2012年05月23日

いちごライン〜新東名高速

タイトルは変わったが、5月19日と20日つまり19日のツーリングの続き。

三保の松原の護岸ブロックで少々マッタリしすぎてしまった。トットと帰らなければ。ふらっとどこかで宿を取るほど、まだ旅慣れてはいない。どうせ日が落ちてからの帰宅になるなら何時に帰っても同じなのだが、本日は新東名を走るという目的もある。やはり暗くなってしまってはどんな道路かよくわからない。

というわけで予定していた日本平(にほんだいら)パークウエイをキャンセル。日本平は地図に赤く印をつけたあたりで小高い丘陵地。そこから見下ろす景色がいいことで有名。それにパークウエイはバイクで走って楽しいクネクネ道らしい。残念だけれど、またそのうち来よう。また日本平の近くには小学校の時に習った「登呂遺跡」もある。これも一度は見ておきたい。やっぱり早起きしなくちゃダメね。
地図3


さて新東名は新清水のインターチェンジから乗るなら、三保の松原から清水に戻って北上すればいい。しかし、やっぱりこれは外せないでしょうと走ったのがいちごライン。

いちごラインとは駿河湾沿いを走る国道150号線の別称。10キロ程続く直線道路。上の地図では途中の半分くらいのところで切れている。

噂通り海が近くて気持ちいい道路。
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振り返って走ってきた道を撮る。
写真を撮ってもスケール感がまったくでないのがツライ。
タケコプターで上空から撮影したい(^^ゞ
※クリックして写真を大きくすると多少はスケール感がでる。
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いちごラインの由来は、このあたりがいちごの栽培地だから。3つ上の写真にはいちごのビニールハウスが並んでいる。なおグーグルマップでは「いちごライン」と表示されるが、現地の案内看板には「いちご街道」と書いてあった。

ところでいちごラインには、ところどころに私がバイクを停めたような広めの路肩がある。しかし道路の外に出られるようにはなっていない。クルマを停めて海を眺めるためのもの? また、どこかで海岸に降りたかったのだがガードレールが切れているような場所も見あたらず。いい道なんだけれど、それがちょっと不満。


いちごラインのほぼ終点近くで。
なかなかの景色。清水の中心部からここまでクルマやバイクで30分くらいのはずである。いい環境だなあ。津波でだいぶ価値観が変わったのも正直なところだが。
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海岸にも進入できずバイクを停める場所もなかったので、歩道の低くなっているところから無理やり乗せた。撮影はセンターラインから。サッサと撮影しないと危ない。
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いちごラインが終わって右折したら東名の静岡インターまでは1キロほど。ご丁寧に「インター通り」と名前がついているのでナビを見る必要もない。


東名で清水まで戻り、その先の清水ジャンクションという連結道路で新東名へ出る。新東名のほうが高い標高にあるのでジャンクションは山を登っていく道。しかもかなり高い高架道路なので天に登っていくような感覚がする。ナビに開通したばかりの新東名のデーターは入っていないから「再検索中」のアナウンスを繰り返す。うるさいから電源を切る。


さて新東名。
開通したばかりだから路面はきれいで滑らか。もっとも東名や他の高速道路だって路面が荒れているわけじゃないから、視覚的に美しい以外はそれほどアドバンテージはない。ただし決定的に違うのは道路と道路をつないでいる箇所の段差の少なさ。クルマでも段差が大きいと不快だが、バイクの場合はちょっと揺すられてビビル。見た目は変わらないので(高速で走っていて低い位置にある段差の厚みの違いを見分けることは難しい)「あっ段差だ」と身構えても、ごくわずかなショックだけで通過していく。これはバイク的にはうれしい。

よく言われるのがコーナーが緩やかなこと。それも確かに感じられる。でも東名でカーブがキツイのは御殿場から厚木手前までの山岳セクション。新東名のその部分の開通はまだ先で東名を使わなければいけないから、新東名のカーブが緩やかでも実質的なメリットはあまり受けない。この区間が開通するのは2020年頃とずいぶん先。まだ生きてるかなあ。 




ずいぶん昔だが新東名(当時は第二東名と呼んでいた気がする)の構想作りに絡んだ仕事にいくつか参加した。当時私がよく主張していたのは「ドイツのアウトバーンのように速度無制限にすること。それが無理でも160キロくらいにすること」。別に私がまだ若くてスピード狂だったからじゃない。

ヨーロッパのクルマがよくできているのは、やはり高いスピードを出す高速道路で鍛えられた面が大きい。現地でインタビューすると、どこのスーパーにでもいる普通のオバチャンでも「ヴィッツは可愛いけど150キロくらいしかでないのよね〜」などとサラリと言う。日本車だって開発に抜かりはないが、やはり限られた数の人間だけがテストするのと、何十万何百万人のユーザーの評価にさらされるのは違う。それに企画や設計のスタッフが「想像」して作ったものは「体感」して作ったものにかなわない。

それと当時は、一般の人が使うには、そろそろクルマの性能が完成の域に入った頃(セルシオが発売された頃)。逆に言えば新しく「イイ」クルマを買おうというモチベーションが下がり始め出した頃でもある。しかし160キロで走れる道路ができて、160キロで安定した走りができるクルマが発売されればマーケットが活性化すると考えた。

その頃の私は自動車メーカーのプロジェクトが多かったが、別に彼らの肩を持ったわけでもない。自動車産業は全産業の中で売上高、従業員数ともに15%くらいを占めていた(今もそう変わっていないと思うが)。つまり名実ともに日本の基幹産業。それが転けたら他の産業ではリカバリーできない。バブルもはじけた頃だったしITなんて言葉もなかった時代なので、そんなこともよく議論した。

その認識は基本的に今でもあまり変わっていない。日本は自動車に深く依存した経済構造なのに、クルマが使いやすい環境とはいえない。というかクルマを不便にする方向に昔から力が働いている。ガソリンも含めて各種の税金がベラボーに高い。高速代、駐車場代それに車検もある。以前にも書いたが免許を取るのに30万円もかかる国は世界のどこにもない。ちょっとスピードを出せば、ちょっとクルマを停めておけばすぐに捕まる。そして「公共交通機関でお越しください」というおきまりのクルマを拒否するフレーズ。その積み重ねが世の中のクルマ離れだと思う。

公害や交通事故の数がひどかった時代もあったから、クルマは悪という意識が残っている人も多い。しかし、もっとクルマを便利で気軽に使えるような第2のモータリーゼーション政策が必要だろう。そうして自動車産業を維持していかなければ、日本の右肩下がりは加速するばかりである。


話は戻って新東名。
サービスエリア、パーキングエリアのお店の充実にも気合いが入っているということなのでガソリンを補給する必要もあったし、ぜひともチェックしてみようと。しかし最初のサービスエリアも、その次も満車の表示。バイクなら停められるとも考えたが、混雑しているのもイヤなので、その次にしようと走っているうちに新東名を抜けて東名に入ってしまった(/o\)

そして東名で最初のサービスエリアが足柄。
入ってみるとガラ空き。皆考えることは同じみたい(^^ゞ


足柄にはこんなものがあった。
ポリタンク持参で水を汲んでいる人も数名。
隣りにポリタンクやペットボトルの自販機でも置いておけば、私もそれを買って持ち帰ったのに。サービスエリアも有名テナントに頼ってばかりだとデパートみたいになるよ。
IMG_6134



いろいろ脱線したが、これでおしまい。

wassho at 23:45│Comments(0)   *ツーリング 

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