2011年03月13日

東日本大震災:東京レポートその1

「報道によれば午後2時46分」

あっ?地震かなと思う。ごく小さな揺れ。東京じゃ、この程度の地震は地震のうちに入らない。平静そのもの。しかし揺れているか揺れていないのかわからないようなその小さな揺れは、いつもよりずいぶん長く続いた。たぶん20秒くらいか。「まだおさまらないのか」と心の中でブツブツ言っていたような気がする。もういくら何でも終わるだろうと思った頃、ガタガタッと強く揺れた。おそらく震度3レベル。

この程度も東京じゃたまにある。オフィスの壁際にあるキャビネットや書架の上には、使わなくなったパソコンとか、何が入っているのかよくわからない箱とか、いろんなものが置いてある。落ちてきたら危ないので、揺れの強いときは落ちてこないか注意して見たり、念のため軽く手で押さえたりする。

そのために席から立ち上がって押さえようとしたとき、揺れがさらに強くなった。震度4レベルと思う。恐怖心はなかったけれど、ヤバッ!という気持ちになる。震度4(←自分で勝手に決めている値であるが)は今までに経験したことがない。

阪神大震災とかその他大きな地震のニュースでは「突然、大きな縦揺れがきた」というインタビューをよく聞く。だから大地震ならいきなり縦揺れで始まるという先入観が何となくある。この時点では、それは先入観ではなく、そう信じたい、小さく長く揺れて始まったんだからこれ以上大きな地震になるはずがないという、祈るような気持ちに変わる。

しかし揺れはどんどんと強くなりキャビネットは大きく揺れ出し、上に置いてあるものもいくつか下に落ち、振り返るとパソコンも机から落ちそうな位置までずれていたので、それを元に戻して瞬時にまたキャビネットを押さえ、そしてひょっとして天井が落ちてこないか目をこらし。まさかこのままーーーという恐怖心と、まだ震度5のはず、ビルが倒壊するほどの揺れじゃないという冷静な気持ちが同時に存在する不思議な気持ちであった。

一番強い揺れがどれくらい続いたのかは、よく覚えていない。
30秒前後というのが現在の認識。


揺れがおさまりホッとする。私が押さえていたキャビネットの隣のキャビネットに入っていた書類はほとんど外に飛び出した。けれども家具が倒れることもなく、私もスタッフにもケガもなかった。

一気に緊張が解ける。「非常事態につき、オフィス内禁煙を一時解除!」と宣言して一服する(^^ゞ ヤレヤレ後片付けに手間がかかるなあと思っていたときに、スタッフが「太平洋岸全域で大地震とネットに出ています!」という。「いままでにそんな地震は聞いたことがないよ。地震じゃなくて核攻撃でも受けたのかな?」と冗談もでる。 ※実際は太平洋全域に津波警報の勘違い。




「記憶によれば午後3時15分頃」

チョロチョロ余震もあってビビリはしたけれど、とりあえず後片付けをしたり、下のフロアのオフィスを点検したりする。作業をしながら情報を聞くためにradikoでAM放送を聞く。書き忘れていたが、電気も水道もネットも異常なし。


その時、強い余震が来る。
こんどはいきなり縦揺れで始まった。先ほどの本震は震度5強と既に発表されていた。今回は震度5をちょっと切ったあたりの強さに感じた。しかし縦揺れ=大地震の先入観があるので怖かった。またまたキャビネットを押さえながら「この揺れがおさまったら、こんどは外に避難するぞ」と叫ぶ。今から考えれば私が一番ビビッていた(^^ゞ

ビルから出てみると、多くの人がいた。ビルのすぐそばにいると、窓ガラスが割れて落ちてきたら危ないので、道路の反対側に渡る。多少歩き回って見た限り、被害のある建物は見あたらないし火災も発生していない。後片付けをしているときお台場で火災発生とラジオで言っていたが、とりあえず銀座は無事のようである。

人が大勢いると何となく安心する。たまに見かける近所のどこかのビルにお勤めの、私が勝手に「銀座の押切もえ」と呼んでいる美人のおネエちゃんも発見(^^ゞ 街路樹や信号機とかが時々揺れるので余震が続いていることがわかる。しかし、やはり地面にいたほうが揺れは感じない。

ただし外にいると情報が入らない。携帯でネットやワンセグも見られるけれどバッテリーが消耗するのでやめた。何かあったときに携帯が使えないと困る。電池で聴けるラジオは必需品だと実感する。さて、外へ避難はしたものの、いつまで避難していればいいのかわからない。結局やや日が傾いて寒くなってきたので、特に根拠もなく避難命令を自主解除し?1時間ほどでオフィスに戻った。




「その後」

とりあえずオフィスに戻り、後片付けの続きをしたり、ついでにキャビネットの整理をしたりして、なんやかんやで2時間ほどかかる。オフィスの壁は一部に亀裂が入り、壁の塗料が割れて落ちている。表面だけ割れたのか内部まで亀裂が入っているのかは不明。トータルの被害は、棚から落ちて割れたガラスコップひとつと、壁から落ちて針が外れて使えなくなった壁時計がひとつ。恐怖の割には被害は軽微。協議の結果、地震保険の適用申請は出さないことに決まった(^^ゞ



