2013年08月12日
さよならロバート・B・パーカー
ロバート・B・パーカーはいわゆるハードボイルド小説を書くアメリカの作家。亡くなったのは2010年の1月である。訃報がニュースになるほどの著名人ではないので、彼の死を知ったのはその年の春か夏頃だったと思う。たまたま立ち寄った本屋で「追悼」みたいな文字を彼の本に掛けられている帯に見つけた。享年77歳。
それが、どうして今頃「さよならロバート・B・パーカー」なのかというと、本日、彼の最後の作品を読んだから。
スペンサーという私立探偵が主人公の、通称スペンサーシリーズが最初に書かれたのは1973年。日本では1976年に出版されている。私が初めてスペンサーシリーズを読んだのは1985年頃だったと思う。きっかけはよく覚えていないが、どこかで書評を読んだからのようにも思う。年表で確認すると1985年なら、既に11冊出版されていたことになる。
スペンサーは朝鮮戦争の経験があり、元ボクサーで元警官の私立探偵。当然タフガイである。でもハリウッド映画のような現実離れした強さではなく、それなりにリアリティのあるスケールで描かれている。なぜか料理が得意で、料理を作る過程の描写がよくでてくる。
初期の作品では手の込んだ料理とともにビスケットを焼くシーンが多くあった。「なぜビスケットをおかずと一緒に食べる?」と不思議だったが、ケンタッキーフライドチキンがビスケットを発売し始めて(かれこれ30年近く前の話である)、お菓子のビスケットとは別にパンに近い存在のビスケットがあることを知って納得がいったのは読者としてなつかしい思い出。
処女作の「ゴッドウルフの行方」から遺作となった「春嵐」まで39冊が出版されている。全部読んだし、すべての本をまだ持っている。じゃ熱烈なファンかというと実はそうでもない。
最初に読んだスペンサーシリーズのタイトルは覚えていない。「ゴッドウルフの行方」ではなかったように思う。スペンサーと私は対極にある。タフガイな私立探偵と屁理屈でメシを食っているマーケティング・コンサルタント。そんなところに憧れがあったのかもしれない。ただしテーマや手法は違うが情報を集め謎解きをする点では共通項もある。
とにかくスペンサーシリーズが気に入った私は数年掛けて出版されている作品をすべて読み、それからは大体年に1冊のペースで出版される新作を楽しみにしてきた。
だが20作目を超えた頃から、だんだんと飽きてきた。基本的にワンパターンなのである。依頼があって、依頼人には依頼したこと以外に隠された秘密があって、そのことにスペンサーがいろいろと巻き込まれたり、頼まれもしないのに首を突っ込んだり。そしてあれこれあるものの最後は無事解決。もっともこれをワンパターンというなら、ほとんどの探偵小説がそうなのだが。ただロバート・B・パーカーはストーリー作りという点では、たいした才能は持っていないと思う。ハラハラ・ドキドキしたり、この先どうなるんだろうと思わせることは滅多にない。それと過去の依頼人や敵対した相手が、その後の小説にスペンサーの味方として多く登場する。その人物達のキャラクターがお約束的すぎるのも話が退屈になる原因。何となくストーリーに行き詰まったら、昔の人物を登場させてページ数を稼いでいる気がしなくもない。
でもまあスペンサーシリーズは、スペンサーのタフで一本筋の通った生き様や男っぷりを楽しむ小説である。毒にも薬にもならないけれど安心して暇をつぶせるという意味では、私にとっては水戸黄門みたいなもの。 いつからか新刊ではなく文庫本になってから買うようになったが、39作品も読み続けたのはそんなところが理由。男性なら、ちょっと男気が不足してきたと思った時に読んでみるのをお薦めする。初期の作品にはフィリップ・マーロー並とまではいわないが、ハードボイルド小説にはお約束の「気の利いた台詞」もそこそこあったと思う。
夏の読書は公園がお気に入り。
エアコンの効いた部屋より温度は高いはずなのに、なぜか涼しく感じる。
