2010年01月11日
黒船来航の謎(2)

いろいろ想像してみる。
1)
とにかく黒船にビビッた。
日本の船と較べてはるかに巨大で、帆もなく動くなんて、この世のものとは思えなかった。今なら横須賀上空に巨大な宇宙船が浮かんでいるようなものか。どんなすごい兵器を持っているのか想像するのすら怖かった。
2)
実はペリーが来るのも黒船のことも、鎖国の例外として国交のあったオランダを通じて事前に知らされていたのである。しかしその情報に接していたのはごく一部の幕府上層部だけ。上層部は冷静でも、現場が大騒ぎとなり収拾がつかなくなった。
3)
オランダと国交はあったが、オランダ人が出入りしていたのは長崎の出島。しかも市民の目に触れないように隔離されたような区画のみ。江戸にも使節くらいは来ていたかもしれないが、日本人が何百人単位の「外人(西洋人)」を見たのは、これが初めてだったかもしれない。それで、その体格や顔つきにビビッた。日本人の西洋コンプレックスはここから始まっていたりして。
4)
黒船来航の200年ほど前に起きた島原の乱以降、日本では戦争、戦闘らしきものは起こっていない。つまり今日以上の超平和国家。幕府とは武士が支配した政治体制でも、その頃の武士は刀を差していても単なる役人・文民に過ぎなかった。だからたとえ一発でも大砲を撃ち込まれるなんてチョー怖かった。
5)
黒船にビビりはしたが、冷静に考えて追っ払えることはわかっていた。しかしアメリカを怒らせると、次に100隻、200隻の大艦隊で攻め込まれるかもしれないと不安になった。
6)
幕府は別に弱腰ではなく、妥当な政治判断をしただけだった。しかし歴史は勝者が書く。幕府を倒した明治政府が幕府が無能だったことをことさら強調した。その明治政府の史観が現在まで影響している。
7)
幕府は弱腰外交を演じ、薩長などの反幕府勢力を勢いづかせる戦略を持っていた。ある程度跳ね上がらせておいたところで、アメリカと組んで、それらの諸藩を制圧するつもりだった。
モーソーしだすとキリがない。
まあ、楽しみは老後に取っておこう。
とにかく旗本十万騎といわれた江戸幕府は
9隻2000名のペリー艦隊に屈服したのである。
(続く)
wassho at 23:50│Comments(0)│
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