2008年02月25日

27年後のロス疑惑

あのロス疑惑の三浦さんがアメリカで逮捕された。
事件は27年前なので、「あの」ロス疑惑といわれても、知らない人が多いかも知れない。事件のことはネットででも調べてもらうとして、結論だけ書けば、事件はアメリカで起きたが、日本の最高裁で無罪が確定した事件である。なぜ裁判が日本で行われたかは忘れたが、とにかく無罪となった事件である。


今回の逮捕は、事件の真相はちょっと脇に置いておいて、法律というものを考えるには興味深いケースである。


何かの容疑者になっても、最高裁で無罪が確定すれば、その容疑に関して後にどんな新事実や証拠が出てこようと、本人が「実は私がやりました」と認めようと、罪には問われない。法律的には一事不再理といい憲法で規定されている大原則である。


もちろん憲法の規定が及ぶのは日本の話だから、アメリカの法律には関係ない。しかし、そこから先が法律の世界のややこしいところなんだけれど、法律的な判断とは、法律として条文として書かれているもの以外に、それまでの判決とか、その他もろもろの慣例、暗黙の合意も含めてなされるーーーとされている。

結構グレーでアバウトなところもあるのが法律の世界なのである。それで一事不再理の規定のある国同士(例えば日本とアメリカ)では、それを尊重する、つまりどちらかの国で無罪が確定した事件をもう一方の国では罪には問わないとされてきた。あくまで「されてきた」という話で、今まで事例もなかったように思う(間違っていたらゴメン)。


まだ逮捕されただけで、起訴されたわけじゃないが、27年前の事件を蒸し返すのだから、たぶんその気なんだろう。それで、何か説得力のある新事実や証拠があるのなら、それはそれで正義ということで「されてきた」が覆ってもいいと思う。


問題は、たいした新事実や証拠もなく法律論をひねくり回したような起訴内容だった場合。その場合、日本人は「日本の裁判をコケにされた」「日本人(三浦さん)に対する人権侵害である」と怒るべきなのか? 私自身もよくわからないけれど、アメリカで無罪が確定したアメリカ人を日本でつかまえたら、アメリカは怒鳴り込んでくるような気がする。


仮に(たいした新事実や証拠もなく法律論をひねくり回したような起訴内容で)有罪になったとしよう。しかし日本では無罪が確定している。三浦さんは前科者ではない。(関連する他の事件では有罪になっているから正確には前科者だけれど、殺人罪では無罪)。まあ彼に会うことはないとしても、彼にどういう接し方をすればいい?もっとモーソーして、仮に一事不再理の逆(ができるのか、どうか知らないけれど)で、日本で有罪になっていて、後にアメリカで無罪になったら?


裁判とは、罪人とは、真実とはーーーそんなことを考えても実生活ではあまり役に立たないものだが、たまには頭の奥の方を刺激するのも悪くない。


ーーー続くかも

wassho at 20:38│Comments(0) 社会、政治、経済 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