この日は半分くらい読んだ頃に、空がゴロゴロ鳴り出し、ヤバイと思って帰ったが途中でゲリラ豪雨につかまってビショビショに(/o\) ゲリラ豪雨はもう異常気象じゃなくて日本の夏の風物詩かな。
それが、どうして今頃「さよならロバート・B・パーカー」なのかというと、本日、彼の最後の作品を読んだから。
スペンサーという私立探偵が主人公の、通称スペンサーシリーズが最初に書かれたのは1973年。日本では1976年に出版されている。私が初めてスペンサーシリーズを読んだのは1985年頃だったと思う。きっかけはよく覚えていないが、どこかで書評を読んだからのようにも思う。年表で確認すると1985年なら、既に11冊出版されていたことになる。
スペンサーは朝鮮戦争の経験があり、元ボクサーで元警官の私立探偵。当然タフガイである。でもハリウッド映画のような現実離れした強さではなく、それなりにリアリティのあるスケールで描かれている。なぜか料理が得意で、料理を作る過程の描写がよくでてくる。
初期の作品では手の込んだ料理とともにビスケットを焼くシーンが多くあった。「なぜビスケットをおかずと一緒に食べる?」と不思議だったが、ケンタッキーフライドチキンがビスケットを発売し始めて(かれこれ30年近く前の話である)、お菓子のビスケットとは別にパンに近い存在のビスケットがあることを知って納得がいったのは読者としてなつかしい思い出。
処女作の「ゴッドウルフの行方」から遺作となった「春嵐」まで39冊が出版されている。全部読んだし、すべての本をまだ持っている。じゃ熱烈なファンかというと実はそうでもない。
最初に読んだスペンサーシリーズのタイトルは覚えていない。「ゴッドウルフの行方」ではなかったように思う。スペンサーと私は対極にある。タフガイな私立探偵と屁理屈でメシを食っているマーケティング・コンサルタント。そんなところに憧れがあったのかもしれない。ただしテーマや手法は違うが情報を集め謎解きをする点では共通項もある。
とにかくスペンサーシリーズが気に入った私は数年掛けて出版されている作品をすべて読み、それからは大体年に1冊のペースで出版される新作を楽しみにしてきた。
だが20作目を超えた頃から、だんだんと飽きてきた。基本的にワンパターンなのである。依頼があって、依頼人には依頼したこと以外に隠された秘密があって、そのことにスペンサーがいろいろと巻き込まれたり、頼まれもしないのに首を突っ込んだり。そしてあれこれあるものの最後は無事解決。もっともこれをワンパターンというなら、ほとんどの探偵小説がそうなのだが。ただロバート・B・パーカーはストーリー作りという点では、たいした才能は持っていないと思う。ハラハラ・ドキドキしたり、この先どうなるんだろうと思わせることは滅多にない。それと過去の依頼人や敵対した相手が、その後の小説にスペンサーの味方として多く登場する。その人物達のキャラクターがお約束的すぎるのも話が退屈になる原因。何となくストーリーに行き詰まったら、昔の人物を登場させてページ数を稼いでいる気がしなくもない。
でもまあスペンサーシリーズは、スペンサーのタフで一本筋の通った生き様や男っぷりを楽しむ小説である。毒にも薬にもならないけれど安心して暇をつぶせるという意味では、私にとっては水戸黄門みたいなもの。 いつからか新刊ではなく文庫本になってから買うようになったが、39作品も読み続けたのはそんなところが理由。男性なら、ちょっと男気が不足してきたと思った時に読んでみるのをお薦めする。初期の作品にはフィリップ・マーロー並とまではいわないが、ハードボイルド小説にはお約束の「気の利いた台詞」もそこそこあったと思う。
夏の読書は公園がお気に入り。
エアコンの効いた部屋より温度は高いはずなのに、なぜか涼しく感じる。
この日は半分くらい読んだ頃に、空がゴロゴロ鳴り出し、ヤバイと思って帰ったが途中でゲリラ豪雨につかまってビショビショに(/o\) ゲリラ豪雨はもう異常気象じゃなくて日本の夏の風物詩かな。
wassho at 20:18│Comments(0)│
│映画、ドラマ、文学