽培されていない。正確を期すなら瀬田「園芸」公園になる。農業公園とは農林水産省が関与する政策で「農業公園」と名前をつけなければ補助金などが下りないのかと勘ぐったり。
世田谷区のホームページによれば「瀬田農業公園は花づくりのできる公園として、昭和61年に誕生しました〜花づくりの姿や花卉園芸にふれることもできます」とある。米や野菜には触れられていない。しかし公園を管理している世田谷区の外郭団体である一般財団法人「世田谷トラストまちづくり」のページでは「観賞用植物の生産で世田谷の農業を支えてきた歴史を受け継ぎ」との記述があった。
そうか花作りも農業だった。
それはそうだとして、
世田谷って花の生産が盛んだったけ?
そこで東京都産業労働局農林水産部が公表している2020年のデータを見ると、
23区で花卉(かき:食用でない観賞用に栽培される草花や樹木の総称)を生産しているのは10区あり、作付面積の多い順に並べると
練馬区:10.3ヘクタール
足立区:7.7ヘクタール
江戸川区:7.1ヘクタール
世田谷区:2ヘクタール
杉並区:1.2ヘクタール
世田谷区は10区中4位と微妙なポジション。3位との差も大きい。絶対値でも作付け面積は2ヘクタールで、4.7ヘクタールの東京ドームの半分に満たない。
次の数字は上記5区の全農産物作付面積と、それに占める花卉作付面積の割合。
練馬区:256.9ヘクタール 花卉の割合 4.0%
足立区:111.8ヘクタール 花卉の割合 6.9%
江戸川区:179ヘクタール 花卉の割合 4.0%
世田谷区:78ヘクタール 花卉の割合 2.6%
杉並区:51.5ヘクタール 花卉の割合 2.3%
花卉作付面積の割合が世田谷区は高いわけでもなく最下位と0.3%しか変わらない。さらに東京全体での花卉作付面積の割合は6.2%なので世田谷区は平均以下となる。 そう考えると「観賞用植物の生産で世田谷の農業を支えてきた歴史」というのはどうにも怪しい。どうしてそんなストーリーを作り出したのだ。
まあ今日はこれくらいで勘弁しておいてやろう(^^ゞ
何事もいわれたことを素直に信じないのが私のいいところ?
それと別にこの瀬田農業公園の存在価値を否定している訳じゃないよ。
公園面積は1ヘクタール弱。
狭くなく広すぎもせずフラッと立ち寄って草花を眺めるにはちょうどいい広さ。手入れも行き届いていると感じた。近くに住んでいる人がうらやましい。
さて5月9日〜10日に開かれた「フラワーランド春の花まつり2026」の紹介ページによればこの公園のバラは50品種100株。画像はhttps://www.setagayatm.or.jp/join/7132から引用編集
ただしその100株は園内のローズガーデン、トンネル、その他に分散して植えられている。対してすぐ隣の砧公園のバラ園は、24品種270株を900平米の花壇に集中した一点豪華主義的な配置。だから較べるとどうしても見劣りしてしまってテンションが上がらないと先に書いた。
でもブログを書くために写真を整理していたら、
美しかったので載せておきましょう。
テンションが上がらないのは自分の気持ちのせいでバラに責任はない。
お節介を承知でいえば、春の花まつりの紹介ページはバラの記載がメインで、園内の一角にローズガーデンも設けているから、瀬田農業公園はバラに力を入れているのだろう。でも今のままじゃ砧公園との差は埋まらないよ。バラはあちらに任せて、普段あまり見る機会のない花をここの名物にして欲しいな。ボタンとかどう?
おしまい
そのせいかトンネル内はバラがあっても、
こんなハンギングバスケットや、
スイートピーに目移りしてしまう。
こちらももっと上まで伸びているとよかったのに。
ラベンダーもあった。
ただしこれは花穂の上にウサギの耳のような葉がつくフレンチラベンダーで、あまり香りは強くない。
参考までに香りが強いのは、
このイングリッシュラベンダー。
関東平野部ならフレンチラベンダーが花をつけるのは4月〜6月で、イングリッシュラベンダーは6月〜7月。ちなみにフレンチラベンダーの原産は地中海沿岸と北アフリカ。だからフランス南部は原産国の1つ。しかしイングリッシュラベンダーの原産も地中海沿岸でイギリスは関係ない。でもイギリスの涼しい気候でもよく育ちイギリス人が好んだので、イングリッシュラベンダーとなったらしい。
ついでに香りの弱いフレンチラベンダーの香りを楽しむには、鼻を近づけるのではなく花穂を優しく、でも少し力を込めて握り、自分の手のひらをクンクンするのがコツ。
トンネルを抜けた先に事務所の建物。
その前には花壇と、
ベニバナトチノキ(紅花 栃の木)の大きな木。
トチノキは白い花でちょっと不気味なものの、ベニバナトチノキの花は可愛い。
トンネルを引き返して元いた場所に。
子供がいないと遊具も寂しそう。
温室があったのに、
中に入れなくて残念。
なお温室の向こう側にも果樹園などがあるのだが、この日は気付かず見逃してしまう。
温室の前の様子。
写真の奥が宿根草の庭。
宿根草の庭の横にもバラのエリアがある。
それを抜けたところで見つけたこちらの紫の花はニゲラ。
これは1年草でクロタネソウ(黒種草)とも呼ばれる。種が黒ゴマに似ているから。だったら黒ゴマ草にしたらよかったのに。
また種が黒い植物なんて他にいくらもあるのに、なぜかこの植物の特徴を表すように使われていて、ニゲラ(Nigella)もその語源はラテン語で黒を表すNiger(ニゲル)から。現在では黒人を指す差別用語となっているNegro(ニグロ)やNigger(ニガー)もルーツはNiger(ニゲル)。
なおニゲラ(Nigella)を強引に直訳すれば黒草だが、黒いのは種だけで、花は他に水色、赤、ピンクなど多彩。ただしこの公園では見当たらなかった。
最初に見た藤棚を再び。
かなり太い幹。
いずれフジのシーズンにも訪れましょう。
ところでここは瀬田「農業」公園である。でもここにあるのは花ばかりで米や野菜は栽培されていない。正確を期すなら瀬田「園芸」公園になる。農業公園とは農林水産省が関与する政策で「農業公園」と名前をつけなければ補助金などが下りないのかと勘ぐったり。
世田谷区のホームページによれば「瀬田農業公園は花づくりのできる公園として、昭和61年に誕生しました〜花づくりの姿や花卉園芸にふれることもできます」とある。米や野菜には触れられていない。しかし公園を管理している世田谷区の外郭団体である一般財団法人「世田谷トラストまちづくり」のページでは「観賞用植物の生産で世田谷の農業を支えてきた歴史を受け継ぎ」との記述があった。
そうか花作りも農業だった。
それはそうだとして、
世田谷って花の生産が盛んだったけ?
そこで東京都産業労働局農林水産部が公表している2020年のデータを見ると、
23区で花卉(かき:食用でない観賞用に栽培される草花や樹木の総称)を生産しているのは10区あり、作付面積の多い順に並べると
練馬区:10.3ヘクタール
足立区:7.7ヘクタール
江戸川区:7.1ヘクタール
世田谷区:2ヘクタール
杉並区:1.2ヘクタール
世田谷区は10区中4位と微妙なポジション。3位との差も大きい。絶対値でも作付け面積は2ヘクタールで、4.7ヘクタールの東京ドームの半分に満たない。
次の数字は上記5区の全農産物作付面積と、それに占める花卉作付面積の割合。
練馬区:256.9ヘクタール 花卉の割合 4.0%
足立区:111.8ヘクタール 花卉の割合 6.9%
江戸川区:179ヘクタール 花卉の割合 4.0%
世田谷区:78ヘクタール 花卉の割合 2.6%
杉並区:51.5ヘクタール 花卉の割合 2.3%
花卉作付面積の割合が世田谷区は高いわけでもなく最下位と0.3%しか変わらない。さらに東京全体での花卉作付面積の割合は6.2%なので世田谷区は平均以下となる。 そう考えると「観賞用植物の生産で世田谷の農業を支えてきた歴史」というのはどうにも怪しい。どうしてそんなストーリーを作り出したのだ。
まあ今日はこれくらいで勘弁しておいてやろう(^^ゞ
何事もいわれたことを素直に信じないのが私のいいところ?
それと別にこの瀬田農業公園の存在価値を否定している訳じゃないよ。
公園面積は1ヘクタール弱。
狭くなく広すぎもせずフラッと立ち寄って草花を眺めるにはちょうどいい広さ。手入れも行き届いていると感じた。近くに住んでいる人がうらやましい。
さて5月9日〜10日に開かれた「フラワーランド春の花まつり2026」の紹介ページによればこの公園のバラは50品種100株。画像はhttps://www.setagayatm.or.jp/join/7132から引用編集
ただしその100株は園内のローズガーデン、トンネル、その他に分散して植えられている。対してすぐ隣の砧公園のバラ園は、24品種270株を900平米の花壇に集中した一点豪華主義的な配置。だから較べるとどうしても見劣りしてしまってテンションが上がらないと先に書いた。
でもブログを書くために写真を整理していたら、
美しかったので載せておきましょう。
テンションが上がらないのは自分の気持ちのせいでバラに責任はない。
お節介を承知でいえば、春の花まつりの紹介ページはバラの記載がメインで、園内の一角にローズガーデンも設けているから、瀬田農業公園はバラに力を入れているのだろう。でも今のままじゃ砧公園との差は埋まらないよ。バラはあちらに任せて、普段あまり見る機会のない花をここの名物にして欲しいな。ボタンとかどう?