電気やネットのライフラインは正常。鉄道がすべてストップしたことは想定もしていたし、ネットやradikoで確認できた。地震がなくても本日は仕事が溜まっていて、タクシーで帰宅になる予定だった。別に明日帰ってもいいやと、開き直って仕事を再開する。余震は断続的に続いたものの、電気はついていて部屋は暖かいし、縦揺れの時の恐怖もすっかり忘れて、もう全く普段通り。


radikoでAM放送はずっと流していた。7時過ぎ頃から帰宅難民の話が多くなる。レポーターが各地に出て、クルマが超混雑しているとか、歩いて帰る人が一杯いるとか報告している。歩いている人にインタビューしたり、メールで番組に投稿しているのか、歩いて帰る人から「とても疲れてきた」とか「寒くてたまらない」とか「途中のコンビニで食べ物が売り切れている」とかの報告が次々と寄せられる。

何となく違和感を覚えた。数時間前に同じ地震を体験した同士なのに、こっちはもうかえってくつろいで、ゆったりと珈琲を飲んだりクッキーを食べながら仕事をしているのに、放送だけを聞いていると東京がとても悲惨な状態になっているように聞こえてくる。やっぱり悲惨な話のほうが人々の関心を引くから、マスコミはそういう話を多く取り上げる。そういえば阪神大震災の時、テレビをつけたら高速道路が倒壊していたり、駅が崩れ落ちていたりの映像ばかりで、私はてっきり関西が全滅したと思ったのを思い出した。

海外のクライアントや提携先からもメールや電話が入り出す。距離が離れれば離れるほど、ニュースはよりいっそう凝縮して伝えられるから、ほとんど日本沈没のように伝えられているようだった。「全然、大丈夫。東京は問題ない」「電車以外はすべて平常」といってもなかなか信じてもらえない。 


東京に限っていえば揺れは大きかったものの、特別に大きな被害は出ていないようだったから、早々と終日運休を決めたJRをのぞけば、電車は深夜には動き出すと予想していた。高速道路が閉鎖されて道路は混雑しているようだが、午前2時か3時になればタクシーも捕まるはず。

しかしスタッフの1人が午後8時頃どうしても家に帰りたいと言い出した。その時点で電車は動いていない。放送によればタクシーもまだ絶望的。仕方がないので地図を持たせ、なぜかオフィスにあった使い捨てカイロを渡し、ついでにお菓子も与えて、まるで出征兵士を見送るように全員で無事を祈った(^^ゞ





「電車復旧〜帰宅」

午後10時頃から徐々に地下鉄や私鉄が運行を開始したとのニュースが伝わってきた。最初に復旧したのはたぶん銀座線だったと思う。ただししばらくして、復旧した銀座線に人が殺到したのでまた運休になったというニュースが。深夜零時頃には多くの路線が復旧し、また終電に関係なく朝まで運行を続けるということもわかってきた。私も電車で帰れそうである。ただその時点ではおそらく通勤ラッシュなみに混雑しているだろうし、まだ仕事も片付いていなかったので午前3時頃まで仕事を続けた。

運休しているJRでないと帰れないスタッフがいたので、彼と一緒にJRの始発時刻まで付き合うことにし、午前5時まで近くのバーで過ごした。いろいろ怖かったけれど、無事だったことに感謝して乾杯。ちなみにそのスタッフは中国人留学生のアルバイト。生まれ育ったのは地震のない地方らしく、その時点でまだ興奮さめやらぬ感じだった。


地下鉄に乗る。駅はそんなに混雑していなかった。電車が来るまで30分くらい待った。電車に乗ると会社で用意している防災グッズだろうか、ヘルメットを持っている人もチラホラみかけた。備えあれば憂いなしである。こんどこそ防災グッズセットを買おう!

駅で長く待ったので地下鉄が地上に出たとき夜は明けていた。無事帰宅しているという気持ちもあって、明るい街並みを見て幸せな気分になる。


しかしソロソロ次の心配が。
自宅で家具が倒れていたりしたらどうしよう。
バイクがひっくり返っていないかも心配。


私鉄に乗り換え最寄り駅に着く。
まずは商店街を抜けていく。どこか地震の被害のようなところがないか観察しながら歩く。まったくない。それどころか所々にある自転車とかスクーターとかもひっくり返らずきちんと停められている。もっとも地震が発生したのは前日の午後だから、停め直したのかもしれない。

しかし、しばらく歩いているうちに、このあたりは銀座と較べてあまり揺れなかったのかもしれないと思うようになった。たとえば台風があった後、後片付けが済んだとしても、どこか荒れたところが街並みに残っている。そんな形跡がまったくない。道路から見える家々の庭をのぞいても全く普通。


そうこうしているうちに自宅に到着。
リビングには大きな棚がある。あれがもし倒れていたら。まっすぐ倒れてくれればいいんだけれど、何かのはずみで回転しながら斜めに倒れたら。左に倒れたらパソコンの置いてあるデスクを直撃する。パソコンが壊れても困るが、さらにデスク天板はガラス製である(>_<)

祈るような気持ちでドアを開ける。
玄関異常なし。靴べらが転がっているだけ。
勇気を出してリビングのドアを開ける。
棚はーーー倒れていなかった。

棚に置いてある軽いものはすべて床に落ちていたが、その他は大丈夫。部屋全体を見ても、ほとんど異常はない。積み上げてあるCDも、そのまま積み上げられたまま。机の端っこに置きっぱなしだったコーヒーカップも同じ位置にあった。ベランダのチューリップも無事。やっぱり、このエリアはあまり揺れなかったのに違いない。

ちなみにオフィスで私が押さえていたキャビネットは2つ並んでいるのだが、地震の後は2つの隙間が5センチくらい空いてしまった。中に書類などが一杯詰まっているのでとても重い。中身を全部出さなければ動かせないものが、銀座では5センチ動くほど揺れたのである。


とりあえず一安心。
これならバイクもおそらく無事だろう。
ということで安心して爆睡する。


ーーーー続く。

wassho at 01:36│Comments(0) 社会、政治、経済 

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