2007年11月01日

困難は分割せよ(デカルト)

教えてもらうスイッチが入ると脳の理解能力が増すのでーーーと昨日書いたが、実は本人もそれは半信半疑なところがある。テキストを読んでも頭に入らないものが、なぜ講師が朗読すると理解できるのか?


ひょっとしたら、こういうことかも知れない。

チョット話は飛ぶが、NHKの英会話番組をiPodに入れて聞いていることは何回か書いた。ヒアリングだけでは何を話しているかわからなくて、テキスト本文(英語)を読んでもよくわからないけれど、ヒアリングをしながらテキストを目で追っていくと何となく内容がわかる場合がある。

つまりこういうことだ。

 ヒアリングだけではわからない
    ーー>そもそも英語能力が低くて聞き取れていない(>_<)

 テキストを読んでもわからない
    ーー>長文すぎて文章のつながり、構造がわからない


ヒアリングしながらテキストを追うと、喋り手の抑揚、間(ま)、話す雰囲気などで、文章の構造がわかってくる。会話の中で大事なところは高いテンションで話しているので、そこに神経を集中して内容を把握すれば、他の部分も連動して理解(連想)できるようになるーーーんじゃないかな。


昨日のセミナーは日本語だから、文章の構造がわからないということはないにしても、講師の朗読の中の微妙なニュアンスの差を感じ取って、理解すべき順番で理解したから理解できたのかも知れない。100の処理能力しかない脳が200の情報量を理解しようとしてもオーバーフロー(パラパラとテキストをめくって頭がクラクラする)だけれど、30ずつ処理していけば何とかなる。講師の朗読は道案内兼ペースメーカーみたいなものか。


まさにデカルトのいうとおり「困難は分割せよ」である。フランス人だから彼も英語は苦手だったのかな<−−−ツッコミいれるところです(^^ゞ


wassho at 18:32│Comments(0) ノンジャンル 

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