おしまい
2026年05月28日
瀬田農業公園(フラワーランド)
5月11日に砧公園で春バラを満喫した後に向かったのは、公園のすぐそばにある瀬田農業公園。世田谷区立の施設で通称がフラワーランドと呼ばれている。
その存在は以前から知っていて、砧公園に来たらついでに訪れてみようといつも思っていたのだけれど、広い砧公園を歩き回るうちに毎回つい忘れてーーー。
小さい方のバラ園を離れて少し進むと、
公園の外に出られるところを見つけた。
写真左側は東名高速の高架道路。
高架の下を通り抜け、
環八方向へ少し引き返して、
途中を右折すると住宅街。
その先に瀬田農業公園の入り口があった。
砧公園を出てここまで5分ほど。
なお上の写真で、いわゆるORZのポーズをしている人はガッカリしているのではなく、公園の手入れ作業中ね(^^ゞ

案内図の右下にある東門から入る。
藤棚を過ぎると、
宿根草の庭。
宿根草(しゅっこんそう)とは草花を区分する定義の1つ。
1年草:種から発芽〜成長〜開花〜結実までのサイクルが1年以内で、その後に枯れる
2年草:種をまいて開花まで1年以上かかり、2年以内に枯れる
多年草:開花〜結実のサイクルを2年以上繰り返す
一般的には5年〜10年ほど寿命があり、20年以上の品種もある
宿根草:多年草のうち冬になると地上の葉や茎が枯れ、地下の根や茎だけが生き残り、
春に再び芽を出す(球根植物は除く)
従って多年草=常緑多年草+宿根草+球根植物。なお1年草や2年草も結実した種が地面に落ちてそれが発芽するので、枯れたといってもその植物が消滅するわけではない。
植物全体では多年草が8割前後と圧倒的。しかし草花園芸に限ると両者はほぼ拮抗する。これは1年草に花として魅力的なものが多いのが理由。それは偶然ではなく1年草は1年で繁殖を完了する必要があり連続開花、大輪化、多花性に進化してきた結果。つまり園芸向き。
ただ最近(ここ15年くらいかな)はローメンテナンスやナチュラルガーデン志向などから宿根草の人気が高まっている。とはいっても宿根草はまだ園芸界の中でしか聞かない言葉。
宿根草の庭の様子。
いろんな草花が植えられている。
いくつか紹介すると、
これはヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)。
普通の月見草は夜に開花して朝には萎れる。
アリウム・ギガンチウム。
ネギの花=ネギ坊主に似ているがアリウムとはネギのこと。園芸品種はハナネギと呼ばれたりもする。アリウムにはいろいろ種類があるもののギガンチウムを一番多く見るように感じる。
私の好きなヤグルマギク(矢車菊)があちこちにたくさん咲いていた。
青い花は少なくて貴重。
黄色いカラーリーフはルブス・サンシャインスプレンダー(たぶん)。
ピンクの花が咲いているのに葉が派手で目立たない。
宿根草に混じってバラも植えられていた。
バラは単独でも植えられていて、なかなかの咲きっぷり。しかしつい先ほどまで砧公園のバラ園であふれんばかりのバラを見ていたので、どうにも感動が薄い。この公園を先に見に来ればよかった。
ーーー続く
その存在は以前から知っていて、砧公園に来たらついでに訪れてみようといつも思っていたのだけれど、広い砧公園を歩き回るうちに毎回つい忘れてーーー。
小さい方のバラ園を離れて少し進むと、
公園の外に出られるところを見つけた。
写真左側は東名高速の高架道路。
高架の下を通り抜け、
環八方向へ少し引き返して、
途中を右折すると住宅街。
その先に瀬田農業公園の入り口があった。
砧公園を出てここまで5分ほど。
なお上の写真で、いわゆるORZのポーズをしている人はガッカリしているのではなく、公園の手入れ作業中ね(^^ゞ

案内図の右下にある東門から入る。
藤棚を過ぎると、
宿根草の庭。
宿根草(しゅっこんそう)とは草花を区分する定義の1つ。
1年草:種から発芽〜成長〜開花〜結実までのサイクルが1年以内で、その後に枯れる
2年草:種をまいて開花まで1年以上かかり、2年以内に枯れる
多年草:開花〜結実のサイクルを2年以上繰り返す
一般的には5年〜10年ほど寿命があり、20年以上の品種もある
宿根草:多年草のうち冬になると地上の葉や茎が枯れ、地下の根や茎だけが生き残り、
春に再び芽を出す(球根植物は除く)
従って多年草=常緑多年草+宿根草+球根植物。なお1年草や2年草も結実した種が地面に落ちてそれが発芽するので、枯れたといってもその植物が消滅するわけではない。
植物全体では多年草が8割前後と圧倒的。しかし草花園芸に限ると両者はほぼ拮抗する。これは1年草に花として魅力的なものが多いのが理由。それは偶然ではなく1年草は1年で繁殖を完了する必要があり連続開花、大輪化、多花性に進化してきた結果。つまり園芸向き。
ただ最近(ここ15年くらいかな)はローメンテナンスやナチュラルガーデン志向などから宿根草の人気が高まっている。とはいっても宿根草はまだ園芸界の中でしか聞かない言葉。
宿根草の庭の様子。
いろんな草花が植えられている。
いくつか紹介すると、
これはヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)。
普通の月見草は夜に開花して朝には萎れる。
アリウム・ギガンチウム。
ネギの花=ネギ坊主に似ているがアリウムとはネギのこと。園芸品種はハナネギと呼ばれたりもする。アリウムにはいろいろ種類があるもののギガンチウムを一番多く見るように感じる。
私の好きなヤグルマギク(矢車菊)があちこちにたくさん咲いていた。
青い花は少なくて貴重。
黄色いカラーリーフはルブス・サンシャインスプレンダー(たぶん)。
ピンクの花が咲いているのに葉が派手で目立たない。
宿根草に混じってバラも植えられていた。
バラは単独でも植えられていて、なかなかの咲きっぷり。しかしつい先ほどまで砧公園のバラ園であふれんばかりのバラを見ていたので、どうにも感動が薄い。この公園を先に見に来ればよかった。
ーーー続く
2026年05月25日
砧公園で春バラを満喫 その2
前回に紹介した「ふれ太鼓」と同様に目を引いたバラがこれ。
写真ではわかりづらいのだが、他のバラとは発色というか光の反射具合が違う。
ツツジは他の花と較べて光の反射率が高くて、強い日差しの下で見ると輝いていて、また肉眼でも写真でも色が飽和したように見える。私にはそれがツツジの魅力。ただしツツジの反射率が高いとは勝手な推測。
またチューリップは逆光で花びらを透かすとキレイ。
そしてこのバラはツツジに似た光の反射感があり、また順光で見ているのにもかかわらず何となく逆光の透明感もある。ちょっと不思議であり魅力的なバラ。
プレートによれば品種名はカクテル。
しかしカクテルを画像検索してみると、このプレートと同じように花の中心部が黄色くて、くっきりとツートンカラーなバラばかりがヒットする。違う品種のプレートを撮ってしまったのか、あるいはこれから中心部が黄色くなるのか?
白いバラと一緒のほうが輝いているイメージが伝わるかも知れない。
ところで実は砧公園のバラ園にはあまり期待していなかった。この公園には何度も来ていて、バラのシーズンでないときにこのバラ園を通りかかったことも数多い。花が咲いていないせいもあって、ただバラの株が並んでいるだけのショボいバラ園との印象しか持っていなかった。
それがどうよ、この見事な充実ぶり。
香りもよくてまさに春バラの魅力を満喫できた。小学校の頃に地味だった女の子が大人になったらキレイになっていてビックリしたのと同じ驚き(^^ゞ
例によって青空を背景に。
青空と新緑とバラ!
密集感のあるバラを楽しめて大満足。
ここにいる間、終始ニコニコしていた気がする。
全景はこんな感じ。
わずかに角度のついた西向き斜面。
面積は25m〜30m四方くらい。
30mで計算すると900平米=273坪。
そこそこの広さとはいえるものの、この砧公園は約39万平米もある。東京ドームを単位にすれば8.4個分の大きな公園で、バラ園の占める割合はわずかに0.23%に過ぎない。今の10倍の規模に拡大しても2%。とりあえず5倍くらいにして、現在の単に株が並んで植えられているだけのバラ畑状態ではなく、もっと雰囲気のあるバラガーデンにして欲しいな。
なおバラの品種や株数について公式ページに記載はないものの、5月3日のヤフーニュース記事によれば24品種270株。
砧公園にはここ以外にもうひとつ小さなバラ園があるのでそちらに向かう。
ところで公園に入ったときから気になっていたのだけれど、あちこちに黄色のテープが張り巡らされて立ち入り禁止になっている場所が多数。
こういう説明がされている。
砧公園では今年の3月7日にサクラの大木が倒れ散歩中の人が下敷きになり、翌8日にはヒマラヤスギが倒れ駐車場のクルマ2台を直撃。さらに4月2日にもサクラがと木が倒れまくっている。
見た目ではわからなくても老朽化や病気で腐敗が進み、台風や強風がそれにダメージを与え、少しずつ朽ちてある日突然に倒れるらしい。公園なんてクルマも来なくて安心してボケーッと歩ける場所だと思っていたのにビックリである。
国交省の2021年から3年半を対象とした調査によると
公園で発生した倒木・落枝等の事故:931件(うち人身事故77件、含む死亡事故1件)
道路で発生した倒木・落枝等の事故:801件(うち人身事故33件)
となっている。自身が巻き込まれる確率はゼロに近いとはいえ、けっこうな件数である。そういえば下水管の破損や漏水が原因で道路が陥没する事故もよく起きている。戦後に急速に社会のインフラ整備が進んだ日本。そして今年は戦後81年。現代日本は後期高齢者なんだと思うと気が滅入るね。
とりあえず広い芝生と新緑を見て暗くなった気分を吹き飛ばしましょう。
もうひとつのバラ園はかなり小規模。
あまり知られていないのか見に来ている人もこのときはいなかった。
咲いているのもメインのバラ園と同じ品種ばかりで、メインを見終えた後では特に見応えなし。でもこんなバラに囲まれた彫刻を見るとホッコリする。
ーーーと思っていたら、
バラ園の周りが黄色いテープだらけぢゃないか(>_<)
早く点検が終了して、
安心できる公園になりますように。
気分直しに今回で特に印象的たったカラフルな「ふれ太鼓」と、
光り輝いていた「カクテル」の写真を最後に。
おしまい
写真ではわかりづらいのだが、他のバラとは発色というか光の反射具合が違う。
ツツジは他の花と較べて光の反射率が高くて、強い日差しの下で見ると輝いていて、また肉眼でも写真でも色が飽和したように見える。私にはそれがツツジの魅力。ただしツツジの反射率が高いとは勝手な推測。
またチューリップは逆光で花びらを透かすとキレイ。
そしてこのバラはツツジに似た光の反射感があり、また順光で見ているのにもかかわらず何となく逆光の透明感もある。ちょっと不思議であり魅力的なバラ。
プレートによれば品種名はカクテル。
しかしカクテルを画像検索してみると、このプレートと同じように花の中心部が黄色くて、くっきりとツートンカラーなバラばかりがヒットする。違う品種のプレートを撮ってしまったのか、あるいはこれから中心部が黄色くなるのか?
