2011年05月20日
フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展その2
これがフェルメールの「地理学者」。1669年の作品だからモデルはリチャード・ギアではないはず^^ゞ
フェルメールの先品はよくいえば独自の世界観がある、悪くいえばけっこうワンパターン。絵にそんなに詳しくなくても、パッとみてフェルメール調だというのはすぐわかる。
この時代は光の陰影を描き分けることに画家が心血を注いだ時代。レンブラントの夜警なんかがその代表。フェルメールも光を駆使した作風だけれど、彼の絵にはそれに加えて何となく空気感がある。そしてなぜか絵が静か。実はフェルメールの本物をみるのは初めて。空気感と静かさが感じられるかどうかを、今回は確認しに行ったようなもの。
空気感ーーーありました\(^o^)/
静かさーーー会場に人が多くてザワザワしてたので、
よくわからなかった(>_<)
それと下のレンブラントと較べると、もちろん題材も違うが、レンブラントの絵がたいてい神々しいのに対して、フェルメールの絵は日常的で普通の庶民の絵が多いのも私好み。
レンブラントの絵を毎日見ていたら胃もたれしそうだから、買うんならフェルメールにしよう(^^ゞ
ではそのレンブラント。タイトルは「サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ」。王とついていないが題材はルーベンスが描いた人物と同じ。その若い頃の姿。ダヴィデは竪琴の名手ということに伝説ではなっている。あっ、中央に座っているのはサウル王で、隅っこにいるのがダヴィデだからね。ダヴィデはサウルの後を継いで古代イスラエルの王になる人物。ダヴィデという名前には重々しい響きがあるが、英語で読めばデイビッドと親しみやすくなる?
さてレンブラントといえば「光と影の魔術師」。この絵もまるでスポットライトが当たっているかのようである。しかし彼が生きたのは日本でいうなら江戸時代初期。つまりロウソクやランプのボーッとした明かりの時代。ライティングなんてものは存在しない。想像力でスポットライトを発明したのかなあ?
先ほどフェルメールの絵には空気感があると書いた。レンブラントと見較べると、フェルメールは光を描き分けても、暗と明の対比はあまりしない。簡単に言えば明るい場所の絵が多い。だから空気感を感じるのかもしれない。光を描き分けられる腕前のある人は、明るい場所と暗い場所の絵を描いて確かめてください。
コルネリス・デ・ヘームの「庭に置かれた野菜と果物」。
写真と見間違えたとまではいわないが、細部まで描き込んだ絵。静物画はいろんなものがあったが、作家が違っても、どれも画風が驚くほど似ていた。ややダークなバックに、対象物を濃いめに細密に描き、それにライティングを当てたような感じ。同じ時代の同じ地域の画家の展示会だから、結果的に似てくるのか、あるいはそういう絵が流行っていたのか? それぞれ立派な絵であるが、正直にいうと同じような絵が多くてちょっと飽きた。
ヤーコブ・ファン・ワルスカッペレの「石の花瓶に生けた花と果物」。
これもこの時代の静物画の文法(←もう決めつけた)に沿った、ゴージャスできれいな絵だった。でも蝶々じゃなくて蛾(が)が飛んでいるのは、割ときれいな蛾だからいいとして、何で花瓶の下にトカゲがいるのかな。やっぱり画家というのは、ちょっとひねくれたヤツが多いと勝手に納得する。
この展示会の絵は光の陰影や細部の描写をじっくり堪能すべきなのだが、会場はかなり混雑していたし、時間もあまりなくて駆け足の鑑賞になってしまったのが残念。もっとも時間を掛けても、私に見極められる眼があるかどうかは別の話。
ところでいいことを思いついた。
日本には美術館・博物館が1200館ほどあるらしい。
つまり山ほどある。
バイクで地方の美術館巡りをしようっと。
あまりバイクで長旅をするつもりはない。しかし日帰り圏内の関東だけでも、おそらくかなりの数に上るはず。山道・海道もいいけれど、バイクで文化活動も楽しそうだ。
おしまい
wassho at 01:18│Comments(0)│
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