2012年01月20日
ゴヤ 光と影展
ゴヤというのは名前と、代表作である「着衣のマハ」「裸のマハ」以外はあまり知らない。知っているような知らないような、私にとってあまりイメージのわかない画家である。その「着衣のマハ」が40年振りに日本で展示されるという宣伝文句につられて久しぶりの絵画鑑賞。
ちょっとおさらいしておくと、ゴヤは18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したスペインの巨匠。いわゆる王室専属の宮廷画家。全盛期には病気で聴力を失っていたベートーヴェンみたいな人。
結論からいうと、この展覧会にはあまり満足できなかった。スペインの至宝であるゴヤにこんなことをいえる身分じゃないけれど、全体的な雰囲気はいいのに微妙なところで趣味が合わなかった。まあ絵に評価の高い低い、値段の高い安いはあっても、基本的には好き嫌いの世界だからそんなこともある。
本展はゴヤも含めたいろんな作家の展示会ではなく、すべてゴヤの作品で構成されている。さぞかし見応えがありそうな感じだが実はそうでもない。資料を見ると全部で123点の展示となっているが絵画はそのうちの25点しかなく、残り98点、つまり展示のほとんどは素描や版画といったA4サイズくらいの小さな作品。もちろんこれらは白黒。小さいから近づかなければ見えない〜近づくには列に並ばなければいけない〜そんな暇はなかったから列の外側からチラ見しただけで済ませた。こういうのをじっくり鑑賞すれば、画家の力量や考え方を見る目も養われそうな気もするが、今のところそこまで絵画にのめり込んでいない。
「私は見た <戦争の惨禍>44番のための準備素描」
素描(そびょう)というのは、こんな感じ。下絵とか練習のために鉛筆や木炭などで書くもの。デッサンともいう。デッサンは素描のフランス語。
「マハとマントで顔を覆う男たち」
もともとはタペストリー制作のための原画(カルトン)。ゴヤは画家としての地位を築くまではカルトン職人だったらしい。これは地位を確立してからも王室の依頼によって描いたカルトン。タペストリー(部屋に飾る織物)のカルトンは織物にしやすいようにもっと簡潔な構成するものだが、ゴヤはかまわず油絵としての完成度を優先したので、タペストリー職人にストライキを起こされたらしい(^^ゞ
それでこの絵、男たちは膝までのズボンでその下にタイツのようなものを履いているが、この膝から下の描き方が私には不満。まず身体のバランスから考えてふくらはぎが太すぎる。次に全体の描き方と較べて、ふくらはぎの部分だけがやたら平板。パソコンの小さな画面で質感がどれだけ再現されているかわからないが、とりあえず私には男たちのふくらはぎが木製のボーリングのピンのように見えてしかたなかった。
「洗濯女たち」
これもカルトン。のどかで牧歌的な絵にしか見えないが、当時の洗濯女は「ふしだらな」女性が多くいる職業だったとされている。
一番左側の女性が触っているヤギの角は男性器の象徴で、手前の女性はスカートの中に右手を入れてオナニーしているらしい イヤン(/o\) それで、この絵をベースに作ったタペストリーは宮殿の寝室に飾られたらしいから、スペイン王室も「あんたも好きね〜」である。
しかし彼女たちの表情というか描き方から「ふしだら」を連想することは難しい。当時の人々は、この絵を見て「エロい」と感じたんだろうか? ギモン
「赤い礼服のカルロス4世」
宮廷画家だから肖像画はお手の物。スポットライトを当てたような描き方で存在感を放っていた。ただ何点か肖像画が展示されていたが、ゴヤが描く男性の肖像画はどういうわけか頭が小さいものが多い。女性は普通のプロポーションで描かれている。
「スペイン王子フランシスコ・デ・パウラ・アントニオの肖像」
なんとも愛くるしい6歳の王子。なぜか全身をすべて描かずに半分くらいをオレンジの絵の具で塗りつぶしている。技法?ヘンナノ、手抜き?まさか。
「アブランテス公爵夫人」
美しいセレブ、ごくごくまっとうな絵。こういう絵の良さ・楽しさはパソコン画面じゃなかなか伝わらない。展覧会に行く楽しみのひとつである。コメのご飯がおいしかったようなうれしさがある。
「着衣のマハ」
この展覧会の目玉。「裸のマハ」とセットで有名。どちらも同じマドリードのプラド美術館に収蔵されている作品だが、さすがにセットでの貸し出しは無理なようで今回は「着衣のマハ」のみ。この両作品については検索すればいくらでも情報があるから省略。ちなみにマハというのは名前ではなく、小粋な女、オシャレな女というような意味のスペイン語。
