2011年09月27日
死海文書
死海文書がオンラインで公開されるというニュースがあった。
死海文書とは簡単に言えば、イスラエルとヨルダン国境ににある死海という名前の湖の近くで、1950年頃発見された古代(紀元前2世から西暦1世紀頃らしい)のユダヤ教聖書の写本である。ユダヤ教とキリスト教は親戚みたいなものだから、キリスト教にとっても重要な古文書。発見場所の名前を取って死海文書と呼ばれる。
死海という湖は、海抜マイナス418メートルという低い場所にある湖。そのせいなのかどうか塩分濃度が海の10倍の30%もある。当然、そんな環境では魚などは住めないから死海という名前がついている。英語の名前はデッド・シー。最近は死海でとれた塩や泥を売り物にした化粧品なんかもある。
塩分が濃いので身体がよく浮く。こんな写真を目にしたことがあるはず。
リンク先の写真に禿げ山が写っているが、死海文書は、ああいう山の中の洞窟に隠してあったらしい。
さて、死海文書。
その中身はまったく知らないが、イエス・キリストに関する重大な情報や、人類滅亡の確かな予言が書かれているとかいないとか。「死海文書の秘密」なんて本もたまに出る。エヴァンゲリオン(昔流行ったアニメです)でもストーリーの背景となっていたっけ。
おそらく、死海文書の内容を多少なりとも知っている人なんて、ほとんどいないと思う。冷静に考えれば聖書の古いバージョンでしかない。それでも死海文書と聞くと、何か謎めいたオーラで人々の関心を引き寄せる。私もついニュースをクリックした(^^ゞ
その理由は「死海」というネーミングがもたらすイメージだろう。
これが琵琶湖文書や奥多摩湖文書ならーーー(^^ゞ
というわけで、死海文書の公開に興奮している翔子ちゃんには申し訳ないけれど、本日はネーミングの影響力を改めて感じたというお話しでした。
ちなみに死海文書は巻物になっているので(まだ本という形態はなかった時代)、英語ではDead Sea Scrollsと呼ばれる。でも死海巻物じゃミステリアスさが薄れてしまう。死海文書と翻訳したした人のセンスにも座布団一枚。
死海文書とは簡単に言えば、イスラエルとヨルダン国境ににある死海という名前の湖の近くで、1950年頃発見された古代(紀元前2世から西暦1世紀頃らしい)のユダヤ教聖書の写本である。ユダヤ教とキリスト教は親戚みたいなものだから、キリスト教にとっても重要な古文書。発見場所の名前を取って死海文書と呼ばれる。
死海という湖は、海抜マイナス418メートルという低い場所にある湖。そのせいなのかどうか塩分濃度が海の10倍の30%もある。当然、そんな環境では魚などは住めないから死海という名前がついている。英語の名前はデッド・シー。最近は死海でとれた塩や泥を売り物にした化粧品なんかもある。
塩分が濃いので身体がよく浮く。こんな写真を目にしたことがあるはず。
リンク先の写真に禿げ山が写っているが、死海文書は、ああいう山の中の洞窟に隠してあったらしい。
さて、死海文書。
その中身はまったく知らないが、イエス・キリストに関する重大な情報や、人類滅亡の確かな予言が書かれているとかいないとか。「死海文書の秘密」なんて本もたまに出る。エヴァンゲリオン(昔流行ったアニメです)でもストーリーの背景となっていたっけ。
おそらく、死海文書の内容を多少なりとも知っている人なんて、ほとんどいないと思う。冷静に考えれば聖書の古いバージョンでしかない。それでも死海文書と聞くと、何か謎めいたオーラで人々の関心を引き寄せる。私もついニュースをクリックした(^^ゞ
その理由は「死海」というネーミングがもたらすイメージだろう。
これが琵琶湖文書や奥多摩湖文書ならーーー(^^ゞ
というわけで、死海文書の公開に興奮している翔子ちゃんには申し訳ないけれど、本日はネーミングの影響力を改めて感じたというお話しでした。
ちなみに死海文書は巻物になっているので(まだ本という形態はなかった時代)、英語ではDead Sea Scrollsと呼ばれる。でも死海巻物じゃミステリアスさが薄れてしまう。死海文書と翻訳したした人のセンスにも座布団一枚。
wassho at 15:20│Comments(0)│
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