2011年08月30日
野田佳彦 新首相
もう初期?高齢者の年齢になってしまったが、
私の内面は小学5年生のときから基本的に変わっていないようにときどき思う。
それに気づいたのは30歳手前の頃(それからもずいぶんたっているが)。勤務していたコンサルティング会社に自転車好きの後輩がいて、その影響もあってスポーツタイプの自転車を買った。今バイクでそうしているように、当時は休みになると自転車であちこち走りに行った。
さて、ここからは表現がちょっと難しい。
人間は何も考えていない時でも、何かをぼんやりと脳の裏のほうで考えているものだと思う。仮にこれを無意識の抽象的思索と呼ぶ。
クルマを運転している時は、運転に脳の働きが取られているから、あまり無意識の抽象的思索状態にはならない。逆にまったくボケーッと歩いている時は、ボケーッとしすぎて脳は足を左右交代に前に出せと命令する機能程度を残し、後は小休止状態になって、これまた無意識の抽象的思索状態にはならない。(医学的根拠はありません。すべて比喩的表現です)
自転車はクルマほどいろんな状況を判断する必要もないし、歩いている時ほどボケーッとできない。つまり適度に頭が回転して適度にボーッとするから、無意識の抽象的思索状態なりやすい。
それで自転車を買って、ずいぶん久しぶりに自転車というものに乗った時、なぜか小学5年生くらいの時の感覚がよみがえってきたのである。それを理屈っぽくいうと無意識の抽象的思索の中身が、小学5年生から変わっていなかったということである。抽象的だから具体的に比較はできないけれど。でも、その屁理屈はともかく、何を感じて毎日生きていたのかというある種の皮膚感覚は、小学5年生位なら覚えているというか感覚が残っている。もっと低学年とか幼稚園の頃の感覚はさすがに残っていない。その頃の記憶はあっても、何か今の私とつながっていないような不思議な気持ちになる。
というわけで、いくつになろうとも私は小学5年生の少年のままである。皮膚感覚だけじゃなく、基本的な人格としても、あまり成長していないような気がして自分でもちょっとコワイ。でも誰かが言っていた「大人というのは子供の幻想にすぎない」という説に私は賛成。だから大人とか立派な大人なんてものは存在しないと思うことにしている。
気持ちは少年でも年齢は毎年確実に1つずつ増える。
年齢だけならいいけど、見た目もブサイクになっていくのが残念(/o\)
どういう時に年齢を感じるかは人ぞれぞれ。でも「ひょっとしたら私って中年?」とショックを受けるのは、いつのまにかスポーツ選手がみんな年下と気づく時。それでとりあえず野田新首相は私より年上でよかったと、本日は前振りがメインのエントリーでした(^^ゞ
私の内面は小学5年生のときから基本的に変わっていないようにときどき思う。
それに気づいたのは30歳手前の頃(それからもずいぶんたっているが)。勤務していたコンサルティング会社に自転車好きの後輩がいて、その影響もあってスポーツタイプの自転車を買った。今バイクでそうしているように、当時は休みになると自転車であちこち走りに行った。
さて、ここからは表現がちょっと難しい。
人間は何も考えていない時でも、何かをぼんやりと脳の裏のほうで考えているものだと思う。仮にこれを無意識の抽象的思索と呼ぶ。
クルマを運転している時は、運転に脳の働きが取られているから、あまり無意識の抽象的思索状態にはならない。逆にまったくボケーッと歩いている時は、ボケーッとしすぎて脳は足を左右交代に前に出せと命令する機能程度を残し、後は小休止状態になって、これまた無意識の抽象的思索状態にはならない。(医学的根拠はありません。すべて比喩的表現です)
自転車はクルマほどいろんな状況を判断する必要もないし、歩いている時ほどボケーッとできない。つまり適度に頭が回転して適度にボーッとするから、無意識の抽象的思索状態なりやすい。
それで自転車を買って、ずいぶん久しぶりに自転車というものに乗った時、なぜか小学5年生くらいの時の感覚がよみがえってきたのである。それを理屈っぽくいうと無意識の抽象的思索の中身が、小学5年生から変わっていなかったということである。抽象的だから具体的に比較はできないけれど。でも、その屁理屈はともかく、何を感じて毎日生きていたのかというある種の皮膚感覚は、小学5年生位なら覚えているというか感覚が残っている。もっと低学年とか幼稚園の頃の感覚はさすがに残っていない。その頃の記憶はあっても、何か今の私とつながっていないような不思議な気持ちになる。
というわけで、いくつになろうとも私は小学5年生の少年のままである。皮膚感覚だけじゃなく、基本的な人格としても、あまり成長していないような気がして自分でもちょっとコワイ。でも誰かが言っていた「大人というのは子供の幻想にすぎない」という説に私は賛成。だから大人とか立派な大人なんてものは存在しないと思うことにしている。
気持ちは少年でも年齢は毎年確実に1つずつ増える。
年齢だけならいいけど、見た目もブサイクになっていくのが残念(/o\)
どういう時に年齢を感じるかは人ぞれぞれ。でも「ひょっとしたら私って中年?」とショックを受けるのは、いつのまにかスポーツ選手がみんな年下と気づく時。それでとりあえず野田新首相は私より年上でよかったと、本日は前振りがメインのエントリーでした(^^ゞ
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