2008年04月21日
実写とCG
日曜日に「ステルス」という映画をテレビで観た。ステルス戦闘機(ステルス=レーダーに映らない最新鋭の戦闘機)3機で編成されるチームに、人工知能が操縦する無人戦闘機が加わる。その人工知能が暴走して勝手に攻撃を始めたりするが、最後はチームに戻り仲間(人間のパイロット)のために敵に突っ込んで犠牲になるというようなストーリー。
ところどころに、あちこちの映画からパクッたシーンがあるのはご愛敬として、そつなくまとまったストーリー。戦闘シーンは迫力満点と書きたいけれどーーー。
ステルスを見ながら「やっぱりトップガンは迫力あったなあ〜」と思い出していた。トップガンも同じくジェット戦闘機が活躍する映画でトム・クルーズの出世作。実は私は戦闘機や潜水艦が出てくる映画が大好き(^^ゞ
ステルスに登場する戦闘機はすべてCG(コンピューターグラフィックス)である。もちろん「あっ!CG]とわかるようなちゃちなCGではない。きわめて精緻で本物そっくり。でもCGだから、あり得ないシーンが連続する。いっぽうトップガンは(観たことのない人はわからないけれど)驚くべきことにすべて実写。ごく一部のシーンを除いて、いわゆる特撮もほとんどなし。
ステルスのCGの出来は悪くない。でもCGだと思ってみるから、トップガンを見たときのような「手に汗握る」興奮は感じない。もちろん本物の戦闘機も、ましてやそれがドッグファイト(戦闘)しているところも見たことはない。つまりCGを見て「やっぱり本物とは違う」と区別できるわけじゃない。私にとってはCGであろうが実写であろうが映像でしか知らない世界。それなのにこの感覚の違いはなぜなんだろうと興味深い。ネタがばれている手品はつまらないということか。
でもまあCGより実写のほうにリアリティを感じる、興奮するというのは健全な気もする。しかしーーー
実写で何かを撮る。カメラと被写体の間には映ってはいないが空気が存在している。そして眼にははっきり感知できないけれど微小に空気が揺らいでいる。高度なCGというのは、この「空気の微小な揺らぎ」や「目に見えないチリ」まで描くらしい。そんなCGを見たいような、そこまでやって欲しくないような。
ところどころに、あちこちの映画からパクッたシーンがあるのはご愛敬として、そつなくまとまったストーリー。戦闘シーンは迫力満点と書きたいけれどーーー。
ステルスを見ながら「やっぱりトップガンは迫力あったなあ〜」と思い出していた。トップガンも同じくジェット戦闘機が活躍する映画でトム・クルーズの出世作。実は私は戦闘機や潜水艦が出てくる映画が大好き(^^ゞ
ステルスに登場する戦闘機はすべてCG(コンピューターグラフィックス)である。もちろん「あっ!CG]とわかるようなちゃちなCGではない。きわめて精緻で本物そっくり。でもCGだから、あり得ないシーンが連続する。いっぽうトップガンは(観たことのない人はわからないけれど)驚くべきことにすべて実写。ごく一部のシーンを除いて、いわゆる特撮もほとんどなし。
ステルスのCGの出来は悪くない。でもCGだと思ってみるから、トップガンを見たときのような「手に汗握る」興奮は感じない。もちろん本物の戦闘機も、ましてやそれがドッグファイト(戦闘)しているところも見たことはない。つまりCGを見て「やっぱり本物とは違う」と区別できるわけじゃない。私にとってはCGであろうが実写であろうが映像でしか知らない世界。それなのにこの感覚の違いはなぜなんだろうと興味深い。ネタがばれている手品はつまらないということか。
でもまあCGより実写のほうにリアリティを感じる、興奮するというのは健全な気もする。しかしーーー
実写で何かを撮る。カメラと被写体の間には映ってはいないが空気が存在している。そして眼にははっきり感知できないけれど微小に空気が揺らいでいる。高度なCGというのは、この「空気の微小な揺らぎ」や「目に見えないチリ」まで描くらしい。そんなCGを見たいような、そこまでやって欲しくないような。
wassho at 19:59│Comments(0)│
│映画、ドラマ、文学