2007年10月31日

教えてもらうスイッチ

本日の午後はとあるセミナーに参加してきた。
私の専門領域とはチョット違う、超難解なテーマのセミナー。


開始15分ほど前に着席すると、そのセミナーで使うテキストが机の上に置いてあった。パラパラとめくってみる。イカン、頭がクラクラしてきた(/o\)

そこに書かれている言葉は読める(当たり前だけれど)。その言葉(専門用語)の意味も知っている。でも文章全体としての意味がわからない。正確にいうなら、ムツカシイ、メンドウクサイ、イヤダァと脳が理解することを拒否している。


でも、だからこそセミナーに来たのだ。


セミナーが始まった。
講師は、そのテキストに沿って話を進める。
ところどころにアドリブは入るものの、基本的にはテキストを読み上げ、若干の解説を加えるオーソドックスな講義スタイル。講師の話の70%はテキストの朗読だった。


でも、これで理解できてくるから不思議。
経験的に、それを知っていたからこそセミナーに来たのだ。


70%の朗読以外の、残りの30%の解説が理解を助けているのか?
それを全否定はしないけれど、その解説も朗読と同じくらいムツカシイ内容である。私としては「人の教えを聞く」という意識や態度にスイッチが入ったとたんに脳の理解能力が増すのではないかと考えている。


テキストを自分で読むだけの独学以上の効果が、(例え朗読でも)「教えてもらう」という行為にはあるような気がする。テキストの朗読をテープで聞いてもたぶん独学と同じ気がする。相手は生身の人間でなくてはならない。


この「教えてもらうスイッチ」については、そんな話を他の人としたことがないので、これが一般的な人間の特性かどうかは良くわからない。皆さんはどうですか?

wassho at 20:00│Comments(0) ノンジャンル 

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