2008年09月30日

ゴッドファーザーを久しぶりに観る

日曜日に、たぶん20何年ぶりくらいにゴッドファーザー(パート1)のDVDを借りて観た。中学生か高校生だったか忘れたがパート2は映画館で観た。パート1は観る機会がなく、その後ビデオデッキを買って初めてレンタルビデオ屋に行ったときに借りた記憶がある。


やっぱり映画らしい映画。私はいつも最新作しか借りないタイプなので古い映画を観るのは久しぶり。それで真っ先に気づいたのが画面の色合いが「フィルム調」だということ。当時はもちろんフィルムカメラしかないから(ビデオカメラとかないから)当たり前だけれど、最新作の映画を見てフィルム調だと感じることはないから、最近の映画はフィルムで撮っていないのかな? あるいは30年以上昔に撮られた「古いフィルム調」だから余計にそう感じたのかな?


フィルムカメラとビデオカメラの違いを文章で説明するのは難しい。テレビで観る映像はほとんどビデオカメラで撮られている。鮮明ではあるが、どこか平坦な画像になる。フィルムカメラは鮮明さでは劣るものの、色合いに何となくコクがある感じで立体感も出る。やっぱり説明は難しい(^^ゞ 見較べればすぐにわかるんだけれどね。そういえば昔、ある商品のプロモーションビデオを撮る仕事で、その映像にこだわってビデオではなくフィルムで撮影したことを思い出した。


フィルム調とはいえ、昔観たVHSテープとは違いDVDは鮮明だから映像はくっきりしている。このワイシャツは新品じゃなくて洗濯してアイロンしたものなんだなというようなことがシワを見てわかる。実はハイビジョンとかブルーレイとかを観たことがないのだが、あまり見えすぎても作品の本筋とは関係のないところが気になるかも。


20何年ぶりに観て覚えているシーンもあれば、こんな話あったっけ?というシーンも。映画プロデューサーに圧力を掛けるために彼の愛馬の首を切り落として、彼が寝ている間にベッドに置いておくというシーンを、すごく印象的でよく覚えていたのだが、改めて観てみると「思っていたより前半にそのシーンがある」「どちらかというと映画全体のストーリーからいうと脇筋の話」だったりする。印象深いとやっぱり重要なものとして記憶されるのかも知れない。

また逆にカジノのホテルオーナーがマッサージ中に暗殺されるシーンは、すっかり忘れていたのに、眼鏡越しに銃弾を撃たれて眼から血が流れてくるシーンを、見た瞬間に以前に観たことを思い出した。昔観た古い映画を観るのは脳細胞を活発にする効果があるかもような気がする。


さっき書いた映画らしい映画というのは別にフィルム調のことだけじゃない。なんというかストーリーに無理がないというか、だから登場人物の心理をいろいろ考えながら映画を観ることができる。今の映画は何分かに1回、観客を興奮させるジェットコースターのような設定で、おもしろいはおもしろいけれど、ちょっと疲れる。


さてゴッドファーザーはパート1の公開が1972年、パート2が1974年である。ヒットした映画の続編が制作されるのは今では当たり前となったが、私の記憶では、それをやり始めたのはゴッドファーザーが最初ではなかったかと思う。「パートいくつ」という英語の言い回しがあることも私はゴッドファーザーで知った気がする。

誰もが完結したと思っていたゴッドファーザーだったのに、パート3が1990年に公開される。もちろん観た。映画はあの懐かしいゴッドファーザー調をさらにディープにしたものだったが、私にはコッポラ(監督)の娘の大根役者ぶりが眼について楽しめなかった。私は別に映画に詳しくなく、どの監督の映画だからといって観ることはないが、それ以来コッポラは嫌いである。パート3をとっても期待していた分、娘だからといってあんな下手な女優を使ったことにムカついた。それまでの3作品を書いた脚本家がもう亡くなったのでパート4は撮られないとのことだが、コッポラには役者を入れ替えてパート3を撮り直して欲しい。


本当はゴッドファーザーをネタ振りに(この映画はマフィアのドン[マーロン・ブランド]の息子[アル・パチーノ]の物語)、昨日書いた純一郎君の引退話とコッポラのバカ娘も混ぜて、二世議員についてのブログにしようと思っていたはずが、映画の話で長くなったので、本日はこれにて終了。

wassho at 14:55│Comments(0) 映画、ドラマ、文学 

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