2005年10月12日
そういうことがあったかもしれない
橋本元首相が歯科医師連盟からの不正献金の裁判で、私は貰ってないはずだけれど、他の人の話から「そういうことがあったかもしれない」と証言した、いや、しらばっくれた。
この手の発言で最も有名なのは、ロッキード事件で小佐野賢治氏が国会喚問で連発した「記憶にございません」だろう。知らないといえばウソになる、忘れた思い出せないといえば、では事実があったのかと突っ込まれかねない。記憶にないというのは実に巧妙な受け答え。当時はちょっとした流行語にもなった。私が高校生くらいの時の話。それと較べると「そういうことがあったかもしれない」という橋本元首相の証言は気が小さいというか、ある意味では良心的というか、彼の性格が現れているように思える。
結局、小佐野氏は証人喚問の偽証罪には問われなかった。記憶にないのだから証言しない、だから偽証そのものが成り立たない。不正とは思うが不法ではない。国会が想定外のレトリックで事態を切り抜けた。悪人ながら見事というしかない。(その後、本命の罪で逮捕されたが)
別に悪事を勧めている訳じゃない。汚職はいけないことだが、こういった知的闘争力が必要な局面は政治の世界にはある。例えば外交。緊迫した事態の外交最前線なんて経験はないものの「そういうことがあったかもしれない」なんて発言しては、うまく立ち回れるはずもない。ビジネスでもときには丁々発止な駆け引きが必要。いつ村上氏やホリエモンがあなたの会社の株主リストに名を連ねるかわからないのだから(^_^)
本日は短く“言葉は身を助ける”の下書きでした。
ところで私が政治家のしらばっくれで一番覚えているのは「記憶にございません」ではない。鈴木善幸元首相が汚職だったか不正献金で得たお金を「貰ったんじゃない。預かっているだけ」と反論したこと。実はそんな屁理屈を冗談で考えていたことがあって、それを本当に言った人間が現れ、それが元首相で、なおかつ、それで罪を逃れたからビックリした次第。う〜ん残念ならが私はまだ言ったことがない。誰か私に預けて(^_^)
この手の発言で最も有名なのは、ロッキード事件で小佐野賢治氏が国会喚問で連発した「記憶にございません」だろう。知らないといえばウソになる、忘れた思い出せないといえば、では事実があったのかと突っ込まれかねない。記憶にないというのは実に巧妙な受け答え。当時はちょっとした流行語にもなった。私が高校生くらいの時の話。それと較べると「そういうことがあったかもしれない」という橋本元首相の証言は気が小さいというか、ある意味では良心的というか、彼の性格が現れているように思える。
結局、小佐野氏は証人喚問の偽証罪には問われなかった。記憶にないのだから証言しない、だから偽証そのものが成り立たない。不正とは思うが不法ではない。国会が想定外のレトリックで事態を切り抜けた。悪人ながら見事というしかない。(その後、本命の罪で逮捕されたが)
別に悪事を勧めている訳じゃない。汚職はいけないことだが、こういった知的闘争力が必要な局面は政治の世界にはある。例えば外交。緊迫した事態の外交最前線なんて経験はないものの「そういうことがあったかもしれない」なんて発言しては、うまく立ち回れるはずもない。ビジネスでもときには丁々発止な駆け引きが必要。いつ村上氏やホリエモンがあなたの会社の株主リストに名を連ねるかわからないのだから(^_^)
本日は短く“言葉は身を助ける”の下書きでした。
ところで私が政治家のしらばっくれで一番覚えているのは「記憶にございません」ではない。鈴木善幸元首相が汚職だったか不正献金で得たお金を「貰ったんじゃない。預かっているだけ」と反論したこと。実はそんな屁理屈を冗談で考えていたことがあって、それを本当に言った人間が現れ、それが元首相で、なおかつ、それで罪を逃れたからビックリした次第。う〜ん残念ならが私はまだ言ったことがない。誰か私に預けて(^_^)
wassho at 18:07│Comments(0)│
│社会、政治、経済