2011年03月14日
東日本大震災:東京レポートその2
前回の続き。
「地震1日後の土曜日」
ゆっくり寝て午後2時頃に起きた。
寝ている間にも余震は頻繁にあったはずだが、あまり気にならなかった。
実は、この土日にもやらなければいけない仕事が溜まっている。
地震のせいでスタートが遅れたのは痛い。
でもまあ自然には勝てないと諦めるしかない。
朝に戻ってきて、そのまま寝たので部屋は散らかったまま。もう一度被害をよく確認すると、机の上のものがいくつか落ちて、オーディオのスピーカーを直撃していた。でも少し位置がずれた程度でたいしたことはない。その他、細かなことは多少あったものの、本当にこのあたりは揺れなかったようだ。
棚から落ちたものを片付ける。その他、ついでにいろいろ整理整頓。地震で散らかったものより、モトから散らかっていたもののほうが多かった(^^ゞ。バイクのガレージも念のために見に行ったけれどノープロブレム。
そういえば昨日の夜はお菓子を食べただけで、ご飯は食べていない。無事を祝ったバーでも料理のラストオーダーは終わっていて、店長サービスのナッツを食べただけ。しかし朝まで起きていたせいか、あまりお腹がすいていない。冷蔵庫を見るとイチゴと、半分残ったロールケーキがあった。いつ買ったロールケーキだったっけ? 気にせず、口の中でイチゴ入りロールケーキにして食べた(^^ゞ
少し仕事をして、一区切り着いたので夕方早めにダイエーに買い物に行った。
ガーーーーン!!!!!!
お寿司売り場:空っぽ
野菜売り場:2/3が空っぽ
お総菜売り場:空っぽ
パン売り場:空っぽ
牛乳売り場:空っぽ
肉売り場:半分売り切れ
水とお茶:空っぽ
インスタントラーメン:空っぽ
缶詰売り場:おかずになるような缶詰はほとんど売り切れ
レトルトカレー:2袋のみ売れ残り(辛さ20倍と書いてあった)
ものの見事に商品がない。
戦中・戦後の物資のない時代ーーーと聞かされたものだが、初めてそのことが具体的にイメージできた。もちろん戦中・戦後が、これとは較べようがないことはわかっている。それでもこんなに空っぽの商品の棚を目撃したのは生まれて初めてである。スーパーの中でかなりの面積を占める野菜売り場がガラーンとしているのにはちょっとショックを受けた。
店内アナウンスで、昨日の震災の影響で商品入荷が滞っているといっていた。それに加えて、人々の買いだめの相乗作用だと思う。お米を3袋ぐらい買っている人も多く見かけた。そこまでする必要があるのかなあと思うが、まあこれが大衆心理というものだろう。商品が無くなったといえば石油ショックの時のトイレットペーパーが有名。しかし、この日は日用品のフロアには行かなかった。
「日曜日、そして今後」
電車で家まで帰れたときは、よかったよかったという気持ちが強かったが、テレビでニュースを見ているうちに、だんだんと暗い気持ちになってきた。オフィスにいたときもradikoやネットでずっとニュースには接していたが、やはり映像中心で見るのとは受け止め方が違う。
日曜日の午後、ちょっと仕事に疲れたので気分転換に家の周りを少し散歩。東京は春の暖かさ。外に出るとその暖かさに自然としみじみとした幸せを感じる。自宅近くの公園では小さな子供がはしゃぎ回って遊んでいる。公園の池では、ジイさんたちがのんびりと魚釣りをしている。小さな子供とジイさんたち、まさにほのぼのとした光景である。春の暖かさの幸せ感と、ほのぼのとした光景ーーーほんの数分前まで見ていたニュースとの落差に気持ちが追いつかない。
それに今回はニュースで見るだけの遠い地方で起きた地震ではなく、被害もなくごく短い時間とはいえ、私自身も激しい揺れを体験した当事者である。もちろん公園の子供やジイさんも同じはず。目の前にある幸せな風景と、たった2日前の恐怖、そして今現在も繰り広げられている被災地の状況を考えると、その異なる事態の広がりが、まるで4次元的につかみどころのないもののように感じられる。
