2009年01月29日
朝青龍と品格と神事
ガッツポーズをしたとか、それを注意するつもりだったのにモンゴルに帰国してしまったとか、横審や相撲協会は怒り心頭のようだ。
朝青龍がガッツポーズをした場面は見ていない。
ただし見なくたって、ごく自然な喜びの表現だということは想像がつく。
相撲というのは勝っても喜んではいけないらしい。
たぶん、負けて悔しがることも禁止なのだろう。
ガッツポーズは「品格がない」というのが彼らが怒っている理由だが、喜怒哀楽の感情を表さず、能面のような顔をして取り組みをすることが品格だとは私は思わない。ガッツポーズを禁止するなら、観客にも声援を送ることを禁止すればいい。
国家の品格とか派遣の品格とか、品格というのはちょっと流行りの言葉らしい。しかし、私がこの言葉を初めて耳にしたのは昔、横審で「小錦には品格がないから、もし強くても横綱にはしない」ともめた一件の時だから、相撲界はこの言葉の先駆者かも知れない。当時、ビートたけしが「タニマチに、たかってばかりいやがるくせに、相撲のどこが品格だい!」とインタビューで答えていたことをなぜか覚えている。いや、彼の言葉が本質を突いていると思ったからこそよく覚えているのだと思う。
私が朝青龍の肩を持つのは、たぶん、個性を押さえ込もうとする日本のイヤな面をこの件に感じ取るからだ。朝青龍はガキ大将が大人になったようなイメージがある。私は、それを好ましく思うが、横審とか相撲協会はもっと扱いやすい、お「上」にたてつかない従順な優等生が欲しいのだろう。
勝ったときに喜ぶのは、負けたものを傷つける、おとしめる行為だという意見がある。誰か忘れたけれど、そういうポリシーを持っている柔道の有名な選手がいたような気もする。私は賛成しない。喜んだ後で相手の健闘をたたえればいいだけのことである。もちろん本人がそういうポリシーを持つのは自由だとしても、もし他人に強制したら間違っている。
ところで
相撲界が品格を求める根拠が、相撲は格闘技ではなく神事であるというロジック。いっけん筋が通っているような錯覚に陥りそうだが、キリスト教でもイスラム教でも、教会主催のレスリング大会やテニス大会があって、勝者がガッツポーズをしたら、神罰が下るか? 神とガッツポーズは無関係である。神事という言葉は脳を思考停止に陥れる危険なトリックワード。
朝青龍はよく問題を起こす。彼にも非がないとはいわないけれど、どうもいつも封建チックなムードがプンプンで息が詰まる印象がある。お「上」にたてつかない従順な優等生ではまったくない私は、反逆者の味方である。ところで男子たるもの、力士のタニマチにでもなり、枡席に着物姿のクラブのママなど連れて出かけ、酒を飲みながら観戦するのが甲斐性である。なんたって「神事」ですから(^^ゞ
※タニマチ:スポンサー、パトロンのこと
※クラブのママ:いかにも、それらしき人がよくテレビに映っている
朝青龍がガッツポーズをした場面は見ていない。
ただし見なくたって、ごく自然な喜びの表現だということは想像がつく。
相撲というのは勝っても喜んではいけないらしい。
たぶん、負けて悔しがることも禁止なのだろう。
ガッツポーズは「品格がない」というのが彼らが怒っている理由だが、喜怒哀楽の感情を表さず、能面のような顔をして取り組みをすることが品格だとは私は思わない。ガッツポーズを禁止するなら、観客にも声援を送ることを禁止すればいい。
国家の品格とか派遣の品格とか、品格というのはちょっと流行りの言葉らしい。しかし、私がこの言葉を初めて耳にしたのは昔、横審で「小錦には品格がないから、もし強くても横綱にはしない」ともめた一件の時だから、相撲界はこの言葉の先駆者かも知れない。当時、ビートたけしが「タニマチに、たかってばかりいやがるくせに、相撲のどこが品格だい!」とインタビューで答えていたことをなぜか覚えている。いや、彼の言葉が本質を突いていると思ったからこそよく覚えているのだと思う。
私が朝青龍の肩を持つのは、たぶん、個性を押さえ込もうとする日本のイヤな面をこの件に感じ取るからだ。朝青龍はガキ大将が大人になったようなイメージがある。私は、それを好ましく思うが、横審とか相撲協会はもっと扱いやすい、お「上」にたてつかない従順な優等生が欲しいのだろう。
勝ったときに喜ぶのは、負けたものを傷つける、おとしめる行為だという意見がある。誰か忘れたけれど、そういうポリシーを持っている柔道の有名な選手がいたような気もする。私は賛成しない。喜んだ後で相手の健闘をたたえればいいだけのことである。もちろん本人がそういうポリシーを持つのは自由だとしても、もし他人に強制したら間違っている。
ところで
相撲界が品格を求める根拠が、相撲は格闘技ではなく神事であるというロジック。いっけん筋が通っているような錯覚に陥りそうだが、キリスト教でもイスラム教でも、教会主催のレスリング大会やテニス大会があって、勝者がガッツポーズをしたら、神罰が下るか? 神とガッツポーズは無関係である。神事という言葉は脳を思考停止に陥れる危険なトリックワード。
朝青龍はよく問題を起こす。彼にも非がないとはいわないけれど、どうもいつも封建チックなムードがプンプンで息が詰まる印象がある。お「上」にたてつかない従順な優等生ではまったくない私は、反逆者の味方である。ところで男子たるもの、力士のタニマチにでもなり、枡席に着物姿のクラブのママなど連れて出かけ、酒を飲みながら観戦するのが甲斐性である。なんたって「神事」ですから(^^ゞ
※タニマチ:スポンサー、パトロンのこと
※クラブのママ:いかにも、それらしき人がよくテレビに映っている
wassho at 19:44│Comments(0)│
│社会、政治、経済