2012年11月07日

尖閣と竹島:それは違うんじゃない?6

中国はほぼ毎日熱心に尖閣諸島に船を繰り出してはいるものの、特に新しい動きもなく、このネタにも少し飽きてきたという気持ちがなきにしもあらず。

突き詰めれば領土問題というのは、腕力で片を付けるか先送りするしかない。それで日中双方とも武力衝突するほどの価値があの小島にあるわけでもなし。だったら、だらだらと適当に事態を長引かせて、頭に上った血が引いたところで、先送りのための外交芝居を演じ合うというのも悪くはない選択。

尖閣諸島も竹島も昔からある問題だが、今起きている騒動は辞めた石原都知事と李明博大統領のパフォーマンスから始まっている。それらを「なかったことと」と考えられるようになれば、今の大騒ぎがおかしく思える時もくるだろう。彼らのパフォーマンスの前後で領土・地面としての実質が何か変化したわけじゃないのだから。

韓国大統領の任期は来年2月だし、何を思ったか石原都知事は辞職して今以上の影響力を持つ可能性はほとんどない。現場で働く皆さんはあと数ヶ月のご辛抱かな? もっとも歴史を振り返れば、時の政権や権力者が望んでいなくても、何かのハズミやボタンの掛け違いで起きてしまうのが武力衝突や戦争。誰が尖閣諸島を東京都が購入すると言い出すと予想した? だから何が起きるかは起きてからでなきゃわからないけれど。


さて今回のそれは違うんじゃないは

   国際社会に日本の立場を訴え理解を広めていく
   領土問題は国際法にのっとり解決すべきである

よく聞くフレーズ。そして、たぶん日本人には受け入れられやすいロジック。
しかし一見して正論っぽいんだが落とし穴だらけである。

まず国際社会。

  だいたい何それ?
 
日本人は世間という概念に重きをおいている。世間をお騒がせしましてーーーという謝罪の言葉が通用するのはおそらくこの国だけだろう。ところで、あなたは世間の一員ですか? それはさておき、それで国際社会というときにイメージされるのは、この世間の海外版だろうか? だとしたら実体はないに等しいし、理解を広めるために訴えるのは困難を極める。


国際社会に実体がないといってしまえば話が進まないので、
仮に国際社会を各国の世間、つまり世界各国の国民の皆さんだとする。

それで例えばインドとパキスタンは、毛織物のカシミヤやカレーで有名なカシミール地方について長年領有権を争っている。そんなことにふだん関心ある? たまに武力衝突が起きて、その規模によってはかなり報道されるけれど、その時にインドとパキスタンとどっちの領土にすべきかと考えたりする? 面積22万平方キロ(日本は38万平方キロ)人口1000万人以上のエリアですら、外国の関心なんてそんなものである。ましてや尖閣諸島や竹島は人も住んでいないちっぽけな絶海の孤島。そんなことにかまっているほど、世界各国の皆さんはヒマじゃない。

※ちなみにカシミール地方は中国にも国境を接しており、例によって中国は
 カシミールの一部も中国領土だと主張している(^^ゞ


仮に国際社会を各国の政府をになっている政治家や官僚の人々だとする。
こっちのほうが世間というような曖昧なものよりも具体的だし、彼らには国際政治の舞台に立つ機会もある。

ただし正義を尊ぶ気持ちがあったとしても、基本的に彼らは自国の利益を考えて行動するのが仕事である。もし尖閣諸島の問題に首を突っ込む機会があるとすれば、その時の判断基準は領有権について日本と中国の主張のどちらに正当性・合理性があるかではなく、ぶっちゃけていえば、日本と中国のどちらの味方についたほうが自国にプラスになるかだろう。

もし私がどこかにあるwassho国の大統領ならそう考える。尖閣諸島がどちらの国のものになろうと国際情勢的には些細なことで、wassho国にも何の影響もない。香港を取り合っているわけでないのだ。

そして問題は、だから、ここでいう国際社会へのアピール合戦では中国に対して日本は不利だということ。国としての勢いは明らかに中国が優る。


まあ国際社会とやらを、あまり当てにしないことである。
ケンカの基本はタイマン。タイマンで強い奴の周りには仲間が集まってくる。その逆はない。尖閣諸島に関しては、下手にこの問題を国際化するとヤブヘビになりそうな気がして危惧している。

長くなったので国際法の話は次回で。

ーーー続く。

wassho at 11:11│Comments(0) 社会、政治、経済 

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