2010年12月28日

押してもダメよ

今朝、マンションを出ると少し向こうの方から「セーノ!」と威勢のいいかけ声。バッテリーが上がったらしきクルマを数人で押しがけしていた。押しているのは近くの住宅建設現場のアンちゃんたち。クルマはヴィッツのように思えた。建設現場の向かいの家のクルマかな?


結果を見届けていないが、たぶんエンジンはかからなかっただろう。今はほとんどのクルマが押しがけできないようになっている。ちなみに「押しがけ」とは、クルマやバイクはエンジンが回って、それがギヤやシャフトを通じタイヤを回して走っているが、エンジンがかからない時に、逆の順番で車を押してタイヤを回すことによってエンジンを回して、エンジンをかけようとすること。


押しがけできない理由はーーーーマニュアルではなくオートマなら押しがけ程度のスピードではエンジンは「かかる」ほどには回らないし(CVTの場合は構造をよく知らない)、キャブレターではなくインジェクション方式なら、エンジンを回してピストンが下がってもガソリンを吸い込まないし、点火系統も今は発電した電気を直接プラグに送っていないしーーーー説明すれば長くなるし、やさしく説明するほど知識もないので省略。


考えてみれば(考えてみなくてもそうだけれど)、身の回りにあるのもはどんどん高度なテクノロジーに置き換わっている。このブログを書いている・読んでいるパソコンやインターネットの仕組みも、ぼんやりとあらすじのような理屈を知っているだけである。昔テレビが普及しだした頃、テレビの中にはコビトが住んでいて、それがブラウン管の向こう側で演技しているという冗談があったらしいが、今やそんな冗談をいう暇もなく、次々と登場するテクノロジーをひたすら受け入れ消費するだけである。気がつけばシャツだって発熱している。


テクノロジーによって便利になったし、びっくりするようなことが簡単にできる。いまや徳川家康もうらやむような暮らしである。「テクノロジーによって失われたものもある」ーーーなんてジジ臭いことを私はいわない。得たもののほうがはるかに多くて帳尻はプラスだし、それにテクノロジーによって失われたものがあるとすれば、それはその程度の価値しかなかったのだと思っている。


とはいえ、何となく昔っぽい風習の匂いも感じられる正月ももちろん嫌いじゃない。まったく古式ゆかしい過ごし方はしないとしても「あけましておめでとうございます」と口にしながらお辞儀をするだけで、多少は日本人としてのDNAが刺激される。 ♪も~いくつ寝るとお正月。そろそろ年末年始の準備をしなければと焦っています。

wassho at 19:07│Comments(0) 生活、日常 

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