白いバラと一緒のほうが輝いているイメージが伝わるかも知れない。
ところで実は砧公園のバラ園にはあまり期待していなかった。この公園には何度も来ていて、バラのシーズンでないときにこのバラ園を通りかかったことも数多い。花が咲いていないせいもあって、ただバラの株が並んでいるだけのショボいバラ園との印象しか持っていなかった。
それがどうよ、この見事な充実ぶり。
香りもよくてまさに春バラの魅力を満喫できた。小学校の頃に地味だった女の子が大人になったらキレイになっていてビックリしたのと同じ驚き(^^ゞ
例によって青空を背景に。
青空と新緑とバラ!
密集感のあるバラを楽しめて大満足。
ここにいる間、終始ニコニコしていた気がする。
全景はこんな感じ。
わずかに角度のついた西向き斜面。
面積は25m〜30m四方くらい。
30mで計算すると900平米=273坪。
そこそこの広さとはいえるものの、この砧公園は約39万平米もある。東京ドームを単位にすれば8.4個分の大きな公園で、バラ園の占める割合はわずかに0.23%に過ぎない。今の10倍の規模に拡大しても2%。とりあえず5倍くらいにして、現在の単に株が並んで植えられているだけのバラ畑状態ではなく、もっと雰囲気のあるバラガーデンにして欲しいな。
なおバラの品種や株数について公式ページに記載はないものの、5月3日のヤフーニュース記事によれば24品種270株。
砧公園にはここ以外にもうひとつ小さなバラ園があるのでそちらに向かう。
ところで公園に入ったときから気になっていたのだけれど、あちこちに黄色のテープが張り巡らされて立ち入り禁止になっている場所が多数。
こういう説明がされている。
砧公園では今年の3月7日にサクラの大木が倒れ散歩中の人が下敷きになり、翌8日にはヒマラヤスギが倒れ駐車場のクルマ2台を直撃。さらに4月2日にもサクラがと木が倒れまくっている。
見た目ではわからなくても老朽化や病気で腐敗が進み、台風や強風がそれにダメージを与え、少しずつ朽ちてある日突然に倒れるらしい。公園なんてクルマも来なくて安心してボケーッと歩ける場所だと思っていたのにビックリである。
国交省の2021年から3年半を対象とした調査によると
公園で発生した倒木・落枝等の事故:931件(うち人身事故77件、含む死亡事故1件)
道路で発生した倒木・落枝等の事故:801件(うち人身事故33件)
となっている。自身が巻き込まれる確率はゼロに近いとはいえ、けっこうな件数である。そういえば下水管の破損や漏水が原因で道路が陥没する事故もよく起きている。戦後に急速に社会のインフラ整備が進んだ日本。そして今年は戦後81年。現代日本は後期高齢者なんだと思うと気が滅入るね。
とりあえず広い芝生と新緑を見て暗くなった気分を吹き飛ばしましょう。
もうひとつのバラ園はかなり小規模。
あまり知られていないのか見に来ている人もこのときはいなかった。
咲いているのもメインのバラ園と同じ品種ばかりで、メインを見終えた後では特に見応えなし。でもこんなバラに囲まれた彫刻を見るとホッコリする。
ーーーと思っていたら、
バラ園の周りが黄色いテープだらけぢゃないか(>_<)
早く点検が終了して、
安心できる公園になりますように。
気分直しに今回で特に印象的たったカラフルな「ふれ太鼓」と、
光り輝いていた「カクテル」の写真を最後に。
おしまい
2026年05月24日
砧公園で春バラを満喫
シーズンが終わった4月25日と28日に無駄足を承知でボタンを見に出かけ、予想通り見事に空振りに終わった無念を噛みしめ(^^ゞ 、春バラは満開を見過ごすまいと事前にしっかりと情報収集。そして5月11日に訪れたのが世田谷区にある砧(きぬた)公園。
砧公園の一画にあるバラ園は普段はフェンスに囲まれていて中に入れない。今年は9日〜10日に開かれた「春のバラを観る会」と、その後の17日まではフェンス内が開放されている。「春のバラを観る会」は混雑するだろうし、イベント内容的にもバラを育てているボランティアの話が聴ける程度のようなので11日でよかろうと。
自宅から砧公園までは直線距離なら6km程度なものの、電車で行くには遠回りして2本あるいは3本を乗り継がねばならずちょっと不便。また最寄りの用賀駅からも徒歩20分かかる。この日は砧公園以外にも行きたいところがあったので往復を散歩するのはちょっとキツい。そこで「砧公園は環八(環状八号線:幹線道路)に面しているのだからバスがあるはず」と思いつく。
調べてみるとバスを2本乗り継げば公園の出入り口近くまで行けるとわかった。乗り換え案内アプリによると、電車だと乗り換え含め23分プラス駅からの徒歩20分で合計43分。バスなら乗り換え含め40分。ただし運賃は電車が227円でバスが480円。それでバスを選ぶ。もっとも時間云々より知らない路線を走るバスに乗ってみたかったのが正直なところ。
短い路線バスの旅を楽しんで?砧公園の正門に到着。
地方でなら何度かあるが、東京でバスを乗り継いだのは初めてのように思う。
停留所の写真は撮り忘れた。
写っている道路は環八。
砧公園は環八と東名高速に挟まれたロケーション。
だから常に騒音が聞こえるのが難点。
停留所は環八が東名と交差した少し北側。
環八とほぼ並行している通路を歩く。
新緑が眩しい。
バラ園は正門近くにある。
公園に入って2分ほど歩いたら、その姿が見えてきた。
接近。
いい感じで咲いている。
まずはフェンスの外側から眺めて、
フェンスを回り込んで入り口を見つけた。
最初に目にとまったのがこのバラ。
1つの株に赤や黄色やオレンジが一緒に咲いている。
ビビッドで元気いっぱいのイメージ。
品種は「ふれ太鼓」。
調べてみると3色がそれぞれ咲くのではなく、黄色〜オレンジ〜赤へと色が変化していくようだ。今までにも見ているが、こんなに鮮やかに色の違いが出ているのは初めて。
「ふれ太鼓」のネーミングは相撲が開催されるのを太鼓を鳴らして触れ回る「触れ太鼓」から取っているみたい。さあバラのシーズンの始まりだよの意味を込めたのだろうか。日本で作出された品種で海外名はピニャータ(pinata:スペイン語)。
ピニャータとは太鼓ではなくメキシコや中南米発祥のくす玉人形。中にお菓子やおもちゃを詰め、日本のスイカ割りのように吊るした人形を目隠しして棒で叩き割る子供の誕生日などに行うゲーム。触れ太鼓とは特に共通点はないけれど、あえていえば楽しそうなところかな。
この日は天気がよく日差しも充分。ただし風がとても強かった。にもかかわらず充分にバラの香りを楽しめたのが驚き。栽培密度が高めにバラが植えられているせいかもしれない。
では満開のバラたちを見てちょうだい。
まずは密集感のある構図で。
フェンス内の通路はこんな感じ。
アーチもある。
ただ全体的にレイアウトは何の芸もなく、
バラがたくさん並んで植えられているだけの畑スタイル。
次にきれいどころをアップで並べましょう。
ーーー続く
砧公園の一画にあるバラ園は普段はフェンスに囲まれていて中に入れない。今年は9日〜10日に開かれた「春のバラを観る会」と、その後の17日まではフェンス内が開放されている。「春のバラを観る会」は混雑するだろうし、イベント内容的にもバラを育てているボランティアの話が聴ける程度のようなので11日でよかろうと。
自宅から砧公園までは直線距離なら6km程度なものの、電車で行くには遠回りして2本あるいは3本を乗り継がねばならずちょっと不便。また最寄りの用賀駅からも徒歩20分かかる。この日は砧公園以外にも行きたいところがあったので往復を散歩するのはちょっとキツい。そこで「砧公園は環八(環状八号線:幹線道路)に面しているのだからバスがあるはず」と思いつく。
調べてみるとバスを2本乗り継げば公園の出入り口近くまで行けるとわかった。乗り換え案内アプリによると、電車だと乗り換え含め23分プラス駅からの徒歩20分で合計43分。バスなら乗り換え含め40分。ただし運賃は電車が227円でバスが480円。それでバスを選ぶ。もっとも時間云々より知らない路線を走るバスに乗ってみたかったのが正直なところ。
短い路線バスの旅を楽しんで?砧公園の正門に到着。
地方でなら何度かあるが、東京でバスを乗り継いだのは初めてのように思う。
停留所の写真は撮り忘れた。
写っている道路は環八。
砧公園は環八と東名高速に挟まれたロケーション。
だから常に騒音が聞こえるのが難点。
停留所は環八が東名と交差した少し北側。
環八とほぼ並行している通路を歩く。
新緑が眩しい。
バラ園は正門近くにある。
公園に入って2分ほど歩いたら、その姿が見えてきた。
接近。
いい感じで咲いている。
まずはフェンスの外側から眺めて、
フェンスを回り込んで入り口を見つけた。
最初に目にとまったのがこのバラ。
1つの株に赤や黄色やオレンジが一緒に咲いている。
ビビッドで元気いっぱいのイメージ。
品種は「ふれ太鼓」。
調べてみると3色がそれぞれ咲くのではなく、黄色〜オレンジ〜赤へと色が変化していくようだ。今までにも見ているが、こんなに鮮やかに色の違いが出ているのは初めて。
「ふれ太鼓」のネーミングは相撲が開催されるのを太鼓を鳴らして触れ回る「触れ太鼓」から取っているみたい。さあバラのシーズンの始まりだよの意味を込めたのだろうか。日本で作出された品種で海外名はピニャータ(pinata:スペイン語)。
ピニャータとは太鼓ではなくメキシコや中南米発祥のくす玉人形。中にお菓子やおもちゃを詰め、日本のスイカ割りのように吊るした人形を目隠しして棒で叩き割る子供の誕生日などに行うゲーム。触れ太鼓とは特に共通点はないけれど、あえていえば楽しそうなところかな。
この日は天気がよく日差しも充分。ただし風がとても強かった。にもかかわらず充分にバラの香りを楽しめたのが驚き。栽培密度が高めにバラが植えられているせいかもしれない。
では満開のバラたちを見てちょうだい。
まずは密集感のある構図で。
フェンス内の通路はこんな感じ。
アーチもある。
ただ全体的にレイアウトは何の芸もなく、
バラがたくさん並んで植えられているだけの畑スタイル。
次にきれいどころをアップで並べましょう。
ーーー続く
2026年05月18日
ボタン空振り日記 薬王院編
4月25日にダメモトで出かけた豪徳寺で咲いていたボタンはわずかに2輪。出かけなければ今年に見られたボタンはゼロだから肯定的に捉えたいところでも、やはりあまりも数が少ない。それに花は小さくて花びらも少なかった。もうちょっとボタンらしいボタンを見たいな〜でももう咲いていないだろうな〜と思い悩む。
それで結局、さらにダメダメモトを承知で3輪見られたらいいや&満開の時期に行くべき名所なのか雰囲気チェックを兼ねてーーーなんて都合のいい理屈をこねて4月28日に訪れたのが薬王院。当初はここが今年のボタン鑑賞第1候補だったけれど、時期を逃したので4月25日に近所の豪徳寺にしたのに。
薬王院といえば高尾山にある寺が有名で検索してもそちらが先に出てくる。訪れたのは新宿の下落合にある薬王院。23区内では足立区の西新井大師、上野公園の東照宮とここがボタンの3大名所とされる。地図でピンク色で囲っているのが下落合で高田馬場の北側に位置する。新宿区ではあるもののどちらかといえば池袋圏内。
高田馬場駅で下車。
この駅で降りたのは25年振りくらいだと思う。
駅前商店街の入り口。
東京富士大学入り口を書かれている。商店街にこんな表示は珍しいのでは?