阪神や中越の時と較べると、今回の地震は地震エネルギーの規模も桁違いらしい。
それに今までにない特徴があると思う。
1)津波の被害が中心で、被災地は根こそぎ波にさらわれた。
ーーー津波がなくても被害を受けているところもあるかもしれないが、
報道では津波被害中心。津波がこなくても倒壊などしていたかもしれ
ないが、それは問題にしなくてもいいだろう。
2)被害エリアが広大である。
ーーーまあ、これは地震規模に相関しているのだろう。
3)原子力発電所に深刻なダメージを与えた。
→1)
津波の破壊力は地震の比ではないということを今回強く感じた。今までなら地震発生後2日もたてば、救助隊の活躍で瓦礫の下から人が救助されるニュースなどがあって、よかったねと喜んだものだ。残念ながら今回の行方不明者の生存確率はきわめて低いだろう。
→2)
被災者は悲しく辛い思いをし、また不便な生活を強いられている。しかし阪神大震災で多くを学んだ日本の対応力は世界最高水準にある。必ず救出・救援できる。そこは疑っていない。
だが、その後に徹底的に破壊されたエリアを復旧し、さらに復興させなければならない。阪神大震災の時はバブルもはじけていたとはいえ、今と較べればまだ国家として余裕があったような気がする。現在の借金だらけの財政状況でどう対応していくのか、国家運営の中でどうバランスをとるのか困難な状況が続くと思う。
→3)
原子炉が大爆発するような事態にはならないはず。とにかく冷やせばいいんだからと思うのは楽観的かな? 問題は空気と水の次に大事な電力が、かなり長期間にわたって不足すること。ご存じのように首都圏は各エリアごとにに順番に停電する措置がとられる。まるで戦時体制である。どんな混乱が起こるか、ちょっと想像がつかない。
そしてそれは生活が不便になるだけでなく、確実に経済の足を引っ張る。いろんなプロジェクトが延期や中止になるだろう。正直に書くとテレビを見ていて、被災者にがんばってほしいと思ったり同情していた気持ちが、計画停電のニュースを見たとたんビジネスモードに切り替わってしまった。被災地域だけではなく、皆で乗り越えていかなければいけないのが今回の大地震である。
最後になってしまったけれど、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
「地震1日後の土曜日」
ゆっくり寝て午後2時頃に起きた。
寝ている間にも余震は頻繁にあったはずだが、あまり気にならなかった。
実は、この土日にもやらなければいけない仕事が溜まっている。
地震のせいでスタートが遅れたのは痛い。
でもまあ自然には勝てないと諦めるしかない。
朝に戻ってきて、そのまま寝たので部屋は散らかったまま。もう一度被害をよく確認すると、机の上のものがいくつか落ちて、オーディオのスピーカーを直撃していた。でも少し位置がずれた程度でたいしたことはない。その他、細かなことは多少あったものの、本当にこのあたりは揺れなかったようだ。
棚から落ちたものを片付ける。その他、ついでにいろいろ整理整頓。地震で散らかったものより、モトから散らかっていたもののほうが多かった(^^ゞ。バイクのガレージも念のために見に行ったけれどノープロブレム。
そういえば昨日の夜はお菓子を食べただけで、ご飯は食べていない。無事を祝ったバーでも料理のラストオーダーは終わっていて、店長サービスのナッツを食べただけ。しかし朝まで起きていたせいか、あまりお腹がすいていない。冷蔵庫を見るとイチゴと、半分残ったロールケーキがあった。いつ買ったロールケーキだったっけ? 気にせず、口の中でイチゴ入りロールケーキにして食べた(^^ゞ
少し仕事をして、一区切り着いたので夕方早めにダイエーに買い物に行った。
ガーーーーン!!!!!!
