2012年12月18日

総選挙が終わって

ご存じの通り

   民主230議席→57議席
   自民118議席→294議席

民主にはガッカリでも自民はコリゴリ。でも第3極とやらはワケワカンナイから、自民にしておくかというのが全体的な構図に思える。自民が勝ったというより民主が負けたわけだけれど、勝てば官軍だから、またしばらく日本は土建国家に戻る。国土強靱化計画とやらの名前の元に、ほとんどが無駄なものを返す当てのない借金をしてたくさん造ることになる。民主党最大のガッカリは自民党への抑えが効かないくらいに大敗したことかもしれない。

自民が大勝したことに間違いはないが、白黒が付く小選挙区制を進めてきたのだから、勝てば300議席くらいになるのは驚くほどのことではない。2005年のいわゆる郵政解散選挙で自民は296議席を獲得しているし、政権交代した前回2009年の選挙の民主は308議席。一部には小選挙区制は死に票が多くなると批判する向きもあるが、私にいわせれば、それは死に票ではなく負け票。選挙は白黒はっきり付けるべきであり、死に票をなくすために中選挙区に戻せば「決められない選挙」に逆戻りである。


ちょっとビックリしたのは日本未来の党。61議席から9議席への壊滅状態。その名の通り未来の党であって今の政党ではなくなった(^^ゞ 選挙目当てに作られた党だとか、小沢一郎と嘉田由紀子の関係が不透明・一緒にやるイメージがわかないとかいろいろいわれている。でも一番の敗因はスタートの遅さだろう。結党は11月28日で選挙の2週間ほど前である。未来に合流した国民の生活が第一にしても5ヶ月前の7月の結党。

政党、党首、そして立候補者の政策や意見をじっくりと聴き較べて誰に投票するかを熟考して決めるーーーなんてことを有権者はできないから、実質的に選挙は政党のブランド戦略の勝負になる。しかしブランド戦略も、そのブランドを知ってもらわないことには始まらない。ブランドの認知を一気に浸透させる方法もなくはないが、やはりある程度の期間は必要。

1992年に細川護煕が日本新党を結成したときも、結党から2ヶ月後の参院選では4名しか当選していない。35名の当選者を出して躍進したのは1年後の総選挙である。今回54名当選した日本維新の会の結成は今年の9月だが、母体となった大阪維新の会が2年前にできており十分な周知期間があった。

選挙前にアレコレ画策するのは政治家的には「燃える」のかもしれないが、新党が有権者の選択対象になるには最低1年は必要なことをお忘れなく。


それで民主党政権は何が悪かったのか。
個々の政策それぞれについては色々あるとしても、マニフェスト(いまや死語か?)の全体的方向性としては悪くなかったと思っている。問題はそれを遂行・実現する力がなかったこと。別に政治に限らないが、何か新しいことをやろうとすれば四方八方から反対勢力が現れる。国政レベルなら知力、腕力、策略その他あらゆることを駆使しして事に当たらなければならない。マニフェストはプランナーに頼んでもできあがるが、現場は実力がなければ動かせない。

その実力がなかったのは、私にいわせれば人材不足が原因。なかなか筆が進まないが「政治(家)改革な話」シリーズを書き始めたのも、そのあたりが問題意識。念のためにいっておくと、これは民主党だけではなく自民党その他すべての政党に当てはまる話。だからどこが政権をとろうと何かと不安。


ところで日曜の投票日。投票意欲はわかなかったが、クリーニング屋に行く途中に投票所があるからついでに。入場券を確認するところで私の前にいた80歳過ぎくらいの老夫婦。ご主人は見た目はかくしゃくとしているのだが、少しボケが入っている様子。ずっと奥さんに明日の朝ご飯の話をしている。投票用紙をもらったところの机で記入しようとしたり、僕の名前はどこに書くのかと尋ねたり。

ご存じのように総選挙の時は最高裁の裁判官の国民審判も同時に行われる。係員が裁判官国民審判の説明をすると、そのご老人が一言。「資料もなしに判断できないよ」。ウン、それは正しい(^^ゞ

wassho at 10:37│Comments(0) 社会、政治、経済 

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