5分ほど歩いてこれが東京富士大学。初めて名前を聞いた。略称は「とうふ」になるのかな。豆腐大学だと職人さんの学校みたいだ(^^ゞ 建物の隣を流れているのは神田川。
西武新宿線の踏切を渡ると、
新目白通りに出る。
新目白通りはこの先で目白通りに合流して、目白通りは関越自動車道まで延びている。
新目白通りを300mほど進むと薬王院の標柱。
ボタンの名所とアピールしている。
標柱のところで曲がるともう山門が見える。
山門到着。
ここまで駅から10分くらい。
山門をくぐるとーーー
来なかったことにしようか(^^ゞ
半月前にはこの両サイドにたくさんのボタンが咲いていたんだろうな。
それでもきれいに咲いているのを見つけた。
この大きさ、風が吹けばユサユサと揺れそうなボリューム感がボタンの魅力。
傾斜地の上にある本堂を見上げて。
ベストシーズンに来れば、この写真の下の方にボタンが咲き並ぶ。
ボタンの花の残骸(>_<)
傾斜地を本堂を過ぎて上まで行くと、
墓地だった。
その先にボタンはないと考え下るとする。
六地蔵にボタンが満開のときに来られますようにとお願い。
この階段の左右にもボタンが咲いていたはず。
これは庫裏(くり)のようだ。
庫裏とは住職とその家族の住居。
下まで降りてきて再び本堂を見上げると黄色いボタンがあった。先ほどはなかったのに(最初の写真参照)。六地蔵が私を哀れんで咲かせてくれたのか!?
境内ウロウロ。
とはいっても境内は縦長で幅の狭い形なので見回れる範囲は限られている。
写真はマキと新緑がきれいだったセダム(たぶん)。
退散しましょう。
滞在時間は10分弱。ここまで来るのに電車を乗り継いで1時間ほどかかったのに(/o\)
とはいえボタンを3色、合計で5輪ほど見られたから目標はクリア。それにボタンが満開なら薬王院は美しい場所なことも確認できてヨシ。
時間が余ったので近くの「おとめ山公園」へ。
薬王院から10分ほどの距離。
おとめ山というだけあって少し坂道。「おとめ」は乙女ではなく、このあたりは江戸時代に将軍家の狩猟地となり立ち入り禁止を意味する「御留山」が由来みたい。
坂の途中に出入り口があった。
入ったところは池。
ここから湧き出しているらしい。
少し進むと傾斜地。
薬王院と同じ崖線(がいせん)地形に公園はある。
傾斜地を下から見上げるとなかなかの眺めだったのだが、
1分ほどで登り切ってしまった。
引き返す。
傾斜地の途中で下を眺めて。
これはヒトツバタゴ(一つ葉タゴ)。
同じモクセイ科のトネリコの別名がタゴ。トネリコが複葉なのに対して、これは単葉なので「一つ葉タゴ」となった。でも単葉と複葉の見分け方はややこしい。まあ植物を眺めている分には見分ける必要もないが。
それよりもヒトツバタゴは別名がナンジャモンジャあるいはナンジャモンジャの木。なんじゃそれ(^^ゞ 一説によると水戸光圀がこの木を見て名前がわからず「この木は何というもんじゃろか」と述べたのが始まりとされるが諸説多数あり。
ツツジとキショウブ。
キショウブはハナショウブの黄色版ではなく、主にヨーロッパ原産の外来植物。ハナショウブに黄色系がなかったため明治時代に輸入された。しかし繁殖力が強く現在は環境省の重点対策外来種に指定されているお気の毒な存在。なおキショウブとハナショウブを掛け合わせたキハナショウブというのもある。キショウブとキハナショウブを素人が見分けるのは困難。でもキハナショウブは栽培されているところが少ないので、黄色だったらたいていはキショウブ。
さらに下る。
公園に入ってきたのはここより上側。
一番下の出入り口にある案内地図を見てびっくり。おとめ山公園は道路を挟んで反対側にもあって、そちらの方が広い。また見晴台や林間デッキなどもあって面白そう。
どうしようかなあと考えたものの、もう気分が公園を出るになってしまっていたので、そこはいつかまた「ボタンが満開」の薬王院を見に訪れた際に探検するとした。
今年のボタン鑑賞は豪徳寺と薬王院を併せて7輪。
何度も書くが、それでも見られなかったのよりはマシ。
でも来年はしっかり予定を立てて満開のボタンを楽しみたいもの。
それで結局、さらにダメダメモトを承知で3輪見られたらいいや&満開の時期に行くべき名所なのか雰囲気チェックを兼ねてーーーなんて都合のいい理屈をこねて4月28日に訪れたのが薬王院。当初はここが今年のボタン鑑賞第1候補だったけれど、時期を逃したので4月25日に近所の豪徳寺にしたのに。
薬王院といえば高尾山にある寺が有名で検索してもそちらが先に出てくる。訪れたのは新宿の下落合にある薬王院。23区内では足立区の西新井大師、上野公園の東照宮とここがボタンの3大名所とされる。地図でピンク色で囲っているのが下落合で高田馬場の北側に位置する。新宿区ではあるもののどちらかといえば池袋圏内。
高田馬場駅で下車。
この駅で降りたのは25年振りくらいだと思う。
駅前商店街の入り口。
東京富士大学入り口を書かれている。商店街にこんな表示は珍しいのでは?
5分ほど歩いてこれが東京富士大学。初めて名前を聞いた。略称は「とうふ」になるのかな。豆腐大学だと職人さんの学校みたいだ(^^ゞ 建物の隣を流れているのは神田川。
西武新宿線の踏切を渡ると、
新目白通りに出る。
新目白通りはこの先で目白通りに合流して、目白通りは関越自動車道まで延びている。
新目白通りを300mほど進むと薬王院の標柱。
ボタンの名所とアピールしている。
標柱のところで曲がるともう山門が見える。
山門到着。
ここまで駅から10分くらい。
山門をくぐるとーーー
来なかったことにしようか(^^ゞ
半月前にはこの両サイドにたくさんのボタンが咲いていたんだろうな。
それでもきれいに咲いているのを見つけた。
この大きさ、風が吹けばユサユサと揺れそうなボリューム感がボタンの魅力。
傾斜地の上にある本堂を見上げて。
ベストシーズンに来れば、この写真の下の方にボタンが咲き並ぶ。
ボタンの花の残骸(>_<)
傾斜地を本堂を過ぎて上まで行くと、
墓地だった。
その先にボタンはないと考え下るとする。
六地蔵にボタンが満開のときに来られますようにとお願い。
この階段の左右にもボタンが咲いていたはず。
これは庫裏(くり)のようだ。
庫裏とは住職とその家族の住居。
下まで降りてきて再び本堂を見上げると黄色いボタンがあった。先ほどはなかったのに(最初の写真参照)。六地蔵が私を哀れんで咲かせてくれたのか!?
