2010年08月04日

ガラパゴスな理由

日本製品で世界の標準から外れて、なんかヘンな方向に行っちゃったものをガラパゴス化したなどと言う。割と新しい言葉のようにも思えるが、2008年にそのことをこのブログにも書いていた。


最近は「ガラケー」という言葉もある。iPhoneのようなパソコンに近い機能を持った携帯のことをスマートフォンと呼んで、そうではない普通のケイタイがガラケーである。日本独自の機能やサービスはてんこ盛りでも、世界的に流行しているネットやパソコンと連動するスマートフォンの機能はない、つまり世界に通用しないガラパゴスなケイタイだがらガラケーである。


以前に書いたときにはガラパゴスになる理由として

  日本のユーザーの要求が特殊すぎる
  内向きな視点で世界を見ていない


というようなことを書いた。世間一般的には日本のユーザーの要求に合わせている内に、世界標準的なニーズとずれてしまったという論調が多い。それは間違っていないけれど「イノベーションができなくて、改善ばっかりやっているからオタクになりガラパゴスになる」というおもしろい記事を見つけた。まあ強引に要約すれば「アホやからガラパゴスになりドツボにはまる」というロジック。もっとも筆者はオタクやガラパゴスという言葉は使っていなかったが。


詳しくは、こちらで読んでくださいーーーと手を抜く(^^ゞ
(途中にあるグラフでの解説はちょっとレベルが低いので、意味がわからなくても心配することはない、文章だけを追った方が理解しやすい)



この記事を読んでのもう一つの感想は、何となく人生にも当てはまる気がするということ。もうすぐ夏休みだから、ゆっくり反省しようっと(^^ゞ

<記事が消えたときのために引用しておく>


http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1008/02/news009.htmlより引用

===================
海外に住んだことがある日本人の多くが感じる疑問、それは「日本ではすべてがオーバースペックなのでは?」ということです。この背景には国民性を含め、さまざまな要因があるのでしょうが、一番大きな理由は「イノベーションが起こせないから、オーバースペックに陥っている」ということでしょう。

 クレイトン・クリステンセン教授が名著『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』で指摘した事態が国全体で起こっている。日本はそんな状態に見えます。

 次の図をご覧ください(注:下記以降の説明は、クリステンセン氏の本の内容の紹介・説明ではなく、ちきりんの考えを独自に図解、説明したものです)。

 商品Aが発売された最初の時点(左下の起点)では、技術は未熟で不良品も多く、故障率も高い不安定な商品です。しかし、何年も作り続けているうちにどんどん改善され、最終的にはほとんど壊れない商品になります。例えば、テレビは今やほとんど故障しませんよね。技術的に安定し、かつ消費者が求める機能は全部装備されています。この改善が赤の実線です。

 でも、その後もこの企業が商品Aしか持っていないと、クリーム色の“オーバースペックゾーン”に入り込んでしまいます。求められている以上に品質を向上したり(=その商品を50年使う人はほとんどいないのに、50年壊れない部品を使うなど)、おせっかいな機能を装備したり、といった具合です。これが赤の点線部分です。

 しかし、もしこの企業が“イノベーション”を起こして、商品Bの開発に成功すれば、企業はよりもうかる新商品Bに事業をシフトしていきます。これが緑の曲線部分で、イノベーションによるジャンプです。

 その後、商品Bもまた“十分なスペック”に到達するまで改善が進み(=青の実線)、それが一定のレベルに達したころには、またイノベーションにより次の商品に移る。このようにイノベーションが一定期間ごとに起これば、その企業や産業の商品はオーバースペックにはなりません。

 一方、イノベーションが起こせない企業は、いつまでも既存商品や既存技術にしがみつくことになります。毎年毎年、細かい改善がなされ、でも消費者はそんな細かい改善に価値を見いださないので対価を払いたがらず、結果として価格競争に陥ってしまう。

オーバースペックゾーンでの戦い

 具体的には携帯電話のカメラが500万画素から700万画素になるとか、本体の光沢が今までになかったレベルだかといった話です。まさにオーバースペックゾーンでの戦いですよね。もし途中でiPhoneが開発できればドンとそっちに飛べるのに、そういう商品が出せないので延々と細かい改善を続けることになるのです。

 自動車なら、プリウスを開発すると商品Aから商品Bにジャンプできるものの、そうでないと、ガラスが紫外線をカットするタイプになって日焼けしないとか、シートが抗菌仕様などといったレベルでの勝負に入ってしまいます。

 工業商品だけではありません。批判されることの多い道路公団や国土交通省の人も、ほかに意義ある仕事があればそちらを優先するでしょう。しかしそういった“高い価値のある仕事”は高度成長期に比べて激減しています。だからといって公務員はクビにならないので、仕事がなくても何かしなくてはいけない。そこで「日本全国の道を順番に掘り返して、舗装でもやり直そう」みたいな話になってしまうのです。

 農産物でも果物や野菜の“形や大きさを揃える”というレベルで差別化しようという話になるのは、画期的に商品価値をあげる方法を思いつかないからですよね。

 このように、「イノベーションが起こせないから、旧態依然とした既存の仕事を延々細々と改善し続ける」という事態は、商品開発だけでなく日本のあらゆる組織、場面で行われています。

“改善”に逃げる日本企業

 一方、株主の利益要求圧力が高い米国では、オーバースペックゾーンでの競争を延々と続けることは不可能です。そんなことをしていては十分な利益が得られないので、経営者はすえ変えられ、余分な技術者はリストラされてしまいます。挙げ句の果ては企業自体が身売りされたり、消滅させられます。

 ところが日本企業は解雇がしにくいし、赤字になっても経営者は厳しく責任を問われません。自社を身売りするという決断をする経営者もほとんどいません。だから延々とオーバースペックゾーンでの競争を続けるのです。「ネギが縦に入るから長持ちする」とアピールする冷蔵庫のCMを見た時は、さすがに唖然とさせられました。

 というわけで、日本の商品がやたらとオーバースペックである理由として、細かいもの好き、高機能好きの国民性もないとは言いませんが、やはりそれだけではないでしょう。

 高度成長時代にはテレビや冷蔵庫、掃除機、炊飯器、電子レンジ……と、次々に新しい商品が開発され、そのころは日本の商品も“オーバースペック”に走ってはいません。むしろ人手は足りない時代ですから、メーカーの開発現場でも「よし、炊飯器の改善はもういいから、次は炊飯ジャーにかかれ!」とか、「テレビはもういいから、次はビデオだ!」という感じだったでしょう。

 今、日本の供給者の多くは、既存商品の改善以外に何の付加価値も創造できていない状態、つまり定期的なイノベーションが引き起こせない状態に陥っています。そして、それこそがオーバースペックな商品を街にあふれさせている原因だと思います。

 “革新”“創造”ができないから、“改善”に逃げる日本企業。“改善”は決して日本のお家芸、競争力の源泉などではないのです。

 そんじゃーね。

wassho at 13:41│Comments(0) マーケティング、ビジネス 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