2009年06月27日

さよならマイケル

6afff1d4.jpg10年は他の作品に強い影響を与える作品がある。よく引き合いに出されるのが映画「ブレードランナー」と、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロモーションビデオである。


SFの世界では、未来は常に完璧な未来社会だったのに、ブレードランナーはそれを退廃的に描いた。その後、退廃的な未来という設定の作品はたくさん出てきたものの、どこかブレードランナーの「パクリ」との印象がなかなか拭えなかった。スリラーのプロモーションビデオを見た後は、たくさんのダンサーが同時に踊る作品はみんなスリラーダンスに思えた。20年以上たった今だって、両腕を同時にあげればスリラーを連想する。ブレードランナーもスリラーも見た人に強烈な印象を与えた。見た人の中には、作品を作る側の人も含まれる。プロのほうが偉大な作品の呪縛から逃れるのに時間がかかるものだ。

※ブレードランナーは、それほどメジャーな作品じゃないが、機会があったらレンタルしてみてください。人生がちょっぴり変わります


マイケル・ジャクソンがソロとして初来日した時、幸運にも私は「生マイケル」を目撃した。当時の会社は青山にオフィスがあったが、近くのお店にショッピングに来たらしい。もっとも屈強なガードマンやその他の取り巻きがたくさんいて、マイケルを見たというより、マイケルもいる人の固まりをチラッと見た程度だった。


スリラー以前からプロモーションビデオはあったものの、音楽の付録ではなく、作品として鑑賞できるプロモーションビデオはあれが最初だったような気がする。たんなるカッコイイ映像の寄せ集めではなく、作品としてのストーリーがあった。だから背景映像にならず、見る人はイマジネーションをふくらませて画面を追う。後に私が、とある商品のプロモーションビデオをプロデュースした際に、制作陣に出した最初のリクエストが「ストーリーのある内容にする」だった。そのときは意識していなかったが、私も間接的にマイケル・ジャクソンの影響を受けていた気がする。


そしてスリラーが歴史に残る作品になったのは、もちろんマイケル・ジャクソンのダンスが超一流だったから。当時の一連の作品を通じて、ダンスがカッコイイものだと気付かせてくれらのも彼だ。振り付けではなく、本物のダンスで世界を釘付けにした。ヒップホップをはじめ、今は音楽とダンスが融合したものがたくさんあるけれど、いまだに彼のインパクトを超えられない。もちろんマイケル・ジャクソンがオチンチンを押さえてホォゥーと叫ばなかったら、サッカーのカズダンスもなかった。


90年代になるとマイケル・ジャクソンの低迷が始まる。それは自身と時代を共鳴させてエネルギーを得るポップミュージシャンにとっては避けられない宿命だろう。グループなら解散してソロになったり、違うグループになったりとリセットしやすいが、個人の場合そのハードルは高い。そして整形を繰り返して鼻を尖らせたり、薬で肌を白くしたりするようになる。そんなことをしなくても、スリラーの頃の彼は充分カッコよかったと思う。しかしそれにはアメリカに住む黒人にしかわからない想いがあるのだろう。やがて子供への性的虐待とか破産しかかっているとか、彼の話題を耳にするときはゴシップであり、その存在はどちらかというと嘲笑の対象になってしまう。


死因はまだよくわかっていない。でも、あまりまともでない生活だったのが遠因だろうことは想像できる。一時は毎年200億円ほど収入があったとされる。それだけ稼げば誰だって人生が狂うのかもしれない。できたら私も狂ってみたい(^^ゞ それはさておき、昨日は死亡を知らせるニュースとともに彼の映像をたくさん見た。改めて類い希な才能を感じざるを得なかった。できたら昔の彼とは違う、もっと大人のマイケル・ジャクソンの新しい世界で、もうひと花咲かせて欲しかったと思う。これがエンディングじゃ哀れだとの気持ちになるのは、同い年生まれのシンパシーかもしれない。


さよならマイケル。
そのうちムーンウォーク練習するよ。

wassho at 14:53│Comments(0) 社会、政治、経済 

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