境内ウロウロ。
とはいっても境内は縦長で幅の狭い形なので見回れる範囲は限られている。
写真はマキと新緑がきれいだったセダム(たぶん)。
退散しましょう。
滞在時間は10分弱。ここまで来るのに電車を乗り継いで1時間ほどかかったのに(/o\)
とはいえボタンを3色、合計で5輪ほど見られたから目標はクリア。それにボタンが満開なら薬王院は美しい場所なことも確認できてヨシ。
時間が余ったので近くの「おとめ山公園」へ。
薬王院から10分ほどの距離。
おとめ山というだけあって少し坂道。「おとめ」は乙女ではなく、このあたりは江戸時代に将軍家の狩猟地となり立ち入り禁止を意味する「御留山」が由来みたい。
坂の途中に出入り口があった。
入ったところは池。
ここから湧き出しているらしい。
少し進むと傾斜地。
薬王院と同じ崖線(がいせん)地形に公園はある。
傾斜地を下から見上げるとなかなかの眺めだったのだが、
1分ほどで登り切ってしまった。
引き返す。
傾斜地の途中で下を眺めて。
これはヒトツバタゴ(一つ葉タゴ)。
同じモクセイ科のトネリコの別名がタゴ。トネリコが複葉なのに対して、これは単葉なので「一つ葉タゴ」となった。でも単葉と複葉の見分け方はややこしい。まあ植物を眺めている分には見分ける必要もないが。
それよりもヒトツバタゴは別名がナンジャモンジャあるいはナンジャモンジャの木。なんじゃそれ(^^ゞ 一説によると水戸光圀がこの木を見て名前がわからず「この木は何というもんじゃろか」と述べたのが始まりとされるが諸説多数あり。
ツツジとキショウブ。
キショウブはハナショウブの黄色版ではなく、主にヨーロッパ原産の外来植物。ハナショウブに黄色系がなかったため明治時代に輸入された。しかし繁殖力が強く現在は環境省の重点対策外来種に指定されているお気の毒な存在。なおキショウブとハナショウブを掛け合わせたキハナショウブというのもある。キショウブとキハナショウブを素人が見分けるのは困難。でもキハナショウブは栽培されているところが少ないので、黄色だったらたいていはキショウブ。
さらに下る。
公園に入ってきたのはここより上側。
一番下の出入り口にある案内地図を見てびっくり。おとめ山公園は道路を挟んで反対側にもあって、そちらの方が広い。また見晴台や林間デッキなどもあって面白そう。
どうしようかなあと考えたものの、もう気分が公園を出るになってしまっていたので、そこはいつかまた「ボタンが満開」の薬王院を見に訪れた際に探検するとした。
今年のボタン鑑賞は豪徳寺と薬王院を併せて7輪。
何度も書くが、それでも見られなかったのよりはマシ。
でも来年はしっかり予定を立てて満開のボタンを楽しみたいもの。
2026年05月17日
ボタン空振り日記 豪徳寺編
4月の中旬過ぎに「しばらくボタンの花とはご無沙汰だな」と気付く。すると無性に見たくなるのが人間の性(さが)というもの。ただし時すでに遅しの感は否めない。都内だと20年前はゴールデンウィーク頃だったボタンの見頃時期は年々早くなり、現在は4月中頃がピーク。さらに今年はサクラの開花が昨年より5日早かったからボタンも似た傾向のはず。
4月18〜19日の土日に出かけられれば間に合っただろうが、なかなかそうもいかず。その後の平日も都合がつかなかった。そこで第1候補だった新宿区の薬王院を諦め、散歩距離内にある世田谷区の豪徳寺を4月25日に訪れた。今まで知らなかったがここはボタンの隠れた名所らしい。しかし当然ながら、そこで見事な空振りに終わり、なのに見られないとますます見たくなるのも人間の性で、よせばいいのに4月28日に薬王院まで出かけて、再び三振をしてきたのが今回からのお話。
つまり実にショボい内容。しかしこのブログは「いつかやって来るかも知れない」昔のことを思い出せないときに備えて書いている意味合いもあるので、私としては大切な記録なのだ。それでよかったら読んでちょうだい。
豪徳寺は世田谷区役所近くにあり室町幕府中頃に創建された古刹。
2020年に紅葉を見に訪れている。
豪徳寺で紅葉と招き猫
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373803.html
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373908.html
参道入り口に到着。
100mちょっと続く松並木の参道。
根がむき出しになっているマツも多かった。
山門をくぐると、
静謐な雰囲気がよし。
この三重塔は2006年の落慶。
2020年に見たときは、まだすごく新しい感じがしたが、今回はごく普通に寺の景色に馴染んでいた。でも当時の写真と見較べると↓ほとんど変わっていない。人間の感覚なんてそんなもの。
それでも20年が経って木材部分はそれなりにヴィンテージ感が出ている。
ボタンはどこかと歩いていると墓地エリアに入り込んでしまった。
上の写真は井伊家の墓所。
幕末に桜田門外の変で水戸や薩摩のテロリストに惨殺された井伊直弼(なおすけ)の墓もここにある。直弼は彦根藩の16代藩主で、3代藩主の直孝(なおたか)がこの地にあった寺を井伊家の菩提寺とし、直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」を引用し豪徳寺に改名したのがこの寺の歴史。
墓地の中にボタンはないと思われるので、
本堂などが建っているエリアに出る。
そこでまず目についた紫の花。
これはアヤメ。
似たような形をしていて、花びらの根元に
網の目がある→アミノメ→アヤメ
黄色い筋がある→ハナショウブ
白い筋がある→カキツバタ
である。ただし栽培されているのはハナショウブが圧倒的に多くてアヤメを見られる機会は貴重。アヤメ園の名前なのにハナショウブしかないところもあるくらい。なおハナショウブとカキツバタは湿地に育つがアヤメは普通の土壌。
思いがけずにアヤメを見られたのはラッキーとはいえ、
ボタンはどこだ?
見つけた!
見つけたけれど咲いていたのはこれだけ(/o\)
それに花もあまり大きくなくて、
花びらの枚数も少なくイメージしていたボタンとはずいぶんと違う。
手前にツボミがたくさん。これから咲くのか?
でも葉の形が少し違うので別の花のような気もする。
他にボタンはないのかとさらにウロウロ、キョロキョロ。
また見つけたと思ったものの、これはシャクヤク(たぶん)。
そしてこのシャクヤクも花びらが少ない。
豪徳寺はシンプル好みなのか?
というわけで結局、
お目当てのボタンはショボい花2輪が本日の成果。でもまあここに来なければ今年はボタンが見られなかったわけで、ゼロと2の違いは大きいと自分に言い聞かせる(^^ゞ それに同じくショボかったとはいえシャクヤクと、久しぶりにアヤメも見られたし。
ボタンを探していたときに見つけたこの木は、
葉に水色の砂糖菓子のようなものが付いている。
時間が経つと色が濃くなるようだ。
画像検索してみるとこれはコノテガシワ(児の手柏)。砂糖菓子のようなものは球果と呼ばれる裸子植物の実のようなもの(マツの球果が松ぼっくり)。
こちらの赤くてプロペラのようなのはモミジの種。
よく見るとプロペラの付け根の部分に小さな種が2つ見える。種がもっと大きく成長したら葉から離れて、プロペラ部分で風に流されてより遠くに種を落とそうとする。街中でモミジが勝手に生えてきたなんて話は聞かないものの、山の中などではそれなりに機能する生存戦略なのだろう。
さて豪徳寺といえば招き猫である。
(そのいきさつは2020年のブログに書いた)
今やすっかり世界的にも有名となって、
この写真でも半数以上が外国人。
ところでインバウンドとは「外から内に入ってくる」こと。外国人観光客が日本を訪れるのも含まれるとして、最近たまに聞く「インバウンドの観光客」を省略し、彼らを指して「銀座はインバウンドだらけだ」などの表現にはちょっと違和感を覚える。
それはさておき、
見渡す限りの招き猫である。
これらの招き猫は寺務所で販売している。
2020年は300円〜5000円だったので1.6倍〜1.4倍の大幅値上げ。
画像は豪徳寺のホームページから引用
本来は持ち帰り、福を招いてくれたらお寺に奉納するのだが、小さいサイズは絵馬のような感覚でそのまま置いて帰るのだろう。
中には自分の飼い猫の写真を飾ったり、
意味不明のメッセージや、
人形ではないものも。
ただしこれも豪徳寺が販売している交通安全祈願のキーホルダー。
座布団を敷いてもらっている招き猫もいた。
他に変わったものはないかと眺めていると、
こんな風に並べられている招き猫を見つけた。
2020年に撮った写真を見直すと当時は見当たらず、それ以降に誰かが置かれている招き猫を並べ替える遊びを発見したようだ。グッドジョブである。
何か相談している?
もっとヒソヒソと。
老若男女が集まって集会。
最も大規模だったのがこちら。
円の中心には豪徳寺のものではないネコまで置かれている。
別にネコ好きではないのだけれど、これらを見ているうちに顔が緩んでくる。思わず「かわいいニャー」とつぶやいてみたり(^^ゞ
ボタンは空振りでも招き猫に心癒やされた1日でした。
4月18〜19日の土日に出かけられれば間に合っただろうが、なかなかそうもいかず。その後の平日も都合がつかなかった。そこで第1候補だった新宿区の薬王院を諦め、散歩距離内にある世田谷区の豪徳寺を4月25日に訪れた。今まで知らなかったがここはボタンの隠れた名所らしい。しかし当然ながら、そこで見事な空振りに終わり、なのに見られないとますます見たくなるのも人間の性で、よせばいいのに4月28日に薬王院まで出かけて、再び三振をしてきたのが今回からのお話。
つまり実にショボい内容。しかしこのブログは「いつかやって来るかも知れない」昔のことを思い出せないときに備えて書いている意味合いもあるので、私としては大切な記録なのだ。それでよかったら読んでちょうだい。
豪徳寺は世田谷区役所近くにあり室町幕府中頃に創建された古刹。
2020年に紅葉を見に訪れている。
豪徳寺で紅葉と招き猫
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373803.html
https://wassho.livedoor.blog/archives/53373908.html
参道入り口に到着。
100mちょっと続く松並木の参道。
根がむき出しになっているマツも多かった。
山門をくぐると、
静謐な雰囲気がよし。
この三重塔は2006年の落慶。
2020年に見たときは、まだすごく新しい感じがしたが、今回はごく普通に寺の景色に馴染んでいた。でも当時の写真と見較べると↓ほとんど変わっていない。人間の感覚なんてそんなもの。
それでも20年が経って木材部分はそれなりにヴィンテージ感が出ている。
ボタンはどこかと歩いていると墓地エリアに入り込んでしまった。
上の写真は井伊家の墓所。
幕末に桜田門外の変で水戸や薩摩のテロリストに惨殺された井伊直弼(なおすけ)の墓もここにある。直弼は彦根藩の16代藩主で、3代藩主の直孝(なおたか)がこの地にあった寺を井伊家の菩提寺とし、直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」を引用し豪徳寺に改名したのがこの寺の歴史。
墓地の中にボタンはないと思われるので、
本堂などが建っているエリアに出る。
そこでまず目についた紫の花。
これはアヤメ。
似たような形をしていて、花びらの根元に
網の目がある→アミノメ→アヤメ
黄色い筋がある→ハナショウブ
白い筋がある→カキツバタ
である。ただし栽培されているのはハナショウブが圧倒的に多くてアヤメを見られる機会は貴重。アヤメ園の名前なのにハナショウブしかないところもあるくらい。なおハナショウブとカキツバタは湿地に育つがアヤメは普通の土壌。
思いがけずにアヤメを見られたのはラッキーとはいえ、
ボタンはどこだ?
見つけた!
見つけたけれど咲いていたのはこれだけ(/o\)
それに花もあまり大きくなくて、
花びらの枚数も少なくイメージしていたボタンとはずいぶんと違う。
手前にツボミがたくさん。これから咲くのか?
でも葉の形が少し違うので別の花のような気もする。
他にボタンはないのかとさらにウロウロ、キョロキョロ。
また見つけたと思ったものの、これはシャクヤク(たぶん)。
そしてこのシャクヤクも花びらが少ない。
豪徳寺はシンプル好みなのか?