教科書にも載っている有名な絵を見られたという満足感はあったが、思ったほどは感動しなかった。ちょっと顔の描き方がアッサリしているのも気になった。どうも私はゴヤの「描き込み」に少し物足りなさを感じているようだ。人間とは不思議なもので、この絵の顔が気に入らないと顔ばっかり見てしまう。
せっかく来たのに、それじゃもったいないと思って少し離れて眺めてみた。横長のサイズの絵の両端を視野にとらえられるくらいの距離。けっこう印象が変わる。なんか圧倒的な存在感、肉感が伝わってくる。かぶりつきで見たときは気づかなかった迫力に少し驚いた。なお絵の横幅が190センチで、マハはだいたい実物大くらいの大きさで描かれている。
話は変わるけれど、美術館では「これ以上作品に近づいてはダメ」という場所に線が引いてあったり柵があったりする。それで、その距離は小さな作品も大きな作品もほとんど同じ。作品の大きさによって距離は変えるべきだろう。「着衣のマハ」を少し離れてみた位置が適切な鑑賞距離だと思うが、柵はもっと手前にあるので、その位置からは当然かぶりつきで見ている人が邪魔になって絵の全体を見渡すことができなくなってしまう。
展覧会は上野にある国立西洋美術館で開催されている。
写真は上野公園の入り口付近。JR上野駅からだと信号を渡るだけだが、地下鉄の駅からだと、少し坂を登ってこなくてはいけない。
写真のちょうど真ん中あたりに「着衣のマハ」の看板があるのがわかるかな?
これがその看板。
それで看板の後ろ側が国立西洋美術館。
つまり上野公園の入り口に近い位置に美術館はある。
なお写真はiPhoneで撮った。
国立西洋美術館のファサード(正面というような意味です)。
有名なフランス人建築家ル・コルビュジエの設計。コルビュジエは好きな建築家だけれど、この建物には特に見るべきところがない。
美術館の前庭には彫刻が何点か置かれている。
これは誰でも名前を知っているロダンの「考える人」。
なお一般的に彫刻という言葉を使うが、庭にあるのはもちろんブロンズ=青銅による鋳造。
同じくロダンの「地獄の門」。
巨大な作品。門の内側の上の方に座っている人がいる。
この角度のほうがわかりやすいかも知れない。
「考える人」は、この門から独立した?作品。
さて今年は何回、絵を見に行けるかな。
夏にはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がやってくるので、これだけは見逃さないようにしたい。でも超絶に混雑するだろうなあ〜。
ちょっとおさらいしておくと、ゴヤは18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したスペインの巨匠。いわゆる王室専属の宮廷画家。全盛期には病気で聴力を失っていたベートーヴェンみたいな人。
結論からいうと、この展覧会にはあまり満足できなかった。スペインの至宝であるゴヤにこんなことをいえる身分じゃないけれど、全体的な雰囲気はいいのに微妙なところで趣味が合わなかった。まあ絵に評価の高い低い、値段の高い安いはあっても、基本的には好き嫌いの世界だからそんなこともある。
本展はゴヤも含めたいろんな作家の展示会ではなく、すべてゴヤの作品で構成されている。さぞかし見応えがありそうな感じだが実はそうでもない。資料を見ると全部で123点の展示となっているが絵画はそのうちの25点しかなく、残り98点、つまり展示のほとんどは素描や版画といったA4サイズくらいの小さな作品。もちろんこれらは白黒。小さいから近づかなければ見えない〜近づくには列に並ばなければいけない〜そんな暇はなかったから列の外側からチラ見しただけで済ませた。こういうのをじっくり鑑賞すれば、画家の力量や考え方を見る目も養われそうな気もするが、今のところそこまで絵画にのめり込んでいない。
「私は見た <戦争の惨禍>44番のための準備素描」
素描(そびょう)というのは、こんな感じ。下絵とか練習のために鉛筆や木炭などで書くもの。デッサンともいう。デッサンは素描のフランス語。
「マハとマントで顔を覆う男たち」
もともとはタペストリー制作のための原画(カルトン)。ゴヤは画家としての地位を築くまではカルトン職人だったらしい。これは地位を確立してからも王室の依頼によって描いたカルトン。タペストリー(部屋に飾る織物)のカルトンは織物にしやすいようにもっと簡潔な構成するものだが、ゴヤはかまわず油絵としての完成度を優先したので、タペストリー職人にストライキを起こされたらしい(^^ゞ
それでこの絵、男たちは膝までのズボンでその下にタイツのようなものを履いているが、この膝から下の描き方が私には不満。まず身体のバランスから考えてふくらはぎが太すぎる。次に全体の描き方と較べて、ふくらはぎの部分だけがやたら平板。パソコンの小さな画面で質感がどれだけ再現されているかわからないが、とりあえず私には男たちのふくらはぎが木製のボーリングのピンのように見えてしかたなかった。
