2010年04月29日
赤ちゃんの頃の話
私は農家の納屋で生まれた。
何となく聖人生誕の伝記みたいで、このエピソードは気に入っている。
なぜ納屋で生まれたかというと、当時の結婚まもない若き私の両親が農家の納屋を借りて、そこで暮らしていたから。もっとも納屋といっても「イナバの物置」のような納屋ではなく、改造すれば住居になるくらいの広さはあった。
ちなみに当時は8割程度が自宅出産だったらしい。私が生まれて数年してから病院出産が普及し始め、現在自宅出産の割合は0.2%程度。ほとんどないといってもいい数字であるが、10年前と較べると0.1%から0.2%へと倍増している。自然志向なのか不景気の影響なのか、はたまた時々ニュースになる産院施設の不足が原因なのか、そこまでは知らない。
3歳の時には、今の実家がある場所へ引っ越したから、その納屋に住んでいた頃の記憶はほとんどない。自分自身への防備録として書いておくと
(1)
床にお座りしてクルマのおもちゃか積み木で遊んでいた。
でもこれは正確な記憶じゃないかもしれない。なぜなら、その納屋のことを思い浮かべると真っ先にこの光景が思い浮かぶのだけれど、なぜかその光景にはおもちゃで遊んでいる私自身が映っているから(^^ゞ
(2)
何かをひっくり返して、それが原因で母親が怪我をして、それがとても怖くて、また大変悪いことをしたという気持ちになったこと。人生最初の反省かな。その気持ちはよく覚えているのに、それがどんな出来事だったかは記憶にない。少し前に母親にそのことを尋ねたはずだが、また忘れてしまった。反省が足りなかったのかも(^^ゞ
(3)
その農家は、いわゆる旧家のお屋敷である。敷地も広く大きな門があった。話は変わるが、その家が金持ちがどうかは門を見ればわかる。門に屋根がついていたら金持ちというのが私の持論。
その屋根付きの大きな門を、よちよち歩きの私が渡ったときのこと。大きな門だかから敷居もまたデカイ。その敷居をヨッコラショとまたいで足が着地したところに大きな蛇が!
私の記憶では胴回り50センチくらいの大蛇! まあちょっと大きめの青大将だったらしいが。私に踏みつけられて驚いた蛇は逃げていき、その時の靴の下を蛇が滑っていく感覚は今でも覚えている。
(4)
その家で飼っていた犬か野良犬(今は見ないが私が子供の頃には一杯いた)だったか、とにかく犬に追いかけられて、逃げたけれど転んで、先ほどの門から少し離れた場所でお尻を噛まれた。私のお尻を食いちぎらんばかりの勢いで、お尻を噛んだ犬の頭が左右に振れたことを背中で感じた。
噛まれた傷跡は小学生の終わりくらいまでお尻に残っていた。それがトラウマとなって、実は今でも犬が怖い。犬を飼っている知り合いも多いが「噛まないか?噛まないか?」と何度も私が尋ねるので笑われる。犬もご主人様の知り合いとわかると抱きついてきたりするのだが、その時私の口の中はカラカラである(^^ゞ
あれっ、たった4つしかない。
そのお宅はまだあるから、そこへ行けば思い出すかなあ?もっとも建て替えられているし、納屋はないだろうが。
正確に言えば赤ちゃんの頃ではないが、人生最初の記憶。昭和のまん中頃の話。そして時代はいっぱい流れて、昨日は私の誕生日。Happy Birthday to Me。
ところで二十歳を超えたら誕生日というのは祝ってもらう日ではなく、親に感謝する日だという説がある。そりゃそうかもしれない。しかし感謝=親孝行につながらねばならない。世の中に「私は親孝行をとってもしている」と胸を張って自慢できる人はおそらく少数派だ。私はもちろん心苦しい多数派の一人。
話は少しそれるが、先日赤ちゃんの話を書いた。赤ちゃんが笑うと、そりゃ可愛い。赤ちゃんを取り囲んでいる数名のスタッフも全員笑顔になるくらいの笑顔力がある。子供店長もAKB48も可愛いけれど、赤ちゃんの笑顔にはかなわない。
さて親は大変な思いをして子供を産み、苦労して育てる。だからその恩返しに親孝行しなければならないーーーと世間では思われている。しかし誰が言ったか知らないけど、次のような言葉もある。
「赤ちゃん、そして幼い子供の笑顔ほど素晴らしいものはない。
子供が3歳までにその笑顔で親に与える幸せは、出産や子育ての
苦労を上回るだけの価値がある」
つまり子供が3歳以上生きれば、親はもう元を取ったという話。ずいぶん強引な理屈のような気もするが、赤ちゃんや子供の笑顔がそれだけ素晴らしいという点においては説得力がある。
私は3歳以上長生きした。
覚えていないけれど、たぶんいっぱい笑ったはずだ。
もっとも母親がこの説に賛同するとは思えないが。