というわけで結局、
お目当てのボタンはショボい花2輪が本日の成果。でもまあここに来なければ今年はボタンが見られなかったわけで、ゼロと2の違いは大きいと自分に言い聞かせる(^^ゞ それに同じくショボかったとはいえシャクヤクと、久しぶりにアヤメも見られたし。
ボタンを探していたときに見つけたこの木は、
葉に水色の砂糖菓子のようなものが付いている。
時間が経つと色が濃くなるようだ。
画像検索してみるとこれはコノテガシワ(児の手柏)。砂糖菓子のようなものは球果と呼ばれる裸子植物の実のようなもの(マツの球果が松ぼっくり)。
こちらの赤くてプロペラのようなのはモミジの種。
よく見るとプロペラの付け根の部分に小さな種が2つ見える。種がもっと大きく成長したら葉から離れて、プロペラ部分で風に流されてより遠くに種を落とそうとする。街中でモミジが勝手に生えてきたなんて話は聞かないものの、山の中などではそれなりに機能する生存戦略なのだろう。
さて豪徳寺といえば招き猫である。
(そのいきさつは2020年のブログに書いた)
今やすっかり世界的にも有名となって、
この写真でも半数以上が外国人。
ところでインバウンドとは「外から内に入ってくる」こと。外国人観光客が日本を訪れるのも含まれるとして、最近たまに聞く「インバウンドの観光客」を省略し、彼らを指して「銀座はインバウンドだらけだ」などの表現にはちょっと違和感を覚える。
それはさておき、
見渡す限りの招き猫である。
これらの招き猫は寺務所で販売している。
2020年は300円〜5000円だったので1.6倍〜1.4倍の大幅値上げ。
画像は豪徳寺のホームページから引用
本来は持ち帰り、福を招いてくれたらお寺に奉納するのだが、小さいサイズは絵馬のような感覚でそのまま置いて帰るのだろう。
中には自分の飼い猫の写真を飾ったり、
意味不明のメッセージや、
人形ではないものも。
ただしこれも豪徳寺が販売している交通安全祈願のキーホルダー。
座布団を敷いてもらっている招き猫もいた。
他に変わったものはないかと眺めていると、
こんな風に並べられている招き猫を見つけた。
2020年に撮った写真を見直すと当時は見当たらず、それ以降に誰かが置かれている招き猫を並べ替える遊びを発見したようだ。グッドジョブである。
何か相談している?
もっとヒソヒソと。
老若男女が集まって集会。
最も大規模だったのがこちら。
円の中心には豪徳寺のものではないネコまで置かれている。
別にネコ好きではないのだけれど、これらを見ているうちに顔が緩んでくる。思わず「かわいいニャー」とつぶやいてみたり(^^ゞ
ボタンは空振りでも招き猫に心癒やされた1日でした。
2026年05月05日
チマキ食べ食べ
先日、ある人の誕生日パーティーに参加した。
パーティーと言ってもただの居酒屋での飲み会である。
それでも誕生日ということもあって、その日は会話の中で「昭和世代」との単語が多く聞かれた。もちろん私もそうなんだけれど、考えてみれば昭和より平成と令和を生きている期間のほうが長い。まあ、それがどうした(^^ゞ
ちなみに昭和は64年まであっても、元年は12月25日に始まり64年は1月7日に終わっているので実質的には62年ほど。
1962年12月25日〜1989年1月7日=62年と14日
平成は
1989年1月8日〜2019年4月30日=30年と3ヶ月と23日
令和は本日までで
2019年5月1日〜2026年5月5日=7年と5日
大正は
1912年7月30日〜1926年12月25日=14年と4ヶ月と26日
明治は
1868年10月23日〜1912年7月30日=43年と9ヶ月と8日
ところで明治の最終日と大正の初日は同じ日。同様に大正の最終日と昭和の初日も。しかし平成の初日は昭和の最終日の翌日、平成と令和も同じく。ただし明治以降のどの時代も天皇が崩御したら同日に新しい天皇が即位している(正確には践祚:せんそ=実質的な皇位の継承、即位はそれを公式に示す儀式)。
この違いはどうしてーーー
昭和から平成への改元が翌日になったのは、1日の途中で元号が代わると(違う元号の同じ日が存在すると)コンピューター処理で混乱が起きるのを避けるためだったようだ。もちろん昭和の初めにコンピューターは存在しない。改元にも意外と社会状況が反映されている。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
本日はメデタク子供の日。
国民の祝日に関する法律に従えば「こどもの日」。
子供も読めるように「こどもの日」と平仮名を使うのはわからなくもないが、前日の「みどりの日」までどうして平仮名なのだ? 「海の日」「山の日」は漢字なのに。
(/_')/ソレモコッチニオイトイテ
チマキを買ってきた!
子供の頃に、子供の日にチマキをよく食べていたわけではないのに、なぜか5月5日になると食べたくなる。でも柏餅なら近所のスーパーにもあるのにチマキは売っていない。近頃はチマキと言えば中華チマキを指すようになっている。と、ずっと不満に思っていたのだが別のスーパーで見つけた。
笹の葉のいい香りがする。
新しい畳の香りにも少し近く、微妙にお茶の香りも一緒に感じる。
こんなに笹の葉をクンクンしたのは生まれて初めてかも知れない。
中身は米粉のお餅。
笹の香りは意外と移っていない。
柏餅は中に餡子(あんこ)が包まれている。
チマキは米粉だけでかすかに甘みがつけられている程度。
この頼りなさがいいのよ(^^ゞ おいしゅうございました
ちなみに3本で税別498円。
そこそこのお値段。
子供の日は男子の成長を祝い健康を祈る端午の節句がルーツ。その女子版が桃の節句。ただし元々この両者に男女の区別はなかったし、子供専用でもなく季節の変わり目の行事。やがて江戸時代より雛人形が豪華になり、それで桃の節句を女子、端午の節句が男子とされるようになったらしい。
ところで
「こどもの日」は国民の祝日に関する法律によれば
こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
と条文に書かれている。
お父さんには感謝しないのか?!
そこにはこんな裏事情が。
国民の祝日に関する法律の制定は1948年(昭和23年)。
終戦(1945年)からまもない頃である。
いつを祝日にするかの議論で、主に女性議員や女性団体から
男子の端午の節句だけでなく、女子の桃の節句も(3月3日)も祝日にせよ
アメリカと同じく母の日(5月の第2日曜日)を祝日にせよ
との意見が上がる。
そこで、
子供の日は端午の節句と同じく5月5日とするが男女の区別はない
母の日と近いので、母親への感謝を条文に盛り込む
との妥協案で政治的決着が図られたのが実情のようだ。
とりあえず子供の日くらいは、
そんな世の中のあれやこれやは忘れ、
チマキでも食べて子供の気持ちに返りましょ。
パーティーと言ってもただの居酒屋での飲み会である。
それでも誕生日ということもあって、その日は会話の中で「昭和世代」との単語が多く聞かれた。もちろん私もそうなんだけれど、考えてみれば昭和より平成と令和を生きている期間のほうが長い。まあ、それがどうした(^^ゞ
ちなみに昭和は64年まであっても、元年は12月25日に始まり64年は1月7日に終わっているので実質的には62年ほど。
1962年12月25日〜1989年1月7日=62年と14日
平成は
1989年1月8日〜2019年4月30日=30年と3ヶ月と23日
令和は本日までで
2019年5月1日〜2026年5月5日=7年と5日
大正は
1912年7月30日〜1926年12月25日=14年と4ヶ月と26日
明治は
1868年10月23日〜1912年7月30日=43年と9ヶ月と8日
ところで明治の最終日と大正の初日は同じ日。同様に大正の最終日と昭和の初日も。しかし平成の初日は昭和の最終日の翌日、平成と令和も同じく。ただし明治以降のどの時代も天皇が崩御したら同日に新しい天皇が即位している(正確には践祚:せんそ=実質的な皇位の継承、即位はそれを公式に示す儀式)。
この違いはどうしてーーー
昭和から平成への改元が翌日になったのは、1日の途中で元号が代わると(違う元号の同じ日が存在すると)コンピューター処理で混乱が起きるのを避けるためだったようだ。もちろん昭和の初めにコンピューターは存在しない。改元にも意外と社会状況が反映されている。
(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
本日はメデタク子供の日。
国民の祝日に関する法律に従えば「こどもの日」。
子供も読めるように「こどもの日」と平仮名を使うのはわからなくもないが、前日の「みどりの日」までどうして平仮名なのだ? 「海の日」「山の日」は漢字なのに。
(/_')/ソレモコッチニオイトイテ
チマキを買ってきた!
子供の頃に、子供の日にチマキをよく食べていたわけではないのに、なぜか5月5日になると食べたくなる。でも柏餅なら近所のスーパーにもあるのにチマキは売っていない。近頃はチマキと言えば中華チマキを指すようになっている。と、ずっと不満に思っていたのだが別のスーパーで見つけた。
笹の葉のいい香りがする。
新しい畳の香りにも少し近く、微妙にお茶の香りも一緒に感じる。
こんなに笹の葉をクンクンしたのは生まれて初めてかも知れない。
中身は米粉のお餅。
笹の香りは意外と移っていない。
柏餅は中に餡子(あんこ)が包まれている。
チマキは米粉だけでかすかに甘みがつけられている程度。
この頼りなさがいいのよ(^^ゞ おいしゅうございました
ちなみに3本で税別498円。
そこそこのお値段。
子供の日は男子の成長を祝い健康を祈る端午の節句がルーツ。その女子版が桃の節句。ただし元々この両者に男女の区別はなかったし、子供専用でもなく季節の変わり目の行事。やがて江戸時代より雛人形が豪華になり、それで桃の節句を女子、端午の節句が男子とされるようになったらしい。
ところで
「こどもの日」は国民の祝日に関する法律によれば
こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
と条文に書かれている。
お父さんには感謝しないのか?!
