2012年08月02日

オリンピックの審判〜権威と真実

ロンドン・オリンピックは寝不足にならない程度に、それなりに楽しんでいる。北京オリンピックの時の男子400メートルリレーのような感激をまた味わいたいものだ。

誰でも知っているようにオリンピックは4年に1度。ということは、あれから4つ歳をとったわけだ。トホホーーーと思いかけて、ふと考える。4年前と較べて、何か歳をとったといえることはあるだろうか? 冷静に、努めて客観的に考えてみる。結論は「何一つない」。ヤッター!とうれしいのが歳をとった証拠か(^^ゞ もっとも成長期の子供じゃないから4年くらいじゃ特に変化がなくても当たり前かもしれない。

誰が考えたか4年に1度というのは絶妙のタイミングである。だからオリンピックの時に、4年に1度の自己診断をしてみるのも悪くない。この4年間に何か進歩したことはあっただろうか? 商売に響くといけないから自己診断結果は非公開。

4年前の8月のブログを読み直してみると、すっかり忘れていたけれど当時は福田内閣だったのね。この4年で日本はーーー。もちろん大震災があったりしたが、仮にそれがなかったとしても、徐々にジリ貧になっているように思えるのが気がかり。


さて、今回のオリンピック。
何かと審判の問題が騒がれている。

柔道の海老沼匡vsチョ・ジュンホ(韓国)戦では、主審副審併せて3名がチョ・ジュンホの判定勝ちとしていたのが、ジュリーと呼ばれる審判委員の指摘を受け、3名とも海老沼匡の判定勝ちに判断を変えた。男子体操団体で日本は最初4位だったが、日本側の抗議によってビデオ判定となり、その再審の結果、得点がアップして銀メダルを獲得した。

どちらも日本側に有利な結果となったから何となくスルーできたものの、逆の立場だったら釈然としないだろう。チョ・ジュンホ選手や、日本が銀メダルに繰り上がったため銅メダルから4位とメダル圏外なったウクライナの体操選手には気の毒に思う。韓国やウクライナの人々がブチ切れる気持ちも理解できる。立場が逆なら私も暴れてる(^^ゞ


最初は、こんなにコロコロ審判の結果が変わるなんて、
このオリンピックはどこかおかしいと思っていた。

ところが柔道の海老沼匡vsチョ・ジュンホ戦で、
判定が覆ったことに対する大会審判関係者のコメント。
だいたいの趣旨はーーー

   審判は一瞬の間にとても難しい判断をしなければならない。
   だからミスもする。
   そのミスをリカバリーするためにジュリーの制度を導入し
   ビデオも撮影して、より正しく判定できるようにした。
   今回は、この新しいシステムが正しく機能したのだ。

ちょっとうなったね。
まったくおっしゃる通り。

柔道と体操以外にもいろいろあったらしく、このオリンピックでは審判に威厳がないという論調もある。しかし審判とはミスなく正しく判定することがすべてであって、審判(員)の威厳のために競技が存在しているわけではないのだ。そしてミスがあることを前提に審判システムを構築するのは、まったくもって理にかなっている。「俺がルールブックだ」とかいっている審判は石器時代で審判をやっていればいい。


とはいうものの、頭では理解できても身体がついていかないというか、審判の判断は後で覆る可能性があるという前提で観戦するのは違和感がある。「物言い」というジュリー制度が確立している相撲のある国に住んでいるのにである。

大げさにいうなら権威と真実の駆け引き。今まで審判はミスをしない=だから権威があるという構図を作り上げて、その権威のもと真実=判定の精度に多少目をつむっても丸く収めるという流儀に長く慣れてきた。
物事は丸く収めなければ次に進めないわけで、これはこれで別の観点で合理的である。それに大衆心理的には、ある程度権威に迎合した方が何かと楽でもある。真実の追求が常に絶対的な正義というわけでもないというのが世の中の難しいところ。

正しいのはどっち?
それは夏休みの宿題にでも。


ころっと話は変わるが、間違ったことを権威のない連中がやろうとしているから、多くの人が政治に怒ったり、あきれたりしているんだろうね。

wassho at 09:09│Comments(0) 社会、政治、経済 

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