2006年06月05日
認知的不協和
元は心理学の概念だと思うが、マーケティングでもよく引用される考え方。
「認知的不協和」という文字だけを見ても意味がわからないかも知れない。強引に簡単に説明すると、人間は自分の行動や考えに価値を求め、その価値が揺らぐ、自信がなくなりそうになると、自分に対して都合のいい言い訳を探すという理論。
マーケティングでよく引き合いに出されるのは、例えばクルマやパソコンを買ったとする。買ったからには、もう広告を見る必要はない。でも、見る。なぜなら自分が正しい買い物をしたという確信を持ちたいから(広告は、その商品を悪くはいわない)。
「このパソコン、イマイチだったかな〜」とウスウス感じても、それを認めると自分が間違った判断をしたということになってツライので(不協和)、広告を見て「やっぱ、いいパソコンじゃん」と(認知)をねじ曲げるーーーという心の仕組み。
認知をねじ曲げて不協和(ツライこと)を減少しようとする試みである。試み方はいろいろある。デブッてきたとする。体重計を見なかったことにしようというのは消極的な試み。もっとデブッた人と較べれば自分はまだまだ大丈夫ーーーという認知の仕方もある。痩せすぎよりも、少しふっくらしていた方が健康にいいなどと言い訳するのは、かなり積極的な認知の変更。
さて、なんでこんな心理学用語を持ち出したかというと、本日は “マーケティング・リサーチではいろいろ商品評価をするけれど、それは消費者ニーズを探ったり、今後の改良のために役立てるためではあるが、担当者の認知的不協和のなせるワザの比率も決して低くない” の下書きでした。私と同業者の方ならクスッと笑っていただけると思います(^^ゞ
<追伸>
先週、水曜日はブログを書かなかったが、木・金曜日はライブドアのブログが不調でアップできなかった。今まで、ときどき不調な日はあったけれど、2日間にも渡って故障というのは初めて。ホリエモンの祟り? ひょっとしたらムラカミ君のかな?
「認知的不協和」という文字だけを見ても意味がわからないかも知れない。強引に簡単に説明すると、人間は自分の行動や考えに価値を求め、その価値が揺らぐ、自信がなくなりそうになると、自分に対して都合のいい言い訳を探すという理論。
マーケティングでよく引き合いに出されるのは、例えばクルマやパソコンを買ったとする。買ったからには、もう広告を見る必要はない。でも、見る。なぜなら自分が正しい買い物をしたという確信を持ちたいから(広告は、その商品を悪くはいわない)。
「このパソコン、イマイチだったかな〜」とウスウス感じても、それを認めると自分が間違った判断をしたということになってツライので(不協和)、広告を見て「やっぱ、いいパソコンじゃん」と(認知)をねじ曲げるーーーという心の仕組み。
認知をねじ曲げて不協和(ツライこと)を減少しようとする試みである。試み方はいろいろある。デブッてきたとする。体重計を見なかったことにしようというのは消極的な試み。もっとデブッた人と較べれば自分はまだまだ大丈夫ーーーという認知の仕方もある。痩せすぎよりも、少しふっくらしていた方が健康にいいなどと言い訳するのは、かなり積極的な認知の変更。
さて、なんでこんな心理学用語を持ち出したかというと、本日は “マーケティング・リサーチではいろいろ商品評価をするけれど、それは消費者ニーズを探ったり、今後の改良のために役立てるためではあるが、担当者の認知的不協和のなせるワザの比率も決して低くない” の下書きでした。私と同業者の方ならクスッと笑っていただけると思います(^^ゞ
<追伸>
先週、水曜日はブログを書かなかったが、木・金曜日はライブドアのブログが不調でアップできなかった。今まで、ときどき不調な日はあったけれど、2日間にも渡って故障というのは初めて。ホリエモンの祟り? ひょっとしたらムラカミ君のかな?
wassho at 15:18│Comments(0)│
│マーケティング、ビジネス