そこにはこんな裏事情が。
国民の祝日に関する法律の制定は1948年(昭和23年)。
終戦(1945年)からまもない頃である。
いつを祝日にするかの議論で、主に女性議員や女性団体から
男子の端午の節句だけでなく、女子の桃の節句も(3月3日)も祝日にせよ
アメリカと同じく母の日(5月の第2日曜日)を祝日にせよ
との意見が上がる。
そこで、
子供の日は端午の節句と同じく5月5日とするが男女の区別はない
母の日と近いので、母親への感謝を条文に盛り込む
との妥協案で政治的決着が図られたのが実情のようだ。
とりあえず子供の日くらいは、
そんな世の中のあれやこれやは忘れ、
チマキでも食べて子供の気持ちに返りましょ。
2026年05月01日
皇居東御苑でツツジと新緑 その4
芝生広場を抜けて百人番所のところへ降りてきた。
左側の石垣は天守台と同じ材質と積み方。
少し離れたところの石垣はかなりラフ。
家康が豊臣秀吉の命で江戸に移されたのは1590年。そして江戸城を本格的に築城し始めたのは1603年とされる。この石垣がいつ積まれたのかは知らないが、現在に残る天守台が造られたのは1658年だから、最大で55年の間に不揃いな石垣から、きちんと形を整えた石垣に進化したことになる。
ただしそれでもこの石垣はきれいに積まれている部類。もっと不揃いな石でガタガタに摘まれている城の石垣も多い。城好きな人はそれを「いい石垣だ」なんて見入っているけれど、私はいつも情けない気持ちになる。エジプトのピラミッドなんて(建設当時は)紙一枚通らなかったといわれるほど精緻に積み上げられている。そのピラミッドが造られたのは今から4500年前の紀元前2500年頃やゾ! それが日本では16〜17世紀にこのレベル(>_<)
もっともこんなにバラバラの石を積み上げて崩れない技術はある意味凄いが。
日本に石の加工技術がなかったわけではない。墓石は江戸の初期にはあるし、石できた供養などは平安時代から建てられている。また日本最古の石橋である長崎の眼鏡橋は1634年と江戸時代初期の建造(設計は中国人の僧侶)。
ただし石造りの建物が造られるのは明治になって西洋の建設技術が導入されて以降。墓は部材だし石垣や石橋は構造物。どうして日本で石の建築が生まれなかったのか、そのうち研究してみましょう。
ところで前々回に家光天守が1657年に明暦の大火で焼け落ちたと書いた。そのときには本丸御殿等も焼失している。それどころか江戸城の歴史は火事の歴史でもある。御殿全体が燃えた火災だけでも10回を数える。
1634年 西の丸御殿を焼失
1639年 本丸御殿を焼失
1657年 天守と本丸、二の丸、三の丸の各御殿を焼失
1747年 二の丸御殿を焼失
1838年 西の丸御殿を焼失
1844年 本丸御殿を焼失
1852年 西の丸御殿を焼失
1859年 本丸御殿を焼失
1863年 本丸、二の丸、西の丸の各御殿を焼失
1868年 二の丸御殿を焼失
(なお表記は新暦)
それ以外に大規模な火災が26回あり合計36回。江戸時代は265年間だから7年に1回の割合で炎上している計算。その度に幕府は膨大な建設費を投じて御殿を再建(1863年に焼失した本丸と西の丸を除く)。「そろそろ燃えないように石造りにしようぜ」とは誰か言わなかったのかな(^^ゞ

(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
百人番所と新緑。
江戸時代の侍も「新緑がきれいでござるなあ」とか会話してたかもね。
アップで撮り忘れたが、建物の隣にある生け垣は百人番所の形に刈り込まれている。
石垣と新緑。
ここで東御苑の新緑も見納め。
出入り口の大手門と丸の内のビル群。
東京駅が明治と現代の組み合わせなら、こちらは江戸と現代。
大手門を抜けて丸の内の街並み。
以前は東御苑を散策した後に丸の内のビル群を見ると、江戸時代から現在へタイムスリップして戻ってきたような感覚を味わえた。しかし今は御苑内に外国人観光客がたくさんいて、あまり江戸時代気分になれず、したがってタイムスリップ感も希薄。
内堀通りを日比谷方向に向かう。
巽櫓を過ぎて、
右に曲がると皇居前広場に入る。
写真は東京駅方向。
内堀通りを挟んで東京駅側の芝生は中に入れるが皇居側は立ち入り禁止。
これは坂下門。
井伊直弼が襲撃された「桜田門外の変(1860年)」ほど有名じゃないものの、その2年後に同じような「坂下門外の変」という事件もあった。
坂下門の右奥に見えるのが宮内庁。
宮内庁に営業に出かけて、この坂下門を通りたい(^^ゞ
南側を向いて。
まさに広場!
写っているのはこれでも皇居前広場の1/5ほど。
皇居は大きく4つのエリアがある。図は宮内庁ホームページから引用編集
天皇の住まいや宮殿、宮内庁がある狭義の皇居
日本武道館のある北の丸公園
皇居東御苑
皇居前広場
地図で「皇居外苑」と赤線を引いてある場所が「皇居前広場」。皇居外苑は正確には皇居前広場、和田倉噴水公園、北の丸公園、その他の全体を指す。皇居東御苑が含まれていないのは皇居外苑が環境省の管轄で、狭義の皇居と東御苑は宮内庁の管轄だから。この地図は宮内庁制作で環境省管轄部分には色がついていない(^^ゞ
なお一般的には皇居前広場のことを皇居外苑と呼ぶ場合も多い。
トータルの面積は230ヘクタール。面積単位の東京ドーム(4.7ヘクタール)で換算すると49個分。でも東京ドーム2つ分、3つ分位なら広さのイメージが湧くけれど、49個だとピンとこないね。
そこで皇居の230ヘクタールを単位として使用すると
千代田区:1166ヘクタール:皇居5つ分:千代田区の2割を皇居が占める
山手線の内側:6300ヘクタール:皇居27個分:皇居が約3.7%を占める
バチカン:44ヘクタール:皇居の約2割
モナコ:202ヘクタール:皇居とほぼ同じ
これは慶長江戸絵図と呼ばれる1608年頃、つまり江戸時代が始まって6年目の江戸城を描いた地図。
本丸には本丸御殿があり江戸幕府の中枢。
御殿の内部は3つの区画に分かれ、
表:将軍の政務の場。現在なら首相官邸。
中奥:将軍の私的空間。現在なら首相公邸。
大奥:将軍家族の生活空間であり、将軍が世継ぎ作りに励むところ(^^ゞ
面積では大奥が本丸御殿の約半分を占めて最も広い。将軍の仕事としてそれだけ世継ぎ作りが重視されていたわけで、それはそれでプレッシャーかかるよね。
二の丸には二の丸御殿と庭園があり将軍の別宅的存在。いくら江戸城が広いとはいえ本宅の隣に別宅とは。西の丸には西の丸御殿。ここには将軍を引退した大御所や将軍の世継ぎなどが住んだ。また本丸御殿のバックアップ的な存在でもあり、表・中奥・大奥を備えている。何たってしょっちゅう火事で燃えているので備えは大事。三の丸にも初期には御殿があったが二の丸の拡大で取り壊され、本丸に登城する際の通路に。
それ以外のエリアは幕臣や大名の屋敷として使われた。ちなみに江戸では将軍の使う建物が御殿で、それ以外は屋敷。だから大名屋敷で大名御殿とは言わない。江戸を離れたそれぞれの領地では大名は御殿を持っている。(この解釈の自信度は60%くらい)。
この絵図と照らし合わせると皇居前広場は西の丸下だった場所。
明治になって伊藤博文がここを広場に造り替えた。
ついでに
何度も御殿を焼失した江戸城であったが、1859年の焼失まではすぐに再建している。しかし1863年に本丸・二の丸・西の丸の各御殿を焼失した頃には幕府の弱体化が進んでおり、
本丸御殿→再建せず
二の丸御殿→再建。ただし1868年1月にまた焼失し、その後は再建せず
西の丸御殿→仮御殿にスペックダウンして再建
となる。
したがって1867年11月:大政奉還〜1868年1月:鳥羽伏見の戦いの敗戦を経て、1868年5月に幕府が江戸城を引き渡した際に残っていたのは西の丸仮御殿のみ。それで天皇がそこに入り、戦後の1949年(昭和24年)に皇居前広場、1968年(昭和43年)皇居東御苑、1969年(昭和44年)北の丸公園が一般開放され、江戸城の西の丸と吹上エリアが狭義の皇居となった。
だからもし江戸末期に本丸や二の丸を焼失していなければ、明治天皇はそちらに入ったはずで、現在の皇居東御苑はなかったかも知れない。まあ皇居西御苑ができた可能性もあるが。
さらについでに
明治天皇が使っていた西の丸仮御殿であるが1873年(明治6年)に火災によって焼失! 江戸城の火災の歴史は明治になっても続いていた。そやから石造りにしろとーーー(^^ゞ
ところで皇居前広場が一般開放されたのが1949年(昭和24年)なのは、所管の環境省のホームページにも記載されており確かなものの、思い浮かべるのは終戦の日になるとよく見るこの映像。
玉音放送を聴いて皇居に集まってきた人たちで、その場所は皇居前広場。当時も自由に出入りできたのか、それともこの日は特別だったのか。
ちなみに江戸城は1868年(明治元年)に東京城(とうけいじょう)→1869年(明治2年)に皇城(こうじょう)→1888年(明治21年)に宮城(きゅうじょう)→1948年(昭和23年)に皇居と名前が変わっている。だから当時は宮城前広場。
皇居の宮殿に渡る二重橋。
かつては木造で下部にも補強の橋桁のある橋だったのでそう呼ばれる。
正式名称は正門鉄橋。
皇居の正門。
デザインは坂下門とよく似ている。
お堀をまたいで正門につながっているのが正門石橋。
10年ほど前まで私もそうだったように、こちらを二重橋と思っている人も多い。また正門石橋と正門鉄橋の2つの橋があるから二重橋なんて新解釈も生まれている。
皇居の宮殿に入るには、この2つの橋を渡る。
正門の脇にいる皇宮護衛官。
皇族を守る皇宮警察に属する職員は警察官ではなく護衛官と呼ばれる。職種によって様々な制服があり、ここで着用しているのは儀礼服。肩から胸にかかっている赤いのは「警笛つりひも」とよばれ先端に警笛(ホイッスル)がつながっている。警察官の儀礼服の警笛つりひもは金色、護衛官は赤。
直立不動の姿勢でご苦労様と思っていたら!