何となく聖人生誕の伝記みたいで、このエピソードは気に入っている。
なぜ納屋で生まれたかというと、当時の結婚まもない若き私の両親が農家の納屋を借りて、そこで暮らしていたから。もっとも納屋といっても「イナバの物置」のような納屋ではなく、改造すれば住居になるくらいの広さはあった。
ちなみに当時は8割程度が自宅出産だったらしい。私が生まれて数年してから病院出産が普及し始め、現在自宅出産の割合は0.2%程度。ほとんどないといってもいい数字であるが、10年前と較べると0.1%から0.2%へと倍増している。自然志向なのか不景気の影響なのか、はたまた時々ニュースになる産院施設の不足が原因なのか、そこまでは知らない。
3歳の時には、今の実家がある場所へ引っ越したから、その納屋に住んでいた頃の記憶はほとんどない。自分自身への防備録として書いておくと
(1)
床にお座りしてクルマのおもちゃか積み木で遊んでいた。
でもこれは正確な記憶じゃないかもしれない。なぜなら、その納屋のことを思い浮かべると真っ先にこの光景が思い浮かぶのだけれど、なぜかその光景にはおもちゃで遊んでいる私自身が映っているから(^^ゞ
(2)
何かをひっくり返して、それが原因で母親が怪我をして、それがとても怖くて、また大変悪いことをしたという気持ちになったこと。人生最初の反省かな。その気持ちはよく覚えているのに、それがどんな出来事だったかは記憶にない。少し前に母親にそのことを尋ねたはずだが、また忘れてしまった。反省が足りなかったのかも(^^ゞ
(3)
その農家は、いわゆる旧家のお屋敷である。敷地も広く大きな門があった。話は変わるが、その家が金持ちがどうかは門を見ればわかる。門に屋根がついていたら金持ちというのが私の持論。
その屋根付きの大きな門を、よちよち歩きの私が渡ったときのこと。大きな門だかから敷居もまたデカイ。その敷居をヨッコラショとまたいで足が着地したところに大きな蛇が!
私の記憶では胴回り50センチくらいの大蛇! まあちょっと大きめの青大将だったらしいが。私に踏みつけられて驚いた蛇は逃げていき、その時の靴の下を蛇が滑っていく感覚は今でも覚えている。
(4)
その家で飼っていた犬か野良犬(今は見ないが私が子供の頃には一杯いた)だったか、とにかく犬に追いかけられて、逃げたけれど転んで、先ほどの門から少し離れた場所でお尻を噛まれた。私のお尻を食いちぎらんばかりの勢いで、お尻を噛んだ犬の頭が左右に振れたことを背中で感じた。
噛まれた傷跡は小学生の終わりくらいまでお尻に残っていた。それがトラウマとなって、実は今でも犬が怖い。犬を飼っている知り合いも多いが「噛まないか?噛まないか?」と何度も私が尋ねるので笑われる。犬もご主人様の知り合いとわかると抱きついてきたりするのだが、その時私の口の中はカラカラである(^^ゞ
あれっ、たった4つしかない。
そのお宅はまだあるから、そこへ行けば思い出すかなあ?もっとも建て替えられているし、納屋はないだろうが。
正確に言えば赤ちゃんの頃ではないが、人生最初の記憶。昭和のまん中頃の話。そして時代はいっぱい流れて、昨日は私の誕生日。Happy Birthday to Me。
ところで二十歳を超えたら誕生日というのは祝ってもらう日ではなく、親に感謝する日だという説がある。そりゃそうかもしれない。しかし感謝=親孝行につながらねばならない。世の中に「私は親孝行をとってもしている」と胸を張って自慢できる人はおそらく少数派だ。私はもちろん心苦しい多数派の一人。
話は少しそれるが、先日赤ちゃんの話を書いた。赤ちゃんが笑うと、そりゃ可愛い。赤ちゃんを取り囲んでいる数名のスタッフも全員笑顔になるくらいの笑顔力がある。子供店長もAKB48も可愛いけれど、赤ちゃんの笑顔にはかなわない。
さて親は大変な思いをして子供を産み、苦労して育てる。だからその恩返しに親孝行しなければならないーーーと世間では思われている。しかし誰が言ったか知らないけど、次のような言葉もある。
「赤ちゃん、そして幼い子供の笑顔ほど素晴らしいものはない。
子供が3歳までにその笑顔で親に与える幸せは、出産や子育ての
苦労を上回るだけの価値がある」
つまり子供が3歳以上生きれば、親はもう元を取ったという話。ずいぶん強引な理屈のような気もするが、赤ちゃんや子供の笑顔がそれだけ素晴らしいという点においては説得力がある。
私は3歳以上長生きした。
覚えていないけれど、たぶんいっぱい笑ったはずだ。
もっとも母親がこの説に賛同するとは思えないが。
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