2010年11月19日
はやぶさ・イトカワ雑感

7年間、宇宙を旅して戻ってきたのだから、しかも直径300メートルほどの小さな小さな惑星に着陸してまた戻ってきたのだから、技術的に高度なミッションだったのは疑っていない。でもやはり子供の頃に見たアポロ11号の月着陸が基準になっているからだろうか、まったくワクワクしないし、感激もないし、よかったネの気持ちすらも起こらないのだ。
何が違うのか考えてみた。
1)
主役が人間じゃない。
たぶんコレが一番大きい。人間が地面に足をついて着陸したのと、探査機が行って帰ってきたのでは感じ取れるリアリティに雲泥の差がある。逆に、今や年中行事でも、日本人宇宙飛行士がスペースシャトルに乗って宇宙に行ったと聞くと、いまだに何となく嬉しい。
2)
現地の映像がない。
科学者的には知らないが、一般人にとって探査のハイライトは未知なる天体への着陸である。アポロの時は船外カメラが宇宙飛行士が月に降り立つ様子を克明に捉えて生中継した。人は乗っていなくても火星に着陸したバイキング1号が送ってきた映像には圧倒的な迫力があった。
※ブログに貼り付けてあるのはバイキング1号が取った火星の写真。こんな光景は地球の砂漠にでもあるのに、これが火星の地面なんだと思うと見入ってしまう。
3)
小惑星「イトカワ」がピンと来ない。
どこにあるのか知らないし、なぜイトカワだったのかもわからない。科学的な根拠はともかく、月や火星と較べて目的地としての知名度と「ありがたみ」は圧倒的に欠ける。
4)
微粒子じゃなあ〜。
持ち帰ったのは、石ころでも破片でもなく砂粒でさえなくて微粒子。しかも0.01ミリ以下。電子顕微鏡で見て初めて確認できるサイズ。それを見せられて(目では見えないが)すごいといわれてもーーー。
それにニュースによると、その微粒子は地球に落下している隕石と成分が同じだったから、イトカワのものと断定されたという。だったら研究するのは隕石でエエヤロと思うのは科学的教養がないからかな。
さらに科学的教養がないのを承知で言えば、持ち帰った1500個の微粒子は、世界中の科学者に配って、これからいろいろ分析するらしい。しかし0.01ミリの微粒子を分析して世紀の大発見が起きる予感はあまりしない。私が生きているうちに、その研究をベースにした技術の恩恵を受けることもまずないだろう。
もちろん
技術の成果や携わった人たちの苦労にケチをつけるつもりは全くない。このプロジェクトは純科学的な目的であって、その成果の産業への利用は2の次ぎ3の次であるとも理解している。費用がいくらかかったのか知らないし、仮に税金の使い道を節約するにしても、先に節約すべき対象が山ほどあるとも思っている。
それでも、やっぱり何か反面教師のような気がしてくる。
はやぶさがイトカワまで行って戻って来るのに7年、いろいろ準備期間を含めると全部で15年だそうである。それだけの年月と苦労と費用を掛けて、頭では高度な技術だと理解できても、心であんまり感動できないんじゃもったいない。それに今回、途中でいろいろトラブルがあって奇跡の生還と注目を浴びた。逆に考えれば生還できなかった可能性も高かったわけで、そうであったなら事業仕分けで廃止の判定を受けていたかもしれない。
純粋に科学的な目的なら感動がなくてもよいとは思わない。人間は感動するから進化するし、感動するならカネを払う生き物である。また感動した子供が次の世代を担う。逆に言えば科学であれビジネスであれ、大きな事を成し遂げたかったら、世間を感動させなければならない。
現場の科学者・技術者にそんなことを求めはしないけれど、プロデューサーである立場の人間には科学だけではなくそういう才能も必要である。冷戦下でケネディ大統領は「ソ連を出し抜くぞ!」と国民を鼓舞して、月面着陸のアポロ計画の予算をひねり出したのだから。
wassho at 15:47│Comments(0)│
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