まばたきをしたときにたまたまシャッターを切ったと思っておこう。
皇居のアイコンである正門石橋を正面で。
アーチがふたつあるので、これを二重橋と思ってしまうのは仕方ない。奥に見えているのは伏見櫓(やぐら)。別名は月見櫓。秀吉の建てた伏見城から家光が移築したと伝わるが記録はないそうだ。
皇居前広場を一番南側で振り返る。
180度向きを変えて右側に見えるのが桜田門。
桜田門の前に並んでいる建物は右が警視庁、左が警察庁。
刑事ドラマで仲が悪く描かれるが実際はどうなんだろう。
なお先ほどの皇宮警察が属するのは警察庁。
桜田門とは反対方向から内堀通りに出る。
日曜日の午前10時〜午後4時まではサイクリング道路。
ここでクルマは通行止め。
というわけで交差点は赤信号でもクルマは来ないので、
堂々と道路の真ん中で最後の1枚。
おしまい
左側の石垣は天守台と同じ材質と積み方。
少し離れたところの石垣はかなりラフ。
家康が豊臣秀吉の命で江戸に移されたのは1590年。そして江戸城を本格的に築城し始めたのは1603年とされる。この石垣がいつ積まれたのかは知らないが、現在に残る天守台が造られたのは1658年だから、最大で55年の間に不揃いな石垣から、きちんと形を整えた石垣に進化したことになる。
ただしそれでもこの石垣はきれいに積まれている部類。もっと不揃いな石でガタガタに摘まれている城の石垣も多い。城好きな人はそれを「いい石垣だ」なんて見入っているけれど、私はいつも情けない気持ちになる。エジプトのピラミッドなんて(建設当時は)紙一枚通らなかったといわれるほど精緻に積み上げられている。そのピラミッドが造られたのは今から4500年前の紀元前2500年頃やゾ! それが日本では16〜17世紀にこのレベル(>_<)
もっともこんなにバラバラの石を積み上げて崩れない技術はある意味凄いが。
日本に石の加工技術がなかったわけではない。墓石は江戸の初期にはあるし、石できた供養などは平安時代から建てられている。また日本最古の石橋である長崎の眼鏡橋は1634年と江戸時代初期の建造(設計は中国人の僧侶)。
ただし石造りの建物が造られるのは明治になって西洋の建設技術が導入されて以降。墓は部材だし石垣や石橋は構造物。どうして日本で石の建築が生まれなかったのか、そのうち研究してみましょう。
ところで前々回に家光天守が1657年に明暦の大火で焼け落ちたと書いた。そのときには本丸御殿等も焼失している。それどころか江戸城の歴史は火事の歴史でもある。御殿全体が燃えた火災だけでも10回を数える。
1634年 西の丸御殿を焼失
1639年 本丸御殿を焼失
1657年 天守と本丸、二の丸、三の丸の各御殿を焼失
1747年 二の丸御殿を焼失
1838年 西の丸御殿を焼失
1844年 本丸御殿を焼失
1852年 西の丸御殿を焼失
1859年 本丸御殿を焼失
1863年 本丸、二の丸、西の丸の各御殿を焼失
1868年 二の丸御殿を焼失
(なお表記は新暦)
それ以外に大規模な火災が26回あり合計36回。江戸時代は265年間だから7年に1回の割合で炎上している計算。その度に幕府は膨大な建設費を投じて御殿を再建(1863年に焼失した本丸と西の丸を除く)。「そろそろ燃えないように石造りにしようぜ」とは誰か言わなかったのかな(^^ゞ

(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
百人番所と新緑。
江戸時代の侍も「新緑がきれいでござるなあ」とか会話してたかもね。
アップで撮り忘れたが、建物の隣にある生け垣は百人番所の形に刈り込まれている。
石垣と新緑。
ここで東御苑の新緑も見納め。
出入り口の大手門と丸の内のビル群。
東京駅が明治と現代の組み合わせなら、こちらは江戸と現代。
大手門を抜けて丸の内の街並み。
以前は東御苑を散策した後に丸の内のビル群を見ると、江戸時代から現在へタイムスリップして戻ってきたような感覚を味わえた。しかし今は御苑内に外国人観光客がたくさんいて、あまり江戸時代気分になれず、したがってタイムスリップ感も希薄。
内堀通りを日比谷方向に向かう。
巽櫓を過ぎて、
右に曲がると皇居前広場に入る。
写真は東京駅方向。
内堀通りを挟んで東京駅側の芝生は中に入れるが皇居側は立ち入り禁止。
これは坂下門。
井伊直弼が襲撃された「桜田門外の変(1860年)」ほど有名じゃないものの、その2年後に同じような「坂下門外の変」という事件もあった。
坂下門の右奥に見えるのが宮内庁。
宮内庁に営業に出かけて、この坂下門を通りたい(^^ゞ
南側を向いて。
まさに広場!
写っているのはこれでも皇居前広場の1/5ほど。
皇居は大きく4つのエリアがある。図は宮内庁ホームページから引用編集
天皇の住まいや宮殿、宮内庁がある狭義の皇居
日本武道館のある北の丸公園
皇居東御苑
皇居前広場
地図で「皇居外苑」と赤線を引いてある場所が「皇居前広場」。皇居外苑は正確には皇居前広場、和田倉噴水公園、北の丸公園、その他の全体を指す。皇居東御苑が含まれていないのは皇居外苑が環境省の管轄で、狭義の皇居と東御苑は宮内庁の管轄だから。この地図は宮内庁制作で環境省管轄部分には色がついていない(^^ゞ
なお一般的には皇居前広場のことを皇居外苑と呼ぶ場合も多い。
トータルの面積は230ヘクタール。面積単位の東京ドーム(4.7ヘクタール)で換算すると49個分。でも東京ドーム2つ分、3つ分位なら広さのイメージが湧くけれど、49個だとピンとこないね。
そこで皇居の230ヘクタールを単位として使用すると
千代田区:1166ヘクタール:皇居5つ分:千代田区の2割を皇居が占める
山手線の内側:6300ヘクタール:皇居27個分:皇居が約3.7%を占める
バチカン:44ヘクタール:皇居の約2割
モナコ:202ヘクタール:皇居とほぼ同じ
これは慶長江戸絵図と呼ばれる1608年頃、つまり江戸時代が始まって6年目の江戸城を描いた地図。
本丸には本丸御殿があり江戸幕府の中枢。
御殿の内部は3つの区画に分かれ、
表:将軍の政務の場。現在なら首相官邸。
中奥:将軍の私的空間。現在なら首相公邸。
大奥:将軍家族の生活空間であり、将軍が世継ぎ作りに励むところ(^^ゞ
面積では大奥が本丸御殿の約半分を占めて最も広い。将軍の仕事としてそれだけ世継ぎ作りが重視されていたわけで、それはそれでプレッシャーかかるよね。
二の丸には二の丸御殿と庭園があり将軍の別宅的存在。いくら江戸城が広いとはいえ本宅の隣に別宅とは。西の丸には西の丸御殿。ここには将軍を引退した大御所や将軍の世継ぎなどが住んだ。また本丸御殿のバックアップ的な存在でもあり、表・中奥・大奥を備えている。何たってしょっちゅう火事で燃えているので備えは大事。三の丸にも初期には御殿があったが二の丸の拡大で取り壊され、本丸に登城する際の通路に。
それ以外のエリアは幕臣や大名の屋敷として使われた。ちなみに江戸では将軍の使う建物が御殿で、それ以外は屋敷。だから大名屋敷で大名御殿とは言わない。江戸を離れたそれぞれの領地では大名は御殿を持っている。(この解釈の自信度は60%くらい)。
この絵図と照らし合わせると皇居前広場は西の丸下だった場所。
明治になって伊藤博文がここを広場に造り替えた。
ついでに
何度も御殿を焼失した江戸城であったが、1859年の焼失まではすぐに再建している。しかし1863年に本丸・二の丸・西の丸の各御殿を焼失した頃には幕府の弱体化が進んでおり、
本丸御殿→再建せず
二の丸御殿→再建。ただし1868年1月にまた焼失し、その後は再建せず
西の丸御殿→仮御殿にスペックダウンして再建
となる。
したがって1867年11月:大政奉還〜1868年1月:鳥羽伏見の戦いの敗戦を経て、1868年5月に幕府が江戸城を引き渡した際に残っていたのは西の丸仮御殿のみ。それで天皇がそこに入り、戦後の1949年(昭和24年)に皇居前広場、1968年(昭和43年)皇居東御苑、1969年(昭和44年)北の丸公園が一般開放され、江戸城の西の丸と吹上エリアが狭義の皇居となった。
だからもし江戸末期に本丸や二の丸を焼失していなければ、明治天皇はそちらに入ったはずで、現在の皇居東御苑はなかったかも知れない。まあ皇居西御苑ができた可能性もあるが。
さらについでに
明治天皇が使っていた西の丸仮御殿であるが1873年(明治6年)に火災によって焼失! 江戸城の火災の歴史は明治になっても続いていた。そやから石造りにしろとーーー(^^ゞ
ところで皇居前広場が一般開放されたのが1949年(昭和24年)なのは、所管の環境省のホームページにも記載されており確かなものの、思い浮かべるのは終戦の日になるとよく見るこの映像。
玉音放送を聴いて皇居に集まってきた人たちで、その場所は皇居前広場。当時も自由に出入りできたのか、それともこの日は特別だったのか。
ちなみに江戸城は1868年(明治元年)に東京城(とうけいじょう)→1869年(明治2年)に皇城(こうじょう)→1888年(明治21年)に宮城(きゅうじょう)→1948年(昭和23年)に皇居と名前が変わっている。だから当時は宮城前広場。
皇居の宮殿に渡る二重橋。
かつては木造で下部にも補強の橋桁のある橋だったのでそう呼ばれる。
正式名称は正門鉄橋。
皇居の正門。
デザインは坂下門とよく似ている。
お堀をまたいで正門につながっているのが正門石橋。
10年ほど前まで私もそうだったように、こちらを二重橋と思っている人も多い。また正門石橋と正門鉄橋の2つの橋があるから二重橋なんて新解釈も生まれている。
皇居の宮殿に入るには、この2つの橋を渡る。
正門の脇にいる皇宮護衛官。
皇族を守る皇宮警察に属する職員は警察官ではなく護衛官と呼ばれる。職種によって様々な制服があり、ここで着用しているのは儀礼服。肩から胸にかかっている赤いのは「警笛つりひも」とよばれ先端に警笛(ホイッスル)がつながっている。警察官の儀礼服の警笛つりひもは金色、護衛官は赤。
直立不動の姿勢でご苦労様と思っていたら!
まばたきをしたときにたまたまシャッターを切ったと思っておこう。
皇居のアイコンである正門石橋を正面で。
アーチがふたつあるので、これを二重橋と思ってしまうのは仕方ない。奥に見えているのは伏見櫓(やぐら)。別名は月見櫓。秀吉の建てた伏見城から家光が移築したと伝わるが記録はないそうだ。
皇居前広場を一番南側で振り返る。
180度向きを変えて右側に見えるのが桜田門。
桜田門の前に並んでいる建物は右が警視庁、左が警察庁。
刑事ドラマで仲が悪く描かれるが実際はどうなんだろう。
なお先ほどの皇宮警察が属するのは警察庁。
桜田門とは反対方向から内堀通りに出る。
日曜日の午前10時〜午後4時まではサイクリング道路。
ここでクルマは通行止め。
というわけで交差点は赤信号でもクルマは来ないので、
堂々と道路の真ん中で最後の1枚。
おしまい











































































































































































































































