2008年08月26日

監督

メダルに手の届かなかった野球。帰国後の会見で星野監督は「強いものが勝つのではなく、勝ったものが強いという五輪の難しさをしみじみと感じた」と述べたらしい。なんだかわかったような、わからないようなセリフである。正解はひとつだけ「弱いから負けた」。


チームの戦力のうち、監督の占める割合がどれくらいなのかは難しいテーマである。それをアーダコーダというのもスポーツの楽しみのひとつかも知れない。シーズンを通じてのリーグ戦なら試合の采配以外に、選手の起用の方針やモチベーションアップも影響するし、あるいは選手補強にも口をはさんだりするから、監督が戦力に占める割合は無視できないレベルにはなると思う。しかし予選や合宿があるとはいえ、4年に1回集まるチームで短期決戦のオリンピックなどでは、監督は象徴程度の意味合いしかないのかも知れない。


それでも「勝てば選手のおかげ、負ければ監督の責任」なのが監督業。それをわかって引き受けるんだから、監督になる人にはやはり魅力的な人物が多い気がする。


プロ野球はニュース番組のスポーツコーナーを見ていれば見る程度。つまりほとんど見ていない。そんな私のプロ野球視聴時間で多くを占めるのが、今や名物コーナーになっている野村監督のインタビュー。監督のくせに他人事のようにボヤいているだけのように思えるし、私がオーナーなら頭にきて解任すると思うけれど、世間ではああいうボヤキが受けるんだろうか?


今は「マーくん神の子、不思議な子」などと訳のわからないボヤキを言っている彼だが、かっては「勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し」という名言を吐いた。論理的には矛盾しているはずだが、妙に思い当たる節のある言葉である。たぶん負けたときは、認めたくはなくても実力が足りなかったり準備が不足していたことを自分が一番知っているからだ。勝ちの不思議とは相手がそういう状態だったのだろう。


人間はモノゴトの悪い方に目が向きがちだとは以前に書いた。しかし、きっちりとした敗因分析まで掘り下げて考えることも苦手である。スポーツでもマーケティングでも人生でも、それができていないと強くなれない。同じような原因でまた負ける。敗因分析なんて気分的にノラない仕事で、次の勝ち方を考えるほうが楽しいのだが「苦あって楽あり」なのである。その辺のところ、岡田監督よろしく(岡チャンのほうね)

wassho at 17:30│Comments(1) ノンジャンル 

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1. オトコ星野何処へゆく?  [ SHIGEKAZU OSHARE blog 360 ]   2008年08月26日 20:58
ちょっと仙ちゃんについて書いておこうかなと。 たまたま昨晩、讀賣のニュース番組ゼロを見ていたら、星野監督が生出演していました。 オヮ..

この記事へのコメント

1. Posted by えりか   2008年08月26日 20:38
全くメダルを取れなかった日本野球は最悪だ。高校野球でも殺人事件や強姦事件を起こしている野球選手がプロになってもヤクザや暴力団になるだけなのだ。野球というスポーツはもともと球を棒で打つやくざなもので、こんなものをオリンピックだからと神聖視してはいけない。それに別にオリンピックはそんなものではない。いくら彼らが高校野球のように女子アナを次々に強制わいせつできるからといってスポーツ選手にすり寄ったりおもねたりしてはいけないのだ。韓国にもアメリカにも負けた星野ジャパンなどまったく日本の恥さらしだ。

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