2012年11月30日
政治(家)改革な話
さて総選挙である。
民主党にはガッカリだが、自民党もコリゴリ、離散集合を繰り返す第三極とやらにもウンザリ。誰が考えたか最近よく聞くフレーズ。実はほとんどの選挙で「この人に投票したい」という積極的な判断をできることはめったになく、「うさんくさかったり頼りなさそうな連中ばっかりだけれど、その中ではこいつが一番マシかな」という消去法になりがち。でも今回は順番に消していったら全員いなくなりそう(^^ゞ
バブルがはじけたあとの「失われた10年」というのが10年ほど前。それから現在に至るまでパッとしないから「失われた20年」などともいわれる。この先の見通しでは「失われた30年」になるというのがもっぱらの予測。そんな失われっぱなしで大丈夫かという気もするが、20年前に失われた20年分の蓄えがあったわけではないから、こういうのは言葉のアヤ。でも日本の勢いは失速し価値が減少しているのも日々感じるところ。お先真っ暗とは思わないまでも、明るいというには無理がある。
そうなったのは政治が悪いからと単細胞なことをいうつもりはない。だったら高度成長の頃の政治が素晴らしかったのかというと、そんなこともない。だいたい政治なんてのはデキが悪いのが普通の姿で、世界中探しても「我が国の政治は素晴らしい」と思っている国民なんかいない。冷静に考えれば日本の政治のマトモ度は世界トップ10には入っているだろう。
とはいうものの「何やってんだこいつら」と思うことは多々あるわけで、wassho流な政治改革の提言。真に受けるかどうかはあなた次第。
政治改革がずっと叫ばれてきた。しかし、どうも政治の世界では政治改革というのを選挙制度の改良や変更のこととはき違えているふしがある。政治改革の目的は政治のレベルや能力を上げること。選挙制度の改良によって、より正確に民意を反映できるようになっても、それは政治のレベルアップにはきわめて間接的にしか作用しない。
とりあえず国政に絞って話を進めると、現在、衆参併せて国会議員は722名いる。私の基本的な問題意識はその722名のデキである。
選挙になると、ときどきナンジャコイツ?みたいな変な人が出てくる。私の見立てでは722名の1/3は、その人たちとドッコイドッコイ。もう1/3は実社会でそこそこの地位になる程度の能力がない。残りの1/3でようやく平均レベルか。そんな話を知り合いのジャーナリストにしたら「それはかなり希望的観測」といわれたけれど。
政治家のレベル以上の政治はできないのである。いかに優秀な人材を国会にリクルートできるかどうかが政治=この国の命運を左右する。また官僚支配の打破などと政治家が述べても、現在の永田町と霞ヶ関の知力を較べれば到底無理な話。
では、どんな政治改革が必要なのか。
ーーーぼちぼちと続く
wassho at 12:12│Comments(0)│
│社会、政治、経済