お寿司売り場:空っぽ
野菜売り場:2/3が空っぽ
お総菜売り場:空っぽ
パン売り場:空っぽ
牛乳売り場:空っぽ
肉売り場:半分売り切れ
水とお茶:空っぽ
インスタントラーメン:空っぽ
缶詰売り場:おかずになるような缶詰はほとんど売り切れ
レトルトカレー:2袋のみ売れ残り(辛さ20倍と書いてあった)
ものの見事に商品がない。
戦中・戦後の物資のない時代ーーーと聞かされたものだが、初めてそのことが具体的にイメージできた。もちろん戦中・戦後が、これとは較べようがないことはわかっている。それでもこんなに空っぽの商品の棚を目撃したのは生まれて初めてである。スーパーの中でかなりの面積を占める野菜売り場がガラーンとしているのにはちょっとショックを受けた。
店内アナウンスで、昨日の震災の影響で商品入荷が滞っているといっていた。それに加えて、人々の買いだめの相乗作用だと思う。お米を3袋ぐらい買っている人も多く見かけた。そこまでする必要があるのかなあと思うが、まあこれが大衆心理というものだろう。商品が無くなったといえば石油ショックの時のトイレットペーパーが有名。しかし、この日は日用品のフロアには行かなかった。
「日曜日、そして今後」
電車で家まで帰れたときは、よかったよかったという気持ちが強かったが、テレビでニュースを見ているうちに、だんだんと暗い気持ちになってきた。オフィスにいたときもradikoやネットでずっとニュースには接していたが、やはり映像中心で見るのとは受け止め方が違う。
日曜日の午後、ちょっと仕事に疲れたので気分転換に家の周りを少し散歩。東京は春の暖かさ。外に出るとその暖かさに自然としみじみとした幸せを感じる。自宅近くの公園では小さな子供がはしゃぎ回って遊んでいる。公園の池では、ジイさんたちがのんびりと魚釣りをしている。小さな子供とジイさんたち、まさにほのぼのとした光景である。春の暖かさの幸せ感と、ほのぼのとした光景ーーーほんの数分前まで見ていたニュースとの落差に気持ちが追いつかない。
それに今回はニュースで見るだけの遠い地方で起きた地震ではなく、被害もなくごく短い時間とはいえ、私自身も激しい揺れを体験した当事者である。もちろん公園の子供やジイさんも同じはず。目の前にある幸せな風景と、たった2日前の恐怖、そして今現在も繰り広げられている被災地の状況を考えると、その異なる事態の広がりが、まるで4次元的につかみどころのないもののように感じられる。
阪神や中越の時と較べると、今回の地震は地震エネルギーの規模も桁違いらしい。
それに今までにない特徴があると思う。
1)津波の被害が中心で、被災地は根こそぎ波にさらわれた。
ーーー津波がなくても被害を受けているところもあるかもしれないが、
報道では津波被害中心。津波がこなくても倒壊などしていたかもしれ
ないが、それは問題にしなくてもいいだろう。
2)被害エリアが広大である。
ーーーまあ、これは地震規模に相関しているのだろう。
3)原子力発電所に深刻なダメージを与えた。
→1)
津波の破壊力は地震の比ではないということを今回強く感じた。今までなら地震発生後2日もたてば、救助隊の活躍で瓦礫の下から人が救助されるニュースなどがあって、よかったねと喜んだものだ。残念ながら今回の行方不明者の生存確率はきわめて低いだろう。
→2)
被災者は悲しく辛い思いをし、また不便な生活を強いられている。しかし阪神大震災で多くを学んだ日本の対応力は世界最高水準にある。必ず救出・救援できる。そこは疑っていない。
だが、その後に徹底的に破壊されたエリアを復旧し、さらに復興させなければならない。阪神大震災の時はバブルもはじけていたとはいえ、今と較べればまだ国家として余裕があったような気がする。現在の借金だらけの財政状況でどう対応していくのか、国家運営の中でどうバランスをとるのか困難な状況が続くと思う。
→3)
原子炉が大爆発するような事態にはならないはず。とにかく冷やせばいいんだからと思うのは楽観的かな? 問題は空気と水の次に大事な電力が、かなり長期間にわたって不足すること。ご存じのように首都圏は各エリアごとにに順番に停電する措置がとられる。まるで戦時体制である。どんな混乱が起こるか、ちょっと想像がつかない。
そしてそれは生活が不便になるだけでなく、確実に経済の足を引っ張る。いろんなプロジェクトが延期や中止になるだろう。正直に書くとテレビを見ていて、被災者にがんばってほしいと思ったり同情していた気持ちが、計画停電のニュースを見たとたんビジネスモードに切り替わってしまった。被災地域だけではなく、皆で乗り越えていかなければいけないのが今回の大地震である。
最後になってしまったけれど、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
wassho at 03:49│Comments(0)│
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