「洗濯女たち」
これもカルトン。のどかで牧歌的な絵にしか見えないが、当時の洗濯女は「ふしだらな」女性が多くいる職業だったとされている。
一番左側の女性が触っているヤギの角は男性器の象徴で、手前の女性はスカートの中に右手を入れてオナニーしているらしい イヤン(/o\) それで、この絵をベースに作ったタペストリーは宮殿の寝室に飾られたらしいから、スペイン王室も「あんたも好きね〜」である。
しかし彼女たちの表情というか描き方から「ふしだら」を連想することは難しい。当時の人々は、この絵を見て「エロい」と感じたんだろうか? ギモン
「赤い礼服のカルロス4世」
宮廷画家だから肖像画はお手の物。スポットライトを当てたような描き方で存在感を放っていた。ただ何点か肖像画が展示されていたが、ゴヤが描く男性の肖像画はどういうわけか頭が小さいものが多い。女性は普通のプロポーションで描かれている。
「スペイン王子フランシスコ・デ・パウラ・アントニオの肖像」
なんとも愛くるしい6歳の王子。なぜか全身をすべて描かずに半分くらいをオレンジの絵の具で塗りつぶしている。技法?ヘンナノ、手抜き?まさか。
「アブランテス公爵夫人」
美しいセレブ、ごくごくまっとうな絵。こういう絵の良さ・楽しさはパソコン画面じゃなかなか伝わらない。展覧会に行く楽しみのひとつである。コメのご飯がおいしかったようなうれしさがある。
「着衣のマハ」
この展覧会の目玉。「裸のマハ」とセットで有名。どちらも同じマドリードのプラド美術館に収蔵されている作品だが、さすがにセットでの貸し出しは無理なようで今回は「着衣のマハ」のみ。この両作品については検索すればいくらでも情報があるから省略。ちなみにマハというのは名前ではなく、小粋な女、オシャレな女というような意味のスペイン語。
教科書にも載っている有名な絵を見られたという満足感はあったが、思ったほどは感動しなかった。ちょっと顔の描き方がアッサリしているのも気になった。どうも私はゴヤの「描き込み」に少し物足りなさを感じているようだ。人間とは不思議なもので、この絵の顔が気に入らないと顔ばっかり見てしまう。
せっかく来たのに、それじゃもったいないと思って少し離れて眺めてみた。横長のサイズの絵の両端を視野にとらえられるくらいの距離。けっこう印象が変わる。なんか圧倒的な存在感、肉感が伝わってくる。かぶりつきで見たときは気づかなかった迫力に少し驚いた。なお絵の横幅が190センチで、マハはだいたい実物大くらいの大きさで描かれている。
話は変わるけれど、美術館では「これ以上作品に近づいてはダメ」という場所に線が引いてあったり柵があったりする。それで、その距離は小さな作品も大きな作品もほとんど同じ。作品の大きさによって距離は変えるべきだろう。「着衣のマハ」を少し離れてみた位置が適切な鑑賞距離だと思うが、柵はもっと手前にあるので、その位置からは当然かぶりつきで見ている人が邪魔になって絵の全体を見渡すことができなくなってしまう。
展覧会は上野にある国立西洋美術館で開催されている。
写真は上野公園の入り口付近。JR上野駅からだと信号を渡るだけだが、地下鉄の駅からだと、少し坂を登ってこなくてはいけない。
写真のちょうど真ん中あたりに「着衣のマハ」の看板があるのがわかるかな?
これがその看板。
それで看板の後ろ側が国立西洋美術館。
つまり上野公園の入り口に近い位置に美術館はある。
なお写真はiPhoneで撮った。
国立西洋美術館のファサード(正面というような意味です)。
有名なフランス人建築家ル・コルビュジエの設計。コルビュジエは好きな建築家だけれど、この建物には特に見るべきところがない。
美術館の前庭には彫刻が何点か置かれている。
これは誰でも名前を知っているロダンの「考える人」。
なお一般的に彫刻という言葉を使うが、庭にあるのはもちろんブロンズ=青銅による鋳造。
同じくロダンの「地獄の門」。
巨大な作品。門の内側の上の方に座っている人がいる。
この角度のほうがわかりやすいかも知れない。
「考える人」は、この門から独立した?作品。
さて今年は何回、絵を見に行けるかな。
夏にはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がやってくるので、これだけは見逃さないようにしたい。でも超絶に混雑するだろうなあ〜。
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